5.Under the strain 電光石火の攻勢によって一気に露払いを済ませ、武装漁船を半月の湾岸へ迎えたゼラール軍団だったが、 ギルガメシュ最大の海戦力を撃破すると言う大金星を上げたにも関わらず、佐志の面々はこれを誇るどころか、 言葉もなく生気の失せた顔で下船してきた。 てっきり威勢の良い自慢話でも聞けるものとばかり思っていたトルーポとピナフォアは、 予想とは正反対の空気に触れて大いに戸惑い、疑念に首を傾げた。 シェイン、ルディアと共に船から下りていたラドクリフを手招きして呼び寄せると、 このようにして士気が低下している事情を尋ね、「あの人を信じないほうがいいですよ。何をされるか、わかったもんじゃない。 捕虜を拷問するなんて、絶対にやっちゃいけないことですよ」と言う溜め息にふたり揃って表情を曇らせた。 全ての原因を作った張本人に対し、ラドクリフは不信感を隠そうともしない。 蒸気船の甲板にて出会い、親しい友人となったフィーナたちの心情を慮るピナフォアもラドクリフに同調し、 「やっぱりそう言うヤツなのよッ! 性根が腐った愚か者……ッ! 早々に始末すべきじゃないかしらッ!?」と 歯軋りしながら憤慨を吐き散らしている。 アルフレッドとは一応の学友であり、ゼラール程ではないにせよ他の面々より縁が深いトルーポには、 ラドクリフたちが見せた反応は何とも苦々しい。 拷問が行われた現場近くに居合わせたラドクリフや、顔面蒼白の友人たちを気遣うピナフォアが アルフレッドに対して憎悪を剥き出しにするのは至極真っ当なこと。トルーポにもこれは止められない。 それ以上にトルーポの面を暗くさせるのは、アルフレッドが捕捉した敵兵を拷問に掛けたと言う事実である。 マコシカの術師隊に混じって浜辺に降り立ったヒューの腕を掴み、 他の面々には声が届かない位置にまで引っ張っていったトルーポは、 聞き耳を立てている人間がいないのを確かめてからアルフレッドの行ったと言う拷問の委細について問いかけた。 「ライアンは何をしたって言うんだ? 本当に拷問を? ……もと軍人のあんたが、まさか拷問を黙認したなんてコトはねぇよな?」 半月の湾岸を攻める直前に開かれた軍議にてシェインはヒューの経歴を海軍と紹介したのだが、 トルーポはこれをはっきりと覚えていたのだ。 自分のようにアカデミー出身者ではなさそうだが、ヒューとて軍人の端くれだった男。 軍隊、戦争に於ける禁忌(タブー)を他の仲間よりも強く認識している筈である。 事情を聴取するのに最も適した人材を、トルーポはヒューに求めたのだ。 「俺っちも現場を押さえたわけじゃね〜からよ、聞きかじりの情報(ネタ)をくっ付けただけだぜ。 もしかすっと、本当は拷問なんかやっちゃいね〜のかもだし」 「はぐらかすなよ。と言うかだな、このテの質問へ素直に答えねぇと、お前、語るに落ちるってヤツだぞ。 ……自白材でも使ったのか、あいつは」 「さぁね――……俺っちが見たのは、何かを吊り下げるのに使うロープと、どこかにブッ刺す五寸釘。多分、下からブチ抜くんだろうよ。 それから百目蝋燭だ。この三点セットを借りてく姿だけなんだよ。燭台もないのに、アルのヤツ、どうやって蝋燭を立てたんだろうな」 「全部わかってて回りくどい言い方をするヤツぁ友達減るぞ。そこまで判れば、十分じゃねーか。 ……古式ゆかしいアイツのことだから、せいぜい釜茹でくらいかと思っていたんだが……」 「今時、そこまで手間暇掛けるヤツがいるかぁ? 人間蝋燭台を作ったほうが手っ取り早ぇじゃね〜か。 まぁ、あんまり誉めれたもんじゃね〜けどよ」 「誉めれたも何も――」 肯定こそしないまでも拷問を寛容するようなヒューの言い方にトルーポは目を丸くした。 「……あんた、海軍所属じゃなかったか? 