6.ルディアの出陣



 軍艦が相手ではリボルバー拳銃も出る幕がなく、半月の湾岸へ上陸するまで何ら役割を与えられなかったフィーナは、
身の安全のこともあってルディアたちと第五海音丸の船室に詰めていたのだが、
突如、天地がひっくり返るような振動と炸裂音に突き上げられ、重心を定められないまま小さな悲鳴と共に腰を浮かした。
 反射的に左手でルディアを抱きかかえて庇い、続けざまにSA2アンヘルチャントを発動しながら周囲に警戒を払えたのは、
ハーヴェストによるトレーニングの賜物であろう。
 左手が塞がっている為、グリップを握る右手の親指で撃鉄(ハンマー)を引き起こすしかなかったものの、
『咄嗟の判断』と言う点では、ルディアを庇ったことまで含めて合格ラインの筈だ。
この場に師匠のハーヴェストが居合わせていれば、フィーナの成長に涙を流して喜んだに違いない。

 振動と残響が鎮まった直後、それまで座っていた椅子を蹴って甲板へ飛び出していったトリーシャの背中に
「スクープよりも自分の命を大事にしなよー!」と声を掛けたフィーナは、次いで右腕に力を込め、
先ほどから身じろぎを繰り返すルディアへ無言の注意を与えた。
 どうやら今しがたの特殊な現象ですっかり興奮してしまったようである。
新しいオモチャを見つけた子どものように目を爛々と輝かせたルディアは、
「あんなヤツら、ルディアのレーザーでケチョンケチョンにしてやるの! 格の違いってのを思い知らせてやるの!」などと
物騒な放言を止めようとせず、身を挺して彼女を庇ったフィーナを大いに困らせているのだ。
 幸い、身柄はフィーナのほうで押さえている。腕力を少し強めに入れておけば、
興奮状態のルディアが甲板へ突っ走ることだけはなんとか防げるだろう――シェインと然程年齢が変わらないにも関わらず、
胸や尻に指先を這わせるなどセクハラ行為を働くのはいただけないが、彼女を守るには目を瞑るしかなかった。

(さっきの爆発音は普通じゃないっ! 何が起きているって言うのっ!?)

 無遠慮にも服の中にまで手を突っ込み、ヘソのあたりを撫で回すと言う度を越したセクハラに及ぶルディアを
頭突き一発で黙らせたフィーナは、それから船室の窓へと目を転じ、ガラス越しに外の様子を窺った。
 フィーナたちの詰める部屋と、艦橋の役割を担うこととなった舳先とは大きく距離が離れている為、
前方の状況を完全には把握出来ないのだが、数人がかりで発砲作業を分担する砲撃主たちが
鬼のような形相で主砲にしがみついていること、ズブ濡れのハーヴェストが乗組員たちを鼓舞して回っていることから推察するに、
第五海音丸が修羅場と化しているのは確かなようだ。

「……どうやら始まったようですね」

 天井にて振り子のように揺れ動く吊り下げ式の照明を仰ぎ、甲板で起きているだろう事態を冷静に分析していくタスクの手には、
万が一の備えとして巨大手裏剣のトラウムが具現化されている。
 船室に設えられた仮眠用のベッドの上へルディアと一緒に腰掛け、彼女の面倒を見ていたフィーナは、
タスクより発せられたその言葉で自分たちの置かれた状況をすぐさま悟り、唇を噛み締めながら天井を仰ぐと、
右の掌中にあったトラウムの具現化を解いた。
 ヴィトゲンシュタイン粒子に還元され、光の粉と散ってリボルバー拳銃はフィーナの右手より消失したものの、
どうやら単純な武装解除ではなかったらしく、その面立ちは依然として強張っている。

 タスクは船体を激しく動揺させたものの正体を詳らかにしていったが、
それはつまり、甲板にて指揮を執るアルフレッドに代わって海戦の始まりを宣言したことにも等しいのだ。
 先述の反芻となるが、軍艦を相手にする海戦に於いてフィーナのリボルバー拳銃やタスクの巨大手裏剣は何の役にも立たない。
フィーナへ倣うようにしてタスクも自身のトラウムをヴィトゲンシュタイン粒子に還元させたが、
敵艦へ直接乗り込むか、あるいは敵艦から兵士が飛び移ってこない限り、
彼女たちの武器が真価を発揮する機会は巡って来ないのである。

「もしかして、さっきのはどこかに一発貰っちゃったってコトなんでしょうか? 普通じゃない揺れ方でしたけど……」
「フィーナ様がご案じになるのはごもっともですが、事前の情報からもわかる通り、
敵の軍艦は佐志やテムグ・テングリの船とは桁が違います。おそらく本当に直撃を被ったのなら、
第五海音丸は一たまりもなく転覆することでしょう」
「それがないってことは、レイチェルさんたちが頑張ってくれるって証拠なんですね……!」
「わたくしの推理では、そのように。流れ弾がすぐ近くに落ちて船が揺さぶられたのでしょう。
その程度の波で船体が丸ごと傾きかけるのですから、大口径の砲撃を一発でも被ったらおしまいですね」
「木っ端微塵にされるってコト?」
「そこまで大きな砲弾は積んでいないと信じたいものですが、第五海音丸や星勢号程度の大きさの船なら、
真ん中から真っ二つにされるかと」
「……タスクさんって、もしかしてこーゆーのにも詳しかったりするんですか?」
「マリス様の付き添いでアカデミーにおりましたので、何冊か、軍事関係の本は読ませていただきました。
その程度ですよ。専門的な訓練をされたアルフレッド様の足元にも及びません」
「軍艦を操縦するなんてことは……」
「さすがに動かした経験はありませんよ。そもそも、大きな艦(ふね)はひとりでは動かせないもの。
人様に指示を出して動いて貰うなど、わたくしには荷が重過ぎます。だから、操舵手のライセンスも無用の長物で――」
「――いや、十分にスゴいからッ! フツー、持ってないからッ!」

