9.宿命の対決


 これで何度目を数えるのであろうか――ホウライとヴァニシングフラッシャーの撃ち合いから始まった宿命の対決は、
今なお両者が見(まみ)える前方の空間に稲光の如き烈光を生み出し続けていた。
 狙いをつける角度や距離を細かく変えつつも矢継ぎ早に飛び道具を撃ち合い、
その都度、ホウライもヴァニシングフラッシャーも爆ぜて散っている。
両者ともに最初の有効打を狙っているのだが、せいぜい流れ弾が頬や四肢を掠める程度で決定的なダメージには至らず、
ともすればお互いを牽制するばかりの小競り合いとなりつつあった。

「チッ――小技を出し合って、何の意味がある……ッ!」
「同感だ。……やってやるぜッ!」

 これではいつまで経っても形勢を動かすことは出来ないと見たアルフレッドは、
ガンドラグーンの砲門が自身へ向けられた瞬間に横へ跳ね、更に一足飛びでニコラスとの間合いを詰めに掛かった。
 懐に潜り込もうと言うアルフレッドの狙いをニコラスは先んじて見抜き、すぐさまバイクモードにシフトさせたガンドラグーンへ跨ると、
果敢にも迫り来るアルフレッドへ突撃。続けざまにドラッグヴェイパーを起動させて瞬間的に速度を跳ね上げ、
アルフレッドと馳せ違う瞬間に鋼鉄のグローブを振り抜いた。

「騎兵隊気取りじゃねぇけどよッ!」

 自分を轢き殺しに来たものとばかり考えていたアルフレッドは、不意打ち気味に突き込まれた右の拳を、
半身を逸らせて回避し、駆け抜けた先で急旋回するニコラスに向かって「小賢しい真似を!」と
憎々しげに吐き捨てたアルフレッドは、罵声に続いて左右の掌に新たな光弾を作り出した。
 またしても猛進してくるニコラスをシートから射落とそうと言うのだろう。
爆音を上げるガンドラグーン目掛けて左右三回つまり六発分の光弾をアルフレッドはニコラスへと投擲した。
 このようにして猛烈な勢いで突っ込んでくる相手は、止まっている的よりも仕留め易い――
そうアルフレッドは鼻で笑ったのだが、あくまでもそれは動きが全く単調である場合か、あるいは比喩的な言い回しである。
 アルフレッドに迫り来る相手は、片手乗りをも難なくこなす程にこなれたテクニックの持ち主。
どのような角度から光弾を撃ち込まれても危なげなく回避し、逆にアルフレッドの死角から鋼鉄のグローブを突き入れる。
 優れた騎士がランスを繰るかのような美麗さすら感じさせるニコラスの速攻は、
鋼鉄のグローブ自体が一個の弾丸と化しているに等しく、
またドラッグヴェイパーを用いた緩急自在の速度調整にはアルフレッドも難儀し続けている。

「――だが、いつまでも同じ手が通用すると思うなッ!」

 ようやくアルフレッドの五感が変則的なガンドラグーンのスピードに慣れ始めたのは、通算にして五度目の突撃のときである。
 徐々に感覚神経をドラッグヴェイパーに慣らしていったアルフレッドは、
ニコラスが五度目の突撃してきた際にはぎりぎりまで引き付け、
すれ違うか否かのところでニコラスの左腕と自分の腕とを絡めた。正しくは、搦め取ったと言うほうが良いだろう。
 交差させた自身の右腕でニコラスを強引にシートから振り落としたアルフレッドは、
投げ出された拍子に全身をしたたか打ち据え、くぐもった呻き声を上げる彼に一歩ずつ間合いを詰めていく。

 追い討ちを警戒したニコラスは、身を引き起こしながら呼気を整え、
左の肩をグルグルと勢いよく回してアルフレッドを牽制した。
 これは、今しがたの交差によって痛めた腕の調子を強引に整える措置でもある。
筋肉の緊張をほぐし、少しでも痛みを和らげようと言うのだ。
 回転する左腕を見て肉弾戦への移行を勘違いしたアルフレッドは、
相手の出方を窺うように足を止め、これがニコラスのチャンスとなった。
 アルフレッドと睨み合いを演じるニコラスだが、同時に彼の瞳は砂上に投げ出されたガンドラグーンをも捉えている。
 ドライバーを失ったガンドラグーンは間もなく横転し、勢いよく砂上を滑っていったのだが、
その道程にて砂が盛り上がり、一種のクッションとしてガンドラグーンを包み込んだ為、
ニコラスから幾らも離れぬ場所で堰き止められたのである。
 思わぬ幸運に恵まれたニコラスは、丸腰でアルフレッドと相対する事態を辛くも脱した。

 絶好のチャンスを逃した不覚に苛立ち、固く拳を握り締めながら突進を再開したアルフレッドに対して、
ニコラスは拾い上げたガンドラグーンから迎撃の光線を見舞った。
 アルフレッドを迎え撃つのは、エネルギーを拡散させ、広範囲を一度に攻撃するスプレットフラッシャーである。
 広範囲へレーザーの束を見舞うスプレットフラッシャーではあるが、アルフレッドが直撃を被るとはニコラス当人も思っておらず、
言わば彼を足止めする威嚇であった。
 隙あらば接近を試みるアルフレッドの動きを拡散レーザーでもって牽制し、その間に後方へと跳ねたニコラスは、
改めて高出力のヴァニシングフラッシャーを放った。

 水平に放射される光線の裏を掻こうと言うのか、身を屈めてガンドラグーンの有効射程範囲を避けたアルフレッドは、
ニコラスの足元まで滑り込むや否や、砂地に背をつけるようにして寝転び、両足をバタつかせるようにして無数の蹴りを繰り出した。
 かつてフツノミタマをも脅かした、『リバースビートル』と呼ばれる蹴り技だ。

 ローアングルから腹や脛などをしこたま蹴り付けられたニコラスは、堪りかねて身を傾かせた。
 その様を見て取ったアルフレッドは、上半身のバネを総動員して跳ね起きると、
両手を熱砂の上に突き、これを軸にして両足を振り回し始めた。
 自身を独楽に見立てて回転蹴りを放つ『アウトプットピボット』にてニコラスの足を払ったアルフレッドは、
横転した拍子に彼の手から滑り落ちたガンドラグーンを思い切り蹴飛ばした。
 ガンドラグーンを遠方にまで滑らせ、ニコラスの“牙”を折ろうと言うハラであろう――が、
またしても砂のクッションが砲身を受け止めてしまい、これが為にアルフレッドが期待する程の距離を進むことはなかった。

「こう言うときに日頃の行いが出るんじゃねぇのか?」
「黙れッ!」

 危機一髪、ガンドラグーンが手近に残ったことを見て取ったニコラスは、卑怯を承知でアルフレッドの顔面に砂を浴びせかけ、
たじろいだ彼の腹を先ほどのお返しとばかりに思い切り蹴り付けた。
 双眸を襲った砂と腹部へのダメージで更なる後退を余儀なくされたアルフレッドを目端に捉えつつ、
再びガンドラグーンを拾い上げたニコラスは、その砲門を狙うべき――否、決着をつけるべき標的に向けた。

「……所詮、卑怯者は卑怯者か。やることがいちいち悪辣だな」
「何と言われようが平気だぜ。これ以上、堕ちれるもんでもねぇしよ」
「ほざくな、愚物が!」

 ようやく視界を取り戻したアルフレッドは、口内に紛れ込んだ砂と共にニコラスへの嫌悪を憎々しげに吐き捨てた。
 一撃一撃に渾身の力を注ぐアルフレッドに応じるべく、ニコラスは持ち得る限りを尽くして立ち向かっているのだ。
卑劣、卑怯と罵られても、ありとあらゆる手段を講じて闘わなければならなかった。

(間合いを離して闘えば互角の勝負に持ち込めると思ったが、……世の中、そう上手くは行かねぇもんだ)

 ローガンに伝授を頼み込む姿は目撃していたものの、よもや本当にホウライを体得しているとは思いも寄らなかったニコラスは、
開戦当初こそ虚を突かれたものの、それから間もなくアルフレッドが身に纏う蒼白いスパークにも順応し始めた。
 基礎的なフィジカルで大きく差を付けられているニコラスではあるものの、
勝手知ったる相手だけに慣れてくれば対処の手立てもすぐに思いつく。

 通常通りの出力で放つと小回りが利かず、
アルフレッドに指摘された通りの単純にして単調な攻め方になってしまうガンドラグーンの弱点を熟慮・工夫し、
出力を抑えて連射を可能とした『スポットフラッシャー』を乱発することで弾幕を張ったニコラスは、
インファイト中心の彼を巧みに牽制した。
 スポットフラッシャーはエネルギーの奔流とは言い難く、ハウザーJA-Ratedのような光弾程度しか撃つことができないが、
間合いを詰めない限り全ての力を発揮しきれないアルフレッドには相当に厄介である。
 ホウライを球状に凝縮して投擲する――『キャノンボール』をアルフレッドも編み出してはいるが、
アウトレンジの射撃に於いて一日の長があるニコラスとは命中精度に開きが出るのだ。

 インファイトに入ればアルフレッドが有利、アウトレンジを維持できればニコラスの有利――
寄せ付けないよう光弾をバラまくことで牽制し、その弾幕の中へ四肢に狙い定めた精密射撃を織り交ぜるという緩急付けた戦法は
形勢をニコラス有利に傾けている。
 スポットフラッシャーの弾幕に焦れたアルフレッドは、逆にニコラスの油断を誘うべく翻弄するように飛んで跳ね、
その間に掌に作っておいた光弾を空中で蹴り出した。
 高空から撃ち出された光弾は直撃こそしなかったものの、ニコラスの足元で砂塵を巻き上げ、彼の双眸へ襲い掛かった。
咄嗟に鋼鉄のグローブで顔面を覆い隠し、視界を閉ざされることだけは防いだのだが、そこに隙が生じた。
 アルフレッドがニコラスの背後へ回りこむには、その一瞬だけで十分だった。

「先に言っておいたことが現実になったな。チョロチョロと逃げ回っていて、何が決着だ……笑わせる!」

 相手の死角から延髄目掛けて鉈の如き切れ味の脚を振り落とす『スプリットボーザッツ』は、
常人であれば回避も防御も困難な大技である。
 しかし、アルフレッドと言う人間を良く知るニコラスは、この蹴り技にも完全に反応した。
 出力を抑えたヴァニシングフラッシャーを熱砂に向かって速射し、これによって得られた反作用で延髄斬りを回避して見せた。
 着地するなり返す刀でラピッドツェッペリン――連続回し蹴りによる追撃を試みるアルフレッドに対し、
ニコラスは直前に披露した回避と同じ要領で反作用を得、これを攻撃力に転化して応じる。
 すなわち、エネルギーの放射をアフターバーナーに見立て、肩口からぶつかっていくタックルだ。
 足元でホウライを爆発させて推進力に換えたアルフレッドと、ヴァニシングフラッシャーを推進力とするニコラス――
手段の違いこそあれ、凝らした工夫はどこか似通っており、要領の酷似する突進は互いの力勝負へ決着を持ち込んだ。

「勝ち目の無い肉弾戦に挑む。あんなに安い挑発に乗るか」
「挑発に乗ったわけじゃねぇさ。挑戦だよ――決着へのッ!」

 こうなるとさすがにニコラス不利である。
 アカデミーで本格的な訓練を積み、更に多くの実戦で肉体的にも精神的にも鍛え上げられたアルフレッドと、
クリッターとの遭遇戦、それも自衛の域を出ないような戦いしか経験していないニコラスとでは
迫撃において大きな差が開くのは当然と言えよう。
 一足飛びから連続蹴りへ繋げると言うラピッドツェッペリンの性質上、体勢がどうしても不安定になってしまう。
そのままでは矢の如く飛び込んでくるタックルに競り負けると判断したアルフレッドは、
空中で身を丸め、向かい来るニコラスに体ごとぶつかる手に出た。
 ホウライ起爆の勢いは減殺されてしまったが、代わりに力勝負で競り負けない安定した姿勢と耐久性を得たアルフレッドは、
ものの見事にニコラスのタックルを跳ね飛ばし、高空に身を躍らせた彼の脇腹をオーバーヘッドキックで更に打ち据えた。

 自由の利かない空中で二度、三度と身を翻す動作は実戦向けの訓練を受けたアルフレッドならではであり、
ガンドラグーンに依存しなくては攻撃手段さえ持ち得ないニコラスには真似もできない。
 フィジカルの強さだけでなく咄嗟の判断力、機転、応用力にも経験の差が出た恰好だ。

「だからって――諦めるものかぁッ!!」
「何ッ!?」

 熱砂の大地へ頭と言わず身体と言わず思い切り打ち付けられたニコラスだったが、
意識くらいは飛んだものと見立てていたアルフレッドの予想を覆し、唇から伝う血が蒸発するかのような咆哮と共に
ガンドラグーンを構え直した。
 痛みに悲鳴を上げた全身は起き上がることを許してくれないが、仰向けに寝転んだままであっても狙いを定めることはできる――
ガンドラグーンの砲門は、急降下を加えた一撃でトドメを刺そうと再び飛翔したアルフレッドをド真ん中に捕捉していた。

「そんなもので俺を止められると思ってくれるなよッ!」

 最大出力で放射されたヴァニシングフラッシャーの奔流がアルフレッドを呑み込んでいった…が、
アルフレッドは我が身を押し流さんとするエネルギーの流れに敢えて逆らった。
 後ろに回した両掌でホウライを起爆させるなり、それを推進力にニコラス目掛けて再び突進を敢行したのだ。
 砲門の近くに進めば進むほど、血肉焼くダメージをより多く被ることになる。
そんなことは子供でも理解できる道理であり、自虐以外の何物にも思えぬ道を突き進むことはとても正気の沙汰とは思えない。

 あまりの無謀ぶりに唖然と固まるニコラスは逆流の道を進みきったアルフレッドを正面から迎え、
言葉を掛けようとした瞬間に腹部へ凄まじい鈍痛を覚えた。
 痛みの直後、喉もとまでこみ上げて来た胃液を必死に押し戻しながら、
腹部に視線を巡らせたニコラスは自分の身に何が起こったのかを理解し、またしても固まる。
 ホウライを推進力として突っ込んできたアルフレッドが、原始的にも頭突きでもってニコラスの腹部を痛打していたのだ。

「――これで終わりだっ!」

 思いがけない強撃をぶちかまされ、意識を朦朧とさせるニコラスの胸元を貫かんとアルフレッドは鋭い手刀を繰り出す――
かに思われたが、何を思ったのか、アルフレッドは途中で水平の手刀を握り拳へ固め直し、
あまつさえ致死の狙いを外してニコラスの鳩尾を張り飛ばした。
 確実に殺せるチャンスを、アルフレッドは自分自身の判断で潰していた。

「何やってんだよ、お前らしくもねぇ。なんかみっともねーぞ」
「……煩い、黙れ。勝つために手段を選ばない。ただそれだけだ」
「物は言いようだな」

 ローガンにつけられた稽古の内容を知らないニコラスは、アルフレッドの戦い方と言えば優等生的なものしか思い浮かばず、
いつの間にこんな野蛮な攻撃方法を体得したのかと思わず苦笑いを浮かべた。
 無理な体勢から頭突きに繋げた上に強引に追撃の手を変化させたことが祟り、
バランスを崩して無様にも熱砂へ横転したアルフレッドの滑稽さには、苦笑いこそが似つかわしい気がする。


 そんな苦笑いが当てこすりのように映ってしまう程、アルフレッドの面に浮かぶ戸惑いの色は濃い。
 どうして手刀を引っ込めてしまったのか。怨敵の命を絶つことを躊躇ってしまったのか――
自分で自分の行動が理解出来ず、酷く狼狽えているのだ。

 物言わずアルフレッドから間合いを取り、彼が次にどう動くかを窺うニコラスの面にも大きな変化が訪れていた。
 アルフレッドのように狼狽を表しているわけではない。また、彼の行動に戸惑っているわけでもない。
 何かを期待するような眼差しがニコラスからアルフレッドへと注がれていた。
 他のエトランジェと同様にニコラスの面は生気と言うものが薄い。血色も悪く、頬とて痩けているようにも見える。
彼の面にはエトランジェの強いられた苦境が滲み出しているのだが、それにも関わらず、
眼差しだけは希望に満ちている。眩しいばかりの輝きを放っている。
 万全の状態で臨戦しながらも紫色の唇を震わせ、忙しなく瞳を揺らしているアルフレッドとは真逆の様である。

「………………」
「………………」

 砂塵が頬を撫で、風の音が鼓膜を打ち続ける中、戸惑いと期待、ふたつの眼差しが重なり合う。
 自身を駆け抜けた意味不明な衝動に平常心を掻き乱され、懊悩と葛藤に苛まれていると言うのか、
次第にアルフレッドの息は荒くなっていく。

「――煩い、黙れッ!」

 アルフレッドが破れかぶれのように砂の大地を蹴ったのは、荒い吐息が頂点に達したときだった。
 足下にてホウライを爆発させ、これによって推力を得たその動きはあまりにも鋭敏で、
ニコラスがガンドラグーンを構えたときには、彼の鼻先にまでアルフレッドの蹴足は迫っていた。
 電光石火の飛び前回し蹴りでこめかみを無防備の内にブチ抜かれてしまい、
堪らずよろめいたニコラスの喉笛を今度は足刀が直撃。
立て続けに人体急所を強打されたニコラスは、一瞬、目の前が真っ暗闇に閉ざされそうになった。

「――いいや、黙らねぇッ! ここで黙ったら、全てが終わっちまうぜッ!」

 今にも吹き飛びそうな意識を、歯を食いしばって引き留め、ギリギリの所で踏み止まったニコラスは、
返す刀でパルチザン――最も得意とする後ろ回し蹴りを繰り出そうとするアルフレッドの足下に向けて、
ダメ押し気味にヴァニシングフラッシャーを放った。
 エネルギーを迸らせながら砲身を振り回し、横へ薙ぎ払うようにして光線の軌道を曲げると、
自然、パルチザンの軸足を脅かす恰好となる。ガンドラグーンを巧みに操り、
アルフレッドの足を直接狙うのではなく、踏みしめる砂地を抉って体勢を崩させたニコラスは、
彼の肩を渾身の力で踏みつけ、これをバネにして後方に跳ね飛んだ。

 一気に間合いを離された上、変則的な足払いまで喰らわされたアルフレッドは、
よろめいて砂地に両手を突いてしまった……が、この程度で屈するほど彼もヤワではない。
 ホウライを爆発させ、視界を遮るブラインドでも作ろうと言うのか――
接地したままの両の掌でもって砂塵を巻き上げたアルフレッドは、続けてホウライの光弾を左右に一発ずつ作り出し、
片方を斜め上から振り落とすようにして投擲し、もう片方をサッカーボールの要領でシュートした。
 時間差、角度の変化をつけてニコラスを翻弄するつもりなのだろう。
空を裂いて翔け、今まさにニコラスを捉えようとした矢先、右の掌より先んじて射られた光弾を左脚でシュートした分が追い抜いた。
これもまたフェイントの一手であろうが、ニコラスは焦ることなくスプレッドフラッシャーを拡散発射し、
二発の光弾を同時に相殺させてことなきを得た……かに見えた。

 彼の背後にて急に砂塵が逆巻いたのは、反撃のスポットフラッシャーを構えた直後のことである。
 何事かと振り返れば、そこにはホウライの光弾が二発――どう言う経緯かは知れないが、
先ほど掻き消した筈の光弾が背後からニコラスへ襲いかかろうとしていた。

(違ェ! これは……ッ!)

 そう、違う。ニコラスの放ったスプレットフラッシャーは確かに二発分の光弾を消失せしめていた。
今、ニコラスに迫っている光弾は、それより先に撃たれたものなのである。
 先ほどアルフレッドが見せた意味不明な挙動の正体をニコラスが悟ったのは、まさにこの瞬間だった。
 接地した掌で砂塵を巻き上げたのは、防壁やブラインドなどではなかったのだ。
勢い良く砂中へと送り出された光弾は、土竜の如く地底を掘り進み、
ニコラスに油断が生じた瞬間を狙って飛び出してきた次第であった。

 アルフレッドの試みた奇策を評する余裕など今のニコラスには残されていない。
 回避も防御もままならず、無防備に近い状態で背を、それも肋骨の裏側や肝臓の位置を強撃されたニコラスは、
一瞬、息を詰まらせて体を折り曲げ、そうしている間に間合いを詰めてきたアルフレッドから鳩尾へと膝蹴りを喰らわされた。
 膝を突き上げる間際に足元でホウライを炸裂させた形跡があり、ガードも何もないまま直撃を被ったニコラスは、
肋骨を鋭い痛みで苛まれ、続いて込み上げてくる吐き気との格闘を余儀なくされた。
 アバラが折られたのではないか……と、想像を絶する痛みに耐えるニコラスだったが、
アルフレッドは鳩尾に突き入れた膝によって彼の上体を持ち上げられ、頭上で組んだ両手の拳をトドメとばかりに振り落とした。

「……がッ、……うぁッ――」

 背を直撃した両の拳と膝とで身体を挟み込まれ、髄をも揺さぶる衝撃に叩きのめされたニコラスは、
ついに膝を突き、そのままうつ伏せに崩れ落ちた。
 吐血混じりの咳を何度となく繰り返す辺り、痛恨のダメージを被ったのは間違いない。
 なおもアルフレッドは攻勢を緩めない。鋼鉄のグローブで固められた右手よりガンドラグーンをもぎ取ると、
二の轍を踏まぬよう足を使わずに遠方へと投げ捨てた。……今度こそニコラスの“牙”をへし折ったのだ。
 念には念を入れ、ガンドラグーンが落下したのとは反対の方向へニコラスを蹴飛ばしたアルフレッドは、
度重なる脇腹へのダメージに悶絶する彼の髪を掴み、力任せにその上体を引き起こした。

「どう言うつもりだ、何をヘラヘラと……とうとう頭がイカれたか」
「悪ィな、頭はここ最近で一番冴えてるぜ。……お前にもすぐにわかるさ、オレが何を――」
「――お前と同じことを考えるなど、想像しただけでも怖気が走る」

 なおも期待の光を消さない瞳を忌々しく思ったのだろう。
面に宿る感情(もの)を全て否定するようにニコラスの顎を右の拳で突き上げたアルフレッドは、
受け身を取ることもままならず砂上に転がる彼を「何を望んでいるのかは知らないが、お前の望みなど最初から絶たれている。
お前のような裏切り者に女神の加護があると思うな」と唾棄した。
 心を抉る言葉をわざわざ選んで浴びせかけるアルフレッドではあるが、冷静な選択とは裏腹にその呼気はやはり荒く、
拳を繰り出す度、罵声を搾り出す度に動揺が深まっているのは確かなようだ。
 霧中の森を彷徨うかのように瞳を揺らがせ、頬を震わせるアルフレッドの姿は、
狂気と呼ぶにはあまりにも憐れであった。

 アルフレッドの狼狽を確かめたニコラスの口元は、満身創痍でありながらも苦痛に歪むことはなく、それどころか喜びに綻んでいる。
 笑気宿る口へと左の親指、人差し指を咥えたニコラスは、そこに呼気を通して笛のように音を鳴らした。
 彼の意図を計り兼ねて眉間に皺を寄せたアルフレッドだったが、猛禽類の如く鋭くなった双眸はすぐさまに見開かれることになる。
先ほど奏でられた笛の音へ共鳴するかのように後方でけたたましいエンジン音が轟いたのだ。
 見れば、バイクモードのガンドラグーンがひとりでに立ち上がってこちらへ向かって爆進してくるではないか。
 バイクの走り始めた地点は、間違いなくアルフレッドが放り投げた先であるが、
しかし、彼が最後に確認したときにはバズーカモードだった筈だ。
 首を傾けかけたアルフレッドは、よろめきながらも自信に満ちたニコラスの面と、彼が先ほど鳴らした口笛にその答えを見出した。

「自動操縦! 小癪な真似をしてくれる……ッ!」

 今度こそ標的をはね飛ばさんと一直線に突撃してきたガンドラグーンを辛くも避けるアルフレッドだったが、
さすがに数手先まで攻防を考慮する暇はなく、結局、ニコラスに形勢を立て直すチャンスを許すことになった。
 身を引き摺りながらもガンドラグーンのシートに飛び乗ったニコラスは、停まることなくスロットルを全開にし、
砂塵を巻き上げながら再びアルフレッドへと向かっていった。

 直接、車体をぶつけてくるのか、それとも、鋼鉄のグローブを突き入れてくるか――
二者択一の攻め手を見極めるべく、アルフレッドはギリギリまでガンドラグーンを引き付けていたが、
その裏を掻くかのようにしてニコラスは前輪を高く上げ、いわゆるウィリーの姿勢を作ったままドラッグヴェイパーを起動させた。
 これによってロケットのように天高く飛翔したニコラスは、中空にてバイクの重量を巧みにコントロールして車体を縦回転させると、
再びドラッグヴェイパーのスイッチを入れた…が、今度は推力を得るのが目的ではない。
バイクの後部から放出されるエネルギーを縦一文字に振り抜き、これを一種のレーザーブレードに見立てて斬撃を見舞おうと言うのだ。
 
 脳天を叩き割るようにして襲い掛かるレーザーブレードを小手で受け止めようと試みるアルフレッドだが、
K・kが用意した装備には光学兵器への対策など施されておらず、刃先がほんの少し触れただけで表面が焼け焦げ、
何とも例えようのない異臭が鼻を突いた。
 このままでは腕ごと焼き切られると判断したアルフレッドは、ここには居ないK・kに向かって「あの役立たずめッ!」と毒づき、
同時に半身を逸らしてレーザーブレードを避けた。回避行動の最中に腰を落として地を踏み締めたのは、
身動きの取れないニコラスを対空の一撃でもって撃墜する為である。
 このとき、既にニコラスはガンドラグーンのバズーカモードへのシフトを完了させており、
アルフレッドに先んじて対地攻撃を仕掛けようとしていた。奇しくも、対地と対空の技が真っ向からぶつかり合う恰好となったわけだ。

「受けて立つぜ、アルッ! 勝負だッ!」
「戯言を抜かすなッ! 最初から勝負になどなるものかッ!」

 ガンドラグーンの砲門からは降り注ぐ無数の光弾に打たれながらも決死の覚悟で跳躍したアルフレッドは、
後方へ宙返りするようにして右の爪先を振り上げ、ダメ押し気味にニコラスの顎を蹴り飛ばした。
 『サマーソルトエッジ』と呼ばれる蹴り技を負傷した顎に食らったニコラスと、
スポットフラッシャーの連射によって全身を焼かれたアルフレッド――双方が被ったダメージは決して甘いものではない。
共に中空で身を翻し、隙を生じさせずに着地したものの、熱砂を踏み締めたときに僅かによろめいてしまった。

 気力一つで踏み止まったアルフレッドは、小手に限らず使い物にならなくなった半首、プロテクターを剥ぎ取ると、
狼のように身を屈めながらニコラスの懐へと滑り込み、全身の力を伝達するようにして右の拳を突き入れた。
 全身の筋力を完全に覚醒させ、これによって生じた破壊力を一点に集中して打ち込む『ワンインチクラック』だ。
 密着状態からでも敵を吹き飛ばす程の破壊力を誇るワンインチクラックをガンドラグーンの側面でもって受け止め、
直撃を免れたニコラスは、舌打ちをするアルフレッドが身に纏ったコートの裾を掴み上げ、力任せに引っ張った。
 当のアルフレッドは抗うことなく力の働く方向へと身を任せている。そうしてニコラスの身のこなしを見極め、
隙が生じたところへ再びワンインチクラックでも撃ち込む腹積もりなのだろう。

 だが、その胸算用もまたニコラスにはお見通しだった。
 コートの裾を引っ張りながらガンドラグーンの砲身を跳ね上げたニコラスは、アルフレッドの顎を強か打ち据えたのである。
 変則的なアッパーカットで虚を突かれたアルフレッドの脇腹にニコラスはなおもガンドラグーンの砲身をぶつける。
両の頬、こめかみ、肩――インファイトに長じるアルフレッドが相手では全てを直撃させることは難しいが、
“バズーカの砲身”と言うリーチを生かし、彼の腕が届かない位置からニコラスは殴りかかっていった。
 ……それは、バズーカを得物とする人間にはあるまじき使い形だ。
 このような真似をしたなら砲身は歪み、照準も合わなくなるだろう。
損傷が内部にまで及んだ場合、ヴァニシングフラッシャーを撃った瞬間に暴発する危険性すら生じてしまうのである。
 それでもなおニコラスはアルフレッドに立ち向かっていく。胸中にて相棒へ謝りながらも無茶な攻め手を止めようとはしない。
 彼の手は、今なおアルフレッドのコートをきつく掴んでいた。

「――煩わしいと言っているのがわからないかァッ!」

 身のこなしを阻害されるのが癪に障ったのか、それとも別な理由があって過剰反応しているのかは知れないが、
怒号を破裂させたアルフレッドは、ニコラスの手を振り払うようにして彼の脳天へと右のカカトを振り落とした。
 斧鉞のようなカカト落としをまともに喰らい、顔面を流血に染めるニコラスの手からコートの裾は滑り落ちてしまった。
 だが、アルフレッドの表情(かお)は些かも晴れることがない。それどころか、自身の失態を今更になって悟り、
忌々しげに舌打ちする有様である。

 現在、ガンドラグーンはニコラスの左手に在る。その砲門はアルフレッドではなく熱砂の大地へと向けられていた。
本来ならば両手で扱うべきガンドラグーンを左手一本で構え、空いた右手を腰ダメに引いたニコラスは、
勇ましくも「やかましいくらいでなきゃ、お前は聴かねぇだろうがッ!」とアルフレッドに向かって吼え声を叩き付けた。
 言うや、発射させたヴァニシングフラッシャーを推進力に換え、矢の如き速度でアルフレッドへ突進したニコラスは、
最早、半首で守られることもなくなった彼の眉間へと右の拳を突き入れた。鋼鉄のグローブで固められた拳を。
 多少なりとも間合いが離れていれば、あるいは避けることも出来たであろうが、
殆ど密着に近い状態から超速で奇襲された為、防御の構えすらまともに取れないまま、アルフレッドは眉間を抉られてしまった。

 この一撃でアルフレッドが受けたダメージは、ニコラスとの闘いが始まって以来、最も深刻な物であった。
 脳天へカカトを落とされたニコラスの面は流血が顎の下にまで及んでしまっているが、
眉間を穿たれたアルフレッドも負けず劣らず惨たらしい。両者ともに顔中をドス黒い血糊で塗りたくられていた。
 ニコラスの場合は体内にまで達したダメージも深刻だ。
 本来、両手で抱えるべきバズーカを片手で制御しようなど無茶と言うよりも無謀な話であり、
彼は右腕に続いて左腕まで痛めてしまっている。
 アルフレッドが立ち上がるまでの暫時、柔軟を試みながら様子を見たものの、一向に痺れが取れる気配はない。
骨に異常はなかろうが、筋肉や靭帯を損傷してしまった可能性も排除できなかった。
 何よりも疲弊の度合いがありありと面に浮かんでいる。
 アルフレッドとふたりして肩で息をしているのだが、その振れ幅はニコラスのほうが遥かに大きく、
体力の残量が残酷な程に表れていた。

「……放っておいてもくたばりそうな顔をしているな」
「死相が出てるのはお互い様だろ。色男が台無しじゃねぇか。フィーナが見たら泣くぜ?」
「大きなお世話だ。……お前だって泣かせた奴がいるだろうが」
「ミストは強いからな。それにヒューさんもレイチェルさんもついてる。多分、いや、絶対に泣かねぇよ。
……泣いて貰えたほうが良いのかもしれねぇけどさ」
「俺は一言も誰かを特定した覚えはない」
「……イヤな野郎だぜ、ホント」
「自分に非道をなじる資格があると思うなよ」

 間合いを計りながら血で濡れそぼった面を見合わせるアルフレッドとニコラスは、どちらともなく薄い笑みを浮かべた。
何故か、心の奥底から笑みが込み上げてきていた。
 自分が笑んでいることに気付いたアルフレッドは、途端に当惑して目を見開いたが、
今度は心中に浮かぶ感情(もの)を拒絶しようとはせず、深く、けれども重い深呼吸を吐いて捨てた。
 ガンドラグーンがバイクにシフトしていく様をも黙って看過したアルフレッドは、
ホウライ特有の蒼白いスパークを右脚に纏わせ、そのままニコラスの一挙手一投足を注視し続けている。
 先ほどまでの乱打戦とは異なり、撃必殺の隙を見極めようと言うのだ。

「そろそろオレも限界でな。……マジで行くぜッ!」

 シートに打ち跨ったニコラスは、アルフレッドを中心に据えて円を描くようにガンドラグーンを走らせた。
自然、アルフレッドの周辺は砂塵の壁にて覆われる形となり、視界は一気に狭められた。
 砂塵の壁の向こう側からはガンドラグーンのエンジン音が飛び込んでくるものの、その勢いはこれまでになく大きい。
ドラッグヴェイパーを起動させているのは間違いなかろうが、
おそらくガンドラグーンが発揮し得る速度を最高まで引き出しているのだろう。
 アルフレッドの動体視力を以ってしても残像すら捉えることが出来ず、音を追いかけるのが限界である。

 砂塵の壁を裂いて横薙ぎにレーザーブレードが飛び込んで来たのは、そのときだった。
アルフレッドの周囲を回転しながらもその場で錐揉みをし、不意打ちを仕掛けているのだ。
 ドラッグヴェイパーはヴァニシングフラッシャーと同質の機能であり、
出力を最大まで上げたなら中・長距離をも射程に収めることが出来る。
 横一文字のレーザーブレードでアルフレッドを奇襲したニコラスは、錐揉み状態から横滑りで通常の経路に復帰し、
にわかに薄くなった砂塵の層を補強するべく再びアルフレッドの周囲で円を描き始めた。
 不意打ちのレーザーブレードは、それからも二度、三度と繰り返されたが、
アルフレッドはときに身を屈め、ときに飛び跳ねてこれを回避し、付け入る隙を探り続けている。
 右脚に宿るホウライのスパークは、今なお維持されていた。


 レーザーブレードではアルフレッドを仕留められないと悟ったニコラスは、
再び前輪を持ち上げてドラッグヴェイパーを起動し、上空へと一気に飛び上がった。
 最後はおそらく空中戦になるだろうと想定していたアルフレッドは、ニコラスが飛び上がったと見て取るや否や、
蒼白いスパークを纏わせている右脚で砂の大地を思い切り踏みつけ、それと同時にホウライを爆発、
ドラッグヴェイパーに倣うような恰好でニコラスを追いかけた。
 瞬間的な爆発力はホウライのほうがドラッグヴェイパーを上回ったようだ。
後から飛び上がったアルフレッドは、瞠目するニコラスを追い抜いて太陽を背にした。

 アルフレッドが自分よりも更に高い位置まで飛び上がったことに驚くニコラスだったが、
すぐさまにバズーカへとガンドラグーンをシフトさせ、スポットフラッシャーで弾幕を作り、
次いでスプレットフラッシャーで彼を迎え撃った。
 絶え間ない光撃で全身を焼かれるアルフレッドだったが、気迫一つで痛打に耐え切り、
身を翻してニコラスに反撃の浴びせ蹴りを喰らわせた。
 高い位置から振り下ろす強烈な蹴りでもって眉間を打ち据えられたニコラスは、
地上に向かって一直線に急降下していく――

「まだだァッ!」

 ――かに思われたが、落下する直前で最大出力のヴァニシングフラッシャーを地面に向かって発射し、
この反動を利用してニコラスは再び空中へと飛び上がった。

「アルッ――」
「――ラスッ!」

 中空にて視線を交えた両者は、これを合図にお互いが最も得意とする技で勝負を仕掛けた。
 すなわち、パルチザンとヴァニシングフラッシャーの真っ向対決である。
 接地による軸回転を得られぬ代わりに上半身のバネを総動員して繰り出されたパルチザンでニコラスは脇腹に、
アルフレッドは密着状態のヴァニシングフラッシャーで背にそれぞれ痛撃を被り、今度こそ砂上へと落下していった。

 相打ちで砂上に投げ出されたふたりは、苦痛と疲弊に震える身体を気合いのみで引き起こし、
吹き抜ける砂塵の向こうへ互いの様子を窺っている。
 とっくの昔にニコラスは限界を超えている筈なのだが、それでも決して屈することはない。
ガンドラグーンを支えにして立ち上がり、地面を踏みしめ、左目のみでもアルフレッドを見つめ続けた。
流血が入り込んでしまった右目は、今は痛ましく閉ざされている。

 決着の渇望が勝るのか、報復の衝動が勝るのか――滑稽なまでの肉弾戦にもつれこんだ二人の攻防は
血と砂にまみれた現在(いま)も結末が予想できない。
 何度となく強撃に見舞われた両者のダメージは激甚である。
 ただでさえ疲弊の激しかったニコラスは、頭部と言わず腹部と言わず、人体急所を幾度となく攻め立てられている。
対するアルフレッドもガンドラグーンの光線で被った裂傷が全身に及んでおり、眉間の負傷も深刻そうだ。
 互いに肩で息をしており、吐く呼気には赤黒いものが混ざってもいる。
 それでも、だ。そこまでのダメージを互いに受けながら、ふたりは戦いの趨勢を予想させない。

 魂の鬩ぎ合いにも見える闘いは、今や小手先の技術ではなく、心と心、魂と魂の激突である。
 全身全霊の末に立ち、最後まで己を貫いた者だけが勝利を宣言できる、遠く見果てぬ闘いだ。

「アル……」
「裏切り者に呼ばれるほど俺の名前は気安くないつもりだがな……」
「……どうしてトドメを刺さねぇ?」

 ――見果てぬ闘いへ新たな展望をもたらしたのは、……ふたりが進むべき道を開いたのは、やはりニコラスであった。

「………………」
「今のお前なら、俺を殺ることくらい簡単だろ?
今だって頭突き以外にも戦(や)り方があったはずだぜ」
「………………」
「……どうして、殺さねぇ?」
「………………」

 それは、戦いの最中、ずっと腑に落ちずにいたことである。
 タックルを跳ね返されて空中に投げ出されたときにも、ヴァニシングフラッシャーを突破されたときにも、
十中八九殺されるものとニコラスは覚悟を決めた…が、いずれも強撃を叩き込まれるのみで済まされ、今まで命を長らえている。
 それが、戦いの最中、ずっと腑に落ちなかったのだ。
 全身に浴びた返り血を見るに、アルフレッドは相当数の敵兵をホウライでもって殺傷してきたに違いなく、
今更、自分を殺すことに躊躇うはずも無かろうに……と。
 激烈な言葉とは裏腹に、アルフレッドから向けられる攻撃には殺意が宿っていない――
あまりにも自分に都合の良い、甘い希望とは思いつつも、その疑念をニコラスは拭い切れなかった。

「殺さなかったんじゃなく、殺せなかっ――」
「そんなにお望みなら、今すぐに殺してやるッ!」

 ついにニコラスが核心へ触れようとした瞬間、彼の瞳からアルフレッドの姿が掻き消えた。
 陽炎立つ熱砂の大地ではあるが、アルフレッド本人がそうした虚像と化したわけではない。
最後の力を振り絞ってホウライを発動させ、刹那のうちにニコラスの背後へ回っていたのだ。
 稲妻のような鋭敏さでアルフレッドの手刀がニコラスの喉笛を捕捉し――

「俺を侮っていやがるのか、お前……ッ!」
「信じてるんだよ、お前を」
「………………」

 ――けれど、ホウライの蒼白い燐光を帯びた死神の大鎌がニコラスの命を絶つことはなかった。
 ……あるいはホウライの研いだ大鎌を、アルフレッドはどうしても振り落とせなかったのか。

「………………」

 途端、アルフレッドの面へ波紋のように困惑が広がっていく。押し殺していた感情の波が彼を飲み込んでいく。
 首筋まで刃先を宛がいながらも“先”へ進めずにいる指先は、小刻みに震えていた。

『じゃあ、報酬を保険に換えるとするよ。俺たちが迷子になった時、しっかりナビゲートしてくれ、ラス』
『ったく、安上がりだなぁ――次からは慈善事業じゃなくて、ちゃんと金取れよ、アル』

 殺意を昂ぶらせれば昂ぶらせるほど、裏切り者へ報復を執行せんと猛れば猛るほど、
かつて交わした握手の余韻が指の先の末端にまで蘇り、死神の大鎌を留まらせる。
 かつて結んだ友情の軌が、超えてはならぬ一線をアルフレッドに踏み止まらせる。

『不思議な縁を与えてくれた女神イシュタルに感謝するよ。次の旅でも素晴らしい出逢いに恵まれますように』
『ああ、ありがとう。お前たちが帰るべき場所に帰れることを俺も祈る』

 どうしても……どうしても……どうしても……――
瞑目したまま無防備に佇むニコラスの首へ手をかけることができなかった。

(こいつは俺の敵で――でも……だが……――)

 親友を、故郷を、全てを奪ったギルガメシュの捕虜を逃がしたニコラスは“敵”なのだ――


 ――リィィィィィィン――


 ――怪異が訪れたのは、そのときだった。
 討つべき“敵”を手に掛けられず、それ故、周囲の情報すら取り漏らす程に狼狽していたアルフレッドの鼓膜が
どこからともなく聴こえてきた異音によって揺さぶられた。
 クリッターの咆哮でもなければ、ガンドラグーンのエンジン音でもない。
ガラスの鈴を打ち鳴らしたような不可思議な音が突如として熱砂の大地に響き渡ったのだ。

「アル、これは……」
「……バカな……何故……こんなときにばかり……」

 その音色の正体を、ニコラスは知っている。アルフレッドに至っては、地上の誰よりも自覚(わか)っている。
 自覚(わか)っているからこそ、ニコラスを貫こうとしていた手でもって胸元のネックレスを握り締め、
気まぐれの猫の如き哭き声を止めようと試みたのだが、アルフレッドの期待を裏切るかのように
不思議な音色は加速度的に強まっていく。
 アルフレッドが首から垂らすネックレスの中心には灰色の銀貨――鈍い輝きを放つその一枚が
異音を巻き取らす程に激しく律動しているのだ。
 その音色が、銀貨の律動が、……アルフレッドの戦慄が意味するところを理解したニコラスは、
「これも女神の思し召しってヤツかもしれねぇな」と鋼鉄のグローブで頬を掻いた。

 ニコラスの言った通り、運命のいたずらと言うものであろうか。はたまた、女神イシュタルの課した試練なのか。
 どうしても死神の大鎌を振り下ろせずにいるアルフレッドの胸元で灰色の銀貨が嘶き始め、
困惑に染まる面をヴィトゲンシュタイン粒子の光爆が飲み込んでいった。
 何物をも滅ぼし得るグラウエンヘルツが――最強の魔人とも言うべきアルフレッドのトラウムが、
このような状況で発動してしまったのである。

 ニコラスもグラウエンヘルツのことは周知している。
 マコシカの集落の遺跡に於けるクラーケンとの戦い、キャットランズ・アウトバーン――
これまでにも魔人への変身を幾度か目の当たりにしており、鳥肌が立つような恐るべき戦闘能力もニコラスは間近で確かめていた。
 ……そして、魔人の標的となった存在(もの)の末路も自覚(わか)っている。
 それでも彼は死の恐怖に屈して逃げることもなく、その場に留まり続けた。
望むべき決着をつけるには、魔人のもとを離れるわけにはいかないのだ、と。

 鳴きしきる灰色の銀貨がその律動を止め、光爆の余韻が霧散し、魔人の貌(すがた)が完全な形で現われてからも
アルフレッドは指先ひとつとして動かせずにいた。
 ニコラスを、許し難き“敵”を抹殺するのであれば、これはまたとないチャンスであろう。
普段は望んでも応じない灰色の銀貨がタイミング良く鳴き声を上げ、その身を魔人たるトラウムへと変えたのである。
 それにも関わらず、グラウエンヘルツは、……アルフレッドは次の手を選ぼうともしなかった。
 背中から張り出した『アンカーテール』で貫くことも、
あらゆる物質を消滅させてしまう『シュレディンガー』のガスで包み込むことも出来ず、
ただただニコラスを見つめたまま立ち尽くすばかり。

「おぉォ……お――ゥおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォォ――ッ!!」

 アルフレッドに出来たのは、やり場のない衝動を醜い吼え声にして吐き出すことだけであった。
ニコラスの背を見つめた瞬間(とき)、彼はそれ以外の選択肢を全て失ってしまっていた。
 吼え声と共に全てを吐き出してしまったとでも言うのか、燃え尽きたかのようにその場に崩れ落ちたアルフレッドは、
自身の両の掌を呆然と見つめ続ける。まるで掌から零れ落ちていったモノへと思いを馳せるように、
彼の双眸は震える指先を捉えて離さなかった。


 熱砂の空を震わせた吼え声も完全に消え失せ、またアルフレッドの掌から戦う力が滑り落ちたと悟ったニコラスは、
支えにしていたガンドラグーンを砂上へ放り投げ、灼(や)けた大地に腰を下ろした。
 口から漏れ出すのは、長い長い溜め息である。緊張の糸が切れたときに自然と吐き出される吐息(もの)ではあるが、
単に人心地ついたと言うだけではなく、そこには安堵の温もりも含まれていた。
 その安堵が向かう先は、魂魄が抜け落ちてしまったかのように押し黙るアルフレッド――
自分ではなく友の為にニコラスは胸を撫で下ろした次第である。

 それきりニコラスは、ぐったりと肩を落とし、口を真一文字に結んだ。
 疲労困憊のままで万全の状態のアルフレッドと互角の激闘を演じ、その果てに満身創痍となってしまったのだ。
体力も気力も、限界を超えて発揮し続け、一片も残さない程に燃やし尽くした筈である。
 一方のアルフレッドも口を開くことすら出来ずにいるが、こちらは肉体よりも精神(こころ)に被った負傷のほうが遥かに大きい。
 魔人の闘衣を全身に纏った今、一切の表情が窺えなくなっているものの、
彼の心中がどのような状況にあるのか、如何に震えているのかは、先ほどの吼え声が如実に表していると言えよう。

 深い静寂(しじま)が、ふたりの間に舞い降りていた。

 遠くに将兵の喊声や軍馬の嘶きが聞こえると言うことは、今なお合戦は続いているようだが、
この場にて最も強く耳を打つのは、砂をさらって吹き抜ける風の音だけである。
 闘いの最中は相手の出方を探る為の手がかりとなった荒い呼気は、時間の経過につれて少しずつ落ち着き始めており、
耳に障ることもなくなっている。
 だからだろうか。誰かが肺一杯に息を吸い込むと、殊更にその音は大きく、強く聴こえる。
肩を上下させるニコラスの双眸は、優しげに瞼を閉じていた。

「――殺されてもいいと思ってたんだぜ、オレ」

 体内に溜まっていた物を吐き出すようにしてニコラスが紡いだ言葉を、アルフレッドは驚愕を以って受け止めた。
 今のアルフレッドは魔人の異装で守られており、何かに傾ぐこと、動じることは全くなさそうに思える。
事実、グラウエンヘルツとシュレディンガーは、これまでにも数多の強敵を葬り去ってきたのである。
何ら怯える存在(もの)はなかろう。
 唯一の敗戦は、グラウエンヘルツと同様の変身能力、『ディプロミスタス』を備えたイーライ・ストロス・ボルタであるが、
彼は言行から戦闘力まで何もかもがイレギュラー。文字通りの例外と見なしても構うまい。
 そこまでの強さを誇りながらも闘衣にて鎧(よろ)う心の働きは儚げで、
野獣の如き紅の眼光へ人間らしい脆さを映すアルフレッドの姿は、ただでさえ厳しい威容であるだけにひどく滑稽に見えた。

「殺されても構やしねぇって、お前とやり合う前まで本気で思ってたんだ。それでお前の気が晴れるんならよ。
……それがオレなりのケジメ、決着ってヤツだったんだよ」
「………………」
「オレの裏切りで心を歪めちまったようなもんじゃねぇか。……それなりの覚悟ってヤツだよ」

 一言一言、噛み締めるようにして決着に寄せた思いを吐露していくニコラスから顔を背けたアルフレッドは、
再び自身の両の掌へと目を落とした。
そこに何かを求めるようにして、……もしくは、そこから零れ落ちた物が何であったのかを自問するようにして。

「――でも、それは違ったみてぇだな。後ろ向きなモンからは何も生まれねぇ」

 そう言って立ち上がったニコラスは、太陽でも掴もうとでも言うのか、鋼鉄のグローブを纏う右腕を天高く突き上げた。

「何かを生み出すのは、前に進んでいく力だけなんだよな。……今になってようやく気付かされたぜ」

 天に翳して陽の光を集めた右手を、ニコラスはアルフレッドの目の前に差し出した。
白い歯を見せ――吐血による汚れは散見されるのだが――、
「友達の為に死んでも構わねぇなんてさ、考えちゃいけなかったんだよな」と嬉しそうに笑いかけた。

「お前……」
「……ありがとな、アル。お前が救ってくれなきゃ、オレは取り返しのつかねぇ失敗をするところだった」
「………………」
「オレは生きるぜ。歯ァ食いしばってでも生きて、……お前の戦いを見届けてやるぜ」
「……ラス……」
「仲間ってそう言うもんだろ。そう言うもんだって、お前が気付かせてくれたんじゃねぇか」

 どのような反応を返した良いものか判断がつけられず、狼狽するばかりだったアルフレッドの右手を握り締めたニコラスは、
力を振り絞って彼の身体を引き起こすと、「迷子になったらナビゲートしてやるって約束、忘れちゃいねぇだろうな?」と、
もう一度、笑いかけた。
 見る者の心をあらゆる暗闇から解き放つような、果てしなく眩しい笑顔だった。




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