2.Something happened to me yesterday


 ハンガイ・オルスが嵐の兆しを見せ始めた頃、反ギルガメシュ連合軍から遊離して独自の進路を採った佐志軍は、
武装漁船、『第五海音丸』を駆って海路を急いでいた。
 傍目には本拠地へ帰還する途上にしか見えず、実際に彼らは佐志を目指しているのだが、
それにしては乗員の表情はあまりにも強張っているし、白波を砕いて渡る船舶のスピードも尋常ではない。
 佐志を目指しながらも帰還が目的ではない。佐志の地で発生した何らかの事件へ対処すべく先を急いでいる――
第五海音丸の甲板は、そのような緊迫感が漲っていた。
 ただでさえ限界速度ギリギリまで加速していると言うのにまだ足らないと守孝を急かすのはヒューだ。
 第五海音丸の船首に陣取って海路を睨み、腕をグルグルと回して無茶な要求を繰り返す彼に、
守孝はほとほと困り果てていた。

「守っち、もっと早く! ハリーアップだぜっ!」
「無理無体を申してくださるな、ヒュー殿。我が船に乗り合わせし皆々様のお命をお守りせねばならぬのでござる。
何が起こるか分からぬ船旅においては、努めて万難を排さねばならぬこと、わからぬお手前ではござるまい」
「守孝を困らせるんじゃないよ、ヒュー。あんた、何度、守孝にござるござるって言わせりゃ気が済むのよ!」
「……加勢して頂けるのであらば、もっと別な部分を拾い上げて欲しいのでござるが……」
「えぇい、レイチェルは黙ってろ! 俺っちには、命を賭けてでも急がなきゃならねぇ理由(ワケ)があるんだ!」
 
 海面を駆る船舶と言うものは、頑強そうに見えて非常にデリケートなのだ。
何かの拍子にバランスが崩れれば、そのまま船はひっくり返ってしまう。
転覆とは、素人が考えている以上に身近にあるのである。
 加速すればするほどそのリスクが高まると言うことも意外と知られていない。
第五海音丸の速度は既にその危険域に達しており、これ以上の加速は大規模な転覆に繋がる危険性があった。
 船を預かる守孝にとってヒューの要求は、到底、承服出来ないものだった。
 海兵――と言うと、必ず本人から訂正が入るのだが――であったヒューであれば、
基礎中の基礎とも言える力学的な原理は必ず理解している筈なのだが、それでも彼の腕は回し続けている。
限界をも突破するような加速を求め続けているのだ。

 自分たちを乗船させてくれている守孝に向かって無茶な要求をする夫を見かねたレイチェルは、
救命用の浮き輪を無理矢理ヒューへ嵌め込んだ上に大海へ蹴り落とすと言う荒業に出た。
 トラウムを強化させられると言うルディアまで引っ張り込もうとしたのが、
暴挙スレスレの制裁に踏み切った直接的な引き金である。

「命を賭けるって言えばなんでも許されると思ってんじゃないよ、この宿六がッ!」

 浮き輪は船体とロープで繋がっているので大海原を漂流するような心配はないものの、
四方八方から押し寄せる波は容赦なくヒューを飲み込み、船体に跳ね返って勢いのついた海水は、
さながら鉄砲水のように彼の全身を打ち据えた。
 当然ながら第五海音丸の速度が上がれば上がる程、跳ね返った海水の威力は増幅されるわけで、
奇しくも煽りに煽って加速させたツケが自分の身に降りかかって来た恰好である。
 スクリューシャフトに巻き込まれる危険性もヒューには圧し掛かっていた。
まかり間違って船尾のシャフトに巻き込まれでもすれば一巻の終わりだ。
八つ裂きになった挙句、海魚の餌に成り果てるだろう。

 引き攣りまくった顔を見せ合うシェインとフツノミタマは、改めてヒューに課せられたお仕置きを振り返り、
その残虐性の高さに揃って身震いした。

「もしかすっとリーヴル・ノワールで逢ったあの熊たちってさ、ピンカートン夫妻をモデルにしてんじゃね?
あそこまでヒデぇお仕置きなんてそうそう思いつかないよね」
「珍しく気が合ったじゃねぇか。オレも同じこと考えてたとこだぜ。情け容赦をどこかに置いてきたって感じが、
あのメスの熊とマコシカの酋長はそっくりなんだよな」

 迂闊なことをポロッと口に出そうものなら、自分の身にまで災難が降りかかるのは明白。
 シェインは言うに及ばずフツノミタマでさえもヒューの二の舞だけは避けたいとばかりに、
レイチェルの機嫌を損ねそうな内容は全て小声で喋っている。
 誰も彼も、全身から怒気を漂わせるレイチェルに気圧されており、声援を掛けることさえ憚っていた。
 誰よりも慈悲深いフィーナや、正義感の塊のようなハーヴェストをも言葉を用いずに押し止めるのだ。
どれ程の怒気がレイチェルの双肩に宿っているのか、推して知るべしと言ったところであろう。

 今ではヒューを気遣うのはニコラスくらいである。
 彼だけは健気にも「寒くないですか?」、「鮫が出るそうですよ、このあたり」などと定期的に声を掛け続けている。

「あの、お父さん――差し出がましいかもですけど、早目に謝っちゃったほうがいいんじゃ……」
「お、おっ、お父さんって呼ぶなぁーッ! 俺っちは、俺っちはぁ――ごぼぉッ!?」
「放っておきなさい、ラス。こんなウスラバカ、半殺しにしてやるくらいで丁度いいのよ。
一時間も放っておけば頭も冷えるでしょ」
「一時間は普通に死ねると思います、お母――……レイチェルさん」
「あらあら、いやだわね。あたしのことは遠慮なくお母さんって呼んでいいのよ? 
花嫁の母なんて最高じゃない」
「――しッ、死なねぇぞ、俺っちはぁッ! やらなきゃならねーことが山ほどあっからなぁッ! 
とりあえずお父さんなんて呼ぶ馬の骨にはマジ折檻じゃァッ! ……あと花嫁の母とか言うのは、まじ勘弁してください。
心が折れちゃうから! お父さん、本気で枯れちゃうからッ!」

 ニコラスはピンカートン夫妻の間を取り持とうと試みたが、
自分のことを『お父さん』などと呼ばわる彼がヒューにはどうしても気に入らず、
差し伸べられた手を大喝――と言うよりも娘を持つお父さんならではの絶叫――でもって払い除けた。
 ニコラスの心配も他所にヒュー当人はまだまだ元気なようである。
 だからと言って、ヒューに降りかかる水しぶきを「お仕置きが足らない」とばかりに
フロストのプロキシでもって氷の礫に変えてしまうレイチェルは、いくらなんでもやり過ぎのように思えるが、
ニコラスに『お母さん』の暴挙を止められるハズもなかった。

 氷の礫に全身を乱打され、酸素吸入が機能しているのかも怪しいくらい顔面を腫れ上がらせたヒューを見るにつけ、
シェインとフツノミタマは再び身震いしたが、恐るべき恐妻ぶりに唖然としているのは、何もこの二人ばかりではない。
 武装船団に乗り合わせた面々は、その殆どが心臓を鷲掴みされるような恐怖を感じており、
タスクに至っては両手で視界を覆ってしまってさえいる。
 仲間からドン引きされるくらい命の危険に晒されるヒューであったが、
そうまでして彼が佐志への帰還を急くのには、それ相応の理由があった。

 全ては、ヒューに掛かってきた一本の電話がきっかけである。
 佐志に居残って両親やその仲間たちの帰りを待ち侘びるミストが掛けた一本の電話が。

 セフィさんが目を醒ましました――ミストは合戦を終えたばかりのヒューにそう電話を掛けた。
 ギルガメシュの兵団がルナゲイト占拠に現れた際に胸部を狙撃されて昏倒し、
以来、昏睡し続けていたセフィがようやく意識を取り戻したと言うのである。
 随分と長い昏睡だった。マリスのトラウム、『リインカネーション』によって一命を取り留めたとは言え、
失血性ショック――衛生兵としての訓練も受け、医事にも詳しいマリスがそう見立てた――は、
セフィの身心へ甚大なダメージを与えていたらしい。

 この報に色めき立ったのは、ジューダス・ローブを長年追いかけ続けてきたヒューその人である。
 ルナゲイトの決闘でジューダス・ローブ――セフィに手錠を掛けることには成功したものの、
直後に起こったテロ事件と彼の負傷によって未だに取り調べが出来ていなかったのだ。
 無差別テロとも言うべき数々の事件を起こしてきたその動機を、今こそセフィから聴取せねばならない。
彼がある種の使命感に衝き動かされたのは、ごく自然のことと言えよう。

 だが、現在(いま)はギルガメシュとのこと構えている真っ最中だ。
長年の目的だったとは言え、戦時中なのにチームを離れてよいものか――
そう逡巡していたとき、意外にも軍律に関して誰より厳しいと思われていたアルフレッドが背中を押してくれた。
 他の誰もが賛成してもアルフレッドだけは反対するだろうと考えていたヒューにとっては、
その最後の壁が逸早く取り払われたことは、驚き以外の何物でもない。

「ジューダス・ローブの事件には俺たちも関わっているんだ。尋問する権利は皆が有している。そうだろう? 
……セフィに会おう。会って、全てを白状させるんだ。一人では手に余る聴取も皆で掛かればすぐに終わる」

 かくして対ギルガメシュの戦線から一時的に離れることを決し、一行は佐志への帰路を急ぐことになったのである。
 帰還を逸る気持ちが分かるだけに皆がヒューに同情を寄せているが、さりとてレイチェルを敵に回せる筈もなく、
彼を見守りながらも心の中でエールを送ることしか出来なかった。
 そのエールが届いているのか、いないのか。波に揺られるヒューの顔面は病的な蒼白に染まっており、
ピクリとも動かない程、ぐったりし始めていた。


 それはともかく――ヒューの背中を押したアルフレッドは、源八郎の駆る武装漁船、
『星勢号』へフィーナやマリスらと共に乗り込んでいる。
 こちらはトラウムではなく源八郎が手ずから造船した漁船だが、
第五海音丸をモデルにして開発されただけあって、速度まで含めて性能は元祖のそれに近いものがある。
 その星勢号の甲板に源八郎と向かい合わせて座り込んだアルフレッドは、
手元に広げた世界地図と難しい表情(かお)で睨めっこしている。
 源八郎も源八郎で腕組みしながら何事か考え込んでおり、二人して眉間に深い皺を寄せていた。
 世界地図は定められたエリアごとに青と赤で塗り潰されているのだが、
そのエリアと言うのがテムグ・テングリ群狼領の領地と、ギルガメシュの占拠した地域である。
 青く塗りつぶされたのがテムグ・テングリ群狼領と反ギルガメシュを掲げて決起した連合軍の領地、
赤く塗り潰されたのがギルガメシュの占拠したエリアだ。

 敵か、味方か――二つに色分けされた地図へ目を落とすアルフレッドと源八郎は
甲板に転がっていた貝殻を駒に見立てて何やらシミュレーションを繰り返している様子だ。
 「この区域を陥(おと)せば敵は動かざるを得なくなる」、「旦那、それはちィと危険な賭けだな」等など、
二人の間で交わされる会話は半ば押し問答に近かった。
 眉間に皺寄せながらの議論ではあるものの、
どうやらアルフレッドは源八郎を論破せしめるだけの奇策を手の内に隠してあるらしく、
時折、野心家めいた笑みで口元を吊り上げている。

「また戦争のことを考えていたのですか? ……少しは休んでください、アルちゃん。
急ぎ過ぎると身体に障ります」

 熱砂の激戦の疲れも抜け切らない内から次なる戦いに向けてのシミュレーションを行なうアルフレッドへ
マリスが気遣わしげに声をかける。
 疲弊はもちろんのこと、戦いにばかり集中する内にアルフレッドが再び復讐鬼へ逆戻りしてしまわないかが、
マリスには心配でならなかったのだ。
 怜悧な面の下に秘された殺伐の激情を見せ付けられた後では、
復調してからの経過へどうしても過敏になってしまうのである。
 だが、薄い笑みを浮かべて頬を掻く様子を見る限り、マリスの懸念はどうやら杞憂に終わったようだ。

「心配するな。もうあんな無謀な真似はしない。……お前の言う通り、性急に過ぎるのはよろしくないからな」

 はっきりとした口調でアルフレッドは「心配するな」とマリスに答え、その頭を優しく撫でてやった。

「性急に過ぎると視野が狭まり、周りが見えなくなる。……少し前の俺と同じようにな。
ギルガメシュを滅ぼすにはじっくりと苦しめてやらなきゃならない。
ジワジワと時間を掛けて一人残らず嬲り殺しにしてやるんだ……」
「ア、アルちゃん……!?」

 頭を撫でられて蕩け切っていたところで急にアルフレッドの声色が復讐者のそれへと変わったものだから、
マリスは全身の血が凍るような衝撃を受けたが、見開かれた紅眼に映ったのは悪戯っぽい微笑。
 ぽかんとしたまま固まってしまったマリスへ「悪かったよ」と謝りながら、アルフレッドは再び彼女の頭を撫でつけた。
 要するにマリスはアルフレッドにからかわれたわけである。

 からかわれただけだと判ってホッと胸を撫で下ろしはしたものの、マリスにしてみたら心臓に悪いことこの上ない冗談だ。
 とりあえずアルフレッドの左腕を抓ることで抗議の意を示したが、
貧弱なマリスでは思い切り力を込めたところで戒めに足るだけのダメージは与えられそうにない。
 それをフォローしてくれたのが、二人の間に横から割って入ったローガンだった。

「コラ、言ってエエ冗談とアカン冗談があるやろ。今のは横で聴いとってもゾクッと来てもうたで」

 言いながら、ローガンはのっそりとアルフレッドへ剛腕を伸ばし、抱え込むようにして彼の首や頭を締め始めた。
所謂、ヘッドロックの体勢である。

「盗み聞きなんて悪趣味もいいところだぞ」
「師匠と弟子の間にプライベートはあらへんのや。師匠っちゅーもんはやな、弟子を正しく指導する為になんでも知っとらんとアカンねん」
「物は言い様だな。……そろそろ離してくれないか、まだシミュレーションの途中なんだ」
「いやいや、旦那。今のは俺もマズいと思ってたんだ。若い内に性格の悪さを直せるよう猛省の味を知っておいたほうがいいぜ」
「……源八郎、お前もか」
「俺ぁ、旦那の味方ですぜ? 味方だからこそ厳しい目で見るんでさぁ」

 ヘッドロックを掛けてお仕置きするローガンや、ウンウン頷いて反省を促す源八郎、コロコロと喉を鳴らして微笑するマリス――
そして、彼らの中心にいて苦笑いを浮かべるアルフレッドの姿に対して、フィーナはひどく手持ち無沙汰な気持ちを抱いていた。

 軍事的なシミュレーションは管轄外だが、アルフレッドの話に付き合うのはいつものことだったし、
時折見せる彼の悪ノリを諌めるのも、疲弊をいたわってあげるのも今まではフィーナの役割だったのだ。
 けれども今はその役割は仲間たちに分担されていて、自分にはアルフレッドへしてあげられることが見つからない。
もっと言えば、入り込む余地を見つけられなかった。

 取っ付き難い印象のあるアルフレッドに気心の知れた仲間が増えるのはとても良いことであり、
フィーナにとっても大変に喜ばしいことなのだが――

(……ちょっとだけ複雑かも……。……やだな……、こう言う気持ちって……)

 ――そうあることが当たり前のように思えていた自分のポジションへ別の誰かがいることがどうにもやるせなくて、
せつなくて、フィーナの胸を寂しさがチクリと刺した。

「ライバルの優勢に独りで凹むくらいなら、遠慮せずに自分からアプローチしてっちゃいなよ。
それでややこしいことになっても、アルの自業自得じゃないの。
裏でグチグチやってるより、正面切ってやり合ったほうが後腐れないって」
「コカッ! コカカコカッ!! カカカカカカッ!!」
「……トリーシャ……。ムルグも……」

 トリーシャやムルグが傍にいてくれなかったら、今頃、もっと深刻に落ち込んでいたかも知れない。
 三角関係を茶化すようなトリーシャの軽口は重い気持ちを楽にしてくれるもので、
フィーナを悩ますアルフレッドに対し、彼女に代わって報復を加えんとするムルグを抑えている内に、
垂れ込めていた寂しさはいずこかへと吹き飛んでしまっていた。
 一瞬でも仲間たちに嫉妬を抱いたことへの罪悪感は微かに残ったが、
それでもトリーシャたちが光明を導いてくれたお陰で塞ぎ込んでしまうような鬱屈は晴らされた。

「とりあえずさ、フィー」
「うん?」
「……鼻血は拭おうよ。もう滝なんてもんじゃなくダダ漏れてるから」
「あ……――いやぁ、なんて言うか……師弟愛がこんなにダメージ大とは思わなかったわけで。
トリーシャだってあるでしょ、こう言う経験?」
「あるかいっ!」

 無意識の内にいつもの悪癖を出したフィーナの胸元へスナップを利かせたトリーシャの手の甲がぶつけられる。
 今更、論じるまでもないことだが、フィーナは自分を嫉妬深いと嘆くより前に、
この持って生まれた業の深さをまず改めるべきではなかろうか。
 トリーシャは呆れを孕んだ声で、ムルグは軽く突っつくことでフィーナを諌めたが、
苦悩の最中にまで無意識で角を出すような悪癖は、最早、彼女の意志や努力で完治する段階を超えている気がしてならない。
 これ以上、出血で鼻の下を汚さないよう丸めたティッシュで封をするフィーナは、
「頑張ってはいるんだけどねぇ」と情けない声で親友たちの諌めに答えた。
 完治する見込みがないことはフィーナ本人が一番よく判っているのだ。

 それからしばらく会話を休んで潮風を満喫していたフィーナだったが、ふとあることに思い至り、
自分と同じように海面の輝きに目を落としていたトリーシャへ居住まいを正して向き直った。

「……セフィさんのこと、記事にするの?」
「セフィって言うか、ジューダス・ローブのことね」

 フィーナの言わんとしている意図に気付いたトリーシャは、解析不能な定理を前にした学者のように表情を歪ませ、
煌々と照りつける太陽を仰いだ。鏡面さながらの海に輝きを跳ね返しているせいか、
蒼天に灯された白熱の球体はいつにも増して眩い気がする。

 佐志へ戻ればすぐにでもヒューはセフィへの尋問を始めるはずだ。その場には何としても同席させてもらうつもりでいる。
ジャーナリストとしては事情聴取で得られた情報を包み隠さず公表せねばなるまいが、
単純にジューダス・ローブ逮捕の報を書けば良いと言うことでもない。

 ジューダス・ローブは――セフィは、命懸けで対決した大敵である前に大切な仲間なのだ。
 全てを公にした場合、彼は確実に社会的に抹殺される。
仮に社会的な抹殺を免れたとしても冒険者としての生命が絶たれるのはまず間違いなく、結果としては同じであった。
 白熱の太陽が自分たちの影を映し出すように、トリーシャが記事にすればセフィの抱えた闇は世間に晒され、
やがてはエンディニオンから彼の居場所を奪うだろう。

 現在は戦時中であるし、中枢を掌握されたマスメディアは、
ギルガメシュのプロパガンダを垂れ流すだけの媒体と成り果てている為、
誰某の悪事を暴き立てるような新聞は作れそうもない。
 ジューダス・ローブと言う最高のニュースバリューがあったとしてもだ。
 だが、いずれは全てが明るみに出る。セフィの犯した罪は、因果応報の理をもって彼に降りかかる。
これがフィーナの懸念するところであり、また、トリーシャの苦悩の根源であった。

 ジャーナリストとしての正当な義務を果たすことが、一人の仲間を失う結末に直結しているのだ。
 これまでにも特定の人間へ制裁を加える記事は書いてきたが、社会的な抹殺にまでダメージが及ぶケースは今回が初めてである。
仲間の犯した罪を告発することも全くの未経験だった。
 ジャーナリストの自分がしなければならないことは分かっている。
 ……分かっていても踏ん切りがつかない。
 論理に基づく自己分析がどうしても決行の意志に通じないのだ。

「……あたしが聴きたいわ。何をどうすりゃいいのか、もう頭ん中がこんがらがっちゃってね」
「そっか…………」
「コ、コカー……」

 自分は降り注ぐ陽光に抜け道を問うてみるものの、当然ながら答える声はない。
 当たり前だ。創造の女神にして母なるイシュタルにまで見捨てられた自分たちに、誰が答えをくれるものか。

 ところが真っ白な闇に吸い込まれて消えるかに思われた問いかけには、存外に呆気なく答えが提示された。

「ありのままにジューダス・ローブの真実を書けば良いのじゃよ。ワシら、マスメディアの仕事は何じゃ? 
世に真実を伝えることよ。大衆が求めるのはジューダス・ローブが手を染めた犯行の全記録、
それから異常性に満ちた犯人像じゃ。包み隠さず教えてやればよい」
「お、お師匠様っ!」

 ――ジョゼフだ。
 リーヴル・ノワールの探索以来、師弟関係を結んだ『新聞王』が、悩める愛弟子に最も望ましいと思われる答えを示してくれたのだ。
 出発前、彼はラトクの手配した別の船に乗り込んだ筈だが、いつの間にやら星勢号へ移っていたらしい。
ふと甲板を見れば、後方にはラトクの姿もある。
 思いがけない人物の来訪に驚くトリーシャたちへ「とりあえず座ろう」とゼスチャーで伝えたジョゼフは、
二人と一羽が甲板に腰を下ろすのを見計らって?講義?を再開させた。

「じゃがな、不要な枝葉を摘まねば木々が育たぬように情報も無駄を省いて伝えねばならぬ。
どんな記事にも取捨選択が必要なのじゃよ。……さて、トリーシャ、全世界から忌み嫌われた稀代の愉快犯、
ジューダス・ローブの逮捕を伝えるにあたって必要無い情報は何じゃと思う?
いや、もっと噛み砕いて言おうかの。公にせずともジューダス・ローブの全記録を伝えるにあたって差し障りのない情報とは何じゃろうな?」
「……セフィの素性っ!」
「愉快犯たる怪人の正体は明かさねばなるまいが、こやつに如何なる名を付けるかはワシらの勝手よ。
ジューダス・ローブと言うインパクトの大きな異名と、平平凡凡な実名のどちらにネームバリューがある? 
見栄えの良いほうを使わぬ手はあるまいて。それにの――」
「――それに、セフィには自分のプライバシーを守る権利がある。あたしには仲間としてそれを保証する責任もある! 
ううん、仲間としてじゃない! ジャーナリストとしての道徳が一個人へのリンチを許さない!」
「左様――それにのぉ、大多数の人間が求めるのは、いつだって表層的な情報のみじゃよ。
異常性に満ちた犯人像と事情聴取の詳細が同時に明かされるのじゃぞ? さながらフルコースと言った趣じゃな。
大衆を満腹させるのにこれ以上のご馳走はあるまいよ」

 「情報を伝えないことがマスコミの最大の武器」とは、かつて誰かの残した至言だが、
プライバシーの保護に始まるジャーナリストとしての道徳に基づいてこの特権を行使するように
ジョゼフは愛弟子へ推奨したのである。

 助言に際しては「決して誉められたものでない手段だがの」と前置きしてはいるものの、
口振りからするとその「誉められたものでない手段」をジョゼフは日常的に使い、慣れていた節がある。
 更に不敵な笑みを浮かべられては、いよいよモラルハザードを疑うしかなくなってくるのだが、
トリーシャはそんなジョゼフに「師匠もなかなかワルですなぁ」とおどけるばかりで戒める気配は見られない。
 イリーガルな手口に眉を顰めるどころか、大切な仲間のパーソナリティを守りつつ、
ジャーナリストとしての責任を両立させられるやり方を、ジョゼフが言うところの「誉められたものでない手段」に
見出せて興奮している様子であった。

 フィーナの耳に「見えた! 佐志が見えたぜッ!」と言うヒューの叫び声が飛び込んできたのは、
一種の邪悪な会話を繰り広げる師弟へムルグと共に戦慄していた最中(さなか)であった。
 舳先に駆けて前途へ目を凝らせば、遠く水平線の彼方に見慣れた大地が確かめられる。
様々な人、思いを乗せた船団は、今まさに運命の佐志へ帰り着こうとしていた。





 佐志の港に帰りついた一行が船着場へ降り立ってまず覚えたのは、強烈な違和感だった。
 戦時中でも変わらぬ活気に満ちていた筈の港には人っ子ひとりおらず、およそ人間の気配が感じられない。
 命を落とすかも知れない大きな合戦を終えて帰還した人々を誰一人として出迎えてくれない点も
アルフレッドたちに違和感を植え付ける要因であった。
灼光喰みし赤竜の巣流へ向かうときには、村民総出で見送ってくれたのだから、
出迎えもさぞ盛大になるだろうと予想していたローガンが「ワイら、嫌われてもうたんかいな?」と肩を竦めるのも無理からぬ話だ。
 この町で生まれ育ち、佐志の活気や気風を誰よりも熟知している守孝や源八郎は港の閑散ぶりに当惑すらしている。

「……旦那、こりゃあちょいとおかしいぜ。こんなに静かになった港を俺ぁ生まれてこのかた見たことがねぇ」
「源さんの言う通りでござる。大漁旗を見れば台風直下でも出迎えてくれるのでござるが……」

 彼らが不自然さを感じる静けさが明らかな異常事態へ切り替わるまでそう時間は掛からなかった。
 港から居住区へ向かうにつれて不気味な閑散はその色を濃くしていき、村落へ隣接する浜辺までやって来たときには、
最早、誰もが事件性を帯びた静寂であることを確信していた。
 とても凱旋とは呼べない状況ではあるものの、仲間が還ってきたのだから、
華やかな祝勝とは行かないまでも誰がしか出迎えるのが普通ではなかろうか。
 それなのに居住区に入っても誰一人として姿を見せず、村はさながら戒厳令が敷かれているかのような趣である。

 自分たちの留守中にギルガメシュの襲撃があったのではないかと最悪の事態を想定して真っ青になる守孝だったが、
アルフレッドへ促されるままに注視を凝らして見れば、成る程、村落のどこにも争った形跡は見当たらない。
 浜辺には子供たちが遊びに使っていたのだろう玩具がそのまま置き去りにされており、
つい先ほどまでここに普段と変わらぬ営みがあったことを窺わせた。

 それだけに不気味な静寂が焦燥を煽るのだ。
 「つい先ほどまでここに普段と変わらぬ営みがあった」のであれば、
それでは佐志の住民たちはいずこへ消えてしまったと言うのか。
 ヒューとレイチェルは愛娘が顔を見せないことにひどく狼狽しているし、
アルフレッドたちライアン家の者たちも両親が影も形も消してしまったと混乱し切っている。
 合戦に参加していた佐志の住民やマコシカの疎開者たちもご多分に漏れず、いなくなってしまった家族の名を呼び、
その影法師を虚空に求めて彷徨い始めた。

「……ラス、すまないが、オノコロ原までひとっ走り行って来てくれないか? 
俺たちのいない間に何か事件が起こって、そちらに避難しているかも知れない」
「了解。高原のあちこちに空いてる穴っぽこはどうする? 一応、確認しとくか?」
「地下水脈は人手が必要だな――ラスはオノコロ原のみに留めておいてくれ。代わりに源八郎、お前に頼みたい。
手練を十人ばかり連れて穴と言う穴を調べてきて欲しい」
「合点承知の助でさぁ! なんとしても家内は俺が見つけ出すぜ!」

 「捕虜に頼みごとをするなんてエスケープしろってセイってるようなもんジャン♪」などと抜かすホゥリーを無視して
ニコラスにオノコロ原の調査を頼んだアルフレッドは、次いで地下水脈の様子を探るよう源八郎に指示した。
 いずれのエリアも村民と疎開者を同時に収納できるほどの広大な規模を有しており、
何らかの事情で村を空けるとしたらこの二地点を置いて逃れる場所はないとアルフレッドは見ている。
 なにしろ地下水脈にはテムグ・テングリ群狼領の家督争いへ巻き込まれた折に全村民を率いて逃げ込んだ経験があり、
アルフレッドもおおまかな規模を周知していた。アタリを付ける場所としては有力候補であるとの自負もある。

 ニコラスや源八郎へ任せきりにせず自分たちのほうでも引き続き居住区を中心に捜索を行なうとして、
村民が一人残らず掻き消えてしまった理由を考える必要もあった。
 事件性を帯びた失踪か否かを明確にすることは、捜索の方針を立てる上での最優先事項なのだ。
単なる蒸発か、それともやはり事件なのか――どちらのセンを選ぶかによって、捜索の方法がガラリと変わりのである。

(仮に事件だとした場合、第一容疑者は……やはりセフィなのか……?)

 アルフレッドの考えを証明するかのように――いや、アルフレッドたちの気持ちを踏み躙るかのように、
それから程なくして村民失踪にまつわる犯行声明が発見された。
 村の全体会議や夜祭の会場としても利用される大広場の入り口に設けられた立て看板へ、
ご丁寧にも蝋で封のされた便箋が貼り付けられていたのだ。

 封筒から取り出した便箋には、村の北にある断崖絶壁へ来て欲しいとの誘いと、
村民を人質として預かった旨が要点のみ記してあった。
 わざわざミストやカッツェと言ったアルフレッドたちの近親者を明記してあるのは脅しのつもりであろう。
 この手紙を読んでから一時間以内に指定された場所まで到達できなかった場合は、
一分遅れるごとに人質を一人ずつ殺害していくとまで書かれており、
真っ先のその犠牲となるのが一行の親族であると暗に指しているのである。

 鑑定したヒューに寄ればセフィの筆跡に間違いなく、なおかつ本文は彼直筆のサインで締め括られており、
復活したジューダス・ローブが失踪の張本人であることは明白であった。

「どこまでも! どこまでもッ! ……ジューダス・ローブッ! 
例え天がお前を許してもあたしはお前を許さないッ! 人の世に相応しき罰を以って、その罪、断ってやるわッ!
今度こそ! 今度こそッ! 今度こそ引導を渡してやるッ!」

 これに激怒したハーヴェストはセフィから送りつけられた犯行声明を封筒ごと引き千切り、
それでも鎮まらぬと立て看板を引っこ抜いて何度となく地面に叩きつけた。
 怒るにしても他にやりようがなかったのかとアルフレッドは唖然としてしまったが、
頭に血が昇った状態のハーヴェストが誰にも止められないことは今日までの経験で思い知っており、
触らぬ神に祟りなしとばかりに放置を決め込むことにした。

 では、怒りを覚えないかと問われれば、これがなかなか難しい。
 アルフレッドたちの厚意を虚仮にするかのように裏切りを重ねたのだから、ハーヴェストが怒り狂う気持ちもわかるのだが、
冷静にこの失踪事件のあらましを考察すると怒りよりも疑念が先立つのである。
 独自の美学にこだわっていたセフィ――ジューダス・ローブが、いくら進退に窮したからと雖も
無関係の人間を巻き込むことがアルフレッドたちには、にわかに信じられなかった。
 用意周到にして万事に技巧を張り巡らすジューダス・ローブのこと、
このような力技を強行せずとも鮮やかなトリックで脱出できたに違いないとまで彼の技量は評価されているのだ。

 犯行声明に指定されていたタイムリミットへ間に合わせるようにとりあえず断崖絶壁に足を向ける一行だったが、
やはりセフィの行動がどうにも腑に落ちない。
 ヒューなどは指定された場所に走る間中、ずっと首を傾げていたくらいだ。
 フィーナやシェイン、フツノミタマと言った主だったメンバーのみを連れて絶壁に通じる坂道を駆けるアルフレッドは、
「どないしてセフィは人質なんか取ったんやろな」と意見を求めるローガンに対して明確な答えを用意出来ず、
彼共々、顔面にクエスチョン・マークを浮かべるしかなかった。

「指定された絶壁な、ワイもいっぺん行ったことあるんやけど、あないな場所、人質囲っとくんにはごっつ不向きやで。
縦に整列でもさせな、とてもとても納まり切らんねん。そやかて村民全員を集めるんは無茶過ぎや」
「そこなんだよ。そこが俺にもわからない。第一、人質を取ったからと言って、あいつに何のメリットがあるんだ。
人質を盾にして退路を確保したいのなら絶壁に登る理由がわからない。浜辺にボートなり船なりを
浮かべさせると言うのならまだ理解できるんだが」
「けったいな要求やもんな。とりあえず自分んとこまで会いに来いやなんて、まるでデートのお誘いや」
「こうなったら、直接、あいつに問い質すだけだ。と言うよりも狙いを推理できるだけの材料が無いんじゃ、
いくら俺だってお手上げだ」
「つまりはセフィのみぞ知るっちゅーこっちゃ。……しんどいことにならなエエんやけど」
「……もう一度、仲間に拳を向けると言う事態だけは回避したいところだな」
「――やな」

 人質に危害が加えられるのを防ぐ為にもネゴシエートに努めねばならないが、
何よりも再び仲間と戦うことは、アルフレッドとしても絶対に避けたかった。
 無論、最悪の状況に陥った場合は、総力戦を仕掛けるのも止むなしと覚悟は決めている。
 戦う準備をしながらネゴシエートに臨むと知れば、フィーナやローガンに何を言われるか分かったものではないが、
人命がかかっている以上、やはりあらゆるケースを想定しておかねばならなかった。

 万が一、戦闘に突入した場合は、再び『ネビュラ戦法』を号令し、ルナゲイトで交えた一戦での勝利を再現するつもりだ。
幸いにしてコンビネーションに必要な人手は足りており、総力戦を仕掛ければすぐに仕留められるだろう。
 ……もちろんそれは、誰にとっても忌避すべき最悪の状況であったが。

(……戦闘の開始は指示できても容赦するなとは言えないな――俺もまだまだ甘ちゃんと言うことか)

 海を見下ろす断崖絶壁の丘と言っても、何百メートルも高さがあるわけではない。
 坂道を全速力で駆け上る一行がセフィの姿を捉えるのに要した時間は、
犯行声明の発見からカウントしてほんの二十分足らずであった。

「やぁ、ようこそ――随分、早いお付きでしたね」
「……セフィ……」

 海から流れ込む潮風と木立の醸す深緑の薫りとが合わさったえもいわれぬ芳香を纏いながら、
セフィは青空と水平線を背にして一人静かに佇んでいた。
 人質を盾に指定した場所までアルフレッドたちを誘き寄せた男とは思えない落ち着き払った佇まいだ。
 相変わらず眼差しはエクステに隠れていて判然としないが、口元に浮んだ愉しげな微笑はどうだろう。
旧友――実際に今も仲間ではあるのだが――を出迎える喜びで綻んでいるかのようにも見える。
 アルフレッドたちを出迎えた声色も実に軽妙で、凶悪犯らしい凄味や怖気は少しも感じられなかった。
 本当に人質を取るような凶悪犯なのかと疑ってしまう程だ。

 そもそも人質の姿がどこにも見当たらない。
 坂の両脇に生い茂る木立の中へ囲われている様子はなく、
かと言って、ローガンが予想していたような整列も強いられていない。
少なくともこの丘陵には人質の影も形も見つけられなかった。

 アルフレッドたちが残像すら確認の出来ない人質を求めて困窮しているのに気付いたらしく、
セフィは肩を揺らして笑い声を上げた。
 状況を考えれば滑稽に過ぎる一行の様子を嘲ったものと取られ兼ねないが、
その笑い声には厭味がなく、仕掛けた悪戯に誰かが引っ掛かったのを喜ぶおふざけの類であった。

「一生懸命になって探して貰っても、ここには人質はいませんよ。人質は取っても“人間の壁”を築く趣味は、
私にはありませんからね。村の皆さんには特別に用意したパーティー会場で待機して貰っています。
……私の合図一つでシャンデリアや調度品が爆散するサプライズパーティーですけどね」
「ジューダス・ローブゥッ!」

 全員が彼の笑い声をおふざけと取るわけもなく、対峙する前から怒り心頭に達していたハーヴェストは、
人をおちょくったような態度へ激昂し、予めグレネードランチャーにシフトさせておいたムーラン・ルージュの照準をセフィに合わせた。
 見れば既にトリガーへ指も掛かっている。先手必勝とばかりに砲撃を強行するつもりだ。

 人質の存在を完全に忘れ、激情に流されると言う軽率なその行動は、
ハーヴェストの暴挙を見るに見兼ねたホゥリーが不意打ちをもって制した。
 対象の脳波をコントロールし、強制的に睡眠状態へ陥らせる『ノンレム』のプロキシをハーヴェストに掛けたのだ。

「これでやっとサイレントにトークが出来るでネ♪」

 抗う術なくノンレムの効力に支配され、くたりと倒れ込んだハーヴェストを近くにいたフィーナとトリーシャが大慌てで支え、
次いで「こいつに憧れとるファンにゃ見せられんカッコやな」と頭を掻くローガンの腕の中に彼女は身を移された。

 余談を一つ――冗談まじりでハーヴェストをお姫様抱っこしていたローガンは、
やめておけば良いのに目覚めた彼女へ「王子様のキスもサービスしたろか?」とおちゃらけて見せ、
結果、怒りの矛先をセフィから替えられた上、数十発ものグレネード弾を喰らわされたと言う。
 このときのハーヴェストの表情は、「もうっ、ローガンのばかっ! て、照れるじゃないっ!」などと言う可愛げのあるものではなく、
どこまでも殺伐としていて、心の底から湧き上がる嫌悪感を辺り構わず撒き散らしていたようだ。
 「幼馴染みにも色々あるんだね」としみじみ語ったのは、目撃者のフィーナである。

 さて、余談はともかく――完全にノンレムの効果が現れたのを見て取ったレイチェルは、
ホゥリーと頷き合い、それからヒューにアイコンタクトを送った。
 妻の意図を汲んだヒューは、更にアルフレッドへ何かを求めるような眼差しを向け、これを理解した彼が頷いたのを確かめると、
会話の糸口すら見つけられず硬直している仲間たちの一歩前へと踏み出した。
 自然、因縁深いヒューとセフィがマンツーマンで向き合う構図が出来ていった。

「――で、お望みは何なんだ、セフィ…いや、敢えてジューダス・ローブと呼ばせて貰うぜ。
ええ、ジューダス・ローブ。逃走用の船でもご所望なのかい?」
「今日は一段と手厳しいですね、名探偵さん。……そんなんじゃありませんよ。第一、私には逃げる理由がありませんから」
「じゃあ、一体、お前さんは何を……」
「……皆さんに昔話を聴いて欲しくて。それでわざわざお越しいただきました」
「何? ……昔話?」

 娘の安否が関わっているヒューは。慎重に言葉を選んでネゴシエートを行なうつもりでいたのだが、
当のセフィは交渉する意思を最初から持ち合わせていないかのような態度に終始し、向けられる言葉や提案を煙に巻いている。

 しかも、ようやく向こうからアクションが起きたかと思えば、昔話を聴いて欲しいと来たものだ。
 てっきり逃げ道を得る為の苦肉の策として人質を取ったとばかり考えていたヒューは、
全く予想していなかったセフィの要求に面食らい、口を開け広げたまま固まってしまった。
 ……尤も、本当に逃亡が目的であるならアルフレッドたちが戻って来る前に船なりを調達して佐志を出ていた筈だ。
 セフィの意識が戻ったとの報せが入ってから今日と言う日まで数日の開きがあり、
長期間の昏睡で身体が鈍ったと言うハンデを差し引いても逃亡は十分に可能だったと思える。

 となると、セフィの目的は本当に昔話なのだろうか。
 ここに至って要求に隠された意図を勘繰るヒューへ「他意はありませんよ」と断りを入れたセフィは、
手近にあった平べったい岩の上に腰を下ろし、見回す仲間たちにも座るようゼスチャーを送った。

 これから彼が明かしてくれるだろう話は、セフィ・エスピノーサと言う生き方を理解する上で欠くべからざるものに違いない。
 どれほど長くなろうとも最後まで付き合わねばなるまい――それが、?仲間?としての努めなのだ。
 そう直感した仲間たちが腰を下ろすのを見届けたセフィは、蒼穹を仰ぎながら一つ深呼吸し、
それから「昔々、あるところに――」とお決まりの言い回しを諳んじて?昔話?を切り出した。




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