7.史上最大の作戦


 やや遅れて軍議の間に到着したアルフレッドは、盛大な歓声でもって対ギルガメシュ連合軍の諸将に迎えられた。
ときには背中なり肩なりをバシバシと叩かれ、「お前がいなくては始まらない」と耳元で喚かれもしたのだ。
最初は決闘の余韻が残っていると思ったのだが、どうにも違和感を覚えてならない。
 軍議の間は広い室内へ諸将が列席できる長テーブルが設えられただけの、実に簡素で機能的な構造になっており、
首座にはエルンストの物と思しき軽く調度の凝らされた椅子が配置されている。
 違和感の発端は、その長テーブルにあった。
 エルンストの首座に向かい合う恰好で椅子が一つ置かれているのだが、アルフレッドたちが到着するなり、
その後ろに数脚が新たに運び込まれたのだ。
 数にして五脚。フェイの献策を補助するアルフレッドたちが座るにしては一脚だけ多い。
献策を行なうフェイの為に用意されたであろう首座と向かい合う椅子にアルフレッドが座れば、
一脚足りなくても得心がつくのだが、そんなことはまず有り得ない話だ。
 今のところ、指定はされていないものの、自分たちには末席が割り当てられるとアルフレッドは考えている。
新たに加えられた椅子は、もしかしたらフェイが募った義勇兵に宛がわれた物なのかも知れない。
ソニエとケロイド・ジュース以外にも側近なり腹心を引き連れてきたとも考えられるのである。

「良かったじゃない。あんたにもそれなりに発言の機会が用意されてるみたいよ。それとも実はアルがメインなんじゃないかしら?」
「それはないだろう。あくまでも俺は兄さんのサポーターなんだ。前に出るつもりはない」
「欲がないわねぇ。隙あらば出番を喰っちゃうくらいギラギラしてなさいよ。それが若さってもんよ?」
「そりゃレイチェルに比べれば俺はまだ若――いえ、なんでもありません。本当に何も言おうとしてませんでした」
「あらあら、なに震えてんのよ。素直になってもいいのよ。それも若さの特権なんだからさぁ〜?」
「笑っておらぬ! 些かも笑っておらぬその目が恐ろしゅうて敵い申さぬ!」

 レイチェルの言葉を即座に否定するアルフレッドではあったが、軍議の間に追加の椅子を運んできた群狼領の兵士は、
佐志の代表たる彼らの人数をわざわざ指差し確認で数えており、それが為にフェイの仲間に宛がわれたものと言う仮定は
全く信憑性を持ち得なかった。
 しかも、だ。軍議の間にやって来たファラ王には「キミは朕を興奮で殺すつもりかな? 
これ以上、血液が沸騰すると嫁に怒られるんだがねぇ」と冷かされ、
アルカークには「小細工に頼る時点で器が知れると言うものよ。なぁ、小物輩」と痛烈に嘲笑されてしまった。

 これは、いよいよおかしい。これではまるでアルフレッドがフェイに成り代わってエルンストに献策する流れではないか。
それに勝者と名指しされたフェイは、待てど暮らせど一向に姿を見せない。

(そうだ、……あのときの負傷だってすぐに全快したじゃないか)

 鉤爪になっている義手でアルカークに背中から腹までを刺し貫かれ、生死に関わるような重傷を負ってしまったフェイではあったが、
駆けつけたマリスにリインカネーションでその傷口を塞がれ、一命は取り留めていた。
 息を吹き返したフェイは、なおも治療を続けようとするマリスを「敵の施しは受けたくない」と強引に押しのけ、
そのまま自分たちに宛がわれた控室へと引っ込んでしまった。
 アルカークにやられた刺し傷と併せて、決闘で負った怪我もたちどころに快癒したフェイではあったが、
全身からは生気が抜け落ちており、足元をふらつかせながら歩き回る姿など幽鬼か亡者かの形(なり)であった。
 まるで、心身の軸を失ってしまったような足取りであった。いや、実際に彼は一番のよすがを失っていたのだ。
 持てる限りの全力を尽くす激闘の最中、フェイは長年の相棒にして、
亡き実父の形見でもあるツヴァイハンダーを永遠に喪失してしまった。
中ほどから折れ、あまつさえ亀裂が全体に及んだ刀身は、誰の目にも修復不可能であると分かった。
 マリスのリインカネーションを以ってしても、砕け散ったツヴァイハンダーまでは復元させられない。
 プライドをズタズタにされ、よすがをも失い、憔悴し切ったフェイの背中をなおも強く突き放したのは、
やはり、アルカークその人だった。

「貴様らとてフェイ・ブランドール・カスケイドの無様な姿は見たくなかろうが! 
英雄に似合いの華々しい散り様をもって、同朋の待つ黄泉路へ葬送(おく)ってやろうとしたまでだ! 
それがどうだ、このしぶとさ! 役立たず、憎まれる者程しぶといとは良く言ったものよ! 
……それともあの世にいる連中からもつまみ出されたか? 迷惑だから近寄るなとなぁッ! 
どちらにせよ生きる価値も死ぬ価値もこの英雄殿には無いと言うわけだッ!」

 決闘に乱入し、フェイの背中を鉤爪でもって貫いたアルカークは、
その行為を非難する周りの声や、仲間をやられて怒り狂うソニエとケロイド・ジュースに対して悪びれもせずそう言い放った。
 アルカークの罵倒が闘技場を揺るがしたのは、フェイがマリスを突き飛ばした直後のことである。
間違いなくフェイの耳にも罵倒の全ては届いていた筈だ。
 しかし、フェイ当人はアルカークよりぶつけられた痛罵に反論することはなく、一瞥くれただけで闘技場を去っていった。
その双眸からは若者らしい溌剌とした輝きは失せ、ただただ昏い絶望感で濁っていた。

(あんなデタラメなことをしでかしておいてのうのうと諸将の前に現れるとは、どこまで図太い男なんだ)

 神聖な決闘を穢したアルカークに向けられる諸将の眼光は義憤に満ち満ちており、友好的なものは殆んど見られない。
 唯一の例外と言えば、隣席になったファラ王くらいのものだが、
能天気かつ享楽家の彼の場合、義憤を覚えるどころかアルカークの不意打ちをも
「極上のエンターテインメントになったではないか!」と拍手喝采したくらいだ。
当然、周囲からも顰蹙を買い、諸将の心証も悪くしている。
 恐ろしいまでに能天気なファラ王の額へ巻きつくアポピスは、彼の態度がグドゥーの総意ではないと諸将に示すべく
悪辣極まりないアルカークを厳しい眼差しで睨めつけたが、盟主のほうから蔑視の対象へ友好的に接している以上、
大した効果は得られそうになかった。

「それにしても傑作とはこのこと。いやはや、フェイ君に恨みなどこれっぽっちも無いのだがね、
このテのバトル展開にあのテのアンチヒーローは不可欠。添え物あっての主役と言うヤツだ。
しかも、アルカーク君のお陰で更に更にドラマとして盛り上がった。添え物もまさか自分に
あんな見せ場があるとは思ってなかっただろうから、今頃はきっと喜びに震えておるんじゃなかろうか?」
「……それは仕留め損ねたオレへの皮肉にも聞こえるんだが、気のせいかな」
「ハハハ――アルカーク君もなかなか面白い発想をする。それはな、朕の目を見ればわかることよ。
この目、このいたいけな瞳、皮肉を言うような捻くれ者に見えるか?」
「フン――成る程、邪気のない澄んだ目をしているわい。ここまで澄んだ目が出来る人間は、貴様か赤ん坊くらいのものであろうな」
「そうよ、それ! 幾つになってもピュアでいられることは朕の自慢なのよ!」
「実にピュアだな。捻くれ者から皮肉を続ける気力を奪い、萎えさすなんぞ並大抵の凡人には出来ぬ」
「そんなに誉められては照れてしまうぞ、アルカーク君。そうおべっかを使われてもな、朕には金くらいしか出せんぞ〜」
「……もういい。もういいから黙ってくれ、主よ……」

 アルカークの肩へ肘を乗せてケラケラと笑う盟主に我慢の限界に達したアポピスは、その脳天に鋭い牙を突き立てた。
 相当深く突き刺さったらしく、身も世も無い悲鳴を上げて周りに助けを求めるファラ王だったが、
助けに動く者は誰ひとりとしておらず、アルカークに至ってはゴミでも避けるように身を捩り、
隣席の血だるま――比喩でなく本当に血だるまになっているのだ――から逃れている。

「グドゥーの人たちが本気で心配になってきたわよ。あんなのがトップなんでしょ? 
あたしだったら首を吊りたくなるわね。自分のトラウムにまで呆れられるなんて前代未聞よ」
「知っての通り、グドゥーは幾つもの勢力が群雄割拠していた土地じゃ。あやつに統一されたとは言え、まだ日も浅いからのぅ。
各々の勢力は今も自主独立の精神を保っておる。転覆の機会を狙う連中にとっては、トップが阿呆でいてくれるほうが助かるのじゃよ」
「その気になればいつでも首を挿げ替えられるからって? そんな風に思われちゃおしまいよ。
誰にも信頼されないトップなんて、枯れて腐った宿木と同じね。侘びた風情も感じないのだから、同じにしたら宿木に失礼かしら」
「下におる連中が有能なのじゃよ。そやつらが四大勢力の残り火をもうまいこと使いこなしておるのじゃ。
生かさず殺さず、甘い汁も適度に吸わせての。ファラ何某は担がれるだけの存在じゃ。
ある意味、身を以って己の立場を表しておるわな」

 アホの極みと化してのた打ち回るファラ王に侮辱の眼差しを向けていたジョゼフは、
周りの者や流血の後始末をする群狼領の兵に深々と土下座するアポピスと、更には彼らの背後に控えるひとりの男を順繰りに指差した。
 影のようにファラ王に付き従うその男は、医師や科学者が用いるような白衣を身に纏っている。
丸い黒眼鏡を軸に定めて、その上下を窺うと、頭部は豊かな縮毛、口元は白いガーゼマスクで覆い隠されており、
本人にとっては実に不名誉な見立てであろうが、殆ど不審者に近い佇まいであった。
黒いレンズを隔てた先の双眸は、そこに人間らしい光が宿っているのかさえ定かではない。
 両帝会戦の折、グドゥー軍の一員として戦場へ躍り出た白衣の男は、ファラ王から「プロフェッサー」と呼ばれていた。
グドゥーの精兵たる黄金衛士には加わらず、独自に作戦行動を展開する遊撃部隊の指揮官であったが、
その手並みをジョゼフはファラ王と隣接する陣所にて望遠したのである。

 詳細については調べを進めている最中と前置きした後、ジョゼフは自身の目で観察した内容をレイチェルに語り始めた。
 プロフェッサーには三人の“助手”が従い、総計四人で遊撃部隊を結成していたようだ。
ビルバンガーTなどと同じ人型ロボットを彷彿とさせる甲冑を纏った巨漢は、
二メートルを超える体躯より豪腕を繰り出してはギルガメシュ兵を塵芥の如く薙ぎ払っていった。
 タイツのようにも見える不可思議なスーツで頭のてっぺんから爪先まで覆った人物は、
両手から物体を腐食させる怪光線を迸らせ、敵影を脅かしたものである。
有機無機問わず、彼の手にかかれば遍く物体は腐り、崩れ、風に吹かれて散ってしまうのだ。
 最後のひとりは、鐘の如き機械で右手を覆い、その空洞から巨大ロケットを発射する少年である。
彼の右手に設置されているのは、どうやらロケットの精製と射出を同時に実行する機械であるらしい。
そこから射出されたロケットをサーフボードの要領で乗りこなし、敵の目を霍乱しつつ砲撃を見舞うなど本人の技量も桁外れであった。
 一騎当千どころか、一名のみでも戦局を動かし得る戦闘能力の持ち主を熱砂へと差し向けるプロフェッサーだったが、
当人も後方での指揮は性に合わないらしく、医療メスを巨大化したような刃物を携えて激戦地に飛び込んでいった。
 神速の領域にまで達する太刀裁きは、標的と定めた相手を瞬時に解剖――
ファラ王の秘蔵っ子について聞かされたレイチェルは、背筋が凍るような思いを堪えてプロフェッサーの様子を窺った。
大恩ある筈のファラ王が血みどろになっても、白衣の男は全くの無反応。他人の振りをしているようにしか見えなかった。
 大きな黒眼鏡とマスクによって表情(かお)の動きを遮蔽している所為か、確かに底知れない不気味さは全身に帯びている。
ただ、凄味や殺気と言うものが皆無であり、今のところ、レイチェルの目には身なりの怪しい小柄な中年男性にしか見えないのだ。
「不審人物への注意を喚起するポスターに描かれた見本のような風貌」と言うのが、レイチェルの感じた偽らざる印象である。
ジョゼフが表情を強張らせながら語ったような戦闘力を備えているとは、どうしても思えなかった。

「グドゥーの抱えた黄金衛士とやらは、四大勢力より選りすぐった精鋭部隊であるそうな。つまり、群雄割拠しておった連中じゃ。
そして、ファラ王に味方してグドゥーを支配下に置いたのが、あの四人とワシは聞いておるのよ」
「……グドゥーの出身なのかしら。それとも、流れのアウトロー? どっちにしろ、トップみたく出たがりってワケじゃなさそうね」
「うむ。ワシとてあのような者たちは名前すら聞いたことがなかったわい。新聞王などと持ち上げられてきたが、いやはやカタなしじゃ」

 根深い争乱にあったグドゥーを瞬く間に平らげた謎多き四人組は、新聞王とマコシカの酋長の知恵を合わせても正体が掴めない。
ジョゼフとレイチェルは、互いの顔を見合わせつつお手上げとばかりに肩を竦めた。
 なおもファラ王の秘蔵っ子について推論を続けようとするジョゼフだったが、
見るに見兼ねたセフィから「ジョゼフ様、大人気ないですよ」と注意され、あまつさえエルンストが軍議の間に入ったことで
会話そのものが強制的に打ち切られた。

 エルンストと歩調を合わせるかのように入室してきたイーライは、
困惑の表情を浮かべながら棒立ちになっているアルフレッドを見つけると、
レオナが止めるのも聞かず、およそ一時間前に献策の権利を争った相手の尻へ鋭角に蹴りを喰わせた。

「ボサッとしてねーでとっとと指定席に座れよ。うざってぇんだよ!」
「お前……」

 アルフレッドに反撃の機会を与えず、パートナーに代わって平謝りしようとするレオナの腕を力ずくで引っ張ったイーライは、
軍議の末席へと一直線に向かい、やがてそこに腰を下ろした。 アルフレッドが自分たちに宛がわれたと誤解した席だ。
 どっかりと腰を下ろし、次いで懐中時計を開いたイーライは、珍しくヘッドギアやガントレットと言った装備品を外し、
ゆったりとしたシャツに袖を通している。
 尾てい骨にまで到達した鈍痛に耐えつつ、アルフレッドは彼の様子をじっと窺っていた。

(……後遺症はないようだな)

 いつも通り不機嫌そうに口元をひん曲げているが、とりたてて変わった風ではなく、密かに安堵の溜息を漏らした。
 なにしろ鋼鉄と化していた身体にヒビを入れてしまったのだ。生身に戻った後にどんな状態になっているのか、
アルフレッドには気が気ではなかった。
 後で聴いた話だが、『ディプロミスタス』で鋼鉄と化している状態で受けた破損は、そのまま生身の切り傷や擦り傷に変換されるとのこと。
フェイから受けた刀創も適正な治療を要する負傷となっていた。
アルフレッドがトドメの一撃として繰り出したペレグリン・エンブレムは、
内部深くにまでイーライの肉体に亀裂を走らせたのだが、これは胸の筋肉の断裂に変換されている。
 前を肌蹴たシャツから覗ける胸板には幾重にも包帯が巻かれており、イーライの被ったダメージの大きさを物語っていた。

 パートナーの肢体へとアルフレッドが舐めるような視線を送っていることに感付いたレオナは、
イーライの腕に自分のそれを絡めると、「いくら打ち負かしたからって、イーライはあげませんよ!?」などと
見当違いも甚だしい対抗意識を燃やした。
 ある意味に於いてフィーナの大喜びしそうなシチュエーションではあるものの、
残念ながらと言うべきか、幸いと言うべきか、控え室で待機している彼女には、この状況を知る術はない。
 フィーナの無念はともかく――レオナの悲鳴によってイーライもまたアルフレッドの凝視に気付いた。
いつにも増して鋭い眼光で睨み返すイーライだったが、それに先立ってアルフレッドの真意は彼の心へ真っ直ぐ届いていたらしく、
暫しの逡巡の後、そっぽを向きつつ「……バカが余計な気ィ遣ってんじゃねぇよ。気色悪ィ」と搾り出した。
 ここに至って、ようやく自分の早とちりを悟ったレオナは、顔を真っ赤にして頭を下げた。
世界には色々な形も勘違いがあるだろうが、彼女が仕出かしたのは、その中でも際立って恥ずかしい類いと言えるだろう。
 あたふたと混乱するレオナの胸を揉みしだき、「言っとくが、オレはてめぇじゃねぇと満足できねぇド助平だぜ」と、
夫婦間でしか通じないような決め台詞を披露したイーライは、改めてアルフレッドを正面に捉えると、彼に向かって握り拳を突き出した。
次いで掌が空を仰ぐように拳を翻し、ピンと一本だけ中指を立てて見せる――何時もながらに過激な挑発であった。

「認めたかねぇが、ココはてめぇがシキるんだろーが。お手並み拝見と行くぜ、オイ」

 珍しくイーライからハッパを掛けられたものの、アルフレッドは答えに窮し、何も言えなくなってしまった。
予感は的中。どうやら本当に自分がエルンストへ献策すると全軍に紹介されたようだ。

(……兄さん……)

 フェイ当人は勿論のこと、ソニエやケロイド・ジュースの姿も見られないと言うことは、彼らは完全にこの軍議を欠席するようだ。
ふたりの仲間に参加を促されたフェイが、これを黙殺している可能性も高い。
 連合軍を離脱したと言うような報せは耳にしておらず、また諸将に動揺も見られないので、
今もまだハンガイ・オルスに留まってはいるのだろう。フェイは大勢の義勇軍を引き連れてこの最後の砦に入っている。
全軍の士気にも関わるような問題でもある為、本当に英雄とその朋輩がここを立ち退いたのなら、今頃は大騒動に発展している筈だ。
 ハンガイ・オルスに逗留しながらも軍議は欠席を決め込んでいる。英雄らしからぬ不調法の理由は、改めて詳らかにするまでもなかろう。
フェイの乱心に己の責任を感じるような状況の中、果たして献策を行っても良いものか、アルフレッドは迷いに迷った。
このまま流れに任せて策を披露しようものなら、兄貴分は更に気分を害し、互いの距離は一層遠ざかってしまう。
溝を深めるような真似はどうしても避けたかった。
 苦悶の表情で立ち尽くすアルフレッドを案じるレオナだったが、イーライはすかさずパートナーを制し、
気遣いの代わりに「何ビビッてんだよ。ホント、肝のちっせぇ野郎だぜ」と挑発を重ねていく。
これもまた彼なりのハッパなのかも知れない。

「肝とか器なんて話をする気はありませんが、イーライを打ち負かしたからには、もっとしっかりして貰わないと。
私たちもあなたには期待しているんですよ、アルフレッドくん」
「オイコラ! 俺を巻き込むんじゃねーよ! 誰がこいつに期待してるって? 誰が? 
俺はこのクソガキがトチるのを楽しみにしてるだけだぜ。笑いものにしてやっから覚悟しとけよ」
「……煩い、黙れ」

 イーライもレオナも、それぞれの形で自分の身を案じてくれている――メアズ・レイグの気持ちを汲んだアルフレッドは、
彼らに頭を垂れ、次いでエルンストの傍らに座すブンカンへと目を転じた。
その眼差しには、「話が違う」との非難の意が込められている。
 しかし、群狼領の軍師は白々しい態度で部下に何事かを指示すると、それきり腕組みして瞑想に入ってしまった。
 ブンカンの指示を受けた兵士は、すぐさま長テーブルの上に一枚の世界地図を広げ始めた。
それは、アルフレッドが星勢号の甲板にて睨めっこをしていたものだ。
フェイたちとの決闘へ赴く直前、謁見の間に置き去りとなっていたその地図をブンカンが密かに回収し、
再びこの場へ持ち出したのである。
 あまりにも手際が良過ぎるではないか。改めてブンカンに抗議の目を向けるが、
しかし、彼が個人的な思惑でこのように勝手な真似をするとは思えなかった。
そうなると、必然的にお膳立てを整えた張本人はエルンスト以外には考えられなくなってくる。
 アルフレッドたちが一触即発の事態に陥ったときは、鮮やかな手並みでフェイの暴走を押しとめたものの、
実のところ、最初から献策はただひとつしか聴くつもりがなかったと言うことだ。
アルフレッドの献策以外は眼中になかったのである。
 その仮定を立証するかのように、世界地図とブンカンを交互に見比べて渋い顔をするアルフレッドを
エルンストは期待に満ちた眼差しで見守っていた。

「急にお招きして誠に申し訳ない。こうしてお歴々にお越し頂きましたのは、
今後の戦略についてアルフレッド・S・ライアンより具申があるからです。これを基にギルガメシュ征討の指針を固めたい」

 エルンストに追従してやって来たデュガリは、アルフレッドたち佐志の代表が指定された席へ座るのを見届けた後、
諸将へ軍議の開始を宣言した。
 そして、その宣言の中には、献策の権利がアルフレッドへ定まったことも含まれている。

(ここまで来たんだ。もう後には退けないだろ。……腹を括れよ、アルフレッド・S・ライアン)

 エルンストと向き合い、諸将らの視線を一身に浴びながら、アルフレッドはそう己に言い聞かせた。
 フェイの役割を横取りしたことへの蟠りはあるにはあるが、もう舞台を降りることは許されない。
それにエルンストや仲間たちが自分のためにここまでお膳立てしてくれたのだ。
ネイサンの言葉ではないが、恩義に報いなければ男が廃ると言うものだ。

 逸る気持ちを落ち着けるように手元に用意された水に口をつけ、深呼吸したアルフレッドは、
続けて思い切りよく起立し、居並ぶ諸将やエルンストを見回しながら、
この瞬間の為に準備を重ねてきた逆転への奇策を詳らかにしていった。

「どこから話せばいいのか――……先立って行なわれたグドゥーでの武力衝突や各地で散発的に起こっている小競り合いを
サンプルデータにして自分なりに色々と考えてみた。
我々と敵軍の戦力差、どちらにどのような利があって、弱点があるのか。
雌雄を決する大戦を仕掛けるとしたら、果たしてどのタイミングにピークを持っていくのが最適なのか、も。
本当に色々なことを考えさせられた。……そこから導き出した一つの結論を今から話させて貰いたいと思う。
ギルガメシュを倒す為に、我々がやるべきことを――――」

 その奇策の肝心要へ言及するにあたって、アルフレッドはもう一度、深呼吸した。
 水差しが中身を空っぽになるまでタンブラーを呷ったが、それでも緊張はほぐれず、早鐘を打つ心臓も静まってはくれない。

(気を張れ。臆するな。どうあっても後に退けないんだ。この先は一瞬でも退いたらそこで終わりなんだぞ!)

 この奇策が受け入れられなければ、最早、玉砕覚悟の全軍突撃以外に選ぶ道がなくなってしまう。
アルフレッドが献策に失敗したと知ればフェイは勢いを盛り返すだろうし、
そうなれば決闘の勝者たる権限を最大限に発揮し、必ずや力押しの愚策を推し進めるに違いなかった。
 先の合戦の折に、兵器の質で勝るギルガメシュに物量作戦が通じないことが証明された以上、
フェイが採るであろう作戦は単なる自殺行為だった。
 無為な犠牲を出さない為にも、この献策だけは絶対に成功させる必要があるのだ。
 そう、絶対に失敗は許されない――ともすれば怖気付きそうになる心を自ら叱咤し、奮い立たせ、
途切れた言葉を継げるまでに復調する頃には、諸将から一斉に浴びせられる無数の視線にも
アルフレッドは正面から向き合えるようになっていた。
 それはつまり、如何なる緊張をも跳ね除けられる気力が全身へ漲ったことを意味している。
 いざ、ハラは決まった。
 イチかバチかの大勝負へ出ようとするアルフレッドの心は、先ほどまでの動揺とは打って変わり、
大事を控えているとは思えない程に静けさを保っていた。

「我々は――」

 もう一度、言葉を途切れさせたが、これは緊張によるものではない。次に発する肝心要をより印象付ける為の意図的な“間”である。

「――……我々は、ギルガメシュに降伏を申し出る」

 そして、アルフレッドは自身が熟考を重ねた史上最大の奇策と、その肝心要をエルンストに献策した。
 戦闘の方法・手段の点で意見と認識に食い違いが出ているものの、
徹底抗戦と言う点においては意志を合一にする諸将を向こうに回して、
アルフレッドは正面切って「降伏こそが最大の作戦」と断言したのだ。
 予想を上回る――いや、予想を裏切る作戦内容だっただけに、
最初、アルフレッドが何を言っているのかを諸将は全く理解できず、どよめきが軍議の間を満たした。
 次第にそのどよめきは怒声に変わり、最後にはアルフレッドを「負け犬野郎」などと口汚くこき下ろす罵詈雑言の嵐へと変わっていった。
軍議の間へアルフレッドを迎えたときには敬愛すら示してくれた諸将は、
その態度を一変させ、今では汚らわしい物でも見るような目で彼を睥睨している。
 これから全軍挙げて反攻に出ようとしているときに白旗を揚げる算段など腰砕けも良いところで、
アルカークを筆頭とする武断派の猛将たちは殊更激しく反発する。

「あんたはイシュタル様に泥を塗るつもりかい!? ヤツらに頭下げるってのは、そう言うことなんだよッ!?」

 双眸を血走らせて天井を突き破らんばかりの怒号を上げるのは、ブンカンの隣席に座していたゲレル……もとい、クインシーである。
 Aのエンディニオンに於いて女神信仰を司る機関、教皇庁にて神官の職を務める彼女にとって、
アルフレッドの提示した作戦内容は到底受け入れられるものではなかった。
教皇庁とギルガメシュは長らく抗争状態にあり、それが為にクインシーはAのエンディニオンでありながらエルンストのもとに身を寄せ、
両帝会戦にも赴いたのである。
 ギルガメシュ打倒こそが教皇庁に所属する神官としての宿願と、クインシーは公言して憚らなかった。
彼女の額には煌びやかなサークレットが嵌められている。女神イシュタルを象ったレリーフは、まさしく神官の証であり、
このサークレットを外さない限り、クインシーは教皇庁へ絶対的に忠実であるだろう。それ即ち、女神信仰を貫くことに等しいのだ。
 てっきり、ザムシードやビアルタあたりに反論されると思っていたアルフレッドは、
予想だにしないクインシーの登場に些か面食らってしまった。
 そもそも、テムグ・テングリきっての猛将である両名の姿は、軍議の間の何処にも見当たらない。
今後の戦略を占うような軍議には何を置いても駆けつけそうなイメージなのだが、不思議なこともあったものである。
そう言えば、真っ先に突っ掛かってきそうなゼラールも欠席のようだ。

(……やり易いと言えば、確かにそうなんだが……)

 一挙手一投足、何から何まで難癖をつけてくるゼラールが不在と言う状況は、
アルフレッドとしても話を進め易い筈なのだが、その半面、認知し難いことながら張り合いの不足もまた事実。
クインシーの場合、煩わしいと思いこそすれ、意見をぶつけ合える相手ではなかった。
 テムグ・テングリ群狼領の中でも特に口喧しい三人の分までクインシーは声を張り上げているが、
そこに女神信仰を絡められると、アルフレッドも返答に困ってしまうのだ。
 女神イシュタルと神人(カミンチュ)への信仰はエンディニオンに生きる全ての者の前提であり、
これを貶める行為は、己の全存在を否定することに等しいのである。
 かく言うアルフレッドは、グリーニャを焼き討ちにされた直後、一度はイシュタルを徹底的に否定している。
女神との接触と言う大偉業を果たしながらも何ら救いを得られず、打ちひしがれて戻ってきた仲間たちに
信仰など無意味とまで吐き捨てたのだ。
 当時は精神的に不安定であり、それが為に冒涜まで犯してしまったのだが、
過ぎた日と今日(こんにち)と、気持ちの変化を問われたなら、アルフレッドは今度も神々への不信を訴えるだろう。
イシュタルなど頼りにはならない。頼りになるのは、今、目の前に在って共にエンディニオンを生きる人間のみである。
 おそらく、その気持ちは二度と揺るがないだろうが、さりとて諸将の前で冒涜的なことを口走り、反感を買うつもりもない。
このようなことは、己ひとりの胸に留めておけば良いことだ。
 だからこそ、アルフレッドはクインシーの対処に苦慮してしまうのである。

「さっきから何の話をしているんだ。どうしてそこでイシュタルの名が出てくる。
これは神話の時代の聖戦じゃない。俺たち人間同士の戦争だ。それとも戦争そのものが神々への冒涜だと言うのか? 
道徳を語るのは結構だが、その冒涜は先史時代には通り過ぎている」
「モラリストぶる程、こちとら高潔じゃないんでね。ドンパチなら好きなだけやったらいいさ。
あたしが言ってるのは、そこだよ。好きなだけ殺し合ったらいいんだ! 邪宗の屍をイシュタル様への供物にするんだァッ!」
「だから、何の話をしているんだ、あんたは」

 クインシーとはフィガス・テクナー以来の再会となったが、相変わらず感情ばかりが先走っており、
言うことなすこと、殆ど要領を得ていない。ギルガメシュ打倒を声高に叫ぶのは良しとして、
女神イシュタルや邪宗などと含みのあることを強弁へ織り込んだ割には要点を外し、その真意がアルフレッドには伝わらなかった。
 第一、アルフレッドが記憶するところでは、クインシーは未確認失踪者捜索委員会のメンバーだった筈だ。
アルバトロス・カンパニーのようにBのエンディニオンへ飛ばされてしまった人々を捜し当てるのが主務であり、
教皇庁の所属とは雖も戦争と無縁のセクションに在った。
 それが何故、Bのエンディニオンで結成された連合軍に参加し、側近のような顔でエルンスト近くに侍っているのか。
この疑念も含めて、アルフレッドは戸惑いを禁じ得なかった。
 尤も、クインシーの参戦にまつわる諸々は、アルフレッドがエルンストらと連合していない時節に動いたものが殆ど。
情報が末端の佐志にまで行き届かなかっただけの話である。

「――マコシカだっけか!? あんたらも他人事じゃあないんだよッ! ……それとも、やっぱりあんたらも同じ穴の狢かい? 
イシュタルへの信仰を捻じ曲げようってハラなのかいッ!?」

 アルフレッドへの抗弁も終えない内に、クインシーはレイチェルにも舌鋒を向けた。
ホゥリーと同じ民族衣装を着用していたことからマコシカの一員と断定したのである。
 かつてクインシーは、教皇庁とマコシカの民の差異について、ホゥリーとソニエを相手に一悶着起こしたことがある。
信仰の形態と言う極めて繊細な事象が焦点であった為に角衝き合わせる状況となり、
結果、彼女はマコシカの民へ善からぬ感情を抱いてしまったのだ。
 クインシーに言わせれば、神人(カミンチュ)の力を借りて奇跡を起こすプロキシさえも神々への冒涜と同義なのである。
 アルフレッドのように事前に面識があったわけでもなく、彼女と言い争いを演じたホゥリーからも何も聞かされていなかったレイチェルは、
自分が攻撃対象に含まれた理由すら最初は理解出来なかった。

「牲(ひとばしら)をおっ立てて神の名を騙らせる! その名のもとに詐欺紛いのチカラを生み出すッ! 
精神が腐りきってるって話さッ! どいつもこいつもッ! ……あんたらの一族のコトは、お仲間から聞かせてもらったよ。
霊感商法みたいな真似をやってくれたそうじゃないかッ!? えぇ?」

 レイチェルの双眸がアルフレッドを窺った直後、またしてもクインシーから苛烈な発言が飛び出した。
 これによって事情(こと)のあらましを察したレイチェルは、次いで教皇庁の神官へと目を転じ、
両手を腰に当てて「霊感商法とはご挨拶ね。これでもマコシカの酋長なのよ」と対峙した。
 アルフレッドの献策を巡って罵詈雑言が飛び交っていた軍議の間は、レイチェルとクインシーの睨み合いを境に全く静まり返った。
彼女たちは一個人として対峙しているのではない。ここに起ったのは、マコシカの酋長と教皇庁の神官――
即ち、ふたつのエンディニオンでそれぞれ女神信仰を司る者なのだ。
 今や、場内には異様にして異常な緊迫感が張り詰めていた。信仰論争ほど恐ろしいものはこの世にはないのである。
その世にふたつとない恐るべき事態が勃発したと言うわけだ。
 混乱の端緒となったアルフレッドはすっかり置いてきぼりとなり、皆の注目はすっかりふたつのエンディニオンの信仰論争へと移っていた。

「レイチェル、いい加減にしないか。場を弁えろ」

 マコシカの酋長を振り返ったアルフレッドは、語気鋭く制止の声を浴びせた。
自身の発言が吹き飛んでしまったことへの不満ではない。レイチェルがプロキシの発動に入ったことを察知したのだ。
 フィガス・テクナーに於ける悶着の場でもクインシーに激昂したソニエがプロキシを試みたものの、
そのときはケロイド・ジュースが辛くも食い止めた。
 しかし、今度の相手はレイチェルだ。アルフレッドと機を同じくして守孝も彼女を止めにかかったのだが、
強烈な睨みひとつで両名ともに立ち竦んでしまい、そこに隙とも呼べる僅かな時間が生じた。
 女神イシュタルとの直接交信をも実現したレイチェルの技量(て)にかかれば、初等程度のプロキシなど刹那で完成させられるのだ。
プロキシとは、神人へ歌舞を奉じ、その霊力を賜る秘術である。
彼女は短い口笛を“歌”に、中指と親指を弾いて生み出したリズムを“舞”に代えて神人と接触を図り、
見事、その霊力を借り受けることに成功してしまった。
 リズムを取っていた右人差し指から白い冷気が吹き出したのが、何より証左である。
レイチェルがその指先に宿らせたのは、氷結のプロキシ、フロストであった。厳密には本来の威力をぎりぎりまで抑えたものと言うべきか。
最大の威力でフロストを発動させた場合、氷の礫や氷柱で標的を貫くことも可能なのだ。
マコシカの集落にはプロキシの威力を極限まで増幅させる技術も伝わっており、
これを以ってすれば、視界に入ったあらゆる生命体をまとめて氷塊に変えられると言う。
 恐るべき破壊の力を持ったフロストのプロキシであるが、現在、レイチェルの指先に宿っているものは、
人肌に触れた瞬間、蒸気を発して消失してしまう程に微弱。生鮮食品の冷凍保存にも使えそうにない。
 だが、この場に於いては威力の高低は関係ない。
レイチェルが、マコシカの酋長が、実際にプロキシを発動させたことが大きな意味を持つのである。
 席の遠近を問わず、軍議の間に居合わせる殆どの者がレイチェルの挙動に仰け反っていた。
周囲の者たちの精神を圧した信仰論争は、僅かに言葉を交わしただけで武力衝突へ発展したようにも見えるのだ。
 今までマコシカの民に触れる機会のなかった者たちも同様に息を呑んでいる。
マコシカの民と共闘関係にあるアルフレッドたちはプロキシ自体にも見慣れているのだが、
本来、この秘術は衆目に晒すべきものではなく、エンディニオンの殆どの者は実在すら疑っている。
そのプロキシが、いとも容易く発動されてしまったのである。生まれて初めて目の当たりにする伝説の秘術に驚愕し、
恐れ慄くのも無理からぬ話であった。
 ところが、他の者と同じく初めてプロキシと接する筈のクインシーは、
レイチェルの指先を離れた冷気が自身のサークレットに纏わりつき、瞬間的に金属の輪を凍結させても少しとして動じなかった。
 教皇庁の信仰形態を至上とし、マコシカを容認するつもりのないクインシーは、神々の力を得ると言うプロキシを冒涜と見なしている。
つまり、彼女からすれば自身にまとわりつく冷気は邪術の如きものなのだ。
常人であればそのような術をかけられたと知った瞬間、恐怖に挫けて腰砕けにもなるだろう。
 イシュタルへの信仰心でレイチェルに勝れば、邪術すら跳ね返せる。そのような確信を以って相対しているのだろう。
微弱な冷気ではクインシーの胆力を凍て付かせることなど出来ないようだ。

「さんざん気を持たせといて、オチが安っぽい手品ってか。舐められたもんだね。
それくらいのお遊びなら教皇庁の宝物を使ったほうが早いってもんさ」
「宝物とは興味深いわね。“手品”の代金として、ひとつ披露して貰えないかしら?」
「冗談! 宝物を代金にしたら、あんた、釣銭だけで破産しちまうよ。
それにあたしゃ、ンなご大層なものを取り扱う資格は持っちゃいないのさ」
「……窮屈そうね、教皇庁とやらは」
「ああ、窮屈さ。息苦しくって敵わない。だから、あたしみたいなバカが要るのさ」

 マコシカの酋長と教皇庁の神官は、互いに薄笑いを浮かべている。
 レイチェルはクインシーと言う一個人を認めつつあった。
依然として教皇庁の正体は判然としないが、彼女もまた女神信仰にその身を捧げる同志なのだ。
胆力の根源たる信仰心の強さには、ただただ敬服するばかりである。
 クインシーの口ぶりから察するに、教皇庁はプロキシに相当する技術を持ち合わせてはいないようだ。
これに対して、マコシカにはプロキシと言う秘術があり、またレイチェル自身は女神イシュタルと直接的に対話を果たしていた。
神々との接触の可否は、信仰形態を異にするふたつのエンディニオンにとって複雑な問題と言えよう。
 それ故にレイチェルはイシュタルとの接触は一切伏せることにした。
 プロキシの有無に関わらず、どちらの信仰形態も正しいとマコシカの酋長は考えていた。
それにも関わらず、一方にのみ女神イシュタルが加担したと知れ渡れば、どうあっても信仰形態に正誤が規定されてしまう。
教皇庁はその存在意義すら揺らぐことだろう。
 ディアナたちとの約束を胸に強く秘めたレイチェルだけに、ふたつのエンディニオンに溝を作るような真似だけは避けたかった。
 このように同志と認めた上で配慮を見せたレイチェルとは正反対に、クインシーはあくまでもマコシカの民を受容しない構えだ。
吊り上げられた口の端は、プロキシと言う秘術を低レベルの手品と捉えた証拠である。

 マコシカと教皇庁による“世紀の一戦”を催し物でも楽しむかのように静観するジョゼフとセフィであったが、
事態は早くも水掛け論に転じつつあり、ふたりは泥沼化の危険性をも感じ取っていた。
 しかも、クインシーの態度は硬化する一方で、野放しにしておくのは非常に危うい。
 議長が制止を呼びかければ、両者の論争も一旦は終息する筈である。
そして、互いに覚えた遺恨は時間をかけて解消を試みる。それこそが、この場に於ける最善の選択肢なのだが、
当のエルンストは闘争的なレイチェルとクインシーを興味深そうに眺めるばかりで、制止に動く気配さえ感じられなかった。
 どうやらイシュタルを巡る信仰論争は、エルンストの興味を一等強く惹きつけてしまったようだ。
馬軍の覇者が観戦し始めた以上、群狼領の将兵も動きようがない。
 事態の悪化を懸念することは勿論、献策の出鼻を挫かれた恰好のアルフレッドは、
申し訳なさそうに目配せしてくるデュガリへ顰め面で頷くのみであった。

「……あんたの出番じゃない? 得意の口八丁で丸め込まなきゃ、永遠に続くわよ、これ」
「何を他人事のように。お前こそ正義の味方らしく快刀乱麻を見せてみろ。俺だって信仰のことは専門外だ」

 最後にはハーヴェストにまで促されてしまい、止むを得ずアルフレッドは事態の収拾へ打って出た。
 極めて重大な献策の場を支離滅裂にしてくれたレイチェルたちの脱線を、
発言の主たるアルフレッド当人が修正に入るとは、何とも間の抜けた話だが、こうなっては致し方ない。

「――で、ギルガメシュに負けを認めたら、どうしてイシュタルの顔に泥を塗ることになるんだ? 
ヤツらは、テロ以外に何かを企んでいると言うのか? あんたの話しは、この先の戦略を練る手がかりになりそうだが……」
「なんだい、坊や。あたしに話しかけてんのかい? あたしゃ誰からのケンカだって買ってやるよ!」
「面白くなってきたところなんだから、邪魔しないでよ、アル。こんな機会は滅多にはないんだからさぁ」
「……お前たちの忠誠心、いや、信仰心には感服した。その議論は、きっと今後のエンディニオンにとって必要なんだろう。
だが、今、一番に話し合わなければならないことを思い出して欲しい。レイチェル、今は平時か、戦時か。どちらだ?」
「……すみませんでした、はい……」

 余人には踏み入り難いこの論争を断ち切るには、ことの発端を反復するしかない。
そう判断したアルフレッドは、ギルガメシュとの戦いと女神への信仰を同列に語った点を改めて穿った。
 アルフレッドの試みは狙い通りの成果を生み出し、周囲を置き去りにして白熱し続けてきたレイチェルとクインシーは、
僅かばかりではあるものの、ようやっと冷静さを取り戻した。
 恥らうように顔を伏せて引き下がったレイチェルは、ジョゼフから「お主はマコシカを率いる立場じゃろうが。
あのように軽々に振る舞うとは、それ自体が一族への無礼じゃぞ」と耳の痛い小言を貰ってしまった。
当然ながら、彼女には反論の余地はない。
 クインシーもクインシーで襟足の辺りを乱雑に掻き毟りながらエルンストへ頭を下げている。
重要な軍議を無意味に脱線させてしまったと言う自覚と自責はあるようだ。
 尤も、エルンスト自身は、この先のエンディニオン統治に当たって不可欠であろう信仰論争が打ち切られたことを残念に思っている。
出来得ることなら、決着がつくまで見届けることさえ期待していたのだ。
 咎めるつもりはないとクインシーに頷き返すエルンストだったが、
彼女の肩越しに冷たい眼光を射掛けてくるアルフレッドに気が付くと、すぐさま顔を背けてしまった。
興が乗る余り、連合軍の総大将と言う立場まで忘れて彼の奮闘を台無しにしかけたのである。
さすがに決まりが悪かった。

「……何かを企んでるってことじゃあない。ギルガメシュは成り立ちからして異教徒なんだよ。
……そう、異教徒としか言いようがないのさ」

 咳払いをひとつ挟んだ後、クインシーは論争の出発点にまで立ち戻り、先ほどの詰問に答え始めた。

「話が突飛過ぎないか? あいつらが異教徒なんて、……それとも何か? あいつらが被っている気色の悪い仮面、
あれが宗教的な意味を持つ物とでも言うつもりか?」
「聡いね、その通りさ。道化の仮面を被ってるヤツは、どいつもこいつもイシュタル様をする異教徒だよッ!」
「おい、本当なのか……」

 ルナゲイト征圧から両帝会戦に至るまで、アルフレッドはギルガメシュの仮面を単なる兵装のひとつとしか認識していなかった。
おそらく、ここに居合わせる全ての諸将も同様であろう。
 第一に、だ。唯一世界宣誓を名乗り、Aのエンディニオンの難民保護を掲げて侵略に乗り出したギルガメシュから
宗教的な気配は全く感じられなかった。少なくとも、連合軍の中には異教徒と断定できるような行為を確認した者は誰もいない。
 己の信じる教義を絶対的な原理と捉え、過激化する一派は確かに存在している。
だが、ギルガメシュの行動がその範疇に含まれるとは思えず、それ故にアルフレッドは面食らってしまったのだ。
 思うように彼女の説明を咀嚼出来ずに当惑するアルフレッドであったが、それを知ってか知らずか、
いよいよクインシーは核心に触れるべく身を乗り出している。

「あいつらの母体――いや、“半身”はッ! 聖女っつー牲(ひとばしら)でもってイシュタル信仰を歪め――」

 アルフレッドを始め、軍議の場に居並ぶ諸将は誰もが押し黙り、さながら伝説を紐解くような語り口へと耳を傾けていた。
ところが、何かを激しく殴打する音が横から割って入り、全てを語り尽くす前にクインシーの声を飲み込んでしまった。
誰もが予想し得なかった、不意打ちの激音である。
 何事かと激音の発生源を窺えば、そこには己の義手でもって長テーブルを殴打するアルカークの姿が在った。
鉤爪の尖端を突き立ててはいないが、硬い金属でもって絶え間なく打ち据えていることに変わりはなく、
机にはクレーターの如き窪みが生じ、これを中心として全面に亀裂が及んでいた。

「ゴチャゴチャとくだらん話を堂々巡りッ! 貴様ら、大概にせんかァッ!!」

 続けて発せられた大音声でもって、ついにクインシーの話は強制的に途絶させられてしまった。
 アルフレッドが掲げた恐るべき提案に対し、先頭切って噛み付いた際は諸将の代表と言っても差し支えのない立場であったが、
現在は違う。全く違う。クインシーの語りを断ち切るような真似は、この場の誰も歓迎していないのだ。
 彼女としてもアルカークの乱入は不愉快以外の何物でもない。
両帝会戦の直前に設けられた軍議でもふたりは激烈な口論を交わしており、未だにお互いを目の敵にしているのだ。
 しかも、アルカークはAのエンディニオンの人間全てを害虫と見なし、この根絶を掲げている。
クインシーとは根本的に相容れず、その関係は一生変わることはあるまい。

「またアンタかッ! くだらないのはアンタのほうだよッ! 人がこれ以上ないってくらい大事な話をしてるってのにィッ!」
「世迷言の何が重要かッ! くだらんッ! くだらんッ! くだらんッ! くだらんッ!! 要はヤツらを皆殺しにすれば良い話だろうがッ!」
「何も知らずにどうやって戦争をするつもりだいッ!? アンタ、見た目通りの大馬鹿かいッ!?」
「何も知らずとも戦争は出来るッ! ……いや、必要なことを全て把握し、その上で敵を駆逐せんとするのが合戦の習わしじゃッ!」
「だったら、どうして邪魔をするッ!? 難しい話に飽きたってェワケじゃないだろうねぇ? ええッ!? 
それとも、じっとしてることも出来ないのかい? ガキじゃあるまいしッ!?」
「貴様の話は必要外と言っておるのだッ! 救いようのないニブチンめがッ!!」
「必要だろうッ!? ギルガメシュの正体を知っておくのはッ!」
「ヤツらの正体が何だろうが、そんなのは知ったことではないッ! 知る必要もないッ!」
「なんでッ!?」
「皆殺しにしてやると、何回繰り返させるのだァッ!? 正体が何であろうと、我々は寄生虫如きに屈しはせんッ! 
貴様は何か? 丸焼きにした死体から仮面を剥ぎ取るのか? わざわざ黒焦げの顔を確かめるのか? 
……必要外の情報とは、そう言うことなのだッ!」

 段々と激しさを増していくアルカークの怒号とは反対に、
クインシーの反論はどこか精彩を欠き、それどころか、徐々に力を失い始めていた。

「今一度、確かめてやろうか――貴様の話は、ギルガメシュ殲滅に絶対に欠かせぬことか? 
貴様の、いや、教皇庁とか言う組織の都合など訊いてはおらぬぞ。貴様の話がなければ、この戦いには絶対に勝てないのかッ!?」

 アルカークの語る戦いとは、アルフレッドの献策とは別のものを指している。
降伏を挟む作戦云々ではなく、ギルガメシュを相手に展開する攻防の全てを彼は語ろうとしていた。
 その攻防を実行するに当たって、敵軍の正体――いや、掴みどころのない思想の概要(かたち)を捉える必要性は如何程か。
一敗地に塗れ、軍議に割ける時間的余裕すら皆無な状況であっても、必ず全軍が周知しなければならないのか。
そうしなければ、戦いにもならないのか。これをアルカークは訊ねかけているのだ。
ヴィクドの提督が再三に亘って口にしているのは、ギルガメシュの殲滅である。

「……それは、絶対じゃあない――かもしれないが、ね……」

 平素のクインシーであれば、誰かが止めに入るまでアルカークに立ち向かったところであろう。
エルンストにまで女傑と認めたれた彼女だけに、徐々に気圧されると言う事態にも至らなかった筈だ。
敵軍の正体――ギルガメシュの思想の概要(かたち)は、語り尽くす必要があるとも信じてはいる。
 それでも、クインシーは退かざるを得なくなってしまった。先程、アルフレッドの献策を邪魔したと言う負い目もあり、
この上、更に戦いを論じる軍議の妨げになることを憚ったのである。
 アルフレッドと対峙する舞台をアルカークに譲り渡したクインシーは、不服の念を満面に貼り付けつつも自身の席へと腰を下ろした。
その様を目端に捉えたヴィクドの提督は、しかし、にこりともせずに荒々しく鼻を鳴らしている。

 クインシーが退いたことで、ようやく軍議が本筋に復帰したと思いきや、今度はアルフレッドが彼女の話に強く惹かれ始めていた。
 冷徹な眼光でもってエルンストを批難しておいて、矛盾も甚だしいのだが、
ある特殊な原理がギルガメシュの根底にあるとすれば、これを把握しておくことは戦略を練る上でも有益――そのように彼は考えていた。
敵のルーツを揺さぶり、存在意義をも破綻させることは、心理的な打撃を図る上での鉄則のひとつなのだ。

「――フンッ! 腑抜けた顔をしおってからにッ! 尻尾を巻いて逃げる算段が貴様の得意か? 所詮はその程度の知恵か? 
戦う意志なき雑魚は去(い)ねッ! くだらん昔話を聴きたいのなら、どこぞのゴミ溜めの片隅でやっておれィッ!」

 フェイとの決闘に続き、またしても大事な局面で邪魔をされたアルフレッドは、
反射的にアルカークへ舌打ちをしそうになったが、その直前、彼の侮辱的な放言の中にひとつの好機を見出した。
 今のはアルフレッドの献策に対する直接的な反論であった。感情的に野次を飛ばす者は多かったが、
理詰めの抗弁を仕掛けてきたのは、意外にもアルカークが初めてである。

(……嬉しくもないがな……)

 憎むべき相手ではあるものの、言葉尻に乗りさえすれば、最初に企図していた大勝負へと流れを持っていける。
クインシーには後ほど接触を図り、話の続きを聴くとして、今はヴィクドの提督との対峙に集中するとしよう。
 眉間に数え切れない程の青筋を立てるアルカークと向き合ったアルフレッドは、
己の心が加速度的に白熱しつつあることを、今やはっきりと自覚している。




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