 フィーナの上げた驚嘆の声に呼応したかのようなタイミングで再び船室に振動が走り、
部屋の隅に設えられた冷蔵庫の扉が勢いよく開かれた。
 海原を往く武装漁船だけに波浪による船体の動揺や傾斜を耐える対策は随所に施されており、
仮眠用の簡素なベッドや、三人掛けのテーブルなど大小に関わらず船室内の家具、調度品はいずれも床にボルト止め。
椅子の足にも滑り止めの加工が為されているので、滅多なことでは海面の影響を受けなかった。
 テーブルの上にはガラスの灰皿が無造作に置かれているが、
これは床に落ちて割れたときに破片が四散しないと言う特別製の逸品だ。
細かな部分まで船乗りならではの知恵が行き届いていると言えよう。

 冷蔵庫の扉も類例に漏れず、錠前を彷彿とさせる頑丈なロックを施し、
圧し掛かってくる負荷へ耐えられる仕組みになっている筈なのだが、
どうやら飲み物を取り出したルディアが後の始末を疎かにしたようだ。
 彼女が楽しんでいたクリームソーダのペットボトルは既にダストボックスの腹の中だが、
それ以外に目立つゴミもなく――取材の為に甲板へ出ていたトリーシャからシェインとラドクリフのやり取りを伝聞し、
これによって色々な意味で勢いの余ったフィーナが鼻に突っ込んでいたティッシュくらいか――、容疑者の断定は容易かった。
 容疑者と目されたルディアは、くたびれて反発の少なくなったスプリングをトランポリンのように使って跳ね飛び、
シラでも切るかのように口笛吹きつつ後ずさる。距離を取ることによって叱られたときにワンクッション置こうと言うのだろう。
 そうしている間にも船体の振動は断続的に発生しており、フィーナにとっては冷蔵庫の不始末を叱責するよりも、
足元をすくわれたルディアが横転してしまう危険性のほうがずっと重要な問題だった。

 振動によって冷蔵庫から飛び出してしまったペットボトルや魚肉ソーセージを片付けるタスクは、
ふとその手を止めると、「軍艦と言えば――そうです、想い出しました。アルフレッド様の立てた戦策(さく)は、
大昔の戦術史にも載っているそうです。ルーツは旧人類の時代にまで遡るそうですが、
確か、……そう、『東郷ターン』」と、記憶の底から引っ張り上げた知識(こと)をフィーナに語って聞かせた。

「とぉごぉた〜ん?」
「東の郷と書いて東郷。トウゴウです。伝説的な軍人だそうですが、その人は敵の艦隊と戦うに当たり、
機先を制して自軍の艦隊を回転させ、相手の行方を阻んだと聴いております」
「それで東郷ターンですか。……んん〜、アルみたいにそっちの勉強なんかしたことないから、
ターンする意味とか、頭の中でよくイメージできないんですけど。今まで進んできた道を引き返したって効果ないんじゃ……」
「要約いたしますと、敵の動きを封じ込めて集中攻撃を浴びせた、ということになります。
東郷と言うのは艦隊を指揮した長官で、この戦術を発案したのは別の参謀らしいのですが……」

 東郷ターン、またの名を『T字戦法』――その戦術の名称は、作戦会議に居合わせなかったフィーナには全くの初耳である。
 睨み合うアマレスの選手のようにジリジリとルディアとの距離を詰めていき、
一瞬の隙を突いて彼女の小さな体を腕の中に閉じ込めたフィーナは、転倒による負傷の危険性が去ったことに安堵しつつ、
タスクへ鸚鵡返しに『T字戦法』のことを訊き直した。

「その人たちもルーインドサピエンス(旧人類)なんですか?」
「わたくしもそこまでは存じませんが、ルーインドサピエンスの伝承には確実に残っているそうですよ。
特別な名前で呼ばれているとは言え、ターン自体は作戦行動の一つですから、
全ての工程をまとめて『T字戦法』と呼ぶのだそうです」
「T字戦法、か……――」
「敵の艦(ふね)はさぞや恐怖でしょう。ぴったりと張り付かれている上に、逃げようとしても行く手を押さえられている。
絶対に振り切れない状況下で砲弾を受け続ける恐ろしさは、想像を絶するものかと」
「――……そう言えば、また戦法シリーズだね。アルも好きだなぁ、それ。ネビュラ戦法に続いて捻りがないって言うか。
男の子なんだし、もうちょっとカッコいい名前を考えればいいのにさ」
「洒落っ気がなければ面白味もないアルフレッド様らしい命名ではありませんか? 
わたくしは、“そう言う意味”では感心しておりましたよ」
「ゥわお、タスクさんも言うねぇ〜」
「あっ――は、はしたないところをお見せしまして……」
「いいって、いいって。アルのセンスがおかしいのは誰だってわかってることだし。
シルバーアクセとか、変なトコに凝るクセして自分の興味以外には全然無頓着だもん。つまんないセンスになるハズだよ」

 冗談めかしてアルフレッドのセンスの悪さをからかうフィーナだが、ルディアを抱き締める腕の力は先ほどよりも強まっており、
『T字戦法』と言う如何にも戦闘的な響きを持つ単語に反応して身を強張らせたのは明らかだった。
 必死になって気を張り詰め、ルディアを怖がらせないように平静を装っているのだろう。
健気としか言い表せないフィーナの様子をタスクは痛ましそうに見つめるしかなかった。
 ここで気遣いの声でも掛ければ、たちまち緊張の糸は切れてしまうに違いない。
危ういまでにフィーナは気を張り詰めているのである。
彼女の懸命な努力を、どうして水の泡に出来ると言うのか――悔しげに唇を噛むタスクの表情もまた沈痛であった。

 フィーナもタスクも精神的な余裕は満足とは言い難い。だからこそ、庇護すべき対象の変化さえ看過してしまったのだ。
 ルディアの表情(かお)が愉快げなものから決然とした勇ましいものへ切り替わったことには、
船室に居合わせた誰ひとりとして気付いていなかった。

「ギギギ……ギギ……ギィ〜ヤッハッハッハァ――おッめぇら、いつまで経ってもバカみて〜に青春ごっこしてやがんなァ〜。
次は? ネェ、次はなにをするんでちゅかぁ〜? 夕陽にでも向かって走るってか!? ギギギ……、そうだろぉう!? 
――あっ! ごみぇ〜ん! ココは海の上だから走れねぇんだっけ! 海! 海ッ! 海ィィィィィィッ!! 
水平線の彼方にィ、青春でも叫んでろよォうゥ、挽肉未満のクソ虫どもよォ――ギギィィィヤッハァァァァァァッ!!」

 三者三様の思惑を同一の破綻へ導くかのように下卑た笑い声を割り込ませてきたのは、
その狂気をはらむ語調からも察せられる通り、シェインをして「新手のクリッターだろ、こいつ。ミサイル吐くんだろ? 
ヒトとしてどうなんだよ、有り得ないだろ」とまで言われた撫子だ。
 部屋の隅へと身を納めるようにして膝を抱え、ブツブツとよくわからない独り言を呟きながら一心不乱にモバイルをいじり、
存在感と言うものを空気同然に消していた撫子が、突如として破裂でもしたかのような笑い声を上げたのである。
 笑いのツボをくすぐられた人間が同じような行動を見せることはままあるが、
それにしては笑い声の大きさやトーンが尋常ではなく、そもそも現在は腹を抱えて笑えるような状況ではない。
 極端な感情の起伏には慣れていって欲しいと守孝や源八郎から要望されてはいるのだが、
あれほど集中していた筈のモバイルを簡単に放り出し、あまつさえ床を叩いてまで爆笑する撫子には、
正直なところ、フィーナもタスクも随いていけそうになかった。
 常人とは異なるタイミングで噴き出す彼女の心理を探ることは、容易ならざる苦行と言っても差し支えあるまい。

 人を選り好みするタイプではないフィーナにしては極めて稀なことなのだが、彼女は撫子のことをあまり快く思ってはいなかった。
 交流が絶無に等しい為、人となりの全てを把握したわけではないものの、
このように狂気を剥き出した際に撫子が発する不穏当な言行がアルフレッドの攻撃性を助長しているようにもフィーナは感じており、
怨嗟とは行かないまでも面白からぬ思いは確かに持っていた。
 話しかけようとも思わないし、また、話しかけて欲しくもない――それなのに、撫子は最悪にも近いタイミングで笑い声を上げた。
まるでフィーナのことをからかっているように、だ。

(もうヤダ、この人……最悪だよ……っ!)

 これにはさしものフィーナも辟易したらしく、胸中にてやるせない溜め息を吐き捨てた。
 あくまで胸中に留めておき、露骨には見せないのも撫子対策の一環である。
邪険にしている素振りを見せようものなら、すかさずこれを「偽善者の化けの皮が剥がれた」とでも嘲るに違いない。
 撫子を喜ばせるような真似だけはフィーナとしても避けたかった。

「んんん〜? まさか、テメー、ここまで来てビビり入ってんじゃねぇだろぉうなァ? 
てか、ビビる意味がマジわかんないんですけどォう!」
「――だっ、誰が怯えてなんかッ!」
「だっせ! だっせェェェェェェッ! 最初っから最後までビビり倒してじゃねぇか、このお嬢ちゃんはよゥ。
テメー、あの銀髪のクズ男がおっかねぇんだろ? ソレが一番やっべぇんだろぉ〜が」
「……どう言うつもりですか? 私とアルは家族で、それで――」
「家族ゥ? 知るか、ンなこと。撫子チャンにわかるのはぁ、仲間を道端の石ッころとも思ってねぇあのクソ野郎を
テメーがマジには信じてねぇってことなのよン♪ そらそうだ、なんつったっけ、あの配達員ども。
てめーのおトモダチを喜んでブチ殺そうってんだもんな。かよわい撫子チャンもォ、ブルブルきちまうぜェェェぇぇぇ?」
「ラスさんたちは事情があったんですよっ! 何も知らないのに、適当なことを言わないでくださいっ!」
「ギィィィヤッハァァァ――そんで? 次はなんつって強情張るん? 配達員どもなんか、ど〜だっていいんだよ。
テメーだ、テメー。暴れちゃイヤイヤンっつって、あの銀髪クソ野郎をなだめようとしてたな、テメーちゃんたち。
それを? クソ男は? どうしたの? どうしたの? どうされちゃったの? テメーちゃんたちの説得はどうオチついたのぉ?」
「……それは、……だって……」
「ホレ見ろ、ビビりが。カスはカスらしく、手前ェがカスってことを認めろや。あのクソ男の目には、テメーも、他の連中も、
その辺に転がってる石ッころ以下だよ。殴ってヨシ、投げてヨシってコトじゃ、石ッころのがまァだ存在価値を認めてっかもな」
「………………」
「殺しの道具なんだよ、石ッころなんてよ。テメーもそうだろ? えぇ、石ッころ代表ォ。テメー、さっき面白ェモンを出してたな。
それで何人をブチ殺せる? あの銀髪はなァ、テメーが何人殺せるかっつーことしか、もう考えてね〜んだよ」
「そんなことがあなたにどうしてわかるんですかっ!?」
「わっかんねぇかなァ、一般人には。俺もアイツも人殺しが大好きなんだよ。そーゆー人種なんだよ、俺たちゃ」
「やめてくださいっ!」
「喚いたって、ノンノン。誤魔化したって、ダメダメ。そーゆークズ同士はな、シンパシーで?がっちまうのさァ♪ 
……ヤツが俺と同類項だってわかってっから、テメーちゃん、必死ぶっこいて否定すんだろ?」
「家族をそんな風に言われて黙っていられると思いますか? 虐殺者呼ばわりなんてされたら誰だって怒りますよっ! 
アルはそんな人間じゃありません! あなたの思い込みでアルを貶さないでッ!」
「ギギギ…ギギギ…ギギギギギギギギギィィィ……――そうそう、ラクになっちまえばいいんだよぉうッ!!」
「だ、だから、私もアルもッ!」
「いいからいいから、テメーも殺戮っちゅ〜もんをォ、エンジョイしやがれよォう! 石ッころ代表らしくなッ!! 
がんばって百人殺ったら、お褒めの言葉を貰えるかも? ギィィィッヤッ……ヒィヤッハァァァァァァァァァッ!!」

 こんな醜悪なやり取りは断じて聞かせまいとルディアの耳を塞ぐフィーナだったが、
己の裡より濁流の如く溢れてくる激情には抗いきれず、元凶たる撫子には気色ばんだ調子で食って掛かった。
 目と鼻の先で騒ぎ立てれば、いくら強く塞いでも罵詈雑言はルディアの耳へ透過するであろうし、
何より激昂すること自体が撫子の思う壺であるとは、フィーナも理屈では解っている。
……解っているのだが、迸る憤怒はブレーキとして機能する筈の理性を上回っており、
本人にさえ既に歯止めが利かなくなっている。
 フィーナ当人にとっては痛恨事であろうが、浴びせかけられる暴言を聞くに堪えないものとして受け流せず、
不用意に反応し、挙句の果てに心を抉られている時点で撫子の勝ちと言うものだ。

「もうそのあたりで切り上げてはいただけませんか? あなた様がどのように考えておられるかは存じ上げませんが、
ここは紛れもない戦場でございます。戦場で最も恐ろしいことは、我を失って正常な判断がつかなくなること。
失礼を承知で言上いたしますが、あなた様の振る舞いはフィーナ様を追い詰め、理性を奪っているのです。
それとも味方の被害など知ったことではないと? そう仰るのですか、あなた様は?」

 ルディアの双眸を掌で覆い、凶悪に歪む撫子の面を見せないように努めていたタスクも堪り兼ねて両者の間に乱入したのだが、
それにも構わず撫子は壊れているとしか思えない笑い声を上げ続けた。

「おっ! いつまで経っても乗ってこねーから、銀髪と同じようにこの石ッころを見捨てたんかと思ってたぜェ。
えぇ、忠犬バッタモンよぉ。イイ歳こいてメイド服なんて着やがって……ギギギ――世のバカどもをキャッチってかァ? 
それにしちゃあ、色気が足んねーよ。胸のボタンを全開にするとかよォ、ちったぁ客商売考えてみ? サービス業だろうが」
「わたくしがこの服を纏っている理由は、ただ一つ。職務に最も適しているからです。ファッションではございません。
随分と他人の着衣を気になさっておられるようですが、そう言うあなた様はいかがでございます? 
ヨレヨレのジャージとサンダルで砂漠へ行くおつもりなのですか? プロテクターも適当に着けただけのようにお見受けしますが……」
「テキトー? それを言うか? 当たり前だろ。こんなバカらしいもん、真面目にやってられっか」
「戦いへ臨む気構え一つ出来ないような方にフィーナ様を誹謗する資格はないと申し上げているのです。
……なんですか、その半首(はっぷり)の被り方は。どうして逆さにしているのです?」
「こうして被ると、角みてーに見えるだろ? ギギギ――これ見てさぁ、鬼だの悪魔だのっつってカスどもが逃げ惑ったら面白ェじゃんよ。
そうやって逃げ惑う連中を、ホレ、焼肉にしちまおうって寸法だぜ。……ワオッ! 俺って天才じゃね!?」
「……わたくしの具申をお聞き届け頂けないようですね」
「ぐ・し・ん。ぐ・し・んねぇ〜」

 フィーナを庇うようにして敢然と立ちはだかるタスクであったが、撫子はこれを見て怯むどころか、
新たな標的が現れたと舌なめずりし始めた。
比喩ではなく、鮟鱇のように大きく平べったい舌でもって実際に口の周りを舐め回して見せた。
 更なる暴言を吐く気が旺盛なのは明白であり、背筋に悪寒を走らせるフィーナとタスクとを交互に見比べつつ、
「人の姿(ナリ)にこだわってるテメーのほうが殺し合いナメてんだろ。
テメーみてーな忠犬バッタモンを世間じゃ何て言うか、知ってるゥ? 犬死っつーんだよ。
言ってることもやってることも全部があの世へまっしぐら! どうせすぐ死んじまうだろ〜からよ、
俺がここでハンバーグにしてやろっかァ? ギギギ…ギギィィィ――武士の情けってヤツだァ」などと
世にも恐ろしいことを笑いながら言ってのけた。

「俺ぁよ、ムカつくカスどもをブチ殺してスカッと爽快になれりゃあ、なんだって良いんだよ。
ジャージだろうが、プロテクターだろうが。仮面被った変態どもだろうが、テメーらだろうがな」
「そんな気持ちで戦場に行くつもりなの!? あなたには、この戦いの意味が――」
「――意味ィィィ? ギギギ……テメーこそ、意味なんてまるっきりわかってね〜だろうが。
どうなんだ、石ッころ? 答えてみろよ。お決まりの復讐ってヤツぅ? 
なんつったっけ、テメーんとこのシケた地元、あの変態どもにブチ壊されちゃったんだって? 
ギギギギギギィィィィィィ――よォかったなァ、これで心置きなく人殺しができるぞォう!」
「それは余りにもフィーナ様に失礼ではありませんか!? あの惨劇を見てもいない人間が、よくもそんな……ッ!」
「私は戦争を終わらせる為に砂漠へ行くんだよっ。もう誰にも自分と同じ思いをさせないようにッ!」
「……で? ご大層な志を背負っちゃってるテメー様は、誇らしげに出陣してから今日まで、何をやってきたのかなァ? 
おさんどんと、……スカした銀髪の目ェ気にする以外で答えてみせろよ。さぁ、大偉業ってもんをご披露願おうじゃねーか」
「……どう言うつもりでそんなことを言っているの? 一体、何の意味があるのさ!?」
「意味、意味、うっぜーな。バカの一つ覚えみてーにベラベラ同じことを繰り返すんじゃねぇぞ、雑魚の分際で。
てか、自分で訊かれたときに答えらんねーようなバカが、人様に偉そうな口を叩くんじゃねェっつーの。バカが倍加速すんぞ」
「あなた様は、……あなた様が仰りたいのは――」
「ギギギ――さすがはババァ、ピンと来るのは年の功だな。ガキはキャンキャンうるせぇだけだぜ」
「いちいちあなたはっ!」
「………………」
「さァて、人の質問にも満足に答えられない石ッころちゃんよォ、こちらのババァがど〜して黙っちゃったか、
その理由もテメーの純真無垢なドタマじゃわかんねぇか? わかるわけねぇかぁ、そ〜だよなぁ〜」
「――タスク…さん?」
「………………」
「いい加減に悟れよ、カスが。石ッころっつーか、ゴミ溜めだな、テメーちゃんのドタマは。
お嬢様の付き添いで戦場に行くヤツとォ、偉そうなこと抜かしときながら人の目にビクついてるヤツがァ、
俺に意見すんなっつってんの。俺ぁ殺し合いがしたくて砂漠に行くんだぜ? 
テメーらみたいのは、存在する意味もねぇだろうがよ。
……あっ! 意味ウゼーっつったのに、俺のほうが同じこと言っちまった! ギャッハッハッハ――超ハズいしぃ〜」
「私はそんッ――……ッ! ………………」
「………………」
「………………」
「ギギギギギギィィィィィィ――ギャッハッハッハハァァァァ〜、だぁからぁ、バッタモンなんだよ、テメーちゃんども。
殺しの道具として使って貰えるだけありがたく思わなくっちゃなァ。人間謙虚が一番だって習わなかったかァ? 
俺ぁ、大満足だぜ。手前ェの意思で挽肉捏ね捏ねしたいんだもォん――ギッハァァァぁぁぁ〜!」

 フィーナも、タスクも、撫子へ返す言葉は既に持ち合わせていなかった。
 と言っても、理不尽な難癖を一方的に押し付けられただけのことであり、世間の常識で言うところの論破とは程遠い。
確かに痛いところを突かれはしたものの、撫子が並べ立てた羅列の中には納得に値する正論など何一つ含まれてはいない。
 にも関わらず、ふたり揃って絶句したのは、ある特殊な恐怖をこの怪異な人物に感じ、
そこから生じる強迫観念にアテられてしまったからである。

 モバイル遊びか、あるいは暴力衝動の赴くままに行う破壊にしか興味を持ち得ないようでいて、
撫子は各人の情況や人間関係に至るまで驚くほどに周囲の事柄を把握していた。
 頭の中へインプットされた情報は同席時に見聞きしたものに限定される為、
K・kの蒸気船内で起きたことは想像で補っているようだが、
口をついて出る言葉の数々は、いずれも不気味としか言いようがないほどに精確なのだ。
 しかも、だ。撫子の場合、相手を甚振り、追い詰める情報(ネタ)を選りすぐって拾い集めている。
何を言えば相手が最も傷付くのか、また狼狽させられるのか、撫子は神業のような精度で見極めていた。
 この不気味な物体に心の深層まで見透かされていることが、
フィーナたちへ例えようのない不快感と恐怖を与えているのだ。
心臓を鷲掴みにされたような怖気で全身を苛まれ、それ故にふたりは言葉を失ったのである。
 ホゥリーも人のことを虚仮にする天才だが、背筋を走るような怖気を感じたことは未だかつてない。
同じ毒舌であっても、ホゥリーと撫子はその性質に於いて全く異なっていると言っても良い。

 撫子の持つ粘着質な情報収集能力がフィーナには生理的に受け付けなかった。タスクもまた同じであろう。
 モバイルから接続できるインターネット上に自分たちのパーソナルデータが勝手に書き込まれており、
彼女はその内容を読み込んで攻撃材料にしているのではないか、
……あるいは、撫子自らが暴露話と称して人道に反する行為を仕出かしたのではないか――
反射的に最悪の事態を想像したフィーナは、タスクと顔を見合わせ、全く同じ戦慄に身震いした。

「言ったシリからもうブルッてんじゃね〜か。この石ッころ、果てしなくヘタレだな。
殺されそうになってんのに話し合おうとか間抜け言い出すタイプって言うの? 
例えおかしいィ? どっちみち早死にするんだけどな! ……じきに遺影になるようなテメーちゃんのお写真なんざ、
アップしたって面白くもなんともねぇんだよ。ま、お気楽生活はAさん名義で書きまくりだけどな! 
そろそろ作家デビューのスカウトが来るゥ!?」

 フィーナとタスクの心根を見透かした撫子は、両名の神経を逆撫でするような笑い声を上げた。
 人格破綻としか思えない撫子ではあるが、不特定多数が閲覧出来るインターネットへ
保護されて然るべきパーソナルデータを放り投げるような悪事にまでは彼女も手を染めていないようだ。
 一先ずは安堵の溜め息を漏らすフィーナだったが、「一体、この次は何をされるのやら……。
実名の公表をネタに強請られでもしたら――」と言うタスクの呟きで根本的な解決に至っていないとすぐさまに思い出し、
改めて表情(かおいろ)を気鬱に沈ませた。

「――レディース・アンド・ジェントルメン! お待たせお待たせ、お待たせちゃんなの! ここからは待望のルディアひとり舞台なの!」

 身心のコンディションが如実に表れるのは、何ともっても顔面であろう。
裏返せば、表情を暗くしている人間は四肢にも力が漲っておらず、何かの拍子で転ばされてしまうほど弱っていると見て間違いない。
 自分の耳と両目を覆う掌の圧力が弱まったことでそれを察知したルディアは、フィーナの胸の力が緩んだ隙を見逃さず、
またしても彼女の懐より這い出ると、そのまま撫子目掛けてタックルでもぶちかますように飛び込んでいった。

 思いも寄らぬ奇襲に面食らい、「あッ――きゃっ!」と小さく悲鳴を上げて尻餅ついた撫子の懐へすかさず潜り込んだルディアは、
豊満…と言うよりも怠慢の塊と言うしかない彼女の乳房を両手の指でもって思うがままに揉みしだいた。
 全身を使って撫子へ圧し掛かる直前に「待ちに待ったご馳走タイムなの!」と言い放ったことからも察せられる通り、
ルディアはこのタイミングが巡ってくるのを虎視眈々と狙っていた様子である。
 人の趣味・趣向をとやかく言うのはマナーに反しているので、何も語らず口を噤んではいるものの、
“ホゥリーに勝るとも劣らないグラマラスなプロポーション”を好んで貪ろうとするルディアの食欲――と呼んで良いものか――は、
フィーナもタスクも全くもって理解出来なかった。出来るわけもなかった。

「なっ、なんだ、テメー!? 引っ付くんじゃねーよっ! うぜーっつーかキモ――お、おい!? ナニ触ってやが……ゥあっ……!」
「くっくっく……、もがくといいの、抗うといいの。ナデちゃんが強情を張った分だけルディアも燃え上がるって寸法なの。
だからって抵抗をやめても意味ナシなのね。それならそれで、ナデちゃんを隅から隅までムフフなの」
「気安く呼ぶんじゃ――こ、このガキぃッ!? どこに手ェ突っ込ん……ッ! ……う……くッ、指を這――……ッ!!」
「突っ張ったって、カラダは素直なの♪」
「ア……ホなこと……言うんじゃ――ま、待ッ……! 押し競饅頭みてーなコトするんじゃ――ゥはぉッ……!」

 さしもの撫子もこの不意打ちには完全に虚を突かれたようで、満足な抵抗すら許されず、されるがままの状態となっている。
 ルディアに飛びつかれた当初は凍り付いていた表情も徐々に変貌を遂げ、
紅潮した頬の肉を小刻みに震わせていたかと思いきや、
次の瞬間には糸の切れた操り人形のようにガクリと全身の力を抜いてしまった。
 無念の色で潤む瞳やくぐもった呼気は、撫子が何か堪えていることを端的に表しているのだが、
いくら彼女から睨みつけられても、「やめろって……言ってんだ……ろ……ッ……」と声ばかりの力ない抵抗を受けようとも、
ルディアは決してその要求を飲もうとはしない。
 要求を承諾するどころか、逆に嘲笑うかのようにして撫子を捕獲する指の動きをより早く、
更にリズミカルに、一層複雑なものへと変えていく。あらゆる意味での“加速”がルディアの指には見て取れた。

 顔に似合わずルディアが如何にテクニカルであるか、身をもって思い知っているタスクは、
へたり込む寸前の撫子に向かって「天罰ですっ! それを喰らったが最後、暫くは足腰立たなくなるのですからっ! 
ルディア様を子どもと見なした時点であなた様の負けなのですっ! 
さながら、子どもの皮を被ったプロフェッショナルの如しッ!」とよくわからないことを言い放ち、
三者の様子を傍らにて傍観するフィーナの口元を思い切り引き攣らせた。
 タスクたちの間でしか共有し得ない体験・感想のようだが、具体的に如何なる目に遭わされたのか、
当人に問うまでもなく察したフィーナは、彼女たちの仲間入りは御免とばかりに身を竦ませている。

「クッ……はア……――ち……くしょうめ……! ……お、俺が……なんてェ……ザマだ……ッ!」
「くくく――ナデちゃんは本当にカワユイの。愛いやつなの。ルディアの理想に限りなく近いのね、ナデちゃんバデーは。
また相手したげるから、それまでにもっと好いバデーを作っておいて欲しいの♪」

 ひとしきり撫子の豊かな肉体を堪能したルディアは、「水无月様ですら秒殺とは! 
末恐ろしい御方ですね、ルディア様……!」と一人で勝手に盛り上がっているタスクや、
そんな彼女にどう声を掛けたら良いのかとリアクションに困っているフィーナへ
勝利宣言でもするかのようにVサインを披露したが、その表情(かお)は陶酔でも愉悦でもなく勇敢の一言。
 クタリと脱力してしまった撫子をベッドに横たえたルディアは、さながら危地へ臨まんとする勇者の如き雄々しさである。

「フィーちゃんもタスクちゃんもナデちゃんも、みんなみんな、怖いって気持ちが大きいから強がっちゃうの。
――うんうん、言わなくてもいいの。ルディアにはわかってるのね。でもね、もう無理しなくていいの。
怖いって気持ち、このルディアが振り払ってあげるのっ!」
「ナ、ナメくさるなよ、テメー! 誰がビビッてるっつーんだ、誰が!? 俺を石ッころやバッタモンと一緒にすんじゃねぇッ!」
「……これはとても良いことを聴きました。そうでしたか、水无月様もまたご自分と闘っておられたのですね」
「そうとも知らず、あんなにキツいことを言ってしまって……。本当にごめんなさい、撫子さん。
……その、私と一緒じゃ不安かもですけど、力の限り、頑張りますからっ!」
「ほれ見ろ!? テメーの所為で俺までビビリだっつって勘違いされちまったじゃねーかッ!? 
怖ェどころか、早くクソどもを焼き殺――だから、テメーらもそーゆー生温い目で俺を見るんじゃねぇよッ!?」
「わたくしもフィーナ様と同じです。ご覧の通り、マリス様へお仕えする身ではありますが、
水无月様――いいえ、撫子様を微力ながらお支えする所存。万事、このタスク・ロッテンマイヤーにお任せあれ」
「みんなで力を合わせれば、何も怖いことはないよっ! 一緒に戦おうッ!」
「おォいッ!? 俺までチーム青春に引っ張り込まれてねぇか、コレ!? しかも、無駄に自然な流れでェッ!?」

 フィーナとタスクの両名から寄せられた温かい言葉は撫子にとって心外でしかない。
強がりでも意固地でもなく、暴力衝動の命じるままに破壊の限りを尽くしたいだけなのだ。本当にそれだけのことなのだ。
 にも関わらず、ルディアの余計な一言によって真逆のイメージが捏造され、あまつさえそれが一人歩きをし始める始末。
誰にどのようなイメージを持たれようが、平素の撫子であれば気にも留めないところなのだが、
他者からの干渉を伴う場合はこの限りではない。
 自分の思考(ナワバリ)に下足で踏み込んでくる干渉(やから)ほど不愉快なものを、撫子は他に知らなかった。
 今すぐにでもミサイルのトラウム、藪號The-Xを発動させ、目障りな仲間意識を粉砕してやりたい――
大暴れして何もかも吹き飛ばしてやろうかとまで苛立つ撫子が、その危険な衝動と裏腹にベッドの上でおとなしくしているのは、
目の前でルディアが両手の指を忙しなく開閉させているからである。
 小指から親指にかけてウェーブでも描くかのように艶かしくうねらせるルディアを見るにつけ、
撫子の背筋には冷たい戦慄(もの)が走るのだ。あどけない見た目とは不釣合いな指先のうねりが何をもたらすのか、
もう二度と撫子は思い出したくなかった。

 文字通り、指先一つでもって撫子の暴力衝動を抑え付けたルディアは、次いで両手を腰に宛がい、
それと同時に胸を反り返らせながら肺一杯に息を吸い込んだ。

「ちょっと行って、何も危なくないって証明してあげるの。勇者ルディアの出陣なの!」
「しゅつじ――ちょ、ちょっと、ルディアちゃん!?」
「部屋の中でガタガタ震えるなんて、ルディアの性に合わないの。ヘンな音がして、ぐらぐら揺れて、
ナデちゃんが怖がって―――そんなときに誰が立つ? 誰が頼り? ルディアが行かねば誰がやるってカンジなの!」
「テメ、だから俺はビビッてなんかいねーっつってんだろッ!」
「というわけで、ちょっとそこまで」
「な、なりません、ルディア様っ!」

 ルディアの挙動をつぶさに見届けたフィーナたちは、何らかの宣言があるものとは察していたのだが、
呼気によって弾みをつけ、一気呵成に吐き出されたその内容までは見抜くことが出来ず、
想定の範囲外としか言いようのない事態に際して、ひたすらに驚愕するばかりである。
 ルディアがハーヴェストに劣らぬヒーロー願望を抱いていることは、フィーナもタスクも周知していた筈なのだが、
さりとて自ら進んで危険な場所へ身を投じるとは予想だにしていなかった。
 しかも、だ。彼女は船の動揺に恐れを抱いた自分たちを安心させる為に甲板へ出ようとしている。
リアルタイムで進みつつあるだろう戦闘に怯える仲間の為、状況確認へ走ろうとしているのだ。
 その意志と勇気は誉められて然るべきであり、ハーヴェストに聞かせてやれば涙を流して絶賛するだろうが、
他の面々が海戦へ臨む中、ルディアを捕まえて船室で待機していたことには、明確な理由がある。
 海戦時の甲板は加速度的に危険が高まるとアルフレッドからきつく言いつけられているのだ。
その上、彼は「上陸するまでお前のトラウムに出番はない。おとなしく子守りでもしているんだな」などと吐き捨てて、
あからさまにフィーナのことを足手まといとして扱っていた。

 フィーナとてリボルバー拳銃が敵の軍艦に通用しないことはわかっている。
対人戦において無類の強さを誇るタスクの巨大手裏剣とて軍艦相手には役に立たないだろう。
 飛び交う砲弾のみが勝負を決する手札――それが、軍艦との戦いなのである。
 万が一にも敵弾の直撃に居合わせようものなら、船体もろとも木っ端微塵になるのは免れない。
小さな人間の身体など、たったの一発で破壊――そう、負傷などと言う生半可なレベルでは澄まない――されてしまうのだ。

 そのような場所にルディアを物見に出すなどもってのほか。フィーナとタスクは慌てて押し止めようとしたのだが、
彼女たちの手をするりとすり抜けたルディアは、瞬く間にドアノブへ手を掛けた。

「な、なりません、ルディア様! お待ち下さいっ! お願いですから、お姉さんたちの言うことを聞いてくださいませ!」
「足踏みした分だけ、みんなは怖い思いをするでしょ? それなら、ルディア、立ち止まってなんかいられないの。
あと、タスクちゃんはちょっと図々しいのね。て言うか、図太いって言うべきなの」
「おッ! ……『お姉さん』では通じませんか、わたくしは……」
「その努力とギャップは買うっ! むしろアリなの! ルディア的には全然大好物なのっ!」
「ル、ルディア様……っ!」
「――って、そんなことやってる場合じゃないでしょ!? タスクさんも感動してないで、ルディアちゃんを止めないとっ!」

 スクープに飛びついていったトリーシャをなぞるかのように甲板へひた走るルディアの後を、
フィーナとタスクは真っ青になって追いかけていった。

「どいつもこいつも、バカみてーに騒ぎやがって……ピクニックか、テメーら! マジうぜーんだよッ!」

 ドタバタと駆け去っていく三人の後姿へ舌打ち混じりの憎まれ口を叩く撫子だったが、
どう言う風の吹き回しであろうか、彼女の足もまた開け放たれたドアのほうへと向けられている。
 肌身離さず持ち歩き、暇さえあればいじくっているモバイルも今は簡易ベッドの上に放り出されていた。




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