2.Crossing the T



「敵艦隊を撃滅する」

 アルフレッドが発したその言葉は、仲間たちからどよめきを引き出すには十分過ぎるほどの威力を持っていた。
 彼は淀みなく、また僅かな迷いもなくこう言い切ったのだ。敵艦隊を撃滅する、と。
 ここで挙げられた敵艦隊とは、言うまでもなく半月の湾岸を占拠するギルガメシュの軍艦を指している。
 連合軍の主将たるエルンストから自由な作戦行動を認可されてはいるものの、
千にも届かない兵力では、せいぜい遊撃部隊として戦場を攪乱し、
味方を援護する程度の働きしか出来ないだろうと誰もが考えていた。
 このように書くと消極的な印象となってしまうが、むしろ現実的な作戦行動と言うべきであろう。
分別を弁えずに無謀な戦いを強いれば、エルンストが最も恐れる大軍勢の綻びと化してしまうのだ。
 味方を援護するどころか、敗因となっては目も当てられない。
 ところが、仲間たちの持つ極めて現実的な想定を嘲笑うかのようにして、アルフレッドは俄には信じ難い作戦を立案した。
 この小勢を以てして、敵艦隊を撃沈せしめると“在野の作戦家”は言い出したのだ。
海戦力と言えば、佐志の武装漁船とゼラール軍団の帆船しか持たないこの混成部隊で、だ。
 K・kが乗ってきた蒸気船を含めても良いが、それで補えるものではない。
 暴案と言っても差し支えがなかった。

「――しょ、正気ですかッ!?」

 アルフレッドの“暴案”へ真っ先に悲鳴を上げたのは、自身が乗り込む蒸気船の一室を作戦会議の為に提供したK・kだった。
 エルンストの命令に従い、グドゥーの合戦には佐志とゼラール軍団の混成部隊にて臨むことになったのだが、
そうと知ったK・kが蒸気船内の多目的ホールを使って欲しいと申し出た次第である。
 十名を超える参加者が一堂に会すには、それ相応のスペースが必要。
幸いにして蒸気船内の多目的ホールは百人から収容できるキャパシティがあり、
また話し合いに適した大きなテーブルもすぐに準備することができる。是非とも足を運んで欲しい――
そのように喧伝して皆を蒸気船へと招き入れたのだ。
 両隊の機嫌を取っておこうと言う意図は見え透いている。あるいはこれをビジネスチャンスとして生かす企みも
密かに胸の中で捏ねているかも知れない。多目的ホールには二十人以上で囲んでも余地を残すほど大きなテーブルの他にも
休憩用にと飲み物や軽食まで準備されており、ゴマすりの演出がいちいちあざとかった。
 煙突から舵輪に至るまで全てを黄金色に塗装すると言う悪趣味な外装の蒸気船へ乗り移るには多少の勇気を必要としたが、
大人数を一度に収容し得るスペースは、武装漁船と帆船のいずれも確保出来ず、このときばかりは止むを得なかった。
 得意満面で一同を出迎え、「ワタクシも商人の端くれ。専門外の物品(もの)でもたちどころにご用意できるのですよ。
テーブル、万年筆、なんでもござれ!」と胸を張ったK・kは気付いていないだろうが、
あけすけにも程があるやり口には皆が辟易しており、感謝を得るどころか、反対に警戒心を煽る始末だ。
 このように誰ひとりとしてK・kに歩み寄ろうと言う人間はいないのだが、
アルフレッドが吐いた暴案に関してだけは、腹の底まで腐った鼻つまみ者と心を同一にしていた。
 言わば、K・kは作戦会議へ参加した全ての人間の代弁者なのである。

 多目的ホールの中央に据え置かれたテーブルの上には、グドゥーとその周辺の地域を網羅した地図が広げられている。
 地図上には連合軍とギルガメシュ双方の布陣図と個々の部隊の戦力・兵力や、天候的・地形的な特徴など、
現在、手に入る限りの情報が色とりどりのペンでびっしりと書き込まれていた。
 尺度を計測する為に地図上に置かれた定規は、波の動揺に合わせて上下左右に忙しなく滑っており、
一定の位置に納まろうともしない様子は、一同の気持ちが乗り移っているかのようにも見える。
 敵艦隊の撃滅と言う途方も無い作戦が一同にどれほどの衝撃を与えたのかは、
K・kの後に誰も反論を続けようとしなかったことからも察せられるだろう。
 ……念の為に付け加えておくが、K・kを忌み嫌うが故に同類項と見なされたくないと言う私情は、ここには含まれてはいない。
二の句が継げない程の衝撃を受け、身心ともに固まってしまっているのだ。
 唖然とする一同を見回しながらアルフレッドは「足りない奴らだ」と鼻を鳴らした。

「正気も何もあるか。お前には俺が狂っているように見えるのか?」
「べ、別にワタクシはそんなこと……」
「聴く耳があるなら黙って聴け。軍艦と言っても、入り江に四隻浮かんでいるのみ。
他の海域に伏兵が潜んでいるわけでもなさそうだ。
今は軍艦と言う響きに驚いているようだが、落ち着いて状況を把握すれば、どうと言うことはない。
俺の見立てでは、軍艦相手だろうが、戦闘力にそこまで大きな差はない」
「ワタクシにはライアン様が何を仰っているのかサッパリ……」
「黙って聴けと言っている。それとも、作戦も何もないまま特攻して海の藻屑になりたいのか?」
「それだけは堪忍してくださいませっ。若いミソラで鮫の餌になんてなってたまるもんですかっ」
「だから、黙れと言った」
「………………」

 挟まれた異論にもアルフレッドは全く怯まず、敵艦隊を攻撃及び撃滅する意義を滾々と説いていく――
と言っても、刺々しい語気は説得とは程遠く、自分の意見を一方的に押し付けて承諾を強要しているだけである。
 自分の半分も生きていないアルフレッドから野放図に言われ続けることは、さすがのK・kも面白いわけがなく、
不細工に下唇を突き出して無言の抗議に代えている。
 K・kの傍らに控えたローズウェルは、完全に不貞腐れてしまった雇い主を見てフォローを入れるどころか、
「鮫も食いでがあるんじゃない? なんてったって、若くて瑞々しい餌なんだもん。脂も乗ってるしね」などと言い捨て、
これ以上ないくらい厭味な笑みを浮かべている。相変わらず信頼関係の是非を疑ってしまうような悪辣さだ。
 K・kから向けられる無言の抗議も、ローズウェルの悪辣な態度も、アルフレッドの眼中には少しも入ってはいない。

 ズボンのポケットに忍ばせてあるシガレットの箱を指先で探り、そこから一本ばかり引き出したアルフレッドは、
フィルターの先で机上の地図をなぞった。
 茶色のフィルターが指し示したのは、ギルガメシュの影響下に置かれたグドゥーの海岸線である。
 促されるままに地図へと目を落とせば、海岸から数キロ先の陸地までびっしりと”×”のマークで埋め尽くされており、
書き添えてある情報と照らし合わせると、これが上陸を阻む障害を意味していると判る。
 事前の調査で判明しているクリッターの群れだけでなく、アルフレッドは地雷が設置された可能性も想定しているようだ。
岸に面した近海にも同様のマークが無数に書き込まれており、この中には「機雷を警戒」と言う補足説明が添えられていた。
 シガレットのフィルターが皆の注意を引き付けていると見て取ったアルフレッドは、
この燻した臭いのする指揮棒を焦らすような速さで別の場所へと移していく。
自然、シガレットに釘付けになっていた数多の目もこれに追従した。
 皆の目が一斉に転じた先は、アルフレッドの立てた作戦に於いて最大の激戦地となるだろう半月の湾岸である。
 敵艦隊が待機していると言う入り江を燻した臭いのする指揮棒で指したアルフレッドは、
これから実施する説明が最重要であることを強調するようにシガレットの先で件の地点を二度、三度と叩いてみせた。
 まるで板書した内容をチョークで叩き、「ここは試験に出るから絶対に落とすな」と
金切り声を上げるスパルタ教師のようなゼスチャーだ――ついくだらないことを考えてしまったシェインは、
アルフレッドに見つからないように忍び笑いを漏らした。何しろ今の彼に見つかったら厄介どころでは済まなくなる。
 くだらなくも必死な努力を続けるシェインなど眼中に入っていないアルフレッドは、
「ここが敵の最後尾だ」と敵艦隊の鎮座する入り江が持つ戦略的意義を説いて聞かせた。

「敵の背を俺たちで突き崩し、追い散らす。エルンストたち本隊と挟み撃ちにするのが最大の狙いだ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。背後から攻撃するってアイディアは良いけど、それと戦艦相手にドンパチやるのが、どうして?がるわけ? 
入り江の近くに布陣している連中は後詰じゃないの? そんなの狙ってどうするのよ」

 生真面目にも挙手をした上で意見を述べたのは、ゼラールの側近であるピナフォア・ドレッドノートだった。
 黒革の鎧で全身を固めたこの女戦士は、その外見からも察せられる通り、元々はテムグ・テングリ群狼領に属する一員である。
それも古参幹部に連なる氏族と言う出身なのだが、現在では忠誠を誓う対象がエルンストからゼラールにシフトしてしまっている。
 現在までのところ、ゼラール軍団もテムグ・テングリ群狼領の一部隊なので、エルンストを裏切ったことにはならないだろうが、
彼女の心情がどちらに置かれているのかは、言行を注視していれば自ずと答えが導かれると言うものだ。
 そのピナフォアから見れば、敬愛するゼラールの興味がアルフレッドにのみ傾いていることは甚だ妬ましく、断じて認め難い。
 正直なところ、ピナフォアはアルフレッドに対して悪感情しか持ち合わせていない。実際に対面する以前から敵愾心すら抱いていた。
 とは言え、現在は共同戦線を張る相手だ。隊の統率にも関わる為、内輪揉めを起こすわけにもいかないピナフォアは、
心の奥底から噴き出してくる私怨をどうにか押さえ込み、つとめて冷静に作戦内容の肝を確かめようとした。
 ここまでの行動の中でピアフォアには何ら非はない。思ったことを口に出さずにはいられない性格の上、
ゼラール軍団随一の激情家とまで揶揄される人間がよくぞ私怨を堪え切ったと絶賛されるべきである。

 ところが、最悪なことにアルフレッドのほうから彼女の神経を逆撫でし始めたのだ。
 ピナフォアに異論を唱えられるや否や、彼は「とんだ見掛け倒しだな。お前、素人なのか?」と
小馬鹿にするような口振りで鼻を鳴らした。
 元々面白くないと感じていた相手から悪し様に貶されてまで我慢を貫いていられるほどピナフォアは大人ではない。
 アルフレッドのほうからケンカを売って来たものと見なしたピナフォアは、
満面を憤怒で染め上げながら「敵の本陣から離れまくってるでしょうが、ココは!? 
ンなことも読み取れないバカが地図と睨めっこしたって、迷って迷って迷いまくるに決まってるわ! 
あたしらのほうが先に沈没しちゃうわよッ!」と大音声で吼えた。
 傍目で見ていたK・kの肩を俄かに震わせるほどの怒気が迸ったのだ。

「――敵の本陣、だと? 本陣と言ったのか、お前? 
……成る程な、お前から見て敵の背後とは、文字通り、本隊の背面でしかないわけだな」
「何よ、その言い方? バカにしてるわけッ!? 逆に訊いてやるけど、主力同士の戦いだっつってんのに遠くの後詰が何だって言うのよ!? 
せいぜい、本隊と分断して各個撃破するくらいよッ!」
「そもそも俺は後詰が敵の背だと言った覚えがないのだが。お前はどこで履き違えた? それとも、俺の説明が悪かったか。
いずれにせよ、お前はもう口を噤め。お前ひとりの都合で説明を引き伸ばすのはバカバカしい。耳だけ傾けていれば良い」
「あんたはねェ……――」

 ギルガメシュの背後を突き、連合軍本隊と挟撃に攻めるのがアルフレッドの立案した作戦内容の肝であったが、
いずれの陣を“敵の背”と定めて攻撃していくのか――つまり、攻撃対象を巡ってふたりは言い争いに及ぼうとしていた。
 論争と呼べるほど高尚なものではない。自分の意図を理解しなかったピナフォアのことを悪趣味にもアルフレッドは嘲ったのだ。
そのように下劣な真似をされたのなら、悪感情を抱いているピナフォアでなくとも腹を立てるだろう。
 例えば、フツノミタマが同じことをされたなら、どのような事態になるか。
 自分に向けられた悪言ではない為、アルフレッドの態度に眉を顰めながらも現在は事態を静観しているが、
この場に居合わせる誰よりも血の気の多い彼のこと、「バカは黙っていろ」などと嘲笑を浴びせられようものなら
青筋を立ててがなり声を上げるに違いない。
 共にギルガメシュと戦う同志に対して非礼極まりないアルフレッドの言行にはハーヴェストも義憤を覚えてならない。
 それを察したローガンが目配せでもって宥めた為、爆発には至っていないが、
今以上に悪質な愚弄をしでかしたときには、アルフレッドの横っ面を彼女の平手が張り飛ばす筈だ。

(……不幸中の幸いは、フィーがいなかったことね……)

 自身の怒りはともかくとして、この場にフィーナがいなくて良かったとハーヴェストは密かに安心していた。
 誰よりもアルフレッドの変調に心を痛めるフィーナは作戦会議には同席せず、
蒸気船のキッチンを借りて炊き出しの準備を進めている。
折角、大人数で集まるのだから…と、シーフードカレーを作るのだそうだ。
 マリスやベル、タスクの手を借りながら大鍋を相手に格闘を演じるフィーナのエプロン姿を思い浮かべたハーヴェストは、
愛弟子の心が痛めつけられることなく済んだことを、幸運を司る神人(カミンチュ)、ティビシ・ズゥに感謝した。
 それと同時にツァ・ラシュ・クには「復讐って言えば全て許されるなんて思い違いがどうして必要だったのかしら。
そんな感情(こころ)、ハナから要らないわよ」と不敬を承知で悪態を吐く。
 ツァ・ラシュ・クとは、感情の働き――つまり、心を司る神人(カミンチュ)である。

 時間を経て落ち着くどころか、悪辣ぶりに拍車が掛かっていくアルフレッドの態度は、
最早、神人(カミンチュ)にでも救いを求めなければ矯正されないだろうとまでハーヴェストは考えていた。
 これは、別な形にも言い換えられる。
 本来はフォローしてくれる筈の仲間にまで深刻な歪みを感じさせるほど言行が常軌を逸している、と。
 いずれにせよ、エルンストから共同戦線の兵権を委ねられた人間には有るまじき素行であった。

「黙る前に一つ答えてくれ。お前、海戦の経験は?」
「――はァ!? ないわよ! 何か悪い!? こちとら草原の民なのよ! 海なんて知ったこっちゃないわッ!」
「それでさっきから間抜けなことばかり言っているわけだ。得心したぞ」
「自分勝手に得心すな! この根暗! 言いたいことはハッキリと言いなさいよッ!」
「本人の希望なので、言わせて貰おうか、はっきりと。……このド素人が。布陣図を見間違えるのも頷けるな」
「なッ……!」
「いいか、よく聞け。入り江には戦艦など停泊していない。海戦力を持っているのはせいぜい巡洋艦一隻だ。
今までお前は何を聴いていた? 得られた手がかりからすぐに推理できるだろうが」
「………………」
「推理をしようにもまず引き出しがない。だから、軍艦の種類もわからない。……その体たらくでよくも意見しようと思ったものだ。
勇気と言うか、厚顔無恥と言おうか。どっちにしろ、」
「……こンのガキィィィッ……!」

 正面から向けられる激しい敵愾心に気付いているのか、いないのか、
アルフレッドは冷ややかな言行でもって彼女が燃え滾らせる憤怒の火へ油を注いでいく。
 今すぐにでもアルフレッドに飛び掛っていきそうな剣幕のピナフォアをギリギリのところで制止したのは、
不意打ちのように横から割って入ったトルーポの声だった。
 多目的ホールに用意されたオードブルの皿からブラックタイガーのフリットやチキンナゲットを摘んでいたトルーポが、
一方的にやり込められるピナフォアを庇うようにして「四隻の内訳がわかったのは大きな収穫だったな」と口を挟んだのである。

「――それによ、敵が戦艦を持ち出さなかったのは嬉しい誤算じゃねぇか。
本当に戦艦浮かべられてたら、お前だって背後からヤツらを挟み撃ちにするなんて出来なかっただろ?」
「……仲間の尻拭いとは、お前も苦労するな、バスターアロー。昔から苦労性だ」
「代わり映えがねェのはお互い様さ。お前だってそうだ。今も昔も性格が捩れていやがる」
「放っておけ。俺のは自分の性分だ。お前の場合はそうではない」
「そう、お前のは。なら、聞くが、その性格の悪さで説明をバカみたいに長くしてるのは、どこの誰だ?」
「………………」
「建設的な話はお前の得意分野じゃなかったかな? どうだ、ライアン? さて、どうするよ?」
「……今も昔も性格が悪いのは、どっちだ」
「そいつは心外だね。俺のは簡単な物真似だぜ。鏡に映った手前ェの姿にカリカリしてただけさ、お前はな」
「何が俺の物真似だよ。お前からは悪意しか感じないが」
「仲間をコケにされたら、お前だって良い気分はしねぇだろ」
「――……厭味な奴め」
「だから、言ってるじゃねーか。お互い様ってな」

 皮肉の応酬が功を奏したのか、アルフレッドはピナフォアへの追及を途絶させた。……否、途絶させるしかなかった。
 アカデミー時代からゼラールに付き従ってきたトルーポは、同窓のアルフレッドとも知己の仲である。
事あるごとに張り合うライバルふたりを傍観している内に、この性格が捩くれた同窓生の扱い方にも自然と慣れていったのだ。
 不機嫌そうなアルフレッドを尻目に「お前の真似が上手くなったって、何の自慢にもならないことだがね」と
トルーポはおどけてみせたが、これはシェインたちからすれば天地がひっくり返るほど衝撃的な一幕だった。
 平素であれば理論武装で対抗意見や反発者の封じ込めを行うアルフレッドが、
その得意技を見せる前に完封させられてしまったのだ。
次から次へと理屈を並べ立て、付け入る隙すら与えないあのアルフレッドが、だ。
 まんまと丸め込まれたアルフレッドと、慣れた様子で彼を手玉に取るトルーポとを交互に見比べたシェインは、
目を瞬かせて「クラ兄ィよりすげーや、この人……」と改めて感嘆を漏らした。

 トルーポの行動は、ピナフォアへの配慮も含まれている。と言っても、彼女の報復を代行したわけでもない。
 憤怒を駆り立てた主原因であるアルフレッドが細かい作戦内容を説明したところで、
最早、ピナフォアの側が素直に受け止められないとトルーポは判断していた。
 腑に落ちるか否かは別として、決定された作戦内容を理解しないまま合戦に及ぼうものなら
ピナフォアの身には確実に危難が及ぶ。そして、それがゼラール軍団の総崩れに直結する可能性もあるのだ。
 アルフレッド相手に皮肉の応酬を演じたのは、これを未然に防ぐ為の一計と言えよう。

 憎きアルフレッドとの直接対決を不意の横槍で邪魔したトルーポのことをピナフォアは不服そうに睨み続けている。
 彼女の性格上、後になって「勝負はこれからだったのに邪魔しやがってッ!」などと噛み付いてくるだろうが、
しかし、身内同士の口喧嘩で留まる為に余所に遺恨を作ることはない。
 仮にアルフレッドと直接対決させたとしよう。おそらく問題はアルフレッドだけには留まるまい。
彼の仲間との間にも確執を生み出し兼ねなかった
 敵対関係ではなく、共同戦線を張る相手なのだ。敢えて角が立つように仕向ける必要など無い。

「――っとと、作戦会議を続けなけりゃな。まずはギルガメシュが浮かべたお船のおさらいと行こうか。
ココはやっぱり、敵さんのお船を実際に見てきたヤツから説明して欲しいところだが?」

 思い出したように作戦会議を再開させたトルーポは、
目下の課題を再び机上に載せながら敵艦隊を偵察した功労者を窺った。

「オイラの目に狂いはありやせんぜ!」

 トルーポからの問いかけに力強く頷いたのは、源八郎だった。
 自身の駆る武装漁船から小型のボートを発進させ、先行して半月の湾岸へと赴いた源八郎は、
その双眸にてギルガメシュの艦隊を検分してきたのである。

 揚陸艦二隻、小型の補給艦一隻、巡洋艦一隻――それが、ギルガメシュが湾岸に浮かべた艦隊の内訳であった。
 かいつまんで説明するならば――揚陸艦とは、兵士を戦地へ送る為の軍艦と言うことになる。
戦闘が終了した後には兵士たちを回収し、この引き上げも担っていた。
 言わずもがな補給艦は戦地への物資輸送を担当。直接的な戦闘能力を有するのは、
この場合に於いては巡洋艦のみである。
 巡洋艦とは、「洋を巡る」と言う名が表す通り、超長距離の航海を念頭に置いて開発された軍艦だ。
総合的な攻撃力は戦艦には及ばないものの、海戦を想定してある為、
大口径の艦載砲を実装するなど火力は桁違いに高い。
 戦争に於いては、極めて有効な“海の軍事的手段”として見なされていた。
 半月の湾岸を征圧するには、この巡洋艦が最大の障害になることだろう。

 艦隊の編制を暗唱する源八郎の口先が尖っているのは、先ほどアルフレッドをやり込められたことへのささやかな反撃であろう。
トルーポの言葉を借りるなら、仲間を虚仮にされて気分の良い人間はいないと言うことだ。
 見れば、源八郎だけでなく守孝もまたトルーポへ鋭い眼差しを向けているではないか。
 「底意地の悪さは一緒だが、丸くはなったみたいだな、一応」と胸中にて呟いたトルーポは、
苦笑交じりに頭を掻くと、再びアルフレッドへと会議のイニシアチブを戻した。
 本音を話せばピナフォアは「じゃあ、なんでさっきあたしを庇ったのよ!? 」と顔を真っ赤にして怒り出すだろうが、
“敵の背”と目された敵艦隊を撃滅すると言う作戦内容には、実はトルーポも異存はなかった。
 それはつまり、トルーポもまたアルフレッドと同じ結論に達したとの証左である。

 偵察に赴いた源八郎が持ち帰った報告はエルンストから打電された情報とも合致し、
ここに至ってアルフレッドは敵艦隊の正体を見極めていた。
 であればこそ、自軍の海戦力で敵艦隊を撃滅し得るとの確信を得たのだ。トルーポもこの確信を共有するひとりだった。

 トルーポからイニシアチブを戻されたアルフレッドは、僅かな逡巡の後、再び燻した臭いのする指揮棒を取り出し、
茶色のフィルターの先でもって半月の湾岸を指し示した。
 そこには、源八郎が暗唱したのと同じ内容が書き添えられている。揚陸艦二隻、小型の補給艦一隻、巡洋艦一隻、と。

「見てみろ。入り江以外のどこにも軍艦は配備されていない。それどころか、敵の船を寄せ付けないように鉄壁の守りで固めている。
つまりな、入り江以外の場所に船を接岸させる考えがないと言うことだ」

 アルフレッドの肩越しに地図を覗き込んでいたフツノミタマは、その説明に低く唸った。

「するってぇとなんだ? 人手の出し入れは、そこの入り江に限られるっつーコトかよ」
「皮肉な話だが、揚陸艦が浮かべられているのが一番の証左だ。
……万が一、戦いに敗れた場合、撤退する敗残兵はどこを目指す? 間違いなく揚陸艦へ逃げ場を求める筈」
「お船に帰って、こっからズラかるって算段か。……ケッ! 最初から逃げ道確保しとくなんざ、弱ェヤツのするこった」
「だから、ここが敵の背後だと言ったんだ。それだけに揚陸艦を撃沈させる意味もある。
艦隊を粉砕するだけの攻撃力と、退路を断たれた恐怖によって背後から脅かされようものなら敵陣は一気に崩れる。
そこまで持っていければ、後は早い。袋の鼠になったギルガメシュは一瞬で破滅する」
「理屈じゃそうだろーがよ、敵さんだってバカじゃねぇだろ。そこが背後だって言うんならよ、
それなりに防御を固めとくんじゃねぇのか? 軍艦浮かべるだけじゃなくてよ」
「いや、敵は阿呆だ。完全に把握できたわけではないが、湾岸と砂丘、どちらにも防御の策は施していないようだ。
……そうだったな、源八郎?」
「隠してあるなら話は別ですが、固定砲台の類も見つからんかったですぜ。勿論、バリケードなんて無ぇ。
さすがに兵隊は置いてたみたいですが……」
「わかるか、フツ。入り江の近くで海戦になった場合、援護射撃を行う手段を奴らは用意していないと言うことだ。
敵の拠点を海から攻めるときに最も恐ろしいのは陸地からの攻撃だ。船なんてものは格好の的だからな」
「海戦になるなんて、奴らは想像もしてねぇっつーコトかよ。……それならそうとスキッとそう言いやがれ! 
いちいち回りくどいんだよ、てめぇはッ!!」
「がなるな、喧しい。……これはチャンスだ。一番取られてはマズいはずのポイントが、
気を引き締めるどころか、油断しきっている。これを逃す手はない」

 揚陸艦は、撤退時にはそのまま最大の“活路”となる。
死中の救いとも言うべきこの“活路”こそが、ギルガメシュにとって背に該当するとアルフレッドは主張しているのだ。
 敵の先鋒から遠く離れた位置に浮かべられているからではない。軍艦ならではの威容が見る者全てを圧倒し、
攻撃の手など絶対に及ばないだろうとの優越的な心理にアルフレッドは自身の論拠を求めていた。
 絶対安全圏に居ると言う心理が立地や布陣図をも超越し、背面と言う脆弱性をギルガメシュに与える。
合戦に於いて、絶対に奪われてはならない弱点を、だ。
 優越的な心理の根拠である敵艦隊を少数精鋭の力で撃沈させ、絶対安全圏と言う錯覚をも覆すことが出来たなら、
残存するギルガメシュ兵は必ずや支離滅裂と化す。そこを挟撃で一挙に仕留めようと言うのがアルフレッドの立案した作戦の本旨であった。

「敵の背を突くのは常套手段。ましてそこが敵の逃げ道であれば尚更だ。何を置いても先に潰しておくのが肝要と言うもの。
地の利を押さえ、敵の隊伍を乱す。そこに勝機が生まれる。俺たちの手で天運を奪い取るんだ」

 自身が軍略の奥義としている『三陣』へ前衛的なアレンジを加えたアルフレッドだったが、
その説明には、一部の例外を除いて誰もが神妙に聞き入っている。
 折り合いが悪い筈のピナフォアもその内には含まれていた。
 とてつもなく悔しげではあるが、彼の口が紡いでいく説明に耳だけは傾けており、
それどころかピナフォアは最初に衝突して以降は一つもアルフレッドの戦略に批判を訴えてはいなかったのである。
 彼女もまたアルフレッドが持つ類稀なる戦略の才を納得してきたと見て間違いあるまい
 途方もない作戦内容を聞かされた当初は、無謀にしか思えないアルフレッドの戦略に怯えていたK・kも
現在では軍艦の撃沈が絵空事ではないとの確信を持った様子だ。
「ワタクシってば歴史的瞬間に立ち会ってるんじゃないかしら?」などと暢気に騒いでは、ローズウェルから呆れられている。

 ギルガメシュ及びその“背後”の艦隊を撃滅するべくアルフレッドが詳らかにした戦略は、
余人には思いつかないほど峻烈且つ電撃的で、敢えて反対意見を出す必要がないように思えた。
 トリーシャが「あたし、ちょーっとこんがらがっちゃったんだけど」と挙手をしたのは、まさしくそのタイミングある。
 首を傾げながら手元のメモと睨めっこしていたトリーシャは、
難しい情報や問題を噛み砕き、誰にでも解り易いよう伝えることを使命とする記者らしい質問をアルフレッドに放った。

「軍艦ツブすのは応援するけどさ、あんたたち、どうやって戦うつもりなの? 守孝さんたちの船じゃキツいんじゃない?」

 軍事の専門知識を持たざる人間を代表するかのようなトリーシャの質問は、アルフレッドの眉間に寄る皺を数本ほど増やしたが、
反対にヒューには「着眼点が違ぇな。そこはとんでもなく大事なモンだぜ」と口笛交じりで歓迎された。
 これにはトルーポも思うところがあったらしく、トリーシャが質問を投げかけている間にも
顎を刳(しゃく)るようなゼスチャーでもってアルフレッドに委細の説明を促した。
 オードブルとは別のテーブルに用意されていたグレープフルーツジュースを、
豪快にも容器(デキャンタ)の尻が天井を仰ぐような恰好で呷るトルーポではあるが、
アルフレッドに拒否をさせないつもりなのか、その視線は錐のように鋭い。

 机上の議題は、戦略の工程を経て実際の戦術へ移行しようとしていた。
 改めて必要性を論じるまでもないのだが、合戦を勝ち抜くには戦術の説明を欠くわけには行かない。
著しく他者への配慮を欠くアルフレッドに対し、トルーポは釘を刺したのだ。
 専門外故に自身の中にストックを持ち得ない事柄をトリーシャは恥ずかしがることもなく尋ねたのだが、
あろうことかアルフレッドは彼女の真摯な探求を煩わしげな目で見下していた。
そんなことも知らないのかと鼻先であしらうように、だ。
 この驕慢な態度をトルーポは見逃さなかった。下卑た驕りで必要な説明を略すなど断じて許さないと
彼は厳めしい双眸でもってアルフレッドに突きつけている。
 自省しているのか、いないのか――それすら判然としない薄暗い目でトルーポに応じるアルフレッドは、
「な〜んか、あたしってば置いてきぼりじゃん? 質問したのはあたしなんですけどォ〜」と
喧しく口先を尖らせるトリーシャとは反対に全くの無言である。

 このようなときには喜々としてアルフレッドを罵るゼラールなのだが、
何を思ったか、普段なら自分が率先して担う筈の役割をトルーポに委ねたまま事態を静観している。
 トリーシャが最後にゼラールの声を聴いたのは、多目的ホールに集合した佐志の面々を彼が笑い飛ばしたときである。
 合戦の舞台へ近付いてもいない内からアルフレッドは気早にもプロテクターで全身を固めているのだが、
士気高揚、規律の確保との理由から佐志の仲間にまでこれを強制し、出港した時点では普段通りの着衣であったトリーシャたちも
今では半首(はっぷり)なるヘッドガードとボディーアーマーで完全武装。
 結果、多目的ホールへ集まる頃には一種異様な集団と化していたのだ。
 物々しいにも程がある出で立ちをゼラールは気短、短慮と手を叩いて囃し立て、
そして、この一笑を境に会話にすら参加しなくなっていった。

 両者の間に立てるだろうゼラールが傍観を決め込むとなると、放置されたトリーシャは着地点に困ってしまう。
 かと言って、質問を引っ込める理由もない。手持ち無沙汰となった末にネイサンへ
「あんたからも何か言いなさいよ。男見せてさぁ。アルの親友なんでしょ、自称」と
八つ当たり気味に不満をぶつけるくらいしか今の彼女にはやることがなかった。
 とばっちりを受けたネイサンは堪ったものではなく、困ったように頭を掻くばかりである。
 誰がどう見ても、現状(いま)のアルフレッドたちに触れるのは危険だった。
 
 アルフレッドとトルーポが冷ややかな衝突を演じるその脇では、驚異的とも言うべき温度差でローガンが気勢を上げている。
 戦術――どのような攻撃手段を用いて敵艦へ攻め掛かるかと話し合う段になってからと言うもの、
彼のボルテージはうなぎ登りであった。

「ゼラールんトコのは帆船やろ? 帆船言うたら帆を結んどくロープや。
ロープをこう腕に巻いてな、振り子みたいに身体ブン回して敵の船に乗り移るっちゅーのはどうや? 
甲板に斬り込んだらワイらの独壇場やで」

 どうやらローガンは、敵艦に直接乗り込んでいき、内側から征圧する戦い方を期待しているようだ。
 願ってもないシチュエーションでの戦いに胸躍らせるローガンは、
腕に力瘤を作りながら「ホウライの神髄っちゅーのを見せたるわ!」と歯を剥き出しにして笑っている。
 帆船同士の戦いならばいざ知らず、大口径の砲門を備え、また堅牢な装甲板で鎧(よろ)う軍艦に船体を横付けし、
あまつさえ飛び移って攻撃を仕掛けようなど正気の沙汰ではない。
 いくらなんでも無謀ではないかと最初の内は諫めていたレイチェルだったが、
「海賊映画じゃないんだから……」とローガンの発した戦法を反芻した途端、口の端が愉快そうに吊り上がった。
 舌の根の乾かぬ内にとは良く言うが、ローガンを諫止する立場から一転して闘争心に火が点いてしまったようだ。
 好戦的な表情で拳を鳴らすレイチェルには、ヒューも苦笑する以外になかったが、
さりとて数秒前の意見を翻したことを窘めるのでなければ、無謀な戦いを楽しもうとする短慮を諌めるのでもない。
 それは、ヒューもまた敵艦に乗り込むことを志願する一員であるからに他ならなかった。

 ローガンの発案は、凄まじい速度で周囲の人間に伝播しつつある。
 シェインとムルグも気合いの吼え声を上げてこれに同意し、困惑した様子のネイサンの腕を掴むと
「ヤツらの船ん中に爆弾バラ撒いてやろうぜ!」などと言って強引に拳を突き上げさせた。
 何より珍しいのは、ムルグがフィーナに同行せず単独で作戦会議に参加していることだ。
いつものムルグであったなら、何を置いてもフィーナの後を追いかけていった筈である。
 フィーナたち実戦慣れしていない面々の殆ど――勿論、この場合にタスクは例外と言うことになる――は、
揃って炊き出しの準備に勤しんでおり、ムルグも当然ここに混ざると誰もが思っていた。
 それでも敢えてムルグがこの場に居残ったのは、偏にフィーナたちを合戦の場にてサポートする為である。
 絶え間なく襲い掛かってくるだろう危難の嵐から彼女たちを守るには、他の誰よりも作戦内容を理解し、
如何なる状況にも対応し得る心構えを完成させておかなければならない――
その決意があったればこそ、嫌悪の対象であるアルフレッドを真剣な眼差しで見つめていられるのだ。
 今は、個人の感情を優先させるべきときではなかった。

 当惑するネイサンを巻き込みながら一層昂ぶっていくシェインとムルグや、彼らをそこまで駆り立てたローガンに対し、
平素であれば厳しく制止を促す筈のハーヴェストも、今回の発案に限ってはやぶさかではないらしい。
 短慮としか言いようのないローガンの発案には、暴力的なまでの諫止を叩き込んでいてもおかしくないのに、
何故か彼女は自身のトラウムを具現化させることはおろか鉄拳を飛ばそうともしない。
 何を血迷ったか。ローガンの発案へしきりに頷くその頭の中では、
マストの頂点に立って敵艦を狙い撃ちする自分の勇姿でも夢想しているのだろう。

 些か変則的ではあるが、敵艦隊と相対する戦術の話し合いが再開されたことで、
自身の抱いた疑問への明答が遠からず舞い降りるだろうと感じたトリーシャは、
一字一句聞き漏らすまいとテープレコーダーを構えた。


 正面きってアルフレッドと睨み合いを続けていたトルーポが不意に視線を逸らしたのは、まさにそのときであった。
 この脇目を振るかのような合図によって事態(こと)を察したアルフレッドは、
自分の与り知らぬところで勝手に進行していた敵艦への突入作戦を「頭が腐っているのか、お前たちは」と一喝でもって食い止めた。
 いたずらの現場を見つかった子どものようにバツの悪い表情(かお)で頭を掻くローガンはともかくとして、
意外なことに一番驚いたのはヒューだった。彼は、信じられないと言った様子で目を見開いている。

「なんでぇ。俺っちはてっきりそのテで行くのかと思ったのによ。」
「確かに敵艦へ侵入すると言う手は悪くはない。……が、完遂までに時間が掛かり過ぎる。
これはあくまで前哨戦。本戦は砂漠だ。砂漠へ向かうまでに手間取っては奇襲としての効果が失せる」
「いやよ、ローガンが言うみてぇに海賊の真似事するわけじゃね〜よ。小舟で乗り付けてよ、ぱぱーっと片付けちまうって話さ」
「――ちゃうんかいっ!?」
「おっ、こりゃ可愛いお故郷(くに)言葉が出たもんだ」
「……頭の沸いたローガンは仕方がないにしても、どうしてお前が残念がるんだ、ハーヴ」
「ち、違……今のは……っ!」
「ええやないか。ハーヴかてたまには羽目外したいやろ。船上の戦いっちゅーのは、ヒーローものには付きものやし」
「ばっ、なッ――あ、あたしは、べ、別にそーゆーのは……」
「遊びのつもりならお前を戦力から外さなければならなくなるが、どうなんだ? 本当に頭が腐っているのか?」
「そやから、ちゃう言うてるやんっ!」
「ハッハッハ――安心せぇ! ワイはハーヴの味方やでッ! 思うさまに暴れたらええねん! 
相手はくそったれ共やさかいッ! 遠慮はいら――おごォッ!?」
「お、オドレのせいでややこしくなっとんねん! 黙りやッ!」

 変形機構を備えたスタッフ(杖)のトラウム、ムーラン・ルージュを疾風の如き身のこなしで具現化させたハーヴェストは、
その柄を振り抜いてローガンの後頭部を打擲し、有無を言わせず彼を黙らせたものの、さすがにもう取り繕いようがない。
 照れ隠しで殴り倒されたローガンは、気の毒を通り越して哀れとしか言いようがなかった。
 反射的に仕出かしてしまった数々の失態に苛まれるハーヴェストは、羞恥の色で頬を染め上げると、
次いで満面を蒼白に塗り直し、言い訳すら忘れてしまったかのように俯いてしまった。
 「話を戻すが……」と何事もなかったように仕切り直すのは、アルフレッドの優しさなのか、それとも皮肉なのか。
いずれにせよ、今のハーヴェストにはそうした配慮がかえって痛かった。

「――敵の艦内がどのような状態なのか、こちらには全く情報がない。未知の世界に飛び込むのと同じことだ。
セキュリティの技術もこちらの世界とは全く違うかも知れない。
それに、先ず敵艦に接近するのも難しいだろう。レーダーに引っ掛かったら一発の筈」
「多少のセキュリティはあると思うけどよ、お前の言葉を借りるなら、
奴さんは絶対に敵の攻撃を受けねーって信じ込んでるわけだろ? そんなら艦内だって緩いと思うぜ。
ソナーだって有効範囲ってもんがあらぁ。そいつをちょちょいとかわしちまえば、
案外、サクサク行けるもんだぜ――なぁ、フッたん?」
「ンな気安く振ってくんじゃねーよ。……オレだってまんざら経験がねぇわけじゃねーが、
見取り図も何もねぇっつーことならよ、なかなか骨だぜ。こちとら“潜る”のが専門じゃねぇからよ」

 急に話を振られたフツノミタマは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐさまに過去の経験を振り返り、
ヒューから寄せられた問いに対して一つの答えを返した。
 裏社会の仕事人として場数を踏んでいるフツノミタマですら完全なる暗中へ身を投じて目的を達成させるには、
応分の時間と労力が要ると言う。

「船ン中の誰かを殺れっつーのとはワケが違うだろ? オレの仕事とは掛け離れてらぁ」

 どの程度の人数が搭乗しているかも知れない軍艦を短時間で征圧するのは難しい。それがフツノミタマの結論だった。
 しかしながら、ローガンが言い出した敵艦への突撃には彼は大賛成である。
時間制限など抜きにして大立ち回りを繰り広げて良いのであれば、幾らでも敵のど真ん中に斬り込んでやると彼は付け加えた。
 「敵艦へ乗り込む」と一口に言っても、作戦の内容によって取るべき行動が全く異なるわけだ。
必要とされる人材とて必ずしも複数の作戦で合致はしない。

「そんじゃ、こう言うのはどうだ? 四隻まとめて俺っちらでブン捕っておいてよ、
ギルガメシュの連中が負けて逃げてくるのを待ち伏せしてやるんだよ。
やっとのことで逃げ帰ったとも思いきや、そこには思わぬ伏兵が――ってさ」

 裏社会で暗殺稼業に手を染めてきた凄腕の仕事人にまで実現困難だと躊躇させた敵艦への潜入だったが、
ヒューはさも簡単だと言わんばかりの口調で次々と新たな提案を続けている。
 敵艦潜入と征圧を前提として、そこから一歩先の作戦行動まで論じるヒューの慧眼には、
さしものアルフレッドも舌を巻く思いであった。
 自分の考える作戦内容と一致していたのならば、まず間違いなく手放しに褒め称え、
即時採用していたことだろう。
 僅かな歪(ひず)みの為、戦術として容れられないことがアルフレッドには口惜しかった。

「……それは俺も考えはした。だが、それでは敵の退路を断ったことにはならない。 
さっきも言ったが、軍艦を潰した後はギルガメシュの本隊をエルンストたちと挟み撃ちにする。
それを考えると、敵の艦(ふね)に留まっては動きが悪くなる」
「あー、……それもそうか。ちぇっ――折角、綺麗ドコロが揃ってるし、俺っちの華麗な活躍で魅せてやりたかったんだけどよ。
お前だって見てぇだろ、レイチェル?」
「……あんたはどうやったってドサンピンから変わりようがないから安心しなさい」
「へいへい。こりゃまたツレねぇこった」

 自身の発案が不採用に終わったことへ文句一つ漏らさず、代わりにレイチェルをからかって話を切り上げたヒューは、
「なんなら、安全に征圧してからお艦(ふね)を爆破するってのもアリかもよ? 最前線の連中に見せつける意味でよ」と
最後にそう言い添えたが、この取るに足らないような軽口にすらアルフレッドは胸中では大いに感心していた。

 今でこそ探偵業で生計を立てているヒューだが、かつてはれっきとした軍人であり、
特殊潜行艇に乗り込んで任務に当たっていたと言う。
 少なくとも、アルフレッドの記憶する限りでは、これが稀代の名探偵の前歴だった。
 所謂、“昔取った杵柄”とやらを発揮すれば、敵艦へ潜り込むことなどヒューにとっては朝飯前なのだろう。
フツノミタマですら難色を示した短時間の征圧もまた然りである。

 「さすがは、もと海軍。どこぞのオヤジとは言うことが違うな」などと揶揄してくるシェインに対し、
苦笑いを交えつつ「海軍とは、ちと違ぇんだってばよ」とやんわり訂正するヒューのことを、
レイチェルは気遣わしげな眼差しで見つめている。
 つい先ほどまで見せていた意気盛んな調子とは打って変わって痛ましいまでの憂いを帯びており、
真隣で「――あぁん!? 適材適所って言葉を知らねぇのか、このクソガキッ! オレぁ専門が違ぇっつってんだろ、オラァッ!」と
大人気なくシェインに言い返すフツノミタマとは好対照であった。
 ヒューが軍に属していた頃の話は、どうやらレイチェルにはあまり触れて欲しくないことのようだ。
夫がかつての経歴に因む発言をする度に、彼女は伏し目がちになっていく。
 恐妻もとい愛妻の変調を見落とすヒューではなく、沈鬱な表情のまま俯いたレイチェルへ辛そうな目を向けたのだが、
それも一瞬のことであり、彼女と視線が交錯した直後には決然と迷いを振り捨て、
机上に転がっていたボールペンを指先で弄びながら「乗り込む以外の戦術な」と反芻し始めた。
 まるで自分へ言い聞かせるように、何度となくヒューは口内で同じ言葉を転がし続けた。
 レイチェルも同様である。再び満面に闘志を漲らせた彼女は、
夫を後押しするように「こうなったら矢でも鉄砲でも持ってこいってのよ! とことん付き合ってやろーじゃない!」と勇ましく大見得を切った。
 心から結ばれた者同士にしかわからない言葉を暗黙の内に交わしたのだろう。
余人には窺い知ることの出来ない“私情”を、ヒューとレイチェルは刹那の交錯で乗り越えたのだ。
 フィーナやマリスがこの場に居合わせたなら、ふたりのやり取りを見て羨望の溜め息を漏らしたに違いない。

 恋する乙女たちの憧れを集めるだろう冴えたやり方で背中を押してくれたレイチェルに応えるべく思料していたヒューは、
自分の言葉を待つようにして押し黙るアルフレッドと視線をぶつけ合うと、
薄い笑みを浮かべながらボールペンの尻でもってギルガメシュの艦隊をなぞった。
揚陸艦、補給艦、巡洋艦と艦隊の内訳が赤文字で記された場所を。 

「そんじゃ連中と“ドンパチ”やるってんだな? まあ、やってやれねぇことはないだろうけどよ」
「海戦で敵艦隊を全滅させる意味と効果は、お前にならわかる筈だ」
「――しょ、正気ですかッ!?」

 “ドンパチ”――つまり、双方が備え得る火力及び海戦力の応酬を断行すると明言したアルフレッドに
飛び上がって驚いたK・kは、次いで上擦った悲鳴を上げた。
 奇しくも、この作戦会議が始まった当初に上げたのと一字一句同じ絶叫である。
今にも泣き出してしまいそうな情けない声まで含めて、そっくりそのままの完全再現だ。

「不満か?」
「不満も何も、どう考えたって勝ち目はありませんよ!? あまりに性能が違い過ぎて……!」

 海戦を挑もうにも戦力差があまりに開きすぎていると、K・kは気が狂わんばかりの勢いで主張していった。
 現在、Bのエンディニオンで最強の軍艦とされているのは、装甲艦と呼ばれる形式の蒸気船だ。
 これは木造の船体に鋼鉄の装甲板を貼り付けて防御力を高めた艦(ふね)であり、
動力源は主として蒸気機関である。

 これに対して、ギルガメシュが湾内に浮かべた艦隊はどうか。
 源八郎ら偵察に赴いた者たちの説明によれば、構造からしてBのエンディニオンの装甲艦とは全く異なっているそうだ。
 装甲艦の場合、蒸気機関を備えているとは言え、これ単体では出力に欠ける為、
従来の帆船と同じように帆を張ることで風を受け、ふたつの推進力を使って航行を実現している。
 しかし、ギルガメシュの艦は船体のどこを探しても帆に相当する部位が見当たらず、
天へと突き出している物体と言えば、甲板の後部に所在する鋼鉄の塔のみだと源八郎は語っていた。
おそらくその鋼鉄の塔が艦橋だろう――とも。
 黒々とした排煙を吐き出す煙突も確認できなかったと付け加えた源八郎は、
風に頼らず艦載する動力源のみで推進力をまかなえるのだろうと予想を立てている。
 それはつまり、出力の面ですら大きく差を付けられていることの証左に他ならない。

 Aのエンディニオンのテクノロジーから推察するに、動力源はCUBEと見て間違あるまい。
あるいは、軍艦そのものが巨大なMANAであるのかも知れない。
 ニコラスたちと共に戦う中でMANAの変形機構を間近に見てきたシェインは、
最悪の事態を思い描くと、「もし、バカデカい艦(ふね)がロボットになったら、いくらビルバンガーでも力負けしちゃうよ」と身震いした。
 MANAと言う機械が持つ特性を考えれば、百パーセント有り得ないことだと高を括ってはいられなかった。

 Aのエンディニオンの軍艦は、Bのエンディニオン最強の装甲艦とは桁が違う。これはもう覆しがたい現実である。
 そもそも佐志が有する主な海戦力は、武装漁船。装甲艦など一隻も備えていない。
海賊に応戦出来るだけの武装を施してあっても、漁船は漁船。火力の差は歴然としていた。
 ゼラール軍団が駆る物は、大型とは雖も帆船である。
 遠方の艦を射撃する大砲や機銃は積み込んでいるようだが、一発でも敵の砲弾を喰らえば海の藻屑と化すだろう。
無論、たったの一撃が必滅に直結するは武装漁船も同じことで、どちらの防御力も薄紙に等しかった。
 源八郎たち偵察部隊は、大口径の艦載砲やミサイルランチャーが連装された砲塔を巡洋艦の甲板に確認している。
 砲塔とは、敵の攻撃から装備や砲撃主を守り、艦砲射撃を精確に実行する為に設けられた装置の一つである。
装甲で固められた巨塔からは、ハリネズミのように砲門が張り出しており、これによって洋上の敵影を粉砕するのだ。
 この砲塔は首を振る要領で可動し、左右及び前方を照準に捉えることが出来た。

 K・kの言わんとしていることを察したアルフレッドは、守孝へと意味深長な目配せを送った。
 それは、予め打ち合わせておいた無言の合図である。誰かが武器の性能差を持ち出し、会議が混乱の兆しを見せた際には、
守孝のほうから武装漁船に搭載された装備について説明するようアルフレッドは取り決めておいたのだ。
 合図に応じて一歩前に進み出た守孝は、取り乱したK・kを落ち着かせるように穏やかな口調で
「皆々の危惧はごもっとも。なれど、我が佐志の船を侮って貰っては心外にござる。我らは千を超える海賊団と斬り結んで参った身。
海の戦では、何者が相手であろうと遅れは取りませぬ」と切り出した――

「いッやぁ〜んっ、いくらなんでも、あんな貧相な船で突っ込むのは勘弁して欲しいわネ。
通用すると思ってんの? 無理でしょ、無理無理。めちゃ大きな城壁に弓矢一つで立ち向かうようなものじゃない」

 ――が、その説明を遮るようにして甲高い悲鳴を上げる者が在った。
 K・kではない。ローズウェルだ。今まさに本旨へ触れようとしていた守孝の説明をローズウェルの悲鳴が断ち切ってしまった。
 と言っても、雇い主と同じように前後不覚のパニックと言う醜態を晒したわけではない。
 金切り声と言うこともあってヒステリックに聴こえるものの、その声色自体はどこかおどけており、
注意して耳を傾ければ、周囲の人々をからかう悪戯であることはすぐに判った。

 威勢よく語り始めた直後に足元を払われた恰好の守孝は、さすがに口をへの字に曲げてしまったが、
どうやらローズウェルには説明を阻害する意思はない様子だ。
 半笑いの態度こそふざけているものの、よくよく反芻してみれば、ローズウェルの発言は守孝の説明を助長する性質を帯びている。
 僅かな沈黙を経てローズウェルの意図を悟った守孝は、「心配ご無用」と改めて自身の胸を叩いた。

「ローズウェル殿の申される通り、見てくれは貧弱と言うよりほかござらん。されど、我らが船はその分だけ小回りが利き申す。
我らが船は、大小合わせて三十余艘。巨大なる化け物を取り囲み、一斉に砲火を浴びせることも出来ましょうぞ。
されば、敵が海魔の如きモノであろうと必ずや討ち取れましょう。小さき船に利を見出すのでござる!」
「砲火ぁ? 漁船に大砲なんて突っ込んでるワケ? ……冗談抜きで、そんなデカブツ積んでまともに動くの? 
お姉さん、急に心配が増してきちゃったわ」
「ハッハッハ――あっちで震える訪問セールス野郎と良い、こっちで目ぇ丸くするボディーガードさんと良い、
どうにも心配性でいけねぇや。佐志(うち)の船は、どいつもこいつも特別なエンジンを積んでるんでさぁ。
お馴染みの蒸気ではあるんですが、こいつは馬力が違いやす。何でもござれってんだい」

 守孝に続いて胸を叩いたのは、源八郎だ。彼もまた『星勢号(せいせいごう)』と名付けた自前の武装漁船を駆り出している。
 作戦会議へ出席する為、船の操縦は息子の源少七(げんしょうしち)に任せているのだが、
この星勢号を始め佐志の漁船には、対海賊用の武装だけでなく更に特別な改造を施してあると彼らは誇らしげに語った。

 佐志の旗船にして守孝の愛機である『第五海音丸』は、そもそも彼が有するトラウムであり、人の手にて造船された物ではない。
 トラウムならではと言うべきか、動力の源たるエンジンは極めて強力で、積載量の限界まで中口径火砲などの武装を施しても
驚異的、むしろ脅威的な速度を保っていられるのだ。
 しかも、だ。蒸気機関に於ける石炭、重油と言った燃料を必要とせず、半永久的に駆動し続けられる特性をも兼ね備えていた。
 改めて詳らかにするまでもないことだが、第五海音丸以外の武装漁船は造船所にて完成された物であり、
積載するエンジンも人の手が生み出した蒸気機関である。
 しかしながら、侮ってはならない。第五海音丸が備えたエンジンを基にしてチューンナップが加えられている為、
従来の蒸気機関より遙かに出力が高く、積載量の大幅な増強や超速の航行が可能となっていた。
 門外不出の改良型蒸気機関は、源八郎が特別製と胸を張って自慢するだけの性能を有しているわけだ。

 そしてもう一つ――“漁船”と言っても、佐志の荒くれ者たちが駆る物は近海漁業を行うのに適した小型の船舶ではない。
遠洋漁業にも対応し得るだけ排水量を備えた船舶であり、軍艦並みとは行かないまでも最大積載量は数トンを軽く超えている。
 第五海音丸を筆頭とする佐志の武装漁船軍団は、いずれも桁違いの馬力を秘めており、
積載量に合わせて中〜大口径の火砲が一門ないしは数門が各船に運び込まれている。
 武装漁船の甲板には、組み立て式の砲架――大砲を設置する台座のことだ――がボルト締めで設置及び固定された。
第五海音丸は二百ミリ砲を四門も積載したが、これは佐志の中でも最強の火力である。
 艦砲射撃が開始された場合――砲弾を装填する者、飛距離を調整する者など一つの砲に対して複数名の要員が就き、
敵艦へ凄まじい砲火を浴びせかけることになるだろう。


 守孝と源八郎が武装漁船のスペックを説明し終えるタイミングを見計らい、
今度はトルーポとピナフォアが帆船側の武装について話を切り出した。
 曰く――各艇には艦載される火砲の口径は三百ミリ。それが八門連装されていると言う。
三百ミリ主砲を援護する形で機銃やミサイルランチャーも運び込まれているが、とりわけ目を引くのは投石器の存在だった。
 投石器とは、呼んで字の如く大量の岩石を梃子の原理でもって敵の陣営へと射出する旧式の攻城兵器である。
 ゼラール軍団では岩石の代わりに爆弾を射出していると言うのだが、
ピナフォアの説明によれば、これはテムグ・テングリ群狼領にて旧来より多用されてきた戦術の一つとのことだ。
 この投石器を、ゼラールは艦載兵器として採用していた。
 放物線を描いて敵船の甲板に飛来した爆弾は、大炸裂によって船体へダイレクトにダメージを与えられるのだ。
 それにも増して、間近で爆弾が炸裂すると言う恐怖が敵船のクルーに及ぼす影響は甚大であり、
投石器による攻撃が連続して実行された場合、たちまち船内は恐慌状態に陥るとピナフォアは熱弁を振るった。
 僅かな隙間にまで滑り込んで行く爆弾は、砲撃と同等か、あるいはそれ以上に人間の心を追い詰めるのだ。
 心理的な圧迫を与えると言う点に於いては、アルフレッドも「古めかしい見た目は、先ず相手の油断を誘えるのだろう。
それだけに炸裂を被った際のショックは大きい。考えた物だ」と感心したようだ。

 火力は武装漁船を上回っている。海戦に於いて、その高い攻撃力は頼もしい限りである。
 だが、何分にもゼラール軍団が搭乗するのは帆船であり、佐志の船のように強力な動力機関を積んでいるわけではない。
先を競って漕ぎ手に立候補した軍団きっての力自慢たちと、海上を吹き抜ける風の力のみが推進力なのだ。
 それでも蒸気機関と同じだけの速度、積載量を確保し得るのは、
全て閣下への尊崇が成せる業だと陶酔したように語るピナフォアに対し、
軍団員以外の殆どの人間はドン引きしてしまっている。
 ゼラールへの崇拝だけで人間の限界を超えた力を引き出せること自体は、確かに凄まじいことだと思う。
ある意味にでは尊敬に値すると言っても良い…が、裏を返せば、彼らは己の全てを“閣下”へ委ねたようなものなのである。
 些か乱暴な喩えではあるが、崇拝するゼラールから命令されれば、命を差し出すことにすら彼らは愉悦を見出すだろう。
 そこに末恐ろしさを感じぬ人間はいない。
 潜在能力を全て出し切って帆船を動かす軍団員へ「どない鍛え方しとんねん! 感動したでッ! ワイにも教えたってや!」などと
感涙を流すようなローガン――または、脳味噌まで筋肉で出来ているような鍛錬バカとでも呼ぼう――は例外中の例外だ。

 場が妙に静まり返ってしまい、苦笑混じりに頬を掻いたトルーポは、「一斉に手の内を明かすなんて最初はどうなるかと思ったが、
意外と盛り上がるもんだな。貴重な場ってヤツだぜ」と話を先へ進めようと促した。
 言い回しは相当に強引だが、彼の配慮に敢えて逆らう者はいなかった。

「こっちの船は衝角も備えてるからな。攻撃力は折り紙つきだ。ドンと任せて貰ったって構わねぇぜ? 
何ならとっておきの“切り札”も披露しようかね――」

 大口径の火砲や爆弾を射出する投石器以外に“切り札”まで隠し持っていることを仄めかしたトルーポの目は、
委細を説明する認可を得るべく己の盟主を、ゼラールの様子を窺っている。
 当然ながらゼラールも多目的ホールに足を運んだひとりだ。そして、作戦会議が始めって以降、
一度たりとも退出などせずに皆の議論へ耳を傾けている。
 ……耳を傾けているだけなのだ。こうした場合、誰よりも勇ましく昂ぶる筈のゼラールが、だ。
 エルンストと同じようにアルフレッドとの共闘を楽しみにしていただろう彼が、
敵艦撃沈と言う立案に対して異論をぶつけるのでなければ、好敵手の軍才を高飛車に誉めるわけでもなく、
それどころか、殆ど口を開かずに押し黙っている様子は、普段の喧しさを知る人間にとって信じ難いものがある。
 アルフレッドの説明を眺めつつも、口癖のようにすらなっていた「不愉快」の三文字を胸中にて唱えているのだろうか――
いつも笑気の絶えない面も、今日に限っては気概を感じぬほどに陰っている。
 付き合っていられないとばかりに椅子を蹴ることもないので、アルフレッドの立てた作戦に従うつもりではあるようだが、
だんまりを決め込んでいるあたり、心中は必ずしも穏やかではあるまい。

 露骨な仏頂面からゼラールの心情を察したトルーポは、苦笑い混じりに「――ま、楽しみにしててくれや。色々とな」と二の句を継ぐと、
次いでK・kへと双眸を転じた。
 そもそも海戦力を確認したのは、K・kがギルガメシュの軍艦に恐れをなしたことが発端である。
 ふたつのエンディニオンの間には、文化の相違以外にも技術力の面で大きなギャップがある。
あるいは、格差と言い換えても良く、これは半月の湾岸へ浮かべられた敵艦を見れば瞭然のことだった。
 そのことに取り乱したK・kを宥める為、技術力の格差など物ともせずに戦えることをアルフレッドたちは証明したのだが、
残念ながら、この臆病者は一連の説明に安堵して胸を撫で下ろすどころか、更に不安を加速させてしまったようだ。

「――そ、そうです! どうせ玉砕覚悟でしょう!? だったら、ローガン様が言われたように敵の艦(ふね)に横付けして、
直接乗り込んだほうがまだ勝ち目があるんじゃありませんか!? 少なくとも真っ向から海戦を挑むよりはっ!」

 身も蓋もないことを言い出した挙句、話そうとする内容も堂々巡りと言う始末。
これだけ懇切丁寧に説明されたにも関わらず、未だにK・kは理性を飛ばしてしまったかのような狼狽ぶりを披露し続けていた。
 自殺行為も甚だしいなどと喚き、成人男性にあるまじき醜態で取り乱すK・kを冷瞥したアルフレッドが、
「程度が知れるな」と嘲ったのは言うまでもない。

「て、程度が知れるとは心外ですよ! これから自爆しに行くなんて聴かされたら、誰だって泣きますよ!?」
「俺が言ったのは、お前の武器商人としての程度の話だ。お前には全く思い当たるフシがないのか? 奴らの軍艦に」
「知ってますよ! 知ってますわよ! ルーインドサピエンスどもが使ってたのとそっくりなんでしょう!? 
知っているから余計にワタクシはぁッ!!」
「煩い、黙れ。これ以上、喚き散らすつもりなら出て行って貰うぞ」
「ココを提供してるのは、ワタクシなんですけどッ!?」

 恩義も何もあったものではない不義理な物言いはともかく――
Bのエンディニオンが持ち得ない筈の軍艦(もの)について先例が存在することをアルフレッドは口にし、
K・kもまたやぶれかぶれと言った調子でこれを肯定した。
 「“現在”、Bのエンディニオンで最強の軍艦とされているのは装甲艦」とは既に述べたことだが、
半月の湾岸に浮かべられているようなオーバーテクノロジーの艦船――Bのエンディニオンから見てオーバーテクノロジーと
注釈を入れるべきか――は、記録と言う形であればアルフレッドたちも全く知らないわけではなかった。
 Bのエンディニオンにて記録が確認されるのは、超技術を誇ったとされるルーインドサピエンスたちの艦船(ふね)であった。
なので、記録ではなく伝承と言い表すほうが実像に近いのかも知れない。

 一般社会にはあまり出回っていない記録…いや、伝承なのだが、
アカデミーでは戦略・戦術史の一環としてルーインドサピエンスたちが使っていたとされる兵器を教材に採用することが多い。
 戦略・戦術史の授業の中には、当然、ギルガメシュが持ち出した物など比較にならないほど強力な艦船(ふね)も含まれており、
だからこそアルフレッドは湾岸を占拠する軍艦へ恐怖を抱かずに済んだのだ。トルーポとゼラールも然りである。

 教材として採用されると言っても、ルーインドサピエンスの古代遺跡から発掘されたオリジナルが学生の手に渡ることは皆無。
然るべき組織・機関が保管を行う為、当代の技術力で再現されたレプリカが教材の殆どを占めていた。
 艦船などの巨大な物についてはレプリカとして再現することも困難である為、参考資料の副読本にて解説される程度なのだが、
しかし、周知と無知の間には大きな開きがある。
 戦略シミュレーションに於いて、頭抜けて優れた成績を修めたアルフレッドにとっては、
ギルガメシュの艦隊などは驚くにも値しないようなモノなのであろう。

「ルーインドサピエンスがどのようにしてオーバーテクノロジーの艦船を運航したか。
また、どうすればこれらを撃破できるか――俺たちはアカデミーで叩き込まれてきたんだ。
今、必要なのはちょっとしたアレンジだ。今の状況に即したアレンジさえ加えれば、
ギルガメシュの軍艦を撃滅させることなど造作もない」

 そう豪語するアルフレッドには、トルーポも「なんなら俺が撃沈(お)としてこようか」と口の端を吊り上げながら同調した。
 何しろ艦載砲を膂力のみで振り回すトルーポの言うことだ。
人間界の常識を判断基準とするならば、単騎でもって敵艦隊を全滅させるなど絵空事としか思えないのだが、
トルーポの場合、冗談ではなく本当に実現してしまいそうに聴こえるから不思議だった。
 アルフレッドにせよトルーポにせよ、厳然たる火力の差を見せ付けられても落ち着き払って撃沈などと断言できるのは、
やはり過去の学習に基づく自信を備えているからに他ならない。

 一つひとつ不安材料を潰してやっているのにも関わらず、依然として怯えた様子で渋るK・kに向かって、
アルフレッドは「貴様のような人間には、何を言っても無駄か」と憎々しげに吐き捨てた。
 心底呆れ返った彼の表情(かお)と、真っ向から浴びせられた荒い語気に気圧されて肩を震わせるK・kとを
順繰りに眺めたローズウェルは、「アルのことは、堪忍な。ツラいことがあったばかりで、ささくれ立っとんねん。
もうちょいしたら元に戻るさかい、それまで辛抱したってや」と弟子の不届きを謝罪するローガンへ
ノープロブレムとばかりに首を横に振ってやった。
 実際、雇い主が恐怖で腰を抜かしてしまったことよりもアルフレッドの次なる言葉のほうがルーズウェルにとっては遥かに重要だった。
 説明の続きを待ちわびるローズウェルには、K・kの悲鳴など耳障りで邪魔としか思えなかった。

「そんなにも恐ろしいか、ギルガメシュの、いや、Aのエンディニオンの武力が」
「恐ろしいと思わないのですか!? ワタクシにはそっちのほうが異常だと思うんですけど!?」
「Aのエンディニオンに執着心が強いな、お前は。向こうのことばかり考えている」
「はいィ!?」
「そのザマだから見落とすんだ。俺たちの世界に在って、Aのエンディニオンにないものを」
「………………」
「ギルガメシュがどうしても手に入れられないものは何だ?
……俺たちだけに許された武力は、Bのエンディニオンにも山ほどあるだろうが」

 そこまで言われて、ようやくアルフレッドが説く勝利の根拠を悟ったK・kは、
悔し紛れなのか、それとも、苦し紛れなのか、「ワタクシは実在する物品がメシの種ですからね! 
出たり引っ込んだりの能力(チカラ)なんて専門外ってことをお忘れなく!」と
不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。

「トラウム、プロキシ、ホウライ――Bのエンディニオンだけが持つ力と技を全て結集し、
ギルガメシュを全滅に追い込む。最後の一兵までなからしめる。
……薄情な女神は俺たちを見捨てたようだが、戦う力まで奪われたわけではない。
ありがたく使わせて貰おうじゃないか、神々の恩恵とやらを。
人間を塵芥のように扱う女神の鼻を明かしてやれ」

 「ホウライはちょっと違うんじゃないかしら」とのハーヴェストの指摘を黙殺したアルフレッドは、
返答の代わりに「どこまでもいけ好かないヤツだが、戦力としてはアテになる」と
先ほど挙げたBのエンディニオンの武力へもう一つ付け足した。
 彼の視線の先には、シェインの頭上へ鎮座するムルグの姿があった。
 思いがけないアルフレッドからの言葉に驚き、つぶらな瞳を瞬かせていたムルグだったが、
すぐさまに喉を鳴らし、ギルガメシュの討滅を宣言するかのように「コケコッコォォォーッ!」と猛々しく嘶いた。
 自分の指摘が無視されたことはひとまず置いておくとして、暗に女神イシュタルを貶めたアルフレッドには、
英雄に相応しい胆力の持ち主であるハーヴェストも戦慄を禁じ得なかった。
 と言っても、戦慄を覚えた対象はアルフレッド本人ではない。
 自分と同じように作戦会議へ同席しているマコシカの酋長がアルフレッドの冒涜に対してどのような反応を示すのか、
そのことを想像してハーヴェストは身震いしたのだ。
 背筋に冷たい物が走るのを感じながらもハーヴェストはレイチェルへと視線を向けた。
関節部分の錆び付いたブリキの人形を無理矢理動かすように、少しずつ少しずつ双眸を動かしていった。
 戦慄と言うブレーキが掛かってしまっている為、焦らすかのようなスピードでしかレイチェルの顔色を窺えなくなっているのだ。
 旺盛に想像力を働かせた彼女の心中では、レイチェルの形相は既にこの世の物ではなかった。

「言ってくれるわねぇ。そんな大胆な啖呵を切れるヤツ、エンディニオン広しと雖もあんたくらいのもんよ?」
「別に啖呵を切ったつもりは……。現実的な戦力を計算したに過ぎない」
「じゃあ、これでひとつ勉強したわね。今見たいのを、世の中じゃ啖呵って言うのよ? 色男の専売特許ね。
啖呵を切った以上は、最後までやり遂げてイシュタル様をぎゃふんと言わせなきゃカッコつかないからね、アル」
「む……」

 ――ところが、現実はどうだ。アルフレッドの暴言に対して、レイチェルはどのような反応を見せたのか。
 意外にもレイチェルは女神イシュタルへの冒涜を咎めようとはせず、
苦笑を浮かべながらではあるものの、アルフレッドの考えを受け入れ、後押しする意思を明確に示した。
 想像とは真逆の結果を目の当たりにしたハーヴェストは、
驚きのあまり、口を開け広げたまま暫し呆け、ややあってから胸を撫で下ろした。
 ハーヴェストが想像していたよりも遙かにレイチェルの心は広いようだ。さすがはマコシカを統べる酋長の器と言うべきであろう。
 最もハーヴェストを安堵させたのは、アルフレッドによってチームの輪が乱されずに済んだことだ。
 ただでさえ彼の無理無体で結束力が揺らいでいると言うのに、これ以上、振り回されては堪らない――
それがハーヴェストの本音であった。そして、彼女と同じように安堵の溜め息を吐いた人間は少なくあるまい。
 師匠としてアルフレッドを気遣うローガンもその内のひとりで、ハーヴェストと顔を見合わせながら
「かなわんなぁ。これやったら師匠の立場があらへんで」とおどけた素振りで肩を竦めて見せた。

「手懐けられたって言うか、飼い慣らされたようにも見えるんだけど、あんたは何も聴いていないの?」
「聴くも何も、ワイかて驚いとんねん。ここんとこ、ずぅっとアルと一緒におったやろ? 
ほんでも、あのふたりがサシで話すトコなんか見た覚えないで」
「ちょっと、何? あんたの目を盗んで密会でもしてたって言いたいの? 
……あの小僧のことだからあながち有り得ない話じゃないけどさ」
「アホ、人の可愛い弟子をスケコマシみたいに言うんやないで」
「あんたが買いかぶり過ぎなだけよ、あのアホンダラを。フィーがいなかったら、一度くらいとっちめてやりたいんだから」
「ごっつ嫌われたもんやなぁ〜」
「これでもあたしも女なのよね。女の敵に容赦なんてしてやらないわ」
「女。オンナ、ねぇ……」
「――なんやのっ!?」
「……なんでもあらへん」

 女神への冒涜に激怒したレイチェルから叱声が飛ぶどころか、
アルフレッドのほうが低く唸って苛烈な言葉を飲み込んでしまうくらいなのだ。
 お互いの心情に何らかの変化があったのは明白であり、穿ったもとい歪んだ見方をするならば、
トリーシャあたりがゴシップのネタにしそうである。
 尤も、当のトリーシャは、三面記事の種に垂涎するような余裕を全く持ち合わせておらず、
そもそもハーヴェストとローガンが密話に興じる様すら眼中に入っていなかった。

 彼女は、アルフレッドたちが論じる作戦会議の内容を消化するので手一杯だった。
 軍艦、投石機…と懸命にメモを取っているが、何分にも軍事的知識は専門外である為、
自分で書いた列記の意味すら殆どわかっていないだろう。大砲の口径を説明されたところで実態など掴めない筈である。
 難しい講義を受ける熱心な学生のように幾度となく頷いてはいるものの、
それは納得の合図ではなく、どうにか頭の中を整理しようと咀嚼へリズムを付けているに過ぎず、
次々と押し寄せてくる軍事用語の羅列は、その殆どが上滑りしていた。
 少しずつ混ざり始めたトラウムなどの馴染みのある名称が理解の手がかりとなり、
ようやくペンに勢いが戻ってきたところである。
 恋人の復調を喜んでいるのか、はたまた別の思惑があるのか――
スケーターのようにノートの上を滑っていくペンへ好奇の目を向けるネイサンは、口元に薄い笑みを宿していた。
 ネイサンの微笑を目敏く見つけたヒューは、「なんだよ、こいつめ。お惚気かぁ〜? 場所と状況を弁えやがれってんだ」と
すかさず冷やかし、アルフレッドもまた「全くだ。緊張感が足りない証拠だ」と頷いて見せた。
 トリーシャの頬が朱に染まるにつれてイヤらしい笑い声を大きくしていくヒューに対し、
相変わらずアルフレッドはニコリともしない為、言葉に込められた意図や感情を察するのが難しい。
 ヒューの言葉尻に乗ってからかっているだけなのか、本当に疎ましく思っているのか――
どちらとも取れる言行である為、ネイサンも困ったように頭を掻くこと出来なかった。

「どうも集中力が切れてきたようだな。貴重な話し合いだが、早々に終わらせたほうが良さそうだ。
……ギルガメシュの連中も同じことだよ。一瞬で決着をつけてやる」

 そう言ってシガレットを弄ぶアルフレッドは、やっと仲間たちの会話に追いついたトリーシャを嘲笑うかのように
一層難解な領域へと話し合いを進めようとしていた。
 指先で弄っていたシガレットでもって半月の湾岸からやや離れた沖を指し示したアルフレッドは、
続けてアーチでも描くかのように茶色のフィルターを動かした。
 半月と言う湾の形状をなぞるかのようなアーチは、アルフレッドの指先に在るのがシガレットではなくボールペンであったなら、
入り江を閉ざす蓋として地図上に現れたことだろう。
 シガレットの動きが何を意図しているのか、軍事に疎いトリーシャには全く理解できず、ただただ首を傾げるばかりだったが、
海戦に長けた守孝や源八郎、ヒューにとっては驚愕に値するものであったらしい。
 その証拠に、三人は示し合わせたかのようなタイミングで同時に唸り声を上げた。
 どうやらトルーポもシガレットの動きには思い当たるフシがあったようで、
地図へと落としていた目をアルフレッドの視線の位置まで引き上げ、彼の真紅の瞳を覗きながら、
「……『東郷ターン』か。お前にしては考えたもんだな」と感嘆の呟きを漏らしていた。
 やや皮肉っぽい言い方なのは、旧友ならではの減らず口であろう。

 トルーポたちの反応に満足したらしいアルフレッドは、
次いでホゥリーに向かって「そう言うわけだ。お前にも働いて貰うぞ」と呼びかけた。
 トラウムやムルグと並べて戦力の要にプロキシを挙げたことからも察せられる通り、
ホゥリーたちマコシカの術師隊に対してアルフレッドは特別な期待を寄せていた。
 間もなく実行に移されるギルガメシュとの海戦に於いても重用することだろう。

 やや恣意的な見立てになるが、トラウムとMANAは似通った性質の武器であると捉えられなくもない。
 とりわけ拳銃の具現化などを行うマテリアライズ型のトラウムなどは、
特殊な機械武器と言う点に於いては、極めてMANAと近似しているではないか。
 実際、アルフレッドたちはニコラスの持つMANA、ガンドラグーンをトラウムの一種と誤解し、
それが為にふたつのエンディニオンを認識するのが大幅に遅れてしまったのである。
 当然ながら構造・材質の違いは大きく、完全なる同種ではないものの、
前述した誤解を長期に亘って誰も気付かなかったことが、トラウムとMANAの類似性を物語っていると言えよう。
 類似性と言うことでは、ふたつの世界で共通するクリッターもその一つにカウントしてよかろう。

 しかし、プロキシは違う。マコシカの民が伝承する秘術だけは全く違う。
 神人(カミンチュ)の神威を授かると言う奇跡は、Bのエンディニオンのみに授けられた唯一無二の恩恵であり、
その神髄、奥義とする領域は、CUBEを以てしても模倣(エミュレーション)し得ないのだ。

 Bのエンディニオンが神人(カミンチュ)を味方に付けている事実は、
イシュタル信仰を共有するAのエンディニオンにとって何にも勝る脅威であるとアルフレッドは考えていた。
 いつぞや教皇庁の神官と揉めた際にもプロキシの是非が原因であった。
 一時的とは言え、神霊を術者の身に降ろして神威(ちから)を授かると言うマコシカの秘術は、
彼の古代民族と同様にイシュタル信仰を担う教皇庁にとって信じ難く、到底、受容出来ない事態なのだ。
 何故、神々はAのエンディニオンにも等しく奇跡(プロキシ)をお授けにならなかったのか――
突き詰めて行けば、それはAのエンディニオンの女神信仰を否定することにも繋がり兼ねなかった。
 Aのエンディニオンの信仰心へ揺さぶりを仕掛けると言う意味でもマコシカの民は重要なのだ。
プロキシの存在を知った際のクインシーの過剰反応を見る限り、
これは極めて激甚な精神的ダメージを望めるとアルフレッドは踏んでいた。
 アルフレッドの目論みを周知しているレイチェルは、このときばかりはさすがに複雑な表情を浮かべたが、
彼にハッパを掛けた手前、卑劣と批難するわけにも行かない。

「ゴッデスをもテリブらナッシングのデビルな所業とはディスのコトだネ。チミ、アブソリュートに罰がヒットするヨ? 
ヘルズにフォーリンすんのは、この『にやけデブ』が保証するヨ。……ンで、ボキにもその片ポールを担げって? 
ヒューマンでなし、極まれりだネぇ〜♪ ――ィよッ! ノーズつまみ者♪ ニクいね、ヒューマンのクズ♪」

 三度の飯より皮肉が大好きな『にやけデブ』は、外道とも言うべき企みに対して早くも悪態を吐いたが、
立場上、こうした悪態からもアルフレッドを庇わなければならないレイチェルは、
難しい表情のまま、「……物は考えようよ。イシュタル様の庇護を受けたあたしたちが負けてご覧なさい。
それこそ過分なる祝福を授けて下さった神々へ泥を塗るようなものでしょう? だったら、何が何でも勝たなくちゃ……!」と
ホゥリーを窘めた。
 ……本心は別として、窘めざるを得なかった。
 アルフレッドのやり口は、どこまでも悪辣だ。フォローを入れるようレイチェルへ促したあたり、
この件に関しては誰の反論も許さないつもりなのだろう。
 傲岸不遜とも言うべきアルフレッドに共感でも覚えたのか、それとも対岸の火事として楽しんでいるのか、
性悪なローズウェルはニヤニヤと厭らしい笑みに口元を歪めながら事態を眺めている。

「いやはや、ボキもサプライズしちゃったねぇ〜。チミ、ディスばかりはジョークじゃ済まされナッシングよ。
ゴッデスから出されたプロブレムには、ボキらもトライしなくしゃいけナッシングだけどさァ、
ゴールへゴーする為なら何やってもオーケーだってチミはシンキング?」
「寝言にしては大きく、耳障りだな。敵を倒す為に全力を投じるのは、古今東西、あらゆる戦いに共通することだろうが」
「オゥオゥ、グレイトにテリブルだネ。そんなチミにクエスチョンだけど、チミのフレンズをブッキルったのは、はてさて、どこのフー?」
「……何が言いたい?」
「セイたいことはたったのワンさ。……チミ、オール人類の誰よりもギルガメシュにクリソツだヨ」
「……何が言いたいのかと思えば、そんなことか――」

 言うまでもないことだが、共に戦う仲間の非道をゴシップか何かのように歓迎する人間は、
この場に集まった面々の中には殆どいない。ローズウェルは例外中の例外だった。
 唯一、言葉尻に乗ってシニカルなことを吹きそうなのはホゥリーだが、
マコシカの女神信仰にも関わる状況である為か、今回ばかりは言動も人間界の常識に基づいている。
 ローガンに制止された為、義憤に任せて飛びかかることもできなかったハーヴェストに成り代わり、
珍しく批難めいた正論をぶつけたものの、アルフレッドには取り合う気など毛頭ない。

「――目には目を歯には歯を。ギルガメシュの力が全くの無意味であることを同じ手段でわからせてやればいい」
「オッホゥ――ヴェンジェンスのルールにソレをピックアップするとはネ。酋長をジョーで使って、ネクストはタリオ。
マーベラスよ、マーベラス。やりたい放題は、ヒールの特権だもんネ♪」
「賢しらにベラベラと……。負ければそんな軽口も叩けなくなるんだぞ。
万一、ギルガメシュに捕まってみろ、お前など舌を切られておしまいだ。それとも、生きたまま引き抜かれるか」
「アイシー、アイシー。チミのセイると〜りだ。ジェノサイドしまくるんだから、アグリィも買うだろ〜しネ。
アレストされたがラスト、おアイこぼしもナッシングさぁ」
「意見を出したいのなら、まず勝てと言っている。勝って資格を手に入れろ」
「あはァん?」
「俺たちの未来は、向こうからやって来るものではなくなっているんだ」
「………………」
「全ての手段を講じて戦い、勝つ。それ以外の道は、もう俺たちには残されていない」

 戦いに勝つ以外に未来を得る道は残されていない――
アルフレッドの発した言葉の意味は極めて重く、直接、やり合っていたホゥリーは勿論のこと、
全身から怒気を湧き立たせるハーヴェストをも封じ込めた。
 言い負かされて舞台を降りたのか、それとも論争を継続する気力すら失せたのか、
それきりホゥリーは口を噤み、得意の屁理屈さえ捏ねなくなってしまった。

 普段のように気だるげに地べたへ寝転んでいる為、やる気の程は疑わしかったものの、
ホゥリーは確かに説得力を帯びた正論を連ねていた。
 性格的にホゥリーと反りの合わないフツノミタマですら、今この場に於いては彼の弁に頷いていたのだ。
 それが途絶えたということは、アルフレッドの強弁がこの会議の一切を支配した証左に他ならず、
ホゥリーへの援護射撃もままならない状態でふたりの論争を環視するしかなかった一同は、
誰も彼も口元を引き攣らせている。
 僅かな動揺すら見られないのは、ゼラールくらいである。
 豪胆のあるトルーポですら眉をひそめ、肩を竦めるような状況なのだが、ゼラールだけは涼しげな表情を崩していなかった。
 尤も、ゼラールの場合は作戦会議自体に興味が薄く、目の前で起こる一切が他人事に等しい。心乱れるわけがないのだ。
 ……そのような気構えからして既に大問題なのだが、一先ずこれは置いておくとしよう。

「ていうか、よくそんな状態のホゥリーと正面からやり合う気になるね、アル兄ィ。そっちのがビックリなんだけど……」

 口元を引き攣らせている――表情筋の動きは同一だが、各人の心情は必ずしも一致していないようで、
シェインに至っては、論争とはかけ離れた部分に引いていた。

 適切にして的確な正論を唱えるには、リラックスした体勢が必要――とでも言うつもりなのか、
作戦会議の最中であるにも関わらず、ホゥリーは腹ばいになって地べたに寝そべっている。
 普通であれば叱責されて然るべき怠慢だが、ホゥリーの人となりを良く知る人間にとっては、今更、目くじらを立てる程のものではない。
これがホゥリーの平常運転なのであり、また、誰も常識的な姿勢など彼には求めてはいなかった。
 むしろ、先ほどのようにつらつらと正論を並べることのほうがイレギュラーだった。
 それ故に腹ばいになって寝転んでいようが、不思議に思うことも、ドン引きすることもない筈なのだが、
今日のホゥリーは、いつもと少し違っていた。
 どう言うわけか、彼の背中にはラドクリフがぴったりとへばり付いているのだ。
 ゼラール軍団に所属し、閣下を巡ってことあるごとにピナフォアと火花を散らすあのラドクリフ・M・クルッシェンが、だ。

 身に纏う民族衣装からも察せられるように、ラドクリフはマコシカの一員である。
 酋長たるレイチェルや、彼女の夫であるヒューとも親しい付き合いがあったらしく、多目的ホールで顔を合わせるや否や、
パタパタとふたりのもとへ駆けていき、顔を綻ばせながら挨拶を交わしたものだ。
 マコシカの民であるラドクリフが、どのような経緯を経てゼラール軍団に加わったのか、これを語るのは後の機会に譲るとして――
レイチェルたちにやや遅れてホゥリーがやって来ると、今度は彼に飛びついていき、そのまま片時も離れなくなったのである。

 にわかには信じ難いことだが、ラドクリフはホゥリーのことを「お師匠様」と、そう呼んだのだ。
 コミュニケーション能力とは全く無縁とばかり思われていたホゥリーのことを、まさか師と仰ぐ少年が登場するなど誰も夢想だにせず、
飛び上がって驚いたフツノミタマなどは「てめ、コラ、凝固性の廃油ゥッ! ガキんちょ捕まえて、
何吹き込みやがった!? えェ、詐欺でもやりやがったかァッ!?」とまで言い放ったくらいだ。
 心外としか言いようがないこの濡れ衣には、さしものホゥリーも頭に来たようで、
意外にも直情的に「フッたんてば、デリカシーがノンなコトをセイってくれるじゃナッシング? ボキだってプライドっちゅーモンをユーズよ? 
年端もゴーしナッシングなボーイを騙くらかすなんてバッデストな真似、するようにルック?」と反論して見せた。
 これにもまたフツノミタマは驚き、訝しむような目でホゥリーの面を暫く眺めていたが、やがて何かを感じ取ったらしく、
自身の鼻先を親指で擦りながら「……悪ィな、ちとおふざけが過ぎちまったぜ。そっちのガキんちょもすまねぇな」と平謝りした。

 何事も面倒臭がるホゥリーが作戦会議へ足を運んだのは、もしかするとラドクリフの顔を見たかったからではないか――
そのようにフツノミタマは考えていた。
 真偽のほどは定かではなく、あくまでもフツノミタマの想像である。
 本音を尋ねると言った無粋な真似をするつもりはないし、おそらく訊いたところでホゥリーは何も語ってくれないだろうが、
自分の背中に寝そべったまま離れようともしないラドクリフのことを引き剥がそうともせずに黙認しているあたり、
フツノミタマの想像は、当たらずとも遠からずと言ったところではなかろうか。

 何しろ親密度が余人と遥かに違う。
 ホゥリーの巨体をベッドにして臥床するラドクリフは、眼下の師匠へ近況を報告し、また、不摂生をしてはいないかと尋ねつつ、
時折、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしている。
 師弟関係と言うよりは、久しぶりに再会した仲の良い父子のようにも見えた。

 事情を知っている様子のレイチェルとヒューは微笑ましそうにふたりを見守っていたが、
ホゥリーのことを普段から頓痴気扱いしているシェインからすれば、
マコシカ最大の恥部とも言うべき彼に懐く人間がいること自体、理解し難いのだ。
 理解の範囲を超えるこの出来事が滑稽でならないシェインは、「お前に一番似合わね〜光景だな」とホゥリーを冷やかしにかかった。

「しかも、女の子に擦り寄られてデレデレってさぁ〜。そーゆー気持ちを持ってるってコトにまず驚くよね。
ホゥリーの場合、女の子じゃなくて牛肉、豚肉、鶏肉と並んでるほうがボクらも落ち着くんだよなァ〜」

 シェインとしてはいつもと同じように軽口を叩いたつもりであったし、
ホゥリーからも聞くに堪えないゲップ混じりの反撃が返ってくるとばかり思っていた。
 ところが、前述したように今日のホゥリーはいつもとは少しだけ違っていた。
 そもそも、だ。シェインの軽口も本人ですら気付かないうちにいつもの内容と変わっているのだから、
そこに差異(ギャップ)が生じるのは、当然と言えば当然だろう。

 シェインが発した悪言は、実はホゥリー以外の人間も包括するものであった。
 自分の披露した皮肉がどこまで波及するか、その範囲をシェインはまるで意識しておらず、
まさにその点が彼の失敗の始まりだったと言えよう。
 “女の子”とシェインが口にする度、ラドクリフの機嫌がみるみる悪化していったのだが、
この判りやすい変化を見過ごしたことも痛い。
 トルーポとピナフォア、それからヒューとレイチェルは、シェインがタブーに触れてしまったと即座に悟り、
ゼスチャーや目配せでもってこれを食い止めようと試みたが、彼らがアクションを起こしたときには既に手遅れであった。

「――ぼっ、ぼくは男だよっ! ばかぁっ!」

 異変に気付いて「ヘイ! ラド! ハウス! ハウス!」と制止するホゥリーを振り払ったラドクリフが、
思いも寄らない角度からの反撃にたじろぐシェインへ掴み掛かって行ったのは、
フィーナがカレーの完成を告げにやって来たのと殆ど同時だった。




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