8.大海戦 海戦に当たって旋回の最中に艦砲射撃を実施することは、まず有り得ないと言っても良い。 発砲するだけならば出来なくもないのだが、Uターンと言う航行の性質上、敵艦への照準が絶望的に定まらず、 また遠心力と言った負荷が大きく影響する為に『狙撃』が殆ど不可能なのだ。 下手な鉄砲でも数を撃てば当たると言う諺もあるにはあるが、それは実際の戦場では滅多には通用しない。 無駄弾を撃ったところで何ら利にならず、かえって敵の有利を招き兼ねないことは最初からしないに限ると言うわけだ。 そのような鉄則があるにも関わらず、アルフレッドは敵巡洋艦への攻撃開始を指示し、 源八郎もまた後続する前衛各艇の予想有効射撃範囲を打電し続けている。 現在も第五海音丸は最終コーナーの半ばにあり、直進状態とは程遠い。 常識の範疇で判断を下すのであれば、現時点での射撃は「下手な鉄砲」以外の何物でもなかった。 これまで完璧に近い戦術を立ててきたアルフレッドが初歩的な欠陥を見落とす筈もないのだが、 彼は射撃の中止を命じることはなく、腕組みしたまま東郷ターン――敵前回頭の完了を待つばかり。 気早にも次なる一手を頭の中で案じている様子である。 シェインへ気を配りつつ舳先にやって来たフィーナではあるが、 一際険しい面持ちのアルフレッドに声を掛けることが憚られ、 彼より少しばかり離れた位置に控えていたマリスに戦況(こと)の成り行きを尋ねた。 軍事的な知識に乏しいフィーナにとっては、内心に複雑なものがあるにせよ、 アカデミーを卒業したマリス以外にこのようなことを尋ねられる相手がいないのだ。 「タスクは、……そうでしたね、今はルディアちゃんのお世話を――」 「タスクさんにもT字戦法のことは聴いたんですけど、私じゃよくわかんなくて……。 それにタスクさんに聴いたT字戦法と、アルが考えたT字戦法は少し違うみたいだし、 だったらマリスさんに聞くのがやっぱり一番かなって」 「それは、まあ、そうですわね……」 「情けない話ですけど、今、何がどうなっているのか、私にはさっぱりで……」 「わたくしも専攻が違いましたから、全部を把握しているのではありませんが――」 思いがけない相手から頼りにされて僅かに心臓の跳ねたマリスであったが、その狼狽を隠すようにして一呼吸を置き、 やがて現在の戦況について自分の知り得ることを説明し始めた。 マリスが見せた不自然な一拍を、フィーナは情報を整理する為の“間”であると好意的に解釈したようだが、 実際にはもっと複雑で、……歪な感情(おもい)がそこには働いている。 本音を言えば、距離を置きたい相手ではあるのだ……が、しかし、自分の拙い説明へ熱心に頷いてくれるフィーナのことを マリスはどうしても無碍には出来なかった。 アルフレッドの『妹』と言うことを抜きにしても、彼女からの問いかけに応じず、蔑ろにしてしまうことには躊躇を禁じ得ないのだ。 「――ギルガメシュの軍艦のレーダー塔を先に叩いたことはご存知でしょうか?」 「えと、……すみません。レーダーがまずわかんないです……」 「噛み砕いて説明すると、わたくしたちの船の位置を調べたりする機械のことですわ。悪魔の邪眼とでも言うべきかしら……。 ギルガメシュの軍艦はこの邪眼を使って、わたくしたちを狙っていたのです」 「神話に出てくるモンスターみたいに睨んだ相手を石像に――ってワケじゃないですよね」 「も、申し訳ありません、……千里眼と言ったほうがわかりやすかったかも知れませんわ」 「あ、それならわかる、わかる。そっか、レーダーってめちゃくちゃ怖いものなんですね……!」 「レーダー塔には他にも厄介な装備が積まれていたようなのですけど、敵の軍艦よりもアルちゃんの千里眼は一枚上手。 隼のような素早さで敵の“目”を討ち取ったのです。レーダー塔は砲撃の精度も司っているそうなので、 “目”でありながら“脳”のような働きがあったとも言えますわ」 「相手の武器を奪ってから全力で攻撃するってことかぁ。……いかにも狡賢いアルらしいなぁ、ソレ」 「まあ、フィーナさんたら――」 二律背反する不可思議な気持ちを持て余しながら説明を続けるマリスの身を激しい動揺が襲った。 この場合の動揺とは、心理的なものではなく物理的な衝撃のほうである。 マコシカの術士隊が展開させた磁力の防壁に弾かれ、海面を抉った敵弾がまたしても大きな水柱を立て、 これによって第五海音丸の船体が著しく傾いたのだ。 旋回中はバランスの制御もデリケートな状態となる為、少しの衝撃であっても船体に及ぶ影響が極端に大きくなる。 これもまた旋回中の射撃を難しくしている一因であった。 説明を行う側と受ける側――足元への意識が疎かになっていたふたりは、強い動揺によってバランスを崩してしまい、 折り重なるようにして甲板へ投げ出されてしまった。 「だ、大丈夫ですか、フィーナさんっ?」 「は、はい。なんとか、……体のほうは平気、」 「――え?」 「あっ、いえ! な、なんでもないです、ハイ……」 文字通り、互いの身を寄せ合い、支え合うフィーナとマリスへ追い討ちのように水飛沫が降り注いだ。 海水自体は先ほどから浴び続けているので、さして気に留めるまでもないのだが、 それとは別の部分でフィーナは驚愕に震わされていた。 頬に張り付いた黒いほつれ髪が艶かしいマリスの肢体へ密着する恰好となったフィーナは、 跳ね返ってくる豊満な肉感に度肝を抜かれ、次いで眼前に突きつけられた肌色の谷間に打ちのめされた。 乙女心と言うものに強烈なパンチを喰らわされたと言っても良い。 (……ルディアちゃんの気持ちがわかっちゃった自分が、悲しいやら情けないやら――いずれにしてもトホホだよぉ……) ボディアーマー越しだと言うのにマリスの備えた“武器”の自己主張は強く、 色気と言う言葉から無縁な我が身を振り返ったフィーナは、 非常時にも関わらず反射的にそんなことを考えてしまう自分が悲しかった。 「どいつもこいつも気合いが足らねぇんだよッ! とっとと立ちやがれ! さもねぇとケツ蹴り上げんぞ、オラァッ!?」 「またフッたんは冷たいコトを言いよってからに……。ダイジョブかいな? どっか痛いトコがあるんなら遠慮せんと言うんやで?」 フツノミタマからは叱咤が、ローガンからは気遣いがそれぞれ飛ばされたのだが、 ふたり分の声は後方で鳴り響いた轟音によって掻き消されてしまい、その全てがフィーナたちの耳へ届くことはなかった。 脊髄反射のように轟音のしたほうへ振り返ると、船端に在る砲撃手の周りに黒ずんだ硝煙が垂れ込めており、 彼らを鼓舞して回るハーヴェストは「今のはベストショットよ! 自信を持ちなさい! 正義あるほうに天運は味方するわ!」と 高らかに叫んでいた。 黒い硝煙と師匠の吼え声によって砲撃が実施された事実(こと)を悟ったフィーナは、すぐさまに敵の巡洋艦へと首を振り向けた。 ふたり揃って忙しいことだが、マリスもまた敵艦と第五海音丸の主砲との間で視線を行ったり来たりさせており、 落ち着いてなどいられない様子である。 「敵艦への着弾まで、およそ四十秒でござるッ!」 砲弾の飛翔を確かめた守孝が、着弾の予想時間を皆に告げる。 このときばかりは撫子を含む第五海音丸の総員が口を噤み、重苦しい沈黙の中、固唾を呑んで着弾の瞬間を待った。 待って待って、待ち続けた。 黒い硝煙が潮風に洗われ、空を切って進む独特の飛翔音がついえ、秒針の音がやけに大きく聞こえるようになり、 一際高く心臓が跳ねたとき、巡洋艦の中心に位置する鋼鉄の司令塔――所謂、艦橋(ブリッジ)が、 火の粉を舞い散らして激しく傾(かし)いだ。 「――ッしゃあ! 大当たりやぁッ!」 きっかり四十秒後に訪れた吉報に、そして、これを見て取ったローガンの吼え声に共鳴し、 アルフレッドは思わずガッツポーズを作った。 第五海音丸の行った砲撃も試射を経ない速攻だったが、狙った部位を精密に撃ち抜いていた。 源八郎が割り出した有効射程距離の予測と、これを寸分のズレもなく実施する砲撃手たちの腕は、 中衛に続いて前衛に於いても完璧だったと言うわけだ。 第五海音丸の初弾命中を合図に前衛の各艇も射撃を開始し、源八郎の打電に基づいて放たれた砲弾は、 いずれも艦橋を揺るがしていく。集中砲火の標的は、今や大破したレーダー塔から艦橋へと完全に移行していた。 なお、砲撃に用いられているのは、堅牢な装甲をも貫く徹甲弾である。 敵艦の装甲にはBのエンディニオンに現存する物より遙かに硬い材質が使われているが、 絶え間なく徹甲弾を喰らっては、ひとたまりもない。 初弾を命中させ、第二弾の砲撃を実施する頃にもなると前衛各艇は巡洋艦に対して並走する位置となり、 ここに至って敵の左舷を完全に掌握した。 つまり彼らは東郷ターンの最終コーナーを曲がり終える間際、すれ違いざまに砲撃を浴びせかけて 敵艦の司令部を脅かした次第である。 前衛の最後尾が回頭を終える頃には巡洋艦の艦橋は歪な形に拉げ、 一斉砲火によって穿たれた大穴からはモウモウと黒煙が立ち上っている。 艦内で爆発と火災が起きているのは明白であった。 船艇を旋回させている最中は、減速や遠心力による負荷、不安定なバランスなど良からぬ状況が持続的に働く為、 砲撃の実行は不可能であると誰もが思っていた。撃発したところで当たるわけがないとまで言われていた。 ところが、佐志の戦士たちはそうした物言いに少しも動じることなく奇襲を仕掛け、 ついにはこれを成功させてしまったのだ。 戦史に残る東郷ターンを紐解いても旋回の最中に砲撃を見舞った記録はなく、 アルフレッドの立てた奇襲攻撃、源八郎による有効射的距離の分析、これらを完遂した佐志の戦士の技量は、 まさしく前代未聞の偉業と言えるだろう。先に述べた三本柱なくしては絶対に成立しなかった戦術だった。 甲板を一回りしながら前衛各艇の陣形を確かめていたヒューは、舳先へ戻る道すがらハーヴェストに声を掛けたのだが、 砲撃手を差し置いて彼女が一番昂揚しており、グレネードランチャーに変形させたムーラン・ルージュを肩に担ぐと、 「この世に悪の栄えた試しなんかあらへんのやッ! 見てみぃ、あそこで燃え盛っとるのは浄化の炎やでッ! エンディニオンの禍根を焼き払うのは今なんやぁッ!!」と意気盛んに気炎を吐いて見せた。 『スマートグレネード』と銘打たれたムーラン・ルージュの変形機構が一つは、 確かに白兵戦に於いては比類なき威力を発揮する。 だがしかし、今のこの状況ではどうだろうか。敵艦を狙おうにも第五海音丸からでは射程距離が足らず、 海中に落下して爆散するのがオチと言うものである。 戦闘のプロフェッショナルと称しても過言ではない凄腕の冒険者であるハーヴェストが、 そのような初歩的な失態を晒すなど普通であれば考えられないことなのだが、 周囲の目を憚ることなくグレネードランチャーを振り回しているあたり、理性の限界を超えて発奮してしまったように思える。 しかも、だ。躍起になってひた隠す故郷(おくに)言葉まで丸出し状態。それすらも彼女は見落としている様子だった。 このような気質は舳先で大騒ぎするローガンにそっくりなのだが、過剰なまでに昂ぶっている今のハーヴェストをからかったなら、 どんな目に遭わされるか、知れたものではない。 自身の悪癖が角を出さない内にヒューは早々に彼女のもとを去ることに決めた。 その間にも砲撃手たちは第五海音丸の最大火力である二百ミリ砲を発射し、撃ち終えた端から次弾を装填、 更なる砲撃を巡洋艦の艦橋へと見舞っていく。 恐るべき精密射撃に感嘆の吐息を漏らしたヒューは、急に口寂しくなってズボンのポケットにシガレットの箱を求めた。 尤も、指先が箱の角に触れた瞬間に湿り気と言うか明確な水分を感じ取ってしまい、 「……ブランクが長ぇってことかね。喫えるわけね〜よな、こんなときに」とボヤいたきり、 ポケットから抜き出すのを止めてしまったのだが。 代わりにゴムバンドをポケットに探り当てたヒューは、ルディアを肩車する為に下していた長髪を再び頭頂部で結い上げ、 トレードマークの『パイナップル頭』を復活させた。 「俺っちとしたことがしくじったぜ。一番イイところを特等席で見れなかったな」 「こう言うときに無駄口は厳禁だと、お前が一番わかっているだろう? まずは必要なことを報告しろ」 「へいへい。可愛げがどんどんなくなってるぜ――とりあえずはお前の考えた通りに陣形を組んでるよ。ちゃんと三列並んでる」 「それだけでは足りない。各艇の間隔は?」 「俺っちとおめ〜の仲じゃん。言葉にしなくても伝わるものがあるって、俺っち、信じてるぜ♪」 「………………」 「……へいへい。心のゆとりが無ぇと、いつか痛い目見るぜ、お前――ハシゴ型に密集陣形を作ってるって」 「……よし、それでいい。これで火力を全て注ぎ込める」 ヒューが舳先を離れたのは、東郷ターンを終えた後に各艇が予め取り決めておいた通りの布陣を達成しているか否か、 これを確認する為であり、肩車でもってルディアをあやしていたのは、どうやらもののついでだったらしい。 件のルディアは現在もタスクと共に船端にへばりつき、撫子と同じように海戦の情勢を興味深げに眺めている。 「も一つついでに報告しとくかね。……俺っちの見立てだと、奴さんの軍艦(ふね)はそう長くは保たねぇだろうぜ。 艦橋とか甲板にでっけぇ大穴が開いてんだろ? そのうち、砲弾が駆動部をブチ抜くだろうぜ」 「さすがは元海兵、聡いな」 「もうツッコミ返すのも飽きちまったぜ。いい加減、おトモダチのキャリアくらい覚えてくれや」 舳先に帰還したヒューの報告に対してアルフレッドは目を細めて頷いた。 東郷ターンを終えた前衛の各艇は、長蛇の如く縦一列に並ぶと言うそれまでの陣形から一変し、 横三列に分かれて併走を開始した。 第五海音丸はその最前列を率いているのだが、中列の部隊は前列に対してやや間隔を開けるようにして布陣。 後列は最前列とほぼ同じ軸線上に陣取った為、多少、歪ではあるものの、上空からこれを俯瞰した場合、 ヒューが例えたようにハシゴ状となるのだ。最前列と後列がそれぞれ両脚、中列が足場に相当すると言うわけである。 敵の巡洋艦は確かに巨大ではあるものの、しかしながら縦一列に補足した場合、前衛の末尾がどうしても余ってしまい、 結果的に全ての火力を動員しにくくなってしまうのだ。射撃も不可能ではないが、標的から遠く離れてしまう。 そこでアルフレッドはハシゴ状三列の陣形を考案した。 これは各艇がそれぞれの間隙を縫って砲撃を行うことを想定した陣形であり、 後列は最前列の頭上を越えるようにして砲弾を撃発する手筈となっている。 巡洋艦に比して小さいと言う利点を生かしたこの密集陣形には、海戦に慣れた守孝たちも思わず唸ってしまった程だ。 ヒューもまた感心させられた内のひとりだった。 携行し易いようにバインダーに挟んである海図へ目を落とし、守孝らと何やら話し込むアルフレッドを尻目に、 ヒューは一仕事終えたばかりのレイチェルたちに「ご苦労さん。俺っちらが五体満足でいられんのは、 マジでお前らのお陰だよ」とねぎらいの言葉を掛けて回った。 マコシカの術士隊の役目も一先ず落ち着いたところなのだ。 東郷ターンの最中に繰り出された不意打ちの砲火によって艦橋は壊滅寸前の大ダメージを被ったものの、 司令部自体は辛うじて生きているようで、今なお迎撃の砲弾を放ち続けている。 しかし、それは最後の儚い抵抗であった。 レーダー塔と言う“目”を潰され、正常な機能が望めない程に艦橋が破壊された今、 半月の湾岸の守護神たる巡洋艦は爪と牙とをへし折られたに等しく、 エスト・マグニートーに頼らずとも前衛が砲火を浴びる危険性は絶無であった。 熱砂の大地へ上陸した後も彼らの出番は残っている。むしろ陸戦に及んでからが本番と言っても良い。 どれほどの時間が充当されるかは、海戦が終結するタイミング次第となるが、 次なる戦闘までは身体を休めておくのが吉であるとアルフレッドも判断したのである。 仮に敵弾に命中精度が戻った場合、レイチェルたちはすぐさまに戦列へ戻るつもりでいるのだが、 これはローガンが押し止めた。 「プロキシとはちゃうけど、ワイかてごっつい必殺技を持っとんねん。鉄のタマなんてチンケなもん、 ちょちょいのちょいと撃墜したるさかい、安心して休んどいてや」と胸を叩いて見せるローガンだったが、 それはつまりホウライを駆使して敵弾を迎え撃つ腹づもりと言うことだ。 成る程、ホウライをもってすれば、迎撃も不可能ではなかろうが、巡洋艦からは一度に何発もの砲弾が発射されており、 それら全てをローガンひとりで対処できるとはとても思えない。一度に撃墜できるのは、せいぜい二、三発が限度ではなかろうか。 彼の気遣いや男気を無碍にするわけにも行かず、その場は礼を述べて引き下がったレイチェルだが、 万が一のときには、やはり自分たちが出張らなければならないと胸の内にて考えていた。 これはマコシカの仲間たちも了承済みである。 不安を抱えながらの休息ではあるものの、現在のところは敵弾の命中精度は復活しておらず、 それどころか加速度的に悪化の傾向にある。今では両軍の中間の海面へ水柱を立たせて終わる有様であった。 だからこそヒューもレイチェルたちへ悠長に笑いかけていられるのだ。 「……あらあら、明日は雨かしらね。あんたがそんなことを言い出すなんて、奇跡みたいなもんじゃない」 「バカ言え。雨なんか降ったら、おめ〜の気苦労が増えるだけだぜ。 ただでさえ海水にやられてるってのによ、これ以上、俺っちがエロティックに濡れてみ? 世界中のギャルがもうわんさか押し寄せてくるぜ。水も滴るイイ男ってのは、いつだって罪作りじゃね〜か」 「こんなときにもベラベラとうっさいわね、あんたは。……ま、あんたのバカ騒ぎに付き合うのも、今は悪い気がしないわね」 「おうよ。……こんな風に素直なお前も、俺っちは好きだぜ?」 「……ばか……」 夫の減らず口に肩を竦めるレイチェルだったが、さしもの彼女も疲弊の色は隠せず、甲板にへたり込んでしまっている。 それも無理からぬ話であろう。複数名からエネルギーの供給を受けてプロキシを強化するアルカンシエルも、 磁力を意のままに操るマグニートーも、どちらも高度な技術であるとヒューはかつて聴かされていた。 マコシカの酋長たる妻は、そのふたつを同時に、しかもたったひとりで全て請け負い、これを見事完遂したのである。 偉業の代償とでも言うべきか、レイチェルが筆舌に尽くし難い疲弊の極致にあるのは誰の目にも明らかであり、 「ま、ババァの心配はハナっからしちゃいね〜けどね。つか、誰かこいつを始末する方法を俺っちに教えてくれや」などと 懲りずに軽口を叩いてはいるものの、レイチェルの額に滲んだ脂汗を見つめるヒューの眼差しもまた辛そうである。 「ハイレベルなスキルがあるメンは、ディスをユーズする義務があるって、どこぞの誰かがセイってたけどさ、 そのルールにライドするんなら、こうして酋長がヘタってんのもフェイトってヤツでショ。マコシカの酋長のフェイトってヤツだネ」 「マジかよ、雨男希望がまたひとり出やがったぞ。お前まで俺っちをエロティックに染めてぇのか? いやはや、モテる男はこれだから困るってもんよ」 「ダンナの妄想は知ったこっちゃナッシングだけど――ボキらのクランでザットな芸当をこなせるのは、 酋長以外に居ナッシングだからネ。無理も無茶も、スーパースペシャルなマスターの義務ってヤツなのサ」 「ちょ、ちょっと、こら。あんたまでガラにもないことを言わないの。サブイボ出るわよっ!」 「……あっ! てめ〜、ホゥリーっ! まさか、人のカミさんに色目使おうってんじゃね〜だろうな? 横恋慕は悪趣味なてめ〜らしいけどよ、そうは行かね〜ぜ!」 「げッ!? マジッ!? ……あたしにも選ぶ権利があるんじゃない? 別に宿六にも満足はしちゃいないけど、 あたしもさ、服を着て歩く豚足には興味ないのよね。悪かったわね、告白(こく)る前から失恋決定で」 「や〜い、ザマぁ見さらせ、横恋慕野郎めッ! おめ〜なんか、馬に蹴られて地獄に落ちちゃえ〜い!」 「チミら、バカなの!? ノンノン、チミらはバカだッ! バカップルだッ! ボキがセイってんのは、ザットなコトじゃナッシングでしょ!」 「だからさ、義務とか有能だとか、そんなもんをいちいち持ち出さなくてもイイっつってんのよ。 与えられた役目を果たすだけなの。……そう言うもんでしょ、仲間同士の助け合いってのは?」 「ケッ――ディスだから酋長には敵はナッシングだネ」 「だろ? これで、もうちょい、……いや、心を入れ替えるレベルで俺っちに優しくなってくれたら、もう言うことね〜んだけどな」 「あんたもあんたで、意地でも話にオチをつけなきゃ気が済まないらしいわね。 いい加減にしないと、そのおっぺけぺーなトサカごとズッ殺すわよ?」 「頭蓋骨をブッこ抜いて殺すの略だっけな、『ズッ殺す』って。……怖ッ! やっぱりおめ〜に贈答するぜ、ホゥリー」 「誰もがチミらに同じフィーリングをテイクしてると思うけど、あえて言わせてもらお〜か。一生やってろ、バカップルっ!」 途中から妙な方向に脱線してしまったが――ピンカートン夫婦の心情を慮ったのか、 珍しくホゥリーからフォローの声が飛んだ。それも掛け値なしの激賞である。 レイチェルやヒューの言葉を借りるなら、明日の天気が雨になりそうな珍事であるが、 これはおべっかや慇懃無礼などと言うことではなく、ホゥリーのまっさらな本心であろう。 事実、絶賛されて然るべき偉業をレイチェルは成し遂げたのだ。 彼女の尽力無くして、第五海音丸はじめ前衛の無事は絶対に有り得なかった。 佐志の戦士たちが攻撃の要であるならば、レイチェルとマコシカの魔術師たちは防御の要なのである。 アルカンシエルに参加したラドクリフも師匠、ホゥリーの意見には大賛成だった。 自分たちはほんの少し力添えをしただけであり、磁力の防壁の功績は全てレイチェルにあるとまでラドクリフは思っている。 我が身に置き換えて考えたなら、極大出力のエスト・マグニートーを制御することなどとても出来なかっただろう。 そもそもアルカンシエルでさえ受け止めきれる自信はなかった。 師匠の言葉をなぞる形になるが、マコシカの民の誰にもレイチェルの神業を真似することは不可能だと彼は確信していた。 レイチェルを巡るやり取りへほのかに胸を温かくするラドクリフだったが、 ふと巡洋艦へと目を転じた瞬間、背筋も、表情も、肝さえも瞬時にして凍りついた。 燃料に引火したのだろうか、甲板と言わずレーダー塔と言わず、 巡洋艦のそこかしこから火柱が立ち上っており、船内では断続的に爆発が発生している様子だ。 低所より逆巻く炎でもって責め立てられる艦橋、砲塔などは、さながら火刑台のようにさえ見える。 堪りかねてよろめいてしまったラドクリフを支えてやるシェインだったが、 彼の瞳に映るのもまた洋上に阿鼻叫喚の情景である。 大火災に見舞われ、航行すらままならない状態にも関わらず、 敵艦には今なお熾烈な砲撃が加えられている。そこには手心などは一切感じられなかった。 前衛が敵艦の横っ腹を捉えて以降は、佐志側の完全なるワンサイドゲームだった。 と言うよりも、回頭の最後に図った不意打ちが成功した時点で、 この海戦の勝敗は決したようなものなのだ。 間もなく背後を大きく迂回して右の側面へ滑り込んできた星勢号ほか中衛の船団も砲撃に加わり、 とうとう巡洋艦は左右から同時に攻め立てられる事態に陥った。 こうなると迎撃などと言っていられる状況ではなくなる。それどころか、「海戦」と言う表現すら当てはまらなくなるのだ。 巨大な獣を取り囲み、寄ってたかって蹂躪する―― そうとしか例えが見つからない凄惨な様相を呈してきたことで、ラドクリフの表情は更に重苦しくなった。 「もういいんじゃないかな……」 小刻みに震えるラドクリフの肩を両手で支えるシェインは、 絞り出すようにして吐き出された彼の呟きへ重々しく頷くと、 次いで兵権を握るアルフレッドの様子を窺った。 その直線上にはフィーナとマリスの姿もある。ふたりとも苦痛に表情を歪めており、 ラドクリフと思いを同じにしていることは一目で察せられた。 残酷な時間を一刻でも早く終わらせて欲しいと、シェインも視線でもってアルフレッドに訴えかけたのだが、 心の冷静な部分では、敵艦を完全に撃沈させるまで彼は攻撃の手を緩めないだろうとも考えている。 そのように兄貴分を見てしまう自分が、シェインにはどうにも悲しかった。 残酷な時間――今となっては断末魔の叫びが上がる様を皆で待っているようなものだった。 依然として敵艦は白旗を掲揚してはいないが、さりとて戦意を維持しているわけではなく、 降参の意思を表明する余裕すらもう残存していないだけだろうと推察される。 既に敵は砲撃を止めている。否、砲塔を破壊され、弾薬庫を焼き払われ、 一切の火力が奪われた状態なのだろう。 これ以上の集中砲火は何も生み出さない――残酷としか言いようのない戦況に耐え兼ねたフィーナは、 攻撃の終了を働きかけようとしたのだが、作戦の指揮を執るアルフレッドの考えは全く正反対。 彼は次なる攻撃を前衛及び中衛の一部の船艇に号令した。 アルフレッドの号令に応じてそれぞれの陣形から遊離し、敵艦の背後に回り込んだのは、 魚雷を満載した船艇である。軍艦の種類では、読んで字の如く魚雷艇に当てはまる。 「アル――」 「……全ての魚雷を撃ち尽くしても構わない。一兵たりとも生かして帰すな」 震える声を絞り出そうとしていたフィーナの目の前でアルフレッドはトドメの一撃を命じた。 魚雷によってスクリューシャフトを破壊し、同時に船底へ大穴を開けて巡洋艦を完全に撃沈させるべし―― 水雷術による攻撃は戦史に於けるT字戦法でも最終局面に当たるのだが、 彼はこれを以って敵の戦意を奪うのではなく、皆殺しを宣言したのだ。 これは戦史にて語られてきた物から掛け離れた号令であり、 アルフレッドの傍らで一部始終を見届けてきたネイサンも 「もうちょっと他に言い方ないの? 全滅させろってのは、いくらなんでも……」と顔を引き攣らせている。 「後味悪いコトになりそうね。……確かにあたしもこのテのことは専門外だけどさ、 ここまで徹底的にブッ叩かなきゃいけないとも思えないのよね」 「トリーシャ……」 肩を震わせるフィーナにそう声を掛けたのは、甲板を駆け回ってスクープ写真を撮影していたトリーシャである。 最後の一枚として舳先の状況を撮影することを思い至り、実際にファインダーを覗きはしたのだが、 人一倍のタフネスの持ち主である彼女ですらレンズの向こう側に捉えた情景には、 ついにシャッターを切ることが出来なかった。 「……どっちが味方で、どっちが敵か、わかんなくなっちゃうわよね……」 擦れた声で絞り出されたトリーシャの呟きは、フィーナの心に重く昏く響く。 それは傍らに在るマリスも同様であり、ただでさえ色白な面を一層病的な色に染め、 沈鬱に俯くことしか出来なかった。 (……アル……) (……アルちゃん……) 今のふたりには、アルフレッドの背を見つめるのが精一杯だった。 彼の表情を確かめる勇気はとても振り絞れなかった。 あくまで全滅にこだわるアルフレッドと、その非常な采配に心を痛めるフィーナたちを 同時に視界に捉えたとき、シェインは自分のするべきことを悟り、 萎みかけていた気力を再び奮い立たせた。 アルカンシエルによる疲弊と、心理的なショックに苛まれてよろめくラドクリフの身をホゥリーに預けたシェインは、 鞘に付属しているベルトでもってブロードソードを背負い、 燃え盛る双眸でもって舳先を睨み据えた。 「ボーイが何をセイったってヒアリングるステータスじゃナッシングでしょ。 ヴェンジェンスにクライシスしてるトンマをだ、チミみたいなチビッコがリアルにストップできると思うかい? マインドをブレイクされるくらいインパクトなショックでもヒットしなきゃブレーキになんないのサ」 舳先を目指すシェインの背をホゥリーの忠告――あるいは警告に近いかも知れない――が 追いかけてきたが、それでも彼は歩みを止めようとはしなかった。 シェインとホゥリー、両者の思いを察したラドクリフも「だめだよ、シェインくん! あの人の目は魔に魅入られてる! 逆らったら殺されちゃうよっ!」と悲鳴に近い声を上げるものの、 決意を揺るがすまでには至らない。シェインの足は、ただひたすらにアルフレッドへと向かっていった。 (逆らったら殺される、か。どれだけヤバい人間だと思われてんだよ……) ラドクリフの悲鳴を反芻したシェインは、しかし、兄貴分に向けられた畏怖の、 ……いや、恐怖の念を否定することはどうしても出来なかった。 ここに至るまでの間、周囲に恐怖を植え付け、怯えさせるだけの所業を アルフレッドは幾度となくやって来たのだ。彼の心根をよく知るグリーニャの身内ですら 取りなすのが困難な程に苛烈な振る舞いを繰り返して来たのである。 アルフレッドが立てた戦略も戦術も、ともに間違っているとは思わない。 ベースになる戦史があったにせよ、歴然たる戦闘能力の差を覆し、 技術・火力の両面で劣る武装漁船で巨大な軍艦を壊滅させるなどアルフレッドにしか出来ないことだ。 それにも関わらず、寄せられるのが賞賛ではなく恐怖の念と言うことは、 即ち彼の立てた作戦が「相手と戦う術」ではなく「相手を滅ぼす術」になっているからだろう。 少なくともシェインはそのように見なしていた。 戦うのか、滅ぼすのか――この二点は、戦闘と言う行為そのものは近似しているものの、 最後に迎える結末は大きくかけ離れている。 第五海音丸に乗り込んだ殆どの人間は、此の海、彼の熱砂へ「戦う為」に赴いている。 対して、アルフレッドだけ――敢えて別の人間を加えるなら、撫子も同類項か――は、 復讐の対象をひたすら「滅ぼす為」だけに狂乱しているのだ。 その証拠が、先ほど発せられた無慈悲な号令であろう。 『一兵たりとも生かして帰すな』 恐怖に怯えるラドクリフを、無念の思いに苛まれるフィーナとマリスを―― たくさんの人々を、その一言が苦しめている。 今まさに焼け落ちようとしている敵の艦橋だけではなく、火の矢の射手たる第五海音丸までもが 責め苦をもたらす炎に包まれているのだ。 兄弟分を自負し、また、彼がここまで暴走する理由を知る者としてシェインは立たずにはいられなかった。 「モールス信号を送るとか、旗を振ったりしてさぁ、降伏させなくていいのかよ?」 暗に攻撃の中止を促すシェインだったが、アルフレッドは彼の言を聞き入れるどころか、 その決然とした顔を見るなり、辟易と言った調子で溜め息を吐き捨てた。 「今度はお前か」と心中にて舌打ちしたことが手に取るようにわかる。 それでもシェインは怯まず、敢然とアルフレッドの前に立ち続けた。 「誰が見たって、もう勝負はついてるだろ? このままヤツらを丸焼きにしちまったら、 胸を張って勝ったって言えなくなるよ。そんなの、ボクはゴメンだぜ」 「どの口が言うんだ。攻撃を始める前に雄叫びを上げていたのは、どこのどいつだ。それも剣まで抜いて。 ……勝ち過ぎたからと言って後から恐くなるのは、それは勝者の驕りだ」 「そう言う揚げ足取りをすんなよ! 見てみろよ、あいつらにはもう戦う力なんか残っちゃいない! 今にも死にそうなヤツをまだいじめるのが、アル兄ィの戦略なのか!? 戦術ってヤツなのかよ!?」 義憤漲るシェインが言う通り、敵艦は完全に死に体である。 巡洋艦の航路には間欠泉の如き水柱が勢いよく立ち上っているが、 これは流れ弾ではなく海中を走る魚雷が命中し、船底が大ダメージを受けていることの表れだ。 魚雷の着弾地点も源八郎が予測を立てており、今もアルフレッドとシェインのやり取りを目端に捉えながら 水雷術を受け持つ船艇に事細かな指示を出し続けている。 さすがは源八郎の眼力と言うべきか。同じ箇所で立て続けに水中爆発が起きていると言うことは、 即ち、喫水部を穿つ魚雷ですら源八郎の手に掛かれば精密狙撃が可能と言うことである。 如何に巡洋艦が堅牢な装甲を誇っているとしても、全く同じ箇所へ連続して魚雷を喰らっては、 そう長く耐えられるものではない。 波浪に煽られているわけでもないのに巡洋艦は船体を傾け始めている。 船底を破られ、浸水が始まっていることだろう。 アルフレッドに噛み付いていくシェインの横顔を呆然と見つめていたフィーナは、 背中にルディアの声を聴き、これによって脳天をカチ割られるような衝撃に打ちのめされた。 タスクやムルグを伴って巡洋艦の崩落を眺めるルディアは、 その惨たらしい様に「これにて一件落着なの。悪は滅びるのが世の常なの」と言う感想を述べた。 聞き捨てならないと見たタスクが「ルディア様、それは違います。確かにギルガメシュはわたくしたちの大敵。 倒すべき相手であるのは間違いありません。ですが、負けたほうが必ずしも悪とは限らないのも世の常です。 ギルガメシュは許されざる大罪を幾つも犯しています。それでも、どちらが正義で、どちらが悪かと言う見極めは、 簡単に出してはならないのですよ。公のもとで善悪を見極める為に裁判があり、法があるのです。 負けて滅んだ側にも正義があることは、いくらでもあるのですからね」とすぐさまに窘め、 ルディアも自分の過失を反省した様子だが、いずれにせよ危うい兆候であることに変わりはない。 青筋立てて怒るシェインとしおらしく項垂れるルディアへ順繰りに視線を巡らせたフィーナは、 次いでフツノミタマの面を窺った。 兄貴分の暴走を食い止めるべくアルフレッドへ立ち向かっていく愛弟子の姿を、 フツノミタマは敢えて口を出さずに見守っている。平素であればシェインと一緒になって 激烈な文句を言い出す筈の彼が、不思議なくらいの静けさを保ち続けている。 これ以上、事態(こと)が荒立つことを望まないマリスは、フツノミタマが冷静でいることに安堵したが、 反対にフィーナはダンマリを決め込む彼の意図を測り兼ねており、 それ故にスカーフェイスを凝視してしまうのだ。 やがてフィーナから向けられる視線に気付いたフツノミタマは、 彼女と目が合うなり威嚇でもするかのように鋭く睨み返した。 「フツさん、あの……」 「ここで寝ボケたことをほざいてみろ。歯っつー歯ァ根こそぎぶっこ抜いて強制的に黙らすぞ」 「………………」 「いいから黙って見ていやがれ。堪え性の無さがアル公から伝染したのか、あァ?」 フツノミタマの強硬な態度が何を意味するのか理解しているフィーナは、 だからこそ何も言い出せなくなってしまった。 改めて言うまでもないことだが、シェインとルディアが今度の行軍へ参加することには フィーナはずっと反対票を投じていた。 師匠のハーヴェストがふたりの意志を後押しすると言い出してからも 孤軍奮闘で反対し続けてきたのである。 たった今、体感として理解したようにこれまで切り抜けてきたような小競り合いとは 全く次元が違う戦いが始まろうとしているのだ。 合戦へ参加する人数も違えば、戦いに掲げる大義と意義さえ次元を異にするものとなるだろう。 この戦いに勝ったほうがエンディニオンを獲る――正真正銘の決戦へ及んだ以上、 勝利を宣言した者が自動的にエンディニオンの覇権と言うことになるのだ。 「覇権を争う」とは、確かに華やかなイメージを想い起こさせる勇壮なフレーズではある。 音に聞くのみなら耳に心地が良い言葉であり、対岸で観戦する分には 戦いの規模は大きければ大きいほど面白い。それが野次馬の精神と言うものだ。 だが、実際に参加するとなると話は別だ。そこを死地であると捉える者にとっては、 「覇権争い」と言う言葉に華々しさなど微塵も感じられない。 戦功を欲する者同士が死に物狂いで殺し合い、泥と血にまみれた戦場は、 やがて敵と味方の区別もつかないまま死闘の極地を迎えるのである。 ましてエンディニオンの勢力図を二分する軍勢同士の一大決戦ともなれば、 激突の規模は、死闘の恐慌は、筆舌に尽くし難い苛烈さを呈するに違いない。 一瞬でも隙を見せたら首を刎ね取られるような修羅の巷に子供たちを放り込むことを どうしても承服し兼ねたフィーナは、佐志を発った直後、ついにハーヴェストへ異論を唱えた。 シェインとルディアだけは合戦場には同道させず、安全な第五海音丸へ留めるよう具申したのである。 敵兵が船にまで攻め寄せることも想定はされたが、それでも合戦場へ直接赴くよりは ずっと安全だろうと言うのがフィーナの考えだった。 結局、第五海音丸を主戦力とする海戦に及んだのであるから、彼女の見通しは甘かったのだが、 反対を提言した時点では、敵艦を叩くと言う話自体が出ておらず、それでは予想もつけられまい。 最初から海戦を想定していたならば、フィーナはもっと早くに意を決したことだろう。 当然、戦意を昂ぶらせていたシェインとルディアはフィーナに食ってかかった。 ハーヴェストはともかく、マリスやタスクも諸手を挙げてフィーナに賛成したが、 唐突に残留を言いつけられたふたりは、唾を飛ばして反論したものである。 「どうしてルディアたちを仲間外れにするのっ? 危ないのには、もう慣れっこなのっ! ケガするより仲間外しにされるほうがずっとずっときっついのにっ! なのにっ!」 「何のためにしゃかりき剣を習ってると思ってんだよッ! ビルバンガーTに頼らなくても みんなと肩並べて戦いたいから、ボクはッ!!」 「ふたりの気持ちはわかるよ? でも、遊びじゃないってこともわかって欲しいんだ。 本当に殺されてしまうかも知れない……。そんな恐い場所にふたりを連れてはいけないよ」 「マジでヤバい修羅場なんて、もう何回だって潜ってきてるじゃないかッ!」 「ルディアだってフィーちゃんたちのことが心配なのっ! 一緒にいて、守ってあげたいのっ!」 「違う、違うよ。ふたりを守るのが私たちの使命なんだよ」 「フィー姉ェは何もわかってないッ! ボクらはそんなにコドモじゃないんだッ!」 本人が望むにしろ、望まないにしろ、やはり子供が傷付く様子をフィーナは見過ごすことができない。 第五海音丸で待機するよう言い諭す声もシェインたちに負けず劣らず必死だった。 「どっちにしろ今度の戦いで大方の形勢は決まるんだ。だったら、佐志にいようが、砂漠にいようが、 行き着くところは同じじゃねぇか。それによ、決戦でどう転ぼうが、この先エンディニオン中が大火事になる。 ……いっそ手元に置いといたほうが、ずっと安心するんじゃねぇのか?」 チームの一員として決戦へ臨みたいというシェインとルディアの熱望は、 意外な方向より出された助け舟に乗って熱砂の岸へと流れ着いた。 「ガキどもはオレが責任もって面倒見てやらぁ。それで文句無ぇだろがッ! あぁッ!?」 「……オヤジ……」 「……妙な勘違いすんじゃねぇぞ、クソガキ。とっとと実戦に慣れてもらわねーと 卒業させらんねーってだけだぜ。オレは肩の荷を下ろしてぇだけだかんな」 「フッたんってば見かけに寄らず男前なの。その上、照れ屋さんって、ちょっと狙い過ぎ? そ〜ゆ〜人気取りのやり口はあざといの」 「誰が何に対して人気稼ぐってんだ、誰がぁッ!?」 「頼れるお父さんモードはもう終わりかよ。ま、オヤジじゃ、それが限界だろうけど。 ハリキって見せても、かっこいいとこなんか三十分だって保たないんだもんなぁ」 「るせぇな、ほっとけッ!」 いつもの調子でがなり立てながら、いつもと違う決意を発したフツノミタマの一声で状況は一変。 フィーナ有利にあった形勢は「彼が守るのなら問題はあるまい」と言う風潮で 一気にフツノミタマ側へ傾いた。 合戦場へ共に赴くことは確かに危険ではあるのだが、目の届く範囲に連れていれば、 いざと言うときに何より早く守れることもまた事実なのだ。 具体的な対処方法で組み立てているフツノミタマの論は、仮想の危険を根拠とするフィーナの論に比して、 実は防衛力の点において理にも適っている。 「世界中で戦いの火の手が上がったからには、誰も子供のままではいられないんだ。 シェインもルディアも、本当の戦場と言うのがどういうものなのか、今のうちから学んでおくといい。 語弊があるかも知れないが、これはおあつらえ向きの教材だ」 論理で押されたところへアルフレッドがかけた追い撃ちが決め手となり、 滞在の是非を巡る論争の大勢は決した。 「別にオレぁ殺し合いに慣れとけっつったわけじゃねーぞ」 「結局は同じことだろう? いくら言葉で飾ってみたところで、やることはたったの一つだ」 「あー、今のアルに何トークっても無駄無駄無駄ヨ。レフトの耳からライトの耳へストレートにスルーね。 底の抜けた三角コーナーのアレのほうが、まだ色々ピックってくれるってもんだよ」 「てめぇと同じ意見を持つ日が来るたぁ、夢にも思わなかったが、まあ、いいぜ。 今日ばかりはてめぇのくだらねぇ冗談にも付き合ってやらぁ」 「好きに言っていろ。俺は現実を話しただけのことだ」 同じ賛成票であってもアルフレッドとフツノミタマの意図は互いに相容れないものだが、 互いにそのことを自覚しつつも、相手の一票に利用価値がある内は歩調を合わせねばならない。 フィーナの理論の封殺を目論んだふたりの共闘の正否は、 シェインとルディアが今もまだ行軍のメンバーから外れていないことが物語っている。 「いいじゃない、こーゆー流れもさ。フツだって人間臭さが見えてきた分、 殺人鬼そのものって感じだった前よりずっと付き合い易いわ。 要は考え方よ。ポジティブ・シンキングってヤツね。そーゆーのは、フィーの得意ジャンルでしょ?」 「トリーシャ……」 「私も私であのコたちの様子は気にしておくから。変に気を遣い過ぎると、逆にフィーへ危険が回ってくるわよ? いい? 子供の心配以上に自分を大事にしなさい。あなたが大怪我をしたら、そのときはあのコたちも傷付くんだから」 「……レイチェルさん」 「コケケカ、コッカコカっ!」 「ありがと、ムルグ……」 親友たちの取りなしもあり、どうにか気持ちに折り合いをつけて臨戦したフィーナだったが、 だからこそフツノミタマの態度は理解に苦しむのだ。 シェインとルディアが同道するに至った経緯を改めて振り返ってみたが、 やはり彼は、フツノミタマは、「ガキどもはオレが責任もって面倒見てやらぁ」と明確に宣言していたではないか。 今まさに子どもたちに危険が迫っている。心と身体の両方に危険が迫っている。 それなのにフツノミタマは何ら行動を起こそうともしなかった。 アルフレッドの行動によって戦場の危険度は更なる説得力を得た。 得たからこそ、子どもふたりを決戦へ参加させる是非をフィーナは改めて問うてみたのだが、 一度採択された取り決めは決して覆らなかった。 喉まで出かかった「やっぱり考え直そう」との提言もフツノミタマに一睨みで押し返されてしまい、 手も足も出せないまでにやり込められた恰好だ。 ――子供たちを傍に置いておく。そして、守り切る。 フィーナを睨み据えたフツノミタマの眼光には、頑として譲らぬ不動の魂が込められており、 戦場から離れた場所にいれば安全程度と言うにしか考えていなかったフィーナでは、 鋼の如き意志には太刀打ち出来なかったのだ。 それだけにフィーナには腑に落ちない。それならどうして…と憤る気持ちが胸中に渦巻いている。 面倒を見ると啖呵を切った以上は、最後まで自分の宣言を守るべきではなかろうか。 フツノミタマの言行は、その責任を放棄しているように思えてならなかった。 少なくともフィーナの瞳にはそのように映っていた。 (それとも、これがフツさんの言う面倒ってことなの? ……わけわかんないよ) あれこれとフツノミタマの意図を推察するフィーナだったが、結局は明答を見出すことができず、 胸の靄は、晴れるどころか更に濃さを増していった。 眉間に皺を寄せるフィーナの目の前では、シェインとアルフレッドの口論が次第に激しさを増しつつある。 彼女が耳を覆いたくなるようなことにまで彼らは言及しようとしていた。 「ボクらは焼き討ちをされた側の人間だろ……! そのボクらが、あいつらと同じコトをやって良いのかよ!? みんなが……――クラ兄ィが、あんなのを見たいと思うの!?」 「言わずもがな。あれは弔いだ。お前の好きそうな言い方をするなら浄化の炎だな。 あれを見れば、クラップたちも安らかに眠れるだろうよ」 「――ふざけんなよッ! 今のはアル兄ィだって許さないぞッ!」 信じられない、……否、信じたくもないことを言い出したアルフレッドに激昂し、 シェインは反射的にブロードソードのグリップへ手を掛けた。 アルフレッドが口にしたことは、シェインからすれば失われた命を愚弄したに等しく、 例え兄貴分であっても断じて許せぬ暴言であった。 「シェインくんッ!」 甲高い絶叫と、それから少し遅れてやって来た「ヘイ、ラド! ハウスッ!」と言う制止の呼び掛けを背中で聴いたシェインは、 ラドクリフが何か危なっかしい行動を起こしているとすぐに察知した。 もしかすると、ブロードソードを抜き放つと見て取り、これに反応したのかも知れない。 いずれにせよ、ホゥリーやレイチェル、場合によってはヒューも加わって彼を止めることだろう―― そのようにシェインは予想したのだが、続く展開は彼の見立てを大きく裏切るものだった。 異様な音がシェインの真横を通り過ぎていった。 何か鋭い物が空を裂き、風を切り、凄まじい速度で突き進んでいく音であった。 先ほど守孝が射った鏑矢のそれに近いかも知れない。 但し、今し方通り過ぎた物には鳥の嘶きの如き音色は含まれておらず、 風切る音と言う性質がシェインに類似性を錯覚させていた。 アルフレッドが半身を反らしたのは、その直後のことである。 彼の頭部があった場所へ何かが飛来し、本来捉える筈だった的を外したことで行く先を見失い、 やがて海面へと消えていった。 海面へついえたのは、流れ星のようにも見える一条の光であった。 気に掛かるのは、その流れ星がアルフレッドの眉間を一直線に目指していた点だ。 彼が半身を反らせていなければ、今頃は頭部を貫き通していたことだろう。 何事かと振り返ると、そこには弓を構えるラドクリフの姿があった。 正確には弓のように見立てられたモノ、と言うべきかも知れない。 握り締めた左の拳には、神人より授かったのであろう激しいエネルギーが迸っており、 掌中に在るワンドを媒介にしてこれを弓のように精製しているのだ。 ワンドの両端からカーブを描くようにして湧き出したエネルギーは、 その先と先とを細い弦で一繋ぎに結んでいるが、これもまた精製の為せる技である。 さながら孤月の弓と化したイムバウンの置文を左手に、 同質のエネルギーで精製した光の矢を右手に握り締める姿からも察せられる通り、 先ほどアルフレッドの眉間を狙った流れ星の射手はラドクリフその人である。 神人より授かったエネルギーを精製して光の弓矢を創出するこのプロキシは『イングラム』と云う。 シェインも後から聞かされるのだが、これはラドクリフが最も得意とするプロキシであるそうだ。 名乗りも何もなくいきなり矢を射掛けるとは、いくらなんでも過剰であろう。 ホゥリーは言うに及ばず、レイチェルやヒュー、マコシカの仲間たちも目を丸くしており、 ラドクリフのことを良く知る人々から見ても相当に突飛な行動だったようだ。 まさかこんなことをするとは夢にも思わなかったらしいホゥリーは、 「うちのラドに限ってディスなコトを……」と目を回してよろけてしまった程である。 シェインを最も驚かせたのは、孤月の弓を構えるラドクリフの眼光だ。 もともと柔和な輪郭の持ち主である為、狙いを定める為に細めたところで切れ長になるわけではないのだが、 それにも関わらず、双眸の奥底からは殺伐とした凄みが滲み出している。 森を往く狩人と言うよりも、コンクリートのジャングルで蠢く狙撃手と呼ぶほうが似つかわしいような、 果てしなく冷たい眼光を目の当たりにしたシェインは、思わず身震いしてしまった。 敵性と見なしたアルフレッドへ、それも急所目掛けて躊躇なく光の矢を射掛けたことからも判る通り、 その愛らしい風貌とは裏腹にラドクリフは相当に戦いに慣れていた。 背を向けていたシェインとは異なり、孤月の弓を創出し、光の矢をつがえるまでの一部始終を 正面にて観察していたアルフレッドは、奇襲を仕掛けられて怒り出すどころか、 むしろ少しの乱れもない彼の動きへ喝采を送るような心持ちだった。 「……ゼラールの教育か? なかなか見所のあるヤツだな」 アルフレッドの問いかけに対して、ラドクリフは二の矢をつがえることで返答に替えた。 全くの無言で、彼は再び“敵”の急所へと狙いを定めていた。 しかも、だ。つがえる矢は一本や二本ではない。霰弾さながらに数本束ねて弦へ宛がう様には、 威嚇ではなく明確な攻撃の意志が宿っている。 「――ご両人ともそこまでッ! ここは戦場(いくさば)でござるぞッ!!」 このままにしておくと大変なことになると判断したシェインは、咄嗟の判断で両者の間に立ちはだかり、 身を挺して騒ぎを収めようとしたが、その動きは横から割って入ってきた守孝の野太い腕に阻止され、 続けて発せられた大喝でもって甲板の空気は一変した。 全軍の旗艦たる第五海音丸の船長として、周囲の喧騒を余所に戦いの行く末を見守っていた守孝だったが、 にわかに甲板へ垂れ込めた内輪揉めの空気ばかりは看過することが出来ず、 皆をまとめて震え上がらせる大音声でもって仲裁に乗り出した次第である。 ピンと張り詰め、身の自由を搦め取っていた乱糸が断ち切られ、 急に投げ出されてしまったような脱力感が一同を包んでいる。 過剰な虚脱と言っても良い。短慮を働く間際で守孝に抱きすくめられたシェインも、一挙に気が抜け、 彼の腕に枝垂れかかってしまっていた。 虚を衝かれ、出鼻を挫かれたラドクリフは、ひとまず弓矢を足元へと下ろしたものの、 イングラムのプロキシ自体は継続させてあり、いつでも攻撃を再開する準備と意思を見せ付けていた―― 「お孝さんの言う通りだぜ。仲間割れしてど〜すんだ、このバカタレ」 ――のだが、その頭上へいきなり拳骨一発が落とされ、これによって完全に集中力が途絶えた彼は、 弧月の弓と光の矢を同時に失ってしまった。 痛みのあまり、イングラムの媒介であったワンドを取り落とし、情けない呻き声を引き摺りながら振り向いたラドクリフは、 そこに右の拳をさするヒューや、生まれたての小鹿のような体勢で身を震わせるホゥリーを見つけ、 更にレイチェルから投げかけられた「あんた、集落を出てから急に荒々しくなったわねぇ。 男の子にこんなこと言うのはヘンだけど、出来れば可愛いラドのままでいて欲しいわね」なる諌めの言葉によってようやく我に返った。 状況的に考えて、拳骨を振り落としたのはヒューで間違いないだろう。 一方のホゥリーは、先ほど見せられた愛弟子の豹変ぶりに大変なショックを受け、 ガラにもなく「ボキのレクチャーがアウチだったのか。ボキがアウトのワールドにゴーしてナッシングだったら、 モアモア面倒をルックしていたワケで、つまり、やっぱりボキが原因で非行化……」などと 本音をポロポロと漏らしてしまうくらい神妙且つ素直に落ち込んでいるのだ。 人の親として彼の心情を理解(わか)ってやれるレイチェルは、肩を叩きつつ失意のホゥリーを慰めていたのである。 「ち、違うんですっ! これはお師匠様のせいではなくてっ! あの、その……っ!」 よもや師匠にあらぬ誤解を与えているとは予想だにしていなかったラドクリフは自分の犯した失態に真っ青となり、 大慌てでホゥリーの背中へと飛びついていった。 後ろからホゥリーを力一杯抱き締めたラドクリフは、血の気の失せた顔を彼の大きな背中に擦り付けつつ、 「ぼくがどうかしてました。今後、絶対に気をつけますから! 師匠のせいじゃありませんから!」と 必死になって謝り続けている。 最愛の師匠を苦しめてしまったことが、ラドクリフには耐えられないのだろう。 そんなラドクリフの様子を一瞥したアルフレッドは、「少しは使えるかと思ったが、所詮はこの程度か」と 厭味ったらしく鼻を鳴らして見せたが、不遜な態度も一瞬のことで、 彼の頭上にも間もなくローガンから拳骨が振り落とされた。 「……何の真似だ。殴るなら俺ではなく、俺に矢を向けたあいつじゃないのか?」 「ドアホっ! あっちの短気も叱らなアカンけど、まずはお前や! 何が『なかなか見所のあるヤツだな』や! あれでスカしとるつもりか!? アホ丸出しやぞ、自分っ! 猛省せんかいっ!」 アルフレッド本人は心外に思っているだろうが、こうして殴られるのも、 「お前が率先して足並み乱してどないすんねん。ちっとは周りを見て、物を考えてから喋らんかいな」と 説教をされるのも至極当然の流れである。 師匠として弟子の短慮を看過できないのは、どこも同じと言うわけだ。 マリスもマリスで、ラドクリフから射られたイングラムの矢がどこかを掠めていないか確かめるべく アルフレッドへ駆け寄ろうとしたのだが、その出鼻を挫くかのように乾いた打撃音と説教が轟いた為、 気持ちの落としどころを見失ってしまい、前のめりのまま固まってしまった。 トリーシャが「今のは仕方ないわよ。あのオッサンこそ周り見てないもの」と取り成してくれたお陰で 一先ずつんのめって倒れることは回避できたものの、改めて師弟の間に割って入るのは難しく、 恨めしそうな眼差しでローガンを睨み、これで口惜しさを慰めるしかなかった。 「義の御心厚きシェイン殿が憤るのは、この少弐守孝、重々承知しておりまするが、 なれど、戦は義一つで救えるほど甘きものではござらん。人の念(ねが)いのみにて鎮まる世ならばいざ知らず、 この乱れし天地は鬼の棲み処にて」と、守孝がシェインに戦いについて説き始めたのは、 懲りもせずフィーナがフツノミタマへ再考を促し、またしても一睨みで封殺された直後のことである。 シェインと向かい合ってその場に胡坐を掻いた守孝は、滔々と戦の神髄を語っていく。 「情けを抱くは肝要なれど、憐れみを以って戦にあたるは何にも勝る恥辱。このことをシェイン殿に憶えて頂きとうござる。 何も無慈悲たれと言うのではござらん。……ござらぬが、同情で振るう太刀には、必ずや白刃へ驕りが映し出されまする。 かような嘲りを見せられた敵の心中、いかばかりか。憐れみは、戦の果ての死を愚弄することに他なりませぬ」 「……自分たちがされたのと同じ仕返しをしてもいいってコトかよ。そんな戦いなんて、あるもんか」 「シェイン殿の申されるように、さような無道は許されるべきではござらぬ。某の学びし古き教えにも書いてござる。 義を違(たが)えた者は、決して天罰からは逃れられぬと」 「お孝さんが何を言いたいのか、ボクにはわかんないよっ!」 「戦の在り様とは、ときに尊ぶべき義を裏切るほど残酷なものでござる。穢れたものにござる。 今のシェイン殿には受け容れられぬと存ずるが、あなた様が憎悪する戦でしか晴らせぬ恨みもこの乱世には渦巻いておるのじゃ。 それこそが報復。復讐と、報いでござる」 「だから――」 「――さりながら、自他の将兵の命を顧みることも戦の本質にござる。打倒を欲する敵の御心をも受け止める。 これも戦の不文律にて、シェイン殿には是非にも憶えていただきたく」 「……お孝さん?」 「己の眼(まなこ)を、心を曇らせたまま太刀を振るわば、白刃には驕りとは異なる物が宿りましょう。 これは妄念と申すもの。義に劣り、愚弄に勝る。かような太刀にて斬られた者は、己が死を認められず怨念と化すのです」 「………………」 「戦とは残酷なもの。身震いが止まぬほど恐ろしきものじゃ。敵を謀(たばか)り、己を裏切らねばならぬときもござる。 されど、……いや、さような鬼の世ならばこそ、それがしは人として敵の血を浴びとうござる。 血の温もりも、また冷たさも、骨身に感じて戦っておりますれば」 「お孝さん……」 「……人を救えるのは、人をおいて他にはござらん。討った者の御霊を救うことは、武者の喜びと心得てござる」 シェインを諌める訓戒は、いつしかアルフレッドへとその矛先が向けられていた。 「俺に対する批判か。この戦法を支持しておいて、今更、梯子を外そうと言うのか。 ……ここまで来て、兵を引っ込めるつもりではないだろうな?」 守孝の言わんとすることを察したアルフレッドは、落ち着くように促してくるローガンの手を振り払うと、 これまでになく厳しい語調で彼の真意を詰問した。曖昧な返答を許さないと暗に突きつけるような語気であった。 巡洋艦にて発生した爆発音を背に受けたものの、星兜の中にまでアルフレッドの難詰は正しく届いていたようだ。 おもむろに振り返った守孝は、猛禽類の如く双眸を細めるアルフレッドに対し、 臆することなく「さにあらず。それがしが思うところをただ申したまで。手前勝手な心得にござる」とその難詰に応じた。 「ご気分を害されたとあらば、この守孝、平に謝り申す――……が、命のやり取りとは、本来、対話に等しきものではござらぬか? 命と向き合うこと、それこそが戦場を渡る者の務めと心得てござる」 「お前の言う武者の精神、俺にも少しはわかるつもりだ。こう見えて、武術から様々なことを学んできたのでな。 ……しかし、お前は一つ思い違いをしている。一対一の尋常な勝負と、何百何千何万の命が行き交う合戦は全く別物だ。 同じ地平で捉えるのは浅はかじゃないか」 「果たして、そうでござろうか? 誠にそう思われるか?」 「くどい。殺し合いに対話も何もない」 「囚われた一念のみにて生殺与奪を一方的に決するは、驕慢(きょうまん)と言うより他ござらぬ。 そして、驕れる者は、みな久しからず」 「俺が慢心していると、そう言いたいのか?」 「慢心? 滅相もない。アルフレッド殿は大器の御方。慢心を自ら戒めるだけのご器量の持ち主ではござらんか」 「皮肉にしか聞こえないな」 「……あるときはそれがしの言を皮肉と受け取り、またあるときは佐志の撤兵までを危惧なされる―― 何をそんなにも怯えておられる? アルフレッド殿、何がそんなに恐ろしゅうござるか?」 「……なんだと……」 周囲の仲間たちが不安げに見守る中、守孝はアルフレッドの心を穿ちに掛かった。 おそらくは誰にも知られたくないだろう領域にまで一足飛びで踏み込んでいった。 「それがし、佐志の皆があらぬ危難に晒されるとあらば、我が身を擲ってでも賊を討ち果たす所存でござる」 「守孝、お前は……」 「――グリーニャよりお出で頂いた方々も、マコシカより招いた方々も、これみな佐志に暮らす朋輩にござる。 朋輩の為に我が身を擲つことを、どうして恐れましょうや?」 「………………」 「……アルフレッド殿、それがしを見くびって頂いては困りますぞ。この戦に出でておる者は、みな掛け替えなき朋輩じゃァ。 故にこうして一丸となれる。数多の力が一本の槍となり、賊を撃ち貫いたのでござる」 「………………」 「恐れることは何もござらん。……存分に己が心と向き合われれば良い。命の対話はその裡より生じますれば」 守孝が何を言いたいのか、アルフレッドは途中から完全に見失っていた。 甘ったれた感情を優先させるフィーナやマリス、シェインのように聞くに堪えない雑音を浴びせてくるかと思えば、 いきなり人の心の奥底にまで手を掻き入れ、その痛みに蹲った相手へ「恐れるものは何もない!」と 豪語して両手を大きく広げる――支離滅裂としか今のアルフレッドには考えられなかった。 語ることも矛盾に満ちているように思えてならず、さんざん翻弄された結果、 アルフレッドは対話の最中に迷子になってしまったのだった。 判然と形があるのは、守孝に指摘された恐怖の念だ。 正しくは恐怖と呼べるほど大きな揺らぎではないのだ…が、その想念は確実にアルフレッドを蝕み続けている。 アルフレッドは、守孝に異様な恐れを抱いていた。 最大の後ろ盾にして戦力の根拠である守孝と佐志の軍に手を引かれることを、内心では身震いするほど恐れていた。 それ故に守孝を過度に刺激することが憚られ、硬質な態度を少しでも見せられてしまうと、 途端に何も言えなくなってしまうのだ。強硬な難詰ですら引っ込めざるを得なくなる。 そうした怯えこそが件の翻弄を招いた悪因であることは、誰に指摘されるまでもなく自覚している。 自身の失態からジョゼフに去られてしまったと言う悔恨は、今なおアルフレッドに重く圧し掛かっているのだ。 (……煩い、黙れ) 正面切って濁りのない眼差しを向けてくる守孝から思わず顔を背けたアルフレッドは、 崩落の真っ只中にある巡洋艦へと目を移した。 度重なる魚雷の攻撃によって、舵とスクリューシャフトの両方が大破したのだろう。 直進を続けていた筈の巡洋艦は、今やあらぬ方角へ航路が逸れており、 しかも目に見えて推力が弱まりつつある。 “目”を潰され、火力を失い、軍艦(ふね)を進める力をも巡洋艦は奪われていた。 さながら漁り火の如く洋上へ紅蓮の華を咲かせる巡洋艦にやりきれない思いを抱くシェインは、 「シェインくん……」と名を呼び掛けられるまで、険しい表情で歯噛みし続けた。 暴挙に出るアルフレッドではなく、意気込んでみたところで何ら状況を動かせなかった自分の非力を 彼は許せずにいるのだ。 「なにシケた顔してんだよ。お前は何か疚しいコトをしたのか?」 「シェインくんにはそう思われたんじゃないかなって……」 「思わないよ。……こいつ、ヤベェって冷や汗はかいたけどさ」 「……お師匠様に酋長に、ヒューさんにもおんなじこと言われたよ……」 声のしたほうを見やれば――尤も、声一つで誰だか判るのだが――、そこにはやはりラドクリフの姿。 気まずげな表情まで想像した通りだった。 何がラドクリフの表情を沈鬱に染めているのか、シェインは尋ねるまでもなく察している。 ラドクリフの肩越しには、依然として立ち直れていないホゥリーの姿も見えるが、 これを判断材料にせずともイングラムの矢を目の当たりにした時点でシェインは全て理解しているのだ。 行き過ぎた点は否めないものの、自分の為に決起してくれたラドクリフを非難する言葉など シェインは持ち合わせておらず、俯き加減の彼の顔に手を添えると、 福々しいホゥリーに負けず劣らず柔らかな頬を指先で弄んだ。 ムニムニと頬を揉みながら苦笑いするシェインに、どれだけラドクリフが救われたことか。 「……ボクが殺されると思ったんだろ? アル兄ィに逆らってさ」 「……ごめん……」 「だから、謝るなってーの」と言いながらラドクリフの頬を堪能するシェインだったが、 胸中では複雑な思いが渦巻いている。 先ほどはラドクリフの意外な二面性を垣間見て驚かされた。 ある程度、事態が落ち着いた今にして湧き起こるのは、 自分では真似することもできないように思える迅速な身のこなし、 完璧な命中精度を見せつけられたことへの対する刺激、 剣士――と言っても、見習いだが――としての触発である。 ラドクリフに関しては、負の想念を抱く要因など何一つなかった。 アルフレッドの命がいきなり危険にさらされることは、ムルグで慣れっこでもある。 シェインの心を蝕むのは、やはりアルフレッドである。ラドクリフと言う鏡に映ったアルフレッドの姿である。 殺傷を以て制する以外に選ぶ道がないとまでラドクリフに判断させたアルフレッドのことが、 シェインはどうにもやりきれなかった。 これは、ときにムルグが見せる悪ふざけ――その割には彼女も並々ならぬ殺意を帯びているが――とは一線を画していた。 彼と対峙した際、反射的にグリップへ手を掛けてしまったのだが、仮に白刃を抜き放っていたなら、 そこには何が宿っただろうか。そして、アルフレッドはどのような反応を示しただろうか。 (逆らったら殺される、か……) そっとアルフレッドの様子を窺えば、依然として押し黙ったまま巡洋艦を睨み据えている。 他者を寄せ付けぬ気配も相変わらずで、傍らに控えるマリスは所在なく立ち尽くすばかり。 海戦の要たる守孝と源八郎も近くには居るものの、言葉を交わしている風ではない。 今のアルフレッドは、果てしない孤独の中に身を置いているとしか思えなかった。 これぞ親友の窮地と見て取ったらしいネイサンは、 「正直、みんなに理解されるのは難しいと思うけどね、……でも、僕は最後までアルに付き合うよ。 どうせ乗りかかった船だ。舵はアルに任せるさ。大丈夫、僕がついてるよ!」 ――と、気を利かせてアルフレッドの肩を叩いているが、 シェインからして見れば、変に焚きつけるのは止めて欲しいとしか思えなかった。 ネイサンの励ましは、皆が望むものとは真逆に孤独を助長する危うさをはらんでいるのだ。 「微妙な男気出して、ちょ〜っとキメたと思ったのに、もうしぼんじゃってるの。どんだけヘタレなの。 それで、何? 新しいガールフレンドに慰めてもらって満足なの? ドヘタレ極まれり! どこに出しても恥ずかしくないゴミ溜めなのね」 マリスを気遣うタスク、フィーナを心配するムルグと別れ、ひとりシェインのもとにやって来たルディアは、 一向に険しい表情を崩そうとしない彼のことを鼻で笑って冷やかした。 「だから、ぼくは男だよっ!」と反論の構えたを見せたラドクリフを制し、ルディアに向き直ったシェインは、 そこに不思議なものでも見つけたのか、じっと彼女の面を凝視し始めた。 シェインからぶつけられる眼差しを自分の都合良く曲解したルディアは、 両手を腰に宛がうと、勝ち誇ったような表情(かお)でまたまた鼻を鳴らした。 「や〜れやれ、モテる女はツラいの。ごめんあそばせ♪ シェインちゃんはタイプじゃないって言うかなの。 メッシーくん、アッシーくんでオッケイなら考えてあげないでもないけどなの」 「メッシーくん、アッシーくんってのが、よくわかんないけど―― ……お前さ、アル兄ィのこと、恐くないのか?」 「ほひょ? アルちゃん? 最近、やたらスカしてるし、言うことがいちいちうるさいし、 そこはちょっと恐いっちゅ〜かウザいけど、お化けとは違うんだからイヤイヤするほどでもないの」 「ビビッて泣いたことだってあるだろ、何カッコつけてんだよ」 「――ぬぉっ!? あ、あれはそーゆーんじゃないの! みんなニコニコ仲良くしてて欲しいのに、 反対のほうに行っちゃうのが悲しくて、それで……」 「……お化けが恐くて、泣き虫で、その上、どうしようもない自惚れ屋、と。 シェインくん、友達付き合いは考えたほうがいいよ?」 「ちょっとちょっとちょっとっと〜、シェインちゃん、ガールフレンドくらい躾けなさいなの。 見た目はバッチ好みだしぃ、シェインちゃんが飽きちゃったら、ルディアがもらおっかな〜って思ったけど、 やっぱりナシナシ、ダメダメなの。可愛いだけじゃ世の中渡っていけないの。おわかり?」 「――ぼく、ちょっとだけ怒っていいかな? 小さい子相手だけど、これも躾の一環だよね」 「ぬがッ!! ルディアをちっちゃい呼ばわりとは失礼なッ! こいつ、とんでもないアバズレなのっ!」 「失礼なのは、どっちさっ! どこからどう見ても、ぼくは男だろうっ!?」 「男……オットコぉっ!? うっげ〜、ルディア、一生の不覚なのっ! 女装とギャルを見間違うなんてぇっ!」 「言うにこと欠いて女装だってッ!? も、もう許せないッ! キミのご両親に代わってお仕置きだッ!」 「上等なのっ! ふざけたナリしてギャルのギャルたる所以をバカにした根性、 ルディアが叩き直してやるの!」 「……わかった、わかった。ルディアがいつも通りなのはよ〜くわかったよ。 わかったから、お前ら、ちょっと静かにしようぜ」 相性が悪いのかどうなのか、いきなり犬猿の仲に陥ったルディアとラドクリフは、さて置いて―― シェインはフェイチームと決裂した日のことを思い出していたのだ。 アルフレッドやジョゼフと絶縁状態に陥り、鼻息荒く立ち去っていくフェイを目の当たりにしたルディアは、 英雄と称される彼の姿に恐怖を覚え、小さな身体を竦ませ、震わせたのである。 シェインの与り知らぬところで発生したことであるが、 更に遡れば、サミットでもルディアはフェイに恐怖を訴えていた。 現在のアルフレッドも当時のフェイに比肩するか、あるいはそれ以上の恐怖を 当たりへ撒き散らしている筈なのだが、ルディアはさして恐れを抱いている様子ではない。 怯えるどころか、「スカしている」などと軽口を叩く程である。 アルフレッドとフェイの間にどれほどの差があると言うのか―― ルディアが持つ恐怖感の判断基準がシェインには全く不可解であった。 “魚群”の餌食となって燃え盛る巡洋艦にテンションが爆発したのか、 我慢の限界とばかりに操舵室の屋根の上に登った撫子が、 制止の呼び掛けを無視して『藪号 The-X』を発射し始めたのは数分前のことだが、 タライのように大きな口をランチャーにしてミサイルを撃ち出す狂態を目の当たりにしても ルディアは少しも動じなかった。 不気味な笑い声を上げて次から次へとミサイルを発射させる撫子に誰もがドン引きする中、 むしろルディアは「ナデちゃん、結構なやり手なの! ルディアのトラウムとも相性良さそうなのね! こりゃあ、砂漠に乗り込んでから楽しみなの!」と好意的な声さえ掛けていた。 いよいよもってルディアが何を怖がるのか、シェインにはわからなかった。 ラドクリフに至っては、屋根の上の撫子を新手のクリッターと見間違え、 危うくイングラムを射掛けるところだったと言うのに。 「ギギギィィィィィィ……ギギギギギギ……ギィヤッハアアアァァァッ――こんがり焼けちゃったァんッ! てゆーか、もうポップコーン!? 誰か、バターと塩持ってこいやぁッ!? ……あっ! 俺ちゃん、お間抜け! 塩ならあたり一面にあるよなッ! ひゃぁっほォォォォォォゥィ! シーフード味のポップコーン、だぁいはっつめいッ!」 狂ったように乱舞するミサイルによって崩壊に拍車が掛かったのだろうか。 これまでで最も大きな爆発音と閃光が巡洋艦を中心として辺り一面に拡散し、 視界に捉えきれる全ての存在を白い闇で包み込んでいった。 数秒と経ぬ内に世界は元の彩りを取り戻したものの、それもまた刹那の点描であり、 白い闇を蝕むようにして垂れ込めた雲霞の如き漆黒の闇が、ありとあらゆる輪郭を塗り潰していく。 高空に向かってとぐろを巻き、天と海とを暗闇で覆っていく漆黒の闇は、 まるで重なり合う雲のように僅かな隙間を開いており、そこから覗いた先には、 轟然たる二本の火柱が覗けた。 最早、原形を留めないまでに焼け落ちてしまっているが、斜塔のように海原へ立つ火柱とは、 船体が真っ二つに割れた巡洋艦である。 内側から破裂したかのような破壊の痕跡があることから、 魚雷か、あるいはミサイル、砲弾の直撃を受けた動力部が大爆発を起こしたものと思われる。 黒煙なのか、曇天なのか、今となってはその境界も定かではないような漆黒の闇の中、 魚群に食い散らかされた巡洋艦は、ついに沈没の刻限を待つのみとなったのだ。 海戦に参加した佐志の船団では、怒濤のような勝ち鬨が上がっている。 中でも星勢号の舵取りと、中衛の引率を一手に担った源少七は誰よりも意気盛んだ。 埋め難いスペックの格差を覆して敵艦を撃沈せしめ、しかも自軍の船艇は全くの無傷。 大金星であると自賛しても、何ら罰など当たるまい。 だが、旗艦たる第五海音丸だけは違った。喜色とはかけ離れた空気が甲板を支配していた。 笑い声を上げているのは撫子ただひとりであり、撃沈に当たった砲撃手も含めて、 他の面々は薄ら笑いすら浮かべようとはしなかった。 敵艦を抜けた先にて待ち構える熱砂の合戦に想いを馳せ、気を引き締めている者も中にはいるだろうが、 大多数は胸に抱えたやり場のない憂色を持て余し、沈黙を共にして佇むばかりである。 粉砕された瓦礫もろとも海の藻屑と化していく敵艦を遠望する彼らは、 あるいは己の心に根ざした闇の色を黒煙に映しているのかも知れない。 自軍に大金星をもたらした最大の功労者であるアルフレッドとて、些かも相好を崩すことはない。 氷魔の如き表情も、悪鬼の如き言行も――何一つ変わらぬまま、 次なる合戦へスライドしていくのだろうと、このときは誰もが思っていた。 無感情に二本の火柱を眺めていたアルフレッドの目つきが豹変し、妖光を帯びたのは、 辺りの海面に散らばる船体の残骸を視界に捉えた瞬間のことだった。 にわかな変貌に戸惑うフィーナやマリスなど眼中にも入れず、 ヘッドフォン型の無線にスイッチを入れたアルフレッドは、 「今からそちらに行く。お前の船を貸せ。多目的ホールを」とマイクに向かって早口で捲し立てた。 打電の相手は、どうやらK・kらしいが、相手の応答を待ってスイッチを切ったようには見えない。 一方的に、且つ、強制的に用件を押しつけたのだろう。 自身の蒸気船内で理不尽な通達を受けたK・kは、今頃、わけもわからず頭を抱えているに違いない。 ローズウェルは、そんな彼に口元を歪め、大いに嘲っている筈だ。 「……本当の戦争を見せてやる……」 誰に聞かせるでもなくそう吐き捨てたアルフレッドの双眸は、妖光に歪む真紅の瞳は、 群れからはぐれた水鳥の雛のように波間を漂う一つの浮き輪を捉え、決して離そうとしない。 浮き輪の中央には、仮面を被った水兵の姿がある。 (後編へ続く) ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |