12.長い付き合い


 砂塵の彼方に望遠する連合軍本陣よりけたたましい銅鑼の音が鳴り響いたのは、
佐志軍とエトランジェの間で行われていた合戦の終結とほぼ同時であった。
 その銅鑼の音が何を意味するのか、他の誰よりも良く知っているピナフォアは、
勢いに乗って襲いかかってくる敵兵を吸着爆弾で吹き飛ばすと、次いで鞍上のゼラールを窺った。
 テムグ・テングリ群狼領にて用いられているこの銅鑼の意味するところは、退却命令である。

「――ほう……存外に早く決断したものよな。もう少し粘るものと思うておったが」

 灼光喰みし赤竜の巣流全土へ鳴り響く銅鑼の音と幾千もの悲鳴の在り処は、
強さを増してきた塵旋風に妨げられてシルエットの望遠さえ許されない。
 最早、砂の嵐の向こうへ撤退の様相を夢想する以外に連合軍の壊滅を確かめる術は、
ゼラールたちに用意されていないように思われた。
 あとは砂塵の只中に突撃して我が目で戦況を見極める選択肢だけだが、
敵と味方がいかなる陣形で戦っているのかさえ分からない状態では、
主戦場に乗り込むことは自分で自分の命を捨てるのと同義であった。
 突撃した先に敵の大部隊があったなら、考察するまでもなく一巻の終わりである。

 ギルガメシュの増援部隊を押し返してゼラールのもとにやって来たトルーポは、
「どこから敵の新手が出てくるか知れたもんじゃありません。短慮は慎むべきかと想いますね」と慎重論を推した。

「正直、俺たちが今から加勢に入っても形勢が傾くとは思えません。
撤退が始まった以上は敵味方等しく混乱してますし、迂闊に攻め入って本隊の退路を遮ってしまったら、
もう最悪です。……閣下にはご無念でしょうが、ここに待機して味方の撤退を見守るべきかと」

 トルーポの見立てにピナフォアは即座に頷き、イングラムのプロキシを繰り出していたラドクリフもこれに続いた。
 さすがは歴戦のゼラール軍団と言うべきか。現在進行形で敵兵を迎え撃っている最中ではあるものの、
一同が冷静な判断力を保ち続けている。
 しかし、援軍に駆けつけていた佐志の源少七はゼラール軍団の判断に不服があるようで、
すぐさまに「異議あり!」と手を挙げた。

「ちょっと待ってください。戦う前から負けることを考えてどうするんですかッ! 
人間、死ぬ気でやればなんでも出来るッ! あんな連中に負けてもいいって言うんですかィ!? 
――勝てるッ! 自分たちは敵の背を取っているんだ! 全軍の力で挟み撃ちにすれば、必ず勝てるッ!」
「精神論で勝てるのは、せいぜい一対一の決闘だぜ。合戦はそうは行かねぇ。
大体、撤退が始まっている状態で挟み撃ちまで持って行けると思うのか?」
「それは、……気合いでなんとかッ!」
「お前、人の話を聞かないタイプだってよく言われるだろ」

 つまるところ、血気に逸る源少七が敵前逃亡へ難色を示したと言う次第だ。
 主戦場へ飛び出そうと推す源少七の耳には、トルーポの慎重論は弱腰のように聞こえたらしく、
「玉砕覚悟でも突貫すべし!」とひとりで気勢を上げている。
 どうやら源少七は、トルーポが先に挙げた最悪のシナリオをまるで考慮に入れていない様子だ。

「――フム……」

 鋭く研ぎ澄まされた眼差しでもって熱砂の彼方の主戦場を突き刺し、
耳朶にて源少七たちの言い争いを拾い上げたゼラールは、一斉に押し寄せてくる膨大な情報量へ
不敵な笑みで返した。
 愉快極まりないとでも言いたげに双眸を輝かせて。血肉を求めるかのように口の両端を吊り上げて。

 なおもトルーポと言い合う源少七を「佐志の小童よ」と呼び寄せたゼラールは、
ゼラール軍団の意向、今の呼び方と数多の不満で口をへの字に曲げている彼に一先ず総大将、つまり守孝のもとへ戻るよう指示した。
 トルーポへと目配せすれば、彼は自信ありげに頷いている。
 奇襲によってにわかに崩れかけたものの、形勢を立て直した今、敵の増援部隊を相手に不覚を取ることはない。
この先はゼラール軍団のみで十分だとトルーポは大胆不敵に笑って見せた。

「閣下……」

 ゼラールが次に打つ手は、彼の満面に浮かんだ獰猛な笑顔を見れば察せられる。
 慎重論を押し退けられた心中を慮るラドクリフは、それとなく具申した者の様子を窺ったが、
トルーポ当人は危うい敵中突撃を気に病んではおらず、むしろ、思い掛けず転がり込んできた“愉しい時間”に
「クリッターの相手はつまらねぇな。どうせなら大将首でも狙いたいもんだ」と昂揚すらしている。
 そんなトルーポをじっと睨めつけるピナフォアのほうがよほど事態を案じていると言えよう。

「佐志の小童――我が身を槍に換えんとするその意気、実に殊勝ぞ。我が軍に欲しいくらいじゃ。
されど、貴様の一存で佐志本隊の意向は決められまい? 兵権を預かるほどの大身ではなかろう?」
「それはっ! ……はい、その通りです」
「ならば、戻るが良い。馳せ戻って、総大将に出馬を促すのじゃ」
「……っ!」

 言うや、武者震いする源少七を振り返ることもなく鞍上に飛び上がり、
自らの身体を十字架と化して屹立したゼラールは、果てることなく迫ってくる仮面の兵団と、
天上天下唯我独尊の軍旗を掲げてこれを迎え撃つ己の僕(しもべ)を愉快げに見渡し、
哄笑を以てしてゼラール軍団全軍に突撃を命じた。
 目指すは、砂塵の彼方――何処に敵が潜んでいるとも知れない敵中である。

「大輪なる灼熱の薔薇をもって、花道へ彩りを沿えるとしようではないか――華やかに参ろうぞ」





 ――太陽が西へ傾き始める頃、合戦の形勢はギルガメシュの勝利へ完全に決した。
 千々に乱れた陣形を組み直す猶予すら与えない挟撃の中、粘り強く抗戦する連合軍ではあったが、
隊列が瓦解した今、劣勢を挽回することは不可能だった。
 もしかすると、背後から大型兵器の撃発音が轟いた時点で、連合軍の敗北は決定付けられたのかもしれない。

 陣形も指揮系統もなく、支離滅裂となって壊滅していく連合軍を見つめるグラムは、
しかし、味方の大勝利でありながらもそれほど嬉しそうではない。
 不完全燃焼とでも言いたげに溜め息を吐いていた。

(アゾットめ……何が五分の勝利で上とすべし、だよ。完膚なきまでに叩きのめしちまいやがったぜ)
 
 争乱の趨勢を決する程の大きな戦いへグラムが赴いたのは、これが初めてではない。
 かつてギルガメシュの台頭を決定づけることになった軍事作戦にもグラムは参加しており、
そのときには半身を損失するほどの苦戦を強いられた。
 熱砂の大地にて行われた今度の戦いは、本来ならば件の軍事作戦と同格である筈なのだが、
最初から敵の総崩れが分かりきっていただけに、どうしても物足りなさを感じてしまうのだ。
 援軍が到着するポイントに敵軍を誘き寄せ、到着の期日までジリジリと注意を引き付けておく。
期日に至れば決戦へ突入し、前後から挟撃で攻め破る――
今度の合戦に備えてアゾットが提案した戦略は、完璧に連合軍を翻弄し、味方へ見事な勝利をもたらした。

 部隊を預かる身としては、味方の損害を抑えつつ勝利を収められる戦略を歓迎すべきなのだが、
それなのに満たし難い餓えを覚えるは、戦場に生きる軍人の性(さが)なのか。

(収穫の多さと大きさで、俺個人の消化不良は納得させとくとするかねぇ)

 結局、不意の挟撃でもってさんざんにやっつけられた連合軍は全滅する前に撤退を開始し、
残留する僅かな勢力との小競り合い程度しかグラムは出番を得られなかった。
 元々、後見のつもりで随行したのであるから、活躍の場はバルムンクに譲って然るべきところだが、
男として抑えきれぬ闘争本能がグラムを刺激して止まないのである。

 好戦に軋む鉄拳の相手を求めたグラムは、ヴァグラントから飛び降りて周囲をぐるりと見渡したが、
決した合戦にそれ以上の敵兵が投入されるはずもなく、彼の望むような人影はついぞ現れない。
 高度なカメラアイとなっている双眸がピントを引き絞って捉えたのは、合戦の餌食となった亡骸と、
ジリジリ後退する連合軍の敗走のみ。
 それら以外に目立つとすれば、フィドリングブルへ拍車をかけて戦場を駆け巡るバルムンクであろう。
 グラムに銃後を任せて自ら最前線に押し出していたバルムンクは、
連合軍が打ち鳴らした撤退の銅鑼の音に載せて声高に勝利を宣言した。
 味方は訊け、敵も訊け――と。

「時代は我らに味方したッ!! ギルガメシュこそ――
いや、我らが守らんとする民こそエンディニオンへ生きて残るべしと女神は示されたのだッ!!
今日の合戦が勝敗を、敵もッ! 味方もッ! イシュタルが神託と思えッ! 時代は……時代は、我らを選んだのだッ!」

 通信機能を介さず、自らの大音声で全軍に勝利を呼びかける姿のなんと勇ましいことか。
 総大将という重責を見事に全うし、闘士としても、一人の男としても一皮向けたように見え、
太陽を背にするバルムンクが今日はことさら眩しかった。
 年の離れた弟のように可愛がるバルムンクのそんな姿を見られたのだから、
戦いに疼く昂揚を無理矢理に捻じ伏せても身体の毒とはなるまい。


 勝利宣言がなされたとは言え、戦いが完全に終わったというわけではない。
 無謀にも中央突破を仕掛けてギルガメシュ本営深くに食い込んだヴィクドの傭兵部隊は
今もまだ干戈を休める素振すら見せずに戦い続けている。
 ……尤も中央突破したまでは良かったものの、四方八方から仮面兵団に取り囲まれてしまい、
今では袋の鼠状態で追い込まれているのだが。

「敵にもッ! 味方にもッ! ヴィクドの底力を見せてやるのだッ!
いかなる脅威にも屈することのない戦いをッ!! 真の勇者のいかなるものかをなッ!!」

 傭兵たちの先頭に立って大立ち回りを演じるのは、言うまでもなくアルカークだ。
 優勢決したギルガメシュと雖も、彼の義手には相当に梃子摺るらしく、
その鋭い鉤爪に少しでも血肉を抉られた者は誰もが足の爪先に至るまでを小刻みに痙攣させて
意識を破壊されていった。
 見れば、義手の鉤爪にはリキッド状の液体が付着しており、
右へ左で豪腕を振る度にテラテラと粘性の軌跡を描いては見る者の神経を逆撫でする。
 敵兵の腹に突き刺さった鉤爪を抜き取る際にまばらな糸が引く様など、
腐乱した汚物を彷彿とさせた。
 言葉や理屈で表せない嫌悪感が義手の鉤爪から迸っている――そんな感覚なのだ。

 果たしてその漠然とした感覚は、アルカークの使うトラウムの正体を知るにつけ、
確信を得てより一層の嫌悪を増していく。
 『キルシュヴァッサー』――使い道によっては最強最悪となり得る“毒素”のトラウムこそが、
孤軍であろうと仮面兵団を鎧袖一触に葬るだけの戦闘力をアルカークにもたらす鍵だった。
 アルカークはキルシュヴァッサーを発動させることによってあらゆる“毒素”を瞬間調合し、
鉤爪に塗布した猛毒のリキッドをもって仮面兵団へ致死の一撃を浴びせているのである。

 撤退を余儀なくされた連合軍ではあるものの、一方的にやられていたわけではなく、
追い込まれてからの善戦は目を見張るものがあった。
 ゼラールが焼き尽くしたツォハノアイのほか、ゴリアテもフェイたち義勇軍の奮戦によって倒され、
ギガント型のクリッターはフリムスルスを残すのみとなっている。
 その他のクリッターもあらかた駆逐されてしまい、
子飼いをことごとく撃破されたアサイミーの青筋立てた顔がグラムの目に浮かぶようだ。

(よく戦ったと誉めてはやりたいがね。特に馬軍の連中は――)

 一軍を率いる者としてあまりに軽率な上、引き際をも弁えない猪突猛進なアルカークはともかく、
攻守を見極め、退く英断を下すことのできるテムグ・テングリ群狼領は
グラムの目から見ても最強の称号に相応しい軍勢である。
 彼らの善戦を心から誉めて称えてやりたい――そう心のうちに思いながら
撤退の様子を見つめるグラムの視界を、不可思議な現象が横切ったのはそのときだった。

「………………?」

 死地に留まり続ける傭兵部隊の更に先――数十分前まで敵味方が入り乱れ、
今は後退の蹄が連弾する主戦場の渦中にて連合軍本隊の背後へ追撃を仕掛けていた部隊が
何の前触れもなく横倒しに吹き飛び出したのだ。

 勝利を確信したことで緊張の糸が切れ、熱射病にでも襲われたかとグラムも最初は考えたのだが、
陽が傾きつつあるこの時間帯になって熱に浮かされるのはいかにもおかしい。
 しかも、横転するのは一人や二人でなく部隊単位なのだ。
 集団で熱射病を発症するからには何らかの兆候があって然るべきなのだが、そうした報告は届いていなかった。

 次いでグラムのカメラアイが捉えたのは、自身と比べて実に矮小な人間を
玩具の人形か何かのように弄んでいたフリムスルスが唐突に一切の活動を止め、
驚きに瞬く内に胴体が右と左へ裂かれた衝撃的な映像だった。
 丁度、そのコンマ三秒前にカメラアイがフリムスルスの身体を脳天から股まで垂直に駆け抜ける閃きを確認していたのだが、
まさしくその閃きこそが最後に残ったギガント型クリッターへ引導を渡すものであったわけだ。

 二つの異常事態が灼光喰みし赤竜の巣流へ同時多発的に舞い降りた。
 何十何百という部下が理由もわからず横倒しになり、切り札の一つと見なしていたフリムスルスは
身体が真っ二つに分かれた上に、素っ首を付け根から刎ね飛ばされている。
 状況や切口の爆ぜ返り方から推察するに、真上から二つにわかれるよりも早く首のほうが落とされていたことなるのだが、
もしも、この異常事態が人為的なものであり、例えばフリムスルスを一刀のもとに両断せしめる人間がいたとするのなら、
首自体が刎ねられたことを認識するより早く二撃目の両断に繋げる太刀捌きたるや、鮮やかと言うほかない。

 熱砂を経巡る竜巻にでも見舞われたかのように放射状に砂塵が飛散し、
その巻き上げられる砂塵へ血の煙が赤黒く混ざっていること、横倒しになった部下たちのいずれもが五体をバラバラにされていること、
それらを砂上のキャンパスに描き出しているものが途方もなく長大な刀剣であるとの分析結果が
カメラアイのスクリーンに投影されたときには、轟然たる太刀風は鼻先へ感じられるまでに迫っていた。

「な……にィ――ッ!?」

 紫電一閃――自分を中心に内側へ収束するような殺気を真横から感じ、
咄嗟の判断で左腕を盾代わりとしたグラムを今まで味わったことのない衝撃が襲った。
 とてつもなく重く、鋼鉄のボディを貫通して真芯へ響く衝撃だった。

 刃先が左腕へ触れた瞬間、大型爆弾が炸裂したかのような衝撃波が辺り一面に輻射され、
グラムの周囲を固めていた側近は、火山の噴火さながらの爆発を起こした熱砂によって抗う術なく押し流されてしまった。
 グラム自身は二百キロを軽く越える本人のウェートもあって砂漠の津波に勝手を許すことは無かったが、
代わりに炸裂で生じた衝撃波を全身へモロに被ることとなり、金属の擦れ合うイヤな軋み音を身体の奥底から聞かされた。

 身体中から上がった悲鳴は人為的に再構築されたグラムの感覚神経を激しく揺さぶり、
彼は久方ぶりに痛覚の存在を想い出していた。
 それと同時に左腕の機能が大半を失い、グラムの人工脳内部でけたたましいシステムエラーの警報が鳴り響く。
 わざわざ電子音に頼らずとも、自分が窮地に陥っていることは誰よりもグラム本人が一番理解している。
 せめてもの抵抗に盾として刃先の進みを妨げる左腕だが、機能の損失をカバーするにはあまりに足らず、
徐々に、だが、着実に豪の一太刀に押し切られつつあった。
 刃先から流れ込む意志には首を取らんとする明白な殺意が感じ取れ、左腕の機能損失に勘付かれたのはまず間違いない。

 何かの拍子で攻勢と守勢の均衡が崩れた瞬間に狩られる――
半身を失った軍事作戦以来、初めて死の胎動を感じたグラムは、
無駄な足掻きを蹂躙せんとする刃先へと右の拳を打ち据え、この動きを強引に食い止めた。
その際に生じた火花がグラムの左腕を伝うオイル混じりの流血へ着火し、
剛の一太刀と力と力の鬩ぎ合いを演じる右の拳にまで炎を灯す。

(――こいつは……ッ!)

 爆ぜて散った炎に煽られた威容の正体に、グラムはこれまた久方ぶりの狼狽を呈した。

「エルンスト・ドルジ・パラッシュ……ッ!」
「……名乗った覚えは無いのだがな……」

 ヴァグラントの横っ腹にめり込まされたグラムが声の主へと視線を巡らせると、
そこには、沈みゆく夕陽を背にして愛馬に打ち跨り、馬上から必殺の刃を繰り出すエルンストの威容があった。
 夥しい返り血を浴び、刃を、甲冑を、涼しげな面を赤黒く染め上げた馬軍の覇者が――。

「――……」

 恐るべき反射神経とサイボーグならではの豪腕によって必殺の刃を阻止されたエルンストと、
全身に内蔵された兵器による反撃すら叶わないまま、左腕を防壁に換えて死の一閃を停止させたグラム。
 気迫漲る互いの健脚を砂中深く沈み込ませながら、二人はジリジリと拮抗し続ける。
 少しでも刃を引けば反撃の砲火を迎えるだろうと推測するエルンストは、一
挙に押し切るべく全身の筋力をグリップの部分へ注ぎ込んだ。
 敗北が死に直結する以上は、何があっても引けぬと覚悟を固めたグラムも
リミッターを解除してまで動力炉からフルパワーを調達するのだが、それでも決着の趨勢は見えない。

「………………」
「………………」

 力と力の拮抗によって彩られた両雄の邂逅は、戦場という猛々しく極限的な状況に在るのが嘘のように思える静寂に包まれており、
ほんの少しの油断が命取りになるグラムの心をもその緩慢な腕(かいな)の内側にかき抱いた。

「――――…………」

 不可思議な静寂に包み込まれた僅かな邂逅の中、グラムとエルンストは視線を交わらせ続ける。
 敵愾心でも殺意でもない、けれども親しみなどとは断じて違う。
一切の感情を無に帰す沈黙が、奇しくも同時代に生まれついた相星たる両雄の間に垂れ込めていた。

「――――…………」

 世が世なら大型戦車すら一刀のもとに両断するであろう十メートル近いエルンストの豪剣も、
ミサイルポッドが内蔵された背中のパーツを展開して密かに起死回生の機会を狙うグラムの機転も
この静寂の前には何ら意味を成さない。
 相手に通じるとか通じないではなく、攻撃という概念そのものが沈黙し、武器を降りかざす意味までもが失われてしまうのだ。

「――――…………」

 ……その沈黙を生み出したものこそ、生と死の間際を馳せ違う決戦であるという矛盾さえも。

「――グラムさんッ!!」

 逢瀬とも言うにはあまりに短い静寂の一瞬は、横から突き入れられた悲痛な絶叫によって味も素っ気もなく終わりを告げた。
 焦りと怒りとを混濁させた絶叫はバルムンクのものだ。
 異変に勘付いた彼は即座にフィドリングブルの馬首を返し、グラムの加勢に向かおうとしたのだが、
グレートアックスを構え直したときには、既にエルンストの姿は二人の視界から消えていた。

 刹那のうちに残像もろとも霧散してしまうなど、自分たちの配した援軍同様に瞬間移動したとしか考えられず、
頭の固いバルムンクはくそ真面目にも「奇襲者はエスパーかッ?」と腕組みまでしてあれやこれやと考え込んでしまう。
 滑稽なまでの真面目ぶりへ微笑ましそうに破顔するグラムだったが、
彼の頬に黒色の影がかかるや否や、血相を変えて右の拳を上空へと突き出した。
 瞬間、右の拳から無数の光弾が速射される――付け根から中折れ式にスイングアウトされた
右手首に内蔵されるグラム自慢の武装が一つ、『光子ランチャー』である。
 肉体にも内部の金属にも激しい疲労を被り、小刻みな痺れが鎮まらない為、
狙いも何もあったものではないが、たまたま付近の上空を飛行していたサルカフォゴスの一群を瞬時に消滅させるあたり、
秒速数百発もの速射性能と一発あたりの破壊力は照準のブレに何ら影響されないように思える。

 しかし、それも熱砂と曇天との狭間に張られた弾幕が敵影を正確に補足できれば話だ。
 被弾させることのできない弾幕などは、収穫の見込みが無い海域へ投網するのと同義であり、
巻き添えを喰らって破壊された哀れなクリッターの残骸以外に何ら成果を挙げられなかったグラムは、
忌々しげな舌打ちを従えながら主戦場を仰ぎ見る。
 果たしてそこには、天上より舞い降り、着地と同時に愛馬へ拍車をかけて去るエルンストの後姿があった。

「なかなか洒落た真似をしてくれるッ!」

 攻め入って来たときと同じように豪剣でもって無慈悲な竜巻を引き起こし、
追いすがる者、逃げ惑う者を問わず仮面兵団を蹂躙しながら自陣へと馬を走らすエルンストは、
帰還の途上に一度だけ背後を――グラムを振り返り、不敵な微笑を浮かべた。
 その微笑の意図するところをグラムが知る術はないが、仮に攻守の立場が逆であったなら、
自分も去り際には同じような微笑を残していったに違いない。
 理屈でも感情論でもない、合戦の勝敗からも切り離されたところにある何かが漢(おとこ)の本能を刺激し、
昂揚の発露を口元に浮かべさせるのだ。
 一息つく間にみるみる遠ざかり、乱戦の渦中に入って完全に見失ったエルンストの背中へ
なお視線を送り続けるグラムの口元も、どこか嬉しげに吊り上っていた。

「今のは、一体……」
「斥候のレポートにもあったろ、写真付きで。……エルンスト・ドルジ・パラッシュ、俺たちが戦ってきた軍団のトップだ」
「ト、トップ自ら斬り込んできたって言うんですかッ!? ま、まさか、そんな……」
「しかも、あの調子じゃ、どうやら俺を合戦の総大将と見誤ったらしいな」
「お、俺は……?」
「俺の首にはそれだけの威厳があるってぇことだな。敵に間違った序列作られるようじゃ、お前さんもまだまだ青いってこった」
「………………」

 エルンストの取った突飛過ぎる行動に衝撃的な驚愕を受けて呆然となるバルムンクの耳には
からかい半分の揶揄も届いていないらしい。

「……長い付き合いになりそうじゃねーか……」

 その手にて築いただろう死屍累々を踏みつけにしながら遠ざかるエルンストの余韻が
砂塵を抜ける疾風に押し流されるまで、残影の消えた先をグラムは飽くことなく見送り続けた。
 予感にも似た余韻へ浸りながら、ただ静かに見つめ続けた――。





 敵の総大将を討てば起死回生を望めるものと決意し、単騎にて敵本営まで斬り込んだのは良かったものの、
グラムの――この時点で彼は既に大きく読み違えているのだが――予想を遥かに上回る戦闘力の前に
その目論見を阻止されたエルンストは、好敵手と認められる相手と邂逅した個人的な昂揚とは裏腹に
心中にはジットリと絡みつくような焦りを飼っていた。
 近衛兵と共にエルンストを出迎えたグンガルは、父の胸中を察して「たかが一度負けただけではありませんか。
戦は何が起こるかわからないと、父上が教えてくださったのではありませんか」と励ました。

 「戦は何が起こるかわからない」とは、言いえて妙である。
 連合軍が撤退を始めたことで新たな、……そして、最後の局面を迎えた戦場は、現在、果てしない混乱に見舞われているのだが、
必ずしも連合軍へマイナス効果を及ぼすものではない。絶対的に優勢であるはずのギルガメシュが突如として仲間割れを始めたのだ。
 理由は定かではないが、連合軍への追撃が開始されて数分が経過した頃、
仮面兵団の誰かがレーザーライフルで味方を撃ち殺したことに端を発する混乱であるようだ。

 首脳部が掲げる理想を解せず、貪欲に戦功を求めた愚か者の先走りか、
あるいは、銃器が数多の危機的状況の引き金となる白兵戦にまで
バカの一つ覚えのようにレーザーライフルを用いるギルガメシュ兵の誰かが味方を誤射してしまい、
それによって遺恨が生じたのか。
 混乱が頂点を極める渦中において同志討ちが始まった理由を模索するのは詮ないことだが、
ほんの些細な混乱が禍々しい狂気へ直結する極限の戦場では、いずれにしても珍しい現象ではなかった。

(……敵と味方の判別さえつけ難い砂塵が功を奏したか。このような地形では、混乱を来たした瞬間に足元をすくわれる……)

 “理由は定かではないが――”と記したのは、味方から謂われのない銃撃を浴びせられた
ギルガメシュの仮面兵団にとっての感想であって、必ずしもエルンストとは合致しない。
 混沌の境地を突っ切って己が座すべき本陣へ馬を走らすエルンストの表情に驚きが見られないのは、
敵の総大将が目の前にいるにも関わらず、ギルガメシュが満足な追撃さえ繰り出せないまでに破綻を来たした理由を熟知し、
弁えているからである。

「朋友の危機を救うこの展開、これぞ朕の望んだシナリオに他ならぬ。
これほどまでに燃えるシチュエーションが他にあろうか? ――いや、無い。いわゆる反語。
反語でもって可能性を全否定してくれる。……焼け焦げるまでに朕のハートはバーニングしているのだ」

 自慢の黄金衛士を繰り出し、本隊が安全圏へ退避するまでの間、
なんとしても持ちこたえるよう水際の防衛を厳命するファラ王と帰還の途上ですれ違ったが、
彼の頭上に巻き付いたアポピスは熱砂に起こった混乱の仕掛け人を見抜いていたようで、
去り際のエルンストに向かって「馬軍の最大の敵は、やはりルナゲイトでございますな」と当てこすりのような一言を投げかけた。

 興味がないのか、馬蹄の音に妨げられて聞き漏らしたのか、
エルンストは何も答えずにその場を駆け去っていったが、彼の代わりに別の人間が鼻を鳴らし、
逆に「仇敵呼ばわりとは慮外な。危険も省みぬ献身を誹ったお主のほうこそ悪辣じゃろうが」と皮肉で返した。
 黄金衛士の指揮へ夢中になっているファラ王を余所に、皮肉を突き入れられたほうへと目を転じたアポピスは、
簡易式のアームチェアに凭れながら戦況を眺めている好々爺の姿をそこに見つけ、
「これは失敬を。ルナゲイトとテムグ・テングリはエンディニオンの二大巨頭。
その名誉を称えたつもりだったのですがね」と口先ばかりの謝罪を述べた。
 合戦場であろうとなかろうと、ファラ王は平素と同じように半裸の巨魁たちが担ぐ輿の上で身を横たえているのだが、
その真隣には、ルナゲイトのエージェント部隊が控えている。
 部隊の中心に座して指揮を執るのは、言わずもがな新聞王ジョゼフと、彼の懐刀ことラトクである。
 つまるところ、アポピスはエルンストを皮肉るように見せかけて、間接的にジョゼフへ厭味を飛ばしていたわけである。

 アポピスが当てこすったように、……また、“いつものやり口”からも推察出来るように、
ギルガメシュの同志討ちを演出したのは、他ならぬジョゼフである。
 但し、正確には同志討ちには当てはまらない。
 ラトクが“どこからともなく調達してきた”ギルガメシュの武装、軍服、仮面をエージェントに着用させ、
撤退戦の混乱の中へと放ったのだ。所謂一つの攪乱である。
 実際には意図的に撃発されたレーザーライフルをギルガメシュは味方の誤射と信じ込み、
戦闘に於ける昂ぶりから狂気を帯び始め、最後には“同志討ち”と言う事態へ発展していったのだ。
 仮面兵団に成り済まして偽の同志討ちを作り上げると言うことは、
必然的に敵部隊へ潜り込んだエージェントも死を免れないのだが、
自身の配下がひとりまたひとりと凶弾に倒れる様を睥睨しながらもジョゼフは眉一つ動かさない。
 名誉の戦死には相応の報酬を支払う。当人も納得ずくの“契約”を批難される謂われはない――
好々爺然とした面に隠した心根が透けて見えるようで、アポピスは思わず身震いした。
 ファラ王ほど素っ頓狂ではないにせよ、どちらかと言えばアポピスも温厚な気質であり、
それだけにジョゼフのやり口が腑に落ちないのだ。

 アポピスからジョゼフへと向けられる善からぬ眼光に気付いたラトクは、
内心では「トラウムにまで悪徳呼ばわりとは、さすがに“会長は違う”」などとほくそ笑んでいるのだが、
あくまでも表向きは万能にして忠実なエージェント。不敬極まりない内心などおくびにも出さず、
ジョゼフに与えられた任務を淡々とこなしている。
 先程来、ラトクはずっとモバイルを耳に宛がっている。
言うまでもないが、撫子のように戦闘を放棄してモバイル遊びに興じているわけではない。
砂漠だけでなくグドゥー全域に放ったエージェントから逐次入ってくる情報を一手に担い、
作戦行動に必要――と言うよりも、ルナゲイトにとって有利な筋運び――な分析を行っているのである。
 彼のモバイルは、ルナゲイト家しかその存在を知らぬ秘密回線を使用している。
この回線を通すことによって通話傍受や電波妨害の回避が可能となり、
それ故に合戦場でも何の問題もなく使用していられるわけだ。

 当然、佐志軍やエトランジェ、ソニエの属する義勇軍の動きも完全に掴んでいる。
 佐志軍とエトランジェの戦況についてラトクから報告を受けたときなど、
シェインたち若者の活躍を知ってジョゼフは相好を崩したものだ。
 アルフレッドが東郷ターンを復活させて戦功を上げたと聴き、
エルンストと同じくらいに喜んだのもジョゼフである。
 尤も、その様子をつぶさに観察していたアポピスは、「身内と駒の使い分けが上手なことだ」と
怖気が走る思いだったのだが。

 ジョゼフもジョゼフで、グドゥーの盟主が新たに手にした力を漏らすことなく見届けようとしている。
 旧来よりグドゥー地方は人間社会に適応できない無頼のアウトローが屯する悪の巣窟である。
中でも特に戦闘力が高く、規模も大きい四大勢力が時代錯誤にして危険極まりない縄張り争いを
繰り返すグドゥーは、ルナゲイトにも容易に手出し出来ない土地だったのだ。
 ファラ王――と言うか、アポピスが――の編制した黄金衛士が如何なる物か、
悪名高いアウトロー四大勢力を一つにまとめた部隊がどれほどの戦闘力を発揮するのか、
ジョゼフにとっては興味の対象でもあった。
 果たして、彼の期待は的中することになる。

 途中からの参加ではあったものの、援軍に駆けつけた黄金衛士はギルガメシュを相手に一歩も退かず、
テムグ・テングリ群狼領の騎馬軍団、ヴィクドの傭兵部隊に勝るとも劣らない戦闘力を見せつけていた。
 群雄割拠していただけあって兵の練度が他の部隊よりも段違いに高く、
また、長年に亘って勢力争いを繰り広げてきたとは思えぬ程、統率も完璧に取れている。
 黄金や宝石を紡ぎ上げた甲冑が夕陽を跳ね返して輝き、光の塊となって殺到したときなど、
ギルガメシュの陣営から悲鳴が上がった程である。
 撤退戦に縺れ込んでからも地の利を生かして果敢にゲリラ戦法を仕掛け、敵陣の混乱を煽っている。
グドゥーと言う土地での戦いに慣れた黄金衛士は、追っ手を流砂に誘い込んで仕留めるのもお手の物。
砂の流れを完全に把握していることはギルガメシュにとって大いなる脅威であり、
物理的にも心理的にも、彼らの進軍は著しく遅滞することとなった。
 流砂を取り入れる黄金衛士ならではの戦法は、敵味方が入り乱れる合戦の最中では生かされず、
ここに来て本領発揮の機会を得たわけだ。
 ジョゼフの試みた電撃的な偽装作戦と黄金衛士のゲリラ戦法は相乗効果によってギルガメシュの追撃の手を断ち、
八方塞に追い詰められていた連合軍へ退くべき活路を切り開いてくれた。

 勢いに乗って進撃できる筈のギルガメシュは、形勢の有利とは裏腹に立ち往生を余儀なくされている。
 黄金衛士によるゲリラ戦法の効果を確認したアポピスは、満足そうに頷き、
「そろそろ頃合かと存じますが」とファラ王に次なる一手を促した。

「むっふっふっふ――お前もわかってきたではないか、真打ち登場の花舞台を」

 黄金の輿へ横たえていた身を起こし、ファラ王は何やら興奮した様子で身体をくねらせ始めた。
グドゥー地方伝統の踊りか、それとも、子どもが奇声を発するのと同じくテンションに身を委ねただけなのか。
理由は定かではないが、少なくともジョゼフとラトクの目には薄気味悪く映っており、
彼らの心中を察したアポピスは、それとなく「気分を害して申し訳ない」と頭を垂れた。

「――あぁ、プロフェッサー? 朕、朕。僕たち、私たちのファラ王だ。
そう言うわけで、またしてもキミたちの力を借りることになった。日頃の鬱憤多々あるだろう。
みんなまとめて、ぶつけてくれ給えよ」

 アポピスの気苦労など知る由もないファラ王は、配下の者より手渡された無線機に向かって
次なる号令――当人曰く、秘密指令だそうだ――を発した。
 内容から察するに指示を出した相手は黄金衛士の別働隊であろうか――
それにしては軍務に似つかわしくない『プロフェッサー』なる呼称を用いている。
 理由如何がわからず、ラトクと顔を見合わせて小首を傾げるジョゼフだったが、
ファラ王の発した秘密指令は、想像を絶する形で彼らの目の前に現れた。

 ギルガメシュの足取りを阻害していた流砂の表面に突如として切れ目が走り、
それから間もなく鋭利な刃物が入れられたかのような断層を作り出した。
 砂と泥とを内側の空洞へと飲み込んでいく断層にギルガメシュの追撃部隊は恐れ戦き、
ジョゼフもまた腰を上げて驚いたが、一同のリアクションを愉快そうに眺めるファラ王は、
「あれこそグドゥーの奥の手にして新たなる力! エンディニオンに新しい朝が来るぞ!」と口走り、
なおも煽り立てようとする。

 流砂の只中に開いた断層から四人分の人影が飛び出したのは、
ファラ王の扇動を見計らっていたかのようなタイミングである。
 逆光に包まれる程の高空まで飛び上がった人影四つは、瞠目するギルガメシュの面前へ降り立つと、
ファラ王をして「グドゥーの奥の手」とまで謳われる戦闘力を即座に発揮し始めた。

 『プロフェッサー』とファラ王に呼び掛けられた人物であろうか、
医師や科学者と同じ白衣を着用し、丸い黒眼鏡を掛けた男が他の三人を指揮しているようだ。
 自らも大型にして異形の刀剣――外見は武器と言うよりも医療用のメスのようでもある――を
左右に一振りずつ携え、仮面兵団へ斬りかかっていく。
 その手並みは鋭く、鮮やかにして苛烈。瞬時にして標的をバラバラにしてしまうその技法は、
むしろ解剖に近いものがあった。
 プロフェッサーの指示を受けて行動する三人は、さしずめ助手と言ったところか。
 ビルバンガーTと同じロボットのようにも見える一風変わった甲冑で全身を固めた巨魁は、
豪腕を振り回しては敵影を薙ぎ倒し、ときに頑強な掌で素っ首を掴み上げている。
 追撃部隊に含まれているクリッターを捕獲し、熱砂に投げつけて破壊するその両掌は、
常人に比して十倍以上の大きさを誇っているのだが、身に纏う甲冑から推察するに、
生身ではなくディアナのガントレットと同じような武具の一種なのだろう。
 力持ちながらも気は優しいようで、肩を並べて戦う仲間たちの状況へ常に注意を払っている。
 尤も、残るふたりの“助手仲間”も身の安全を案じる必要はなさそうだ。
 頭のてっぺんから爪先までくまなく包み込む不可思議なスーツ――むしろタイツのようにも見える――で
生身を完全に覆った男は、時折、「感じるぞ……! これが超生命の奇跡……ッ!」などと
意味不明なことを口走りながらも、襲い来る敵兵を圧倒している。
 どのような原理かは不明だが、彼の両手から放出されるビームに触れると、
肉体と言わず着衣と言わず、手に持つ武器と言わず、たちまち腐食あるいは錆び付いていき、
最後には雲霞の如く消失してしまうのだ。
 「超生命の奇跡」とやらを感じる彼がビームを発する度、スーツの表面が淡く明滅しており、
おそらくはこの奇妙な出で立ち自体が武装の一つだと思われる。
 最後のひとりは、際だって異様であった。
 胸部、胴回り、肩繰りと至るところにファスナーが散見される奇妙な衣服へ身を包んだ彼は、
鉄製の鐘の如きフォルムを持つ機械でもって右腕の肘から先を覆い尽くしている。
 それだけならば、全身甲冑や不可思議なスーツに比べて、ある意味、「地に足のついた装い」と言えるのだが、
彼は右手を覆う機械の内側――鐘の如き空洞から巨大なロケットを創出し、
その上にサーフボードの要領で屹立すると、後方のノズルから噴射される高圧ガスの勢いに乗って
敵陣へと飛翔していったのだ。
 ――そう、発射ではなく創出である。ランチャーの一種のように見えなくもないのだが、
機械の内側から現れ出でたロケットは彼の右手よりも遙かに長大。機械の内部に格納してあったとは思えない。
 それ以前に、だ。サイズの大小問わず、ロケットを格納しておくような部位はどこを探しても見当たらない。
これらの材料から推理すると、やはり創出と射出を機械の内部にて順繰りに実行しているとの結論へ行き当たるのだ。
 ともすれば、あれはトラウムの一種なのか――四人の戦いをじっと観察するジョゼフにもその判断は付けられなかったが、
いずれにせよ、ロケットを自在に操るこの青年が恐ろしく戦いに慣れているのは確かであった。
 敵陣に近付くや否や、ロケットを蹴り出して地上を爆撃し、着地と共に連続して新たなロケットを創出及び射出する青年は、
身のこなしから照準の精確さまで背筋が寒くなる程に巧みである。
 ジョゼフの傍らで四人の戦いを眺めるラトクも、見惚れたように嘆息を漏らしている。

(――『新しき力』とは、よく言ったものじゃ……)

 ファラ王もアポピスも明言はしなかったが、おそらくはこの四人こそがグドゥーの動乱を鎮撫した切り札なのだろう。
 黄金衛士のゲリラ戦法も絶大な戦闘能力を有してはいるものの、奥の手とまで謳われるこの四人にかかれば、
それすら踏み潰されてしまいそうだ。
 筆舌に尽くし難い四種の猛攻は、アウトローの群れなど造作もなく平らげるように思えた。
 彼らをどこで“調達”したのか。ジョゼフの興味は既にそこへ映っている。
“今後”のこともある。早急に調べる必要があるだろう。
 しかし、それらはこの合戦が、……いや、戦場からの退却が全て完了してからの話だ。


 ファラ王が繰り出した奥の手は、ギルガメシュにとって思わぬ伏兵であった。
追撃を浴びせるどころか、反対に威力攻撃を被る形となった仮面兵団は、引き下がって体勢を立て直す事態に陥っている。
 この期に乗じれば全軍撤退も有利に進め易くなるだろう――が、
それにしても口惜しいのは、敵軍に対して激甚なダメージを与えられるだけの奥の手を隠しながらも
攻勢の折には決して使おうとしなかったファラ王の判断である。
 テムグ・テングリ群狼領が窮地に陥るのを待って秘蔵っ子を送り出すとは悪趣味としか言いようがない。
 仮にファラ王が知恵の働く人間であったなら、エルンストに恩を着せるのが狙いだと勘繰るところだが、
幼稚性の高い彼のこと、「味方の窮地をカッコよく救ってみたい」などと言う自己満足に走っただけではなかろうか。
 いずれにせよ、最終局面に差し掛かるまで動かされなかった奥の手が最初から投入されていたなら、
必ずや戦いを有利に進めていられた筈である。

 戦況(こと)ここに至った今、敵の混乱に乗じて攻勢へ転じられるだけの余力も残されてはいない。
無理矢理に引き返して迎撃の一斉砲火を浴びたなら、今度こそ連合軍は再起の芽も摘まれ、完全に崩壊するだろう。
 最悪の事態が起こる前に戦場を離脱しなければならなかった。

(……俺に慢心があったか……それが敗因か……)

 身内たるテムグ・テングリ群狼領とは思想も体質も大きく異なる同盟者と手を組み、
連合軍を組織してギルガメシュとの一大決戦へ望んだ次第だが、
未知数の遺伝子で作り上げられた集団を束ねることの難しさが改めてエルンストの双肩に食い込み、彼は自分の青さを恥じ入った。
 思想も体制も異なる者たちと同盟を組んだのだ。外来の遺伝子が混ざれば混ざるほど、
これまで破竹の快進撃へとテムグ・テングリ群狼領を導いてきた『常勝の理』と言うものが薄まってしまい、
全くもって意味を為さなくなるは、言わば『自明の理』である。

 退路の途上にてギルガメシュの追撃隊と交戦する自軍の斥候隊に出くわしたエルンストは、
グンガルと共に仮面兵団を平らげ、ここでドモヴォーイと落ち合った。
 総大将として大本営に控えていなくてはならない筈のエルンストが、敵が本営を張る方角から馬を走らせてきたのであるから、
聡い者なら即座に無謀なる単騎駆けを思い至り、顔を真っ赤にして怒り出す筈なのだが、
ドモヴォーイの態度は実に事務的で、斥候隊長らしく戦線離脱の進捗状況を報告するのみの淡々としたものだった。
 「御屋形様」と畏怖される立場と、その心得を忘れたかのように振る舞ったエルンストをドモヴォーイは咎めもしない。
顔色一つ変えることもなく、諌言一つ出すこともなかった。
 仮にこれがビアルタであったなら、大将にあるまじき軽々な振る舞いを叱責したことだろう。
 多年に亘って側近として仕えて来たドモヴォーイは、エルンストがそのような気性であることを熟知しており、
また、無謀極まりない総大将自らの単騎駆けとて、戦士としての昂揚を優先させた暴挙でなく
全軍の安否を案じての一手であると理解している。
 だからこそ、ただ何も言わずに彼の決意を受け止められるのだ。あるいはデュガリでも同じことをしたに違いない。

「敵の真意を汲み取れぬまま決戦に及んだ時点で我々の運は尽きていたのでしょう。……此度は完敗ですな」
「……完敗か……」
「ブンカンはクインシー氏を後方まで送り届けておりますが――ここにアイツが居合わせたなら、さてさて何を言われるか。
御屋形様のトラウマが一つ増えたでしょうな」
「……合流してからが恐ろしいな。デュガリにもザムシードにも雷を落とされるに違いない」
「なんのなんの、デュガリ殿もただの前座に過ぎませぬ。……カジャム様に比べれば」
「……言ってくれるな、ドモヴォーイ……」
「どんなお仕置きをされるのやら。……恐ろしい人でございますね、カジャム様は」
「グンガル……」

 自覚はしているものの、やはり他人から宣告されるのは胸に突き刺さるのか、
ドモヴォーイの口から『敗戦』の二文字が零れたとき、エルンストは眉間の皺を深めた。
 味方の損害が想定していたよりずっと軽く、撤退も滞りなく進んでいることがせめてもの慰みだと
自分を納得させるようにエルンストは二度、三度と頷き、
撤退後の布陣と防衛の構築をブンカンに算段つけさせるようドモヴォーイへ申し付けた。
 神妙な面持ちにて頷いたドモヴォーイは、配下の斥候に自軍の撤退を支援するよう言い渡すと、
ブンカンが駆け去った方角へと馬首を向けた。
 一直線に遠ざかっていくドモヴォーイの背中を、体格と不釣合いな程に長い後ろ髪を、
無事の祈願を込めた眼差しで見送るエルンストだったが、新たに耳を打った吶喊がその意識を戦いの現実へと引き戻した。


 四方より戦場を覆い隠していた砂塵を突き破り、主戦場へ踊り出たのは、
エルンストに仕える身でありながら『天上天下唯我独尊』などと不遜な旗ジルシを掲げるゼラールの軍団だ。
 テムグ・テングリ群狼領では禁忌とされているトラウムを少しの遠慮もなく自由に解放させたゼラールは、
愛しき僕(しもべ)らと共に火の玉のような勢いでもって猛進していく。
 大型兵器による一斉砲撃で混乱の収拾を図ろうとするギルガメシュへと体当たりしたゼラール軍団は、
またしても彼らを攪乱し、今度こそ軌道修正不可能なまでに隊伍を突き崩した。

 重火器の雨霰が、プロキシとエミュレーションが、吸着爆弾による全包囲爆裂が、
そして、戦場を照らす太陽のように燃え盛るエンパイア・オブ・ヒートヘイズの灼熱が、エルンストの窮状を救う最後の砦となった。

(……あの小童、なかなか面白い戦をするようになったものだな……)

 度重なる失態を挽回すべく、前門の虎、後門の狼と言う具合に二隊へ分かれたギルガメシュ軍を遮るように横陣を布き、
本隊への追撃を食い止めることに成功したゼラールの采配を見つめるエルンストの瞳には、
テムグ・テングリ群狼領における絶対の掟が平然と破られているのに関わらず、それを咎める意志は見られない。

「どう言うつもりなんだ、あの男は。トラウムを使うなど叛逆に等しいじゃないか。
……ピナフォアまで一緒になって――まとめて処断するべきだと思いますが……」

 馬軍の掟に忠実なグンガルはゼラールの逆心をも疑っているものの、
猛々しき炎を頼もしげに見つめるエルンストからは、傲慢にして御し難いゼラールの才気へ期待を寄せ、
その巧みな采配を自分のことのように誇る喜びが汲み取れた。

「ここは僕らが引き受けるッ! あんたらは退けッ! 退くんだッ!」

 ギルガメシュに対して最後の反撃を試みるのはゼラールだけではなかった。
 先ほどまでゴリアテを相手に激闘を演じていたフェイが、
オイル混じりの返り血が生々しく付着したままのツヴァイハンダーを掲げて再び最前線へ飛び出していった。
 義勇兵を本隊の防衛に残し、ソニエとケロイド・ジュースをも捨て置いて単身斬り込んだフェイは、
ツヴァイハンダーを大振りに払って敵を威嚇し、一兵たりとも退路へ近づけないつもりのようだ。
 敵本営に向かって単騎駆けを敢行したエルンストをなぞっているようにも見えるが――
卓越したフェイの剣腕は仮面兵団を大いに震え上がらせた。
 最後の猛攻を仕掛けるフェイの姿を眺める内に、彼と故郷を同じくするアルフレッドの存在を思い出したエルンストは、
この戦場のどこかにいるであろう『グリーニャの軍師』の姿を瞼の裏に思い描き、描いてから頭を振った。
 「彼ならば、この苦境をどのようにして覆すのか」――興味と期待は尽きないものの、
今やこの合戦は、謀略が効力を発揮する段階をとっくに通り過ぎているのである。
 天の運を得られず、地の利を奪われ、人の和を見失ったエルンスト・ドルジ・パラッシュには、
最早、無様を引き摺って逃げ惑う選択肢しか残されてはいなかった。

「……長い付き合いになりそうだ……」

 デュガリから通告された「完敗」の二文字を今一度噛み締めながらギルガメシュ本営を仰いだエルンストは、
如何なる想いを去来させてそう呟いたのか――。




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