11.Attack on titan


 よりにもよってスカッド・フリーダムの隊士でなければタイガーバズーカの出身者でもないアルフレッドから
ホウライ依存も甚だしい戦いを痛罵されるミルドレッドだったが、このときばかりは己の不覚を悔いて何も言い返せなかった。
どう言い繕ったところで、虚しい遠吠えにしかならないのだ。
 戦いの最中にどれだけ優勢になろうとも、ワンインチクラックで肋骨と肺を強打されようとも表情を全く変えないものの、
タトゥーに彩られた能面の下には、ホウライを万能とする驕りが高ぶっていたのだろう。
彼女の誤算は、密着状態での打撃を軽んじていたことにあった。
 予断と言う名の傲慢を批難されては、ますます反論の余地がなくなっていくのだが、
左拳を打ち出した際、アルフレッドは反対の腕をミルドレッドに極められていたのである。
彼女自身、完璧に右腕を破壊出来るとの確信さえ抱く程、関節技の完成度は高かった。
 四肢の可動が著しく制限され、なおかつ腰のバネを利かせるのも困難な密着状態から肺を破裂し兼ねない拳突を打てると、
どうして想像出来るのか。相応の破壊力を伴う技を肉薄する距離にて放てるとすれば、
ホウライによって身体能力あるいは体術そのものを強化する以外にない――
それがミルドレッドの見立ててであり、同時に最悪の誤算であった。
 ホウジョウ、つまり、ホウライ外しこそ万全にしておけば恐れるに足りないと思っていた拳と、
続けざまに繰り出された後ろ回し蹴りによって驕慢を粉砕され、およそ見るに耐えない醜態を晒す事態に陥ったのだ。
今や彼女は床にその身を投げ出してしまっている。

「愚図が。そうやって息でも整えるつもりか? 死んだフリにしか見えないな。そんなに怖いか、俺が。
虎の子のトラウムが通じない俺が」

 大の字になって仰向けに倒れた巨人を見下ろし、追い討ちとばかりに口汚く罵るアルフレッドであったが、
彼とて余裕がないのは同じことだ。ジウジツ得意の関節技で右の腕と膝を極められたばかりか、
両足の甲と脛も執拗に痛めつけられている。
 右腕の負傷は右膝とは比べ物にならない程に深刻だった。肩から肘に掛けて絞められると言う状態の中、
ワンインチクラックを突き込んで強引にミルドレッドを引き剥がした為、上腕に浅からぬダメージが降りかかったのである。
 ミルドレッドの巨体が吹き飛べば、彼女に絞めつけられていた右腕もこれに連動して無理な方向へと引き伸ばされる。
腕を回して異常を確かめた際に気付いたのだが、骨折と寝技を免れる代償は腱の負傷であったようだ。
 顔面への攻撃を受けていないこともあって出血こそ見られないものの、四肢には満遍なく痛手を被っており、
アルフレッドは着実に危機的な状況へ追い込まれつつある。傍目にはミルドレッド劣勢のように見えなくもないが、
彼の胸中には、両足が言うことを聞く内に決着をつけようとする焦りが芽生え始めていた。
 それ故に負傷を押して必殺のパルチザンへ勝敗の行方を託し、痛撃を与えることには成功したものの、
息の根までは止められなかった。大の字に倒れるミルドレッドからは未だに凍えるような殺気が立ち上っている。
 試しに挑発でもって隙を作ろうと心ない罵倒も見舞ってはみたが、相手に黙殺されては意味がない。
 ワンインチクラック――ジャーメイン風に言うならば、ワンインチパンチか――と言う隠し玉に気付けなかったミルドレッドと同じように、
アルフレッドにも誤算があった。狂犬の如き彼女なら安い挑発に乗って再び起き上がると勝手に信じ込んでしまったのだ。
 そして、もうひとつの誤算――いや、失念は、ありとあらゆる体勢、状態から寝技に持ち込むジウジツの真の恐ろしさであった。
ザムシード程の勇将ですら恐れる寝技の使い手が相手なのだ。
その彼女が床に寝転ぶと言うことは、敗北の凶兆どころか、新たなる猛威の前触れである。

「愚図でも屑でも知ったことか――義を穢した糞よりはマシだ」

 徐々に間合いを詰め始めたアルフレッドへとミルドレッドの両足が再び襲い掛かったのである。
脛や甲を狙った蹴りではない。寝転んだ姿勢から繰り出されるのは、無論、ジウジツの真髄こと寝技であった。
先ずはアルフレッドの左足に自身の両足を絡め、彼を横倒しに倒してしまおうと図ったのだ。
交差させるように両足を動かしたあたり、それ自体が強力な関節技なのかも知れない。
 射程圏内に入った途端の攻勢である。すんでのところでミルドレッドの企みに気付き、
後方に跳ね飛んでことなきを得たアルフレッドは、すかさず彼女の足をローキックで弾き返そうと試みたものの、
着地の瞬間、骨身にまで達した痛みがそれを阻んだ。
 一方、足技を避けられたミルドレッドの挙動は不審であった。身を翻して蛙の構えを取るどころか、
起き上がろうとする素振りすら見せず、背を床につけたまま不利としか言いようのない姿勢を維持し続けている。
不可解なのは、膝を軽く折り曲げ、首を少しだけ起こしている点だ。寝そべりながら相手の出方を窺っているようなものだった。
 傍目には全身を使って“揺り篭”の真似をしているように見えなくもない。何とも珍妙な状態であった。
 ところが、この揺り篭の構えを前にした途端、アルフレッドの足が止まってしまった。
戦意喪失を疑われても仕方のないミルドレッドに呆れたわけではなさそうだ。
それが証拠に彼の眉間には今までになく深い皺が寄せられている。
さながら見たこともない定理を突きつけられて面食らう学徒のような面持ちであった。

「――聡いな。コレが何だか、一目で見抜くとは……。もうひとつ、褒めておいてやろう」
「煩い、黙れ。死んだフリよりも情けない真似をしておいて、何を偉そうに」

 両足の隙間から僅かに顔を覗かせ、挑発を仕掛けてくるミルドレッドに対し、アルフレッドは忌々しげに罵声でやり返した。
 依然として足の裏は彼に向けられており、揺り篭の構えを崩す気配は見られない。
つまり、この体勢を維持したまま真剣にアルフレッドへ挑もうと言うのだ。


「驚いたなァ――グラウンド戦法の古典じゃないか。まさか、こんなところでお目に掛かるとはね」

 奇妙奇天烈な揺り篭の構えと、これを過剰な程に警戒するアルフレッドへ外野からそんな声が放り投げられた。
無粋な野次ではない。対峙した両雄の間に分け入ったその声は、何時までも寝そべったままでいるミルドレッドの意図を読み取り、
技巧と胆力を天晴れと賞賛している。対抗馬たるアルフレッドに向けても、
「データ野球ならぬデータ格闘と言ったら良いのかな。自分の戦い方は奥ゆかしいのに、時代の更新には遅れを取ってない。
勘働きも冴えてますね」と平等に賛辞を送っていた。
 如何にも男性的で野太いその声に先ず反応したのは、ファラ王の傍らにて控えるプロフェッサーであった。
例え、アルカークがファラ王に狼藉を働いてもむっつりと押し黙っていたと言うのに、
外野の声を耳にした瞬間、ガーゼマスクの上からでも分かるくらいに相好を崩した。
 少しばかりプロフェッサーに遅れて、アポピスも声のした方角へと視線を巡らせる。
やがてつぶらな瞳は軍議の間の出入り口へと辿り着いたのだが、
果たしてそこでは、アルフレッドと同世代であろう三人の若者たちが肩を並べているではないか。
 声の主は、白髪の青年である。ゼラール軍団のトルーポにも匹敵する巨躯の持ち主であり、
横並びの三人の中でも彼だけは頭ひとつ飛び抜けていた。
 朴訥ながらも彫りの深い面立ちと、湖畔の如く怜悧な光を湛えた切れ長の双眸は、
筋骨隆々たる肉体と合わさって周囲の者たちに言い知れぬ圧迫感を振り撒いている。
 水深とも言うべき瞳の奥底を覗き込むと、穏やかな光を見つけることも出来るのだが、
そこに気付くか否かで、この青年に対する印象は大きく変わることだろう。
 恵まれた巨躯を包むのは、『ジプシアン・フード』と印字された真っ白なTシャツだ。
鎖骨から胸元にかけて大きく露出するデザインとなっているのだが、剥き出しの肌は氷雪のように白い。
胸元には波紋と飛沫を模したタトゥーが刻み込まれており、冬の彩(いろ)を持つ肉体との対比も鮮やかである。
 プロフェッサーはこの青年に「テッド君」と名を呼びかけ、次いでいきなり饒舌になった。

「驚いたのは私の台詞だよ。君たち、何時からそこに居たのかね? 全くもって人が悪いと言うか、何と言うか。
声くらい掛けてくれたって罰は当たらないんじゃないか。仮にも我々は運命共同体だろう? 
何時から他人行儀な関係になってしまったんだい」
「……そうやって長話に付き合わされるのがイヤだったんですよ」

 皮肉交じりの溜息を聞こえよがしに吐いて見せたのは、テッドではなく彼の右隣で頭を掻く茶髪の青年であった。
全体的にやや跳ね返りが強い癖毛の色は、どうやら天然の物ではないらしく、
プリンを彩るカラメルソースのように頭頂部から僅かな範囲へ黒い地毛が広がっている。
茶髪と黒髪が一定の範囲で同居するその様は、どこか三毛猫の柄を髣髴とさせた。
 茶髪の青年に浴びせられた言葉が、殊のほかショックであったらしいプロフェッサーは、
「……ダイジロウ君ね、君さ、昔はもっと可愛かったよ。研究室に出入りし始めた頃など何時でも私の後ろを随いてきたのに」と
切なそうに呻いた後、全身で落胆を表現するように露骨に肩を落とした。
 不用意な発言でプロフェッサーを傷付けたにも関わらず、茶髪の青年――ダイジロウ・シラネは、
悪びれないばかりか、「何かにつけて昔々と、おとぎ話の出だしみたいなコトを仰いますけど、
どうして変わってしまったかを考えたほうが建設的じゃないですか」と追い討ちまで掛ける始末だった。
 当然、プロフェッサーは一層気落ちしていく。サングラスの向こう側では、もしかすると涙すら滲んでいるかも知れない。
これを見兼ねた白髪の魁偉――テッド・パジトノフは、頭を振ってダイジロウに注意を促した。
 可愛げのない態度で突っ張るダイジロウではあるものの、固い信頼関係を結んでいる様子のテッドにだけは素直に従うらしい。
一瞬だけ片眉を吊り上げると、次いで口先を尖らせて「……すまねぇな……」と小さく呟いた。
 謝罪の宛先は明らかにテッドなのだが、それにも関わらず、ダイジロウが自分に謝ってくれたと勘違いしたプロフェッサーは、
絶望のどん底から軽やかに立ち直ると、改めて先程の質問を繰り返した。
 これはアポピスにとっても関心事であったようで、ファラ王の頭から白衣の男の肩へと移り、
「“キミたちは”、何時から居たと訊きたいところだね。と言うよりは、何時から観戦していたんだい?」と、
補足のように自身の質問を重ねた。
 知的なアポピスらしい含みのある言い回しであるが、その理由は軍議の間の入り口を見れば瞭然である。
野次馬として現れたのは三人の青年ばかりではなく、テムグ・テングリ群狼領の兵を始め、
連合軍の将士たちもこの場に駆け付けていた。見れば、ローズウェルも混ざっているではないか。
 それ故にアポピスは「キミたちは何時からそこに居たのか」と訊ねた次第である。
 パトリオット猟班の侵入と、これに端を発する乱闘騒ぎは、軍議の参加者が知らない内にハンガイ・オルス中を駆け巡り、
こうして“観客”を呼び込むような事態にまで発展していたのだ。

「なんだかあぶねェ話がそこかしこで聞こえてきたんでね。ま、平たく言えば加勢ってヤツだよ。
……失礼ながらファラ王さんがまた粗相をやらかしたと早とちりしちまってよ。そうなったら、アポピスだけじゃキツいだろう? 
人付き合いが下手糞っつーか、鬼のように人見知りするプロフェッサーは役立たずだし」
「一番乗りではなかったけれど、銀髪のお兄さんが膝固めを食らう前には間に合いましたよ」

 ダイジロウとテッドの返答で得心がついたのだろう。アポピスは嚥下するかのように首を深々と上下させた。
アルフレッドが膝を絞められる直前と言うことは、かなり早い段階でこの場に駆け付けていたようだ。
彼ら以外の野次馬が人垣を作り始めたのも、殆ど同じタイミングであろう。

「感じるぞ……、生命の鼓動、種の根源たる波動、……これはッ! ――これがッ!!」

 アポピスの問いかけにひとりだけ意味不明な答えを返したのは、テッドの左隣にて屹立する青年である。
この青年は、肩を並べるふたりとは極端に毛色が違っている。
 真っ白なTシャツにワイドバギージーンズを揃って着こなすテッドやダイジロウに対し、
彼は全身をくまなくライトグリーンのウェットスーツで包んでいる。
目の部分のみ鼻のラインを跨ぐように横一文字の切り込みが入り、そこを透過性の高い素材で覆っている。
偏光フィルターの一種であろう。傍目には変形のサングラスのように見えなくもなかった。
 ウェットスーツの上から白色の手袋やブーツを着用し、極めて機械的なバックルを持つベルトを締めた出で立ちは、
さながら特撮番組のヒーローである。実際、胸元には大きく『B』の一時がプリントされており、
ベルトのバックルにはCUBEが嵌め込まれている。
 軍議の間には打倒ギルガメシュを志す者たちが世界中から参集している。
馬軍の甲冑やパトリオット猟班の隊服が象徴しているように装いも十人十色ではあった。
しかし、ウェットスーツの青年だけは際立って異彩を放っている。最早、「浮いている」の一言では済まされないレベルであり、
ギルガメシュとは別の意味で異世界から来訪したようにしか思えなかった。
 プロフェッサーを含め、テッドたちは首から黄金の護符を垂れ下げていた。
グドゥーが誇る『黄金衛士』の一員と言う身分を示すシンボルのような物であろう。
当然、ウェットスーツの青年も同じ護符を身に着けているのだが、
それがなければ何処のグループに所属しているかも分からなかった筈である。

「――気がついたのは、彼なんですよ。なんかピキーンと頭に閃いたみたいで」
「ふむ――バイオグリーン君を反応させるとは、ホウライとやらは存外に大変な代物のようだね。
……我が主が余計なことを言い出さねば良いが……」
「ほッほう! ならばひっ捕らえて解剖実験でもしてみようか。君たちの“進化”の手がかりになるやも知れん」
「ちょっと黙っててくれませんか、プロフェッサー。話がこんがらがるっつーか、ドン詰まりになっちまうんで。ぶっちゃけ邪魔なんで」
「……あんなに可愛かったのにな、ダイジロウ君な……」
「こらこら、教授にそんな口聞いちゃダメじゃないか、ダイちゃん」
「……そこで俺が怒られる流れになるのがわからねぇ」

 珍奇な言動はともかくとして、テッドが言うには、軍議の間の乱闘を感知したのはこの青年――バイオグリーンであったらしい。
 コードネームなのか、『プログレッシブ・ダイナソー』のような自称なのかは判然としないが、
奇天烈な名前を用いた青年は、もう一度、「感じるのだ、これが、惑星(ほし)の息吹……ッ!」と謎の言葉を繰り返した。
 色々なモノやコトを疑ってしまいそうな言動であるが、どうやら常時このような調子であるらしく、
近親者たるダイジロウたちは勿論のこと、アポピスまでもが平然と接していた。一種の耐性を備えた者の反応とも言えよう。
現在のところは体術同士の大激突に釘付けとなっており、余所のことなど眼中に入っていない様子だが、
仮にこの輪にファラ王が加わっていたとしても、バイオグリーンに奇異の目を向けることなどなかっただろう。
 一定の間隔で身を震わせるバイオグリーンの隣では、ダイジロウの心ない仕打ちに傷付いたプロフェッサーが
年甲斐もなく体育座りで不貞腐れている。先程まで虚無主義の如く端然と構えていた人間とは思えない姿だ。
そもそも四十路をとうに越えた大人の態度ではあるまい。

「――ライアン氏はそこまで不利なのかい? 何分、無手勝流は専門外なのでね。有利不利がわからないのだよ」

 極大なメスをも放り出して全力で拗ねるプロフェッサーの肩からテッドの頭へと移ったアポピスは、
心底面倒臭そうにしているダイジロウを眺めつつ、ミルドレッドが取った揺り篭の構えについて眼下の彼に解説を求めた。
先程の言からして、ミルドレッドの狙いと、アルフレッドが攻めあぐねる理由をテッドの慧眼は見抜いたらしい。

「あのデカブツが使う技、ジュードーに似てるよな。こう言うときこそ、お前の出番じゃねーのか? 金メダル選手ゥ?」

 これはダイジロウの弁だ。彼もテッドに解説を任せることには大賛成の様子である。
後押しの一言によれば、白熊の如きこの青年は体術に関して非凡な才能を備えているらしい。
 どちらがライアン氏なのかは自分には分かりませんが――と前置きをしたテッドは、
照れくさそうに鼻の頭を掻きつつアポピスへ自身の見立てを語り始めた。

「銀髪の彼が不利と言うか、寝転がった女性が圧倒的に有利と言うべきかも知れません」
「それは、ジュードー家の目で見て――かい?」
「柔道は関係ありませんよ。普通に考えたら銀髪の彼が優勢ってハナシです。
と言うよりも、先に寝転がったのだから有利不利以前にあの女性のダメージは深刻――そのように見えます。
しかし、この戦いに限っては正反対」

 寝そべったままのミルドレッドと、立ったまま構えを維持し続けるアルフレッドを交互に見比べたテッドは、
「あの女性の使う技が場を支配していると言っても構いません」と付け加えた。

「寝転がった相手には大半の立ち技は使えませんよね。真っ直ぐパンチを打っても、ミドルキックを繰り出しても空を切るのみです。
いえ、そんな間抜けをする人はいませんけど」
「馬乗りになって殴るのが手っ取り早い気もするが……」
「そう、普通の相手ならば銀髪の彼もそうしたでしょう。あるいは、足で踏みつけたって良い。しかし、今回は相手が悪過ぎる。
僕の見たところ、あの女性は寝技が主体のご様子。迂闊に近付こうものなら腕なり足なりを絡め取られ、
そのまま寝技に引き擦り込まれるでしょう。……立っている側は寝ている側にパンチやキックが当てにくい。
寝ている側は身体を開いて四肢も自由。相手がどんな動きを見せても寝技に引っ張り込めるって算段です」
「そうそう、寝技だよ、寝技。そいつがジュードーそっくりなんだ。やっぱり親戚なんじゃねーの?」
「親戚ってのはダイちゃんらしい上手い言い回しだね。……あくまで僕の見立てだけど、柔道の中でも古流の技に近いね。
少なくとも、現代のルールでは、あんなに危険なものは使えない。速攻で反則だよ」
「見た目通りの実戦志向と言うことかい」
「ヘッ――実戦志向ならうちのテッドだって同じだぜ。コイツの投げは北海の荒波仕込みだ。デカブツなんざメじゃねーよ!」
「お褒めに預かり光栄だけど、あんな風に寝られたら投げにも行けないよ。
て言うか、北海の荒波仕込みって、意味がわかんないから」

 「寝技を中心にして攻め手を組み立てる場合、昆虫をひっくり返したようなあの姿勢は絶対的に有利」と語るテッドに、
アポピスとダイジロウは感心したように首肯して見せた。
 つまり、ミルドレッドは寝技を使う者にとって理想の戦法を取ったと言うわけである。まさしく揺り篭の構えはアルフレッドの天敵であった。
迂闊に拳を出そうものなら一瞬にして腕を取られ、寝技に巻き込まれてしまうのだ。蹴りにも同じことが言えよう。
既に四肢を手酷く負傷している彼にとって、これは由々しき事態である。

「死中に活を求めて馬乗りになっても無駄な徒労に終わるでしょう。
敢えて寝転がったと言うことは、あの女性、相手の打撃を封じ込める手立ても熟知していると思いますよ」
「馬乗りになってからの殴り合いが? ……うーん――どう考えても、ライアン氏のほうが有利に思えるが」
「あの青年が腹なり胸なりに乗ったとしましょう。殴りに行こうとしたその瞬間、彼は自分の置かれた状況を思い知る筈です。
下の彼女は相手の脇に膝をぶつけたり、太ももを足裏で押し返したり――
方法は様々ですが、両足を巧みに使って相手の体勢を崩すでしょう。
今日に限っては、上から突き込まれる打撃の拍子を乱す防御法と言っても良さそうです」
「……見ての通りの蛇には、なかなか大変さを実感できないが、厄介そうだと言うことは伝わってきた」
「殴ろうにも殴れず、バランスまで崩されたなら、……後は銀髪の彼は寝技の餌食になるばかりです」

 『ガードポジション』と呼ばれる寝技独特の防御技術を解説したテッドは、
揺り篭の構えを破る手立てが存在しないわけではないとも言い添えた。
 対策は千差万別ながら徒手空拳による格闘に於いては、寝転んだ側の足をローキックで攻め続けるのが常套手段であると言う。
 つまり、寝技の射程圏外からの攻撃だ。ローキックの痛みに堪り兼ね、立ち上がったところを立ち技で仕留める――
これこそ、揺り篭の構えを打破し得る戦法であった。

「そりゃ無理ってもんだろ。ローなんて連発したら、優男の足が先にブッ壊れるぜ」

 ダイジロウが指摘した通り、アルフレッドにとってはこれさえも難しい。
脛や甲を執拗に攻められ続けた彼の両足は既にボロボロになっているのだ。あまつさえ右膝まで極められている。
常套手段に則ってローキックを打ったところで、ミルドレッドを突き崩す前に自分の足が悲鳴を上げることだろう。
 アルフレッドとミルドレッドの戦いを発端から全て見守ってきたアポピスは、
ここに至るまでの攻防が全て計算されたものであったことを初めて悟った。無論、計算を張り巡らせたのはミルドレッドの側である。
右膝、右腕を関節技で攻め立てたのも、両足を痛めつけたのも、
ジウジツ使いに必勝を約束すると言っても過言ではない揺り篭の構えで戦う為の布石だったのだろう。


「……チェスの如く計算高いの。気付いたときには、チェックメイトと来たものじゃ」

 ――これは、アポピスではなくジョゼフの呟きである。
 プロフェッサーたちを砂漠で垣間見た“ファラ王の切り札”と認めたジョゼフは、
今度こそその正体を確かめるべく密かに観察し続けていたのだが、アルフレッドの置かれた状況に関しては、
アポピスと全くの同意見であった。この戦い、攻防の計算はミルドレッドのほうが上手であったとも見なしている。

「……勝ち負けは苦しいか?」

 ローキック以外の逆転策を求めるかのように仲間たちへ形勢の優劣を尋ねるジョゼフであったが、
守孝もセフィも無言で頷くばかり。有効な手立ては誰の口からも出ては来なかった。
 余談ながら、先程からハーヴェストはアルフレッドの闘いそっちのけでバイオグリーンをじっと凝視しており、
ジョゼフからの問いかけすら耳に入っていなかった。旧友の変貌に打ちひしがれていた憐憫はどこへ消えたのやら――
奇妙奇天烈なウェットスーツが彼女の琴線に触れたようである。

「光の弾丸とでも言い表せば良いのでござろうか。あの飛び道具で遠距離より攻め立てるのもひとつの策(て)と、
考えはしたのでござるが、あの女性(にょしょう)はホウライを打ち消せるのでござったな……」
「言ってみれば、これはホウライ使い同士の戦い、ですからね。しかも、裏を掻く戦法は先程使ってしまいました。
二度目が通用する相手とは思えません」
「こう言うときこそ未来予知の出番じゃと言うのに……」
「……マユさんに言いつけますよ? 御老公が私を苛めてくると」
「……堪忍じゃ」
「――『ラプラスの幻叡』で先読み出来るとしても、そんな横槍をアル君は喜びませんよ。
余計なことをするなって、きっと叱られると思います」

 アルフレッドがこの戦いへ如何なる思いで臨んだのかを察しているセフィは、
最早、自分たちが加勢に入る余地はないと頭を振って見せた。
未来予知の機能を備える『ラプラスの幻叡』ですらアルフレッドにとっては無用の長物なのだ。

「……本当、いちいち彼は予知を上回ってくれますよ。頼もしいのやら怖いやら」
「フム――ホウライとやらを含めて小細工は何も通じぬと言うわけ、か」
「密着した状態で彼奴(きゃつ)めを撃ち払ったように、アルフレッド殿御自身の武技を信じるしかござるまい」
「でも、そろそろキツくない? 彼、ここ最近、戦いっぱなしでしょう? ガタガタになるわよ、その内」

 守孝に合いの手を入れたのは、セフィでもジョゼフでもなく、いつの間にやら佐志の輪に加わっていたローズウェルである。
 軍議の間の出入り口へと目を転じれば、アポピスと合流したダイジロウたちがファラ王のもとへ歩みを進めていた。
ローズウェルもこの流れに倣ったようだ。
 尤も、縁もゆかりもない――と言うより作りたくもない――ジョゼフは、いきなり擦り寄ってきたこの悪徳冒険者を無言で睨むばかり。
群狼夜戦に於ける所業を間近で見てきたセフィに至っては、平素の穏やかな物腰をかなぐり捨て、
「誰の許可を得てこの場に立ち入っているのです? 付き人と言うものは檜舞台には上がれないものですよ」と、
紳士的とは言い難い皮肉まで飛ばしている。
 自分が疎まれているのはローズウェルとて百も承知のこと。あからさまに排斥の念を飛ばしてくるジョゼフとセフィには
ヒラヒラと適当に手を振って応じ、守孝に向かって「K・kサンが商談中でやるコトないのよォ〜」と話しかけた。
 両帝会戦に当たり、K・kから装備一式を提供された恩義がある為、守孝は彼の関係者たるローズウェルを蔑ろには出来ない。
声を掛けられたなら、本心はどうあれ応じるしかないのだ。
 無論、守孝の義理堅い性格を見抜いた上でローズウェルも狙いをつけたわけである。
性悪な小賢しさに呆れたセフィは、ジョゼフと顔を見合わせ、「あれこそ冒険者の面汚し」と溜息を吐いた。

「ルーインドサピエンス(旧人類)の時代からあるってハナシよね、あのデカブツの構え方」
「あ、いや――某、佐志以外の組討には疎うござる……」
「ンフ――お姉さんだって人からのまた聞きよぉ? 前に地下格闘の試合を見物したときにちょろっとねェ」
「地下格闘、……裏試合でござるか」
「そうでござるよ、ござるござる。気の遠くなるくらい大昔、世界一のプロボクサーとプロレスラーが異種格闘戦をやったらし〜んだけど、
そのときにもこれと同じような状態になったらしいのよね。殴る側が立って、関節技を狙う側が寝そべってさ。
……まだまだもつれるわよ、この殺し合い」
「殺し合いなどと……アルフレッド殿とてそこまでの無体は慎むでござろう」
「ど〜だかねぇ〜。どっちも相手が忌々しくござるからね。デカブツのほうも自分に強さござるのを見せびらかしたいとこっしょでござ〜る」
「“ござる”の使い方を誤ってござるぞ……」
「マジござる? ま、コレはいずれ守孝チャンに教わるとして――アルフレッドチャンのほうはジリ貧ってハナシよ。
地下試合ではネ、あの状態になったら立ち技の選手はえっらい苦労してたわ」
「……苦戦は免れますまい。されど、攻めておるのはアルフレッド殿でござる。難攻不落の砦とは申せ、相手もまた人。
必ずや打破の道を開くものと存じますれば」
「最後まであのコを信じるってワケね。その割には冷や汗ダラダラって感じござるね」
「むむ……ッ」
「ンっフ――お姉さん、そ〜ゆ〜純朴なの、キライじゃないわぁ」

 どうしてもアルフレッドが難儀するほうに話を持っていこうとするローズウェルに業を煮やしたのか、
レイチェルは彼の尻を平手で引っ叩き、次いで「ここまで来たら、有利も不利もないわ。攻めて攻めて攻め続けるのみよ」と
勇ましい啖呵を切った。

「アルの考えならあたしにも分かってるわ。尚更、全力でぶつかってくしかないじゃないッ!」

 少しばかり離れた位置でレイチェルの雄弁に耳を傾けるイーライは、攻撃あるのみと言う猛進な激語に頷きつつも、
内心にはあるひとつの憂慮を抱えていた。

「……両足の怪我も危ういけど、問題はアルフレッド君の体力が保つかどうかね。
痛みに耐えて気力で蹴り続けても、芯が折れてしまったら、どうしようもないわ」
「ああ……」

 険しい面持ちでアルフレッドの様子を窺っているレオナのこの呟きにこそ、イーライの懸念が集約されると言っても良い。
 揺り篭の構えとの対峙に至り、一瞬だけ訪れた静止の時間は、アルフレッドの肉体に蓄積された疲弊の色を浮き彫りにしてしまった。
 三つ巴の決闘で負った怪我はマリスの『リインカネーション』によって快癒はしている。
だが、彼女の備えるトラウムは肉体の損傷を復元こそしてくれるものの、体力の回復まではその範囲に含めていない。
つまり、アルフレッドはイーライとフェイを相手に戦った疲弊を殆ど残した状態でミルドレッドに挑んだと言うわけである。
 そのアルフレッドは、頬に首に――露出した生身を滝のような汗でもって濡らしている。
袖を通さずにマントのように着用しているコートは湿り気を帯び、足元には水溜りまで作る有様であった。
 汗と共に体力も急速に抜け落ちているのだろう。唇からすっかり血の気が失せてしまっている。
肩の上下などをなるべくコントロールしているようだが、今では呼気さえ満足に整えられなくなっていた。
 そのことに気付いたメアズ・レイグのふたりは、改めてアルフレッドの不利を見て取ったのである。
レイチェルたち佐志の仲間とて激しい消耗を見過ごす筈がない。
それを踏まえた上で、あくまでも戦い抜かんとするアルフレッドの覚悟を尊重しているのだ。
 「どいつもこいつも、バカでマヌケでアンポンタンだぜ」と吐き捨てたイーライは、我知らず床を蹴ってしまった。

「これ以上、動きが鈍ったらマジでアウトだ。……銀貨が鳴るのを祈るっきゃねぇな、こりゃ。
でなきゃ、今度はヤロウの棺桶に祈りを捧げなきゃならなくなっちまわァ」
「縁起でもないことを言わないの」
「るっせぇな。リアリストなんだよ、俺ぁ」

 レオナ相手に悪ぶって見せるイーライであるが、しかし、その双眸は今にも崩れ落ちそうなアルフレッドを捉えて離さない。
ダメージが限界に達しているだろう両足でいつまで身体を支えられるか。どこまで気力で体力を補えるか――
本音は当人にしか分からないが、最後の力を振り絞って繰り出した『パルチザン』にて勝負を決したかった筈だ。

 アルフレッドの消耗はパトリオット猟班にも伝わった。彼の足元に出来た水溜りを指差したジェイソンは、
「バッテバテじゃんか、あのニイちゃん。見た目はクールなのに、中身はクソひ弱なのな」と嘲笑を漏らしている。
見た目と消耗は無関係と、やや離れた位置よりモーントから指摘(ツッコミ)を入れられたものの、
不調法な少年隊士は、これに耳を塞ぐゼスチャーで対抗した。
 無表情ではあるが、ミルドレッドとて発汗などの疲労は認められる。彼女も彼女で体力が無尽蔵と言うわけではないのだ。
アルフレッドの場合、連戦に次ぐ連戦であった為、彼女よりも疲弊が遥かに早く、且つ深刻なのである。

「こりゃもう決まりじゃねーの? 必勝パターン入ってるしさ。トラウムどころか、ホウジョウ以外にゃ何も出してねぇけど」

 「ま、あのニイちゃんには、ちと拍子抜けかな。バッカみてぇにカッコつけたからにゃ、隠し玉の一個や二個、見せて欲しかったけど」と、
ジェイソンは大袈裟に肩を竦めて見せた。
 彼に言われるまでもなくジャーメインもそのことは分かっていた。
彼女の場合もまた蹴り中心の戦闘スタイルである。それ故、両足負傷と言うアルフレッドのコンディションをより身近に感じられるのだ。
不完全とは雖も、ミルドレッドの関節技を受けた以上、膝のダメージは計り知れない。
 相手が最も得意とする技を潰して攻守の展開を支配し、最後に揺り篭の構えに持っていく――
ジェイソンが言うところの“必勝パターン”に入った以上、ここから先、アルフレッドには善戦すら難しいだろう。
 それなのにジャーメインは胸騒ぎを覚えていた。本来ならば、構えを取っていることさえ苦痛である筈のアルフレッドは、
今も真紅の瞳に激しい闘志を宿している。その強烈な輝きが彼女に言い知れぬ不安を与えるのだ。
 いつしかジャーメインの心は真紅の瞳に吸い込まれていた。

「どんなに苦しい戦いになっても、彼は、アルフレッド・S・ライアンは攻め続ける。戦って戦って戦い抜く――
我が御屋形様ならそう言ったでしょうね。事実、彼の覚悟は並大抵ではありません。
……例えここで死んでも、あなたのお仲間の首に噛み付くでしょう」
「……化け物じゃないですか」
「そう、化け物ですよ。あなたたちと同じくね」

 ジェイソンやモーントが小首を傾げる程の動揺を見せるジャーメインに対し、ブンカンはアルフレッドの恐ろしさを語って聞かせた。
それは、格闘技者としての怖さとは些か異なるものであったが、しかし、ジャーメインを脅かすには十分な威力を持っている。
カジャムもグンガルも、平素であればエルンストの意思を代弁するデュガリも、群狼領が誇る大軍師の言葉に強く頷いていた。
 かく言うブンカンではあったが、内心では“軍師仲間”が攻め抜くことを確信したわけではない。
なかなかの食わせ者と言うべきか。口先ではアルフレッドの恐ろしさを語っておきながら、
実際には彼が競り負ける可能性が高いと案じているのだ。
 ブンカンはミルドレッドこそ恐れている。彼女は未だに底を見せていないのだ。関節破壊の妙技たるジウジツに限定した話ではない。
 ギルガメシュとの直接対決を選択し、スカッド・フリーダムより離脱したパトリオット猟班は、
僅か数名の集まりで数倍ないしは数十倍もの兵力と戦い、半ば虐殺にも近い所業を繰り広げてきたのである。
 信じ難い程の強度を誇るモーントは、言わばパトリオット猟班の盾である。
本来の得物ではなかったにせよ、常人よりも遥かに優れたビアルタの刃を受けながらも硬い肉体でもって剣先を跳ね返したのである。
特殊な防御法でなければ、ホウライによる強化も得ず、肉体ひとつで、だ。もしかすると銃弾すら弾き飛ばすかも知れない。
 この“盾”に対して、突進力と攻撃力を高次で兼ね備えたジャーメインは“剣”と言えよう。
さしずめジェイソンは“飛び道具”だ。ルチャ・リブレによって敵中を撹乱し、ムエ・カッチューアの攻撃力でこれを粉砕――
実に合理的な戦術と言えるだろう。
 リーダーたるシュガーレイは未知数ながら――パトリオット猟班に於けるミルドレッドの役割がブンカンには読み取れなかった。
柔と剛を兼ね備えた関節破壊の妙技は、超一流と賞賛されるのに相応しい冴えを見せている。
だが、如何にジウジツの技が申し分ないと雖も、一対多数の戦いの場で寝技を仕掛けるなど自殺行為に等しい。
このような一対一の決闘と合戦は全く違うのだ。銃で武装した兵士たちの只中で寝転がろうものなら良い的である。
たちまち風穴だらけの遺骸と成り果てるだろう。
 それでも彼女はパトリオット猟班の一員としてジャーメインたちと肩を並べ、仮面の兵団を屠り続けている。
つまり、ミスマッチとしか思えない寝技を合戦場に持ち込み、常勝し得る“何か”を秘めていると言うことだ。
今までの攻防とジウジツの技の中に、その“何か”をブンカンは見つけることが出来なかった。


 ここに至ってもミルドレッドの底は知れない――そのことは、誰あろうアルフレッド当人が一番分かっていた。
ましてや自身のコンディションなど他者にとやかく詮索されるまでもない。
 肋骨と肺を不意討ちしたワンインチクラックなどで着実にダメージを重ねてきたのだが、
ミルドレッドが揺り篭の構えを取ったことで形勢も再びひっくり返った。
寝技に長じた彼女がこの状態になってしまうと、四肢に痛手を負っているアルフレッドには絶対的に不利。
周囲が懸念する通り、動きが鈍った瞬間にジウジツの妙技で仕留められてしまうだろう。
 ホウジョウ――ホウライ外しをミルドレッドが体得している以上、
フェイに致命傷を与えた『ドラゴンレイジ・エンター』も有効打にはなり得ない。
そもそも極度に消耗した身体では、何時までもホウライを使ってはいられないのだ。
 しかし、自身の劣勢を示す条件が数え切れないくらい並んでいると言うのに、アルフレッドは些かも怯んではいなかった。
立ち竦むどころか、揺り篭の構えを取るミルドレッドに対して、「恥を知れ」と罵声をすら浴びせている。

「それがお前の望む勝利か? その恥知らずな真似が勝利に繋がると本気で思っているのか?」
「挑発のつもりだとしたら、もっと上手い言葉を選ぶのだな。相手を倒す為に最も有効な手段を取る。それが戦いだろうに」
「挑発? 思い上がるな、愚図が。最早、貴様にそれだけの値打ちなどない。
もう一度、言っておいてやる。お前に俺を突破することなどできはしない。……この期に及んで足を止めるような鼠輩にはな」

 ミルドレッドを睨む真紅の瞳は、あくまでも冷酷である。

「今、この場に於いて“攻める”とはどう言うことか、……手向けの花代わりに教えてやる」
「手向けの花とは詩的だな。夜中にひとりぼっちでシコシコと詩を書くタイプかい?」
「煩い、黙れ――」

 そう吐き捨てるなりミルドレッドに向かって猛進していくアルフレッドだったが、その攻め手は大方の予想を大きく裏切っていた。
寝技の起点のひとつになるだろう足を狙ったローキックではない。前傾姿勢で間合いを詰めたアルフレッドは、
左膝を床に突きつつ右足をミルドレッドの股へと滑り込ませ、この二点を軸にして右腕を振り抜いた。
上体を捻るようにして掌底突きを繰り出したのだ。
 ホウライの恩恵こそ受けていないものの、強烈な衝撃によって相手の肉体を貫く『ペレグリン・エンブレム』である。
パウンド――所謂、寝そべった相手に対する打撃として応用を利かせてはいるものの、
三つ巴の決闘にてイーライを仕留めたときと同じように胸部へと狙いを定めている。
 固い床を背にするミルドレッドにとって、この掌底突きを直撃されることは、即ち死を意味している。
胸部から食い入った衝撃は逃げ場なくのた打ち回り、心臓を破裂させることだろう。
力ずくで排除すると言い切るアルフレッドに手加減などあろう筈もない。
 腕組みしつつこれを傍観していたアルカークは、「トチ狂ったか、あの小僧」と鼻を鳴らした。
言うまでもないが、何の迷いもなく急所を脅かす冷徹さを批難したのではない。
そもそもフェイを背後から襲うような男が戦いの場で道義を説くわけがない。
 死地と分かっていながら、敢えてジウジツの射程圏内に飛び込んでいったことを愚かと罵ったのだ。
 アルフレッドの攻撃は、ある意味では発想の逆転である。
ジウジツの妙技は鉄の檻が如きモノであるが、搦め取られるより先に一撃必殺で仕留めてしまえば意味を為さないのだ。
 しかし、非力な虫が蜘蛛の巣へと自ら飛び込むようなものであるからリスクは極端に高い。
僅かでも速度が落ちれば、変幻自在な四肢に右腕を取られるだろう。
迎撃の好機でもある筈なのだが、当のミルドレッドは獲物待つ蜘蛛とは成り得なかった。
両足を踏みしめて後方へと転がり、覆い被さるようにして迫ってきたアルフレッドを避けたのである。

 回避と同時に足を巻きつけて彼の右腕を取る――そのような反撃も一切講じなかった。
テッドが語ったガードポジションを応用すれば、あるいは膝なり脛をアルフレッドに押し当てて拍子を崩し、
そのまま寝技に持っていくことも不可能ではなかった筈だ。
 体力の消耗を物ともしない超速を恐れての緊急回避と言うことであったなら、
アルフレッドにとっては敢闘の成果となったであろうが、残念ながら後転(これ)は次なる攻め手への布石である。
 後転の後に再び揺り篭の構えを取ったミルドレッドは、なんとその体勢を維持したままアルフレッドに突撃を開始した。
 しかも、だ。両足は一切使っていない。一瞬の隙も見逃すまいとアルフレッドに狙いを定めたまま、足の裏は床から離れている。
両足の付け根の運動、尻の筋肉の収縮、左右への腰の回転――これら三点を駆使して推進力を生み出したのだ。
 力の原理は珍妙に聞こえるかも知れないが、実際に目の当たりにする推進力は爆発的としか例えようがなかった。
 寝技に最も適した揺り篭の構えのまま突進する姿は、異様にして威容である。
自身をアルフレッドと置き換えて想像を膨らませたビアルタは、背筋に冷たい戦慄すら感じていた。
 反撃を伴わない後転でもって間合いを取ったのは、つまり、この奇襲へ移行する為の布石と言うことだ。

 しかし、この技法を以ってしてもアルフレッドを驚愕させるには至らなかった。
彼が備えた蹴り技の中には、やはり尻の筋肉を応用して地面を滑る『リバースビートル』と言うものがある。
尻を左右に振りつつ、子供が駄々を捏ねるような体勢で蹴りを繰り出す変則的な技だ。
ミルドレッドが披露するこの滑走と術理は似通っているに違いない。
 迂闊にローキックを繰り出せば、足を絡められて関節を破壊される――そのように冷静に判断を下したアルフレッドは、
数度ばかり後方に飛び退った後、十分にミルドレッドを引き付けてからいきなり左方向へと跳ねた。
 一種のフェイントだが、ミルドレッドには全く通用せず、身体を振って横滑りし、執念深く彼に追いすがっていく。

「本当の攻めってのを見せてくれるんじゃあなかったのか? それとも張り手一発でもう種切れか?」
「黙れと言っているだろうが」

 アルフレッドもこうした追尾は想定済みだ。絶え間なくステップを踏み、瓦礫が散乱する上で追いかけっこを演じ、
最後に足裏でホウライを爆発させ、ミルドレッドの側面へと一気に回り込んだ。
 ここでようやくアルフレッドは左のローキックを見舞った。抉るようにして腰に打ち付けた甲をそのまま腹へと滑り込ませ、
次いで裂帛の気合を発しつつ左足を大きく振り回した。
 中空に螺旋を描くような回転である。絶妙な力の作用によって巨体をひっくり返され、
うつ伏せ状態となったミルドレッドへとアルフレッドは飛び掛っていく。
 野獣が牙を突き立てるかの如く高所より蹴りを加え、今度こそ決着をつけようと言うのだ。

 アルフレッドが優勢を取り戻したのは、誰の目にも明らかだった――が、仲間の窮地を見据えるモーントは、
ことここに至ってもミルドレッドの身を案じようともしなかった。
 酷薄な話ではないか。ミルドレッドも人並み以上に頑強な肉体の持ち主ではあるが、
さりとて彼のようにダメージを完全に弾き飛ばせるわけではない。頚椎あたりを踏み付けられようものなら即死は免れないだろう。
今のアルフレッドは、それすら平然とやってのけるに違いない。

「――あの人も可哀想に。首か腰を捻じ切られるかもしれないよ」

 ザムシードとドモヴォーイが耳にしたのは、形勢の優劣を完全に取り違えた放言である。いや、妄言と見なしてもよかろう。
事実誤認としか言いようのないモーントの呟きが意味するところをザムシードが悟ったのは、
アルフレッドの左足が今まさに巨人の首を捉えようとする瞬間のことであった。
 ミルドレッドの全身が蒼白いスパークに包まれ、周囲の瞠目を誘うや否や、突如として中空へと跳ね飛んだのである。
 半身を逸らして跳躍し、縦一閃に振り落とされる牙とすれ違ったミルドレッドは、
上昇の頂点に達すると、さながら円盤の如く全身を回転させて急降下し始めた。
 方向転換も急速滑降も、天井を踏み台代わりにして実施したわけではない。
それどころか、彼女は跳ね飛んだ後に何処にも触れてはいない。蒼白いスパークを撒き散らしながら中空を飛翔しているのだ。
 うつ伏せの状態から跳ね飛ぶことまではアルフレッドも予想はしていた。
スカッド・フリーダムの身体能力を以ってすれば、そのような荒業もやってのけても何ら不思議ではない。
だが、さしもの彼も飛翔までは読み切れず、「それもホウライなのか」と、驚愕が口を突いて出た。

 これこそが、ミルドレッドをパトリオット猟班随一の猛者たらしめる深奥であった。
 ホウライは応用次第によって可能性が無限に広がっていく。凝縮したエネルギーを弾丸として射出する術は言うに及ばず、
甲冑の如く身に纏うことや、生体電流の如く身体の芯に通わせて細胞を活性化し、潜在能力を引き出すことも可能なのである。
 攻守に亘ってアルフレッドが最も多用するのは、足裏や掌にてホウライを炸裂させ、突進力や跳躍力の強化を図る技法だ。
ミルドレッドが披露した飛翔のチカラは、この技法を鍛えに鍛え上げた末の、ひとつの到達点と言えよう。
 猛獣の如き唸り声を引き摺りながらアルフレッドの周囲を急速旋回していたミルドレッドは、
幾周か翻弄した後、全身を鋏に見立てて大股を開き、彼の胴へ横から喰らいついた。
 腹と背をきつく挟まれたアルフレッドは、そこから腕を取られて寝技に引き込まれることを警戒し、
すかさず両手を胸元に引き付けたのだが、飛翔と言う尋常ならざるチカラと、これによって織り上げられる戦法は、
常識の範疇で推し量れる次元を完全に超えていた。
 両足でもってアルフレッドの胴を絞めつけるミルドレッドは、その体勢のまま横滑りでもするかのように飛翔を試みた。
より精密に詳説するならば――急速旋回で強烈な遠心力を生み出し、アルフレッドを振り回そうとしているのだ。
今や彼は回転の軸であり、同時に投擲されるハンマーのような物でもあった。

「どうせなら首を絞めておくべきだったな。胴を挟まれた程度では俺は殺せない――」

 それでもアルフレッドは持ち得る限りの技と術を駆使してミルドレッドの飛翔に抗おうとする。
 彼が講じた策を誰よりも早く気付いたのは、ワンインチクラックの折と同じようにジャーメインであった。
アルフレッドの一挙手一投足に目を凝らしていた彼女は、竜巻の如き回転に訪れた変化を見逃さなかったのだ。

「ウソ、でしょ!? いつから――ううん、あんなの、どうやってッ!?」

 アルフレッドは巨人の起こした竜巻に飲み込まれ、ついに自由をもがれた――誰もがそう確信し、彼の縁者は悲嘆している。
しかし、ある瞬間から回転の軸が摩り替わっていたのだ。今はまだジャーメインしか気付いていないものの、
遠心力にて相手を振り回しているのは、旋風に巻き込まれた側である筈のアルフレッドだった。
 ジャーメインを震撼させたのは、彼の講じた防御法だ。
 身に降りかかる“力の作用”を、腰の捻りや四肢の屈伸、筋肉の収縮や関節の可動などを駆使して吸収し、
エネルギーの方向を変化させて反撃に上乗せする攻防一体の動作――ジャーメインはその本質を見抜いていた。
 平たく言えば、「相手の力を利用する」と言うわけだ。
ミルドレッドも回転速度を跳ね上げて攻守の再逆転を図るが、その全てをアルフレッドは切り抜けた。
 回転軸の争奪は幾度となく行われた。傍観している側の目が回ってしまうくらいだ。
渦の真っ只中にて攻防を演じるふたりは、平衡感覚を保つだけでも難儀しているだろう。
先に三半規管が崩壊したほうが負けると言う前代未聞の競り合いであった。
 回転の最中、アルフレッドの身体も蒼白い輝きで満たされていった。ミルドレッドの飛翔はホウライに依存した異能である。
ホウジョウによってその効果を打ち消してしまえば、戦況を一気に動かせると考えたのだ。
 アルフレッドの仕掛けたホウジョウはすぐさまに効果を発揮し、ミルドレッドの身体からホウライの輝きが消失した――が、
それも一瞬のことで、両者が当たり一面に蒼白い火花を撒き散らした直後には巨体に天翔る力が蘇った。
 持続的にホウライ外しを行わない限り、ミルドレッドから飛翔のチカラを奪い取ることはできないようだ。
アルフレッドにそこまでの体力は残されていない。

「こんな小細工が本当の攻めとでも言うつもりか? 底が知れたな、末成りィ」
「舐め腐るな、木偶の坊め」

 最後は地力の勝負と言うことだ。アルフレッドも小細工抜きで競り勝つ覚悟である。
足が着いた瞬間に腕や腰を捻って拍子を崩しに掛かり、ときには無理を承知で逆回転も試みていく。
 このときになると周りの者たちも回転自体が凄絶な争いであると認識し始め、
ファラ王などは「まるで映画の一幕じゃないか! さしずめ、美男(イケメン)と野獣と言ったところか!?」などと手を叩いて喜んだ。
 皆が固唾を呑んで見守るこの争奪戦は、アルフレッドに軍配が上がった。
都合二十度目の回転の後、瓦礫だらけの床を両足でもって踏みしめ、ついにミルドレッドの飛翔を塞き止めたのだ。

「――小細工は通じないと、まだわからんか……ッ!」

 楔を打たれたような形のミルドレッドだが、こちらも全く動じてはいない。
アルフレッドの打撃を受ける内にその特性や傾向を分析し、
彼が力の作用をコントロールする防御法を体得していることも想定済みであったようだ。
回転を止められた瞬間、彼女は両足の絞め込みを僅かに緩め、次いで巨体を振り、素早くアルフレッドの正面へと回り込んだ。
獲物に噛み付いたまま決して離さない獰猛な鮫のようだ。
 この動作に合わせ、アルフレッドは横殴りの左拳で迎撃を試みた。
 彼の胴に巻き付くミルドレッドの左足へ更に力が加えられる。膝裏の締め付けなど血肉を噛み千切らん程の強さである。
一方で対となる右足は、これとは全く逆の挙動を見せた。右膝を内向きに翻すや否や、アルフレッドの腰に強く押し付け、
左フックの拍子を崩しに掛かったのである。
 ダメージそのものは軽微なものであるが、左フックを振り抜こうとしているときに軸である腰へ反対側から力を加えられたなら、
呼吸は完全に乱れてしまう。案の定、アルフレッドの左フックは本来の速度を失い、
ミルドレッドは胸を軽く反らすだけでこれを避けることができた。
 ガードポジションと呼ばれるジウジツならではの防御技術、その応用である。
素っ頓狂な歓声を上げるファラ王の傍らにて、テッドは「あの体勢からガードポジション……」と思わず溜息を漏らした。
 無駄な動きを省き、最小限の力で相手の打撃を挫く防御技術であるが、アルフレッドとて負けてはいない。
返す刀で左拳の甲を打ち込みに掛かった。しかし、この裏拳は手痛い失態となる。
 彼の左腕を両手にてしっかり捕まえたミルドレッドは、振り子の要領で上体を引き起こし、
次いで環状のレールでもなぞるかのように左方へと身体を滑らせた。先に上体を反らしておいたのは、
まさしくこの瞬間の為の布石である。反動によって加速した巨人は、今やアルフレッドの背後に回ろうとしていた。

「――ダメだ! アル君ッ!」

 軍議の間に何かの破断する音が轟いたのは、セフィが悲鳴にも近い叫び声を上げたのとほぼ同時である。
このとき、巨人はその逞しい両腕でもってアルフレッドの右腕一本を抱え込んでいた。

「……バカが。ンなことすりゃ、腕取られるってわかるだろうがよ。プロレスも観てねぇのか、あのヤロウ」

 セフィの悲鳴へ呼応するかのように、イーライも顔を顰めながら舌打ち。これはアルフレッドの短慮に対する批難であった。
 ミルドレッドは膂力を以ってして彼の右腕を背中側へと強引に引っ張っている。
左右の手はそれぞれ肘の辺りに巻き付いており、アルフレッドには力ずくで引き剥がすことも難しそうだ。
 当然、これらは関節本来の可動域に反しており、肩に激甚なダメージを与えるものであった。
 やけに乾いた破断音はアルフレッドの左肩が発生源である。その生々しい音が響き渡った直後、
彼の左腕は全く力を失い、だらりと垂れ下がった。

「大人しく負けを認めるなら見逃してやらんでもないぞ。……何しろ我々は同志だ」
「肩を外した程度で何を勝ち誇る。俺たちは試合をしているわけではないだろうが。
俺を突破すると言うことは、俺の屍を踏み越えるって意味だ」
「……最後まで可愛げのない小僧だな」

 背後の巨人に対して、なおも強弁を発するアルフレッドだが、左肩の骨折は誰の目にも明らかである。
関節破壊の妙技に長じたミルドレッドに捕まったのだ。脱臼程度で済むわけがなかった。

 群狼領の御曹司と同じ重傷を負ったアルフレッドに痛ましげな眼差しを向けるブンカンは、
それと同時に巨人の妙技へまたしても戦慄していた。迷わずに敵の肩を圧し折ると言う鬼の面のみならず、
飛翔のチカラから想定されるミルドレッドならではの様々な戦術は、いずれも恐るべき物ばかりであったのだ。
 現在は一対一の決闘であるが為、単純に空を翔ることにしか使われていないが、
大量の敵を向こうに回して戦う状況に於いては、関節破壊の妙技による一撃離脱で相手方を脅かすことだろう。
中空を自由に飛び交いながら組み付いてくる巨人は、敵兵にとって大いなる威圧であり、
やがてはその恐怖が合戦場を掌握するようになるわけだ。
 あるいは、自身と標的をホウライの影響下に置き、浮揚状態として一定の座標に固定することで接地と同等の物理的条件を整え、
空中にて寝技を仕掛けるかも知れない。そのようにブンカンの慧眼は見極めていた。
 アルフレッドの左フックをガードポジションで崩した際、彼女は片足で絞めているのみとは思えない程、完璧な姿勢制御を見せていた。
何らかの形で飛翔のチカラが作用し、姿勢制御を補助したに違いない――
群狼領の軍師はこれに着想を得て、空中にて寝技を仕掛けると言う仮説に行き着いたのである。
 確かに突拍子のない仮説ではあるものの、ブンカンの立てた一定の確信は、他ならぬミルドレッドの技量自体がその論拠であった。
卓越したジウジツの使い手であり、且つホウライに長じた彼女であれば、それくらいのことは難なくやってのけるだろう、と。

「――ならば、遠慮なく屍骸を踏み潰すとしよう」

 アルフレッドを仕留めようとするその技は、やはり戦慄が走る程に鮮やかだった。
顎の輪郭へ沿わせるようにして右腕を彼の首筋に押し付けたミルドレッドは、これと連動して左腕を動かしている。
左の五指でもって右の肘裏を掴もうと言うのだ。そして、この左腕の挙動こそが彼女にとって肝心要である。
喉笛を拉げさせるように左腕を前から回し、アルフレッドの首を絞めるつもりであった。
 両腕の動きと合わせて脇腹への絞め込みを解き放ったかと思いきや、すぐさま次なる標的たる左足へと巻き付けた。
四の字を描くようにして両足を交差させ、首と同時に左膝をも締め付けに掛かったのだ。
果たして、頸部への絞め技よりも先にアルフレッドは左膝のダメージに苛まれた。
 右膝は既に関節を痛めている。そのような状態では巨人の体重を支えられる筈もなく、ついにアルフレッドは体勢を崩されてしまった。
 寝技と言うジウジツの主戦場にアルフレッドを引き摺り込み、彼を絞め落とす――
両者の体勢から誰しもがこのような予測を立てたのだが、これは大外れ。当のミルドレッドに「絞め落とす」つもりなど毛頭なかった。
左膝を壊そうとも思っていない。
 きつく締め付けた左膝を軸に置き、梃子の原理でもって背中を反り返らせ、
落下の衝撃をも利用してアルフレッドの首の骨を圧し折るのがミルドレッドの狙いなのだ。
 ハーヴェスト曰く、ジウジツは護身術であり、ミルドレッドの仕掛けた首の絞め技――
チョークスリーパーも本来は対象を戦闘不能状態に追い込むことで完結する技である。
それを彼女は完全なる殺人術にまで昇華した次第だ。
 ある意味に於いては、巧妙な隠し玉と言えるだろう。チョークスリーパーと見せかけて、その裏には悪魔の貌を秘めているのだ。
実際、アルフレッドは彼女の左腕に捕まる寸前まで殺人術とは察知できなかった。
 咄嗟の判断で自身の右手を彼女の左肘裏に滑り込ませ、チョークスリーパーの回避を試みたものの、
ミルドレッド当人は気にも留めずに絞め込みの力を強めた。例え異物が挟まっていようとも関係なく首を折れると言うことであろう。
巨人の前には小細工など無意味であった。
 しかし、それは巨人の膂力に競り負けるような者に限ったことである。ミルドレッドが抱え込んだのは、誰あろうアルフレッドだ。
他者と比べることに意味はないが、彼とて数々の死地を掻い潜った身である。己の首が折れる音を震えて待つようなことはない。

「首を折る気なら両足で挟んでおけ。こんなもの――」

 ギリギリまで右腕に力を溜め、落下の寸前でミルドレッドの左腕を引き剥がした。
彼女の左肘を床へ叩きつけると同時に、これを軸に代えて落下の衝撃を緩衝した。
アルフレッドの防御ごと首を折ろうとしたミルドレッドの逆回しとでも言うべきか。巨人の左腕越しに受け身を取ったのである。
 チョークスリーパーが外れた為、身体を反らされることもなくなった。完全に致命傷を免れたアルフレッドは、
すかさず左足を抜き、次いで身体を亀の如く縮めていく。亀と言うよりは、「弓を引き絞るようなもの」と言い表すのが正しいかも知れない。
 一瞬ながら動かざる山と化したアルフレッドは、亀裂が走る程に強く床を踏み締め、裂帛の気合と共に身を浮かせた。
僅かに身を反らせて肩こそ押し当ててはいるが、後ろから覆い被さった巨人を押しのけるにしては、
その動作はあまりにも小さい。数インチ程度の上下運動であった筈だ。
 ただそれだけの運動なのだが、これを受けた側の巨体は大きく撥ね上がった。
それこそ限界まで引き絞った弓の弦にて弾かれたような勢いである。
 一見すると手品のような現象であり、傍観していた諸将も何が起きたのか理解できずに面食らうばかりだったが、
これもまたワンインチクラックと同じく密着状態から強撃を加える武技なのだ。その名を、『サイレントイラプション』と称する。
 本来、この技は肩を当てる体当たりであった。その性質上、立った状態から繰り出すのが正式な使い方なのだが、
アルフレッドは力が発生する条件を踏まえた上で応用を利かせたのである。
 亀の如く身を縮めることで体内に力を溜め、一気に解き放つ――
これによって、僅かな運動にも関わらず巨人を撥ね飛ばすだけの衝撃が発生したのだ。
 水面に波紋が起こるかの如く蒼白いスパークが周囲に輻射された辺り、ホウライによる強化も交えていたのだろう。
 確かに強力な技ではある。体格差が倍以上の巨人を一撃で撥ね上げるのだから、骨身が軋む程の“攻撃力”も疑いようはない。
だが、本来の打ち方ではない以上、“殺傷力”はどうしても欠いてしまう。
 そして、殺傷力を持たない技ではチェスの如きジウジツの暴威を止めることは不可能であった。
下から突き上げられながらもアルフレッドのズボンへ右腕を伸ばし、ベルトにまで指を滑り込ませたミルドレッドは、
己に降りかかる衝撃の勢いをも利用して彼の身体を引っこ抜いた。

 浮き上がったアルフレッドの身体を中空にて回転させ、ミルドレッドは再び彼と正面から向き合った。
死を賭した攻防が続く最中であっても、互いの表情は氷のように冷たい。
どれだけのダメージを受けようとも、形勢が目まぐるしく転変しようとも、状況に対する反射は刹那的である。
 戦うこと以外には何も持たない人形の一組が、世にも悲しい舞踏を披露しているようにも見えた。
両者の舞踏は、即ち武闘である。更に踏み込んで言うならば、ふたつの生命がぎりぎりの一線で交錯する死闘であろう。
 ミルドレッドは己の右膝をアルフレッドの腹部に落とし、そのまま地面へと叩き付けた。
当然、彼の全身には胃の内容物が逆流するような衝撃が駆け抜ける。
打撃と言う点にのみ注目しても「必殺の威力を秘めた膝蹴り」との評価が下されるような一撃だが、
ジウジツにとっては、これすらも次なる技への布石に過ぎなかった。
 突き立てた膝は、あくまでも彼の身体を押さえ込む手段なのだ。つまり、膝を落とされた時点で寝技に捕らわれていたと言うことである。
 左の五指でもってアルフレッドの右腕を掴んだ巨人は、すかさず右手を彼の背に滑り込ませ、そこから“ある物”を引っ張り上げた。
それは、アルフレッドがマントのようにして羽織っているロングコートの右袖であった。
 袖に腕を通さないのが彼なりの着こなしなのだが、今日ばかりはそれが命取りとなった。
 引き上げられた長い袖は、アルフレッドの右手首を押さえ付ける為に利用されている。
いつの間にか、彼の首の後ろへと回っていた左手が右手から袖口を受け取ると、
下に組み敷かれたこの青年は、いよいよ両腕を封じられたことになるのだ。
本人は脱臼しただけと虚勢を張ったが、ハッタリだけでは左肩の骨折は治らない。
 どうにしかして寝技から逃れようともがくアルフレッドであったが、ミルドレッドはこれを右膝ひとつで塞き止めている。
その間に彼女は空いた右手をアルフレッドの首筋に宛がい、そのままコートの袖を五指で捕まえた。
雑巾でも絞るかのように一本の袖を両手で握り締めているわけだ。
 アルフレッドの腹部から圧が失せたのは、巨人の両手がコートの袖に移った直後のことである。
 ミルドレッドは両膝のみで床を駆け、アルフレッドの頭上に回り込もうとしていた。
当然ながら首への絞め付けは加速度的に増していき、気道は今にも押し潰されそうだ――が、
つい先程、チョークスリーパーから首を圧し折ろうと試みたように巨人は窒息などと言う生易しい決着は考えていない。

「そろそろ手品も種切れだろう? ……幕引きと行こうか」

 俺を突破することは、俺の屍を超えること――荒らぶる巨人は、アルフレッドの宣言を履行しようとしている。
ミルドレッドが彼の頭上へ回ったときに訪れるのは、頚椎の破断と言う結末であった。
 左肩の骨を折られ、右手を押さえ付けられたアルフレッドには、最早、絶体絶命の状況をひっくり返せる術がない――
この事態に守孝は悲鳴と共に彼の名を呼び、ジェイソンは愉快そうに口笛を吹いた。

(それには同感だ。……幕は俺が引いてやる!)

 背中が地についた状態では自慢の蹴りも満足には撃てない――誰もが万事休すと悲嘆する中、
アルフレッドの頭は驚くほど冷静に状況を把握し、次に打つべき手を分析していた。
コートの袖で右手を押さえ込まれた瞬間には、ミルドレッドが最後にどのような技を繰り出してくるのか見極めてもいたのである。
 ローガンとの模擬戦でタイガーバズーカの格技に触れていなければ、あるいは危なかったかも知れない。
だが、今のアルフレッドには、古今東西の武の知識がある。各々の流派を極めたとは言い難いが、
ありとあらゆる師匠の伝授を咀嚼し、血肉として吸収していった。これもまた格闘技者としての才能の高さが為せる技である。
 武闘に於いても智慧を最大の力とするアルフレッドは、先んじて得ていたジウジツ攻略の方策を以ってして逆転を図った。
 両手は使い物にならないが、両足と腰の可動域は確保している。ミルドレッドが仕掛けた膝による押さえ込みは、
『ニー・オン・ザ・ベリー』と呼称される技術であるが、これは下半身の固定を伴わない。
アルフレッドにとっては、それが幸いしたわけだ。
 ミルドレッドの膝が離れた瞬間、己の両足を可能な限り振り上げ、続けざまに床を強く強く踏み締めた。
両足でもって天井を仰いだ際、腰をも浮かせている。その為、急激に足を振り落とすと、腰のバネから強力な反動が生まれるのだ。

「――リャアァッ!」

 この反動に乗り、また爪先でもって床に根を張り、アルフレッドは振り子の要領で全身を跳ね起こした。
 余裕綽々でいたジェイソンもこれには度肝を抜かれたらしく、ミルドレッドを押し返すようにして起き上がったアルフレッドに対して、
「そんなんアリかよッ!?」と口を開け広げてしまった。
 首への絞め付けは今もまだ続いている。一瞬でもタイミングを誤れば、巨人の体重は全て頚椎に振り戻されただろう。
一瞬たりとも気を緩められない極限の次元である。
 ジェイソンの傍らで予想外の逆転劇に直面し、両手で痩身を掻き抱くジャーメインの双眸は、
足裏でもって蹴り剥がされるミルドレッドの姿を捉えていた。
コートの袖を握り締めていた筈の左右の五指も今や宙に投げ出され、追撃のパルチザンを受け止めることもできない。
 鮮烈なる矢によって巨人の眉間が貫かれる瞬間、翡翠の瞳は焦点が狂い、乱れ始めた。

「――手品じゃアタシは殺せないって、まだわからないのか。このアマチュアめが」

 必殺の寝技を不測の一手にて返された挙げ句、パルチザンで眉間を撥ね飛ばされるミルドレッドだったが、
飛翔のチカラを発動することで中空にて姿勢を制御し、着地を待たずにアルフレッドへと再び突進を試みる。
虎爪の如く伸長していく両手は、今度も彼の首に狙いを定めていた。
 獣の如き唸り声もこれまでになく大きい。

「貴様こそ俺を殺せはしない! この期に及んで手品などと抜かす大莫迦になど殺されてやるものかよッ!」

 これを正面で迎え撃つアルフレッドは、ホウライの火花を飛散させながら右足を振り上げた。
後方へと跳躍しつつ爪先でもって標的の顎を撥ね上げる『サマーソルトエッジ』である。
 長きに亘る攻防の最初にアルフレッドが試みたのも、この得意技だった。
これを想い出したミルドレッドは咄嗟に両腕を引き戻し、今度こそ右膝を捻じ切ろうと身構えた――が、
ホウライによって加速されたアルフレッドの蹴りは先程よりも格段に鋭く、掌で脛を受け止めるどころか、
ガードをすり抜けてきた爪先に直撃を許してしまった。
 顎を抉られたこともあり、被ったダメージはパルチザンをも上回っている。
パトリオット猟班のトレードマークとも言える黒いマウスピースは、血飛沫と一緒に吹っ飛んだ。
 その瞬間、ミルドレッドの意識に僅かな空白が生じた――いや、死闘と呼ばれる極限状態に慣れたミルドレッドであったればこそ、
意識の消失も一瞬で済んだと言うべきであろう。
 だが、それも闇の如き雲間に差し込む刹那の光に過ぎなかった。

 ミルドレッドの双眸が再び現実の世界を捉えたとき、彼女の巨体は天井に接するか否かの位置にまで達していた。
闇に呑み込まれる間際も飛翔のチカラを発動はしていたが、さりとてここまでの高所にはなかった筈だ。
 次に自身のこめかみが何かに挟み込まれていると気が付いた。それがアルフレッドの両足であることを認識したとき、
ミルドレッドは己の身に何が起こり、これから待ち受ける結末(もの)を初めて悟った。
 サマーソルトエッジを放った右足は、瓦礫が散乱する床と足裏の狭間へ余韻の如き稲光を閃かせている。
これを追いかけるように左の足裏でも蒼白い爆発が起こり、ついにアルフレッドの身は地上から完全に離れた。
左足はミルドレッドのこめかみへと押し付けられている。先んじて逞しい顎をブチ抜いた右足も対角線上の一転を捉え、
巨人の頭部は強烈な圧によって挟まれる形となった。
 両足でもって巨人の頭部を挟み込み、そのまま高く跳ね飛んだアルフレッドは、
地上から追いかけてきた二筋の稲妻が束になった瞬間、振り子の要領で全身を反り返らせた。
 跳躍の頂点にてアーチを描くように中空を舞ったとき、アルフレッドはその身に遠心力が降りかかるのを感じた。
ミルドレッドの体重もあって骨身が軋むような負荷となったが、しかし、彼はこれを待ち望んでいたのである。
 軍議の間に風を薙ぐ音が駆け抜けた。その直後、地響きを彷彿とさせる激音が轟き、諸将の足元を俄かに揺るがした。
見れば、巨人と揶揄されるミルドレッドの身が地面に埋まり込んでいるではないか。
しかも、だ。彼女を中心として床板一面に亀裂まで走っている。
 己を待ち受ける結末を悟ったときには、遅きに失していたと言うことであろうか。
それとも、如何なるダメージをも耐え切るとの過信が裏目に出たのか。ミルドレッドは受け身を取った形跡すら見られなかった。

「……これが、貴様らの行き着く果てだ。恩讐は自滅を招き、……そこで途絶える。大望になどなるものか――」

 両足でもって巨人を投げ飛ばしたアルフレッドは、疲弊と激痛によろめきながらも立ち上がり、
眼下の敵に向かって口汚く侮辱を言い捨てた。彼の足元では今もまだ蒼白いスパークが舞い踊っている。
 一縷の稲妻と化して地面に叩き落されたミルドレッドは、悪辣としか言いようのない彼の侮辱に反論を唱えることはない。
最早、彼女には立ち上がることすら叶わなかったのだ。
 修羅の巷と化した軍議の間に獣の如き唸り声は全く絶えた。




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