2.突入、両帝会戦


 唯一世界宣誓ギルガメシュと、この侵略に敢然と立ち向かう反ギルガメシュ連合軍との武力決戦は、
凄絶としか言いようがなく、また絵にも描けぬ程の様相を呈していた。
 最激戦地は、環境破壊が深刻化していくエンディニオンの中でも最も乾いた大地とされるグドゥー地方――
数多の陣取り合戦を経て世界随一の砂漠地帯、『灼光喰みし赤竜の巣流(そうる)』に至った両軍は、
ここで数週間にも及ぶ睨み合いを続け、その果てに先鋒同士の激突を迎えたのである。

 機(とき)にして、イシュタル暦1481年2月26日――今ここに両帝会戦の火蓋が切って落とされた。

 機先を制して攻撃を仕掛けたのは、ギルガメシュの側だった。
 鏃のような形を取る魚鱗の陣を布き、連合軍と正面から向き合ったギルガメシュ軍は、
両軍の間に広がる岩石地帯まで兵を進めると、自軍の尖端を担う第一陣から第三陣までが横一文字に居並ぶと言う隊列に切り替え、
敵陣の中央へ射撃を開始したのだ。
 砂塵によって両軍の視界が遮られた一瞬の間に完了された早業であった。

 連合軍が布く鶴翼の陣とは、読んで字の如く翼を大きく広げるかのような形に部隊を展開させる陣形であり、
敵軍の包囲及び掌握に最も適している。数で勝る連合軍にとっては必然とも言うべき選択だった。
 これに対してギルガメシュ軍が用いた魚鱗の陣は、「鏃の如き」と言う例えからも判る通り、
中央突破で最大の威力を発揮する陣形である。
 第一陣から第三陣までを横一列に並べて広い壁を作ったギルガメシュ軍の狙いも、
おそらくは中央突破にあったのであろう。
 ……いや、壁ではなく水平連装式の砲台と言うべきであったかも知れない。
 横陣を作ったギルガメシュの先鋒は、鶴翼の根本――つまり、連合軍の中央へと
各隊が持ち得る限りの火力を一斉に降り注がせたのだ。
 今日と言う日へ至るまでに幾度か偶発した小競り合いでは使用されなかった、
隠し球とも言うべき新兵器が惜しみなく投入され、陣の中心を担うデュガリ隊を大いに脅かした。
 殺傷力の高いレーザーを毎秒数十発連射する機関銃、
砲台自体をホバリングさせることによって地形の影響を受けずに安定した射撃が可能となった大型レーザーキャノン、
空中で炸裂し、地上へ無数の拡散レーザーを降り注がせる榴散弾など次々と繰り出される新兵器は、
Bのエンディニオンが特有するトラウムを遙かに凌駕しており、これらを防ぎ切る手立てを持ち得ぬデュガリ隊は
最初の射撃のみで激甚なダメージを被った。

 しかしながらデュガリが率いるのは、テムグ・テングリ群狼領の猛将から更に選りすぐった精鋭部隊である。
敵が中央突破を仕掛けてきた場合には、彼らこそが大本営を守護する最後の砦となるだろう。
 大きなダメージこそあるものの、連合軍最強とも言われる猛者の群れが弾幕に屈することはなく、
すぐさま対レーザー用に反射材を用いた防壁を前面に押し出し、この陰から反撃の矢を応射した。
 ギルガメシュが使用する兵装をアカデミーにて扱ったことがあると言うトルーポの具申へブンカンが耳を傾け、
彼の助言を基にして大急ぎで作らせた防壁ではあったが、
急拵えとは雖も表面に施された鏡の如き反射加工は大いに効果を発揮し、
絶え間なく撃ち込まれるレーザーの嵐を見事に跳ね返していく。
 鏡面の反射によって軌道を歪められたレーザーは、あらぬ方向へと弾け飛び、砂の大地を焦がすばかりだった。
 全てのレーザーを防壁で防ぎきれるわけではなく、また依然として上空から降り注ぐレーザーの雨霰には痛撃を免れないが、
それでも隊伍を整えるには十分であり、「これしきで狼狽えては御屋形様に顔向け出来ぬぞッ! 我らは選ばれし戦士! 
皆々、己こそが我が軍の要と心得よッ!」とデュガリが大音声にて鼓舞する頃には、鶴翼の中心は冷静さを取り戻していた。
 これに比例するかのように、防壁の陰から射られる矢の数も次第に増え始めている。
 矢を受けたギルガメシュの歩兵は熱砂の上をのたうち回ってもがき苦しみ、それから数秒も経たぬ内に絶息していく。
馬軍が伝統的に合戦で用いる猛毒の矢であった。
 光学兵器に比して地味な武器ではあるものの、突き刺さった瞬間に全身を冒し、即座に死へと至らしめる猛毒は、
ギルガメシュの歩兵にとっては恐怖以外の何物でもなかろう。
喰らったら最後、血清を取り寄せる間もなく手遅れになってしまうのだ。
 Bのエンディニオンの特権たるトラウムに頼ることまでも禁忌とし、
徹底的に鍛え上げられた身体能力、動体視力に基づいて繰り出される毒矢は、
射撃管制装置など用いずともギルガメシュ兵を狙い撃ちに仕留めていった。
 時折、両軍を遮断するようにして乾いた風が吹き抜けるものの、デュガリ隊は劣悪な視界など物ともせずに
砂塵のカーテンもろとも敵兵を射貫いて見せた。
 一方、双眸と世界との間を仮面でもって覆っている所為か、テムグ・テングリ群狼領ほどの命中精度を持ち得ないギルガメシュは、
砂塵が吹き付ける度に射撃の効果が下落している。
 そこがデュガリ隊の狙い目と言えよう。敵方の射撃の“呼吸”を見極め、これに合わせることによって、
テクノロジーで劣る弓矢へ絶好の勝機を呼び込んでいた。
 ギルガメシュの側も岸壁に身を隠すなど対応策を講じ、幾分かは毒矢を防げるようになってきたが、
即死を回避する代賞として射撃の命中率はまたしても悪化していった。
 その虚を衝くようにして、デュガリはテムグ・テングリ群狼領伝統の投石器も繰り出した。
 基本的にはゼラールが帆船に搭載していた物と同じクラスター爆弾を投射するのだが、
サイズは二回りも大きく、一度の爆発でより広い範囲の壊滅を狙えるのだ。
 毒矢とクラスター爆弾による威力攻撃はギルガメシュの持ち出した大型兵器を相手に互角の勝負を演じ、
それどころか敵陣をにわかに崩し始めた。

 エルンストの右腕たるデュガリは、そのような好機を逃す凡将ではない。
 左翼を担うカジャム隊から自身に勝るとも劣らぬ猛将、ザムシードとビアルタを繰り出し、
岩石地帯を征圧するようにと大本営へ伝令を走らせた。
陣形の要たる自らが突撃することは出来ないが、好機に恵まれた以上は敵の先鋒を挫くのが得策。
そこで左翼の一角を動かしてみてはどうかとエルンストに伺いを立てた次第である。
 てっきり出撃していくものとばかり考え、闘争心を燃えたぎらせていたエルンストの“御曹司”ことグンガルは、
ザムシードたちへ手柄を譲らねばならなくなったのが不満でならず、臍を噛む思いで顔を顰めた。
 狙撃は弓兵の、投石器の操作は砲兵の受け持ちである為、さしあたってグンガルには出る幕もない。
そのことも彼の焦りを煽っているのだ。

「御曹司がそのような顔をされてはなりませんぞ。全軍の士気に関わります」
「わかっている。……わかっているが、このままここに留まっていたら父上のお役には立てない。
こんなに悔しいことは他にないだろう? 何の為に俺は……っ!」
「御屋形様の為に武勲を飾りたいと願われるのならば、尚のこと、この場にて守りを固められませ。
我らが軽々に動かば陣に隙間が生じます。そこへ雪崩を打って敵勢が乗り込んだなら、どのような事態になるか。
……御曹司、我らは御屋形様の最後の砦でございますぞ」
「……わかっている。わかってはいるのだ……!」

 デュガリは自分たちの持ち場の役割を改めて言い諭し、グンガルも一応は頷いたのだが、心の底から納得した様子ではない。
 わなわなと肩を震わせるグンガルに眩しいばかりの若さを見出したデュガリは、
「末頼もしいことに変わりはないのだがな」と御曹司の将来性を内心喜んでいた。
 無論、表に出すことはない。共感を見つけた途端、後ろ盾を得たとばかりに暴走してしまうのもまた若さ。
内心の喜びは別として、引き締めるべきところをデュガリは見誤ってはいなかった。


 このようにして緒戦は互いの飛び道具を披露し合う展開となった。
 開戦当初こそギルガメシュが繰り出す新兵器の良い的となっていた鶴翼の陣は、
デュガリ隊の奮闘によって徐々に形勢を立て直し、今や光学兵器と弓矢の撃ち合いに於いても互角の勝負となっている。
 最新兵器の投入や陣形の変動からギルガメシュが決戦へ及ぶつもりであると悟ったエルンストは、
即座に全軍へ伝令を走らせた。
 戦況(こと)ここに至った以上、伝えるべき号令はただ一つきりである。

「……諸将に告ぐ。機は熟した。我らのエンディニオンを蚕食せし外道めらを今こそ征討すべし」

 主将たるエルンストが飛ばした檄は、瞬く間に連合軍諸勢力を駆け巡り、
鶴翼の陣の至るところから天地を揺るがすような吼え声が上がった。
 この機を一日千秋の思いで待ち侘びていた者も少なくはあるまい。
最初は散発的に上がるのみであった吠え声だが、時間を経るにつれて互いに共鳴し合うようになり、
ついには一つの大きなうねりと化してギルガメシュを圧していった。

 とりわけ大きな反応を示したのは、やはり血気に逸る両雄ことフェイとアルカークである。
 デュガリの伝令がエルンストのもとへ到着するよりも先に自身の率いる傭兵部隊を動かしたヴィクドの『提督』は、
岩石地帯へ陣取ったギルガメシュの先鋒に狙いを絞っている。
 意思の疎通が絶無である為、デュガリの思惑など知る筈もなければ予想も出来ない筈なのだが、
誰でも考えることは一緒と言うわけか。偶然にもアルカークは政敵を出し抜く形で兵を繰り出していた。

「待ちに待った檜舞台だッ! おのれら、何があっても後ろへ退くことは許さんぞッ!? 
後退する者は誰だろうとこの爪で串刺しにしてやるッ!! 死にたくないのなら、奴らを殺せッ! 皆殺しだッ!! 
憎き害虫どもを根こそぎ滅ぼしてやれィッ!!」

 鈎爪状の義手を振り回して傭兵部隊をどやしつけるアルカークの強面へと冷瞥を送っていたフェイは、
英雄たる自分と無頼の輩とは全く異なる人種であると示すかのようにツヴァイハンダーを天に掲げ、
「神苑に住まう創造女神イシュタルよ、大いなる神々よ。今こそ我らに力を授け給え」と武運長久を厳かに祈った。
 フェイを慕って集まった義勇軍の面々は、その華麗な立ち居振る舞いに魅せられ、
口々に「やはりフェイさんこそ世界を救う勇者なんだ」、「救世主様だ。そうだ、フェイさんは救世主なんだ!」と
彼に対する尊崇の念を唱えている。
 暗闇に包まれたエンディニオンの行く末をフェイならば必ずや切り拓いてくれるものと盲信しているのか、
テムグ・テングリ群狼領より宛がわれた白馬に跨り、ツヴァイハンダーを肩に担ぐと言うただそれだけの挙動にも
義勇軍は大いに沸き立った。
 中には感動するあまり泣き出す者まで現れ、これを見て取ったフェイは、
「何も案じることはありませんよ。僕が来たからにはギルガメシュの好きにはさせません。何があろうと皆を守ってみせます」と
鞍上から慰撫の言葉を掛け、その慈悲深さに義勇軍の一同は熱狂にも等しい歓喜の声を上げた。

 最早、盲信と言うよりも狂信に近い。ひとえに英雄のみが持ちうるカリスマ性がなせる業であろうが、
彼らの輪に交わることのない人間の目には異様な光景として映るばかり。
現にソニエとケロイド・ジュースは、白馬に打ち跨ってツヴァイハンダーを担ぐフェイと、
これを「なんて神々しいんだ……! 竜殺しの聖剣がここに降臨されたぞ!」、
「その使い手のフェイさんは、きっと神人の生まれ変わりに違いない!」、
「生ける神、フェイ・ブランドール・カスケイド……! この御方にお仕え出来るなんて、これを超える喜びはない!」などと
賞賛する義勇軍の様子を遠巻きに眺めながら、呆れ以外の表情が僅かも感じられない面を見合わせた。

「……あの格好は……なんなんだ……エルンストを……真似て……気取っているのか……」
「他に思い当たらないでしょ。……何考えてんのよ、あのバカ。恥の上塗りに気付いてないの……ッ!?」
「……神人の……生まれ変わりとは……恐れ入ったな……聖剣を……エクセルシスを見つけられず……
あまつさえ……ワカンタンカのラコタにすら……あいつは――」
「――だから恥の上塗りって言ってんのっ! ……なんてザマよ。おじいちゃんに見られたら、また何を言われるか……!」
「……ム……ウ……ッ……考えたくも……ないな……これ以上……フェイが……おかしくなるのは……
さすがに……耐えられん……!」

 本来、最も親しい筈のチームメイトから痛罵にも等しい眼差しで見られているとは露知らず、
天高くツヴァイハンダーを翳したフェイは、采配の代わりとしてこれを一気に振り下ろし、義勇軍に出撃を命じた。

「――さぁ、行くぞ、勇者たちよッ! 無頼の徒に遅れを取ってはならないッ! 
勝利が許されるのは、神に選ばれし聖者のみなんだッ!!」

 英雄、……いや、救世主フェイを狂信する義勇軍は、自らを神の使徒とでも思い込んでいるのだろうか――
一度に百名近くが同時にトラウムを発動させたこともあり、辺り一面でヴィトゲンシュタイン粒子の燐光が輪舞を演じたのだが、
誰ともなくこの輝きを「フェイさんが、フェイさんがお通りになるからッ! 神がッ! 勝利がッ! 栄光がぁッ! 
我らの前途を祝福しているゥッ!!」などと言い始めた。
 Bのエンディニオンに生きる者ならば、当たり前のように見慣れているヴィトゲンシュタイン粒子を指して
意味不明としか思えない妄言が飛び出したものの、これを聞き咎める者は誰一人としていない。
それどころか、賛同の声を返す始末だった。

「フェイさんの――神の剣を受けるがいいィッ!」

 命じられるままアルカークに遅れを取るまいと突撃していく義勇軍からソニエとケロイド・ジュースはついに目を逸らしてしまった。
 怖気が走るようなこの光景は、フェイの真の仲間であるふたりにとっては直視に耐え難いものであった。
 ふたりの双眸は、義勇軍だけでなくフェイさえもその視界に捉えてはいない。
本来、最も親しい筈の真の仲間たちは、今やフェイの姿を見つめる勇気さえ失っていた。
 白馬を駆るフェイは表情こそ英雄然として勇ましいが、その瞳はどこまでも濁り、歪みきっている。

(神の剣……神の剣ッ! 神の剣だッ! 僕は神の御使いだったんだッ! 英雄は、そうでなくてはならないんだッ!)

 正気を疑うような目の色とは真逆に、彼が視認する世界は果てしなく澄み渡り、その心を弾ませるものに違いない。
自分を慕う“信徒”たちが、目に映る世界が欺瞞ではないと証明してくれるのだ。
 英雄が発する言葉を疑うことなく素直に受け止め、導かれるままに付き従ってくれる。
英雄が携えし聖なる剣を認めてくれる。これこそ真に平和な世界である。それでなければならないのだ――
白馬の鞍上からの眺めは、まさしくフェイが理想とする世界の具現化であった。

「……ケロちゃん……」
「……行くしか……ないだろう……見ては……いられんが……あいつを……独りには……できん……!」

 陰鬱な心持ちで義勇軍とフェイを見送ったソニエとケロイド・ジュースは、
岩石地帯を目指して去っていく馬蹄、徒(かち)の音を遠くに感じながら、……本当に遠くに感じながら、
重苦しく頷き合って彼らの後を追った。
 今にも風に吹かれてかき消えてしまいそうな足跡を。





 アルカーク率いる傭兵部隊とフェイを狂信する義勇軍は、連合軍の布いた鶴翼の陣に於いて左翼の要である。
位置としては左翼の先端――最も突き出た場所に陣を構えた部隊であり、言わば先鋒の一角であった。
 彼らはギルガメシュの先鋒が陣取った岩石地帯へと競い合うようにして軍を押し進めているが、
当初、この役目には右翼の要――カジャム隊の中からビアルタ、ザムシードの両将が当たる予定だったのだ。
少なくとも、伝令を走らせたデュガリはそれが最善の策だと判断していた。
 ところが、大本営へデュガリの伝令が駆け込んできたときには、既に左翼の両隊は岩石地帯に向かって軍を進め始めており、
事態を憂慮したブンカンはザムシード、ビアルタの両将へ即刻出撃の指示を出したものの、
この段階で取り返しのつかない遅れを取っていた。

 早くも不揃いな足並みが露見した連合軍を「あんたら、本当にイシュタル様を信仰してるのかい? 
こっちのエンディニオンの神人はまがい物かい? 信じる神が同じで、どうしてこうも連携が乱れるかねェ」と
如何にも神官らしい物言いで皮肉ってきたゲレル――否、クインシーに対し、
ブンカンは「信仰は同じでも、こちらはこちらでそれぞれに立場と言うものがありましてね。
皆、自分の領地を守る為に戦っているのですよ。己の手で領地、領民の命運を背負う以上、
信仰のみにとらわれてはいられません」とわざわざ武張った言い回しで反論した。
 皮肉と皮肉の応酬となったが、クインシーなりにブンカンの反論に理を見出したようで、
捨て台詞のように「自分で自分の事情をややこしくしてるだけじゃあないのかい?」と鼻を鳴らしたものの、
敢えて二の句を継ぐことはしなかった。
 伝令への応対や指示をブンカンに委任し、瞑目したまま一連の出来事に応じるエルンストだったが、
クインシーが漏らした言葉には微かに双眸を開き、珍しく「返す言葉もないな」と自嘲の薄笑いを浮かべた。

「……なんだいなんだい、辛気臭い。総大将がそんなことを言い出すようじゃお先真っ暗だよ。
せっかくの運気も逃げちまうってもんさ」
「それをクインシーさんが言いますか。そもそもの原因を作ったのは、どこのどちらさんでしたか」
「あんたも軍師なら軍師で、『あ、ちょっと気持ち沈んだな?』ってときにもっと盛り上げたらどうだい」
「責任転嫁にしては、少し無理がありませんか? どちらかと言うと、私はあなたの責任を追及する立場なのですけど」
「大事な大事なオヤカタサマをないがしろにしといて、何が軍師だって言ってんの、あたしは。
問うなら自分の責任だろうよ。自分が一番に何をするべきか、さぁ、とっとと考えなさいな」
「……友達少ないでしょう、クインシーさん」
「親友がひとりいれば、案外足りるもんさ」
「普通のときに拝聴出来たなら、良いお言葉として受け止められたんですけどねぇ、それ……」

 捨て台詞を最後に皮肉の応酬を打ち切るつもりだったクインシーは、期せずして別の人間の気分を害してしまったのかと心配になり、
ブンカンと掛け合い漫才に興じつつエルンストの様子を窺ったのだが、どうやら彼を立腹させたわけではなさそうだ。
 とは言え、薄く開いた双眸でもって遠くを見つめるエルンストが口を真一文字に閉じてしまったことに変わりはなく、
原因を作ってしまったと言う自覚を持つクインシーや、御屋形様の心の機微を完全には掴み兼ねているブンカンは、
本営に垂れ込める微妙な沈黙へ神経をすり減らす思いだった。

 兵馬の声や砲撃の音は彼方から飛び込んでくるものの、エルンストの周りはただひたすらに静か。
クインシーもブンカンも、次にどのような言葉を発すれば良いのか、迷いに迷って判断し兼ねると言う状況だ。
 大本営に訪れた一種の膠着状態を破ったのは、物見の塔の真下に設えられた簡素な無線通信室からの一報である。

「――ドレッドノート様より入電! 佐志の武装漁船団がギルガメシュの巡洋艦を見事撃沈! 
また、カザン隊もこれより揚陸艦二隻と補給艦一隻へ攻撃を開始! 撃沈次第、半月の湾岸へ上陸を試みるとのこと! 
繰り返します、カザン隊と佐志隊は制海権の奪取に乗りだしました!」

 ピナフォアから入電された内容をオペレーターが大本営に報告した瞬間、どこかぼんやりとしていたエルンストの表情が急変した。
 どこを見ているのか知れなかった瞳には鋭い輝きが宿り、自嘲に歪んでいた口元も今では愉快そうに綻んでいる。
敵の巡洋艦を佐志が沈めたと言う報告に、アルフレッドの采配を感じ取ったのだろう。
どこか淡白にすら思える彼を劇的なまでに昂ぶらせるものは、これを置いて他には考えられなかった。
 勢いに任せて立ち上がったエルンストは、オペレーターへ詳しい戦闘の経緯を提出するよう命じた。
その声すらも軽やかに弾んでおり、傍観者のクインシーは「ちょっと何かおかしなスイッチ入ったんじゃないの? 
もしや、二重人格? 頭ん中に何人か居るタイプなの?」と首を傾げたものだ。

 巡洋艦撃沈へ至るプロセスが事細かに転記された海図が大本営に届けられたのは、それから間のなくのこと。
作戦の立案及び指揮をアルフレッドが担った旨が書かれているほか、敵前で船団を旋回させると言う東郷ターンの実施、
全ての船艇の火力を出し切る密集陣形など戦術まで詳説してある。
 これにはエルンストだけでなくブンカンも舌を巻いた。大袈裟な言い方をするなら彼は同じ作戦家として飛び上がるほど驚き、
次いで「これでは私の出番が怪しくなりませんかね」と軽い嫉妬まで訴えた。

「……東郷ターンか。また渋い戦術を持ち出したものだな」
「途中で攻法を変えたようですが、肝は外していませんね。同航戦に持ち込んで敵の行く手を遮りましたか。
艦橋を狙ったのは『敵の先鋒を討ち取る』と言う戦術の応用でしょう」
「T字戦法はともかく、東郷ターンなどと言う古い戦術をアルフレッドはどこで学んだんだ。
ゼラールと机を並べていたと言う例の士官学校か?」
「私も古文書で一、二度ほど目にした程度ですからね。……アカデミーと言いましたか。
一度、カザン君か、バスターアロー君から詳しく話を聞きたいものですよ」

 「あんたらだけで盛り上がられても、こっちは意味わかんないんだよ。楽しんでる場合かい?」と
不満を漏らすクインシーを置き去りにして、エルンストとブンカンはアルフレッドの試みた『T字戦法』について
あれこれと談義を始めている。
 彼女の言葉を反復することになるが、どうも『おかしなスイッチ』とやらが入ってしまった様子だ。
戦いの世界に生きてきたふたりにとっては、T字戦法と言うフレーズは殊更甘美に響いたらしい。


 しかし、男ふたりだけが盛り上がると言う間口の狭い談義もそう長くは続かなかった。
 オペレーターへ後続するか形でやってきた新たな伝令が急報をもたらし、これによって再び大本営は大きく揺さぶられたのである。

「――申し上げますッ! ギルガメシュは第四陣から第五陣までを先鋒へ送り込んだ模様! 
砲撃の勢いが増しつつある中、ヴィクドの傭兵部隊とカスケイドの義勇軍は敵の先鋒へ急速に接近! 
……なお、敵の本隊は魚鱗から陣形を変えつつあるようです。」

 御屋形様の御前と言うこともあり、本営に飛び込んできた伝令は平伏して報告を行ったのだが、
もたらされた急報に思わず面を強張らせたブンカンは、ブラックレザーの肩当てを強引に掴むと、
「どう言うことだ? 見誤りではないのか? 誰が発見したことだ、それは!?」などと事実関係を問い詰めた。
 まさか格上の軍師から直接詰問されるとは予想だにしていなかった伝令はすっかり萎縮してしまい、
しどろもどろに誤認ではない旨、発見者がビアルタとザムシードである点を付け加えていった。
 何の罪もないのに難詰に晒される伝令を憐れに思ったエルンストは、
やや狼狽気味にあったブンカンへ落ち着くよう促し、双方を引き剥がしてやった。
 件の伝令はブンカンから解放されるや否や、恐怖に満面を引き攣らせながらその場に平伏した。
それ以外の選択肢を彼は持ち得なかった。
 小刻みに肩を震わせる伝令へ持ち場に戻るよう命じたエルンストは、
思いも寄らない事態に目を丸くするクインシーと、荒い呼気を整えようと努めるブンカンを順繰りに見つめ、
次いで「この期に及んで陣形を変えるとは、これがギルガメシュの奥の手か」と場の収集を試みた。
 普段は配下に意思表示を委ねてしまっているエルンストであるが、一番の理解者たるデュガリが不在で、
尚且つブンカンが我を忘れている状態では、平素のスタンスを崩さざるを得ないのだ。

「……伝令の報告によれば、魚鱗を崩したことしかまだわかっていないようですね」
「つまり、先鋒の横陣は囮か。我々の注意を先鋒に引きつけておいて、その隙に陣形を変える手か」
「危機に際して陣を組み直すわけではなさそうですね。緊急回避を図るにしては動きが余りにも統率されています。
奥の手か否かは判断し兼ねますが、最初からこれを狙っていたのは間違いないでしょう」
「先鋒への戦力の逐次投入もそう思うか?」
「それこそ私はまだ判断し兼ねています。どうやら第五陣までを動かしたようですが、
削られた兵数の補給なのか、それすら我々の裏を掻く罠なのか――何らかの狙いが忍ばせてあるとしたら、
……そうですね、アルフレッド君なら見抜けるのではありませんか?」
「こいつめ、何を拗ねている」

 話をし続ける間に冷静さを取り戻したブンカンは、大本営の隅に控えていた配下へ合戦場の地図を用意するよう命じた。
 配下から受け取った地図を机上に広げ、岩石地帯の部分を指で示したブンカンは、
「状況次第では、こちらも陣形の変更を考えなければなりませんが……」と自身の想定するところを具申した。
 どこか無理やりに搾り出したようにも聞こえるその声は、誰の耳にも明白な程に擦れており、
ブンカンを狼狽へと至らしめた最大の理由が軍事に疎いクインシーにも察せられた。





 ブンカンが指で示した岩石地帯では、左翼から出撃したアルカークの傭兵部隊とフェイを狂信する義勇軍、
そして、左翼より飛び出していったザムシード及びビアルタの部隊がギルガメシュの先鋒を挟撃に攻めようとしていた。
 挟撃と言っても、示し合わせて連携に及んだわけではなく、大本営の号令を待たず先走って陣形を崩した左翼と、
彼らの後を追って突撃した右翼とが偶然にもかち合った次第である。

 両の翼を広げる容(かたち)を取る鶴翼の陣は、敵兵を包囲して搦め取るからこそ有効なのであって、
相手の狙いを計り兼ねる状況で陣形を崩してしまっては元も子もない。
 ある種の衝動に取り憑かれたアルカークやフェイはともかくとして、
百戦錬磨のテムグ・テングリ群狼領が軽々しく掟破りなどするわけがなく、
ザムシードたちが動いたことには止むに止まれぬ事情があった。
 そこには、デュガリがカジャム隊からの出撃を提案した理由も深く関わっている。
 左翼の要は確かにカジャムの部隊――つまり、テムグ・テングリ群狼領が占めているものの、
羽根の先に当たる先鋒以外はテムグ・テングリ群狼領に反感を持つ諸勢力で固められており、
大本営、つまりエルンストからの“命令”を素直には聞き入れそうになかった。
 せいぜい全体的な指針に従う程度であろう。個別に向けた命令など撥ね付けられるに違いない。
 尤も、カジャムもデュガリも諸勢力の協調には全く期待などしていない。
最強の馬軍とまで謳われ、エンディニオンに覇を唱えんとするテムグ・テングリ群狼領が
他方へ下手に貸しを作るわけには行かないともふたりは考えているのだ。
 戦局を動かすに当たっては、必然的にテムグ・テングリ群狼領から兵を繰り出すしかないのである。


 猛将と言う渾名が群狼領の誰よりも似つかわしいビアルタは、大喜びで交戦区域に駆けつけると思いきや、
満面にギラギラと憤懣を漲らせており、同行するザムシードですら肩を竦ませる始末だった。
 ビアルタは自身の軍馬に手製の兵器を携えている。馬首の付け根あたりに長大なベルトを掛け、
左右の側面に垂直三連装の大型ボウガンを括り付けると言うかなりの変わり種なのだが、
貫通力、実用性ともに折り紙付きの逸品――あるいは珍品――である。
 鞍の手前へ位置するように作られたトリガーを引けば合計六本もの巨大な矢が射出されるこの兵器を、
彼は馬上ボウガンと呼んでいた。
 杭と呼ぶのが相応しいようにも思える鋼鉄の矢は、本来ならばギルガメシュに向かって射出される物なのだが、
頭に血が上ったビアルタであれば、もしかするとフェイやアルカークを背後から射貫いてしまうかも知れない。
 先程来、「隊伍を乱すバカは死ななければ治らない!」としきりに繰り返しており、
補充用の矢の束を管理するビアルタの配下も、怒りに打ち震える背中を追いかけながら彼の暴発を危惧していた。

「フェイ・ブランドール・カスケイド、アルカーク・マスターソン……ッ! どいつもこいつも勝手な振る舞いをしてくれるッ! 
あいつらは蠅か、蚊か!? 目障りなッ! 軍規無視で処断するのが妥当だッ!」
「我ら馬軍の規律があの者らにどうして適用されるのか。あれらは御屋形様の臣下ではなく同志。
それも一時的に共闘しているに過ぎんのだ。下手に突けば、合戦を放り出すやも知れん。
そうなったら、ビアルタ殿のほうこそ軍規違反を問われるぞ」
「ザムシード殿ォッ!」
「腹が立つのは俺も同じだが、一先ずそれを忘れようと言っているんだ。責任追及は合戦を終わらせた後でも遅くはなかろう? 
貴重な戦力を、これが必要な場所で投げ捨てるのは愚か者のやることだ」
「使える者はなんでも使う、と? さすがはザムシード殿。肝の太さには敵いませんな!」
「……痛いところを突いてくれる。反論も出来ぬ身だが、俺の言うことを理解できないビアルタ殿でもあるまい? 
此度の決戦は我らの沽券にも関わる大一番。勝利が大前提。その上で利を得る。……違うか?」
「あやつらはいずれ必ず御屋形様に害をなすッ! 暴徒駆逐の代賞がこの首だと言うなら、喜んで差し出しましょうッ!」
「また短気を……」

 つまるところ、アルカークとフェイに出し抜かれたことがビアルタにはどうにも許せず、
ザムシードが宥めるのも聞かずに歯ぎしりまでしていきり立っている次第である。
 ただでさえ精悍な面を憤怒の形相に歪めており、配下の者が怯えるのも無理からぬ話と言えた。

 第四陣から第五陣までの兵力を新たに投入したとは言え、連合軍側から攻め寄せる三隊と比較すれば、
岩石地帯に入ったギルガメシュの先鋒などは容易く踏み砕かれてしまうだろう。兵数の格差は歴然であった。
 正味の話、アルカークとフェイに任せておけば事足りる。わざわざ自分たちが出向くまでもないとザムシードは腹の底で考えていた。
 デュガリの提案に理があることは重々承知しているのだが、
緒戦から馬軍を動かさずともフェイたちのような血気盛んな“小兵”に露払いを委ね、
使うべきときに大軍を押し出せば良いと言うのがザムシードなりの考えである。
合戦は始まったばかり。決着を見るまでの道のりは遠いことだろうとも彼は胸中にて思っていた。
 カジャム隊の戦力を二つに割く必要性があるのか、あるいはその判断が妥当なのか否か、
無礼を承知でエルンストに伺いを立てようと考えはしたものの、その伝令を返す間もなくザムシードは出陣を余儀なくされた。
 合戦の行く末を占うような事態が敵陣にて起こりつつあるのだ。

 横一文字に布陣し直し、更には兵力の増援まで得たギルガメシュの先鋒は、
フェイ率いる義勇軍に先んじて岩石地帯へ攻め込んだヴィクドの傭兵部隊を相手に一進一退の攻防を演じている。
 テムグ・テングリ群狼領が用意したような防壁を持ち得ぬ傭兵たちは、
次から次へと繰り出される光学兵器の前に戦死者を増やしながらも、これを盾にして進撃を強行。
傭兵たちの提督たるアルカークは自ら陣頭に立って猛攻し、夥しい量の返り血を浴び続けていた。
 提督と言う権力の上に胡座を掻くばかりの無能な論者ではなかったと言うわけだ。
右の義手に接続された鈎爪を突き立てて敵兵の胸板を、眉間を、首筋を貫き、
ときには左の掌で仮面ごと標的の頭部を握り潰すと言う猛襲は、荒くれの傭兵たちを統率する器を雄弁に物語っていた。
 レーザーライフルに狙われていると見るや、鈎爪で串刺しにした敵兵を振り回して光線を防いだアルカークは、
その悪鬼の形相に狼狽えた仮面兵団へ猛虎の如く飛びかかり、リーダー格の脳天を足裏で踏みつけて粉砕、
次いで右の鈎爪、左の拳骨を縦横無尽に振るって配下の者たちを虐殺していった。
 Aのエンディニオンに関わる一切をBのエンディニオンから根絶させようとアルカークは躍起になっている。
この狂気をはらんだ猛襲が件の危険思想に基づいて発揮されるものだとするなら、
まさしく恐るべき執念と呼ぶよりほかあるまい。

 アルカーク提督と、彼に率いられる傭兵部隊の慈悲なき進軍は、
まず間違いなく戦局に影響を及ぼす重大なファクターであろうが、これ自体はザムシードも問題視していない。
いずれ狂気の猛襲はテムグ・テングリ群狼領に矛先が向けられ、そのときにはアルカークは手強い大敵となるだろうが、
現時点で展開される熱砂の戦いに於いては、何ら問題にはしていなかった。

 ザムシードにとっての問題は、ヴィクドの傭兵たちが猛烈な勢いで敵の先鋒と激闘する岩石地帯よりも更に遠方――
魚鱗の陣を布くギルガメシュの本隊にあった。
 先端部分に当たる第一陣から第五陣までを投入してアルカークらを食い止め、
その隙に本隊は次なる攻撃の準備へ移行しようとしている。ザムシードの目にはそのように映っていた。
 第六陣から後ろの大部隊は、当初布いていた魚鱗の陣を崩して大きく移動し始めている。
砂漠に車輪を描くような形で疾走する様は、およそ退転とはかけ離れており、行動としては転進に近い。
 ギルガメシュが陣形を変えつつあることにはカジャムもすぐに感付き、
ザムシードとビアルタを出撃させる一方、大本営へこの旨を報告させる伝令を即座に遣わした。

『連合軍と言ったって、信じられるのは群狼領の仲間だけ。……愉快な話じゃないわね。
ふたりとも、十分に気をつけなさい。敵はどこにでも潜んでいるわ』

 出撃に際してカジャムから掛けられた言葉がザムシードの胸に蘇った。
 そう、敵はどこにでも潜んでいる。足並みを乱す障碍もどこに転がっているかわからない――
それだけにギルガメシュが陣形を変え始めたことをザムシードは憂慮していた。

(ただ単に陣形を変えるだけとは思えないが……。御屋形様、ブンカン殿、どう見ておられる?)

 岩石地帯に陣取るギルガメシュの先鋒は、今や間近に迫っていた。
 本隊が陣形変更を完了するまでの間、彼らはなんとしても猶予を稼ぐ覚悟なのだろう。
人間の壁とも言うべき横陣から撃発されるレーザーの洗礼は、一層激しさを増している。




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