5.Hamburg steak and chicken grill アルフレッドたちが佐志で再出発を期している頃、ギルガメシュにも大きな変動が訪れようとしていた。 ことの発端は、熱砂から本拠地たるブクブ・カキシュへ凱旋を果たしたグラムらによる報告である。 総大将に任命されていたバルムンクは、実数を割り出した味方の人的損害と、推定される敵側の戦死者を カレドヴールフや他の幹部たちに報告し、預けられていた兵権を返上すると如何にも武張った調子で一礼した―― そこまでは良かったのだ。 ところが、敗走した敵軍の処遇へバルムンクが何の気なく触れた辺りから雲行きがおかしくなり、 数秒後には幹部同士で唾飛ばし合う大論争にまで発展していた。 シチュエーションルームの壁が防音式の物でなかったら、討論の内容が外部に漏れていたかも知れない。 大音声を張り上げ合うほどに幹部たちの議論は過熱しているのだ。 フラガラッハやアサイミーと言った急進派が、徹底した残党狩りと言った敗戦者に対する厳罰を強烈に推す一方で、 コールタンを筆頭とする穏健派たちはこれに待ったをかける。 敗者に温情をかけ、甘言で篭絡することこそエンディニオンを一つにまとめる最善の方法だと言うのが穏健派の主張だが、 圧倒的な武力と絶対的な勝利と言う実績に裏打ちされた恐怖統制を掲げる急進派がこれに歩み寄る筈も無く、 お互いに妥協点すら見出せないままブリーフィングは堂々巡りに突入した。 人情肌に見えるグラムは、意外にもフラガラッハたちの提案する強行策を推している。 軍人としての経験が豊富な彼は、勝者と敗者を厳正に線引きし、けじめをつけることが秩序ある平定に繋がると考えているのだ。 アサイミーの言葉を借りるなら、『力こそ正義』である。 議論の発端を作ったバルムンク本人は、心情的にはコールタン寄りなのだが、 『アネクメーネの若枝』中最年少で、あらゆる経験が他の幹部より不足している彼は、このように決断を要する場面に遭遇するのも初めて。 嵐のような論争に翻弄されてオロオロし、自身の考えはどこへやら。急進派と穏健派のどちらに加勢すれば良いのかを決め兼ねている。 そもそも彼は無用な言い争いの原因を作ってしまったことへの自己嫌悪に忙しくて、幹部同士の衝突に構っているどころではなかった。 「勝者が敗者を支配することにどうして躊躇う必要があるのですか。 我々は正義の味方でも慈善団体でもありません。理想はあれども武装組織に変わりはない。 テロリストと忌み嫌われるのならば、それに見合ったやり方をするまでです。 我々は今までだってそうしてきたではありませんか! 下品な言い方になりますが、力こそが正義なのです! テムグ・テングリとその徒党は、敵方の最後の希望でした。それを撃破した我々に逆らう気力を残した者が、 果たしてどれほどいると思いますか? ……今がチャンスです! 蒙昧にして愚鈍な大衆に絶対的な権力と支配される側の意識を植え付け、全世界にギルガメシュの旗を立てましょうッ!」 副官と言う立場を忘れて火を吹くアサイミーの顔は、高揚に染まっている。 実は熱砂の合戦に前後してファラ王が直轄するグドゥー地方の征圧が試みられていたのだが、 ギルガメシュはこの作戦に失敗していた。 ファラ王の登場まで群雄が割拠していたと言う土地柄、 諸勢力を切り崩しさえすれば容易く鎮圧出来るだろうと誰もが甘く考えていたのだが、 想像以上にグドゥーの結束は固く、籠絡させられた者は誰ひとりとしていなかった。 これでは勝者としての示しがつかない――ギルガメシュの威信を高めるべく、アサイミーは躍起になっているのだ。 「確かに今までは、しょれでもど〜にかなったにょ。でも、しょれは限定しゃれた場所の統治だけだにょ。 閉鎖しゃれた区画にゃらしょれでも支配しきれたけど、今度の相手はエンディニオン! だだっぴろい世界の果てまで、ど〜やってギルガメシュの統治を張り巡らせるつもりでいるにょかな? ……手数もカネも足らないにょ。しょんな中途半端にゃ組織で独裁政権をゴリ押ししてみるにょ。 三日で手数もカネも使い果たしてアウトなのにょね。我々みたいな小規模な組織には、殿様経営なんて夢のまた夢なのにょ」 理詰めに対して理詰めで返すコールタンは、語気こそ強いもののアサイミーのように激昂することはない。 僅かばかり眉が吊り上がった以外に熱を帯びた様子は見られなかった。 「ぶっ壊しちまえばいいんだよ、何もかもなッ! 邪魔するヤツは皆殺しにすりゃあいいッ! 逆らうヤツ! それに協力したヤツ! 俺たちのやり方を批判したヤツ! どいつもこいつも八つ裂きだッ! 何千人も何万人も殺りまくって行きゃあ、その内、俺たちに反攻しようなんて野郎は消え失せるだろーぜ。 叛乱の仕掛け人は全滅、それ見た他の連中も脳味噌ン中で対抗心がブッ壊れるって寸法だッ!」 例によって例の如くフラガラッハは破壊衝動に基づく危険発言を繰り返している。 同じ急進派であってもアサイミーのように理屈を捏ねるのでなく、彼の行動は常に破壊および粉砕を理念としており、 少なくともエンディニオンの統治を占うブリーフィングでは何ら説得力を有していない。 いつもならこの辺りまで議論が白熱した場合、コールタンが場を取り成してくれるものだが、 折り悪く今回は彼女自身が主張をする立場。となると、いよいよしっちゃかめっちゃか。 お互いがお互いの主張をただただ漫然と繰り返すのみになってきた。 最初の内はカレドヴールフも過分な程に熱くなっている両者を窘めていたのだが、 一向に注意を聞き入れようとしない部下たちに呆れ果てたのか、ものの数分もしない内に中座してしまい、 現在、玉座はもぬけの殻である。 彼女に影のように付き従うドゥリンダナもシチュエーションルームを辞していた。 仕切り直しの出来る人間が全くの不在となると、平行線の議論が決着を見ないまま日付を跨ぐのは明白である。 なおもコールタンとやり合うフラガラッハ、アサイミーの水掛け論を眺めるグラムだったが、 今更、目の前の舌戦へ参加する気も起こらず、頭を抱えた迷える後輩の頭をガシガシと撫でる以外にやることがなかった。 「グラムさん、俺――もとい自分は判断を誤ったでしょうか。自分の失言さえ無かったら、 もっとすんなりと今後の展望が決まったでありましょうに」 「そりゃどうかねぇ。反りの合わないのを同じテーブルに着かせりゃ遅かれ早かれ騒ぎになっていたよ。 あ、そう言うことならお前が背中押したってこともあるな。やっぱり余計だったよ、お前さんの失言は」 「や、やっぱりそうですか……」 「おっと落ち込むなよ、若人。議論は組織を成長させるのに不可欠なアイテムだ。 人間関係をギクシャクさせるような失言でも必要なことがあるんだよ。今がそのときだ。お前はその口火を切ってくれたのさ」 「そ、そうですかね…?」 「まぁ、これで本当に人間関係が悪くなったらマーマたちから恨まれるだろうが、 そんときゃヤケ酒に付き合ってやるよ。ああ、任せとけって、全部奢りだ」 「グラムさんっ!」 「俺で遊ばないでくださいよっ!」とバルムンクは情けない声を上げて抗議するものの、 当のグラムは悪びれもせずにカラカラ笑い飛ばすばかり。なかなか人が悪い。 「この中にハンバーグとグリルのセットが嫌いな人はいますか? グリルの材料は、チキンでも何でも良いのですが」 主の去った玉座を険しい眼差しで見つめながら対立する両者の言い分へ耳を傾け、 ひとしきり頷いてから仙人か何かのように瞑想に入っていたアゾットが急にそんなことを言い出したものだから、 グラムとバルムンクは揃って彼に怪訝な視線を送った。 あまりに唐突でどこまでも素っ頓狂な発言は水掛け論を凍り付かせるだけの威力を発揮し、 コールタンはもちろんフラガラッハまでもが絶句してアゾットの顔色を窺っている。 そんなギルガメシュ幹部が異口同音に言い放ったのは、「とうとう頭のネジが飛んじゃったか?」。 心外極まりない大合唱だが、アゾットは別段気にした風でもなく、 「頭のネジなら最初から何本か壊れているから心配ご無用」と軽く受け流し、 先ほど例えに挙げた『ハンバーグとグリルのセット』が何を意味することなのかを詳らかにし始めた。 「コールタンさんが望む和睦を旨味たっぷりのハンバーグ、フラガラッハ君たちが求める武力制圧をスパイスの効いたグリルだとしましょう。 どちらも楽しめるセットメニューがあったら最高じゃないですか。 ……要はそれぞれが求める旨味を同時に味わえるシナリオを書いていけば良いのでしょう? ミックスセットは些か極端な例えでしたが、二つの味を一つの皿に盛り付けると言う意味では、おおまかには一緒ですよ」 「先生よぉ、俺ぁてめぇ様のそう言うまだるっこしいところが大嫌いなんだよ。 言いたいことがあるんならストレートに言えや。ここはポエムのコンテスト会場じゃね〜んだからよ」 講義や講釈にサブイボが出るタイプのフラガラッハは、煩わしいとばかりに床を蹴りつつ文句を並べ立てたが、 アゾットには取り合うつもりなど全くない。 それどころか、「ステーキの焼き加減はミディアム派? ウェルダンは玄人好みかも知れませんね」などと言って わざとらしく返答をはぐらかし、フラガラッハの苛立ちを煽ってさえいる。 「降伏勧告を出してみようと思います。それがこの戦いに於ける『ハンバーグとグリルのセット』だ」 「降伏勧告…だぁ?」 降伏勧告――最高幹部たちを見回したアゾットは、連合軍に全面降伏を求めようと、そう提案した。 和睦等の融和的な措置を叫ぶコールタンの主張と比べても非常に高圧的かつ攻撃的で、 確かにテムグ・テングリ群狼領の威光を貶めるに足る効果は期待できるだろうが、 あくまで武力制圧にこだわる急進派にとっては容認し難い選択肢だ。 総攻撃によって屈服させるのと、敗北を認めさせ、白旗を揚げさせるのでは、支配下へ置くにしてもまるで違う。 上辺だけの恭順で他日を期し、旗色が変わると見るや造反して支配者の足元を脅かすケースなど世の中にはごまんと転がっているし、 間違いなく連合軍はこのタイプに当てはまる。 テムグ・テングリ群狼領の軍師は、雌伏の期間に必ずや反撃策を練る筈だ。 傭兵部隊を率いるアルカーク提督に至っては、四六時中、寝首を掻くチャンスを窺い続けることだろう。 敗戦すら糧にして肥大化し、強かに領土を拡大させていった連合軍の猛将たちが、 たかだか一度の合戦に勝利した程度の実績しかない武装組織へ心から隷属を誓うなど、どう考えても在り得なかった。 仮に降伏勧告を受け入れたとしても、それ自体を罠と見なしても良いだろう。 「言うにこと欠いてそれか。なに甘っちょろいこと抜かしてやがんだ。馬賊だか草賊だか知らねぇが、連中はもうボロ雑巾じゃねぇか。 形勢不利ならいざ知らず、いつでもケリつけられるくらい追い詰めてんのにわざわざ譲歩してやる必要なんかねぇだろが!」 「フラガラッハ様に同意見です。アゾット様のこと、我らの意見を汲んだ見事な折衷案を挙げられるとばかり期待していましたが……。 いや、これもお見事と言えばお見事ですか。確かに誰も考えつかなかった策ではありますね」 フラガラッハとアサイミーはなおもアゾットに武力制圧を強く迫る。 造反の芽を摘む為にも武威を示してエンディニオン全土を屈服させなければ始まらないとアサイミーは喉が嗄れるまで繰り返し、 武力制圧の必要性を説いて回った。 先に挙げられた類例に見られるリスクを回避して絶対的な統率力の確保を目指すには、やはり武力の行使が有効だ、と。 理不尽な暴力の影は人に言い知れぬ恐怖を与える。 意図的にコントロールされた恐怖ほど有効な人心掌握のカードはそうはなく、 暴力による統制はそれを受ける敗北者たちに「自分たちは支配された動物なのだ」との認識を強要し、 独裁的な政権を半ば刷り込みによって樹立させられるのだ。 それと同時に敵軍の武器庫や補給路を破壊できると言う付加価値も武力制圧論にはある。 熱砂の戦いでは敵の補給経路を絶つことが出来ず、あまつさえオアシスまでも確保されてしまっていた。 武器・弾薬も熱砂に運び込まれたと言うのだから、いかにギルガメシュが合戦に勝利したとは言え、 これは改めるべき反省点である。 そこで急進派は、補給経路の寸断を含めた破壊工作を武力制圧の計画に盛り込むことで、 持論に説得力を持たせようと試みているのだ。 全ての希望を絶った上で蟻の這い出る隙間もない威力攻撃を重ねれば、 いかに膨大な兵力を擁する連合軍と雖も抗う力を喪失するのは間違いない。 絶望と恐怖を植え付けることは、敵対勢力を飼い慣らす為には最重要である。 仮に降伏を勧告するなら、そこまで疲弊させてからでないと意味がないとアサイミーは締め括った。 「いやいや、敵に譲歩するつもりはありませんって。交渉相手は、連合軍の盟主、つまり、テムグ・テングリ群狼領になるでしょう。 仮にもエンディニオン最強を自負して来た馬軍の覇者ですよ? 易々と降伏勧告に乗ると思いますか? 覇者のプライドがそれを許すとでも?」 「敵が降伏勧告を突っぱねればテムグ・テングリ群狼領再討伐の大義名分が得られる!」 我意を得たりとばかりに挙手の上、身を乗り出して大声を張り上げたバルムンクに、アゾットはその通りと満足そうに頷く。 とにかく暴れたくて仕方がないのか、「大義名分? ンなもん、クソ喰らえだろ」と フラガラッハは不満たらたらでボヤき続けているものの、とりあえずアゾットの高説は拝聴するつもりでいるようだ。 独り言のような文句を呟きはすれどもアゾットの発言を妨げる気配は今のところ見られなかった。 「言わばテムグ・テングリ群狼領は、こちら側のエンディニオンの総代。 かつては侵略者と忌み嫌われていた馬賊の勢力ですが、今では我々に対抗し得る希望の星と祭り上げられている。 ……とは言え、根っこの部分では馬賊に頼ることを躊躇う気持ちもあるでしょう」 「そこに付け入ると言うことですか、アゾット様」 「君はいつも説明の労力を省いてくれるから助かるよ、アサイミー君。まさにその通りだ。 降伏勧告を受け入れればエンディニオンの疲弊や市民生活へのダメージが最小限で済むと言うのに、 連合軍はわざわざ報いのない徹底抗戦の道を選んだ――この風潮が世界中に蔓延したとき、 埋火のように燻っていた不安と焦燥は一気に燃え上がる」 「ほほぅ、煽動とはまたシブい手を使うにょ」 「我が同志を非道な形で全滅させたヴィクドのように、テムグ・テングリの台頭を苦々しく思っている勢力もエンディニオンには多いでしょう。 彼らを上手く焚き付けることが出来れば、我々は貴重な戦力を削ることなく最大の障害を葬り去れると私は考えています。 何しろテムグ・テングリ群狼領を討伐するだけの大義名分がありますからね」 「その為の大義名分と言うわけですか……」 一字一句聞き漏らさないようアゾットの話に意識を集中させるバルムンクだったが、 煽動や騙まし討ちが議題に上がったときには、腕組みして呻き声を噛み殺していた。 生粋の武人としては、こうした計略には躊躇いがあるのだろう。 「……軍師の立てた計略に意見できるような頭を持ち合わせていない自分が言うのはおこがましいですが、 正直、あまり気が進みません」 「戦わずして勝つのが兵法の極意だよ、バルムンク君。敵も味方も犠牲が少ないのに越したことはない」 「孫子の至言ですね。……犠牲を減らせると考えれば、少しは気も晴れる、か……」 降伏勧告を素直に受け入れたなら御の字ともアゾットは付け加えた。 エンディニオンの総代が全面降伏したとあれば、ギルガメシュに対する叛意はその火勢をいよいよ衰えさせるだろう。 急進派が言うところの圧倒的な恐怖と絶望が総代の敗北によって原住民の心に芽生える筈だ。 つまるところ、どちらに転んでもギルガメシュにとってマイナスにはならないと言う仕組みである。 「けどよ、アゾット先生。奴らが図太くも交換条件出してきたらどうすんだよ? 降伏する代わりに領地は据え置けとかよ。ンなふざけたこと要求されたらたまらねぇぞ。主に俺の堪忍袋の緒が」 「要求にもよりますが、ある程度の譲歩は考えるべきでしょうね。我々にとって重要なのは、テムグ・テングリ群狼領の面子を潰し、 彼らを従属させることですから。それがすんなり叶うのなら交換条件は願ってもない僥倖です」 「そりゃあんたらの幸せだろ。俺ぁちっともハッピーにならねぇんだよ。 クソみてぇなツラが目の前にぶらさっがってるっつーのに潰せもしねぇなんざ生殺しもいいとこだぜ。 ハッピーっつーか、ファッキンっつー感じ?」 「ファッキンはしないが――俺も概ねフラガラッハに賛成だな。仮に交換条件を呑んで敵に譲ったとしよう。 領地の没収も軍備の無力化もしなければ、敵に再起の可能性を与えることに繋がりはしないか? せめてテムグ・テングリ群狼領の組織解体くらいは視野に入れておくべきだ」 「そこはそれ、相手の出方次第と言うことで」 フラガラッハが叫ぶ「七面倒くせぇなッ! いいからもう殺っちまえや!」との物騒な不満は、 ブリーフィングに居合わせた全員に黙殺されたが、グラムの発言には一理あると見たらしく、 他の面子同様アサイミーも彼の意見には諸手を挙げて賛成した。 「そもそも降伏勧告自体が惰弱の極み。英雄は王ではない。王でないなら自ら手を汚すべき」と言い募るあたり、 未だに主戦論へのこだわりは根強い様子だ。 「……勝利とは、五分をもって上とし、七分をもって中とし、十分をもって下とする――ですか?」 「おや、君の口からその兵法を聴けるとは思わなかったよ、バルムンク君」 「意外と頭の中に入って残るものですよ、他人の口癖って言うものは」 「それはそれは……。無意識とは言え、我ながら良い情操教育をしたものだよ。 武力を持つ人間こそ、誤った判断を下さぬよう教養から道徳を学ぶべきだからね」 「おい、脳筋野郎。言いたいことはズバッと言ったれよ。お陰様で睡眠学習も堪能しましたってな。 俺の頭ん中でもよぉ、先生のご高説が昼も夜も関係なしにメリーゴーランドよぉ」 「学習の基礎は反復だよ、フラガラッハ君」 「うっせぇッ! てか、うっぜぇッ!」 グラムの意見を採るならば、テムグ・テングリ群狼領降伏後にギルガメシュの置かれる状況は、 アゾットが常日頃から口にしているこの教えをそのまま再現した形になるだろう。 提示される条件によって変動はあるだろうが、テムグ・テングリ群狼領を、 その勢力を残したままにしておくと言うことはギルガメシュにとって芳しくない状態である。 いつ何時、造反が起こるとも知れない不安定な情勢の中で将兵は常に緊張を強いられることになるのだ。 一つ打つ手を間違えれば何もかもが崩れ落ちると言う特大の爆弾を抱えながら、 エンディニオンの舵取りを担うと言うことだった。 総代たるテムグ・テングリ群狼領の生命線を断たないと言うことは、 すなわち反ギルガメシュの勢力に再び決起するまでの猶予を与えたのも同然であった。 失政でもしようものなら、それ見たことかと民衆を煽動してギルガメシュ打倒の機運を作り上げるに決まっている。 抱えて行くにはあまりにリスクの高い爆弾――様相は違えども、「五分の勝利」がもたらす緊張と類似しており、 これを言い表すのにバルムンクはアゾットの口癖を引用した訳だ。 「――禍福は糾える縄の如し」 「確か史記…ですよね、今の? 古い友人がその手の古事成語に詳しくて、なんだか聞き覚えが」 「ほぅ、バルムンク君はよくよく良縁に恵まれているようだね。自分を高めてくれる友人は是非とも大事にしなさい」 自分でも気付かぬ内に口をついて出ていた呟きを聞き取り、その出典を言い当てたバルムンクへ優しく微笑みかけると、 アゾットはシチュエーションルームに列席する全ての幹部たちを見回しながら、 「彼らにとっては一時の僥倖が、次なる最悪のシナリオの幕開けになると言うわけです」と宣言した。 禍福は糾える縄の如し――すなわち、幸福が次なる不幸の凶兆にもなると言う古事の意味そのものである。 「煽動・諜報のプロフェッショナルがこちらには揃っていますからね。 ……相手に対する最大の譲歩を最大のダメージに摩り替えることだって朝飯前だ」 シチュエーションルーム中央に浮揚する『デジタル・ウィンドゥ』へ表示された世界地図の一点を、 ハンガイ・オルスと銘打たれたテムグ・テングリ群狼領本拠地を教鞭で指し示したアゾットの表情は、 後進のバルムンクに助言する優しい先達でなく、今や軍師のそれに塗り変えられていた。 言葉の端々に顕れた底知れぬ凄味が、デジタル・ウィンドゥの逆光と相俟って一種の不気味さを醸し出してさえいる。 「つまりネガティブキャンペーンか。菓子を与えりゃ尻尾振って駆けて来るとでも吹き込む気か?」 「それはちょっと民衆を莫迦にし過ぎだにょ。こっちの意図に勘付かれたら厄介なことになるにょ」 降伏勧告に込められた戦略へ耳を傾けていたグラムとコールタンが口を挿んだ。 アゾット流の戦略にいささか懸念があるのだろう。疑問を呈する二人の声はどこか硬い。 「大衆を無知で蒙昧な豚などと卑下するつもりは毛頭ありませんよ。ありませんが――」 「――ありませんが、全ての人間が戦略的、政治的に複雑な駆け引きを分析できるとも思いません。 大多数は交換条件が持つ本当の意味を正確には理解しないでしょう。……大多数の誤認は世間の常識になる。 大衆とはそう言うものです――とでも言いてぇのか、先生よォ」 「え? え、ええ…そうですね…」 「戦略的、政治的に複雑な駆け引きを分析できるアタマがあるヤツぁ、懐柔するか、消すかのどっちかだしな。 そりゃ無知で蒙昧な豚しかいなくなるわけだ」 「………………」 民衆の侮辱に繋がりかねないことを明言するのが憚ったのか、歯切れ悪く言葉を濁すアゾットの説明を継いだのは、 意外やフラガラッハだった。 まだるっこしいことが大嫌いと公言するばかりか、議論の場では斜に構え、 酷いときはヘッドフォンで周囲の雑音――本来は非常に大切なミーティングなのだが――を遮断するような男が アゾットの意図を読み通し、あまつさえ鋭い指摘を放ったことは、 アゾット当人を始め、居合わせた幹部一同に天地がひっくり返るような驚きを与えた。 心の底から驚いたらしいバルムンクなど、仮面の下でポカンと口を開け広げている。 「ネガキャンだとかほざいてたがよ、相手側にもそーゆーのが得意なヤツがいるじゃねーか。そいつらは未だに健在だぜ」 「ルナゲイト家――確かに不安材料ではありますね。ジョゼフ・ルナゲイトもマユ・ルナゲイトも逮捕出来ていません。 放送施設はこうして我々が掌握していますが、マスメディアのネットワークは侮れないものがある。 草の根レベルでやり返される可能性も十分に有り得ますよ」 「となると、先生の大好きなネガキャンは諸刃の剣だな。……さて、どうするよ? それでもまだ降伏勧告を出すんか? 交換条件を出されたら追い詰められるのは俺たちなのによ」 またまたフラガラッハから鋭い指摘が飛ぶ。 シチュエーションルームにて交される議論は、いまや彼とアゾットのふたりが支配していた。 「論点にばかり気を取られて大事なことを忘れてるにょ。交換条件をコントロールすればいいにょ」 その支配に一石を投じたのはコールタンであった。何を熱くなっているのやら……と言わんばかりに肩を竦めている。 二人の議論など自分に言わせれば、鼻で笑えてしまえるレベルだともコールタンは付け加えた。 傍若無人な態度に挑発されたフラガラッハは「るせぇな、クソババァ! てめぇは化粧でも直してやがれ! 物理的な意味で化けの皮が剥がれても知らねぇぞ」と噛み付いたが、コールタンはそれすら一笑に付し、 議論のステージへと上がっていった。 ただし、「物理的な意味で化けの皮が剥がれる」発言には、急所へ頭突きを叩き込むと言う恐るべき報復を見舞ってやったが。 「降伏勧告に先立って交換条件に乗る準備がある――とかなんとか言って、予備交渉に持ち込めば良いにょ。 そこでイニシアチブを取ればいいにょだ。交渉に相手が応じればOK。NOなら別な選択肢を探すんだにょ」 「これは迂闊でした。……せっかくご馳走を用意できても、宣伝が上手くなければ腹の虫は鳴きませんね」 「馨しい匂いで引き寄せられるように煙突でも付けるとするにょ」 コールタンの報復によって話し合いに参加できる状態でなくなったフラガラッハは、 泡を吹きながらシチュエーションルームの床を転がり回っている。 そんな哀れなフラガラッハを見下ろしながら、コールタンとアゾットは必勝の戦略を練り上げて行くが、 フラガラッハの身に起こっていることが我がことのように想像できるグラムとバルムンクは、 痙攣まで始めた彼を案じるあまり、ふたりの議論に耳を傾けることも出来ずにいる。 集中して聴き入っているのはアサイミーくらいなものだ。 「ルナゲイト家はどうします? 情報工作で反撃されたら非常に厄介ですよ。 無論、我々の諜報員が彼らを相手に遅れを取るとは思いませんが」 「そのときはテロリストの本分を通すに限るにょ。幸いにして暴れたいお年頃のヤツはそこで元気に転がってるし。 このバカもしょっち方面で暴れしゃしぇればきっと満足しゅるハズにょ」 「……テロの本分は暴力による主張、か。同朋の安寧の為に戦う自分たちをテロリストと認めるのは いささか気が重くはありますけど……」 「ならシェフとでも思って自分を慰めるにょ。呼び方を気にするとはあにャたもまだまだ青いにょ〜」 「それはそうですよ。貴女の豊富な人生経験に比べれば、私なんて受胎を迎える前の生命の種子も良いところです」 「……どいつもこいつも命知らずだにょ。後で生まれてきたことを後悔したくなるような目に遭わせてやるにょ。 首を洗って待っていろだにょ」 ――議論は決した。 了承を得るようにアゾットとコールタンは他の幹部たちを見回したが、誰も首を横には振らなかった。 先ほどまで意見が割れていたとは思えない満場一致の議決である。 「まずは極上のスープから召し上がって貰うとしましょう。 それから当ギルガメシュのスペシャリテである『ハンバーグとグリルのセット』を――」 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |