13.冒険王


 老境にすら入っていない身でありながら数え切れない程の金字塔を打ち立て、
ワイルド・ワイアット、生ける伝説、冒険王などと輝かしい異名で呼称されるその男――
世界で最も成功した冒険者、マイク・ワイアットのハンガイ・オルス到着を契機として、
連合軍の指針を策定する為の軍議は仕切り直しの運びとなった。
 アルフレッドが提示した逆転への秘策を議論すべき場であったのだが、
シュガーレイ率いるスカッド・フリーダムの離隊者ことパトリオット猟班の闖入と、
これに端を発する乱闘騒ぎによって会合は暗礁に乗り上げ、最早、軍議の体を為していなかった。
 破裂するまで続くだろうと思われた血みどろの混乱を、ロープ一本、いや、存在感ひとつで鎮めてしまったのであるから
さすがは生ける伝説と言うわけだ。どこかに身を潜め、ことの次第を見計らっていたかのような絶妙なタイミングである。
 自身の発言力が最も高まる瞬間を見逃さない――捻くれた人間はシニカルな陰口を叩くであろうが、
マイク当人には損得勘定など皆無に等しい。
それどころか、満面に浮かべる快活な笑顔と真っ直ぐな言葉でもって他者の邪念をも浄化していくのだ。
 パートナーでもある妖精――ティンクには「反吐が出るような偽善」などと手酷く貶されてしまうものの、
誰からも愛され、誰にでも勇気を与えるような人柄があったればこそ、彼は遥かな高みへ到達できたのだ。

「どんな冒険だってひとりじゃできねぇよ。みんなの力を合わせるからデケェこともやれるし、達成感も最高なんだぜ」

 ――これは、偉大なる功績を羨望される度、マイクが唱えている持論である。
人の輪を重んじるその言葉通り、彼は軍議の仕切り直しを図るに当たって、先ず乱闘騒ぎの収拾から着手した。
 最優先は負傷者に対する然るべき処置である。
 意識を失う程の重傷を負ったミルドレッドとジェイソンは、速やかに医務室へと搬送されていった。
処置を行うテムグ・テングリ群狼領の衛生兵は、誰かひとりでも付き添うようパトリオット猟班のメンバーに求め、
モーントがこれに応じた。命に別状こそないものの、加療に当たっては様々な便宜が必要になると言う。
何しろ本人は意識不明。どうしても代理人による確認が欠かせないのだ。
 ミルドレッドの場合、脇腹など各部位の打撲の他にも頭部へのダメージが案じられる。
今でこそ暢気に寝息を立てているが、後になって容態が急変する可能性は零ではなかった。
 味方である筈のシュガーレイから手加減のないパウンドを喰らい続けたジェイソンは、
青痣だらけの顔面を見ても判るように負傷の度合いが深刻である。可及的速やかに治療を施さなければならなかった。
 ムエ・カッチューアの餌食となったグンガルも適切な手当てを必要とするひとりであった。
右腕は複雑骨折しており、軍議の間にて問診を行った衛生兵は、その場で手術を勧めている。
 アルフレッドの献策の行方を最後まで見届けることを希望して退席を渋るグンガルだったが、
「強情を張るな」とデュガリから窘められ、強制的に医務室へ連行される運びとなった。
 手術に付き添うと言うカジャムの申し出を固辞したのは、年齢相応の反抗と言うよりも意固地であろう。
ジャーメインに返り討ちにされて以降、「実父の恋人」に庇われ続けてきたのだ。
自分に対する悔しさ、情けなさを治療の最中にまで感じたくないと言うのが、偽らざる彼の本音であった。
 一方、グンガルを倒し、またアルフレッドとも激闘を演じたジャーメインは、問診さえ受けずシュガーレイの傍らに控えている。
彼女とて延髄などに浅からぬ負傷がある筈なのだが、「銀髪バカが平気なら自分も平気」と妙な意地を張り、
軍議の間に留まり続けているのだ。

 ジャーメインの視線の先には、両腕をだらりと垂らしたアルフレッドの姿がある。
 乱闘の負傷者の中で最もマイクが心配したのは、やはりと言うか、当然の流れと言うべきか、満身創痍の彼である。
両腕と肋骨は圧し折られ、両足も歩行に支障を来たす程の重傷だ。靭帯を痛めた箇所は数え切れない。
 それにも関わらず、彼は治療に同意しなかった。何度となく手術の必要性を説いたが、聞く耳を持とうとしない。
作戦を練り上げるには、医務室へ向かう時間すら惜しいのだ――それがアルフレッドの主張である。
生半可なことでは揺るがないマイクでさえ呆れてしまう無茶苦茶な論法であった。

「ンなに気を張らなくたって軍議は逃げたりしねぇよ。それとも、オレが美味しいトコをかっさらうって思ってんのかい? 
だとしたら、それこそ要らん心配だぜ。余計なコトに足を突っ込む気はさらさらねぇんだよ、オレたちは」
「マイク・ワイアット――あなたのことは心配していない。勿論、あなたの立場……と言うか、信条も解っているつもりだ。
……だが、薄汚いハイエナはそこかしこに身を潜めている。油断した瞬間に何を仕出かすことやら……」
「ヴィクドの提督のコトか? ……気持ちはわからんでもねぇけど、もちっとイージーに構えなきゃ、人生、なんも楽しくねーべ? 
楽しまなきゃ損だぜ、損。お前さんは大損しているタイプと見たっ」
「……何だか初対面と思えないな。あんたと同じようなことを言うヤツを知っているよ」
「お、友達かい? そう言う人は大事にするんだぜ。そんでもって、たくさん一緒に遊ぶことだな。
人間、お気楽って呆れられるくらいが丁度良いのさ」
「結構。俺は役目のみを意識しているほうがよほど気楽でいられる」
「こりゃまた真面目だね」
「人並みに器用にはなれない。……それだけだよ」
「頭ごなしにガッツとファイトを否定はしねぇけど、息抜きだけは忘れずにな。当然、怪我の手当てもな。
頭や身体が疲れたら、良いアイディアだって逃がしちまうよ」
「俺が逃がした魚は、必ず誰かが捕まえる。……俺の役目は、ここに集った同志を援けることだからな」
「“援ける”、ね――」

 自分にはエルンストに対する献策の責任がある。その完遂こそが最優先と譲らないアルフレッドは、
辛抱強く治療を勧めるマイクへ「佐志には治癒のトラウムを持つ者もいる。何の問題もない」と言い放ち、
問答自体を強引に打ち切ってしまった。
 背後からは「先程、マリスさんを呼ばないと言ったのは、どこのどなたでしたっけ?」とセフィの皮肉が飛んできたが、
勿論、これは黙殺である。
 負傷の治癒と言う他に類例を見ない効能に興味を引かれ、俄かにエメラルドグリーンの瞳を輝かせるマイクであったが、
委細を尋ねようとするその衝動は、ティンクによって力ずくで止められてしまった。
 どこから取り出したとも知れない大きなハリセンで脳天を叩かれ、「四十歳児」などとさんざんに罵られ、
一種のショック療法で平静を取り戻したマイクは、ケアの行き届いたパートナーに礼を述べるかと思いきや、
これ以上ないと言う程の忌々しげな語調でもって「教養のねぇアバズレはこれだから厭だぜ」と反撃を繰り出した。
 そこから先は、聞くに堪えない醜い口喧嘩である。「生ける伝説」と言う異名をも貶めかねない醜態は、
外套姿の同行者が仲裁に入るまで延々と続けられた。

 冒険王と妖精を苦笑交じりに宥めるその男は、一言で表すならば、“アンバランス”。
 紫鬢碧眼――紫がかった髪に青い瞳、これらを引き立てる甘いマスクと実に見目麗しいのだが、
その半面、外套から装飾品に至るまで身に着けているものは一切が禍々しかった。
 非道の限りを尽くして得た逸品であるのか、手首を覆う金属製の腕輪は妖気を帯びているように思えてならず、
邪悪な気配は長靴にも共通していた。獣革のあちこちに見られるドス黒い斑模様は、
屍の山を踏み越える内に染み付いたものではなかろうか。狂戦士の為にあつらえられた長靴とも言える趣である。
 肩当てを備えた外套は目玉を彷彿とさせるような刺繍で彩られており、
冥府魔道に堕ちた愚者の嘆きや、正道に留まった者への怨念が顕れているようだった。
 右半分がひび割れ、ささくれ立ち、歪み切った石仮面は、それ自体が亡者の凶相である。
平素は顔面を覆わずに後頭部へ回してあるのだが、この男が甘いマスクの裏に狂気を秘めているとの暗喩に見えなくもない。
人にして人にあらざる外道しか選ばないだろう装いが、見る者に言い知れぬ恐怖を与えるのだ。
 余談ながら――それなりの重量である石仮面を固定するのは、たった一本のバンドであった。
両耳の上を通すその紐は、普段は鉢巻の如く額の部分をも覆い隠している。
豊かな前髪を被せていることもあって人目に触れづらいのだが、血飛沫を思わせる斑模様は件のバンドにも及んでいた。

 ティンクに『外道装備』とまで言わしめた異様ないしは異常な風貌には誰もが目を見張って呻いたが、
黄金の護符を首から下げたファラ王の“切り札”や、エルンストの傍らに在ったクインシーは、とりわけ強い反応を示した。
 中でもプロフェッサーは間近に在ったアポピスを驚かせる程、あからさまに動転している。
彼の存在に気付いた外道装備の男から手を振られたとき、これに応じることもなく顔を顰めた辺り、
旧知の一言では表せない程に因縁が深い様子だ。ダイジロウもダイジロウで「因縁ってのはおっかねぇな」と呟きつつ、
テッドと顔を見合わせている。
 ホウライにも反応を示したバイオグリーンが、「この力……因果律を捻じ曲げるもの……これこそがッ!」と身を震わせたと言うことは、
外道装備には比喩でなく妖気や魔力の類が宿っているのかも知れない。

「……バカがデカいツラしてやって来やがった」

 これは外道装備の男を一瞥したクインシーの呟き――と言うよりも、嘲りである。
面識の有無を目配せでもって尋ねてくるレイチェルに対し、クインシーは身震いのようなゼスチャーを交えてこれを否定した。

「ジョウ・チン・ゲン――それがあいつの名前だよ。又の名を、人類史上最悪の盗掘人って呼び方もあるがね」
「顔に似合わず――いや、ある意味、見た目まんまのえげつないことするわね。お偉いサンの墓場でも暴いたワケ?」
「死者の冒涜って点なら墓場荒らしと変わらないかもね。……あいつめ、そこら中の古代遺跡を荒らし回っていやがるんだよ」
「発掘調査ってんじゃないのよ、ね?」
「とんでもない! 考古学者とは別モンで、正真正銘の泥棒さ! トレジャーハンターなんて持ち上げるウスラバカも湧いてるけど、
あたしゃ、そーゆー連中を片っ端からブッ飛ばしてやりたいよ。物の価値ってのを解らん連中をね! 
どうせ、カネ儲けしか頭にない腐れ外道さ!」
「……マコシカも心配だわ。そんな屑どもが流れ込んできたら最悪よ。ただでさえ物盗り目的のアウトローが多いってのに」

 外道装備――クインシーの話から察するに盗掘した物品の一部であろう――を纏うジョウ・チン・ゲンなる男は、
たちまちレイチェルにとっても嫌悪の対象となった。
 本来、信仰形態の違いからレイチェルとクインシーは反発し合う立場にあるのだが、
イシュタルや神人へ通じる古代遺産を蹂躙してしまう盗掘は、マコシカにとっても教皇庁にとっても許し難い所業なのだ。
女神信仰にその身を捧げる両者は、古き時代の遺物を保護すべき対象と捉えている。

「あの金髪――ゲンと組んだってコトは、名うてのトレジャーハンターなのかい? 相当な有名人のようだけど……」

 わざわざトレジャーハンターと強調してみせたあたり、マイクを盗掘人の一派と勘繰っているようだ。
彼の人柄を昔から良く知っているレイチェルは、ついつい苦笑いを漏らしてしまった。
本人にとっては大変に不名誉だろうが、そのような勘違いをされても仕方がない面は確かにある。

「マイクが聞いたら泣くわね、ソレ。成金っぽい身なりだけど、れっきとした冒険者なのよ。
それも、エンディニオン――こっちのエンディニオンで一番の成功者。冒険王なんて肩書きも背負ってるくらいよ」

 嘗てラドクリフがその縁故を頼みとされたように――レイチェルもマイクとは親しい友人同士であった。
かの冒険王はマコシカの民を心から尊重しており、互いに良き意見交換を行っている。
この場に同席はしていないが、ヒューとも悪友のような付き合いがある。探偵業でもパートナーシップを結ぶ程に信頼関係は厚いのだ。
 そうした背景からレイチェルはマイクの品性を保障したのである。

「かぁーっ、“いかにも”ってカンジだねぇ。どっちの世界でもスターにはナンチャラ王って名付けるのかい」
「成金王なんてあだ名が付かないトコからマイクの人柄を察して欲しいわね。
発掘した遺物を売りに出す事業も確かにやってるけど、儲け云々じゃなくて神代の文明を世界中に広めようってのが目的なのよ。
然るべき場所で適正な取引をしているわ。投資や転売にしか興味がないような手合いは門前払いだし」
「――ふ〜ん? 結構な変わりモンじゃないか。尚更、ゲンの野郎に寄生されないか心配だよ。
あいつはスルリと人の心に入り込んでくのが上手いんだ」
「マイクの“拠点”は切れ者揃いだから下手を打つことはないと信じているわ」
「いざってときは、あたし自ら乗り込んでいってブチのめしてやんよ!」
「そのときは手を貸すわよ。ついでにマイクにもお説教しなくちゃ!」

 古代の遺物の売買と言う行為には多少の蟠りを覚えたものの、マイクが推進する“事業”自体は許容の範疇であったようだ。
荒稼ぎが主目的であったなら、それこそジョウの同類項と見なして忌み嫌うところだが、
古代文明を流通させ、一般に知らしめようとする事業は、広義に於いては教皇庁の活動にも通じるものがある。
無論、マコシカの民の理念にも沿っていた。
 「世界で最も活躍する冒険者」と言うマイクのキャリアが信用の根拠となったらしい。
レイチェルの弁ではないが、「成金王」などと言う情けない異称を持たない点もクインシーは評価したのだろう。

「冒険王が爽やかな半面、新聞王なんて呼ばれてる爺様はいちいちやることが下劣だね。ろくな死に方しないよ、アレは」

 これはジョゼフに対して抱いた印象だが、口外するとあちこちに問題が飛び火し兼ねないと判断し、とりあえずは胸中に仕舞ってある。
彼こそがBのエンディニオンのマスメディアを牛耳る重鎮と言うことは、クインシーも既に承知している。
 直接、言葉を交わした覚えはない。フィガス・テクナーでの会合や、エルンストに従って同席した軍議にて
その言行を眺める程度であったのだが、「年の功」を自負する程に様々な経験を備えた彼女の眼力は、
ルナゲイト家の闇をも見透かしていたわけだ。
 それ故に迂闊な失言には常に気を張って注意している。神官の立場にある己の品格、ひいては教皇庁の名誉を卑しめる行為は、
例え何があっても慎まなければならなかった。

 Aのエンディニオンの人間にまで良からぬ印象を持たれてしまったジョゼフは、そのことを知ってか知らずでか、
身なりが際立って妖しいジョウや、彼に対して穏やかならざる眼光をぶつけ続けるプロフェッサーたちを静かに凝視している。

(さしずめ、“Aのエンディニオンの盗掘人”と言ったところじゃな……)

 ジョゼフにとって最大の注目とは、ジョウを通じて浮き彫りとなったプロフェッサーらの正体である。
 黄金の護符を首から垂れ下げた四人の精兵のことをグドゥー旧勢力の一部か、
あるいは外部から招いた傭兵とばかりジョゼフは考えていたのだが、
果たしてその正体とは、難民としてこちらの世界に迷い込んでしまったAのエンディニオンの人間であったのだ。
 かの両帝会戦の折に四人が披露した兵器の数々は、つまりトラウムではなくMANAと言うことになる。
逆に得心が行くと言うものだ。これまで確認されたトラウムには類例のない高次のスペックを持ち、
且つ、少人数で戦局を覆し得る威力は、世界にまだ出回ってもいない最新モデルか、
はたまた改造を施されたMANAであると考えれば辻褄も合う。

「――何ボサッとしてんだよ。御老公も手伝ってくれや。それとも、箸より重いものを持てないヨボ爺になっちまったのか?」
「その口の悪さはどうにかならんのか、冒険王よ。会う度会う度、刺激的な語彙ばかり増やしよってからに……。
口から生まれてきたような小賢しい物言いは、父の代から続く家系なのかの?」
「知らねぇよ。単に俺と父さんが同じ景色を見ているだけなんじゃねーの」

 黄金衛士最強と名高い四名に関する情報を、誰にも邪魔されずに細かく読み取ろうと試みるジョゼフであったが、
これはマイクの呼びかけによって途絶させられてしまった。
 本音で話すなら、マイクのことなど無視してじっくりと“仮想敵”の正体を見極めたかったのだが、
彼を招聘した責任もある為、そうそう別のことにかまけてもいられない。後程、ラトクにでも探らせようと割り切って、
この場は本来の役目に専念することに決めた。

 負傷者の処置が済んだ後は、乱闘によって滅茶苦茶に散らかってしまった軍議の間の後片付けである。
 天井、床板、テーブル――損壊によって発生した数え切れない量の瓦礫は、
マイクの指揮とティンクの叱咤激励――殆ど尻を叩いているようなものだが――のもと、
ブンカンから指定された廃棄場所へ諸将が手分けして運んでいく。このときにも冒険王は誰より張り切って瓦礫を担いでいた。
 群狼領の軍師にまで嫉妬の表情を作らせる程、僅かな隙もない完璧な采配を観察していたセフィは、
「彼のような人をカリスマと言うのでしょうね。頭の回転も行動力も、非の打ち所がありません」としきりに感心し、
アルフレッドも素直に首肯した。

 ワイルド・ワイアットことマイク・ワイアットは、シェインが心の師とも仰ぐ冒険者である。
そもそも彼が冒険者を志すようになったきっかけもマイクへの憧憬だ。
少年の心を熱く滾らせる程にワイルド・ワイアットの伝説は鮮烈であった。
 世間の流行り廃りに疎いアルフレッドとてワイルド・ワイアットの伝説はテレビや新聞を通じて知っていた。
相当に昔のことだが――とあるテレビ番組にて、未開の地の少数民族に接触を図ると言う企画が立ち上がった。
勿論、挑戦したのはマイクである。むしろ、彼にしか成し遂げられない難業と言うべきであろう。
当時から既にマイク・ワイアットは伝説的な冒険者として名を馳せていた。
 この難業へ挑むに当たり、マイクは古文書など僅かな手がかりから少数民族との接し方や配慮を模索していった。
彼らには彼らの文化がある。これを外部からやって来た者が破壊し、貴重な伝統を絶やしてはならないと考えたのだ。
現地入りしてからは、身振り手振りや明るい笑顔を頼りに彼らと意思の疎通を交わし、
そのやり取りの中で民族内限定の言語を覚え、集落を去る頃には、またの再会を固く約束する程に親しく打ち解けていた。
 件の番組を鑑賞した時分には既にひねくれ者となっていたが、それでも子供心に白熱したものだ。
 実際に対面したワイルド・ワイアットは、冒険王と謳われるのも頷けるようなカリスマ性を備えており、
アルフレッドは何よりもその存在感に圧倒された。
 他者を圧するような凄味を帯びているわけではない。それどころか、常に自然体であり、誰に対してもクリアーに接している。
初対面の者とも迷うことなく視線を合わせるのだから、無類のお人好しと言ってもよかろう。
仕方がなかったとは言え、彼の気配りを無碍にしてしまったことがアルフレッドには悔やまれてならなかった。
 思うにワイルド・ワイアットとは、冒険者としての力量は勿論のこと、
心を開く天才であるが故に「生ける伝説」との賞賛を得たのであろう――そのようにアルフレッドは分析していた。

「どんな冒険だってひとりじゃできねぇよ。みんなの力を合わせるからデケェこともやれるし、達成感も最高なんだぜ」

 ――この言葉が彼の本質を表しているようにも思える。

 心を開く天才は、相手側に心を開かせる天才でもあるのだ。
 時間を少しばかり遡るのだが、ジェイソンへ突き込まれていたシュガーレイの拳をマイクがロープにて引き止めた際、
実は両者の間で少しばかり悶着が起きていた。

 右手首に掛けられた輪状のロープを引き千切り、ジェイソンから身を剥がしたシュガーレイは、
屹立したまま暫し睨み合いを演じ、次いでズボンのポケットからシガレットの箱とマッチを取り出した。
 『ヘビーヘビーストロンガー』なるロゴマークの入った小箱より引き抜いた白い筒を口に咥え、
湿気たマッチでもって先端に火を点けたシュガーレイは、鼻から紫煙を噴き出すと、
やけに緩やかな足取りでもってマイクに向かっていった。
 間合いを詰めに掛かってはいるものの、ジャーメインやモーントが見せた突進力も、ミルドレッドの如き唸り声もなく、
一服がてらフラリと散歩にでも出るような軽やかさだ。気怠げと言っても差し支えがない。
 そのように緩慢な身のこなしでありながら、彼には隙と言うものが全くなかった。
おそらく実戦経験のない者の目には隙だらけのように映るだろう。一挙手一投足に至るまで飄然としているのだ。
しかし、アルフレッドはシュガーレイに戦慄すら覚えている。無論、彼ばかりではない。
この場に居合わせた腕自慢たちは、揃って彼の動きに驚愕し、言葉を失ってしまった。
 隙だらけのように見えて、その実、一切の無駄を省いた身のこなし――旧友の姿を目の当たりにしたハーヴェストは、
呻くように「ヴォールガ」と搾り出した。
 おそらく無意識に漏れ出たであろう呟きの意味をオウム返しに尋ねようとするアルフレッドだったが、
彼女に首を向けるよりも先に、「ヴォールガ」なるモノの真髄を目の当たりにすることとなった。

 一定の距離まで接近した途端、シュガーレイの右手が鞭のように撓ったのだ。
歩行の為の腕振りから打撃の体勢へ移る速度が極端に鋭く、傍観していた殆どの者は何が起きたのかさえ分からなかった。
パトリオット猟班の手練を相手に善戦したアルフレッドでさえ何とか追いついたくらいだ。
 深紅の瞳が捉えたとき、シュガーレイは右の拳でもって直線的な突きを入れようとしていた――
それがアルフレッドの分析である。ところが、次の瞬間にはシュガーレイの右手は全く異なる軌道を描いていた。
正面から一直線に突き抜けるだろうと考えていた右拳は、気付いたときにはマイクの首筋へ袈裟切りに襲い掛かっていた。
槍の突撃と思いきや、いきなり鞭の如く撓って軌道が変化したと言うわけだ。
 肘を完全に伸ばし切り、手の底をハンマーに見立てて振り下ろす打撃である。
腰の捻りが見られないと言うことは、肩のバネのみで攻撃力を生み出しているのだろう。
 緩慢な動きから激流へと一変するシュガーレイの奇襲は、傍観者に対する幻惑はともかくとして本来の標的には通用しなかった。
かの冒険王は宙返りでもってこれを避け、ついでとばかりに攻撃者の背後を取り、
「コマンドサンボたぁシブいのを使うじゃねーか。オレのダチにもステゴロ自慢がいるけど、それとどっちが速ェかな」などと
平然と笑っている。挑発ではなく、ただ単純にシュガーレイを賞賛する明るい笑い声であった。
 マイクの指摘を耳にしたことで初めてアルフレッドも気付いたのだが、シュガーレイの右拳はまたしても変幻を見せていた。
いつの間にか掌が開かれ、数秒前までマイクの肩があっただろう空間を掴んでいる。
不可思議な打撃の直後、即座に手首を回して彼の腕を取りに行ったのだ。
よくよく見れば、対となる左手でもって腰のベルトを掴もうとしていた形跡がある。
 次から次へと人間の動体視力を超越した技の変化を見せるシュガーレイも恐ろしいが、彼をも翻弄するマイクは輪を掛けて凄まじい。
先程の打撃も接触の直前まで引き付けてから紙一重で避けたのだろう。
 遠巻きの傍観者と言うこともあってシュガーレイの挙動を客観的に捕捉できた――但し、半分以上は見逃している――が、
正面からこれを受けるマイクは、槍の突撃と鞭のしなりを見極めることも至難であった筈だ。
 自分の身に置き換えながら状況を分析するアルフレッドは、「何が起きたかもわからない内にやられていただろう」との結論に至った。

 一撃目を避けられた後、シュガーレイは緩慢な動きでもって振り返り、かと思えば、次の瞬間にはマイクの正面に立っていた。
 「残像すら刻まない速度」と言う一点であれば、控え室にて待機しているフツノミタマにも同じ芸当ができるだろう。
アルフレッドとてホウライを駆使して速度の緩急をコントロールすることは難しくない。
だが、シュガーレイが発揮する速度は、両名のそれとは質からして異なっているように見えた。
 正確には、速度と言うよりも身のこなしの全てと言うべきであろう。
緩慢にしてたおやかな動きから急速に激流へ転じるのだが、そのタイミングがアルフレッドには全く見極められなかった。
 突進力や瞬発力を発揮する際、ヒトの肉体は様々な反応を見せる。
筋肉の躍動や関節の運動など数え始めると際限がないものの、最も分かり易い例として呼気が挙げられる。
全身に力を漲らせる瞬間は呼気も針の如く鋭利となるのだ。
 呼気の変化は、相手の動きを先読みする為の優良な材料であった。発汗と並んで心理的緊張の表れでもある。
 そうした“肉体の反応”がシュガーレイには全くと言って良いほど見られなかった。
だからこそ、動きの緩急が転変するタイミングを計ることもできない。
 人間の変化を如実に表す筈の呼気ですら不自然な程に一定なのだ。紫煙を吐き出す間隔すら火を点けた当初と変わっていない。
つまり、攻撃を含めて心身の状態と呼吸が全く連動していないと言うことだ。それぞれが独立した生物のようなものである。

「シュガっつぁんがアレを出したら、勝ちは決まったようなもんだよっ! あンのすまし顔に一発キメちゃえっ!」

 リーダーの戦いぶりにテンションの上がったジャーメインが拳を振り上げつつ発したこの一言は、
アルフレッドの疑問へズバリと解を与えるものであった。
 心身の状態をコントロールし得る呼吸法と、これに基づく緩急自在にして予測不可能な体技を、
タイガーバズーカでは『ヴォールガ』と呼称するのだ。ヴォールガとは古い言葉で「悠久の大河」を意味しており、
シュガーレイが魅せる体技そのままである。

「……シュガっつぁんって呼び方はどうなんだ。威厳も何もあったもんじゃないが……」

 ジャーメインに対する無粋なツッコミはともかく、大河を冠する体技より生み出される猛襲は、
彼女が言う通り、決して勝機を逃すまいとマイクに追いすがる。彼の懐に入った瞬間、左右の拳を連続して繰り出した。
右の拳は鳩尾を、左の拳は右肘をそれぞれ狙っていた。左半身が深く前傾しているのは、
打撃と見せかけてマイクの肘に自身の腕を巻きつけるのが目的だからであろう。
鳩尾を穿とうとした右拳も加撃の直後に変化させ、太股を抱え込むつもりであったようだ。
 それが避けられてもシュガーレイの動きは衰えない。数歩下がって突き込みから逃れたマイクの右側面へ最少の動きで回り込み、
彼の腕に自身のそれを潜らせるようにして突き上げを見舞った。掌底を突き上げるアッパーには右手を、
潜らせた側の手首を掴むのは左手の役割である。左手の動きのほうが僅かに早い。
 先んじて手首を捕まえて関節を固め、続けざまに変形のアッパーでもってマイクの顎を撥ね上げ、
この際に生じる反動を利用して右手を壊そうと言うのが最大の狙いであった。
 シュガーレイが操る格闘術はコマンドサンボと呼ばれるスタイルで、ジウジツ同様に関節破壊をも技術体系に含んでいた。
とりわけ彼が繰り出す技は、相手に組み付いてから派生する投げ、絞めと打撃が一体化しており、
全ての動作が合理的に機能するのだ。同質の『ヴォールガ』とも相性が良い。
 ジェイソンを折檻した際にも先ず拳で動きを止めてから右関節を極め、同時に足を取って引き倒していた。
パウンドへ移行する前段階の動きこそがシュガーレイの真髄と言うわけだ。
 猟犬の長が放つ技は、標的の退路を悉く断つものである。相手の右手を梃子の原理で破壊し得る掌底アッパーは、
これを直撃させた直後にはすぐさま次の技へと派生するだろう。
現在(いま)の流れに於いては、離すことなくマイクの手首を掴みつつ、
アッパーに用いた手をマイクの腕に巻きつけて背負い投げを打つに違いない。
 ジウジツを見ても分かる通り、関節破壊の妙技を持つスタイルにとって相手の腕を一本取ると言うことは極めて大きな意味を持つ。
この場合、マイクを地面に叩きつけた後、何らかの寝技に発展させる筈である。
あるいは、背負い投げと見せかけて身を翻し、彼の腕にぶら下がりつつ両足を首に絡めるかも知れない。
そのまま絞め落とすか、首を極めつつ互いの体重を振り回して背骨にまで痛手を与えるか――
シュガーレイが練磨するコマンドサンボは、動作のひとつひとつが「殺傷」を核として有機的に連携しているのだ。
 しかし、その発展性も腕一本を奪えなければ始まらない。変形のアッパーをも中空に跳ねて避けたマイクは、
仕返しとばかりにシュガーレイの背後に着地した。
 ティンクからは「ブッ殺せ!」と野卑な指示が飛ばされたものの、マイク当人には反撃を打つ気配は見られない。
 思わぬ不覚を取ったシュガーレイだったが、やはり紫煙を吐き出すテンポは変わらなかった。
振り返ることもなく両肘を背後に回し、マイクの胴を挟み込もうと試みた。
上半身のバネを駆使した変則的な肘打ちは、それ自体が相手の隙を誘うフェイントである。
 肘を避けるべくマイクが半歩下がった瞬間に超速で旋回したシュガーレイは、続けざま勢いよく左腕を振り抜いた。
拳や肘ではなく下腕の内側を相手の首に叩き付けるラリアットだ。
打ち込みの性質上、首や腋下など相手の上半身へ組み付く技にも派生し易い。反対の手を腰や股に回しての投げ技にも向いていた。
 しかも、だ。直撃の瞬間、ラリアットの軌道を横殴りから斜め下への打ち下ろしに変化させている。
柔軟な筋肉と強靭な骨格を持たずしてこのような芸当を行えば、たちまち自身の腕が壊れてしまうだろう。
シュガーレイならではの荒業であった。
 このようにして周到にフェイントを重ねたものの、マイクは身を屈めて軽くラリアットを避け、
追撃の前蹴りが振り上げられたときには、相当に間合いを離していた。ラリアットが空を切った瞬間には飛び退っていたのである。

「……迅(はや)いな」
「いや、お前さんがソレを言うのかい。スピードはウチのステゴロバカより絶対ェ上だぜ」
「そっくりそのまま同じ言葉をお返ししよう。ワイルド・ワイアット、お前がそれを言うのか。最大級の厭味にしか聞こえん」
「――ッかぁ〜。ひねくれモンばっかだな、ココは。もっとラフに行こうぜ、ラフに」

 鬼ごっこでも楽しむかのように逃げ続けるマイクを一瞥したシュガーレイは、大股を開きつつその場にしゃがみ、
シガレットの灰を床に落とした。箱から取り出したときには十センチ近くあった白い筒は、
戦いの最中に焼き切れ、今や吸い口に当たるフィルターへ迫りつつある。タバコ葉の残量も僅かと言うわけだ。
 一息つくような恰好を見せるシュガーレイだったが、しゃがむと言う行為は、
身を沈めつつ足のバネを溜めると言う動作にも通じている。
即ち、この姿さえも次なる技へ派生する前段階に過ぎなかった。
 腰を低く落とすと言う独特の姿勢を維持したまま下半身のバネのみで突進したシュガーレイは、
間合いを詰めるなり両足を交互に振り上げ、マイクの向こう脛を狙った。速度が乗っているようで緩慢にも見える連続蹴りである。
 これまでとは明らかに異なるテンポを警戒したマイクは、シュガーレイの蹴りを横に跳ねて避けた。
両者の距離は、数歩分の開きとなったであろうか――そう視認した瞬間、猟犬の長は再び神速を発揮した。
 低い姿勢のまま踏み込み、次いで身を引き起こすや否や、上方からの振り下ろし気味にロングフックを捻じ込んだのである。
肩のバネと背筋の力を限界まで駆動させた一撃だ。顔面を打ち据えた直後には、
腕や肩を搦め取ると言った派生技にも移行できるだろう。
 否、関節破壊に派生させるまでもなく、この一撃のみで幕引きとなるのは疑いようがない。
シュガーレイが繰り出してきた打撃の中で最も速く、そして、最も威力が乗ったパンチなのだ。

「あぶねぇモン、持ってらぁ。今のを喰らったら一たまりもなかったぜ」

 ――マイクが発したこの言葉の通り、当たりさえすれば一撃必殺は間違いなかった。
 シュガーレイの側も絶対的な自信を持って繰り出したのである。ジャーメインの蹴りにも匹敵するか、
あるいはこれを凌駕する威力を確実に秘めていたのだ。


 両者の動きがピタリと止んだのは、その直後のことであった。
必殺の気魄で突き入れたパンチを容易く避けられ、シュガーレイの心が挫けた――傍目にはそのように見えなくもないが、
無論、その解釈は実情とは大きく掛け離れている。
 シュガーレイの側が猛襲を止めたことに変わりはないが、その理由は余人が呆れてしまうくらい単純なものだった。
口に咥えていた一本のシガレットを全く喫い終わった。ただそれだけのことである。
 さりとて喫煙をしなければ戦意が沸き立たない程、煙草(ケムリ)に依存しているわけではない。
第一、小箱の中には相当数のシガレットが残っており、口寂しくなったならポケットを探れば済む話だ。
 つまるところ、シュガーレイは最初から本気で戦ってなどいなかったのだ。それが証拠に彼はホウライすら使用していない。
真剣にマイクを追い詰めるつもりであれば、タイガーバズーカ出身者の特権とも言うべきホウライを駆使し、
コマンドサンボの殺傷力を極限の域にまで高めた筈だ。
 自身を上回るマイクの敏捷性に対して、気後れした様子でもなく「迅(はや)い」との感想を呟いた辺り、
「生ける伝説」とまで謳われる男の実力を計っただけなのかも知れない。
臨戦態勢を解いたと言うことは、峻烈なるロングフックを巡る攻守の展開にてその計測は完了したようだ。
 攻撃開始の寸前に口に咥えた一本のシガレットは、計測を実行するに当たっての“時間割”と言えよう。
 決着を見ないまま冒険王との攻防が終わったことをジャーメインは大層残念がったが、
露骨に不満を口にするとジェイソンの二の舞となる為、口先を尖らせる程度に留めている。
それを目敏く見つけたアルフレッドは、「道理を弁えない莫迦者め」と批難を飛ばした。

 かく言う彼は、冒険王と猟犬の長の諍いが血を見ることなく落着し、密かに胸を撫で下ろしていた。
パトリオット猟班との乱闘騒ぎへ自ら身を投じた身ではあるものの、事態の悪化を望んでいるわけではない。
暴徒を鎮撫するべく参戦したに過ぎないのだ。猟犬たちの暴走を野放しにしておけば、
対ギルガメシュ戦線に悪影響をもたらすのは必定なのである。
 そして、アルフレッドにとっての最大の挑戦とは、暴走の根源たるシュガーレイを食い止めることにある。
成り行きとは言え、これをマイクが引き受けてくれたのは僥倖以外の何物でもなかった。
 コマンドサンボに拮抗し得る戦闘能力の有無は問題ではなく、心を開く天才でもなければ、
本当の意味でシュガーレイと渡り合い、事態を円滑に取り静めることはできなかっただろう。

「スカッド・フリーダムの実力、見せてもらったぜ。マジでウワサ以上だ。いや、お世辞抜きだぜ? 
中でもお前さんはとびっきりだ。底が知れねぇようなヤツとやり合ったのは久しぶりだぜ」
「お褒めに預かり光栄だが、ひとつだけ訂正させてもらおう。自分たちはパトリオット猟班を名乗っている。
平たく言えば、スカッド・フリーダムから分離した身。ギルガメシュと戦う為に同胞を裏切った愚か者の集まりだよ」
「……えらい苦労したんだな、お前さんたち。けど、義を守るってェ気持ちはどこにいても変わらねぇんだろ? 
その志にまで背ェ向けちまったのかい? だとしたら、こんなに悲しいコトはねぇけどよ」
「そうではない。パトリオット猟班は……――スカッド・フリーダムの掟で許されぬ義の形を求めたに過ぎない。
義を尊ぶ気持ちは今も昔も同じだ」
「じゃあ、そこでノビちまってる坊ちゃんをどうにかしてやんなよ。お前さんのチームの方針に口出しゃしねぇけどよ、
やっぱり怪我人を放っちゃおけねぇのさ。コレもまた人情ってヤツだぜ。
ましてや、相手は年端も行かない子供だ。……分かるだろ、オレの言いたいコト」
「む……」
「コイツがオレの義ってヤツさ。お前さんの義とも大きな違いはないって信じてるぜ」
「……善処しよう……」

 何があっても明るく溌剌と笑いかけてくるマイクにすっかり毒気を抜かれてしまったのか、
力量の計測が終わった後、シュガーレイは素直に自らの非を詫び、次いで泡を吹いて意識を失っているジェイソンをモーントに託した。
 両者の緊張状態が解けた瞬間、エルンストはすかさずパトリオット猟班の狼藉を不問に付すと宣言し、
諸将にもその決定(こと)を取り成した。軍議の間へ押し込んできた件は勿論のこと、
グンガルらを負傷させた責任も追及しないと言うのだ。

「――他の者と比べて事情は複雑かも知れない。受け入れ難いと思う者も少なからず居ることだろう。
だが、事情だけで人の性根を語って良いのか? ……そんなことはあってはならない。
朋友の為に敢えて艱難辛苦を選び、ギルガメシュと戦おうとするパトリオット猟班は、我ら連合軍と何も変わらない。
この者たちは正しく新たなる同志だ。頼もしき友として迎えようではないか」

 そのように自らの口で語り、正式にパトリオット猟班の参画も認可した。
 シュガーレイに対するマイクの接し方やエルンストの態度から良からぬ予感はしていたものの、
それが現実となった瞬間、思わずアルフレッドは両手でもって顔面を覆ってしまった。
 テムグ・テングリ群狼領への冒涜を許さず、パトリオット猟班の狂乱に立ち向かって負傷したビアルタや、
これに加勢したイーライ、身体を張って連合軍の秩序を守ろうとしたアルフレッドは、各々が骨折り損とばかりに不満を露にした。
 特に反発が激しいのはアルフレッドだ。自分は何の為に命をすり減らすような戦いを繰り広げたのかと、
内心では憤激の念がのた打ち回っていた。
己の労苦はともかく連合軍を破綻させ得る悪しき要因をわざわざ抱え込むことには、どうあっても賛同できなかったのだ。
 エルンストもアルフレッドが反発することは最初から分かっていた。
彼はその目でもって「パトリオット猟班が毒となるか薬となるか、お前が取り仕切れ」と語りかけ、
これに気付いたアルフレッドから一切の反論を取り除いてしまった。
 ある意味に於いて、これ以上に卑怯な手段はあるまい。エルンストから期待を込めた眼差しでもって諭されて、
どうしてアルフレッドに逆らうことができるだろうか。
 それはビアルタも同様である。彼らには「御屋形様」の意向に背くと言う選択肢は最初から持っていない。
 暴徒を食い止めた功労者であるマイクにまで「頼もしい味方が増えるってんだから断る理由なんざねぇだろ」と促されては、
誰も彼も折れざるを得なかった。
 アルフレッドたちの変わり身に対し、アルカークからは当てこすりの嘲笑を飛ばされたが、
さすがに今回は反論を唱えずに甘んじて受け入れるしかなかろう。


 それにしても――と、先程の攻防を振り返りながら、改めてアルフレッドは安堵の溜め息をひとつ吐いた。
ワイルド・ワイアットか、猟犬の長か、どちらかが本気になっていたら、今頃はまだ血みどろの殺し合いが続いていただろう。
 ホウライを温存したシュガーレイのことは詳らかにするまでもないが、マイクとて本気など出してはいない。
飛び退って攻撃を躱すばかりであったのだから、応戦の意思さえ最初から持っていなかった筈である。
 最後までガンベルトからペッパーポックス拳銃を抜くことも、宝剣の鞘を払うこともなかった。
物騒極まりないティンクの呼びかけに僅かでも応じる気があれば、回避と同時にロープを投げてシュガーレイを捕縛したに違いない。
 マイクが講じた反撃と言えば、互いの器の違いを無言で叩き付けたことであろうか。
先読み困難なヴォールガから繰り出されるコマンドサンボをマイクは動体視力と反射神経のみで躱し切った。
それも重量のある石柱を肩に担ったまま、だ。ハンデを背負いながらシュガーレイの動きを凌駕したと言うことは、
純粋なフィジカルの勝負にどちらが競り勝ったかは明白である。

 傍目には圧倒的な大器を見せ付けられたシュガーレイが怖気づき、腰砕けになったように見えなくもない。
 実際、護身程度しか戦闘訓練を受けたことのないクインシーの目には、表層的な部分しか映っておらず、
如何にも短絡的に「カッコ付けて突っ込んだ割には、あっさり返り討ちかい。なんだか締まらないオチだね」と勝敗を分けていた。
おそらく彼女は、シュガーレイが出鱈目に腕を振り回していたとしか思っていない筈だ。
 技の派生をも熟慮熟考した末の打撃は、ある程度の実戦経験を持たざる人間にとって考えすら及ばない領域なのである。
 シュガーレイが披露した絶技に戦慄し、身を竦ませるレイチェルと、暢気に耳の穴を穿(ほじく)っているクインシーの対比は、
両者が肩を並べているだけに一際滑稽であった。

(……いずれにせよ、これで次のステップに進める、か――)

 ――アルフレッドの追想が一段落し、その意識が現在へ引き戻される頃には、軍議の間の清掃も完了していた。
今や乱闘見物に集まっていた野次馬も解散しており、軍議を再開する段取りは万全に整ったと言える。
 ダイジロウたちはプロフェッサーと共にファラ王の傍らへ控えることになったようだ。
アポピスのみではファラ王を制御しきれない瞬間(とき)がある。そうした状況を回避する為にも味方は多いほうが良いに決まっている。
つまり、ダイジロウたちに“加勢”を請ったのはアポピスと言うわけである。

 乱闘の邪魔にならないようアルカークによって脇へと寄せられていたテーブルは、
再度の設営はせずにそのまま留め置くことに決まった。
 折角、室内に大きな空間ができたのだから、各々好きなように座り、自由に意見を述べ合おうとマイクが提案したのである。

「基本地べたで、必要なヤツは椅子を使おうや。こうして世界中からいろんな人間が集まってんだ。
肩肘張らずに話をしたほうが捗るんじゃねぇかな?」

 提案者たるマイクは率先して規範を示すべく、その場に胡坐を掻いた。
 従者たるティンクとジョウがこれに従うと、ひとりまたひとりと彼らに倣う者が出始め、
気付いたときにはエルンストまで床の上に腰を下ろしていた。
妙にリラックスした表情から察するに、格式ばって椅子を使うよりも地べたに座るほうがエルンストの性に合っているのかも知れない。
 とは言え、一軍を率いる将としての品格を考えると、床の上に胡坐を掻く様はあまり好ましいことではない。
デュガリとザムシードは、顔を見合わせて苦笑するばかりであった。
 一方、彼らの隣ではブンカンが難しい表情を浮かべて思案に耽っている。
群狼領の軍師が面白からぬ眼差しを向ける相手は、いつの間にやら軍議の主導権を掌握しつつあるマイクである。
かの冒険王がシュガーレイを取り鎮めた辺りから彼の表情は加速度的に渋くなっていた。
 そもそも、だ。テムグ・テングリ群狼領とマイク・ワイアットは友好的な関係とは言い難い。
 マイク自身、一介の冒険者と言う枠には収まりきらない傑物である。
ペガンティン・ラウトが群狼領と争っていた頃、かの海賊団の後ろ盾になっていたとの報せもブンカンは耳にしている。
何ともキナ臭い話ではないか。しかも、未だにマイクとペガンティン・ラウトの間には密かな繋がりがあるようだ。
 ハンガイ・オルスにはジョゼフからの招聘を容れて訪ねてきたというが、果たしてそれだけのことで動く男であろうか。
何らかの旨みを見出したのではないか――マイクの真意を考察し始めると際限もなくなるが、
軍師の立場としては、最大級の警戒を要する相手であることは確かであった。
 「人に心を開かせる天才」と言う得難い能力をもブンカンは忌々しく思っている。
マイクが軍議の間に姿を現して以来、主将たるエルンストのほうが貴賓(ゲスト)のような扱いとなってしまっているのだ。

 パトリオット猟班の無礼を不問に付すと宣言した直後、エルンストとマイクは正面切って対峙する機会にも恵まれた。
しかし、そのときのことを思い出すと、ブンカンは全身の血が沸騰しそうになる。
馬軍の覇者の前に立ったなら、常人であれば萎縮してしまうところだが、あろうことかマイクは気さくに握手を求めたのである。
 エルンスト自身は冒険王との対面を受けて楽しそうに握手を交わしていたが、
配下の者にとっては馬軍の沽券にも関わる由々しき事態である。馬軍の覇者と言う権威がそれだけで吹き飛び兼ねないのだ。
例え相手が誰であろうとも、世界最強の覇王たるエルンストが侮られるわけには行かなかった。
 不穏当な気魄をぶつけられる側のマイクは、そのことを察したかは定かではないものの、
ブンカンなどには目もくれずにジョゼフを交えてエルンストとの接見を愉しんでいた。
 その輪には呼ばれもしないのにファラ王が混ざっている。しかも、マイクに向かってやたら馴れ馴れしく接するではないか。
大抵の人間は彼のスキンシップを邪険に扱うのだが、マイクに限ってはこれを疎ましがることはなく、
冗談を飛ばして笑い合うなど実に親密である。さすがは冒険王の人脈と言うべきか。グドゥーの新しき太守とも旧知の間柄のようだ。

「――フン、能天気に仲良しこよしをしておるわ。大体、貴様は今まで何をしておったのだ!? 
グドゥーの合戦どころの話ではない。今の今まで“家”に篭っておっただろうが! それを今更ッ!」

 この痛罵はジョゼフやエルンストの物ではない。アルカークが横から放り込んだ嘲笑の一端である。
どうやらヴィクドの提督は、聞き耳を立てていた内容へ身勝手にも苛立ちを覚えたらしい。
 外野からの野次と切り捨てても良い筈なのだが、しかし、マイクは決してアルカークを爪弾きにはしなかった。
痛いところを衝かれたと頬を掻きつつも、至って誠実に応対している。

「うるせぇオッサンだなぁ。仕方ねぇだろ、こっちゃ外交担当がギルガメシュにとっ捕まってんだからよぉ。
その対応でテンヤワンヤだったんだよ。つーか、今もてんてこ舞いだけどな」

 これまで連合軍の作戦に参加してこなかった理由について、
マイクは“拠点”にて外交を担当している人間がギルガメシュの人質になっていると説明した。
彼はテムグ・テングリ群狼領やヴィクドのような軍勢を擁しておらず、それ故に救出作戦の策定にも相応の時間が必要となるのだ。
「数に物を言わせる」と言う“保険”も利かず、絶対に失敗が許されない状況では、ことを慎重に進めなければならなかった。
 自分たちの置かれた状況をマイクは包み隠さずに打ち明けたのだが、
アルカークはこれを「苦し紛れの言い訳」とにべもなく切り捨て、あまつさえ鼻先で笑い飛ばした。

「知っておるわッ! サミットの折り、どっち付かずの態度しか見せなんだ腰抜けをなッ!」
「……ああ? ――ああ、そーいや、アンタもサミットに参加してたクチだっけな。テレビで見たぜ、ガーガー喚いてんのを。
どうせなら、他のみんなも連れて一緒に逃げてくれたら良かったのによ」
「よく言うわ。外交担当――マキャリスターとか言ったか。アレは手練であろうが!」
「へぇ? ゼドーを知ってんの? ヴィクドとは付き合いなかったハズだけどな。アイツも有名になったもんだぜ」
「しらばっくれるでないわ。……貴様らは実に腹黒い。油断のならん鼠輩だ。
一体、何の企みがあってココにやって来た? 今頃になってノコノコとやって来たのは、何かの謀であろうが!」
「――おヌシの耳はよくわからん構造(つくり)になっておるようじゃな。強迫観念の材料だけを選り分けるのか。
先刻より言うておろうが。エンディニオンの今後を話し合うべく無理を押して来てもらった、と。周旋したのはワシじゃ」

 横から口を挟んだのはジョゼフである。あまりにもしつこく食い下がるアルカークを見兼ねたようだ。
 群狼領の軍師による警戒はともかく、これまでマイクとその“拠点”が政治の表舞台に立ったことはない。
より正確に言うならば、ルナゲイトやテムグ・テングリ群狼領と言った権力者たちが繰り広げるパワーゲームへ参戦した前歴は、
ただの一度としてなかった。ペガンティン・ラウトの後ろ盾となった件も政争に直接影響を与えるようなものではない。
 アルカークが推理――と言うよりも、強引に決め付けてきた謀などは、そもそも企んだところでマイクにとって何の旨みもない。
煩わしい政争などは自由な冒険の足枷でしかなかった。
 古くから付き合いのあるジョゼフから直々に招聘された――それこそがハンガイ・オルスへ足を運んだ唯一無二の理由である。
それ以外の理由などマイクには必要ないのだ。

「アンタにも見せてやりてーよ、御老公の招待状(てがみ)。遺言みてーなんだもん。
ンな物騒なもん送りつけられたら、顔だけでも見に行こうって思うのが人情じゃねーか」
「縁起でもないことを抜かすでないわ。……おヌシには軍議がモメた場合の調停を頼みたかっただけじゃ。
どうせおヌシは特定の誰かに味方せぬとわかっておったからの。このような席には適任じゃろうて」
「それにはチト遅かったみてぇだけどな。オレの助けなんかなくたって、
ライアンだっけ――そこの彼が上手く仕切ってるみてーじゃん? いざってときにケンカできる度胸も持ってるしよ。
オレはライアンの考えを応援するぜ」
「……おヌシ、実は早くに到着しておったのではあるまいな?」
「どいつもこいつも人のコトを疑いやがって。尻尾の部分しか見れなくても、人間には想像力っつー偉大なモンがあるだろうが」
「アンタはエロいことにしか想像力を使ってないでしょうが」
「てめぇは余計な口を挟むんじゃねーよ、毒蛾」
「は? 何? 今、なんつった? 一服盛ってくれっつったの? なかなかユニークな他殺願望じゃん。
今すぐにでも青酸カリを口ン中に突っ込んであげようか? それくらい用立ててやるわよ? えぇ?」

 またしても醜い罵倒を乱発し始めたティンクは、さて置いて――
ジョゼフの招聘を受けてやって来たと言うマイクは、意外にもアルフレッドへの高い評価を口にして諸将を驚かせた。
佐志の一団に属するジョゼフが、ルナゲイトの新聞王がマイクと連合軍との間を取り持っていることにも驚愕は大きいのだが、
衝撃の度合いで言えば、前者のほうが遥かに強烈であった。
 それはつまり、あのワイルド・ワイアットがアルフレッドの立てた逆転の秘策を全面的に支持したと言うことでもあるのだ。
事実、彼は「ライアンの考えを応援する」とまで明言している。

 ブンカンはこの状況こそ危惧していた。
 紆余曲折はあったにせよ、ようやく諸将の意思がアルフレッドの秘策へ寄り添いつつある。
それ自体には何の問題もない。極めて難しい作戦ではあるが、ブンカンも起死回生を賭けて良いと思っている。
 そのブンカンが殊更危険視しているのは、諸将がアルフレッド支持を鮮明にした端緒である。
先だって行われた三つ巴の決闘、今回の軍議とパトリオット猟班との乱闘を通じて、
アルフレッド自身の評価と存在感は急速に高まっている。今では佐志にその人ありと謳われる程だ。
 しかし、この潮流を決定付けたのは、実はアルフレッドの努力ではない。
若年者が考案した策に全てを賭して良いものか否か、諸将の間には僅かに迷いが残っていた。
それも無理からぬ話であろう。ひとつ打つ手を間違えれば、取り返しの付かないことになるのだ。
 ところが、マイクが支持表明を行った途端、そのような曇りはすぐさま消え失せ、
皆が皆、諸手を挙げてアルフレッドに賛同し始めたのである。
 諸将の意思が転換する瞬間を、ブンカンはしっかりと見極めていた。
 連合軍の未来を占う程の大事な決断が、たったひとりの男に左右されている。
しかも、その男はあくまでも外部の協力者に過ぎず、対ギルガメシュ戦線にすら参戦していないのだ。
 軍師を冠する知恵者であれば、誰しもがこの捩れた事態を危ぶむことであろう。

 マイクがハンガイ・オルスにやって来たことをアルカークは何らかの謀ではないかと疑ったが、
ブンカンも全く念を抱いている。疑い始めると際限がなかった。
 クインシーの反応から察するに、マイクの同行者である外道装備の男――ジョウ・チン・ゲンは、Aのエンディニオンの人間であろう。
それはつまり、マイクがもうひとつのエンディニオンの力を糾合しつつあると言う証左に他ならない。
ジョウ以外にも“異世界のチカラ”を擁している可能性は否定できなかった。
 Aのエンディニオンの人間を戦力として確保したのはファラ王とも似通っているが、
領土欲がなく向上心すら置き忘れてグドゥーで満足し切っている享楽の虜は、警戒の度合いがひとつふたつ落ちる。
 それに対してマイクは常に最大の警戒を要する相手であった。
異世界のチカラを使って何を仕出かすのか、知れたものではない。

(……然るべき手を打つ必要がある、か……)

 ブンカンより恐ろしく冷たい眼光を向けられているとはつゆ知らず、
冒険王ことマイク・ワイアットはアルフレッドとシュガーレイに仲直りをするよう勧めていた。




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