俺の記憶違いかな」 「おう、そりゃ記憶違いだ。俺っちは特殊潜航艇に乗ってたってだけの話よ」 「潜航艇――……あぁ、そう言うことか。そりゃあ、あんたを海兵呼ばわりしちゃあいけなかったな」 「もひとつ付け加えるなら、『“そっちの所属”なら、自分でも拷問くらいやってただろうな』――ってか? ……カミさんがそこに居るしよ、ノーコメントにさせて貰うぜ」 「………………」 特殊潜航艇の乗組員と言う経歴を反芻したトルーポは、これによって彼が所属していたセクションを察したらしく、 バツが悪そうな表情(かお)でドレッドヘアーの頭を掻いた。 再び言葉を交わすこともなく散開した為、トルーポがヒューの何に感付き、そこに何を思ったのかは定かではないものの、 禁忌とも言うべきアルフレッドの振る舞いに、この名探偵は一定の理解を示しているようだ。 これが家族の目を憚る事柄であることも自覚しているあたり、狂気に侵されたが為の暴走ではなく、 軍属の頃には戦争の手段として使いこなしていた可能性もある。 つまりはアルフレッドが語った「本当の戦争」を許容する側の人間なのだ。 裏社会を生きてきたフツノミタマですら懸念を示すような「本当の戦争」を、だ。 現に彼はアルフレッドが見せた禁忌を踏み破る行いを肯定も否定もしていなかった。 熱砂に仮設された陣幕の内にて湾岸の様子を眺望していたゼラールは、 役目を終えて帰参した胸を報告しにやって来たラドクリフから拷問の一件を耳打ち――陰口、密告の類ではなく、 この場に居合わせる他の仲間たちにも聞かせたくなかったのだ――されると、見る間に機嫌を悪化させていった。 「――世にも下らぬ独り相撲ぞ! 冥府魔道を往くが望みなら、最早、好きにするが良いわッ!」 普段、滅多に見ることのない怒りの形相へほんの少しだけ怯えるラドクリフを伴い、肩を怒らせながら幕を出たゼラールは、 第五海音丸の甲板に居残って守孝らと打ち合わせをしているアルフレッドに向けて、 「独り相撲」と、そう憎々しげに吐き捨てた。 下船し終えた佐志の面々やゼラール軍団が犇めき合う浜辺は人数相応の喧騒に包まれており、 いくらゼラールの声が大きくとも呟きまではアルフレッドの耳には届かない。 ……届かないことを承知しながらも、彼は悪言を吐かずにはいられなかった。 自分こそがエンディニオンの頂点に座すると信じて疑わぬゼラールのことを傲岸不遜と呼ばわる人間は多いが、 しかし、彼は他者に理不尽な八つ当たりをするような人間ではない。 上位者としてのプライドであろうか、傍若無人な立ち居振る舞いとは裏腹に深い慈悲も見せることもしばしばだ。 彼が強く厳格さを求めるのは、他者ではなく己自身なのである。 そのゼラールが癇癪でも起こしたように声を荒げるとは、このときばかりは自分を抑制できないまでに苛立っていたと言うことだ。 心配そうな面持ちのピナフォアへ強がって見せていたフィーナの首根っこをいきなり捕まえたゼラールは、 何事かと呆気に取られる彼女を「貴様が手綱を握っておかずして何とする!」と激烈に罵倒した。 「萎びた駄馬とて鞭を取る者の手並み如何で駿馬にも化けようものを、これでは持ち腐れじゃ。 アルフレッド・S・ライアンを生かすことが貴様の天命だろうに、それを疎かにするは怠慢が過ぎるぞ。 貴様はあの駄馬を余の駆る駿馬とする為だけに生まれてきたのじゃからな。己が天命を今一度心に留めおけいッ!」 「あっ、あなたにそんなこと、言われる筋合いなんてありませんっ!」 「筋合い? ……何を勘違いしておる。だから、貴様は無価値なのじゃ。よいか、へちゃむくれ。 余に理を説くは、その冒涜を糾弾する以前に愚の骨頂ぞ。無知の極みぞ。 万物の理を識り、統べ、導く余に筋合いを持ち出す愚かしさ、……応じてやる気力も消え失せるわッ!」 「例えの意味がわからないんですけどっ!」 何も悪いことをしていないと言うのに嫌味と皮肉の応酬を浴びせられてしまったフィーナは、 首根っこを掴むゼラールの手を跳ね除けると、振り向きざまに彼の面を睨み付けた。 今更、ゼラールの態度を指摘するのも面倒だが、その物言いはやはりご多分に漏れず独断と偏見に満ちており、 殆ど一方的な言い掛かりに近い。 しかも、だ。フィーナ自身も気に病んでいることをゼラールは無遠慮かつ無神経に抉り出してくる。 これにはさすがのフィーナも頭に来たようで、悪言に睨みで返した瞳には、彼女にしては珍しく露骨な嫌悪感が込められていた。 生気の失せたフィーナを追い詰められないピナフォアにはゼラールの肩を持つことが出来ず、 さりとて思慕する閣下を裏切ってまで友人を庇うことも出来ず、どっちつかずの状態に陥らざるを得なかったピナフォアは、 勝気な彼女とは思えぬほどに狼狽し、ふたりの間でオロオロと右往左往するばかり。 ピナフォアの天敵であるラドクリフまでもが狼狽の度合いを驚いており、皮肉や罵声を飛ばすことも出来なかった。 フィーナの反抗など意にも介さぬゼラールは、次いでマリスへと視線を移し、 烈日の過酷さに息を切らしがちな彼女に対しても「貴様も貴様じゃ、喪服女! 陰気さに愛想をつかされたか!?」と 不躾極まりない嘲りを叩きつけた。 「どう言う意味ですか……」 「貴様はアルフレッド・S・ライアンの愛人と記憶していたが、余の認識違いか? それとも彼奴めは、貴様如きの具申など耳も傾けぬかァッ!」 フィーナと同じく心抉られるような罵声を浴びせられた盟主を気遣い、 彼女の代理としてゼラールへ食って掛かろうとするタスクを制したマリスは、諦念をも含んだ呆れの表情(かお)をゼラールに向ける。 「……以前から思っていたのですが、カザンさんは、もう少し人の心を学んだほうがよろしいかと存じますわ。 人間が人間らしく在る為に必要な、美しき心の機微と言うものを」 「貴様は全存在がそもそも取るに足らぬわッ! 己を知れィッ! 大帝たる余の意一つ有れば良いのじゃッ! 万物を正しき歴程に束ね、指向するには是一つで良い。絶対なる意志、無敵なる大帝こそが、 天下を征する唯一無二の日輪なのじゃ。我が焔群(ほむら)は、王者の日輪を描かんが為に宿ったのよ」 「……全っ然話が噛み合ってないんだけど、いつもこんな感じなの?」 「いつでもこのような方ですわ」 「――なればこそ不愉快でならぬッ! アルフレッド・S・ライアンめ、誰に断りあって我が下僕を弄するのかッ! エンディニオンの地上物は、川縁の小石に至るまで全て余の所有物ぞ。 余人をもって好き放題など決して許されぬと言うに! ……あの痴れ者めがッ!!」 「下僕って……」 人の話を聴かずに一方的に好きなこと並べ、あまつさえギルガメシュまでも傘下に入れたような壮語にフィーナは唖然とし、 アカデミーの頃から面識のあるマリスは「また始まった……」とばかりに眉間へ皺を寄せている。 「……何時まで遊んでいるんだ。そんなに暇なのか、お前たちは」 丁度、三角形を描くような立ち位置でいがみ合う三者の間へ割り込み、嘲り一つだけを残して通り抜けていったのは、 そもそもの対立軸に該当するアルフレッド本人だった。 守孝、源八郎、源少七と連れ立っているのは、第五海音丸での打ち合わせが満了した証拠でもある。 それにしても、狙ってやっているとしか思えないタイミングと言葉のチョイスだ。 狙撃のような正確さで当事者の神経をいちいち逆撫でするアルフレッドにフィーナとマリスは言葉を失い、 去っていく銀髪を呆然と見送るばかりだった。 唯一、アルフレッドの背中を追いかけることが出来たのは、 「お遊びは貴様のほうであろう? 人形遊びに付き合わされる者らはこの上なく不幸せよな。 次は何をするのじゃ? どうやって周りに不幸を振り撒くつもりか、余に語って聞かせよ」と言うゼラールの罵声のみである。 「貴様にとって、戦とはその程度のものか、アルフレッド・S・ライアン」 「……何?」 「更なる遅鈍は億刑と同義ぞ。命の奪い合いを、貴様は“その程度”にしか見ておらぬのかと、余は問うておるのじゃ」 会う人会う人、作戦の方針へ異論をぶつけてくるのが煩わしくて仕方ないのか、 辟易とした表情(かお)で振り返るアルフレッドだったが、そこに見つけた情景に目を見開き、思わずゼラールの面を凝視した。 傲慢を具現化したとしか表しようのないゼラールが、自分以外の全存在を見下しきった目で嘲笑うのはいつものこと。 今更、気にもならない筈だったのだが、真紅の瞳に宿した鈍い光は、普段慣れたものと全く異なっていた。 「……存外につまらぬ人間に成り下がったものよな……」 見下しきった嘲笑に代わり、ゼラールの眼差しは失望の念を宿していた。 対等と認めていた人間が下等の底辺へと転がり落ちるのを見下ろさなくてはならない―― やる瀬ない失望を宿した眼差しに、……今まで見たことのないゼラールの切なげな表情(かお)に、 今度はアルフレッドのほうが言葉を失う番だった。 それ以上、ゼラールは何を語ることもしなかったし、失望の表情(いろ)はすぐに掻き消え、 いつもの傲岸不遜に気色を引き戻したものの、アルフレッドの網膜からその残影が離れることはない。 その眼差しは、何を自分に語ろうとしたのか、何を伝えようとしたのか。 ゼラールの真意を測り兼ねたアルフレッドの脳裏では、疑問符と残影が乱舞していた。 (……一体、こいつは何を……) 初めて向けられた失望から、初めて見せられた人間臭い表情から、何らかのメッセージを受け取らねばならないのだが―― 「――アルッ! 来たでッ!! 来た来た来た来た、来やがったでッ!!」 ――合戦場にあっては悠長にも物思いへ耽っていられる余裕が許されるべくもない。 危急を報せるローガンの声で意識を現実世界に戻したアルフレッドは、 いつものように――けれど、どこか湿り気をもって――鼻を鳴らすゼラールを捨て置くと、 先行して砂丘に登っていた仲間たちのもとへと急いだ。 浜辺の向こう側――合戦場に面した地点にはゼラール軍団が陣取っており、 おそらくは体勢を立て直して逆襲に転じるだろうギルガメシュ軍に備えている。 眼下の布陣図から彼方へと視線を巡らせれば、エトランジェの敗走と艦隊撃沈の報を受けて急行してきたと思しき敵の中隊を、 距離にして十数キロ先の地点に確認できた。 「守孝――」 「――承知ッ!」 アルフレッドの意を受けて力強く頷いた守孝は、黒糸威の大鎧を揺らしながら仲間たちのもとへと駆け戻り、 浜辺にて臨戦態勢を整えていた佐志の全軍へ出撃を号令した。 星兜から覗くその面は野性味溢れる闘争心に昂ぶっており、 愛用する長槍、『蜻蛉(とんぼ)斬り』を携えた筋骨隆々たる腕は小刻みに震えていた。 恐ろしさに震えているのではない。極度の昂揚が全身に及んだときに見られる武者震いだ。 師匠に同道した源少七は軍の士気を一層高めるべく銅鑼を打ち鳴らし、 これに呼応した佐志軍総員は先ほどまでの憂色を一気に払拭、巡洋艦との海戦へ及ぶ直前に匹敵する喊声を轟かせた。 海戦時に大きく消耗してしまったマコシカの術師隊も、接岸までの暫時に体力を回復出来たようだ。 ジャマダハルのトラウム、『グロリアス・キャンデレブラム』を高々と掲げたレイチェルに各人も倣っている。 合戦に当たって障碍となるモノがないと見て取った守孝は、次いでトルーポゼラールに一礼し、 「ここは我らにお任せあれ。カザン殿は連戦に次ぐ連戦故、暫し体を休まれよ」と佐志軍出撃を正式に申し出た。 如何にも武人らしい礼儀を尽くす守孝へ好ましい眼差しを向けたゼラールは、 軍団の戦闘を統括するトルーポへ隊列の変更及び一時待機を言い渡し―― 「あいわかった。戦を玩具にするどこぞの阿呆など取るにも足らぬが、そちは信に足るようじゃ。 佐志は小勢。増援が居る場合には遠慮なく申し出るが良い。……かように見事な武人をつまらぬ戦で失するは口惜しいでな。 玉砕は余が望まぬところじゃ。努々胸に留め置くように」 ――次いで、先んじて佐志が出撃することを許諾した。 出撃の認可だけでなく望外の激励まで寄せられた守孝は、片手片膝を突いてその場に蹲り、 「かたじけない。この少弐守孝、感謝の言葉もござらぬ……ッ!」と感極まって声を震わせた。 「……託すぞ……」 佐志全軍の整列が済んだ旨を源少七から報(しら)され、 いざ合戦の舞台へ赴こうとする守孝の背にゼラールは短い言葉を投げかけた。 何を守孝に託そうと言うのか――傍目には全く意味の通じない一言であり、仮にアルフレッドがこの場に居合わせたなら、 鼻でも鳴らして黙殺しただろう……が、しかし、守孝にはゼラールの言わんとする意図が正しく伝わったようだ。 ゼラールの言葉を深く受け止めた守孝は、脳裏に浮かんだものを慈しむかのように相好を崩し、「御意」と力強く頷いて見せた。 陣幕の最奥に設えられた玉座に腰を下ろし、激戦地へ赴く守孝と、彼に追従する源少七を見送るゼラールは、 面を憂いに染めており、これを横目で覗き見たトルーポは、「ピナフォアが見たら嫉妬でトチ狂っちまいそうだな」と薄く笑んだ。 守孝を出迎えた佐志軍は、出陣の号令と銅鑼の音に応じてアルフレッドやローガンの待つ砂丘へと進発、 この行軍を見送るラドクリフやピナフォアはそれぞれに不安げな面持ちである。 出撃する軍へ物憂げな表情を向けることは、本来ならば慎むべきことなのだが、 何しろ作戦の指揮を執るのは命を塵芥のように扱う悪鬼。縁者までもが捨て駒にされないか、気が気ではないのだ。 居ても立ってもいられなくなりフィーナへ「命あっての物種よ。犬死したら絶対に許さないから!」と戒めの言葉を飛ばすピナフォアや、 ラドクリフの視線に気付き、心配するなと拳を突き出してこれに応じるシェインなど、 それぞれの想いが複雑に交錯しているのだ。 シェインにばかり意識が向いているのか、師匠のことには殆ど触れてくれなかったラドクリフに対し、 ホゥリーは口先を尖らせて不貞腐れたのだが、これは完全なる余談。 それから間もなく砂丘の頂上に佐志の全軍二百名が集結し、数キロ先にまで迫ってきたギルガメシュの中隊を睨み据えた。 件の中隊は、歩兵やビークル、クリッターを寄せ集めた混成部隊のようだ。 「方々、あれをご覧あれッ!」 熱砂の彼方を指す蜻蛉斬りの穂先へアルフレッドたちの注目が集まる。 連合軍とギルガメシュ本軍が目まぐるしく陣形を変え続ける様を蜻蛉斬りは示しているのだ。 遠く離れたこの場所からは両軍の動きなど蜃気楼に揺れる黒い斑模様にしか見えないが、 甲高い銅鑼の音や吶喊の吼え声は、まさしく合戦の様相だった。 しばらくすると黒点を揺らしていた蜃気楼も舞い上がった砂埃によって掻き消された。 最早、黒点の影を追うことさえ難しいが、一拍置いて聴こえてくる軍馬の嘶きから想像するに、 エルンスト自慢の騎馬軍団が熱砂の大地へ無限とも言える轍を刻んだのだろう。 軍馬の嘶きと衝突するかのように機械のモーター音が折り重なり、 表しようのない不協和音となって灼光喰みし赤竜の巣流全土に轟いていた。 遠雷を思わせる吶喊も一束ねには括れず、種類を異にする二つの吼え声が正面からぶつかり合っているようだ。 種類を異にするのは人の声のみならず銃声も同じである。 火薬を発破させる重火器の炸裂音が連合軍の陣営から聴こえたかと思えば、 向こうに回した陣営からはレーザーを照射したと思しき電子的な反響音が続いた。 「アルっ!」 「アルちゃんっ!」 “妹”と“恋人”から同時に呼ばれてもアルフレッドは返事すら寄越さない。 それどころか、接近し続ける中隊から寸分も視線を外さない姿を見る限り、ふたりのことなど眼中にも入れていない様子だ。 先ほど向けられた呼び声に気付いているのかどうかも怪しいものである。 ここまで来て更に惨めな思いをさせられたフィーナとマリスは、やり場のない悲しみに耐えるよう唇を噛んだ。 「今は戦おう、マリスさん。不出来の兄を更生させるのも妹の務めだけど―― この合戦に勝てなきゃ、アルだけじゃなく、もっとずっとたくさんの人を不幸にしちゃう。 ……もう誰も……グリーニャと同じ目に遭わせない為にも、今だけは持てる限りの力を尽くして戦おうっ!」 「本日はCUBEも任されております。微力を承知でわたくしも災厄の地平に立たせて頂きますわ。 皆様と肩を並べて戦ってこそ、初めて認められる資格もありますものっ! 今日こそ、不幸の連鎖へ物申せる資格を勝ち取って見せますっ!」 本当にアルフレッドが自分たちのもとへ帰ってきてくれるのか、人間としてあるべき相に引き戻せるのか。 その結論は決戦の果てに持ち越し。可能性すら五里霧中を彷徨ったままではあるものの、 フィーナもマリスも、だからと言って諦めるつもりは毛ほどもない。 誰にも出来ないことなら、自分の手で必ず元に戻してみせる――大切な、大切な青年を護るために、 二人の少女は瞳に互いの顔を映しながら誓約を果たすかのように頷き合った。 大切な人を護り、たくさんの者を救う為、今日の勝利を明日の未来へ繋げよう、と。 (……アルの言うことを真に受けないでって言ったのに……。平和を好きでいることに資格なんて必要ないんだよ) (不出来な兄を立ち直らせると仰いますけれど……、本当の想いは如何なるものなのでしょうか……。 アルちゃんを護り、アルちゃんに護られる想いは……) ……互いに抱いた一握の蟠りが胸の奥から飛び出してしまわないよう、顔で冷静を装いつつ腹の底にて渾身の力で押さえ込む。 これもまたお互い様であった。 ギルガメシュの中隊は――アルフレッドにとって復讐の対象である仮面兵団は、間もなく砂丘にまで到達することだろう。 これを迎え撃つべくアルフレッドは佐志全軍に砂丘を下るよう号令。 初手の要と目される銃砲隊を先行させ、砂丘を駆け下りながら隊列を個別に指示していく。 これまでの綿密な戦略に比べて粗雑に過ぎるのではないかと守孝から懸念の声も上がったが、 アルフレッドは反応すら返さず、気早にもホウライの蒼白いスパークを右の拳に纏わせている。 (……見ていろ……クラップ……俺が……―――) 砂丘から駆け下りる一団の動向に気付いたのだろう、ギルガメシュの中隊も一直線に佐志軍へ突撃してくる。 先に着陣していたゼラール軍団先鋒の脇をすり抜けて合戦の砂漠に踏み入った佐志軍は、 真っ黒な波と化して敵軍へとぶつかっていった。 砂塵に妨げられている為、正確な数はハッキリとしないものの、敵の中隊はゆうに三百は越えている。 佐志の軍中ではクリッターが混じっていることに驚く声も上がったが、 アルフレッドは「奴らが人類を裏切った外道だとわかったんだぞ。何を騒ぐ理由がある。……奴らを人間と思うな!」」とこれらを一喝し、 銃砲隊を従える源八郎に発砲の用意を急がせた。 「言われるまでもねぇッ!! 心得ていまさぁッ!!」 大鎧で身を固める重武装の守孝と異なり、陣笠に胴鎧のみという軽やかな出で立ちの源八郎は アルフレッドが号令するよりも先に部下を引き連れ前衛に立ち、迎撃の態勢を整えていた。 指揮を執る源八郎を筆頭に、前衛に立った銃砲隊三十名はライフルや機関銃を携えており、 十にも満たぬ数門ではあるものの、武装漁船から二百ミリ砲も運び入れている。 突撃してくる敵部隊に掃射を浴びせ、白兵戦へ至る前に少しでも多くのダメージを与えておこうと言うのだ。 初撃で数を減らせれば良し、仕留められないまでも深手を負わせたなら御の字である。 爪牙届かぬ遠距離から大ダメージを与えられる銃砲は確かに強力な攻撃手段なのだが、 直接肉薄する乱戦へ縺れ込んだ場合、相撃ちの危険性がある為、前衛では役に立たなくなる。 そこで守孝率いる歩兵隊百名の出番だ。 銃砲隊が役目を終えるのと同時に入れ替わりで前衛へ踊り出、強襲をもって一挙に敵部隊を蹴散らす算段である。 白兵戦を主務としているためか、守孝ほどの重武装でないにしろ、プロテクターなどで第二陣の面々は防御を固めており、 手に取る武器も戦斧に銛にと力押しに対応したものばかり。まさしく威力攻撃に特化した攻め手と言えた。 第三陣には二個の部隊が控えているのだが、その内の一つは酋長レイチェルが率いるマコシカの術師隊である。 先行した二個の隊と比べると総勢二十名と規模こそ小さいものの、彼らは佐志軍にとって切り札とも言うべき一団だ。 レイライナー及びレイライネスを選りすぐって編制された術師隊は、 プロキシによって攻撃と援護とを両立させたオールラウンダーであり、 破壊力一つ取ってもギルガメシュの光学兵器に勝るとも劣らず、名実ともに切り札として期待されている。 編成にあたったアルフレッドは何度も満足そうに頷いたものだが、Aのエンディニオンが持たざる力の中でも特別なプロキシは、 必ずやギルガメシュの脅威となり得るだろう。 ここに更に加わるのが、アルフレッドたちのチームで構成される遊撃部隊。 フィーナのSA2アンヘルチャントにタスクの夢影哭赦、ハーヴェストのムーラン・ルージュに CUBEを用いて銃砲隊へ威力を重ねるほか、歩兵隊と共に最前線へと突撃するなど戦いの形勢を決するのに重要なセクションである。 基本的に海賊などの外敵から港を守ることのみにしか武力を振るわない佐志の戦士に比べ、 実戦経験の豊富な人材が揃ったアルフレッドのチームの方が遊撃には向いているのだ。 佐志軍と入れ替わりで砂丘に登ったゼラールは、三人の従者と共に眼下の陣を眺望している。 それぞれ友人の身を案じるシェインとピナフォアは、交戦状態に入った佐志軍から目を離せず、 そんな仲間たちの様子をトルーポは微笑ましく見守っていた。 「優等生的という言葉を絵に描いた、いかにもマニュアル通りの作法よ。かように堅苦しい了見のどこに痛快を見出せるものか」 「ま、そこらへんは我々の担当ってコトで。痛快無比の快進撃と言うものを、俺たちで見せ付けてやりましょうや」 「……トルーポさんはともかくピナフォアさんを見たら、佐志の皆さん、ドン引きするんじゃないですか? 正直、ぼくは同じ軍団員と思われたくないんですけど」 「……友達出来てちょっとは変わったかと思ったけど、結局、クソガキはクソガキってワケね。 シェインだっけ? 合戦(コレ)が終わったら、あんたの本性を全部バラしてやっから」 「フィーナさんも友達付き合いを改めるでしょうね。告げ口するような人なんて、怖くて話も出来ませんから」 「……陰険ねェ、報復のやり口が」 「ピナフォアさんの影響です。迷惑ですよ」 「――コラコラ、そこまでにしとけよ、ふたりとも。俺たちの出番もそう遠くはねぇんだぜ?」 そう言っていつもの口喧嘩を諌めるトルーポだが、彼の視線は砂の坂を下った先をジッと捉え続けている。 慣れたもので、脇目を振らずともラドクリフたちがどのようにしてやり合っているのかが判るのだろう。 ゼラール軍団の視線の先では、いよいよ佐志の銃砲隊が射撃準備を済ませようとしている。 佐志軍の合戦は、予め取り決めてあった通りに銃砲隊の一斉掃射から始まった。 「鼻先まで堪えろよ! 無駄弾は絶対に使うんじゃないぞ!」 視界を妨げる砂塵を引き裂きながら塊と化して迫り来る敵の混成部隊へ狙いを定め、銃砲隊は一斉に得物を構えた。 しかし、まだだ。まだ銃火を吹かせる機(とき)ではない。 「――今だッ! 放てェッ!」 距離にして四百メートルか――砂塵のカーテンを抜けて視認できる距離にまで敵部隊の突撃を引きつけ、 源八郎は射撃命令を発した。 大型クリッターを精密に狙撃するライフルが一斉に火を吹き、入れ替わるようにして機関銃が歩兵、ビークルを薙ぎ払い、 その間に準備を済ませた二百ミリ砲が敵陣を激烈に揺さぶった。 フィーナのSA2アンヘルチャントやヒューのRJ764マジックアワー、ハーヴェストのムーラン・ルージュ、タスクの夢影哭赦、 闘争心が昂ぶるあまり、先走ってホウライを繰り出したローガンも銃砲隊をサポートし、 歩兵、クリッターを問わず混成部隊を一挙に三分の一近くまで駆逐せしめた。 佐志の第一陣たる銃砲隊は、課せられた役割を大いに果たしたと言えるだろう。 一先ずの役割を終え、銃砲隊から遊撃部隊へ合流したタスクは、 顔色の優れないマリスを見つけるや否や、血相を変えて盟主のもとに駆け寄った。 「マリス様……やはり後ろに下がられたほうがよろしいのでは……」 「ここまで来て足手まといになるくらいなら、悪魔の牙に噛み砕かれたほうがマシよ。 わたくしにも戦いに生きる覚悟があることを示さなければっ!」 「アルフレッド様は、マリス様にそのような覚悟を、何時、強いたのですか? 無礼を承知で申し上げますが、 マリス様が死地に立たれることこそ、アルフレッド様は忌まれているのではありませんか?」 「戦場往く男の銃後を守る務めが、女にはさだめられているでしょう? わたくしは自分にさだめられた天命を全うする為に、 ここに立っているのよ。アルちゃんとの宿命に課せられた、果たすべき約束を……っ!」 「マリス様……」 真紅の華を咲かせ、そして、散華させる銃火の無情から思わず顔を背けるマリスだったが、 同様の苦々しさを毅然たる決意でカバーするフィーナの凛々しい横顔を目端に捉えた瞬間、 彼女にだけは負けまいと精神を奮い立たせた。 気遣わしげに声をかけるタスクを制したマリスの右手にはCUBEが握られている。左手には金属バットも携えている。 戦い慣れしていないことを理由に退いてしまったら、何の為にCUBEを借り受けたのかが分からなくなる。 何の為に戦場へ赴いたのかも分からなくなる。 ……何よりもここで退いてしまったなら、アルフレッドの傍らに寄る資格をフィーナに奪われる気がしてならないのだ。 (負けてなるものですかッ!) マリスが改めて気を引き締めたのと同じ頃、源八郎率いる銃砲隊は完全に銃撃を終え、 彼らに代わって守孝率いる歩兵隊が前衛に押し出した。 それに合わせてアルフレッドたち遊撃部隊も歩兵隊に隣接し、あと数秒の間に接触するであろう残存勢力との白兵戦に備えた。 物思いに耽るあまり、CUBEによる攻撃では出遅れてしまったものの、 アルフレッドの本領発揮となる白兵戦でこそ彼の力になろう――金属バットを握り締めるマリスの左手に 更なる決意が込められていった。 「負けられないのよ……フィーナさんにだけはっ!」 知らず知らずの内に決意の程が漏れていたことに気付き、マリスは慌てて口を噤んだ。 万が一、アルフレッドに聴かれでもしたら、余計な気を遣わせてしまうに違いない。 戦いに生きる彼を支えると決意した以上、その妨げになる行いは慎むべきである。 「………………」 タスクの表情が沈鬱に曇ったことは、今のマリスには気付きようもなかった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |