5.privateer 海賊討伐と言う晴れ舞台をゼラール軍団の完全勝利で決着させるべく ワイルド・ワイアットことマイクを最後の舞台へと案内したラドクリフは、 海の一族の長とゼラールが待つ船室のドアを開けた瞬間の衝撃を忘れることが出来ない。 シェインにねだられて長々と初陣の経験談を語ってきたものの、そこだけは追想を躊躇う箇所であった。 俄かの変調に感付いたシェインからは「何かあったんなら、……無理にとは言わないぜ」と身を案じられたものの、 ラドクリフ当人は彼に全てを聴いて貰うつもりである。 何事にも当てはまるのだが、一度、幕を開けた以上は全てを完遂するまで決して舞台は降りられない。 海賊たちの顛末に触れたからにはラドクリフは一部始終を語り尽くさねばならず、聴衆たるシェインもこれを受け止める責任があった。 それが、口伝えと言う行為(こと)である。 「ワイルド・ワイアットの活躍はこれからだよ。お楽しみはまだまだたくさんあるんだから」と、 萎みかけていたシェインのモチベーションを奮い立たせたラドクリフは、 脳裏に浮かんだ情景と向き合い、再び記憶の水面へと飛び込んでいった。 「ハービンジャーさん――ペガンティン・ラウトの頭目は、そのとき、重い病に罹っていたんだ。余命幾ばくもないくらい重度の……」 「……それで、なんとかって姉ちゃんが代理をやってたわけか。身体を壊していたら仕方ないよな……」 「ハービンジャーさんの場合は壊していたって言うか、壊されたって言い方のほうが正しいんだけどね……」 「テムグ・テングリとの戦いで大怪我した、とか?」 「いや、……“猛毒”に身体を侵されてしまったんだよ」 「毒蛇にでもやられたの? あ、でも、陸に上がらないんだからそりゃないか」 「海にも毒を持った生き物はたくさんいるけどさ、それならきっと治す見込みがあったんだろうけど……」 「どう言うことだ? 毒にやられたって話なんだろ? だったら――」 奥歯に物が挟まったような言い回しからラドクリフの真意を汲み取ることが出来ず、 鸚鵡返しに質問を重ねるシェインであったが、その直後にひとつの仮説が脳裏に閃き、次いで表情を一変させた。 彼自身、胸中に湧いた仮説を信じたくはない。だが、仮に的中していた場合は、この場で憤激を喚き散らしてしまうかも知れない。 仮説の先には、エンディニオンを破滅へ追い込むような悪意が見え隠れしているのだ。 複雑怪奇な怒りがシェインの全身を駆け巡り、その唇を震わせていた。 「まさかと思うけど、――廃棄物に海が汚染されたってか?」 シェインの仮説を受けて、ラドクリフは重苦しく頷いた。 かつてグリーニャも悪徳業者による廃棄物の不法投棄で土壌が汚染され、村中を巻き込む大騒動に発展したことがあった。 深刻な被害が発生しているにも関わらず、悪徳業者は村側の抗議を一切受け入れず、 結果、人死にが出る程の武力衝突に至ったのだ。 奇しくもその事件がシェインを荒野へと誘うきっかけとなったわけだが、それと同種の事態が海でも発生していたのである。 環境破壊が許せず、悪徳業者に立ち向かったシェインだけにハービンジャーの侵された“猛毒”は断じて許し難く、 無意味な行為と理解しながらも憤怒の吼え声を上げずにはいられなかった。 「ぼくもカンピランさんから訊いただけで現地は見ていないのだけど―― 廃棄物がバラ撒かれたのは、ペガンティン・ラウトの拠点のひとつみたいなんだ」 「海の上に家を建てるってアレか?」 「そのうちのひとつ、だね。シアター・オブ・カトゥロワが航海で出払っている間に悪徳業者が忍び込んだらしくてね。 ……ハービンジャーさんが気付いたときには、海面は油だらけになっていたそうだよ。 しかも、肝心の廃棄物は海底深くに沈めてあったらしくて、発見も遅れてしまったみたいなんだ」 「最悪じゃないか。海底まで汚染されていたってのかよ……」 「ガエ・ボルグ興産って言ったかな――最近、やっと掴んだのだけど、 顧客から引き取った廃棄物を人里離れた場所に放り投げていたみたいだ」 「おい、処理も何もナシでかよ? ……とんでもねぇ連中だな」 「とんでもないのはその親会社さ。ピーチ・コングロマリットって名前、シェインくんは聞いたことがあるかい?」 「……八百屋?」 「名前はそれっぽいけどね。ここ十年くらいで業績を急成長させている総合商社なんだ。 本業で得たカネに物を言わせて色々な業界に買収を仕掛けていてね。 人材派遣に土地転がし、銀の採掘、町金融と……儲け話なら何でもござれって連中だよ。 手を染めていないのは武器売買くらいと言うけど、実際にはどうだかわからないよ。 大体、ヤツらの営んでいる町金融なんて実態モロにヤミ金さ」 桃を冠するとは随分と愛らしい社名だが、その手口はかなり悪辣で、一言で表すならば、「えげつない」。 ガエ・ボルグ興行の他にも幾つかの廃棄物処理業者を傘下に持つピーチ・コングロマリットは、 ときには有用な土地を予め購入し、そこに廃棄物を不法投棄することもあると言う。 公害に伴う住民の反対運動には、アウトローを雇って対処。即ち、暴力を以って解決してしまうのだ。 酷いケースとなると、新設した廃棄物処理施設にその土地の住民を大量に雇い入れ、 共犯者に仕立て上げるとラドクリフは苦々しく語った。 処理施設の近隣にはグループの系列店による歓楽街を作り、当該の土地から徹底的な搾取を実行。 親会社が絶対に損出を出さない構造を生み出すのが、ピーチ・コングロマリットの手口であった。 