11.No one shall be held in slavery


 彼方の空に起こった怪異は守孝も確認していた。
空間が虹色に歪むと言う超常現象が何を意味するのか、それも完全な理解に至っている。
 真っ先にルナゲイト征圧事件との酷似を叫んだのはネイサンだった。
 守孝や源八郎、源少七と言った佐志の面々はジューダス・ローブとの決戦の場には居合わせず、
ギルガメシュが仕掛けた奇襲のあらましは、実際に遭遇したアルフレッドたちから伝え聞いたのみであったが、
その折にも同様の現象が起きたと言う。
 秘密の抜け穴のような裂け目が空間の歪みによって生じ、そこからギルガメシュの兵団が降り立つ――
虚像としてしか思い描けなかったものが、今、現実の質量を伴って守孝の前に現れたのだ。
 佐志軍の合戦が終わるまでの間、ツォハノアイを撃破した地点にて待機することになったゼラール軍団の背後にも
秘密の抜け穴が開かれ、そこから飛び出してきた新手の仮面兵団、クリッターが天上天下唯我独尊の旗を踏み躙ろうと襲い掛かる。
 その様子を目の当たりにし、守孝は以前に伝聞した事変が如何に凄まじい出来事だったのかを初めて理解した次第である。

 今のところはゼラール軍団の撃破を最優先させているらしく、佐志が布陣する戦域へ兵を差し向ける気配はなさそうだ。
 新たに熱砂へ訪れた増援が自軍のエトランジェ(外人部隊)を周知しているかは不明であるが、
ひとまずは不倶戴天の大敵たるテムグ・テングリ群狼領の部隊を仕留めるのが先決と言うことだ。
 いずれ佐志軍は彼らを迎え撃つこととなるだろう。ゼラール軍団の旗色が悪くなったと見れば、
必要な兵力のみを留めて佐志軍へ別働隊を繰り出すかも知れない。
 その危険性を考慮した守孝は、後方にて待機していた歩兵隊と銃砲隊、術師隊の三隊にゼラール軍団の支援を号令した。
三隊を援軍として送り込み、両軍の力を結集してギルガメシュの増援を叩くと言うのが守孝の思案である。
 当然、自軍の兵力は大きく現象するのだが、ゼラール軍団が余力を残しているうちに合流したほうが
よほど合理的に戦況を動かせると言うもの。殴られただけで崩れ去るような薄い土壁を二枚設置するのではなく、
どれほどの大風を吹き付けられてもビクともしない厚くて大きな鉄壁でもって敵の新手を跳ね返すのだ――
守孝の指示を受けた源少七は、三隊を率いてゼラール軍団の援護に赴いた。

 すっかりやる気が失せた撫子は、彼らに同行せず熱砂の只中にひとり居残ってモバイル遊びに興じている。
 尤も、源少七のほうも撫子の参戦になど最初から期待はしていない。
彼女を後見する父の手前、口には出さないものの、内心では居残って貰ったほうが気持ちも楽だとさえ思っていた。

 何ら屈折した物を抱えずに援軍へ向かえることを源少七は晴れがましく喜んでいたものの、
禍福は糾える縄の如しとの諺が示すように、事態を悪しき方向へ一転させる要因は幾らでも転がっている。
 ほぼ佐志の総力である三隊を率いて熱砂を駆ける源少七であったが、
その行く手はアルバトロス・カンパニーを率いるボスによって容易く阻まれてしまった。

 物理的に佐志三隊の進行を食い止めたのは、彼らの行く手にて逆巻く砂塵と、これを生じさせた激烈な衝撃波である。
 何事かと周囲を注視すれば、エトランジェの一員として佐志と対峙しているボスが得物の砲門を佐志三隊へと向けているではないか。
 応戦しようと水中銃を構える源少七だったが、再び前方にて起こった衝撃波で足元を掬われ、
同道していた仲間と共に熱砂の上に薙ぎ倒されてしまった。

 直接砲撃に巻き込まれたわけではなかった為、源少七も佐志の仲間たちも多少の打撲を被る程度で済んだものの、
ボスから繰り出される砲撃には戦慄を覚え、今や歩みを止めてしまっている。
 着弾した場所はクレーターのように地表が抉れている。
 父親譲りと言うものであろう。源少七の双眸は、ボスの得物がどのように可動したか、その一部始終をつぶさに監察していた。
 二股に分かれた長大な砲身が火花を散らす程の高圧電流を帯びかと思えば、
その電流が今度は二股の砲身を結ぶようにして光の輪を作り出した。
 根元から先端に至るまで光の輪は無数に発生し、この現象と並行して射出口が開かれた――
そこまでは源少七の双眸も捉えていたのだが、弾頭らしき物体が覗いたかと思った瞬間、
自軍の間近で爆裂が発生し、彼の身体は砂上に叩き付けられたのである。
 形状から察するに、射出口から撃発される砲弾は二股の砲身の間を経由するのであろうが、
それでは先んじて発生した光の輪を潜った瞬間、別の空間へワープでもしたと言うことか。
あるいは、ワープに匹敵する速度にまで一瞬で達したとしか思えなかった。

 源少七が砲身に見立てた二股の機構は、正確には電流を流す為のレールである。
 二本のレールを電磁の力で満たし、これによって弾速を神速の域にまで誘導する武器いや兵器は、
読んで字の如く、リニアレールキャノンと呼称されていた。電磁加速砲との異称もある。
 複雑なメカニズムを経由するものの、電磁的に加速された砲弾は源少七が錯覚したようにワープに等しくなるのだ。
速度は言わずもがな、砂の大地に穿たれたクレーターを見れば威力の程も自ずと判るだろう。
 『ハイエンド・カリカチュア』と銘打たれたリニアレールキャノンのMANAこそがボスの得物であり、
同時にこれがアルバトロス・カンパニーひいてはエトランジェが備える最強の攻撃力であった。

 まともに喰らおうものなら骨身を粉々にされてしまうだろうが、現在までに直撃された者は誰ひとりとしていない。
どうもボスは直撃させないようわざと狙いを外している様子だ。あくまで威嚇射撃と言うことである。
 しかし、だ。これは裏返せば、直撃の有無を自由自在にコントロール出来るだけの技量を
ボスが備えていることの証左でもあるのだ。
 リニアレールキャノンと言う大型兵器ではあるものの、おそらく狙おうと思えば落下するコインですら
ボスは外すことなく撃ち抜くことだろう。

 瞠目して立ち止まった佐志三隊を徹底して脅かす為、今一度、ボスはリニアレールキャノンを構えた。
次に狙うのは、源少七たちが立ち竦んでいる地点から僅かに離れた後方の砂地である。
 電磁の力によって生み出された光の輪を潜り抜けるべく砲弾が射出口より顔を覗かせ、
次いで源少七の身を震わせる――

「相手に取って不足はねぇや。腕が鳴りますぜ」

 ――かに思われたのだが、ハイエンド・カリカチュアから発射された砲弾は突如として中空にて爆散し、
照準を合わせた地点へ飛来することはなかった。
 狙撃主には狙撃主と言うことか。トレードマークであるサングラスの下から放たれた鋭い眼光は、
横合いから長銃身のスナイパーライフルを撃ち込んできたと思しき源八郎へと向かっている。
果たして、ボスの読んだ通りに彼が構えるスナイパーライフルの銃口からは鈍色の硝煙が立ち上っていた。

 当の源八郎は愛息に向かって先に進むよう促している。
 父の意を得た源少七は、「ここが正念場だァッ! 褌締め直せッ!」と立ち竦む仲間たちを大喝でもって鼓舞し、
ボスの動向に警戒しつつ再びゼラール軍団のもとへと駆け出した。
 その間にもボスは前進する三隊をリニアレールキャノンで威圧しようと試みたが、
射出された砲弾は全て源八郎が撃墜。間もなく源少七たちはゼラール軍団に合流し、
秘密の抜け穴を通って奇襲してきた敵の増援と交戦に及んだ。

 一瞬、瓦解の危機に陥ったゼラール軍団だったが、佐志の援軍によって息を吹き返し、
ギルガメシュの新手を押し返し始めた――その様を見て取ったボスは、
「……覚悟を決めねばならんのは、どうやら俺のほうらしいな……」と嘆息を漏らし、
ついにリニアレールキャノンの標的を源八郎へと切り替えた。
 このまま源八郎を捨て置けば、エトランジェの切り札とも言うべきリニアレールキャノンが無効化されると判断したのであろう。
源八郎のほうも一対一の撃ち合いへ発展したことは悟っており、ボスの挑戦へ応じるように
リニアレールキャノンの砲門とスナイパーライフルの銃口とを向かい合わせた。
 そこから先は絶え間ない弾丸の撃ち合いである。
 ボスが撃てば源八郎が、源八郎が撃てばボスが、互いの弾丸を中空にて撃墜し合うと言う凄まじい状況と化している。


 立て続けに空中で発生する爆裂は四方八方に衝撃波を拡散させ、
佐志の遊撃部隊と言わずエトランジェと言わず、地上で乱戦する者たちはこれによって大いに身体を揺るがされた。
 限界を超えてなお力を振り絞って戦うエトランジェにとっては、余計な体力を削られる事態は忌避すべきものなのだが、
肩に背に骨身にまで圧し掛かる衝撃波さえ彼らを屈服させることは出来ず、
不利的状況どころか、これすら勢いに換えて佐志の遊撃部隊を圧倒している。
 衝撃波で体勢を傾かされ、……エトランジェと斬り結ばなければならないと言う過酷な現実の前に心を揺さぶられ、
佐志の遊撃部隊はあらゆる意味で軸が定まらなくなっており、大苦戦を強いられるのは必然と言えた。
 「窮鼠猫を噛む」と言う情況が彼らの身心を奮い立たせているのは間違いなかろうが、
それ以上に戦況へ作用し、佐志軍を追い込んでいるのはトキハの采配である。

 アルコールを摂取することによって身心を活性化し、
全ての潜在能力を引き出すと言う一風変わった特技――奇癖と言ってもよかろう――の持ち主であるトキハは、
開戦に当たって酒瓶を一気に呷ったのだが、蓄積された疲弊もあって普段より酔いが早く回ったらしく、
遊撃部隊と激突する頃には既に呂律が怪しくなっていた。
 移動時にはスケートボードへと可変する自身のMANA、『絶影』も現在は戦闘形態だ。
形状こそ一般家庭にも普及しているローラーブレードそのものだが、車輪の表面が鋭利な刃となっており、
近接戦闘時にはこれを振り抜き、標的の急所を斬り裂くのである。
 酔いが回った状態のトキハがMANAをローラーブレードにシフトさせた場合、
それは標的の膾斬りをも意味している。
 蛇身がうねるかの如く身のこなしは変則的となり、捕捉することさえ困難になってしまうのだ。
加えて身体能力、反応速度ともに限界まで増幅されている為、攻守の鋭さは電光石火となる。
 極めつけは人格の豹変だ。普段、抑圧されている何かが解放されてしまうのか、
酩酊したトキハは攻撃性が剥き出しになる。残虐とまでは行かないものの、限りなくそれに近付いてしまうのである。
 エトランジェを征圧するにはトキハを押さえるのが先決だと見極めたヒューは、
先程来、手錠を放って彼の捕縛を図っているのだが、
極めて卓越された技量をもってしてもトリッキーな動きの前には為す術がない。
 予測不能な動きによって幻惑され、繰り出す手錠をことごとくローラーブレードで弾き返され、
ヒューは「俺っち、もう自信喪失だよ。探偵廃業しようかしら……」とまで漏らしている。
 さりとて、トキハ相手にRJ764マジックアワーを撃発するわけにも行かず、
グリップの底に接続されたブレードでもって反撃の刃を切り抜けることしか出来なかった。

 ヒューを相手にする一方で、トキハはエトランジェの仲間たちに戦闘の指示を出し続けている。
 「訛りのキツいおっさんと正義の味方にはサシでかかれ! ヤツらは手も足も出なくなる!」、
「おう、ホゥリー相手にひとりで行くんじゃねぇよ! まとめてかかれや!」、
「チンタラやってんじゃねぇぞォッ! クソ隊長みてーに無様におっ死にてぇかぁ!?」などと口調こそ荒々しいが、
酩酊状態にも関わらずトキハの慧眼は戦況を正確に読み取っており、
誰をどのように責め立てればより精神的なプレッシャーを与えられるか、そこまで熟考していた。

 遊撃部隊の中でも最強レベルの戦力であるローガンとハーヴェストに対して単騎で挑めと言うのは、
傍目には酷な指示とも思えるのだが、根っからの善人であるふたりは、
今にも死にそうな顔で立ち向かってくる相手に応戦など出来る筈もなく、結果的に無力化させられるのだ。
 逆にホゥリーには複数人で組み付くよう厳命している。
 プロキシ発動の要たる歌舞を行えないよう連続して攻撃を仕掛け、最大の脅威を封じ込めようと言うのが
トキハの狙いだった。
 これらは全てアルフレッドが立案し、ジューダス・ローブの未来予知を撃破したネビュラ戦法のアレンジである。
 敵の能力を封殺する方策と言う骨子を踏まえた上で、この戦いへ即した形に応用させたのだ。

「メイドだけは絶対に狙うな。始末するなら、胸のデケぇお嬢様とガンファイター気取りの金髪からだ」

 形振り構わぬ決死の戦いであることは、この指示が物語っている。
 先程の撫子とのやり取りから察するにタスクは弱い者を放っておけない性質の様子。
つまり、苦戦を強いられる者を見つければ、自身の危険も顧みずに助けに走ると言うことだ。
 タスクの人となりを読み取ったトキハは、マリスとの主従関係を踏まえた上で件の指示を出したのだが、
これはあまりにも卑劣であった。
 敢えて本人を標的から外し、フィーナとマリスに狙いを集中した場合、
必然的に彼女らふたりの防御をタスクがひとりで負うことになる。
 リインカネーションと言う奇跡のトラウムを備えてはいるものの、直接的な戦闘能力が皆無に等しいマリスは勿論のこと、
フィーナも戦意を喪失しており、放っておけば即座に蜂の巣にされてしまうだろう。
 フィーナとマリスを分断し、出来る限り遠ざけるようにとの指示もトキハは合わせて出している。
 こうすることでタスクを身心ともに追い詰め、より早く消耗させようと言うのだ。

 一連の所業に怒り狂ったムルグは、ヒューに代わってトキハを仕留めるべく天空へ羽撃(はばた)こうとしたのだが、
これはフィーナから止められてしまった。

「それだけはダメだよ、ムルグっ! みんなを傷つけてしまったら、もう……もう、本当に後戻り出来なくなっちゃうから……っ! 
そんなの、私は……私はァ……――」

 最愛のパートナーより涙ながらに哀願されてはムルグとしても折れざるを得ず、
滑空する方向を変えてタスクのサポートへと回った。
 それもまた難儀なことだった。
 桁外れの戦闘力の持ち主であるムルグは手加減と言うものが大の不得手で、
必要以上に緊張するあまり、普段の三分の一も実力を発揮出来なくなってしまうのだ。
 幾重にも鬱屈を溜め込み、またトキハに対する怒りも鎮まってはおらず、
エトランジェの猛攻を凌ぎながらもムルグは何度となく憤激の嘶きを上げていた。
 憤激の向かう先は、言わずもがなトキハである。

 あらん限りの殺意と憎悪が自分自身に向けられていると悟ったトキハは、
「わかってんだよ。……わかってて、やってんだよ」と苦悶し、次いで血が滲むほどに唇を噛み締めた。
 これがアルフレッドであったなら、手酷く面罵されたところで悪びれもせずに
「必要なことをするまでだ」と鼻を鳴らしただろうが、ローガンやハーヴェストと同じように根が善良なトキハには、
他者から突き立てられる負の想念が堪えるのだ。
 エトランジェの為、生き残る為にと気を張ってはいるものの、これが正しい選択とは彼自身も思ってはいない。
 フィーナとマリス、そしてタスクを卑劣な罠に嵌めて追い込むことへ呵責を持ち得ぬわけがなく、
涙を溜めながら「金髪を殺る前に、まずはあのニワトリだッ! アイツを生かしておくと面倒だッ!」と
怒声を張り上げていた。

「バカちんめ。泣きそうになるくらい無理しなきゃならねぇなら、最初(ハナ)っからこんなマネをすんじゃね〜よ。
……お前さんには不向きだろ、こう言う汚れ役はよ」

 心根を察したヒューから温かな言葉を掛けられ、思わず涙腺が緩みそうになるトキハだったが、
感情を押し殺すようにして歯を食いしばり、ローラーブレードの刃を返答に代えた。
 軋む心を懸命に奮い立たせて戦えるのは、リニアレールキャノンの唸り声を背に受けているからだ。
ヒューの肩越しにディアナの姿を見ることが出来るからだ。
 まさしくディアナは鬼神と化して戦い続けており、彼女の背負う物を思えばこそ、
易々と屈するわけには行かなくなるのである。

「一歩たりとも退くンじゃないよッ!? あたしら自身が最終防衛ラインなンだッ! 
あたしらが突破されたら、守るべきもンが粉々にされちまうッ! そンな暴力は許さないッ!」

 合戦場に轟くディアナの吼え声が、トキハに、そして、エトランジェの総員に自分たちの戦う理由を思い出させ、
今にも壊れてしまいそうな身体を前へ、前へと進ませるのだった。


 仲間を鼓舞しながらガントレットを振り回すディアナに向けて「この分からず屋がッ!」と激昂漲る白刃を振り下ろすのは、
最初に彼女との対戦を宣言したレイチェルである。
 ジャマダハルのトラウム、グロリアス・キャンデレブラムをガントレットで受け止めたディアナは、
力任せにレイチェルを押し退け、横転した彼女に反撃の鉄拳を振り落とした。
 一切の手心を加えない、渾身の一撃だった。
 間一髪のところで半身を逸らし、肉の塊と化すのを免れたレイチェルは、
巻き上げられた砂埃の渦中へと敢えて踏み入り、追撃を加えるべく突進してきたディアナの左脛を掠め斬った。

 切断には程遠いものの、肉を裂かれて血潮が噴き出せば、幾ら気を張っていても肉体は素直に反応する。
 堪えきれずに横倒しとなったディアナに対し、レイチェルは攻撃の手を緩めない。
斜め上から打ち下ろすような刺突でもってディアナの肩口を執拗に狙い続けた。
 通常の刀剣と異なり、水平に設けられたグリップを片手で握り締めると言う性質上、刺突の動作もより鋭敏になる。
鬼気迫る形相から繰り出される刺突は、一度や二度では止まらなかった。
 攻守の逆転を許したディアナではあるが、彼女とてやられたままではない。
 後方へ転がり続けてジャマダハルの剣先を避け、直撃を得られないことに焦れたレイチェルが
横薙ぎに切り替えようとした瞬間、急激に身を跳ね起こし、その勢いを乗せてガントレットを振り回した。
 バックスピンを伴って振り抜かれた鉄拳は、横薙ぎを放たんとしていたレイチェルの挙動と交差し、彼女の痩身を撥ね飛ばした。
 他の遊撃部隊のメンバー同様、レイチェルもK・kが仕立てたボディアーマーを身に付けている為、
多少の打撃は防げる筈だった。しかし、ディアナを相手に闘う場合はこの限りではない。
 ドラムガジェット――ディアナが振るうガントレットにはジェット噴射を行う機構が搭載してあり、
これによって爆発的な破壊力を得ることが出来るのだ。
 つまり、ドラムガジェットの前にはボディアーマーなど無意味と言うことである。
プロテクターの上からでもダメージは貫通し、レイチェルの骨身を軋ませるのだった。
 カウンター気味に繰り出された裏拳がレイチェルに手酷いダメージを負わせたのは明らかで、
砂の上を転がった彼女は、今にも絶息するのではないかと案じてしまうほど呼気が乱れている。
 肋骨が何本折れているのかも定かではなかった。
 よくよく目を凝らせば、ボディアーマーが歪な形にひしゃげてしまっているではないか。
身の動きを阻害するまでに損壊したボディアーマーは、
幾度となくドラムガジェットの直撃を被ってきたことを如実に表していた。

 血反吐に塗れながら立ち上がったレイチェルに「あンたもしつこいね。死ななきゃ治ンないバカかい?」と
鼻を鳴らすディアナではあるものの、彼女とて五体満足ではない。人のことを笑ってなどいられない状態だった。
 顎の下を横一文字に斬り裂かれ、そこから鮮血が噴き出しているのだが、
これは今し方レイチェルに刻まれたものである。
 翻弄するかのような裏拳でもってレイチェルを撥ね飛ばしたものの、
その最中、マコシカの酋長は鬼の執念で白刃を翻し、人体急所の一つである顎を一閃したのだ。
 顎下、右脛――ほんの数分の間に二ヶ所へ痛撃を被ったディアナだが、
爪先から頭のてっぺんまで容態を確かめると、全身に無数の切り傷を負っていることが判る。
 右の鎖骨、左の上腕、鎖骨……と斬撃による負傷は各所に散見され、
中でも眉間から鼻筋を通って頬にまで達する傷は最も痛々しい。
 ドラムガジェットの重量も含めて自重に耐えられなくしようと図ったのか、左の太腿は深々と抉られてしまっている。
万が一、ジャマダハルの剣先に捉えられたときには、このような重傷を更に重ねることになるのだ。
 ドラムガジェットの装甲などは至るところが削り取られており、幾度、ここに刃が突き立てられたか知れたものではなかった。
 現在までに神霊剣の使用は確認されていないが、手加減と言うよりは神人へ交信するだけの余裕がないのだろう。

「そろそろ諦めたら? あたしの目が黒いうちはあんたの望み通りにはならないわよ」
「どの口が言うンだい。あンたの目ェ見てたら、なおのこと踏ン張らなきゃなンないってわかったンだよ。
……あンたは敵だ。口ばっか達者な最低なヤツさッ!」
「達者? ……驚いたわね。口が悪いってぇ宿六によく言われるけど、口が達者なんて言われたのは初めてよ」
「自覚がないのが証拠だよ。そうやって善人ぶって、今まで何人を誑かして来たンだい? あたしゃ、騙されないよッ!」
「濡れ衣着せられて、おまけに勝手にキレられて、踏んだり蹴ったりじゃないの、あたしってば」
「罵られるだけの理由ってヤツさ。あンたはそれだけのことをやったンだ……ッ!」
「他の人ならいざ知らず、あんたから言われることに関しては思い当たるフシもないこともないけどさ。
……ただし、言っとくわよ。今のあんたは、自分も他人も不幸にするだけだ。あんた自身が災いのもとなのよ」
「……ほざくンじゃないよッ! そうやって、あンたらは――」
「――あんたとやり合ってるのは誰よ!? あたしでしょうッ!? 他の連中に目ぇ配る余裕があるのかしらァッ!?」

 激昂と猛攻をぶつけ合うふたりの女傑の全身は、己の血と相手の返り血で赤黒く染まっている。
他の面々が持久戦へ縺れ込んだのを尻目に、ディアナとレイチェルは真っ向から互いの命を削り合っているのだ。
 他の遊撃部隊がエトランジェを攻撃出来ずに難儀する最中、レイチェルだけはディアナに容赦なくジャマダハルを繰り出しており、
これを目の当たりにした守孝は仰天して言葉を失ったものである。
 一度は制止の声を投げ掛けたものの、ディアナへ立ち向かっていく尋常ならざる覚悟の表情(かお)を見て取り、
またヒューから「あいつなりに考えがあってのことなんだ。信じてやってくれや」とも促され、
最終的に守孝はレイチェルに全てを委ねる決断を下した。

 全身をボロボロにされながらもディアナと斬り結ぶレイチェルには、ドラムガジェットに込められた彼女の悲鳴が解っていた。
何がディアナをここまで駆り立てるのか。苛烈な攻撃性を呼び起こすのか――
あるいはそれは、ふたつのエンディニオン間に生じる悪意と希望とをサミットの場で感じ取ったレイチェルにしか
理解出来ないことであったのかも知れない。

 この戦域にて対峙したとき、ディアナの血相が明確に変わった瞬間があった。
 ――そう、撫子がAのエンディニオンの人々を寄生虫呼ばわりし、皆殺しにすると暴言を吐いたとき、
ディアナは怒りに任せてドラムガジェットを熱砂へ叩き付けたのだ。それこそが開戦の号令でもある。

 あるいは、暴言を吐き続ける撫子をヴィクドの提督ことアルカークに重ねたのかも知れない――
そのようにレイチェルは推察していた。
 サミットでの発言に端を発するアルカークの所業は、ディアナにBのエンディニオンへの不信感を抱かせるには十分であろう。
偏見と独善に歪んだヴィクドの提督がどのような言行を繰り返してきたのかは、改めて詳らかにするまでもないことだ。
 奇しくも撫子が吐いた暴言はアルカークの所業をそっくりなぞったもの。
そのような物言いをする人間を同道させている事実が、ディアナやエトランジェに一切の説得、温情を否定させたに違いなかった。
 今の彼女たちにとって、佐志は大切なものを破壊する不倶戴天の大敵でしかないのだ。

『あたしにゃ守らなきゃなンないもンがあるンだッ! 命に替えてでもッ! 絶対に負けらンないンだよッ!』

 ……この絶叫が表しているように、ディアナは愛する我が子をアルカークのような暴力から守る為に戦っている。
Aのエンディニオンを駆逐すると信じて疑わないBのエンディニオンから守り抜く為に命を削っている。
 だからこそ、「あたしらが突破されたら、守るべきもンが粉々にされちまうッ!」と咆哮し、
何度何回、斬り刻まれても不屈の闘志で立ち上がるのだ。自分自身の疲弊など愛息の危難に比べたらどうと言うことはない。
 愛する我が子を守れるとしたら、ディアナは悪魔にも魂を売るだろう。

 それ故にレイチェルも戦わなくてはならなかった。命を削ってでもディアナに挑み続けなければならなかった。
 親しい友人と認める彼女のガントレットに自分以外の返り血を吸わせない為に。
……彼女が二度と我が子を抱き締められなくなるのを防ぐ為に。

「――あんたの手を血で汚させるわけには行かないッ!」

 友として、同じ人の親として、母として――他の誰よりもディアナの心を理解するレイチェルは、
再びグロリアス・キャンデレブラムをドラムガジェットへ叩き付けた。刃先を立てることも忘れて力任せにぶつけていった。
 応じるディアナは装甲でもって縦一文字を弾いたものの、
二度、三度、四度と連続して渾身の刃を打ち込まれては受け流すことも難しくなり、
都合五度目の斬撃が振り落とされたときには砂上を踏み締め、真っ向からこれを受け止めた。
 ディアナもレイチェルも――両者ともに前へ前へと全身全霊を傾けた結果、
一点に集中した力の競り合いとなり、押すに押せず引くに引けぬ状態へ陥ってしまった。
 先に力点を外したほうが致命傷を受けると、ディアナもレイチェルも自覚(わか)っているのだ。

「いつまでもイジけてんじゃないわよッ! あんたは親でしょう!? 母親なんでしょうッ!? 血迷ってるヒマがあるのッ!? 
……マスターソンなんかに惑わされるな、ディアナッ!」
「もうたくさンだッ! あンたはそうやって甘い言葉であたしらを騙くらかすッ! 
……レイチェルッ! あンただけは、……あンたはァ――」

 ジャマダハルとガントレットが擦れ合う度に飛び散る火花で頬を、髪を焦がすふたりの女傑は、
腹の底から野獣の如き吼え声が飛び出してくる程に魂を燃やしていた。


 理想や希望だけでは覆し難い現実に打ちのめされ、戦意喪失状態となったフィーナは、
エトランジェの隊員が繰り出してくるMANAをリボルバーの銃身で受け止めることしか出来ずにいたが、
レイチェルとディアナ、双方の雄叫びを耳にした瞬間、心の奥底から熱いものが湧き起こるのを感じた。
 愛する我が子を暴力や迫害から守らんとするディアナの願い、
その為に血で穢れることを厭わないと言う彼女を是が非でも食い止めようとするレイチェルの想い――
母としての強さ、魂をぶつけ合うふたりの姿にフィーナは身を震わせている。
 血に塗れた女傑たちへ戦慄しているのではない。尊く気貴(だか)い勇姿が心の琴線に触れたのだ。
母とは、親とは、かくも強いものなのか、と。

 ボスが言うように自分は理想論や希望的観測しか持ち得ないかも知れない。
組織、家族――多くのものを背負う人間の目から見れば、それらは現実を解さない戯れ言に等しいのだろう。
 ボスだけではなく、エトランジェの心を動かすだけの説得力をフィーナは備えていない。
どのように言葉を紡いでも届かないかも知れない。
 それでも一つだけ確かなのは、ふたりの母を戦争の犠牲にしてはならないと言うことだ。
 ボスも、トキハも、エトランジェの隊員たちも――愛する者の為に我が身を盾にして戦う人々を
ギルガメシュの駒のままで終わらせて良いわけがない。

 血走った眼で力の競り合いを続けるディアナとレイチェルは、おそらく当人たちでは止まるに止まれまい。
第三者が何らかの形で割って入り、強制的に動きを制さない限りは、
どちらかが死ぬまで、……あるいは、どちらも息絶えるまで斬り結び続ける筈だ。
 その予想(こと)に思い至ったとき、SA2アンヘルチャントのグリップを握るフィーナの手に力が戻った。
決意の力が漲った。

「――タスクさん、私はもう大丈夫です。マリスさんを守ってあげてください」
「なっ……、フィーナ様!?」
「ふたりを止めてみせます。あのふたりは、死なせちゃいけないッ!」

 複数名のエトランジェ隊員に集中攻撃を受けて窮地に陥っていた自分を庇い、守ってくれたタスクに礼を述べたフィーナは、
彼女からの返答を待たずに乱戦の渦中へと単身突っ込んでいった。
 目的はただ一つ、ディアナとレイチェルの殺し合いを食い止めることである。
 一応、ムルグに頼むことも考えはしたのだが、不慣れな手加減に難儀しているパートナーへこれ以上の負担を強いるのは忍びなく、
また、厳然たる現実の前に困窮するディアナたちへ理想論を発し、意図せず暴発の一因を作ってしまった以上は
自らの手で決着をつけなければならないともフィーナは考えていた。
 「お戻りくださいませ、フィーナ様! わたくしが参りますッ!」と、
背中を追いかけてくるタスクの悲鳴に拳を振り上げて応じ、生きて帰ることを約束したフィーナは、
鼻にて飛び交う銃弾を潜り抜けて女傑ふたりのもとへと走った。

 無謀としか言いようのないフィーナに驚嘆し、慌ててその後を追いかけようとするタスクだったが、
熱砂を蹴る寸前、両翼を広げて立ちはだかるムルグに堰き止められてしまった。

「ムルグ様……」
「コカッ! ケッケコッ!」
「………………」

 ムルグは、フィーナを信じるようにと強く頷いて見せた。
 彼女とてパートナーの身を案じているだろう。おそらくはこの場に居合わせた誰よりも強く心配しているに違いない。
本音を言えば、今すぐにでもフィーナを追いかけたいのだろう――が、それでも踏み止まってタスクを抑えたのは、
パートナーのことを強く信じているからである。
 フィーナの勇気と行動を、ムルグは強く信じている。宣言した通り、ディアナとレイチェルを食い止めると信じて疑わないのだ。
 フィーナとムルグの絆の前には、タスクも頷くしかなかった。
 もしも、マリスがフィーナと同じ立場であったなら。彼女が何かを決意して駆け出そうとするのなら、
これを阻むものを自分は全てを捨てて排除するに違いない。
 ネイサンに庇われながら自らも金属バットを振るい、気丈に戦うマリスのもとへムルグと連れ立って向かうタスクの胸中は、
ほのかに熱を帯びている。
 少しでも気を緩めると絶望してしまいそうなこの戦場に、彼女は初めて希望の光を見たのである。


 フィーナの単独先行を見て取ったトキハは、勢いよく振り抜かれたRJ764マジックアワーのブレードを
鋼鉄の車輪(ローラー)で弾き返すと、ヒューの肩越しにエトランジェの仲間へ新たな号令を発した。
 曰く、「金髪を生け捕りにしろ! 人質にするんだ!」。
ローガンやハーヴェストに比べて戦闘力が劣ると思しきフィーナを捕縛し、合戦をより優位に進めようと言うのだ。
 指示を受けてフィーナに立ち向かう隊員三名は、各々が突撃銃、機械式のボウガン、レーザーガンと飛び道具を備えている。
いずれもMANAであり、その性能はSA2アンヘルチャントを遙かに上回っていた。
 しかし、フィーナは怯まない。怯んで竦んだ時間だけ、ディアナとレイチェルが死に近付くのだ。
立ち止まってなどいられなかった。

 ぎりぎりまで敵の注意を引きつけ、向こうに回した三人が一斉にトリガーを引いたその瞬間、
フィーナは彼らを飛び越すようにして前方へと跳ね飛んだ。
しかも、だ。猫のように身を丸めて回転しながらの跳躍である。
 曲芸の如き動きに翻弄された三人は、間もなく自分たちの愚かさを思い知ることになる。
前方へ跳ね飛ぶ最中にフィーナはSA2アンヘルチャントを連射し、彼らの武器を狙い撃ちにしたのだ。
 ただ武器を弾いただけではない。ボウガンであれば矢を射出する為の弦を、
レーザーガンであればエネルギーを貯蔵しておく為のバッテリーパックをそれぞれ撃ち抜き、
武器としての機能を奪ってしまった。
 突撃銃にはファニングでもって幾度となく銃弾を叩き込み、銃身そのものを中程で切断させた。
 フィーナは一連の射撃を跳躍の間に全てこなしたのである。
他に比べて戦闘力が劣っているどころか、皆に比肩すると認めてもよかろう。
 得物が使い物にならなくなった相手を案じる理由はない。
砂地に着地したフィーナは、流れ弾を警戒するよう身を屈めながら再び走り始めた。

 今や、ディアナとレイチェルは間近に迫っている。
 力と力の鬩ぎ合いが行き過ぎた挙げ句、共に体勢を崩して倒れ込んでしまったふたりは、
再び拳と剣の乱舞に及んでいた。
 リボルバー拳銃を携えて駆けつけたフィーナにも女傑たちは気が付いておらず、
斜め上から斬り落としにかかるレイチェルの刃をディアナがガントレットで弾き返し、逆に反撃の鉄拳を見舞い――
つまりは、何の進展もなく先程と全く同じ命の削り合いを繰り返しているのだった。
 どうやらまた負傷の箇所が増えたようで、その程度は思わず目を背けたくなる程に深刻であった。

(今は戦いをやめさせなくちゃ――それが次に進む為の道になるんだッ!)

 胸中にて念じながらSA2アンヘルチャントを構えるフィーナだったが、
仮に武器のみを射貫くとしても、エトランジェの隊員を突破したときのようには行かない。
 ディアナが装着するドラムガジェットは、巨大なガントレットだけに狙える面積も広い。
問題は的の大きさではなく、決定的なダメージを与えられる部位に乏しい点だった。
 ドラムガジェット最大の要は、パンチ力を爆発的に跳ね上げるジェット噴射にある。
この噴射口が狙い目と言えなくもないのだが、さりとてジェットの機能を潰したところで
ディアナが戦いを諦めるとは思えなかった。
 攻撃力は半減されるだろうが、鉄拳と言う武器としての機能は全く損なわれていないのである。
 ドラムガジェットそのものを使い物にならなくするには、ガントレットを装着する腕ごと撃ち抜かねばならず、
それはフィーナにとって最も避けるべき事態であった。
 一方、レイチェルのジャマダハル、グロリアス・キャンデレブラムもまた厄介だ。
 今のフィーナであれば、刀身あるいはグリップと握り拳の隙間を狙い撃つことも可能だが、
仮にそのようにしてレイチェルの手からジャマダハルを奪ったとしても、
ヴィトゲンシュタイン粒子への還元及び再具現化をされては元も子もなかった。
 改めて詳らかにするまでもないことだが、レイチェルが握り締めるこのジャマダハルは、
ヴィトゲンシュタイン粒子を基に具現化されたトラウムなのである。

(こうなったら、乱入してふたりを止めるまで――)

 どのようにして両者を止めるかと言う思案を途中で打ち切り、心の底から湧き起こってくる衝動に従うと決めたフィーナは、
徐にSA2アンヘルチャントの撃鉄(ハンマー)を引き起こし、女傑たちの注意を引きつけようと天に向かって号砲を放とうとした――

「――いい加減にしやがれッ!!」

 ――が、右の人差し指がトリガーを引くより早く、ジャマダハルとガントレットが火花を散らすより先に、
突如として熱砂の大地が烈震し、居合わせた皆が足下を掬われてしまった。
 青天の霹靂とは、まさしくこのような状況を指して言うに違いない。
少年の声らしい怒号が轟いたかと思った直後、足下の砂が波のようにうねったのだ。
 これを「青天の霹靂」と言わないのなら、代わる言葉は「摩訶不思議」しか当てはまるまい。
 局地的な地震と突発的な流砂が同時に発生したものかと誰もが疑ったが、どうもそれは錯覚だったようだ。
 思いも寄らぬ急転に戦いも忘れて目を丸くするディアナとレイチェルは、
いつの間にか間近に接近していたフィーナや、乱戦の手を止めて立ち尽くす仲間たちの向こう側――
砂丘を背にする方角へモウモウと立ち上る砂埃を見つけて声を失った。

「どうしようもないすっとこどっこいなのっ! ケンカは仲良くするものなのね! みんながやってるのは、もうケンカじゃないっ! 
ルディア、悲しいの通り越してマジギレしちゃったのっ! お仕置きしてあげるのっ! 頭冷やしやがれってのっ!」
「原因を確かめようと思ったけど、もうやめだッ! お前ら、覚悟しろよ!? 全員一発ずつブン殴ってやらぁッ!」

 千々に裂かれた集中力が元の状態へと引き戻され、意識が現実世界を捉えるようになったのは、
砂埃の裏から聞こえてくる男の子と女の子の喚き声がきっかけだった。
 聞き覚えがあるどころの話ではない声が耳を打つうち、正常な焦点を取り戻した皆の瞳が砂埃を確かめると、
先程まで姿形もなかった筈のビルバンガーTが、大地に鉄拳を叩き付けた体勢のまま鋼鉄の威容を誇っているではないか。
 肩の上にてフィーナたちを睥睨しているのは、言わずもがなビルバンガーTのユーザー、シェインである。
 彼の隣ではルディアが金切り声を上げており、ふたりのように大音声を発することはないものの、
面に静かな怒りを滲ませるフツノミタマとトリーシャの姿もあった。

 成る程、この場にいなかった筈のシェインが、それもトラウムの具現化を伴って現れたと言うことなら
「青天の霹靂」を成立させる条件は全て整う。
 この場にいない人間の登場など誰にも予想は出来まい。
ましてやシェインもルディアも合戦場への立ち入りを固く禁じられていたのだ。

「あの、シェイン君――ビルバンガーTってば、どうしちゃったの? なにか悪いものでも食べたの?」

 電撃的な参戦の他にももう一つ、シェインの人となりを知る者たちを驚かせる要因があった。
 ビルバンガーTを見上げたフィーナが首を傾げるのは、ビルバンガーTの鋼身に起きた“ある変化”だ。
悪の野望を叩いて砕く鉄の拳以外には、ビルバンガーTは何ら特別な機能を搭載していなかった筈なのだが、
ふと見やれば、鋼鉄の巨体に若草色のマントを纏っているではないか。
 昔からよく見知ったビルバンガーTをフィーナが見間違えるはずもなく、
突如として現れたマントは明確な“変化”であった。
 ……いや、ビルバンガーTに訪れた変化はマントだけには留まらなかった。
 シェインたちを乗せた肩にはウネウネとケーブルのような線が無数に張り出しており、
その律動は、岩場へ付着した水棲生物が触手を動かすのによく似ている。
 これらの変化、いや変異は今日になって突然に現れたもので、おそらくアルフレッドがこの場に居合わせたなら、
フィーナと同じようなリアクションを見せたに違いない。

「ルディアちゃんも、それは、一体……――」

 フィーナに続いて驚嘆を吐いたのは、タスクとムルグに庇われていたマリスである。
 これもまた見慣れぬ光景の一つなのだが、地上に向かって啖呵を切り続けるルディアの袖口からは
無数のケーブルが張り出し、吸い込まれるようにしてビルバンガーTの肩に連結されている。
 合戦場は危険だと言い諭して別れたときには、そのようなケーブルなど彼女の袖口には見る影もなかったのである。

 前後の状況から推察するに、突如としてビルバンガーTに訪れた変化は、
ルディアの袖から張り出したケーブルが何らかの影響を与えていると見て間違いあるまい。
 このケーブルもメガブッダレーザーと同じく彼女の出生に関わった『ハカセ』なる人物が授けた物なのであろうか――
ビルバンガーTへどのように作用したのかも含め、フィーナとマリスは呆けたように鋼身を凝視しているが、
それらの真偽を確かめている猶予はなさそうだ。
 間もなくビルバンガーTはヴィトゲンシュタイン粒子に還元され、肩の上に乗っていた四人も地上へと舞い降りた。
こうした状況に不慣れなルディアとトリーシャは、それぞれフツノミタマの両脇に抱えられていたが、
シェインは自らの足で砂上へと着地し、次いで抜き身のブロードソードを太陽に翳した。
 その間にもシェインの瞳は、ディアナとレイチェルを睨み続けている。

 ルディアの袖口から張り出し、ビルバンガーTにコネクトされていたケーブルも鋼身と共に光の粒子となって掻き消えていたのだが、
つまりこれは彼女が備えたトラウムであることの証左である。
 溶接でもしたかのようにビルバンガーTの内部へ溶け込み、奥深くにまで食い込むケーブルを見るにつけ、
フィーナは不安を抱かずにはいられなかったのだが、その正体をトラウムと確かめて多少は動揺を鎮めた。
 アルフレッドのグラウエンヘルツにマリスのリインカネーション、ゼラールのエンパイア・オブ・ヒートヘイズ、
敵対者ではあるが、イーライのディプロミスタス、レオナのダブルエクスポージャーなど世に変わり種のトラウムは幾らでもある。
 ビルバンガーTにどのような影響を与えたのか、その根本的なメカニズムは不明瞭だが、
トラウムの一種と言う説明だけで、「ならば、不可思議な現象も有り得るだろう」と腑に落ちてしまうのだ。


 動揺が鎮まったところで新たに見えてくるのは、一直線にこちらへ突進してくるシェインである。
雄叫びを上げながら全力疾走してくる彼は両手持ちでブロードソードを構えており、
面に浮かべた憤怒の形相などは子どもだてらに鬼気迫るものがあった。
 誰の目にも只ならぬ事態は明らか。唖然としているフィーナの真横を疾風の如く駆け抜け、
大上段に振りかぶったブロードソードをレイチェルのジャマダハルへと叩き付けた。
 レイチェル本人ではなく、彼女の手に在るジャマダハルのほうに狙いを定め、シェインは渾身の力でぶつかっていったのだ。
 所詮は子どもの力と侮っていたわけではないが、虚を突かれたレイチェルはシェインの一撃に抗うことも出来ず、
得物のジャマダハルを足下へと取り落としてしまった。

「次ィ――ッ!」

 裂帛の気合いと共に振り抜かれた横薙ぎは、その標的をレイチェルからディアナへと切り替えている。
 またしても本人ではなく武器を狙った一撃である。
 両足の踏ん張りと上半身のバネ、双方を融合させた強烈な横一文字がガントレットの装甲に襲いかかり、
ディアナは砂上へと吹き飛ばされてしまった。

 ディアナとレイチェルがその手に、腕に感じたのは、とてつもなく強い力だった。
 全身がボロボロになる程の激闘を演じ、負傷も疲弊も極限に達していたのは確かだが、
だからと言って駆け出しの少年剣士に振り回されるふたりではない。
技とも術とも呼べないレベルの鈍ら剣など、本来ならば容易く弾かれて終わる筈である。
 抗うことも許さずレイチェルとディアナを打ち倒したのは、技でも術でもなくブロードソードに宿る熱き魂だ。
刃先が触れた瞬間、そこに込められたシェインの想いが得物を通じて心にまで達し、
女傑ふたりが用いていた不屈の盾をも粉々に砕いたのだった。

「さっきから聴いてりゃベラベラと情けねぇことばっか言いやがってッ! 大のオトナがなんてザマだよッ!? 
しかもそんなズタボロになっちゃってさ……。バッカじゃないのッ!?」
「さっきから? 黙って? お姉さんたちを覗き見なんて、シェインってば、いつからそんな悪趣味なコになったの?」
「情けないとは聞き捨てなンないね! あンたがどう感じようが知ったこっちゃないが、あたしらは――」
「――るっせぇやいッ! オトナのくせして言い訳すんなッ!」

 殺伐とした相剋はどこへやら、横並びに座したディアナとレイチェルは、
まるで自分たちの会話をどこかで盗聴していたかのようなシェインの物言いに対して首を傾げるばかりである。
 彼がビルバンガーTに乗って現れたのは、つい数分前のこと。
自分たちの会話――と言うよりも、互いの主張をぶつけ合っていただけのことだが――へ耳を傾けるようなタイミングなど、
どこにもなかった筈なのだ。それとも盗み聞きだけして、後方に帰っていったとでも言うのだろうか。 
 いよいよ意味がわからず当惑する“お姉さんたち”であったが、シェインにはふたりの疑念など知ったことではなく、
「大体、あんたらさぁ、子どもをナメ過ぎだよッ! 子ども、ナメんなよッ!?」とますます声を張り上げた。
 ブロードソードを振り回しながら火を吹くあたり、フツノミタマにそっくりである。

「――今のエンディニオンを見てみろよッ! オトナも子どももないだろッ!? 
あんたらに守られなくたって、ボクらは勝手に強くなってくしッ! 過保護なんかクソくらえだぜッ!」

 この咆哮こそが、ディアナとレイチェルを撃破した『とてつもなく強い力』の正体である。
 あたかもその言葉は、「あたしらが突破されたら、守るべきもンが粉々にされちまうッ! そンな暴力は許さないッ!」と
気勢を上げたディアナに対する返答のようでもあった。


 盗み聞きなど出来るわけがない――そのようにディアナとレイチェルは思い込んでいたものの、
実際のところ、ふたりの張り合いはあまりにも声量が大きく、合戦場中に響き渡っていた。
 灼(や)けた砂を踏みしめ、頬を赤く腫らしながらも黙々とモバイルいじりに精を出す撫子を素通りし、
照りつける太陽のもとをひた走って乱戦の場へ到着したのは、丁度、ディアナが件の怒号を張り上げている最中のこと。
 守るべきものの為。その一言からディアナが戦う理由を察したフツノミタマは、
わなわなと肩を震わせていたシェインに向かって、「よく見とけよ、これが戦争だ。命のやり取りってヤツなんだよ」と言い諭した。

「バカでけぇ手甲付けたあのババァな。……あいつ、ガキがいる筈だぜ」
「知ってるよ。てか、今気付いたような言い方すんなよ。フィガス・テクナー行ったときにも聴いたじゃん」
「どうでもいいんだよ、ンなこたァ――お前はな、あのババァが血みどろになって戦うのをしっかり見届けてやれや。
マコシカの酋長も同じだ。あいつらがボロクズみてーになってるのはどうしてか、そこを絶対に見逃すんじゃねェぞ」
「バカも休み休み言えよ、バカオヤジッ! 見届けろって、あんなの見てらんないよッ! 仲間同士で殺し合いやってんだぞッ!?」
「目ェ背けるなっつってんだ。……仲間同士だろうが、親友同士だろうが、合戦になっちまったら関係ねェ。
自分が大事にしてるモンの為、ああやって命をやり取りするんだ。それが戦争の現実だ」
「………………」
「ババァの大事なモンは何か。マコシカの酋長が何を守ろうとしていやがるのか。絶対に見誤るなッ!」

 何時になく重々しいフツノミタマの声に触れたシェインは、これもまた彼から授かる教えだと理解し、直ちに居住まいを整えた。
 傍目でふたりのやり取りを聴いていたルディアとトリーシャも、このときばかりは神妙な面持ちである。

「――あんたの手を血で汚させるわけには行かないッ!」

 フツノミタマが戦争の在り方を論じた直後、レイチェルがディアナに向かって自身の想いを叩き付け、
血を吐くようなその声にシェインは戦慄すら覚えていた。

「……守孝さんが言っていたのは――」
「――そうだ。戦う相手の心を読むってのは、こう言うことだ。相手が誰であろうと、何を思っていようと、何を背負っていようと、
剣を交える以上は丸ごと受け止める。そうして初めて命のやり取りってェ土俵に上がれる」
「……命と向き合うことなのかよ、それが……」
「剣の道、戦士の道だ。一度、この道に足を踏み入れたヤツぁ、誰もが背負う宿命みてぇなもんだ」
「………………」

 フツノミタマから授かった教えを胸中にて反芻しながらディアナとレイチェルの激闘を遠望し、
身の裡より湧き起こる衝動で震えるシェインの肩を小突いたフツノミタマは、
「そいつを飲み込んだっつーんなら、あとは好きなようにやったらいい」と付け加えた。

「テメェのやることを、今度はオレが見届けてやらぁ。……間違ってたらケリ喰らわすから覚悟しとけ」

 その一言があったればこそ、シェインは迷いを超えて行動を起こせたのだ。
自分のような拙い子どもが命のやり取りへ分け入ってよいのかと言う葛藤から解き放たれたのである。
 やるべきことは最初から決まっていた。
 ディアナの想いとレイチェルの想いを見極め、その上で自分が為すべきこと――
奇しくもフィーナと全く同じ衝動に駆り立てられ、シェインはビルバンガーTを具現化させたのだった。

 シェインの考えに同調し、手前勝手な行き詰まりに陥った大人たちへ個人的にも憤りを覚えていたルディアは、
すぐさまに「ここでルディアの出番なの! 見せ場ギリギリでの逆転ホームランなんて最高の気分なのっ!」と協力を申し出た。

「――『クレイドル・オブ・フィルス』っ!」
「なんだよ、藪から棒に。……逆転ホームランだっけ? バットでも出すのか、マリスみたいにさ」
「クレイドル・オブ・フィルス! ルディアのトラウムなのっ! すっごい便利なのっ! 超ナイスなトラウムなのっ!」
「随分と大袈裟な名前だなぁ。そーゆーもんは、大体、何の役にも立たないって相場が決まってるけど」
「こらこら。協力してくれるって相手にキミのほうがカワイクないコトを言ってどうすんの」
「ケッ――さっき、あんだけのモンを見せられてんだ。今更、何が出たってオレぁ驚かねぇぜ」
「んーとね、説明がややこしいの――身体を元気にするお注射ってあるでしょ? 原理はアレとおんなじなの。
余所様のトラウムにヴィトゲンシュタイン粒子を注入して、パワーアップさせちゃうの」
「――あァッ!? ンじゃなにか!? てめぇ、トラウム相手にドーピングでもするっつーコトか!?」
「……結局、驚いてるじゃないの。クレイドル・オブ・フィルス、だっけ? 内容自体は仰天モノの特ダネだけどさ」

 ルディアの言葉を要約するならば、クレイドル・オブ・フィルスとは、トラウムをパワーアップさせるためのトラウム――
コネクトさせたケーブルを通じてヴィトゲンシュタイン粒子を対象トラウムへ注入し、
スペックそのものをブーストアップさせると言う一風変わった特性を備えていた。

 具現化に必要なヴィトゲンシュタイン粒子を余剰に確保できれば、
それに比例してトラウムのスペックがブーストアップされるというのは自然な理屈だろうが、
トラウムを研究する学者の誰一人として、このような現象を確認した者はいない。
 まして他者のトラウムにコネクトし、ブーストアップさせる特性など前代未聞だ。
 受け皿となるようなアンテナらしき物の見当たらず、ヴィトゲンシュタイン粒子をどのようなメカニズムで
ケーブル内へ供給しているのかもわからなかった。
 不明瞭な原理によるブーストアップなど、冷静に考えるとドーピング紛いで非常に恐ろしいものなのだが、
ユーザー本人と言うこともあってルディアはクレイドル・オブ・フィルスの是非を疑わず、
胸を叩いて「ハカセいわく、クレイドル・オブ・フィルスはトラウムの進化を司るものなの! まさにヒーローの為のトラウムなの!」と
自画自賛している。

「一体全体、ハカセって何者なのよ。マッドサイエンティスト系なんじゃないの?」
「いや、絶対にマッドだろ。マッド以外の何者でもねェだろ。……リーヴル・ノワールを見りゃわかるじゃねェか」
「ルディアさ――お前、何時、自分にこのトラウムが備わってるって気付いたんだ?」
「どゆこと?」
「分かりやすく言うとだな、これを初めて使ったのって何時かってコト」
「んーっと……、ちゃんと使うのはこれが初めてなのね。でもでも、クレイドル・オブ・フィルスの使い方はハカセに教わってたし、
貰った説明書もばっちし読み込んだから、きっと大丈夫なの♪」
「あァんッ!? 取説だぁッ!?」
「……いちいちリアクション大きいのよねぇ、あんた」
「いや、驚くだろ。だって、マニュアルだぞ? ……ボク、夢でも見てんのか?」

 おさらいにもなるのだが、実際に創出させるまで自分にどのようなトラウムが宿っているかを知る術は今のところ確認されていない。
 何らかのきっかけで得る人もいれば、ある日、突然、目の前で具現化する人もいる――
トラウムを得るタイミングは人によって異なるが、共通するのは前述の一項である。
 ところが、ルディアは最初から自分にクレイドル・オブ・フィルスが宿っていることを予め知っており、
その上、『ハカセ』に用意してもらった取扱説明書を熟読し、使い方を予習していたと言う。
 まるで人造されたトラウムを移植されたような言い方だ。
 自分の発言がどれほどインパクトの強いものかを自覚していないあっけらかんとしたルディアの言行は、
これまで確認されたことのない特性と相俟って皆の混乱を更に煽った。
 まだまだ謎が多いトラウムの中でもクレイドル・オブ・フィルスは間違いなく最も難解な部類に入るだろう。
 あるいは、同様に原理不明とされるグラウエンヘルツやリインカネーションなど
比べ物にならないレベルの複雑なメカニズムを持っているのかも知れない。

 ……尤も、渦中のルディアにとっては周りから向けられる疑念は迷惑至極のようで、
顔を突き合わせてウンウンと唸る三人の尻を一発ずつ蹴飛ばしていった。
 トリーシャには蹴りではなく指を這わそうと試みたものの、日頃のセクハラ行為から完全にパターンを読まれており、
簡単にかわされてしまった上、後ほど正座で説教と言うお仕置きを受けることになるのだが、これは余談。

「だーっ、もぉ〜っ! ムツカシイ話をしてる場合じゃないのっ! シェインちゃん、しっかりしなさいなのっ!」
「――おう、そうだなッ! ヤツらに一発ブチかますのが先決だぜッ!」

 ハッパを掛けられたシェインは、天高くブロードソードを掲げながらビルバンガーTを具現化し、
これに合わせるようにしてルディアの袖口から無数のケーブルが伸び――以降、「いい加減にしやがれッ!!」と言う怒号へ至るわけだ。


「――大体、あんたらのほうがずっとガキじゃないかッ! なんだい、そのザマはッ!? 
ボクらよりずっと頭がいいんだろ? たくさんのこと、知ってるんじゃないのかよ! オトナなんだからッ! 
なのに、やってることはボクらと一緒……いや、もっとタチが悪いぜッ!?」

 そして、シェインの怒号は、今なお激しさを増している。

「ジャスティンを……、あの子を守るにはこれしかないンだよッ! あの子を守る為なら仲間だろうがなんだろうが、
あたしは――ッ!」
「まだわかんないのか、この分からず屋めッ!」

 さすがに聞き捨てならないと思ったのか、子ども相手に大人気ないと躊躇しつつも反論を試みるディアナだったが、
対するシェインは、ガントレット目掛けて再び縦一文字にブロードソードを一閃した。
 火花が散る程の勢いで振り落とされたブロードソードを装甲でもって受け止めたディアナは、
またしても白刃へ宿る魂に揺さぶられてしまい、シェインを押し返すことも出来ずに力なく肩を落とした。
 「一日に何回、分からず屋って言われるのかしらね」とレイチェルが皮肉を飛ばしてきたが、
最早、言葉を返す気力すらディアナは持ち合わせていない。

「――仲間だって思ってんなら、なんでボクらに相談しなかったんだよッ!? 勝手にポンポン決めちゃってさぁッ! 
……仲間が痛い目見るのを、ボクらが平気だと思うのかッ!」

 口ごもってしまったディアナから矛先をレイチェルに転じたシェインは、
「レイチェルもレイチェルだッ!」と一際大きく大音声を張り上げる。

「ディアナを止めるにしたってやり方があるだろッ!? こうやってボロカスになるまでやり合うんじゃなくてさぁッ! 
ディアナやトキハやラスや、皆みんな……このくそったれた状況をどうやって変えていくのか、
一緒に考えればいいじゃないかッ! 考えても見つからないなら、新しく作ればいいだろッ!? 
そんなこと、子どもにだってわかるのに――」

 途中からレイチェルだけでなくディアナをも含め、ふたりに向かって怒声を飛ばしたシェインは、
最後にもう一度、「子ども、ナメんなッ!」と繰り返した。
 シェインの言うことは、フィーナが語った理想や希望に比べてもなお幼く、
エトランジェ――Aのエンディニオンの難民たちにとっては、拝聴する価値も疑わしいものだった。
少なくとも、傍目にはそのように思えてならなかった。
 しかし、我が子を守るべく猛り狂っていたディアナを始め、エトランジェの誰もシェインに反発する気配は見せなかった。
 この小さな子どもの言葉に誰もが聞き入り、先程まで荒々しい喊声の轟いていた合戦場は
今や全く静まりかえっていた。
 膠着した状況を打破しようと言うのか、それともAのエンディニオンの為に起とうと言うのか、
源八郎との撃ち合いを取り止めてシェインのもとにやって来たボスは、
「共存の道を新たに作ると言うのかい? ……それが最も望ましいとは我々にもわかっているが、実現はまず難しい。
シェイン君、キミの気持ちは嬉しいのだがね、大人の事情もわかってはくれないか?」と、
エトランジェの中でただ一人反論を試みようとした。

「もう何度繰り返したか知れないが、我々のエンディニオンとキミたちのエンディニオンは決して相容れない。
我々には守るべき物がある。その為に戦う道を選んだのだ。戦って、生きる権利を勝ち取る。
キミたちに無条件で許されたこの権利を、我々は力で勝ち取らなければならないのだよ。
……戦う力を持たない子らの代わりにも、我々は屈するわけにはいかない」

 彼はフィーナを論破したときと同様の言葉を選んでいる。

「だ〜か〜ら〜、子どもをナメんなってって言ってるのっ!」

 しかし、今度は結末が違っていた。未来にのみ進む意思を堰き止めることは出来なかった。
 なおも大人の事情とやらを説いてシェインたちを封じ込めようとするボスの顎に向かって、
ルディアがドロップキックを食らわせたのである。
 全力疾走によって得た勢いを丸ごと乗せたドロップキックは、軽量のルディアであっても十分な威力を生み出すことが出来、
よりにもよって人体急所へ直撃を喰らったボスは、もんどり打ってその場に転げ回っている。
よほど良いトコロに入った様子だ。
 彼女もまた大人たちの言い分へ頭に来ているひとりであり、サングラスの裏から涙を流して痛がるボスに
「こんの、ダメ人間ッ!」とまで言い放った。

「コドモが大人の犠牲になるとか、思い上がってんじゃね〜ってカンジなのっ! 
ルディアだってシェインちゃんだって、誰かに言われてココに来たわけじゃないのっ! 
コドモは大人が思ってるよりずっとオトナなのッ!」
「て言うか、子どものことを引っ張ってく自信がないクセしてデカイ口叩くなよッ!」

 シェインとルディア、それぞれが大人たちを相手に切って見せた啖呵は、
エトランジェと佐志軍――AのエンディニオンとBのエンディニオンの双方の心へ深く響き、
戦いの熾火をも包み込んでいく。
 佐志の別働隊とゼラール軍団がギルガメシュの増援部隊と合戦する音を遠くに聞くものの、
この場に於いては、新たな火種を点けようとする人間は誰一人としていなかった。

「ガキって不思議だろ? 余所ン家のガキでもよ、まるで手前ェのガキに言われたように思えちまう。言うことなすこと、全部だぜ?」
「……あンた……」
「手前ェのガキが重なっちまうんだよな。ああ、アイツならこう言うだろう、こうするんだろうなってよ」
「………………」
「厄介だよな。……ああ、厄介なもんだぜ」

 ふたりの啖呵を継ぐかのようにして紡がれたフツノミタマの言葉にディアナは息を飲み、次いで目を見開いた。
 ディアナだけではない。エトランジェに属する多くの隊員たちが彼女と同じ反応を示し、
ある者からはすすり泣きの声さえも聞こえてきた。
 サングラスに隠された双眸を窺うことはかなわないが、おそらくボスも同じように眼を赤くしているに違いない。
 家庭を持たないトキハもフツノミタマの言わんとする意味と、シェインとルディアが成し遂げたことは理解しており、
それが為に「これはまやかしだっ! 騙されるなっ!」などと、三人の想いを否定するような号令は決して口にしない。
すっかり酔いの覚めたその顔は、どこか安堵しているようにも見えた。

 「口だけは達者になりやがったがよ、あの打ち込みはねぇだろ。ババァふたりが本気(マジ)だったら、
てめぇ、今頃はおっ死んでたぞ。修行が足りねェ」と軽口を叩きながら
シェインの頭をガシガシと力任せに撫でつけるフツノミタマの姿に、フィーナもまた涙をこぼしそうになっている。
 守孝やローガン、それにハーヴェストも既に大泣きに泣いており、
感情の起伏が極端な彼らを微笑ましそうに見守るタスクの双眸でも大粒の雫が玉を結んでいた。

「――私たちに出来ることはきっとある筈です。戦いだけが解決の手段じゃない。
ふたつのエンディニオンが共に進める道を探しましょう。探してないなら、切り拓きましょうッ! 
……理屈とか計算じゃないんです。みんなの心が一つかどうか。それが全てじゃないですか?」

 シェインとルディアが、大人が思っている以上にオトナであるふたりの言葉を反芻したフィーナは、
今一度、ボスへ可能性の模索を促した。
 迷いと憂いをない交ぜにした震える声ではない。確信に満ちた声を腹の底から発していた。
 先程とは見違えるようなフィーナの面から目を反らしたボスは、次いで弱々しく微笑した。
なおも理想論や希望的観測へ拘泥するフィーナを侮ったのではなく、自らを嘲った哀しい笑みである。

「……現実は覆せない。それが唯一の結論だ。……それとも保証があるのか?」
「保証はないけど、希望はあります」

 掠れた声で問い返すボスに対して、フィーナは熱砂の彼方を指さした。
 彼女が指し示す方角には、互いの肩を支えながらこちらに歩いてくる人影ふたつ――
どちらか一方の死をもってしか決着を見ないと思われたアルフレッドとニコラスの姿が認められた。
肩を寄せ合うことなど断じて有り得ないと誰もが疑わなかった宿命のふたりが。

 しかも、だ。アルフレッドはグラウエンヘルツに変身している。
 その異装を見て消滅を免れなかった者はいないとまで恐れられる魔人が、
仇敵として憎悪していたニコラスに肩を貸しているのだ。
 その情景を目の当たりにしたマリスは、思わず嗚咽を漏らしてしまった。
「フィーナさんの言われる通りですわ……希望は……希望は、確かにここにあります……。
わたくしの目には、エンディニオンの未来がはっきりと見えています……っ!」




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