14.Dwellers of a Sandcastle


「――降伏交渉に入ると言うことは、相手にこちらの処遇を一任すると言うことでもある。
……その結果、エルンストの身に何が降りかかるかは、誰にも分からない」

 パトリオット猟班の乱入と言う不測の事態によって途絶していた軍議は、アルフレッドのこの言葉から再開された。
カジャムが憂慮し、シュガーレイが勝利の為の当然の代価と言い放った懸念事項である。

「俺たち連合軍の総大将は紛れもなくエルンストだ。そこに生じる責任は誰も身代わりにはなれない。
俺たちにとっても、ギルガメシュにとっても、……エルンストの身柄は“最重要”なんだ」

 シュガーレイのように苛烈な物言いこそ選ばなかったものの、
敗軍の将たるエルンストへ極刑などの危害が及ぶ可能性をアルフレッドも否定しなかった。
エルンストが背負う肩書きは、今や「テムグ・テングリ群狼領の御屋形」だけではない。
連合軍の主将を名乗る以上、勝者による見せしめの処断をも考慮しなければならなかった。
 どのように言い繕ったところで、エルンストが連合軍の発足を主導した事実は覆せないのだ。
 一度、全面降伏を申し出て油断を誘い、情報工作などの搦め手を駆使してギルガメシュを追い詰め、
その上で逆襲を仕掛ける――アルフレッドの立てた作戦は、まさしくエルンストの生命に危難を及ぼすものである。
 無抵抗に近かったグリーニャを焼き尽くすようなテロリストが“戦犯”に対する裁判を開くとは思えないが、
運よく即時の極刑を免れたとしても独房への禁錮は間違いあるまい。
反抗勢力への影響力を奪う為にも外界と隔絶される牢獄が収監先として選ばれるだろう。
 そのような環境下で陰湿な獄吏の勘気を被ったら、果たしてどうなるか。
連合軍に煮え湯を飲まされてきたことへの腹癒せ、あるいは憂さ晴らしとして理不尽な拷問が繰り返されるかも知れない。
 史上最大の作戦とも言うべきアルフレッドの立案を諒承することは、テムグ・テングリ群狼領にとって誕生以来の大英断である。
採択へ踏み込むには相当な勇気を要する筈だ。
 「御屋形様」に対する危害を欠くべからざる要素として含有するこの作戦内容は、
テムグ・テングリ群狼領を草創の時代より支えてきたデュガリやザムシードにとって受け入れ難いものがある。
降伏後の展開を思料するだけで心身に苦痛が圧し掛かる程に、だ。
 毅然とした態度でエルンストの傍らに侍ってはいるものの、カジャムの面からは生気が殆ど抜け落ちていた。
この場に居合わせる誰よりもアルフレッドの言葉に心を軋ませているのは彼女である。
 テムグ・テングリ群狼領の将士たちは、それぞれの立場で在野の軍師の献策と向き合っていた。
猛将として知られるザムシードが激昂せず静かに瞑目するのは、アルフレッド自身が生命を賭して作戦立案へ臨んでいると認めたからだ。
 アルフレッドは作戦完遂の為には己の身を犠牲にすることも、毒を喰らうことさえ辞さない覚悟である。
それ故に全軍の足並みを乱したパトリオット猟班を障碍と見なし、実力による強制排除をも図ったのだ。
 戦いの果てに満身創痍と成り果てても、アルフレッドは決して退かなかった。
パトリオット猟班の前に立ちはだかり、己の身を盾にして連合軍の未来を守ろうとしたのである。
悲壮とも言うべき想いを胸に秘めてこの場に起った勇者を、どうして切り捨てられようか。
 誇り高き馬軍の将士ばかりではない。軍議の間に参集した諸将は、誰もがアルフレッドの覚悟を認めている。
 唯一、血気盛んなビアルタだけは「したり顔で抜け抜けとほざくな!」と大変な剣幕で噛み付いたが、
アルフレッドは彼の肩越しにエルンストを見据えながら、何があっても戦略を翻すつもりはないと言い切った。

「お前はエルンストの何を見てきた? 長らく仕えてきた筈のお前が、エルンストの大器をどうして見誤る」
「見誤ってなどいない! 貴様が義兄様(にいさま)を語るなッ!」
「一族の興亡を担うリーダーには、常に命を捧げる覚悟が求められる。土地や領民を守る為にな。
エルンストにはそれが出来ないと言うつもりか、お前は」
「それとこれとは別問題だッ!」
「いや、違わない。……今、エルンストは世界の命運を担っている。
連合軍に参加した全ての人の家族や土地をも背負っているんだ。普通なら押し潰される程の重圧だな。
だが、エルンストは違う。何もかも背負って立ち上がる。それだけの大器だ」
「だ、だが! ……しかしッ!」
「黙れ。エルンストの誇りを汚したいのなら他所でやれ。ここには誇りを捨てた人間の居場所などない。失せろ」
「貴様……」
「失せろッ!」

 鬼の如き形相でもって大喝されたビアルタは、堪らずたじろいでしまった。
 アルフレッドの弁にこそ理があり、激情に駆られて不用意に動いてしまった自分にはこれ以上の反論は難しい――
そのようにビアルタの心中を分析することも出来なくはないが、内実はもっと単純であろう。
 「気魄の勝負で敗れた」。ビアルタの性格からしてこの一言に全てが集約される筈である。
 追い討ちを掛けるようにシュガーレイまでもが「全てを賭ける覚悟のない者は今すぐ消えろ」とビアルタに言い放つ。
ギルガメシュの手によって惨殺された朋友の無念を晴らすべくスカッド・フリーダム本隊を離脱し、
裏切り者の烙印を覚悟して連合軍に加わった彼の言葉は、アルフレッドの大喝にも劣らない重みがある。
 決死の覚悟でこの場に起つふたりの気魄に気圧されたビアルタは、とうとう言葉を失ってしまった。
己の迂闊と覚悟の不足を痛切に思い知ったその面は、カジャムと同じく血色と言うものが抜け落ちている。

 その様を眺めていたアルカークは、鼻を鳴らしつつも「支離滅裂だな」と口汚く吐き捨てた。
嘲りの標的は、完全に打ちひしがれたビアルタではなく、新しいシガレットに火を点けたばかりのシュガーレイである。

「貴様はこれで良いのか? この小僧はギルガメシュに降伏するとほざいているのだぞ。
そうなれば、貴様らの覚悟とやらも全くの無駄だ。憎くて仕方のない仇に頭を下げられるのか?」

 つまり、アルカークは降伏の是非をシュガーレイに問おうとしていた。あわよくば、反対側の陣営に引き込もうと言う胸算用だ。
 ヴィクドの提督の声色は、明らかに挑発の念が込められている。顔を真っ赤にして激怒したジャーメインは、
アルカークに詰め寄りつつ、「負けを認めるなんて言ってないッ! そんなことになるならここで死んだほうがマシよッ!」と声を荒げた。
 ジャーメインの激烈な反応を見て取ったアルカークは、厭味っぽく口元を歪めると、
今度はアルフレッドに向かって「これか、貴様の言う病理とやらは? 成る程、毒にしかならんな」と笑いかけた。
 何とも邪悪な笑みである。アルフレッドへ話しかけているように見えて、結局のところ、ジャーメインを皮肉っているわけだ。
これを受けてジャーメインが髪を掻き毟ったのは言うまでもない。
 ところが、だ。肝心のシュガーレイの反応は、今にも膝蹴りを繰り出しそうなジャーメインとは大きく異なっていた。
それどころか、両者の温度には天と地の如き開きがある。
 シュガーレイは眉間に皺を寄せつつ、しきりに首を傾げている。アルカークが口にしたことの意味――
いや、彼の発した言語さえも理解出来ないとでも言うような態度であった。

「ヴィクドの提督と見受けたが――それは改めて確かめるようなことなのか? 間の抜けた質問としか思えないが……」
「……これは驚いたな。貴様らは何があっても首を縦に振らんと思ったぞ。
あの小娘は強情を張っておったが、ギルガメシュに負けを認めることに変わりはない。
貴様らの精神(こころ)では、とても耐えられんのではないか?」
「そうか? 合理的だと思うがな。短慮に走って討ち漏らすよりはずっと良い。気の長い話だが、ギルガメシュを滅殺する為だ。
それくらいの時間は辛抱出来るがね。……提督殿は違うのか?」
「辛抱と言う問題ではなかろうが! 貴様、オレの喋っておる意味がわからんのか!?」
「失敬だな。耳の穴から入って脳にまで伝わっている。ギルガメシュを根絶やしにする布石だ。それを厭う理由がどこにある? 
……これは狩りのようなものだ。獲物が罠に掛かるのを、息を潜めて待ち侘びる。
その間、どうやって獲物を切り刻むかでも考えていれば良い」
「……貴様は……」
「そうだ。これは、狩りなんだ」

 紫煙と共に吐き出されたこの返答には、さしものアルカークも面食らってしまった。
会話が噛み合わないのは言うに及ばず、返される反応も理路整然としているようで相当に突飛であり、
言葉の端々からシュガーレイの思考が常軌を逸していることが窺えた。
 ミルドレッドとジャーメインが憎悪と復讐に、ジェイソンが狂戦士への変貌に呑み込まれたのと同じく、
シュガーレイもまた「ギルガメシュの根絶」と言う一念に塗り潰されてしまったようだ。
 アルフレッドの作戦を肯定することに些かの躊躇もなかった。
時間もプライドも――他の何を犠牲にしてもギルガメシュを皆殺しにさえ出来れば構わないのである。
 連合軍とは、ギルガメシュ打倒を目指して結成された一大同盟である。目標とするところはパトリオット猟班と同じ筈なのだ――が、
そこに懸ける思いは必ずしも一致してはいない。アルカークにとっては皮肉なことだが、
シュガーレイたちの思考は、敵兵の首級を見せしめとして大樹に吊り下げたヴィクドのそれに近いものがあった。
 ひとつの極限状態とも言うべき復讐を根源としている為、パトリオット猟班の行動はヴィクドの傭兵と比しても壮烈である。
そして、その衝動は妄念が晴れるまで尽きることなく湧き起こるのだ。
 これこそが連合軍に破綻を招くとしてアルフレッドが危惧するモノの本質――正し難い歪(ひずみ)なのである。
 歪を前にしたハーヴェストは表情を曇らせ、その様を目の当たりにしたジャーメインは、
「大丈夫! 負けを認めたことにはならないって! ガマンした分、後で全部お返ししてやるんだからっ!」と、
何の解決にもならないどころか、却って旧友の不安を煽るようなことを口走った。

(エルンストも無理難題を言ってくれたものだ。本当に使いこなせると思ったのか、こんな連中を……)

 「壊れている」としか言いようのないシュガーレイの姿にかつての自分を再度追憶したアルフレッドは、
心中にてエルンストへ不満を漏らしている。決定には従うものの、パトリオット猟班の参戦を認めたことには
依然として反発を持っているのだ。
 本音を言えば、背筋が寒くなるようなシュガーレイの妄念を論拠として彼らの排斥を直訴したいところだが、
作戦立案者としては、厄介なアルカークが言葉を失ったこの機を逃すことも出来なかった。
珍しくヴィクドの提督が晒した隙なのである。
 どのみち壊れている人間に正論を語っても意味がなく、どこまでも平行線と言う押し問答となるばかり――
シュガーレイとの対峙の行方を予想したアルフレッドは、取捨選択の末、先ずは軍議の成立へ全身全霊を傾けることに決めた。
 あちこちに分散しつつある諸将の意識を統一させようと、アルフレッドは軍略の奥義としている古の言葉を唱え始めた。
即ち、「天の機(とき)、地の利、人の和」――“三陣”の教えである。

「ここは俺たちのエンディニオンだ――地の利は確実に俺たちにある。人の和の流れを変え、味方に引き込むのが今後の課題だ。
では、天の機はどうだ? 本来、天運は人智が及ばない領域だ。これを掴み取るには、自分の全存在を懸けるしかない。
……だが、それはあくまで凡人のこと。エルンストが真に覇者たる器であるなら、天の機は必ずこちらに傾く筈だ」

 “三陣”とは、前述した要素の三位一体によって完成されるものであり、一つでも欠ければ勝機を逸すると考えられていた。
 異世界からやって来たギルガメシュと比しても地の利は連合軍の側に在る。
 人の和は、まさに今後の戦略によって変えていくものだ。
民衆はテロリズムを理解できない。だから、ジューダス・ローブも敗れた――
先程、アルフレッドとセフィが懸命に解いたこの論理を適用すると、人の和は取ったのも同然であった。

「俺たちはエルンストの器を最後まで信じよう。俺の作戦は、それなしでは始まらない」

 そして、最後に残った天の機を、“三陣”の最後の要を、エルンストの命運に託すとアルフレッドは言い切った。
他の誰でもない連合軍を纏め上げた主将へ自分たちの命運を預けようと言うのだ。
最後まで彼を信じ抜くことが、同盟に応じた者の責務とも付け加えている。
 エルンストの行く末を案じ続けていたカジャムたち馬軍の将士も、アルフレッドにやり込められたビアルタも、
この宣言には諸手を挙げて賛成している。同盟者である諸将とて反対する理由はなかった。
 歯軋りまでして不満を撒き散らすのは、辺りを見回してもアルカークくらいである。

「バカをほざくのも休み休みにしろ。エルンスト氏の器量はオレとて認める――が、
この男一人にエンディニオンの行く末を託すことなど出来るものかッ! それとも我らに覇気がないと言うのかッ!? 
エンディニオンを率いる器量が無いとッ!? 舐め腐るな、小僧ォッ!!」
「短慮だな。エルンスト一人に戦いの趨勢を委ねるつもりはない。天の機は俺たちひとりひとりがそれぞれ引き寄せなければならないんだ。
エルンストの天運は、あくまでも連合軍の安泰を占うもの。ギルガメシュの撃破には全ての人の天運を束ねる必要がある。
貴様も貴様の天運を信じることだ。ヴィクドの為にもな」
「まるでオレが天から見放されているような言い方をするッ! 
生憎と我がヴィクドはイシュタルとヴォル・カ・スヴェーヌにも厚く帰依しておるわッ!」
「本当に貴様は根性が捻じ曲がっているようだな。エールを皮肉と曲解するとは、末期的としか言いようがない」
「小僧ォッ!」
「自分の人生に恥じることがないなら、それを信じていればいい。何も心配はないだろう? 違うか、アルカーク提督?」
「ぬぅ……ッ!!」

 すっかりアルフレッドにやり込められたアルカークは、眉間に青筋を立てている。断じて論破された事実を認めないつもりのようだ。
 フレンドシップを第一に考えるファラ王は、懲りもせずに彼の肩に手を伸ばして慰撫を試みようとしたが、
その大きなお世話は、アポピスに腕を噛まれ、あまつさえテッドに首を絞められたことで頓挫した。
 グドゥーの俊才たちの機転によって事態の悪化は避けられたものの、アルカークの憤激が鎮まったわけではない。
いずれ暴発すると見て取ったマイクは、「お前さんの立場からしたら、保険が欲しいわな」とブンカンに声を掛け、
張り詰めた空気の弛緩を図った。所謂、話題の切り替えである。
 マイクに対して穏やかならざる感情を抱くブンカンだが、話題の転換を敢行しようとするその意図は理解出来る。
ブンカン自身も早急に手を打つべきと思案していたところだ。蟠りはあるものの、一先ずここはマイクの考えに乗ることを決した。

「唐突に保険と言われましても……。一体、何を仰せになりたいのです?」
「お前さんトコの大将の安全ってヤツだよ。何だか、犠牲になるのが前提になっちまってるけど、お前さんはそれでいいのか? 
決死の覚悟は大事だがね、いたずらに命を落とすこともねぇよ」

 マイクの話に誰よりも強い反応を示したのは、やはりカジャムである。エルンストが止めようとするのも振り切り、
身を乗り出して「当たり前よ。御屋形様なくしてテムグ・テングリは成り立たない!」と主張した。

「だったら、万が一に備えて対策を練っておこうや。恭順してる間にアレコレとブチかまそうってんなら、
腕力に物を言わせて奪還するわけにもいかねぇ。身の保障をどう確保するか、そいつを捻り出すのもあんたの仕事だぜ」
「如何にも篤志のワイアットさんらしい発想ですね……」

 マイクの口から「保険」の二文字が飛び出した瞬間(とき)、このような展開になることをブンカンは予想していた。
果たして、案の定としか言いようのない流れになったわけだ。
カジャムやビアルタ、デュガリさえも今ではマイクの発言に関心を寄せている。彼の作った流れに引き込まれてしまっている。
 第三者に指摘されるまでもなく、エルンストの安全を確保することが作戦遂行の焦点であるとブンカンにも分かっていた。
それさえ達成出来れば、アルフレッドの献策は磐石となるのだ。テムグ・テングリ群狼領の将士も一意専心に次なる戦いへ臨める。
 だが、ブンカンはすぐにはマイクに賛同しなかった。彼の企みが判然としない以上、自分のほうから建設的な意見を述べることは控え、
出方を窺うのがベターと判断したのである。

「ワイアット氏のお考えは実に妙案だと思いますが、では、何を担保とするのです? 
……我々は既に一度負けています。意気盛んなギルガメシュが、負けた私たちの声に耳を貸すか、どうか……」

 ギルガメシュ相手に交渉を持ちかけるのは難しいと指摘するブンカンに対し、マイクはあくまでも余裕を崩さない。
群狼領の軍師とのやり取りから名案を閃いたとばかりに指を鳴らした。

「ならよ、降伏を申し入れる代わりに今回の戦いに関わった者の安全を保証して貰う――
エルンストを含む全軍の安全を交換条件にするってのはどうだ?」

 マイクが示したこの提案には、さすがにブンカンも目を見開いて驚嘆した。
智謀を取り仕切る彼には口惜しい事態であるが、それこそがアルフレッドの作戦を更なる高みへと洗練させる要素であった。
 一度きりだが、ブンカンもその案を思い浮かべた瞬間があった。しかし、失敗時のリスクがどうしても先行してしまい、
結局、心の奥底へと仕舞い込んでいたのだ。試すまでもない暴案と結論付けたのである。
 これに対して、マイクは臆面もなく交換条件を口にした。つまり、彼には交渉を実現させるだけの度胸と自信が備わっていると言うことだ。
器比べをしていたわけではないが、ブンカンにとってはこれに勝る無念はあるまい。

「ギルガメシュだって徹底抗戦をされるよりはマシだろ。合戦で大勝したっつっても、ぶっちゃけ局地戦だ。
まだまだこっちは余力を残してる。向こうは形勢逆転にビクビクしてんじゃねぇかな。
だからって、今すぐ攻めようなんて言い出すなよ? それとこれとは話が別だからよ」
「……レベルの高い脅迫ですね。要求を聞き入れないと何を仕出かすか分からないって、
本来ならギルガメシュ側がやることですよ」
「やるからには、タイミングは外せねぇぜ。ヤツらがこっちを脅威に思っている間が狙い目だ」

 アルフレッドの説いた計略へマイクが一助を添えたことにより、緊迫の度合いを濃くしていた事態は、一転して集束に向かっていった。
 エルンストを危険に晒すような作戦を立てたアルフレッドも“保険”については憂慮しており、マイクの発案を素直に受け入れた。

「さすがはワイルド・ワイアット、だな。俺の言いたかったことを当ててくれた。
……そうなんだ。交換条件と言う手もある。ギルガメシュとしてもこれ以上の損害は出したくない筈だ。
おそらくこの条件を呑むだろう。断って決戦に持ち込まれたら、例え勝っても痛み分け以上のダメージを被るのは明白。
ただでさえ向こうは手数が少ないんだ。損害が重なれば、戦後統治どころではなくなる」
「本末転倒はヤツらも避けてぇだろ。大勝の勢いに乗ってハンガイ・オルスまで攻めてこねぇってのは、
それなりに頭が回るって証拠だ。交渉を突っぱねるバカじゃねぇだろ」
「話の持っていき方次第ですが、御屋形様がご存命ならば領地を蚕食されても逆転の芽は残る。
御屋形様のお言葉を拝借するなら、運は一時にあらず、時の次第と思うは間違い――お二人はそう仰せになりたいのですね」
「俺はそれしかないと思っている」
「同感だぜ。ヤツらがこっちの思い通りに踊るかどうかを見極める試金石にもならぁ。
掌の上で転がってくれりゃあ、この先、色々とやり易くなるだろーぜ」

 このようにエルンストの天運をコントロールする手段は、いくらでもあるのだ。
図らずも、ギルガメシュの最高幹部たちが牙城たるブクブ・カキシュにて話し合っていた内容とも合致している。

「……そろそろご理解いただけると助かるんだがな、アルカーク提督。俺たちがどうやって勝とうとしているのかを」
「まさかッ! 貴様の言葉などハナから聞き入れるつもりは無いわッ!」

 懇切丁寧に説明を凝らしても納得しようとしないアルカークには、アルフレッドもほとほとお手上げ状態である。
 論破されまいと頑なになっているヴィクドの提督を見るに見兼ねたジョゼフが、
「そろそろワシが出るか?」とアルフレッドへ目配せしたその瞬間(とき)――

「全く長々と無駄話――ギルガメシュの同族を仲間に入れておいて、よくまぁ奇策だの秘策だのと抜かしたものだな。
貴様らなど、いつ敵に感化されて裏切るかわかったものではないッ!」

 ――鉤爪の先をアルフレッドの首筋に突きつけながら、アルカークは侮辱を露に唾棄してみせた。
 彼の発言を受けて真っ青になったのはハーヴェストである。まるで佐志がギルガメシュとの間で密約を結んだかのような言い方だ。
これでは事実無根の誤解を招き兼ねず、慌てて旧友ふたりの様子を窺った。
ギルガメシュの根絶やしに執念を燃やすパトリオット猟班にとって、アルカークの発言は聞き捨てならないものであろう。
 ところが、裏切り者などと騒ぎ立てるかにも思われたシュガーレイとジャーメインは、意外にも平静を保っていた
基本的に彼らはアルカークの言行を全く信用していないのだ。「ギルガメシュの同族を仲間に入れた」との恐ろしい発言も、
難癖の類としか思っていないらしい。
 パトリオット猟班と同等にギルガメシュへの敵愾心を隠さないクインシーとて、アルカークの面を白々しそうに眺めるばかり。
隣のレイチェルにことの真偽を問い質すこともない。最初から言いがかりであると決めてかかっているのだ。
 ヴィクドの提督は平素から横柄な態度で周りに敵ばかり作っているが、その人望のなさが佐志には幸いしたようである。
 一先ずは事態の成り行きを見守ることに決めたパトリオット猟班やクインシーはともかくとして、
挑発された側のアルフレッドは満面に怒気を漲らせている。
 ディアナたちと固い約束を交わしたレイチェルの憤激も凄まじいものがある。
軋み音が響く程に強くジャマダハルのグリップを握り締めており、その刀身にはプロキシの力まで宿していた。
事と次第によっては容赦なく斬り捨てる――全身から噴き出した殺気は、暗にそう告げているようにも見えた。

「聞き捨てなら無いな。今のはどう言う意味だ?」
「意味も何もあるか。言った通りだよ、軍師殿。貴様の用兵術はミイラ取りに似たりと言ったまでだ。
敵の最下層を切り崩すだのと抜かしていたが、その実、貴様らのほうこそ手懐けられたのではないか?」
「言うにこと欠いて寝言ほざいてんじゃないわよ。誰かを差別していなきゃ気が済まないなんて救いようのない下衆ね」
「舐めておるのは貴様だろうが、マコシカの酋長。悪しき先駆けめ。サミットの参加者は皆が証人だからな、言い逃れは出来んッ!
議事録が残っているなら、それが動かぬ証拠になるだろうよッ!」
「……ホントにイカレてんじゃないの、あんた。言ってることが支離滅裂よ」
「異世界に寄生された証拠と言っているのだッ!」

 この瞬間(とき)、ジョゼフが片眉を大きく吊り上がった。

「……ニコラス・ヴィントミューレのことを言っておるのか、おヌシ」
「ほぅ、新聞王ともあろうお方がペテンの片棒を担ごうとは。いよいよ耄碌されましたかな」

 アルカークの無礼極まりない態度を見るにつけ、とうとう堪忍袋の緒が切れた新聞王は、
指の関節を二度、三度と鳴らすと、次いでアルフレッドの首筋に突きつけられていた鉤爪を力ずくで振り払った。
 傭兵部隊を率いるアルカークは、それに見合った強靭な肉体を備えている。
フィジカルの強さを指標とするのであれば、おそらくアルフレッドとも同等であろう。
そのような豪傑にもジョゼフは僅かも力負けしなかったのだ。老齢とは思えない握力と腕力である。

「蛮勇で名を馳せるヴィクドの提督の言葉とは思えぬな。ニコラス・ヴィントミューレはれっきとした佐志の捕虜じゃ。
捕虜を丁重に扱って何が悪い? よもやお主、捕虜に対して敬意も払わず、奴隷のように扱っておるのではあるまいな?」
「力で負けた者――ましてやエンディニオンに巣食う寄生虫をどう扱おうが、ヴィクドの勝手だろうが。
家畜の代わりに売り払うくらいしか値打ちもないわッ!」

 身の毛もよだつようなことを平然と言い切るアルカークに対し、反論こそ謹んでいるもものの、
守孝も相当に怒りを溜め込んでいる。彼とてAのエンディニオンの朋友と絆を結んだひとりなのだ。
ヴィクドの蛮行は断じて許せなかった。

「しかし、貴様らは違うだろう。ニコラス何某はそもそも貴様らとは交流浅からぬ間柄だったと聞いているぞ。
そんな男が捕虜と言う立場も弁えずに大手を振って歩き回っていれば、痛くもない腹を探られるのは当たり前だ。
本当に痛くもない腹ならば、それは心外だろうがな」
「ニコラス・ヴィントミューレがスパイだとでも? それとも何か? 
ワシらがあやつを通じてギルガメシュに寝返ったとでも言いたいのか、お主は。
……訳知り顔で何を申すかと思えば、いやはや、根拠のない言い掛かりとはの。
粗野と眉を顰められるようなヴィクドの品位は、この男一人の為に落とされておるのではないか?」
「皮肉る前に勝敗のケジメをつけて欲しいものですな、新聞王殿。アレを仲間でなく捕虜と断じたいのであれば、
ウソでも足枷と鉄格子くらいは用意せんと」

 先ほど振り払われた鉤爪をジョゼフの胸元へ突きつけようとするアルカークだったが、
その前にアルフレッドとセフィが敢然と――いや、憤然とした面持ちで立ちはだかった。

「……その必要はありませんね。私たちは佐志のルールに従って接しているだけです。
貴方がたの、ヴィクドのルールに従う理由はありません」
「自分の世界でのみ通じる勝手なルールを他所で披露しないほうが身の為だ。ただでさえ稚拙な頭が余計に悪く見えるからな」

 両名ともニコラスを矢玉に挙げてスパイとまで言い放ったアルカークに激しい憎悪を漲らせている。
 特にアルフレッドは親友を愚弄にされたこともあって怒り心頭に発しており、
フェイを嘲笑されたときに勝るとも劣らぬ殺気を全身から溢れさせていた。

「俺とラスは敵味方に別れる前から親友同士だった。お互いの立場の違いから戦うことになっただけだ。
……だから、ラスの親友として貴様に言っておく。俺の親友を愚弄することは絶対に許さない。
これ以上、あいつを貶めるなら黙ってはいない」
「粋がるなよ、小僧。新聞王や馬賊の大将にならいざ知らず、貴様如き小僧に遅れを取るものかよ」
「なら、試してみるか? ……死んでから後悔するなよ」
「抜かせッ!」

 見れば、アルカークの鉤爪からゲル状の液体が滴り落ちている。
明らかに天然素材の物にはない光沢を発するその液体は、床に零れ落ちると鼻が曲がるような悪臭を放った。
 見るからに毒々しいその液体は、アルカークが予め義手に仕込んでいたものではない。
これこそが任意の物体に猛毒を塗布できるアルカーク自慢のトラウム、『キルシュヴァッサー』なのである。
 ワインの銘柄と同じ名称と言うのが妙に気障だが、威力――むしろ殺傷力か――は、
その気取ったネーミングとは裏腹に極めて強力で、人間の場合は掠めただけの傷でも致死量に至るのだ。
 鉤爪より滴り落ちたゲルの溜まりからは白い蒸気が立ち昇っている。
その様は毒性の強さを暗示しているようにも見えた。
 瘴気漂わせる蒸気を睥睨しながらもアルフレッドは一歩も退かない。
両腕を使えない状態であるにも関わらず、アルカークと対峙することに少しの迷いもなかった。
 灰色の銀貨は振動する気配もない。パトリオット猟班との戦いに続き、グラウエンヘルツへの変身は望めそうにない。
それどころか、ホウライも満足には使えないだろう。多少なりとも体力は回復したが、万全な状態には程遠い。
 しかし、そのような悪条件など今のアルフレッドに瑣末なことだった。
言ってはならない禁句に触れてしまったアルカークを黙らせる――ただそれだけである。
 蹴りのみで戦えるとの判断は慢心などではなく、フェイを抹殺しようとした際の身のこなしや技を分析した結果だった。

 機先を制してパルチザンでも喰らわせよう。一撃必殺を決意して間合いを詰めに掛かるアルフレッドだったが、
右足を踏み出そうとした瞬間、突如としてジャーメインが飛び込んできた。
何を思ったのか、彼に背を向けて仁王立ちし、アルカークを睨み据えている。
 何の脈絡もない行動に唖然としたアルフレッドは、肩を並べているセフィと互いの顔を見合わせつつ、
呆れたように口を開け広げるばかりであった。

「何だ、小娘? どう言うつもりだ? 貴様から先に殺して欲しいのかッ!? なんなら、二匹同時でも構わんぞッ!? 
雑魚が一匹二匹増えたところで何の問題もないッ! 始末の手間が省けて一石二鳥だッ! ……小賢しいガキどもがッ!」
「この男と同じ台詞を言わせるな。……どう言うつもりだ、バロッサ。お前に加勢される覚えはない」
「うっさいよ。ケガ人は黙って見学してなってば。……アタシたちと戦ったせいで負けたなんて、
そんなウワサが立ったら敵わないってだけよ。それだけのことなんだから」
「バロッサ、お前……」
「ジャーメインでいいわよ。それか、メイ」
「いや、しかし……」
「みょ、妙な勘違いしないでよね!? あんたの手助けなんて、ホントはイヤでイヤで仕方ないんだからさっ!」

 予想外の展開であるが、どうやらジャーメインはアルフレッドの過剰な負傷に責任を感じ、
ある種の埋め合わせとして、彼の代わりにアルカークへ立ち向かうつもりのようだ――

「……本音は何だ、ジャーメイン」
「このクソオヤジをぶちのめしたいッ!」

 ――否。先程まで並べ立てていたのは建前以外の何物でもなく、これこそ偽らざる本音であった。
要するにジャーメインもアルカークへの鬱憤が爆発したと言うことだ。
 困ったように溜め息を吐き、事態の収拾を求めてシュガーレイに目配せするアルフレッドだったが、
彼女の短慮を諌めるべき立場にある猟犬の長は、自分は関知しないとでも言うように肩を竦めて見せた。

「敢えて同志を害する必要はない……が、部下の考えを力任せに押さえ付ける理由もない。
あれを処分することがギルガメシュ根絶の近道と見なしたのであれば、メイが望むようにすれば良いだけだ」
「作戦完遂にあの野蛮な男は不必要だ。そんなことはとっくの昔にわかっている。
だが、排撃はジャーメインではなく俺の役目だ。交代するようにあんたからも言ってくれ」
「それは出来ないと言ったばかりだ、ライアン。スカッド・フリーダムの義士は、戦いの場に横槍を入れられることを何より嫌う。
戦いの前には、ジャーメインであろうと誰であろうと自由に解き放たれている」
「それでも、お前なら止められるだろう? ……俺は親友を虚仮にされているんだ。
ヴィクドの提督には、一発喰らわせなければ気が済まない」
「ならばいっそ、メイと一緒に戦ってみてはどうだ。我らは集団戦法も心得ている。必要なら私も加わろう。そのほうが手っ取り早い。
……ギルガメシュは討たねばならんが、係わり合いのない難民まで巻き込もうとする者は、生かしておいても何ら利はあるまい」
「シュガーレイ……」

 相変わらず淡々と人格破綻を口にするシュガーレイではあるが、彼自身はアルカークに迎合するつもりはなさそうだ。
 しかも、だ。シュガーレイはニコラスを初めとするAのエンディニオンの難民についても寛大であった。
当然ながらギルガメシュに忠誠を誓う輩は攻撃対象であろうが、
さりとてヴィクドのように異世界より訪れた人々を全て標的にするわけではない。
 仲間の不幸に「壊れ」、スカッド・フリーダムから離脱したとは雖も、彼らも元は義の戦士。人としての道理は弁えているのだ。

「――親友と言ったな。親友は大事にしろ。例え生まれた世界が別々であっても、結んだ絆に嘘偽りはなかろう。
……思えば、不幸な話だ。彼らもまた犠牲者なのだからな。ギルガメシュ如きに振り回されないようしっかりと守ってあげるんだ」

 この言葉にもアルフレッドは安堵した。「ギルガメシュは同胞の命をも弄ぶと聞く。同じ穴の狢になるのは真っ平だ」と言い添えた辺り、
ボスたちが参加するエトランジェも彼の中では犠牲者の範疇に含まれるだろう。

「若造めがッ! どいつもこいつも道理と言うものを解っておらんッ! 寄生虫の仲間は、所詮、寄生虫だッ! 
野放しにしておけば、必ず徒党を組むッ! 地べたを這いずり、泥水を啜るようなカスから順番に正気を失うのだよッ! 
我が身可愛さは誰だって同じだッ! ……犠牲者? そうだ、ヤツらは犠牲者だ。
だが、犠牲者が寄り集まれば、たちまち侵略者に摩り替わるッ!」

 犠牲者と攻撃対象を選り分けると言うシュガーレイのスタンスをアルカークは惰弱と嘲笑った。
ヴィクドの提督の血走った眼には、シュガーレイの考えはどっちつかずの半端者のように見えるのだろう。
 尤も、ひたすら偏狭で公平性を欠く差別主義的なアルカークが他者のスタンスを詰ったところで、誰の賛同も得られないのだが。

「エルンストを釣り餌にしてギルガメシュを滅ぼすのは良い。そこは折れてやる。だが、見誤るな!
これは馬賊とギルガメシュの代理戦争ではないッ! ふたつの世界の戦争なのだッ!」

 留まるところを知らないアルカークの壮語に苛立ちを募らせるジャーメインは、
舌を出して嫌悪感を露にし、次いで「アルも大概だけど、アンタはもっと腐ってるよっ!」と吐き捨てた。
 敵愾心はお互い様であり、両者の間に散っていた火花はいよいよ一触即発の様相を呈している。
ジャーメインが両拳に纏うホウライの蒼白い輝きを、毒々しい光沢のキルシュヴァッサーが反射し、
両者の顔へ些か不気味な陰影が差し込んだ。

「やるってんならよぉ、俺らはアルフレッドに手ェ貸すぜ」

 殺伐とした空気に包まれる両陣営に思いがけない一声が割って入り、これによって情勢は再び激動した。
 イーライだ。ことの成り行きを静観していたイーライが、アルフレッドとジャーメインへの加勢を申し出たのである。

「……どう言う風の吹き回しだ? 俺に借りを作っても何の得にもならないぞ」
「てめぇはどうしてそう可愛げの無ぇリアクションしかできねぇんだか。もっと素直に喜びやがれ」

 何か魂胆があるものと訝るアルフレッドへイーライは舌打ち混じりの溜息を漏らした。
 第一印象が最悪だった所為か、イーライに対して不信感を拭えずにいるアルフレッドにとっては、
加勢の申し出自体が怪しく思え、何らかの罠ではないかと勘繰ってしまうのだ。
 大体、三者の誰よりも早く決闘から脱落したイーライが、
美味しいところを全部持っていったアルフレッドに怨恨を抱いていないわけがない。
どうせ後になって巨額の報酬でも請求してくるに決まっている――何とも失礼な話であるが、
イーライの申し出はアルフレッドに小賢しい逆恨みとして捉えられていた。
 勿論、ジャーメインも黙っていない。アルフレッドに「手を貸す」と言うことは、必然的に彼女との共闘になる。
アルカークの粉砕を望むジャーメインからすれば、これ以上に迷惑な横槍はなかった。

「なに勝手に話を進めてんの!? ケンカに人の手を借りる程、アタシは落ちちゃいないよっ!」
「てめぇンとこの大将も言ってたじゃねーか、まとめてかかりゃ早ェってよ。
ンな単純な足し算も出来ねぇのか、てめぇ。さては数学のテスト、毎度赤点だったクチかぁ?」
「アンタと一緒にしないでよっ! 赤点はギリッギリで回避してましたーっ!」
「あァんッ!? てめぇが俺の何を知ってるってんだよッ! 満点だってバンバン取りまくってたわ!」
「追試でしょ、どうせ! 追試でならアタシも百点くらい取ったわよ! テストの前にヒントとかくれるし!」
「ケッ――クサレたマネしやがるッ! 追試ってなぁ、追々試、追々々試の恐怖に怯えながらド根性で切り抜けるもんだぜ。
ンな甘ェことやってんだ、タイガーバズーカも底が知れるってもんだぜ」
「言わせておけばッ! あんたのガッコ、偏差値いくつよ!?」
「黙れやッ! さもしいんだよ、偏差値とかどーとかッ!」
「……さっきから何を不毛な言い争いをしているんだ、お前らは……」

 共通の大敵を捨て置き、とてつもなく小さな世界のいがみ合いを始めたイーライとジャーメインを宥めたレオナは、
尚も猜疑の念を満面に貼り付けているアルフレッドへウィンクをひとつ送った。

「ここはイーライの心遣いを素直に受け取ってあげてください、アルフレッド君。ただ筋を通したいだけなんですよ、イーライは。
キミのコトをこの場の誰よりも認めてるのは、他ならぬイーライなんです」
「――ンなッ!? お、おい、てめ…レオナッ! なにこっ恥ずかしいコト、ほざいてやがんだよッ!!」
「だって本当のことでしょ? それ以外に力を貸す理由があるのかな?」

 忙しなく口を開閉させながらも声が出てこない様子のイーライが楽しくて仕方ないのか、
レオナはしきりに忍び笑いを漏らしている。見れば、彼女のパートナーは柄にもなく顔を真っ赤にしていた。

「今しがたの戦いでも、キミのことをずっと心配していましたよ。左腕をやられたときは顔真っ青でした」
「だ、だ、誰がンなツラぁッ!?」

 満面を林檎の如く真っ赤に染め上げたイーライに驚くやら吐き気を催すやら――
アルフレッドとジャーメインは、何とも例え難い奇怪な表情を浮かべつつ、互いの顔を見合わせるばかりだった。

「……本気なのか? ボル――……いや、イーライ」

 イーライと比較して、まだ人間性に信頼が持てるレオナの解説によってようやく不信感を和らげたアルフレッドは、
得心がついたと言う証をささやかながら態度で示した。
 ほんの些細な変化ではあるものの、イーライは漏らすことなく感じ取ったらしい。
彼の面を席捲していく羞恥の発熱は、とうとう耳朶にまで及んだ。
 パートナーの様子を眺めながらレオナは朗らかな笑みを浮かべている。
 彼女が気を利かせていなければ、人の厚意を突っ返すような態度にイーライが臍を曲げ、
再び三つ巴の戦いへと雪崩れ込んでいただろう。そう予感させる程にアルフレッドの心は猜疑に凝り固まっていたのである。

「チッ――るっせぇな……そこらへんの理由は手前ェで勝手に考えやがれ。妄想でもしていやがれ。
こっちはこっちで好き勝手に動くだけだからよ」
「――ったく! アルもアンタも、男の子って、どーしてこう面倒くさいのかなぁ」
「黙れ、ネンネ! てめぇが男を語るんじゃねぇよッ!」
「はいはい。こーゆー場合ってさ、そーゆーキレ方をしたほうがお子ちゃまなんだよね。全然イラッと来ないわねぇ〜。
むしろ、応援したくなるカンジ? ああ、ボクちゃん、背伸びしたいお年頃なんだねっ」
「てめぇ、コレ終わったら覚えてやがれよ」

 ここに至って、ジャーメインの参戦も不可避の流れとなっている。
メアズ・レイグはともかく彼女にまで手を借りることは避けたいアルフレッドだったが、
両名ともに肩を並べてアルカークと睨み合いを演じており、最早、誰にも止められそうになかった。
 それとなくマイクの面を窺うものの、かの冒険王は苦笑するばかりでロープに手を掛ける素振りもない。
「ブッ殺せ! 血を見せろ! いや、血で魅せろ!」と物騒なことを喚くティンクのように闘争心の扇動こそしないもの、
アルカークとの対峙を押し止める意思も持ち合わせていないらしい。
 こうなってしまうと、アルフレッドも観念するしかなかった。

「――三人とも、……恩に着る」

 だが、一度、割り切ってしまうと一騎当千の援軍を得たような頼もしさが湧き上がってくるのだから、
人間とは不思議と言うべきか。それとも、胴欲と比喩するのが正しいのであろうか。
 メアズ・レイグとパトリオット猟班の実力は身を以って知っている。
彼らが味方になってくれると言うのなら、この機(とき)をアルカーク撃墜のチャンスと捉えることも出来るのだ。
いい加減、無用にして無益な差し出口にも辟易していたところである。

「粋がるなよ、ひよっこどもが――さぁ、さっさとかかって来いッ!! まとめて相手してくれるわァッ!!」

 数の上で劣勢に立たされたとは言え、アルカークも提督と称してヴィクドを率いる長である。
気後れするどころか、なお一層の闘志を燃やし、ジャーメインとメアズ・レイグを相手に大見得を切った。
荒くれ者どもを統率し得る器を完璧に表した、実に豪胆な啖呵であった。
 イーライは右の五指を針金状に変身させ、彼に従うレオナも腰を低く落としつつ突撃槍(ランス)を構えている。
拳に纏わせるホウライの輝きを一等強めたジャーメインは、獲物を前にした肉食獣の如き笑みを愛らしい口元へ浮かべていた。


「ちっちっちィ――君たち、こう言うときこそフレンドシップが必要なんじゃないかね? んん? 
博愛の精神がエンディニオンを救うのだよ」

 ところが、だ。今にも爆発しそうなメアズ・レイグとジャーメインの闘志も、威勢の良いアルカークの大見得も、
この男の拍手に阻害されては、たちまち安っぽい印象に成り下がってしまう。
凄まじい勢いで睨み合う両陣営を、ファラ王は「どっちも大人になれよ」と呑気に笑い飛ばした。
 しかも、だ。命知らずなのか阿呆なのか、殺気立つアルカークの肩へと枝垂れかかった上、
その首筋に息を吹きかけ、「君の漢ぶりには惚れ惚れするぞよ」とまで囁いている。
 これにはアルカークも堪らない。気色悪いこの男を引き剥がそうと激しく身を捩ったが、
ファラ王は轟然と振り回される彼の腕を巧みにすり抜け、今度は唖然と固まっているアルフレッドの顎を細い指先で撫で上げた。

「それ、アルフレッド君。そんな怖い顔しとらんとアルカーク君と頬ずりでもするが良いぞ。
先ほど君も謳い上げたのではなかったかね? 美しい博愛の精神を」
「ちょ……、こ、この変態ッ! アンタ、何やってんのさっ!?」

 あまりの怖気に身を硬直させてしまったアルフレッドを助けるべく前蹴りを繰り出すジャーメインだったが、
ファラ王はそれすらも避け、まるで蛇がうねるようにしてイーライへにじり寄っていく。
 先んじて戦慄に打ちのめされたふたりと同じセクハラ行為をイーライにも敢行するつもりであったらしいが、
その指先が彼の頬を撫でつけるよりも早くレオナの平手打ちがファラ王を直撃し、あわやのところで貞操の危機は回避された。

「イ、イーライは私のものですっ! 相手が誰だって浮気は許しませんっ!」
「……わかってる、わかってるから。浮気なんか絶対にしねぇだろ、俺。だから、落ち着けって……」

 華奢な見た目とは裏腹にレオナもなかなか剛の者のようだ。
 叩き込まれたのは平手打ち一発限りだったにも関わらず、ファラ王の身体は軍議の間を横断するように吹っ飛び、
エルンストが背にする壁面へと水平に突き刺さった。丁度、エルンストの頭上に爪先が影を落とすような恰好だ。
一応、断っておくが壁は木製でなく石造りである。
 人智を超えた力でも発生しない限り、このような現象はまず起こらないだろう。
いくらイーライが他人から色目を使われる危機に直面したとは言え、類稀なる豪腕もあったものだ。

「まあ、その、アレよね。確かに浮気なんか出来ないね」
「何と言ったら良いのか、わからないのだが……。レオナは果報者なんじゃないか、ある意味。
イーライに浮気の心配がないと分かって、な……」
「ンな生温かい目で見るんじゃねぇよ! こちとら満足してんだ! バカヤロッ!」

 レオナの豪腕を目の当たりにして青くなっているイーライへアルフレッドとジャーメインは同情を禁じえなかった。
メアズ・レイグ二人の夫婦喧嘩がどんな惨状となるのか、これを見せられれば想像に難くない。

 石壁に突き刺さるほどの速度で物体を吹き飛ばすレオナの豪腕もさることながら、ご丁寧に突き刺さるファラ王もファラ王である。
 まるで中途半端に打ち付けられた釘のような恰好で石壁から生えた――と表現する以外に言いようがない――彼は、
そんな状態であるにも関わらず、「乙女の嫉妬もまた美しきこと」と至って呑気。
 誰もが即死間違いなしと考える中で非常識な生還を果たしたファラ王には、
アルカークでさえ思わず「いや、そこは死んでおけ」とボケをかましてしまった程だ。
 「我が主が粗相をして申し訳ない」と、テムグ・テングリ群狼領の将兵にひたすら頭を下げ続けるアポピスはともかく、
プロフェッサーやダイジロウたちはファラ王の助けに出張っても良さそうなものだが、
四人とも呆れたように頭を振るばかりで肩を貸そうともしない。
 ファラ王の庇護のもと、グドゥーで暮らす彼らは、このような光景にもすっかり慣れてしまったのかも知れない。

「朕の愛するフレンドシップな精神こそ、アルフレッド君の言う“人の和”を完成させるのに必要ではないかな?」

 エルンストの助けを借りて石壁から引き抜かれたファラ王は、
滝のように滴る流血を拭うのもそこそこにアルフレッドたちのもとへと戻っていく。
 途中、軽い脳震盪を起こしたらしくフラフラと足元がもつれたが、すぐさま意識を持ち直し、
ゾンビでも見るかのような表情の一同に向かって、今一度、博愛の精神を説いていった。
プロフェッサーたち異世界の難民を救った精神を、だ。

「アルカーク君は全部の難民を敵のように言ったがね、それは違うと朕には断言できるぞ」
「……ライアンならばいざ知らず、貴様のように生まれたときから脳が腐っているような男に豪語されてもな……」
「なんとも珍妙な形容詞! 良いぞ、実に良い! 朕としては明日から名乗りたい称号でもあるぞ! 
我ながら素晴らしきフレンドシップよ!」

 アルカークの肩を叩きつつファラ王が高笑いを上げたとき、アルフレッドは守孝を手招きで呼び寄せた。

「……前言を撤回するようで恰好が付かないんだが、控室からマリスを呼んできてくれ。
手遅れなのは分かっているが、一応、あいつのトラウムで治療を施してみよう」
「ファラ王殿のことでござるか。……ううむ、マリス殿を連れて参るのはやぶさかではござらんが、快癒は難儀と心得て候」
「一緒にホゥリーも呼んできてくれ。効果が見られなかったらあいつのプロキシで火葬しよう」
「いいわよ、アル。ホゥリー呼ばなくてもあたしがやってやるわ。火葬だと煤が飛び散って周りの迷惑になるし、
この際、土葬にしましょう、土葬に。軽く地面割るからそこに放り込んでさ」
「さすがはマコシカの酋長。歩くラードなど比べ物にならぬほど頼りになるのぅ。いや、比べることが失礼か」
「立て続けに温かいエールが来たものよ! しかも、途中から朕以外の人間にまで気をかけるとは! 
君たちの懐の深さにはこのファラ王、涙がちょちょ切れるぞ!」
「アルフレッド殿、最早、行かん。こうも腐乱しておっては手遅れにござろう」
「いっそムーラン・ルージュで殴ってみる? 壊れかけのテレビみたく衝撃を与えれば直るかも知れないわよ」
「いいっていいって! ハーヴさんの手を煩わせることはないよ。アタシが肘でも落としてみるからさ!」
「やはり、土葬しか落としどころがなさそうだな……」

 狼少年の寓話が象徴するように普段から奇天烈なことばかり放言していると、
肝心な機会に誰も真面目に耳を貸してくれなくなる。現在のファラ王は、まさしくそう言った状況に置かれていた。

「朕がグドゥーを統一できた最大の勝因はな、フレンドシップ以外の何物でもないのよ。
アルカーク君が毛嫌いしている難民――プロフェッサーたちと手を組んでな、
初めて他のやんちゃくれたちとケンカできるだけの力を得られたと言うわけだ」
「それが貴様の言うフレンドシップとやらか? 言い回しを変えたところで奴隷と変わりあるまい。
貴様の友人とやらは、どうやら金で買えるようだなッ!」

 暗に奴隷呼ばわりされたダイジロウとテッドは一気に殺気を膨らませ、獲物を狙うような眼差しでもってアルカークを睨み付けたが、
これはプロフェッサーが押し止めた。普段は目下の助手に軽んじられているようにも見えるのだが、
ここ一番では年長者としての頼もしさを発揮するようだ。
 ダイジロウもテッドも、この場はプロフェッサーへ素直に従った。
 何やらバイオグリーンもモゾモゾと身じろぎしていたが、万物を腐食させる怪光線で報復しようと言うわけではなさそうだ。
いつものような奇抜な言動も今は収まっている。
 アルカークの発した差別的な言葉に激昂した四人が“本来の力”を発動し、報復に打って出るものと危惧していたアポピスは、
乱れそうになった場を巧く取り鎮めてくれたプロフェッサーに頭を下げると、次いでファラ王とアルカークの対峙へ視線を巡らせた。
 いつもはつぶらな瞳を憂いで満たしているものの、このときばかりは盟主に対する尊崇で輝いている。

「いかにもいかにも。朕はそんじょそこいらの小金持ちとは違うでな。
ちり紙に使ってもまだ余る札束に一生かかっても食い切れぬ食糧を持っておる。
それらを分けてやったれば、ギブアンドテイクよろしく朕の家来になると申し出て来たのよ」

 グドゥーへ迷い込んだ難民たちのことを詳らかにしていくファラ王は、状況説明の為に「家来」なる呼称を使ったが、
しかし、ただの一度とて奴隷と言う単語には触れなかった。

「朕とて一度面倒見て情が移ってしまってなぁ、今更、彼らを野っ原に放り出すわけにも行かず、生涯の友となったわけよ」

 「朕は年間通して友達募集中!」と腹を抱えて笑うファラ王へ感心しながら何度となく頷くのは、意外にもメアズ・レイグだった。

「需要と供給がマッチしたってわけか。…ま、俺らも安定した暮らしをしてるんじゃねーからよ、
食わしてくれるヤツに随いてくって気持ちもわからんでもねーがな」
「さもしい話ではあるけれどね。冒険者稼業も楽じゃないのよね」
「……そこの小物どもの囀りはともかく――貴様の言いたいことはわかったぞ、グドゥーの太守よ。
つまりは魚心あれば水心と言うことだろう? このオレに異物どもを手懐けろとでも言うのか?」
「ここまで話したと言うのにな〜んにもわかっておらんとは、朕もちと寂しい。
物資の供給はあくまで手段よ。アルカーク君、キミは大切なことを見落としておる」
「いいから結論を言わんかッ! オレとていつまでも貴様の虚言に付き合ってはいられんのだッ!!」
「フッ……知れたこと――フレンドシップよ!」

 どうしようもなく下らない理由で陥った四面楚歌の状況にもめげず、と言うよりも自身の境遇にも気付かず、
ファラ王は持論を説くのを止めなかった。
 予想外に含蓄ある論であったから驚きだ。最初はまたしても与太話を始めたと見なされていたのだが、
グドゥー地方の統一を果たした背景を例に挙げ、ファラ王なりにアルフレッドの献策をフォローしていたのである。

「事情はどうあれ、何も知らない訳もわからない異世界に放り出されたのだ。
行き場のない人々を助けてやろうと手を差し伸べる博愛の精神。これがキミには足らんのだよ、アルカーク君。
……アルフレッド君が怒ったのも無理あるまいよ。異邦人だろうが難民だろうが、人間は人間、みな友達ぞな。
友達をゴミタメのように言われれば、誰だって腹を立てよう」
「………………」
「人間と言う生き物を心の底から楽しんでおれば、出自も何もさして気にならなくなるのだよ。
アルカーク君、もっと人生をエンジョイしたまえ」

 ファラ王のその言葉にアルカークだけでなく軍議の間に参集した全ての人々が息を呑んだ。
誰よりもズレているファラ王が正論を口にするとは思っていなかったのである。
不意打ちと呼ぶにはインパクトが強過ぎるあるこの成り行きには、驚嘆の一言であった。
 ファラ王の勢力圏内に漂着したプロフェッサーたちの加勢がグドゥーの統一には必要不可欠だった。
この事実は諸将も周知しているが、その連携を実現したのが難民に対する物資の提供だったことは、
背景事情も含めて相当に意外であったようだ。
 グドゥー統一に至る展開をアルカークは「奴隷」と言う蔑称まで用いて誹ったが、
ファラ王本人に言わせれば、これは巡り巡った人の情けである。
 「情けは人の為ならず」と言う諺が示す通りの結果であったことは、力強く首肯するプロフェッサーや彼の助手たちが証明している。

「ファラ王さんは行くアテもなかった我々に過分な温情を掛けて下さった。それに報いたいと思う心に国境などあろうか。
フレンドシップ、大いに結構! 我々は世界を隔てて結び合っている」

 プロフェッサーによれば、当初、ファラ王は見返りすら求めていなかったと言うのだ。
グドゥーに新たな首領を生み出したのは、世界と言う拘泥(こだわり)を超越した壮大なる恩返しなのである。

「私もアレクサンダー大学の皆さんと同じですよ。マイクさんには本当に御礼のしようもないくらいお世話になって……。
別の世界から飛ばされてきたとき、それこそ右も左もわからない状態でした。私と同じ境遇の人間はそこら中に散らばっているでしょう。
ギルガメシュは暴力で同胞を束ねようと画策していますが、それは違う――人を救えるのは、やはり人の心なのです」

 プロフェッサーへ追従するような発言で諸将を驚かせたのは、ティンクの真隣にて情勢を見守っていたジョウ・チン・ゲンである。
 マイクの従者と言う立場上、己の意見を押し殺して静観を決め込もうとしていたところ、
ファラ王とアレクサンダー大学――前後のやり取りから察するにプロフェッサーたちが所属する学府であろう――の人々の熱い絆に触発され、
胸中に溜め込んでいた思いが溢れ出してしまった様子である。
 一気呵成に並べ立てた後、恥らうように咳払いをしたジョウは、最後に「フレンドシップ、大いに結構……」と付け加えた。
 ジョウもまた難民のひとりである。異世界に放り出された他の同胞と同じく辛酸を舐め、苦労を重ね、
明日をも知れぬ疲弊の果て、マイクによって救われたのだ。
 「竜の絡みつく七芒星」と言う不思議な紋様を染め抜いた袖を振り上げ、「人を救えるのは、人の心」とまで熱弁する姿を通して、
ジョウがマイクから受けた恩と、これに対する感謝の深さが透けて見えるようだった。
 毒々しい――いや、禍々しい装いには似つかわしくない澄み切った声によって紡がれる言葉の数々は、
人に道理を諭す説法のようにも聴こえ、実際、レイチェルなどは「語り部とマコシカに欲しいくらいよ」としきりに感心している。
 一方のマイクは、何ともくすぐったそうに頬を掻いていた。ジョウの熱弁によって新たな伝説を知った諸将は、
冒険王に向かって尊崇と羨望を混ぜ合わせたような眼差しをぶつけている。それがマイクには気恥ずかしくて仕方ないのだ。

「大袈裟なもんじゃねぇよ。佐志だってテムグ・テングリだって同じようなコトをやってるみたいじゃねぇか。
みんなだって目の前に困ってる人がいたら助けるだろ? ただそれだけのことだよ」

 本人にとって愉快とは言い難い流れを打ち切るかのように、マイクはファラ王に向かってそのように呼びかけた。
 これを受けてファラ王の側も鷹揚に頷き返し、続けて「それがフレンドシップなのだからな」とピースサインを見せた。
 ふたつのエンディニオンの間で結ばれた絆の在り方を模倣すれば、必ずや“三陣”の要たる「人の和」は得られる。
その自負がファラ王とマイクには備わっているわけだ。難民全てを攻撃対象とし、ともすれば「人の和」を軽んじるアルカークとは
根本的に相容れないのである。
 相手を思いやり、そして、信じてやらなければ互いに心が通い合うこともあるまい。
「人の和」を成すにはフレンドシップ――人を慈しむ心は欠くべからざる要素であった。
 だが、ファラ王が言うところのフレンドシップ――つまり、ギルガメシュに対抗する為の“三陣”の要をふたりがかりで説かれても
アルカークは決して首を縦に振ろうとしない。理由なき反抗の如く強情を張り続けた。

「異物をゴミタメ扱いして何が悪い。オレはエンディニオン人だ。それ以外の異種生命体を受容するつもりは毛程もない。
フレンドシップ? ……笑わせるな。馴れ合いなどまっぴらごめんだ」

 あまりの意固地に辟易したイーライとジャーメインは、やはり力ずくで排除するしかアルカークを黙らせる術はないと頷き合った――

「……だが、忌々しいギルガメシュを葬り去れるのなら、捨て駒としての使い方くらいは覚えておいてやらんでもないぞ」

 ――が、ふたりが拳を振り上げた矢先、ヴィクドの提督は急に手の平を返してファラ王の「フレンドシップ」を承認した。
これまでの強情が嘘のような変わり身である。
 長時間に亘って彼と論争を繰り広げ、半ば相互理解も論破すらも諦めかけていたアルフレッドは、
予想を裏切る急展開に思考が追いつかず、拍子抜けしたように口と双眸を開け広げるばかりだった。
 当のアルカークは、驚愕に歪んだアルフレッドたちを不敵にして悪辣な笑みを浮かべて一瞥し、
やがてその場にどっかりと腰を下ろした。これ以上の反論を唱える意思がないとの表明であろう。
「ギルガメシュ打倒の為」と、わざわざシュガーレイの弁をなぞらえたのは、最後の抵抗をも込めた皮肉に違いない。
 軍議の間に居合わせた諸将が呆気に取られる中、エルンストはアルカークの変わり身を賢明として評価していた。
見れば、マイクも薄く笑みを浮かべているではないか。つまり、彼もまた馬軍の覇者と同じ結論に到達したと言うわけである。

 基本的にはどうしようもなく頑固で融通の効かないアルカークではあるものの、彼とてヴィクドを率いるの身。
自分の個人的な感情を優先し、意固地な態度を取り続けることが領民にとってマイナスにしかならないと判断したのであろう。
さんざん場を乱してくれたが、抜き身のままでいた鉾を納め、歩調を合わせようと言う意思が現在は感じられる。
 誰も想定していなかった筋運びだが、ファラ王の機転が膠着状態に突破口を開いた次第である。

 当のファラ王は多量な失血と全身打撲によってついに卒倒し、議論に参加できる状態ではなくなってしまった。
 貧血で眩暈を起こしたと言う程度ではなく、完全に意識を失ったようだ。
プロフェッサーらと共にファラ王のもとへ急いでいたアポピスがヴィトゲンシュタイン粒子に還り、消失したのである。
トラウムとは、使用者の意識が途絶すると自動的に具現化が解かれてしまう――
これによって恩人の重傷を悟ったダイジロウは、「殺しても死なないような体質のクセして、どうしてマジにダメージ喰らってんですか」と
素っ頓狂な声を上げた。
 功労者たるグドゥーの太守を軍議の途中で離脱させるのは惜しい――そう考えたエルンストの意を受け、
デュガリは自軍の兵にファラ王の介抱を命じた。直ちに衛生兵を呼びつけるつもりだ。
 しかし、エルンストの配慮もデュガリの差配も、間もなくひとりの人物によって途絶させられてしまう。
それはつまり、連合軍の中核を担う男の言葉すら通用しない相手と言うことである。

 やがて軍議の間を襲う嵐の予兆へ真っ先に気が付いたのは、ことの成り行きを静観していたシュガーレイである。
 虚を衝かれたことで拳を下ろすタイミングを失し、悶え苦しむジャーメインとイーライなど軍議の間の情景を見回していた彼は、
出入り口に奇妙な一団を捉えた。
 正しくは、出入り口の向こうに広がる情景と言うべきか――数名の供を引き連れながら回廊を渡る人影を見つけたのである。
黄金の装飾をあしらった象牙色のドレスに身を包むその人影は、一直線に軍議の間へ向かってくる。
 黄金の輝きが映える褐色の肌や熟れた果実のような厚めの唇は遠目にも美麗であった。
豊かな髪へドレスと同色の布を巻きつけ、天を衝くようにして結い上げた様は、えも言われぬ妖艶な気を漂わせている。

「――クレオパトラ……」

 その艶美な姿に閃くものがあったシュガーレイは、今まさに軍議の間へ踏み込もうとする人影と、
白目を剥いて倒れているファラ王とを交互に見比べつつ、記憶の奥底に眠っていた名を引っ張り上げた。


「ファラが粗相をして誠に申し訳ありません――僭越ながら、ここから先はあたしが夫の任を引き継がせていただきます」

 今まさに話し合いがまとまろうとしていた矢先、軍議の間へ足を踏み入れたその女性は、
自身が引き連れてきた配下に命じてファラ王を然るべき場所へ搬送させると、彼の――夫の代理を務める旨を諸将に宣言した。
 その瞬間、軍議の風向きは一変したと言っても良い。彼女から発せられる気魄は独特にして異様であり、
触れた者の心を強く圧迫していく。豊満な肉体や人生の憂いを湛えた瞳からは不届き者が錯乱する程の色香を漂わせているのだが、
アルフレッドの心証としては、むしろパトリオット猟班のそれに近かった。
 一廉の傑物なのは間違いないが、エルンストやマイクともタイプが異なっている。
強いて言えば、絶対的な権力を帯びるジョゼフやマユに近いのかも知れない。
ルナゲイト家の人々から愛嬌を削ぎ落とし、纏う気魄を更に研ぎ澄ませたのがこの女性であった。
 クレオパトラ・オホル・ムセス――ファラ王の妻にして、『ジプシアン・フード』を取り仕切る副社長である。
しかしながら、それは表向きの姿。実際には享楽家の夫の代わりにグドゥー全土を仕切る影の最高実力者なのだ。
 類まれなる女傑と言う触れ込みは、新聞女王として名高いマユを想起させるが、
クレオパトラの存在に関しては単なる噂だとアルフレッドは思っていた。見ての通り、ファラ王は度を越した享楽家である。
そのような者にグドゥーを統一出来るわけがないと言う風聞が立ち、やがて「実は他に黒幕がいるのではないか」との疑惑に発展し、
新聞女王と結びつけるようにして膨らんだ結果、実像とかけ離れたイメージが一人歩きしたのではないか――
それがアルフレッドなりの考察であった。
 尤も、その考察は大外れであったらしい。クレオパトラ本人と対面した瞬間に襲い掛かってきた威圧感がその証左である。
クレオパトラからこの場に留まるよう指示されたプロフェッサーと助手たちは緊張し切っており、
テッドなどは後ろで手を組んだまま直立不動と言う有様だ。
 バイオグリーンの場合は、“異常”なのか、はたまた正常なのか、どうにも判別し辛い。
これまでの彼は、ホウライなどの超生命の波動――あくまで彼の命名に過ぎないが――とやらに共鳴し、
興奮の赴くままに奇天烈なことを口走っていた。しかも、折りに触れて全身を包むスーツまで発光させてきたのである。
常識的な会話が通じないとばかり思われていた面妖な男が何の脈絡もなくまともな喋り方に一変し、
「お待ちしておりました、奥方様」と恭しくクレオパトラを出迎えたのだ。殆ど二重人格のようなギャップであった。
 続いて軍議の間で起きたあらましをバイオグリーンから報告されたクレオパトラは、
貴賓への礼節を以って屹立する馬軍の覇者と向かい合い、改めてファラ王の代理を務めることを宣言した。
議長たるエルンストに筋を通そうと言うのだ。無論、彼に却下する理由はない。
 その様を見届けたバイオグリーンは、状況を飲み込めないまま呆然として固まるプロフェッサーの背中を叩き、
「プロフェッサーが固まってしまってどうするんだ。テッドやダイジロウを道に迷わせてはいけない」と注意を発した。
敬語を抜きにしたフランクな接し方は、助手と言うよりも同志に近いものがある。

「君たちも君たちだぞ。アポピスの加勢をするんじゃなかったのかな?」
「今になってそれを言うのかよ、グリーン。エネルギーがうんたらかんたらって言ったのは、あんたじゃねぇか。
対応を後輩に丸投げってのは如何なもんかね」
「ダイちゃんの言う通りですよ。柔道――いや、柔術を解説するのって、すごい大変なんですからね」
「あの場で一番手ェ空いてたのは、あんたじゃねーの? 俺たちのほうが助って欲しかったってモンだぜ」
「私と超生命の波動は切っても切れないものだからね」
「そいつはわかってるけど、ンな使命みてーに言われてもよォ……」
「せめてファラ王さんの無事は確保するべきだったよ。ダイジロウのロケットは被害が大き過ぎるとしても、
テッドのジュードーなら簡単だったろう?」
「見ず知らずの、それも女性をブン投げろと!? 堪忍してくださいよっ!」
「そうそう。キレェな姉ちゃんの肌に触れようモンなら、このウブ、一発で卒倒しちまうよ」
「……キミだって似たようなもんだろ、ダイちゃん」

 プロフェッサーに続いてダイジロウとテッドを窘めるバイオグリーンだが、
言葉の端々には後輩への親愛が満ちており、些か理不尽な要求が含まれてはいるものの、
それでも注意された側は邪険にもせず素直に頷くのみ。時折、苦笑が混じる程度であった。
 ふたりにとっては兄貴分――ただし、少しばかり扱いは大変であるが――のような存在なのだろう。
本人が言う妙な波動とやらに接触していないときは、存外に常識人なのかも知れない。
 肝心の“変身”については、グラウエンヘルツ同様にタイミングが一定でないこともあり、
ダイジロウとテッドは顔を見合わせて「これじゃツッコミ入れるのも一苦労だぜ」と溜め息を漏らしている。

「つーか、奥方サマ、絶妙なタイミングでお出でになったな。グリーンじゃねぇけど、テレパシー? シンパシーっての? 
夫婦の間には、やっぱそーゆー超感覚が働くんかねぇ」
「奥方様が何よりも嫌がりそうだけど……」
「さすがはプロフェッサーの愛弟子たち、想像力豊かだな。しかし、残念だ。メールで救援を要請したのが真相だよ。
あの流血はさすがにマズいと思ったのでね。案の定、見事にブッ倒れた」
「――へぇ? グリーンの手回しかよ? ナイス判断じゃないか」
「だろう? 私だって手を拱いていたわけではないのさ」
「いやいやいや! ファラ王さんが壁に突き刺さったときには、もう共鳴が鎮まってたってコトでしょう!? 
なら、グリーンさんが助けに行って下さいよ! 率先して! そうじゃなくても、自分たちに号令を出すとか……」
「そうしたいのはヤマヤマだったんだが、メールを打ちながらでは難儀でね……。
やっとモバイルを使えるようになったアナログ人間には、あれもこれもとデジタルなことは出来ないんだ」
「いや、問題はソコじゃなくて! 上手い言い回しも要りませんから!」

 馬軍の将士と挨拶を交わすクレオパトラを気に留めつつも談笑するバイオグリーンたちの様子を、
プロフェッサーは輪の外より仲間に入りたそうに見つめている――その様子を更に遠巻きに眺めるのがアルフレッドであった。
突如として現れた影の最高実力者について少しでも情報を得ようと努めているのだ。
 セフィもこれに倣い、「私が唇と表情筋の動きを担当しますよ。アル君は話し声に集中を」と役割分担まで決める始末だった。
 あからさまとしか言いようのない盗み聞きを、ローズウェルは頭脳プレーと好意的に解釈し、
道義に反すると憤慨していたハーヴェストに尻を叩かれた。
スタッフの状態ならばまだしも三連装の機関銃で殴打されるのはさすがに堪えたようで、悲鳴を上げつつ飛び跳ねている。
 「尻! 尻が割れる! 分裂しちゃう! 新境地!」などと言う意味不明な雑音はともかくとして――
どうやらクレオパトラが来訪するきっかけを作ったのは、バイオグリーンであるらしい。
差別主義的な態度を硬化させ続けるアルカークとプロフェッサーたちが対決する最中、
密かに電子メールで状況報告を繰り返していたと言う。

「グドゥーの統一など有り得ないと思いましたが、あの方が取り仕切ったのなら得心がつきますね。
……アル君、私は少し背筋が寒くなりましたよ。付け入る隙がどこにも見つけられません」
「お前のガールフレンドと同じだな。……あいつ、アッシュにもちょっかいを出しているようだな」
「失敬ですね。黄金、宝石で飾らなくてもマユさんの愛らしさは何も変わりません。
先程も顔文字たっぷりのメールをくれたんですよ? ……嗚呼、ティビシ・ズゥのいたずらは残酷だ。一目だけでも会いたかった……!」
「誰もそんな話をしていないだろうが」
「あ、メール見ます? でも、すみませんね。これは私とマユさんだけの物です」
「お前な、時々、どうしようもなくアホになるよな」

 素っ頓狂な言動と裏腹に抜け目のないバイオグリーンや、電子メールのやり取りのみで事態を完璧に分析し、
次に打つべき手を果断したクレオパトラに対して、アルフレッドは感心を通り越して戦慄すら覚えていた。
セフィもまた同様である。ふたりして頷き合い、彼女が『影の最高実力者』とまで崇められる所以を確認した。
 ふたりと共にクレオパトラの動向を追っていた守孝は、更に「ファラ王殿とは違う意味で肝が据わってござる」とも付け加えた。
彼が評した通り、彼女は物怖じせずにエルンストと渡り合った後、マイクやティンクにも親しげに話しかけている。
諸将が畏敬する冒険王に対して、だ。

「珍しい顔があるわね。このテのことに『ビッグハウス』は関与しないのではなかったかしら? 
自力では“ドク”の救出は難しいと?」
「――チッ、やっぱり知っていやがったか。ドクのことは心配だけど、ここに来た目的は全然違ぇよ。
このサミットかっつーくらいの集まりをシキれって頼まれたんだよ。ルナゲイトの御老公にな。
……尤も、オレなんかいなくてもまとまったみてーだけどさ」
「バシッとカッコつけて登場したクセに殆ど出番ナシよね。そこらへんの埃やゴミとおんなじ扱いよぉ」
「るせーな、便所バエ。てめーみたいに目立ちたがりじゃねーからいいんだよ、オレはこれで。
適材適所だ、適材適所。エルンストがあいつに任せるっつってんだから、それでいいんだよ」
「負け惜しみってみっともないわねぇ〜。どうなのよ? ええ? 自分じゃなくて他のヤツがチヤホヤされる感想は?」
「……なんだか面白い話になっているわね。それは訊いていなかったわ。
ワイルド・ワイアットを押しのけるなんてヴィクドの提督かしら?」
「あの脂ぎったオヤジもうぜーけど、ゴミの代わりにココをシメてんのは別のボウヤ。お馬の大将のお気に入りっぽいが居るのよ」

 片手をひらひらと振りつつクレオパトラへ気さくに応じるマイクとティンクだが、これを見たジョウやプロフェッサーたちは一様に驚いている。
軽口を交えて談笑出来ると言うことは相当に親密な間柄のようだ――が、Aのエンディニオンより訪れた人々は、
そのような姿を初めて見るらしい。
 ジョウたちがBのエンディニオンへやって来る以前からの付き合いと言うことは間違いない。
振り返ると、ファラ王とも交流を匂わせていた。冒険の途中にマイクがグドゥーを訪れ、そこから親交が始まったと言うのが真相であろう。

 軍議に新たな波乱が起こったのは、クレオパトラがマイクとの談笑を終えた直後である。
彼女はその足をジョゼフのもとへ――つまり、アルフレッドたちが集まるブロックへ向けたのだ。
 ドレスの裾が床を擦る音はジャーメインとイーライの間を通り抜け、少しずつ佐志の面々へと近付いていく。
鼓膜を打つ衣擦れ音は、ただそれだけで聴く者を威圧した。
 多くの者の焦燥を大いに駆り立てたクレオパトラは、やがて佐志の代表たる守孝へ声を掛ける――かに思われたが、
彼を素通りした挙げ句、一歩下がった位置にてレイチェルと話をしていたジョゼフの前に立ち、
一礼を交えつつ、「お初にお目にかかります。ファラ・ハプト・ラー・オホル・ムセスの妻、クレオパトラと申します」と名乗った。
 ことの仔細を間近で見ていたレイチェルもこれには呆けてしまった。
どうもクレオパトラはこのブロックの統率者をジョゼフと勘違いしているようだ。
 本来、クレオパトラと相対すべき立場にある守孝は困ったように肩を竦め、横目でアルフレッドの様子を窺った。
存在を黙殺されたことには立腹しないが、この場に於いてはジョゼフよりも献策の責任者にこそ注目するべきと考えたのである。
事実、マイクとティンクも雑談の中で「エルンストのお気に入り」を仄めかしていた。
 クレオパトラとて確実にアルフレッドの存在には気付いている筈なのだ。
それにも関わらず、彼女は在野の軍師を相手にせず、また佐志の代表者をも黙殺し、
Bのエンディニオンを統べてきた新聞王の前に立ったのである。

「これはこれは、ご丁寧に――おヌシも気苦労が絶えぬじゃろう。やむを得ぬとは申せ、グドゥーから脱出せねばならんとはの。
かの地が再び戦乱の地獄絵図とならねば良いが……。そればかりが案じられるわい」
「お気遣い痛み入ります、新聞王殿。確かに私たちの治めるグドゥーは、かつて群雄割拠の時代が続いておりました。
ファラ・ハプト・ラー・オホル・ムセスの名のもとに統一されるまでの長い長い戦乱が……」
「ようやく再建に着手したところであったのにのぉ……。よもや決戦の舞台に選ばれるとは、なんとも因果な話じゃわい。
時代を逆戻りするような事態にならねば良いが……」
「重ね重ね、ありがとうございます。今のグドゥーは敵も仇もなく、皆が皆、戦乱で焼け爛れたグドゥーの復活に努めています。
四つの部族とて同じこと。夫の健勝と連合軍の再起を信じ、留守を預かっているのです。私たちはそれに応えなければなりません。
グドゥーの民に必ずや報いてやらなくては……!」
「ならば、一安心だの。再分裂など有り得ぬ天晴れな結束力、頼もしい限りじゃ」
「お誉めに預かり、恐悦至極――案じられるのはグドゥーよりルナゲイトのこと。マユ氏も行方知れずと聞き及んでおりますよ。
どこかの秘密基地にでも身を潜めておいでならば安心なのですが……?」
「元気も元気。今は佐志の世話になっておるよ。尤も、その内にまた動き回るだろうがの。
ルナゲイトのことはあれに任せておるでな、ワシも気兼ねなくこの大戦へ臨めると言うものじゃ」
「祝着でございますね。ルナゲイトは衰えることもなくご健在と言うこと――これはこれは、連合軍の追い風となりましょう」
「ルナゲイトとグドゥー、どれもエンディニオンにとっては欠かせぬ力じゃによってな」

 互いの根拠地の状況を確かめ合い、喉を鳴らして笑うジョゼフとクレオパトラだったが、
それは傍で聞いていても分かる程に余所余所しいやり取りであった。口調そのものは敬意を払っているように思えなくもないが、
結局のところ、単なる腹の探り合いでしかない。相手を気遣う心など微塵も入っていないのだ。
 朗らかな笑みを満面に貼り付けたまま仕切り直しの咳払いを披露したジョゼフは、
軍議のキーパーソンとして改めてアルフレッドを紹介し、彼の献策を基にして話し合いが進められている旨も併せて説明した。

(……一体、どこから来ていると言うんだ、この怖気は……)

 ジョゼフに促され、その隣に並んだアルフレッドは、自然とクレオパトラに対峙する構図となる。
正直なところ、彼は心底から全身へと波及する震えに自分自身で驚き、当惑していた。
ミルドレッド、ジャーメインと言う猛者を相手にした激闘でも慄く瞬間は多々あった。
人体急所を脅かされたときなどは代表的な例だが、このように得体の知れない恐怖とは質が違う。
 「おぞましさ」としか例えようのないものがアルフレッドの全身を這いずり回っていた。
 見せ掛けの降伏から逆転を図ると言う作戦を影の最高実力者へ解説していくものの、
その声は完全に擦れてしまっており、内容を承知している筈のセフィですら聞き取りにくいと感じる箇所を幾つも数えた程だ。
窮状を察したレオナからアイスティーの入ったブリキの水筒を渡される一幕もあった。
 意外にもイーライが淹れたと言うアイスティーで喉を潤し、すぐさまに解説に戻るアルフレッドだったが、
クレオパトラ当人は興味の有無さえ判別しようのない態度を取り続けている。
口火を切った瞬間に一瞥したきり、彼女は解説になど見向きもせずにジョゼフと視線を交えているのだ。
相槌ひとつ返さない沈黙が余計に彼の不安を煽り立てた。
 態度はともかくとして、一応、解説へ耳は傾けていたらしく、アルフレッドが逆転へ至る道のりを語り終えると、
プロフェッサーたちにも補足説明を求めた。自身の息が掛かった者たちにも彼の献策の価値を訊ねたと言うわけだ。
ジョゼフの推薦だけでは裏付けとしては弱かったのか、はたまた政敵の弁など信用していなかったのか――
様々な情報を複合的に吸収し、咀嚼したクレオパトラは、次いでエルンストへと視線を巡らせた。

「……何も案じることはない。アルフレッドは必ずや我らに力をもたらしてくれる。俺は死を賭しての戦も恐れはしない」

 エルンストの首肯を以ってアルフレッドの軍才を認めるようになったクレオパトラは、念を押すようにジョゼフにも真実か否かを訊ねている。
 ここに至ってもアルフレッドの頭越しの会話を貫くとは、何とも露骨過ぎるではないか。
正式に言葉を交わすのは、あくまでも“格の高い相手”と言うことであろう。
 これを古めかしい権威主義と取るか、首脳と呼ばれる立場の矜持と取るかによってクレオパトラを見る目は大きく変わる。
グドゥーを統括する以上、領地と領民の利害を第一に考えねばならず、自ずと言葉を交わす対象も限定される次第だ。
必要なのは、利害を明確に決し得る上位者――どうやら在野の軍師もその一員として“受容”はされたようである。
 負けん気が強く、感情の発露も真っ直ぐなイーライとジャーメインは、話し相手すら選り分けるクレオパトラの意識が癪に障ったようで、
口先を尖らせて不満を表している。
 当然ながらふたりの反発には彼女は見向きもしない。そのように瑣末なモノなど取り合うまでの価値もないのだ。
今の自分にとって――いや、グドゥーにとって最も価値のあるモノと向き合ったクレオパトラは、
「ハイリスク、ハイリターンなギャンブルと言うわけね。それも勝率は限りなく少ない」と作戦内容への疑問や矛盾点を次々と並べ始めた。

「降伏したと見せかけて敵の油断を誘うのはわかったわ。その隙に自由に動いて情報工作をすることも併せてね。
だけど、こちらの謀略が敵に漏れるとも限らないでしょう? その回避はどうするつもりなのかしら? 
人の口に封蝋は出来ない。何かの拍子につい出てしまうこともある。ギルガメシュにこの情報を売ろうとする裏切り者だって考えられる。
……連合軍は敗れている。兵士たちも先行きが不安でしょう。命乞いの条件には機密情報は打ってつけよ。
仮に緘口令を徹底出来たとしても、却って敵に怪しまれるんじゃないかしら。
あれだけ抗戦してきた者たちが黙々と恭順するのはおかしいってね」
「それは、……ご自身の体験でしょうか、ミセス・ムセス」
「クレオパトラで構わないわ。響きがガタガタで好きじゃないのよ、それ」

 クレオパトラが列挙した指摘は、諸将の間にどよめきを巻き起こした。次第にどよめきは作戦の難易度を論じるざわめきに転じ、
深く静かに動揺が広がっていった。クレオパトラひとりの闖入によって、まとまりかけていた軍議が振り出しに戻ったようなものである。
 世界に多くの思想が混在するのと同じように、アルフレッドの献策へ反発や猜疑を抱いたのはアルカークひとりではない。
パトリオット猟班との戦いを通じてアルフレッドが示した覚悟に焚き付けられ、熱せられるまま作戦内容を肯定してきたのだが、
クレオパトラの一言一言によって思考回路が冷却され、今ではすっかり我に返っている。
冷めた頭で考え直すと、在野の軍師が提案し、馬軍の覇者が認めた逆転策は無謀なものにしか見えなくなるのだ。
 クレオパトラはアルフレッドの戦いを、彼の覚悟を自分の目では見ていない。
何者にも左右されない客観的な視点の持ち主とも言い換えられるわけだ。仮にファラ王と共に最初から軍議に列席していたとしても、
彼女ならば周囲の昂奮や熱情に呑まれるようなことはなかったに違いない。
 諸将へ作戦内容を納得させるに当たり、スカッド・フリーダムを相手に善戦したと言う畏怖の念は有効に作用していた。
今やその心理は冷却され、作戦自体への不安だけが残された恰好だ。
 クレオパトラを相手に苦慮するアルフレッドへ厭味な笑みを浮かべ、「これこそ浅知恵の限界」とまで皮肉るアルカークを睨めつけたジョゼフは、
次いで身を強張らせているプロフェッサーたちを観察しつつグドゥーの権力構図を改めて思量していた。
 Aのエンディニオンからグドゥーへやって来た者たちは、忠誠の度合いはともかくファラ王に心を許しているのは間違いなかった。
対して、クレオパトラには萎縮するばかり。扉を開く前に心の働きを押さえられたような情況であろう。
 フレンドシップを掲げ、人心を掌握するのがファラ王の人柄であるが、それだけでは社会は回転しない。
夫に代わって統治の実質を引き受けるのがクレオパトラである。強硬的な辣腕を振るっているのは明白だった。
群雄割拠の地を従えるには欠くべからざる器量なのである。
 それはつまり、クレオパトラには小細工などが一切通じないと言う証しでもあった。
決着の寸前になって軍議の流れを断ち切られ、あまつさえ主導権を奪われたアルフレッドにとっては、
最大の危機とも言うべき局面である。

「クレオパトラ氏の言うことは一理あるな。この合戦には幾万もの人間が携わっている。
銃後を守る者まで含めれば、その総数は数え切れない。いや、将兵の家人から漏れる可能性は、むしろ高いのやも知れんな。
皆を抑えておくのは、どう考えても不可能――この作戦、構造的欠陥があるのではないか、ライアン?」

 クレオパトラへ後続するようにしてデュガリまでもが作戦内容への懸念を口にした――が、
これはアルフレッドを批難する性質のものではない。剣呑な物言いの裏に隠されたのは援護支援の配慮であった。
 デュガリの一言によって流れが再びアルフレッドのもとに戻った。依然として危機的状況に動きはないものの、
主導権だけは確保してある。この問いかけをチャンスと捉え、彼はすかさず軍議のまとめに取り掛かった。
これ以上の話し合いは無用とクレオパトラへ納得させるには、老将が作ってくれた勢いを最大限に生かすしかない。

「情報規制は絶対条件だ。敵のスパイはもちろん敵に内通する人間も間引かせてもらうしかない」
「間引く?」
「外部に計画を漏らす疑いのある人間は、それが肉親であったとしても容赦なく粛清して貰おう。
不審な動きを見せた人間は尋問の暇さえ与えずに全員消せ」

 アルフレッドがデュガリへ――否、クレオパトラに返した答えは、
軍議を締め括るどころか、新たな議論の噴出させかねない非常に厄介なものであった。
 軍機を漏洩する疑いのある人間は、ギルガメシュのスパイであろうが内通者であろうが、
素性も理由も問わずに即時抹殺すべしと彼は言い放ったのだ。
 「機密を漏らした者には死を」。このように受け答えをしたのならば、乱暴ではあるものの、一応の得心はつく。
裏切り者を野放しにしておくわけには行かないのだ。味方の士気を低下させない為、ときには厳しい処断が求められるものである。
 ところが、だ。アルフレッドが粛清の対象として定めたのは、そうした裏切り者ばかりではなかった。
彼は「裏切りそうな疑いのある人間」をも粛清の範囲内に入れている。
実際に裏切りの兆候があるわけでなく濡れ衣を被っただけの人間であっても、理由を問わずに抹殺するよう諸将に強く求めたのだ。
 それこそが情報規制の試金石である――と。
 さしものクレオパトラもこれには眉を顰めた。アルフレッドの思考は正真正銘の恐怖統制である。
グドゥーを取り仕切るべく何度となく危ない橋を渡り、大鉈を振るってきた彼女と雖も、そこまで非情な手段は採ったことがなかった。
辣腕は辣腕なりに弁えるべき道義と言うものがあるのだ。

「……人道に外れた振る舞いをして勝ち残っても意味があるのかしら? 恐怖で縛り付けても民は随いてこないわ」
「グドゥーの支配者とは思えない弱気な発言だな」
「グドゥーを誰よりも知るからこそ――と言って欲しいわね。独裁政権みたいな真似をしようものならグドゥーは一発で再分裂よ。
ルナゲイトもテムグ・テングリ群狼猟も危ういわ。……私たちの地盤は、必ずしも固いわけじゃないのよ」
「それは俺の関知するところじゃない。あなたたちが上手くまとめてくれ」
「煽るだけ煽っておいて、肝心なところは他人に丸投げすると? ……無責任ね」
「自分の領地(とち)の責任は、自分で取るのが筋ではないか? ……どうしても俺に責任を問いたいのなら、誰かに命じて首を刎ねろ」
「私はそう言うことを――」
「――俺はそう言う話をしている。戦争犯罪で裁かれる覚悟がなければ、最初からこんな作戦を立てはしない」

 アルフレッドとクレオパトラの応酬が途絶えた後、やや間を置いてから諸将は一斉に呻き声を上げた。
情報規制は作戦完遂の要ではある。だが、領民の命を理不尽な形で危険に晒す決定は受け入れ難く、
諸手を挙げてこの方策を受け入れる者はひとりとしていなかった。アルカークに至っては、それ見たことかと鼻を鳴らして呆れ果てている。

「聴く耳を貸してやったと思えば、これ以上ないろくでもなしと来たものだッ!」

 普段は聞き流されているアルカークの喚き声も、このときばかりは諸将の賛同を得た。
 それら全てがアルフレッドの癇に障るもので、呻き声、溜息を漏らした者たちをひとりひとり順繰りに睨みつけていく。
彼に言わせれば「決戦に臨む覚悟が足りない」とのことなのだろうが、
何でもかんでも覚悟の一声で無茶と無謀を押し付けられては堪るまい。
 クレオパトラが来訪する前に熱情で押し切っていたら、このような混迷も生じなかったのだろうが、
ことここに至った以上は、惰弱と唾棄するのでなく、献策の責任者として向き合わなければならない。
アルフレッドの賛同者が完全にいなくなったわけでもないのだ。
 皮肉なことに一番の賛同者はシュガーレイである。
情報規制も内部粛清も、ギルガメシュ討滅には欠かせない通過儀礼(とおりみち)と受け止めている彼は、
諸将の動揺と躊躇が理解出来ないのだ。勝ちたくないのかと、しきりに首を傾げている。

「手間を厭う者は、後で私に言ってくれたら良い。粛清の請負くらいならパトリオット猟班で買おう」

 アルフレッドの方針を支持しながらも問題の所在を取り違えているシュガーレイの発言は、諸将を更に圧迫した。
難敵と思われていたクレオパトラまでもがアルフレッドとシュガーレイの発言に苦々しく表情(かお)を歪め、
きつく口を噤んでしまっている。

「――ちょっと待った!」
「待てコラ、ろくでなしども」

 押し黙る諸将の中にあって真っ先に反対の声を挙げたのは、案の定、正義の人ことハーヴェストだった。
 しかし、軍議の間の沈黙を裂いた声はふたつ。ハーヴェウトの他にもうひとつ――
声の挙がった方角を確かめると、これ以上ないくらい不機嫌な表情(かお)を引っさげたイーライが、
アルフレッドに向かって右の中指を立てているではないか。

「……おい、イーライ。お前は、一体、誰の味方なんだ、誰の?」
「味方もクソもあるか! 確かに勝った負けたのスジは通すがよ、それとこれとは話が別だ。
ド外道みてぇな真似を誰が認められるかってんだ! 少なくともてめぇのその一計に限っちゃよ、まるでスジが通ってねぇんだ!」
「筋なら通っている。勝つ為に必要な措置だ」
「これだから頭でっかちな野郎はヤなんだよ! ンな鬼畜みてーなことしてみやがれ。
ギルガメシュどころか、こっちの信頼もガタ落ちだろうが。てめぇは無政府状態がお望みか? あァんッ?」

 無政府状態と言うイーライの罵声にはクレオパトラも頷いている。戦乱の時代を切り抜けたグドゥーにとって、これは死活問題なのである。

「無政府にはならない。そうしない為に裏工作へ全力を注ぐのだと説明しただろう? 
世界を統べる資格がないと言われるのはギルガメシュだけだ。そうでなければ弱体化しきったあいつらを討つ意味がない」
「だから、手前ェの描いた絵図通りにコトが運ぶと思うなっつってんだよ! 何がどう転ぶかなんざ、誰にもわかんねーだろうが」
「状況の変遷をも計算に入れてコントロールするのが俺に任じられた役目だ。
描いた絵図の通りにことを運べないと言うのなら、俺がここにいる意味もない」
「あ〜の〜なぁー……ッ!」

 イーライの指摘は、いちいち正しい。クレオパトラが投げかけた懸念も間違ってはいない。
アルフレッドの方策は諸刃の剣と言っても差し支えない程にリスクを伴うものであり、
下手を打てば、ファラ王のフレンドシップをも踏み躙る結果になり兼ねなかった。
 そのことを認識出来ているのかと、イーライはアルフレッドに問い質したのである。

 アルフレッドとしてもここは譲ることのできない一線だ。
「やってみなければ分からない。始まってみなければ結果は見えてこない」との観念は、アルフレッドに言わせれば愚の骨頂であり、
定めたゴールに向けて道筋を完璧に整えるのが本当のプロフェッショナルであった。
 傍目には諸刃の剣のように見える一計についても、狙い通りの結果を確実に出せるとの自信があるからこそ、
諸将へ無理を強いたのだ。それを真っ向から否定されては、アルフレッドにも立つ瀬と言うものがなかった。

「生まれたときからアナーキーのような顔をしているお前にそんなことを説かれるとは、俺もヤキが回ったものだな」
「生まれたときからスプーキーみてぇな顔してるてめぇに言われたかねーんだよ!」
「煩い、黙れ。この三白眼め」
「てめぇが黙れよ、自己チュー野郎が!」
「――んなアホなケンカしている場合かぁっ! 事態はもっと深刻でしょうがっ!」

 言うにこと欠いて子供の言い争いのようになって来たふたりを引き剥がしたハーヴェストは、
改めてアルフレッドに向き直ると、スタッフに変形させたムーラン・ルージュを彼の鼻先へ突き出し、
「心の底から見損なったわ、この鬼畜外道ッ!」と雄叫びを上げた。

「正義の同志として通じ合えたと本気で思っていたのにッ! 
よくもあたしの、いえ、正義を愛する全ての人々との魂の約束を裏切ってくれたわねッ!?」

 続けざまシュガーレイに向かって「あんたも同罪よ!」と怒号を飛ばすのもハーヴェストは忘れない。
尤も、痛罵を浴びせられたふたりは怪訝な表情(かお)のまま固まっており、彼女の怒りは殆ど伝わっていないようだ。

「……お前のヒステリーは子供の頃から何も変わらんな。いい加減、慣れたつもりだったんだが、今度は何の騒ぎだ?」
「子供の頃から変わらず……? どこかで食い止められなかったのか。一生モノの失敗じゃないか、これは」
「ヒスとちゃうわッ! 甚だ心外ではあるけども、今日ばかりはメアズ・レイグに同感なのよッ! 
……あたしは悲しいわ、アルッ! シュガーレイッ! 新たな正義の萌芽が見つかったと喜んでいたら、
まさかあなたたちが正道を踏み外す打なんてッ!!」

 鼻息荒く激昂するハーヴェストには、一緒になってアルフレッドを批難していたイーライもドン引きしている。
と言うよりも、軍議の間に居合わせた皆が揃って仰け反っていた。
 唯一、ジャーメインだけが旧友の擁護に奔走したが、
「そんな優しい目で見ないで! 人よりちょっとだけ思い込みが激しいだけなんです! 根は良い人なんです、根はッ!」との必死の弁明は、
却って周囲を不安にさせるだけではなかろうか。

「……天下の『セイヴァーギア』にこんな妄想癖があるとは知らんかったぜ。アルフレッドも苦労してんだな」
「外野うるさいッ!! ……と、ともかくッ! 兎にも角にもッ! あたしの怒りは活火山の噴火よりも激しくッ!
地底に眠るマグマよりも熱くッ! 天を貫く火の矢の如く燃え盛っているのよッ!!!」
「……そんなに気に入らなかったか、俺の計略が?」
「当たり前でしょうッ!? フィーがこの場にいたらあたしと一緒に立ちはだかったことでしょうねッ! 
戦いで散華するのなら受け入れることもできるけど、あんたがやろうとしてるのは無意味な殺戮じゃないッ!? 
勝つ為なら何やってもいいわけッ!? そんな理由で内部粛清をしようだなんて正義の名に泥を塗るようなものだわッ! 畜生にも悖るッ!!」
「正義? ……ハーヴ、お前もそろそろ状況と言うものを把握すべきだな」
「な、何よ、その言い方ッ!? 例え行き着く果てが哀しい戦争であったとしても、そこに正義を求めるのが人間の道じゃないッ! 
メアズ・レイグの言葉を借りるなら、まさしく筋の通らない話ねッ!」

 まさしく怒髪天を衝く剣幕で大激怒するハーヴェストを正面に見据えたアルフレッドは、
彼女が何に対して憤激しているのかを察すると、挑発でもするかのようにその正義の雄叫びとやらを鼻でせせら笑ってみせた。
 案の定、ハーヴェストの怒りはいよいよ臨界点を突破した。ムーラン・ルージュをグレネードランチャーに変形させ、
アルフレッドの眉間へ照準を合わせたのだ。その間も「正義なきところに人は住まないッ!」などと彼に罵詈雑言を浴びせ掛けていくが、
応じるアルフレッドは少しも気に留めていない――と言うよりも、目も合わせずに鼻で笑っている。

「正義だ邪悪だのと言うお題目は、安定した世界でのみ通じる馴れ合いだ。生温い。
これからのエンディニオンではな、お前の好むようなお遊びは一切通じなくなるんだよ、ハーヴ」
「お、お遊びですってッ!? あんた、腐ったことをするばかりでなく厳然たる正義にまで泥を塗るつもりなのッ!?」
「語弊があったな。俺だって正義を否定するつもりはない。しかし、正義が常にお前の身近にあるとは限らないと言うことだ。
立場によって正義の所在は万別する。ギルガメシュとて見方を変えれば難民救済を目指す正義の使者だろう?
味方の中にも色々な正義が存在する。エルンストの正義があれば、ヴィクドとグドゥーの正義もある」

 復讐だって正義の形のひとつ――シュガーレイとジャーメインを一瞥したアルフレッドは、
作戦完遂に不要と斬り捨てるつもりであった復讐の想念をも認めた。
 かつて自身が飲み込まれ、暴走に至った忌むべき感情ではあるものの、心の働きとして否定することも出来ないのだ。

「つまり、お前が抜かしている正義とやらは、お前が勝手に作り出した絵空事でしかないと言うわけだよ。
そんなものを人に押し付けるな。独善的な正義は、人に押し付けた瞬間に悪に変わるのだからな。
……こんな当たり前の常識を目上の人間に説明しなきゃならない俺の身にもなって欲しいものだな」
「アッ、アルッ! あんたねぇッ!!」
「ならば伺おうか。正義の旗を掲げでもすればギルガメシュは勝手に自滅してくれるのか? 
グドゥーに飛ばされてきた人たちのように進んで味方に随いてくれると言うのか? 誰もがファラ王になれるわけじゃない。
……ラスだって一度は俺たちから離れた。あのとき、独善ってモノにひとつの答えが出たと思うんだがな」

 マイクの傍らに在るジョウも、プロフェッサーたち四人も、アルフレッドの話へ神妙に聞き入っている。
中でもダイジロウは、「誰かの正義」の為には動かなかっただろうと頷いていた。

「……独善の成れの果ては、あんた自身が誰より最も理解しているだろう? そこまでバカじゃない筈だ」
「人が人として在るべき気高き誇りを体現するのが正義の使者の務めなのよッ!
人間本来の強さと美しさを示すことが出来たそのときこそ輝ける勝利はあたしたちの手に舞い降りるッ!!」
「だから、それが生温い馴れ合いだと言っているんだよ、ハーヴ。
腹の足しにもならないお題目では人は動かせない。人を動かせなければエンディニオンは救えない。
……もう一度、言わせてもらうぞ。正義は無価値だ、ハーヴ」
「誇りを失って醜く生きることは、人間の尊厳を捨てることよッ!!」
「ならば、ここに列席したお歴々に尋ねて回るがいい。お前が語るような正義がそんなに大切なのかをな」
「望むところよ――」

 自信たっぷりと言った調子で諸将を見回した瞬間、ハーヴェストの顔色は失意に沈んだ。
気に食わなそうにしているイーライ以外、誰もハーヴェストの説いた正義に賛同する向きが見られなかったのだ。
賛同してくれないどころか、ハーヴェストに目も合わせない将士とて少なくはない。
 全員がアルフレッドの言う正義の否定を受け入れているとは思えないが、
誇りもなく醜く地を這いずってでも生き延びる選択をしているのは確かだった。

 イーライのパートナーであるレオナにも加勢を求めようと目配せを試みようとするハーヴェストだったが、
彼女自身は激昂する相方とは正反対にアルフレッド支持に回ってしまっている。
意地になってそっぽを向いたイーライに対し、アルフレッドの意見を採ることによって得られる利を懇々と耳打ちしている姿が、
ハーヴェストを失望へ誘う何よりの証拠である。
 デュガリらテムグ・テングリ群狼領もアルフレッドを全面的に支持しており、これを覆す術はない。
エルンストに至っては部下に用意させた軽食へ手を伸ばしており、正義の議論になど最初から興味がないと言わんばかりの態度である。
 シュガーレイは言うに及ばず、ハーヴェストの擁護に走っていたジャーメインとて正義の在り方と言う一点では、
旧友とは決して分かり合えないところにいる。復讐は『セイヴァーギア』の正義ではないのだ。
 一番弟子のフィーナがいない今、この場に正義――彼女が説く人間としての尊厳だ――を分かち合える人間は
ひとりとして存在しなかった。
 誰しもが正義を置き去りにして利己を求め、醜い生き方にしがみ付いていた。
常に正義の体現を標榜してきたハーヴェストにとって、その情景は信じ難いものだったに違いない。

「これが現実だよ、ハーヴ。生き残る為なら多少の犠牲は止むなしと皆が心得ている。
お前には、いや、お前たちには到底認められないだろうが、これもまた正義の在り方の一つだ」
「てめこら、アルフレッドッ!」
「もう後がないんだよ、俺たちには。ふたりともそのことを受け入れてくれ」

 思わぬ苦境に立たされ、歯軋りするハーヴェストとイーライに向けられたアルフレッドの眼差しには、
先程までのような嘲りは僅かも含まれていない。真摯そのものであった。
 得心のつかないような表情(かお)を引っさげたふたりを、揺れ動きつつある諸将を、
必ずや説得せんとする静かなる闘志が瞳の裡にて燃え滾っている。

「大義名分にしがみ付いていられる局面は過ぎ去った! 正義を論じる時間すら俺たちには許されていない!
戦って戦って戦い抜いて勝利する以外に俺たちが生き残る道は残っていないんだ!
一時預ける王座をギルガメシュから簒奪し、道徳なき暴力の弱さを示す機(とき)までただ突き進むのみッ!」

 これまでになく緊迫した調子で語気強く荒げるアルフレッドを見つめていた諸将の面は、徐々にではあるが、確実に強張っていく。
彼の発する一字一句が、背水の陣を布いていると言う現実を諸将らに強く意識させるのだ。
 ――連合軍には余裕などカケラも残されていないのだ。勝敗の結果がそのまま生死に、いや、領土の興亡へと直結するのである。
勝って生き残るか、敗れて滅び失せるか。極限的な二者択一の岐路に人々は立たされており、
今やその意味と重みが、この場に集束していると言っても過言ではなかった。
 作戦遂行に当たってのリスクを論って来たクレオパトラも、理想論の先行ではなくシビアな計算に基づいた立案であることを認めたようだ。
承諾を明言こそしていないものの、アルフレッドに理解を示し始めているのは事実である。
 クレオパトラに表れた変調の兆しを逃す手はない――アルフレッド最大の援軍として立ち上がったのは、
Bのエンディニオンに於いて、未だに絶大な発言力を持つ新聞王ジョゼフであった。
 やおら室内を闊歩し始めたジョゼフは、その飄々とした立ち居振る舞いに戸惑っている諸将の肩や背中を順番に叩いていく。
新聞王直々の鼓舞と言うわけだ。中には彼の背負った肩書きに気圧され、萎縮する者も見られた。

「ワシも、ほれ、この通り、すっかりオイボレたがのぉ――まだまだ現役ではおるつもりじゃよ。
幸いにしてくたばってもおらん。耄碌もしておらねば憎きテロリストどもの首を噛み千切ることも出来る。
勝ち星ごと噛み付かんとする執念も燃やせるのじゃ。……ロートルとて猛っておるのじゃ。よもや若いお主らが及び腰になどなるまいの?」
「……ジィさん、そう言うのは年寄りの冷や水って言うんじゃねーのかい?」
「痴れ者め、聴こえておるぞ」

 どこまでも口の悪いイーライの皮肉を、ジョゼフは闊達に笑い飛ばした。

「オイボレでは不安だと言いたいのなら、一つ良いことを教えて進ぜよう。
ルナゲイトの力――エンディニオンに張り巡らせたネットワークは死んではおらん。
我が孫、マユ・ルナゲイトはこれを駆使して反攻を進めておるでな。手前味噌じゃが、あれはなかなか肝の据わった娘よ。
いずれ内外からギルガメシュを引っ掻き回し、彼奴等の足元を揺るがすじゃろう」
「化け物ってウワサの新聞女王を信用しろってか」
「そして、ルナゲイト家が築き上げてきたモノを、な」

 対ギルガメシュの作戦の要となる情報規制について、ジョゼフはルナゲイト家の全存在を傾けてでも徹底すると皆に約束した。
情報の入手や工作に於いてルナゲイト家に勝る者はこの世にはいない。ならば、成功は決まったようなものであろう。
 最大の懸念事項であった情報規制の解決に具体案を提示されたクレオパトラは、なおも無言を貫いている。
だが、これを否定するつもりではなさそうだ。ジョゼフの提案は検討する価値があると認めた様子である。
彼女が機嫌を損ねていないことは、安堵の溜め息を漏らすプロフェッサーたちを見れば瞭然であった。

「我ら佐志の民は、皆が皆、アルフレッド殿の後見と心得てござ候! 
いざ戦に及ばば先鋒を仕り、いかな艱難とて斬り開いて見せましょうぞ! 一途に武略を支えしことが佐志の民の誉れにござるッ!」
「残念ながら、女神イシュタルの導きは得られなかったけれど、だからって諦めるつもりはないのよね。
御老公の言葉じゃないけど、諦めない限り、チャンスは必ず巡って来る。
それを手繰り寄せるのがアルの説いた作戦だってのはもうわかりきってるじゃない。マコシカの民は一丸となってチャンスに食いつくわよ。
敬虔たれとは教えられてるけど、貪欲であることをイシュタルも禁じちゃいないしね」

 海運の要衝にしてギルガメシュの攻撃を跳ね返した実績を誇る佐志の村長と、
その港町に依り、行軍も共にしている古代民族マコシカの酋長もジョゼフに続いた。
 どちらもエンディニオンにとっては欠くべからざる存在だ。このふたりがアルフレッドの支持を表明したと言うことは、
単なる加勢以上の意味を持つのである。

「御屋形様、如何でございますかな、アルフレッドの策は? 御屋形様におかれましては、些か難儀を被って頂く形となりますが」
「反対する理由がどこにある? 俺自らが死線へ臨まなくては天運も開けない。
それに玉座にもたれるばかりの臆病者には同志も兵も、誰も随いては来ないだろう。……ハラは決まったぞ、ブンカン」
「では、そのように。御屋形様のご決断を、我らテムグ・テングリ群狼領の同朋は、決戦への道標と致しましょう」

 頃合を見計らったかのようにしてブンカンがエルンストに意志を確認し、彼も満足げに頷いて見せた。
 つまり、アルフレッドの献策をエルンストが正式に受諾し、認可したと言うことだ。

「窮地に陥ったテロリストは武力行使一辺倒になります。そうなればアル君の作戦はコンプリートされたも同じだ。
今、ここにいる人間が輪を作るだけでもそれは可能なのですが――それでもまだ何か躊躇する必要がありますか?
私なら目と鼻の先にある勝利へ迷わず手を伸ばしますよ」
「……セフィ」
「何度でも繰り返しましょう。破壊活動でしか革命を達し得ないテロリストは、この世で最も愚かな存在だ、と。
女神が与えたもうた祝福を大罪によって手放すなど人間を自称するのだっておこがましい。
……テロリストがテロリストである限り、彼らには天運は味方しません」

 エルンストの決断を契機として再び昂揚に転じた諸将の戦意を、その頂点にて爆発させられるよう「勝利は確実」と付け加えたセフィは、
狙い通りに軍議の間が吼え声で埋め尽くされるのを見届けると、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

(武力に傾いて、最後にはかりそめの栄光と共に転落する――テロリストの心情は私が一番存じてますからね)

 最後の勝利に機運が最高潮へと至ったその部屋の片隅で、生まれて初めてテロリストと言う経歴に深い感慨を味わったセフィは、
気遣わしげに振り返るアルフレッドへ会釈をひとつ送った。
 動作そのものはごく小さいだが、そこには深い感謝の念が込められている。
全てを諦め、自害するつもりでいた自分を救い、新たな生き甲斐をも見つけてくれたアルフレッドへの、
言葉では伝え切れないほどの感謝が。
 セフィが自分自身の吐いた言葉で傷付きはしないかと案じたアルフレッドだったが、どうやらそれは彼の取り越し苦労で済みそうだ。
安堵してセフィから諸将へと視線を巡らせたその瞬間(とき)――

「所詮は木っ端。期待させるだけさせておいて、結局、小細工に終始して終わったか」

 ――湧き立つ諸将らの中にあって岩のように動かず、憮然とした態度を少しも崩さないアルカークの眼光と正面衝突した。

「どう言う意味だ? ……いや、言葉通りの意味だと返されるのはわかっている」
「フン――狡賢い計算ばかりが速いものよ」
「小細工で結構。狡賢くて何が悪い」
「何も悪くなどない。ただ貴様のやること為すことが鼻に突く。それだけのことよ」
「俺は委ねられた仕事をこなしているだけだ。それが俺の役割だからな。貴様の都合で生きているわけでもない」
「小生意気な態度が気に喰わんと言っておるのだ。自分が世界で一番賢いとでも言いたげな、その浮ついたツラがな」
「何とでも言え」

 勝利を期する吼え声が轟く軍議の間にて、アルフレッドとアルカークは再び対峙した。
乱痴気騒ぎよろしく誰も彼もが昂揚する只中での激突である為、
佐志の仲間は勿論のこと、イーライやジャーメインでさえ両者の緊張には気付いていない。
 尋常ならざる熱狂にあって、その異空間にのみ冷たく重苦しい気配が垂れ込めていた。

「人にはそれぞれ役割があるはずだ。俺のように策を練って絵図を描く者、貴様のように武断を扱う者。
それらをサポートする支援者、そして、全体の指揮を取る総大将と言った具合にな。
全ての要素を一つにまとめてぶつけなければ、天も、地も、人だって味方をしてはくれない。
貴様も貴様の役割を振り返り、自分のすべきことに専念しろ」
「ホレ、また出たぞ、無自覚の上から目線。フェイ・ブランドール・カスケイドもさぞや心労を溜めたであろうな。
貴様のようなクソ生意気な後輩を持ってしまってな。 ……尤も、あのような木っ端剣士には、
貴様が抜かす役割とやらも与えられていなかろうがな」
「いい加減にしろと言った筈だぞ、アルカーク提督……」

 自分を侮辱されるならばまだしもフェイを虚仮にされてはアルフレッドも黙っていられない。
深紅の瞳には、先程までとは明らかに異質な闘志が宿っていた。その気魄は殺気とも言い換えられるだろう。

「貴様はフェイ兄さんをさんざんに侮辱するが、一体、兄さんに何の恨みがあると言うんだ?
それともフェイ兄さんに悪の枢軸として処断されはしないかと怯えているのか、貴様」
「怖れる? オレがか? ひょっとすると貴様、それは渾身のジョークなのか? いつでも捻り潰せるような小物をか?」
「フェイ兄さんにはフェイ兄さんの役割がある。あの人には貴様など足元に及ばないような剣の腕があるんだ。
計略に通じているかどうかは瑣末なこと。それぞれの人間が、身の丈に合った役割を全力でこなすしかない」
「知ったようなクチを利く――貴様が一番にアレを見下しておるではないか」
「……なんだと?」
「カスケイドの身の丈に合った役割など弾除けの盾以外にはあるまいて」
「貴様……」

 とうとう我慢の限界に達したアルフレッドは、憎きアルカークへ室外に出るよう顎をしゃくって見せた。
自身の負傷と疲弊を省みず、ヴィクドの提督に場外乱闘を突きつけたのである。
 待っていたとばかりにアルカークは破顔し、喜び勇んで出入り口へと足を向けようとしたが、
しかし、その行く手はひとりの男によって阻まれてしまった。

「――バカだろ、お前ら。いや、お前らはバカだ。ようやく出口が見えたってときに手前ェでメチャクチャにしちまってどうすんだ」

 ワイルド・ワイアット――マイクである。両者の間に張り詰めた穏やかならざる空気を逸早く察知し、
最悪の事態を食い止めに掛かったのだ。
 尤も、マイクだけが特別な注意力の持ち主と言うわけではない。両者は長々と罵り合戦を続けていたのだ。
乱痴気騒ぎで注意力が散漫になっているとは言え、遅かれ早かれ、誰かがこの緊張状態に気付いた筈である。
 作戦遂行に沸き立つ諸将へ水を差すことなど立案者として最も忌避すべき失態だ。
機知に富む冒険王は、アルフレッドが想定する最悪の事態をも見通しており、
当事者以外に気取られない内に両者の激突を仲裁するつもりのようだ。それ故に大喝を慎み、やんわりとした注意に留めたのである。
 それでいて有無を言わせぬ凄味を帯びているのだ。狂犬の長をも軽くいなした百戦錬磨の気魄の前には、
荒くれ者を率いる提督ですら敵わなかったらしく、暫時の睨み合いの後、鼻を鳴らして軍議の間を出て行ってしまった。
アルフレッドの追従を確かめもせずに回廊を抜けていったと言うことは、一先ず彼との直接対決を諦めたのだろう。
あるいは、第三者に邪魔をされて興が冷めてしまったのかも知れない。
 いずれにせよ、第一発見者がマイクであったことは、アルフレッドにとって何よりの幸いであった。
ジャーメインやイーライに気付かれていたなら、事態は一層こじれていたに違いない。
格闘戦での決着は吝かではないが、さりとて全軍の足並みを乱すような振る舞いはご法度と言うもの。
「最近の若者は、マジでキレ易いぜ」と冒険王から拳骨を落とされても、反抗することは出来なかった。

「……あなたの言う通りだ。くだらない短慮で全てを台無しにするところだった……」
「ん? おいおい、マジで落ち込むんじゃねーよ。オレも若い頃はさんざんバカやったもんだ。お前はオレよりずっとしっかりしてるよ」
「しかし……」
「凹んでる暇なんざねぇぜ、アル。お前にゃまだまだデッケェ仕事が残ってんだ」
「アルって、……お、おい――」

 慙愧の念に打ちのめされて俯くアルフレッドを手招きし、壁際まで連れて行ったマイクは、
「なに、あんたら、そーゆー関係? いつの間にデキちゃったん?」などと失礼千万な笑い声を上げるティンクを平手打ちで黙らせると、
次いで右の人差し指を水平に伸ばした。
 マイクの人差し指は、ある情景――いや、状況を示している。彼の意図を理解したアルフレッドは、思わず絶句してしまった。
 アルフレッドとマイクが肩を並べる位置からは軍議の間を俯瞰することが出来る。
より正確に表すならば、ギルガメシュへの反攻に燃え滾る諸将を一目に見回せると言うべきかも知れない。
ひとりひとりの様子まで観察し得る位置へとアルフレッドは陣取った次第だが、それは直視に堪えない現実との対峙をも意味していた。

 熱狂の渦中へ加わることを躊躇い、所在なく立ち尽くす人々がアルフレッドの双眸に飛び込んできた。
周囲の喧騒に戸惑い、落ち着きなく目を泳がせている者たちが、だ。彼らの面には怯えの色がありありと浮かんでいる。
 拳と共に喊声を上げる人々の影に隠れている為、確認をする為には目を凝らす必要があるものの、
その総数は両手の五指を合わせても全く足りない。よくよく観察してみると、クレオパトラが来訪する以前は
アルフレッドの策へ手放しで賛同していた者も含まれているではないか。
 やはり、クレオパトラの穿った風穴は大きかった。
 ギルガメシュ打倒に向けて高まり続けていた熱がその穴に吸い込まれ、冷却された途端、忘れていた筈の不安や恐怖を想い出し、
前進を躊躇うようになってしまったのである。良く言えば、冷静且つ慎重な思考を取り戻したと言うことだ。
その半面、敢えて危地へと飛び込む勇気を振り絞ることが出来なくなる――今がそのような情況であった。
 この情況を設えたとも言うべきクレオパトラは、諸将の熱狂へ氷のように冷たい眼光をぶつけている。
一旦はアルフレッドの説得に納得しかけたものの、周囲の喧騒を目の当たりにして別な考えが浮かんでしまった様子だ。
 立案者はともかく、これに呼応した諸将が理想論を完全に切り捨てているようには思えない。
粛清の対象が際限なく拡大し兼ねない情報規制と、幾多の屍を踏み越えるだろう作戦の完遂は、過酷の一言に尽きるのだ。
彼女が「現実との乖離が著しい」との評価を下すには、この乱痴気騒ぎだけで十分であった。
 いずれにせよ、危険な兆候であることに変わりはない。連合軍の足並みは明確に乱れ始めていた。

(怖気づいたか――いや、責め手はならないのだが……)

 連合軍の現実を深紅の瞳にて確かめたアルフレッドは、次いできつく瞼を閉じ、悲壮な溜め息を漏らした。
振り返れば振り返る程、己の詰めの甘さに苛まれるのだ。アルカークを相手に手間取らず、
ミルドレッド撃破の余勢を駆って一気に押し切っていれば、クレオパトラが来訪する前に決着をつけられたに違いない。
 いや、クレオパトラが風穴を開けたか否かは、この場合、問題にはならない。
心の片隅に作戦遂行への不安を抱えた者は、熱が引いた後、必ず怖気づいて立ち尽くした筈である。
 乱れるべくして乱れた――悲しいかな、それが連合軍の実情と言うものであった。

 この実情を突きつけられたアルフレッドには、己の献策がいずれは破綻すると思えてならない。
エルンストと言う偉大な男の命を賭けてまで試みる価値が、果たして本当にあるのだろうか――
迷いに迷い、苦悶し始めた在野の軍師の背中を、冒険王はどやし付けるようにして引っ叩いた。
コートを貫いて手形が付く程に、強く強くどこまでも強く、渾身の力を込めて引っ叩いた。

「――おし、決めた。アル、オレと一個勝負しねーか? いや、するぞ。勝負するって決めたかんな」
「な、何を……」
「ブルッちまったヤツらをもういっぺん奮い立たせて、ちゃんとみんなでギルガメシュにブチ当たる。
でっけぇ輪を作れたらお前の勝ちってワケだ。なんか、そーゆー童話だか昔話があったべ?」
「さ、さぁ……。絵本には詳しくないので……」
「ま、童話云々は物の例えだ、気にすんな。だからって、勝負は気ィ抜くなよ? 全力で行こうぜ、全力で」

 あまりの痛さに息継ぎすら出来なくなり、身体をくの字に折り曲げるアルフレッドの首へと腕を回したマイクは、
何を思ったのか、彼に向かってひとつの勝負を申し出た。それも、決着の判定基準が大変に曖昧な勝負である。

「説得、酒盛り、アメとムチ――どんなテを使ったって構わねぇぜ。ただし、マジな脅迫だけはアウトな。
それ以外なら誰かに協力を仰いだってオーケーだ。スカッド・フリーダムから出張ってきた連中は頼もしいかもだな。
グドゥーはクレオパトラがいるからチト厳しいか。御老公は頼まれなくても動きそうだけどよ! なんならオレたちだって手ェ貸してやるぜ?」
「マイク、そう言う身勝手は困りますよ。私はともかくティンクもいないのですからね。
力を貸す貸さないの約束は、せめてあの子に話を付けてからにしなさい」
「ヘイヘイ――ったく、保護者か、お前は。このトシになって保護者同伴か、オレは」
「危なっかしくて見ていられませんから。出会って間もない私ですら目が離せないのですから、奥様たちはさぞや気苦労が多いのでしょうね」
「だから、保護者か、おめーはよっ」
「愛されているってことですよ、あなたがね」

 誰の了承も得ずに勝手な約束を取り交わそうとするマイクに対し、ジョウは苦笑交じりに注意を飛ばした。
平手打ちでもって何処かに吹き飛ばされているティンクが戻ってきたとき、自分の与り知らないところで勝手な話が進んでいたなら、
たちまち彼女は激怒する筈だ。恥も外聞もない大喧嘩になることは明白である。
 とは言え、本当に助力を要請された場合、ジョウはマイクと一緒に躊躇うことなくアルフレッドのもとへ駆けつけるだろう。
おぞましい出で立ちとは裏腹に、彼は性根から清らかであった。

「申し出は嬉しいが、……しかし、あなたの力を借りたら、勝負にならないんじゃ――」
「男と男の勝負に理屈はいらねぇよ。とにかくビビリを説得出来たら勝ち。……な? 分かり易いだろ?」
「ワイアット……」
「マイクで良いっつの。……成り行きとは言え、乗りかかった船だ。どうせだから最後まで付き合うぜ」

 マイクの話を要約するならば、つまり、連合軍に垂れ込めた不安を取り除け――と言うことだ。
 このようなものは勝負でもなんでもない。連合軍が次の階梯へ進む為の具体的な目標を設定し、
これを乗り越えるようアルフレッドを励ましただけのことである。しかも、彼は全面的な協力まで申し出ていた。
 全ては冒険王なりの心配りであった。そして、万人から慕われるマイクらしい優しさに気が付かない程、
アルフレッドも遅鈍ではない。両腕が満足に動くものなら速攻で握手を求めただろう。

「……俺は負けない。マイク、あなたが――冒険王が相手だろうと絶対に負けない」
「オウ、良い気合だぜ! 人間、最後はやっぱし気合よォ!」

 太陽のように明るく笑うマイクに頷き返したアルフレッドは、一切の迷いを振り払い、再び諸将の喧騒に向き合おうとした。
 エルンストと目が合ったのは、そのときである。ビアルタらに囲まれた彼は、何やらアルフレッドとマイクの様子をじっと窺っていた。
心なしか、口元がへの字を描いているようにも見える。

「――っとと、お前を盗ったと誤解されちまったかな。あんな風にスネられちまったら、キマるもんもキマらねぇぜ」

 頭を掻いて大笑いしたマイクは、続けてアルフレッドの背中を後ろから軽く突き押した。
それは、心の友を送り出すような励ましであった。

(そうだ、……立ち止まってはいられない!)

 冒険王の鼓舞を背に受けたアルフレッドは、立ち止まることなく前へ前へと歩みを進めつつ諸将を見回し、
「いつまでも浮かれているな。今は策を練っただけだ。勝てると決まったわけではない!」と厳しい口調で叱りつけた。
 決然と言い放つその面には、パトリオット猟班と激闘を演じたときと同じ覚悟が漲っていた。

「人事を尽くして天命を待て――それが俺たちの急務だ!」

 そう――あくまでもアルフレッドは策を提案したに過ぎない。逆転を期したこの作戦が成功するか否かは、
これから始まる各人の戦いにかかっているのだ。全ての人間が己の持てる限りを尽くして戦ってこそ、
勝利の奇跡は舞い降りるのである。
 諸将を掻き分け、エルンストのもとへと駆けつけたアルフレッドは、差し向かいで彼と見つめ合い、
やがてどちらともなく静かに頷いた。ふたり、言葉もなく頷き合っていた。
 最早、言葉は不要である。互いを信じ、戦い抜く――その覚悟でふたりは通じ合っているのだから。

「我が命、お前に委ねるぞ、アルフレッド」

 アルフレッドを見つめるエルンストの瞳は、歓喜を含んだ称賛と、燃え滾る昂揚で燦然と輝いていた。




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