4.グドゥーを統べる者


 長く伸びた黒髪を西から吹きふける灼熱の風の自由にさせていたエルンストは、
その引き締まった面を岩と砂のみが果てしなく広がる地平へ向けたまま、ある思案に耽っていた。
 大本営へ出入りする伝令、将兵らの報告をこと細かに分析し、その都度、ブンカンと共に適切な指示を下しているものの、
口数はいつも以上に少なく、必要最低限以外は口元を結んで喉の奥に押しとめている。
 エルンストが心中に抱くものを汲み、皆に代弁すると言う通訳めいた役割を担うデュガリが
陣形の要として前線に押し出したことも過剰な無口の要因だろうが、
それでも先程まではブンカンやクインシーを相手に問題なく会話を成立させていたのだ。
 見れば、開戦当初よりも彼の顔色は優れない。アルフレッドの活躍を聞いて破顔した人間とは思えない消沈の仕方である。
 物見の塔に登り、熱砂を眺望する瞳は、馬軍の覇者とは思えぬような憂いを帯びている。
彼の視線の先では、ギルガメシュが新たに繰り出した部隊と連合軍とが入り乱れて血闘を展開していた。

 ギルガメシュ最大の攻勢は、陣形の変更を以て幕を開けた。
 鏃のような形である魚鱗の陣から一転し、車輪を回すようにして諸部隊を動かしたギルガメシュ軍は、
バイク、ジープと言ったBのエンディニオンが持たざる軍用ビークルの部隊を矢継ぎ早に繰り出し、
連合軍の右翼へ横殴りに来襲。
右翼の要を担うカジャム隊は隣接する各隊と共にこの迎撃に向かった。
 先程来、岩石地帯にて行われていた先鋒同士の合戦など小競り合いでしかなかったような凄まじい白兵戦が、
灼光喰みし赤竜の巣流にて巻き起こっているのだ。
 夥しい量の人馬とビークルとがそのスピードを極限まで発揮して砂を巻き上げ、
銃火、鉄火を交える様相は、瞬きの内に戦況を見落としてしまうほどに慌しく、刹那で攻守が切り替わっている。
 岩石地帯から馬首を返したビアルタ、ザムシードがカジャム隊の救援へ駆けつける頃には、
形勢は連合軍の不利へと傾き始めていた。


 ナックルダスターを装着することで威力を増した剛拳をすれ違いざまに叩き付け、
敵兵の人体を破壊すると言う荒技を披露したザムシードは、
頬や額に大きな傷を作りながらもその場に踏み止まって戦い続けるカジャムを砂塵の狭間に発見し、
すぐさまに愛馬へ鞭を入れた。
 まるで障害物のようにあちこちで横転したギルガメシュ所有のバイクを飛び越え、
続々と迫り来る敵兵を豪腕の一振りで撥ね飛ばし、彼女のもとまで辿り着いたザムシードは、
ビアルタの後続を目端で確認すると、カジャムに「これでは陣形を変えるどころの話ではありません。
突き崩される前に転進を」と呼び掛けた。
 依然としてレーザーキャノンや特殊性の榴散弾の脅威は止まず、カジャムの甲冑は至る所が黒く焼け焦げている。
光線の直撃を受けたのであろう胴の部分は際だって損傷が酷く、鎧の下の衣には少量とは言い難い流血が認められた。
 このまま踏み止まっていても総崩れになるのは必定。一旦、陣を下げて他の隊と合流しなければならないと
ザムシードは分析及び判断したのである。

 陣形の変更とザムシードが明言したことからも察せられるのだが、敵軍の転変が『車懸かりの陣』であると見抜いたエルンストは、
すぐさま自軍にも『斜線陣』へと配置換えを号令したのだ。
 斜線陣とは、左翼に兵力を固めた上で正面、右翼を横へ横へと広げる陣形である。
 防御の厚い左翼にてギルガメシュの車懸かりの陣を食い止め、その間に扇のような軌道を描いて正面と右翼は敵の側面に移動、
改めて完全包囲しようと言うのがエルンストの狙いだった。この際の陣の形は、読んで字の如く斜線状になるわけだ。
 現時点で布いている鶴翼の陣から斜線陣へと転じる場合、陣形の基軸となるのはカジャムが受け持つ右翼である。
右翼がそのまま左翼へと更新され、ここを軸点としてギルガメシュとは真逆の回転を描くことになるのだ。
 本陣を軸に車輪が回るかのような動きで次々と部隊をぶつける車懸かりの陣が最大の威力を発揮するより早く
諸勢力をカジャム隊へ諸勢力を合流させ、
突撃してくる敵兵の数と、自軍の被害が最小限の内に横殴りの猛襲を堰き止めたいとブンカンも考えていた。

 だが、斜線陣を指示するに当たってブンカンは「正否は五分五分。運を天に任せるしかありません」とも言い添えている。
 先に動かれたとは雖も、ギルガメシュとて陣形を変えつつある道程。その間に自軍の陣形を変更させることは、
理論上では不可能ではない。陣形変更には両軍ともに相応な時間を要するのである。
 エルンストの軍師として用兵にも長じたブンカンが時間的な条件を度外視してまで
「正否は五分五分」と弱気を言い切るのは、両軍の体質の違いに危機感を抱いているからに他ならない。
 難民救済と言う目的のもと、一枚岩で結束するギルガメシュに対し、
目的を共有しながらも足並みの揃わない自軍は、言ってしまえば烏合の衆なのだ。

 そして、ブンカンが抱いた危惧は、ザムシードの進言を容れたカジャムの後退によって現実味を帯びてきた。
 ギルガメシュが試みた車懸かりの陣はいち早く整い、連合軍の斜線陣は軸点たる左翼へ兵力が集中することにすらもたつく有様。
隊伍を正す間もなく連合軍はギルガメシュ軍の車懸かりによって左翼を削り取られる格好となった。
 現在までに落伍者は確認されていないものの、このまま有効な手を打てなければ、
連合軍の瓦解は時間の問題であるとブンカンは爪を噛んでいる。
 鶴翼の陣で中核を担っていたデュガリ、グンガルもカジャム隊へ合流する手筈となっているものの、
ギルガメシュの猛攻のみならず自軍の動きの鈍さにまで足取りを妨げられており、
思うように目的の地点まで進めずにいた。

 幾千を越える怒号と銃声が折り重なり、歪な雑音を奏でるに至った熱砂の軋みを遠くに聴くエルンストは、
「本当に勝つ気があるのかい!?」とクインシーからどやしつけられてしまうほどに落ち着き払っている。
 語弊を承知の上で言い例えるならば、この乱戦を他人事のように見なしているかの様子である。
 クインシーには何が何でも勝利を欲する闘志が足りないと罵倒されてしまったが、
ブンカンに言わせれば、例えば限度を超えて荒ぶるアルカークやフェイのほうがよほど危険だった。
 尋常ならざる昂揚は、戦場において必ずしもプラスには働かない。
精神の昂揚は戦意を高めるのに必要な要因ではあるものの、過剰になれば猪突猛進の犠牲者を増やすのみなのだ。
 大規模な合戦に於いて、総大将は一切の油断も許されない。だからこそ冷静な差配が求められるのであって、
エルンストのように泰然自若と構えているほうがよほど正常だった。

「……解せんな……」

 百戦錬磨のエルンストにとって見れば、一時的な不利など憂いの内には入らなかった。
彼をいつも以上に無口にさせる要因は、もっと別のところにあるようだ。


「ギルガメシュめ、朕に恐れをなしたと見える。存外に肝っ玉の小さな者どもであったな。なぁ、エルンスト君」

 エルンストの双眸が何故に陰っているのか――その理由をクインシーが尋ねようとした矢先、
斜線陣と車懸かりの攻防へ目を細めていたエルンストへ階下から楽しげな笑い声が放られた。

「……ファラ王殿か」

 およそ戦場には似つかわしくない素っ頓狂な笑い声を上げながら螺旋階段を登ってきた珍客に向かって、
エルンストは「ファラ王」と声を掛けた。

「朕とお主は、最早、朋友。王などという敬称も殿などという厳めしい呼び方も不要だ。
ファラ君、あるいはファラ人太郎と呼んで欲しいぞ」
「百歩譲ってファラ君はわかるが、ファラ人太郎とは、一体、どう言う意味なのだ……?」
「くっくっく――酔狂であろう?」
「そう言うものなのか? ……生憎と洒落には疎いのでな」

 立ち居振る舞いからしてゼラールと“同種”のように思えるこの男を、ブンカンもクインシーも胡散臭そうに見つめているが、
さりとて「またしても新登場の芸人か」などと言って無碍にすることは絶対に有り得ない。
 エルンストへ馴れ馴れしく朋友と呼び掛けたこの男こそ、
複数の勢力が群雄割拠していたグドゥー地方を瞬く間の内に征圧し、
支配下に置いた新しき盟主、ファラ・ハプト・ラー・オホル・ムセスなのである。

 さほどの年月も要さずにグドゥー統一を成し遂げると言う神懸った手腕を畏怖しているのか、
配下の者は彼のことを王と崇め奉っていた。王政が存在しないBのエンディニオンで、だ。
 彼が初めて大本営に姿を現したときの“御成”も「王」を僭称する者に相応しく悪趣味もとい雅やかであった。
 半裸の巨魁たちが担ぐ黄金の輿の上で気だるげに身を横たえ、
初対面のエルンストに「うむうむ、苦しからず。欲する物があるなら何でも遣わすぞよ。
朕が金を使わねば、エンディニオンの未来も明るからず」と言い放ったその様は、
ある意味に於いては王たる身分を如実に象徴していると言えよう。
 ……恣意的に見れば、そのように言えなくもない。

 王政の格式を現代に伝えるAのエンディニオン出身者であるクインシーをして、
「王たる気品? いや、アレはただの成金でしょ。あんなもんに風格を感じるってんなら、
そいつのセンスを疑うよ」とボロクソに言われたファラ王だが、
それもその筈、彼はグドゥー地方を中心にマーケティングを展開させていた食料品メーカー『ジプシアン・フード』のオーナーであり、
ほんの一、二ヶ月前までは王を僭称するなどころか、輿に乗る姿さえ誰も想像していなかった。
 彼の人となりを良く知る近親者は、だらしなく着崩した黄金の衣よりも
メーカーのロゴマークが入ったスタッフジャンパーのほうがよほど目に馴染んでいる。
 筋肉とは無縁の華奢な身体で、しかも一介の食料品メーカーのオーナーがどうやって群雄たちを支配下に置けたのか――
近親者であればあるほど疑念が強まっていくのだ。

 ましてその人となりを知る人間は、ファラが王と畏怖される姿がどうしても理解できず、
ある人はショックのあまり卒倒し、またある人はこの世の道理が信じられなくなり、
救いの手を求めて明らかにカルトな雰囲気の新興宗教へ走ったとも聴く。
 全く以てさんざんな言われようであるが、趣味の骨董収集へ投資する為に社の財産を使い込み、
食い潰し兼ねない男が玉座に鎮座しているとなれば、
不安にアテられて様子がおかしくなってしまう人間も多かろう。
 ファラ王の場合は、その人数が他よりもほんの少し多かっただけの話である。
 見返りがあるとは考えられない妖しげなディーラーに億単位のカネを突っ込むのも、
キナ臭い噂の耐えない美術商から「世界に一つだけの逸品」と吹聴された絵画を
現金取っ払い(しかもジュラルミンケース数個分)でお持ち帰りするのも、人より少し変わっているだけの話。
 常人には窺い知れない大器を持ち合わせるファラ王は、なるべくして王になった男と言えよう。
 ……重ねて言うが、「恣意的に見れば」と前提条件が付くのだが。

 来歴、性格、いずれを取ってもおよそ人の上に立つ資格を持ち合わせていないファラ王ではあるものの、
容赦なく照りつける陽光を反射する紫がかった銀髪だけは不思議と妖艶な気品を醸しており、
今のところはその一点しか起点が見当たらないが、いずれ王に相応しい人物へ成長するだろうとにわかに予感させた。
 根拠の無い予感を見る人に抱かせることが、すなわち王たる者の天鬢かも知れない。

「……いつもいつも、我が王が粗相をして……申し訳ない。誠に申し訳ない」

 ファラ王が働いた数々の非礼を本人に代わって謝罪するのは、彼が持つトラウム『アポピス』である。
 蛇タイプのオートマトン(※機械人形)で、その長くうねる細身をファラの頭へ冠のように巻きつけては
宿主の話し相手になっているようだ。
 人語を解し、なおかつ当意即妙なやり取りを実現させているあたり、相当に高度な人工頭脳を搭載していると見受けられる。

「我々に協力していただけるとの書簡を頂いたときには、本当に安堵しましたよ。グドゥーの力は常々感心していましたので。
しかも、合戦場を治める方々ですからね。地の利と人の和を一緒に得たような頼もしさです」
「そこまで喜んでいただけるとは、恐悦至極。確か、もう一つは天の機(とき)。それもいずれ我々に舞い降りましょう」
「――ほぉ、アポピスさん、なかなかに物知りですな。いや、このような言い方は失礼かも知れませんが……」
「調べ物は、ほんの手慰み。……あ、いや、当方には手も足もないのだが」

 反ギルガメシュ連合軍へのグドゥーの参戦についてアポピスと語らうブンカンは、
この個性的なトラウムこそがファラ王を支える軍師なのだろうと考え始めていた。
 トラウムの知恵を借りるユーザーとは世にも珍奇な事例だが、自己推論の機能も卓越しているらしいアポピスとの話は、
例えば猪突猛進を地で行くビアルタを相手にするよりも遥かに有意義で、会話ばかりでなく心まで弾んでくるから不思議だ。
 もしかすると、反ギルガメシュ連合軍への参戦をファラ王に具申したのもアポピスかも知れない。

 領土内に広大な砂漠を抱えるほど環境破壊が進行しているグドゥー地方は、常人にとっては死の世界と同等。
Bのエンディニオンで最も過酷な土地で生きていくのは至難の業であった。
 類稀なるタフネスであろうと、環境への順応性が高かろうとも、持ち合わせた神経が常人並みであったなら、
数日も経ない内に錯乱してしまうことだろう。
 常人が馴染まない土地と言うのは、総じてアウトローなど表の世界で生きていけない犯罪者には格好の隠れ家となる。
 グドゥー地方も犯罪者たちの目には魅力的な土地であり、他の土地を追われたアウトローやギャング団が雪崩れ込んだ結果、
離散集合を経て膨れ上がった幾つかの巨大勢力が群雄割拠し、領地を奪い合う戦乱の地と化してしまったのだ。
 諸勢力同士の戦闘力が拮抗している上に、これらを統一し得る強力なリーダーが出現しなかった為、
戦乱の歴史は長らく続いていたのだが、これをマジックのような手並みで解決したのがファラ王その人と言うわけである。

(……グドゥー統一の立役者は、おそらくアポピス氏でしょうがね)

 ファラ王主従にまつわるブンカンの予想はさて置き――
グドゥー統一が正式に成立したのは、ギルガメシュと連合軍によるエンディニオンの覇権争いの最中のこと。
ファラ王台頭の傍らで両軍は熾烈な陣取り合戦へ興じていたのだった。
 早い段階からグドゥー地方に広がる巨大砂漠を決戦の地と目していた両軍は、
新たな盟主ことファラ王に対して共に特使を遣わし、自軍への引き入れを試みていた。
 最終的に連合軍側の説得に応じたファラ王が大本営へ現れ、打倒ギルガメシュを宣誓したのは、実はつい先ほどのこと。
アポピスの説明によれば、統一したばかりの四大勢力から精鋭を選抜し、
相応の軍備を整えるのに手間取ったとのことである。
 並の人間以上に聡いアポピスのこと、おそらくは両軍を天秤に掛けて優勢なほうを見極めていたのだろう。
一歩踏み込んで戦力の差などを分析した末、連合軍側と手を結んだほうがグドゥーの利益に?がると判断したに違いない。

 なお、連合軍の形勢がにわかに悪化したのは、グドゥー軍一万が増援に駆けつけた直後のことだった。
選ぶ相手を間違えたとして土壇場で敵に寝返るかも知れないとブンカンは身を縮めたが、
理知に富むとは言え、アポピスも道義を弁えぬ程の薄情ではなかったようだ。
 感受性豊かなこのトラウムは、後悔した素振りも見せずに「無法の輩ばかりをかき集めたが、彼らの根は必ずしも邪ではない。
我らは最後まで付き合おう」とブンカンを励ましたものである。

 ブンカンとアポピスが語らう様をエルンストは目を細めながら眺め、
ファラ王もまた「アポピスなくしてグドゥーは成り立たんよ。アポピスあるゆえに朕あり」と鷹揚に頷いている。
 どうやら彼は、宿主たる自分の頭越しにトラウムとの会話が行われていることの意味を、よく自覚(わか)っていないらしい。

「言葉を尽くしてくれたそちらの特使に比べて、ギルガメシュからの誘いは露骨でしたな。金を積んでの買収よ。
我らを雇い兵扱いした段階で、ギルガメシュの失敗は決まっておりました」
「仁義なき無頼者と言うわけですか。内情を知らない人間の怖さですね」
「大方、グドゥーを野良犬の集まりとでも思っていたのでしょうよ。餌をチラつかせれば尻尾を振ると。
アテが外れて、今頃は臍を噛んでおるに違いない。買収に来た不届き者め、あいつの吠え面をブンカン殿にも見せてやりたかった」
「味方にならないと知って、ギルガメシュは焦ったのかも知れませんね。
味方につければ心強く、敵に回してこれに勝る強敵は他に考えられませんからね、グドゥーの軍は」
「……ギルガメシュが先制攻撃を仕掛けてきた理由、ですな。戦端が切られたタイミングは見事に合致。
このアポピスめもブンカン殿の予想には賛成です」

 意味不明なことばかりを並べ立てては周囲を煙に巻く宿主を隅に置いたアポピスは、
合戦の趨勢についてエルンストやブンカンと論じ始めた。
 未だにトラウムと言う物に不慣れなクインシーはアポピスのことを学習能力に長けたクリッターと誤解しているようで、
「人間の言葉を話すだなんて、こいつら、日々進化してるのかい? こりゃ、人類もウカウカしてらんないね」と
感心したようにその様子を眺めている。
 この時点でファラ王は完全に蚊帳の外に置かれていたのだが、自分の立場や空気と言うものを全く察知せず、
突拍子もないことをしでかすのがグドゥーの王者である。自身のトラウムからも蔑ろにされるこの男である。

「恐れをなして噛み付いてきた子犬など可愛いものよ。なあ、エルンスト君」
「敵がそこまで間抜けであることを、俺も願っているが……」
「抜けているのか、いないのか、そんな瑣末なことにはいちいち構わんでもよかろうに。
朕の全力をもってすれば、あんな有象無象ども、赤子の手を捻るようなものだ。
なにしろヤツらには美的感覚が乏しいからな! そんな者どもには負ける気も起きん!」
「主よ――美的センスがどうして勝敗に直結するのか、この蛇にもわかるよう説明して貰いたいものだが……」
「たわけ者めが、アポピスよ。美しい者が勝ったほうが絵的に映える。
女神様とてあのようにやぼったい連中が勝つよりも我らが勝ったほうが喜ぶだろう? 芸術とはそう言うものだ」
「……アポピスと言ったか――お前の主は、一体、どこの言葉を話しているのだ?」
「……申し訳ない、本当に申し訳ない。エルンスト様にまでこのようなご迷惑をお掛けして……!」

 芸術云々を語って能天気に笑うファラ王など相手にするだけ無駄と見なして顔を背けたエルンストは、
アポピス、ブンカンの間で交わされる言葉へと耳を傾けた。
 彼らもエルンストも、気を揉む事案は共有しているのだ。


 数日にも及ぶ均衡を破り、先手を切って出撃したのはギルガメシュの側である――が、
彼らが今日と言うこのタイミングで戦端を切った理由がエルンストには解せないのだ。
 それを思えばこそ、彼の表情は曇りがちになってしまうのである。

 焦らすかのような長対陣によって生じる怠慢を突くのが狙いだったかも知れない。
 あるいは、冷暖房の機能を持ち得ぬ連合軍の将兵が砂漠の寒暖で体力的に疲弊を来たすことを期待したのだろうか。
 ブンカンとアポピスが論じた通りにグドゥーの戦力が連合軍へ与したことを危険視し、
編制が整う未然に叩こうとした可能性も捨てきれない。

 しかしながら、これらの推論は必ずしもエルンストたちを満足させるものではない。
 依然として連合軍は士気を高く保っており、合戦へ臨む程の資格を持つ戦士たちには怠慢の気配すら差していなかった。
 『烏合の衆』だけに足並みに不安こそ残しているものの、さりとて体力の疲弊が深刻な状況に陥ったわけでもない。
陣取り合戦の結果、制海権こそ許したものの、砂漠に於いて貴重なオアシスだけは数多く死守。
水の補給にも問題はないのだ。
 もう一つはグドゥー軍を警戒しての先制攻撃だ。
ファラ王がエルンストの陣営に入ったのは両軍が合戦へ及ぶ寸前のことで、タイミングを鑑みれば可能性としては一番高そうだ…が、
しかし、本当にグドゥー軍の戦力を恐れているのであれば、わざわざ合流するのを待たずに経路上で両者を分断するなど
幾らでも打つ手はあったのである。
 増援の到着にこそ付け入る隙を見出し、奇襲をもって混乱を誘発させる戦術だと考えられなくもないが、
結局、彼らは正面きって合戦に及んでいる。
 開戦時に限定すれば、奇襲の原理は全く踏襲されておらず、今しがた始まった車懸かりの陣のほうが
よほど連合軍を驚かせていた。

 今日になって開戦に踏み切った可能性は、いくつも想定された。
 数日にも及ぶ睨み合いの末、ギルガメシュ側の物資が乏しくなり、これ以上の対陣を維持出来なくなったとも考えられる。

 ギルガメシュ軍の総大将は致命的な判断ミスを犯しているのではないか――
ちぐはぐとしか言いようのない動きを確かめるにつけ、敵軍の状況判断能力を疑わざるを得なくなるのだが、
諸手を挙げて喜ぶどころか、エルンストの胸中には漠然とした不安が垂れ込め続けているのだ。
 相手の意図を計り兼ねるような開戦のタイミングへ人一倍の注意を払っていたブンカンは、
これ自体が何らかの罠ではないかとエルンストに具申していた。
 両軍武力衝突と言う状態へ到達した今となっては真相を探る術は得られそうにない。
つまり、エルンストの表情が晴れやかになる瞬間も暫くは訪れないと言うことだ。
 何か一つでも手順を見誤っただけで優劣転覆するのが合戦と言うものである。

(……意図が解せぬ以上、我が手にて道を切り開くしかあるまい……)

 ならば、どうするか――具体的な対処を思うと、自然、エルンストの拳へ、瞳へ力が漲っていく。

「御屋形様自ら決戦場に撃って出るのは、今しばらくお待ちください」

 エルンストの戦意が昂ぶり始めたと見たブンカンは、クインシーやアポピスへ妙に嗾けないよう目配せしながら
冷静を保つようにと静かに諫言を呈した。

「御屋形様が前衛に撃って出れば兵は勢いづきましょう。小細工をも跳ね返す程に。
……されど、今はまだその機(とき)ではありません。迂闊に腰を上げますれば、敵に我が方の危急と誤解されるは必定。
それは味方に混乱を植え付け、敵に勢いをつける原因ともなります」
「……味方の不利を生み出すというのか、この俺が」
「不敬を承知で頷かせていただきますが、いかにもその通り。御屋形様が本陣を出られるときは、
優劣いずれかに趨勢が決したときにございます。優勢であれば一挙に敵軍を粉砕する起爆剤に、
味方の劣勢には起死回生の妙薬となりましょう」
「……むう……」

 エルンストの気性をブンカンは十二分に弁えている。
 一軍の将と一口に言っても、主戦場から遠く後方に離れた本陣にて采配を振るうタイプと、
前線に押し出して将兵を叱咤激励し、自ら干戈を取るタイプとが存在するのだが、エルンストは疑うまでもなく後者であった。
 彼はこれまで切り抜けてきた全ての合戦で常に最前線へと馬を走らせ、誰よりも激しく太刀風を起こし、
軍神が如き剣閃でもって将兵らを勝利へと導いてきたのだ。
 今まさにエルンストはその衝動に駆られていた。
 期待と興味を寄せるアルフレッドが戦場に到着するのを待ちたい願望もあるにはあるが、
見通しが明瞭でない戦況を打破し、ギルガメシュを蹴散らせるのは我が剣をおいて他にないとの衝動はこれに勝っている。
 衝動は自負にも言い換えられる。それは、王者のみに許される覇道の自負である。
 我が手にて勝利を収めんと欲する自負は抗い難い衝動となってエルンストの昂揚を励起し、
爪先から脳天まで電流のように駆け巡っていた。

 エルンストがそうした気性の持ち主であると熟知していればこそ、ブンカンは諌めの言葉を放ったのである。
 王者の衝動を裡に宿したエルンストが、同時にそれを押さえ込む理性を兼ね備えていると理解しているからこその諌言だった。

「………………」

 ブンカンの諌言は、彼が望んだ通りにエルンストの理性を揺さぶり起こし、力む指先からふっと余計な握力が抜けた。
 彼の面から険しさが薄まったのを見て取ったブンカンは、ひとまず胸を撫で下ろした。

「ピナフォアからの報告によれば、佐志の一行は間もなく敵の背を突いて熱砂に上陸しましょう。
あれほど待ちかねておられたではありませんか、アルフレッド君を。もう少しの辛抱でございますよ」
「………………」
「カジャムさんには、御屋形様の御心を奪われるアルフレッド君は恋敵のようなものかも知れませんがね」
「……戯言を言ってくれる」

 一瞥くれる瞬間さえ惜しいとでも言うように視線を戦場へ固定したまま、エルンストは軍師からの冷やかしへ仄かな微笑で返した。

「運は一時にあらず、ときの次第と思うは間違い――か」

 在野の軍師が智謀を巡らせ、戦場に大いなる鳴動をもたらすのは何時になるのか。
 側近へ預けた我が愛剣を握る刻限は何時になるのか。

(……あるいは、この不可解な機にこそ、敵は天運を見出したということやも知れん……)

 多くの想いと共にある主戦場より視線を移した空には、灼熱の太陽を覆い隠さんとするドス黒い雲がその翼を大きく広げ始めていた。

「一雨来るかも知れないねェ。あたしゃ、合戦(いくさ)ってもんには詳しくないから上手いコトは言えないんだけどさ、
雨降って地固まるって諺は、こーゆーときにも当てはまるんかねェ」
「降りしきる雨は誰にも、どの土地にも等しく天恵よ、クインシー君。濡れ鼠のままで戦う様もまた美しきこと」
「……随分と馴れ馴れしいじゃないか、王サマさん。あんたにフルネームを名乗った覚えはないんだけどねェ」
「朕にはなんでもお見通しなのだよ。お金持ちの智慧は万能さ」
「………………」
「……主に代わって、不肖このアポピスが頭を下げます。どうか穏便に収めていただきたい……」

 ガヤガヤとした仲間たちの喧騒を余所に――
にわかな暗雲が連合軍の、……テムグ・テングリ群狼領の頭上を目指しているかのような錯覚を覚え、
エルンストは我知らず拳を鳴らした。
 彼らの肝を冷やすような情報を携えた伝令が転げる勢いでもって大本営へと駆け込んで来たのは、
馴れ馴れしく肩を抱こうとしたファラ王へクインシーが肘鉄砲を突き入れたときである。

「――申し上げますッ! ギルガメシュがクリッターの群れを嗾けて参りましたッ!」





 西から吹き付ける旋風によって舞い上がった砂塵を潜り抜け、先鋒同士の激戦地とされる岩石地帯へ突入した義勇軍だったが、
彼らが辿り着いた頃には緒戦は終息しており、この場で争っていた者たちは既に新たな地平へと向かってしまっている。
 一瞬の出遅れによって武勲の狩り場をヴィクドに譲る羽目になったフェイは、
岩石地帯へ到達するなり覚えた目眩に暫し茫然と立ち尽くしてしまった。
 数多の修羅場を切り抜けてきたフェイでさえ立ち止まってしまう程の凄まじい光景がそこには広がっていた。

 戦端を切るきっかけとなった銃砲戦で用いられて破損し、そのまま打ち捨てられた防壁の残骸は、
激しい塵旋風に晒されて砂中へ埋もれつつあり、散らばった破片などは焼け焦げて原形を留めていなかった。
 防壁の真下には、何やら金属片が大量に詰め込まれた土嚢も散見される。
 ルナゲイト征圧に端を発するギルガメシュとの攻防の中で敵の主武装が光学兵器であると確認したブンカンは、
こうした武器に長じていると言うトルーポの進言を容れ、対銃撃用の土嚢の中身を従来の土石から金属片に入れ替えて
灼光喰みし赤竜の巣流へ持ち込んでいた。
 表面に反射加工を施した防壁同様、着弾の際に光の照射を屈折させてダメージを減殺させようと言う工夫である。
 金属片と言っても、世界中に散らばった有害なスクラップをこれ幸いとばかりに詰め替えたわけではない。
表面に磨きをかけ、鏡面のように仕立てた特注品である。
 光学兵器の弱点に着眼したブンカンの読みは的中し、ギルガメシュ自慢の光学兵器は特製土嚢や防壁の前に尽く反射・拡散され、
本来の半分とて威力を発揮出来ずに終わった。
 歴戦によって培われた勝負勘と直感、トルーポの協力が成さしめたブンカン自慢の防壁であったが、
それも今や残骸と化しており、レーザーの照射を遮る効果は望めそうにない。

 しかし、フェイに眩暈をもたらしたのは全く別の物である。
 置き去りにされた土嚢の殆どが猛獣の爪牙に引き裂かれたような痕跡を残して散らばっていた。
 砂漠に生息する猛獣と言えば、砂中を走る肉食の蟲、サンドワームなどのクリッターがまず思い当たる。
血の匂いを嗅ぎつけた禍々しき蟲に襲われたのかと訝ったのも束の間、砂塵の先にて蠢動する巨大な影を認めたフェイは、
自分の予想が外れていたことに言葉を失った。
 ただ予想が外れていただけなら、どれほど良かったことか。
 車懸かりの陣に対抗すべく大急ぎで整えられつつある斜線陣の右側面へ大量のクリッターが流れ込み、
あまつさえ連合軍の将兵のみを選り分けて攻撃しているではないか。

「ちょっと待ってよ……。あれってまさか……ッ!」
「……落ち着け……ソニエ……我々が……動揺して……どうする……」
「だ、だって、あれ、あれはッ! クリッターがッ! ……クリッターがッ!?」
「……ウ……ム……人類の……天敵たるクリッターが……ギルガメシュの……言いなりとは……
どんな躾を……したと言うのだ……餌の……違いか……トップブリーダー推奨と……言うやつなのか……?」

 斜線陣を作ろうとする連合軍ばかりが襲撃され、
車懸かりの陣で猛攻するギルガメシュには全く損害が出ていない点から推察すれば、この答えに行き着くのは自然の流れであろう。

 ギルガメシュはクリッターをも使役し、手先と操れるのだ。
 前述にあったサンドワームなど砂漠に棲息するクリッターのみならず、
本来は砂漠を活動圏としていない戦車型のヒポグリフォやスライム型のフラメウス・プーパと言った種族までもが
戦場を闊歩しているのは、何らかの方法でこの地にまで搬送し、解き放ったからであろう。
 自由自在なコントロールからして、敵は完全にクリッターを手懐けていると見て間違いなさそうだ。

「正義も何もあったもんじゃないわね……勝つ為には何でもやるって感じ」
「……ハニーには……刺激が……強いかも知れないが……勝つ為に……手段を……選ばぬのが……
合戦の……本来の姿なのだよ……」
「なに? ケロちゃん、あいつらの肩持つわけ? いつからそんな下品なヤツになっちゃったのよ!」
「……肯定を……共感と……勘違いされては……ケロちゃん……とっても……シクシクぞなもし……
胸糞悪いのは……ハニーと同じ……以心伝心だ……」

 ギルガメシュの採る戦い方へ唾棄するようなソニエとケロイド・ジュースの呟きへ耳を傾けながら、
フェイは足元に転がる迫撃の残滓へと眼を落としていた。

(……この戦場のどこに正義があるって言うんだ――)

 砂塵に埋もれつつあるのは土嚢や銃器、爆弾の残骸に限ったことではない。
 力尽き、物言わぬ骸と成り果てた無数の兵士が熱砂を墓場として地上よりその足跡を消そうとしていた…が、
どれほど砂塵で埋葬しようにも消せないものがあった。
 テムグ・テングリ群狼領との緒戦で斃れた仮面の兵士の多くは、矢を突き立てられて絶命する者が多い。
 弓矢で射殺された亡骸の多くが胸を掻き毟るような体勢のまま硬直しており、
カーキ色の軍服からわずかに覗ける肌は浅黒く変色していた。
 血の泡(あぶく)が仮面の裏側を伝って首筋のあたりに溜まり込んでいる様は、見るに堪えない惨たらしさだ。
 鼻を突く刺激臭も、人道に反する悪質な武器を用いた事実も、砂塵は隠してはくれなかった。

「……ぬ……むぅ……毒矢……か……訊くところに寄れば……群狼領の……ご先祖様の時代から……使われていたようだな……」
「……覇道が聴いて呆れるな。こんな手を使ってまで勝って、それでどうなる……」

 弓矢による狙撃は光学兵器に比して原始的な攻撃方法ではあるが、
鏃に毒が塗布されているとなれば、ときとして銃撃を浴びせられる以上に精神的な圧迫を与えるのである。
 味方が苦しみのたうちながら死んでいく様を見せ付けられれば、混乱の度合いは更に加速する。
毒という要因が及ぼす精神的なプレッシャーを見込んだ上でエルンストは毒矢の使用を命じたのだろうが、
公明正大を旨とする“英雄”、フェイがどうしてそのような戦術を容認できようか。

 無残な死に様を晒す亡骸へ無言の黙祷を捧げるフェイの口内に、……心に、苦いものが広がっていった。
 一方は人類の天敵として忌むべきクリッターを戦力の補填として投入し、もう一方は人道に反する毒を容赦なく降りしきらせた。

「あたしも場慣れしてるつもりだったけど、こう言うのは、さすがに堪えるわね……」

 擦れ声の呟きが落ちる先を窺ったソニエは、そこに見つけたモノに思わず目を背けた。
 ひとしきり暴れ回った挙句、カジャム隊に合流すべく岩石地帯を駆け抜けて行った傭兵部隊の足跡は、
テムグ・テングリ群狼領の毒矢など比ではないほどの血で染まっているのだ。
 胸と言わず首と言わず、鋭利な物を突き立てられたような痕跡が目を引く遺骸も岩石地帯には多いのだが、
これはヴィクドの提督が積み上げたものであろう。鉤爪による蹂躪が殆どだが、中には首が歪な方向に捻じ曲がった遺骸もある。
 胴と首とが斬り離された兵士や四肢を断たれた兵士の遺骸も少なくない。そこかしこに荒くれ者の所業が残留していた。

 正義も何もあったものではない。皆、フェイさんの裁きを受ければいいんだ――義勇軍の誰かがそう喚いた。

 英雄――いや、神の御使として悪魔の所業を止められなかった自分の至らなさが苦々しく、
これを悔やまずにはいられないフェイの心には、誰ともなく唱え始めた哀訴は殊更強く響いた。
 全ての悪夢を断ち切るだけの力があれば、機を見るに敏な知があれば――
そのようにフェイは自身の拙さを責め続ける。

(アルの智謀をもってすれば、こんな汚い手を使わなくても勝つことが――)

 ――そうして自分に足りない知へ無いものねだりの手を伸ばしたとき、
それを携えたアルフレッドの後姿が脳裏に浮かんでしまい、フェイは慌てて頭を振った。

(……違うッ! 醜い戦いを雪げるのは正義だけだ……僕の、神の剣だけなんだッ!)

 霞みとなって垂れ込んだ幻影へ忌々しげに舌打ちしたフェイは、
気遣わしげな眼差しを向けてくるソニエたちの頭越しに義勇軍を振り返り、
正義の名のもとに追従する彼らの意志を先導せんとツヴァイハンダーを高く掲げた。

「今、この戦場のどこにも正義は存在しない。在るのは正義を駆逐する力の暴走のみだ。
これが合戦の本質だ。しかしこれを人間の本質とは思わないで欲しい。
人で在りたいと思う者は我が心に正義と信念、そして、誇りを宿して戦ってください。
義によって勇気の剣を握る僕たちが責務とするのは、悪逆の上に成立するかりそめの勝利に非ず!
正義を尊び、正義を貫いた末に拓かれる真の未来だッ!」

 鼓舞に応じて地響きさながらの喊声を挙げた義勇兵の共鳴へ満足げに頷いたフェイは、
ツヴァイハンダーの切っ先を人獣相撃つ激戦地へと向け、「いざ参る」――号令大喝、白馬の腹を蹴って駿足を走らせた。

(僕自身で証明してみせる……正義の在り処をッ!!)

 他人の不幸など省みない醜悪な集いから抜け出し、自由な世界を知ることによってようやく掴めた真の正義と力が、
『グリーニャの軍師』などと持て囃されるアルフレッドの智謀に劣るわけがない。
 醜悪な起源より発した浅知恵に崇高なる正義の刃が劣ることなどあってはならない。それだけは断じて、断じて認められなかった。

 何があっても勝つ。勝たねばならない――この戦いはフェイにとっても大きな意義があるのだ。
 これは、自らの手で切り拓いた正義を、自らに誇る権利を得る為の戦いでもあった。

「――正義を我が手にッ! 誇りを我が心にッ!」

 正義に燃えるフェイと義勇の軍勢は、まさしく光の矢となって車懸かりの陣へと突き進んでいく。
 その勇ましい後姿をまたしても見送る格好となったソニエとケロイド・ジュースは、
今度は顔を見合わせることなく、……否、顔を見合わせるだけの気力も湧き起こらず、俯き加減で重苦しい溜め息を吐いた。

「……あいつは……何に……怯えている……ギルガメシュの……増援か……何かなのか……それとも……」

 ――それとも別の何者が戦場へ足を踏み入れる前に決着をつけたいのか。
 まるで誰かの影に怯えているようだと勘付いたとき、ケロイド・ジュースの脳裏には後輩冒険者の姿が浮かんでいた。
そのシルエットとフェイの焦りとが重なり合わさったことは意外でも何でもなく、むしろその事実に胸を痛めた。
 フェイがグリーニャの軍師に蟠りを持ったままこの合戦に参画していることは、数週間前に遭遇した両者の対立からも明らかだ。
 彼が決着を急ぐ理由は単純である。
 嫌悪する相手が得手とする智謀などではなく、自らの頼みとする剣こそが合戦に勝利をもたらす要因であることを
フェイは証明せんと欲しているのだ。

(……このままじゃ、いけない――どうにかしなくちゃいけない……だけど……)

 ケロイド・ジュースと同じ想いを抱いているソニエは、遠く去っていく恋人の背を見つめながら、もう一度、深々と溜め息を吐いた。
そうすることでしか震える身心を引き締めることは出来なかった。




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