7.TOGO Turn



 ルディアの面倒を見るべく船室に居残ったフィーナやタスクに成り代わり、
つぶさに戦況を把握しておこうと船上を飛び回っていたムルグは、甲板で追いかけっこする三つの影を目端に捉えた瞬間、
「ゴォッガァゲェェェッ!?」と素っ頓狂な鳴き声を上げて仰天した。

「そこのけ、そこのけ! ルディアのお通りなのっ!」

 威勢の良い声を引き摺りながら舳先に向かって一直線に突っ走るルディアと、そんな彼女を追いかけるフィーナとタスク――
安全の為に船室で待機している筈の三人が息せき切らして甲板を駆け回っていたのだから、
これを見て驚くなと強いるほうが無体と言うものであろう。
 三人の後姿を追うようにして船室から現れた蟹股の物体――ムルグの目には同族のようにも見える――はともかくとして、
フィーナたちの間に只ならぬ事態が起きたことは明白だ。全速力の疾走を見る限り、由々しき状況と言うことも間違いない。
 スタッフ状態のムーラン・ルージュを振り上げ、撃ち方の用意を号令するハーヴェストや、
これに応じて拳を突き上げる砲撃手たちも気にはなるが、一先ずフィーナたちのことを優先させようと判断したムルグは、
パートナーのもとへと両翼を羽撃(はばた)かせた。


 一方のフィーナは、ルディアの追跡だけに全神経を集中させており、周囲を見回す余裕すらなかった。
上下左右からダイレクトに圧し掛かってくる負荷の為、何時、足元を取られてしまうのか知れない状態なのだ。
 船室で感じたものなど序の口だったとしか言いようのない激しい動揺でよろめいたフィーナは、
続けざまに横殴りの雨を見舞われてしまい、転倒を避けるべく反射的に船端へ手を伸ばした。
 『横殴りの雨』とは比喩的な言い回しであり、その正体は口に入った塩気の強い水からも瞭然である。

 顔面を濡らしてくれた雨水、……否、海水を拭って瞼を開いたフィーナは、海面に無数の水柱が立つ様をはっきりと視認した。
これこそが、船体を激しく揺り動かす振動の発生源なのだ。
 改めて詳らかにすると些か回りくどくなるのだが、これは海底火山の爆発などではない。
狙いから逸れて海面を抉った敵の流れ弾である。
 天を、海をも焦がすこの火の矢は、前方から急速接近してくる敵艦より射られたものだった。
 砲門の周囲に垂れ込める黒煙を割り、放物線を描くように空を裂いて飛翔し、
その果てに海面へと至った砲弾が数メートルはあろうかと言う水柱を作り出しているのだ。
 塩辛い海水と言う点さえ除けば、間欠泉と見紛うような光景である。

(ここまで来たら、もう後には引き返せないんだ……ッ! ここはもう戦場なんだ――ッ!)

 海戦が始まっている事実(こと)を自分自身に言い聞かせたフィーナは、
これ以上、引き離されてなるものかと頬を叩いて気合いを入れ、心配そうに声を掛けてくるタスクへ頷き返すと、
勢いよく甲板を蹴ってルディアの追跡を再開した。

「コカっ! コカカっ!?」

 蒸気を吐き出す煙突辺りから滑降してきたムルグがフィーナの背に追いついたのは、
新たに起こった水飛沫の中を彼女たちが突っ切った直後のことである。

「――ムルグ、いいところにっ! ルディアちゃんを止めてっ! 私たちじゃ追いつけないかも知れないっ!」
「カ、ケコっ!?」
「かけっこ遊びしてるわけじゃないって! 甲板がどうなってるか確かめるって言って、急に飛び出しちゃって……っ!」
「コォーッ!? コココ、コッケケ!?」
「私たちの為に走ってくれてるんだけどさ! でも、ルディアちゃんに危ないこと、させられないよぉっ!」
「コッケェェェェェェッ!」

 ムルグを目端に捉えながらも足は止めず、フィーナはここに至った経緯、事情を口早に説明した。
 絶え間なく襲い掛かってくる水飛沫からも判る通り、依然として船体の動揺はフィーナの足元を脅かし続けている。
安定した疾走の為にも現在の勢いを減殺させられない彼女には、立ち止まることなど決して許されないのだ。

 姿勢の制御すら難しいフィーナを嘲笑うかのようにルディアは身軽なフットワークで甲板を跳ね回っている。
 船体が右に傾けば、そちらへ向かって飛び跳ねるなどして動揺を器用にやり過ごしており、
それどころか、この難所をアスレチックさながらに楽しんでいるようにも見えた。
 チーム随一の身体能力を誇るタスクであれば追いつけないこともないのだが、
海戦の真っ最中と言うこともあって甲板は非常に込み合っている。
 砲撃手など慌しく作業する人々の間に割って入るような真似などタスクには出来るわけもなく、
それが為に身のこなしが著しく鈍化してしまっているのだ。
本来、美徳となるべき筈の礼儀の正しさが逆に足枷となっていた。
 ルディアの場合は、お構いナシである。
 砲弾を運ぶ砲撃手の肩に両手を突き、跳び箱の要領で軽やかにジャンプするなどと言う芸当は、
ルディア以外の誰にも出来ないことであろう。
 揺れ動く甲板にてスケートを披露した源八郎であれば、あるいは再現可能かも知れないが、
生憎と当人は先ほどの汚名返上に勤しんでおり、曲芸に付き合う暇など無さそうだ。
 愛用する陣笠に代わってヘッドフォン型の無線機――ネイサンが手ずから作った“リサイクル”の逸品だ――を
装着した源八郎は、アルフレッドらと共に舳先にて敵艦を睨み据えている。
 ルディアはその舳先まであと少しで到達しようとしていた。

 フィーナの意を得たが為、このままでは大変な事態になると慌てたムルグは、
全速力でルディアを食い止めようと両翼を広げたのだが、その出鼻は間もなく挫かれることになる。
 舳先からほんの少し離れた位置へと達したルディアが、突如としてその足を止めたのだ。
両足どころか挙動の一切をピタリと止めており、数秒前までの軽妙な身のこなしが嘘のような静けさである。
 後頭部はやや上向き加減。高空を仰いでいることはその後姿から察せられた。
 背を追うムルグにとってルディアの浮かべる表情は窺い知れないものだったが、
しかし、足を止めてまで高空を見上げた理由だけは推察することが出来た。
 と言うよりも、人間の目線よりも遥か高い位置を見渡せるムルグも、
ルディアが興味を募らせるモノへ釘付けにされていたのだ。
但し、ムルグの場合は『釘付けにされていた』と状態を言い表すにあたって、
『先ほどまで』と付け加えなければならない。
 ルディアが胸中にて抱いているだろう好奇心の高ぶりを一足先に卒業していたムルグは、
暫くの間は立ち止まったままでいると自身の経験から導き出し、
今一度、両翼を羽撃かせて小さな背に向かっていった。


 ルディアとムルグを釘付けにするだけのことはあると言うべきか――
第五海音丸直上の高空は、不可思議としか例えようがない現象によって支配されていた。
 敵の巡洋艦から発射される砲弾は、寸分違わぬ精密な狙いでもって第五海音丸のアタマを鋭角に撃とうとしている。
誰の目にも直撃は疑いない。敵の艦橋は言うに及ばず、
第五海音丸の乗員たちですらそのように思える精密射撃の筈なのだが、
どう言う理由(わけ)か、船の真上に到達したところで砲弾はあらぬ方角へと跳ね飛んでいくのだ。
 それも、一発や二発ではない。ある一定の距離にまで近付いた敵弾は、
まるで見えざる手で弾き飛ばされたかのように急にその軌道を変え、やがて海面へと落下――この繰り返しであった。
 水柱の作り手である『流れ弾』は、辞書の記載そのままの意味ではこの海戦に於いて通用しないようである。

 夥しい量の砲弾に見舞われながら、第五海音丸はもちろんのこと、後続する前衛の各船、
中衛と後衛のいずれも一発たりとも直撃を被ってはいない。カスリ傷一つ受けていないのだ。
 もしや、と思って首を左右に振り、船端に何か仕掛けがないものか確かめていくルディアだったが、
どれだけ目を凝らしたところで、砲弾を振り払う不可視の手の付け根などは見つけられなかった。
 不可視の手の所在は突き止められなかったものの、砲弾が軌道を変える瞬間、
周辺の空間が陽炎のように揺らめき、歪むことを新発見したルディアは、
「マンモスすんごいの! チョベリグなの! ハカセがいたら、きっとヨダレ垂らして喜んだに違いないの!」と、
素っ頓狂な歓声を上げた。
 言葉にすらなっていない感情任せの奇声が混ざっているあたり、どうも興奮のスイッチが入ってしまったようだ。

 陽炎の如き歪みを視認した空間から下へ下へと目線を落としていき、直下の地点に何者があるのかを確かめよう。
そうして身を乗り出したところでようやくムルグがルディアの背に追いついた。
 一旦急浮上し、次いで山なりを描くように急降下したムルグは、ルディアの頭のてっぺんに腰掛け、
その身勝手な行動を諌めるように「コォケコックゥォォォゥゥゥゥ!」と甲高く鳴いて見せた。
 アルフレッド以外には肝要なムルグと雖も、皆に迷惑を掛けるような身勝手な振る舞いばかりは捨て置けず、
先ほどの嘶きにも僅かばかり怒りを含めたつもりだったのだが、
声が可愛過ぎたのか、それともルディアが鈍過ぎるのか、
全く堪えていない様子――そもそも諫止の鳴き声と言う認識もルディアには無さそうだ――である。
 自分の非を詫びるどころか、「ムルグちゃんね、ルディアをあの空まで連れてって? 
ルディアの体をフワッて持ち上げて。あそこにはヒーロー魂を揺さぶるものが濃縮されてるの!」などと能天気に笑いかける有様。
これではムルグも叱るに叱れない。
 最早、ルディアは自分の当初の目的さえも忘れていそうだ。
 何かをきつく言いつけても天真爛漫なルディアの前には万事が「暖簾に腕押し」で済まされることだろう。
早い話がムルグは気勢を削がれてしまった次第である。

 このままフィーナたちの到着を待つしかないと思われた状況が一変したのは、
ルディアに気付かれないよう「コケー……」とムルグが嘆息を吐いた直後のことだった。
 何の前触れもなくルディアの身長がグングンと伸び始め、彼女の頭に止まっていたムルグの目線も、
いきなり高い位置へと引き上げられてしまったのだ。
 大空に自由を得るムルグであるが、未だかつてこのような形で目線の位置が変わったことはない。
狼狽半分で眼下を探れば、そこにはルディア以外のもう一つの顔があった。
当然、ルディアの面が増殖したと言うような怪異ではない。

「――女だけの船旅ってのも味気ねぇだろ? よろしければ、ワタクシめがエスコートいたしますよ、お姫様がた?」

 眼下に聞こえる声の主は、ヒューである。
 第六感まで含めて感覚機能が人間よりも遙かに発達し、
また常日頃から鍛錬を積んでいるムルグにすら気配を察知させずに背後へ回り込んだヒューは、
高い位置で空間の歪みを見たいと言うルディアの望みを肩車で叶えてやったのだ。
 種明かしとしては呆気ないが、ルディアの身長が急に伸びたのではなく、
ヒューに肩車された分が高さに加えられただけのこと。取り立てて騒ぐようなことは何もなかった。
 声も掛けずに抜き足差し足で回り込んだと言うことは、ヒューもまたルディアの捕獲を考えていたのだろう。
 大方、甲板にて暴走するルディアを見かねたと言ったところか。いずれにせよ、ムルグには思わぬ救いの手であった。

「ふおおおぉぉぉ〜、絶景かな、絶景かな!ヒューちゃん、ナイス! ナイスなの! 
レディーに対するマナーがなってないとか、いろいろぶっ飛ばしてあげたいところはあるけど、今日のところは許してあげるのっ!」
「マナーがなってないとはご挨拶だな。自分の顔を鏡で見てみ? そこに映ってんのが、俺っちがモテる理由ってヤツさ。
ルディアちゃんのハートは、もう俺っちのもんだぜ」
「キャハハのハ――ないわ〜、それはないわ〜。肩車一つで落ちるほど、ルディアを安いオンナと思わないで欲しいの」
「そいつは誤解だぜ。ルディアちゃんもムルグっちも、俺っちには高嶺のナントヤラってやつだ。
だから、こ〜してかしずいてるんじゃねぇの。お気の召すまま、使ってやってちょ〜だいよ」
「うむうむ、苦しゅうないの。ヒューちゃんの爪の垢を、どっかのシェインちゃんに煎じて飲ませてやるべきなの。
パシりのクセして生意気なのね、あのボクちゃん」
「そりゃあ、お前、ルディアちゃんのことを意識しちまってるだけさ。あれでシェインも色気づいてきたってワケさ」
「やっぱし? ヒューちゃんもそう思うの? ホントも〜モテちゃって困っちゃうの。ルディア、罪作りなの」

 ルディアにはバッサリと切り捨ててしまったが、「果たして、そうだろうか――」とムルグは心中にて独りごちた。
 色々な人から揶揄されるアグレッシブなトレードマークは、現在は紐を解いてストレートに下ろしてあり、
パイナップルのシルエットはどこにも見当たらない。
 つい数分前に上空から確認したときには、件のパイナップル頭でアルフレッドたちと舳先に詰めていた筈だ。
 それはつまり、ルディアを肩の上へと乗せる為にわざわざストレートに戻したと言うことである。
成る程、頭のてっぺんで長い黒髪を結い上げると言う髪形は、お世辞にも肩車へ向いているとは言い難い。
 このような気配りが出来るヒューのことを、ムルグは素直に二の線だと思った。
種族も好みも違うので、心ときめくようなことはないにせよ、冗談めかした「モテる」と言う自己申告は、
ヒューを捕まえて「ろくでなし」、「宿六」と言い放つレイチェルには鼻で笑われてしまうだろうが、
あながち誤りでもないだろうとも考えている。
 仮に朴念仁代表のアルフレッドが同じような現場に遭遇したなら、エスコートと称して肩車をしてあげるどころか、
邪魔の一言で威圧し、あまつさえ振り払うくらいの所業はやってのけるに違いない。

「ほぉわっはぁぁぁ〜、あのグニグニしたお空、何回見てもうっとりしちゃうの。
世界が変わっていくって言うの? こーゆー不思議な冒険がやって来るって知ってたら、もっと早くに外の世界に出かけてたの!」
「そりゃ残念。あと十年早ければなァ。俺っちがルディアちゃんを迎えに行ったのによ」
「ほっほっほ〜、お構いなく〜。ルディアってば選び放題の面食いさんだからぁ、ヒューちゃんはちょっとナシなのね。
限りなくブラックに近いグレーってヤツ? ……あぁん、ヒューちゃん、またヤなこと思い出させてくれちゃったの! 
シェインちゃんにもごめんなさいしなくちゃなの。モテる女はツラいの♪」
「そんなときこそ、ほら、空を見上げてご覧なさいってばよ。ヤなことも、丸ごと吹き飛ばしてくれるだろ? いいぜぇ、空はよ」
「ヒューちゃんもなかなか粋なの。そうなの、今はあの空を楽しまなきゃ損ソンなの♪」

 興奮を抑えられないルディアは肩車と言う不安定な状態にも関わらず、楽しそうに身をくねらせている。
大きく、激しく、笑い声に合わせて身を揺すり続けている。
 彼女を肩に乗せるヒューは、こうした負荷をも必然的に担うことになるのだが、
忘れてはならないのは、彼もまた船体の動揺に足下を脅かされる一員と言う点だ。
 全く異なる二重の振動を全身に、それも全く支えのない状態で受け負っているようなもので、
バランスを維持するだけでも至難の業と言って良い。

 ところが、いくら船が傾いても、どれだけルディアが肩の上で暴れても、
ヒューは甲板に根でも張っているかのように安定して平衡を保っている。
 かと言って思い切り腰を落として踏ん張りを利かせているわけでもなく、足取りは至って軽やか。
波が次にどのようにうごめくのか、そこまで読み切って重心をコントロールしている様子なのだ。
神業としか言いようもないのだが、この重心移動を波の視認を挟まずに動揺の体感のみでやってのけている。
 彼はその姿ひとつで海に慣れ親しみ、何もかも知り尽くしていることを無言のうちに語っていた。


 背に受けた足音でフィーナたちの到着を確認したヒューは、首だけをふたりのほうに振り向かせると、
そこに見つけた怪訝な面持ちへ「ありゃあ、『マグニートー』っつうプロキシさ。磁力をコントロールするんだってよ。
俺っちも聞きかじりだし、具体的にどんなコトがやれんのかは、全然知らね〜んだけどさ」と解を示した。
 ようやくルディアたちに追いついたフィーナとタスクも、上空にて発生する陽炎のような現象には、
類例に漏れず瞠目させられているのだ。

「初めて聞くプロキシです。あ、いえ、見るのだって初めてですけど」
「わたくしも全てのCUBEを見知っているわけではありませんが、物の本には磁力操作のプロキシなど載ってはおりませんでした。
希少なCUBEにはプログラムされているのかも知れませんが……」
「フィーちゃんもタスクちゃんも勉強熱心で結構ケッコ〜。マグニートーっつーのは、プロキシの中でも特に高度なヤツらしくてね。
CUBEみたいなレプリカには再現できねぇんだそ〜だ。これもうちのババァの受け売りだけどな」
「等級が決まっていると言うことも初耳でございます。わたくし、自分の不勉強が恥ずかしくてなりません」 
「厳密には何がどう違うんか、俺っちも知らね〜けどね。神人サマからお借りしたありがたいパワーの制御ってのが、
他のモンより複雑なんだってのは、さっき聴かしてもらったよ」
「さっきって……。思いっきり聞きかじりじゃないですかっ。すっごい詳しそうにしてたくせに!」
「だ〜か〜ら、ババァの受け売りだって最初に言ったじゃんよ。俺っちは嘘なんかついてませ〜ん」
「嘘じゃなくても、知ったかぶりはウザいったらありゃしないの。ヒューちゃん、やっぱしダサダサなの」
「コカッ!」
「ヒュー様はやり方が巧妙ですね。あのように訳知り顔で説明を切り出されたなら、
誰だってその筋に詳しいものと信じ込んでしまいます。刷り込みと言うのは、詐欺の常套手段ですよ」
「レイチェルさんに言いつけてあげよ。チヤホヤされたくて奥さんの説明をパクッてましたよって」
「おうおう、早くも始まりやがったな、ここぞとばかりの女子の結束力! なんだか身に覚えのねぇ尾ひれまでついちゃってるぞ!? 
おっさん、肩身が狭くてかなわね〜や!」
「……ヒューちゃんね、言葉はね、ちゃんと使うべきなの。ギャル? ガール? 
今ここで女子って呼べるのは、ルディアとフィーちゃんとムルグちゃんだけなの」
「も、もうよろしいではございませんか、年齢(そのテ)のお話はっ!」

 『マグニートー』なるプロキシについて、自身の知る限りをフィーナたちに語って聞かせたヒューの視線は、
いつしかマコシカの民が集まる第五海音丸の舳先――つまり、カタールのトラウムを勇敢に構えるレイチェルへと向かっていた。
 上空の怪異を見た上での自然な流れと言うべきか、そこはルディアが内情を窺おうとしていたのと同じ場所である。

