10.Battle Royal part.2〜Proud ones


 曇天が崩れ、雨が降り出し、風によって屋根の内側へ吹き込むようになってからも観覧席を去る者はいなかった。
いや、皆、風雨にすら気付いていないのかも知れない。
 そのような感覚を意識の外へ置き去りにして見入ってしまう程に闘技場にて繰り広げられる三者の激闘は凄まじく、
武に通じた者ならば瞬きする刹那すら惜しく思うものとなりつつあった。

 曇天から雨天に移ろったことを意識しているのは、寧ろ三人の格闘者たちのほうだ。
 草地のリングは天候の影響を受けやすい。雨に降られて草が濡らされれば、途端に足場が悪くなる。
濡れた草で滑りやすくなるだけでなく流れ込んだ雨水が泥濘を作り、ここで戦う者から二重に敏捷性を奪うのだ。
 もともとテムグ・テングリ群狼領の将士の鍛錬を目的にして設けられた闘技場なので足場の事情に文句は言えないのだが、
それでもイーライは「タイル張りにしとくくらいのサービスがあってもいーじゃねーか!」などと横柄なことを叫んでいる。
 アルフレッドにしても許されるなら同じことを吼えたいくらいだった。
 蹴り技を十八番にするアルフレッドにとって、軸足の踏ん張りにも影響を及ぼす足場の悪さは死活問題なのだ。

 決闘に際して持ち込んでいた水のCUBE『MS-PLN』を応用して雨天をアドヴァンテージに変えられないものか頭を捻ってもみたが、
エネルギーをプロテクターのように帯びて物理的な衝撃を緩衝させる『モダレイション』のプロキシくらいしか
このCUBEには有効な術が記録されておらず、殆んど無用の長物と化してしまっていた。
 地表に粘性の強い液体を塗布する『グリース』と言うプロキシを使えば、
ただでさえ足元に苦戦する二人の動きをより鈍らすことも可能だろうが、生憎とこの雨天。
 雨水に流されて『グリース』の粘液が辺り一面に広がってしまったら自分の身のこなしまで損ねる筈だ。
 どうせ持ち込むのなら別のCUBEにすれば良かったと後悔しても後の祭り。
他のCUBEはマリスやルディアと言った戦闘能力に乏しいメンバーに渡してしまっている。

(やはり、実力で勝ち取るしかないか……!)

 何かの足しになるかと持ち込みはしたものの、元よりCUBEの効果には期待を寄せてはおらず、
胸元で揺れる灰色の銀貨も最初から戦略に組み込んではいない。
 ローガンの特訓のお陰で、イーライとフェイを同時に相手にしても、グラウエンヘルツに変身せずとも十二分に渡り合えている。
特訓の成果は、アルフレッド自身が驚くほどに彼を成長させていた。

 イーライもイーライで、剣匠の誉れ高いフェイと正面から斬り合っても一歩も退かない。
 鉄をも断つツヴァイハンダーの一閃を液体金属と化すことで受け流し、
以前にアルフレッドを翻弄したように鈍色の水溜りのまま彼の足元を脅かした。
 スライムのように這いずり回り、虚を突いて反撃しようと言う小細工だ…が、そこは百戦錬磨のフェイである。
 イーライの狙いを瞬時に見抜くと彼の行動範囲から離脱し、今度はアルフレッドを標的に絞って猛襲に掛かった。
 すかさず得意の『パルチザン』を打ち込むアルフレッドだったが、フェイはこれをツヴァイハンダーの腹を盾にして防いだ。
 アルフレッドはすぐさま身を翻して第二撃に移ろうとしたが、
それを許さぬフェイは蹴りを受け止めたままツヴァイハンダーを前に突き押し、彼の体勢を崩そうと試みた。

 その意図を察したアルフレッドが巨剣の腹を蹴飛ばして後方に逃れようとするよりも早く、フェイ自身がツヴァイハンダーを引いた。
 液体金属から本来のシルエットに戻したイーライが、背後からフェイに襲い掛かったのだ。
 右手を大剣に、両足の先を鋭い鎌にそれぞれ変身させたイーライは、
本来のシルエットを残している左手で迎撃のツヴァイハンダーを押さえつけ、
自分に向けられる攻撃を封じた上でフェイに攻めかかっていく。
 アルフレッドが使ったのと同じ方法でツヴァイハンダーを封じられたフェイは、鋭く舌を打ち鳴らすや、反射的に愛剣を手放した。
 抗う力が抜ければ、自然、イーライはツヴァイハンダーと共に重力落下に従う恰好になる。
 しかし、この手はイーライに読まれていたらしい。彼がツヴァイハンダーを手放すのを見て取るなり、
イーライは左手を手斧に変身させ、丸腰になったフェイへ四つもの鋭利な刃を打ち込んだ。

 ウォール・オブ・ジェリコを自身の前面に展開させ、イーライから向けられる全ての攻撃を弾き返したフェイは、
飛び込むようにしてツヴァイハンダーのグリップを取り、振り向きざまに報復の刃を繰り出した。
 その一閃は液体金属と化すよりも早くイーライに届き、掠める程度ではあったが、彼の首筋に一筋の傷を刻んだ。
 頚動脈は外れたようだが、斬りつけられた傷からはドス黒い鮮血が滴っている。
 あと少し反応が遅れていたら胴と頭が離れ離れになっていたのだ。
それにも関わらず、イーライは「これくらいでなけりゃ面白味が無ぇぜ」とあくまで不敵。
深紅に濡れそぼった首筋に手を当てると愉しそうに口端を吊り上げた。

 その不敵な面構えを崩してやろうと突っ込んでいったのはアルフレッドだ。
 睨み合うイーライとフェイの間へ強引に割って入ったアルフレッドは、開脚するような姿勢で二人へ同時に蹴りを見舞った。
 雨雲を吹き飛ばすかのような気合いの漲った蹴りではあったものの、フェイがウォール・オブ・ジェリコを、
イーライが全身金属化による防御を固めた為にダメージには至らなかった。
 アルフレッドも二人がこの防御法で防ぐものと見越していたらしく、
落ち着き払った調子でウォール・オブ・ジェリコと金属化したイーライの肩口を踏み台にし、鈍色の空へと跳ね上がった。
 その両掌には蒼白くスパークするホウライを纏っており、どうやら反撃から逃れる為に跳んだのではなさそうだ。

「リャアァァァッ!」

 空中で身を翻したアルフレッドは、ホウライを球状に凝縮して投擲する『キャノンボール』を
対地攻撃の要領でもってイーライとフェイに見舞う。
 激しいスパークを発し、見るからに高威力を秘めた光球だったが、これも先ほどと同じ防御法で防がれてしまった。

「――バカの一つ覚えかよッ! ンなもん、効かねーっつってんだろうがッ!」

 一瞬だけ胸から上を生身に戻してそう嘲笑ったイーライは、すぐさまに再び全身を金属と化し、
着地せんとするアルフレッドと、彼に追い縋るフェイ目掛けて背中から無数の角を張り出した。
 さながらハリネズミに真似るかのようなこの技を『F:F・ヘッジホッグ』と称したイーライは、
あわよくば二人同時に串刺しにしてしまおうと狙っていたものの、やはり相手が相手だ。そう上手くことは運ばない。
 アルフレッドもフェイも咄嗟に身を捻り、数箇所に傷こそ負ったものの致命傷は免れた。
出血こそしているが、身のこなしに差し障りが出るほど深刻なものではなく、殆んど掠り傷である。

「邪魔をするなッ!」
「乱戦の最中に邪魔もクソもあるか。こっちはてめぇの都合で動いちゃいねぇんだよ」

 振り返りざま、イーライを狙って大上段からの縦一文字を振り落したフェイだったが、
さすがに単調な斬撃では彼を捉えることは出来ず、地面を叩いたツヴァイハンダーは標的を掠めてもいなかった。
それどころか懐に飛び込んできたイーライに馳せ違いざまに反撃を喰らわされる始末。
 イーライは鋭く研ぎ澄ました鉄爪でフェイの腕を掠め、厭味にもその横っ面に唾を吐きかけた。

(アルだけならまだしも、こんなどこの馬の骨とも知れない羽虫にすら、僕は遅れを……!?)

 この醜態にアルカークがどんな嘲りを向けているのか、
神の御使とまで畏怖される自分の劣勢を見て、義勇軍の皆がどんな失望を抱いているか――
想像するだけでフェイの視界は真っ暗になる。

(こんなことが……こんなバカなことがあってたまるか……ッ!)

 そうやって一度、真っ暗に閉ざされてから彩を取り戻した世界は、朱に染まっている。
地獄の劫火の如き憤激が、朱の色となってフェイの視界に映る全てのモノを染め上げているのだ。
 復讐の妄念に取り憑かれた人間が視る世界に憎悪の対象を見出したフェイは、
撫で斬りにすべき二つの影へと追い縋った。

「笑わせらぁ! こうなっちゃヒーロー様も形ナシよぉ!」

 狂乱の様相すら見せ始めている振り向きながらフェイを罵ったイーライを、
駆け抜けた先で待ち構えていたのは他ならぬアルフレッドだった。

「その言葉、そっくりそのまま貴様にも贈ってやる……!」
「な――ッ!?」

 駿足でもってイーライの行く先へと回り込んだアルフレッドは、フェイを嘲笑う為だけに生身に戻していた彼の額を狙って
得意のパルチザンを打ち込んだ。
 不意を突かれたイーライは全身を金属化させるのが間に合わず、体重をたっぷり乗せた後ろ回し蹴りを直撃させられ、
追い縋るフェイの頭越しに後方へ吹っ飛ばされた。

 いかに攻守に優れるトラウムを持つイーライと雖も、脳を揺さぶられ、意識が混濁する中ではこれを発動、維持させることはできない。
 首から下の金属化が解除され、生身に戻ったイーライへ一足飛びで追いついたアルフレッドは、
その背中を膝蹴りで突き上げ、それと同時にどてっ腹へスレッジハンマーを振り落した。
 スレッジハンマーとは、文字通り両手を組んで鉄槌のように固め、渾身の力で叩き込む荒業である。

 両面から挟み込まれる形で打撃を喰らわされては、さしものイーライもダメージを免れない。
 筋肉への打撲に留まらず内臓をも激しく揺さぶった二重の衝撃は、イーライに深刻な深手を負わせたが、
このダメージが却って気付けになったらしく、朦朧としていた彼の意識は完全に現実へと引き戻された。

「このガキがぁッ!! 俺をナメんじゃ――」
「人を舐めているのは貴様のほうだろうが……!」

 身を翻して着地したイーライは、すぐさまにディプロミスタスを再発動させて防御を固めようと試みたものの、
その反応は些か遅かった。
 アルフレッドが左右の拳より繰り出す猛ラッシュが、金属化するのを待たずにイーライの胸・腹・鳩尾と人体急所を攻め立て、
トドメとばかりに体重をたっぷりと乗せた『サマーソルトエッジ』で顎を跳ね上げた。
 イーライの全身金属化が完了したのはその直後であり、全ては発動から一秒にも満たない時間の出来事だった。

 気配を察知する猶予さえ与えず瞬時に回り込むことも、弓で弾かれたような速度で吹っ飛んだイーライに追いつくことも、
足元にてホウライを爆発させ、これによって推力を得たればこそ実現できた荒業である。
 数秒の内に無数の拳を浴びせると言う猛烈なラッシュにもホウライの恩恵が働いていた。

 ホウライには戦闘力を爆発的に向上させる代償に体力を大きく消費するデメリットがある。
 この弱点を考慮したアルフレッドは、一点集中でホウライを使う闘法を編み出し、体力の消耗を最小限に留めつつ、
必要となる状況で最大の攻撃力を発揮させると言う試みに成功したのだ。

 ただでは転ばぬと、指先から無数の鉛弾を速射する『F:F・ピースキーパー』でアルフレッドを狙うイーライだったが、
彼は既に射撃の有効範囲へと離脱してしまっている。
 悔し紛れにフェイを狙ってみたものの、全弾揃ってツヴァイハンダーの太刀風で吹き飛ばされてしまい、
直撃するどころか逆に返す刀で逆袈裟斬りを打ち込まれる始末である。
 剣閃から発せられる闘気によって抉られた泥土と共に振り上げられたツヴァイハンダーを、
液体金属と化すことで辛くも回避したイーライは、獲物を見つけた貪欲な鮫のように地表を遊泳し、
アルフレッド、フェイの二人と十分に間合いを離してから人間の容貌(カタチ)へ戻った。

「相変わらず不思議な能力だな。衣服だけでなく出血に至るまで鉄に換えるとはな」
「表面だけ鉄に変わるだけなら自慢にもならねぇだろ。てか、マジな意味での変身にもならねぇよ。
ディプロミスタスはてめぇが考えてるほど浅かねぇんだぜ」
「だが、会話をするには言語機能を司る脳や肺を…つまり、上半身は最低限生身に戻さなければならない、と。
それはそうだな。金属の塊が話し出すと言うのは、立派なホラーだ」
「そこを突いたとでも自慢してぇのか、てめぇ? ……ハッ、傑作だぜ、このタコ。初見で見抜けよ、それくらい」
「返す言葉が無いな。尤も、種さえ割れてしまえばどうと言うこともない凡庸なトラウムに成り下がるが」
「ほざいてろ。てめぇにゃその内にディプロミスタスの深みってのを味わわせてやらぁよ」

 アルフレッドが指摘した通り、全身を金属と化したイーライの負傷箇所からの出血が見られなかった。
 と言うよりも、生身の状態では出血していた部分やその痕跡までもが金属化しており、
溶接に失敗でもしたかのような不自然な凹凸を作っている。
 イーライの弁を信用するならば、どうやら表皮を鉄に固めることで止血効果を発揮しているのではなく、
流れるべき血液をもディプロミスタスは金属と化しているらしいのだ。
 それでいて生身のままの柔軟性を損なわないのだから、便利なトラウムもあったものである。





 雨滴を蒸発させるような勢いで白熱する攻防を、トルーポはバターたっぷりのポップコーンやチュロスをパクつきながら眺めていた。
 シェインと遠乗りに出掛けたラドクリフは言うに及ばず、ゼラールやピナフォアの姿も観客席にはない。
トルーポが伴っているのは、レモンイエローの軍服に身を包んだ部下のみだった。
 蛍光色の軍服たちが二十人も集まれば、遠目には観客席へレモンイエローの膜が張られたように錯覚してしまうのだが、
同じ場で観戦中のフィーナたちは、トルーポたちには全く気付いていなかった。
 脇目も振らずに決闘へ集中しているのに加え、両者の着席するブロックは物理的に遠く離れており、
仮にレモンイエローの一団を発見したとしても、風変わりな横断幕か、応援の一種としか思わないだろう。
少なくともトルーポの存在には気付かない筈だ。

 観客席の一部をレモンイエローの軍服でもって占領したトルーポは、丁度、そのど真ん中に鎮座していた。
当然、彼の周囲は気の置けない部下で固められる恰好となるのだが、
どう言う理由(わけ)があるのか、右隣にはゼラール軍団以外の人影がふたつほど見受けられる。
 興味の薄そうな目で決闘を眺めるトルーポの隣には、K・kとローズウェルが座っていた。
 彼らもまたリング上の格闘には興味を引かれないようで、K・kは古式ゆかしい電卓を叩き、
ローズウェルは紙コップのビールをガバガバと呷り続けている。
 言ってしまえば、彼らは闘技場に足を運ぶ必要のない三人だった。
 周りの熱狂に同調するどころか、そうした喧騒が煩わしいと言わんばかりに睨みつける程だ。
ローガンやハーヴェストあたりに見つかろうものなら、「興味がないならここから出て行け!」と叱責されるに違いない。


 リング上では、イーライとフェイがふたり懸かり――正確には、偶然に標的が被っただけのことである――で
アルフレッドを攻めようとしている。
 ディプロミスタスによって右腕を大鎌に変身させたイーライと、ツヴァイハンダーを振り翳すフェイとを
一気に相手にすることとなったアルフレッドは、先ず両者の右手首へ蹴りを入れて斬撃の挙動を挫いた。
 次いでフェイの顎を蹴り上げ、足を戻しつつイーライの懐へ踏み込み、
繰り出された反撃を避けると同時に彼の下腹部へ左拳を突き入れた。
 撃地捶(げきちすい)と呼ばれる技法である。
 カウンターで突きを受けることになったイーライだが、直撃される寸前で肉体を鋼鉄と化し、腹部へ立て続けに痛手を被ることは免れた。
 まともなダメージを与えられなかったと見て取ったアルフレッドは、反射的に左の掌を開き、そこでホウライを炸裂させた。
ホウライの炸裂によって強烈な推力を生み出し、後方へと跳ね飛ぼうと言うのだ。
 いつまでも離脱せず、同じ場に留まり続けていれば、イーライから手痛い反撃を受けるとの判断である。
 結果的にアルフレッドの判断は正解だった。一瞬前までアルフレッドの立っていた場所へとツヴァイハンダーが振り落とされたのだ。
体勢を立て直したフェイによる不意打ちであった。
 渾身の縦一文字を外して隙の生じたフェイに向かって、イーライが鉄槌に変身させた左腕を振り落とす――かに思われたが、
これは幻惑だった。確かにイーライは鉄槌を繰り出したのだが、それ自体が罠である。
 鉄槌はフェイの脳天を叩き割る代わりに地面を抉った。その拍子に撥ねた泥水がフェイの端正な顔面を汚し、
不意打ち気味に彼の視界をも遮った。
 これこそがイーライの狙いである。左腕を鉄槌から鉄杭に再度変身させ、続けざまに勢いよく伸長させたイーライは、
フェイの顎目掛けて右の踵を突き出した。
 泥水で虚を突かれ、僅かにたじろぐフェイだったが、即座に身を引いてツヴァイハンダーを構え直す。
 彼が見据えるのは、イーライの右脚だ。いつ、どのように変化するか、極限に近い警戒を払って身構えるフェイだったが、
彼の双眸が雨天を仰ぐその瞬間までイーライの踵は原形を留めていた。
 つまりは、フェイントである。フェイがディプロミスタスを警戒していると見抜いたイーライは、敢えて生身の蹴りを加えたのだ。
 敢えなく顎を撥ね上げられたフェイだったが、彼の悲劇は留まることを知らない。
 アルフレッドの蹴りが延髄に突き刺さったのだ。半円を描くようにしてアルフレッドは左脚を振り回したのだが、
本来、これは窮地に陥ったフェイを救うべくイーライを狙ったもの。断じてフェイへの奇襲ではなかった。
 ところが、だ。今まさに振り落とされようとしていた左脚の前方へフェイの上体が撥ね上げられてしまい、
アルフレッドにも止めようがなかった。もしかすると、イーライはそこまで計算に入れて攻め手を考案したのかも知れない。
結果、フェイは振り子のような状態で二度もの強撃を食らうことになり、とうとう膝を突いてしまった。
 着地を待たずに間合いを詰めようとするアルフレッドと、今度こそ自分を狙い撃つものと見て警戒するイーライは、
再び攻防に転じるべく構えを取り直したのだが、この動きはフェイが許さなかった。
 自分の頭越しに決闘が展開されることを是としないフェイは、持ち運びに用いるベルトを掴んでツヴァイハンダーを振り回し、
アルフレッドとイーライをまとめて薙ぎ払おうと試みた。
 今まさに肉弾戦へ移ろうとしていた両者は、竜巻の如く轟然と唸る肉厚の刀身を間一髪で避け、そのまま後方へと間合いを離した。
 アルフレッドとイーライが慄いたと見るや、フェイはすぐさまベルトを引いてツヴァイハンダーのグリップを掌中へ戻し、
中段の構えを取った。いずれを攻撃するか気取られぬよう剣先は小刻みに揺らしている。
 リングに三角形を描いて睨み合う恰好となったアルフレッドたちは、それから暫く膠着状態となった。
迂闊に動けば即死と言う状況の中、三人して互いの出方を探っているのである。


 観客たちが腕を振り上げて興奮するのも頷けるハイレベルな闘いがリングにて続いているのだが、
トルーポもK・kも、やはり意識が別の場所に飛んでしまっているようだ。
 アカデミー以来の付き合いであるアルフレッドが闘っているのだから、声援を送らずとも興味くらい持ってもおかしくないトルーポは、
しかし、リングに視線を送りつつも機械的に飲み食いするばかり。アルフレッドの力闘を認識しているようには思えなかった。
 一応、ローズウェルはビール片手に観戦しているものの、その眼差しはどこまでも冷ややかで、
周りのような大きいリアクションは皆無だった。
 「なんだか英雄ちゃんも必死ねぇ。年下に負けるのだけは、プライドが許さないって感じ? そーゆーのは、可愛くないのよねェ」と
フェイを貶めはするものの、リアクションらしいリアクションは、その程度。どうやら暇潰しにもなっていない様子だ。
 一方のK・kは、電卓を叩きつつ何やら書類へとペンを走らせており、完全に決闘のことを忘れている。
もしかすると、自分が闘技場にいることさえ彼は憶えていない可能性があった。

 興味が絶無であるにも関わらず、興奮の坩堝と化す闘技場を訪れた理由は、
K・kからトルーポへと手渡された書類が明らかにしてくれた。
 K・kがペンを走らせていた書類とは、世間一般で言うところの見積書だった。
 但し、そこに記された内訳は、一般人には馴染みの薄い物ばかり。
対艦ミサイルランチャーの砲弾一発あたりの値段や、ゼラール軍団全員にプロテクターをオーダーメイドした場合の費用など、
武器、兵器にまつわる項目が百数十にも渡って列挙されていた。
 総計された金額は、千万を超えて億にも手が届く。「諸経費込みでお勉強させて貰ったのですから、
ケチはつけっこナシでお願いいたしますよ!」と先んじて釘を刺したK・kに対し、トルーポは思わず苦笑いを漏らした。

「佐志の連中にはプロテクターをタダで贈呈したんだろ? 俺たちにはサービスがないのかよ」
「ご冗談を! カザン様の軍隊と佐志の方々では、最初から数が違います! 佐志へのプレゼントは、たかだか十、二十ですよ? 
そのくらいならサービスで済ませられますがねぇ〜」
「ヤツらはお前さんから何も買っちゃいねぇぜ。それはサービスとは言わねぇだろ」
「今後のビジネルへ繋げる種を蒔いた、と言うコトでございます。この世界、種蒔きが命ですもの」
「勉強になるね、今日の話は。……俺たちも“今後のビジネス”っつーのを、もっと意識しなけりゃならねぇな。
余所と相見積(あいみつ)取って見比べんのも、賢いやり繰りだよなァ?」
「……バスターアロー様も商売上手になりましたなァ。これじゃウチはおまんま食い上げですよ」
「台所事情が苦しいのは、どっちも同じだ。需要と供給がマッチしてる間は、助け合いの精神で行こうじゃねぇか」
「やれやれ、もう――計算のやり直しでございますよ」
「銭勘定は趣味だろ? 俺は趣味に貢献しているんだぜ? 感謝して欲しいもんだね」

 化かし合い以外の何物でもないふたりのやり取りへと耳を傾けていたローズウェルは、
決闘そっちのけで馬鹿笑いし、腹を抱えつつ「あのおとぼけトリオよりも、
あんたらのコンビ芸のほうが百倍面白いわ」とまで言い始めた。

「――それにしても、あんたも、あんたの大将も思い切ったコトするわよねェ。上層部(うえ)から目ェ付けられてるんでしょ? 
コレがバレたら、首チョンパ間違いナシよ?」

 首を勿ねるゼスチャーでもっておどけるローズウェルを、トルーポは鼻で笑った。
 「俺らの行動を御屋形様のご機嫌取りに使うか? それならそれで構わねぇがよ、そんなもんが儲けになるのか?」などと
挑発めいたことまで言ってのけるあたり、ローズウェルが言うところの「バレたら首チョンパ」と言う事態は既に覚悟しているのだろう。
 冷やかし混じりの口笛を吹いて挑発に答えるローズウェルはともかく、K・kのほうは儲けの種を逃すつもりはないらしく、
電卓に目を落としながらも「この業界、信用がイチバンの資本ですもの。お客様の顔に泥を塗るような真似はいたしません」と、
トルーポの行動を部外には漏らさないと誓った。
 誓約書を取り交わしたわけではなく、何ら効力のない口約束だ。えげつないことを平気でやってのけるK・kだけに、
先ほどの言葉もトルーポを騙す偽りかも知れない。後になって裏切ると言うことも十分に有り得るのだ。
 全く信用に足らない相手の筈なのだが、「この業界、信用がイチバン」とのK・kの言葉にトルーポは満足したようで、
それ以上、彼を疑おうとはしなかった。分野は違えども戦争に関わる者同士、ある種のシンパシーで通じ合った様子である。

 作り直された見積書をK・kから受け取り、鋭い眼差しで吟味し続けるトルーポを愉快そうに眺めていたローズウェルは、
彼の口元へ微笑が浮かんだタイミングを見計らって、「他のおトモダチは何やってんの? あんたに丸々お任せ?」と話しかけた。
 見積書の確認中に妙な話を持ちかけるなど商談の妨げでしかないのだが、
K・kはこれを咎めようとはせず、むしろ聞き耳を立てている様子だ。ふたりしてトルーポの出方を窺うハラなのだろう。
 普段は雇用も何もあったようなものではないやり取りを見せつけるK・kとローズウェルだが、
悪巧みに限っては完璧に息が合っており、その滑稽さには、見積書と格闘中のトルーポもつい噴き出してしまった。

「ラドクリフは、自分探しの旅。ピナフォアは、お前らの大好きな上層部(うえ)の連中に呼び出されてるよ」
「ちょ、ちょっと! それじゃあの小娘――もとい、お嬢ちゃん、吊るし上げってワケ? ……ヤバくない?」

 上層部(うえ)――つまり、テムグ・テングリ群狼領の幹部とピナフォアが接見していると聞かされたローズウェルは、
自分たちが告げ口するまでもなくトルーポの行動が露見するのではないかと危ぶんだようだ。
そっとK・kの様子を窺えば、早くも彼は真っ青な顔で身を震わせている。
 これは、K・kたちにとってもゆゆしき問題だった。
 今、この場で行われていることが、血の気の多いザムシードやビアルタの耳に入ろうものなら、
事態(こと)はゼラール軍団の処断だけでは済まされず、必ずやK・kやローズウェルにも粛清の手が及ぶことだろう。
どのように言い繕ったところで、ふたりがトルーポに加担した事実は覆せないのだ。
 三下の将士が相手ならば、いくらでも懐柔する自信がK・kにはあるが、幹部クラスともなるとそうは行かない。
忠誠心が高じて、半ばエルンストを神格化する幹部たちは、K・kの如何なる弁明とて聞き入れない筈だ。
 ましてや、ゼラール軍団もK・kも、彼らには悪印象を持たれている。
今回の接触を両者抹殺の口実として利用される可能性すら高かった。


 念を押すようにして「どんな理由で呼び出し食らったのよ? なんか訊いてないの?」と尋ねてくるローズウェルを
眼差しひとつで黙らせたトルーポは、次いでチェックの終わった見積書をK・kに投げ返した。

「ここでもう一声なんつって駄々をこねたら、お前の顔に泥を塗っちまうわな。……助け合いの精神で行こうぜ」

 慌てて紙束をキャッチするK・kに見積額の了承を伝えたトルーポは、僅かに残っていたポップコーンを一気に平らげると、
チュロスの包み紙と一緒くたにして紙皿を小さく握り潰し、乱雑にも軍服のポケットへ突っ込んだ。
 呆気に取られているK・kとローズウェルを置き去りにして席を立つトルーポだったが、
部下たちには決闘が終わるまでこの場に居残るよう予め命じてあり、後に追従する者は誰もいない。
 観客席を去る間際、トルーポは一度だけ振り返って決闘の様子を窺ったが、最後まで興味を引かれることはなかったようだ。
 リングでは、なおも三者の睨み合いが続いている。
 つまらなそうに肩を竦めた後、今度こそトルーポは闘技場を辞した。
 彼の姿が観客席から完全に消えるまで見送ったK・kは、次いで彫像のように動かなくなっているローズウェルの肩を揺さぶり、
「おいおいおいおい、何がどうした? そんなに怖い目に遭わされたのか?」と委細を尋ね掛けた。
 トルーポから強烈な眼光をぶつけられて以来、ローズウェルは身じろぎ一つしなくなってしまったのだ。
凶悪とも言える殺気でもって脅かされ、居竦まったものとK・kは想像していた。
 ところが、ローズウェルの顔には恐怖などは芽生えていない。心臓が早鐘を打つ程に慄いてはいるのだが、
トルーポに恐れをなしたと言うことではない。
 怪訝な顔を向けてくるK・kに対して、ローズウェルは「……参ったね。惚れちゃいそうよ、彼に」と口元を歪めて見せた。

「本気(マジ)でおっかないコよ、バスターアローってば。もしかすっと、カザン閣下以上にヤバいコかもだわ。
……テムグ・テングリを丸ごと敵に回すのを、あのコ、楽しんでるわよ……!」

 トルーポがローズウェルに叩き付け、ただそれのみで彼を黙らせた眼差しは、恐怖を煽る威嚇ではなかった。 
 眼光に宿っていたのは、窮地の一切を切り抜けると言う絶対の自信である。
今日のことがテムグ・テングリ群狼領に露見し、馬軍と全面戦争(こと)を構えるような事態に陥ったとしても、
自分たちには負ける理由がない。そこまで断言する程の自信を、ローズウェルは見せ付けられたわけだ。
 そこまでの豪胆さでもって迫られては、いくらローズウェルと雖も沈黙するしかない。

 ローズウェルの慄きが伝播でもしたのか、K・kも生唾を飲み込みながら自身の顎を撫でた。
 目を細めつつ下卑た笑いを漏らす彼の思案は、早くも“今後のビジネス”に向かっているようだ。





 密謀めいた“商談”を終えて闘技場を出たトルーポは、その足を厩舎へと向けていた。
 ラドクリフの後を追おうと言うことではない。
そもそも彼の「自分探しの旅」がどこを目的地にしているのかもトルーポは知らないのだ。
仮にラドクリフの遠乗りを知る機会があるとすれば、馬具の支度を整える間に交わすだろう厩務員との雑談のみ。
いずれにせよ、現時点ではトルーポには知り得ないことである。
 要は偶然である。いけ好かない相手との商談で溜まったフラストレーションの発散を、
トルーポも野駆けに求めたのだった。
 ラドクリフにしても同じことが言えるのだが、テムグ・テングリ群狼領へ所属する間に
すっかり乗馬の魅力に取り付かれたらしい。
 頬を裂く程の風を感じたいと言う欲求が、トルーポの歩みに勢いをつけていく。
今にも崩れそうな天気を気にせずメディスン・ドリームを走らせたラドクリフ同様、
トルーポもまた雨には頓着していなかった。

 後方――闘技場が所在する方角である――から「ちょいとお待ちよ、そこのデカブツ」と呼び掛けられたのは、
厩舎へ通じる分かれ道、つまり十字路を西に進もうとした瞬間のことだった。
 今まさに十字路を突っ切ろうとした寸前に大声で呼びつけられたトルーポは、
直前までの勢いもあって前のめりに転倒しかけた。
不意で足下を掬われたと言う点では、石ころに躓いたようなのと同等である。
 何事かとトルーポが振り返ると、そこでは思いがけない人物が腰に手を当てつつ屹立していた。
 生憎とトルーポには接点がなく、聞きかじりの情報しか持ち合わせていないのだが、
その人の額にて眩く輝くサークレットは、社会的なステータスを証明する物であると言う。
 法衣にサークレットと言う出で立ちの人物は、ハンガイ・オルスにはたったひとりしか該当者がいない。
ゲレル…もとい、クインシーだ。
 教皇庁から参画した反ギルガメシュの同志が、
行き交う人々の邪魔など気にも止めずに通路の真ん中で仁王立ちしているではないか。

 彼女の言行は明らかに十字路の通行を妨げており、連合軍の将士は、誰も彼も迷惑そうにしている。
幸いにして今は人通りが少ないものの、決闘が終わって闘技場から人々が流れ出て来れば、
たちまち大渋滞を巻き起こすに違いない。
 今や声を掛けられた側のトルーポまで共犯者と見なされており、
「ただでさえ図体がデカいんだから、少しは人の迷惑も考えろよ……」などと舌打ちする者まで現れている。
 トルーポにとっては、とんだとばっちりだ。こだわりのドレッドヘアーを掻き上げ、
「俺みたいな三下に何の御用です?」と、可及的速やかに用件を話すようクインシーに求めた。
 駆けっこのゼスチャーをも交え、一刻も早くこの場から退散したいのだと全身で訴えているのだが、
これを受けたクインシーは、意図的にはぐらかすつもりなのか、
「若いのは気が短くていけないね。そんなに差し迫った話じゃないんだ。ちょいと付き合ってくれないかい」などと
トルーポの期待を裏切るような返答をする始末。
 彼がガックリと肩を落としても、クインシーにはまるで通じていなかった。

「あんたもバカ騒ぎからあぶれたクチなんだろう? どうだい、ヒマ人同士、一杯引っかけないかい? 
カジャムから美味い葡萄酒を譲って貰ったんだよ」

 そう言って彼女が指で指し示したのは、十字路の中心点から見て南側――
テムグ・テングリ群狼領の上級幹部や貴賓の部屋が所在する区画への通路である。
この場合、貴賓とは連合軍各隊の大将やクインシーが該当する。
 ワイングラスを呷るようなゼスチャーからもわかる通り、
クインシーは酒盛りの相手をするようにトルーポへ求めているのだ。
 「バカ騒ぎ」と言い放ったその口ぶりから察するに、エルンストらと共に決闘を観覧していたようだが、
当然と言うべきか、彼女の趣味には合わなかったらしい。
 途中で退席して酒盛りを催すのは、“口直し”と言ったところであろう。

 クインシーが属する教皇庁とは、マコシカの民と同じく女神イシュタルに仕える組織だとトルーポは聞いている。
 ついマコシカの民を物差しとして基準を求めてしまうのだが――但し、佐志疎開後は、マコシカの人々も俗世間に染まりまくっている――、
聖職者でありながら嗜好品との接触を公然と口にするクインシーに対して、
トルーポは戸惑いを禁じ得なかった。
 そもそも彼女は病み上がりではなかっただろうか。
熱砂の合戦の直後には、独力では立ち上がれない程に体調を崩していた筈だ。

(――さて、どうしたもんかねぇ……)

 逡巡するなと言うほうが、無理な要求だろう。
 「顔は見知っている」と言う程度の相手と酒を呑んだところで、果たして憂さ晴らしになるのだろうか。
気を遣って余計にフラストレーションが高まるのではないかとトルーポには思えてならなかった。
 さりとて、相手はエルンストの貴賓である。無碍に断ろうものなら、厄介な事態を招くかも知れない。
ただでさえ上層部(うえ)から目を付けられているのだ。“今後”の為にも彼らを刺激するような振る舞いを慎む必要があった。

「俺みたいな小僧でよろしいなら、お酌くらいはいたしますよ、ミセス」
「誰が、ミセスだい、誰が。あたしゃ、ぴっちぴちの独身貴族だよ!」
「こりゃ失敬。言い直させていただきますよ、ミス・クインシー。ミス・ヴァリニャーノのほうがよろしいですかな?」
「ファーストネームでなければ、どっちでもイイさ」

 そうとなれば、トルーポが選ぶ道はただひとつ。野駆けは諦めるしかあるまい。

「しっかし、妙なウワサを立てられなきゃいいんですがね。カミさんの耳に入ったら大事(コト)でして、ハイ」
「気色の悪いコトを言うんじゃないよ。誰が、あんたみたいな若造に色目なんか使うもんかい。
なんなら、あんたのお仲間も呼んどいで。あの可愛げのないボクちゃんもね」
「閣下のことを言ってるんですか? 可愛げ……――いや、確かに可愛げは要りませんけど」

 結局、南の通路を選ぶことに決めたトルーポは、
豪放な笑い声を引き摺りつつ肩を揺すって磊落に歩くクインシーへ黙って従った。
 そんなトルーポが、先程と同じように不可視の石ころによって転びそうになったのは、
先行するクインシーを追い始めて間もなくのことである。

「――で? その閣下の為に、あんたは何を密談してたのかねぇ?」

 石ころの仕掛け人は、やはりクインシーであった。
 道すがら雑談でもして気を紛らわせようと考えていたトルーポは、
これまでにない危険球を、またしても不意打ちで浴びせられ、ほんの一瞬ながら足を止めてしまった。
 危ういところで転倒までには至らなかったものの、トルーポの足下を脅かすには十分過ぎる程の威力を持っていると言えよう。
 絶句して立ち止まったトルーポは、しかし、すぐさまにクインシーの後を追いかけた。
今度は彼女の背に追従するのではなく、肩を並べて歩いて行く。
 その面は、さぞ動揺に歪んでいるかと思いきや、奇妙とも思える程に落ち着き払っている。
ポーカーフェイスで虚勢を張っている様子でもなさそうだ。
 ぬけぬけと言うかなんと言うか、「こりゃ参ったな、どーも。俺なんかにおっかけが付くなんてよ。
それじゃ、さっきのは出待ちってコトかい?」などとおどけるあたり、
差し迫った事態ではあるものの、トルーポ当人は既に開き直っているようにも思えた。

「さて、と……冗談はここまでにして――そろそろ種明かしと行きませんか、ミス・クインシー? 
俺としても身の振り方を考えなきゃならないんですよ」
「いきなりリクルートの心配なんて、所帯持ちは大変だねェ」
「ミス・クインシー……」
「短気を起こすんじゃないよ。若いもんは堪え性がなくてダメだね」

 如何にもわざとらしいクインシーの笑い声が廊下の天井で跳ね返り、クインシーは再びドレッドヘアーを掻いた。

「クソつまらないモンに付き合ってるときって、別のとこに目が行くもんだろ? 
そんでもって妙に気になって、ついつい観察しちまう。……あたしゃ、どこにでもいる神官だよ? 
あんたらみたく洞察力が肥えてるってワケじゃないさ」
「そんなに目立ってましたかね、俺ら」
「スポーツ観戦の客に紛れるのは妙案さ。目にチカチカするジャケット、そいつはカムフラージュだろう? 
最初のうちは、あたしも横断幕か、気合いの入った応援団にしか見えなかったさ――」

 レモンイエローの軍団員で観客席の一角を占めたのは、まさしくクインシーが感じたものと同じ錯覚を周囲に与える為である。
 と同時に、密談を行う三人以外を寄せ付けない“壁”としての役割もレモンイエローの軍服たちは担っていた。
軍服たちの中心に座れば、トルーポたちの話し声は他の人間には全く聞こえなくなり、
まるで擬態のように観客の中へと溶け込めるのだ。
 ……尤も、話し声と接近とを防いだにも関わらず、このようにして容易く見抜かれてしまったのだから、
トルーポが考案した擬態は、言い繕うことも出来ない大失敗だったのだが。

「――でも、“食べ合わせ”が悪かったね。あんたが引っ張ったのは、
脂ぎったシルクハットのオヤジと、妙なナリしたオカマだよ? カメレオンになれると思ったのかい? 
悪目立ちして仕方なかったさ。真ん中に居たのが別の奴らだったら、あたしも不思議には思わなかったかもね」
「……変装までは考えていなかったんですよ」
「それもどうだかね。あの凸凹コンビが変装したとこ、想像してごらんよ。余計に目立ったと思うよ。
あれがベストってコトで、いいんじゃない?」
「完璧に仕上げてあっさりバレてりゃ、世話ねぇって話ですよ。我ながら間抜けな話だぜ」

 トルーポは自嘲を混ぜて、クインシーはからかうように、それぞれ笑い声を天井に跳ね返したのだが、
天より降り注いだ激音によって一切の音が飲み込まれ、掻き消えていった。
 鋭い稲妻が、轟いている。
 ずっと窓のない回廊を歩いていた為、空模様にまで気が回らなかったのだが、いつしか外は雷雨となっていたようだ。
闘技場にて繰り広げられる波乱の決闘には、お誂え向きな天候とも言えよう。

「……で、これからどうするんだい?」
「どう――とは?」
「お騒がせ軍団が死の商人相手に井戸端会議なんかしないだろう? バレないように小細工までしてさ。
……このタイミングで、あんなモンを目撃したら、誰だってあたしと同じコトを尋ねるんじゃないかい?」
「………………」

 人を食ったような笑みを浮かべるクインシーが小憎らしくて、トルーポは後頭部を掻き毟り、
「知ってたんなら、もっと早く言ってくれてもいいじゃないですか」と、肩を竦めて見せた。
 部外者、協力者と言っても、クインシーはエルンストからの信任が殊更厚い。
Aのエンディニオンの人間でありながら軍議への参加まで認められるなど特別待遇としか言いようがなかった。
 テムグ・テングリ群狼領内部の事情は言うに及ばず、ギルガメシュとの争乱にちなんだコト、ヒト、モノは、
相当詳しく把握しているに違いない。あるいは、ゼラール軍団以上に情報を得ているかも知れなかった。
 今し方の口ぶりからも明白な通り、ゼラール軍団が置かれた“状況”をも彼女は周知している様子だ。 
 そこまでの情報を持つクインシーだけに、トルーポとK・kの接触には、何か閃くものがあったのだろう。
そして、それは限りなく正解に近い筈である。

 絶え間なく轟く稲妻の音を頭上に感じながら南の通路を完全に抜けたトルーポとクインシーは、
エルンストらテムグ・テングリ群狼領幹部の自室があるブロックに差し掛かった。
 ここを通過すれば、クインシーやアルカーク、それにフェイら貴賓の為に用意された部屋へと行き着く。
 間もなくクインシーの部屋に到着するのだが、酒盛りへ雪崩れ込む前に、
トルーポにはどうしても確認しておかなければならないことがあった。

「俺がアイツらと何を話していたのか、あなたはもうおわかりでしょうが――」
「同じコトをクドクド言うんじゃないよ。オトコの何が駄目かって、そう言うのを好き好むところさ。
大事なコトは、ただ一度だけ言えば済むんだよ」
「――それを、どうして御屋形様に伝えないんです? 
あなたが俺たちのコトへ気付いたときには、御屋形様は隣に居ましたよね? 
……あなたが俺の企みを見抜いたように、俺もあなたの腹の底を言い当ててみましょうか?」
「いちいち言わなくてもわかるだろう? ……そう言うことも口には出さないものさ」

 ハンガイ・オルスに設けられた貴賓向けの部屋にはドアがなく、
出入り口には蒼狼の徽章が染め抜かれたカーテンのみが掛けられている。
 カーテンを捲くりながらトルーポを室内へ促したクインシーは、
先ほど返した答えに「あたしもあんたも、同じ穴の狢さ」とも言い添えた。

「狢、ね――ひとつだけ確かめたいんですがね、あなたがそうやって手を尽くし、
……“駒”を揃えているのは、教皇庁とやらの命令なのですかな?」

 問いかけを続けるトルーポにワイングラスを放り投げ、口でもって乱暴にコルクを引き抜いたクインシーは、
些かも躊躇することなくボトルの口を傾けた。真っ赤な葡萄酒が、トルーポの掌中にあるグラスへと注いでいく。
 クインシー自身は、いわゆる『ラッパ飲み』でワインを楽しむようだ。
乾杯の音頭もそこそこにボトルへ直に口を付けた彼女は、カジャムから譲られた美酒を五臓六腑で堪能し、
次いで熱い吐息と共に「カタブツどもを相手にしてたら、先にこっちが喰われちまうよ」と吐き出した。

「権威が大事な連中ってのは、どっちの世界でもおんなじだよ。下が何か始めようとすると、必ず足を引っ張りやがる。
チンケなプライドにしがみついてね。自分たちじゃ何もしない、何も出来ないクセしやがって。
……足踏みしたら、その分だけこっちが不利になる。そんな簡単なコトもわかりゃしないのさ、本当のバカ共ってのは」
「……成る程。確かに俺たちは同じ穴の狢だ」

 納得したように薄く笑んだトルーポは、そこでようやくワインに口を付けた。

「あたしがこんな風にちょこまかと動き回ってるって知ったら、上はブチギレるだろうね。粛清されるかもわからないよ」
「女神に仕える身なのに、やたら物騒な話になってきましたな。粛清とは穏やかじゃねぇ」
「さっきも言ったろう? 本当のバカは、どっちの世界もおんなじだよ、……おんなじだ」
「……それなのに、まだやろうと言うのですか? 俺たちまで巻き込んで――」
「あたしも女神に仕える身だからね」
「………………」

 神妙に聞き入るトルーポの態度に満足したのか、クインシーは愉快そうにワインボトルを呷り、
「クソ美味かったけど、これじゃ全然足りないね。あんた、あんたンとこの閣下も呼んどいで! 
それから酒だ! 酒も調達してきな!」などと屈託がなく、それでいて横柄な高笑いを上げた。

「テムグ・テングリに飽きたら、教皇庁に来な――そう言って、閣下ちゃんをお招きしなよ。なァに、退屈はさせないさ」




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