1.ちっぽけな男の結末


 ――ハリードヴィッヒ・シュティッヒ。四十二歳。男性。離婚歴、一回。持病は、尿結石。
 唯一世界宣誓ギルガメシュが対抗勢力と戦う為にAのエンディニオンの人間を募って組織した、
エトランジェ(外人部隊)の隊長である。

 銀糸を織り上げたローブに身を包むその様から察せられる通り、
元々はAのエンディニオンの女神信仰を統括する機関、『教皇庁』に所属し、聖職者として働いていた経歴の持ち主でもある。
 と言っても、エルンストに与するゲレル…いや、クインシーとは位階があまりにも違う為、お互いに面識はない。
それどころか、ハリードヴィッヒは教皇庁内部のヒエラルキーでも最下層に位置しており、
聖職者とは名ばかりの汚れ仕事を長年請け負ってきたのだった。
 汚れと臭いが、身から落ちなくなる程の長きに亘って、だ。

 精神的にもタフではなく、上層(うえ)に媚を売り、部下(した)に気を遣い、いつしか疑心暗鬼の塊となってしまっていた。
 四六時中、人目を気にする性格から結婚生活も破綻し、妻子は何処かへと蒸発。
ストレス発散の為に始めたギャンブルでも大損をしてしまい、この世の全てに嫌気が差した彼は、
ついに教皇庁からも逃げ出してしまった。
 脱走に当たって衝動的に銀糸のローブと具足一揃いを持ち逃げしてしまい、
これを奪い返しに追っ手が差し向けられると思い込んで戦々恐々の日々を送っていたのだが、待てど暮らせど教皇庁は動かない。
 神経を病むまでに追い詰められること一年。自分のような下層の人間には追っ手さえ出されないとハリードヴィッヒは気付かされ、
またしてもどん底まで落ち込むことになる。自分の値打ちは、下の下だと思い込んでしまったのだ。
 それから先も屈辱の日々だった。そのように悪いほうへ考えなければ、多少のスリルはあれども大したことはないのだが、
彼にとっては自分を取り巻く全ての事柄が恥辱であった。そのようにしか彼は考えられない性情だった。

 教皇庁に属していた頃の経験を生かし、サーキットライダーの真似事で糊口を凌ぐ日々が始まったものの、
それすら長続きはしなかった。
 彼の努力が足りなかったわけではない。忍耐が足りずに途中で投げ出したわけでもない。
 AのエンディニオンからBのエンディニオンへ迷い込むと言う不可思議な現象に巻き込まれ、
ようやく見つけた生業の継続さえ困難になってしまったのである。
 彼は、このとき難民となっていた。

 Bのエンディニオンでもさんざんな目に遭わされた。
 ハリードヴィッヒが行き着いたのは、Bのエンディニオンでも特に保守的な気風の強い土地だった。
余所者である彼には誰もが冷たく当たり、自分たちと女神信仰の形態を異にしていると知るや否や、
トラウムを手にハリードヴィッヒを追い出しに掛かったのだ。
 脱兎の如く、逃げ遂せたからこそ「土地から追い出された」と振り返ることも出来るのだが、
逃亡するのが一歩でも遅かったなら、おそらくは彼らに私刑を受け、悪くすれば殺されていたかも知れない。

 ハリードヴィッヒと言う男の人生は、常に悪いほうへ悪いほうへと転がっていた。
彼自身が何らかの悪さを働いたわけではない。それなのに、不思議な力で引っ張られるように一向に上昇する気配がない。
 転落に転落を重ね、食う物に困って行き倒れ寸前となったとき、ギルガメシュの台頭と徴兵を耳にしたのだが、
これ幸いとばかりに仮面兵団のベースキャンプへ駆け込み、これによって運命は一転した。
 難民を救済し、その身を保障してくれると言うギルガメシュとの出会いによって必ず運が回ると、涙を流して喜んだものだ。
 人生がやり直せるかも知れないと、彼は本気で思っていた。

 ところが、彼が配属されたのはギルガメシュの正規軍ではなく、エトランジェ。
戦力補強の為に急造された烏合の衆の只中へと放り出されてしまったのである。
 しかも、上下の人間に気を配れると言う理由のみで厄介な隊長職を押し付けられる始末。
人の上に立つような器など持ち合わせていないと自覚するハリードヴィッヒは、またしても人生の苦しみを抱える羽目になったのだ。
 ベースキャンプを発って決戦地に入ってからは、四十二年の人生の中でも最悪としか言えなかった。
 ギルガメシュ本隊からエトランジェに回される物資は皆無に等しい。
敵軍と長対陣をする事態へ陥ったにも関わらず、食料すら自分たちで準備せねばならない状況だった。
 当然、隊員の不満は本隊とのパイプ役を担うべき隊長へ集中する。
極度の疲弊と精神の磨耗に揺さぶられたハリードヴィッヒは、ついに足腰が立たなくなるまでに弱ってしまった。

 名ばかり隊長の不甲斐なさを見兼ねたアルバトロス・カンパニーがリーダーシップを取ってくれたことは、
不意に訪れた思いがけぬ幸運。権威と権限を奪われて逆恨みするどころか、諸手を挙げて歓迎する僥倖だったのだ。
 後のことは、アルバトロス・カンパニーに任せておけば良いとまでハリードヴィッヒは考えていた。
自分は後方に控えて、身の丈に沿う仕事だけをこなせば、それで良いのだ。


 決戦の砂漠地帯では、海に面した砂丘を持ち場として任された。
 湾岸付近には兵の支援を主務とする揚陸艦や補給艦が停船しており、護衛の為に同航してきた巡洋艦も確認出来る。
戦艦に比べれば些か火力で劣るものの、Bのエンディニオンの船艇を相手に巡洋艦が遅れを取る筈もない。
艦船の技術はAのエンディニオンが遥かに上回っているのだ。
 砂丘地帯は主戦場からも遠く離れており、合戦に巻き込まれることはなかろう。
ただそれだけがハリードヴィッヒの慰めだったのだが、哨戒に出かけていた隊員よりもたらされた一つの報告が、
彼の人生の歯車をまたしても狂わせることになった。

「洋上に敵影を発見」

 連合軍の別働隊と思しき船団が湾岸へ侵略を仕掛けてきたと言うのだ。
 あってはならないことだった。
 隊員たちの疲弊は極限に達しており、仮に敵軍が上陸して来ようものなら為す術もなく全滅させられてしまうだろう。
エトランジェの隊員は満足に戦える状態ではない。
 洋上に姿を現したのは、連合軍の母体たるテムグ・テングリ群狼領の帆船と、佐志の武装漁船である。
敵は船団を編制しているものの、船体そのものは巡洋艦と比べてあまりにも貧相だ。
武装を施しているとは言え、たかが中型の漁船と帆船。砲弾を一発でも食らえば、それだけで沈没してしまうだろう。
 ハリードヴィッヒは、巡洋艦の善戦と完全勝利を心の底から祈った。一兵たりとも浜に上がらぬよう祈り続けた。
 
 その最中に自分の身だけは何としても助けて欲しいと女神イシュタルにも慈悲を求めたのだが、
ハリードヴィッヒに待ち構えていたのは、考えられる限りの最悪の展開であった。
 大勢の隊員を率いる身でありながら自分だけの安全を乞った罰と言うものであろう。
とは言え、これまで不幸せな人生を歩んできた彼は、そうする以外に精神の安定を図る術を持ち得ない。
 ハリードヴィッヒにつきまとう不幸は、彼と言う存在の全てだと言うより他なかった。
 心の底から祈り、乞い、求めた戦果(こと)は、あえなく裏切られた。
 頼みの巡洋艦は武装漁船団のトリッキーな航行で翻弄され、一方的に砲火を浴びることとなった。
船体が真っ二つに割れたのは、戦闘開始からものの数十分。哀れ爆炎に包まれたまま海の藻屑と化したのである。
 湾の底に碇を下ろしていた揚陸艦と補給艦も、巡洋艦撃沈に前後して帆船軍団の餌食となってしまった。

 ――そう、文字通りの餌食となったのだ。

 やがてハリードヴィッヒをも喰らい尽くすことになる変事は、幕の開け方からして怪異であった。
 巡洋艦との海戦に臨む武装漁船団と別れた帆船軍団は、白波を蹴立てて直進し続けていたのだが、
先頭を往く旗船の衝角(ラム)に立って航路を眺めていたひとりの男が、何を血迷ったのか海中へと身を踊らせたのだ。
 著しい戦況の悪化を憂いて身を投じたと言うことであれば、ハリードヴィッヒとしてもまだ納得も出来ただろう。
だが、このときには既に巡洋艦は武装漁船団に幻惑されつつあり、連合軍側の優勢は明らか。何を儚む理由があったと言うのか。

 帆船軍団前方の海面がいきなり盛り上がったのは、ハリードヴィッヒが首を傾げたのと殆ど同時である。
 辺り一面に水飛沫を拡散させながら海中より巨大な影がせり上がり、中空へ跳ね飛んだ男を受け止めた。
「受け止めた」と言うよりも、この巨大な影が海中から現れ出でるタイミングに合わせて跳ね飛んだと表すほうが適切かも知れない。
 突如として海面に現れたのは、岩肌が剥き出しになった禿山である――こうして羅列すると一種異様としか思えないが、
少なくともハリードヴィッヒの目には、そのようにしか見えなかった。
 何の脈絡もなく海中から出現し、その上、帆船と同じ速度で直進を続ける“禿山”の頂上に降り立った件の男は、
全身を十字架に見立てると言う珍奇なポーズを取り、高笑いしているようでもある。
 ただでさえ余裕のないときに奇妙な事態が連続して起こり、混乱の極みにあったハリードヴィッヒの脳は、
帆船に先駆けて海を走る物体が“禿山”でなく海洋生物の甲羅であることに気付くまで、相当な時間を要した。
 目を凝らして確かめればわかることだが、高笑いの男が屹立しているのは、どうやら亀の甲羅のようだ。
それも長径六十メートルはあろうかと言う超大な甲羅である。
 ハリードヴィヒが岩肌と錯覚してしまったのは、甲羅のあちこちから連山の如く張り出した突起であった。
 太古の昔に存在したと伝承される首長竜のような鎌首も甲羅に続いて海上へ現れ、
ここに至って帆船の先を行く物体の正体が断定された。

 ――クリッターだ。
 亀タイプの巨大クリッターが水先案内人のように帆船軍団を先導しているのである。
 帆船軍団前方の海中で何かが潜行あるいは潜航していることは、何人かのエトランジェ隊員も気付いたようだが、
さすがにクリッターの出現までは予想しておらず、怪獣さながらの鳴き声に気圧されて腰を抜かす者が続出した。
 無論、逸早く腰砕けになったのはハリードヴィッヒだ。

 高笑いの男を甲羅に乗せたクリッターは、慌てふためいているだろう補給艦の後方へと長い首をうねらせ、
船の推進を司るスクリューシャフトを強靭な顎でもって噛み砕いてしまった。
 耳を劈くような激音がハリードヴィッヒにも届いたが、これはクリッターに食い千切られたスクリューシャフトの悲鳴ではない。
爆薬を破裂させたような激しい音は、補給艦の近くに停泊していた揚陸艦二隻から聴こえてきたものだった。
 何事かと周囲を窺えば、何とクリッターの甲羅に張り出していた突起物が、揚陸艦目掛けて矢弾の如く射出されているではないか。
揚陸艦の船体に突き刺さった瞬間、大爆発を起こすこの突起物は、生体ミサイルとでも呼称すべき代物である。
分厚い装甲をも貫いて爆発する生体ミサイルは、動力部や艦橋と言った要の部位を直接破壊し得るのだ。
 その上、射出した直後にはすぐさま甲羅の表面が突起状に盛り上がり、
完全な形で再生される為、残弾(タマ)は無尽蔵と言っても良い。
 生体ミサイルの脅威にさらされた揚陸艦は、二隻ともあえなく撃沈。
その間にも亀タイプのクリッターは長い首を鉄球の如く振り回し、補給艦を打擲し続けている。
 巡洋艦は言うに及ばず揚陸艦より一回り小さな補給艦がこの攻撃を耐え凌げる筈もなく、
大破こそ免れたものの、制御を失った船体は海面に引っ繰り返ってしまった。絵に描いたような転覆である。
こうなると手の施しようがなく、沈没と言う末路を待つばかりとなるのだ。


 亀タイプのクリッターに猛撃され、撃沈していく揚陸、補給の両艦にばかりハリードヴィッヒの注意は引き付けられていたが、
名ばかり隊長を尻目に他の隊員たちはアルバトロス・カンパニーの面々の指示に応じて臨戦体勢を整えており、
間もなく上陸するだろうに敵の尖兵に備えていた。
 三隻分の残骸とクリッターの間を通り抜けるようにして湾内にまで侵入した帆船軍団は、
各船艇が砂丘と浜辺へ横っ腹を向けた状態で整列している。
半月状に広がった湾岸を蓋で閉じるかのようにして横一列に並んだ場合、
側面に設置された火力の全てを砂丘ないしは浜辺へ集中出来るようになる。
 その隊列が意味するところは、即ち艦砲射撃の宣言である。

「――来るぞっ! 油断すンじゃないよ、あんたらァッ!」

 やたら威勢の良い声がハリードヴィッヒの鼓膜を打ち据え、彼はようやく意識を現実世界へと引き戻した。
 気付いたときには、彼はたったひとり、砂丘の頂上に置き去りとなっていた。
他の隊員たちは浜辺に繰り出し、各々の得物を構えている。
 自身の置かれた状況を把握した彼が次に確認したのは、
敵帆船の甲板に設えられた投石器から丸みを帯びた物体が速射された様子である。
 放物線を描いて飛んでくる物体を呆けたように眺めていたハリードヴィッヒは、それが爆弾であると判った瞬間、
この世の物とは思えない悲鳴を上げ、鼻水まで垂らして逃げ惑った。
 浜辺とは反対方向へ――砂漠地帯へ逃(のが)れれば敵の手が及ぶことはないと判断し、
隊員たちが制止するのも聞き入れずに砂丘を駆け下りたのだが、
地上を這う爆弾の影は、まるで追尾でもしているかのようにハリードヴィッヒの進行方向へ進んでいく。
 どれだけ駆けに駆けても、いくら女神イシュタルに救いを求めても、空を伐る飛来音は遠ざかってくれなかった。

「なんで俺ばかりがこんな目に遭わなきゃ――」

 死を招く影と音とを間近に感じながらも背後を窺う勇気が出せず、
……そのような事態にまで追い詰められなければならない己の運命が納得出来ず、
ハリードヴィッヒは聖職者であった経歴も忘れて自分を取り巻くもの全てを呪詛した。己自身をも呪っていった。
 ある意味に於いて、それは彼の歩んできた人生を総括する絶叫でもあった。

 逃げ足も、意識も、これから報われたかもしれない運命さえも、怨嗟を迸らせた次の瞬間には粉々に砕け散ってしまった。





 砂丘の向こう側で爆発が起こった瞬間、ハリードヴィッヒの死亡を確信したエトランジェの隊員たちは、
しかし、名ばかりの隊長へ黙祷を捧げようともしなかった。
 同情の余地がないのは確かだが、だからと言って、部下を捨て置き、我先に逃げ出したことへ立腹しているわけではない。
正直なところ、今のエトランジェにとってハリードヴィッヒの惨たらしい末路ですら瑣末なことである。
彼の死を省みるだけの余裕など誰も持ち合わせていなかった。
 巡洋艦に続いて揚陸艦、補給艦をも撃沈させた帆船軍団は湾内に入り込むと、直ちに艦砲射撃を開始。
浜辺と言わず砂丘と言わず、砲弾、爆弾を霰のように降り注がせたのだ。
 大口径の主砲から撃発され、砂地を抉っていく砲弾も脅威ではあるが、それ以上にエトランジェを戦慄させるのは、
投石器から速射される爆弾――つまり、ハリードヴィッヒを仕留めた必殺の兵器だ。
 大型ないしは中型の容器の中へ小型爆弾を満載させて投射するこの兵器は、クラスター爆弾、収束爆弾とも呼称されている。
着弾と同時に小型爆弾が拡散・連鎖爆発し、一度に広範囲を破壊するのである。
 小型爆弾の積載量に応じて容器の形状も千差万別。帆船から投射されたのはボール状の物で、
そのオーソドックスな形状からハリードヴィッヒは爆弾と判断したのだった。
 爆弾には違いないが、まさか自身の肉体を原型もなく吹き飛ばす程の破壊力を備えているとは、
彼には最期の最後まで考えが及ばなかっただろう。

 ハリードヴィッヒはともかく――遺されたエトランジェは、容赦なく繰り出される砲撃と爆撃の嵐に見舞われ、
白兵戦を直前に控えているにも関わらず、支離滅裂なまでに隊列が乱れてしまっていた。
 このように記すと、隊員間で意思の疎通がなされていないように誤解されてしまうかも知れないが、
それだけ状況が逼迫していると言うことである。
 誰も彼も激烈な艦砲射撃から逃れるのに必死で、模範的な整列などしてはいられないと言うほうが、
情況をより適切に伝えることだろう。
 仮に整然と居並んで敵兵来襲に備えていたら、それこそ格好の的である。

 帆船にはミサイルランチャーまで搭載されており、クラスター爆弾と合わせて半月の湾岸を絶え間なく烈震させている。
ミサイルの炸裂に巻き込まれ、既に数名の犠牲者が出ていた。
 爆発に巻き込まれて全身が火達磨と化したエトランジェの仲間が、もがき苦しみながら絶息していく様を目の当たりにしたディアナは、
怒りに任せて波打ち際まで突っ込もうとしたが、これはニコラスとトキハがふたりがかりで食い止めた。

「お前の目は節穴か!? 今、突撃して何になる!? 敵の姿は浜辺のどこにもないんだぞッ!?」

 そのようにボスが言い諭してもディアナは収まりがつかないようで、獣の如き唸り声を上げながら巨大ガントレットを――
得物たる『ドラムガジェット』の鉄拳を振り回している。
 艦砲射撃開始からおよそ十分が経過した頃には、機銃による掃射も加わるようになった。
 射程距離ぎりぎりの位置に陣取っている為か、波打ち際にしかフルメタルの銃弾は届いておらず、
現在までに蜂の巣にされた者は確認されていなかったが、先ほどの特攻を許していれば、
間違いなくディアナが犠牲者第一号になっていた筈だ。

 持ち場として任された以上は何があってもこの場に留まり続け、敵の上陸を防がなければならないのだが、
白兵戦ならいざ知らず、今のままでは単に艦砲射撃の的とされるばかり。ハリードヴィッヒのように犬死するしかなかった。
 制海権を握った以上、敵も陸地へ十分な掃討を仕掛けてから上陸を始めるに違いない。
 意固地になって砂丘に踏み止まり、弾雨を凌ぎ続けたところで、敵が陸地へ上がってくる頃には満身創痍となっているだろう。
ただでさえエトランジェは合戦の前から消耗が激しいのだ。白兵戦に及ぶなど夢のまた夢だった。

 炸裂したミサイルの破片が掠め、僅かながら右腕の肉を削り取られたトキハは、
負傷した箇所へ止血のハンカチを押し当てながらニコラスとボスへ順繰りに目配せしていった。
 黒煙に巻かれて頬を浅黒く汚したニコラスは、トキハが視線を以ってして何を訴えているのかを即座に察し、
微妙に意図が通じなかったらしいボスへ「ここは引きましょう。……このままじゃ全滅しちまう」と耳打ちした。

 この場の誰よりも闘争心を滾らせているディアナを刺激しない為、耳打ちと言う伝達手段を選んだのだが、
妙齢ならではの地獄耳とでも言うべきか、彼女は小さくか細いささやきをもしっかりと聞き取っており、
それが為に目を剥いて怒鳴り声を上げた。

「尻尾を巻いて逃げンのかい!? ひとりもブッ倒してないうちからッ!? ――目ェおっ広げて見なよッ! 
もうすぐ手が届くンじゃないかッ!? ヤツらの喉下にィッ!」

 ディアナが指差すほうを見やれば、艦砲射撃の間隙を縫うようにして五艘ばかりの小船が帆船から漕ぎ出されようとしている。
 おそらくはあれが先発隊なのだろう。小船に乗り込んだ兵たちは一様にレモンイエローの軍服に身を包んでおり、
出で立ちの勇ましさに負けぬ程、面へ浮かべた表情にも戦意の昂揚が感じられた。
 各船にはそれぞれ飛び道具の持ち主が配されているが、銃器を構える者もいれば、投擲用の銛を携える者もいると言う具合に、
手に持つ得物は人それぞれで統一されていない。
軍服のデザインやカラーが揃っているだけに、手元と照らし合わせると何ともアンバランスだった。
 不揃いになるのも無理からぬ話だとニコラスはひとりごち、ガンドラグーンを撫でた。
バズーカ状態にシフトさせてある己のMANAを。
 あれらは全てBのエンディニオンの人間のみが使えるトラウムと見て間違いあるまい。
 パッケージ化された兵装を使うギルガメシュの歩兵のように一から十までお揃いと言うわけには行かないだろうし、
むしろ、不揃いであるが故に、あらゆる戦局でもフレキシブルに対応出来るのだろう。
 これまでの経験からトラウムのことは多少ならず学んでいる。種々様々なトラウムが結集されたときの恐ろしさも、
間近で見てきたのである。

 今のところはトラウムよりも先頭を行く小船に乗り合わせた巨魁のことが、ニコラスには気にかかっていた。
他の面々と同じ軍服姿なのだが、その着衣の上に迷彩柄のプロテクターを纏っており、
しかも、全身の至るところに夥しい量の武装を施している。
 数えていたらキリがないほどの重火器は言うに及ばず、抜き身の刀剣を腰に携え、
左腕には凧のような形状のヒーターシールド、右腕にはチェーンソーをそれぞれ括りつけた威容は、
ただそれだけで見る者全てを圧倒するのだ。
 大小の装甲板が縫い付けられたマントも目を引くが、首からネックレスのように垂らしたガスマスクにもニコラスは注意を払っていた。
どのような難所であっても突入すると言う意思表示のように見えて仕方がなかったのである。
 おそらくあの男は、味方の射撃が炸裂するこの浜辺にも臆することなく飛び降り、平然かつ悠然と歩き回るだろう――
身の丈を遥かに超える対艦ミサイルランチャーを軽々と担ぎ、大胆不敵に笑うその顔は、ニコラスには死神のようにも思えた。


 ニコラスにまで死神と畏怖されたその巨魁は、言うまでもなくゼラールの側近にして軍団最強の戦士、
トルーポ・バスターアローである。
 彼のほうもエトランジェの中に風変わりな的を発見したらしく、自慢の対艦ミサイルランチャーを徐に構えた。
本来、土台に据え付けて発射する筈のその砲門は、風変わりな的――山吹色のツナギに身を包んだ四人へと向けられている。

「――やべぇッ! みんな、散れッ!」

 トルーポが自分たちに狙いをつけたと見て取ったニコラスは、アルバトロス・カンパニーの仲間たちへ
すぐさま散開するよう怒鳴りつけた……が、照準を合わせようと言う段階で気付いても間に合う筈がなく、
足を踏み出すより前に襲ってきた衝撃と爆風によって吹き飛ばされ、彼の意識はほんの一瞬だが、完全にブラックアウトしてしまった。

(……おい、マジかよ。こんなもん、人間が使う武器なのかぁッ!?)

 暗転したまま意識を失うことはなかったものの、気付いたときにはニコラスは砂丘の壁面に叩き付けられていた。
 四人で話していた地点と砂丘とは数メートルは離れている。先ほど見舞われた爆発の強さを思い知ったニコラスは、
早くも第二撃の準備へ掛かっているトルーポに背筋が凍り付いた。
 見れば、着弾地点は四人が集まっていた場所からも更に距離がある。それにも関わらず、砂丘まで吹き飛ばされたと言う事実が、
対艦ミサイルランチャーの恐ろしさを何より如実に物語っているのだ。

 他の三人も爆風によって散り散りに跳ね飛ばされはしたものの、命に関わるような重症を負ってはいない様子だ。
 問題は、今の一撃で更に闘争心が煽られたディアナだが、アルバトロス・カンパニーと関わりの薄いエトランジェの仲間たちも
彼女をこのままにしておくと大変なことになるとの認識は共有しているようで、
近くにいた隊員総出でガントレットが猛進していくのを堰き止めている。
 一先ずトキハのもとに駆け寄り、意識が朦朧としている彼に肩を貸したニコラスは、次いでボスのもとへと駆けた。
 ボスもまたトルーポの得物に負けず劣らず巨大なバズーカを担いでいるが、彼はディアナと違って冷静さを保っており、
今のところ、対艦ミサイルランチャーと正面切って撃ち合うつもりはなさそうだ。
 エトランジェの仲間たちに押し止められて突貫を諦めたディアナも、苦みばしった表情を引っさげてボスのもとに駆けつけた。

「ここはトキハの意見を容れよう。敵はまだ五艘しか船を出していないが、その時点でもう我々の人数を上回っている。
まともにやり合えるか? ここで犬死するのがお前の目的か、ディアナ?」
「………………」
「他のみんなにも声を掛け、とりあえずここから離脱する。砂丘の向こう側に降りることが出来れば、どこぞの部隊と落ち合えるだろう。
そこに駆け込めば、何かしら打開策は得られる筈だ。……隊長殿は、このことを本隊へ知らせてはいたようだが……」

 「……おそらく無視されるだろうな」と、ボスは重苦しい溜め息を破吐いて捨てた。
 エトランジェに対するこれまでの仕打ちを振り返れば、援兵の要請など黙殺されるだろうと考えてしまうのだ。
確認する前から後ろ向きが過ぎるかも知れないが、エトランジェの要請が一蹴されることには、ボスは確信すら持っている。
 その確信は、ニコラスもディアナも等しく持ち合わせていた。
 ところが、トキハだけは「援軍は必ず来ます。本隊が出さないわけがない」と他の面々とは異なることを言い始めた。

「……お前らしくねぇな。ギルガメシュがオレらを助ける? ありえねぇだろ。捨て駒にされるだけだぜ」
「捨て駒扱いってことは否定しないけどね。ただ、本隊にして見れば、この湾岸を奪(と)られるのは手痛い筈。
ましてや避難に使える艦(ふね)までやられてしまったんだ。少ない兵力を割いてでもココを奪い返しに来ると思うよ」
「なンだい、全然援軍じゃないじゃないか」
「……我々の支援ではなく、あくまで自分たちの背を守る為に兵を出すと言うことか」
「ヤツらの考えそうなことだぜ。……コケにしてくれるじゃねぇか、本当」
「だから、捨て駒だって言ったじゃないか。それならそれで、先手を打ってどこかの部隊に助けを求めたほうが合理的だよ。
……どうせ戦わなくちゃならないんだ。それなら万全の体勢で臨めるようにしなくちゃ――でしょう、ディアナさん?」
「………………」

 トキハの説明にはディアナも得心がついたようで、渋々ながらも撤退を了承するように頷いて見せた。
 割り切ってしまえば、ディアナの行動は迅速だ。爆発音や銃撃音にも負けない大音声を張り上げ、
一時撤退をエトランジェの仲間たちに伝達していく。
 実質的なエトランジェの指揮官となっているディアナは砲火を掻い潜って仲間たちを引率し、また鼓舞し、
砂丘からの離脱を滞りなく進めて行った。
 緒戦から何人かの犠牲者を出してしまったものの、このような猛襲にさらされながら全滅を免れたのは
奇跡としか言いようがあるまい。

 敵弾に警戒しながらトキハと共に砂丘を登っていたニコラスは、そっと水平線の彼方を振り返り、
鋼鉄のグローブで包まれた右の拳を強く握り締めた。

「……決着はお預けだな、アル……」




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