 舳先の一角では、ホゥリーやラドクリフと言ったマコシカの術師隊員たちがそれぞれ歌舞を奉じ、神人からその力を授かっている。
 狭い空間内でよくぞまとまっていると感心してしまうのだが、プロキシの発動に必要とは言え一斉に歌や舞を執り行う様は、
さながら合唱団、劇団のように賑々しく、華やかだ。
 彼らは神人から授かった神通力(チカラ)をそっくりそのままレイチェルへと転送しており、
自分から何らかのプロキシを使おうとする人間はどこにも見られなかった。
 このようにして複数名からエネルギーの供給を受けて自身が発動するプロキシの効果・威力を増幅させる技術のことを、
ヒューは『アルカンシエル』と伝え聞いた通りに説明した。
 ヒューが伝え聞いたところによると、アルカンシエルそのものはプロキシではなく、
マコシカの民の間で古くから継承されている技法の一つで、その性質は“術”ではなく“技”に該当するものであるようだ。

「あ〜やってパワーアップしたプロキシは、なんか頭にエストって付けるらしいんだよ。
今回のコレは、だから『エスト・マグニートー』って呼ぶんだろうな」
「ほっほぅ、またまたありがちなの。マコシカのみなさんってば、いろいろと王道パターンなのね。
オーケー、オーケー! ルディア的にはめちゃ燃えなの! これ、お約束のお約束たるゆえんなの!」
「そ、そう言うものなのでしょうか? わたくしには霊験あらたかなお話としか思えないのですが……」
「ああ、ルディアちゃんが言ってるのは、漫画やゲームによくある展開ってことなんですよ。
タスクさんは無縁かな? そう言うトコに出てくる必殺技とか魔法ってね、
パワーアップすると、超とかハイパーとか名前もちょっと一工夫で」
「コカカッカコ! コケッコケ! ケコォォォーコッココォッ!」
「ちなみにムルグは、本気出すとワンダフリャムルグになるって言ってます。
大気圏から急降下してもへっちゃらなんですよ」
「コケッ!」
「ご芳名よりも大気圏急降下のほうが気になるのですがっ!」

 数多の魔術師――マコシカでは、レイライナーあるいはレイライネスと呼ばれる――から発せられた膨大なエネルギーは、
やがて彼らの中心にてジャマダハルのトラウム、グロリアス・キャンデレブラムを構えるレイチェルの身の裡へ向かっていく。
 青、赤、黄色…と、各人から転送されるエネルギーは、いずれも美しく鮮やかな光彩を放っており、
ホゥリーは藍を、ラドクリフは青の光線をそれぞれ担っていた。
 レイチェルを受け皿にして収束された色取り取りの光線は、
高山に掛かる群雲が頂上目指して駆け上っていくかのようにグロリアス・キャンデレブラムの刀身へと移ろい、
遂には剣先にて神々しい虹を織り上げた。

 仲間たちから送られてきたエネルギーを集め、束ねるアンテナがレイチェルだとするならば、
さしずめグロリアス・キャンデレブラムは、アルカンシエルによって強化されたマグニートーのプロキシを外の世界へ放射し、
拡散させるジェネレーターと言ったところであろう。

 オーケストラのコンダクターがタクトを振るうかの如く軽やかにグロリアス・キャンデレブラムの白刃を翻すと、
その度に第五海音丸の上空へ陽炎が立つ。ルディアの興奮を駆り立てる不可思議な陽炎が。
 前方から降り注ぐ火の矢もこの陽炎に幻惑でもされたかのように本来の軌道を歪めてしまうのだが、
これはつまり、磁力に作用するプロキシでもって敵弾を遠隔操作していると言う次第である。
幻惑どころか、完全に物理的現象であった。
 ヒューに言わせれば、マグニートーと言うプロキシも、アルカンシエルと呼ばれる伝承の奥義も、
いずれも余人には理解の及ばぬ複雑な成り立ちを持っているようなのだが、
鉄の塊とも言うべき火の矢を磁力でもって強引にねじ伏せたと言う事実は、
そこだけ抜粋して考えるならば、カラクリは至ってシンプルで、力技と呼んでしまっても差し支えあるまい。
 剣閃が指し示す方向へ強制的に落下させられていく砲弾は、
成る程、これを撃発した側の目には「見えざる手によって振り払われている」と映るのかも知れない。
 第五海音丸の上空に発生する陽炎も、グロリアス・キャンデレブラムに宿る虹も、
どちらも彼らの位置からは僅かとて視認できないものなのだ。

 敵地へ上陸する前から砲弾の洗礼に見舞われ、
ダメージが蓄積されることを避けたいと言うアルフレッドの意向を受けたレイチェルが、
守孝や源八郎からヒアリングした海戦時の航行を踏まえて捻り出した妙案こそが、
アルカンシエルとマグニートーの併用による防御法なのである。


 超常現象としか言いようのない事態に直面し、ほんの一瞬であるが、敵艦は射撃を中断した。
それはそうだろう。第五海音丸とこれを先頭にする“魚群”は、得体の知れない化け物と見なされているに違いない。
 射撃の中断を敵艦橋の狼狽と見て取ったアルフレッドは、「やはりな。奴らの射撃はズブの素人だ。
テロリスト風情に軍艦の操縦など出来るものか」と侮辱を吐き捨てた。
 それからすぐに巡洋艦は発砲を再開したものの、レイチェルによって制御された極大範囲のマグニートーは
なおも砲弾の脅威から自軍を守り続け、これに気圧されたのか、少しずつ敵の砲撃も精彩を欠くようになった。
 発砲の間隔も開き始め、第五海音丸が懐へ潜り込むか否かの距離にまで接近する頃には、
殆ど試射に近いような状態に陥っていた。最早、恐る恐る砲弾を撃つことしか出来なくなっていると言うことだ。

 敵艦の狼狽と、第五海音丸との距離及び位置関係を確認した守孝は、
目配せでもってアルフレッドと源八郎に伺いを立てると、彼らの首肯をもって操舵手に『取り舵』を命じた。
 取り舵の号令は、つまり第五海音丸ひいては前衛の進路を左方へ取ると言うことである。

 号令に応じて船首が左方へ転じた瞬間、甲板は一気に沸騰した。

「方々、これよりは大戦(おおいくさ)にござるッ! 今こそ磨いてきた技と術を存分に馳走せんッ!」

 守孝の発した鼓舞に呼応して喊声が轟いたことからも察せられる通り、総員の闘志は最高潮にまで昂ぶっていた。
 舳先にて敵艦を睨み据えていたアルフレッドも、反射的にリボルバー拳銃のトラウムを具現化させたフィーナも、
踏ん張りを利かせてバランスを維持しつつ、抜き放ったブロードソードを高く掲げたシェインも――
誰一人欠けることなく裂帛の気合いを張り上げている。
 喊声は海原を震わせるほどに大きい。第五海音丸だけでなく後続する各船でも動揺の雄叫びが上がっているのだろう。
取り舵の伝達は、既に全ての船を駆け巡っている。

 ヒューの肩から降りて大人たちを真似ていたルディアは、甲板の端にて所在なげに佇んでいた撫子のもとへ駆け寄ると、
露骨に顔を顰めた彼女の手を掴み、「腹から声を出すのっ! ナデちゃんのお腹なら、誰より大きな声を出せるハズなの!」と
皆に共鳴するようにこやかに促した。
 ルディアの呼び掛けに応じたのか、それとも別に意図があったのかは定かではないものの、
最後の一人までもが怒号めいた吠え声を上げ、これによって更なる推力を得たかのように
第五海音丸は左方へと急進していく。

 ひたすら左方へ舵を取り続けた場合、必然的に船はカーブを描きながら急速に旋回する。
 だが、これは単なる急旋回ではない。反転の後に更に右方へ舵を切ると、
前衛の船団はL字に軌跡を描く形となるのだが、こうして横一列に広がった陣形を長城の如き壁に見立て、
敵艦の直進を遮断しようと言うのが第五海音丸の、いや、アルフレッドの狙いであった。
 自軍が横の一文字、敵艦が縦の一文字――アルフレッドは海上にTの字を描こうとしていた。

 ――世に言う『東郷ターン』である。

 依然として直進を続ける後衛から遊離するような恰好でカーブを描き始めた第五海音丸と前衛の船団には、
減速の影響によって遥か遠方を航行していた筈の中衛が接近しつつあった。
 旋回して逆戻りを試みる前衛に対し、一度きりの減速以降、
加速を図って直進し続けていた中衛は一気に距離を詰めることになる。
 程なくして第五海音丸がカーブを描く地点――回頭点とも呼ばれる――にまで追いついた星勢号は、
やおら船端に据え付けられた主砲を巡洋艦へと向けた。
 この海戦に於ける初めての臨戦態勢である。
 星勢号の甲板では砲撃手たちが主砲たる二百ミリ砲にへばり付き、攻撃開始の合図に備えていた。

「大回頭の成否は俺たちの頑張り如何で決まるッ! みんな、死ぬ気で行くぞッ!?」

 今まさに前衛部隊を追い越そうとする星勢号の船上にて守孝に勝るとも劣らない大音声を張り上げたのは、
彼のことを師匠と仰ぐ源少七だ。
 死力を尽くして戦うと言う吼え声に対して「応ッ!」と威勢よく拳を天に突き上げた星勢号の乗員たちは、
第五海音丸に詰めた面々と同じか、あるいはそれ以上に闘志を燃やしている。

 我が子や仲間たちの熱気に呼応したのであろうか、双眼鏡を使って敵艦を観察していた源八郎は、
一瞬だけ双眸を鷹のように鋭く細めると、次いで無線を相手に「中衛第一、七千二百ッ!」と怒号さながらの大声を叩き付けた。
 源八郎から入電を受けた星勢号の甲板では、この「七千二百」と言う数値が何度も繰り返し唱えられ、
その内のひとりは手持ちの黒板へ同様の数字を書き込み、砲撃手へと掲げて見せている。
 ある特定の数値が壊れたように幾度となく繰り返される中で調整された主砲予測飛距離は、
七千二百メートルの地点を示していた。

 源八郎が無線に向かって吼えた数値とは、味方の船の主砲が最大のダメージを与えられるだろう射程距離だったのだ。
 作戦を主導するアルフレッド、守孝の傍らに立った源八郎は、
あらゆる材料から敵艦と自軍の船との位置関係などを詳細に分析し、これに基づいて着弾地点を割り出していった。
 それが星勢号の場合は、七千二百メートルだったと言う次第である。
 しかし、源八郎が現在搭乗しているのは第五海音丸であって星勢号ではない。
先述したように自身の船の舵は愛息の源少七に委ねてある。
 驚くべきことに源八郎は別の船に乗り込みながら星勢号にとって最も有効な射程距離を割り出したのだった。
 前衛の要とも言うべき“旗艦”、第五海音丸と、中衛を担う星勢号との間には相当な距離がある。
こうした条件下で自身が乗り込んだものと別の船の射程距離を測定するなど普通に考えれば不可能であろう。
 ところが、源八郎は言いよどむことさえなく他船の有効射程距離を割り出しており、
そのいずれもが誰に疑われることもなく、絶対の信頼と共に受け止められている。
 しかも、源八郎は「中衛第二、八千。中衛第三、八千五百……」と、
星勢号に後続する中衛の各船艇にも同様の指示を打電していた。
おそらくは全ての船艇に有効な射程距離を伝達することだろう。

 源八郎の声が轟く中、第五海音丸は最後のカーブへと差し掛かりつつある…が、
ここで一つの誤算が生じた。
 横長の壁を作ろうとするこちらの意図を巡洋艦の側も見抜いたらしく、
進路が押さえられる事態を回避すべく右方へと舵を切ったのである。
 インプットされたプログラムを外れることのできない機械が相手ではないのだから
裏を掻かれるような状況は、当然ながら想定の範囲内だ。
 問題は、企図した布陣の乱れとは別のところにあった。

「アルフレッド殿、些か不味いことになり申した。それがし、敵の軍艦を侮ってござった。
あの速度、尋常ではござらん。このまま取り返しがつかねば、東郷ターンも失敗でござる」

 回避に転じた以上、敵艦が全速急進を行うのは当然のことであったが、
面舵を切る巡洋艦の速度は、会敵以来の観察をもとに立てた予想を大きく上回っていたのだ。
 守孝の言うように佐志の武装漁船では敵艦の横っ腹につけるのが限界で、
エンジンが焼き切れる寸前まで速度を上げても正面へ回り込むのは不可能だった。
 最悪の場合、敵艦を取り逃がすことにもなると守孝は危惧していた。

「ちょ、ちょっとちょっと……、なんか雲行き怪しくなって来たんじゃない? 鮫の餌になるのは堪忍だよぉ」

 守孝から寄せられた報告にネイサンは冷や汗を垂らした。
 今のところはレイチェルたちの活躍で砲火を浴びずに済んでいるが、
撃沈に失敗して取り逃そうものなら確実に体勢を立て直されるだろうし、
そうなった場合は攻守がどう転ぶか知れたものではない。
 困ったように頭を掻きつつ、傍らに立つアルフレッドの様子を窺うネイサンだったが、
作戦の立案者は、にわかに訪れた戦況の悪化へ動じる素振りすら見せず、
「振り切られることはないのだろう? 追いつければ十分だ。敵の腹は逃していない」と言い切った。
 大局が左右されるような事態ではないと言い切ったのである。

 余裕すら滲ませる揺るぎない言行は、ネイサンの目には楽天的に過ぎるものと映ったようだが、
そこに秘められた真意を悟った守孝は、呆れるどころか、奮い立つように口の端を吊り上げた。
 闘争心が煽られたのだろう。頬の肉も小刻みに躍動している。

「――T字戦法を別の形に変更する。これより前衛は敵の左舷を押さえ、横腹を撃つ。
中衛は当初の予定通りに作戦を実行しろ」

 ヘッドフォン型の無線機を使って前衛及び中衛に作戦内容の変更を通達したアルフレッドに対し、
守孝は「承知ッ!」と喊声を上げて応じた。

 つまるところ、第五海音丸は海上に描く軌跡をL字からU字に切り替えた。
 正面から敵艦が接近しているこの状況に於いては、Uターンによって逆戻りを行った場合、
同じ方角に航路を取る相手の横っ腹へ滑り込む形となるのだ。
 海上でのこの布陣図は、ギルガメシュが駆る巡洋艦の側からすれば必然的に左舷を押さえられてしまう為、
航行に支障を来し、第五海音丸及び前衛の船団を振り切ることも困難になる。
真横にて航路をマークされている以上、全速力を駆使したとしてもいずれは追いつかれると言う状況だった。
 例え正面を押さえられなくとも決して逃さず、どこまでも食らいついていこうと言うのだ。
 巡洋艦の側も搭載した攻撃力を十分に発揮出来る状況であったなら何の問題はないのだが、
実質的に一切の砲撃を無効化された今は、丸腰のまま激戦地帯を散歩しているようなものである。
 このようにして絶対的に有利な状況を作り出すべく、アルフレッドは陣形の切り替えを指示したと言うわけである。
彼が奥義とする『三陣』で言うところの『地の利』を得る為の計略であった。
 最大の難点は、ターンの最中に最終的な進路を切り替えることだが、
守孝の指示のもと、前衛の各船はこれを容易くやってのけた。
 佐志ならでは――と言うよりも、彼ら海の勇士にしか達成し得ない神業である。

 佐志の戦士たちもさることながら、不利に傾きつつあった戦況を
ほんの一瞬でひっくり返したアルフレッドの采配にネイサンは改めて脱帽し、
「ヒューさんのことを海軍とか呼んでるけど、君こそ海戦が専門なんじゃないの?」と感嘆の溜め息を吐いた。

「……言っている意味がわからないが」
「智略って言うのかな。アルの作戦はもう何度も見てきたけど、コレだけ異様にスケールが大きいじゃん。
海軍的な訓練を受けてたのかなーって思ってさ」
「たまたまここまで規模の大きな戦争がなかっただけだ。それに海軍、陸軍などと専門を分けていない。
アカデミーでは、分野問わずありとあらゆる戦略、戦術を叩き込まれたからな」
「……マジ? どーゆースパルタ教育なの、それ。僕も詳しいほうじゃないから何とも言えないけど、
そう言うのって、陸なら陸、海なら海ってカンジで専門を決めて勉強するもんじゃないの?」
「どんな局面でも使い物になる人材を育てたかったのだろうな」
「ンな他人事みたいに……」

 感心と呆れを綯い交ぜにしたような表情(かお)でネイサンが頬を掻いている間にも、
第五海音丸はみるみる敵艦へ接近しつつある。
 タイミングを計るようにして航路へ目を光らせていた守孝も、敵艦の横っ腹を捉える頃合になると、
いよいよ砲撃手たちに向かって攻撃の準備を指示し始めた。
 すっかり砲撃手のリーダー格に収まった感のあるハーヴェストが「今こそ裁きの鉄槌を振り下ろすときだッ!」と気勢を上げ、
これを耳にしたアルフレッドは一瞬だけ瞑目し、ヘッドフォン型の無線機を右の指先でもって撫でた。

「――権田源少七、聞こえるか。……中衛の射撃を開始しろ」

 真紅の瞳が再び海と敵艦とを捉えたとき、中衛に攻撃命令が下された。
 開戦の指示にしてはいやに静かな、それこそ血の気と言うものを感じさせない冷厳な声であった。 


 完全に回頭点へ至り、前衛をすり抜けるようにして更なる直進を続ける中衛の各艇は、
攻撃開始の命令を受けて沸き立ち、持ち得る限りの火力を敵の巡洋艦に向けて一斉に発射した。
 試射を挟まず、初手から威力攻撃を仕掛けようと言うのだ。
 東郷ターンを行う各艇の間隙を縫うようにして中衛から放たれた赤熱の砲弾は、
これを見守る人々の前でギルガメシュが駆る巡洋艦の後方に着弾し、そこに凄まじい爆風を起こした。

「ギギギィィィギィィィイィィィギギギ――これよ、これェッ! こーゆーのを俺ぁ待ってたんだよぉゥッ!! 
鉄板だろ、なァ、今もうアッチのお軍艦(ふね)は鉄板だろぉッ!? ジュージューってよぉ、クソどもが丸焼きにされてんだぜぇッ!? 
――ステーキッ!? ギギギギギギ……、ハンバーグも大好物だが、ステーキだって嫌いじゃないさァッ!!」

 激烈な火花を伴う黒煙を見て攻撃本能を刺激されたのか、ルディアの手を振り払って船端に駆け寄った撫子は、
またしても無粋な高笑いを上げた。
 撫子のような不気味なものではないにしろ、第五海音丸に乗り込んだ面々も着弾を確かめた直後には雄叫びを発しており、
第二、第三弾と中衛の射撃が敵艦を揺るがす度、その昂ぶりは野蛮なほどに増していく。
 戦闘能力、技術力の両面で歴然とした差のある巡洋艦へ強撃を見舞うことに成功したのだから
甲板が喜色に染まるのは当然であり、これこそが戦争と言うものだと理屈では解っているのだが、
それでもフィーナは胸の痛みを抑えることが出来なかった。
 抗い難い複雑な心境で海戦の情勢を見守るフィーナであるが、
そんな彼女を甘いとでも嘲笑うかのように砲弾の雨霰は容赦なく敵艦を破壊し、
火柱と黒煙を逆巻かせた。

 中衛各艇の砲門は、いずれも同じ箇所を集中的に狙撃している。
暴風雨としか言いようがない程の砲火に晒されているのは、巡洋艦の後方に確認できるドーム状の設備であった。
 これはレーダー塔と呼ばれる施設である。ドーム状の防壁内に積載された装備でもって敵艦の距離を測り、
併せて艦砲射撃の管制をも行っているのだ。

 言ってみれば、軍艦に於ける“目”に相当する部位。大型であるが故に機械による管理が中心となる軍艦では
視認にて索敵や射撃を行うことは極めて少なく、即ちここを潰された場合、光を失うのに等しい事態へ陥るのである。

「あーゆーシステムは俺っちもさんざん使ったけどよ、便利だっつって頼りきりになるのも問題なんだよな」

 真剣な眼差しで砲撃の行方を見守るムルグに向かってヒューがそう声を掛けた。

「レーダーってのは敵の位置を逸早く調べることができる。射撃管制装置ってのは百発百中で敵を狙撃できる。
すっげー便利だべ? 源さんやお孝さんみてーな修業を積んでいなくたって、機械に慣れさえすりゃ達人になれるんだからよ。
それこそボタン一つでな。……いや、完璧な操作へ行き着くのにも、そりゃ練習は要るけどよ」
「コカ、コカココ?」
「でもな、人間、最後に頼らなきゃなんねーのは手前ェ自身ってワケさ。
どんだけ便利な機械だって、ブッ壊れちまったらそこでお終いよ。
優れたテクノロジーへおんぶにだっこってヤツに限って、そうなったときにてんてこ舞い。
そりゃそうだわな。達人から急にズブの素人へ逆戻りなんだもんよ」
「コォォォォ……」
「アルもいいところに目ぇつけたもんだぜ。あいつめ、ヤツらになくて俺っちらにあるもんをバッチリ使いこなしやがった」
「コ……ッ、カッ!」
「ははは――ま、お前さんにはアルのお手柄なんて面白くねぇ話かもしれねぇがな」

 レーダー自体がBのエンディニオンではあまり普及していない。
 魚群探知機と言う形で佐志の船艇にも設置はされているが、やはり索敵を行う類の物はなく、
先進的な技術を誇るAのエンディニオンならではの装備と言えよう。
ましてや艦砲の管理を担う射撃管制装置など見たことも聞いたこともない。
 アカデミーにて学んだ過去の戦史から敵艦がレーダーを積載していることを予想したアルフレッドは、
技術力の格差を逆手に取り、初撃で敵艦の“目”を潰してしまおうと一計を案じたのだ。
 レーダーと射撃管制装置を破壊してしまえば、敵は丸裸も同然。
視認による射撃に於いて、どちらの側に勝利の天秤が傾くのかは、改めて論じるまでもなかった。

 この作戦の要は、海戦に長じた佐志の戦士たちである。
 源八郎が割り出した予想射程距離は初撃を行う時点のものであり、直進を続けながら発砲を行う以上、
修正が必要不可欠となるのだが、このような状況にも佐志の戦士たちはフレキシブルに対応し、
海図を俯瞰でもしているかのような正確さで敵艦後方に火の矢を浴びせかけていく。


 ギルガメシュが操る巡洋艦も一方的に射撃の的になっているわけではない。
前衛が東郷ターンを開始して以来、再び激しい砲撃を繰り出すようになっていた。
 左舷を押さえられることは圧倒的な不利を招く為、
これを回避するには是が非でも第五海音丸を撃沈せしめる必要があるのだ。
 旋回中の船はバランスの制御として一時的に減速を行う。それ故に狙撃を被り易く、格好の的になり兼ねなかった。
 しかも、だ。減速しているとは言え、甲板へ圧し掛かる負荷は依然として大きく、
Uターンに伴う遠心力までこれに加わるので気を引き締めていないとあっという間に船外へ投げ出されてしまう。
 敵前でUターンを行うと言うことは、このような危機的状況へ身を晒すのと同義であった。
 時間差までつけて交わる距離を調整し、東郷ターンの最中に中衛の砲撃を実施したのには、
様々な危険から前衛を守る“防ぎ矢”の意味もあったわけである。

 エスト・マグニートーによる磁力の防御は今なお第五海音丸を守護し、その有効範囲は前衛各艇にも及んでいるようだ。
巡洋艦から降り注ぐ砲弾は、どれだけ激しさを増しても水柱を立てることしか出来ずにいる。
 実は前衛各艇には複数名の術士隊員が乗り込んでおり、第五海音丸のレイチェルを基軸にマコシカの魔術師総員でもって
一種の結界を張っているのだ。これを破らない限り、巡洋艦の砲弾が前衛に直撃することは有り得なかった。

「――もうひと踏ん張りだよッ! マコシカ魂を見せてやろうじゃないのさッ!」

 疲弊の色が見え始めた仲間たちを励ますようにレイチェルが声を張り上げたそのとき、
第五海音丸の右舷近くに大きな水柱が立った。
 そこはラドクリフが立つ位置から極めて近く、不意打ち気味に横殴りの鉄砲水を浴びることとなった彼は、
続けざまに襲ってきた一際大きな振動によって完全に足を滑らせてしまった。

「ラド――ッ!」

 大きな負荷が掛かるこの状況でバランスを崩してしまった場合、そのまま海原へ真っ逆様に転落する可能性がある。
甲板には滑り止めとして砂が撒かれているものの、船体が傾ぐ程の動揺や横殴りに吹き付ける海水の前には無力と言うものだ。
 弟子が海水の洗礼を浴びる様を間近で見ていたホゥリーは、プロキシの継続も忘れて手を差し伸べようとしたのだが、
その動きは腕を前に突き出すか否かのところで止まってしまった。
 正確には、彼が手を差し伸べる必要がなくなったと言うべきかも知れない。

「……ボクもお前のことが少しわかってきたよ。目の前のコトに集中し過ぎて、足元がお留守になるよな」
「シェイン…くんっ!」
「ったく、あぶなっかしくって見てらんないぜ!」

 ――シェインだ。
 全速力で滑り込んできたシェインが自分の身をクッション代わりにしてラドクリフを受け止め、
間一髪のところで船外へ放り出されると言う最悪のシナリオを回避させたのである。
 練習を重ねた成果か、それともラドクリフの窮地に身体能力が覚醒したのか、
激しく動揺する甲板を渡り歩く為の重心の制御も体得出来たようだ。
 鞘に納めたブロードソードを支えに用いていることから察するに完全にマスターしたとは言い難い様子だが、
こうしてラドクリフを救えたのだから十分な成果と言えるだろう。
 ホゥリーもレイチェルも、この筋運びには安堵の溜め息を吐いた。
 十中八九、最悪のシナリオになると予想していたふたりにとって、
シェインが飛び込んできてくれたことは思わぬ僥倖であったのだ。

「ボーイのセイる通りだネ。シーのウォーターがヒットしただけでフライングするなんてトレーニングがアウチな証拠だヨ。
ザットなスィーツ加減で、よくまぁトゥデイまでリブできたもんだ。ボキにトークさせれば、今のは自業自得ってヤツだネ」
「かわいくね〜ことを言う割りには、お前、顔が真っ青じゃないか。そんなにラドのことが心配だったのかよ?」
「はァん!? チミ、アイがバッド!? ボキのフェイスがどうブルーだってェ!? ビッグなワークの後でホットなんだよ、ボキは! 
ブルーはダウト、レッドじゃナッシングッ!?」
「あんた、自分の顔色を鏡で見てから言いなさいよ。なんなら、あたしのコンパクトを貸そうか? 
上から下まで真っ青になってんじゃないの。ホンット、ラドのことになると目の色変わるんだから」
「しゅ、酋長まで何をフールなことをぶっこいてッ! とうとうブレインがパンクしちゃったのかい!? 
前々から兆候はあったけど、こりゃスクラップとイーブンだヨッ!」
「……よーし、コレ終わったら生まれてきたことを後悔させてやるから。首洗って待ってなさいよ」
「酋長に失礼なことを言っちゃダメですよ、お師匠様。それにシェインくんにも。シェインくんはぼくの命の恩人なんですからっ」
「ンな大袈裟に言わなくたっていいって。困ったときや危ないときに助け合うのが、その、……友達ってヤツだろ」
「ケッ――ヒップのブルーなボーイのクセして、やけにキザな台詞をキメるじゃナッシングぅ? 
そーゆーセリフをキメるには、身長がもうあと五十センチは足りナッシングだネ。
リトルなナリでやられたってギャグだよ、ギャグ」
「……よーし、コレ終わったら、絶対ぶっ飛ばしてやるからな。首洗って待っていやがれよ」
「あら、気が合うわね。なんならふたりで一緒にやっちゃおうか、こいつ」
「じゃあ、ボクが背中で、レイチェルがどてっ腹な。これ以上、顔をグシャグシャにしちまったら、
マジで見てらんなくなるし、とりあえずボディを狙うってコトで」
「なかなか通じゃない、シェインも。豚肉を叩いて調理するのとおんなじね!」
「もうっ、シェインくんも酋長もっ! 寝冷えして痛めちゃうくらいデリケートなんですから、
お師匠様のお腹は大事にしてあげてくださいっ」
「ユーもユーでワン言多いんだヨっ!」

 エスト・マグニートーを維持しながら器用に軽口を叩くレイチェルはともかく――
ホゥリーが叩く数々の憎まれ口は、今となっては素の表情(かお)を晒してしまったことへの照れ隠しでしかなかった。


 そんなシェインたちのやり取りを遠巻きに眺めていたタスクは、
ふとあることに気が付いてエプロンからポケットティッシュを取り出した。
 今もまだシェインはラドクリフを胸の中に抱いたままである。その体勢から一つの結論に至った彼女は、
次に予想される出来事へ備えようとしているのだ。
いい加減、フィーナの奇癖にも慣れてきたタスクには、このようなシチュエーションを目の当たりにした彼女が、
……否、彼女の鼻の粘膜がどのような過剰反応を見せるかも解っている。
 傍目には謎としか思えない行動を間近で見ていたルディアは「それなに? なんなの? 何かのおまじない?」と首を傾げているが、
タスクは無言でティッシュを丸め続けた。これを使うタイミングは、そう遠くない筈である。

「フィーナ様――」

 奇癖に慣れはしたものの、やはり心理的な抵抗は否めず、恐る恐るフィーナの様子を窺うタスクであったが、
意外にも彼女は一滴たりとも鼻血を垂らしてはおらず、それどころか、神妙な面立ちでシェインとラドクリフを見守っているではないか。

「ねえねえ、フィーちゃんはどうして黙りこくっ――」
「――なりませんよ、ルディア様」

 余人には立ち入れないコト――おそらくグリーニャで生まれ育った人間にしかわからないコト――を
フィーナの表情(かお)から感じ取ったタスクは、横槍を入れ兼ねないルディアの口を両手で塞ぎ、
その小さな耳元へ「本当のヒーローは、こう言うときに黙って見守るものです」と言い諭した。

 「足元のことは気にしなくていいぜ。何度だってボクが庇ってやるさ」と言ってラドクリフの肩を叩くシェインと、
そんな彼を見守るフィーナの真剣な眼差し、そして、タスクから言われたことを自分なりに咀嚼したルディアが
チャックでもするかのようなゼスチャーで口を閉じたのは、源八郎が一層大きな声を張り上げたのと殆ど同時である。

「前衛第一、距離は四千三百ッ! 誤差はおよそ五十ッ!」

 『前衛第一』――源八郎が口にしたのは、この第五海音丸の有効射程範囲である。

「来たで、来たで来たで来たでェッ! いざ大海戦やぁッ!!」

 仲間たちの様子を確かめようと甲板を回っていたローガンは、
源八郎の口から「四千三百」と言う予測が飛び出した瞬間、大急ぎ且つ大騒ぎしながら舳先に駆け戻ってきた。
 その道程にてローガンは砲撃手たちを目端に捉えたのだが、今や砲撃の準備は万端に整っており、
今や攻撃命令を待つのみとなっていた。

「……アルちゃん……」

 不安げに胸元で拳を握り締めるマリスの声は、最早、アルフレッドの耳には入っていないのだろう。
 第五海音丸の船長である守孝に目配せを送ったアルフレッドは、自分を勇気付けるよう大きく頷いてくれた守孝を暫し見つめ、
次いで右腕を天に翳すと、これを勢いよく振り下ろした。

「――前衛、射撃を開始しろ。……首を奪(と)れッ!」

 アルフレッドの号令を受け、第五海音丸を筆頭にする前衛の船団が砲撃を開始したのは、
東郷ターンが最終コーナーへ入った機(とき)であった。




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