当然、トカゲの尻尾切りも平然とやってのける。 真ん中から二つに割れた桃を社のエンブレムとして掲げているが、ピーチ・コングロマリットの実態を知る者にとって、 それは凶兆以外の何物でもない。 「……手口が似てるな……」 「やっぱり聞いたことがあるかい?」 「ピーチなんちゃらってのは知らないけど、……前に似たような連中とモメたことがあるんだ」 ピーチ・コングロマリットと言う社名は今の今まで聞いたことがなかった。 ニュース番組や新聞の報道で触れた可能性がなきにしも非ずだが、残念ながらシェインの記憶には残っていない。 しかし、同じような悪行に手を染めた者は、ある種の生々しさを伴って心の片隅にこびり付いている。 スマウグ総業のノーマン社長だ。グリーニャを土壌汚染で苦しめたスマウグ総業のことは、 かの廃棄物処理業者が壊滅に至った経緯まで含めて、一生涯忘れることは出来ない筈だ。 今も彼の顔がまざまざと蘇っている。 非道の限りを尽くしてグリーニャを苦しめてきたノーマンは、寝起きの悪い話ではあるものの、それ相応の制裁を受けた。 いつかはピーチ・コングロマリットにも女神の裁きが下されるに違いない。 シェインはそう祈らずにはいられなかった。 悪徳業者が不法な手口で取引あるいは投棄する廃棄物とは、主として世界全土に点在する正体不明の機械片を指している。 ルーインドサピエンス(旧人類)時代の遺物とも言われる廃棄物より染み出した有毒物質が エンディニオンの自然環境を破壊し、生態系をも歪めつつある。 このまま汚染を食い止められなければ、いずれ惑星は死滅に至るとまで危険視されているのだ。 危険な水準にまで達しつつある環境破壊が、目先の利益に惑わされた愚者の手で人為的に拡大されることを シェインはどうしても許せず、再び「最悪じゃないか……」と苦々しげに呟いた。 廃棄物の不法投棄と言う悪行がグリーニャと浅からぬ因縁を持つことを感じ取り、ラドクリフは表情を曇らせた。 これでは親友同士で交互に面を暗くしているようなものだ。 俯き加減となったラドクリフの頭を帽子越しに軽く叩いたシェインは、 武勇伝への返礼をも込めて、スマウグ総業との一件をかいつまんで説明――フィーナのことは伏せて――した。 ピーチ・コングロマリットとの共通項を見出して神妙に耳を傾けていたラドクリフだったが、 シェインが廃棄物処理場へ特攻を仕掛けたくだりを聴いた途端、 「もしかしたら、シェインくんはハービンジャーさんとウマが合ったかもしれないよ」と微かに吹き出した。 「……ハービンジャーさんはね、愛する海を守る為に自分の手で廃棄物を引っ張り上げたんだ。船と海底とを何度も往復してね。 海上に広がった油も掬い出したんだよ。……誰にも手を出させなかったとカンプランさんは泣きながら教えてくれたよ」 「おい、手掴みってことか!? そんなことしたら、一発で身体は――」 「そう、それが“猛毒”の正体だよ。ハービンジャーさんは、愛する海と、……前途あるカンピランさんたちを自分の命を捧げて守ったんだ」 マイクを案内して議論の舞台へ足を踏み入れた瞬間、ラドクリフは視界に入ったハービンジャーの容貌に衝撃を受け、 思わず声を詰まらせてしまった。 皮膚の殆どを包帯で覆っているが、僅かに覗ける露出箇所の皮膚は醜く爛れ、至る部位が焼け焦げたように黒ずんでいる。 双眸からは絶えず涙と目脂が零れ出していたが、この時点で彼は視力を完全に失っていたそうだ。 声帯もひどく損傷しており、聞き取るのも困難な程に掠れている。酒や煙草で痛めた物とは全く違う声であった。 頭部に毛髪はなく、変わりに無数の水疱が浮かび上がっていた。包帯の上からでも確認できる程に一つ一つの膨らみは大きく、 皮の裂けた物は生地の表面に大きな染みを作っている。 ペガンティン・ラウトの長の証しであると言う黄金の輪の耳飾りは、船室のランプより発せられる光を眩く跳ね返し、 それが為にハービンジャーの創痍は痛ましさを増しているように見えた。 ラドクリフの心中には、ただただ「残酷」の一言だけが浮かんだ。当時は痛ましく感じただけであったが、 そのように肉体を侵されることになった事情を知った現在(いま)は、残酷としか思えなかった。 生まれたときから一体であった海を救う為、次世代を守る為、危険を承知で廃棄物へ挑んだ勇者に対し、 この仕打ちはあまりと言えばあまりに残酷ではないか。 つまるところ、ハービンジャーは人為的に作り出されたとしか言いようがない毒の巣の犠牲になってしまったのだ。 そこまでして守った海賊の次世代を、みすみすテムグ・テングリ群狼領の自由にはさせられない。 戦いに敗れた身ではあるものの、ハービンジャーは馬軍の下僕に成り下がることを断じて承服しなかった。 自分の首を戦利品として差し出す覚悟はあるが、海賊船は一隻たりとも自由にはさせないと掠れ声で宣言したのだ。 そこに参上したマイクは、まずはハービンジャーに己の身体をいたわるように促し、次いでゼラールに議論の進展を尋ねた。 初対面ながらワイルド・ワイアットにも居丈高に接するゼラールは、これを「愚問」の一言で切り捨て、 自身の用意したプランを朗々と繰り返した。幾度となく聴かされているハービンジャーはうんざりした様子で溜め息を吐き、 蝿でも追い払うようなゼスチャーであらゆる打開案を拒絶している。 ゼラールが持ち出したのは、海賊船から私掠船への宗旨替えである。 海賊行為の継続は認めるものの、掠奪した財宝の中から一定量をテムグ・テングリ本軍へ上納さえすれば、 トラウムの使用禁止などの軍律を除いてペガンティン・ラウトの自由を保障すると言うものだった。 ここからしてペガンティン・ラウトを侮辱しているとしか言いようがない。 海賊行為をせざるを得なかったのは、テムグ・テングリ群狼領に海洋貿易と言う生業を遮断されてしまったからなのだ。 ペガンティン・ラウト最大の標的は、あくまで馬軍である。海賊船を乗り出して襲撃してきた船舶は、 テムグ・テングリ群狼領の船籍(もの)を除けば微々たるものと言う有様であった。 一瞬、腕組みして思料に耽ったマイクは、続けてゼラールに「自由」と言う交換条件が許諾する範囲を確かめた。 「ペガンティン・ラウトに自由を認めるって言ったよな。甘い言葉で釣っておいて、あとから反故にするってコトはねぇんだろな?」 「冒険王を名乗る男が、何ともつまらぬことを訊くものよ。余が然様に小さき器に見えるか? 見えるのであれば、よろしい、余と交わる権利をくれてやろうぞ。二日と経たぬうちにそちは余の前に跪く」 「別にンな称号(なまえ)を名乗った覚えはねぇがよ――軍律ってのを守る限りは、何をやっても許されるってことだろ? まさかデケェ器ともあろう御方が、小遣い帳を強要することはねぇだろ」 マイクが言わんとしている真意を察したゼラールは、「小遣いは考えて使うものじゃ。如何にして使うのかを自ら考えてな」と 愉快そうに口の端を吊り上げた。ペガンティン・ラウトに許された“自由”の範囲には、 海洋貿易も含まれるのではないか――その可能性をマイクは指摘したのである。 当然ながらテムグ・テングリ群狼領としてはペガンティン・ラウトに地力を養わせるわけにはいかない。 これを許せば、旧敵に逆襲の機会をお膳立てするようなものである。富の集まる海洋貿易などは以ての外であった。 これに対してマイクは、「自由」の一言に潜在する無限の可能性から行き詰まりの打開策を見出したのである。 殆ど、相手の言質を取るような頓智の世界だが、馬軍より差し向けられた刺客である筈のゼラールは、 愉快そうに笑うばかりでマイクの案には全く反対していない。 貿易の許可は、落としどころのひとつとして予め想定していたのだろう。 貿易の自由が許諾された場合、ペガンティン・ラウトの後ろ盾になることをマイクは約束した。 破竹の勢いで版図拡大を推し進めるテムグ・テングリ群狼領に萎縮し、 あるいは圧力を掛けられてペガンティン・ラウトとの交易を停止していた者たちも ハービンジャーが和睦に応じたと知れば、必ず態度を改める。 それにも関わらず、交易再開を拒否するような融通の利かない石頭を見つけたときには、 自ら出向いて説得するとまでマイクは請け負った。 「物は考えようだぜ、ハービンジャー。あんたにとっちゃ腸の煮えくり返る思いかもしれねぇが、 次の世代の奴らの為にも堪えるべきところは堪えて、その分、でっけぇ実を取ろうじゃねぇか。 ……何の為に手前ェを犠牲にしたんだ? そんなにボロボロになりやがってよ―― あんた程の男を意地だの何だので無駄死にさせたくねぇんだよ、オレは」 「……思えば、お前とも長い付き合いだな、マイク。ディーザ――お前の親父から商売のいろはを教わったんだ。 ワイアットが我々を裏切るとは思っていない。お前は私たちの数少ない朋友だ」 「だったら、話は早いんじゃねぇか?」 「――だが、テムグ・テングリは違う。あれはお前のように甘い人間ではない。 貿易など……、いや、我らに何ひとつ自由など認めまい。飼い殺しにするか、使い捨ての駒にするか」 「オレがそんなことは絶対にさせねぇって。そりゃあ親父と比べて頼りなく見えるかも知れねーが、オレだってもうイイ歳だぜ? ……ダテに年齢を重ねちゃいねぇってコトさ」 「マイク、我々とお前はひとつだけ相容れないことがある。かの草賊と戦ってきたか、否か。この隔たりは埋め難い」 「……それを言っちゃあ、おしまいだぜ」 しかし、ハービンジャーの態度はあくまでも硬質であり、その言葉には“積年”と言う重みがあった。 逆らう者には族滅をも厭わないと言うバルトロメーウスの気性はマイクの耳にも入っている。 支配下に置いた土地には適正な法を布く為、決して圧政者ではないものの、独裁の色が強いことも否めず、 ハービンジャーの反論にはさすがのワイルド・ワイアットも言葉に詰まってしまった。 ベースボールキャップを脱いで頭を掻き始めたが、マイクがこのような行動を取るときは、決まって進退に窮している。 この場にティンクが居合わせていたなら、「浮気がバレたときのサインね」と皆に判例を披露したことだろう。 ところが、ゼラールはハービンジャーの懸念を一笑に付した。何がそんなに愉快なのか、手拍子まで添えて、 「低き次元の話ばかりしておる。その程度の智恵しか回らぬ故、斯様な窮地にまで追い込まれたのよ」と大笑いしたのである。 「上層部(うえ)が認めぬのであれば、好き勝手にやれば良い。貿易でも密売でもな。 幸いにして冒険王が片棒を担ぐと申し出ておる。貴様らには何の不都合もなかろうが」 この期に及んで更なる侮辱を浴びせられたハービンジャーは俄かに気色ばんだが、 しかし、続けざまにゼラールの口から飛び出した提案、いや、暴案に虚を衝かれ、全く言葉を失ってしまった。 横から口を挟むマイクの声にも明らかな当惑が滲んでいる。 「……ん? お前、今、なんつった?」 「敬意を表して冒険王と呼んでやったのだが、なんじゃ、不服か?」 「そこじゃねーよ。……まさかと思うけどよ、貿易云々ってのは――」 「余が海賊どもに認めてやる特権のことよ。元の状態に限りなく近付けてやるのじゃ。有難く思うがよい」 「いやいやいやいや、おめーが認めても仕方ねぇだろ。バルトロメーウスはどう言ってるんだ?」 「古狸の頭の中など知ったことではない。貴様らが栄えるか、廃れるかは、余の胸三寸ぞ。 無論、貴様らが我が軍団の指揮下に入ると言う条件付きであるがの」 生死を決するような修羅場を幾度となく潜り、人並み以上の胆力を持つマイクでさえゼラールの言行には恐れ戦くばかりだった。 ゼラールの示した私掠船行為の認可をテムグ・テングリ群狼領本隊の決定とマイクは勝手に解釈していた。 ラドクリフ経由で依頼を受けたときには、ペガンティン・ラウト対テムグ・テングリの決着としか考えておらず、 現在もその構図自体は変わっていないが、あろうことかゼラール・カザンと言う男は、 海の民の力をそのまま自分の物にしてしまおうと画策していたのだ。 私掠船行為も貿易の自由も、ゼラールは己の一存で決定するつもりである。 当然ながら、これはテムグ・テングリ群狼領が考える勝利条件とは全くの無関係。 バルトロメーウスから下された指示は、ペガンティン・ラウトの無条件降伏か、海賊団の全滅と言う二者択一であった。 「我らの指揮下に入ると言うことは、即ちテムグ・テングリに下ったも同然ぞ。 余は海軍の用兵も学んでおる故、貴様らを存分に使ってやれる。貴様らは草賊には過ぎたる宝じゃ。 これを古狸どもが認めぬときには、海賊船を集結させて大攻勢でも仕掛けようぞ。 余が兵権を執れば、バルトロメーウスの首級など奪(と)ったも同然じゃ」 「……バルトロメーウスを恫喝するつもりか、貴様。命知らずの勇者なのか、身の程知らずのバカなのか……」 「バカだろ、ただの。テムグ・テングリの本隊に喧嘩売ってタダで済むわけねぇよ」 「フェハハハ――どうせ死ぬまで戦うつもりであったのだろう? ならば、同じことではないか。 余も付き合ってやる上、乗るか反るか、己が運を試してみよ。それだけの値打ちがあることは、貴様らにもわかっておろうが」 馬軍への造反とも受け取られかねない強引かつ危険な事後承諾をゼラールは考えていたようだ。 マイクも危惧しているが、ひとつ打つ手を誤れば、テムグ・テングリ全軍から攻められ、返り討ちに遭うだけである。 しかし、ゼラールは些かも淀むことなく大望を示して見せた。全身を十字架に見立てた独特のポーズを作ってはいるが、 深紅の瞳に道化じみた虚飾は見られない。太陽の如き輝きは、それそのものが未来の可能性と同義であった。 自分より遥かに年少であるにも関わらず、何と計り知れぬ大器であろうか―― 威風堂々としたゼラールの姿にペガンティン・ラウトの進むべき道を見出したハービンジャーは、 彼に己が一族の命運を託す大英断を下した。 その場に居合わせる幸運に恵まれたラドクリフは、武勇伝へ耳を傾けるシェインへ「神聖な儀式のようだった」と語った。 ゼラールに対して深々と一礼したハービンジャーは、何を思ったのか、満身を覆う包帯を力任せに剥ぎ取り始めたのだ。 彼自身の心情として余人に触れさせたくはないであろうズタズタの創痍をゼラールの前に晒し、改めて頭を垂れ、 最後に「我が身、我が命、尽きたも同然ながら末期に当たって王の大器と出会えたのは冥土の良き土産」と、 “閣下”に跪いて忠誠を誓ったのである。 ゼラールは膿の垂れ落ちる彼の肩を抱き締め、そこに躊躇なく口付けを落とし、 ハービンジャーの大英断を容れて「斯様に天晴れな体躯を余は他に知らぬ。燃え尽きるまで使ってやらねばなるまい」と 主従の宣誓を交わした。 やがて四人は船室から甲板へと上がり、海賊団とゼラール軍団の総員へ主従の宣誓を報告した。 ペガンティン・ラウトと、何よりも一族の寄る辺たる大海を守る代償として焼け爛れた痩身を潮風に晒し、 「新しき時代を生きよ。これより先の舵取りはお前たちの手にかかっている」と掠れた声で説くハービンジャーに、 海賊と言わずゼラール軍団と言わず、誰もが滂沱の涙を流した。 カンピランも実父の――いや、一族の長の大英断を受け止め、ハービンジャーと肩を並べて屹立するゼラールへと頭を垂れた。 それから先の展開は極めて速やかであった。 他の海域で活動する者たちへの対応もある為、カンピランの身柄のみ預かってシアター・オブ・カトゥロワを解放したゼラール軍団は、 随一の武勲へ嫉みの目を向けてくる古株の将兵を尻目に馬軍の本拠地へと凱旋した。 海賊討伐に成功した証として、バルトロメーウスを始めとする最高幹部のもとへカンピランを案内しなければならなかったのだ。 海の民としてカンピランは初めて土を踏むことになったのだが、豪気を絵に描いたような彼女でさえ、 やはり岸辺に飛び降りることは長らく躊躇ってしまった。 自身の感覚神経が著しく乱れると言う恐怖さえ彼女の裡には芽生えていたのである。 逡巡するばかりで先へ進めずにいるカンピランへ業を煮やしたトルーポは、 海賊船で受けた数々の攻撃への仕返しとばかりに彼女を肩車し、そのままの状態で上陸を果たした。 当然、船の周りは凱旋を出迎えた馬軍の同胞でごった返している。 そのような場所で子どものように肩車をされるとは、陸へ降り立つことより何倍も屈辱である。 彼の後頭部に双丘を押し付けて気絶させたカンピランは、ついに陸上へと着地を果たした。 最初は一切の波動を感じぬ大地に戸惑っていたものの、数分もしない内にその感覚にも慣れ始め、 刀身を布で覆い隠したタイガーフィッシュを双肩に担ぎ上げると、 「ビビるほどのもんでもないね。大時化のほうがよっぽどおっかないよ」などとピナフォアに軽口を飛ばした。 あるいは、彼女が陸に足をつけた瞬間こそがペガンティン・ラウトにとって本当の意味での時代の節目であったのかも知れないが、 カンピラン当人は自身が大業を成したとは考えていないようだ。早くもピナフォアを引き連れ回し、 初めて間近に見る陸上の草花を堪能していった。苦笑しつつピナフォアも彼女に付き合っており、 遠目にはふたりの姿は物見遊山にしか見えない。 ハンガイ・オルスにて“御屋形様”ことバルトロメーウスに謁見したゼラールは、 ペガンティン・ラウトを降伏せしめたこと、頭目のハービンジャーは自身が配下に置く海賊船へ方針転換を通達に当たっていること、 彼の代理として副頭目のカンピランを連行したことを報告し、 その余勢を駆って海軍――古式ゆかしい言い方では水軍――の指揮を自分に一任してくれるように要請した。 「此度の戦について褒美も何も要りませぬ。代わりに海軍を委ねて頂きたく、御屋形様にはお願い申し上げる次第。 ペガンティン・ラウトと戦い、その技その術を全て見極め申した。我ら以外に海軍を取り仕切れる者はおりますまい」 ゼラールの素行を快く思わない者たちはこの要請に「身分を弁えろ!」、「出過ぎた真似をしおって!」などと目くじらを立てて怒ったが、 意思決定権を有するバルトロメーウスは、彼の提案を別段不届きとは思っていなかった。 世界最高の士官学校とされるアカデミーにて海軍の用兵を習得しているとも主張するゼラールに対し、 文句ばかりを吐き捨てる馬軍の将士は船の漕ぎ方さえ知らない素人ばかりである。 どちらがより巧く海の民の力を生かし得るかは、火を見るより明らかであった。 「――励め」 バルトロメーウスの鶴の一声によってゼラールはペガンティン・ラウトの指揮権を掌握し、 名実ともにテムグ・テングリ群狼領の将たる立場を獲得したのである。 苛烈な性格ではあるものの、バルトロメーウスは理に適ったことを必ず受け入れる―― そう踏んだ上でゼラールは大博打を仕掛け、完全勝利を収めた次第である。 敵対勢力に対する私掠行為の認可は、これによって得た強奪品の中から一定の財を上納することで落着させ、 ペガンティン・ラウトの身柄の保障までゼラールは取り付けてしまった。 これにて密貿易も好き放題と言うわけだ。一足先に海賊船を降り、己の“拠点”へ戻ったマイクは、 翌日からでも彼らとの交易を再開出来るよう急ピッチで手配を進めている。 緻密な計算と、大胆な実行力――有言実行を果たして約束を守ってくれたゼラールに安堵したのか、 ペガンティン・ラウトの行く末を見届けたハービンジャーは、海賊船が私掠船へと再編制される寸前に息を引き取った。 黄金の輪を模した耳飾りが頭目の座と共にカンピランへ譲渡された直後のことであった。 臨終を前にして、ハービンジャーはゼラールにカンピランを嫁に迎えるよう希った。 言わずもがな政略結婚である。既にペガンティン・ラウトの誰もが閣下に忠誠を誓っているものの、 やはり、己の死が一族にもたらす波紋が気掛かりなのであろう。 ゼラールとカンピランが結ばれたなら、一族の絆は磐石となる。 その様を最期に見ておきたいとハービンジャーは願ったのだが、こればかりはゼラールも承服するわけにはいかなかった。 「お前の意には沿わぬかも知れぬがの。実は前々からカンピランにと縁談をひとつ考えておったのじゃ。 ……トルーポを婿にしてはどうじゃ? こやつは余にとって兄弟同然の者ゆえ不足はあるまい」 自分が受けられない代わりに、ゼラールはカンピランの伴侶としてトルーポを推薦した。 隣でゼラールとハービンジャーのやり取りを見守っていたふたりは、夢想だにしていなかった成り行きに飛び上がって驚いた。 比喩でなく、本当に飛び上がって驚いてしまったのだ。 ゼラールが言うには、股肱の臣同士で契りを交わしたほうが軍団員の結束はより固まるそうだ。 それに、だ。様々な勢力が結集するゼラール軍団に於いて何れかひとつにゼラールの身が寄り過ぎると、 全体のバランスを崩すきっかけにもなり兼ねなかった。「ゼラールの花嫁」なる言葉が出た瞬間、 ラドクリフとピナフォアが同時に殺気立ったことを見ても分かる通り、その危険性は明確に潜在している。 理詰めで説かれはしたものの、トルーポもカンピランも承知出来よう筈もなかった。 シアター・オブ・カトゥロワでの戦いを経て和解し、共に閣下を盛り立てる仲間として認め合いはしたものの、 そこから恋仲へ発展したと言う事実は全く存在しないのである。 それどころか、未だにトルーポはカンピランに苦手意識を抱き続けていた。 これは彼女のほうから面白がってからかっている所為でもある。 女性慣れしていない青年にとってトラウマになり兼ねない悪戯ばかりを繰り返されては、怯えたくなるのも無理からぬ話であろう。 「ちょっと待ってくださいよ。オレにも選ぶ権利ってのはあるんじゃないですかい? 何が悲しくて、コイツを嫁に貰わなきゃならんのです。ハッキリ言いましょう。コイツだけはない。絶対にない」 「そいつはアタシの台詞だね! この木偶の坊と一緒になるなんざ、考えただけでも全身蕁麻疹が出ちまう! 百歩譲ってまだラド坊を婿にしたほうがマシってもんさ」 「へぇ、名案ってのはあるもんだな。そのセンで話を進めりゃいいぜ。オレは晴れて自由の身。せいせいするぜ!」 「……さっきから聞いてりゃ、ペラペラと好き勝手にブッこいてくれるね、アンタ。なんだい、なんだい? アタシじゃ役者不足だってのかい? 人の身体で発情してるクセにスカしてんじゃないよ、このむっつりスケベがッ!」 「誰がてめぇに発情してるんだ、誰が!? だ、大体なぁッ! お前! ……す、素っ裸で人の前を歩くんじゃねぇよッ!? 風呂から上がったら着替えるッ! 人間界の常識だぜッ!? そうやって他人に裸を見せびらかすヤツがだなぁ……!」 「他の誰にも見せたりするもんか。アンタにしか見せちゃいないよ」 「お、おい、またそう言うことを……。なんだ、結局、お前はオレに――」 「いや、あんたの間抜けヅラが面白いだけさね」 「――こう言うことを抜かす女なんですよ、こいつはッ!? ハービンジャーさんよ、あんたからも言ってくれッ!」 口を揃えて不服を申し立てるトルーポとカンピランだったが、当人同士の意思を蚊帳の外に置き、 ゼラールとハービンジャーの間で件の縁談はどんどんと進められていく。 危うく閣下を横取りされるところだったピナフォアは、心底安心したような面で「お似合いだと思ってたのよ」などと勝手なエールを送り始めた。 このときばかりはラドクリフも彼女に同調し、首を縦に振り続けた。 ピナフォアとラドクリフの無責任な発言にもトルーポは激怒したが、ハービンジャーは“娘婿”の意向など完全に黙殺している。 ゼラールの提案にこそ理があると悟り、また、彼の瞳の奥に一瞬だけ顕れた悲壮(かなしみ)を知ってしまった以上、 ペガンティン・ラウトにとって最善の婚礼は取り下げるしかない。 結局、最後までトルーポとカンピランの抗弁は聞き入れられず、気付いたときには結婚式当日を迎えていた。 いつの間にか採寸の終わっていたタキシードに身を包むトルーポと、純白のウェディング・ドレスを纏ったカンピランは、 馬子にも衣装としか言いようのない互いの風貌を笑うことも忘れ、「いくらなんでも鬼畜の所業じゃないか」と肩を落とした。 結婚式の支度を依頼されたマイクは、げっそりした面持ちで頭を抱える新郎新婦に首を傾げたものである。 愛娘の晴れ姿――本人の意思は考慮されていない――へ安らいだように微笑んだハービンジャーの葬儀は、 怒涛の勢いで強行された政略結婚と同じ週に執り行われた。 己の役目を全く終えたことを悟ったのであろう。海に生き、海の為に己を犠牲にした偉大な男の亡骸は、 ペガンティン・ラウトの伝統に倣い、海の底へと葬られた。 それが、ペガンティン・ラウトにとって「海に還る」と言うことであった。 「……どこでくたばるか知れねぇ身ではあるけどよ、墓より海(こっち)を選ぶのも、悪くねぇな……」 ハービンジャーの水葬を喪主として取り仕切ったトルーポは、式の全てが終わった後、 偉大な男が沈められた海をじっと眺めながらそのようなことを呟いていた。 喪服に身を包むトルーポの呟きを聞き漏らさなかったカンピランは、そのとき、初めて彼が自分の夫になった事実を受け入れたと言う。 それはつまり、ペガンティン・ラウトが陸の上の民を完全に受容したことをも意味していた。 ――以上が、ラドクリフの初陣にしてゼラール軍団最大の武勲たる海賊討伐のあらましである。 自身の経験や他者からの伝聞を一まとめにしながら全巻の終わりまで語り尽くしたラドクリフは、 咳払いを交えつつ、「閣下の軍団は、ぼくの一番の誇りなんだ」とシェインに胸を張って見せた。 「ワイルド・ワイアットってすっげぇな! 冒険に貿易に結婚式の準備まで、何でも出来るんだなぁ!」 「そこかいっ!」 細部に至るまでペガンティン・ラウトの歩みを知り、ピーチ・コングロマリットの所業やハービンジャーの自己犠牲へ心を震わせたと言うのに、 シェインが最も強く反応を示したのは、やはり、ワイルド・ワイアットことマイク・ワイアットであった。 マイクに憧れて冒険者を志すようになったシェインだけに仕方のないことではあるものの、 さりとて長々と語ってきたラドクリフには些か拍子抜けの感さえある。 ゼラール軍団の一員としては、閣下の威光や同胞たちの結束が注目されると期待していたのである。 尤も、ワイルド・ワイアットがシェインの憧れであったことはラドクリフも先ほど知ったばかりだった。 ペガンティン・ラウトとの調停を依頼するくだりへと話が及んだ途端にシェインのテンションが青天井となり、 親友の豹変ぶりに目を瞬かせたものだ。 シェインの興奮は馬具の後片付けを済ませ、厩舎を出てからも鎮まる気配を見せない。 それどころか、誰に請われたわけでもないのにワイルド・ワイアットが残した数々の伝説や逸話の類まで語り始めた。 「伝説って呼ばれる人はさ、大体、没後何年に世の中が騒ぎ出すじゃん? そこからして違うんだよね、マイク・ワイアットは。 生きたままボクらに夢を見せてくれるんだ。妖精ティンクに、『ビッグハウス』の仲間たち! みんなみんな、すげぇんだよ!」 夢中になって熱弁するシェインを微笑ましく見つめていたラドクリフは、 以前、マイクと会ったときにサインのひとつでも貰っておけば良かったと内心で残念に思っていた。 ワイルド・ワイアットゆかりの品は、彼をどんなに喜ばせたことだろう。 そもそも、マイクと面談したのはシェインと出会う前である為、贈り物の準備が出来なかったのも無理からぬ話ではある。 いや、それ以前にゼラール軍団やマコシカの民以外に友人が出来るとは、当時のラドクリフは想像すらしていなかった。 人と人との縁とは、何と不思議なものだろうと、ラドクリフは改めて思い返していた。 両帝会戦が繰り広げられるグドゥーへと向かう船上にてたまたま出会ったこの少年とは、 実はそれ程長い時間を共有したわけではない。それなのに、今では互いの全てを曝け出せるようになっている。 ラドクリフにとって、シェインとは人生で初めて親友と呼べる相手であった。 それはシェインも同様である。剣士としての修行を始めて以来、フツノミタマの影響もあって負けん気が鋭さを増しつつあるのだが、 この掛け替えのない親友に対しては、触発されることはあっても変に張り合おうとはしない。 ギルガメシュと激闘した折に見せた戦闘能力、巧みな乗馬の技術は共に卓越しており、 追想の中の海賊討伐でさえ特使の大役を果たし、甲板の戦いでも大立ち回りを演じていた。 とても初陣とは思えない八面六臂の大活躍である。 自分とは比べ物にならないような高みに在る親友のことがシェインは誇らしかった。 気恥ずかしさもあって口に出して言うことはないものの、今の自分ではとても勝てないと認め、尊敬の念すら抱いているのだ。 ラドクリフに少しでも近付きたい。彼と肩を並べられるくらいに強くなりたい―― 妬みも嫉みも伴わず、切磋琢磨し合える同世代の友をシェインは心底より大切にしている。 ラドクリフもラドクリフで、大いに夢を語るシェインを太陽のように眩しく思っている。 己の夢と志を明確に持ち、そこに思いを馳せて燃え上がることは、ラドクリフはこれまでに一度もなかった。 無論、ゼラールの覇道を支えることは彼にとって宿願であり、大望である。 だが、それは果たすべき使命であって己の裡より込み上げてくる渇望とは些か異なっているように思える。 少なくとも、ラドクリフ自身はそのように感じていた。 マコシカの集落にいた頃は、思春期と言う繊細な時節もあって己の進むべき道を見出せずに悶々とし、 ゼラールと言う稀代のカリスマに忠誠を誓った後は、心酔する“閣下”に見も心も捧げようと懸命に働いてきたのである。 シェインのように“自分だけの夢”と言うものを、これまでの人生で一度も持ち得なかった。 どちらが誤りと言うことはない。シェインもラドクリフも、共に正しく己の道を歩んでいるのだ。 ――ただ、叶わない夢かも知れないけれど、ゼラールがエンディニオンの覇者となる姿を見届けた後は、 軍団を離れてシェインと一緒に旅をしてみたいと、ラドクリフは密かに考え始めていた。 シェインもギルガメシュと決着をつけた後は冒険者として独り立ちするつもりのようだ。 誰にも内緒だと釘を刺されたのだが、どうやら彼はワイルド・ワイアットの足跡を辿る旅に出たいと計画しているらしい。 「いつかボクはマイク・ワイアットにも負けない冒険者になってみせるぜ。いや、夢は大きく! 冒険王を超えてやる!」と 親友へ打ち明けたシェインの瞳は、果てしなく澄み切っていた。 彼の目指す冒険の路には、マコシカの民のプロキシは大きな助けになることだろう。 親友の背中を守って戦う己の姿を思い描いたラドクリフは、それもまた悪くないと微笑んだ。 厩舎を出たふたりは、馬軍の居住施設や闘技場が所在する区画への回廊を、肩を並べて歩いている。 回廊内の幅員は狭く、シェインの熱弁は壁や天井に跳ね返されて反響を生んでいるのだが、 ラドクリフの耳には、それさえも心地良かった。 回廊を進むふたり分の足音は、数分と経たない内にそれぞれの分かれ道へと差し掛かり、少しずつ遠ざかっていく。 シェインはアルフレッドが三つ巴の決闘を繰り広げる闘技場へと向かい、ラドクリフはゼラールたちと合流することにしている。 今は互いの仲間のもとへと戻るふたりの足並みが、いつか同じ道を目指して揃うなら、 それはどんなに素晴らしいだろう――淡い期待に胸躍らせながらシェインの足へと目を落としていたラドクリフは、 何の前触れもなく彼がいきなり立ち止まった為、前のめりに転びかけてしまった。 何事かと思ってシェインの視線が向かう先を探ってみると、馬軍の将兵にも連合軍にも所属していない筈の一団が、 四方の回廊が交わる十字路を横断しているではないか。 「あれって――スカッド・フリーダム……か?」 白虎の毛皮を彷彿とさせる上着や、だんだら模様の腰巻きを身につける一団には、シェインは確かに見覚えがあった。 サミット襲撃を予告してきたジューダス・ローブに立ち向かう為、共にルナゲイト警備に当たったスカッド・フリーダムである。 かの一団の根拠地は、武術が盛んなタイガーバズーカと言う都市であり、ここはローガンとハーヴェストの故郷でもあった。 当然、ルナゲイトに来訪した隊士たちは、いずれもローガンたちの昔馴染み。 義の戦士たちを率いる隊長に至っては、同郷のふたりとは特別親しい間柄だったのだ。 シュガーレイと名乗った隊長のことを一番の親友と紹介するローガンの笑顔がシェインの脳裏に蘇っていた。 そして、十字路を横断していった一隊の先頭は、見間違えでなければシュガーレイの筈だ。 ギルガメシュの襲来に巻き込まれ、他の隊士と共に生死不明になったと聞いていたのだが、辛くも窮地を脱していたらしい―― かつて共に戦った同志の生存はシェインにとって大きな喜びであるのだが、 薄暗い靄のような違和感が先行してしまい、どうにも諸手を挙げることが出来なかった。 上着と腰巻きは確かにスカッド・フリーダム揃いの隊服だ。 しかし、シェインの目の前を横切っていった一隊は、それ以外の装備が全くと言って良いほど異なっている。 最も目を引くのは、手首の部分をバンテージでしっかりと固定されたオープンフィンガーグローブであろうか。 手の甲には鋼鉄の装甲板が貼り付けられ、また、五指の付け根からは関節の動きを阻害しない絶妙の配置で突起が飛び出していた。 光沢からして五本の突起も金属製のようだ。 正規の様式に則るのであれば、グローブではなく手甲を用いるべきである。常道から外れた装備は他にも目に付いた。 頭部には鉢鉄(はちがね)ではなく上着と同色のバンダナを巻いており、そこに一本ないし数本ばかり鴉の羽根を差し込んでいる。 驚くべきことに、彼らはだんだら模様の腰巻と同等のトレードマークである筈の胸甲すら身に着けていなかった。 義の一文字が刻まれた胸甲を、だ。それはスカッド・フリーダムの存在意義を自ら否定するようなものである。 胸甲の代わりにだんだら模様を染め付けたシャツを着用しているが、そこに義の一文字は確認できなかった。 義の戦士たちにとっては布を巻くだけで十分だった両の足は、頑丈そうなブーツの中に納まっている。 しかも、だ。ブーツの表面はオープンフィンガーグローブと同じように装甲板と突起で堅牢に固められており、 これで蹴りを撃とうものなら、一発で標的の骨身を粉砕してしまうだろう。 常人を遥かに超えた肉体を持つスカッド・フリーダムの蹴りともなれば、その破壊力は想像を絶する。 ルナゲイトで共に戦った際のシュガーレイは、今しがた目撃した物ではなくスカッド・フリーダム正規の装いだった筈だ。 死線を潜り抜けた末、ギルガメシュへ対抗する為の新たな装備を考案したと考えられなくもないが、 しかし、シュガーレイに従う一隊の中には、上着はおろか腰巻まで外してしまった者まで見受けられる為、 この想像は正解ではなさそうだ。 スカッド・フリーダムでは珍しい少女隊士だ。棗紅の長い髪を弾ませて歩くその隊士は、 桃色のカーディガンに紺のプリーツスカートと言うハイスクールのような出で立ちである。 カーディガンから覗く小振りの赤いリボンは、愛らしい顔立ちによく似合っていた。 フィーナと同い年であろうか。その年の頃の少女には似合いの服装であるが、 他の隊士の中へ混ざった途端、周囲には決して溶け込まない異質な存在感を醸し出す。 さりとて、彼女も立派なスカッド・フリーダムの一員である。ましてシュガーレイに同行を認められているからには、 外見の印象とはかけ離れた戦闘力の持ち主に違いない。 スカートからすらりと伸びた両足も紺色のニーソックスにローファーと言う軽やかな装いだが、 そこには具足の如きブーツに頼らずとも強烈な蹴りを繰り出せる自信が滲み出ているようだった。 ハンガイ・オルスと言う城砦そのものが珍しいのか、翡翠色の瞳を彼方此方へ飛ばし続ける少女隊士の姿は、 他の者と並ぶことによって一層不揃いな印象を強めている。 満面へタトゥーを施した巨躯の女性に、何らかの儀式なのか、眉毛が一本たりとも見られない能面の青年、 すれ違う将兵たちを値踏みでもするように観察しては、時折、ケラケラと笑い声を上げる三白眼の少年など、 ひとりひとりが漏れなく曲者然としていた。彼らが一団となって固まれば、 異様としか例えようのない空気で回廊中が満たされてしまうのである。 口を開け広げて笑った際、ほんの一瞬、捉えただけで判然とはしないのだが、 どうやら三白眼の少年は、樹脂製のマウスピースを上顎の歯列に嵌め込んでいるようだ。 マウスピースとは、読んで字の如く歯列に覆い被せて歯と歯茎をダメージから守る為の器具である。 戦いに於いては、攻守に亘って「歯を噛み締める」と言う動作が要となる状況が多いのだが、 渾身の力を込めようものなら、当たり前ながら歯や歯茎を損傷する危険も高くなる。 つまり、口内に掛かる負荷を緩衝する為の防具とも言えるのだ。 無論、相手から打撃を受けた際に自身の歯で舌を噛み切ってしまうような不慮の事故の回避にも役立っている。 三白眼の少年が上顎に嵌めているのは、全面黒色の物である。 下顎の歯列が真っ白であるのに対し、マウスピースで覆われた上顎の歯列だけが真っ黒と言う独特のコントラストは、 例えようのない怖気でもってシェインの心を揺さぶった。 シュガーレイに引率されて去っていった四名の隊士には、シェインは全く見覚えがなかった。 ルナゲイトで共に戦った隊士たちも全員の顔まではさすがに憶えていない。些か頼りのない曖昧な追想ではあるものの、 今しがた見かけた一団のように殺伐の気配を醸していなかったことだけは、確信を以って断言出来る。 義の戦士たちは、その理念を体現するかのように誰もが清々しかった筈である。 十字路を横断する一瞬しか捉えることが出来なかったが、シュガーレイでさえ今は殺伐の気を迸らせている。 トレードマークであるゴーグルの下の双眸は、シェインの見間違えでなければ、泥濘の如く濁り切っていた。 「知り合いなの? ……なんだか怖そうな人たちだったけど……」 「いや、……わかんね」 どうやらスカッド・フリーダムとは縁のなかったらしいラドクリフは、異様な殺気を漲らせるだんだら模様の一団に小首を傾げたが、 シェインもシェインで歯切れの悪い返答しか出来なかった。 スカッド・フリーダムのことは見知っている。戦闘隊長なる役職を担っていたシュガーレイのことも記憶はしていた。 だが、シェインの記憶の中にある姿とは大きく異なっており、それ故に旧知とは答えられなかった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |