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15.War room


 フェイをサポートするつもりで参加した筈が、あれよあれよと言う間に自分自身が作戦立案を担当することになり、
ぶっ通しの三時間に亘ってエンディニオン各地のリーダーを相手に熱弁を振るい続けたアルフレッドは、
控室へ帰還する頃にはクタクタに疲れ果てていた。
 降伏によってギルガメシュの油断を誘い、内外からエンディニオンの大敵を突き崩す――
史上最大の作戦がエルンストに承諾されたのを区切りとして閉幕となったから良いものの、
そのまま作戦の詳細を詰める話し合いにスライドしていたら、さすがのアルフレッドもひっくり返っていたに違いない。
 件の軍議にはパトリオット猟班との二連戦も含まれている。両腕を始め、全身数箇所にも及ぶ骨の異常などダメージは大きく、
心身ともに疲弊は極限にまで達していた。
 控室に帰り着いた途端に張り詰めていたものが途切れたのか、アルフレッドは崩れ落ちるようにしてソファへ枝垂れかかった。
質素な造りではあるものの、とにかく身体を横たえる場所を欲していた彼にとっては極上のベッドにも等しい。
程なくして安らかな寝息を立て始めた。
 ソファへ身を放り出す直前、フィーナとマリスが揃って悲鳴を上げたことにもアルフレッドは気付いていないだろう。
普通に考えたなら有り得ないことだが、疲れによって思考回路を蝕まれた挙げ句、自身が重傷者であることも失念したのだ。
 一体全体、この大怪我はどう言うことなのか。話し合いに参加したのではなかったのか――
部屋へ足を踏み入れるなりフィーナ、マリスから質問攻めに遭ったセフィは、
僅かに面食らった後、彼女らを落ち着かせるよう軍議での思いがけない展開を順序立てて説明していった。

「――信じられませんわ。そのような卑劣を女神イシュタルはお許しになるのでしょうか。
いいえ、人は欺けても天の裁きは逃れ難いもの。いずれ必ず暴虐の報いが舞い降りることでしょう」

 アルフレッドを起こさないように気を配りつつ、リインカネーションにて負傷箇所の治療に努めていたマリスは、
常軌を逸した展開に呆れ果て、堪らず憤激の声を上げた。
 愛しい彼へ大変な怪我を負わせたパトリオット猟班に対し、全く蟠りがないと言えば嘘になるが、
アルフレッド自身も相応の覚悟で戦いを挑んだのであり、これについて私怨を抱くべきではないとも弁えている。
 これはフィーナとて同じことである。信念を懸けた激闘の結果として割り切ることが出来た。
マリスが、そして、フィーナが最も腹を立てたのは、ヴィクドの提督ことアルカークである。

「アルちゃんを困らせるだけならまだしも――勿論、わたくしにはそれが一番の問題なのですけど、
どうしてそこまで場の空気を悪くさせる必要があったのでしょうか? 
……あのお方はフェイさんにも随分と非道な仕打ちをなさいましたよね。何かアルちゃんの故郷に恨みでもあるのでしょうか?」
「そのセンで私も考えてはみたのですけどね、アルカーク・マスターソンからは執念は感じられなかったのですよ。
恨みを抱えた人間特有の、ね。もしも、グリーニャに善からぬ気持ちがあるのなら、
出身者であるアル君やフェイさんにはもっとしつこく危害を加えた筈なんです。
けれども、軍議の席ではそんな素振りはありませんでした」

 ヒューからコーヒーを受け取りつつセフィの説明に耳を傾けていたレイチェルは、
「少なくとも軍議の場じゃ場当たり的に不満をぶちまけただけに見えたわね」と、自分なりの見解も言い添えた。
セフィは言うに及ばず、ジョゼフも守孝も、全くその通りと首を縦に振っている。

「カルシウムが不足しているにも程がありますわ! ……タスク、ヨーグルトを一トン分用意して頂戴!」
「……マリス様。お言葉ですが、人間は一度に一トンもの乳製品を摂ることはできません。
アルカーク氏にヨーグルトを送り付けたくなるお気持ちも察しておりますが、
腐らせる為だけに食べ物を用意しろと言う仰せは、わたくしとしましても承服致しかねますよ」
「食べてもらえないのは最初からわかっているわ。だから、あの方の顔に投げ付けて差し上げるのよっ。
喜劇役者がよくやっているじゃない。クリームたっぷりのパイを投げられる罰ゲームを。
そのパイをヨーグルトで代用するの。……その場合は腐っていたほうがより効果的かも知れないわね。
タスク、作戦変更よ。賞味期限ギリギリのヨーグルトを三トン分用意しなさい!」
「マリス様、お下品な真似は本当に慎んでくださいませ」

 怒りに任せて拳を握り締めるマリスだったが、どうもリインカネーションによって体力を使い過ぎたらしく、
憤りを吼えた途端、眩暈を起こしてよろめいてしまった。すぐさまタスクが支えた為に事なきを得たものの、
下手をすれば卒倒して床に頭をぶつけていたかも知れない。
 瀕死の重傷を負ったセフィへリインカネーションを施した折と同程度の疲弊である。
それはつまり、胸部への狙撃に匹敵するだけのダメージをアルフレッドが受けていたことを意味している。
生死の境を彷徨う程の事態を彼は気魄のみで乗り切ったわけだ。
 セフィ当人はマリスのリインカネーションで命が助かったこと、その後に彼女が極度の披露で倒れてしまったことを
人伝にしか聞いていない。当時は意識を失っていたのだから当然であろう。
マリスに対する負担と迷惑を改めて考えさせられたセフィは、我知らず頭を垂れていた。

「おっ? ひょっとしてマユちゃんからマリスに乗り換えようってんじゃねーだろ〜な? 
エスピノーサ家ってのはムチャクチャな金持ちみて〜だけど、それにしたっていちいちセレブを選ばんでもいいじゃねーの」
「……あなたはどうしてそう色気のほうにばかり話を持って行きたがるのですか」
「ンなもん聞くまでもね〜だろ。俺っちの頭ん中はいつだってトロピカル! 二十四時間アバンチュールの季節だからよ! 
アブない火遊びでも乗り換えラッシュでも、楽しんだもん勝ちってヤツだぜ」
「レイチェルさん、一児の父がこんなこと言ってますけど」
「救いようがないわよね。一度くらい死ねばマトモになるかしら」
「バカは死ななきゃ治らないと言う格言もありますからね。脳までやられて即死するような薬を持っていますが、どうします? 試します?」
「何よ、それ。打ってつけの優れ物があるのね。こう言うとき、セフィが一番頼りになるわね」
「……すみませんでした、調子に乗り過ぎました。ダチと奥さんが自分の殺人計画練ってるとかコワ過ぎるんで堪忍してください」

 感謝の念の発露を目敏く見つけたヒューは、これを大いに冷やかしたが、このときばかりはセフィも反論を抑え、甘んじて受け入れている。
ジューダス・ローブと言う名の大罪を過去の物として整理していなければ、一種のジョークとして引用することも出来ないのだ。
ヒューはこれを成し遂げた上で自分と向き合ってくれている。レイチェルも夫と一緒になって微笑している。
 それ故、セフィにはふたりの軽口も心地良かった。

「――どうせならアルカークをやっちまってくれよ、セフィ。ボク、アイツだけは許せそうにないよ」

 一方、シェインもシェインでマリスに引っ張られるようにしてアルカークへの憤激を露にしている。
フィーナと一緒にアルフレッドを寝やすい姿勢へ移し、ブランケットを掛けていた彼は、
その最中にも傍若無人な提督に対する悪言を吐いていく。
 兄貴分ふたりとイーライがエルンストへの献策を賭けて争った折にも、神聖な決闘の場へ土足で踏み込み、
あろうことかフェイを背後から不意打ちした男だ。マリスのリインカネーションがあと少しでも遅かったなら、本当に危なかったかも知れない。
 救いようがないくらいの卑怯な真似を仕出かしただけに飽き足らず、
軍議でも皆の結束を乱し、なおもフェイのことを悪し様に貶めていたと言うのだ。
 第一印象からして最悪だったが、セフィの話を聴く限りではやはり性根から腐り切っているように思えた。
手を取り合って一緒に戦っていこうとは考えられないし、考えたくもない。

「……虫唾が走るよな、あのジジィ。地獄に落ちやがれってんだ」
「ダメだよ、シェイン君。マリスさんも言ってたでしょう? お天道様は私たちのことを見てるって。
イシュタル様に舌を引っこ抜かれちゃうよ?」
「それってウソ吐いたヤツのお仕置きだろ? ……まあ、別にいいけどさ〜」

 汚い陰口を叩いたシェインへ注意を飛ばすフィーナではあったが、許せない気持ちは彼と一緒である。
誰とでもすぐに仲良くなり、分け隔てなく接する彼女でさえ強い不快感を覚えてしまう程、
ヴィクドの提督は周囲に悪意を撒き散らしているのだ。
 人間として一般社会で生きるからには、周囲との確執が生じるような悪感情は理性を以って抑えるものだが、
彼には「自らを戒める」と言う概念が最初から存在していないようだ。
 自分さえ良ければ周りの人間など知ったことではないとでも言うような傲慢さは、
天上天下唯我独尊を地で行くゼラールに通じるものがあった。

(そう言えば、ゼラールさんはどうしたのかな。てっきりいつもの喧嘩って思ったんだけど……)

 顔を合わせる度にアルフレッドを挑発し、必ず一悶着を起こすゼラールなのだが、彼にまつわる話を珍しく聴かなかった。
何とも意外である。両帝会戦での大活躍を考えれば、得意満面で軍議に列席していても不思議ではないのだ。
如何なる事情があったのかは知れないが、全身全霊を以ってアルフレッドと罵り合う役割は、アルカークに譲ってしまったらしい。
 しかしながら、ゼラールがアルカーク相手に遅れを取るようには思えない。
言うことなすこと常識外れではあるものの、その身に備えた知性と戦闘力は本物である。
年齢差など物ともせずにヴィクドの提督と張り合い、打ち負かしてしまう姿が目に浮かぶようであった。
 それに、だ。ゼラールが侮辱されようものなら、ピナフォアは黙っていないだろう。
吸着爆弾のトラウム、イッツァ・マッド・マッド・マッド・ワールドを具現化させ、ヴィクドの陣営ごとアルカークを吹き飛ばすかも知れない。
 今のところ、ハンガイ・オルスでは大きな爆発音は聞こえず、また、武勇伝を報告――否、自慢するメールも受信していないので、
ピナフォアが無茶をしたと言うことではなさそうだ。決戦の熱砂へ赴く船上にてアドレスは交換済みである。
ここ半日程は返信が途絶えているものの、余暇にはメールのやり取りを楽しんでいた。

(もしかして、謹慎ってヤツかな? いつも勝手なことばっかやってるから、エルンストさんに叱られたのかも)

 ピナフォアからのメールが途絶していることなどを判断材料として、ひとつの結論を導き出すフィーナだったが、
謹慎以前に今回の軍議にはゼラール軍団からはひとりも出席していなかった。
 最初から列席していないのだから誰とも絡みようがない。仮に軍議に居合わせたなら、
アルフレッドとアルカークのふたりを向こうに回して突飛な持論を披露したに違いなかった。

「けッ――アホ面っつーかなんつーか、かわいい寝顔しやがって」
「さっきまで一回りも二回りも目上の人間相手に大勝負していた人だなんてウソみたいね。
見た目はクールだけど、気が抜けるとあどけなさが浮き出てくるわ」
「――ぅわはぉっ!?」

 最後にピナフォアと交わしたメールを振り返っていたフィーナは、不意に飛び込んできた耳慣れない声に飛び上がって驚き、
素っ頓狂な声を引き摺りつつ後退りしてしまった。続けて何事かと振り返り、そこに見つけた人物へ再び目を丸くして驚いた。
 絶句して固まるのも無理からぬ話だろう。リーヴル・ノワール以来の因縁であるメアズ・レイグが何食わぬ顔で控室に入り込み、
アルフレッドの寝顔を見物しているのだ。フィーナの反応は至極当然であろう。
 過日の意趣返しと警戒したフツノミタマは、すぐさまドスを咥え、右の五指を柄に掛けた。
彼が操る剣技の起点とも言うべき居合い抜きの構えである。

「ンだ、コラ、てめぇら!? 誰の許可得て入って来てんだ、オォッ!? 
この部屋にはなぁ、てめぇらが吸って良い空気は一呼吸分も存在しねーんだよッ!」
「はぁ? 何ほざいてんだ、このヒゲのオッサン。なんでてめぇのお許しを貰わねーと出入りできねぇんだよ。
てめぇは何だ? テムグ・テングリの手先にでもなったんか? だから部屋の出入りに口出しするってのか? あん? どうなんだ、コラッ!!」

 激情を剥き出しにして色めき立つフツノミタマに応じ、イーライも右手を刃に変身させた。
ドスに比して長大な刀身には、やはり強烈にして明確な敵愾心が宿っている。
 尤も、張り合い自体は子供じみていた。凶悪な面構えがふたつ並んで交互に唾を飛ばす様は、
狭い世界で縄張り争いに明け暮れるチンピラもどきに近い。
傍目には、幼稚な口喧嘩そのもの。レオナとシェインは癇癪を起こした近親者に顔を顰めるばかりだった。

「くだらねぇ屁理屈こねてんじゃねぇよ。出てけっつたら出てけや、オラッ! 死ぬか? あ? それとも死ぬかァ? 
鼻ぁ削ぎ落として口ン中に詰め込んだるぞ、てめぇッ!」
「言ったな、オイ、言ったな? 吐いた唾呑まんとけよ、あァ? てめぇ、コラ、アホんだらがァッ!
てめぇの膝の皿ァ、焼き物に挿げ替えてやっからなぁッ! それも角皿だァッ! 歩く度にゴツゴツなってろ、クソがッ!」
「インテリぶったつもりか、カスが、コラァッ!? そっちがそのつもりならよぉ、てめぇ、臓物丸ごと死んだ魚のと入れ替えてやらぁッ! 
魚類にしてやんよッ! 生きながら死ねッ! つーか、死ねッ! そしたら庭かどっかに埋めてやらぁよッ! 金魚みてーになぁッ!?」
「……あ? 今なんつった? ヒゲのオッサンよぉ、やっていいことと悪ィことがあるだろがッ! 
てめぇのその小汚ぇ睫毛よぉ、永久脱毛で二度と生えてこねーようにしてやんぞォッ!? 
一生だッ! 目にゴミが入り続ける恐怖に一生怯え続けろやッ!」
「やっていいことと悪いことだぁ? てめぇが言えるんか、んなことをよぉ、あァッ!? 睫毛ってなんだ、コラァッ!  
終いにゃ襟足毟るぞッ!? てめぇ、あァん、コラッ! ゴミタメが、オラァッ!!」

 一度、火が点くと、フツノミタマもイーライも止まらない。堪え性のない子供同士が、目が合っただの肩がぶつかっただのと、
下らないにも程があることを延々と言い争うようなものである。

「キレ芸漫才かッ!」

 額をゴツゴツとぶつけながら至近距離で凄み、不毛極まりない押し問答を続けるフツノミタマとイーライに対して、
シェインとレオナは同時に渾身のツッコミを入れた。
 無視して捨て置くことも一度は考えたものの、身内の恥を晒し続けるのは、やはり忍びないのだ。
 当然ながら、ツッコミを入れられた程度で止まるバカふたりではなく、痺れを切らしたレオナにゲンコツで沈められるまでの間、
体裁も何もなく、やれ殺すだのやれ死なすだのと、身も蓋も無い悪言を飛ばし合っていた。
今日日(きょうび)、エレメンタリーの生徒でも他にもっと気の利いた言い回しを選ぶだろう。

「そう気を揉まずとも良いぞ。メアズ・レイグ――あのふたりの協力がなければアルも危うかったのじゃ。
厄介な連中と乱闘になった折などは、イーライの坊主がおらねば死んでおったかも知れん。
……冒険者としては信の置けぬところもあるが、少なくとも今は味方と思うても良かろうて」

 アルフレッドの寝首でも掻きにきたのかと警戒するフィーナに、軍議の間であった出来事をジョゼフがそっと耳打ちした。

「あの人がアルの味方をしたんですかっ?」
「天地がひっくり返ったような驚き方をするわい。いや、これまでの関係を振り返れば、にわかには信じられぬがの。
されどあのときと今は事情も違う。メアズ・レイグはエルンストとも繋がりがあるようじゃ。
そのエルンストはアルフレッドとも親しい。いくらあれらが命知らずでもテムグ・テングリを敵に回す真似はすまいよ」
「だと良いのですけど……」
「ほぉ? お前さんらしく無い反応じゃな。……憎いかの、アルを痛めつけた連中が?」
「憎くはありません。アルもあの人たちの協力を受けたみたいですし……ただ……」
「――ただ、いつ自分たちに牙を向くかわからぬ、か。得体が知れぬと怖れるのもまた然りじゃ。
そこはそれ、アウトローを地で行くあやつらの自業自得じゃて」
「でも、……根は悪い人じゃ、ない……」
「分かり合いたいのであれば、勇気を以って交わってみよ。おヌシらしくな」

 決闘に勝利したアルフレッドを認め、アルカーク相手に共同戦線まで申し出たイーライの行動は、
メアズ・レイグの信頼性を裏付けるには十分であろう。
 だが、一度、芽生えてしまった蟠りと不信感を拭い取るのは、如何にフィーナが平和主義者であっても容易いことではない。
エルンストとの繋がりを引き合いに出し、裏切られる心配はないとジョゼフは太鼓判を押すが、
何しろ相手は悪名高きメアズ・レイグだ。過日の抗争でも実害を受けている。
どうしても背中を預けることへの不安が横切(よぎ)ってしまうのである。
 彼女の躊躇を見透かしたホゥリーは、無粋にも「チミもだいぶフィールドに馴染んできたねェ〜♪」と厭味を飛ばしたが、
好意的に解釈するならば、それはフィーナの心中にて冒険者としての気構えが育った証拠とも言える。
いつ何時であっても遅れを取らないよう警戒を張り巡らせておくことも、冒険者には不可欠なスキルの一つではあった。
 尤も、発言の直後にムルグから追い掛け回されたあたり、したり顔で皮肉を飛ばした割には、
ホゥリー自身も「フィーナに対する言葉選び」と言う初歩的な警戒に失敗した模様だが。

 イーライとフツノミタマのいがみ合いを食い止めた後、すっかり手持ち無沙汰となってしまい、
室内の人間模様をぼんやりと眺めるばかりだったレオナは、ジョゼフに名前を呼び付けられたとき、
自分のことではないと勝手に解釈して無視を決め込んでいた。

「……ワシの顔に泥を塗るつもりか、レオナ。折角、メアズ・レイグの復権を手助けしてやったと言うのに!」
「――へっ!? わ、私ですか!?」
「ワシの知る限り、この部屋にレオナと名の付く者はおヌシを置いて他にはおらぬわ。それとも、誰ぞ改名でもしおったか?」

 二度三度と繰り返し呼び付けられ、ようやく自分のことだと悟った次第だが、それでもジョゼフに手招きされる理由までは分からない。
彼の傍らにはフィーナが控えているではないか。会話の輪に加わるよう促されているらしいのだが、その意味もまた不明である。
 さりとて、返事をしてしまった以上は応じないわけにも行かず、精一杯の愛想笑いを浮かべたレオナは、
しかし、遠慮がちにジョゼフのもとへと歩み寄っていく。招かれた以上はふたりと肩を並べて立つものの、
自分から積極的に発言しようとする意思は皆無に等しい。これは面に貼り付けた作り物の笑顔を見れば瞭然であろう。
 チーム間の抗争にまで発展したリーヴル・ノワールでの一件を始め、これまで何度となく顔を合わせてはきたものの、
差し向かいで語らうのは、意外にも今回が初めてであった。
 それ故に緊張が先行するのか。それとも、フィーナが警戒を解いていない所為か――
対面したふたりの挙動は、滑稽な程にぎこちない。互いに不自然なくらい気を遣い合っているのだ。
会釈ひとつ取っても妙に余所余所しい。
 フィーナとレオナを引き合わせた張本人はジョゼフであるが、彼は必要以上に仲介へ踏み込むことを控えている。
無論、いつまでも打ち解けないふたりへ愛想を尽かせたわけではない。
戦いを通じてアルフレッドとイーライが和解したのと同様に、彼女たちも自らの意思で歩み寄らなければならないのだ。
それこそが、真の絆の始まりなのである。
 先に勇気を振り絞ったのは、レオナのほうだった。俯き加減で何事かをボソボソと呟くフィーナに向けて、
彼女は勢いよく右手を差し伸べた。溜めに溜めた力を一気に解放したバネの如き弾みが付けられており、
握手にしては明らかに力みすぎている。
 ときとして過剰な意気込みは腹をくすぐるようなものであり、フィーナとレオナは顔を見合わせつつ笑気を噴き出した。

「……この間は色々あったし、殆んど喧嘩別れみたいな形だったから改めて――レオナ・メイフラワー・ボルタです。
イーライのパートナーって自己紹介でいいかな? 趣味は……えっと、食べ歩き、かな。く、食いしん坊って思われちゃう?」
「アル――兄がお世話になりました。私、フィーナ・ライアンと言います。このチームではおさんどん担当で、一応、冒険者やってます。
レオナさんの足元にも及ばないような駆け出しですけど」
「――あ、そっか! あなたがハーヴさんの話してた娘なんだねっ!」
「……へっ?」
「アルフレッド君の作戦を聴いたとき、自分とフィーナさんのふたりで彼を止めるってね。すっごい剣幕だったんだよ〜」
「そうなんですかっ? お姉様――じゃないハーヴさんは、私のお師匠様なんです。
……そっか、お姉様、そんな風に言ってくれていたんだぁ……」
「きっとフィーナさんはハーヴさんの自慢のお弟子さんなんだね。うん、そう言う感じ、伝わってきたよ」
「そ、そんな! 私なんてまだまだですよっ。じ、自慢だなんて、そんな、とてもとてもおこがましくってっ!」
「謙遜しなくてもいいのに。……それにね? これは私の想像だけど、きっと、そう言う謙虚なところがハーヴさんは気に入ってるんだと思うよ」
「もしもそうなら光栄です、本当……」

 拭い切れない警戒心や冒険者としての気構えよりも大事なことをフィーナはようやく思い出した。
 勝負の結果を受け止めてアルフレッドへの筋を通そうとしてくれたことや、
冷徹が過ぎる彼に人の道を言い諭そうとしてくれた事実を――彼らの手にある温もりを信じたいと、心から願ったのである。
 博愛主義者と鼻で笑われても構わない。初めて身近に感じたメアズ・レイグの心へ寄り添いたかった。
だからこそフィーナは差し出されたレオナの手を握り返すことが出来たのだ。

「よろしくお願いします、レオナさん。それと、私の趣味も食べることです。食べ歩き、大好きですよ」
「わ、そーなんだっ。じゃあ、趣味のほうもひっくるめて、これからよろしくね、フィーちゃん。……フィーちゃんって呼んで良かったかな?」
「大歓迎ですよ、どっちも。世の中が静かになったらルナゲイトのレストラン巡りでもしましょう」
「いいよいいよぉ〜っ。ルナゲイト中のレストランを休業に追い込むくらいの勢いでやっちゃおっか!」
「はいっ!」

 握り返したレオナの手は、ほんのりと熱を帯び、全てを包み込むように柔らかで、
そこから伝わる優しい温もりが彼女の手を取ったフィーナに自分の選択が間違いでなかったことを教えてくれた。

「――は〜い、ここでアウトなの。ルディア的に独占禁止法発動なのね。
超美味しいコトをふたりだけで楽しもうなんて、ルディアの目が黒い内は許さないのっ!」

 ふたりの握手に自身の両手を重ねる形で会話へと飛び込んできたのは、元気いっぱいに鼻息を荒くするルディアであった。
左右の五指を忙しなく開閉させつつレオナの胸元を凝視するあたり、今や遅しと乱入のタイミングを計っていたらしい。

「ル、ルディアちゃん!? いつの間にっ!?」
「いぇーっす! フィーちゃんからご紹介に預かったルディア・エルシャインなのっ! もーいくつ寝るとステキでムテキな十五歳っ! 
でもでも今はあどけなさ残る十四歳なのね。シェインちゃんにラドちゃんまでうっとりメロメロ級のアイドルだけど、
しかしてその正体とは、世界を救うヒーロー! ……になる予定なのっ! サインねだるなら今のうちなのね? 
もちろん出世後にも気さくに応じますが、ブレイク前の今だからこそプレミアムなルディアでゴザイマスなのっ!」

 リーヴル・ノワールにて勃発した抗争の最中、ルディアはコールドスリープから目覚めておらず、
またハンガイ・オルスでも「顔は合わせた」と言う程度の接触しか持たなかった為、両者の面識は皆無に等しかった――
その筈なのだが、ルディアのほうは一目会った瞬間からレオナに注目していたようだ。
成る程、荒々しい鼻息も五指の動きも、撫子相手によく見せているものである。
 つまり、それだけ興味を強く惹かれたと言うことだろう。実際、レオナを発見してから駆け寄るまでの行動は異常な程に敏速だった。
彼女は数分前まで電子ゲームに興じており、アルフレッドの帰還など室内の状況(こと)には見向きもしなかった。
それにも関わらず、レオナの気配を察知するとは、相当に高性能なアンテナを張っているのだろう。
 小難しい話を忌避するルディアにとって、ゲーム機器は空白の時間を過ごすには最良の一品だった。
 それ自体はマリスから借り受けた物だ。病床に臥していた頃、アルフレッドから見舞いの品として贈呈されたと言う。
液晶画面に表示されたプレイヤーキャラクターをボタンでもって操作し、
地上へ爆弾を降らせる円盤型の敵キャラクターにパンチを繰り出して撃退すると言う至ってシンプルなルールだが、
複雑な思考を必要としない分、一心不乱に没頭していられる設計であった。
 だからこそ、彼女は脇目も振らずに熱中し続けたのだが、ついにゲーム機器は「暇潰し」の域を超えられなかった。
少なくとも今回に限っては、だ。マリス自慢のゲーム機器を以ってしてもルディアの奇癖を抑えておくには役者不足と言うわけである。

「えと、フィーちゃんのお仲間……だよ、ね? 顔は何度か見た覚えがあるけど――」
「はい、ルディアちゃんです。……レオナさんもご存知じゃありませんか? このコはリーヴル・ノワールの……」
「あっ――」

 アルフレッドたちが結成した調査チームより先にリーヴル・ノワールへ潜入し、
また、ルディアのことを暗喩して「眠り姫」などと意味深な発言を残していったのは、他ならぬメアズ・レイグだ。
ひどく抽象的だったにも関わらず、フィーナの説明だけでヒーロー志望の少女が何者であるかにレオナは感付いたらしい。
短く驚きの声を上げると、口元に手を当てたまま二の句が継げなくなってしまった。
 その面には如何にも複雑な表情を浮かべている。リーヴル・ノワールと言う施設に秘められた恐るべき研究の実態を、
彼女たちメアズ・レイグも突き止めていたに違いない。かの施設のナビゲーションソフトが
『エンジェル・ハイロゥ』などと大仰な愛称で呼んだ、この無垢なる少女の“正体”についても、だ。
 痛ましそうな眼差しでルディアを見つめるレオナだったが、結局のところ、彼女にはそれが仇となった。
感傷になど浸っておらず、己の身体のどの部位をルディアが凝視しているのかに気付くべきであった。

「よしもう待たないの! 待てないの! サインはルディアからしたげるのね! そのおバスト様へっ!」
「へ? あ、やっ――」

 意味不明な宣言をするや否や、プールに飛び込むかのようなフォームで思い切り跳ね、
そのまま放物線を描くようにしてレオナの懐へと抱きついていった。

「いッただきマンモス〜ん♪」

 あとはルディアの一人舞台である。激しく開閉させていた両手をレオナの胸元に滑り込ませると、
その柔肌の感触を思う存分に味わい、恍惚とした表情で卑猥な嬌声を発し、心行くまで彼女の姿態を満喫していく。
 あまりの恥ずかしさにレオナは身を捩ってもがいていたが、哀れと言うべきであろうか。
そうした抵抗は却って燃えると言わんばかりにルディアは指の動きをより活発化していった。

「ちょ、ちょっと、ルディアちゃ…ンんッ! どうして…そんな――テクニシャンなのッ!?」
「ふっふっふ〜ん――レオナちゃんもルディアのゴールドフィンガーには敵わないの。
もっともっとオンナの悦びを教えてあげるから、今日くらいは指輪を外したら良いのね。
それがレオナちゃんを縛っているのなら、ルディアが全部ラクにしてあげるのっ」
「こ、言葉遣いまでテクニシャン……っ!」

 あまり他人に聞かせたくない類の愛妻の悲鳴と、彼女に対する不届きな誘惑を確認したイーライではあったが、
ディプロミスタスの発動を迷うどころか、果たして助けに入るのが適切かどうか、判断に困ってしまっていた。
 自分たちより遥かに年下の“女の子”がレオナの肢体にへばり付いていたのである。
抱きついたのが異性であったなら、年齢を問わず首を絞め上げた筈だが、同性の場合に於いては、必ずしもこの限りではない。
単なるじゃれあいと言う可能性がなきにしもあらず。友人同士のふれあいを邪魔しようものなら後でレオナからこっぴどく叱られるのだ。
最悪とも言うべき事態だけはイーライも避けたかった。
 明らかにルディアの行動は「じゃれあい」や「ふれあい」を逸脱しているのだが、それでもイーライは確証が持てずに立ち往生。
結局、レオナは乱れた着衣を正すことさえ困難になるくらい弄ばれ、精根尽き果ててへたり込んでしまった。

「悦しませてもらったゼなの、お嬢ちゃん」

 思う存分、レオナの胸を満喫したルディアは、満面を眩いばかりに輝かせている。
やけに気取って見せたものの、行為も台詞も完全にセクハラである。
アルフレッドが起きていたなら、まず間違いなく被害者とその夫に訴訟の準備を勧めたであろう。

「おごっそさんでしたなの。撫子ちゃんが不動の最強だけど、レオナちゃんはベストスリーに入るボディーだったのね。
マリちゃんと甲乙付け難い……悩む、悩むのっ! 結果発表はもうちょっと待ってほしいのっ!」

 余韻を味わうよう両の拳を握り締めたルディアは、口元から滴っていた涎をハンカチで拭い取ると、
再びレオナの懐へと飛び込んでいった。
 先程のこともあって咄嗟に身構えてしまうレオナだったが、今度の抱擁は淫猥な類のものではなく、
大きく広げられた両腕からは心の芯まで優しく包み込むような温もりが感じられた。
まるで、かよわい雛が親鳥の両翼で抱き締められているようにも見える。
年齢や背丈の釣り合いが取れず、極めて不恰好ではあるものの、雛はレオナ、親鳥はルディアである。
 くすぐったそうに身じろぎしたレオナは、フィーナとイーライへ困ったような顔を向けたが、
敢えてふたりは助けに動かなかった。フィーナは朗らかに微笑み、イーライは頭を掻きつつ成り行きを見守っている。

「不良不良って聞かされてたけど、レオナちゃんってば、全然、悪い人じゃないのね。
そんなレオナちゃんと一緒にいるだもん。あのチンピラもきっとよいこなの。だったら、今日で全部水に流しちゃうの」
「チンピ――ああ、イーライのことね」
「そーそー、そんな名前なの。いつでもイライラしてるっぽいチンピラにお似合いの名前なのね。
うちにも狂犬みたいのが一匹いるから、もうね、そーゆーのには慣れっこなの。
それにねそれにね、レオナちゃんトコのチンピラとうちの狂犬、見た感じ、似た者同士だし、きっと気が合うハズなのっ」
「それなら――仲良くしなくちゃ絶対損だね」
「なのなのっ! もったいないの! そりゃあ友達やってたら、ときにはケンカするコトもあるかもだけど、
握手してなきゃ相手の顔見てブン殴るコトもできないの。それってきっと大事なコトだって、ルディアは思うのっ!」
「私もそう思うよ。……相手と向き合わないケンカなんて、気持ちが悪いだけだもの」
「お胸様だって後ろから揉むより前から――あ、ちょっと待ったなの。後ろから攻めるのも、それはそれでオツなのね。
うむむむ? ルディア、こんがらがっちゃってるの。背中越しの弾力もゲージツなわけで、つまり……」
「……あれっ!? 急に話が摩り替わったのは、私の気のせい!?」

 年齢不相応の砕心と言うべきか、それとも、世間を知らない年齢相応の無茶と表すのが正しいのか――
いずれにせよ、ルディアが紡いだその言葉は、両陣営の和解を締めくくるのに打ってつけであった。
やがてフィーナも加わり、「ケンカするなら、次からは言いたいことをちゃんと伝え合えるね」とルディアの思いを復唱したことによって、
ふたつの冒険者チームの蟠りは正式に解消された。そう見なすことに異論を唱える者は誰ひとりとしていなかった。
 ようやく漕ぎ着けた和解へ安堵し、フィーナやルディアと笑い合う愛妻の横顔を見つめていたイーライは、
彼にしては極めて珍奇ながら口元が緩み切っている。
 これまでレオナは、イーライとエルンストの親睦を事ある毎に後押ししてきた。
悪徳な冒険者として忌み嫌われ、また生涯を賭してでも達成すべき目的へ邁進するあまり、
身の周りの事柄を切り捨ててきたパートナーに自分以外の理解者が出来ることは、望外の喜びなのである。
イーライとアルフレッドの間に奇妙な友情が育まれつつあることも彼女は歓迎していた。
 対立関係ではなく朋輩と言う形で両者が結びつくことを誰よりも喜んだのは、あるいはレオナかも知れない。
 しかしそれは、イーライとて同様である。レオナに新たな友人が増えることを嬉しく思わない筈がなかった。
自分のような不出来の夫を献身的に支えてくれる心優しい器量良しにも関わらず、
『メアズ・レイグ』の悪名の前には誰もが慄き、寄り付くような人間は絶無と言う有様であった。
勿論、故郷にはそれなりに友人もいるのだが、同業者からの評判はすこぶる悪く、これまでに「仕事仲間」を持った試しもない。
 兼ねてからイーライもそのことを不憫に思っていた。悪名の原因は不出来の夫にあり、彼女はとばっちりを受けたに過ぎないのだ。

 レオナに不当な印象を作ってしまったことへの懊悩がようやく晴れた――
そうして相好を崩したところ、あろうことかフツノミタマに発見されてしまい、
あまつさえ冷やかすような口笛を披露された瞬間、イーライはディプロミスタスを発動させた。
 鋼鉄の肉体にも感情の起伏が反映するのだろうか、顔面は焼きでも入れたかのように真っ赤に燃え盛っている。
大振りの刃に変身させた右手までもが烈しく赤熱しており、物体に触れた途端、切れ味云々ではなく対象を焦がし尽くすだろう。

「舐めやがって、この老けヅラァッ! てめぇには出来立てホヤホヤの新技を見せてやらぁ! 
アルフレッドにリベンジする為の取っておき、一足先に喰らいやがれッ!」
「こんなくだらねぇコトに新技ブッ込むんじゃねーよッ! バカじゃねーのッ!?」

 本気で口封じを試みるイーライに対抗し、フツノミタマも愛用のドスを抜いている。
ルディアは似たもの同士で仲良くなれそうだと胸を叩いていたが、こちらは本当の意味の和解まで少しだけ時間が掛かりそうだ。
 尤も、不良冒険者の悪名に似つかわしくない優しい笑顔は、この場に居合わせた殆どの者に目撃されている為、
フツノミタマひとりを始末したところで全くの無意味なのだが、羞恥に狂ったイーライへ冷静な判断を求めるのは酷であろう。

 自身を取り巻くあらゆる情報に鈍くなっているイーライは、俄かに室内へ漂い始めたスパイシーな香りにも全く気付かず、
ひたすらフツノミタマを追い回している。そんな彼に「なんか腹が減る匂いがしねぇか!?」と声を掛けるあたり、
追われる立場のほうが精神的な余裕を持っているようだ。
 フツノミタマの鼻腔をくすぐった香りには、五感の働きが人並み以上に優れたヒューも気付いている――
と言うよりも、室内で真っ先に感知したのは、何を隠そうこの名探偵であった。
 間もなくセフィも殊更に刺激の強い匂いを嗅ぎ付け、「これはまた妙なコトになりましたかね」とヒューに確認を仰いでいる。
嘗ては追う者、追われる者の立場であったが、世界を股にかける名探偵と単独犯のテロリストは、
求められる技能に於いて相通じるものがあり、ヒューもセフィの感覚神経には全幅の信頼を置いていた。
 セフィに相槌を打つヒューの相貌は、明朗な確信を輝きとして宿していた。

「へっ――ジューダス・ローブを助手にする日が来るとは夢にも思ってなかったぜ。
一年前の俺っちが見たら、一体、なんて言うだろ〜な。すっ転んで悶絶でもしてるかもよ」
「助手になった覚えはありませんけど、夢にも思わなかったと言うのは同感です。
ああ、私の場合は『予知もしていなかった』と言い換えるのが正しいのかも知れませんね」
「随分と辛ェジョークじゃね〜の。しょっぺぇコトばっか言ってたら、お前、高血圧でフッ飛んじまうぜ?」
「辛いと言えば、この香りですよ。これは、おそらく――」
「……ああ、十中八九、こいつは――」

 鼻をひくひくと動かすヒューとセフィは、優れた五感に基づく緻密な推論の末、
どこからともなく控え室に滑り込んできた芳香がカレーの物であると断定した。

「……ハードボイルドなおふたりには申し訳ないんだけどさ、それはニオイでわかると思うんだよねぇ」

 身も蓋もないネイサンのツッコミはともかく――カレーはエンディニオンの食卓に並ぶ定番中の定番メニューである。
ハンガイ・オルス滞在中もテムグ・テングリ群狼領から数多くのカレー料理が提供され、
緊迫した状況下でのささやかな楽しみとして一行は舌鼓を打ってきた。
 先程より控え室に充満しつつある匂いは、ヒューとセフィの推論――あるいは、ネイサンの感想――通りの物だが、
しかし、馬軍の食事係が丹精込めてこさえるカレーとは微妙に異なっている。
 具体的な違いが分からず頭を捻る名探偵とテロリストに成り代わり、
香辛料自体ではなくソースの分量など調理法からして異なっていると言い当てて一同を感心させたのは、
料理に於いて一日の長があるタスクだった。
 フィーナも即座に頷き、それと同時に「ウスターソースは野菜との相性バツグンだよぉー!」と黄色い声を上げた。
 具体例を列挙されると、その通りに匂いを嗅ぎ分けられるようになるのだから人間とは不思議である。
シェインやローガンなどは、すっかり魅惑的な香りの虜となっており、先程から幾度となく生唾を飲み下し続けている。
 守孝も頭の中でカレーを思い描く程に食欲を刺激されているのだが、佐志の代表と言う責任感から必死になって腹鳴を抑え込み、
壁時計を指で示しつつ、「夕餉の刻限には早過ぎると存じまする」と浮き足立つ皆を嗜めた。
夕食は十九時と指定されているが、現在時刻はまだ十七時過ぎ。遅延の感はあるものの、せいぜいおやつの時間である。
 さりとて、おやつにカレーを食べると言う話など聞いたことがない。中途半端な時間に重い物を摂ろうものなら、
間違いなく夕食に支障を来たす。そのように守孝は指摘を続けた。
結局、注意を飛ばす最中に気の抜けた音が腹部にて鳴り響いた為、説得力はガタ落ちとなってしまったが、これはご愛嬌。

「カレー味のお菓子ってオチでしょ、どうせ。ここから食堂まで、どれくらい歩くと思ってるのよ。距離が有り過ぎよ。
仮に本物だったとしても、余所の部屋で炊き出しでもしているんじゃない?」

 ネイサンをしてハードボイルドを気取るヒューとセフィを「間抜けな凸凹コンビ」の一言で切り捨てたレイチェルは、
ハンガイ・オルスの見取り図を頭の中で思い描くよう仲間たちへ呼び掛けている。
 ハンガイ・オルスの厨房と、これに隣接する食堂は、賓客に宛がわれた控え室とは別々の区画に所在していた。
つまり、どれだけ香辛料を強く利かせようとも、その主張が控え室にまで到達することなど有り得ないのだ。
 スパイシーな香りの出所としてレイチェルが真っ先に怪しんだのは、ホゥリーである。
平素からジャンクフードを手放さない彼がカレー味のスナック菓子でも貪っているのではないかと考えた次第だ。
そうした食品は、得てして調味料が強い。また、日進月歩で開発される新商品には変り種が多く、
ウスターソース配合のパウダーで味付けしたポテトチップスと言う線(セン)も否定し切れない。
 しかし、当のホゥリーはムルグの爪や嘴によってボロ雑巾のようにされており、とても間食どころではなかった。
確かに足元にはポテトチップスの空き袋も散乱しているが、どうもカレー味の物は含んでいないようだ。
レイチェルの意図を察し、一枚一枚を調べていたムルグは全身を左右に回転させ、該当品の有無を明示している。

 カレーの匂いは秒を刻む毎に強まっている。しかも、だ。匂いの接近には数名分の足音が付随している。
金属性の食器が擦れ合う音まで聞こえてきては、守孝とレイチェルは怪訝な顔を見合わせるしかなかった。
 何かイレギュラーな事態が発生し、時間を繰り上げつつ食事の配膳を各部屋で行うことになったのか――
数名分の足音が控え室のドアの前にて止まり、それから間もなくカレーの匂いが一等強くなった。
ノックもなく無遠慮にドアが開かれたのだ。

「陣中見舞い――と思ったのだが、少し気が早かったようだな」

 香しい匂いを引き連れて控え室に踏み入ったのは、ハンガイ・オルスの配膳係などではなく、
パトリオット猟班を率いてスカッド・フリーダムを出奔した男、シュガーレイその人であった。
 背後にはチームメイトも追従している。馬乗り状態でシュガーレイから殴られ続けたジェイソンは、
顔中に当てられた絆創膏や折れた腕の添え木こそ痛ましいものの、その風貌と裏腹に溌剌としている。
 頭や腕、胴回りに包帯を巻いたミルドレッドは、バケツの如く大きな丸型食缶を両手にひとつずつ携えている。
アルフレッド渾身のフランケンシュタイナーで倒され、医務室へ担ぎ込まれてから一時間と経っていないものの、
ジェイソンと同じく一眠りして回復したらしい。
 巨人の影に隠れて見えないが、最後尾には割烹着姿のモーントとエプロン姿のジャーメインも続いている。
モーントは大きな炊飯ジャーを、ジャーメインはスプーンや深めのスープ皿が納められたバスケットをそれぞれ抱えていた。

「……なんやねん、一体――……なんやねんッ!?」

 突如として目の前に現れたパトリオット猟班――いや、タイガーバズーカの旧友にローガンは飛び上がって驚いた。
比喩でなく、本当に跳ね飛んで驚嘆したのである。
 着地と同時に床を蹴ったローガンは、そのまま勢いよくシュガーレイに抱きついていく。
大袈裟にも程があるリアクションとなってしまうのも無理からぬ話であろう。
ルナゲイトが陥落したあの運命の日、他の隊士と同じように親友も落命したものと考えてきたのである。

「一応、俺も男なんでな。お前に抱き疲れても嬉しくも何ともないぞ」

 スカッド・フリーダムを出奔した背景など含めて、自他ともに「壊れている」と認めざるを得ないシュガーレイではあるが、
ローガンの反応を冗談めかして茶化したその声には、人間らしい温もりが確かに感じられた。


 パトリオット猟班が言う陣中見舞いとは、ワイルド・ワイアットの勝負に対する物であった。
全軍揃っての決起に向けて、作戦遂行への不安を取り除くことがアルフレッドには課せられているのだ。
それこそが献策を担った者の責務でもある。
 いずれはグドゥーの最高実力者たるクレオパトラとの対決も控えている。
そうした事情もあり、佐志の控え室は大混乱の様相に違いないとジャーメインは予想していたのだが、
ドアを開けてみれば、そこは至って和やかな空気。
イーライとフツノミタマに至っては、仲良く追いかけっこ――彼女の目にはそう見えた――をしている始末であった。
 肝心のアルフレッドなどはソファで仮眠中。これを一瞥したミルドレッドは、
「随分余裕だな。勝算アリってことかい。次はどんな手で人を陥れるのやら」と意趣返しのような皮肉を飛ばしている。
 この女巨人はアルフレッドの容態を一瞥した途端、珍しく驚きの声を上げた。
 彼女は自分を倒した相手を目の当たりにしたとき、少なからず驚いていた。
ジウジツ、ムエ・カッチューアとの連戦によって両腕の骨折に両足の捻挫、肋骨の亀裂など全身の至る箇所へ
甚大なダメージを受けている筈なのだ。ジャーメインの蹴りは内臓をも揺さぶったに違いない。
 ところが、安らかに寝息を立てる今の姿はどうだ。衣服には流血の染みが散見されるものの、
肉体の損傷はすっかり消え失せている。
 これにはジャーメインも目を丸くした。両腕を骨折し、防御が殆ど行えない状況下での乱打戦となった結果、
彼は無数に青痣や内出血を作っていたのだ。それらの痕跡が見る影もない。
一眠りしただけで動けるようになるミルドレッドやジェイソンも驚異的ではあるが、アルフレッドはそれすら上回っている。
まさに人間離れした回復力としか思えなかったのだ。
 言うまでもなくリインカネーションによる治療の成果である。回復力の種明かしをされたミルドレッドとジャーメインは、
異口同音で「卑怯だ!」と不満を噴き出させた。このような回復手段があったればこそダメージを度外視した戦いが出来たのだ。

「――あの、わたくしのトラウムでよろしければ、皆様のお役に立てると思いますが……」
「それは在り難いが、治療する本人の顔色が優れないぞ。別にあたしは身体が壊れてるわけじゃない」
「無理させるのは忍びないよ。なんかハァハァ言ってるし……」
「お辛いのは皆様ではございませんか。そちらの御方は腕を怪我されているとお見受けしました」
「ジェイソンのことかい? こいつのは自業自得みたいなモンさ。ボコボコにされるのが趣味なんだよ」
「人をドMみてーに言うなよ、ミル姉さん。やられまくるのも強くなる近道ってだけさ。……ンなワケで身体の造りも人とはちと違うワケよ。
肉食って寝てりゃ、すぐに元通りになるぜ」
「そうは言っても、片腕が使えなければ、日々の暮らしに不便するのは必定。満足に働くことも出来ないでしょう。
わたくしにも御本懐を遂げる手助けをさせてくださいまし」
「は、はぁ――そりゃオイラは助かるけど、ねーちゃん、なんか意地になってね?」

 ミルドレッドやジェイソンの負傷を気の毒に思ったマリスは、自分からリインカネーションによる治療を申し出た。
アルフレッドと戦った相手とは言え、複雑な事情が絡んでの激突である以上、パトリオット猟班に私怨を抱く理由はない。
既に和解は済んでおり、彼らの側にも敵意は感じられなかった。ならば、同志として迎えようと言うのだ。
 パトリオット猟班としても断る理由はなく、その申し出を受け入れたのだが、
アルフレッドの治療だけで相当に疲弊していたマリスは、ジェイソンの骨折を治療したところでついに力尽きてしまった。
当人は踏ん張っていられると思ったようだが、心身の状態は気力のみで誤魔化せるものではない。
 力なく崩れ落ち、再びタスクに支えられたマリスは、そのまま別のソファで休むことになった。
慌てて駆け寄ったジェイソンやミルドレッドに治療の続きは後日と約束するものの、その声は途切れ途切れ。
ジャーメインも含めた三人は、恐縮の面持ちで頭を下げるばかりだった。

「後日――と言っても、のんびりとはしていられん。すぐに行動を開始せねばなるまい。ミルドレッド、悪いが、養生は諦めて貰うぞ」
「最初からそのつもりさね。ベッドで寝ているなんて性に合わない。身体、動かしてたほうが治りも早くなる」
「アルも起こさなきゃね。モーニングサービスとして耳の穴に息を吹きかけてあげるわ。そしたら起きるっしょ」
「オイラ、法律のことはカラキシだけど、それってセクハラじゃねーの? 訴えられても知らねーよ」
「安心していいよ、ジェイソン。そんなことになる前にぼくが止めるからね。そいつの息の根を……」
「殺(と)っちまったら、法律違反もクソもね〜だろ。ホントにおめーはメイのことになると目の色変わるな」
「いいから、段取りを付けるまでは寝かせておけ。大事な局面で判断を誤って貰っては困る」

 「これもひとつの合戦だ」とのシュガーレイの号令を受けて、パトリオット猟班は表情を一気に引き締まった。

「例の貴婦人、かなりクセがありそうだったけど……。そう言う人と戦うときには、準備の時間を与えちゃいけないんじゃないかなぁ」

 ぼんやりとした口調でモーントも言い添えていくが、彼らが何を話しているのか、フィーナには意味がわからない。
その背後では、ジョゼフと守孝が我が身の誤りを悟ったように渋い顔を見合わせていた。

「ちょっと待ってください。ひとつの合戦と言われても、何がなんだかさっぱりわからないのですけど……」
「ライアンから何も聞いていないのか? マイク・ワイアットとのことを」
「マイク・ワイアットって、あの――」
「そーだよ、フィー姉ェっ! 冒険王ワイルド・ワイアットだッ!」
 
 軍議の最中に控え室で待機していたフィーナたちには初耳だったが、かの冒険王と佐志はひとつの勝負をすることになっている。
帰還したアルフレッドは、これについて何ら言及せず、「とりあえず話し合いはまとまった」とだけ伝えて意識を失ってしまったのである。
当然、フィーナたちはシュガーレイの言葉に飛び上がって驚いた。
 軍議の成り行きについては守孝たちも皆に明かしたが、クレオパトラとの対決をも視野に入れた今後の展開だけは、
アルフレッドが自分自身の口で説明すべきと判断し、敢えて何も語らなかった。
 軍議の最終局面に於いて、アルフレッドはエルンストの天運が連合軍の趨勢を占うと言明していた。
ならば、後顧の憂いなく作戦遂行へ踏み出せるか否かを、今度はアルフレッドの天運と器量でもって測ろうと、
ジョゼフは心中にて結論付けている。彼が相応の器の持ち主であるならば、“三陣”の完成へ天運も味方をするに違いない。
それは、アルフレッド自身が発した言葉でもある。
 アルフレッドの顔を立てた形だが、その判断は大誤りだったと言わざるを得ないだろう。
仲間たちの混乱を煽ってしまったのでは、黙していた意味がない。
 人生の目標とも言うべき人物がハンガイ・オルスへ滞在していると知っても、ジョゼフから紹介を持ち掛けられようとも、
「今のボクはベルを助けるのが一番の目標だ。それに見ず知らずの子供が押しかけたらワイルド・ワイアットの迷惑だよ」と
我慢したシェインであったが、パトリオット猟班の話には、どうしても興奮を抑え切れなかった。
 先程の軍議にてマイクが見せたような逸話を彼は幾つも知っている。
ましてやラドクリフからゼラール軍団の海賊討伐に於ける神業を聞かされたばかりなのだ。

(ワイルド・ワイアットが同じ建物にいるってだけで、もうたまんないってのに、こんな……!)

 生ける伝説とまで称えられるマイクが、勝負と言う名目で自分たちと肩を並べている。
夢にまで見た憧れの人物と、同じ場所に立っている――シェインは己の魂が震えるのをはっきりと自覚していた。
 一度、頭が真っ白になってしまったのだろう。陣中見舞いの配膳が始まってからもシェインはずっと上の空であった。
 昨晩に作ったカレーの余りへコンソメスープとガラムマサラを加え、更に味を調えて完成させた即席のスープカレーこそが、
パトリオット猟班の陣中見舞いである。新たに投入したチキンとブロッコリーから染み出した旨味が、
前日から煮込んできた具のエキスと絶妙に溶け合い、フィーナとタスクをも唸らせるような仕上がりとなっていた。
 ウスターソースをアクセントとするカレールーは、一晩寝かせたことで芳醇に熟成されている。
これを味が濃くならない程度のコンソメスープで溶き、あまつさえ新たなカレー料理として昇華させる発想には、
腕に覚えのあるタスクでさえ脱帽の一言であったようだ。
 調理を担当したのはジャーメインである。それを知ったイーライは、本当に食べられるのか否かを疑って顔を顰め、
彼女と喧々諤々の口喧嘩を交える一幕もあった。
 軍議が終わってからもK・kの元には戻らず、ちゃっかり一行へ追従した挙げ句、
余所の陣中見舞いにありつこうとするローズウェルへ大喝(カミナリ)を落としたジョゼフなど、
食事ひとつ取っても、あちらこちらで大騒ぎと言う状況であったが、シェインはそのいずれにも無反応。
あれほど胃袋を刺激されていたカレーの香りさえ今は認識していない様子である。
 注意力散漫の極致とも言うべき状態を見兼ねたフツノミタマは、大音声を張り上げて叱り飛ばしたのだが、
それでもシェインには通じない。右の耳から入って左の耳に通り抜けるような有様であった。
 恫喝すら意味を為さないとあっては、さすがのフツノミタマもお手上げだ。史上稀に見る事態だが、泣く子も黙る強面を曇らせつつ、
「なんだよ、畜生。なにが冒険王だよ。オレとどっちが大事なんだよ……」と、完全にへこたれてしまった。
剣の師匠として彼なりに世話を焼いてきたのだが、その自負が粉々に打ち砕かれたような恰好である。

 そんなシェインの意識を再び現実世界へ引き戻したのは、スープカレーでなければフツノミタマでもなく、
意外にもジェイソンその人であった。
 配膳に当たって炊飯ジャーを持ち場と定められたジェイソンは、シェインの皿へ山のように堆くライスを盛り付け、
「よぉ、チビ太郎! おめー、ただでさえみっともね〜ナリしてんだからよ、ガツガツ食ってガタイだけでも作っとけや」などと
唐突に挑発を仕掛けたのである。
 シェインのことを「チビ太郎」と呼びつけ、茶化して見せたジェイソンではあるものの、
筋肉の育ち方はともかくとして、両者の身長に大した開きはない。それどころか、シェインのほうが数センチばかり高いくらいだ。
 初対面のジェイソンから大変な無礼――例え、的外れであるとしても――を働かれたシェインであったが、
陣中見舞いを受け取る側と言うこともあり、その場では当たり障りのない返答のみに留めていた。
直情径行にある彼にしては珍しく懸命な判断と言えるだろう。
 ところが、だ。食事が始まってからもジェイソンは執拗にシェインへ絡み続けた。
傍らに置かれたブロードソードから彼が剣士見習いであることを嗅ぎ付けると、タイガーバズーカの剣豪の逸話を自慢げに語り、
未熟なシェインと比較しては「おめーのナマクラ剣法なんざ、タイガーバズーカじゃ歯が立たないぜ」と、嫌味丸出しでせせら笑うのだ。
 ジャーメインが作ったスープカレーとは、ライスとスープを別々の更に盛り付けておき、
スープの側へライスを浸すのが一般的な食べ方である。ジェイソンはその食べ方にまで難癖を付け始めた。
スプーンの上げ下げからもその人の潜在能力が分かると意味不明な嫌味が飛んできたときには、
さすがにシェインも鬱陶しくなり、「迷惑」の二文字を顔面に貼り付けながらジェイソンを睨めつけた。

「あんまりバカやってると怒られるぜ? メシは楽しく食うもんだってキンダーガートゥンで習わなかったの?」
「へぇぇ、こりゃまたお上品なコトをおっしゃったりしますネ? マナー教室でも通ってたのか、ボクちゃん?」
「どこからマナーの話が出てきたんだよ。今さっきキンダーガートゥンだって言ったばっかだろ。
ボクだって行儀悪いってよく叱られるけど、お前は輪をかけてひでぇぞ」
「かっかっか――こちとらキンダーガートゥンにもエレメンタリーにも通わねぇで修行修行の毎日だったぜ。
おかげで、ホレ、この通り! 天才に磨きがかかっちまったのよォ!」
「……え? 何? 今の自慢話か? てか、何をどう自慢するつもりだったんだ?」
「つまり! ヒヨッコのおめーとはモノが違うっつーコトよ。オイラぁ、ゆくゆくはタイガーバズーカで――
……いんや、エンディニオンで一番強ェ男になるんだからよ! おめーなんかギッタンギタのメッタメタだぜ!」
「なんでもいいけどさ、いちいち拳を振り回すの、やめてくれよな。埃が舞ってイヤなんだよ」

 禍根を残さないように言葉を選んで不満をぶつけるシェインだが、挑発の勢いは少しも減殺されない。
おそらくジェイソンは彼の堪忍袋の緒が切れる瞬間を待ち侘びているのだろう。
少年らしからぬ三白眼には、剥き出しの闘争心が揺らめいていた。

(うざいコトはうざいんだけど……、なんだか他人って気がしないや)

 しかし、ジェイソンの期待は呆気なく打ち砕かれることになる。彼の話へ耳を傾ける内にシェインは親近感を沸き始めていたのだ。
エレメンタリーにも通わず武術の稽古に励んでいたとジェイソンは胸を張って見せたが、それはシェインとて同じこと。
志したのは冒険者であり、訓練の内容もかけ離れているが、目標に向かって一直線に突き進もうとする熱い衝動は、
自分のことのように理解出来た。
 ジェイソンに盛られた大量のライスを消費しつつ、このまま物別れになるのは勿体ないと思案していた矢先、
二杯目のスープを求めて丸型食缶へ向かっていたミルドレッドから興味深い一言が放り投げられた。

「煩わしいなら煩わしいとはっきり言ってもいいのだぞ、少年。……ただ、出来れば世間話くらい付き合ってやってくれ。
同い年が同じ空間にいるってだけで舞い上がるんだよ、そいつ。友達が全ッ然いないから」

 執念とも言うべきしつこさでシェインに絡んでいく動機は、彼女の発したその一言に集約されていた。
 次の瞬間、あれほど饒舌だったジェイソンが急に声を詰まらせ、そのまま絶句した。
ガーゼや絆創膏の隙間から微かに覗く頬は完熟した林檎の如く紅潮しており、巨人の言葉に偽りや誤りがないことを証明している。
この場合、彼の顔面を染め上げた塗料(いろ)の名は、羞恥と呼ぶのが妥当であろう。
 かく言うミルドレッドは、ジャーメインと一緒になってローガンと旧交を温めている。
 ローガン当人も思いがけない古い友人との再会を驚き、またシュガーレイの生還には涙を流して喜んでいた。
スカッド・フリーダムから出奔したパトリオット猟班の事情と境遇にも理解を示し、可能な限り、力になるとまで即座に約束。
普段から感情表現の薄いミルドレッドも微かに口元を綻ばせていた。
 面識がないこともあって遠慮がちであったモーントを強引に引っ張り込み、「タイガーバズーカ同窓会」などと音頭を取っている。
初対面の人間とも数分で打ち解け、肩を組んでスカッド・フリーダムの軍団歌を歌い上げるのは、
まさしくローガンの人柄が為せる業であろう。常識破りの無遠慮にも関わらず、モーントはどこか嬉しそうだ。
 つまるところ、ジェイソンにはそのような相手がいないと言うことである。
ミルドレッドの言葉を借りるなら、「友達が全然いない」とも表せるだろう。
 ローガンはアルフレッドにホウライを指南したことを明かし、自慢の弟子とまで誉めちぎっている。
そのような形で努力や才覚を認めてくれる相手もジェイソンの周りにはいないのかも知れない。

「ホウライなんてなぁ、自然と身に付くもんなんだよ。息吸うのと同じよーにな。
人から教わるなんてカッチョワリィ真似、タイガーバズーカじゃ絶対に出来ねぇよ」

 アルフレッドがホウライを学んだ経緯をジェイソンは鼻で笑ったが、悲しいかなそれも強がりの域を出ていない。
 カレーが放つ香りには、実は新たな出会いを呼び込む効能でも秘められているのだろうか――
そんな考えがシェインの脳裏を過ぎった。ラドクリフと親しくなったときも今と同じようにカレーを頬張っていたのである。
 年齢の近しい友人を生まれて初めて得たとき、シェインとラドクリフは満面を輝かせて笑い合ったものだ。
 互いの全てを曝け出せる“親友”は、旅を共にする“仲間”とは別の意味で掛け替えのない存在である。
気恥ずかしくて本人の前では決して口にしないが、シェインにとってラドクリフは無二の宝物なのだ。
 そのような宝物を得る機会に恵まれず、すっかり不貞腐れてしまったジェイソンを見ている内に、
親友がいてくれる幸せを独り占めしていることがシェインには妙に勿体なく思えてきた。

(ボクもラドも、コイツだって何も変わらないんだ。一緒だもんな、ボクたち……)

 心を豊かにし、日々を張り合いあるものに変えてくれる喜びをジェイソンにも伝えたい――
頭脳(あたま)で思案するよりも早くシェインの身体は行動に移っていた。

「スゲェじゃん。自分で思い付いて、自分で稽古したってコトなんだろ? ホウライをさ」
「……ん、えあ?」
「アル兄ィがローガンにホウライ習ってるトコは何度か見たけどさ、話聞いてもチンプンカンプンだったもん。
ローガンの説明が下手ってのを抜きにしたって、ヴィトゲンシュタイン粒子をホニャララするっつーあの理屈がね……」
「ホニャララぁ? ……おめー、アレか? ホウライのパワーに変換するって仕組みのコト、言ってんのか?」
「そう、それそれ! あんなの、直感でピンと来るもんなの? 大発明家みたいな閃きだよな」
「そりゃおめー、オイラの才能だぜ。ホウライそのものはずっと昔からあったけど、
いっぺん話を聞いただけで再現したのは、タイガーバズーカの歴史上でオイラだけなんだからよ。所謂ひとつの天才ってヤツさ」
「だと思ったよ。世の中、色々なヤツがいるもんだなぁ。やっぱしでっけぇな、エンディニオンってさ」
「お、お、おう……っ」
 
 シェインから向けられる屈託のない笑顔にジェイソンはドギマギとたじろいでしまった。
 自分でひけらかしておいて間抜けなことだが、まさか素直に感心されるとは予想だにしていなかったのである。
天才と言うジェイソンの自称にまでシェインは何度も相槌を打った。
その様子からも建前だけの賞賛と言う慇懃無礼ではなく、心の底から本当に感嘆していると分かる。
 ますますジェイソンはうろたえてしまった。「そんな可愛いコだったっけ!?」と言うジャーメインの冷やかしも耳には入っていないだろう。

「体付きだって骨太だし。そりゃお前に比べりゃボクなんかゴボウみたいなもんだよ」

 次にシェインはジェイソンの肉体に絶賛の声を掛けた。成る程、十代半ばとは思えない程に骨格が出来上がっており、
筋肉もまた強靭に引き締まっている。シェインも剣術修行を始めてから相当に筋力は向上していたが、
タイガーバズーカ始まって以来と言う天才少年には到底敵うまい。
 ジェイソンも腕に力瘤を作って筋肉を誇示して見せたが、「ゴボウっつーのは上手ェ例えだな。おめーにゃお似合いだぜ」と嘲るその舌は、
狼狽と緊張で縺れており、先程までの雄弁が嘘のように歯切れも悪く、幾度となく口篭っていた。
 しかし、シェインの言葉に偽りは一切含まれていない。 
同い年の子供であるにも関わらず、ジェイソンは若き義の戦士として自分とは比べ物にならない修羅場を潜ってきたのだろう。
その実力を低く見積もるなど侮辱以外の何物でもない。
 ジェイソンには評価されて然るべき実力が備わっている。それを捻じ曲げ、貶める口をシェインは持ち合わせていなかった。

「……おめー、面白ェな。フツー、あんなこと言われたらキレるぜ。その長剣はお飾りか?」
「だって事実だもんよ。お前の言うことは間違っちゃいないよ。ボクはまだまだ未熟ってコト」
「か〜っ、ナリだけじゃなく中身もミソッカスかよ。手前ェが弱っちいってコトを戦いもせずに認めちまうなんざ漢じゃねーよ!」
「お前と比べんなって。修行始めたばかりのボクが敵うもんかよ」
「だ、だから、おめーよぉ……。そーゆーのがダセーっつってんだよ! ナメられたらやり返せ! それくらいの気合いを入れてろよ!」
「きっと、ボクとお前じゃ気合いの入れ方が違うんだろ。修行が全然足りないようなヤツが、稽古の進んでるヤツに張り合うなんて、
そりゃお前に対して失礼じゃないか」
「……おめー、やっぱマナー教室通ってたろ。アタマおかしいぜ、絶対」

 一方のジェイソンは、狂った調子を元に戻せず悪戦苦闘している。
挑発でもってシェインを焚き付け、場外乱闘でも楽しもうとしていただけに、べた褒めの連続を頭で処理しきれないのだ。
戦士の道を歩む者が他者から「弱い」と謗られると言うことは、それは決闘の合図にも等しい。
仮にジェイソン自身が同じ状況に遭遇したなら、すかさず「表に出ろ」と指で示した筈である。
 今や彼の目には、シェインは奇人、変人のように映っている。

「意地張ったって背伸びしたって、駆け出しのボクじゃお前には届かない。いつか届く日まで、ひたすら剣を振るい続けるだけさ」

 その日を信じて稽古に励むのみと語るシェインは、両帝会戦にて活躍するラドクリフの勇姿を脳裏に思い浮かべていた。
初めて出来た親友もジェイソンと同様に優れた戦士である。それほど自分と年齢も変わらないと言うのにゼラール軍団の一角を担い、
海賊討伐やギルガメシュとの争乱など数々の危地を潜り抜けてきたのだ。
 正直、敵わないと思った。それなのに、敵わないと認めることが少しも悔しくなかった。
今しがたジェイソンに挑発されたときも一緒だ。彼もまた恐ろしく手強い。戦いになれば、一蹴されて終わりである。
このような格差を認めることをシェインは些かも躊躇わなかった。
未熟な駆け出し剣士にとって、マコシカの奇跡と賞賛されるラドクリフも、タイガーバズーカ始まって以来の天才と言うジェイソンも、
追いかけるべき道標となるだろう。
 ラドクリフと出会う前のシェインであったなら、負けん気が先走ってジェイソンと張り合っていたに違いない。
だが、歴戦の勇者とも言うべき親友と付き合う中でその意識に変化が現れ、未熟な自分を素直に認められるようになったのだ。
上には上がいる。ならば、彼らを手本にして一歩でも前進していけるよう努力しよう――
その意志もひとつの勇気であり、シェインならではの強さであろう。
 あくまでもシェインにすっかり毒気を抜かれてしまったジェイソンは、次いで腹を抱えて笑い出した。
腋の下や腹を直に弄られているかのような笑気の爆発だった。

「ホント面白ェな、おめー。牙の折れた腐れビビリかと思えば、そうだけのチンクシャでもねぇ。
……おめーの師匠はよっぽど偉ェヤツらしーな。無の構えっつーの? そーゆーモンを仕込めるなんざ、大したもんだ」
「いや、オヤジは……師匠は少ッしも関係ないよ。堪え性ゼロだもん。無の構えから一番遠いぜ」

 高い次元の師弟関係であると想像を巡らせ、感心するジェイソンに対してシェインは首を横に振って見せた。
無の構えなどフツノミタマの人物像とは正反対のものである。
 カレーの味付けを巡ってルディアと同レベルで張り合った大人気ないエピソードを披露し、
ジェイソンが抱いた感想を全否定したシェインは、彼と顔を見合わせつつ思い切り笑気を噴き出した。
 密かに聞き耳を立てていたフツノミタマは、思いがけず情けない一面を暴露されてしまい、今や耳まで真っ赤になっている。
しかし、ここで爆発しては醜態を自分で裏付けるようなもの。頬を震わせ、歯を食いしばって堪えていた。
 その様が視界に入ったシェインは、遠慮もなく腹を抱えて笑い転げた。
当然ながらジェイソンもこれに吊られ、数秒と経たない内に息が続かなくなる有様であった。
 肺の中身を使い切るまで大笑いしたのち、呼吸を整えたシェインは、床に寝かせておいたブロードソードを拾い上げ、
それからしみじみと瞑目した。口元に優しい笑みが浮かぶのは、
ジェイソンが感心する程の強さを与えてくれた相手に思いを馳せているからであろう。

「そうだなぁ――強いて言えば、親友のお陰かなぁ。あいつと出会って、いろんなコトを体験させてもらったからさ。
どっちがどっちってワケじゃねぇけど、そいつもお前と同じくらい強いんじゃないかな」
「ンだと、チクショウめ。友達がいねぇオイラに自慢かよ?」
「ヘンな焼餅を妬くなっつの」
「だってよぉ〜」

 わざと僻みっぽく吐き捨て、強がって見せるジェイソンに苦笑したシェインは、
不貞腐れてそっぽ向く彼の眼前に「ま、これも何かの縁だもんな」と右手を差し出した。
 かつて親友に――ラドクリフに教えてもらった喜びをジェイソンにも伝えたくて、澄み切った青空のように溌剌と笑いかけた。

「――なんなら、ボクと友達になるかい?」

 はにかみながら「ボクも友達少ないしさ。似た者同士で丁度良いんじゃないかな?」と言い添えるシェインの笑顔を
ジェイソンは呆けたように見つめるばかり。右手を差し伸べられていることにさえ暫くは気が付かなかった。
 ピンと一直線に伸びた腕も、白い歯を見せる笑顔も、踏み出していく言葉さえも、小細工など一切含まない直球勝負だ。
それらがあまりも眩しくて、ジェイソンは視界が光に包まれる錯覚すら覚えたものである。
 その瞬間、フィーナが鼻血を噴出させると予想したタスクは、抜かりなくポケットティッシュを取り出したが、
意外にも問題の人物が赤黒い奔流を迸らせることは終ぞなかった。
 “このような状況”に於ける過剰反応が問題視されている人物――フィーナの視線の先では、
シェインとジェイソンが言葉も交わさずに見つめ合っている。
鼻の粘膜へ激甚な刺激を加える条件が完璧に整っているにも関わらず、彼女は至って沈着であった。
 今、フィーナが双眸に宿しているものは、興奮や妄念の類ではない。弟分の成長を見守る慈愛に満ちているのだ。
強い輝きを称えたエメラルドグリーンの瞳は、シェインの心がジェイソンに届くことを確信している。
 果たしてジェイソンは、シェインの言葉に「オイラがカタなしだぜ」と微笑み返した。

「オイラは馴れ合いに興味はねぇよ? 甘ったれて弱くなっちまうくらいなら友達なんか作るもんか」
「ニヤケ面でなに粋がってんだよ。」
「うっせぇっつってんだよ! ……何から何まで恥ずかしいヤローだぜっ!」

 差し伸べられた手を拒絶こそしなかったものの、思春期の少年らしい反発か、
シェインの心を素直に受け入れるのがジェイソンには悔しくて堪らないようだ。
敢えて握手は交わさずに右の拳を固く握り締め、これをシェインに突き出した。
 彼の気持ちを察したシェインは、「どっちが恥ずかしいヤツなんだよ」と少しだけ茶化した後、
自分も似たようなものだと心中で苦笑し、やがて右手でもって握り拳を作った。

「すぐに追いついてやるさ。何しろボクは発展途上。気付いたら、もうお前を超えてるかもしれないぜ?」
「ナマ言ってやがれ。タイガーバズーカは底なしってコトを教えてやらぁよ」

 互いの拳頭をぶつけ合ったシェインとジェイソンは、そのときになってフルネームすら明かしていなかったことに思い至り、
あべこべになった順序を笑いながら改めて自己紹介。たちまち笑い声は皆に伝播し、軍議の間は和やかな空気に包まれた。
 佐志の一団やパトリオット猟班のメンバーではない第三者の笑い声が加わったのは、それから間もなくのことである。
第三者と言っても、ローズウェルではない。
この救い難い無礼者は、ジョゼフからの叱責をやり過ごしてちゃっかり確保した己の分のスープカレーに夢中であり、
周囲の喧騒には毛ほども興味を抱いていないようにも見えた。
 では、何者の闖入なのか――逸早く怪異に気付いたシェインとジェイソンは、不審な笑い声の発生源を訝しげに窺い、
そこに見つけた面々に言葉を失った。特にシェインは度肝を抜かれてしまい、身じろぎひとつ出来なくなっている。

「ワ、ワイルド・ワイアット……ッ!?」

 遊泳する魚の如く口を開閉させていたシェインがようやく搾り出したのは、たったの一言であった。
 笑い声の起こった先では、ひとりの青年が――ワイルド・ワイアットことマイクが開け放たれたドアへ凭れ掛かっているではないか。
彼の傍らには、軍議の間の折と同様にティンクとジョウ・チン・ゲンの姿もある。
 シェインの眼差しに気付いたマイクは、ひらひらと軽やかに手を振りつつ、
突然の来訪を「ドアが開いていたんで勝手に入らせて貰ったぜ」と釈明して見せた。
 皆の注目がシェインとジェイソンへ集まっている隙に入り込んでいたようだ。
足音も気配もない隠密の入室をティンクは悪趣味と貶し、ジョウも困り顔で頬を掻いている。

「おいおい、どーした、少年? もしかしてオレのファンだったりなんかしちゃったりして?」
「……あ、あ、その、その、えと、あ、あの、んっと、あーっと……」
「あ、あれ? マジ……か?」
「騙されんじゃないわよ。こんなろくでなしに目ェ付けられたら、それこそタカられておしまいよ。
骨までしゃぶりつくすようなクズだから」
「るせぇな、便所蝿。タカッてんのは、てめーだろ――とりあえずだな。少年、キミは深呼吸しろって。
すげぇ顔してるぜ? 絶対、今、目ェ回ってんだろ」
「そ、そん……い、いえ、そ、そのののののの、だ、だだだ、だって……マ、ママママママ――」
「おう、オレの名前は、今も昔も変わらずマイクだぜ。マイク・ワイアットって言う、ちょっとイカした冒険好きさ」
「自分でイカすとか言う? 自称してる時点でダサダサよね。っつーか、クソみたいな正体がモロバレぇ?」
「保護されている身分で言うべきではありませんけど、別に緊張するような相手でもありませんよ。
『ビッグハウス』では奥様に頭の上がらないヘナチョコで通っていますしね」
「……お前らさ、オレをコケにすんのはともかく、少年の夢をブチ壊しにするよーなマネは慎めよ」
「冒険以外のことに興味もなければ役にも立たない――と言うのは、奥様が仰せになったことですからね。
私としては、前途ある少年には見習うべきところは見習い、反面教師とすべき部分は選り分けて欲しいものです」
「ジョウ、そんな気を使わなくたっていいのよ? ポンコツならポンコツってハッキリ言っておやんなさい。
ありもしない幻想を刷り込まれた子供の目を覚ましてやるのもオトナの役目じゃないの」
「よく見ておきな、少年。これがいじめってヤツだぞ。オトナの世界でも根が深ェんだぞ、コレ。絶対にマネすんな!?」

 只ならぬ様子のシェインを案じたマイクは、気遣うように身体の調子を尋ねたものの、
この場に於いては直敵的に声を掛けることなど逆効果以外の何物でもあるまい。
シェイン当人は満足に返答も返せず、ただただ喉の奥から言葉にならない唸り声を搾り出すばかりであった。
 大袈裟極まりない反応に呆れたジェイソンは叱咤にて活を入れようと試みたが、
残念ながらシェイン当人には僅かな効果も見られない。
 永遠のパートナーたる妖精ティンクを伴い、冒険王マイク・ワイアットが目の前に現れたのだ。
生涯の目標とした男が、だ。生きる伝説とまで謳われる彼に憧れ、
冒険者を志すようになったこの少年へ「見蕩れるな」と強いるのは土台無理な話であろう。
 自身の使命を優先させる為、ジョゼフから持ちかけられた邂逅のチャンスを断った直後でもある。
諦めと言う形で心の整理を付けていたこともあり、不意の遭遇がもたらす衝撃は一際大きかった。
 いずれマイクが姿を見せると予想していたらしいジョゼフは、慌てふためくシェインの様子を微笑ましそうに眺めている。

「――そろそろ来る頃だろうとは思ったよ。あんたがジッといるわけがないからな」

 背後から飛来し、自身の頭上を越えてマイクへ向かっていったその声にも、シェインは飛び上がる程に驚いた。
 続けて竜巻でも起こすかの勢いで首を左右に振り回すシェインであったが、
冒険王の登場と言うサプライズによって思考そのものが吹き飛んでいる彼にとっては、
「周囲を窺う」と言う単調な行動すら無意識のものであり、自然と動きが大きくなってしまうのだ。
 やがて発見した声の出所では、静かな寝息を立てていた筈のアルフレッドが上体を起こしてマイクと視線を交わしているではないか。
つまり、先ほど割り込んだ声の主は、アルフレッドと言うことである。
 「さっきは挨拶にも行けずにすまねぇな。あーゆー席は動きが取りづらくて苦手だぜ」とレイチェルに会釈し、
次いでヒューと猥談にて旧交を温めていたマイクは、アルフレッドの起床に気が付くと茶目っぽくウィンクを飛ばして見せた。

「おう、お目覚めか、アル。それとも最初から起きてたのか? お前さんの人の悪さは、さっきも存分に味わったけどよ」
「本当はもう少し休ませて欲しかったんだが、……こいつらには仮眠もさせて貰えない」

 マリスへ治療の礼を述べつつソファから立ち上がったアルフレッドは、両腕やアバラの調子を確かめるように大きく背伸びをした後、
「必ず来てくれるとは思っていたけどな。見限られなかったことに一先ず安心したよ」と、改めてマイクたちの来訪を歓迎した。
 不確実性が高い予想あるいは期待に依る口振りから察するに、示し合わせての合流と言うわけではなさそうだ。
しかしながら、これから先の展望を論じ始めるには最適なタイミングであろう。
捲土重来を目指して大勝負へと臨む役者たちがこの場に揃っている。
 パトリオット猟班から陣中見舞いを受け取ってしまった以上、いつまでも行動を起こさずにいるのは体裁も悪かった。

「俺たちはこれから“人の和”の完成を図る。ギルガメシュを討てるか否かは、この一番に懸かっていると思え」

 アルフレッドがこの号令を発した瞬間から佐志の控え室は史上最大の作戦本部に様変わりしていた。


 起床したアルフレッドから軍議の推移と成果を説明されたフィーナたちは、見る間に緊張の色を濃くしていく。
 エルンストがギルガメシュに恭順して以降の具体的な戦略は、後日議論されることに決定したのだが、
作戦そのものへ不安を抱いている陣営も決して少なくはない。そうした将士を軍議の事前に訪ね、
懸念材料を取り除くことが急務であるとアルフレッドは一同に語った。これこそがマイクから持ちかけられた「勝負」でもある。

「マイクさんの言う勝負ってのは意味不明だけど、……いや、理屈は分かるし、納得もしているんだけどさ、
そんなことをしたって、骨折り損のくたびれ儲けになるんじゃない? そう言う根回しなんか関係ない段階だと思うんだけどなぁ」

 全軍の足並みを揃えることは理解出来るものの、わざわざ各陣営を訪ね歩く必要があるのかとネイサンは首を傾げた。
 アルフレッドの献策は諸将の前でエルンスト自らが承認したのだ。
この期に及んでダメ押しの多数派工作を図ったなら、立案者自身が作戦を不安視しているとの印象を与え、
却って混乱を煽りはしないかとネイサンは危惧している。
 藪を突いて蛇を出すような事態に陥るのは、彼が指摘する通り、何としても避けねばなるまい。

「テムグ・テングリの将軍たちは問題ないと思う。だが、全ての人が彼らのように強くはないと言うことだ。
グドゥーのクレオパトラは、俺が立てた作戦に穴があると食い下がった。それを見て怖気づいた人間は多い。
……一度、生まれてしまった不安や恐怖は、なかなか消せないものだよ」
 
 前進する力を失い、立ち止まってしまった群像を振り返るアルフレッドは、我知らず重苦しい溜息を吐いていた。
作戦遂行の障碍に鬱屈しているのではない。彼らの不安を最初から汲めなかったことに自責の念を感じているのだ。
 全て将兵の迷いなく戦える道筋を作り出すことが作戦家の使命なのである。
エルンストへ拘泥する余り、今回はその大前提を著しく欠いていた。
だからこそ、この重大な局面に於いて神経が磨り減るような労苦を余儀なくされているわけだ。
 全ての責任は自分にあるとさえアルフレッドは思い詰めていた。

「問題は不安に挫けた者たちばかりじゃない。おそらく場の空気に流されて思わず立ってしまった人間もいた筈だ。
そう言う人間は今頃になって頭を抱えているよ。冷静になって考えると、これは分の悪い賭けじゃないか――と」

 多数派工作が必要な理由、つまり、軍議にて確認された問題をアルフレッドはひとつずつ列挙している。
 軍議に同席していたマイクとジョゼフも解決すべき点の検証に取り掛かり、
留守居を務めた者たちにも分かりやすいよう問題をパーツごとに分解していった。

「だが、誰に罪があるって話じゃねーぜ。クレオパトラが言うことも正しいんだ。
誰にだって立場がある。守るモンだってある。そう言うもんに責任持ってりゃビビり入っちまうのも仕方ねぇのさ。
それが大人ってもんだぜ」
「ワシの経験上、その手の人種(タイプ)は土壇場になって意見を翻す可能性が高い。そうなれば全てが台無しじゃ。
まさしく正念場、勝負なのじゃよ。最後の軍議へピークを持っていくには、開幕までに皆の意志を統一しておかねばならぬのじゃ」

 激しく揺れ動く心を繋ぎ止め、一切の憔悴を取り除いて士気高揚を図るには、全軍の意志がひとつであることを強く認識させ、
「みんなで戦えば、怖れるものは何もない」と言う群集心理を作り出すのが最適である。
何があっても揺らがないレベルにまで結束力を高め、ギルガメシュ撃破への万難を排する為ならば、
如何なる手段も問わず、また、ルナゲイト家の私財をも投げ打とうとまでジョゼフは言い切った。
 マイクも協力を惜しまないと約束したが、私財の投入に当たっても、冒険王と新聞王の間には明確なスタンスの違いがあった。

「言いだしっぺの法則って言うしな。『ビッグハウス』も全面的にバックアップするぜ。必要ならカネでも人材でも、幾らでも貸し出す。
全てを引き受けるのは難しいけど、戦災者や疎開者も『ビッグハウス』で引き受けるよ」

 両者の違いは私財の使い方にあった。返済を求めないジョゼフに対して、マイクは“貸し付け”を言明し続けている。
 何故、ジョゼフのように無条件の放出を決断しないのか、シェインには不思議で仕方なかった。
確かに総資産はルナゲイト家には及ばないだろう。しかし、今は緊急事態である。出し惜しみをしているような状況ではない筈だ。
 マイクの隣ではティンクが「ケチなのよ、コイツ。こんな大勢の前で貧乏がバレるなんて清々しいわね」とこき下ろしているが、
彼がカネにこだわる性格とは思えない。ワイルド・ワイアットの冒険は、名誉にも財宝にも囚われない。
それ故に若くして伝説と称えられたのである。
 貸し付けを請け負うとの表明には、何らかの理由あるいは事情があるのだろう――
それを確かめずにはいられなかったシェインは、マイクに向かっておずおずと手を挙げた。
 隣に座るジェイソンが口にした名を耳聡く拾い上げていたマイクは、
学校の教師が生徒を指名するかのように「おし、じゃあ、シェイン。ど〜んとぶつかってきやがれよ〜」と呼びかけた。
 シェインにとっては、不測の邂逅に続く衝撃であろう。身を焦がす程に憧れ続けてきたマイクが自分の名前を口にしたのだ。
それも、他人行儀な言い回しではなく、旧来の友人に向けるようなフレンドシップである。
 卒倒しそうになる意識を懸命に引き止めつつ、シェインは「どうして貸し渡すだけなんですか?」と質問を続けた。

「……ほら見ろ、この便所バエ。てめーのせいでシェインにまでケチって思われちまったじゃねーか!」
「何さ、私のせいだっての!? あんたの貧乏性は根っからでしょ〜が! 何年も何年も何年も! 同じ服を着続けてる分際でぇ!」
「い、いえ! ボクはマイクさんをケチだなんて思っていませんから! はいっ!」
「うッわー、だっさーっ! 自分の半分も生きてないコにフォローされまくってやんの。情けないったらありゃしないわね」
「黙ってろ、てめーは――っとと、脱線ぶっこいちまったな。どうしてオレがカネをバラ撒かねぇかっつーコトだよな?
……御老公みてーにパパッと払えりゃカッコいいんだけどよ、『ビッグハウス』もちと懐事情が厳しくてよ」
「で、でも! それは違いますよねっ! ワイルド・ワイアットはそんな人じゃないっ!」

 冗談めかすマイクに対して、シェインはこれ以上ないと言う程に真摯な眼差しをぶつけた。
長年の憧れと尊敬の念を込めた、真っ直ぐで澄み切った瞳である。
 これに応じるマイクは、僅かとてシェインから視線を逸らすことはなかった。
自分の半分も生きていないこの少年から向けられる純粋な眼差しを心地良く感じているのか、口元には快活な笑みさえ浮かべていた。

「――何でもかんでも分け与えりゃ良いってもんじゃねぇって考えてるんだよ。あくまでオレの意見だけどね」
「……御老公とどう違うんでしょうか……」
「戦争ってのは、とかくカネが掛かるもんなんだよ。しかも、今回はとんでもねー長期戦だ。
借りたら返せねぇって連中も出てくるだろうな。で、そう言うヤツを助けるのが御老公の出番ってワケ。
でもさ、ほんの少し背中を押してやれば、後は自力で立ち上がれるヤツだって中にはいるだろう? 
その人たちに手ェ差し伸べるのが、オレの役目ってワケだ」

 首から提げている硬貨のネックレスを指先で弾いたマイクは、
「植木とおんなじだ。水や養分だってやり過ぎたら根が腐っちまう」とも言い添えた。

「無条件の手助けってのは、ときと場合によっちゃ考え物でよ。自分がマジにならなくたって、きっと誰かが何とかしてくれるって、
そんな怠け者を育てる結果にもなり兼ねないんだ。それじゃいけねぇんだよ――何故だか、わかるかい?」
「……誰かに頼りきりじゃ、自分が本気になれない。自分で本気になれない。
みんながみんな、本気になって戦わなくちゃ未来は掴めないっ!」
「おう、それだ! マジでなけりゃ未来を掴めねぇ――良いね、良いじゃねーか。シェインってセンス良いなぁ」
「い、いえっ、そ、そんな、ボ、ボクなんて……ッ!」

 懲りもせずにティンクは「見てなさい。次は貸し渋りをやり始めるわよ。バカなんだから、こいつ」などと毒づいているものの、
傍らで耳を傾けていたジョゼフ自身はマイクの方針に賛成であった。
 例えば、余力を使い果たして痩せ細るばかりの寒村にはジョゼフが、返済能力を残した町にはマイクが、
それぞれバックアップを持ちかける形である。今後は役割の分担を話し合うことになるだろう。
植木と同じように必要な分だけ水や養分を与え、その生命力を適切に伸ばしていくわけだ。
 「これじゃ答えにならねぇかな?」とウィンクでもって尋ねてくるマイクに対し、シェインは何度も何度も頷いた。
憧れの冒険王と直接言葉を交わすばかりでなく、期せずして賞賛まで貰ってしまった彼は、すっかり夢心地であった。
 蕩けるような笑顔のまま余韻を噛み締めるシェインの脇腹を、ジェイソンは笑いながら肘で小突いた。
 マイクへの憧れや冒険者を志したきっかけなどはジェイソンにはまだ打ち明けていなかった筈だが、
どうやら今しがたのやり取りで全て見抜かれてしまったようだ。
 ちゃっかりシェインの背後に陣取ったフツノミタマも爪先でもって彼の尻を蹴っているが、
彼の場合は冷やかしと言うよりも「お前の師匠はオレだ」との自己主張である。
 マイクへの対抗意識もあり、相当に強い力で目の前の尻を揺さぶっているのだが、それすらも夢の世界のシェインには届かなかった。

「おっさんよォ、周りから可愛いヤツだって良く言われねェ? 見た目とのギャップっつーの? 
厳つい寂しがりなんざ狙い過ぎにも程があるぜ!」
「ガ、ガキが知ったようなクチを叩くんじゃねぇッ! べ、別にオレぁ寂しかねぇんだよッ! 
手のかかるガキがいねぇし、せッ、せいせいすらぁッ!」
「カッコつける前に手前ェのツラを見ろよ。すっげぇ顔芸してんぞ。ダチからコンタクト借りてきてやろーか?」
「うちのクソガキみてーな減らず口ッ! ナメんじゃねーぞッ! いつもならそこはコイツのポジションなんだよッ!? 
なのにてめェみてーのが――クソがッ! 剣の道を極めるまでは夢はお預けっつったのは、どこのどいつだッ!?  
……ちゃ、チャラチャラしてんじゃねーよッ! ガキに悪影響だろうがよぉッ!!」
「一体、誰に向かってキレてんだ。めちゃくちゃ重症じゃねーか……」

 初対面に近いジェイソンにまでからかわれ、眉間に青筋を立てるフツノミタマだが、
それでもシェインへの自己主張だけは止めようとしない。
外野の声にもめげず、無反応にもへこたれず、一所懸命になって目の前の尻を爪先で突き続けている。
 ここで蹴りを止めると言うことは、ワイルド・ワイアットへ白旗を揚げるようなものだと、意味不明な焦燥感に駆られているのだ。

 シェインを魅了し、ひいてはフツノミタマを嫉妬させる程のマイクの想いと、
ルナゲイト家の全てを注ぐと言うジョゼフの決断を確かめたアルフレッドは、やおら仲間たちを見回した後、
今一度、「もう後戻りは出来ない」と皆の覚悟を問いかけた。
 これに対し、フィーナを筆頭とする仲間たちは確認するまでもないとばかりに力強く頷いて見せた。
自分たちには退路など許されていないとこの場にいる誰もが肝に銘じており、
厳しい戦いへ死力を尽くして臨む意志がその面にも滲み出している。

「あの場で話したことを、ここでもう一度、確認する。人事を尽くして天命を待て。退かず、怯えず、前だけ見つめるんだ。
俺たちが踏み出すのは、勝利への前進のみだ」

 最終の意思確認を済ませたアルフレッドは、続けて各陣営にて折衝に当たるメンバーの選出に移った。
 裏工作への精通を自負するジョゼフを始め、英雄として強い影響力を持つハーヴェストや恫喝も十八番と言うフツノミタマ、
既に対テロの専門家として認識されているセフィなど適材適所の顔ぶれである。
 口は回るが人格が歪み切っているホゥリーをメンバーへ加えたことには全員から異論が飛び出したが、
そうした意見に対してジョゼフは、「場の空気に波紋を落とせる人材も大切な話し合いには必要なのじゃよ」と諭していった。
 かく言う新聞王はホゥリー当人とコンビを組むことに決まっており、最難関と目される陣営――グドゥーへの折衝に当たる予定である。
 マコシカの酋長と言う立場から人々の信仰心を揺さぶることが出来るレイチェルも
難しい交渉を担当するようアルフレッドに指示されており、この三人が折衝のキーパーソンとなりそうだ。
 ヒューはラトクと共に各陣営の動向を秘密裡に探ることを請け負っていた。
淡々と任務をこなすルナゲイトのエージェントはともかく、この名探偵はイリーガルな盗聴、盗撮も行使し、
揺さぶりに使えそうな材料は全て確保すると豪語していた。
 普通、こうしたものは表立って騒ぐものではなく、ラトクには「壁に耳があったら、今のでおしまいだな」と呆れられてしまった。
 フィーナやハーヴェストは、とても正義とは言えないこの任務へ露骨に顔を顰めたが、
そこまで徹底しなければギルガメシュに勝てないことも承知はしている。
眉間に皺寄せながらではあるものの、最後には細心の注意を払うようにとヒューたちを送り出したのだった。

 次にアルフレッドは同盟者との共同戦線を確認した。
『ビッグハウス』の三人とパトリオット猟班、更にはメアズ・レイグも、作戦遂行に当たっては疑いようもなく同盟関係にある。
「勝負」を持ち出したマイクが音頭を取り、総員でもって多数派工作に協力する運びとなった。
尤も、誰が声を上げずとも同盟者たちは自ら進んで参画したに違いない。
 マイク、ティンク、ジョウの三人は、ジョゼフやホゥリーと歩調を合わせて難敵の攻略へ当たることに決まった。
野望の底が知れない新聞王を警戒する者とて、裏表のない冒険王の話には耳を傾けることだろう。
逆のケースも発生して然り。どのような状況も臨機応変に対処する体制がマイクを中心に作られていった。
 彼の張り切り方は、学園祭の準備の為に夜遅くまで学校へ居残り、妙なテンションになってしまったハイスクールの生徒のようなもの。
スペクタクルを前にしたときのシェインと大差がなかった。ある種の幼稚性を全開にするマイクの姿にジョウは溜息を吐き、
ティンクは「反吐が出るのよ、そーゆーノリは」と猛烈な罵声を浴びせていた。
 このような状況に在っても底抜けの陽気を発揮し、ジョゼフとホゥリーを呆れさせるマイクが視界に入ったシュガーレイは、
配下にすら聞こえないくらい小さな声で「人生楽しそうで何よりだ」と呟いた。
冒険王を羨んでいるのか、それとも小馬鹿にしているのか、やはりその声は抑揚がない。
 アルフレッドがパトリオット猟班に求めたのは、ある意味に於いては私財の切り崩し以上に過酷な協力(もの)であった。
兵力に不安を抱えた小村へ各隊士を派遣し、戦闘力の補填を行おうと言うのだ。
 ヒューやラトクの調査結果を元にして該当する陣営へ赴き、戦力の供出を申し出る――
徹頭徹尾、特殊なケースを受け持つことになったのである。
 シュガーレイたちの目的は、あくまでもギルガメシュ打倒にある。広義では戦力の派遣も基本方針と合致していた。
しかし、十人にも満たない隊士を散り散りに分けることは、パトリオット猟班全体の戦闘能力の大幅な低下をも意味しているのだ。
それ故に狂犬の長がこの要請を承服するかどうか、アルフレッドには全く読めなかった。
 隊士個々が一軍に匹敵する猛者であることは既に証明されている。赴任先の者にとっては、これ以上に頼もしい味方はあるまい。
小村へ隊士を派遣する胸がシュガーレイに承諾されたなら交渉は一気に捗るだろう。
肝心要は、大きなリスクを負ってでもギルガメシュに挑もうとする気概をパトリオット猟班が備えているか否かと言うことだった。

「正直を言おう。……正義も何もあったものではない戦いになるかも知れない。
それでも、俺たちに力を貸してくれるか? 裏切り者の粛清とは比べ物にならないような苦難が待っているかも知れないが……」

 相手の出方を探るように控えめなアルフレッドに対し、シュガーレイは一も二もなく首を縦に振った。
ジャーメイン、ミルドレッド、モーントの三名もリーダーに倣い、
フツノミタマを冷やかすことに夢中になっていたジェイソンも僅かに遅れてこれに加わった。

「ここまで抜け目がないと背筋が寒くなるがな。それに言い負かすのは味方だろう? アタシらはチェスの駒みたく動かされるってワケだ」

 用意周到に計略を練り上げるアルフレッドを眺めていたミルドレッドは、感嘆とも皮肉とも取れる呟きを漏らしたのだが、
それを耳聡く聞き取ったローガンによって肩を叩かれた挙句、

「駒には駒の面白さもあるっちゅーもんや。それにな、アルはダチだけは絶対に裏切らん。
あいつのハートは実は誰よりキレイなんやで? 師匠のワイが保証したるわ!」

 ――とまで諭されてしまった。
 ミルドレッドとしては聞き流されて然るべき冗談のつもりだったのだが、対してローガンの側は一笑に付すどころか、
熱弁を以ってして反論を唱えている。それが彼女には煩わしくて仕方がなかった。
 例え使い捨ての駒に成り下がろうとも、ギルガメシュと戦えるのであれば、ミルドレッドは何も悔しくは思わない。
ましてや、先の決闘でアルフレッドに敗れた身。仲間たちが駒になることへ反対したとしても、
賛成の立場を貫いていくのがケジメであると彼女なりに考えていた。
 ジャーメインも巨人と同じ意見であった。アルフレッドと互角の勝負を繰り広げ、少なからずその実力を認めた彼女は、
佐志との連携にも躊躇はない。照れ臭さもあって口には出さないが、むしろ歓迎したいとも思っている。
 無論、ひとりきりでもギルガメシュの大部隊を相手に戦える自信があったればこその賛成表明だ。
ジャーメインもミルドレッドも、ホウライの深奥はおろか大勢の敵を仕留める技法すらハンガイ・オルスでは披露していなかった。
 いきなりローガンが発した誉め言葉に困惑し、俯き加減となってしまったアルフレッドを思い切り冷やかしたジャーメインは、
次いで己の胸を叩いて見せた。そこにも彼女の自信が滲み出している。

「ホント、細かいコトまで神経使い過ぎ。辛気臭い顔しなくたっていいんだからね。
アルひとりくらい、あたしにだって支えられるんだよ? 甘く見て貰っちゃ困るなぁ」

 この発言へ即座に反応を示したのは、当然ながらフィーナとマリスである。
 入室以来、何かにつけてジャーメインはアルフレッドにちょっかいを出していた。
寝息が漏れ出す鼻先に陣中見舞いのスープカレーを突きつけたときには、
「あたしの作ったご飯が食べられないってのか〜」などと妙なことを口走っている。
 悪戯の現場には、決まってミルドレッドとモーントも混ざっており、“過ち”には発展していないものの、
それにしてもやけに親密ではないか。眠っている彼の頬を指先で弄ぶ姿は、丸っきり恋人同士のやり取りである。
 ふたりの焦りが極限まで高まったところで、「支える」との“挑発的”な発言だ。
アルフレッド当人も答えに窮し、頭を掻きつつ「お前に支えて貰う理由はない」と切り替えした。

「お前にはお前の目的があるだろう? 正直なところ、俺は賛成し兼ねるがな。エルンストが認めた以上はやむを得ないが……」
「ギルガメシュには絶対にケジメを取るよ。でもさ、あたしたちの戦いがアルの立てた作戦を助けるなら、
それはやっぱり支え合いでしょ? それともまさか、自分ひとりだけで何でも出来ると思ってる?」
「バカを言え、そこまで傲慢じゃない。同盟を募ったことで察して貰いたいものだな」
「じゃあ、支え合いでしょ? あたしはアルを支えるし、アルもあたしを支える。人って漢字みたいにね」
「年寄りみたいなことを言うじゃないか」
「こんなに可愛い女の子を捕まえて、お年寄り扱いはヒドいんじゃない? 傷つきました〜、キズモノですぅ〜。責任取ってくださ〜い」
「慰謝料請求の訴訟か? 法廷闘争なら望むところだ。減らず口を叩けないようにしてやる」
「やだやだ、やだね〜、男の子は。何でもかんでも力ずくで解決しようとしてさ」
「力じゃない。法律に基づく知恵の力だ」
「うるさい、だまれ」
「……真似をするなと言ってるだろうが」

 その口喧嘩でさえマリスの深紅の瞳には仲睦まじいやり取りとして映っている。それはつまりフィーナにも同じように見えると言うことだ。
 言い争いの最中にモバイルの振動を感じたアルフレッドは、なおも食い下がるジャーメインを尻目に液晶画面を確認し、
表示された内容に愕然と肩を落とした。
 受信したのはフィーナからのメールである――が、画面にはたった一言、「スケコマシ」とだけ記載されている。
慌てて周囲の様子を窺うと、マリスの頭越しにタスクからも批難の眼光が投げ掛けられており、妙な誤解を招いたのは明白だった。
ジャーメインとの間に引き裂くようにして乱入してきたモーントにまで過剰な警戒をされる始末。
 自分の与り知らないところで心外としか言いようのない誤解が進行していることは、彼にとって憤激の極みであった。
一言で表すなら、良い迷惑である。
 アルフレッドが不当な状況に追い込まれ、場の空気が淀み始めたにも関わらず、
シュガーレイは粛然とした調子で一行を見回し、「そこにギルガメシュがいる限り、我々の正義は揺らぐものではない」と、
自分たちの選択によって生み出されるだろう正義の在り方を説いた。
 決して無神経と言うことではないのだが、復讐の一念によって「壊れた」シュガーレイは、
アルフレッドの困窮や、それを招いた配下の言行にも関心が薄い。いや、絶無に等しいと言っても差し支えあるまい。

「軍議の折にも言った筈だ。ギルガメシュを根絶やしにする。その大望を果たすには、血と穢れを浴びることなど厭わない。
情報規制の為の粛清だろうが、弱小勢力の手助けだろうが、パトリオット猟班に任せて貰おう。毒でも喰らって見せる」
「……穢れる必要はない。俺もそこまでは求めていない」
「この期に及んで弱気を言うな、ライアン。ギルガメシュを討つ――その為にお前も身を犠牲にしているだろう? 
それと同じことだ。エンディニオンで起こる全てが戦場。正義の戦いは、この惑星(ほし)にこそある」

 パトリオット猟班の大望を改めて説いたシュガーレイは、これを以って自分たちの正義を主張した。
脱退したとは雖も、スカッド・フリーダムの一員と言うことであろう。彼は正義を標榜することに何の迷いもなかった。
それは追従するジャーメインたちも同様である。
 狂犬たちの掲げる正義へローガンは微かに表情を曇らせた。彼らの事情を受容こそしたものの、やはり心配は尽きない様子だ。
それでも旧友の歩みを止めるのは忍びなく、口を真一文字に引き締めたまま腕組みし、
今にも飛び出しそうな懸念を抑え込んでいる。

 ジョゼフとの打ち合わせを終え、腹ごしらえとばかりにスープカレーの余りを突いていたマイクは、
シュガーレイの発言に閃くものがあり、スプーンを咥えつつハーヴェストを振り返った。
自他共に認める正義の使者を、だ。

「――正義っつったら、お前さん、それで思いっ切りブチギレたんだよなぁ。軍議のときにさ。
アルが言ったことは、お前さんにとっちゃ侮辱以外の何物でもねぇから当たり前かも知んねーけど。
セイヴァーギアっつったら正義の冒険者の代名詞だもんなぁ」
「……ウチかて――ちゃう! いや、そうじゃない! あたしだってそこまで考えナシのバカじゃないわよ!」
「おいおい、あんだけキレといて、そりゃねーだろ。考えナシとは言わねぇけどよ」

 アルフレッドが軍議の席でハーヴェストに吐いた暴言の数々と、これに端を発した騒動を思い返すマイクだが、
どうも彼女とは話が噛み合わない。当時の状況を回想する限り、自身の尊ぶ正義を真っ向から否定されたハーヴェストは、
少しの我慢もなくアルフレッドに食って掛かっていた筈だ。
 人の道を外れる行為には賛成できないとイーライまでハーヴェストに加わり、軍議を紛糾させたのである。
それなのに「考えナシのバカじゃない」とは、言い訳にしても苦し過ぎるではないか。

「あたしがバカを晒すことでより多くの命が救われるなら、ピエロにだって喜んでなってやるわよ。
それがあたしの貫くべき正義であり、あたしを『セイヴァーギア』たらしめる信念だもの」

 マイクの猜疑は、その一言で納得に変わっていった。
 ハーヴェストの掲げる正義について、戦時に於いては何の意味も持たない自己満足だとアルフレッドが批判したのは、
彼の書いたシナリオ通りの自作自演であったのだ。
 諸将らに戦況を逆転する為の奇策が“背水の陣”だと印象付けるに当たり、彼女が演じた道化は危機感を一層煽り立てるものとなった。
常日頃から真の正義を求道し、その体現に努める彼女がその信念を公然と完全否定されたからこそ、
アルフレッドの謀った計略には大きな意味が生まれるのだ。
 最早、『セイヴァーギア』の力を以ってしても正義を守り切れる時代ではない。
甘っちょろいお題目や名分にこだわっていては勝てる戦いも落とすことになる――そう印象付けるには、
やはりハーヴェスト本人の生贄が最も適していた。
 独り善がりの正義に固執しているだけでは世界は立ち行かない。
そのことも自覚しており、彼女なりの妥協点も見極めてはいる。
ましてや今回は、自分ひとりが正義の提唱に妥協し、道化となることで多くの人命救済に繋がると言うのだ。
正義の行いを全う出来ると言うのなら、信念を曲げた者として嘲笑われるのも、茨の道を歩かされるのも本望だった。
 道化を演じて諸将らの意識改革に協力して欲しいとアルフレッドに頼まれた際にハーヴェストは二つ返事で諒承したのだが、
その背景には、彼女なりの考え方・正義の御し方も多分に反映されていた。

「とっくに腹を括ったつもりだったけど、こりゃもう一回くらい気合い入れ直さなきゃ足手まといになっちゃうかな」
「――ったく、武器になりそうなもんは全部使って戦うつもりかよ。我が親友ながら恐ろしいヤツだぜ」

 ネイサンとニコラスの言葉にアルフレッドは強く頷いた。“背水の陣”を布いた以上、形振り構ってはいられないのだ。
何があっても必ず勝つ――逞しい闘志を受けて、イーライは楽しそうに拳を鳴らした。

「シュガーレイの言う通りだな――最早、手段を選んではいられない。逆転を図れずに敗れると言うことは、
失われた生命と、未来への意志が無駄になると言うことだ。そんなことは絶対にさせない。……させてなるものか!」

 不良冒険者なる風聞に似つかわしい不敵な笑みを浮かべたイーライに応じ、アルフレッドも拳を鳴らして見せた。
それと同時に呟かれた決意の表明は、どこか気取ったような響きがあり、
平素のイーライであれば、すかさず鼻先で嘲った筈である。
 しかし、今日ばかりは余計な横槍を入れようとしない。底意地悪く愚弄するどころか、
「おっかねぇレッテル貼られてんだ、俺らはよ。どうせなら、そいつを最大限に生かそうじゃねぇか」などと親指を立てている。
シュガーレイ同様に汚れ仕事を引き受ける覚悟と言うことだ。
 メアズ・レイズは――いや、イーライは、これまでになく積極的にアルフレッドへ関わろうとしている。
一度は抗争にまで発展した相手へ自ら協力を申し出るなど、無法者と言うイメージから乖離しているではないか。
実際、ジェイソンも「極悪非道って聞いてたけど、めちゃくちゃ甘ちゃんじゃねーの」と目を丸くしている。
 アルフレッドの面からも以前のような敵愾心は消え失せており、友人に見せるのと同じ親しみを以ってイーライと接している。
ときに軽口さえ叩く両者の姿は、過去の因縁を乗り越え、本当の意味で良好な関係を育んだ証拠と言えよう。

「アルとイーライさんなんて、どう考えても最高のシチュエーションのハズなのにさ。今日は全然ノッてこないよ……! 
あのスケコマシめ――口説くにしたって、ネイトさんとかニコラスさんとか、他にも相手はいっぱいいるじゃんかぁ〜」

 依然として不機嫌なフィーナを目端に捉えて苦笑しつつ、レオナもアルフレッドの前に進み出た。
イーライたちの論議は、どうやらメアズ・レイグの役割分担を決める段階に入ったようだ。

「顔面傷だらけの小うるせぇおっさんと同じように脅しでも吹っかけるか? 言うまでもねぇと思うが、そのテの仕事は得意中の得意だぜ」
「だろうな。と言うか、それ以外に頼める仕事が思いつかない」
「オイ、コノヤロ! 言って良いことと悪ィコトがあんだろーが!」
「自分で振っておいて、突っかかるのは矛盾してるでしょ。……ごめんなさいね、アルフレッド君。
うちのイーライがおかしなことばかり口走っていて……」
「お袋か、てめーはッ!?」
「お義母さんにもよろしくって言われてるからね。油断なく目を光らせているよ」
「……そうか。口の悪さは、弱い立場の反動か。家庭の事情にとやかく口出しすべきじゃないとは思うんだが、
イーライ、こんな形で鬱憤を晴らしたって虚しいだけだぞ」
「生暖かい目で見るんじゃねぇよ、てめーもッ!」

 脱線しかけたメアズ・レイグとの論議を咳払いでもって軌道修正したアルフレッドは、
眦を吊り上げるイーライと向き直り、その肩へと右手を重ねた。

「さっきのは冗談だが――まずお前たちには情報提供を頼みたい。エルンストの依頼であちこち飛び回っていたのだろう? 
その土地その土地の事情には誰よりも詳しい。差し迫った状況を分析するには欠かせない武器だ」

 アルフレッドの頼みをイーライは首肯でもって承諾し、続けて具体的な打ち合わせに入ろうとしたのだが、
その出鼻を挫くかのようなタイミングでレオナのモバイルから着信音が鳴り響いた。

「――お、エスエム・ターキーの『琥珀蝶』じゃん。レオナってば渋い趣味してんな」
「エス……なに? なんだ、そりゃ?」
「あ、ジェイソンは知らないか。そーゆーバンドがあるんだよ。インディーズだけどね」
「そもそもインディーズってのが、オイラにゃよくわかんねぇけど、そんなに有名なのか? なんとかターキーって。美味そうな名前だけど」
「ボクも人から勧められたクチなんだけどね。何年か前に失踪したきりで、CDも全然見つかんなかったんだけど、
どこかの誰かが音源を発掘してさ。そしたら、カルト人気が爆発ってワケ。ボクも復刻版のアルバムを持ってるよ」
「ワケわっかんねぇハナシだな。歌なんて、オイラ、ムード歌謡くらいしか聴かねぇ」
「ジジィじゃん! 山篭りしてる間にブームから置いてきぼりってことならまだしも、
そーゆーのも飛び越えて、ジジィになっちゃってんじゃん!」
「シュガーの兄キの趣味なんだよ、バカにすんなよっ!」

 シェインとジェイソンの会話から察するに、レオナのモバイルから流れているメロディは人気グループのナンバーであるらしい。
 エスエム・ターキーと言うグループ名にも、その音色にもアルフレッドは聞き覚えがある。
今は亡きクラップから「クラップにパワフルなバンドがある」と、無理矢理に押し付けられたのだ。

(懐中時計といい、エスエム・ターキーといい、……不思議な縁が続くな)

 懐かしい音色に誘われ、親友へ想いを馳せるアルフレッドだったが、それも長くは持続しなかった。
ラトクとセフィのモバイルから殆ど同時に着信音が鳴り響き、エスエム・ターキーのナンバーを掻き消してしまったのだ。
露骨に顔を顰めたラトクにはアナトールが、相好を崩したセフィにはマユが、それぞれ連絡を入れてきたものと見える。
 着信を受けて室外に飛び出したレオナに対し、セフィとラトクはその場に留まり続けている。電話ではなくメールを受信したと言うことだ。
液晶画面に表示された内容を読み取りつつ、素早くボタン操作を行うラトクは相変わらずのしかめっ面だが、
双眸には少しずつ緊張の色が滲み始めていた。
 セフィもまた口元をきつく引き締めている。「マユさんもタイミングを考えて欲しいものですよ」などと惚気ていたのが嘘のようだ。
 メールを読み終え、モバイルを仕舞ったラトクはすぐさまジョゼフへ駆け寄り、何事か耳打ちしている。
液晶画面から新聞王へと目を転じ、彼やラトクと頷き合ったセフィは、次いで重苦しい溜息を吐いた。


 穏やかならざる事態が発生したことは誰の目にも明白だった。
 ふたりに連絡を入れたマユとアナトールは、揃って佐志に滞在中である。
グリーニャが滅ぼされた前後の状況(こと)を思い出し、よもや家族の身に何かあったのではないかと身を強張らせるフィーナだったが、
結果から言えば、これは取り越し苦労に終わった。さりとて良いニュースが飛び込んできたわけではない。
ある意味に於いては、彼女の想像以上に厄介で深刻な事態が勃発していたのである。

「マユ様の元へ直接入った連絡なのだが――仕事人がハンガイ・オルスに放たれたそうだ。
と言うか、もう入り込んでいるようだね。……私の言っている意味は分かるね?」

 ジョゼフの許可を得てラトクから発表されたその報は、一同を激震させるには十分過ぎる程の威力を持っていた。
 言わずもがな“仕事人”とはビジネスマンやクラフトマンを指しているのではない。
依頼を受けて標的を抹殺する裏の家業のプロフェッショナル――暗殺者である。
 そのような者がハンガイ・オルスに潜入した事実は、ただそれだけでも恐怖を駆り立てるものだが、
だからと言って慌てふためき怯えてばかりもいられない。この場に於いて戦慄すべき最大の問題とは、
「誰を抹殺する為に送り込まれた刺客なのか」、この一点である。
 勿論、皆が予想出来ている。誰が暗殺者の標的とされたのか、確信にも近いものを持っている。
それでも敢えて口にしない――否、口に出来ずにいるのだ。

「どこぞの誰かがアルを消そうとしてやがるのかよ。こんなときに厄介な――違うな、こんなときだからこそ、か。
最悪な厄介事がやって来たもんだぜ」
「ちょ、ちょう待てッ!? なんやてぇッ!?」

 口火を切ったのはヒューである。破られた沈黙はローガンが呼び水となってすぐさま波紋に変わり、
やがて狂わんばかりの悲鳴と化した。
 顔面を真っ青に染めたフィーナとマリスは目の焦点が合わなくなり、ジャーメインも血が滲む程に強く拳を握り締めている。

「ど、どうしてアルちゃんが狙われなくてはならないのですかっ!? アルちゃんはエンディニオンの為を思って――」

 どうあっても信じられないと絶叫した瞬間、マリスは膝から崩れ落ちてしまった。
ただでさえ疲弊していると言うのに極度の心労まで重なっては堪えられるわけもない。
 マリスだけではない。再確認を求めてセフィを窺ったフィーナは、彼の首肯によって完全に言葉を失った。
先程まで蒼白だった面は更に病的な土気色へと移ろい、生気と言うものを微かにも感じられなくなってしまった。
紫色の唇は凍えたように小刻みに震えている。
 「やられる前にやるしかないでしょッ!」と息巻くジャーメインはスカートのポケットからバンテージを取り出し、これを両拳に巻き始めた。
万が一の場合は、賊徒を迎撃するつもりのようだ。

「不用意な発言はお控えください、ヒュー様っ! いたずらに不安を煽ったところで何の解決にもならないはずっ!」
「マリスちゃんには悪ィと思うけどよ、今だけは堪忍してくれや。色々アレコレ、急を要するんだわ。
マジでアルがターゲットだとすれば、速攻で対策練らなきゃならねぇ」
「しかしですね……!」
「……思うところはあるだろうけど、ここは宿六の話を聞いてあげて。あいつ、どうしようもないバカだけど、このテのコトには鼻が利くのよ」
「レイチェル様……」
「アイツの腕はあたしが保証するわ――って、あたしが言ったんじゃ身内自慢にしかならないわね」

 早鐘打つ心臓を沈めようと胸元を押えつけるマリスに寄り添い、また仲間たちの恐慌を案じて抗議するタスクであったが、
ヒュー当人は取り合おうとしない。むしろ、暗殺者への対処に関してはヒューにこそ理があった。
名うての探偵が言う通り、今は状況の分析と把握が最優先事項なのだ。仕事柄、裏社会のことも熟知している彼にとって、
これは時間との戦いなのである。
 レイチェルの取り成しもあり、渋々ながら引き下がることに決めたタスクではあるが、
胸の中に抱きすくめたマリスは一向に震えが止まらず、呼気も不規則に乱れがちである。
これ以上、恐ろしい話を聞かされては身体が保たないかも知れない。
 しかし、このような非常事態とは、何時だって個人の感情を惨く引き裂くものである。
ヒューに続いてフツノミタマも「エンディニオンの為にってのは、こっちの一方的な都合じゃねーか」と鋭い反応を見せた。

「ギルガメシュと戦争をしたくねぇって連中にとっちゃアル公はこの上なく目障りな存在だ。
例の作戦に反対してる連中は、コイツを死神みてーに思ってるのかもな。
……今、ハンガイ・オルスで命を狙われる可能性が高いのは、エルンスト・ドルジ・パラッシュでもマイク・ワイアットでもねぇ。
ましてやジョゼフのジジィでもねぇ。……エンディニオンをブッ壊し兼ねねぇアル公だ」

 冷徹とも言えるフツノミタマの意見に対し、シュガーレイは「同感だ」と首を縦に振り、ニコラスは「有り得ねェ」と頭を振った。

「アルが狙われる理由は分かった。悔しいけど、フツさんの見立ては合ってる。でもよ、いくらなんでも早過ぎるんじゃねぇか!? 
軍議が終わったのはついさっきだぜ!? メシの時間を入れたって半日も経ってねぇ! 
今日の今日で刺客を呼び寄せるなんて、そんなの物理的に無理だぜッ!」
「バカ言えッ! てめーはなんにも分かっちゃいねぇぜッ! ヒュー公もさっき言ってただろうがッ! 急を要するってよッ! 
そいつは仕事人にとっても同じことなんだよッ! 半日掛かって潜り込むなんざ遅過ぎるくれーだッ! 
速攻でケリつけてナンボなんだよッ!」
「そやかて、こーゆーのはしくじらへんよう入念なリサーチとかするんやないか!? 映画でもようあるやん!
いぶし銀のヒットマンが狙撃場所を見繕うっちゅーアレや!」
「アル公はどこにいる!? こっから動けるか!? 下調べっつーのは相手の動きが掴み切れねぇときにやるもんなんだよッ! 
ハンガイ・オルスにいる以上、狙い放題殺し放題だぜッ!」
「ほんなら、仕掛けてくる言うたら……」
「悠長に予想立ててる場合じゃねーだろ、ローガンさんっ! アルを守らねぇとッ!」

 狼狽するニコラスやローガンに向かってフツノミタマは仕事人の行動を説き聞かせていく。
今でこそ一行に加わってギルガメシュと戦っているものの、彼の本性とは裏社会の仕事人なのだ。

「――ンで、この一件にギルドは絡んでんのか? そこが一番重要だぜ」
「依頼主と仕事人まではさすがに掴めなんだが、ギルドの口入と言うことは確かだ。相当な報酬(エサ)に釣られたらしい」
「……っつーコトは、結構な手練が送り込まれるな。しかも逃げ場はねぇ。血の雨も覚悟しねーとならねーや」

 ラトクに向かって依頼の経緯を質したフツノミタマは、これを手掛かりにして刺客の割り出しを更に進めていった。
 裏社会の仕事人と一口に言っても、そのタイプは『ギルド』なる組織に籍を置く者と、フリーで活動する者に大別される。
後者はデラシネつまり根無しの仕事人とも呼ばれており、フツノミタマはこちら側に属していた。
それでいてギルドとも友好的なパートナーシップを結ぶなど、外見に寄らずバランス感覚に優れた仕事人なのだ。
 ギルドとは裏家業の斡旋を行う結社である。報酬の一部の上納と引き換えに暗殺のサポートまで行うのだが、
引き受けた依頼は期日までに完遂すべしとの絶対の掟があり、これを破った仕事人はたちまち粛清されてしまう。
無論、自分から仕事を降りることも許されない。
 ギルドを通した依頼であることも確かめたフツノミタマは、暗闘が不可避であると断言した。

「依頼主のほうからキャンセルしない限り、ギルド経由の仕事が取り消されることはねぇ。
っつーか、デラシネだって滅多なことじゃ自分からは降りねぇよ。ンな間抜けをやらかした日にゃ信頼ガタ落ちでおマンマ食い上げだ」

 裏の家業についてはこの場の誰よりも精通するフツノミタマは、列挙する意見の全てが的確で説得力を帯びていた。
闇の世界を知るヒューも、元テロリストとして暗殺の深淵に触れたセフィも、フツノミタマへ異論を唱えることはない。

「だったら、時間はたっぷりあるじゃないか! どんな殺し屋だってボクらに囲まれてるアル兄ィは狙えないだろ! 
その間に対策を考えたらいいんだよ。心配すんなって!」
「クソガキがッ! ンなにラクな話じゃねーんだよッ! 誰が、どこから襲ってくるのかもわからねぇんだぜッ!?」
「でも、オヤジなら見抜けるだろ? 違うの?」
「お、おう――決まってるじゃねーかッ! オレらを狙うなんてナメた野郎は返り討ちにしたらぁッ!」
「あ〜、チミチミ、スカーなフェイスがニヤケまくりだヨ? セルフでもコントロールできてナッシングでしょ? 
プリチーなチャイルドに持ちアップされてグッドだネ、パピぃ〜?」
「だッ、黙りやがれ、この肉饅頭ッ!」

 フツノミタマが味方なら何も心配は要らない――シェインまでもが皆を説得した程である。
兄貴分にとっては絶体絶命の窮地に違いないが、彼の言葉を信じて対策を立てれば、
必ず無事に切り抜けられるとの気持ちがあるのだろう。それは師に対する絶対的な信頼の表れでもあった。
 ジョゼフからフツノミタマの正体を耳打ちされたマイクは、一瞬だけ意外そうに目を見開いたが、
「シェインに悪影響」などと無粋な横槍を挟むことはない。それどころか、懸命になって師匠の頼もしさを説く彼を微笑ましく見守っている。
 マイクが気に掛けるのは、やはりアルフレッドであった。冒険王などと呼ばれる彼も「出る杭」の側。
危険に晒されたこと、命を狙われたことは数限りない。実際、毒を盛られて生死の境を彷徨った経験も持っている。
 それに、だ。件の勝負を持ちかけた所為で周囲の怒りがアルフレッドに集中したのではないかと言う自責もマイクは抱いていた。
 尤も、仕事人の標的と目されたアルフレッドは至って冷静。慌てふためくフィーナたちに肩を竦める程である。

「暗殺は警告の常套手段だ。俺が殺されれば、一連の策も破綻せざるを得ない」
「献策の張本人がいなくなれば、もう先には進まないってコトかい? でも、エルンストさんが認めちゃってるんだろう。
賛成多数なわけだし、今更、止まるなんてコトはないんじゃないかな。いや、アルがやられるとは思ってないけどさ」
「暗殺と言うのは、一般人が思っている以上に恐ろしいものなんだよ、ネイト。
標的の生死は、この際、問題じゃない。暗殺事件が起きたと言う事実が何よりも大きな意味を持つ」

 アルフレッドの言葉を継ぐようにして、セフィも「テロ行為にも通じる理念です」と言い添えた。

「テロリストとは武力、暴力を以って世間に意見を表明し、恐怖によって強引に従わせようとします。
暗殺もそのひとつですね。邪魔者を消すと言う直接的な目的は大きいでしょう。恐ろしいのは、むしろその後。
目立つような真似をすれば暗殺者の標的にされる。次は自分が同じ目に遭わされる――
そうした心理が行動の萎縮に繋がるわけです。……一度、胸に生まれた恐怖は容易く消すことは出来ません」
「……それがアルの言う警告ってコトかい」
「そうだ。今度の作戦は特に繊細だからな、腰砕けになろうものなら一気に瓦解する。それが依頼主の狙いだろうよ」
「他人事みたいに言ってないで、少しは自分を心配してくれよな……」

 暗殺が持つ威力を冷静に解説していくアルフレッドに対して、ネイトはガックリと肩を落とした。
命を狙われているかも知れないときにまで平然とされては、心配する側も張り合いがないと言うものだ。
 アルフレッドとて仕事人から標的にされることは恐ろしく感じている。
だが、表舞台へ上がるからには、こうしたリスクを背負う覚悟も必要となるのだ。
エルンストの命を賭して戦うと決めた以上は、自身の安否などにかまけてはいられない。

「手っ取り早ェのは仕事人をブッ倒すことか。一回でも返り討ちにしちまえば、相手もビビッて動けなくなんだろ。
逆に警告してやるってヤツだ。そんで動揺したヤツが依頼主って寸法よォ」
「その前にアルを安全な場所に隠したほうがいいんじゃない? この部屋の中では、当面は安全だけどさ」
「あぶねぇ賭けになるが、囮作戦でもやってみっか。アルならそれくらい行けるだろ」
「部屋に隠れておいて誘き出すわけ? それでも護衛は必要でしょ。あたしは残るからね」
「アホか、てめーら。相手は殺しのプロだぞ。直接斬り込んでくるとは限らねぇんだよ。
ご丁寧に待ち構えててみろ。裏掻かれてお終いだ。メシに毒でも盛られるぜ」

 軍議で見せた行為と同じく自身の危険さえ利用すると言い出し兼ねないアルフレッドに代わり、
イーライがフツノミタマに迎撃の方策を訊ねた。完全にバンテージを巻き終えたジャーメインもこれに続いている。

「じゃあ、どうしろっつーんだよ。やっぱり依頼主見つけ出して落とし前つけるか?」
「わかんねぇヤロウだなッ! それが出来るんなら、最初のタレコミで分かってんだろがッ! 
ルナゲイトでも掴めねぇもんをどうやって割り出すっつーんだよッ! ……てめーも何とか言えよ、腰巾着ゥッ!?」
「酷い言われようだな――しかし、彼の言うことは正しい。少しでも敵の目星が付けば特定のしようもあるが、
今回のターゲットはライアン君。言い方は悪いが、世間的に無名だ。と言うことは、誰が敵になっているのかも見極めにくいと言うことだな」
「成る程な。ルナゲイトの御老公なら狙ってくる敵も分かり易いってコトか。世界中の誰よりも敵は多いだろうに、却って便利じゃねーかよ」
「老婆心ながら忠告させてもらうがね、本人を前にして滅多なことを言うもんじゃないよ、ボルタ君」
「余計なお世話だっつの――要は見当付けりゃいいんだろ? ヴィクドか、グドゥーってとこじゃねーの。
っつーか、他にちょっかい出してくるヤツらなんか思い浮かばねーよ」
「どっちかって言ったらグドゥーのおばさんじゃないの。陰険なコトしそうだったもん。
ヴィクドのジジィはそこまで頭回らない感じ。やるなら自分で攻めてきそうよね」
「……お前らなぁ……」

 済し崩し的に巻き込まれたラトクを含む四人の話に耳を傾けていたアルフレッドは、無駄な労力とばかりに溜息を吐いた。

「確かにグドゥーとヴィクドは俺を目の敵にしている。アルカークは言うまでもなく、クレオパトラも何を考えているか分かりにくいな。
だが、肝心なことを忘れていないか?」
「あんたが性悪ってことかい? 反則はお手の物だからねェ」
「混ぜっ返すな、ミルドレッド――肝心要は、多数派工作の理由だよ。……俺を邪魔に思ってる連中は山ほどいる。
奴らだけじゃなく、どこにも敵は潜んでいると言うことだ」

 軍議での出来事からイーライとジャーメインは首謀者を決めて掛かっているが、アルフレッドはこれをきっぱりと否定した。
 軍議の最後――マイクに誘われて赴いた場所からは、史上最大の作戦を前にして怯える者たちを数多く確認出来た。
アルフレッドの立てた作戦を受容出来ず、且つ精神的に追い詰められた人々である。
何かのきっかけで彼らが暴走すれば、「窮鼠猫を噛む」と言う事態も十分に起こり得るのだ。

「それに、仮に刺客の手に掛かってもただでは転ばない。情報工作を図って逆に推進力を――」
「――コッカカコカァァァァァァッ!!」

 ふと捨て鉢のようなことを漏らしたアルフレッドの眉間へムルグが猛然と突進していく。
 宿敵を脅かす刺客の登場へ歓喜するかに思われた彼女は、意外にもこの成り行きに誰よりも腹を立てている。
見ず知らずの第三者にアルフレッドの生命を渡すくらいならば、自らの爪牙で狩ろうと言うのか――
鋭いクチバシで赤い瞳を狙い、これを防がれると今度は爪で頚動脈を引き裂きに掛かるなど、いつにも増して攻撃の勢いが激しい。
 フィーナにだけは先程の雄叫びに込められた本心が分かるのだが、ムルグの為にも敢えて黙っておくことにした。
翻訳して皆に披露しようものなら、彼女は本当に逆上してしまうかも知れない。
第一、言葉にする必要もない。この場の誰もが同じことを考えているのだ。
 ジャーメインやイーライの後姿を見つめるフィーナは、自身でも気付かない内に硬く拳を握っていた。

「アホなことを言うとったら、ホンマにブン殴るで!? パーやのうてグーでなッ! 誰がお前にそないなことさすねん! 
殺し屋は返り討ち! アホはとっちめて、お前を助けるッ! そんで万々歳やッ!」
「……ローガン」
「フツは難しい言うけどな、みんなで手分けしたら道は開けるハズや! 
アレはダメやコレはアカンて諦めとるモンに限って、案外、すんなりクリアでけるもんやでッ!」
「別に俺だって自分を犠牲にするつもりはない。あくまでも最悪の事態が起こった場合の話だ」
「ゲンが悪いっちゅーねん! 明るいコトを考えやっ! 運っちゅーもんは、そーゆーちっちゃなトコから開くんや。
お前は人より元気が足りてへんからの。オーバーなくらいで丁度ええやろっ!」
「……善処しよう」

 自身のズタ袋から鞣革の胴鎧――両帝会戦で用いた物だ――を引っ張り出してきたローガンは、
これを身に付けつつアルフレッドへ叱声を飛ばしている。師匠としては捨て身も厭わぬ愛弟子が心配でならないわけだ。
 ローガンの叱責に気を取られた瞬間、ムルグのクチバシがアルフレッドの脳天へ突き刺さり、
「今まさに殺されかけてるんだが、これはどう言うことだ」とのボヤきが飛び出したのだが、これは余談。

「ああ、やってやる! とにかく行動! 向こうから危険がやって来るのを待つだけなんてバカのやることだぜ。
万が一とか最悪の事態って言うけどな、アル、そのときはオレがお前を逃がしてみせるからよ。
ガンドラグーンのタンデムにゃ、どんな野郎だって追いつけねぇ!」
「戦うことの出来ない悔しさ、踏み出せない苦しみは罪ではないわ。そんなときに手を取り合えるのが人間なのよ!
やり場のない怒りを誰かにぶつけること! これこそ許されざる罪なのよ! 世界で最も悲しい罪を犯させてなるものかッ! 
どんな悲しみだって! 正義の力で救ってみせるッ!」

 鋼鉄のグローブで覆われた拳を天井に突き出すニコラスは絶対死守を、
ムーラン・ルージュを発動させたハーヴェストは正義を、それぞれ熱く唱えている。
 シガレットを咥えているシュガーレイは、ふたりを見比べながら紫煙と共に「元気が有り過ぎても煩わしいだけだな」と皮肉を吐き出した。
 旧友からの当て擦りに神経を逆撫でされたハーヴェストは、スタッフ状態のムーラン・ルージュを彼に向かって突き出し、
「あんたこそまた犠牲は当然とか言い出すんじゃないでしょうね」と反論を試みた。
軍議を混乱させる原因ともなった心ない発言を改めて批難しているのだ。
 これを耳にした守孝は、両者の間へ割って入るように身を乗り出した。

「その儀ばかりはシュガーレイ殿と雖も罷りならぬ。アルフレッド殿は親にも勝る大恩人。我が無二の朋と心得おりござ候。
エンディニオンにとっても掛け替えなき命。況や犠牲にはさせ申さぬ。それでもと仰せであらば、某、槍刀にて抗い申す!」
「よく言ったわ、守孝! あたしも一緒に戦うわよ! 正義の鉄槌を思い知るが良いわッ!」
「……知らん間に暑苦しいのが増えたな。ハーヴの正義菌は感染性だったのか」

 星兜を揺らしながら抗議する守孝も軍議の席にてシュガーレイの発言を直接聴いている。
同じことを繰り返させるわけには行かないと考えたのだろう。ましてや今度は盟友が犠牲と目されかけているのだ。
黙って見過ごせる筈もなかった。

「あらぬ誤解を与えたようなら詫びさせて貰うが、俺だってライアンを見殺しにはしたくない」
「真でござるな? 信じてよろしゅうござるな?」
「今は生きていて貰わんと困るのだ。第一、戦局に直接作用するような命なら、犠牲などと言わずに既に死んで貰っている」
「……いちいち引っかかるのよね、あんたの言い方は」

 我が身を盾にしようとする守孝も、ムーラン・ルージュを三連機関銃にシフトさせたハーヴェストも結局は勇み足だったようだ。
 前述の発言の影響もあって冷血漢のように見なされるシュガーレイではあるものの、アルフレッドの護衛に関しては賛同の立場だった。
些か含みのある言い方であり、腑には落ちないものの、さりとて納得出来ないと駄々を捏ねる程でもない。
反対意見でないことを確かめたふたりは、一先ずその場は引き下がった。

「ぼくは死んでいてもらったほうが嬉しいんだけど」
「男を下げることは言うもんじゃないよ、モーント。そう言うのはメイに嫌われるぞ」
「それは困ります。大いに困ります。この世の終わりくらい困ってしまいます……」

 ジャーメインの件もあってアルフレッドへ個人的な敵愾心を抱いているモーントは、
シュガーレイ以上に不吉なことを呟いたが、これはミルドレッドに小突かれて打ち止めとなった。
人間離れした頑強さを誇る彼は痛みも感じてはいないだろうが、それでも心に響くものはある。

「あんたらが次に何を言うか、当ててあげよっか? 『乗りかかった船だから』もしくは『人肌脱ぐぜ』。
こんなトコでしょ? おお、やだやだ。男って幾つになってもガキのまんまよね」
「てめぇがトシを語ると説得力がスゲーな。ウルトラ若作りだもんな」
「おふたりとも、そこまで。私たちが揉めてどうするんですか。暗殺者はこう言う混乱を狙っているものでしょう?」
「……あの便所蝿め。寝てるときに殺虫剤炊いてやるぜ――ま、そーゆーコトだ。オレたちゃ運命共同体みてーなもんだ。
ここまで来たら、とことん付き合うよ。自慢じゃねぇが、暗殺はお手の物なんだぜ? オレはやられる側だけどよ」
「――ケッ! やる側とやられる側じゃ大違いだぜッ! てめー、ピアノ線で首吊られたコトあんのかよ!? あァんッ!?」
「やめろよ、オヤジ! 折角、マイクさんが手を貸してくれるって言うのに! 粗相があったら、ボクが許さないからなッ!」
「……なんだよ、こんちくしょうめッ! そんなに冒険王がいいなら、あっち言っちまえ! バーカッ!」
「さっきから何言ってんだよ」

 アルフレッドを暗殺者の魔の手から守る――マイクたちもこの輪に加わり、いよいよ迎撃体勢は磐石のように思えた。
 ところが、アルフレッド当人は「俺を助けようと思ってくれるなら、本来の任務を全うしてくれ。それが一番」と皆の気遣いを断った。
脳天に突き刺さったままのムルグを力任せに引き抜いた彼は、あくまでも多数派工作の完遂を主張したのである。

「それとなく探りを入れると言うのはどうじゃ? そう容易く尻尾は出さぬと思うが、何かしらの反応があれば上出来。
クレオパトラはともかくファラ某は口を滑らせるかも知れぬ。アポピスが止めようとも間に合うまいて」

 これはジョゼフの申し出であった。彼は最大の難敵と目されるグドゥーの説得へ当たることになっている。
その際に暗殺を仕組んだか否かを確かめようと言うのだ。先程もギルドと言う組織名にも新聞王は鋭く反応している。
もしかすると、「暗殺」が如何に恐ろしいものかを追想していたのかも知れない。
 それでもアルフレッドは首を縦に振ろうとはしなかった。「何事もなかったように普通に交渉を進めてください」と、
あくまでも通常の進行を求めている。

「……お前、やっぱりアホな真似を考えとるんやないか?」
「みんな、大袈裟に反応をし過ぎだ。俺たちが暗殺計画に気付いたと仕事人に気取られるほうが厄介だろう? 
何も知らないフリを通したほうが良いと思うのだがな。……どうだ? 我ながらポジティブだと思うんだが」
「まあ、それならそれで、ええんやけど……」
「お前のリアクションが一番大きいんだよ、ローガン。少しは俺を信用しろよ。
いきなりやられる俺じゃないって、ローガンが一番良く知ってるだろう?」
「可愛い弟子を心配するんは当たり前やろが! このアホ!」
「……公衆の面前で恥ずかしいことを叫ぶな、バカ師匠」

 またしても捨て身の如き計略でも考えているのではないかと怪しんだローガンは、
拳を鳴らしながらアルフレッドに詰め寄っていくが、これは大きな誤解である。
師匠から窘められたことを幾度も繰り返す程、彼は愚か者ではないのだ。
 師弟のやり取りに鼻血を噴いたフィーナはともかく――咳払いで仕切り直しを図ったアルフレッドは、
「過剰反応して防御を固めれば、却って警戒されると言うことだ」と持論の根拠を説明し始めた。

「多数派工作の動きが鈍くなるしな。それが首謀者の狙いだとすれば、尚更、これに付き合うことはない」
「だからってさ、独りでプラプラと歩き回るのだけは止してくれよ。こっちだって気が気じゃないんだ。
絶対に護衛は付けてもらうよ。……フツさん、それくらいは構いませんよね?」
「ゾロゾロと数珠繋ぎでなければな。自然を装えるヤツってのが最低条件だぜ」
「しかしだな、ネイト……」
「交渉にはサポート役が必要だろう? ひとりくらい一緒にいたって怪しまれはしないさ」

 ネイサンの提案にもアルフレッドは難色を示したが、「……アルちゃん、どうか……」とマリスから嘆願されては承服せざるを得ない。
彼女の傍らではタスクが睨みを利かせており、断れば後で何をされるか分かったものではなかった。

「そう言うことなら適任はオレだろ! 緊急回避はお任せだぜッ!」
「うん、ラスなら安心だ。本人も言ってるけど、バイクを使えるってのは大きいね」

 ローガンよりもジャーメインよりも早くニコラスが挙手にて護衛に立候補し、ネイサンがアルフレッドの代理としてこれを認定。
迂闊にも出遅れて落選したふたりは、「ローテーションを求める!」などと負け惜しみを交えつつ、ガックリと肩を落とした。
 自分に付けられる筈の護衛を勝手に指名されたアルフレッドは、大きなお世話とばかりに横目でネイサンを睨んだ。
「モテモテじゃねーか、アル。ちょっと羨ましいぜ」などと言うマイクの冷やかしには無視を決め込んでいる。
 アルフレッドの護衛役に決まったニコラスは、ヒューやレイチェルから盛んに発破を掛けられていた。
ヒューは決して認めたがらないだろうが、その姿は“義理の親子”にしか見えない。
 ひとしきりニコラスの頬を摘んだヒューは、次いでアルフレッドへと目を転じ、この件をブンカンに相談してはどうかと持ちかけた。
 護衛の増員を勧められたものと捉えたアルフレッドは、これを即座に却下しようとしたのだが、
間を置かずにヒューの意図に勘付き、表情を引き締めながら頷き返した。

「手間は掛かるが、差し向けられた仕事人と依頼主の割り出しは進めたほうが良さそうだな。
俺個人のことなら捨て置くところだが、どうやらそうも言っていられそうにない」
「成る程のう。それでブンカン殿に助力を請うと言うたわけじゃな。さすがは名探偵、抜け目がないのぉ」
「新聞王からお褒めに預かり光栄だぜ。ハンガイ・オルスのことはやっぱりテムグ・テングリに任せるのがイチバンだもんよ」
「ケッ、もっと早くに気が付けっつーの。おめーら、トロくせーんだよッ!」
「分かっているならお前のほうから指摘すれば良かっただろう。シェインに格好の良いところを見せたいんじゃないのか」
「テメ、この……アル公ッ! クソガキは関係ねーんだよッ!」

 ブンカンの手を借りると言う点はジョゼフとフツノミタマも支持しており、
最初は仕事人への対策に消極的だったアルフレッドさえも「交渉のメンバーも入れ替えなければならないな」と
建設的な意見を言い添えている。
 裏社会から紛れ込んできた仕事人を探し出す――最後はこの結論に至ったわけだが、
イーライやジャーメインが掲げるような直接的な報復とは意味合いが違っていた。

「私としたことが大変な見落としをしていましたね。標的はアル君と決まったわけではない――そう言うことですね」

 何事かが脳裏に閃き、右の拳を左の掌へ叩きつけたセフィにフツノミタマとヒューは揃って頷いた。

「狙われる確率が一番高ェってだけなんだよ、アル公は。別の誰かが狙われてる可能性も考えとかなきゃならねぇ」
「俺っちも話を聴いてる内に気付いたんだけどな――誰が標的なのかも重要だがよ、アルにしろ他のヤツにしろ、
今、この状況で暗殺が起きるってコトが最大の問題だぜ」
「そして、セフィの見立てに戻るわけだ。……連合軍の間に二度と拭えない疑心暗鬼が生まれる。互いを疑い始めたら、もうおしまいだ」
「いっそアル君に狙いを絞って貰ったほうがやり易いくらいですよ。鬱蒼と茂った森の中で珍しい枝を一本見つけるようなものですからね。
はてさて、どこから手を付けたら良いものやら……」
「冗談めかして言うことではなかろうが。おヌシの未来予知さえ万全であれば容易く解決も出来たであろうに。返す返すも残念じゃわい」
「あ、そうでしたそうでした。先程の件、マユさんに例の件をメールしておきましたよ。ジョゼフ様が私をいじめると。
そろそろ電話が掛かってくる頃ではないでしょうか」
「――なッ!? お、おヌシッ!?」

 程なくしてジョゼフのモバイルが電子的なメロディを奏で始め、液晶画面を確認した彼はそのまま凍り付いた。
メールを受信したようだが、その相手と内容は改めて詳らかにするまでもなかろう。
 色々な意味で孫娘に弱いジョゼフを目端に捉え、また胸中にて密かに嘲ったラトクは、
それでも表面上の沈着を崩すことなく、「ブンカン氏への依頼は自分が行こう。こう言うときこそルナゲイトの名を使おう」と申し出た。
 ルナゲイトの名を利用するとの宣言は、本来ならばジョゼフがすべきことなのだが、
青ざめた顔にてモバイルを開いている新聞王は、おそらく暫く使い物にならないだろう。
ジョゼフの代理としてラトク以上の適任はいなかった。

「限られた人数で多数派工作と刺客の割り出しを同時に進めなければならないのは厳しいが、ここが正念場だ。
戦局を直接左右する以上、失敗は許されない。皆、よろしく頼む」

 アルフレッドにとっては自分の危機よりも史上最大の作戦が頓挫することのほうが遥かに恐ろしい。
だからこそ、犠牲者が出る前に刺客を取り押さえようと決意したのである。
 ブンカンの――いや、テムグ・テングリ群狼領の力を借りようと決めたのもその為だった。
ヒューの説明によれば、一般には余り知られていないものの、馬軍は優秀な諜報部隊を抱えていると言う。

「ンフ――お姉さん、燃えてきちゃったわ。なんだか正義の戦いってカンジよねぇ?」

 未だに居座っていたローズウェルもすっかり乗り気だった。
K・kの護衛と言う本来の任務そっちのけで仕事人の探索に協力するとまで言い出している。
 悪徳冒険者の典型とも言うべきローズウェルのことを全く信用していないハーヴェストは、
「悪党の分際で正義を語るんじゃないわよ」と敵意を剥き出しにしたが、罵声を浴びせられた当人はあっけらかんと笑い、
ふてぶてしくも「好き好んで悪党やってるワケじゃないもの。これでも昔はシェリフだったのよぉ」と言い返した。
 申し出を断ったところで強引に皆の輪に入り込み、ちゃっかり自分のポジションを確保してしまうだろう。
 ローズウェルのようにスルリと入り込む者もいれば、難しい議論に全く随いていけず、離れた場所にて立ち尽くす者もいる。
ルディアだ。ぽかんと口を開け広げたまま、しきりに首を傾げているではないか。
幼い彼女には「暗殺」の二文字が持つ意味と重みが分からなかったらしい。
 ちんぷんかんとばかりに目を回すルディアだったが、それでも構わないとフィーナは思っている。
暗殺などと言う醜悪な事件がルディアの身近で起きて欲しくはない。具体的に暗殺がどう言ったものか、彼女には知って欲しくなかった。
せめて許される限りの時間は純真無垢のままでいて欲しいと願って止まないのだ。

 ルディアの頭を優しく撫で付けたフィーナは、そのままの体勢でアルフレッドへと目を転じた。
するとアルフレッドのほうでも彼女の視線に気が付き、そっと目配せを送り返す。
こうした触れ合いには過剰な程に敏感なマリスですら見極められないような一瞬の出来事であったが、
それでも互いの心はしっかりと通じ合ったらしい。
 フィーナと視線を交えた直後、アルフレッドの口元が不敵に吊り上がった。ただそれだけで彼女には十分なのであろう。

「――んで? チミはエタニティにザットへ立ってるつもりかい? 用事がナッシングならシットダウンでもしたら?」

 アルフレッドとフィーナの一瞬の交錯にも、ルディアの困惑にも、これからの作戦進行さえも――
室内で起きている全てのことに無関心なホゥリーは、地べたに寝そべりながらポテトチップスを貪っているのだが、
その眼差しは部屋唯一のドアへと注がれていた。
 見れば、出入り口付近にレオナの姿が在る。今もまだ通話の最中らしいのだが、用事があって控え室に戻ってきたようだ。
右手にモバイルを持ち、対の左手でマイク部分を押さえている。

「ベリーベリー間抜けフェイスだよ、チミ。えらいロングなタイム、そーやってスティック立ちしてたでショ。
電信ピラーにクラスチェンジでもしたかとイマジンしてたところだヨ」
「だ、だって! 戻ってきたら、いきなり深刻な会話になってて入るに入れなかったんですよ。私だって困っちゃうんですから……」
「いいから、ボサッとしてねぇでこっち来いよ。……てか、なんだよ、まだ話し中なのか?」
「それがね、イーライ――」

 何事かあったのかと尋ねようとしたイーライに向かって、レオナは無言でモバイルを差し出した。電話を代われと言う意思表示だ。
 わけも分からずモバイルを受け取った彼は、通話を再開する前に一先ず液晶画面を確かめ、目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
そこには電話着信を表すアイコンと共に「テムグ・テングリ群狼猟」と言う組織名が表示されている。

「――忙しいときに申し訳なかったね。もしもし、イーライ君だろう? 今し方、君たちの部屋に伺ったら留守だったんだよ。
ご不在だったので、レオナさんに電話をしてしまいました」

 モバイルを宛がったイーライの鼓膜は、ハンガイ・オルスのどこかに在るだろうブンカンの声でもって軽やかに叩かれた。




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