6.the loneliness of a shortdistance runner 対テムグ・テングリ群狼領の作戦会議の結果をドゥリンダナから耳打ちされたカレドヴールフは、 次なる指示を下すわけでもなく、ただ「…わかった」とだけ短く答えた。 その素っ気無い反応に耳打ちしたドゥリンダナ本人は拍子抜けする思いだった。 奇妙不可思議な現象に巻き込まれ、もう一つのエンディニオンからこちら側の世界へ強制的に転送されてしまい、 社会的地位はおろか身の安全も生活の基盤すらも不安定な流浪の難民たちを、 その絶望的な困窮より救済すべく結成されたギルガメシュ。 テロリストの汚名を受けながらも戦い続け、求め続けてきた本懐が今まさに達せられようとしているのだ。 確かに覇権の掌握は、その第一歩かも知れない。難民が難民ではなくなる、真なる解放の日へ向けた努力は、 ここからが本番なのも間違いはない。 しかし、それでもこの瞬間だけは歓喜を唄い、賛美に酔いしれても良いのではないだろうか。 覇権掌握の最大の壁と目されていた馬賊とそれに与する徒党を撃破し、 今やその処遇を一存で決せられる程の優位にギルガメシュは立ったのである。 これを完全勝利と呼ばずして何と呼べば良いのだろう――そんな喜ばしい状況の中心に在るにも関わらず、 カレドヴールフは平素よりも一段ときつく口元を締め、結ばれた真一文字の隙間からは深い溜息ばかりが漏れ出していた。 これでは芳しくない戦況に苦虫を噛み潰しているのと同じで、それが為にドゥリンダナは盟主の心中を訝るのだ。 およそ勝者の面相とは呼べまい。 いくら今日の勝利の先に待つ困難へと思いを馳せ、「勝って兜の緒を締める」と言う境地にあるとしても、 カレドヴールフの態度は異様な程に硬かった。 「御方(おんかた)……」と気遣わしげに呼びかけるドゥリンダナにも反応を返さず、 ただただ黙り込むカレドヴールフの背中へふと小さな温もりと重みが圧し掛かった。 「貴様、御方に何をしている……」 「えと、世間一般で言うところのハグです」 両手を大きく広げてカレドヴールフの背中を抱き締めたのは、ベルだ。 つまりカレドヴールフは、ドゥリンダナを伴ってベルを軟禁している“座敷牢”を訪ねていたのだ。 ベルを軟禁して以来、日に一度から二度、この座敷牢を訪れ、 他愛のない雑談に興じるのがカレドヴールフの日課へ組み込まれるようになっていた。 相変わらず座敷牢の呼称が似つかわしくないファンシーな部屋の中心で、 これまた室内の雰囲気にまるっきりそぐわない難しい表情(かお)をしているカレドヴールフの背中をベルが抱き締めたのである。 大人と子供の体格差もあって、「抱き締める」と言うよりも「へばりつく」と言い表すほうが正しい。 現にベルは「んんーっ」と顔を真っ赤にして両手を広げているが、 小さな彼女ではカレドヴールフを包み込むことはおろか小さな指先同士が触れることすらない。 「こうすると元気になるってフィーお姉ちゃんに教わったので……。いわゆるひとつのおまじないです」 「………………」 「元気、出ましたか?」 「――……」 背中から抱き締めて励ますこの行為を、ベルはフィーナから教わったおまじないだと教えてくれた。 ライアン姉妹にとっては元気の出るおまじないであっただろうが、カレドヴールフにとっては全くの逆効果だ。 殺伐とした武装組織に居ては決して感じることのできない温もりを―― 人間らしい温かさを分けてくれたベルには密かに感謝しており、その優しさで荒んだ心が癒されたのも事実ではある。 しかし、ベルの発した「フィーナ」と言う名前が、カレドヴールフの心に新たな嵐を呼び起こしたのもまた事実だった。 ベルに抱き締められるまでの間、カレドヴールフはギルガメシュの頂点に立つ女帝としての責務に深い葛藤を覚え、 心中を掻き乱す不安の影と独り戦っていた。 アゾットの考案した奇襲戦法が功を奏して熱砂の合戦に勝利し、反ギルガメシュ連合軍に大ダメージを与えることが出来た。 これはドゥリンダナが言う通りの大勝利だろう。 素直に喜ぶべきだと理解はしている。将兵らと勝利を分かち合ってこそ組織の結束は高まるとも考えてはいる。 だが、それでもカレドヴールフには、今度の勝利を手放しで喜んでいられる余裕は見つけられなかった。 大義名分はともかくギルガメシュはあくまで武装組織――忌み嫌われる言い方を採るならばテロリスト――である。 戦闘に関する知識と経験は豊富にあっても政治や行政に関する知識と経験は皆無と言わざるを得ない。 カレドヴールフとて蒙昧ではない。覇権を奪取した後を見越して政治学や行政学、経済学と帝王学まで、 エンディニオンの統治に必要と思われる知識は一通り履修してある。 だが、それらはあくまでも紙の上の知識であり、実績や経験ではない。 そして、確たる経験を持っていないからこそ自分に備わった知識が実戦で通用するのか、全く自信を持てないのだ。 しかも、ただ一国を統治すれば良い訳でなく、惑星全土にまで統治を徹底せねばならないのである。 ブリーフィングで部下たちの議論が紛糾すると匙を投げるしかなくなるなどギルガメシュと言う組織ですら持て余し気味だと言うのに、 惑星規模の支配体制などカレドヴールフには想像もつかない領域であった。 政権担当能力に相当するモノが、自分には備わっていないのではないか―― その強迫観念がカレドヴールフを痛烈に苛み、いつも以上に口数を減らさせているのだった。 自分が転べばギルガメシュだけでなく庇護しようとしている難民まで窮地に陥る。 常に意識している責任へより大きな不安が加わったのだから、彼女に内在する緊張は筆舌に尽くし難い。 自分自身で決断を下し、その結果に向き合わねばならないと言う頂点に立つ者ならではの孤独が、 前述した懊悩を膨張させる一因である。 考えられる限り最も苦しい悪循環にカレドヴールフは埋没していたと言える。 だが、ベルの行動はカレドヴールフの心に宿っていた懊悩を、まるで手品か何かのようにもう一つの葛藤へと摩り替えた。 きっかけは、「フィーナ」と言うカレドヴールフにとって馴染みの深い名前である。 いや、馴染み深いなどと言う有り体の言葉では言い表すことが出来ないくらいだ。 親友の娘で、グリーニャで暮らしていた頃は家族同然の付き合いがあった少女。 その少女の名前をベルが呼んだのをきっかけに、カレドヴールフの脳裏へグリーニャの残照が強く想起されたのだ。 親友に対する醜い嫉妬が角を出さなかったのは、幸運だった。 この上、ルノアリーナへの複雑な想いが染み出していたら、混乱の余り思考が停止していただろう。 カレドヴールフの心を掻き乱すのは、グリーニャを焼き討ちにした折に犯してしまった自身の失策である。 (……『堂塔計画』も『竜皇計画』も、カッツェの助力なくしては実現は困難だ。 なんとしてもあいつの身柄を確保したかったのだが――) “ある人物”――カッツェ・ライアンの拉致をカレドヴールフはグリーニャ焼き討ちの最大の目的にしていたのだ。 カレドヴールフにとって、前夫は個人的な感情を抜きにしても非常に価値ある人間であり、 ギルガメシュによるエンディニオン支配に欠かせない要石とすら考えていた。 カッツェの技術力は、グリーニャと言う片田舎の山村で燻らせておくには惜しい才能だと彼女は確信していた。 (……だが、もう二度と手には入らんだろうな。どんな形であれ面と向き合うことも許されまい……) 手を伸ばせば届く距離にまで追い詰めながら、あろうことか一時の感情に囚われて最大の目的を逸し、 前後不覚も甚だしい状態に陥ってしまった自分が情けなく、歯痒く、カレドヴールフは頭を抱えるのだ。 自分自身の失態がエンディニオン統治へ大きな不安材料を作ったことは悔やんでも悔やみ切れなかった。 (あんなにも犠牲を出しておきながら、私は――) グリーニャ焼き討ちに犠牲へ考えを巡らせた瞬間、クラップの顔がフラッシュバックし、 カレドヴールフの心を激烈に揺さぶった。 フラッシュバックしたのはグリーニャを包み込む災いの炎に頬を照らされながら、 アルフレッドの腕(かいな)の中でゆっくりと瞼を閉じていく様ではない。 終焉の姿が彼女の脳裏へ現れたのは最後の最後だった。 最初に現れたのは、まだ幼い頃の姿である。 フィーナ同様にクラップのことも古くからよく見知っており、ときには彼の悪戯を厳しく咎めたものだ。 まだ赤ん坊だった頃に彼をあやしたことだってある。 そうした幼少期のクラップとの想い出が走馬灯のようにカレドヴールフの脳裏で流れ、 ……その最後のフィルムが燃え盛るグリーニャでの対峙であった。 生々しい感触と共にクラップを、赤ん坊の頃から見知っていた青年を手にかけた事実がカレドヴールフの脳裏に甦り、 そこで彼女は強烈な目眩を覚えた。 目眩などと言う生易しいレベルではない。三半規管もろとも狂ってしまったのか、世界の全てが歪み切って見えるくらいだ。 「お、おばさまっ!? 大丈夫ですか、おばさまっ!」 「おばさまとは無礼な! お嬢様と呼べ、お嬢様と!」 ベルとドゥリンダナの間で交わされる会話も、遅れてやって来た耳鳴りに妨げられて殆んど聞き取れない。 自覚できるくらい血の気が引いた顔色を案じてくれていることは微かに聞き取った内容から判断できたものの、 それに応じられる余裕は少しも残っていなかった。 (こんな感情はとっくの昔に壊れたと思っていたが……?身内?は違うと言うこと、か……) グリーニャで時計職人を営むクラップの両親とも親交が深かったが、 彼らの名前は作戦終了時に提出された戦死者レポートの中には記載されていなかった。 つまり、カレドヴールフは、クラップの両親に拭い難い絶望を与えてしまったことになる。 彼らは最愛の息子が無残に殺害されたと言う傷痕を一生涯背負って行かなければならない。 その傷痕が癒える日は永遠に訪れないだろう。 ……語弊があるのを承知で言うならば、カレドヴールフはこのようなことを日常的に繰り返しているのだ。 武装組織の長としてテロリズムに訴えて暴力を振るい、数え切れない屍を踏み越えて来た。 殺傷した者の殆どが家族を持っており、ギルガメシュはその家族の心へクラップの両親と同じ傷を刻んで来たのだ。 数え切れない絶望を振り撒き続けて来たのだ。 暴力が生む見えざる悲劇に気を向けることは既に止めていたし、大義があればそうした葛藤を乗り越えられ、 向けられる憎悪の罵詈をも跳ね返せると強く信じていた。 大いなる目的の為になら何千何万の血を流すことさえ厭わない、と。 最早、自分の心は人の死を瑣末なことに扱うくらい壊れきっているとも自負していた――その筈だった。 だが、“身内”の死を意識した途端、その自負は揺らいだ。 “身内”を手にかけたと思い返した途端、信じていた強さが一息で瓦解した。 自分は既に罪の意識を持つことすら、罰を求めることすら許されぬ身ではないか。 向かう先は煉獄の果てであると受け入れているではないか―― ギルガメシュ結成以来、己に誓っている末期をひたすらに想い起こし、 ギリギリの一線で踏み止まるカレドヴールフではあるものの、 テロリズムを原理とする武装組織の長たる矜持は今にも途切れそうだった。 (今更、罪の意識に苛まれるのか? なんとも身勝手な話だな、フランチェスカ・S・アップルシード……) 数え切れぬ人間を虫けら同然に屠ってきた者に、罪と罪とを認める心が残存しているわけがない。 思い上がりも甚だしい。自分が感じたその感傷は、かつて人間だった頃を懐かしむノスタルジーでしかない。 遥か昔に幻影と化した残光がその手を握り返してくれると、一瞬でも思ってしまったことが傲慢の極みなのだ。 幾万の屍を踏み台にした我が身に許されるのは、幾億の命を新たに貪る権利のみ。 自分はもう甘き死の味を知っている。死を貪ることで得られる糧があることを知っている。 そして、その旨味に酔いしれているではないか。 (フランチェスカ・S・アップルシード――いや、カレドヴールフ……とこしえの罪人よ、都合の良い夢を視るな) ――己を嘲り、貶め、蔑む度に、彼女の矜持は息を吹き返していく。 ギルガメシュ盟主として戦い続けることの意味は、殺戮者にのみ宿る狂気が教えてくれる。 (大義を成さしめる為、選ばれし命に未来を繋ぐ為に、黒き血で我が身を塗りたくるのだ。 人間の皮を被った破壊の悪魔と忌まれるが似合いのさだめよ、……カレドヴールフ……ッ!) 常人には理解できない境地にまで人間らしい感情を追い込むことによってカレドヴールフは、ギルガメシュの首魁として再起できた。 人間としてあってはならない恐ろしいことだが、死を喰らうこと――テロリズムによってもたらされる甘き味を思い出した瞬間、 クラップや彼の両親の嘆きを踏み躙ったことへの呵責も目眩も耳鳴りも消え失せ、彼女は本復を見たのだ。 これも一つの甘き味なのか、アドレナリンが口内に広がっている。 あるいはそのようにして罪と罰の意識をセルフ・コントロール出来る人間にしか 大量殺戮に歓喜を見出すような狂気の所業は務まらないのかも知れない。ましてやその長ともなれば尚更だ。 人の死を割り切るのでなく甘きものとして手を伸ばす――その気概こそ大義あるギルガメシュの理念・本質であると 結論付けたカレドヴールフの面には、既に一片の曇りすら見られなかった。 「……お嬢様とはまた思い切ったおべっかもあったものだな、ドゥリンダナ。 若いお前には解らないだろうが、この歳になってお嬢様と呼ばれても皮肉にしか聞こえないぞ……」 「御方――そう思われるのは心外です。私はいつでも御方のことをお姫様と呼んでございます。 今はまだ心の奥底に留めておりますが、大義を果たした暁には是非とも公称の機会をお与え願いたい。 そも姫と言う呼び名自体、才色全てにおいて麗しい御方の為に作られたものですから」 「……煩い、黙れ……」 妙齢を皮肉ったジョークと思いきや、熱を帯びた眼差しを向けてくるドゥリンダナの瞳は真剣そのもので、 だからこそカレドヴールフはその頭を引っ叩かずにはいられなかった。 「おば――お姫様……」 「……本当に私のことを心配してくれるなら、せめてお姫様だけはやめて欲しいな。 当たり前だが、お嬢様もいかん。普通でいい、普通で」 「うむ、普通にフロイラインと呼ぶが良い」 「ドゥリンダナ、滑稽を体現する愚か者よ。いい加減に黙らないとその首をへし折るぞ」 「よろしいのですかっ? 御方の手にかかることはこの上ない栄誉でございますがっ!」 「……もう良い。今日ほど貴様を部下に持ったことを後悔した日は無――……いや、何度もあるな。 ともかく貴様はもう口を開くな。これは命令だ」 「御意――姫様とお呼び奉る喜びは、今一度、胸の理へと納めましょう」 「………………」 大真面目に素っ頓狂なことを吹くドゥリンダナの肩を借りて立ち上がったカレドヴールフを、 ベルはなおも心配そうに見つめている。 幼いながらもいっぱいの慈悲を寄せてくれるベルの気遣いを察したカレドヴールフは、無言で彼女の頭を撫で付け、 「元気、出してくださいね」と言う彼女に応えてやった。 (強く――もっと強くならなければエンディニオンの盟主には足るまい……) 憂慮すべき問題に意識を戻したカレドヴールフの面は、その複雑さに再び苦みばしったものの、 先ほどまでのように決断を迷っている様子は見られない。 自問と自答の末に切り拓いた進路への着実な前進が毅然とした横顔からは見て取れた。 狂気も力の顕現が一つであるならば、それを纏いし者は如何なる原理に関わらず勇壮と言うことか。 マントを翻しながら座敷牢を退室していくカレドヴールフの姿は、 ドゥリンダナでなくとも魅了され、無条件に心酔してしまうほど雄々しく、勇ましくも美しかった。 * ギルガメシュ本軍がブクブ・カキシュへ帰投したことに伴い、 彼らに付随するエトランジェ(外人部隊)も決戦地たるグドゥーから引き上げる運びとなったのだが、 将兵の居住区画も完備した鉄巨人内部へ収容されると思いきや、 ルナゲイトの市街地にて待機するよう命じられてしまった。 どうやらギルガメシュは、“使い捨ての駒”になどに宿所を割り当てるつもりはない様子だ。 合戦の勝敗に関わらず、エトランジェに対する待遇は依然として改善されてはいなかった。 報酬金はそれなりに支給されたものの、宿泊費用などの工面もこれをやり繰りせねばならず、 結果的に支出のほうが収入を上回るだろうとトキハは計算している。 つまりは、ジリ貧と言うことだ。 何の後ろ盾もないまま各地を旅するダイナソーとアイルも資金(カネ)については心許ないが、エトランジェはもっと酷い。 今やエンディニオンの覇権に王手を掛けたギルガメシュに与しながらも、彼らは極貧の極致を味わわされていた。 当然、食事も皆で具材を持ち寄っての炊き出しである。最寄りの公園の一角が、エトランジェの炊事場兼食堂となっていた。 いつ食費が底を突くか知れたものではないので、一日二食が大原則。朝と昼の食事は一回で済ませている。 この日のブランチはカレー鍋だが、これは昨夜のカレーの残りへ無理矢理に水を注ぎ足して作った代物。 しかも、“食べられそうな物”あるいは、“鍋の具になりそうな物”を無造作に投げ入れてあるだけであり、 中身は闇鍋に近かった。 「……佐志でしたっけ? こんなことになるのなら、あの人たちの誘いに乗っても良かったかも知れませんね。 今となっては、何を言っても詮ないことですけど」 カレーの風味がするスープらしきモノをすすりながら諦め半分にボヤいたのは、 先の合戦で秒殺されたハリードヴィッヒに替わってエトランジェのまとめ役となったキセノンブック・セスである。 実質的にエトランジェの指揮は、アルバトロス・カンパニーが執っているのだが――彼らは仲間から首脳陣と呼ばれている――、 それに対し、キセノンブックは現場単位で兵士たちを統括するのが役割。 現在のエトランジェは、アルバトロス・カンパニーとキセノンブックとが両輪となって動かしているのだった。 一応の前任に当たるハリードヴィッヒと比べて、三十五歳と年齢こそ若いものの、 エトランジェの隊員の中でも一、二を争う程に知恵が働き、実行力も卓越している。 前職は歯牙ない総務課長だが、二十代の頃は保安官助手として働いており、 仲間たちを統率しうる知恵と実行力は、そのときの経験で培われたのであろう。 このような優れた人材がいるにも関わらず、凡庸どころか、それ以下と扱き下ろされるハリードヴィッヒを 隊長へ任命したギルガメシュが不思議でならないのだが、これにはれっきとした理由がある。 ハリードヴィッヒが従順であるなら、キセノンブックは、その対極。 コンクリートジャングルで育った影響からか、現実的かつ個人主義的で、 保安官助手を辞めたのも職業に対する不満ではなく、収入が原因であった。 今し方も自分たちの置かれた状況への憂いを漏らしたのだが、 これは、守孝たちと交わした約束を第一義とするアルバトロス・カンパニーや他の隊員が絶対に口にしないことであり、 ある意味に於いては、リアリストらしい物の見方と言えなくもない。 ギルガメシュからリーダー適正なしと見なされるようなキセノンブックの曲者振りは、 他の隊員たちも理解し、受容しており、それだけに彼の言葉を深長に受け止めている。 リアリストとしての判断力、情報分析能力を高く買っているのだ。 それについてはボスも他の隊員と同様で、キセノンブックの頭脳を買っているからこそ、 「それはもう言いっこなしだ。自分で選んだ道じゃないか」と弱々しく反論するのが精一杯だった。 ディアナとトキハは、キセノンブックとは別の意味でここに来たことを後悔していた。 「雨風を凌ぐ屋根」とは良く言ったものだが、その確保と維持さえ困難な現状を憂えているわけではない。 占領下に置かれたルナゲイトを目の当たりにするのは、ボスはともかくトキハとディアナにとっては複雑な心境なのである。 フィガス・テクナーに勝るとも劣らないと感じた町の賑わいはすっかりと影を潜めており、門戸は固く閉ざされている。 おそらく戒厳令が敷かれているのだろう。街路を闊歩するのは武装した仮面の兵士ばかりだ。 ぐるりと町並みを見回すだけで、現在のルナゲイトが抱える問題点を幾つも拾い上げられる。 元気に走り回る子どもの姿などはどこを捜しても見つけられず、そのことがディアナには何よりも悲しく思えた。 ゴーストタウンではないかと思える程に活気が失せた町並みの一部は、 どう言う理由(わけ)か、メチャクチャに破壊されていた。 (どう言う理由なンて――ひとつだけじゃないか。あたしゃ、何をバカなこと考えてンだろうね……) ――それは、ジューダス・ローブ襲来の痕跡である。 サミットの襲撃に先立ち、ジューダス・ローブは町中にゾウ型のクリッターを嗾けていた。 ルナゲイト中を混乱に陥れることで警備体制を揺るがし、円滑に“仕事”を遂行出来るよう謀ったのである。 ゾウ型のクリッターを迎撃したのは、何を隠そうアルバトロス・カンパニーだった――但し、ボスは除く――。 戦闘に前後して、ゾウ型のクリッターは巨体をうねらせてルナゲイトの町並みを破壊していったのだが、 そのときに崩落した家屋などが修繕もされずに放置されているのだ。瓦礫すら手つかずで残されている。 ルナゲイトの市街地へ入った際、サミットの会場を垣間見ることが出来たのだが、 そこもジューダス・ローブとギルガメシュの尖兵によって破壊された当時のまま。 さすがに遺体は運び出されたようだが、それ以外の残骸は一欠片として撤去されていない。 町中から人々の姿が消え失せ、損壊した家屋さえ野ざらし―― 仮にこれがギルガメシュ政権下に於けるエンディニオンの縮図だとしたら、 エトランジェの隊員たちは、取り返しのつかない判断ミスをしてしまったことになる。 『……佐志でしたっけ? こんなことになるのなら、あの人たちの誘いに乗っても良かったかも知れませんね。 今となっては、何を言っても詮ないことですけど』 先程、キセノンブックの漏らした言葉がディアナの脳裏に蘇る。 守孝の誘いを受け入れてギルガメシュから離反していたなら、このような事態を目の当たりにすることはなく、 自身の判断を疑うような情況にも陥らなかったのだろうが、 熱砂で合戦した時点では、他に取り得るべき道がなかったのも事実である。 約束を交わして別れたことは、ディアナは勿論、エトランジェの誰も後悔はしていない。 キセノンブックとて現実問題を悲嘆こそすれども自身の選択自体は否定しない筈だ。 それだけに、Aのエンディニオンの同胞を含めて人命と言うものを軽んじるギルガメシュの所業が、 ディアナたちに重く圧し掛かる。眼前に広がるルナゲイトの風景、悪夢のような光景が、 ギルガメシュの作る新秩序であると思えてならなかった。 ルナゲイトの惨状は、まさしくディアナたちが命に換えても防がねばならないと考えた最悪のシナリオの具現化であった。 苦み走った顔でスープらしきモノを呷るディアナへ悲痛な眼差しを向けていたトキハは、 やおら立ち上がると今度は鉄巨人へと目を転じた。 そのときの彼の双眸は、今までになく強い輝きを発していた。 あるいは、彼の胸中に潜む反骨心、闘争心が、酒の力を借りずに顕在化したのかも知れない。 「……なんとかして、今のこの状況をひっくり返さなければ……!」 トキハの口から漏れ出した呟きを耳聡く聞きつけたキセノンブックは、 七三分けの黒髪を掻きつつ、「夢を視るのは若者の特権だけど、今は現実を見て欲しいね」と苦言を呈した。 年長者の苦言を聞き入れず、なおも鉄巨人を睨み続けるトキハを見兼ねたのか、 腰掛けていたブランコから立ち上がったキセノンブックは、 改めて「ボクらは神じゃない。出来ることには限りがあるだろう?」と言い諭し、 彼のもとへと歩み寄っていった。 「いっそクーデターでも起こそうか。問題を根っこから解決するには、それ以外の道はないだろうしね」 「……造反かぁ。考えたこともありませんでしたけど、それもアリですね」 「そうそう、ひとつの手段としてはア――なんだってぇっ!?」 冗談めかした言葉に真顔で頷かれてしまったキセノンブックは、 ギョッとしてトキハの正面に回り込み、彼の顔を覗き込んだ。 そのうち、「本気にしないでくださいって」と取り繕うだろうと期待していたのだが、 キセノンブックの予想を裏切り、トキハの表情は一向に変わる気配がない。 慌てふためいたのは、キセノンブックのほうだ。 エトランジェが炊事場に使っている公園内も仮面の兵士たちが巡回している。 迂闊なことを口に出そうものなら、たちまちレーザーライフルの餌食にされることだろう。 そのような危険にさらされながらもトキハは前言を撤回するつもりはなさそうだ。 顔面蒼白状態で身震いするキセノンブックの肩が叩かれたのは、まさにその瞬間(とき)である。 「セス君の言うことは、いちいち尤もだが、トキハの気持ちも汲んでやってくれ」 恐れていた事態に発展したと早とちりしたキセノンブックは、文字通り、飛び上がって戦慄したのだが、 彼の肩を叩いたのは、仮面の兵士ではなくボス――アルバトロス・カンパニーの社長であった。 背後に立った者の正体を見極めたキセノンブックは、深く深く、そして何度も何度も深呼吸を繰り返し、 十分に呼気を整えてから「心臓止まるかと思いましたよ! 止まらなくても寿命は縮みました!」とボスに抗議した。 「冷静沈着な理屈屋に見えて、案外、尻の穴がちっさいンだねぇ」とは、ディアナから飛ばされた皮肉だが、 心臓が早鐘打つ程に狼狽している今のキセノンブックには、彼女の声は届いていない。 そんなキセノンブックを落ち着けるように、ボスは、二度、三度と彼の肩を叩いてやった。 彼の心臓を動揺させた行為でもって、反対に落ち着けようと言うのだから、これもまた大いなる皮肉である。 「――ときに、セス君は何の目的でエトランジェに入隊したんだい? まだちゃんと訊いたことがなかったね」 「誰かに話すことでもありませんからね。……皆さんに比べたら、ボクは個人的な理由ですよ。 こっちの世界でも生きる為、食っていく為です」 「人間、必ず何かを背負わなきゃならない理由はない。セス君の理由も十分に立派だ」 「立派とか上等とか、そう言うことは意識したこと、ありませんよ。やるべきことをやる。それだけです」 「うちのトキハと同じということだな」 「………………」 先程来、ボスとキセノンブックとの間では一問一答のインタビューのようなやり取りが続いており、 トキハもディアナも、エトランジェの隊員たちも、これを食事の余興のように眺めるばかりであった。 別段、油断していたわけではないのだが、まさかふたりのやり取りの中に自分の名前が出るとは思いもよらず、 「うちのトキハと同じ」などとボスが言い出したときには、トキハ当人は素っ頓狂な声を上げてしまった。 それから間を置かずにボスの言わんとしていることを察したトキハは、 サッと頬を朱に染め、「やめてくださいよ、そう言うの……」などと漏らして居心地悪そうに俯いた。 何とも形容のし難い複雑な面持ちで佇むのは、キセノンブックも同じである。 彼とて熱砂の合戦にエトランジェの一員として参加しているのだ。 根本的な考え方が異なるにせよ、トキハを始めアルバトロス・カンパニーの面々が重いモノを背負って戦っていることは、 当人なりに理解しているつもりであった。 アルバトロス・カンパニーに限った話ではない。 エトランジェの隊員は、その多くが彼らと同じように家族や会社など大切なモノを担って争乱へ身を投じているのだ。 その一点だけは、“自分のみ”を生かす為にギルガメシュへ与したキセノンブックには共有し得ないことで、 彼にとっては、ある種の負い目でもある。 エトランジェへ入隊した理由を尋ねられたときにやや卑屈になってしまったのは、 この負い目が疼いたからに他ならない。 どうにも居たたまれなくなったキセノンブックは、早々にこの場を切り上げるべく敢えてトキハに話を振ることにした。 見れば、トキハもトキハで苦しげに呻いている。聡い彼であれば、こちらの意図を察し、同調してくれるに違いない。 「……それで? ウキザネ君は、何をどうするつもりだい? まさか、本当にクーデターを起こすつもりじゃないだろうね」 キセノンブックから寄せられた問いかけは、トキハにとって助け船同然であり、 彼の表情(かお)は、窮地より救われたかのような安堵で満たされていた。 「やるべきことをやる。それだけです」 決意を込めてキセノンブックへ頷き返すトキハの言葉に、傍観者のディアナは思わず噴き出してしまった。 「奇しくも」と驚くべきか、それとも「皮肉だ」と笑うべきであろうか。 先程、キセノンブックが発した言葉を、トキハは全く異なる感情を込めてなぞっていた。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |