8.Blue Impulse 「ケリを、つけに来た」 両陣営ともに沈黙のまま睨み合うと言う膠着状態を破ったのは、……先に勇気を振り絞ったのは、 アルフレッドを正面に捉えようと一歩前に進み出たニコラスである。 親友が剥き出しにする負の想念に対し、彼は決着の宣言を以って応じた。 「……決着だと?」 「自分のしたことにケリをつけたいんだよ、アル。 みんなの恨みと向き合って、自分にも、みんなにも、オレはケリをつけたいんだ」 「失笑される前に訂正しろと言ったんだ、俺は。誰がお前の言い訳など聴くものか」 「言い訳、か……。そう言われても仕方ねぇけどな。でも、オレは――」 「煩い、黙れ。今すぐに前言を訂正しろ。……殺されに来たと!」 「……覚悟はしてたが、ストレートに言われるとキツいもんだな」 正面から浴びせられる憎悪と殺意に抗い、打ち克つべく、ニコラスは懸命に気を張るが、 アルフレッドの発する負の濁流はそれすらも呑み込み、粉々に噛み砕いてしまう程に激しい。 轟々と音を立てて迸る憤怒は、ニコラスから向けられる真摯な思いの全てを否定していた。 ミストとの関係も含めて浅からぬ因縁のあるニコラスの登場にヒューとレイチェルも驚きを隠せなかったが、 決着をつけにきたという潔さへ耳を傾けるうち、否定以外の感情を持たないアルフレッドとは真逆に 彼の思いへ受容を示す微笑が浮かび始める。 「おうおう、人の娘に恥かかせた色男が何しに来やがった? 菓子折りくらいは用意してんだろうな。 メロン持参だったら、お義父さん、ちょっと気ィ許しちまうかもだぞ――って、誰がお義父さんかッ!?」 「あんた、この状況でよく一人ボケツッコミなんかやろうって思えるわね。 人の神経疑う前に、自分の神経にメス入れなさいよ」 「……ヒューさん、レイチェルさん……」 「ンだよ、メロンも菓子折りも無ぇーのかよ。まさか、マジでギルガメシュの手先になっちまったってことはねぇよな?」 「だったら、さすがにお尻百叩きじゃ済ませないわね。将来の為にも、ミストの前でお仕置きコースが妥当だわ」 「違いますっ! 他の誰も関係ない! 俺は俺自身の意志で決着を……ッ!」 敬愛するヒューとレイチェルが自分の言葉にどのような反応を示すのか、 これを確かめることがニコラスには何よりも恐かった。アルフレッドとの決着と同等か、あるいは、それ以上に。 異なる世界の人間と言う孤独に負けてしまいそうになったとき、 いつだって勇気づけてくれたふたりの気持ちをも裏切ってしまったのだ。 心の底から尊敬するふたりから罵声を浴びせられたなら、本当に心が折れてしまうのではないかと、 こうして対峙するまでの間、ずっと葛藤していたのである。 けれども、その葛藤は単なる杞憂に過ぎなかった。 ヒューも、レイチェルも、以前と変わらずに温かく応じてくれた。 それどころか、裏切り者の烙印を押された自分に、またしても勇気を与えてくれた。 カラリと笑いながら軽口を叩いてくれるヒューとレイチェルがニコラスにはたまらなく嬉しくて、 ただそれだけで目頭が熱くなる。 「ここで男見せなきゃダメだよ、ラス君」とトキハが背中を突いてくれなかったなら、 自分のなすべきことも忘れて泣き出していたかも知れない。 「全てを暴力で押し切ろうとするギルガメシュを許せない気持ちはオレも一緒です。 でも、だからってアルのやり方が正しいとも俺には思えなかった」 「そんでカッとなって捕虜を逃がしちまいました〜ってか? ……てめぇ、なかなかアグレッシブじゃねーか」 「オレは自分のしたことが正しいとは思っていません。でも、間違いとも思わない。アルがしようとしたことも、それと同じです」 「どっちも正しくて、どっちも間違いかもってわけね。……いいんじゃない、若さが出てる」 「……だから、決着をつけたいんです。オレは――オレ自身に決着をつけなきゃならないッ!」 鋼鉄のグローブで固められた右の拳を突き出し、力の限り握り締めるニコラスを、 ヒューとレイチェルは眩しそうに見つめている。 日溜まりのようなふたつの眼差しは、ニコラスの決意が誰かの心に伝わると言う証しでもあった。 「――その意気や良しっ!」 「おう、それでこそ俺っちの見込んだ男だ! 来な、思いっきりッ! 俺っち直々に懐貸してやっからよッ!」 裏切り以外の何物でもない自分の所業を受け止め、肯定してくれたピンカートン夫妻へ せめてもの礼を尽くすべく頭を垂れようとしたニコラスだったが―― 「……三文芝居なら他所でやれ。まして敵と馴れ合うなど言語道断だ」 ――その喉笛には死神の大鎌が迫っており、会釈一つ満足に出来ぬまま、 意識を戦いのそれへと切り替えざるを得なくなってしまった。 薄く皮を削がれる程度のうちに危急を察して後退し、辛うじて死神の大鎌から逃れたニコラスは、 自分の首筋を這って抜けて行った明確な殺意に悪寒を覚えた。 コンマ一秒でも一足飛びが遅ければ、間違いなく喉笛を潰されていたことだろう。 そして、死神の大鎌を振り抜いたのがアルフレッドだと言う現実がニコラスの首筋からいつまでも恐怖の余韻を消さない。 直前に手にかけた者の返り血が乾ききっていない手刀を死神の大鎌として振り落とすアルフレッドと、 彼にそこまでの殺意を抱かせる原因を作ったのが、他ならぬ自分自身であると言う事実がまるで呪いのように首筋を撫で回し、 こびり付いて離れなかった。 「いきなりご挨拶だな、アル」 「不意打ちは貴様の趣味だろう? それに合わせてやったんだ、有り難く思うんだな」 「………………」 闇夜に紛れて不意打ちを仕掛けたことのある自分に言えた台詞ではないと自覚しつつも、 友人――少なくともニコラス本人は今もそう思っている相手から容赦なく殺意をぶつけられるのは、何とも苦く、哀しい。 夜討ちというやり方は外道の烙印を押されても仕方ないが、あのときの判断は間違いではなかったと ニコラスは胸を張って断言できる。 同じ世界に生まれ育った人間だから情に流されたと言われても否定はできない。 だが、捕虜とした兵を見せしめに銃殺することなど、良心ある人間がどうして見過ごせるだろうか。 生まれも育ちも、友情も敵意も関係ない。人間として通すべき道理に従い、行動した結果だった。 (さぁ、ここからが勝負だぜ。……ブルッてんじゃねぇぞ、ニコラス・ヴィントミューレッ!) その果てに残された互いの禍根や、アルフレッドが抱いているだろう憎悪に決着をつけるべく熱砂(ここ)までやって来たのだ。 死を賭してでも決着に立ち向かう覚悟の炎が胸中に灯っているのである。 「うっそ〜んッ!? ここで横入りとか、ありえんのッ!? 俺っちの立場はど〜なんのよッ!?」 「絵にはならないかもね。未来の父子対決ブチ壊しって感じ?」 「母親の口から未来の父子とか言うなーッ! ミストはどこにもやんね〜かんなーッ!」 「はいはい、黙った黙った。……ここはふたりに任せようじゃないの」 ニコラスの決意を受け入れるかのようなヒューとレイチェルを「おふざけも大概にしろと言っているッ! 裏切り者の始末も出来ないような人間は今すぐ消えろッ!」などと言葉汚く切り捨てたアルフレッドは、 次こそは確実に急所を貫くべくジリジリと間合いを詰め始めた。 隙を突くつもりなのか、それとも強引に組み付いて動きを封じ込めるつもりか―― いずれの手で攻め入るにせよ、アルフレッドは些かの躊躇もない殺気を全身から漂わせている。 「敵に塩送るってのもおかしな話だが――気ぃ付けとけよ、馬の骨。今のアルは、ちょいとばっかしハデにトガッてるぜ」 「みたいですね……――でも、オレは退きません。一歩だって退かないッ!」 ヒューの助言を受けたニコラスは、すぐさまにガンドラグーンをバイクへとシフトさせ、 眉を顰めるアルフレッドの目の前で悠然とシートに打ち跨った。 轟々と唸るガンドラグーンのエンジン音から次なる挙動を推察したアルフレッドは、 「今更、恐れをなすとは救いようのない男だな。尻尾を巻いて逃げるのか」とニコラスをせせら笑い、 車輪が向かう進路を遮るようにして彼の前に立ちはだかった。 仮にバイクが発進されようものなら、肉弾をぶつけるようにしてシートへ飛び掛かり、ニコラスを薙ぎ倒すことだろう。 組み敷かれたら最期、ニコラスの頚椎は信じられない方向へ捻じ曲がるのだ。 ガンドラグーンをバイクへシフトさせた場合、アルフレッドから逃亡を疑われ、 あまつさえ侮辱されるだろうとニコラスも予め想定はしていた。 どのように詰られても堪えきれるよう心の準備も済ませてあったので、臆病者呼ばわりにも決して動じはしない。 エンジンを蒸かしながらアルフレッドをジッと見つめ、視線を交える彼の口元から嘲りが消えたことを確かめると、 ニコラスは徐にスロットルを全開にし、ガンドラグーンを走らせた。 直線上にはアルフレッドが立ち続けている。フルスロットルで直進を続ければ、確実に彼のことを轢き殺してしまうだろう。 本気で撥ねる気でいるのかと身を強張らせるフィーナとマリスだったが、 ニコラスはアルフレッドへ触れるより先に前輪を持ち上げ、次いでバイク後方のノズルから猛烈なエネルギーを噴射させた。 このノズルは、バズーカモードへシフトさせた際にヴァニシングフラッシャーを迸らせる砲門でもあるのだ。 ドライバーのみならず車体への負担も大きいこの隠しギミックをニコラスは滅多には使わない。 言わば、バイクモードのガンドラグーンにとって奥の手にも等しい機能なのだ。 その奥の手を、ニコラスは初っ端から解放して見せた。鎬を削る激突にも発展していない内からだ。 これはつまり、全てを出し尽くして戦うと言う決死の覚悟の表れでもあった。 「――『ドラッグヴェイパー』。サムと一緒のときは絶対に使えねぇ隠しワザだ。あいつ、スピードに耐えらんなくなって気絶すっからよ」 前輪を浮かせると言うウィリー状態のままドラッグヴェイパーを発動させたガンドラグーンは、ロケットさながらに上空へと跳躍、 フィーナたちの悲鳴を背に受けながらアルフレッドを頭越しに飛び越えた。 四肢を踏ん張って横転することなく着地に成功したニコラスは、背後を振り返ることもせず再びスロットルを全開にし、 砂塵吹き荒ぶ彼方へとガンドラグーンを駆った。 ドラッグヴェイパーを起動させておらず、また砂地の上を走行する為に速度自体はやや抑えめであるが、 それでも直進し続ければ戦域を離れることになる。 アルフレッドが口走ったように敵前逃亡の恰好になってしまうのだ。 それでもニコラスはガンドラグーンを走らせ続けた。 横道に逸れることもなく、脇目を振ることもなく、ただひたすらに直進し続けた。 どれだけ走っただろうか。それでも皆の居た場所から数十キロと離れたわけではあるまい。 自分以外の何物も見当たらない熱砂の只中に辿り着いたニコラスは、改めてガンドラグーンをバズーカモードにシフトさせ、 次いでその場に腰を下ろして瞑目。熱砂に吹き付ける風の音へ耳を傾けるばかりとなった。 瞼の裏に蘇るのは、自分を裏切り者と罵ったアルフレッドの表情(かお)―― これまで結んだ絆の全てを否定する殺意を、憎悪を宿した形相だった。 (……オレにしか出来ねぇことがあるんだ。だったら、引けねぇだろ?) 決着を求める真摯な訴えかけが何ら効果を上げていないことに痛みを感じるニコラスだったが、 それでも勇気を奮い立たせて歯を食いしばり、排他的な暴風へ立ち向かう決意を新たにした。 友情も、絆も、何もかも破砕させるようにして突き込まれる恨みの拳を、怒りの蹴りを耐えて凌いだ先には、 必ずアルフレッドを救い得る決着がある筈だ。その希望だけは決して手放すつもりはない。 『じゃあ、報酬を保険に換えるとするよ。俺たちが迷子になった時、しっかりナビゲートしてくれ、ラス』 『ったく、安上がりだなぁ――次からは慈善事業じゃなくて、ちゃんと金取れよ、アル』 ガンドラグーンの砲身を抱える右手には、かつて交わした握手の余韻が今もまだ残っているから―― その余韻が失せない限り、全ての希望がニコラスの右手をすり抜けて落ちることは無い。 アルフレッドと結んだ友情を諦めることなど万に一つもあり得なかった。 「……ここが望みの死に場所か。鳥葬でもして欲しいのか」 ……その一念があったればこそ、砂を踏む足音が追いついてくるとニコラスは信じられたのだ。 必ず自分の後を追いかけて来てくれると疑わなかったのである。 瞑目していた双眸を再び開き、声のした方角を窺えば、そこには信じて待ち続けた人の姿。 目指す結末は違えども、同様に『決着』を求めてこの場にまで駆けて来た親友の姿があった。 ガンドラグーンを抱えながら立ち上がり、待ち人と――アルフレッドと一対一で向き合ったニコラスは、 それから暫時、言葉も武器も交わすことなく彼を見つめ続けた。 アルフレッドもまたニコラスと視線を交えながら微動だにしない。罵声を発することも、殺気を叩き付けることもなく、 ただ静かにニコラスの面を見つめている。 あたかもこの世界にふたりしかいないような静寂だった。 全てが静止したようなその時間は、アルフレッドの拳にホウライの輝きが宿ったことで再び激動し始めた。 自然、その双眸にも闘志が漲っていく。 蒼白いスパークを帯び、また双眸に妖光を宿したアルフレッドの佇まいから彼の心中を悟ったニコラスは、 応じる意志があると示すようにガンドラグーンを構えた。 「今度は真っ向勝負してくれるんだな。……正直、さっきは焦ったぜ。いきなりだったもんな」 「決着をつけに来たとほざいたのはお前だろう。だから相手をしてやっているんだ」 「アル、オレはな――」 「煩い、黙れ。……お前の言い訳など、もう受け入れるつもりはない。戦いの果てに待つ決着は、生か死の二択だ。 お前の希望など知ったことではない」 「………………」 「俺の望む決着はギルガメシュとそれに与する人間の根絶だ。貴様のような害虫を地上から抹殺すること、ただ一つだッ!」 ――刹那、ホウライを球状に凝縮させた気弾がアルフレッドから投擲され、 これに応じてニコラスもヴァニシングフラッシャーを迸らせた。 二種のエネルギーは両者の中間にてぶつかり合い、暫時、稲妻のような烈光と衝撃波を周囲に拡散させ、 ついには互いに消失してしまった。 「バカの一つ覚えでバズーカを撃つしか能のないお前が、果たしてどこまで保つものかよッ!」 「お前こそバカ言うんじゃねぇぜ! 最後まで付き合うに決まってるだろッ!」 相殺の余韻たる明滅も失せぬ内に、アルフレッドはホウライの光弾を、ニコラスはヴァニシングフラッシャーの構えを取っている。 初撃の衝突にて発生した炸裂音は、両者の交錯を更なる激化へ導く銅鑼にも等しかったようだ。 * 「……既に戦の趨勢はつき申した。この上は無駄な争いを控え、我らのもとに参りませぬか……?」 アルフレッドとニコラスが決着の地へ去った後、残されたアルバトロス・カンパニーやエトランジェにそう声を掛けたのは、 佐志軍の総大将たる守孝であった。 言わずもがな、それは降伏勧告だった。 彼方の主戦場にてギルガメシュ本軍が連合軍を相手に合戦を繰り広げている最中、 「戦の趨勢はついた」と口走るのは珍妙であり、ともすれば、状況を把握していないとも誤解され兼ねないのだが、 守孝当人は至って真剣。両眼には大粒の涙まで溜めている。 アルバトロス・カンパニーを始め統一感のない身なりなどからエトランジェがギルガメシュの隊内でも 特殊な位置づけであることを見抜いた守孝は、彼らを仮面兵団から切り離し、佐志にて保護したいと申し出たのである。 半月の湾岸を守っていたエトランジェは、緒戦でトルーポに追い散らされたと聞いているが、 たった一度きり交戦しただけとは思えない程、彼らが滲ませる疲労の色は濃い。余りにも疲弊し過ぎている。 闘志の昂ぶりや怯えとも違う身の震えや痩せこけた頬を見れば、エトランジェが捨て駒同然の扱いを受けていることは瞭然であった。 食料の供給すら満足に受けていなかったことも、だ。 憐れみを抱いて合戦するのは相手に対する侮辱である。そう心得てはいる。だが、それも機(とき)に寄りけりだ。 今にも卒倒しそうな状態のエトランジェを相手に戦うことは良心がこれを許さず、 また、兵力として招聘しておきながら備品か何かのように彼らを使い捨てるギルガメシュには怒りを禁じ得ない。 このままにしておけば、エトランジェはギルガメシュの食い物にされてしまうだろう。 守孝には、義を尊ぶこの武者には、彼らの非業をどうしても見過ごせなかったのだ。 「お見受けしたところ、お手前方には戦う力は残ってござるまい。負傷の程度も浅からぬご様子。 ご無礼を承知でお伺い致す。ギルガメシュはお手前方と真っ当に接したのでござるか? その手当ては如何に? ……佐志にお出で頂ければ、食事も薬もご用意出来申す。追っ手が差し向けられたときには、必ずや我らがお守り致す」 懸命に言葉を尽くす守孝だが、彼の説得に対してエトランジェは誰ひとりとして表情を変えなかった。 ……つまり、保護の申し出に僅かも心を動かされていない証しである。 その内にレイチェルも「佐志のことはあたしが保証するわ。マコシカも疎開の受け入れをして貰ってる。 ……ギルガメシュの犠牲者たちもお世話になっているわ。この戦争で被害を受けたみんなが支え合っているのよ」と 守孝の援護射撃に加わるが、マコシカの民と親交が深い筈のトキハやディアナですら芳しい反応は返してくれなかった。 「ほんの短時間だけど、あたしたちも佐志には世話になったンだよ。あンたの言いたいことは多少なりともわかるつもりさ。 それでもね、……それでも、あンたらとあたしらのエンディニオンが別の世界である以上、そこに留まることは出来やしないンだよ」 ディアナから返された答えには、Bのエンディニオンに対する不信感がありありと浮かんでいる。 いくらなんでも言い過ぎだと思ったトキハは、「何もそこまで言わなくても……。恩を仇で返すこともないでしょう?」と ディアナに訂正を促したものの、彼女はこれを黙殺し、守孝やレイチェルを相手に憤怒の眼光を叩き付ける始末だった。 野放図に言われて頭に来たらしい源少七は、堪り兼ねてディアナに食ってかかろうとしたが、これは源八郎が無言で制した。 明るい口調で人を和ませる源八郎が言葉を発することなく腕力のみで制止したのだ。 それで父の無念を悟った源少七は、すぐさまに手を引っ込め、悔しげに俯いた。 語弊があるかも知れないが――歪んだ目でBのエンディニオンを捉えているディアナを相手にし続ける限り、 対話が平行線を辿ると判断したヒューは、それとなくボスの様子を窺ったのだが、 彼もまたふたつの世界が歩調を合わせることは困難であると考えており、悲しげに頭(かぶり)を振った。 「申し出には感謝する。だが、我らの基盤は、どこまで行っても“我々のエンディニオン”なのだ。 それを捨て去ることなど出来るわけもない」 「でも、それはっ! 私たちが一緒なら、きっと支えられると思いますっ! 私たちの故郷はもう焼亡(なく)なってしまったけど、レイチェルさんが言う通り、佐志の皆さんと――」 「君たちが言うのは生活の保障だ。それを約束してくれようと言う申し出は大変に有り難いものだ。 ……だがね、衣食住だけの問題では済まないのだよ。私には守るべき会社がある。家族がある。 それは私に限ったことではない、ここに集った皆が同じだ」 あくまでも頑ななボスへ反射的に言葉を返してしまうフィーナだったが、事態は彼女が想像している以上に深刻だった。 「何だって力になりますからっ!」 「申し訳ないが、君には不可能だ」 「どうしてですかっ? やってみなくちゃ――」 「我々が守るべきものは、我々のエンディニオンの上に成り立つもの。土台や基盤とも言い換えられるのだ。 これは何にも替え難い。……土台も基盤も失えば、我々は何も守れなくなる。全てを失うと言うことだよ」 「……新しく……作ることは……」 「その間に犠牲が増える。衣食住の保障では救いきれない犠牲がね」 「………………」 「ふたつのエンディニオンが相容れないのは、それが現実だからだ。……酷な言い方だがね」 難民たちがそれぞれに抱える事情は、口で語る理想や希望だけで解決できる程、生易しいものではない。 サンプルとしてアルバトロス・カンパニーを取り上げるならば―― ミストのようなイレギュラーなケースはあるものの、彼らの顧客はAのエンディニオンの住人である。 取引先も、社屋も、何もかもAのエンディニオンと言う土台、基盤の上に成立しているわけだ。 それをBのエンディニオンへ置き換えることが出来るのか? ……答えは否である。 そのようなことをすれば、Aのエンディニオンで培われた全ての物、あらゆる価値が否定されてしまう。 Bのエンディニオンへ帰還(もど)ることさえ出来なくなってしまう。 勿論、フィーナの言うように時間を掛けて一から作り直していけば、Bのエンディニオンに同様の基盤を確保できるかも知れないが、 これに要する時間は余りにも多くの物を犠牲にする。取り返しの付かない犠牲が山のように折り重なってしまうのだ。 犠牲に見合うだけの将来は、Bのエンディニオンには存在し得ない。それがボスの下した結論である。 そして、その思いは他のエトランジェ隊員も共有しているようだ。 「……家族の保障までしてくれるのかい、あンたらは?」 ディアナから寄せられた新たな問いかけに対し、守孝は委細任せよとばかりに胸を叩いて頷いた。 それは、問われるまでもないことである。戦火が及ばない場所へ避難しているだろうエトランジェの親族まで含めて 守孝は全ての難民の面倒を見るつもりでいたのだ。 和睦に向けて僅かな希望を見出した守孝の頭の中では、早くも居住区の開発や自立支援などの計画が走り始めている。 マコシカの集落で出会って以来、フィガス・テクナーへの帰還も含めてディアナの事情を垣間見てきたムルグも、 淀みなく断言された守孝の申し出に感じ入り、「コカー……」と安堵の溜め息を吐いた。 フィガス・テクナーに帰り着いた日、愛息のもとへ一直線に駆けていったディアナの後ろ姿が思い出されると言うものだ。 「無論、力を尽くし申――」 「――……そうやって甘い言葉で釣って、騙し討ちにすンだろう? あンたらから見たらあたしらは害虫なンだからね。 不意打ち、騙し討ち、なンでもござれだ! 外道みたいなマネをしたって、害虫駆除なら世間は大絶賛さ」 しかし、ディアナが返してきた答えは、守孝らの希望を粉々に打ち砕くものであった。 ガントレットで固められた右の人差し指でもって後方を示したディアナは、 守孝に向かって「アレがあンたらの答えなンだろ」と吐き捨てるように言い放った。 ディアナが指し示す方角には、ツォハノアイを撃破したゼラール軍団の姿が認められる。 彼らは炎の巨人に続いて中隊敗残兵をも平らげたようで、ゼラールを崇め奉る勝ち鬨にはトルーポも合流していた。 天上天下唯我独尊と大書されたあの旗が、やがてエトランジェの背を突くとディアナは言っているのだ。 これにはさすがの守孝も呻くしかない。 佐志を出発して以来、ゼラール軍団とは共同戦線を張ってきたものの、熱砂へ上陸する前後からは半ば別行動を取っており、 彼らがツォハノアイを攻撃したことも守孝にとっては与り知らぬこと。 ましてや、エトランジェを挟み撃ちに攻めるなど論じたことすらなかった。 だが、ディアナたちが佐志の側の内情を周知しているわけもなく、布陣図を材料として判断を下すのならば、 示し合わせてエトランジェを包囲したと誤解されるのも無理からぬ話ではあった。 とは言え、ディアナの主張が狭量かつ一方的であることも否めない事実だ。 余人ならいざ知らず、死地まで共にした仲間へ不信感を剥き出しにするディアナのことが ローガンにはただただ哀しく、天を仰いで「……ワイらの仲やんけ。こんな薄っぺらいもんとちゃうやろ……」と悲鳴を上げた。 薄っぺらなものではない――今日と言う日までに結んだ絆のことをローガンは言っているのだ。 人一倍情の厚いローガンにとっては、信じて疑わなかったものを全否定されたに等しく、 ディアナの一言一言が身心を軋ませる程に堪えた。 普段は馴れ馴れしいとしか言いようのないスキンシップを邪険にしているハーヴェストではあるが、 ローガンの人となりに全く不寛容なわけではなく、落ち込んでしまったローガンに成り代わって それとなくトキハの様子を窺った。 ローガンが気の毒でならず、彼を引き継いで和解の糸口を見つけようと言うのだ。 どのように諭したところでディアナやボスは聞き入れないだろうが、 彼らに比べて柔和であろうトキハならば、和解のきっかけを作ってくれるかも知れない。 そのようにハーヴェストは期待していたのだが、自身へ眼差しに気付いたトキハは、 一瞬、言葉を詰まらせると寂しそうに首を横に振った。 トキハも自分の意思でBのエンディニオンと距離を置いたのである。 Aのエンディニオンに基盤を求めるひとりである以上、これを覆してまで和解に応じることは出来ないのだ。 仲間たちの苛烈な言行を窘めることはあるだろうが、おそらくはそれが彼に出来る精一杯だった。 和解の可能性が絶たれ、またローガンを支援することも出来ず、ハーヴェストは悔しげに唇を噛んだ。 いつまで経っても一向に進展を見ないこの状況には、今や誰もが焦れている。 兵力で劣ろうとも戦意で勝るエトランジェではあるが、彼らもまた攻めるに攻められない。 身心を蝕む極度の疲弊が死を賭して戦う覚悟をも上回っており、前へ押し出すことにさえ難儀していた。 だからと言って、佐志軍の優勢と言うことにもならない。 エトランジェとの戦闘自体を忌避したいと考え、どうにかして降伏勧告を受け入れさせようと模索している最中なのである。 自分たちの側から攻撃を仕掛けるなど以ての外。 仮に手心を加えて生け捕りにしても、力任せに組み敷いた時点で一巻の終わりだ。 例えどのような美辞麗句を並べ立てても、そこにはもう何の説得力も生まれなくなるだろう。 守孝は佐志軍の暴発を避ける為に歩兵隊、銃砲隊に後列へ下がるよう命じた。 何倍もの軍勢で取り囲むと言う現状のままでは、相手に銃口を突きつけながら交渉をしているのと同じこと。 少しでもディアナたちの心へ寄り添い、落ち着かせようと試みた次第である。 守孝、源八郎、源少七の三人は居残っているものの、今やエトランジェと対峙するのは、 数十にも満たない遊撃部隊のみだった。 前線に躍り出たレイチェルが何の指示も出さなかった為、 第三陣の術師隊も戦列には加わっていない。それどころか、殆ど放置状態である。 不明瞭な状況を確かめる為にわざわざ前線まで出張ったホゥリーは、 そこでディアナたちアルバトロス・カンパニーの姿を発見し、 またアルフレッドとニコラスのことをヒューから聞かされて仰天したものの、 やがて苦み走った顔で鼻息を噴き出した。 「……タイミングもグッドにエンカウントするなんて、イシュタルの思し召しか、フェイトってヤツかネェ。 ザットなめんどくせ〜ものには、極パワー関わらナッシングにしてきたんだけどネェ……」 ゼラールとは別の意味で傍若無人なホゥリーですら憂色に沈んでいると言うのに、 ただひとり撫子だけは平常運転だ。 一同の悲痛な様子を笑い種としか見ていない彼女は、 灼けた砂の上を転げ回りながらゲラゲラとバカ笑いし続けている。 「ギギギ……ギギギィィィィィィ――自分を害虫呼ばわりとはシャレが効いてるじゃねーかッ! だがよぉゥ、てめぇら、マジで害虫なの? 毒虫なのォ? ちっげ〜じゃん、ちっげ〜だろ。 てめぇらみてーのを、寄生虫って言うんだよぉゥ! ギギギ――早めに殺虫しね〜となァッ! なんだっけ、一匹見つけたら千匹いるってヤツぅ?」 ――そして、両陣営の膠着に埒を開けたのは、嘲り混じりで撫子が口走ったこの悪言だった。 両陣営から無視されていた人間が事態を左右することになるとは皮肉な話だが、 両陣営に等しく起こったどよめきを背に撫子へ駆け寄ったタスクは、彼女の胸倉を掴んで引き起こすと、 その頬へ一切の容赦もなく平手打ちを見舞った。 たった一度きりの平手打ちだが、撫子の暴挙を食い止めるには十分な威力を秘めており、 事実、頬を張り飛ばされた本人のみならず佐志側の誰もが絶句してしまった。 撫子を止めようとした源八郎は、振り返るか振り返らないかと言う微妙いや珍妙な格好で固まってしまい、 源少七から「何をしてるんですか、親父殿」と声を掛けられるまでの間、 その無茶な姿勢のままで身心ともに緊張を強いられることになった。 誰よりも衝撃を受けたのは、やはりマリスであろう。 戦闘ならばいざ知らず、他者の頬を平手打ちする姿など今まで一度も見たことがなく、 肩で息をしつつ撫子へ激情をぶつけるタスクに恐怖すら覚えた程である。 恐れ戦いて仰け反ってしまったマリスを気遣い、その双肩へ手を伸ばそうとするフィーナだったが、 続いて轟いた怒号に彼女自身も気圧され、顔を引き攣らせて立ち竦むしかなかった。 「あなたはご自分が何を言ってしまったのか、何をしてしまったのかを解っているのですかッ!? 恥を知りなさいッ!」 何をされたのか、何を言われたのかさえ理解できず、呆けた顔で立ち尽くしていた撫子だったが、 時間を置いて訪れた頬の鈍痛によって全てを悟ると、突如として面から一切の表情を消してしまった。 仮に表情と言うものを鏡面に浮かぶ蒸気の曇りと例えるならば、 布きれか何かで一片残らず拭い取られてしまったようなものである。 鏡面に例えられた撫子の面は、今、如何なる感情も映してはいない。 胸倉を締め付けるタスクの手を強引に振り払った撫子は、「……落ちるわ……」とだけ言い残し、 そっぽを向いて後方へと引き下がっていった。 「……どうせ俺ぁ負け犬ですからねぇー……。……勝ち組の皆々様で好きにやってちょうだいよ……」 取り返しのつかない状況にまで引っかき回しておいて、興味が失せた途端、無責任に投げ出してしまうとは、 いよいよもってまともな神経の持ち主とは思えず、自分で責任を持つようタスクも厳しい叱責を飛ばしたのだが、 モバイルいじりへ没入し始めた撫子の耳には如何なる声も届かないだろう。 良かれ悪しかれ、対話を行う上での最大最悪の障碍を遠ざけることにはなったものの、 撫子が背中を向けたときには、既に何もかもが手遅れだった。 歯噛みして面を歪める守孝の視線の先には、はち切れんばかりに殺気と憎悪を滾らせるエトランジェ―― 想定し得る最悪の事態がそこには在った。 「――逃すと思うかいッ! あンたみたいのをひとり残らず退治する為にあたしらはここまで来たンだッ!」 振り返りもせずに去っていく撫子の背中へ怒りを爆発させたディアナは、 ドラムガジェット――ガントレットを大地に叩き付け、衝撃でもって砂塵を巻き上げた。 最早、後戻りは出来ない。エトランジェの誰もが玉砕覚悟で得物を構えているのだ。 迷いを吹っ切るように酒瓶を呷るトキハも、特大のバズーカランチャーを肩に担いだボスも―― 佐志軍と対峙した誰もがディアナと同じ炎を瞳に宿していた。 ことここに至った以上、合戦は免れないと判断した守孝は、後列に下がった歩兵隊と銃砲隊に対し、 「何があっても手出しはならぬぞ! その旨、カザン殿にも伝えるべしッ!」と号令。 兵力の拮抗する遊撃部隊のみで戦うことを宣言した。 「あたしにゃ守らなきゃなンないもンがあるンだッ! 命に替えてでもッ! 絶対に負けらンないンだよッ!」 悲しげに頬を震わせるレイチェルだったが、ディアナの怒号に鼓膜を打った瞬間、 意を決し、ジャマダハル、グロリアス・キャンデレブラムを構え直した。 その剣尖が向けられた相手は、今まさに砂の大地を蹴って猛進を開始したディアナである。 (どうして――どうしてこんなことになっちゃうのッ!? こんなのってないよ……ッ!) 指先の震えがどうしても止められず、やっとの思いでSA2アンヘルチャントのグリップを握り締めるフィーナだったが、 その銃口をディアナたちに向けることはどうしても出来なかった。 ……出来るわけなどなかった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |