11.Battle Royal part.3〜Paint it, black 大草原の真っ直中にそびえ立つハンガイ・オルスは、その立地条件から敵軍の包囲を受け易い。 極めて高い攻撃力、機動力に比して、防御力は脆弱に近い―― 馬軍の牙城が有する防御機能について、以前にアルカークはそのような分析を行ったことがあった。 テムグ・テングリ群狼領の弱点を見出したと、彼は豪語したのだ。 包囲戦にさえ持ち込めば、最強馬軍と雖も恐れるに足らないと言うヴィクドの提督ならではの評は テムグ・テングリ群狼領の耳にも入っており、エルンストも苦笑いさせられたものだ。 アルカークの分析は伝聞がその根拠であり、自身でハンガイ・オルスを訪れたことはなかった。 連合軍に参加し、敗走の末に初めて城門を潜ったのである。 実際にハンガイ・オルスへ足を踏み入れたアルカークは、おそらく自分の分析を翻しているだろう。 表には決して出すまいが、内心では恥辱に打ち震えたに違いない。 堅牢な石材を絶妙のバランスで積み重ねた城壁は、地上百数十メートルにも及ぶ長大なもの。 なだらかな傾斜は、上方へ向かうに従って角度が急になっていき、頂上付近では完全に反り返っている。 鍛錬された兵士と雖も、よじ登るのは不可能に近かった。 外の敵兵に矢や銃砲を見舞う為の穴が城壁の至る場所に開けられており、これによって攻防一体を両立。 また、城壁頂上の通路には固定式の投石機も散見される。ハンガイ・オルス目指して突撃する敵軍は、 空から降り注ぐ流星によって大打撃を被ることだろう。 総延長百キロもの円形の城壁各所には塔、楼門が設けられ、敵軍の動きに睨みを利かせている。 これによってハンガイ・オルスから死角の二文字を消し去っているのだ。 厚さ五十メートルもの城壁を突破した先は複雑怪奇な迷路。 しかも、これを形成する壁には時間によってスライドするカラクリが施されている為、迷路図も一定ではなかった。 加えて、迷路には数限りなく罠が仕掛けられており、敵の進軍を大いに悩ませるだろう。 迷路を抜けると、今度は曲輪(くるわ)と呼ばれる防御機構に行き当たる。 これは一定区画ごとに城壁さながらの囲いを設けて敵勢を迎え撃つ仕掛けであり、各曲輪にて敵の進軍を堰き止めることが出来た。 数多の曲輪を突破して初めて内庭にまで到達出来る。 内庭まで辿り着けば、玉座は目前だ。数々の仕掛けを突破した直後だけに、攻め入った兵士たちも人心地つくことだろう…が、 この内庭にこそハンガイ・オルス最大の防御策が秘められていた。 ハンガイ・オルスの内庭は、異常とも言える程に広大だった。 城壁の外に“海原”が広がっていることを考慮に入れれば、東西三十キロもの緑の絨毯は、 外から流れ込んだ“内海(うちうみ)”の如き物と思えなくもない。 実際、内庭に群生する青草は、短く刈り込んであるだけで城壁の外と全く同じ物なのだ。 数十、いや、百以上の軍馬が一斉に駆け巡ろうとも全く問題のない環境が整っている―― ハンガイ・オルスの“内海”は、そのようにも言い換えられた。 それはつまり、内庭にまで攻め上ってきた敵兵を、テムグ・テングリ群狼領が誇る最強の戦力で迎え撃てると言うこと。 内庭は巨大厩舎とも繋がっている為、数が続く限り騎馬軍団を繰り出し、敵勢を踏み砕けるのだ。 まさか屋内にて騎馬軍の迎撃を受けるとは、誰も予想がつけられまい。 大将首まであと一歩と安堵した直後、内庭まで攻め寄せた敵兵は絶望の旋風に引き裂かれてしまうのだった。 「攻撃は最大の防御」。予想し得ない騎馬軍の突撃こそが、ハンガイ・オルス最大の防御策なのである。 玉座の所在する建物――守孝に言わせると、佐志の言葉で「天守閣」とのことだ――には、 医務室、鍛冶場、火薬の精製所など軍事に欠かせない施設が置かれているほか、 地下室にある弾薬庫、兵糧が備蓄された倉庫は、連合軍の総員を数年に亘って養える程に豊かであった。 馬軍と言う響きに似つかわしくないが、地下の開発にもテムグ・テングリ群狼領は力を傾注している。 備蓄用の地下倉庫や、地上が陥落した際に緊急避難するシェルターなど、 ハンガイ・オルスの下にも様々な仕掛けが施されているのだ。 秘密の地下道は、その最たる物である。 ハンガイ・オルスが聳える緑の大地の下には幾重にも抜け道が貫通しており、 ここを突っ切ることで敵の背後に回り込むと言う算段だ。 余程、草原(ここ)での暮らしに慣れた者でもなければ、青草で隠蔽された洞穴を発見することは難しい。 敵の注意がハンガイ・オルスへ引き付けられている間に騎馬軍団は悠然と奇襲の体勢を整えるのだった。 佐志はオノコロ原にて繰り広げられた群狼夜戦は、つまりはハンガイ・オルス必勝の策の再現と言うわけだ。 両軍ともに佐志を決戦の地として選んだのは、オノコロ原にハンガイ・オルスとの類似点を見出したからに他ならない。 古今東西の築城技術の粋を集めた馬軍の牙城、ハンガイ・オルスは、 縄張りから武装化まで先代バルトロメーウスが全てを手がけていた。 その話をジョゼフから聞かされたアルフレッドは、改めてパラッシュ一族の偉大さに感じ入ったものである。 城塞、要塞にまつわる知識もアカデミーにて学んでいたアルフレッドは、それだけにハンガイ・オルスの完成度へ驚愕するのだ。 フツノミタマとヒューもこうした事柄には造詣が深いらしく、城内の仕掛けを発見する度に彼らと顔を見合わせ、 まるで非の打ち所がないと唸り声を上げ続けていた。 今よりずっと小さな頃、城や砦のプラモデルを作って遊んでいたシェインもハンガイ・オルスには興味津々だったが、 観光気分のように見えなくもないオトナ三人の過剰なリアクションによってすっかり気分が萎えてしまい、 「オトコって、ホント、いつまでたってもコドモなの」と鼻で笑うルディアの味方に回っていた。 「俺っちもあちこち行ったけどよ――こんな大要塞は記憶にねぇぜ。……要塞っつっても良いんだよな? 砦のほうが正しいか? どっちにしても、こんなの相手に城攻めなんてよ、想像しただけでもブルッちまうぜ」 これはヒューの漏らした感想だ。 遊牧民を始祖とするテムグ・テングリ群狼領は、根本的に城下町と言う概念を持ち合わせておらず、 だからこそハンガイ・オルスは軍事拠点としての機能に特化しているのだ。 普段はハンガイ・オルスを囲むようにして馬軍伝統のテントを張り、そこで日々の暮らしを営んでいた。 即ち、有事の際にはテントを引き払ってハンガイ・オルスに篭城し、老若男女、最後の一兵となるまで戦い続ける覚悟である。 群狼領の幹部に召喚されたピナフォアは、稀有壮大なハンガイ・オルスの片隅―― 地下の一室にてデュガリ、カジャム、ブンカン、ザムシード、ドモヴォーイの五名と向き合っていた。 『枢密の間』と名付けられたその部屋は、上級幹部、それも限られた人間にしか立ち入りを許されない特別な場所。 群狼領の趨勢を左右し兼ねない議論がこの場にて交わされるのだ。読んで字の如く、まさしく“枢密”の間であった。 ピナフォアの盟主たるゼラールですら、この枢密の間には一度たりとも足を踏み入れたことがない。 踏み込むどころか、近付くことさえも禁じられていた。おそらく、この先も永遠に縁のない場所であろう。 白御影の石がタイル張りされたその部屋へ立ち入る資格を、どうやらピナフォアは与えられている様子だ。 しかも、彼女は今までにも何度か通った経験があるらしい。特別な部屋で、且つエルンストの側近と相対しているにも関わらず、 焦りや不安は僅かも浮かべてはいなかった。さりとて高揚した様子でもなく、至って冷静である。 対して、吟味でもするかのようにピナフォアを正面に据えたエルンストの腹心たちは、 皆、一様に難しい表情(かお)を作っている。ザムシードに至っては、眉間に青筋まで立てているではないか。 その様子を順繰りに見回していったピナフォアは、呆れ混じりの苦笑を噛み殺しつつ、 「この程度のコトに驚いてたら、心臓が幾つあっても足らないわよ」と鼻を鳴らして見せた。 「――ゼラール・カザンの離反は、十中八九間違いないわ」 改めて五将を見回したピナフォアは、念を押すかのような息遣いでもってゼラールの去就を告げた。 受ける側の反応は、一様ではない。 恥知らずと吐き捨てながら床を蹴るザムシードの隣では、ブンカンが腕組みしたまま瞑目し続けている。 時折、眉間の皺が微動するあたり、何事かを思案している様子だ。 軍中の監察をも兼務するドモヴォーイは、只今の言葉に偽りがないか見極めるようにピナフォアの面を藪睨み。 今のところはデュガリも半信半疑らしく、心底を窺おうとピナフォアの瞳を覗き込んでいた。 カジャムもまたピナフォアを黙って見つめているものの、その視線には猜疑の念はない。 師として姉妹分として、彼女の言行を静かに見守っているようだ。 カジャムはともかく――他の四将から一斉に疑心を突きつけられたピナフォアは、 彼らを睨み返しつつ「疑うくらいだったら、あたしなんか選ぶんじゃないわよ」と大きく鼻を鳴らした。 先程からピナフォアの言行がいちいちおかしい。 ラドクリフと臣下の序列を争う程にゼラールへ懸想している筈のピナフォアが、 何の躊躇いもなく彼の行動を外部へ漏らし、あまつさえ『閣下』のことを呼び捨てにしているではないか。 五将と向かい合わせに座していることからも判る通り、尋問を受けて口を割ったわけではない。 自らの意思でゼラールの腹の内を明かしているのだ。おそらくは側近にしか知らされていないだろう今後の企みを、だ。 ――明らかな密告である。 「疑うくらいだったら、あたしなんか選ぶんじゃないわよ」などと口走ったことから推察するに、 彼女はテムグ・テングリ群狼領からゼラール軍団に送り込まれた内通者と言うことなのか。 少なくとも、『枢密の間』にて繰り返される裏切り行為の数々は、内通以外の何物でもなかった。 「今頃、バスターアローがK・kに接触してると思うわ。離反後の武器の調達を取り付けるつもりね。 カザン本人は、当然と言えば当然だけど、軍団員の統率に腐心してるわ。 クルッシェンは自分探しの旅に出たみたいね。まあ、あいつは居ても居なくても変わらない小物だし、捨て置いても問題ないわ。 なんか遠乗りしてくるとか抜かしてたわね。ウロチョロされんのが目障りだって言うなら、規律違反とでも理由つけて処刑したら?」 ピナフォアの口からは、次から次へとゼラールに対する裏切りの言葉が飛び出し続けている。 とうとうK・kと接触を図ったトルーポのことまで詳らかにしてしまった。 武器調達の仔細がテムグ・テングリ群狼領に露見することは、ゼラール軍団にとって致命傷にもなり兼ねない。 サッと目の色を変えたザムシードの肩を叩き、落ち着くよう促したドモヴォーイは、 デュガリへ目配せしながら「後で調べておこう」と実態調査の実行を言明した。 これはゼラール軍団への追及、粛清と言うよりも、頭に血が昇ったザムシードを鎮静する意図が大きい。 暫しの思案の後、双眸を見開いたブンカンは、不満げに口先を尖らせたピナフォアを一瞥すると、 「規律違反は妙案だ。カザン君のやろうとしていることは、完全に規律違反。……御屋形様への逆心は疑いない」と天井を仰いだ。 逆心と言う忌むべき言葉に呼応したザムシードは、重苦しくも昏い怒りを滲ませる表情(かお)でもって壁に拳を叩き付けた。 いちいち激情的に騒音を立てるザムシードが煩わしいのだろう。白御影の部屋に反響した鈍い音にピナフォアは眉を顰め、 またしても嘲るように鼻を鳴らした。 「怒るのはお門違いじゃない? そこまで追い立てたのは、あんたたちよ。 あんたたちがどう思ってるかは知らないけど、ゼラール・カザンは莫迦じゃないわよ。 極めつけの愚か者だけど。追放される前に先手くらい打つわよ」 ――追放。 その二文字がゼラール軍団に宣告された瞬間の情景を、ピナフォアは鮮明に覚えている。 ギルガメシュの追討部隊を討ち払ってハンガイ・オルスへ帰還したゼラールは、 自室に戻るよりも先に玉座への召喚を受け、戦塵に塗れた姿のままエルンストに謁見したのである。 ピナフォアもトルーポやラドクリフと共にこれに従っていた。 ラドクリフは追討部隊迎撃の報償を期待し、「もう誰にも閣下の悪口は言わせない!」などと目を輝かせていたが、 エルンストの口から発せられたのは、彼の希望とは対極に位置するもの。 禁忌とされるトラウムの使用とその励行、度重なる命令違反、改善不可能とまで見なされた素行不良―― 枚挙に暇がない程の批難を浴びせられたゼラールは、軍団の解体とテムグ・テングリ群狼領からの追放を命じられてしまったのだ。 諸将からゼラールに注がれる目は白く、追放と言う処断がテムグ・テングリ群狼領の総意であることを暗示している。 群狼領内に於ける自分たちの立場、またゼラール軍団の掲げる理念から、このような結末を予め想定していたらしいトルーポは、 さして狼狽した様子でもなかったのだが、大変だったのはラドクリフだ。 ゼラールの功績を認めないどころか、毀損することに等しいこの処断には、気色ばんで猛抗議した。 トルーポが羽交い締めにして止めなかったなら、その場で彼はエルンストに弓を引いた筈である。 ラドクリフのようにヒステリーを起こすことはなかったにせよ、ピナフォア自身もこの処断には心揺さぶられていた。 デュガリら五将からは事前に何ら連絡がなく、あの場で突然に追放を報らされたのだ。 境遇自体は、トルーポやラドクリフと全く同じだった。 唯一、彼らとの違いを挙げるとすれば、エルンストから宣告されるより前にカジャムと顔を合わせた段階で、 ピナフォアだけは召喚された理由を悟ったと言う点か。 そのとき、自分がどのような表情をしていたかをピナフォアは覚えていないが、 少なくとも穏やかなものではなかっただろう。 「カザンにほだされたって疑うくらいだったら、あたしなんか選ぶんじゃないわよ。 本当、あんたたちは身勝手よね」 ピナフォアへ内通の任務を命じたのは、他ならぬデュガリその人である。 それにも関わらず、肝心なときに必要な情報を与えてくれなかったデュガリへ抗議する意味も込め、 ピナフォアは、先程の不満を再び繰り返した。 デュガリを始め『枢密の間』に居並ぶ彼らは、ピナフォアがゼラールへ完全に取り込まれたと見なしていたわけだ。 「あたしにはあんたたちの考えが全然わかんないわ。追放も離反も、結局は同じでしょうが。 晴れてゼラール・カザンとオサラバっつってんのに、こんなジメジメした場所で、あんたたち、何がしたいわけ?」 「放逐と離反は似ているようでまるで違う――」 意味がわからないとばかりに頭を振るピナフォアに対し、ザムシードも全く同じように首を回転して見せた。 ザムシードの場合は、ピナフォアの疑念を打ち消す為のゼスチャーであるが、 いずれにしても、ふたりして頭を振り合うと言う珍妙な光景となった。 「――カザンの離脱を許せば、それは我が群狼領の沽券に関わる。あのような程度の低き者に侮られると思われては、 全軍の士気にまで影響が及ぶのだ。我らは連合軍の要。常に強くあらねばならない」 「追い出すか、逃げ出されるかの違いで士気が上下するって? ……落ちぶれたもんね、テムグ・テングリも」 ザムシードの理屈を許容出来ないのか、大袈裟なまでに肩を竦めるピナフォアに向けて、 デュガリは「肩を持つのか?」と穿つような問いかけを差し向けた。 「今もってゼラール・カザンを擁護する気か、ピナフォア。それは――」 「――いい加減にしなさいよ、クソジジィッ!」 なおもエルンストへの忠誠心を疑おうとするデュガリに激怒したピナフォアは 椅子を蹴って立ち上がると、彼に向かって両手を突き出した。 「敵の目を欺くにはまず味方から――こいつはドモヴォーイから教わったことよッ! クソジジィ、あんたからは将の在り方をッ! ザムシードからは忠誠心ッ! 軍略はブンカンにも習ったわねッ!? 馬軍の心得を授けてくれたのは、カジャム姉さんよッ! したたかに生き抜く術ってヤツよねッ!?」 「………………」 「あんたら、自分で自分をコケにしてるって、まだ気が付かないワケ!? それで御屋形様の懐刀を気取るつもりなら、いいわよ、こっちこそあんたらを粛清してやるわッ!」 彼女は吸着爆弾のトラウム、「イッツァ・マッドマッドマッド・ワールド」を発動させるつもりだ。 このような密閉空間で吸着爆弾など炸裂させようものなら五将は言うに及ばず、 自分まで致命傷を被りかねないのだが、頭に血が上っている今の彼女には冷静な判断自体が難しかろう。 攻撃対象に目されたデュガリと、彼の真隣に立つザムシードは、 突飛としか言いようのないピナフォアの行動に表情を硬化させていく。一層険しい表情となっていく。 氏族同士の話し合いは、いつしか一触即発の事態へ発展していた。 「――カザン君には我が同胞も数多く靡いている。私には何がそんなに好いのか本気でわからないけどね。 テムグ・テングリから彼のもとに走った者たちは、今回の決定にどのような反応を見せているのだろう?」 ――そう言って横槍を入れ、緊張の糸を断ち切ったのはブンカンであったが、 彼の言葉があと少し遅かったなら、ピナフォアの掌へ本当に吸着爆弾が具現化されていただろう。 すんでのところで間に合ったから良いものの、群狼領内に新たな造反者が生まれるところだったわけだ。 ブンカンの意図を察し、……また、カジャムから諫めるような眼差しを向けられたピナフォアは、 突き出していた両腕を胸の前にて組み、次いで先程の問いかけに「切り崩しはムリね」と答え始めた。 「甲冑やら馬やらは、あたしたちテムグ・テングリと同じだけど、もう中身は完全に書き換えられちゃっているわ。 あいつらは馬軍じゃない、ゼラール軍団なのよ。あたしが抜けたからって、何が変わるもんでもないわ」 「一蓮托生でカザン君に従う、か。……ピナフォア君ではないけれど、落ちぶれたもんですね、我が軍も」 自分の過去(こと)もあり、同胞・氏族の離反に対して複雑な感情を抱いているザムシードは、 ブンカンの漏らした言葉へ「信念を持った者の心は、容易く覆る者ではないからな」と苦々しく頷いた。 ピナフォアも概ねザムシードに同意しているが、しかし、この場の誰よりもゼラール軍団の内情を理解する彼女には、 かつての叛将が尊び、恐れる信念すら覆してしまえる秘策があるようだ。 右手で握り拳を作り、これによってザムシードの注意を引きつけたピナフォアは、 自信の程を見せつけるように口の端を吊り上げた。 「城壁を崩すなら要石を抜け――このことを、あたしは御屋形様直々に教わったわ」 ピナフォアの言葉に対してザムシード以上の反応を見せたのは、ドモヴォーイである。 成る程、諜報活動を主務とする彼にとっては、決して聞き漏らすことの出来ない“材料”なのだろう。 「ゼラール軍団の要石は、トルーポ・バスターアローよ。あれが消えれば、軍団の維持は不可能になるわ」 ピナフォアは軍団の柱として意外な人物の名を挙げた。 百戦錬磨のデュガリもこれは予想外だったようで、「ゼラール本人ではなく、か?」と尋ね返したくらいだ。 「ゼラール・カザンを始末すれば、遺された連中は死に物狂いで報復に出るでしょうね。 そうなれば、いくらあんたたちでも無傷じゃ済まないわよ。 トルーポひとりでここに居る全員を虐殺出来るだろうし、認めたかないけど、ラドクリフだって天才なのよ。 馬軍の中枢は壊滅。ギルガメシュどころの話じゃなくなるわ」 「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ――バスターアロー君が、馬と言うわけか」 「カリスマ性ひとつで渡っていける程、世の中、甘くないわよ。部隊の編制、周旋まで一手に担っているのは誰? ……トルーポ・バスターアローさえ消えれば、黙っていても消滅するわ。あいつだけは野放しには出来ないわよ」 あろうことか、ピナフォアは軍団の要と目されたトルーポの暗殺を促し始め、ブンカンもまた彼女の意見に同調しつつある。 トルーポの力量は、他ならぬブンカン本人が一番理解(わか)っているのだ。 彼の具申を聞き入れ、対ギルガメシュ用の備えを整えたのもブンカンである。 上辺だけ――ピナフォアの言行からは、そうとしか思えない――とは言え、 本来は仲間であるべきトルーポを暗殺するよう仕向けるピナフォアには、さすがのデュガリも押し黙るしかない。 ザムシードとドモヴォーイに至っては、自分たちと二回りは年の離れた彼女に畏怖の念さえ抱いていた。 叛将と言う過去を持つザムシードの目には、ピナフォアの姿は痛ましくさえ見えた。 ただひとり――カジャムだけが、ピナフォアを混ざり気のない眼差しで見つめている。 畏怖や軽蔑と言った淀みを含み得ない透き通った視線を肌身に感じながらも、 ピナフォアはゼラール軍団崩壊への手立てをデュガリたちに説いていった。 エルンストやグンガルに随行して闘技場へと赴いていた筈のビアルタが、 ノックもそこそこに『枢密の間』へ駆け込んだのは、まさに暗殺の子細を打ち合わせている最中であった。 片手にはホットドッグを手にしており、心ゆくまで観戦をエンジョイしている様子である。 「――大変なことになっていますぞ! アルフレッド・S・ライアンがやられた!」 * ――その瞬間、エルンストは座していた椅子から反射的に腰を浮かせてしまった。 リングサイド正面に設けられた特等の観覧席にてグンガル、ビアルタと共に決闘を見守っていた彼は、 それが為に誰よりも間近でアルフレッドが倒される瞬間を目の当たりにすることになったのだ。 すぐさまに観覧席を飛び出したビアルタはともかく、グンガルも腰を浮かせ、 リングと父とを交互に見つめるばかり。当のエルンストは直立不動のまま身じろぎひとつ出来なくなっている。 先程来、声すら発していないのだ。 彼の視線の先には、雨垂れのリングへうつぶせで倒れるアルフレッドの姿があった。 話を数分ばかり遡ると――互いの出方を探り合う余り、三者は膠着状態へと陥っていた。 三者の実力が伯仲していることは、これまでの闘いからも明白だ。 フェイやイーライに比べて一歩劣ると見られていたアルフレッドも、 ローガンとのトレーニングで培った新たな技法を駆使して善戦し、今や遅れを取るどころか圧倒すらしている。 巧みにホウライ操るアルフレッドの躍動を、師匠のローガンは親バカよろしく周囲に自慢したものである。 身をもってホウライの恐ろしさを実感しているニコラスは、誰が相手だろうとアルフレッドが負けるわけがないと確信さえしていた。 劣等だと見下していたアルフレッドが、いつの間にか自分に比肩する程の戦闘力を身につけた事実をフェイとて認めざるを得ず、 イーライもまた見違えるような急成長には刮目する思いである。 力押しで倒せる相手ではない――三者ともに相手の力量を恐れ、おののいていた。 焦れるような膠着を最初に破ったのは、フェイである。 雨天に稲光が走り始めた途端、彼は口元を不気味に歪め、次いでツヴァイハンダーの構えを直した。 水平に構えた刀身を後方へと回し、剣先の挙動を相手から見えなくしてしまったのだ。 これによってツヴァイハンダーは、いずこから襲い来るかも知れない影の刃と化した。 俊足でもってアルフレッドとの間合いを詰めたフェイは、左手一本でもってツヴァイハンダーを振り抜き、 轟然たる横一文字を打ち込みに掛かった。 この横一文字は、ツヴァイハンダーの剣先が相手に届くか否か、ぎりぎりの距離で繰り出されていた。 おそらくアルフレッドの目には、リーチの範囲外のように映るだろう。そう錯覚を起こすような距離からの打ち込みである。 “影の刃”の狙い、いや、真価はそこにある。 アルフレッドにはツヴァイハンダーの動きが殆ど読み取れない。 半ば勘を頼りに攻守の判断を行うことになるのだが、それこそが必勝の機会だと見たフェイは、 柄頭のみを左の拳で握り締め、この長大な刃を振り抜いたのだった。 上体を思い切り広げ、且つ、ひとつ誤れば脱臼し兼ねない程に左腕を伸ばすことで、アルフレッドの目測を惑わそうと謀った次第である。 しかし、アルフレッドは、またしてもフェイの予想を上回っていた。 横薙ぎに繰り出されたツヴァイハンダーの腹、その表裏を両の拳で挟み込んで動きを封じたアルフレッドは、 左の膝を屈し、なおかつ右足を大きく開くと、下方へと一気に身を沈ませた。 急激に下方へ向けられた力は、ツヴァイハンダーを通ってフェイの左肩に多大な負担を与えた。 ただでさえ無理な体勢で腕を伸ばしていた為、ダメージを逃す方策すら彼には立てられない。 ありとあらゆるバネを総動員し、沈ませていた身に捻りを加えながら一気に跳ね上がったアルフレッドは、 フェイの左肩へ更なるダメージを重ねた。 両拳ではなおも刀身を挟んでいる。重心を急激に変えることで強力な遠心力を生み出し、 ツヴァイハンダーごとフェイを後方に投げ飛ばしたのだ。 フェイとツヴァイハンダーとが別々に宙を舞ったと言うことは、とうとう彼の左肩は関節が外れてしまったようだ。 鉄球に変身したイーライの右拳がアルフレッドの脳天を捉えたのは、彼がフェイを追撃すべく地面を蹴った直後のことである。 意識がフェイひとりに向かっていた為、イーライの存在また気配をも失念したアルフレッドは、 この強撃を全くの無防備で被ることとなり、苦悶の表情のまま膝から崩れ落ちてしまった。 思わず立ち上がったエルンストは言わずもがな、 観客席にてファラ王と決闘を見守っていた仲間たちもこの緊急事態には悲鳴を上げた。 下馬評を覆して優勢のまま押し切るかと思われたアルフレッドは、うつ伏せに倒れたまま微動だにしなくなっている。 リングと観客席は遠く離れている為に確認は出来ないのだが、おそらく軽傷では済むまい。出血や挫傷は免れないように思えた。 再び起き上がるようにとローガンやハーヴェストは身を乗り出して叱咤し続け、ネイサンも応援の旗を振り回しながら彼らに倣った。 装甲板が軋む程に右手を強く握り締めたニコラスも、親友を揺り起こすべく激励を送り続けている。 このときばかりはムルグまでもが雄叫びを上げ、ダウンを奪われた不覚をどやしつけていた。 ルディアに至ってはアルフレッドの代わりに決闘へ参加するとまで言い始め、 実際に「よっくもうちのリーダーをやってくれやがったなのっ! 今度はルディアが相手になってやるのっ! メガブッダレーザーの餌食にしてやるのねっ!」などと喚いて腕まくりした程だ。 これはすぐさま守孝に押し止められたが、かく言う守孝自身もリングへの乱入を懸命に堪えていた。 エクステの裏から決闘を見守っていたセフィの声は、他の誰よりも大きい。 「――未来を変えると宣言したのは誰ですかッ!? 他ならぬアル君じゃありませんかッ! ここで諦めたら、私はあなたを一生涯ヘタレと呼び続けますからねッ!」 セフィの声援は、誰よりも大きく、何よりも頼もしい。 皆が一丸となってアルフレッドを叱咤激励し、再び立ち上がる姿を待ち侘びている。 だが、仲間たちの期待も虚しく、アルフレッドは一向に復活する気配がない。 イーライの一撃によって受けたダメージは、皆が思っている以上に深刻なようだ。 今のアルフレッドには仲間の声援に応じることも出来ないのだと見て取ったマリスは顔面を蒼白にして崩れ落ち、 傍らに侍っていたタスクが慌ててこれを支えた。 マリスの唇は痛ましい程に青ざめており、あるいは致命傷の可能性まで思い詰めているのかも知れない。 ガードをする間もなく脳天をハチ割られたのだ。最悪の事態を疑うのは必ずしも悲観的ではなく、無理からぬ話でもあった。 「う〜む、なかなか楽しませてもらったのだが、所詮は田舎者、この程度が限界か。 なかなか面白い角度から入ったでな、頭蓋骨陥没くらいは行っておるやも知れんぞ」 生気を失い、蹲ってしまったマリスを更に追い詰める失言を口走ったのは、口調からも察せられるようにファラ王である。 あってはならない失言を主に代わって詫びたアポピスは、お仕置きとばかりにファラ王の首筋へ巻きつき、 全身の力を振り絞って彼の頚動脈を絞めつけた。 無論、お仕置きがその程度で済まされるわけがない。ヒューやレイチェル、更にはジョゼフまでもがファラ王を足蹴にし、 グドゥーの王者は見るも無残なボロ雑巾と成り果ててしまった。仲間を傷つけられた報復としては、これでも手ぬるいほうであろう。 トドメとばかりにファラ王の頭を足の裏で嬲るのはラトクであったが、彼の場合は、報復の念を持ち合わせているのか疑わしいものである。 その間もアポピスは主の大失言をマリスに詫び続けていた。謝られた側のほうが逆に申し訳なく思ってしまう程の平身低頭であった。 ラトクに嬲られるファラ王の口から悲鳴すら途絶える頃になると、ようやくマリスも落ち着きを取り戻し始め、 アポピスに向かって「わたくしのアルちゃんも格闘者です。闘いに生きる者にとっては、このようなときもあるでしょう。 今は生死の境にあろうとも、必ずこの窮地を乗り越え、より強靭に復活するものと信じております」と、応じられるようにはなってきた。 依然としてアルフレッドのダウンと言う沈痛な事態は改善されていない為、今にも心が折れてしまいなのだが、 それでもマリスは気丈に振る舞い続けている。 彼女がどのような想いでいるのかは、真っ青な頬を見れば一目瞭然である。 タスクは勇気付けるようにして彼女の肩を強く抱き締め、アポピスは改めて頭を下げた。それ以外に彼は償いの手段が思いつかなかった。 仲間たちが声高に叱咤激励を飛ばす只中にあって、フィーナはひとり静かに両手を組んで祈りを捧げ続けている。 皆のように声こそ出さないものの、倒れ込んだまま雨の冷たさに身を震わせることもないアルフレッドをじっと見つめ、 その生還を待ち続けていた。待って待って、待ち侘びていた。 マリスたちとの大きな違いは、面に悲壮感や逼迫間を宿していないことか。 怪我の程度を案じ、これ以上、状況が悪化しないよう女神イシュタルに希いこそすれ復活そのものには確信を抱いており、 アルフレッドに向ける眼差しは、誰よりも厳しい。 これ以上、皆に心配を掛けないよう早く立ち上がれと催促している風にも見えた。 フィーナたちの様子を目端に捉えるレオナは、自身のパートナーが優勢であるにも関わらず、 それを勝ち誇るどころか、喜ぶことさえ憚ってしまい、居心地悪そうに身を縮める有様であった。 次なる悲鳴が上がったのは、困ったように萎縮するレオナのすぐ隣であった。 何事かと隣席の様子を窺えば、ソニエとケロイド・ジュースが揃って椅子から立ち上がり、 信じられないとばかりに頭を激しく振っているではないか。 ふたりが悲鳴を漏らしたからと言って、イーライがフェイをも仕留めたと言うわけではない―― ソニエとケロイド・ジュースの言行から漂う悲壮感は、フェイが晒し始めた狂態へと向けられていた。 口元に手を当てて目を見開くソニエを、ジョゼフは身心の破綻を案じるかのような眼差しを見つめている。 やがてソニエからフェイに転じた目は、憎悪と軽蔑の念で燃えていた。 脱臼した左肩を強引に嵌め込み、腕の可動を無理やり回復させたフェイは、 地面に放り出されていたツヴァイハンダーを拾い上げると、今度こそ仇敵を仕留めるべく大地を蹴った。 すかさず右腕を肉厚の刃に変えたイーライは、未だ動かぬアルフレッドを飛び越してフェイに挑み掛かっていく。 アルフレッドへトドメを刺すには絶好の機会だったが、彼にばかり気を取られていては、自分も同じ不覚を取るだろう。 フェイの存在を失念することなど出来よう筈もなかった。 左の中指を立ててフェイを挑発するイーライだったが、相手側は無反応。 と言うよりも、イーライを眼中にさえ入れていないようにも思えた。 剣先はイーライを狙っているものの、真に殺意を抱く相手は別に在るのではないか。 奇妙な違和感を覚えながらも左手を十字型の盾に変身させ、フェイと斬り結ぶイーライだったが、 胸中に垂れ込めた説明し難い靄は、闘いを進める中で加速度的に色を濃くしていった。 フェイが振るうツヴァイハンダーは、イーライの刃を、十字盾を、凄まじい力で断ちに掛かっている。 ……掛かってはいるのだが、イーライを相手に“闘う”つもりはなさそうだ。 目障りな障害物を力任せに薙ぎ払う――そのような念がツヴァイハンダーの刀身には宿っていた。 目標への道を妨げる障害物同然に見なされていると感付いたイーライは、 舌打ち混じりに「ナメた真似してくれるじゃねぇかよ!」と火を吹いた。 フェイの態度は、イーライにとって何にも勝る侮辱である。 十字盾でツヴァイハンダーを受け止めるや否や、盾の表面から鋭く尖った針金を無数に張り出させ、 フェイの喉元を脅かそうと試みた。 その内の何本かは他に先行して飛び出し、先んじてツヴァイハンダーの刀身に絡み付く。 予め針金が斬り払われる可能性を潰した上で、フェイを串刺しにしようと言う腹積もりだった――のだが、 今まさに針金がフェイに接触する間際になって、初めてイーライは自分の失態に気が付いた。 つい先程までフェイの間近に在ったウォール・オブ・ジェリコが、今やどこにも見当たらなくなっている。 しかし、フェイが具現化を解除したような記憶はない。ヴィトゲンシュタイン粒子が散る様を見逃す程、イーライとて迂闊ではない。 リング上のどこかにバリアフィールドの発生装置が浮揚している筈なのだ。 ここに至るまでのフェイの行動を分析するイーライの脳裏にひとつの仮説が浮かんだ。 脳裏に芽吹いた仮説は、彼の思考を次なる階梯へと発展させる枝葉ともなり、 これから自分の身に降りかかるだろう危難をも彼に訴えかけた。 その予測が正答であることは、不気味な笑気に歪むフェイの面が証明していた。 左手の装着したガントレットで針金を受け止めたフェイは、「極刑を受けろ」と、そう口を動かしている。 「くそったれッ! そう言う手で来やがったかよッ!」 左手によるツヴァイハンダーの捕捉を反射的に解き放ち、 その場で液体金属の水たまりと化したイーライの緊急回避は、善後策の判断としては最良であろう。 探し求めていたウォール・オブ・ジェリコ――その発生装置は、イーライ目掛けて背後から飛び込み、 つい数秒前まで彼が屹立していた場所に三角形のバリアフィールドを展開されている。 更に詳述するならば、イーライの頸部があった地点にてエネルギーの膜が水平に張られているのだ。 緊急回避をせずに棒立ちしていたなら、ギロチンと化したウォール・オブ・ジェリコによって首の付け根から焼き切られていたことだろう。 間一髪、フェイの隠し球を避けたイーライは、液体金属の水たまりから三本の槍を突き出し、 ウォール・オブ・ジェリコの要たるピースを破壊、身の安全を確保した上で元の姿に戻った。 自然とアルフレッドを庇うような恰好になってしまうのだが、イーライに他意はない。 偶然、先程と同じ位置関係となっただけのことである。 イーライ本人にとっては取るに足らない些末なことがフェイの逆鱗に触れたらしく、 ウォール・オブ・ジェリコを手元へ引き戻すや否や、狂ったようにツヴァイハンダーを繰り出し始めた。 今度は完全にイーライを標的と見定めているようで、刃に漲る殺意は先程までと比べて段違いである。 それでも、だ。彼が真の標的としているのは、あくまでも別――そのことをイーライは確信していた。 虚ろな双眸でもってイーライを睨み据えているように見えて、実は彼の背後へとフェイの意識は飛んでしまっている。 「貴様もか……貴様もかァッ!」 執拗に、執拗に――フェイはアルフレッドにトドメを刺そうと躍起になっていた。 つまり、イーライはアルフレッド抹殺を阻む障害物と言うわけだ。 位置関係だけ見れば、成る程、イーライがフェイの前に立ちはだかっているようにも思える。 フェイに応戦したことでアルフレッドを守るような構図まで生まれているのだから、 偶然とは恐ろしいものである。 言うまでもなく、イーライには良い迷惑だった。 当人の意思が全く介在していないところで勝手にシナリオが作られ、 それだけならまだしも、いつの間にやら駒のひとつとして、そこに乗せられてしまっているのだ。 図らずもアルフレッドの前に立った。ただそれだけでフェイに逆上されては、堪ったものではない。 こうなるとイーライも底意地が悪いもので、フェイの神経を弄ぶかのように頑としてアルフレッドの傍を離れず、 我が身を盾にして闘い続けた。 フェイの神経を最も蝕む行為でもって憂さを晴らすつもりなのだ。 自分で殴り倒した相手を庇う構図は何とも間抜けなのだが、それでフェイをいたぶれるのであれば、 体裁など知ったことではない。 「どうした、どうしたァ? 庇ってくれるオトモダチもいなくて寂しいってかぁ? そりゃそうだわなぁ。 耳を澄ませてみろよ、ホレ。こいつのお仲間の声はうるせぇくらいなのになァ」 「黙れ……」 「素直になれって、えぇ? 同じグリーニャ出身なのに、どうしてこんなに差が付くんだろうなァ?」 「黙れッ!」 アルフレッドを絡めた挑発には反応すると確認したイーライは、両手を刃に変えて斬り結びつつ、 血走った眼で向かってくるフェイを言葉の責めにていたぶり続けた。 しかしながら、不遜な口ぶり程にはイーライの側も余裕を持ってはいない。 両腕を刃に変身させられると言っても即座に達人となれるわけではなく、当然、剣術の技量ではフェイになど遙かに及ばなかった。 その上、急激に腕を伸ばして奇襲しようとも、腹から巨大な杭を突き出そうとも、 全ての攻撃がウォール・オブ・ジェリコで跳ね返されてしまう為、有効打は皆無に等しかった。 右足の五指を針金状に変身させ、且つ地中を潜らせてウォール・オブ・ジェリコの突破を図ったのだが、 地中から飛び出した瞬間に彼の靴にて踏みつけられ、ツヴァイハンダーの一薙ぎで寸断されてしまった。 さすがは英雄、剣匠と言うべきであろう。 イーライもトラウムを生かした戦いには慣れており、現にディプロミスタスの持つ戦闘能力は全て引き出しているのだが、 一つの武芸を極めた果てに辿り着く奥義、あるいはこれに類されるものを持ち得ないことも事実である。 だが、フェイは違う。この男は剣匠と畏怖される領域にまで武芸を磨き上げたのだ。 「フン――ナントカの一念、岩をも通すってヤツかよ。うざってぇな、マジで」 左脚に違和感を覚えるイーライだったが、おそらく彼の靴の中は水没でもしたかのような有様だろう。 無論、染み出した雨水のことを指しているわけではない。 「――アウトロー崩れの相手はここまでだッ! まとめて黄泉路に送ってやる……ッ!」 言うや、中空高く飛び上がったフェイは、闘気で満たしたツヴァイハンダーの剣先を更なる高天へと翳した。 「――ちょっとあれ……天帝醒獣煌(てんていせいじゅうこう)ッ!?」 「……やめろ……フェイ……それは……生身を相手に……使っていい……技ではない……。 クリッター専用の……奥義だった……ハズだろうがッ……!」 雲に向かって垂直に立てられたツヴァイハンダーを目の当たりして、 フェイが何を企んでいるのかを瞬時に見極めたソニエとケロイド・ジュースは、 観客席から身を乗り出し、天を仰いで制止の、いや、諫止の声を投げた。 矢の如く鋭い諫言ではあったのだが、ハンガイ・オルスを震わせる程に大きな雷鳴によって一切が噛み砕かれ、 フェイの耳にまで届くことはなかった。 声を嗄らして踏み止まるよう訴えるふたりの目の前で黒雲が眩く輝き、一筋の稲妻がツヴァイハンダーの剣先へと降り注いだ。 戦局が激動の兆しを見せ始めた今になっても、アルフレッドの意識は闇の底に沈んだままである。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |