7.天上天下唯我独尊 それは、奇妙と言うよりも異様ないしは異常としか言いようのない光景だった。 主戦場から遠く離れた地点ではあるにせよ、ここは紛れもない合戦場だ。 生と死とが鼻先のところですれ違う極限の領域であり、 今も流れ弾となった光線がアルフレッドの頬をかすめたばかりだ。 立ち止まった瞬間に死の影が舞い降りると、ローガンも愛弟子を相手に発しており、 その戒めに戦場の恐ろしさが集約されていると言っても過言ではなかった。 ところが、だ。乱戦の真っ直中で棒立ちとなったアルフレッドを叱責したローガンも、 今や愛弟子と同じようにある一点を見つめたまま、身じろぎ一つ出来なくなっていた。 修羅の巷から切り離され、異空間へ放り出されたような感覚に彼らは囚われているのだ。 言わば、視認する世界とは異なる次元に心の置き所が作られてしまったようなもの。 ローガンは地に足が付かないような奇怪な浮揚感を持て余し、 「またややこしいことになったもんや。逃れられへん宿命っちゅ〜やつかいな」と頬を掻いた。 アルフレッドたち佐志の遊撃部隊は、巨人が揺さぶる熱砂の向こうにかつての友を、アルバトロス・カンパニーの姿を認めていた。 音信不通が長らく続き、顔も背格好も忘れかけていた古い友人と不意に邂逅し、 接する距離感を探るようにたどたどしい足取りで一歩、また一歩と歩み寄っていく―― ある種の怯懦が滲む牛歩でもって、ニコラスはアルフレッドへと向かっていった。 今から起こるだろう展開への恐れはある。その先に待ち受ける結末への怯えもある。 抑えようのない心の揺らぎこそが前進を鈍らせる原因なのだ。 しかし、ニコラスは自身の弱さを素直に受け入れている。その上で、自身の為すべきことを見極めている。 踏み出す力は熱砂を抉る程に強く、速度こそ牛歩ながら前進そのものへの躊躇は見られなかった。 ニコラスと歩調を合わせてアルフレッドたちへ近付いていくのは、トキハただひとり。 ディアナとボスは険しい表情を崩さぬままその場に居残り、交錯(こと)の成り行きを見守るつもりのようだ。 状況次第によっては、交錯はそのまま交戦へと激変するだろう。 ボスとディアナの背後には、ゼラール軍団によって一度は退けられたエトランジェの生き残り数十名が控えている。 砂丘から逃げ延びて最寄の味方陣地――先ほど交戦した中隊だ――へ急報をもたらし、 先程の戦闘による負傷へ応急手当のみ施して戻ってきた彼らは、それぞれが闘志漲る面でもって得物を引っ提げている。 傍目には合戦を期して佐志軍、遊撃部隊と対峙したようにしか見えなかった。 エトランジェの仲間に倣ったのであろうか、ディアナもトキハも、既にMANAを戦闘モードへシフトさせている。 無論、ニコラスが携えるガンドラグーンもバズーカモードだ。 現在は砲門も下方へ向けられているものの、戦闘(こと)があらば嘶きの如き烈光の奔流でもって “敵”と見なした相手を焼き尽くすに違いない。 ボスはガンドラグーンよりも二回り以上大きなバズーカを肩に担いで現れたのだが、 その形状は他のMANAと比べて極めて特徴的と言うか、歪、異形である。 二股に分かれた長大な砲身がまず目を引くものの、水平二連装のバズーカではないことは、 根本に開いた射出口の数で解る。 一つだけ設けられた射出口から撃発される弾丸は、二股の砲身の間を経由して敵影へと飛来するようだ。 アルバトロス・カンパニーもエトランジェの隊員たちも、疲弊の色が濃い。 これまでの物資、食料不足に加え、ゼラール軍団から一方的に壊滅させられたショックとダメージは、 彼らに深刻な影響を与えている様子である。 ニコラスと肩を並べるトキハも目の下に大きな隈を作っており、腕に負った傷も浅くはなさそうである。 傲慢と自責しながらもハーヴェストは彼らに憐れみを禁じ得なかった。 遊撃部隊に対峙すること三十メートル程度の地点までやって来たニコラスとトキハは、 そこで初めて歩みを止め、隊の中心に立つアルフレッドへ「思ったより早い再会になったな」と呼び掛けたのだが、 言葉に含めた自嘲の笑みも痛ましいくらいに掠れてしまっている。 アルフレッドがどのように応じるか、どんな言葉で答えるのか―― 遊撃部隊の皆が不安の面持ちで注視するものの、当のアルフレッドはニコラスの呼び掛けに答えはせず、 たった一言、「裏切り者」と吐き捨てたのみ。 彼の発した冷徹な一言によって旧友との対戦が避けられなくなったと悟ったフィーナたちは、 悲しげに頭(かぶり)を振った。きつく瞑られた双眸が、一同の無念を如実に表している。 仲間たちの心情など知ったことではないアルフレッドは、ニコラスたちの疲弊を好機として歓迎していた。 遊撃部隊に比べて兵の数は少なく、その総員は極度に疲弊しているのだ。 「窮鼠猫を噛む」と言う波乱を案じることなく一ひねりに壊滅させられるだろう。 相手はアルバトロス・カンパニーだ。今でこそ訣別を余儀なくされたが、一度は絆を結んだ旧友たちだ。 それにも関わらず殲滅を図ることにフィーナたちから抗議が噴出するに違いないが、 ニコラスたちは旧友である前に裏切り者。一度は結んだ絆を踏みにじった裏切り者でもあるのだ。 そのような相手になど同情は持ち得ない――「裏切り者」を睨み据えるアルフレッドの眼光は、 些かも揺らぐことはなく、あくまでも酷薄であった。 ……何時にも増して険しく、壮烈としか例えようのないその面は、 復讐以外の思考に心奪われることがないようにと自らを律しているようにも見える。 面と向かって裏切り者呼ばわりされたニコラスは、一瞬だけ苦しげに瞳を閉じ、 何事かを己に言い聞かせると、再びアルフレッドと、……親友と対峙した。 改めて開かれた真紅の瞳には、不退転の決意が輝きとなって表れている。 アルフレッドとニコラス、佐志の遊撃部隊とエトランジェの生き残り―― 両陣営が言葉もなく睨み合いを続ける間、歩兵隊と銃砲隊の勇戦によってギルガメシュの中隊は壊滅状態となり、 今やまともな戦力は僅かなクリッターばかり。 なおもツォハノアイは肩で風を切り、砂漠を烈震させながら歩みを進めているが、 この強大な戦力を無傷で保持しながらも仮面の兵士たちは算を乱して逃げ惑う有様である。 壊走する兵士たちは後方に退路を求めたものの、彼らの淡い期待は行く手を遮る死神によって惨たらしく粉砕された。 視界を遮るようにして右方から回り込み、続けざまに横陣を布いて撤退阻害の壁を作ったのは、 レモンイエローの軍服を身に纏った一団――砂丘を背に布陣していたゼラール軍団の先方である。 その先頭に立って仁王立ちするのは、ギルガメシュをして死神とまで言わしめた重武装の戦士だ。 上層部の情報が行き届かないような末端の兵士たちも、全身に夥しい量の武器を担った敵将の話だけは聞いたことがある。 テムグ・テングリ群狼領の小さな部隊に所属しながらも、その戦闘力はズバ抜けており、 遭遇したが最期、木っ端微塵にされてしまうとまで恐れられる巨魁の話を。 「し、死神……ッ!」 「俺はよっぽどろくでもねぇ噂を立てられてるらしいな。ま、悪い気はしないがね」 仮面の奥から搾り出される呻き声に苦笑いを浮かべた死神――否、トルーポは、 主武装たる対艦ミサイルランチャーをギルガメシュの敗残兵へ向けつつ、砂丘の頂上を窺った。 砂の海に甲高い笑い声が轟いたのは、その直後のことである。 「児戯にも等しきじゃれ合いか。下賎なるお前たちには似合いの大道芸であるな。 そこでそうやって遊んでおれ。馴れ合いこそがお前の領分よ」 砂丘を一気に駆け下り、わざわざアルフレッドとニコラスの対峙へ割り込むようにして砂塵を巻き上げ、 ついでにふたりに高飛車な嘲笑をぶつけたのは、 一陣の颶風――あるいは、蝶の鱗粉の如く火の粉を巻き散らして走る一縷の閃光であった。 「あれは……」 「……ゼラール」 一陣の颶風となって、一縷の閃光となって熱砂の大地を駆けるのは、誰あろうゼラールである。 右手に剣を模した『エンパイア・オブ・ヒートヘイズ』の烈火を纏わせ、左手に手綱を握るゼラールが、 愛騎の駱駝を駆って戦場を突っ切り、そのついでとばかりにアルフレッドとニコラスを嘲ったのだ。 不意打ちの罵声に耳を打たれたまま、駱駝を駆るゼラールに取り残されたふたりは、 名残のように舞い散る火の粉へ何とも言えない余韻を感じるばかり。 そのふたりを、いや、佐志軍総員を置き去りにする恰好で戦陣を突き抜けたゼラールの後には、 ラドクリフ、ピナフォアを始めとする彼の軍団が続く。 ゼラールのもとへ一番に到着するのは自分だとばかりに愛馬へ拍車をかけるピナフォアは、 「天上天下唯我独尊」と大書した旗を高く掲げ、戦場に己が軍の存在感を示している。 「そこ退け、そこ退けぇーっ! ゼラール閣下のお通りよっ! 道を譲らぬゴミ溜めは轢き殺すわよっ!? てか比喩じゃないからっ! 閣下に逆らうやつはマジで踏み潰して、すり潰して、超・滅・殺ッ!」 天上天下唯我独尊――これほどまでにゼラールと言う存在を表した大書が他にあるだろうか。 “閣下”の全てを象徴する軍旗を風に靡かせながら軍馬を走らせるピナフォアとラドクリフは、 ゼラールを追って討つべき標的へと突撃していく。 天上天下唯我独尊の御旗が狙い撃ちにする標的は、この戦域に於ける最大の難敵と見て間違いないツォハノアイである。 「我が愛しき下僕どもよ。余の快楽を満足させてみよ。汝らが神たる余に幾千の名誉、幾万の、幾億の恍惚を捧げるがよい」 天上天下唯我独尊の御旗が翻る戦陣の中心に在り、駱駝の鞍上にて覇者が如く両手を大きく広げたゼラールは、 十字架に見立てた我が身を絶対なる神と呼び、周囲の従者たちにそう号令した。 端的に戦闘開始を告げるアルフレッドとも異なり、どこまでも不遜で、果てしなく高飛車な号令だ。 士気の低下と部下の離反を考慮したならば、傲岸不遜を前面に出すことなど常人には決して真似できまい。 それを可能とし、あまつさえ傲慢に振る舞えば振る舞うほど、銘酒のように従者を酩酊させ、士気を昂揚させられるのは、 ゼラール・カザンと言う類稀なるカリスマならではであった。 ゼラールに手足のように使われ、そのことに無常の喜びを見出す従者たちは、 ツォハノアイの巨躯を正面に見据えながらも微塵の怯みすら見せず、陶酔し切った面持ちで我先にと向かっていく。 「全ては閣下の御為に。我らの全ては閣下の御為に」 佐志軍にさんざんに撃破され、今またトルーポの率いるゼラール軍団の別働隊に包囲され、 ホウホウの体で逃げ惑っていたギルガメシュの敗残兵は、目の前に現れた光景に仰天し、 自らが置かれた状況も忘れて足を止めてしまった。 そのようにして凝視してしまうのも当然の道理だろう。 “閣下”の威光へ報い、お褒めの言葉という至高の恩賞を賜らんとする従者たちは、 陶酔の赴くままにゼラールの賛美を大合唱しながらツォハノアイへ臨むのである。 絶対者の御許へ昇ることを哀願する巡礼者たちの行進――そのように見えなくもないが、ここは血生臭い戦場だ。 