9.Battle Royal part.1〜the two flying toward the high tower


 決闘の行なわれる場所を尋ねられたシェインとフツノミタマは、口を揃えて「闘技場」と答えた。
 武技に重きを置くテムグ・テングリ群狼領は、ハンガイ・オルスの郊外に専用の闘技場を構えている。
三人の決闘はそこで催されるらしく、実際、将兵たちは玉座や評議場と言った中心的な建物から離れた場所を目指して歩を進めている。
 その中にはヴィクドの傭兵と言ったエルンストの配下以外の者も混ざっており、
最早、三人の決闘がハンガイ・オルス中に広まっているのは明白であった。
 廊下に出たところでソニエとケロイド・ジュース、更にレオナと鉢合わせしたフィーナたちは、
訳もわからないと言った風情を満面に浮かべながら、闘技場へと連れ立って進む。

「……この度は……ウチのリーダーが……とんだ粗相をば……致しまして……。……なんともはや……ごめんちゃい………っ……!」
「ちょっとちょっと、ケロちゃん! まだフェイが吹っかけたと決まったわけじゃないでしょうが! 
大方、そちらさんの相棒がまた難癖つけてくれやがったんじゃないかしら?」
「うーん――その可能性は否定できませんね。なにしろイーライは気に障ることがあると口より先に手が出るタイプなので……」
「……おやおやおやおや、随分とトゲのある言い方じゃない。やっぱりあんたもフェイのほうから何かしたと思ってんじゃないの!」
「私はイーライの性情と照らし合わせただけなのですが、その冷静な分析がご気分を害されたのならお詫びのしようもありません」
「ソ、ソニエさんも、レオナさんも落ち着いて。まだ誰がどうとか、何がどうなったとかも私たちにはわからないんですから……」
「……年下に……フォローされるとは……いと嘆かわし……二人とも……反省……しなさい……」
「ケ、ケロちゃん、それはぁ〜」
「軽率でした、はい……」

 途中、互いのパートナーを庇うかのようにソニエとレオナがアレコレとやり合っていたが、
如何にフィーナとていちいち相手にはしていられない。
 これから始まるイベントに興奮しているのか、先頭を往くシェインの足取りは、どんどんと加速しているのだ。
気を張って追いかけなければ、たちまち置いてきぼりを喰らってしまうのである。


 ところが、控え室から闘技場へ向かう道程の十字路に差し掛かったとき、
それまで勢いよく進んでいたシェインの足が急に止まってしまったのだ。
 後続するフィーナたちは、たまったものではない。全速力を出している最中に急ブレーキを掛けられたようなもので、
一同揃って盛大な玉突き事故を起こしそうになった。
 シェインと肩を並べていたフツノミタマだけは、そのまま数メートル先まで突っ走ってしまい、
後方の様子へ気付くまで相応の時間を要した。
 他の面々が誰ひとりとして追従せず、ずっと後ろでもたついていると見るや、
フツノミタマは顔を真っ赤にして駆け戻ってきた。気付かなかったとは言え、自分ひとりで先走ってしまったことが、
成人(おとな)として相当に恥ずかしかった様子だ。

「なんで誰も随いてこねぇんだよッ!? あッ? 新手のいじめか、あァんッ!?」

 何時にも増して大きながなり声を立てるフツノミタマであったが、
しかし、標的とされたシェインの耳には、全くと言って良いほど届いていない。
 迷惑そうに顔を顰めたソニエは、人差し指で耳に栓をするようなゼスチャーを披露しており、
周りの人間の鼓膜は、精確に劈いているらしい。
 本人さえ気付かない内にフツノミタマの声が嗄れてしまったと言うことは無さそうだ。
 それは、周囲で発生する如何なる音さえ気付かない程にシェインの意識が別の次元へ飛んでしまった証左でもある。

 先程からシェインの双眸は、闘技場とは全く別の方角へと向けられており、そのまま彫像か何かのように固まっている。
 シェインの視線が向かう先を窺えば、そこには廊下をひとりでそぞろ歩くラドクリフの後ろ姿。
どこへ向かおうとしているのか定かではない小さな後ろ姿があった。
 闘技場へ向かうには、東に抜ける通路を選ばなければならないのだが、
これから始まる決闘に興味がないのか、ラドクリフは西の通路をひたすら直進し続けている。
シェインたちがやって来たのは、四本の通路が交わる中心点から見て北の方角である。

 「興味がない」とは、妙な話だ。
 いや、ラドクリフ本人の興味はともかくとして、このように血湧き肉躍る祭り騒ぎにゼラールが反応しないわけがない。
誰よりも先んじて闘技場へ乗り込む筈だ。もしかすると、決闘への飛び入り参加まで表明するかも知れない。
 忠実なる従者であるラドクリフは、他の仲間と共に必ずやゼラールに随行するだろう。
否、随行していなければおかしいのだ。
 それにも関わらず、ゼラールが陣取っていると思しき闘技場とは正反対の方角へとラドクリフは歩いている。
ならば彼だけが単独行動を取っているのか。そう思えなくもないのだが、それにしては足取りが危ういではないか。

 熱にでも浮かされているのか、フラフラと歩くラドクリフの危うい後ろ姿にシェインは釘付けとなっていたのだ。
 身じろぎ一つせずにラドクリフを見つめ続けるシェインの耳元へ口を寄せたケロイド・ジュースは、
「……フレンドか……?」と静かに尋ねた。

「親友だよ」

 言葉少なに答えるシェインだったが、その眼差しがケロイド・ジュースを捉えることはない。
ラドクリフの背と言う一点を見つめたまま、彼の双眸はどこにも動かなかった。
 喧嘩友達よろしく普段はラドクリフに向かって憎まれ口ばかり叩くルディアだが、
このときばかりはさすがに悪態を自粛しており、「……張り合いがなくって困るの」と不安げに呟いている。

「手間をテイクさせるけど、様子をルックしてきてくれナッシングかナ? アイツはネ、メンタルがアウチになると、
ザットなバッドステータスがアピアーするんだヨ。……チミがベストの適アクターみたいだ」

 そう言ってシェインの背中を押したのは、ラドクリフの師匠であるホゥリーだ。
 彼もまた後ろ姿でしか弟子の状態を確認していないのだが、幼い頃から面倒を見てきた賜物か、
瞬時にしてラドクリフの不調を見抜いた様子である。それも、心因性の不調と言うことまで言い当てたのだ。
 ホゥリーは「生活スメルがするのってバッドなんだヨ」などと言って厭がるだろうが、
ラドクリフから実の父親のように慕われるだけのことはあった。

 シェインの足が再び動き出したのは、ホゥリーに背中を押された直後である。
 ホゥリーへ返事をすることも、他の仲間たちを振り返ることさえも忘れ、シェインは西の通路へと駆けていった。
 「もうじき始まっちまうぞ。えぇ、間に合わなくなったって知らねぇからなぁ」と、
念を押すようなフツノミタマの問いかけは、先程と同じようにシェインには届いていないだろう。
 自分たちが向かう方角とは正反対の通路へと吸い込まれていく背中を、フツノミタマはジッと見守っていた。
問いかけを無視されて怒るどころか、その口元には薄い笑みさえ浮かべている。

 ホゥリーもホゥリーで、シェインの背中の更に先――ラドクリフの様子を身じろぎもせず窺っている。
 とりあえずはシェインへ一任すると決めたようだが、仮にラドクリフが通路の途中にて卒倒したなら、
それこそプロキシを行使してでも真っ先に駆けつけることだろう。シェインとて突き飛ばすに違いない。
 傲岸不遜な言行に似つかわしくない子煩悩振りを、「こ〜ゆ〜とき、パパはフクザツよね」とレイチェルに冷やかされたホゥリーは、
鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
 以来、一度たりとも振り返ることもなく大股で東の通路を進んでいくホゥリーだったが、それすらも照れ隠しの意地っ張りでしかない。

「……がんばれ、シェイン君」

 どんどん遠ざかっていくシェインの背中にフィーナは小さくエールを送った。
 珍しいこともあるもので、彼女の鼻の穴からは僅かも鮮血は滴っていなかった。





 闘技場の所在する区画から反対側へひたすら回廊を直進すると、やがて馬軍にとって命綱とも言うべき厩舎に辿り着く。
 部隊の大小や位階に関わらず、テムグ・テングリ群狼領の将士が騎乗する全ての軍馬が一所に集められたその区画は、
人間の居住区と同等か、あるいはそれ以上に規模が広大であった。
 軍馬を飼育及び鍛錬する建物が無数に並び立っている為、用途を知らない人間の目には、密集住宅市街地のようにも映るのだ。
尤も、その錯覚は写真や映像によって厩舎を見る場合に限られる。現地に足を踏み入れ、垂れ込める独特の臭いを嗅げば、
そこが軍馬の為の施設であることを即座に察するだろう。
 テムグ・テングリ群狼領に属する人間ならばいざ知らず、不慣れな人間がこの区画に立ち入ると、たちまち厩舎は地獄の迷宮と化す。
同じような建物がどこまでも果てしなく続いており、彷徨う間に方向感覚が狂い始め、ついには遭難と言う事態へと陥ってしまう。
その上、四方八方からは異臭の包囲網。何重もの責め苦に追い立てられた迷子の神経は、
焦燥感もあって容易く蝕まれていくのである。
 厩舎の至るところから聴こえてくる軍馬の嘶きは、迷子にとっては亡霊の囁きにも近かった。

 ハンガイ・オルスの最重要地点へと踏み入ったラドクリフは、しかし、少しも些かも迷うことなく歩を進め、
北西の一角に所在する建物の前に立った。『カザン隊』と刻まれた金属製のプレートが扉の横に鋲止めしてあり、
その建物がゼラール軍団に宛がわれた厩舎だと言うことを表している。

 やや乱暴に鉄の扉を開いて内部に踏み入ると、何十頭もの軍馬が一斉にラドクリフへ反応を示した。
横方向にスライドするレールの軋み音で彼らを驚かせてしまったようだ。
 しかし、今のラドクリフは軍馬へ気を配るだけの余裕など持ち合わせていない。
 中で仕事をしていた厩務員への挨拶もそこそこに、壁際に設置された黒檀の棚から鞍一式を持ち出したラドクリフは、
愛馬のもとへと足早に向かっていく。
 どこか暖か味を感じさせる栗毛の馬、『メディスン・ドリーム』がラドクリフの愛馬である。
 ゼラールの愛騎たる駱駝の真隣で飼葉を食んでいたメディスン・ドリームに手綱や鞍と言った馬具を纏わせると、
口取り縄を引いて彼を厩舎の外へ誘っていく。

 シェインと鉢合わせたのは、メディスン・ドリームと共に厩舎を出た直後のことである――
と言うよりも、ラドクリフが出てくるのをシェインのほうが腕組みして待ち構えていた、と言い表すべきであろう。
 思わぬ来訪者に目を丸くして驚くラドクリフに対して、シェインのほうは狼狽ひとつ見せていない。
身じろぎさえない様子からも、これが不意の遭遇でないことは明らかであった。

「ど、どうして、シェインくんがここに……」
「なんでって、お前、……ボクが追いかけてきたの、全然気付かなかったのかよ?」
「………………」

 「やっぱりな」と肩を竦めたシェインは、次いで十字路からずっと追いかけてきたこと、何度か名前を呼びかけたことも打ち明けた。
ホゥリーが心配していたことも合わせて教えると、途端にラドクリフは申し訳なさそうに俯いてしまった。
 精神的な余裕がなかったとは言え、後ろから追ってきたシェインに全く気付かず、
あまつさえ最愛の師匠にまで心労を掛けたことをラドクリフは恥じ入っているのだ。
 表情を暗くする主の身を案じたのか、ラドクリフの面へと馬首を近づけたメディスン・ドリームは、
彼の頬に鼻を擦り付け、続けて舌でもって舐め始めた。
 人馬の間にも以心伝心が存在すると言うことだろう。その様子を、シェインは相好を崩しながら見守っていた。

 愛馬に頬をくすぐられたことによって、当のメディスン・ドリームを厩舎の外へ誘った理由を想い出したラドクリフは、
今度は慙愧とは別の意味で表情を強張らせた。
 片足を鐙に掛け、もう片方の足でもって大地を蹴って跳ね飛んだラドクリフは、そのままの勢いで鞍に跨った。
左の掌中には手綱を、右の掌中には乗馬鞭を握り締めており、今まさに馬を駆ろうとする体勢である。
 視線の位置が一気に数段高くなったラドクリフを上目遣いに窺うシェインは、
僅かな逡巡の後、頬を掻きつつ彼に向かって「一人乗りは寂しいだろ?」と笑いかけた。
 相当な無理をしての微笑である。
 このとき、シェインはラドクリフの面に昏い陰を認めており、果たして明るく接するのが正しいのか否か、判断し兼ねていたのだ。
 ふたりして暗くなっては何の救いもなくなると考え、せめて自分だけでも明るくあろうと笑顔を作ったものの、
迷いの底から陽気を引き出すのは、やはり無茶だったようだ。
 シェインの面に浮かんだのは、表情筋を引き攣らせるようなギリギリの笑みである。

 だが、親友から寄せられたその心遣いは、にわかに荒みつつあったラドクリフを優しく包み込み、確実に救っていた。
 鞍上のラドクリフは、嬉しそうに顔を綻ばせながら左の脇に乗馬鞭を挟み込み、次いで眼下のシェインへ右手を差し伸べた。
 「こっちはアル兄ィの試合を蹴って来たんだからな。楽しませてくれよな」と減らず口を叩きつつラドクリフの右手を握り締めたシェインは、
今度こそ混じり気のない笑顔を満面に称えている。

「シェインくんってさ、ナンパとかあんまり慣れてないでしょ?」
「慣れるも何も、やったことなんか一度もねぇよ。て言うか、ボクの年齢(とし)で慣れてたら、それはそれでイヤ過ぎじゃん?」
「さて、どうかなぁ〜。シェインくんの場合、母性本能に訴えかけてオトす気がしないでもないよ?」
「おい、こら! ラドっ! お前、どーゆー目でボクを見てやがんだよっ!?」

 ラドクリフに鞍上へと引っ張り上げて貰ったシェインは、彼の背後に腰掛け、促されるままにその胴へと両手を回した。
 乗馬自体がシェインには初めての経験だったが、不思議と恐怖は薄い。薄いどころか、皆無と言っても良かろう。
 手綱を握るのは、他ならぬ親友である。ラドクリフに委ねておけば何ら案じることはないのだと、シェインは信じ切っているのだ。
そして、それに応えぬラドクリフではない。

 シェインの姿勢が整ったことを確かめたラドクリフは、鞭を構える前にそっと天空を仰いだ。
 今や視界に捉えられる空の全てが、雨雲によって塗りつぶされようとしている。

「これは間違いなく一雨来るね。どうする? 雨具だけでも取りに戻る?」
「合羽着て走るなんて、そんなダセーこと、ボクはゴメンだぜ。……ズブ濡れで突っ走るってのもさ、なんかカッコいいじゃん?」
「……ありがと、シェインくん……」

 シェインの温もりを胴と背と、心の真芯に感じるラドクリフは、その喜びを分け与えるかのようにメディスン・ドリームの馬首を撫でた。





 シェインの離脱を経て、ようやく闘技場へ辿り着いた一行が目にしたのは、円形に設けられたリングとそれに群がる観客たち。
沸き起こる歓声が「殺せ!」、「血ィ見せろ!」などと物騒なことを除けば、殆んど格闘イベントの趣きである。
 馬軍の施設らしく決闘のリングにはタイルなどが一切施されておらず、草地が剥き出しになっている。
観客席には屋根や椅子などが取り付けられているのだが、
厭味っぽいホゥリーは、これらが泥や木で出来ているのではないかと鼻を鳴らしたものだ。

「おっほぉーッ! なんやえらい騒ぎになっとるやないけ!」
「今から頼めば、あたしの出場枠、増やして貰えるかしら……ちょっと本気で燃えてきちゃったわよ!」
「奥さん、あの、参戦だけは勘弁してくれや。認めたかねーけど、その、義理の息子候補も見てるんだし……」

 格闘家たちの入場時にかかるテーマBGMの代わりに、銅鑼や鐘が勇ましい音色を奏でており、
こう言った類のイベントを好むらしいローガンやレイチェルは口笛吹きつつ大喜びしている。

 とは言え、闘技場の雰囲気を満喫してばかりもいられない。
 決闘に臨む三人の姿は、山脈のように連なる人影の向こう側へ僅かに覗ける程度だ。
 応援しようにも入り込む隙間もなく、立ち往生する恰好になってしまったフィーナたちへ、
「特等席にご招待しよう」と願ってもない誘いをかけてくる声があった。

「こんなことだと思ったのよ。関係者が席を取れんようではこのようなイベントも面白味が半減すると言うもの。
朕が席を取っておいてやった故な、お好きに使ってくれ」

 グドゥー地方を掌握した新たな権力者、『ファラ王』ことファラ・ハプト・ラー・オホル・メセムだ。
 大勢の美少年と美少女を侍らせ、配下の羅漢たちが担ぐ黄金の輿へその身を横たえたファラ王が、
フィーナたちの為に観覧席を用意しておいたと声を掛けてきたのだ。
 ファラ王周辺の一帯の席は配下の者が席巻しており、成る程、彼らと入れ替わりに座れば、
決闘を見守るのに適した特等席を得られると言う次第だ。

 席の奪取に出遅れたフィーナたちにとってファラ王の提案は願ってもない幸運だが、
さして親しくもない相手からの誘いは、それが例え魅力的であろうと躊躇してしまうものである。
 しかも、だ。このファラ王と言う男、見た目から何から怪しくて仕方ない。
 見た目だけで人の良し悪しを判断するのは良くないのだが、
ファラ王からの誘いに乗ったことで何かしらのダメージ――主に風評被害の面で――を被る羽目にはならないか…と、
どうしても案じてしまうのだ。
 人懐っこいと言うか、赤ん坊のように無邪気な表情(かお)で手招きするファラ王を思いっきり怪しんでいると、
彼の相棒にしてヘビ型のトラウムであるアポピスが一行の前にやって来て、

「戸惑われるとは思うが、我が主はフェイ氏らの関係者を連れ立って決闘を観戦すると言う優越感に浸りたいだけなのだ。
一生に一度、お目にかかれるか否かの催し物。その享楽を最高のシチュエーションで楽しむことだけを我が主は欲しておる。
それ以外の他意は全くない。まるでない。……と言うよりも、他意と言う言葉そのものが我が主の辞書には載っておらぬ」

 ――と、酔狂にも程があるファラ王の行為を明らかにした。
 愉快なことには最大限の努力を払うファラ王には、席を提供する代わりに何らかの見返りを求めると言う深慮も、
闘技の観戦を口実に何かしらの交渉を持ちかけると言う魂胆も何もあったものでない。
 ただ単純に三人の関係者と一緒に決闘を観戦したいだけなのだとアポピスは話した。

 「そこまで頭が回る人間ではない」と自分のトラウムにきっぱり断言されるのもどうかと思うが、
ファラ王からの誘いが無害であることは、これで確認された。
 アポピスの言葉を信じ、あんなにも知性の感じられない笑い方をする人間に悪意はあるまいと自分に言い聞かせ、
フィーナたち一行はファラ王の誘いに乗って特等席へと足を踏み入れた。
 ファラ王の部下に入れ替わって貰って座ることの出来た席は確かに特等の場所であり、
リング上で睨み合うアルフレッド、フェイ、イーライの三すくみが表情や息遣いに至るまでハッキリと見て取れた。

 満足そうな面持ちで顎髭を撫でたジョゼフは、ふと思い出したようにファラ王へ「お付きはこれだけか?」と声を掛けた。
正確には、彼の頭上に居るアポピスへ問いかけたと言うべきであろう。

「――ほう? 黄金衛士のことですかな? 彼らはグドゥー防衛の要にして礎。
このような遠方まで連れてくることなど出来ませんよ。……手薄になった隙にグドゥーを乗っ取ろうとしても難しいでしょう。
新聞王殿の思い通りにならず、誠に申し訳ありません」
「愛くるしいナリをしておきながら、お主もなかなかに性悪じゃな。ワシが訊ねておるのは、
連合軍の殿(しんがり)を務めた四人のことよ。たった四人でギルガメシュ本隊を食い止めるとは、
あれこそファラ王殿の秘蔵っ子であろう?」
「秘蔵っ子と言えば、マユ嬢のお姿をお見かけしませんね。何やら前衛的なファッションセンスの持ち主であるとか。
我が主とも気が合うことでしょう。ご令嬢、いや、現当主様はこちらにはお見えにならないのですか?」
「カッカッカ――味方同士で腹を探り合っても始まるまいよ。マユならば息災にしておる。
今頃は、どこぞの別荘地でギルガメシュへの大反攻を計画しておるに違いない」
「しからば、黄金衛士が誇る砂漠の四傑も同様ですな。グドゥーに留まってギルガメシュに睨みを利かせております。
いやはや、お会いできなくて残念です」
「お互いにのぉ」

 「朕の頭上にて難しい話をするでないわ。興が削がれる」と不満げに口先を尖らせるファラ王はともかく――
ジョゼフもアポピスも、知恵者らしい駆け引きを繰り広げている。
渇望する情報を探りつつ、しかし、相手の欲することは言葉巧みにはぐらかしていった。
 トラウムとは雖も、蛇相手に論じ合うジョゼフの傍らに侍ったラトクは、
口元へ「狐ならぬ蛇と狸の化かし合いだな」とでも言いたげな薄ら笑いを浮かべていたが、それもさておき。


 程なくしてエルンストが自ら銅鑼を鳴らし、これをもって決闘の開始が宣言された。
 しかし、銅鑼の音の余韻が消えてからも三者は殆んど動かず、構えを取ったきり相手の出方を窺うばかりである。
迂闊に動けば命取りだと言うことは、三者とも共有するところなのだろう。

「アル! 負けたらアルの分まで晩ご飯、食べちゃうからねーっ!」
「応援まで食い物絡みなのかよッ!」

 周りの歓声に負けないくらい大きな声を出したフィーナの応援も、その内容に呆れたニコラスのツッコミも、
アルフレッドの耳には入っていた。周囲の雑音とて一束ねにして捉えている。
 自分でも意外なほどにアルフレッドは落ち着きを保っていた。
 エンディニオン中にその名を轟かすフェイは勿論のこと、イーライには一度辛酸を舐めさせられている。
 口論を切り抜けることへ気を向けるあまり、格上の強敵とふたり同時に闘う状況を作ってしまったのだが、
最初こそ自身の迂闊さに頭を抱えたものの、実際に闘技場へ立つ頃には、怯む気持ちはすっかり失せていた。
 ローガンとの数え切れない模擬戦やニコラスとの一騎討ちを通して、以前にも増して肝が据わったのかも知れない。

 イーライもイーライで、構えを解くなどふてぶてしい態度で挑発してくるものの、
自分から攻めかかろうとする気配はまるで見られなかった。
 アルフレッドとフェイに余裕を見せつけるかのように、観客席に見つけたレオナに向かって、
「晩メシはちと奮発してステーキにしようや。折角の勝ち星だ。祝い酒も呑もうじゃねーか」と声を掛けたくらいだ。

 フェイを狂信する義勇軍からはどこよりも誰よりも大きく熱い声援が上がっている。
決闘の報をどこからか訊きつけて闘技場に馳せ参じた彼らは、ただひたすらにフェイの名を連呼しており、
最早、それ自体が何らかの儀式のように思えてならない。

 狂信者たちの声援に勢いをつけたフェイが、相対した両者に先んじて白刃を翻した。
 アルフレッドとイーライのちょうど中間にまで一気に踏み込んだフェイは、
大上段に構えたツヴァイハンダーをリング目掛けて一気に振り下ろした。

「――『爆気陣』かッ!」

 地面に刃を振り落したことからフェイの初手を爆気陣と見抜いたアルフレッドは、
フェイを中心としてドーム状に輻射された衝撃波に対し、突き出した掌でホウライを炸裂させ、
これによって生じた衝撃波をぶつけることでその威力を相殺した。
 荒業を使って直撃を回避したアルフレッドは、爆気陣によって舞い上がった粉塵の向こう側へ自分に向かってくるイーライの影を見つけ、
これを迎撃せんと構えを正した。

 全身を鉄と化すことで衝撃波を防いだのだろう。その姿のまま突っ込んできたイーライは、
右手の指を全て鋭利な錐状に換え、更に針金のように細く、柔軟にし、これを変則的な動きで繰り出した。
 アルフレッドは五回全ての攻撃を紙一重でかわし、逆に針金と化した指を掴み上げるや勢いよく振り回して彼を放り投げた。
更には中空に投げ出されたイーライを追いかけ、前回し蹴りでもって彼の脇腹を撥ね飛ばした。
 全身を鋼鉄に変身させている為、殆んどダメージはなかろう。しかし、ダメージこそ与えられずともこうすれば間合いを離すことが出来る。
 一撃離脱に努めていれば、三人が同時に攻撃を打ち込み合うと言う混乱は避けられるし、
一対一の状況を作り出せれば、例え格上の敵であっても十分に渡り合えるだろう――
それは、この決闘に際して考案したアルフレッドなりの工夫である。

 以前の――リーヴル・ノワールで立ち合った際には、イーライの繰り出す妙技の鋭敏な蠢動に対応し切れず、
良いように翻弄されてしまったのだが、今回は完全に動きを見切っており、グラウエンヘルツに変身しないままでも互角に戦えていた。
 ホウライの体得を抜きにしてもローガンの荒稽古によってフィジカル面が相当に鍛えられたと言うことだ。
 アカデミーで体得した軍隊式の格闘術だけでなく、より実戦的な無手勝流を体得できたことも大きい。
 双方を同時に使いこなせるようになったアルフレッドの身のこなしは以前にも増して鋭く、
かつ無駄のない動きは潜在する力を完全に引き出している。
 その証左として、イーライに続いて斬りかかって来たフェイともアルフレッドは危なげなく白兵戦を演じた。
 最初に振り抜かれたのは遠心力をたっぷり込めた横薙ぎだったのだが、アルフレッドは踵落としで剣の腹を打ち据え、
そのままツヴァイハンダーを踏みつけにすると、次いで左手でこれを押さえ込みながら滑るようにフェイの懐に潜り込んだ。
 電光石火の反撃である。
 アルフレッドの体術がよもや自分と肉迫するレベルにまで高まっていると考えてもいなかったフェイは、
ツヴァイハンダーを引き起こす暇はおろか、満足に防御も出来ないまま、胸部に痛恨のダメージを被ってしまった。
 それも一発や二発ではない。合計にして七発もの蹴りがフェイの脇腹を襲った。
 懐にまで侵入したアルフレッドに連続回し蹴り――『ラピッドツェッペリン』を叩き込まれたのだ。

(なんだ、今のは……今のは、本当にアルなのか……ッ!?)

 フェイは身体に胴鎧を、左腕に堅牢なガントレットを身に付けており、
狙いを定めるにしてもダメージを与えられる箇所が限られてしまうのだ。
 そこでアルフレッドは、胴と背の装甲の接ぎ目がある脇腹へと照準を合わせて蹴りを見舞ったのである。
如何に強硬な胴鎧とて、この攻撃は防ぎようがなかった。
 身体をくの字に曲げたフェイから一足飛びで間合いを離したアルフレッドは、
体勢を立て直したイーライと二合目の白兵戦に突入している。
 乱れた呼気を整えながらその戦い振りを観察するフェイの眼にも、二人の戦いはアルフレッド優勢に見えた。
 今のところ、決定的なダメージはアルフレッドも与えられていないが、身のこなしは完全にイーライを上回っており、
大剣に換わった右手で斬りかかられても、ハンマーに換わった左手を振り抜かれても、
回避するか、あるいは弾き飛ばし、最後には反撃の蹴りで脇腹や腹を撥ね付けていた。
 カスリ傷以外に目立った負傷も見られず、この点からもアルフレッドの優勢は判断出来た。

「オウオウ――ちったぁ腕ェ磨いたみてェじゃねぇの! こないだはボロ雑巾だったのによォッ!?」
「そう言うお前は、少しも進歩していないらしいな。そんな人間に遅れなど取るものかよ」
「ケッ! 減らず口も大概にしとけよッ!」

 右手を幅広な鋼鉄の網へと変身させたイーライは、これを投じてアルフレッドの捕獲を図った。
 鋼鉄の網を投じるのと同時に、左腕を三叉の鉾のような形状に変身させている。
完全に身動きを封じた後、串刺しにして仕留めるつもりなのだ。
 最初、水かきのような形状で広がっていた右手が徐々にクモの巣状に姿を変え、
やがて完全なネットを編み上げるまで、一部始終を観察したアルフレッドは、
イーライが捕獲に取り掛かる間際、右の足でもって地面を思い切り踏みしめた。
 その瞬間、右足の裏で蒼白いスパークが炸裂し、これをジェット噴射のように用いたアルフレッドは、
イーライの頭を飛び越えるかのように跳躍した。
 鋼鉄の網を外し、あまつさえ背後に回り込まれると言う失態を演じたイーライは、
「ちょろちょろと動き回りやがって……! 蚊か、てめぇはッ!?」と忌々しげに舌打ちをして見せた。
 アルフレッドに翻弄され始めている事実に、イーライも多少の焦りを覚えているのかも知れない。

 再び向き合ったアルフレッドとイーライを呆然と眺めるフェイは、すぐさまに自分のするべきことを思い出し、
ツヴァイハンダーのグリップを思い切り握り締めた。
 衆人環視の中でアルフレッドを叩きのめし、英雄たる自身の威光を示さんと望んでいたフェイにとって、
反対にやり込められるこの状況は屈辱以外の何物でもない。
 アルフレッドとイーライが激闘するその先に眼を見やれば、観覧席にはアルカークの姿もある。
 熱砂の合戦を終え、引き上げた先での軍議でアルカークから浴びせられた侮辱は、
今もフェイの鼓膜に焼きつき、まるで呪いか何かのように反響し続けている。
 そのアルカークがフェイを睥睨していた。弟分に遅れを取る英雄に対して色濃い嘲りの表情を浮かべていた。

「くッ――そ……ッ!!」

 その上、アルカークは自分を凝視してくるフェイと視線が交わるなり、彼の劣勢を嘲るようこれ見よがしに唾を吐き捨てた。
 歪めた口元には、これ以上ないくらい痛烈な侮蔑の念が浮んでいる。
 不敬を極めるアルカークの態度を目の当たりにした瞬間、フェイは全身の血液が沸騰するかのような恥辱に見舞われ、
全身を怒りで震わせた。

 粗暴な蛮族如きに見下された屈辱は単なる導火線に過ぎない。
 誰にも頼みにされるべき英雄が無視され、小細工と口八丁しか能のない詐欺師が厚遇されることに憤り、
……そんな無能者にまで遅れを取る自分に対してフェイはどうしようもない怒りを覚えていた。
 胸中にて燻っていた憤怒を爆ぜさせたのが、アルカークによって引かれた導火線だった。

 今や、その暴発を止められる者は誰もいない。

「どいつもこいつも――僕を……フェイ・ブランドール・カスケイドを舐めるなぁッ!」

 小刻みに震える手にてツヴァイハンダーを振り翳したフェイは、怒号を引き摺りながら二人の戦いに割り込んでいく。
踏み込みながらウォール・オブ・ジェリコを発動させたあたり、本気で勝負を仕掛けるハラのようだ。

「……一体……どうしてしまったんだ……うちのリーダーは……」
「熱くなってるなんてもんじゃないわ。カンペキにブチ切れてるじゃないの……!」

 その様子に違和感を覚えたのは、言うまでもなくソニエとケロイド・ジュースの二人だった。
 フェイのことを良く知るフィーナやムルグまでもが普段の彼らしからぬ様子に困惑している。
 普段の彼ならば絶対に口にしない醜い怨嗟を吐き、技も何もあったものでないデタラメな攻めに出ているのだ。
戸惑うなと言うほうが無理からぬ話である。
 それに、だ。
 ソニエとケロイド・ジュースは、フェイがアルフレッドを悪し様に罵る姿を、
悪しき風聞となって諸将の間を駆け巡っている醜態を、
実際に眼にしている。やはり、そのこととの関連を思わざるを得なかった。

(どうしちゃったって言うのよ……どうしてそんなにもアルのことを――)

フェイの変調に胸騒ぎを抑えきれず、猛進とも言うべき剣戟へ懐疑の眼差しを向けていたソニエの鼻を雨滴が打つ。
違和感が不安と焦燥へ塗り潰されていくのと共振するかのように、黒々とした曇天は雨天へ移ろいつつある。





 闘技場の熱狂が天井知らずに高まっている頃、ラドクリフとシェインを乗せたメディスン・ドリームは、
ハンガイ・オルスが誇る無敵の城壁の外にて蹄鉄の音色を奏でていた。
 テムグ・テングリ群狼領及び連合軍の将兵に限っては、基本的にハンガイ・オルスへの出入りは自由となっているものの、
現在は戦時下。しかも、自軍の劣勢と言う緊張状態である。
何時、ギルガメシュが敗軍追討に襲来するのか、知れたものではない。
 状況が状況だけに、公用ではなく個人的に野駆け、それも遠乗りに出るなど決して誉められた行為ではなかった。
実際、シェインとタンデムで馬を駆るラドクリフに対し、門番たちは一様に眉を顰めたものだ。
 それにも関わらず、ラドクリフはメディスン・ドリームの馬体に鞭を入れ続けた。
無遠慮に向けられる批難の一切を黙殺し、ただひたすら前へ、前へと馬を進めていった。

 城壁を潜ってすぐ目に飛び込んでくるのは、テムグ・テングリ群狼領を育んだ肥沃な大草原である。
 群狼領の戦士たちは、果てしなく広がる緑の世界にて心と技と肉体を鍛錬し、
馬術の腕に磨きを掛けてきたのだ。
 遮る物がないこの大草原は、成る程、軍馬が駆けるに適した地形でもある。
馬産地としても優良な環境が整っており、馬軍を編制するには極上の土地であった。
 まさしくこの土地こそが、長い年月を掛けて最強馬軍を育てていったと言えよう。

 馬軍を育んだ草の海を踏みしめ、メディスン・ドリームは一騎のみにて駆けていく。
 ハンガイ・オルスの城壁を遠くに眺めるような地点にまで到達しても、ラドクリフは決して馬首を返そうとしなかった。
 メディスン・ドリームが駆ける道程にはクリッターの生息域もあり、
草むらに潜んでいた毒蛇型の『サーペント』が進路上に現れもしたのだが、
これを迎え撃たんとシェインがブロードソードのグリップへ手を掛けたときには、全ての始末はついていた。
 乗馬鞭を口に銜え、あまつさえ両手を手綱から離した状態でイングラムのプロキシを発動させたラドクリフが、
メディスン・ドリームを走らせたまま光の矢にてサーペントを狙い撃ちにしたのである。
 強靱な牙と猛毒とで数えきれぬ程の冒険者を屠ってきたサーペントと雖も、眉間を射貫かれては一溜まりもない。
行く手を阻む毒蛇の群れを、ラドクリフは一匹たりとも撃ち漏らさなかった。

 急停止を命じるようにして手綱が引かれたのは、予想通りに降り始めた雨で馬体が濡れそぼり、
メディスン・ドリーム自慢の栗色の鬣が焦げ茶に変わってしまったことをきっかけにしている。
 メディスン・ドリームですらズブ濡れになっているのだから、馬上のふたりも推して知るべしと言ったところである。
 ところが、だ。通常の思考であれば有り得ないのだが、
ラドクリフは自分が濡れ鼠となっていることにさえ判っていなかった。
自身のことでさえ意識の外にあったのだから、雨滴を吸ってずっしりと重たくなったシェインのコートになど感付くわけもない。
 ようやく直進を止めたラドクリフの背中に向けて、シェインは「乗馬って、スゲーんだな! 
見るのと体験するのとじゃ大違いだ!」と弾んだ声で笑いかけた。
 全身くまなく水を滴らせるような状態となりながらも、怒るどころか、楽しんでさえいると判ったラドクリフは、
一先ず胸を撫で下ろし、次いで過剰な熱の冷めた双眸でもって周囲を窺った。

 見渡す限り、どこまでも果てしなく緑の海が広がっており、地平線の彼方に沈んだハンガイ・オルスは、
今や城壁の影すら見つけられなかった。
 遠乗りとは良く言ったもので、いつの間か、随分とハンガイ・オルスから離れてしまったようだ。
 野駆けをするにしても城壁周辺で我慢していれば良かったのだろうが、
許可すら得ずにここまでの遠出をしては、懲罰を受けることは免れまい。脱走、落伍を疑われてもおかしくない。
 グリーニャで暮らしていた頃もエレメンタリーをサボりにサボっていたシェインは、
規律を破って咎められることなど全く気にしておらず、むしろ痛快そうに大笑いしている。

「今度、ボクにも馬の乗り方を教えてくれよな!」

 言うや、馬上から飛び降りて大きく背伸びをしたシェインは、
鞘に納めたブロードソードを、降りしきる雨滴へ逆らうようにして高く掲げ、
「男に生まれて剣を習ったからには、馬もマスターしたいじゃないか。実は騎士にも憧れてたんだよね」と、
初めて体験した乗馬の余韻に浸っている。
 叱られて然るべき悪事(ワルさ)すら愉悦に換えてしまうシェインの笑顔が、
手のつけられないイタズラ小僧のように思えたラドクリフは、彼に釣られて盛大に噴き出してしまった。

 そうして一頻り笑い合った後、ふっとラドクリフは悲しげに俯いた。
 祭り騒ぎが盛大であればあるほど、これが過ぎると物悲しさが沁みると言うが、
心に鬱屈を抱えたまま歓楽へ触れた場合、面に差す陰は、一層深くなるようだ。

「――シェインくんさ、……精一杯がんばっているのに、これっぽっちも認めてもらえないのって、どう思う……かな? 
それどころか、反対にイジメみたいなこと、言われるのって……」

 喉の奥から搾り出したかのようなラドクリフの問いかけに、シェインは鞘入りのブロードソードを右の肩に担いだまま、
「随分、難しいことを考えてんだな」と唸り声を上げた。
 ホゥリーから説明を受けるまでもなく、ラドクリフが何か沈鬱なものを抱えていることはシェインにもわかっていた。
病的とも言える足取りが心配でたまらず、だからこそ彼の後を追ったのである。
 戦時下と言う最大の緊張状態にも関わらず遠乗りに出掛け、
これを見咎めた馬軍の兵士をも無視するなど柔和なラドクリフらしからぬ行為。
まるでテムグ・テングリ群狼領そのものに反発しているような態度だった。

 そうして突っ張っていたラドクリフが、一端ではあるものの、心中に抱える鬱屈を打ち明けたのだ。
 具体的なこと、詳細な仔細を伏せ、些かぼやかしたあたり、親友にも隠さねばならない程に直面した問題が深刻なのであろう。
 今にも泣き出してしまいそうな彼の面から情況(こと)の重大さを悟ったシェインは、自身も口元を引き締めて親友に向き直った。
 肩から下ろしたブロードソードを垂直に立て、鐺(こじり)でもって地面を衝いている。
柄頭に掛けた両手を雨滴が打ち据え、体温を奪っていくが、痛みを伴って手の甲から伝う冷気さえもシェインには瑣末なことだった。

「あんまし大層なコトは言えないけど、ラドのことはボクが一番認めてるよ」
「……へ?」
「だって、お前、めちゃくちゃスゲーじゃん。ボクとかルディアと年齢(とし)も変わらないのに独り立ちしてるしね。
ボクの場合は、……ちょっときっかけがフクザツだけど、お前ってさ、ゼラールに随いていこうって決めてマコシカを出たんだろ? 
それって、とんでもないコトだと思うぜ」
「あ、いや、えっと――」
「ボクなんか足元にも及ばないくらい強ェし。こないだの海戦のときなんか、正直、悔しかったもんなぁ。こんなに強いのかよ〜ってね。
馬の乗り方だって上手過ぎだよ。テムグ・テングリの連中だって真っ青じゃね?」
「乗馬は、ピナフォアさんから教わったから……」
「でも、マスターしたのはお前じゃん? 戦ってヨシ、馬に乗らせてもヨシ、メシ作るのも上手いんだっけ? 
おまけに行動力もあるなんて、世界一のジュニアハイスクールじゃないかな、ラドって」
「シェインくん……」
「ラドのことは、ボクが認めてるよ。ホゥリーもレイチェルも、ヒューだってお前のこと、認めてるさ。
ゼラールだって、お前を認めたから家来にしてくれたんだろ? ピナフォアはいまいちわかんね〜けど、
……トルーポだっけ? あのガタイの良い兄ちゃんは、どうだ? お前を半人前とか言うか?」
「それは、ないよ。うん、一人前に扱ってくれるよ」
「だろ? ……お前のことはボクらが保証してるんだ。誰かがチョロクセーこと言っても、そんなん気にすんなって!」
「………………」

 「でも、甘く見んなよ。すぐに追いついてやるからなっ」と挑発めいたことを言い、再びブロードソードを高く翳したシェインには、
ラドクリフが漏らした「……ぼくのことじゃないんだけど……」なる呟きは聴こえていないようだ。
 だからと言って、シェインの言葉がラドクリフに何ら救いをもたらさなかったわけではない。
 照れ臭そうに微笑むラドクリフの面からは、先ほどまでの沈痛な陰はすっかり拭い取られていた。

「そのうち、手合わせをしよっか。やるからには本気で行っちゃうよ?」
「おう、楽しみだぜ! それまでにもっともっと技を磨いとくさ! 腕比べだなっ!」

 シェインは鞘に納まったブロードソードを、ラドクリフは棒杖(ワンド)を、それぞれ天高く翳して明るく笑い続けた。
雨天の下にあって、ふたりの立つこの場だけが太陽のように輝いている。




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