14.Battle Royal part.6〜The sign of the Broken Sword


「――やらせるものかッ!」

 フェイを見据えたアルフレッドは、迫り来る刃に臆することもなく右脚を突き上げた。
 脳天から狙いのずれたツヴァイハンダーが右の肩口へ食い込み、
骨をも断って袈裟懸けに自分の身を斬り落とそうとしている――
死の息吹を感じる間際になっても、彼は一瞬たりとも怯まない。
 仲間の声援を、彼らから受け取った勇気を乗せ、アルフレッドは右の踵でもってフェイの顎を蹴り上げた。
紫電一閃とも言うべき迅(はや)さの強撃であった。

 予想だにしない一閃によって顎を貫かれたフェイは、そのまま上体をも撥ね飛ばされる恰好となったのだが、
当然ながらツヴァイハンダーを握る腕の挙動もこれに引っ張られ、アルフレッドを両断することは叶わなかった。
 勝利の確信から一転して悪夢へと引き戻されたフェイは、しかし、その絶望を味わうことさえ許されない。

(こんなこと……こんな……)

 突き上げていた右脚を斜め下へと振り落とし、脛でもってフェイの首を打ち据えたアルフレッドは、
続けざまに軸足を入れ替えて追撃を見舞った。左脚による後ろ回し蹴り――パルチザンである。
 混濁する意識の中で身体をくの字に曲げていたフェイは、強撃を被ったばかりの顎を再び貫かれることになり、
脳天に続いて口内からも大量の血飛沫を撒き散らしながら後方へと吹き飛んだ。

「――ぬゥ……ああああああァァァァァァぁぁぁぁぁぁ――ッ!」

 頸椎に被ったダメージは決して軽微ではなく、顎も完全に割れている。
奥義を立て続けに使ったことで体力を著しく消耗。最早、肉体的な疲労は極限に達していた。
おそらくは、少しでも気を抜いた瞬間に意識はブラックアウトするだろう。
 ありとあらゆる技が返され、文字通り、打つ手がない。ドラゴンをも屠った筈のツヴァイハンダーですら、
まともに直撃させられなくなっているのだ。 
 敗北は、時間の問題だった。誰の目にもフェイの敗北は明らかだった。
 それでもフェイはツヴァイハンダーを大地に突き立てて戦いの場に踏み止まった。
最後の気力を振り絞り、英雄であることに固執し続けた。
 他の誰かならいざ知らず、グリーニャの人間に敗れることなど断じて認めるわけにはいかない。
命を捨ててでも、自分を捕らえる呪いを断ち切らねばならないのだ。
 朦朧とした意識のまま、視界内の何一つ定かには捉えられないまま、フェイは横薙ぎにツヴァイハンダーを振り抜いた。

「どこだ、……逃げて、隠れたのか……! 臆病者め……ッ!」

 しかし、やぶれかぶれの一閃がアルフレッドに当たるわけもない。空を切ったツヴァイハンダーは、虚しく太刀風を起こすのみである。
 やがてツヴァイハンダー自体の重みに耐え切れなくなったフェイは、剣先を地面に突き立てると、得物を杖の代わりにして身を支えた。
そうでもしなければ、立っていることもままならないのだ。
 風切る音の余韻が掻き消える頃になって、ようやくフェイの双眸は現実を捉えられるまでに復調したのだが、
判然となった視界に先ず現れたのは、彼がこの世で最も見たくない存在(もの)だった。
 フェイの神経に逆撫でにした存在は、言わずもがなアルフレッドである。
逃げも隠れもせず、その場に屹立し続けるアルフレッドの姿が視界に飛び込んだ瞬間、フェイの憤怒は沸騰した。
 彼のことを「臆病者」とまで詰ってしまったフェイにとって、目の前に現れた堂々たる様は、自身の醜態を映す鏡のようなもの。
「臆病者」と言う罵詈雑言は、視界のぼやけたフェイがそのように錯覚、あるいは妄想しただけなのだ。
 確かにアルフレッドも満身創痍ではある。肩に受けた傷は浅いものではなく、
フェイ程ではないにしろホウライの連続使用によって体力も大きく消耗している。
 だが、一歩たりともアルフレッドは退いておらず、フェイの吐きかけた言葉は言いがかり以外の何物でもなかった。

 不当な批難に晒されながらもアルフレッドはフェイと、……敬愛する兄貴分と向き合おうとしている。
 死闘の只中へ身を置いている為に臨戦態勢こそ解けないものの、真紅の双眸に憎しみは宿っていなかった。
衆人環視の中で貶められたようなものだが、それを理由にフェイを怨むことなど有り得ないのだ。

「……さっき夢を視たよ、兄さん。ボルタにやられたときに」
「……何の話をしているんだ」
「昔の夢だよ。……兄さんが、その剣を手にしたときのことを……」
「――……ッ!」

 アルフレッドから掛けられた言葉にフェイは目を見開き、ツヴァイハンダーのグリップを血が滲むような力でもって握り締めた。

「……兄さん、俺はあの日から――」

 ――あの日からフェイ兄さんのことをヒーローのように思ってきたんだ。どんな困難にも決して挫けない英雄だと。

 ……そのようにアルフレッドはフェイに伝えたかったのだ。闇の底で視た過去(ゆめ)が改めて教えてくれたことを。
 しかし、紡ぐべき言葉は太刀風によって断ち切られてしまい、それきり二の句を継ぐことも叶わなくなってしまった。
 アルフレッドに向けられたツヴァイハンダーの剣先が、……小刻みに震える刀身が、血管の浮き出た両腕が、
面へ浮かび上がる憤激が、ありとあらゆる言葉に対して拒絶の意思を示している。

 アルフレッドの追想が火種となり、体内に残存していた最後の力まで爆発したのだろう。
何かに衝き動かされるようにして再びツヴァイハンダーを振り上げたのだが、それ自体が奇跡のような光景なのだ。
 得物の重みに耐え切れず、杖代わりにしか使えなくなる程に疲弊していた筈のフェイが、
覚束ない足取りながらも一歩、また一歩とアルフレッドへ立ち向かおうとしている。
 幽鬼の如き虚ろな眼差しは、最早、言葉を交わすことが不可能であると如実に物語っていた。

「……フェイ兄さん……」

 やるせない面持ちで苦悶を噛み殺したアルフレッドは、一瞬だけ瞑目し、次いで双眸を見開くと共に表情を一変させた。
 面に宿るのは、強い決意。何事をも恐れぬ覚悟。真紅の双眸には、フェイの抱えた恩讐をも焼き尽くさんとする闘志が燃え滾っていた。

「――何もかも終わらせると言ったな、兄さん。……受けて立つよ。俺の全てをぶつけてでもあなたを倒す」

 裁判官が罪人に向かって刑罰を宣告するように厳然と言い放ったアルフレッドは、腰を落としつつ両足でもって大地を踏みしめた。

「こんなところで立ち止まってはいられないんだッ!」

 両足が地面にめり込んでしまうのではないかと見る者の錯覚を誘う程に、強く、強く踏みしめていった。


 決着をつけると宣言したからには、この体勢から何らかの大技を繰り出すのであろうが、
アルフレッドのことを誰よりも知るフィーナですら、この構えは初めて見るものだった。
無論、アカデミーにて彼と同じ格闘技(マーシャルアーツ)の訓練を受けたマリスにも見覚えがない。
 互いの血肉を削り合うような死闘をアルフレッドと演じたフツノミタマやニコラスとて同じである。
 ただひとり、ローガンだけが驚くことも戸惑うこともなく相好を崩している。

「とうとう『竜の顎(あぎと)』を出すか、アル。ええで、ハデにかましたれやッ!」

 『竜の顎』――その言葉の意味するところをハーヴェストは肘で突いて尋ねるが、当のローガンは訳知り顔で
「見とったらわかるで。ちゅーか、見落としたらアカンねん。アルの一世一代の見せ場やさかい」とはぐらかすばかり。
 期待を煽るような言い回しに興奮し、小躍りし始めた能天気なファラ王はともかく、
決闘の行方をも左右するだろうアルフレッドの一挙手一投足を仲間たちは固唾を呑んで見守った。

 ソニエとケロイド・ジュースは、横目で捉えたローガンの様子にフィーナたちとは別の意味で面を強張らせている。
アルフレッドが新たな構えを取った瞬間、ローガンは勝利を確信したように口の端を吊り上げたのである。
 意味深な言い方と良い、おそらく『竜の顎』は、アルフレッドにとって奥の手に位置づけられる技なのだ。
 切り札を全て使い果たした今のフェイが、この『竜の顎』を斬り払えるとは到底思えなかった。
しかも、だ。体力、気力ともにアルフレッドのほうに分がある。

「……最後の……悪あがきだ……今の……フェイは……亢明剣とて……二度とは……使えんだろう……」
「……万事休すってコト? いくらなんでも、そんなこと、……まさか……」
「……現実から……目を……逸らせんことは……ハニーが……誰よりも一番……わかっているだろう……? 
……竜殺しの名声など……何の役にも立たん……オレたちの……目の前にある……コレが……現実だ……」
「………………」

 「……あいつが……心を……乱したときに……勝負は……ついた……」とケロイド・ジュースは切り捨てたが、
しかし、ソニエも反論は出来ない。彼女もまたケロイド・ジュースと認識を共有しているのだ。
 最強のクリッターとされるドラゴンを屠った奥義まで繰り出したにも関わらず、アルフレッドはおろかイーライすら倒せなかったのは、
フェイ自身の心の働きが乱れ、歪み、破綻しているからに他ならない。
 戦いの場に於いては、心技体の整わぬ者が真っ先に駆逐されると言う現実(こと)を、ソニエは身を以って知っていた。


 大地を烈震させるような轟音が闘技場に響き渡ったのは、まさにそのとき――観客席の緊張が最高潮にまで達した瞬間である。
 地鳴りの如き轟音が何を意味するのか、そして、ローガンの口走った『竜の顎』がどのようなモノなのか、
フィーナたちはその目で確かめることとなった。

「おおおおおおォォォォォォぉぉぉぉぉぉ――ッ!」

 アルフレッドの口から地鳴りをも飲み込む程の吼え声が発せられる。
 裂帛の気合いを引き金として彼の全身が蒼白い輝きを帯び、その刹那、残光の如きスパークを撒き散らしてアルフレッドは
決闘のリングから姿を消した。
 ――否。消えた、と錯覚したのは、観客席に座す者たちだけだ。
実際にアルフレッドと向き合い、恩讐の刃を構えるフェイの双眸は、リングの上で何が起こったのかを正確に捉えていた。
 全身にホウライの光を纏ったアルフレッドは、目にも映らない程の超速でフェイへと飛び掛っていったのである。
 神速と言っても差し支えあるまい。超人の域にまで鍛えられたフェイの動体視力を以ってしても、
アルフレッドの動きを完全には把握出来なかったのだ。
 それはつまり、アルフレッドがフェイを完全に凌駕した証左でもある。

(これは……竜の――)

 残像の追跡にさえ困難していたフェイが、次にアルフレッドの姿を全く捉えたのは、竜牙の如き剛脚が振り抜かれる寸前であった。
 飛翔の直後には全身を包んでいたホウライの烈光は、現在(いま)は右脚にのみ宿っている。
まるで全身の光を一点に集めたかのようだ。今まさにフェイへと迫る右の剛脚は、太陽を彷彿とさせるような眩い輝きを放っていた。
 四肢を大きく広げ、尚且つ飛び蹴りを繰り出す側と対になる左脚を水平に折り曲げた体勢は、
成る程、竜頭を模っているようにも見える。これこそがローガンをして『竜の顎』と呼ばれる所以なのであろう。
 輝ける竜牙の名を、アルフレッドとローガンは、殆ど同時に『ドラゴンレイジ・エンター』と叫んだ。

 ホウライの師弟からドラゴンレイジ・エンターと呼ばれた竜牙の破壊力は、想像を絶するものがあった。
 フェイの胴へ鋭角に突き刺さるや否や、たったの一撃でもって身に纏った軽鎧を粉々に砕き、
更には彼の身体を天高く撥ね上げてしまったのだ。
 それも、桁外れの高さである。奥義の発動に際して、フェイも稲妻を呼び寄せる為に高空へと飛び上がっていたのだが、
ドラゴンレイジ・エンターの餌食となった今は、その数倍もの高度にまで達しただろう。
 粉砕された軽鎧の破片が地上へと雨か霰のように降り注ぎ、それからやや遅れてフェイ本人が落下してきた。
万有引力によって圧殺されないのが不思議なくらいの急降下であり、
事実、光の牙が現れる寸前に起こったものと同等の地響きが再び闘技場を震わせている。
 受け身らしい受け身も取れないまま地面へ叩き付けられはしたが、それでも彼の手はツヴァイハンダーを離そうとしなかった。
右手でもってグリップを強く、固く握り締めている。
 それしかすがる物がないと言う執念のなせる業だったが、さりとてドラゴンレイジ・エンターによって被ったダメージは深刻であり、
再びこの得物を振り翳せるとは思えなかった。普通の肉体であれば、バラバラになっていてもおかしくないのだ。

 ――そう、フェイ・ブランドール・カスケイドは並みの人間ではない。彼は間違いなく超人の領域に在るのだ。
そこには肉体の強靭さ、身体能力、戦闘技術だけでなく心の働き――執念をも含まれている。
 誰もが我が目を疑い、声を失ってしまったのだが、ドラゴンレイジ・エンターによって数十メートルもの高空へと吹き飛ばされ、
全身が砕け散ってしまうかのような激しいダメージを被りながらもフェイはツヴァイハンダーを杖の代わりとして起き上がり、
血だらけの面でもってアルフレッドを睨み据えたのである。


 ドラゴンレイジ・エンターの直撃を喰らったが最後、誰であろうと立ち上がれなくなるのだと太鼓判を押していたローガンは、
予想を覆す展開に思わず腰を浮かせてしまった。
 ドラゴンレイジ・エンターとは、まさしく持ち得る限りの力を結集する最後の一手であった。
 ホウライを全身に満たすことによって、一瞬ながら肉体に潜在する能力を覚醒させるのが第一段階。
続けて、剛脚にホウライを纏わせて光の牙と化すのが第二段階である。
 一連のプロセスを経る中で生まれた爆発的な破壊力を、命中箇所の一点に集束させて完全に伝達し、
相手の肉体を貫くことが、ドラゴンレイジ・エンターの神髄なのだ。
 発勁、つまり力のコントロールにも長けたアルフレッドならではの大技と言えよう。
 ハーヴェストなどは、自由自在にホウライを使いこなすアルフレッドの才能に舌を巻いている。

 無論、反動も大きい。ホウライを多重に使用する為、体力の消耗や肉体の疲弊は通常より遙かに深刻だ。
全ての力を出し切り、尚且つこれをコントロールせねばならず、超絶的な集中力をも要求される。
精神的な摩耗も尋常ではなかった。

 ドラゴンレイジ・エンターを出し終えた後のアルフレッドの疲弊は、観客席からでもはっきりと見て取れる。
フェイにも余裕はなかろうが、アルフレッドとて状態に大差はないのだ。互いに満身創痍である。
 ただひとつ、両者の違いを挙げるとすれば、フェイには虎の子のウォール・オブ・ジェリコがあることであろう。
同じヴィトゲンシュタイン粒子を発現の源としていながら、術者の体力を大きく削るホウライと異なり、
発動のみならトラウムには反動や負荷がない。
 これまでの闘いからもわかるようにウォール・オブ・ジェリコは、無敵の盾だけでなくギロチン等の攻撃手段にも応用出来るのだ。
 対するアルフレッドのトラウムは、灰色の銀貨は微動だにしない。
 つまり、ここまで追い詰めたにも関わらず、フェイに形勢逆転を許す可能性が高まったと言うことだ。
それも、急速に。且つ、覆しがたい状況で。
 ウォール・オブ・ジェリコを用いた変則的な技を再び使われた場合、今のアルフレッドには回避が難しいかも知れない。
その窮地(こと)に考えの及んだネイサンは、思わず応援の旗を振る手を止めてしまった。
 ニコラスもニコラスで、鋼鉄のグローブで固められた右手を強く握っている。
 俄に浮き足だったふたりの尻をステッキでもって叩いたジョゼフは、
「お主らが信じずして、誰がアルを信じてやるのじゃ。親友(とも)であろう?」と若者たちの短慮を諫止した。
 ジョゼフの諫言は、フィーナとマリスにまで効果が波及したようだ。
 またもアルフレッドが絶体絶命の状況に置かれたことで取り乱し掛けた彼女らも、
「誰がアルを信じてやるのじゃ」と言うジョゼフの声に納得し、深呼吸でもって胸の動悸を鎮めていった。

「案じるまでもなく、この決闘、アルの勝ちじゃ」

 一時騒然となった仲間たちを余所に、ジョゼフはアルフレッドの勝利を確信している。
 「せやろか。ほんならええんやけど……」などと些か弱気なローガンの背をステッキでもってどやしつけるジョゼフを眺めながら、
果たしてこの老人の言う”勝利”が何を基準にしているものか、ラトクはボンヤリ考えていた。
 そもそも、何を以て勝利とするつもりであろう。何事にも大局的な視点を持つジョゼフが、
個人間の決闘の結果のみを勝敗の基準にするとは思えなかった。
世界を相手にする新聞王は、こうした催しなど児戯であると一笑に付すタイプである。

(“英雄の死”を以てライアン君の勝ち――ってトコかねぇ。ホント、ここの一家は救いようがねぇやな)

 横目で窺ってみれば、師弟の在り方についてローガンを然りながらもジョゼフの視線はソニエへと向かっている。
ラトクの口元が皮肉っぽく歪んだのは言うまでもなかった。
 当のソニエは、最終局面を迎えつつあるリングへ釘付けになったまま。祖父からの憐れみの眼差しにも、
ケロイド・ジュースからの哀しげな眼差しにも、まるで気付いてはいない。
 彼女の鼓膜を打ち、心を動揺させるのは、リングにて交わされている激烈なやり取りばかりである。


「終わりだ! もう勝負はついた! これ以上、無理をして、どうすると言うんですか!」
「何が終わったッ!? ツヴァイハンダーは残っている! まだ戦えるッ! お前なんかには負けられないんだッ!」

 自分の身を気遣ってくれるアルフレッドの言さえも歪曲して受け止め、憎悪を増幅させていくフェイは、
上体が傾ぐのも構わずにツヴァイハンダーを振りかざした。

「――兄さん……!」

 大上段からツヴァイハンダーを振り下ろそうとした瞬間、疲労が足元を妨げてよろめいたのを見過ごさず、
アルフレッドは地面に落ちていた自分のロングコートを拾うなり、フェイの足首へと巻きつけた。
 風雨に濡らされたロングコートは大量の雨水を吸って重く硬くなっており、
しっかりと巻きつければ、殆んど即席の足枷となる。

 巻きつけたロングコートをアルフレッドが力任せに引っ張れば、おそらくフェイは無様にも転倒し、
その直後にやられるに違いない――そう判断したフェイは、ウォール・オブ・ジェリコのバリアをドーム状に展開し、
守るべき我が身を覆い隠すようにして包んでいった。
 防御を完璧なものにさえしておけば、いくらアルフレッドが小細工を弄したところで大した問題にはならない。
 直接ダメージを受けることもなくなったとタカを括っていたフェイだったが、
彼がウォール・オブ・ジェリコの変形までも計算に入れて攻防を組み立てていたのだと思い知ったとき、
その胸算用は絶望へと変転した。

 ウォール・オブ・ジェリコとは、三つのピースを基点として張り巡らされるバリアフィールドであり、
使用者を包み込むには必ず?結び目?が生まれる。すなわち三つのピースが合流するポイントだ。
 三つのピースが一点に重なるより先に――バリアフィールドが完全にフェイを包み込むより先に、
その内側へ潜り込むことが出来れば、鉄壁の防御は意味を為さなくなる。
 ウォール・オブ・ジェリコはあくまでも遠隔操作が可能な『盾』であって、
フェイ当人がその身に纏うものではないのだから当然だ。

 その脆弱性に目を付けたアルフレッドは、ホウライによる身体強化を限界にまで引き上げ、
フェイの動体視力をもってしても追いかけられぬほどの超速で馳せるや、ウォール・オブ・ジェリコの内側へ滑り込むことに成功した。
 無論、身体は軋んでいる。ドラゴンレイジ・エンターを使用した直後だけに、この身体強化は一等堪えるのだ。
 それでも、やらねばならなかった。痛みなど何の問題でもなかった。
今ここでフェイを撃破せねばならない――アルフレッドは覚悟の特攻を仕掛けたのである。

 こうなれば、如何にウォール・オブ・ジェリコが鉄壁の防御を誇ろうとも、無効化したに等しい。
 原理としては、リーヴル・ノワールの戦いでイーライがシュレディンガーの防御を破ったのと同じである。
 最後の一手をいともあっさりと破られたフェイは、劣等感に苛まれるよりも先に信じられないと言った風情で頭を振ったが、
実はこのトラウムとツヴァイハンダーとの相性は、決して良好と言い難いのだ。
 如何に自身のトラウムとは言え、具現化を伴うタイプである以上、
ウォール・オブ・ジェリコのバリアフィールドが都合よくツヴァイハンダーのみを透過することはない。
 長大な剣を構えていれば、包み込むようにバリアフィールドを操作した場合、
その全長分だけ余分なスペースが開いてしまうのである。
それこそ人ふたりが向き合っても窮屈しないようなスペースが、だ。
 これを危惧したフェイは咄嗟の判断でグリップを逆手に握り直し、剣先をフィールドの結び目へ面する背後に回した。
 結び目から剣先を張り出す格好にすれば、ひとまず防御は固められるとの判断だったようだが、
余分な動作が入ると言うことは、それだけウォール・オブ・ジェリコによる包括の完了が遅れると言うこと。
 カウントして一秒も無いような時間であったが、ホウライによって身体能力が限界まで強化されているアルフレッドにとって、
バリアの内側へと滑り込むには、たったのそれだけで十分であった。

 ウォール・オブ・ジェリコの内側にてフェイと対峙したアルフレッドは、その掌にホウライの烈光を宿している。
イーライを仕留めたペレグリン・エンブレムを繰り出すつもりだ。
 ――しかし、フェイには逃げ場はない。
 自慢の切り札に退路を絶たれるとはこれほど無様で皮肉な話もあるまい。
鉄壁の防御が仇になったのだから、もう目も当てられない。
  いずこかへ逃れようにもウォール・オブ・ジェリコのバリアフィールドに包囲されているこの状態は、
先だってアルフレッドを相手に仕掛けた罠と全く同じなのである。

(……クソ……クソ……クソ……クソ……)

 このままではペレグリン・エンブレムの餌食にされると判断したフェイは、一瞬だけウォール・オブ・ジェリコを解除し、
横に跳ねることでアルフレッドの掌底突きを避けた。
 轟然と突き出されるペレグリン・エンブレムを紙一重で回避したフェイだったが、
臆して退いた時点で彼の天運は尽きていたと言うしかなかった。
 ペレグリン・エンブレムをかわされたアルフレッドは、そこから一気に反転してフェイへと追い縋り、
再びウォール・オブ・ジェリコを具現化せんとしていた彼の足元を脅かした。
 彼の足首に巻きついたままのロングコートを、渾身の力を込めて引っ張ったのだ。

 不意打ち気味に足を引っ張られたフェイは、受身を取れずに転倒してしまい、
醜態に羞恥する暇も与えられないまま敗北を突きつけられることとなった。
 転倒したフェイに馬乗りになったアルフレッドが、その首根っこへと貫手(ぬきて)を押し当てたのである。

「チェックメイトだ、兄さん……」
「………………」

 雨天の中、アルフレッドが厳かに勝利宣言を発した。


 大技同士が激突した後の展開としては、存外に呆気ない幕切れかも知れない。
 だが、決着へ至るまでの攻防は連合軍の将兵らを一人余さず唸らせるほど鮮烈なものであり、
闘技場はすぐさま大歓声で包まれた。
 アルフレッドの勝利を称える賛美、フェイとイーライの敢闘を称える声援など発せられるものは人によって千差万別だが、
神懸かった決闘へ鳥肌立つほどに魅せれた昂奮(こと)は、皆、共有している。
 万雷の拍手が地鳴りのように轟く闘技場では、殆どの人間がスタンディングオベーションで三人を称えていた。

「……随分と小賢しい真似をするものだな、アルフレッドよ」
「なっ……!?」

 しかし、周囲の白熱と対照的に、闘技場へやって来たエルンストの反応は極めて冷淡であった。
 日頃から目を掛けているアルフレッドが勝利したからには、てっきり諸手を挙げて喜ぶものと考えていたグンガルは、
予想外の反応に戸惑いすら覚えている。

 それはアルフレッドにしても同じで、持ちうる限りの知略と闘術を尽くして格上の敵二人から勝利をもぎ取った昂揚もそこそこに、
冷水でも浴びせられたかのように萎縮してしまった。
 アルフレッドを射抜いたエルンストの眼差しは、彼の勝利を喜ぶどころか、冷蔑さえ孕んでいた。

 深刻な怒気を含んだエルンストの一喝によって歓声も途絶えてしまい、闘技場は重苦しい沈黙に包まれている。
 手に汗握る決闘とは、また違う意味合いで皆が固唾を呑み、事態の動静を見守っていた。

「貴様、この決闘に勝ったと思い込んでいるようだが、それは大きな誤りだ。
俺は勝敗のみを判断の基準にするつもりなどない。見事な戦いを披露した者の言葉にこそ耳を傾ける。
見よ、我が軍の気概を。我が手にて七難八苦を切り抜けることを旨とする猛者たちの面構えを」
「………………」
「成る程、今は貴様の派手派手しい勝ち方に惑わされているかも知れん。
だが、時が経てば夢も昂奮も醒めよう。その後に残るのはまんじりとしない疑念だ。
勝つには勝ったが、何故、策ばかりを弄して正々堂々と闘わなかったのか。
敵の弱みに付け込まねば負けると、最初から臆していたのではないか――とな」
「お、俺は何もそんなつもりでは……っ」
「そうやって口幅ったく詭弁を続けるのも気に喰わんな。口八丁手八丁で急場を凌ぐことしか
能のない雑魚の囀りに我らが耳を貸すと思うな。……思い上がるな、アルフレッド・S・ライアン」
「………………」
「我らが組むならば、やはり愚策に対して敢然と武勇を示したカスケイドをおいて他にはあるまい。
フェイ・ブランドール・カスケイドその人がエンディニオンを導く真の勇者だ」
「――……ッ!?」

 自分から決闘による解決を示唆しておきながら、急に態度を豹変させたエルンストの真意が見抜けないまま、
次から次へと指摘される自身の失態へアルフレッドは耳を傾ける。
 その殆んどが言い掛かりも良いようなものばかりで、エルンストはアルフレッドを貶め、
敗北したフェイこそが真の勝利者だとして褒め称えていった。

「俺に言わせれば、貴様が先の決闘で示したのは小手先の細工にばかり長けた狡賢さだ。
いちいち人の裏を掻く性根の悪さはどうだ? 悪辣な罠に遭っても決して退かぬカスケイドの如き芯と魂を持たぬ貴様のこと、
形勢が不利になれば、必ずやギルガメシュに寝返るだろう。違うとは言わさんぞ」
「それだけは違う。俺があの女に味方する理由など――」
「――黙れ!」
「…………っ!」
「……そこが貴様の腐敗を表している。己に偽らざるものがあるのならば、何故、我が身をもって体現しない? 
……否、不言実行の道義は貴様のような下衆には理解できまいよ、アルフレッド・S・ライアン。
貴様など真っ先に敗れたイーライにも遥かに劣る」
「…………」
「最後の最後まで正々堂々と太刀一つで切り結んだ勇者と、懐中に暗器まで仕込んだ己の非道とをよくよく比べてみるがいい。
信念なき貴様の言葉が、果たして誰の心を打てるのかもな」
「………………」
「恥を知れ、アルフレッド・S・ライアン」
「………………………………」

 「……ああ、論じるまでもなく貴様は既に負け犬だったな。イーライより先に墜ちていたか」とまで言われては、
さすがのアルフレッドもこれには腹を据えかねた。
 勝利を自慢するつもりは毛頭ないし、そのような悪趣味も持ち合わせてはいない…が、それにしてもこうも好き放題に詰られては、
勝ったのは自分だ主張したくなるのが人間の性である。
 思わず気色ばんでしまいそうになる程にエルンストの言い掛かりは一方的で、しかも、こじつけと決めつけばかりなのだ。

(――まさか、エルンストは……)

 二人の前に歩みを進めたエルンストをそっと睨みつけ、皮肉のひとつでもぶつけてやろうかと歪んだ口元を開いたその瞬間、
アルフレッドはその漆黒の瞳の奥に一つの思惑を見て取り、喉から出かけた言葉を深い息と共に呑み込んだ。

 アルフレッドのことを口舌だけの詐欺師とまで痛罵しながらも正面に見据えたエルンストの眼差しには、
惜しみない賛辞と歓喜とがない交ぜになって輝いていた。
 ――この眼差しは、そう、『オノコロ原』の陣所にて初めて合間見え、佐志の民を守ろうとしたアルフレッドの秘策と、
彼自身に興味を持った折に見せたもの。優れたものへの惜しみない称賛である。
 エルンストは、確かにアルフレッドの知略と闘術を認めてくれていた。
 その思い一つ察することが出来れば、理に聡いアルフレッドはすぐにエルンストの真意を汲み取ることが出来た。
優しげな眼差しと裏腹に痛烈な言葉を浴びせ続けるその心中にあるものを、だ。

 フェイとの間に抜き差しなら無い不穏が垂れ込めている自分に気を使ってくれているのだ。
 考えられる最悪の状態で決闘に惨敗し、ただでさえ立場を失っているフェイの顔へ更に泥を塗ることなく、
全てを穏便のうちに済ませようと考え、敢えてエルンストは酷薄な物言いでアルフレッドを打ち据えたのである。
 衆人環視の中での罵倒によってフェイが溜飲を下げ、アルフレッドとの諍い――あるいは、イーライが言い放ったような妄念――を
拭ってくれたなら御の字だ、と。
 少なくともこの場に於いては、アルフレッドがフェイに憎悪される理由は失われる筈だ。

 諸将の前で痛罵されたアルフレッドの面子は丸潰れになるし、暫くは陰口を叩かれる羽目になるだろうが、
人の噂など八十日も保たない内に風化するもの。
 それに七十五日の間に名誉挽回できれば、悪しき風説など一気に立ち消えになる。
 些か無茶の過ぎる奇策でアルフレッドを庇ったエルンストだが、
それもこれも彼のことを苦境すら覆せる男と見込んでいればこそだった。

(自分の評価が落ちたらどうするんだよ……あんたの立場は俺みたく単純なもんじゃないと言うのに……)

 臣下の礼を取ったわけでもない自分にそこまで気を配ってくれるエルンストの厚意に感無量になったアルフレッドは、
殆んど無意識の内に片膝突いて平伏し、罵倒を続ける彼へ恭しく頭を垂れた。
 傍目にはエルンストの痛罵にアルフレッドが項垂れているようにしか見えない。
 だが、周囲の目はどうであろうと、アルフレッドとエルンストの心は無言の内に通じ合っていた。
心と心が紛うことなく通じ合っていれば、借り着に過ぎない表の言葉などは何の気にもならなかった。

「……猿芝居はそこまでにしろ……」

 しかし、ふたりはそこで取り返しのつかないミスを犯していた。
 フェイが心の機微に鈍い男だと見なした上に、二人の間で交わされる無言の触れ合いに気付くわけがないと決め付け、
本人がいる前で彼を虚仮にするような真似をやらかしてしまったのだ。

 エルンストの評はともかく、フェイとて朴訥ではないし、朴念仁でもない。
むしろ、心の機微には人一倍敏感であるし、それが祟ってアルフレッドへの怨嗟をこじらせているのだ。
 アルフレッドとエルンストはこのことを完全に失念していた。
 最初、痛罵されるアルフレッドの情けない姿に敗北の悔しさを忘れて気を良くしていたフェイではあったが、
その直後にエルンストの真意を見抜いてしまい、またしても大きな失望を味あわされた。
 フェイもまたエルンストの眼差しにその真意を見出していたのである。

 これほど大きな失望と喪失感を味わったのは、フェイの生涯でも初めての経験だった。
 本当はこの闘技場に集った誰よりも見下されているにも関わらず、
口先でだけ称賛されるなどフェイ本人にとっては嘲りでしかなかった。
 最早、自尊心を傷付けられたとか、名誉を貶められたと言う段階のものではない。
 いっそ舌を噛み切ったほうがどれほど楽になるだろうとまで思い詰めてしまう程の生き地獄がそこには在った。

「おおおぉぉぉぁぁぁあああァ――ッ!!」

 薄っぺらい目論みの何もかもが露見しているにも関わらず、アルフレッドを庇う為に三文芝居を続けるエルンストにも、
エルンストの思惑に嬉しそうな微笑を浮かべ、それを必死で噛み殺そうとしたアルフレッドにも、
フェイはマグマのような殺意と敵愾心を滾らせ、その憤怒が頂点を迎えた瞬間、
殆んど突き動かされる形でツヴァイハンダーを振り翳していた。
 無防備なふたりを真横から不意打ちに斬り付けようするフェイの双眸は、最早、狂乱で歪みきっている。
 いや、斬り付けるなどと生易しいものではない。二つの首をまとめて薙ぎ払うつもりで、
フェイはツヴァイハンダーを振り抜こうとしていた。

「……いかん……ッ! ……フェイ……血迷うな……ッ!」
「それだけは絶対にやっちゃいけないッ! それをやったら、あんたはもう――ッ!」

 遠く彼方から二つばかり制止の声が聴こえてきたが、そんなものは耳に入った瞬間に消滅した。
 視覚も、聴覚も、触覚も…第六感に至るまでフェイの世界の全ては、アルフレッドとエルンストの首を狩る殺意(こと)にのみ集束しており、
そこに英雄としての矜持が帰結するのである。
 昏い狂気に冒された衝動へしがみ付く以外に、フェイの自我を保てるものは何一つ無かった。

 そして、彼の自我は完全に崩壊することになる。
 突如として巨木の倒れるような轟音が決闘のリングに鳴り響き、何事かとアルフレッドが振り返ったときには、
ツヴァイハンダーの刀身が根本から爆ぜ飛んでいた。
 心なきギャング団に襲撃された夜、グリーニャの為に落命した偉大なる亡骸より受け継いだ剣が、
見るも無惨に折れてしまっていた。
 折れると言うよりも倒壊と表すほうが近いかも知れない。
 泥濘では折れた刃を受け止めるには不十分で、弾け飛んだ破片もろとも横倒しに“屍”を晒すこととなった。
持ち運びに使うベルトも刀身の重量によって引き千切れており、フェイの掌中に在る物には、
最早、剣とも呼べぬ残骸であった。

 酷使が原因なのは、間違いないが、崩落に至った直接的なきっかけは判然としない。
 短時間のうちに幾度も雷光を纏ったことで耐久力が加速度的に減じてしまったのだろうか。
乱戦の最中、アルフレッドやイーライはツヴァイハンダーの刀身を容赦なく打ち据えてもいた。
 あるいは、様々な損傷が重なった末に爆ぜてしまったと見ることも出来る。
 ともすれば、爆ぜて散った刃こそが、フェイ・ブランドール・カスケイドと言う男の末路――
“英雄の死”の象徴でもあった。

「――……父さん……――」

 生ける屍の如き身となったフェイは、ただ呆然と掌中の残骸を見つめるばかりである。

「フン――やはり元の出来が違うと言うことか。同じグリーニャでこうも差がつくとはな。
……使い道のない人間はどこにでもいるものだ」
「え……ッ――」

 泥まみれになって横たわる刀身へと目を落としていたフェイは、突然、背中を突き飛ばされるような衝撃を受け、
次いで腹に違和感を覚えた。
 氷のように冷たい異物感を与えるものが何かを確かめたフェイは、およそ信じ難い状況に置かれたにも関わらず、
最初、呑気にも首を傾げた。
 と言うよりも、自分の身に起こったことがあまりに突拍子もないことだった為に脳が処理不能を起こしたとも言える。

 見れば、弧を描くように丸まった鍵爪がフェイの腹を背中から貫いていた。
 それがアルカークの義手であることへ気付く前にフェイの意識は奈落の闇へと堕ちていった。
 「使い道のない人間」と言う死刑宣告は、成る程、黄泉路の道連れにするには、相応しいのかも知れない。




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