荘厳な場景とはお世辞にも言えず、血みどろになりながらも“閣下”への賛美を止めない狂信者たちの猛進は、 見る者全ての背筋に寒気を走らすほどの恐怖を称えていた。 恐怖を与える要因は、誰も彼もが理性を外してしまったかのような狂信の群れだけではない。 遭遇そのものが破滅を招くとまで恐れられるツォハノアイですら戦慄してたじろいでしまう程、 ゼラール軍団は末端の兵に至るまで個々人々の戦闘力が高いのだ。 中でもゼラールの側近中の側近であるラドクリフ、ピナフォアの両名は頭一つ抜きん出ている。 テムグ・テングリ群狼領に於いて禁忌とされているトラウムを躊躇なく発動させたピナフォアは、 猛烈な攻勢でもってツォハノアイを立ち往生させた。 ピナフォアに備わったトラウムは、最大一千個まで同時に形成できる吸着爆弾だ。 全包囲から吸着し、爆裂させる恐るべきトラウムを『イッツァ・マッドマッドマッド・ワールド』と呼ぶピナフォアは、 弾数が続く限り、ツォハノアイに吸着爆弾を浴びせ続ける。 彼女と馬首を合わせたラドクリフは、神人から授かったエネルギーをワンドに宿して光の弓に見立てるイングラムを発動させ、 対となる光の矢をツォハノアイの急所へと射掛けた。 アルフレッドの命を狙った際には回避されて終わったものの、ラドクリフが得意中の得意と胸を張るだけあって貫通力は高く、 他のクリッターに比べて数段硬い筈のツォハノアイの肉体をも容易く射抜いていく。 右目や胸部、腹部に深手を負い、身を捩じらせて悶え苦しむツォハノアイへラドクリフは更なる追撃を加える。 ピナフォアの吸着爆弾や光の矢の間隙を縫うようにしてフロスト、シャフト、ガイザーと、 炎の巨人に有効なプロキシを立て続けに行使した。 しかも、だ。ラドクリフが小柄な身の裡に秘めた強さはイングラムだけには留まらない。 ツォハノアイが背に担う光球より放った反撃の熱線を、エネルギーの収束から発射に至るまで全て見極めたラドクリフは、 素早く自らのトラウムを発動させ、赤熱するレーザーの直撃に合わせた。 防御壁として用いられたラドクリフのトラウムは、『フォックス・アンド・グレープ』と呼ばれる水瓶だ。 あらゆるエネルギーを細微な粒子レベルにまで分解・吸収する特性を持ち、 ツォハノアイ自慢の熱線もこの水瓶の前にあえなく無効化されてしまった。 光学兵器と言わず、プロキシと言わず、ありとあらゆるエネルギー現象を無効化してしまうフォックス・アンド・グレープは、 確かに驚異的な防御力を誇っているが、これぞラドクリフの真の能力と得意げに語った者は、 その大半が自らの浅はかな見識を恥じ入ることになる。 「――ごちそうさまでした。食事代はしっかりと払わせてもらうよっ!」 ホゥリー手ずから作ったワンド、イムバウンの置文の先をツォハノアイに向けたラドクリフは、 傍観者たる仮面兵団の度肝を抜くような荒業を見舞った。 神人から授かった力で火炎と稲妻を同時に発動させ、これを併せ宿したラドクリフのワンドから、 なんとツォハノアイが発射したものと全く同じ赤熱の光矢が放たれたのだ。 まさか自分の技で反撃されるとは思っても見なかったツォハノアイは熱線の直撃を被り、左膝を貫かれて尻餅を付いてしまった。 レイライナーと異なって一般的な認知度が低いのだが、敵対者の放つプロキシなどを瞬時に見極め、 これを模倣・再現せしめる『エミュレーション』なる異能がマコシカには伝わっている。 あまりにも難解な秘術である為、エミュレーションはマコシカの民の間でも幻とまで言われ、 数世代前から使い手――俗にエミュレーショニアと称される――は絶えて久しかった。 エミュレーショニアは既に絶えたと言う伝承を覆し、神秘の術を現代に復古させたのが、何を隠そうこのラドクリフなのだ。 「出た出た、他力本願の極み。ただただケバいだけで、あんまし役に立ってないのよねぇ、ソレ。 あんた、そーゆー大道芸が向いてるわよ。向いてるから、とっとと故郷(おくに)に帰ったらいいわ」 「さすがはピナフォアさん、度胸がありますね。今の一言で、マコシカのみんなと、 イシュタル様、神人様まで全て敵に回しましたよ。楽しみですね、神々を冒涜した人には、どんな天罰が下るんでしょうか」 「気持ちいいわねぇ、あんたから僻み聞かされんのって。人に頼らなきゃ戦えないようなおぼっちゃんには、 この優越感は一生わかんないのよねぇ。憐れよねぇ、みじめったらありゃしないわねぇ〜」 「あはは――敵わないなぁ、ピナフォアさんには。誰も助けてくれない仲間外れのひとりぼっち自慢を、 こんなにも堂々と発表できるんですもん。さぞお気楽に生きてるんでしょうね。羨ましいですよ」 「……ほうほう――あんた、名誉の戦死を体験したいわけね。はいはい、わかったわかった。 影も形も残らないように爆破してやるから安心しなさいよ。最期くらい、あんたに花を持たせてあげるわよ」 「面白いことを言いますね。ボキャブラリーの塊みたいな人ですもんね。 万が一、ぼくに何かがあったら、きっとシェインくんが真犯人を突き止めてくれますよ。 あっ――すみません、ひとりぼっちのピナフォアさんには、こう言うのは無縁でしたね♪」 「決めた、絶対に決めた。フィーナからあんたの悪友に言っといて貰うから。 あんたの本性を知ったら、さぁ、どうなることかしらねぇ?」 「さっきも言ったでしょう? そう言うことをすると友達なくすって。発想からしてひとりぼっちの感覚ですね。人間失格です」 単独で一個大隊を壊滅させることも不可能ではないピナフォアのトラウムも、 伝承の彼方より蘇ったラドクリフのエミュレーションも、どちらもゼラール軍団にとって得難い戦力(チカラ)なのだが、 如何せん、このふたりはゼラールの寵愛を巡って陰湿な対立を深めており、 相乗効果が望める筈のコンビネーションからは程遠かった。 ラドクリフとピナフォアの醜い言い争いなど目端にも入れず、駱駝を進めてツォハノアイの正面に立ったゼラールは、 何を思ったのか、首のチョーカーに垂らしたノコギリ状のナイフで手首に傷を付け、 そこから流れ出る真紅の血を全身に塗りたくった。 「よもや背中に担いだ玩具を太陽などと呼ぶつもりはあるまいな? ……よかろう。余の手にて太陽の意義を教えよう。 うぬの犯せし不敬を雪いでくれようぞ。感謝して跪き、最高の喜びに震えよ」 何を思ったのか――とは、愚問であったか。 これこそは、己の血潮を火炎に換えるトラウム、エンパイア・オブ・ヒートヘイズの熾りである。 鞍を蹴って高く跳ね上がったゼラールは、痛撃によって身動き取れずにもがくツォハノアイへと放物線を描いて滑空していく。 我が手にてツォハノアイへ決着の一撃を振り落とそうと言うのだ。 ギガント型のプライドがそれを許さないのか、身じろぎの度に激痛が走る左足を押して赤熱の光球を掲げたツォハノアイは、 無防備のまま飛び込んで来るゼラールへ灼熱の洗礼を浴びせかけた。 それは、ツォハノアイが切り札とする地獄の劫火だった。 「これがうぬの奥の手と言うのか? 片腹痛いわ、デクの坊めが」 しかし、そんなものでゼラールを止めることなど出来はしない。 全身に塗りたくった血潮から、灼熱の洗礼によって被った四肢の負傷から噴出するエンパイア・オブ・ヒートヘイズの爆炎が、 ツォハノアイにとって切り札と言える地獄の劫火を無情にも喰い散らかしていった。 ダメージによる出血をも火炎に換えるエンパイア・オブ・ヒートヘイズは、灼熱の火勢が強まるほどにゼラールへ力を与えていく。 「いかに炎の巨人を自負しようが、背に負った玩具のそれを越える熱量をもってすれば、この通りの有様。 炎も、熱も、血肉に至るまで我に喰われ、原初の灰燼と帰すが良い」 炎に対して炎で応じられ、それどころか絶対の自信をもって放った切り札をも吸収され、 恐慌に歪むツォハノアイの首筋へ鋭い牙を突きたてたゼラールは、もがき苦しむ哀れなクリッターに喰らいついたまま、 エンパイア・オブ・ヒートヘイズの火勢を極限まで高めた。 「おお……閣下……閣下……」 「あれこそ約束の炎……我らを導く、女神をも越えた絶対の導……」 天を焦がして逆巻き、一筋の火柱と化したエンパイア・オブ・ヒートヘイズの威容にゼラールの従者たちは額を擦りつけて平伏し、 爆炎の中心点より轟く勝利の哄笑と巨人の断末魔に歓喜の落涙で呼応した。 「覇道の足跡が異獣如きを相手に立ち止まると思うてか? 余に足踏みさせたくば、せめてイシュタルでも降ろせねばな。 ……つまり、貴様の屍が余の前に平伏す終結は確定理論なのじゃ」 天を焼き尽くすかのように猛った火柱の勢いが衰える頃には、煉獄の檻に囚われていたツォハノアイは原形を留めておらず、 ドロドロに溶解した惨たらしい残滓が熱砂を侵すのみ。 冷え切る時間さえ惜しいとでも言うよう溶け足裏が焼かれるに任せ、 数分前まで巨人であった溶鋼の溜まりを悠然と歩むゼラールの威容は、 狂信者に限らず、神か悪魔かと我が目を疑うほどに人間離れしていた。 指先に付着したツォハノアイの返り血――と言ってもドス黒いオイルだが――を、さも不味そうに舐め取ったゼラールは、 足元に没したクリッターへ「かように油臭いワインでは不愉快の口直しにもならぬわ」と毒づいた。 その度に口元から火の粉が散るあたり、舌先にまでエンパイア・オブ・ヒートヘイズの影響は及んでいるようだ。 ツォハノアイの残滓より立ち昇る水蒸気が薄まり、ゼラールのシルエットが陽光に透過すると、 灼炎の余韻が全身に残存している様子も見て取れた。 「いつにも増して鮮やかな勝利でした」 「閣下の、閣下の勇往邁進を拝しただけで、私……、私――ッ!」 「出迎えご苦労、愛しき従僕どもよ」 溶鋼の溜まりを渡り終え、熱砂に足を付けたゼラールのもとへ我先にと駆けつけるとラドクリフとピナフォアは主の御前に傅いた。 しかし、漆黒の宵闇へ仄かに輝(て)る埋め火のように“閣下の”四肢を焼け焦がす灼炎の種については、 気遣いや心配一つかけることはない。 痛みが全身を苛むほど、炎が地肌を撫でるほど、より高次の存在へ進化すると嘯いて憚らないゼラールにとって、 我が身を焼け焦がす埋め火こそが無上にして恍惚の美酒なのである。 二人は――いや、ゼラール軍団の総員が周知する当然の道理にどうして異論を唱える必要があるものか。 敬愛する“閣下”の邪魔をすることは、すなわち己の身を捧げて償うしかないとする向きがゼラール軍団無言の不文律であった。 「――前線を探っていた斥候からの報告です。双方の本軍は今なお一進一退の攻防を続けている模様。 ギルガメシュ本軍の車懸かりは、次第に勢いを失いつつあるとのこと。いずれ我がほうが形勢を立て直すでしょう」 「指示する前に結果を用意しておくとは、余の意を実に心得ておる証であるな。 ピナフォアよ、余の意を得ておるならば、我が踏み石となった者どもの埋葬、既に手筈はつけておろうな?」 「いずれは砂の海に沈むことでしょうが、皆、戦場に散るのを本望とする者たちです。 敵も味方も、天へ上がる階段の道程にて閣下の偉大なる勝利を喜んでおりましょう」 「あるいは、無様に野垂れ死んだ奴らこそが余の階(きざはし)となろうぞ」 「いずれ私もその御言葉を賜りたいものですわ」 「ククク――ますますもって殊勝ぞ、ピナフォア」 テムグ・テングリ群狼領の女戦士として文武に亘って鍛錬してきたピナフォアは、ゼラールが最も望んでいるだろう戦況を献上し、 「あんたにコレが出来る?」とラドクリフへ露骨に勝ち誇って見せた。 戦闘経験こそ積み重ねてはいるものの、大軍を総括するノウハウまではラドクリフも全く持ち合わせていない。 ゼラールにとって一番の楽しみである戦いの場にて彼が出来ることと言えば、 せいぜい今回のようにプロキシやエミュレーション能力を発揮し、迫り来る敵を局地戦で蹴散らす程度。 それに対して、テムグ・テングリ群狼領の名家に生まれ育ったピナフォアは、 女だてらに一軍の将となり得る英才教育を施されてきた。長年の行軍で培った経験と知識も豊富だ。 広大な合戦場の状況を適格かつ大局的に把握し、高度に分析された情報を献上することなど造作もないことであった。 それは、ラドクリフには及びもしない領域である。 合戦に於ける貢献度はピナフォアに軍配が上がるのかも知れず、渇望しても彼女の真似が出来ないラドクリフは、 あからさまな自慢に思いっきり顔を引き攣らせた。 「……生きてて恥ずかしくないんですか、割と真剣に。ぼくだったら自分が厭になりますよ」 「じゃあ、死ねば?」 現在もトルーポは遠方にてギルガメシュの敗残兵を包囲している為、 ラドクリフとピナフォアの喧嘩を止める人間が全く不在になってしまう。 ゼラールはこれを押し止めるどころか、高笑いしながら両者の喧嘩――それも言い合うことは大いに殺伐――を観戦することだろう。 ムルグがアルフレッドへ向けるのと同じ眼光をぶつけ合い、互いの胸倉を掴んだラドクリフとピナフォアは、 ヒステリックな奇声を上げながら熱砂の上を転げ回ることになった。 ゼラール軍団がツォハノアイを撃破した様――加えて、ラドクリフとピナフォアの場外乱闘――を遠望していたネイサンは、 「見た目に反して粋な計らいをしてくれるじゃないか。いや、見たまんまって言うことも出来るのかな」と人知れず呟き、薄く笑んだ。 トルーポ率いる別働隊が敵中隊の敗残兵を鎮圧し、ゼラール軍団本隊もツォハノアイを撃破した為、 この戦域に於けるギルガメシュの戦力は一掃されたことになる。僅かに残っていたクリッターも今では物言わぬ残骸と化している。 そこでネイサンはゼラールの意図に感付いたのだ。 ゼラール軍団が天上天下唯我独尊の旗を掲げて砂丘を駆け下りたのは、 アルバトロス・カンパニー、エトランジェと佐志の遊撃部隊とが睨み合いを始めた直後のことである。 両者の対峙は、見る者へ大いなる宿命すら感じさせる程に意味が重い。 しかしながら、獰悪なるツォハノアイやギルガメシュの敗残兵を野放しにしておけば、 間違いなく両者の対峙へ乱入され、不可避の宿命すらメチャクチャに引っ掻き回されていた筈だ。 その意図があったか否かは定かではないが、アルフレッドとニコラスの対峙が破綻させられる可能性は、 ゼラール軍団によって未然に防がれたのだ。言わば、露払いを買って出たようなものである。 (“昔”と変わらず食えない人だね、ゼラール・カザン――) ネイサンが口元を愉悦に歪めたのは、密かにお膳立てを整えると言うゼラールの計らいに感じ入っているからか、 それとも、全く別の意図があるものか――。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |