1.叢雲カッツェンフェルズ


 ギルガメシュと対抗勢力の連合軍とが激突した両帝会戦から数日――
即ち、ジューダス・ローブを同憂の士として認めたアルフレッドたちがハンガイ・オルスへ出発し、
幾つかの週を経た頃、佐志の港湾には厳戒態勢が敷かれるようになっていた。
 アルフレッドは出発の直前まで守孝やヒューたちとギルガメシュの襲来を想定した防御策を議論しており、
敵が侵入を試みるであろう港から砂浜にかけて迎撃の備えが増強されている。
 つまり、新たな迎撃手段を披露する日が訪れたと言う次第である。

 議論の産物の一つとして、浜辺に設置されたバリケードの一部に遠隔操作の爆弾を仕掛けることになった。
勿論、バリケード自体は迎撃戦の要である。戦闘の最中に爆弾が暴発して味方に損害が出ることは何としても避けねばならない。
何しろ当該する爆弾はネイサンが“有価物”から作り上げた特製の品で、威力は折り紙つきなのだ。
 炸裂弾を仕掛けるのは、言わばダミーのバリケードである。
これを上陸してきた敵兵ごと爆弾で吹き飛ばそうと言うのがアルフレッドの策の一つだった。
鉄製のバリケードは、弾け飛んだ破片がそのまま巨大な散弾と化す。爆発を推力にして鉄の塊が飛来してくるのだ。
爆発から離れた地点にいる敵兵をも無慈悲なまでに殺傷することだろう。
 佐志側の戦士が巻き込まれないよう破片が飛散する方向も計算済み。
ダミーのバリケードの所在も守備の兵たちに周知を徹底させている。遠隔操作を実行する際のブロックサインも決まっており、
爆発に巻き込まれる危険性を極限まで抑えていた。
 また、水際で敵船を叩く施策も新たに練られた。天然の要害ともなり得る山を背にする佐志には、
町を眺望できるような高台が何箇所か拓かれている。そうした場所には新たに固定砲台が据え付けられた。
接近を仕掛けてきた敵船は、先ず固定砲台が火を噴いて歓迎する手筈である。
 固定砲台が設置されては折角の景観が損なわれると不満を漏らす村民も数名ほど確認されたが、背に腹は変えられない。
「無礼を承知で言うならば、今は戦時でござる。各々思うところはあろうが、ここは堪えて下され」と守孝に説得されれば、
言い返すことなど出来ないだろう。
 固定砲台には武装漁船に搭載された大砲の中でも特に射程の優れた物が選ばれた。
新たに大砲を調達することが最善なのだが、急を要する事案だけにそのような余裕はどこにもない。
ましてや、悪徳なK・kにこれ以上の貸しを作るわけにも行かなかった。
プロテクターの“提供”と合わせて、目玉の飛び出してしまうような要求をしてくる姿が容易く想像できた。
 佐志が持つ戦闘能力を総合的に把握し、これを足し引きしてやり繰りする以外に選択肢はなかった。
漁船の火力は些か弱まるものの、不足した分を源八郎たち海の戦士の腕前で補えると言う確信があったればこそ、
アルフレッドは難解極まりない計算に取り組む決心がついたのだ。
 市街戦をも想定したアルフレッドは、町内に散見される廃屋にも遠隔操作を行える武器を新たに設置した。
主として用いられたのはライフル銃だ。殺傷力に長じた銃器をネイサンら手先の器用な人間で改造し、
人の手が触れずとも発射し得るギミックを搭載させたのである。
 固定砲台と同じように据え付けられた銃器を物陰などに隠しておき、敵兵が群れをなして通りかかったところで一斉掃射を行えば、
ダメージは勿論のこと、心理的動揺を扇動することも出来るとアルフレッドは源八郎に説明していた。
どこから撃ってくるのか全く分からない銃弾ほど恐ろしい物はない。決死の覚悟で銃器を発見しても、そこには人の気配がないのだ。

「兵の数では明らかにこちらの不利だ。俺や守孝も傍にはいられない。そう言うときにはな、敵の心理を突くんだよ。
有り得ない、考えられないと言う事態が立て続けに起これば、敵の思考は滅裂する。
そこに水无月がミサイルを降らせてみろ? 恐慌状態に陥るだろうさ。
……以前、ここが襲われたときにも奴らは陽動作戦に簡単に引っ掛かった。奴らの頭の悪さが俺たちにとって最大のチャンスだ」

 少しも躊躇うことなくそう言い切ったアルフレッドには、隣で説明を聞いていたフィーナも思わず仰け反ってしまった。
 ニコラスやゼラールの尽力で暴走は鎮まった筈なのだが、口にする内容は以前と変わらずに攻撃性が高い。
限られた戦闘力を有用に使い切り、その効果を一〇〇パーセント以上に引き出す術を考える以上、
シビアにならざるを得ないのだろうが、それにしても言うこと為すこと苛烈であり、
今もまだ復讐の念に取り憑かれているのではないかと心配になってしまう程だった。
 市街にまで入り込んだ敵兵をオノコロ原に誘き寄せ、野戦に持ち込む戦法もアルフレッドは案じていた。
その為の支度は一朝一夕で終わるものではなく、つい二日前に完成したばかりである。
 アルフレッドは野戦の備えとしてオノコロ原に塹壕を掘るように源八郎らに命じていた。
塹壕とは、つまり大地を刳り貫いて作った溝のことである。「溝」と言っても、雨水や雑排水などの経路を作ろうと言うのではない。
オノコロ原に幾つも掘られた溝は、場所によって距離や規模は大小まちまちだったが、いずれも攻防一体の戦術なのだ。
 野戦に突入した場合、この塹壕に身を隠して敵兵と渡り合うことになる。
ギルガメシュ兵にはレーザー兵器と言う強力な飛び道具がある為、無防備のまま接近を図ろうものなら、
たちまち蜂の巣にされてしまうだろう。無駄に犠牲を増やすことなく戦いを進めるには、塹壕は欠くべからざる物なのだ。
幾つかの塹壕はトンネルでもって通じており、攻め寄せるのにも退くのにも有効であった。
 ダメ押しに落とし穴まで作られた。自力で這い上がるのが困難な程に深く、
また、穴の底には尖端を槍の如く加工した竹が敷き詰められている。
落下した者は身も心もズタズタに引き裂かれ、脱出も叶わないまま、もがき苦しむであろう。
 原始的ではあるものの、決して落とし穴は子供だましではなく、敵の足並みを乱すにはお釣りが返ってくる程の効果が得られるのだ。
 そう言った次第で、現在、佐志最大の野原は穴だらけになってしまっていた。
これも守孝は「戦時につき急務」と取り計らったが、実際に掘削を担った源少七は、どうにも割り切れない蟠りがあるらしく、
「戦が終わった後の始末は、掘り返すときよりずっと厄介だ」としきりに溜息を漏らしていた。
 掘り起こした土砂は土嚢として再利用され、佐志の各所に回っている。今や町全体が要塞化したと言っても過言ではなかった。

 野戦で押し切られた場合には、地下水脈へと立て篭もる策もある。縦横無尽且つ複雑怪奇に走るこの空洞は、
かつて群狼夜戦の折りにも、アルフレッドとテムグ・テングリ群狼領が隠密行動の要として注目していた。
佐志の民にのみ許された地の利を生かせば、ギルガメシュの目を欺くことも出来る筈である。
 尤も、全く安全と言うわけではない。ギルガメシュが火炎放射器や毒ガスなどを用いて大量虐殺を図る可能性も
想定しなければならず、この点はくれぐれも留意するようヒューは呼びかけていた。
軍人としての経験から口を挟んだ彼は、地下水脈が最後まで使われないことを望んでいる。
 しかし、アルフレッドの考えは全く正反対であった。地下を走る水脈をも活用して神出鬼没にゲリラ戦を繰り返し、
敵兵を翻弄することが佐志に於ける野戦の真髄――差し出口を遮るかのようにして、
村民全員にそう言い聞かせていった。“全員”に、だ。

 アルフレッドの戦術案が村民全員を“対象”にしていると気付いたときには、さしものマリスもフィーナ同様に表情を曇らせた。
いや、不安を感じるなと強いることこそ無理からぬ話であろう。
 彼は守孝と源八郎に一般村民への戦闘訓練を指示した。戦士として武装漁船を操る荒くれ者やマコシカの術師だけではなく、
非戦闘員である筈の者にまで武器を取るようにアルフレッドは要請し始めたのだ。
 フィーナを始め、ハーヴェストたちから猛抗議があったのは言うまでもない。
勿論、アルフレッドも徴兵目的で戦闘訓練を思案したわけではない。名目はあくまでも護身である。
選りすぐりの腕自慢を引き連れて佐志を離れることを彼なりに憂慮しており、
万が一のときに自らを守るには、やはり村民一人ひとりが相応の戦闘能力(ちから)を備えていなければならないと考えたのだった。

「戦う力を持たなかったからグリーニャは滅んだ。……もう二度と同じ失敗をしたくないんだ、俺は」

 それがアルフレッドの論拠だった。成る程、復讐の念に突き動かされたのではなく、一応は道理に基づいた判断と言えよう。
しかし、だからと言って、「一般人に武器を持たせれば敵の侵略を防げる」と言う理屈がまかり通るわけもない。
大概のことは飲み込める守孝とてこの案ばかりは容認できず、「その儀、相成らぬ」の一声で棄却となった。

「戦は武人の務め。アルフレッド殿ともあろう御方が何を血迷われておられるのか。
……いや、戦続きで疲れておいでなのでござろう。出発までの暫時、頭と身体を休められよ」

 こうまで守孝に言われては、アルフレッドも引き下がらざるを得ない。そもそも、だ。戦闘訓練を考案こそしたものの、
強要するつもりは最初から持っていなかった。せいぜい志願者を募る程度である。
仲間たちから厳しい叱声を浴びせられて反論も出来ずに沈黙してしまったあたり、彼としても気乗りはしなかったようだ。
 「イヤイヤ立てたって割には、あぶねぇ作戦だもんな。アル兄ィってば腹がドブみたいな色してるんだろうね」とは、
アルフレッドの人となりを良く知るシェインの弁である。

 一部の案の座礁も含みつつ、迎撃態勢の説明が完了する頃には出発の刻限となり、
アルフレッドたちは第五海音丸に乗り込んでいった。まずは海路にてハンガイ・オルスを目指す手筈となっている。
 第五海音丸の出航を見送った源八郎は、速やかに沖へ機雷を配備し、残る迎撃の準備を完成させるよう皆を鼓舞した。
 こうして一般村民をも戦力として見なそうとするアルフレッドの暴案は立ち消えになった――かに思われた。
しかし、血気に逸る若者の中には、度し難い暴案に触発される向きもあり、
ついには周りの反対を押し切って戦列に加わろうとする者まで現れた。
 民兵でも自負するつもりであろうか。意気盛んに名乗りを上げたのは、
戦いの手ほどきを受けながらも若年や立場を理由に“桧舞台”から遠ざけられた者たちである。
いずれもズブの素人ではなく、戦闘に参加しても足手まといにはならないだろう。
 ただし、実戦経験は誰も持ち合わせていなかった。そして、その一点こそが、彼らを戦力外へと追いやった主因であった。
 戦うべきときに戦えないと言う鬱憤を抱えていた彼らにとってアルフレッドの提唱は、まさしく渡りに船。
「困ったときこそ助け合い。戦力が足りない分は自分たちが補佐する」などと胸を反り返らせ、
あまつさえ勝手に拵えた旗まで掲げて港や浜辺を闊歩し始めたのだ。

 叢雲(むらくも)カッツェンフェルズを名乗った彼らの旗ジルシは、隊名の通りに八雲である。
 折り重なる雲の容(かたち)を染め抜いた旗は、しかし、掲げた途端に青空の彩(いろ)が透けるほど薄い。
しかも、旗棒には不自然な反りがある。いずれも粗悪な材料を使った証拠であり、要は間に合わせの急拵えと言うことだ。
 八雲とは別のシンボルマークとして猫を選んでいるが、こちらも旗とは別の意味でおざなりだ。
隊員たちは猫に因んだ小物を各々が好き勝手に身に着けており、アイコンこそ共有しているものの、連帯感は皆無に等しい。
小物の種類どころか、猫の種類さえ定まってはいないらしい。
 隊員の中で最も威勢が良いのは、シェインと同い年の少女である。名を「稲熟 葛(いながり・かずら)」と言う彼女は、
三毛猫模様を散りばめたスカーフでもって口元を覆っている。
 葛と同じくらい騒がしいのはマコシカのレイライネス(女術師)である。
ビール瓶――驚くべきことにトラウムの一種だ――を振り回しつつ、
「いつでもかかって来なさいってのよ。グッシャグシャにしてやるわ!」などと息巻く彼女が選んだのは、
佐志にて新たに買い求めたバンダナだった。
 ビール瓶を巧みに扱うことから撲殺姫(ボクサー)なる異名を持つレイライネス、ミルクシスル・ゼラズニィは、
そのバンダナでもって額を覆っているが、生地には猫本体ではなく、所謂、肉球のイラストが描かれている。
隊員間で意思の疎通が出来ていないことは、バラバラの小物を見れば一目瞭然であった。

 尤も、出で立ちからして統一感を合わせようと言う気配もない。
 佐志の歴史の影に伝わる奥義の一つ、忍術をマスターした――と自称する葛は、
忍服(にんぷく)なる特別製の装束でその身を包んでいた。
夜陰に隠れることを想定した装束は上下ともに紺染の品で、鋭敏な動きを阻害しないよう身体に密着する造りとなっている。
忍服の下には鎖帷子を着込み、両足の脛には、やはり紺色の脚甲。手袋も紺染と言う徹底ぶりだ。
背に担う忍刀なる得物は、武器としてだけでなく様々な用途に活用されると言う。
 忍刀の技術もまた忍術の一つであり、これらの技法を全て体得した者にのみ「忍者」なる称号が与えられるのだ。
 その名の如く、目にも留まらぬ早業で情報工作や破壊活動など影の仕事を遂行する――
これが忍者の神髄である筈なのだが、ディスカウントショップで市販されるようなスカーフを着用している時点で
忍んでいるようには見えない。少なくとも葛に限って言えば、影に溶け込もうと言う意欲が欠けていた。
 そもそも、だ。忍刀を背に担うことからしておかしい。忍者には機敏な動きが肝要であるにも関わらず、
これでは何処かに紐を引っ掛けるのは必定だ。敏捷性を重視するのであれば、腰に差して携帯するべきである。
 ところが、彼女の腰回りには忍刀を帯びるだけの余地がなさそうだ。
パステルカラーのポシェットは、どう言うつもりで身に着けているのだろうか。
クナイ――忍者が用いる刃物だ――をあしらったアルミ製のカンバッジは、まず間違いなく月の光を反射し、
自らの位置を敵に知らしめることになるだろう。
 極めつけは忍服の上に羽織った迷彩色のミリタリージャケットである。
着膨れは言うに及ばず、これでは紺染の利点が全く失われてしまう。
 腰まで掛かる長い黒髪を唐草模様の風呂敷で無理矢理に束ねているが、
その珍妙な様は、隠密どころか悪目立ち以外の何物でもない。

「忍びの極意は神速の業。影に生きてきた一族の恐ろしさを篤と味わうがいいわ!」

 巨大な鉛弾を撃発すると言う古式の携行型大砲を両手に持ったまま吼え声を上げられても、周りは困惑するばかりである。
 ただでさえ妙な風貌の葛の真隣にミルクシスルが立てば、たちまち叢雲カッツェンフェルズは仮装行列と化すのだ。
古代民族の衣装と忍装束――このように呼ぶのは、葛一人だが――は、どう見てもミスマッチである。
 星兜に大鎧と言う守孝を代表として、アルフレッドたち一行も身なりはバラバラで、さながら混成部隊の趣ではあった。
条件は叢雲カッツェンフェルズも同じ筈だが、それでも葛やミルクシスルばかりが仮装行列と見なされるのは、
思慮の足りないアイコンを当てはめ、強引に集団としての統一を図っているからと言えるだろう。
しかも、その試みが手酷く失敗しているだけに、チグハグな印象がより際立ってしまう。
 叢雲カッツェンフェルズが恐ろしいのは、隊の編制に当たって論外の失敗をしていることに無自覚な点だ。
若さと経験のなさが悪いほうに暴走しており、それが為に周囲は不安を募らせていた。

 日課の祈りを捧げるべく丘の上の慰霊碑に赴いていたカッツェとルノアリーナが慌てて町へと駆け戻ったのは、
八雲の旗が棚引くのを眼下に見つけたからだ。無論、近海に現れた正体不明の船影にも危機感を抱いてはいるが、
それ以上に気掛かりなのは、若年者による「素人の生兵法」である。
不必要な犠牲を出すことだけは、ふたりとも何としても押し止めたかった。
叢雲カッツェンフェルズには、グリーニャの生き残りも参戦している。

 間もなく市街地に入ったカッツェとルノアリーナは、すぐさま想像以上に事態が深刻であることを思い知り、
呻き声を引きずりつつもその場に立ち尽くしてしまった。
 叢雲カッツェンフェルズばかりがいきり立っていたわけではなく、ノコギリ状の短剣を振り回す源少七の指示のもと、
正規として認められた戦闘員がひとり残らず借り出されているのだ。
村の警備を預かる源八郎は、既に港で陣頭指揮を取っていると言う。
 非戦闘員の避難誘導も兼務する源少七にカッツェが尋ねたところ、やはり正体不明の船影が混乱の主因であるらしい。
紛うことなく緊急事態であった。

「ここは俺らに任せてください。何があってもギルガメシュを町の中には入れさせません!」

 源少七から即時退避を促されたカッツェは、ルノアリーナへ口早に事情を説明すると、
避難場所と目される村唯一の体育館へと足を向けた。非戦闘員は先ずこの体育館に身を寄せ合い、
戦況に応じて別の場所に移ることになっている。

「もしかして、ぼくらを追ってきた――なんてコトはないですよね……」

 体育館へ走る道すがら不安そうな声を掛けてきたのは、アルフレッドたちと入れ違いで佐志にやって来た新たな疎開者である。
 より詳しく説明をするならば――風の噂でグリーニャの疎開を聞き付け、自分たちも受け入れては貰えないかと、
一つの町の民が佐志に押し掛けてきたのだ。
 ギルガメシュから激しい攻撃を浴びせられ、略奪の憂き目に遭い、已むなく町を捨てて逃れてきたと代表者は語った。
「頼れるのは佐志しか残されていない」と源八郎へ縋り付く程、彼らは追い詰められていた。縁もゆかりもない佐志に、だ。
既に町民の半分が犠牲になっており、精神的にも疲弊の極みにあった。
 命からがら逃れてきた人々の中に顔見知りを発見したとき、カッツェは飛び上がって驚いたものだ。
こうして言葉を交わしている相手もまた古くからの馴染みである。
ルノアリーナも面識こそなかったものの、話だけは家族から良く聞かされていた。
 佐志に救いを求めたのは、グリーニャの隣町、シェルクザールの人々であった。
 あたかもフィーナとムルグの如くパートナーシップを結んでいるモグラ型のクリッターに守られながら
佐志へと入ったシェルクザールの民は、グリーニャの生き残りを見つけるや、緊張の糸が切れたかのように咽び泣いたものだ。
カッツェたちもこれを抱き止め、共に落涙した。ベルエィア山の麓にて上がった戦火の恐ろしさは、
実際に傷付けられた者にしか分からない。両者は初めて手にした悲しい共感と、犠牲者の鎮魂の為に涙を流し続けた。
 言わば、その涙こそが身元の保証であった。源八郎の判断のもと、シェルクザールの人々は疎開を認められ、
晴れて佐志の一員となった。
 事前に連絡もせずに詰め掛けた負い目もあり、シェルクザールの疎開者たちは控えめにもテントの設営場所のみを願ったが、
そこは情の厚い源八郎と、佐志の者たちである。全戸が埋まっている為に仮設住宅を提供することは困難であったが、
佐志に持ち家を構える世帯主の間で話し合いが持たれ、それぞれの家に新たな疎開者たちを預かることに決まった。
不満を漏らす者など誰ひとりとしていない。皆が快く新たな仲間を迎えたのである。
 カッツェとルノアリーナに声を掛けてきた青年は、佐志唯一の喫茶店――その内実は軽食喫茶兼スナックだ――、
六連銭(むつれんせん)で妻と共に世話になっている。
 女性と見紛うばかりの美貌を持つ彼は、焼亡した故郷ではサルーン(酒場)のウェイターとして働いていた。
ギルガメシュによって勤め先は爆破され、雇い主であった店主(マスター)も銃弾に斃れてしまったが、
その最期に当たって恩人から生涯の証しとも言うべきレシピを受け継いでおり、
これを守っていける場所で働くことを本人が強く希望したのである。無論、自分たちを快く受け入れてくれた佐志への恩返しでもあった。
 濃い化粧と酒で焼けたダミ声からあらぬ誤解をされがちながら、根は優しい喫茶店の店主(ママ)は、
悲劇を孕んだ事情を丸ごと飲み込み、彼ら夫婦を自分の店に引き取ったのである。
将来的に恩人のレシピを再現できるよう調理の手ほどきも約束している。
 新たな恩人の庇護のもとで再起を誓った彼の名は、カミュ・レイフェルと言う。
アルフレッドたちグリーニャの若者とも親しい友人であった。
クラップの訃報を聞かされたときなど、ショックの余り、膝から崩れ落ちてしまった程だ。

「どうしてあいつらは、……ギルガメシュはここまで私たちを狙うんだ。何の恨みがあって、こんな……」

 シェルクザールに追手が差し向けられたのではないか――
その問いに対するカッツェの返答を待たず、頭を振りながら呻いたのは、カミュの妻、アシュレイ・ウィリアムスン・レイフェルだった。
 可憐な容貌から少女と見間違われがちなカミュと対照的に、アシュレイのほうは面立ちから立ち居振る舞いに至るまで
見る者に男性的な印象を与える。より正確に言うならば、麗人のそれであった。
 左目の下の泣きボクロは、何とも言えない妖艶な気配を醸し出し、老若男女を魅了する筈だが、
しかし、面を不安に曇らせる今は本来の輝きが失せてしまっている。
 自分の発言で愛妻を不安にさせてしまったと悟ったカミュは、微かに震えるアシュレイの右手に自身の左手を重ね合わせ、
励ますように強く握り締めた。
 カミュの右手には何やら食料品が一杯に詰め込まれた紙袋を抱えている。
開店前の買出しへ出かけていたときに退避の指示を受けたのだ。
夫と同様にアシュレイもまた仕事の最中に急報をもたらされた。スラリと伸びた四肢を土木作業着で包んでおり、
頭には安全用のヘルメットを被っている。そのヘルメットには、フォークリフトをあしらったロゴマークと共に
ウィリアムスン・オーダーなる社名が印字されていた。
 ミドルネームからも察せられる通り、社名の“ウィリアムスン”とは、アシュレイの旧姓だ。
発掘調査からトンネル工事まで土木事業なら何でも引き受けるウィリアムスン・オーダー――
小規模ながらもパワフルな会社を取り仕切る敏腕女社長こそアシュレイの本当の姿なのである。
 掘削機など土木事業に適したトラウムの持ち主を雇用するウィリアムスン・オーダーは、佐志にとって心強いパートナーでもあった。
オノコロ原に塹壕を掘る際など終盤からの参加ながら随一の活躍を見せたのだ。
 作業の現場では大音声で男所帯を切り盛りするアシュレイだが、頼りになる夫の前では普段の威勢が嘘のように弱々しい。
それは些か意地の悪い言い方であり、カミュにだけは内なる弱さを見せられる――と表すべきであった。
 カミュに比べてアシュレイのほうが頭ふたつ分は背が高い為、どうしてもアンバランスな構図になりがちだが、
ふたりは決して繋いだ手を離すことはなかった。
 その姿に触発されたカッツェは、自らも愛妻を引率すべくルノアリーナへと手を伸ばしたのだが、
如何せん運動不足の彼の体力は早々に尽き果て、三者から「たかだか一、二キロ走ったくらいで情けない」などと
叱咤を浴びせられる始末だった。

 そんなカッツェがいきなり立ち止まってしまったのは、いよいよ足腰が限界に達したと言う身体的な事情からではない。
彼の目の前を八雲の旗が横切ったのだ。
 源少七の手助けでもしていたのだろうか――過剰に反り返った旗棒を振り上げつつ佐志中を駆け巡っていた叢雲カッツェンフェルズが、
ついにその足を港に向けたのである。
 今こそ旗揚げのチャンスとばかりに正規の戦闘員たちに混ざり、参戦の既成事実を作ってしまおうと言う魂胆に違いない。
イカサマでも何でも、実戦を踏んだと主張出来るようになることが彼らにとっては重要だった。

「……恨みをぶつけても、新しい恨みしか育てないと言うのに……」

 汗みずくの醜態を取り繕っているように誤解されやしないかと内心で懊悩するカッツェだったが、
ルノアリーナもレイフェル夫婦も、小さいにも程がある彼の悩みなどは最初から気にも留めていない。
 このように記すと、器の小ささだけが目立ってしまうものの、三人の心を動かしたのもカッツェの言葉に違いはないのだ。
彼の言に思うところがあるからこそ、ルノアリーナたちもカッツェに倣って足を止めたのである。
 実戦経験の他にも様々な事情を考慮して編制される正規の戦闘員と異なり、
有志のみで結成された叢雲カッツェンフェルズは、ギルガメシュに戦いを挑まんとする意思さえあれば誰でも参加できる。
性別も出身地も年齢も、トラウムの有無さえ「戦意」、「闘志」などの合言葉でもって超越してしまうわけだ。
 自由参加が認められた叢雲カッツェンフェルズには、四人と親しい人間も幾人か所属している。
中核を担うのは佐志とマコシカの若者たちだが、中にはグリーニャやシェルクザールの生き残りも混ざっている。
故郷を滅ぼされ、大事な人を失った者たちの戦意は、怨嗟と合わさることで天を焦がす程にその火勢を強めていく。
アルフレッドが暴走させた復讐の狂気とは、つまり氷山の一角に過ぎなかった。
 復讐を掲げる者の恐ろしさと虚しさを、カッツェとルノアリーナは誰よりも良く識っていた。
我が子が狂っていく様を目の当たりにしてきたからこそ、それ故に、暴走しつつある叢雲カッツェンフェルズを見過ごすことは出来ない。
例え偽善者の放言と後ろ指をさされようとも、断じて同じ悲劇を繰り返させてはならなかった。
  勿論、源八郎らと共に叢雲カッツェンフェルズを止めようとしたこともあるが、
今なお我が物顔で佐志を闊歩する彼らを見れば、諫言の結果は瞭然であろう。
自分たちにこそ正義があると信じる人間が、余所からの“戯言”に耳を貸すわけもなかった。
 唯一の救いは、公平かつ冷静な判断を下せる人間がリーダーの座に据えられていることだろうか。
そのストッパーがある為、今のところ、深刻な狼藉だけは免れている。

 ダルトン・マルレディと名乗るリーダー格の中年男性は、元々はシェルクザールに駐在していたシェリフ(保安官)だった。
モグラ型のクリッターと共に疎開者たちを護衛してきたのも彼であり、その経緯から勇者、英雄などと持て囃され、
叢雲カッツェンフェルズの隊員たちに担ぎ出されてしまったのだった。
つまり、彼は義挙の提唱者ではない。あくまでも雇われリーダーと言う身分なのだ。
 腰になめし革のガンベルトを巻いてはいるが、ホルスターに納まったリボルバー拳銃の腕前は、へっぴり腰も良いところ。
フィーナと早撃ちの勝負を行ったとしても、ホルスターから銃を抜く前に掌あたりを撃たれて降参するに違いない。
 パラボラアンテナのように幅広で、楕円状にカーブを描いた帽子を被る様が目を引くが、
しかし、その胸元には星型の保安官バッジはない。そもそも、彼は「元シェリフ」を自称している。
 マルレディが所属していたシェリフ・オフィス(保安官事務所)は、ベルエィア山の麓へギルガメシュの魔手が及んだとき、
真っ先に攻め落とされてしまった。一貫してシェルクザールの民に同行していた為、
シェリフ仲間の生存情報はマルレディには分からない。そして、このような事件は世界各地で発生していた。
小さな町村が頼みとする対抗勢力を壊滅させ、武威を示すことは武力制圧の基本であった。
 エンディニオンに於いて、今やシェリフと言う職業は根絶してしまったと言っても差し支えあるまい。
そう判断し、保安官バッジを荷物の奥底に仕舞い込んだ――カッツェやレイフェル夫婦はそのように聞かされている。
 リーダーであると共に新参者の立場でもあるマルレディでは、血気盛んな葛やミルクシスルを抑えてはおけないが、
半面、グリーニャとシェルクザールの生き残りたちは、彼の指示に耳を傾け、素直に従っている。
それは、“同じ境遇”を味わったマルレディにしか為し得ないことである。
 復讐を助長せず、手綱を締めることこそが自分に課せられた使命ともマルレディも受け入れているのだろう。
へっぴり腰ながら脱退せずに踏み止まっているのが、何よりの証左であった。

 だが、マルレディの努力も何時まで効果を発揮するかは知れなかった。
佐志に限った話ではないが、エンディニオンを取り巻く情勢は日に日に不安定になっている。
 目の前で起きたような緊急事態は、何も今日が初めてと言うわけではない。
アルフレッドたち主力が港を離れて間もなく海賊船が略奪を仕掛けてきたのだ。
源八郎らの活躍によって上陸前に返り討ちに出来たものの、ここ最近は同様の事件が後を絶たなかった。
夜中の内にボートで漕ぎ寄せてきたアウトローを相手に夜戦が行われたこともある。
 佐志を襲った海賊やアウトローは、いずれもギルガメシュとは無関係だった。
それどころか、Bのエンディニオンの人間である。彼らはこの有事に際し、同じ世界の同胞を狙ったと言うことだ。
治安の乱れに付け入った、正真正銘の下衆である。
 恥知らずな火事場泥棒が加速する度、復讐の念を抱える者たちは色めき立った。
このような事態に陥ったのは、全てギルガメシュの仕業――犯人はBのエンディニオンの者であるが、
彼らの裡にてのた打ち回る怨念は、ありとあらゆる事件を捻じ曲げ、ギルガメシュへと繋げてしまうのだ。
間接的に影響を与えているかも知れないが、この場合、ギルガメシュには責任は所在していない筈だ。
 いずれは人格まで復讐によって歪められてしまうかも知れない。

「ぼくだってギルガメシュは許せないよ。……無抵抗のマスターを、あいつらは……」
「それは、……思い出さないと約束したじゃないか、カミュ……」
「無理な約束とも答えたハズだよ、アッシュ。……でも、カッツェさんの言う通りさ。恨みをぶつけたって、何も生まれやしない。
それどころか、あいつらと同じになっちゃうもん。あいつらと同類に成り下がるなんて、ぼくは真っ平ごめんさ」
「……キミだって十分に恨んでいると思うけどね。だが、武器を取らない戦いを選んだことを、私は尊重したいよ。
その支えになりたい。……手を繋いで貰ってる立場で大口を叩くなって話だけど」
「何を言ってるんだよ。アッシュが傍にいてくれるから、ぼくは心安らかでいられるんだよ? 
守るものがあるって、自覚をくれるのはキミじゃないか」
「……カミュ」
「アッシュ……」

 いつしか両手を取り合い、言葉を交わすことなく互いの顔を恍惚と見つめ始めた若夫婦はさて置き。
カッツェとルノアリーナは、叢雲カッツェンフェルズの去っていった方角を依然として険しい面持ちで睨んでいる。

「……私たちには止められなかったけれど、シェイン君もあのコたちと同じような気持ちで戦地へ行ってしまったのかしらね。
ベルを助けると言ってくれたけれど、……でも、本当はアルと同じように……」

 心底から苦悶が湧き上がってきたのか、ルノアリーナは両手でもって面を覆い、肩を震わせながら擦れ声を搾り出した。
 アルフレッドやフィーナが戦場へ赴くことも、人質に取られたベルの処遇が何一つ分からないことも、
ルノアリーナにとっては心が張り裂けるような苦痛である。もし許されるなら我が子の身代わりになりたいと絶えず願っている。
 そして、我が子と同じくらいにルノアリーナはシェインのことを気に掛けていた。
 フツノミタマと名乗る強面の男に誑かされたのか、いつしかシェインは冒険道具を置いて剣の修行を始めるようになり、
とうとうアルフレッドたちに混じって激戦地にまで向かってしまった。
 幼い頃から面倒を見てきたシェインまでもが戦争と言う闇の深淵に飲み込まれてしまったと、ルノアリーナは悲嘆しているのだ。
叢雲カッツェンフェルズを、ギルガメシュへの敵意のもとに寄り集まる若者たちを見ていると、
どうしてもそこにシェインの姿を重ねてしまう。葛に至ってはシェインと同い年である。
 もしも、シェインまでもが復讐に塗り潰されたなら――白刃を血に染めて哄笑するシェインの姿を反射的に思い描いたルノアリーナは、
自分自身の想像によって心臓を打ちのめされてしまった。
 同調を求めたいのか、理詰めで否定して欲しいのか。どちらを望んでいるのかさえ、今のルノアリーナは自分では判断できないだろう。
焦点の定まらない双眸を見れば、狼狽の度合いが窺えると言うものだ。
 小刻みに震えるルノアリーナの肩に手を置いたカッツェは、静かに首を振った。その方向は、肯定の縦ではなく否定の横。
いや、“否定”と言うのは、もしかすると正確ではないかも知れない。カッツェとしては、妻の不安を拭い取りたいだけなのだ。
「あの子たちの戦いも、決断も、全て受け入れると誓ったじゃないか」と言い諭す彼の双眸は、
目付きこそ無愛想だが、瞳の奥では全てを包み込むかのような慈悲が輝いている。

「シェインは誰の子だ? 他ならぬショーンの子どもじゃないか。血は争えないと言うことだろう。
あの子には勇敢な剣士の血が流れている。誇り高きショーンの血が。親父譲りの勇気が、絶望などに負けるものか」

 カッツェから寄せられたその言葉にルノアリーナは思わず目を見開いた。
 理路整然としているようで、実は共通認識に頼るところが多い内容である為、
事情を知らない者が耳にしてもカッツェの真意を読み解くことは難しかろうが、
夫と以心伝心で繋がるルノアリーナは正しく意味を汲み取れたようだ。
力強く頷き返したその瞳は、狼狽の色が大分薄まっている。

「親父譲りって――シェイン君のお父さん……ですか? ショーンさんって」

 訝るようにしてカッツェへ問い掛けたのはカミュである。アシュレイもまた驚愕に目を見開いており、
その視線はライアン夫婦の間を忙しなく行き来している。
夫婦揃って今のやり取りと、「ショーン」と言う名前に興味を引かれている様子だ。
 てっきりふたりだけの世界に浸り切りかと思いきや、一応は周りのことにも気を配っていたようで、
予想だにしない反応を受けたカッツェのほうが逆に驚いてしまった。
 カミュもアシュレイも、シェインとはごく親しい友人である。彼が冒険者を目指していることも既に聞かされており、
その夢を応援さえしていた。屈託のない笑顔で夢を語る姿を鮮明に覚えているからこそ、
剣を取って戦場へ赴いたことには、戦慄にも等しい衝撃を受けたのだ。
 沈着冷静に見えて実は好戦的なアルフレッドはともかく、誰よりも心優しいフィーナが戦う為に銃を取ったこともショッキングだった。
彼らが対ギルガメシュの戦列に加わったと聞かされたとき、カミュは危うく卒倒しかけたほどである。
 しかし、傍観者の葛藤など置き去りにして、彼らは戦場へと赴く。戦士もまた様々な想いを抱えながら死地へ臨むものだ。
アルフレッドは復讐を、フィーナは慈愛を、それぞれ胸に秘めて決戦の砂漠に向かっていった。
 そして、シェインは「ショーンの血」なるモノを潜在させながら剣を携えたのだと、カッツェは語った。
彼は更に続ける。今は昔のことながら、シェインの父はグリーニャが誇る伝説的なシェリフなのだ――と。

 かつてグリーニャが悪辣なギャング団に襲撃されたとき、ショーン・アネラス・ダウィットジアクは、
か弱い村人たちを守るべく師匠と共にこれを迎え撃ち、シェリフ・オフィスから救援が駆け付けるまでの間、
何十倍ものギャングと激闘を演じ続けたのだ。
 ギャング団はリボルバー拳銃とライフルで武装していた。これに対し、ショーンはサーベルしか帯びてはいない。
何より剣術一筋に打ち込んできた彼にとって銃火器など無用の長物であった。
 絶望的な戦いだった。それでもショーンは力尽きるまで剣を振るい続け、ついにグリーニャを全滅の危機から救った。
自らの命と代償にして愛する故郷を守り抜いた彼の名は、今なお伝説として生き続けている。
 ギャングの血をどれほど吸っても切れ味を失わなかった片身のサーベルは、
偉大なる英雄に因んで新たにダウィットジアクの銘を刻まれ、村役場へと安置されていた。
残念なことに安置場所である役場もギルガメシュによって焼き払われており、
おそらくはその際に失われてしまっただろうともカッツェは付け加えた。
 グリーニャから叢雲カッツェンフェルズへ加わった隊員の一人は、義挙に先立ってわざわざサーベルを探し求めたとも聞いている。
柄頭に猫目石が嵌め込まれた一振りだ。
 ハリエット・ジョーダン――ショーンの伝説を胸に秘める少年は、エレメンタリーを卒業したばかりの若年でありながら
助手としてシェリフ・オフィスに勤めていた。しかし、ギルガメシュ襲来当日は山向こうの村へ応援に出向しており、
故郷の危機に駆けつけることが出来なかった。血反吐を出すほどにそのことを悔恨し、
叢雲カッツェンフェルズ参戦へ名乗りを上げたのである。
 余談ながら、マルレディを叢雲カッツェンフェルズのリーダーに推したのもハリエットだった。
同じシェリフ・オフィスに所属していた縁に訴えかけ、強引に引っ張り込んだと言うべきかも知れない。
彼がトレードマークとして被るテンガロンハットには、保安官バッジを模した焼印が押されている。

「ショーンにあやかるつもりだろうな。ハリエットのことも小さな頃から良く知っているが、
……責任感の強い子だ。押し潰されなければいいんだが……」

 ショーン・アネラス・ダウィットジアクの伝説は、グリーニャにとって唯一無二と言っても良いほどに輝かしいものだ……が、
それが若者に無謀な勇気を与え、死の危険へと向かわせる可能性を生むと誰が予想出来ただろうか。
伝説が生まれる瞬間にも実際に立ち会ったカッツェの表情(かお)は、複雑に歪んでいた。
 今度はルノアリーナのほうがカッツェの肩に手を置く番であったが、
愛妻の温もりを感じるようになっても彼の眉間に寄った皺は元には戻らなかった。

 黙してカッツェの独演に耳を傾けていたカミュも渋い表情(かお)を作っている。
しかし、彼の場合、心中を満たすのは苦悶ではなく疑問符であろう。顰めっ面と言い表すほうが正しいかも知れない。

「その事件で活躍したのって、カスケイドさんのお父さん……ですよね? フェイ・ブランドール・カスケイドの。
ぼくの記憶違いだったらアレですけど、ショーンって名前ではなかったハズ……」

 グリーニャがギャング団の標的にされてしまった事件は、隣町出身のカミュもはっきりと記憶している。
 当時は幼かった彼の心にまで深く刻まれたことが、事件の凄惨さを何より如実に物語っていると言えよう。
隣町と雖も、現場を直接確認したわけではなく、ニュースと新聞で断片的に垣間見たに過ぎないのだ。
 当然ながらグリーニャの危機を救った英雄の名も憶えている。
しかし、カミュの記憶にある名前は、ショーンでもダウィオットジアクでもなかった。
ましてや、シェリフを生業していたとは聞いたこともない。村はずれに居を構える孤高の剣士だったとカミュは思い出していた。
 カミュから指摘を受けたカッツェは、「忘れていたわけじゃないんだがな……」とバツが悪そうに頬を掻いた。

「フェイの父親の――カイヨーテは、ショーンの剣術の師匠だったんだよ。さっきはショーンばかり持ち上げてしまったが、
本当はふたりして命がけで戦ってくれたんだ」

 更に付け加えるなら、命を賭して戦ったのは三人だ。槍の使い手であったカイヨーテの妻も迎撃戦に馳せ参じ、
夫やショーンと共に討ち死にを遂げたと、カッツェは言い添えた。
 偉大なる三傑の墓標は、戦火を免れていれば、今もまだ焼け野原の片隅で肩を並べている筈である。

「――と言うことは、シェイン君はお父上の跡を継いだようなものなのか」

 仕事でたまたまシェルクザールを訪れ、カミュと結ばれて腰を落ち着けることになったアシュレイにとっては、
ショーンもカイヨーテも耳慣れない名前だった。無論、グリーニャがギャング団に襲われたと言う話も初めてだ。
 提示された情報を一つひとつ整理し、ショーンなる伝説的なシェリフがシェインの実父だと把握したとき、
ようやく彼女は皆の会話に参加できるようになった。

「……運命と言うものを感じずにはいられなかったよ。師匠も流派も違うが、ショーンの歩んだ道に入ったと言うことだ」
「シェイン君から冒険者になりたいと聞かされたときは、まさかこんな日が来るとは思っていなかったわ。
……ショーン君は、喜んでいるのかしら。それとも――」

 縁起の悪いことを口に出すのを憚ったのだろう。話の途中で言い淀み、
俯いてしまったルノアリーナの肩に改めて手を置いたカッツェは、
「誇りに思っているさ。息子の選んだ道を誇りに思わない親はいない」と優しく相槌を打った。
 ルノアリーナもまたカッツェの言葉に頷き返す。不安や心配はどうにも拭えないものの、
夫の言わんとしていることも理解は出来るのだ。

(あのコならきっと間違ったほうには行かないと思うけれど、……もしも、剣士の血が戦争を欲しがると言うのなら、
いつかは剣を取り上げなければならないわ……)

 例え、胸中に別の心が芽生えてしまったとしても、夫の気遣いを拒絶してまで表に出す必要はない。
戦争と言う悪夢によってシェインが侵され、歪められることは絶対に有り得ないと、カッツェは約束してくれたのだ。

「ショーンは最後まで誰かの為に戦ったんだ。自分の為にじゃなく、な。シェインもベルの為に戦ってくれている。
不甲斐ないオレたちの代わりに……。オレはそれを信じたい。それがショーンの遺した勇気なんだ」

 そして、それこそがカッツェの語る「ショーンの血」と言うものの本質なのだろう。
自分ではなく誰かの為に剣を振るう限り、シェインが負の思念に飲み込まれることはないと繰り返すカッツェは、
英雄の血とその魂が息子にまで引き継がれていると確信を持っている様子だった。
 今そこにある敵対者に反応して牙を剥くか、それとも、偉大な父の魂に導かれて勇気の剣を抜くのか――
それが叢雲カッツェンフェルズとシェインとの根本的な違いなのだと、彼は自らの結論を唱えた。
自らの意思で戦いに臨む者同士でありながら、両者の支柱は全く異なっていると言うのだ。
 かく言うカッツェとて、叢雲カッツェンフェルズの全てを批判するつもりはない。
彼らが持て余す衝動や復讐心は決して間違ってはいないのだ。むしろ、正解の一つとも捉えている。
狂乱の火種をも内包する闘志の発露と、速度が乗っていながら軌道の定まらない無鉄砲な勢いを危ぶんでいるのである。
カッツェにとっては、若者たちのそうした暴走を食い止めるのが大人の責任であった。

「……ショーンが遺していったものを、ブチ壊しにさせるわけにも行かないか」

 指示に従って避難場所の体育館へ向かうべきか、それとも、八雲の旗を追いかけるべきか――
二者択一の狭間で逡巡していたカッツェの足を浜辺に向けさせたのは、言わば「ショーンの余韻」であろう。
 人を破滅に向かわせる思念と言うものは、良かれ悪しかれ、カッツェの年齢ともなると自然と見分けられるようになる。
闘争本能の赴くまま旗揚げした葛やミルクシスルは、その典型とも言えるだろう。
復讐心の膨張が行き着く果ては、我が子の暴走を通して痛い程に思い知った。
 ふたつの思念が合わさったようなハリエットなどは、最も危険なタイプである。
もしも、ギルガメシュと対峙したときには、ショーンになり切って遮二無二突撃を仕掛けるかも知れない。
英雄の魂が猫目石のサーベルに宿っている。ショーンの魂が傍にある以上、
正義と天運も自らの側に有ると、彼は信じて疑わない筈だ。
 とかく若者は、瞬間的に心を震わせてくれる刺激へと心理を求めがちである。
シェインもこのタイプに入るだろうが、彼の場合は環境と言う一点が大きく異なっていた。
年齢から生業、生き様まで何もかもが違う者たちがシェインの周りには溢れ返っているのだ。
在野の軍師に新聞王、裏社会の仕事人、マコシカの術師、腕利きの冒険者、リサイクル業者等々、
それぞれの分野を邁進し、自分なりの哲学を持つ者たちである。
撫子まで含めるならば、若年無業者の考えまで拾い上げることができるだろう。
 数多の考えや価値観に触れることで、シェインは自ら思料する力を大いに養える。
それに対し、叢雲カッツェンフェルズは同じ考えの者ばかりが集まり、異論の入り込む余地はない。
人は、そのような状況に身を置いたとき、群集で共有するひとつの情念を際限なく膨らませていくものだ。
彼らの場合、攻撃性の特化に尽きる。
 このまま野放しにしておけば、叢雲カッツェンフェルズは必ずどこかで自滅する。
おそらくマルレディの独力では若い衝動をいつまでも抑えてはおけないだろう。
最悪の場合、彼は裏切り者の烙印を押され、過激化した隊員から粛清される可能性もあった。
 軌道修正が急務であることは誰の目にも明らかだった。


 叢雲カッツェンフェルズの行く末を案じるのは、カッツェたち大人ばかりではない。
隊員の親族や友人は、八雲の旗が翻る度に神経をすり減らすのだ。
 彼らの足跡を辿るようにして駆けて来たミストも、叢雲カッツェンフェルズに不安を募らせるひとりであった。
 隊員のミルクシスルとは、幼馴染みの親友同士である。
根っから男勝りのミルクシスルは、マコシカの集落で暮らしていた頃もアウトローや盗賊の襲撃へ我先にと駆けつけていた。
ダイナソーの口車に乗せられ、集落の人々がアルフレッド一行と対峙した折にもビール瓶を振りかざして威嚇したと言う。
ミスト自身はその場に居合わせなかったものの、いきり立って罵声を浴びせる親友の姿は容易に想像できた。
 好戦的な性格を熟知していたからこそ、佐志の若者が叢雲カッツェンフェルズの旗揚げを呼びかけ始めた当時、
如何ともし難い胸騒ぎを覚えたのだ。案の定、ミルクシスルはビール瓶を片手に参戦を表明。
マコシカのレイライネスは貴重な戦力として歓迎をもって迎えられ、いつしか主導的立場に納まっていた。
 ミルクシスルには双子の妹がいる。フェンネルと言う名の妹ともミストは親友同士だった。
彼女は姉と正反対でおとなしく、物静か。滅多なことでは自分の意見を表に出すこともなかった。
我を通したのは、両親に猛反対された結婚を駆け落ち同然で強行したときくらいであろう。
 そのフェンネルが声を荒げて姉に食い下がったのだ。みすみす命を危険に晒す真似はないで欲しい、と。
 結局、妹の説得はミルクシスルを変節させるには至らなかったものの、それでも姉を案じる気持ちが変わることはなく、
今もミストと共に八雲の旗が去った後を追いかけている。
 ふたりの後には、更にもうひとりの少女が続く。この場にいないミルクシスルまで含め、
四人で親友グループを作るジプシーワート・M・ネレイドであった。
 どちらかと言えば内向的なミストやフェンネルと比べて更に感情の抑揚が薄いものの、
内面はなかなかにユニークで、無表情のまま過激な発言をすることもしばしばである。
 ミルクシスルを追いかけるようミストとフェンエルに促したのは、何を隠そうこのジプシーワートなのだ。
 両帝会戦が激化する前後、戦争の影に怯える子どもたちを励まそうとミストは童話作りを始めていた。
今日もフェンネルとジプシーワートを誘って取材に出掛けており、その最中に八雲の旗が翻るのを発見した次第である。
 それから間もなく町中に避難指示が発せられ、ミストとフェンネルは判断を迷った。
戦う力を持たない自分たちは、指示に従って体育館へと逃れるのが一番正しい。
しかし、アルフレッドたちが抜けている今、もしかするとミルクシスルまで主戦場に投入されるかも知れない。
それだけは何があっても食い止めたかった。
 戦いの邪魔になるのを避けるべきか、最後の説得を試みるべきか――
どちらの判断が正しいのかを迷っていたふたりをジプシーワートは「心の声に従え。さすれば道は開かれる」と鼓舞し、
結果、避難する群衆に逆らって走ることになった。


 同じ目的を胸に秘めて八雲の旗を追うカッツェたちとミストたちが落ち合ったのは、
タバコ屋を支点として二股に分かれたY字路である。
奇しくも、その場には避難指示を号令する源少七も居合わせた。避難の状況を確かめるべく町中を巡回している最中だった。
 角のタバコ屋を臨むように二股の道路を視界に入れた源少七は、
やがて一本に交わる道を全速力で走ってくるカッツェとミストを見て取ると、「待った! 危ねぇッ!」と慌てて注意を促した。
しかし、声を掛けたときには既に遅く、タバコ屋の脇を抜けたところで、ふたりはついに衝突してしまった。
 強か尻餅をついたミストはショルダーバッグを路上に投げ出してしまい、そこから幾つかの画材が飛び出した。
ケースに収納してあった為、筆記用具が散乱することはなかったものの、メモ帳やスケッチブックはページが捲れ上がっている。
童話の主人公だろうか――偶然に開かれたスケッチブックには、山吹色の髪を持つ凛々しい少年が描かれていた。
 大慌てで駆け寄ってきた源少七とルノアリーナがミストを介抱する傍らでは、
散らばった画材をフェンネルが拾い上げ、ジプシーワートは殺意すら帯びた眼光でもってカッツェを睨み、襟首を掴み上げている。
例によって無表情だが、却って威圧感を醸し出しており、「空気読もうや、オッサン。ミストがケガでもしていたら、
倍返しじゃすまなかったよ」などと凄まれたカッツェは、自分より遥かに年下の相手に全く気圧されてしまった。

 ミストに怪我がないことを確かめ、ジプシーワートに土下座させられたカッツェを目端に捉えた源少七は、
次いでフェンネルやレイフェル夫婦に経緯を尋ねた。ルノアリーナも夫の隣で頭を下げている為、
彼らしか事情を聴ける相手もいないのだ。
 夫以外の男性と接する機会が少なく、また外界にも不慣れなフェンエルには、
素肌にアザラシの毛皮を直に宛がい、その上に胴鎧を纏うと言う源少七流の着こなしは心理的に抵抗があるらしく、
彼が近付いてきた途端、相当な勢いで仰け反ってしまった。小さく悲鳴まで上げたあたり、生理的に受け付けないのだろう。
源少七からして見れば、何が問題なのかと抗弁したいところだろうが、やはりフンドシ姿を直視するのは厳しいようだ。
 内心、深く傷付きつつも平気な素振りで取り繕った源少七は、しかし、恐る恐るレイフェル夫妻の様子を窺った。
幸いにして男所帯で働くアシュレイはフンドシ姿にも免疫があったようで、カミュからも文句が出ることもなかった。
着こなしのセンスそのものはカミュも疑問視していたが、それは瑣末なことであり、敢えて口に出す理由もなかろう。

「あのコたちが……、叢雲カッツェンフェルズがよからぬことを仕出かしたりしないか、ぼくらは心配なんですよ。
知り合いも何人か参加しているんです。出来れば、危険な場所から連れ戻したい」
「差し出がましいことはわかっているが、このままにはしておけないだろう」

 避難経路を逆送する理由をレイフェル夫婦から聴かされた源少七は、腕組みしたまま低く唸った。

「私は姉が心配なのです。ミストちゃんもジプシーワートちゃんも一緒にお姉ちゃんを……」

 聞くともなしに聞こえたのだろう、フェンネルも自分たちが八雲の旗を追跡してきた理由を打ち明けた。
但し、今もって源少七には慣れておらず、彼が首を向けた途端に再び悲鳴を上げて後退りした。
 立て続けにこのような態度を取られては、さしもの源少七も堪らない。
 そもそも、だ。フェンネルとは言葉を交わしたこと自体、今日が初めてである。
面識と言えるほどの関わりもこれまでなかった。マコシカの民が集団疎開をしてきたときに
他の者たちと一緒に顔を合わせた程度で、往来で行き会ったこともなかった筈だ。
 それなのにどうして忌避されなければならないのか。煙たがられる理由がどうにもわからない源少七は、
思わずカミュとアシュレイへ救いを求めるような視線を送った。
 フェンネル同様、源少七と親しいわけでもないふたりに理由など分かる筈もなく、反対に首を傾げられる始末。
いよいよ遣る瀬無くなった源少七は、鼻をすすりつつ項垂れてしまった。
 彼が自分の使命に復帰したのは、謝罪を終えたカッツェや、未だに彼のことを睨み続けるジプシーワートたちが
話に参加してからである。そこでようやく彼は頭を振って雑念を追いやった。
 カッツェには目が赤いと指摘されたものの、それはお互い様である。

「何も心配することはないと思いますがねぇ。俺に言わせれば、あいつらは立派なもんですよ。
相手がどんなにデカくても屈しねぇ勇気があるし、自分たちで隊を起こす行動力は見習わねぇといけねぇ。
親父殿にも口添えしたいんですが、なかなかどうも上手く行かなくて、エエ」

 意外なことに、源少七は叢雲カッツェンフェルズを好意的に受け止めていた。
勿論、隊伍を乱すような行動をされてはかなわないが、自ら進んでギルガメシュに立ち向かおうとする心意気には
共感すら覚えているようだ。彼もまた“鉄砲玉”と言うことであろう。
当然、周りが叢雲カッツェンフェルズを危険視する理由も分かっていない。
 顔を見合わせ、重々しく頷いたカッツェたちは、その様をきょとんと眺めている源少七を押しのけ、
再び八雲の旗を追いかけ始めた。




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