8.Sparks will fly


「――佐志の村長よッ! 貴様はそれでよいのか? このような小僧に野放図に言わせて、本当に良いのかァッ!? 
貴様の預かる領民の生命が、小僧っ子の妄想で危険にさらされておるのだぞッ!?」

 逆転への献策を実現せんと闘志を漲らせるアルフレッドの眼前では、ヴィクドの提督が攻撃の矛先を守孝に向けつつあった。
 先程のレイチェルではないが、アルフレッドを素通りして自分に噛み付いてくると思っていなかった守孝は、
アルカークの舌鋒には思わず後退りしてしまった。とは言え、それも一瞬のこと。
すぐさま気を取り直し、佐志の代表として、またアルフレッドの盟友として、ヴィクドの提督に堂々と相対した。

「某はアルフレッド殿の旗下におりまする故、御大将の下知に従うまでにござる。
某ばかりではない。これは佐志領民の総意でござる。皆がみな、アルフレッド殿へ一途に仕えんとしており申す」
「白旗を揚げての凱旋など、セイヴァーギアの名折れではないのかっ!?」

 アルカークは、その標的を分刻みで変えていく。守孝の次はハーヴェストに狙いを付けたようだ。

「どうかしらね。一時とは言え、あいつらに優位を譲るってのは気に入らないけど、
そのときの行動が必ずしも臆病でなかったことは、歴史の教科書が証明してくるハズよ。でなけりゃ自伝でも書こうかしら」
「そこに居ますは、ルナゲイトの御隠居と見たり。貴様とてギルガメシュの横暴には目に余るだろう!? 
セントラルタワーが寄生虫に食い潰されても、貴様は平気でいられるのか!? ヤツらの好き放題にさせて良いかァッ!?」 
「お主の耳はハーヴェストの返答を右から左に受け流したのか? それともワシの聞き間違いであったかの?
ワシの記憶が確かならば、ハーヴェストはこう言わなかったか? 
そのときの行動が必ずしも臆病でなかったと歴史の教科書が証明してくれる――とな」
「この……クソジジィがッ!!」

 「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」と言う故事に倣い、
アルフレッドを論破するに当たってアルカークはその背後に列する者たちを味方につけようと試みた。
その結果は、「氷炭相容れず」。献策の推進に必要であるとアルフレッドが判断し、
軍議への参加を求めた仲間たちがアルカークに寝返る可能性など零から動きようもない。
 「私を点呼から漏らすとは、傭兵部隊の長はとんだモグリですね」とセフィは冗談めかして口を尖らせたが、
アルカークは目に入った人間へ手当たり次第に噛み付いただけのこと。
アルフレッドの背後に隠れる格好となっていたセフィの姿をヴィクドの提督は見逃していたわけだ。
そうした粗忽からも彼の浅薄、短慮が透けて見えるようだった。

「頭に血が上ると、えてして周りが見えなくなるものじゃが、お主の場合はどうじゃろうな。
妙な恰好の割に全く目立たぬとは、本格的に影が薄いのやも知れんの。うむ、存在感が足らんわい」
「アイドルを目指しているわけではないから、別にいいのですけど」
「口が引き攣っておるぞ? あれじゃな、着飾っておるときは別として素の顔が全く目立たんと言うのは、
ある意味でアイドルと同じよな。オーラか、オーラ不足かの、お主」
「かのワイルド・ワイアットじゃあるまいし、私にはオーラなんて不要ですっ」

 セフィをからかいつつ、ジョゼフは降伏宣言と言う奇策を初めて打ち明けられたときのことを回顧していた。
ハンガイ・オルスに向かう船上のことである。その際にも怒号が飛び交ったものだ。
 これも当たり前の話ではある。ギルガメシュを打ち負かす為の具体的な戦略が聴けるとばかり期待していたフィーナたちは、
まさかアルフレッドが降伏ありきで策を練っていたとは誰も想像していなかった。
 アルフレッドの策はたちまち物議を醸し、激しい反論に見舞われた。
 短気にして豪気、更には負けん気の強いフツノミタマが誰よりも厳しく詰め寄りそうなものだが、
意外にもこのときはフィーナとシェインのふたりがアルフレッドに噛み付いていった。
正確には口火を切ろうとした矢先にふたりが割り込み、その余りの剣幕にフツノミタマは出る機会を失してしまったのである。
 とにかく二人の剣幕は凄まじかった。

「負けを認めるだって? ……なんだよそれ、ふざけんなよッ! じゃあ、ベルはどうなるんだよッ!? 
負けを認めりゃ返して貰えるのか? あいつらは身代金も何も要求してないんだぞ! それがどう言う意味なのか……ッ!
それにッ! ……それに、仇も討たずに引き下がるなんて、アル兄ィはそれでいいのかよ? 本当にいいのかッ!?」
「ベルのことも、グリーニャのこともあるよ。でも、それ以上に納得できないのは、
今日までの戦いが全部無駄になることだよ! ……犠牲になった人たちに何て言えばいいの? 
この間の戦いでも、何人も犠牲になってる。ギルガメシュの兵隊と同じように。
ねぇ、アル。その人たちに私たちはどんな言葉をかければいいのさ?」
「シェイン……、フィー……」
「戦争の当事者だから、私は失われた命にも、……奪った命にも責任を持ちたいんだ! 
せめて犠牲になった人たちが安らかに眠れるように――でも、途中で全てを投げ出すのは、絶対に違うッ! 
そんなの、その場しのぎの言い訳だよッ! 何の解決にもなっていないんだッ!」
「剣を交えることだけが戦争を終わらせる手段じゃないって、子供のボクにもわかってるけど……けどッ!
今はそのときじゃないだろッ!? ボクらはまだ戦わなきゃならないだろッ!?」

 ――その回想(とき)と同じ情景がジョゼフの目の前に広がっていた。
降伏案に不満を持つ者たちがアルカークに呼応し、軍議の間は再び騒然となっている。
 フィーナやシェインのように個人の意思に基づいて反論するでなく、
己の属する組織や領する村落の損害を慮っての発言が目立つものの、それはリーダーとして真っ当な行為と言えよう。
自分の家族や部下、あるいは領民を守る使命を帯びて、彼らはこの場に参集したのだ。
簡単に降伏など出来よう筈もない。降伏を認めると言うことは、即ち守るべきものを手放す結果に繋がるのである。

 そのような逼迫した状況であるにも関わらず、能天気を放言しているのはファラ王ただ一人だ。
 さすがは頭のネジが何本も飛んでしまってる男と言ったところか。
アルフレッドの提言した降伏案を「見せ場の作り方が実に巧い。窮地に陥ってからの逆転を演出するとは、また渋いことよ」などと
膝を叩いて喜んでいる。
 速やかにアポピスが首を締め上げ、鎮静化を図ったのは言うまでもない。今度もプロフェッサーは身じろぎひとつしなかった。

「そろそろ決めの一言が出る頃合だな……」
「左様。ここからがアルの真骨頂じゃわい」

 数限りない反論に晒されながらも押し黙っているアルフレッドの背をじっと眺めていたセフィは、
勝負の仕掛けどころが迫っていることをジョゼフと確かめ合った。

「――禍福は糾える縄の如し」

 全てがハンガイ・オルスへ向かう船上の情景と――フィーナとシェインを言い諭したときとそっくり同じであった。
 ふたりの猛反発を受けた折もアルフレッドはこの古語を引用することで彼女たちの意識を引き付け、
続く具体的な戦略によって反対意見を封じ込めたのである。

「これはただの降伏ではない。将来的な逆転を見据えた戦略がそこには詰まっているんだ」

 降伏を申し出ることが逆転に通じると語ったアルフレッドに対してエルンストの実子であるグンガルは、
椅子を蹴倒しながら立ち上がり、「そんなのは言い訳だ! 詭弁じゃないかッ!」と声を荒げた。
 先日、初陣を果たしたばかりの若武者には、アルフレッドの提案は断じて認められないようだ。
さりとて、武勲を焦っているのではない。エルンストが、偉大な父が過分な程に期待を寄せる在野の軍師であれば、
ギルガメシュを撃破せしめる秘策を必ずや生み出してくれると、彼は心底より信じていた。
 献策の権利を賭けた三つ巴の決闘に於けるアルフレッドの劇的な勝利を目の当たりにして以来、
グンガルの興味はますます高まっていた。それだけに裏切られたと言う思いが強いのだ。
 軍議の間に列する諸将の誰よりもアルフレッドに失望しているのは、あるいはグンガルかも知れない。

「マスターソンやヴァリニャーノが言うことはやっぱり正しい! 降伏の先に何があるんだ!? 
負けを認めたらそれっきりじゃないか。そこでおしまいだッ!」

 エルンストに良く似た顔立ちと、目端に捉えたデュガリの慌て方からグンガルの正体を察するアルフレッドだったが、
献策については一歩たりとも引き下がるつもりはない。
 自分より僅かに年下であろう御曹司を正面に見据え、曇りなき漆黒の瞳と相対した。

「……お前もエルンストの係累ならば、それに相応しい振る舞いを心掛けることだな。
そうやって軽率に振舞うことが組織にどれだけダメージを与えているか、振り返ってみろ」
「自分の非を棚に上げて、オレに説教するか!?」
「いいから、黙って聴け――いいか、俺はまだ勝負を捨ててはいない。それだけは偽りのない事実だ。
……俺たちが降伏することによってあいつらは何を得ると思う?」
「エンディニオンの覇権だッ!」
「残念ながら、それはもうヤツらの手に渡っている。……なんだ? 本当にわかっていないのか?」
「くッ……、お前……ッ!」

 唐突に問題を振られたグンガルは、挑発するような物言いに腹を立てながらも懸命に頭を働かせ、
やがて導き出された推論を語気荒く発した。
 グンガルなりに必死になって捻り出した答えであったが、アルフレッドはこれを一笑に付し、嘲り混じりで切り捨てた。
この態度もグンガルの神経を逆撫でするものであり、今や御曹司の双眸は真っ赤に血走っていた。
 見るに見かねたカジャムが口を挟んだのは、そのときである。

「……テムグ・テングリ群狼領の所領が横取りされるって言いたいわけ?」

 グンガルにとっては葛藤を抱く相手からの望まざる支援だ。
 両頬が羞恥の赤(いろ)に染まっていくのを自覚したグンガルは、満面に帯びた熱が一刻も早く失せるよう歯を食いしばって念じ続けた。
誰にも気取られない内に羞恥の心を抑え込みたいようだが、試みそのものがあまりにも幼稚であった。
 カジャムはグンガルの葛藤を認めた上で、アルフレッドに立ち向かっているのだ。

「それもある。領地が削減されるのはまず間違いない。では、それ以外には何がある?」
「御屋形様の首級(くび)とか言いやがったら、あんた、タダじゃ済まないわよ」
「さすがはテムグ・テングリの女将軍。話が早い――と言いたいところだが、残念ながら外れだ。
尤も、エルンストの首級はあんたには死活問題だな」
「あたしだけじゃないわ。……御曹司にとっても、いえ、群狼領のみなが御屋形様を案じている」
「首級でなくば――敵はエンディニオン最大の勢力を屈服させたと言う権威を得る。そう言いたいのか、アルフレッド。
……禍福は糾える縄の如しとは言い得て妙だな」

 アルフレッドとカジャムの対峙には、間もなくデュガリも加わった。
カジャムひとりに任せておけば、ますますグンガルが追い詰められると思量したのであろう。
事実、デュガリの声を耳にした瞬間、御曹司の面は僅かに柔らかくなった。
幼い頃より信を寄せてきた老将の支援が、どれほどグンガルを救ったことか。
 御曹司が安らぐ様を見て取ったブンカンは、そっとエルンストを一瞥し、何時にも増して無表情な御屋形に苦笑を浮かべた。
デュガリに対処を委ねて押し黙ってはいるものの、カジャムとグンガルの間に垂れ込める不穏当な空気を誰より気に病んでいるのは、
誰あろうエルンストなのだ。彼が「不徳、不覚」と漏らす姿をブンカンは幾度となく見かけている。
 群狼領の軍師と言う立場からは、一先ずエルンストには私事から解き放たれ、
アルフレッドの献策にのみ意識を集中して欲しいところである。愚痴ならば、何時でも、幾らでも付き合うつもりだ。

「――そうだ。一時の有利を敵に譲ったとしても、後世の評価は俺たちにこそ傾くに違いない。
だから、禍福は糾える縄の如し。……コールレインと新聞王が言ったことを、思い出してくれ」

 降伏と言う手段にエルンストが激怒してはいないかと恐る恐る窺うアルフレッドだったが、
視線を交えた彼の瞳は怒りも失望も宿していない。今もまだアルフレッドへの期待の灯火が煌いている。
 僅かな躊躇を残すアルフレッドを鼓舞するようエルンストは無言で頷き、戦略の説明を進めるよう促した。

「奥歯に物が挟まったような言い方ばかりしよってからにッ! あまり気を持たせるなッ! オレは貴様と違って暇ではないのだッ!!」

 いつの間にやら脇へと追いやられていたアルカークは、自分の出番はまだ終わっていないと主張するかのように
再び長テーブルを義手で強打した。
 先程までのダメージが修繕もされないまま蓄積したテーブルでは新たな衝撃には耐え切れず、
アルカークが豪腕を振り落とした瞬間、それは無残な木っ端と成り果てた。
 意識を失ったままテーブルに突っ伏していたファラ王は、木片諸共地べたへと沈んだが、
アルカークはこれを踏み越えてエルンストの面前へと迫った。
連合軍の総大将に問うことは、ただ一つ。“小細工”を弄して勝てる戦か、否か――。
 自身の前に並べられたテーブルを飛び越えたアルフレッドは、
速やかにアルカークとエルンストの間に滑り込み、両者を力ずくで引き剥がした。
豪腕で鳴らしたアルカークは僅かに抵抗を見せたが、アルフレッドは負けじとホウライをも発動させ、
有無を言わせずヴィクドの提督を押さえつけたのである。
 如何にアルカークと雖も、身体能力そのものを強化し得るホウライの前には為す術がなかった。

「小僧……ッ!」
「何回、急くなと言われればわかるんだ、貴様は」

 アルフレッドの左腕に青白い稲光が閃いた瞬間、軍議の間に戦慄が走った。
彼が三つ巴の決闘にて披露したホウライを諸将は鮮明に記憶している。
フェイをも撃破する虎の子を行使されたアルカークは、これをアルフレッドからの宣戦布告と受け取るに違いない。
あわや一触即発の事態である。
 自然、軍議の間はどよめきによって埋め尽くされたが、これこそ好機と見たアルフレッドは、
周囲の困惑やアルカークの憤激を黙殺して自身の弁論を進めた。

「降伏したと見せかけて敵の油断を誘い、その隙に徹底的に裏工作を凝らす。
二度と再起出来ないくらいにギルガメシュを追い詰め、完膚なきまでに叩き潰すッ!」

 降伏の先にあるもの――逆転の計略を激烈な語調でもって言い放ったアルフレッドに諸将は息を呑んだ。
ここに至ってついに明かされ始めた戦略は、まさしく驚嘆に値するものであったのだ。

「合戦に勝利したギルガメシュは戦勝の勢いに乗ってエンディニオンの主要な拠点を制圧しつつある。
それに対して我々は戦局に直接影響を及ぼす最重要ポイントを辛うじて守っているに過ぎない。
主だった軍勢はハンガイ・オルスに固まっているが、ここへ包囲網が敷かれているとの見方も出来る。
ここまで来ると、最早、兵力の差は問題にはならない。手数で勝っていても、だ。
力押しの戦法が通じる段階を超えているんだよ」

 戦況を冷静に、いや、冷徹なまでに分析していくアルフレッドをグンガルは無言で見つめている。
その双眸には、一度は消え失せてしまった期待と憧憬が確かに煌いていた。

「フェイ・ブランドール・カスケイドが先に進言した通りの戦法だな。あの小物の見識はやはりその程度か」
「……敵は我々の科学力では持ち得ない強力な兵器を多数保有するばかりか、大型クリッターを大量に飼っている。
何より最も脅威なのは、あの集団戦法だ。徹底的に規律を叩き込まれた兵士による集団戦法は脅威としか言いようがない」
「つまり、なんだ? 何なのかと訊いている。またも遠回りになっていると思うのはオレだけかッ!?」

 恫喝のつもりか、鉤爪を胸板に押し当ててくるアルカークを睨み据えたアルフレッドは、
「時間があるなら、急がば回れと言う諺を辞書で調べてこい」と鼻を鳴らした。

「具体策へ入る前に戦略を抜本的に練り直す必要を確認しなければならないんだ。
力攻めで挑んでも意味がないと言うことを、だ。それを待つ堪え性もないのか、貴様は」
「フン――やはりカスケイド如きの粗略は聴くにも値せなんだな!」
「粗略をひねり出す努力もしなかった臆病者は大口を控えるべきだな。場が白ける」
「なんだと、貴様ァッ!!」

 いきり立つアルカークを無視したアルフレッドは、守孝に目配せし、その意図を察した彼から世界地図を受け取った。
 エルンストの面前に改めて広げられた地図を指差しながら、在野の軍師は更に戦略の説明を続けていく。
 それは、セフィがラプラスの幻叡で予知したものを加味して練り上げた戦略案であった。
力押しで挑んでも押し返されると言うことは、かつてセフィが視た“戦う度に大きな損害を出す未来”とも合致する。
無策のまま力任せに攻めかかっても、いずれはジリ貧になって瓦解するしかなくなる――
そのように考えていたからこそ、アルフレッドは攻撃一辺倒に傾くフェイの前に立ちはだかったのである。

「……恭順の姿勢を見せ、ギルガメシュにテムグ・テングリ群狼領が屈服したと信じ込ませる。
大打撃を被る戦いはこれで当分は避けられるだろう。
奴らは勝者の権限を振り翳して、エンディニオンを独り善がりな世界に作り変えようと躍起になるだろうな」

 眉間に青筋を立てて憤激するアルカークではあったが、具体的な戦略の説明には興味を持っているようで、
アルフレッドの言行を悪し様に罵ってはいるものの、この場を離れる素振りは全くない。
今では世界地図にまで目を落としていた。
 一方のアルフレッドは、内心ではアルカークと相対することに心底嫌気が差している。
フェイのことを――敬愛する兄貴分のことを、何かにつけてこの男は貶めるのだ。弟分としては看過出来るものではない。
 エルンストや諸将の手前、必死に堪えて説明を続けているが、彼を突き飛ばす為にホウライを発動させた瞬間、
拳の一発でも見舞ってやりたいとの衝動に駆られたのだ。これは揺るがし難い事実であった。

「……だが、テロリストが勝利した時代がないように、テロリストが正しく世界を統治できるとも思えない。
奴らの政策に反抗する機運は世界各地に広がるだろうし、そうなれば状況は一気に変わる。
ギルガメシュは統治能力を問われ、最後には自壊するだろう。武力に頼るテロリストなどはそんなものだ」
「その反乱分子を活発化させると言うことか、貴様のほざく裏工作とやらは。……笑わせてくれるッ! 
貴様は自分の妄想が思い描いた通りに達成されると考えているがな、現実は違う。そんなにことがうまく運ぶものか。
テロリストの中にも知恵者はいるだろうがッ! 我らを手玉に取った策士もいるようだが、これはどうするのだッ? 
我ら全軍を翻弄したような人間が、貴様如きの浅知恵に気付かんとでも?」
「それについては私から説明しましょう――いいかな、アル君?」
「あぁ、……頼むぞ、セフィ」

 論争を続けるアルフレッドとアルカークの間に立ち、発言の機会を求めたのはセフィである。
 議長たるエルンストは、エクステで覆われた瞳へと発言を認める旨を目配せし、セフィもこれに応じて頷いた。
 発言に先立ち、アルフレッドはセフィのことを「ヒュー・ピンカートンと共にジューダス・ローブを追っていた人間だ」と諸将に紹介した。
テロリズムについては専門的な知識を持っているとも付け加えて。

 その紹介は感嘆と驚きとが入り混じった唸り声をもって迎えられた。
世界最悪のテロリストと言われたジューダス・ローブの残照は今も色濃く人々の心の中に刻まれており、
恐るべき悪魔を追跡して引導を渡したと言う紹介には、万人の味方を得た思いが湧き立ったようだ。

 嘘は言っていない。
 実際にセフィはジョゼフの暗殺予告で大きな騒動になったセントラルタワー爆破事件が発生した折、
アルフレッドやヒューと共に警護に当たっている。
 当事者であったと言う事実はともかく、セフィがジューダス・ローブの取り締まりに力を貸したのは事実であり、
また、テロリズムについての専門的な知識を備えているとの触れ込みも紛れもない真実だ。
と言うよりも、知らぬままではテロリストなど務まるまい。
 事実と真実がありのままに伝えられただけなのだが、諸将の中では早くもテロリズム研究の権威と言うイメージが一人歩きしており、
その見識をもってしてアルフレッドの唱えた奇策に根拠と説得力を与えるだろうと期待されていた。
 多少、伝えるべき情報を選りすぐり、公表を控える部分もあったかも知れないが、
テロリストに関する知識を味方の利へ生かそうと言うのだから詐欺には当たらないだろう。

「アル君が敵は必ず暴走すると断言した理由の一つに、敵が単独犯でなく組織犯と言う点があります」
「テロリストはテロリストだろうが! 何が違うッ?」
「全く違います。単独のテロ犯とテロ組織を比べるなんて、豆腐ステーキとシャトーブリアンを比べるようなものだ。
ジューダス・ローブのように一個人の思想に基づいて行動する単独犯であれば、
その人に考え方の変化が訪れでもしない限り、目的と手段がブレることはありません。
孤立無援の一個人と言う究極的に閉鎖された世界と、テロリズムと言う極限的な状況下は、
一つの思想を寄る辺として怨念か何かのように増幅させていくものなのですよ」
「大軍になれば足並みが揃わぬ。だから危ういとでも言いたいのか、貴様? それこそお笑い種だ。
敵の姿を見ろ。あの統一されたコスチュームと悪趣味極まりない仮面を。
絶対遵守の思想を刷り込まれ、全身に“組織の駒”としての精神を叩き込まれた結果だ、あれは。
厳しく統率された尖兵に規律を破れと強いるのは、手榴弾のピンを抜くのと同じことだッ!」

 アルカークがギルガメシュの仮面について触れたとき、思わずクインシーは腰を浮かしそうになった。
 レイチェルと繰り広げた論争の熱が冷却されずに残っていたなら、アルカークにも噛み付いただろうが、
暫し時間を置いたことで平常の判断力は完全に回復している。
 今はその仮面に込められた意味を語るときではない。この流れを乱してはならない――
そう己に言い聞かせ、瞑目してセフィの話に耳を傾けた。

「ヴィクド自慢の傭兵団ともわけが違います。傭兵は糧を得るためにこそ団結し、統率されているのですからね。
そして、全ての兵士が組織の思想に忠実で、高潔であるとも限らないのが現実です。
喰うに困ってテロリストになる貧民も多いのです。
……土地柄や組織にもよりますが、自分の身を犠牲にして戦死した人間の家族には、
莫大な報酬もとい見舞金が支払われるとも言います」

 極めて不幸なことではあるが、セフィが挙げたような事例は現実として既に起こってしまっている。
貧困層の、更に最下層で地べたを這う人間の中には、衣食を得る為だけにテロリストになってしまう者も多かった。
 テロリストになる以外に生き残る道がない人間を卑下するつもりはないが、
そう言った者たちが自身の所属する組織の思想へ共感することは極稀であった。
 組織の思想や規律は訓練の段階で徹底的に叩き込まれるだろうが、
大義を胸に戦う人間とそうでない人間との差はどうしても出て来てしまうものである。
 もっと言えば、命懸けの状況へ陥った場合に誇りを賭して玉砕覚悟で戦えるのが組織を心酔するタイプで、
損得勘定に走ってしまうのがもう片方の部類と言うわけだ。
 所謂、原理主義とも異なる組織の在り方をセフィは論じていた。

「そう言った貧民層を切り崩して地盤を揺るがすとでも? ……小賢しいな、実に小賢しい」
「しかし、効果はあると思いますよ。組織に忠誠を誓っていないタイプの人間なら外の世界――
つまり、ギルガメシュ以外ともコンタクトを取っている可能性がある。万が一の場合の逃げ道は残しておきたいでしょうからね。
より広い層の切り崩しも副産物になると私は言上したかったのですよ」
「………………」

 口では悪態を吐いて否定してみせるものの、アルカーク自身もその策には一理あると感じ入ったらしく、
セフィの提言を無碍に切り捨てるようなことはしなかった。
 もしかすると――傭兵とテロリストの違いはあれど同じような経験があるのかも知れない。

「それともう一つ――彼らが絶対的な思想・目的として掲げているは何でしたかね、提督殿?」
「……異世界から漂着した難民の保護と救済、か?」
「では、難民側がギルガメシュの対応に反発し始めたらどうなります?」
「組織としての存在意義がなくなる――とでも言わせたいようだな、このオレに」
「同じ温かいスープを配ってくれる支援者でも、異世界人との蟠りをも受け入れて笑顔でいる人々と、
銃口を向けて整列を強いる兵隊では、前者のほうが心地良いに決まっています」
「なんとも面倒くさい話よ。世界の迷子たちをもてなすのは朕も望むところだが、
ギルガメシュの変態仮面どものが手をこまねいて見過ごすとは思えんぞ」

 絶妙のタイミングで意識を取り戻したファラ王が、頼まれてもいないのにセフィに相槌を打った。
アルカークが破壊したテーブルの残骸に埋もれていたせいか、身体のあちこちに木片が突き刺さっている。
 しかし、享楽家と言う生き物は、何かに興味を惹かれた瞬間、己の負傷すらお構いなしとなるようだ。

「――そこが最大の狙いだ」

 セフィの高説に割って入るファラ王を更に遮ったアルフレッドは、テロリストの限界へもう一歩踏み込んでいった。

「所詮、ヤツらは武装組織だ。武力しか自分たちの思想や原理を満足させる手段を持たない。
言うことを聴かない連中には、同朋であっても容赦なく武力でもって軌道修正を図るだろう。
反乱分子が現れれば、見せしめに公開処刑を行なう可能性もある」
「そうなればギルガメシュの、いや、エンディニオンの情勢は最悪の泥沼と化します。
統治能力が決定的に欠損していると見なされたが最後、反発が反発を生み、
一年もすれば反ギルガメシュの包囲網は完成されるでしょう。これまで以上の包囲網が」
「長々と説明してきたが、民衆はテロリズムを理解できない。この一言で全ての説明にカタが付く。
理解できないものを自分たちの首長にはしておけない」

 アルフレッドは士官学校で、セフィは過去の経験で、それぞれテロリストに対抗する知識を学んでいる。
ふたりがかりで具体的な対抗策を説かれると、アルカークは口をへの字に曲げて押し黙り、
ファラ王は「おぉぉ! 何故だか無性にオトコノコ心がくすぶられたぞ! なんとカッチョいい言い回しか!」とまたも拍手喝采で称賛した。
 「頼むから黙って欲しい。出来れば永遠に」。この一言に尽きる諸将の鬱憤は、
アポピスがファラ王の首筋に噛み付き、代行してくれた。

「この世に光と影があるように、理不尽な暴力はそれに抗う正義を生み出し、育みます。だからこそジューダス・ローブは敗れたのです。
……未来を予知でもしているかのように完璧な犯罪を重ねてきたジューダス・ローブですら、正義の到来には勝てなかった。
単独犯と組織犯が共有するのは、この末路くらいですかね」

 一言一言、噛み締めるように話すセフィの言葉に皆が耳を傾けている。
 一度はジューダス・ローブに命を狙われ、セントラルタワーの損壊など多大なダメージを負わされたジョゼフも類例に漏れることはない。
腕組みしながらセフィの独白を受け止め、何度となく頷いていた。

「……これと孫娘のことはまた別じゃぞ。ワシの目が黒い内は、こればかりは認められぬわい」

 ふとそんな呟きが聴こえた気がして、ハーヴェストはジョゼフの顔色を窺った。
そのときには既に口元は真一文字に締められていたが、おそらく聞き間違えでも空耳でもあるまい。
 こうした話にはとんと弱い守孝は、セフィの独白に感極まったのか、
それとも、彼の口がテロの事案を紡ぐことでを前村長のことを思い出してしまったのか、手の甲で涙を拭っている。

「それに敵には政治的な能力が完全に欠けている。行政を取り仕切ることは不可能だ。
エンディニオンの首都と言っても過言でないルナゲイトを制圧しておきながら、
ヤツらのやったことと言えば、電波ジャックと全世界に対する宣戦布告くらいじゃないか。
本当に政権担当能力を持っているならもっと具体的な行動を――」
「――話の途中で悪いのだけど、一つ、確認したいことがあるわ」

 そう言ってアルフレッドの説明を遮ったカジャムは、アルカークを押し退けて彼と向き合い――

「あんたの戦略は、降伏を利用した騙まし討ちを主軸にしてるけど、それは降伏によるリスクも折込済みってことでいいのよね?」
「今しがた述べた通りだ。領地削減か、あるいは没収になるかも知れないが、それくらいは覚悟して貰わなければ困る。
そこまで欺かなければ敵の油断は誘えない」
「領地は二の次よ。あたしが気にかかってるのは、……御屋形様の御命よ」

 ――この降伏案に於ける最大の懸念事項を訴えかけた。
 カジャムは先程も口にしていたが、降伏案を採用して敗軍の将となった場合、エルンストの身は如何様に処されるのか。
彼女のみならずテムグ・テングリ群狼領の誰もがこれを憂慮していた。
反ギルガメシュを世界中に呼びかけ、連合軍を組織した以上、無事のままで済むとは思えない。
 ましてや、敵は暴力によって自らの目的を達成させようとするテロリスト。
彼らにとって戦闘とは、目的達成の障害を駆逐することと同時に示威行為でもあるのだ。
そうした性質を慮ると、降伏を申し出たエルンストを見せしめの名目で殺害する可能性は十分に考えられる。
ただの殺害だけでは飽き足らず、亡骸を磔にして晒し者にするかも知れない。
 アルカークらヴィクドの傭兵部隊は既に同様の所業をやってのけている。
白旗を揚げるからには、ギルガメシュの意趣返しをも覚悟する必要があった。
 絶対的なカリスマ性を誇って一族を率いてきたエルンストがいなければ、
テムグ・テングリ群狼領などまさに風前の灯である。当然、ギルガメシュもこの点を読み抜いているだろう。
いくら御曹司と称されていても、若年のグンガルにとって馬軍の覇者の後継は荷が重過ぎる。
 エルンストが犠牲になる可能性の高い降伏案は、やはりカジャムには気が気ではないのだ。
列席したテムグ・テングリ群狼領の将士もこの懸念を共有しており、アルフレッドがどう返答するのか、固唾を呑んで待った。

「――エルンスト・ドルジ・パラッシュの死は無駄にはならない。死してカリスマは神格化される。
王の死はギルガメシュ打倒を志す者たちを奮い立たせる光明となるのだ」

 懸念に対する返答は、予想し得る最悪のものであった。
当然、馬軍の将士は激昂し、一斉にアルフレッドへと殺到していく――かに思われたのだが、
質問を投げかけたカジャムも、エルンストの実子たるグンガルさえも、拳を振り上げるどころか、その場に留まり続けている。
将士一同の面には、ただただ当惑の色が滲んでいた。
 それもその筈で、エルンストの犠牲を歓迎するとまで言い放ったのは、質問を受ける立場のアルフレッドではなかった。
彼が返答を紡ごうとした瞬間、機先を制するかのように全くの第三者が口を挟んだのである。
 エルンストが我が身を犠牲にすることによってギルガメシュ包囲網はより強固なものとなる――
なおも言い募るその声は、軍議の間の出入り口のほうより聞こえてきた。

「勝ちたいのだろう? だったら、喜んで命を差し出せ。ひとりの首級(くび)で全軍の勝利が約束される。
お前も本望だろう。どうだ、エルンスト・ドルジ・パラッシュ」

 次第にその声は犠牲を強いる対象――エルンストとの距離を詰めていく。
そうして近付くにつれて発言の内容も苛烈さを増していくように思えた。
 今しがたの発言などは、テムグ・テングリ群狼領の将士の爆発を招く火種のようなものであったが、誰ひとりとして声を荒げることはない。
完全な沈黙が軍議の場を支配し、空気も時間さえも凍結させているように見えた。
 声の主と、“その男”に追従する者たちが全身より迸らせる気魂(もの)は、
怨念と見紛うばかりに禍々しく、場内を丸ごと呑み込む程に大きかった。
いや、大きいと言うよりは、禍々しい気魂が際限なく膨張し続けていると表すほうが正しいかも知れない。
 またしても進行を妨げられたアルフレッドでさえ一団の発する気魂に中てられ、深紅の双眸を見開いたまま硬直しているのだ。
守孝やセフィとて同様である。ありとあらゆる危地を経験し、これを潜り抜けてきたジョゼフまでもが身じろぎを封じられるのだから、
気弱な者など今頃は卒倒しているかも知れない。

 唯一の例外はハーヴェストである。一団の正体を見極めた彼女は、跳ねるようにして椅子から立ち上がり、
今まさに自分の目の前を横切っていく引率者へ「シュガーレイ」と呼びかけた。エルンストに犠牲を強いた男の名を、だ。
 震える唇より搾り出した声は、しかし、その男の耳には届かなかったらしい。
名を呼びかけつつ、彼のトレードマークたるゴーグルをも注視していたが、レンズの下の瞳はエルンストにのみ向かっており、
ハーヴェストを一瞥することさえなかった。
 彼女もまた去りゆく背中に声を掛けることが出来なかった。ゴーグルの下に垣間見た双眸が底のない闇のように思え、
その尋常ならざる様子に気圧されてしまったのである。錯覚と呼ぶには、心身に覚えた感覚はあまりにも生々しい。
気付いたときには、彼女の両の掌は発汗で濡れそぼっていた。
 一団の中にはハーヴェストのことを知る者もおり、カーディガンにプリーツスカートと言う出で立ちの少女は、
困ったように両眉を垂れ下げながら、「メンゴね、ハーヴさん。あのヒト、最近は尖がりまくってるから」と平謝り。
満面をタトゥーで覆った巨人の如き女性もこれに頷いた。
 襟足から背中に向かって滑り落ちる栗色の長髪を結わえて三つ編みを作り、これを胸元へと垂らす巨体の女性は、
白虎を彷彿とさせる上着にだんだら模様の腰巻を着用している。
 装甲による強化が施されたオープンフィンガーグローブと厚手のブーツも好奇の対象であるが、
それにも増して衆目を引くのは、腰巻と同じだんだら模様が染め抜かれたバンダナであろう。
この布切れには鴉の羽根が差し込まれており、彼女たちが同じ意思のもとに行動する徒党であることを如実に表していた。
 つまりは、これが揃いの隊服と言うわけだ。そして、このような隊服に身を包む一団をアルフレッドは世界にひとつしか知らなかった。

「……シュガーレイ・ニューラグーン。あの場から生き延びたのか」

 軍議の場へと踏み入ってきた一団の正体をハーヴェストに続いて把握したアルフレッドは、次いで彼らの引率者に目を向けた。
 オープンフィンガーグローブなど以前とは装備の一部を更新した様子だが、とりあえず後遺症が残るような負傷は見受けられない。
少なくとも、身体の欠損などはなさそうだった。
 シュガーレイとは、ギルガメシュによるルナゲイト奇襲に巻き込まれて以来の再会なのだ。
正直なところ、こうして本人の姿を目の当たりにするまで彼が名誉の戦死を遂げたとばかりアルフレッドは考えていた。
 彼の心中には、軍議の間へ至る道すがら守孝より聞かされた話が蘇っている。
一行がハンガイ・オルスへ出発した後に佐志で発生した出来事の報告だ。
シェルクザールの民の到着や、ウィリアムスン・オーダーとマユの同盟関係締結など主要な事件に加えて、
エヴァンゲリスタと名乗るスカッド・フリーダムの戦闘隊長が佐志に難民救済への協力を求めたことも彼は既知していた。
 その話を聞いたとき、アルフレッドはシュガーレイがルナゲイトにて戦死したことを確信したのである。
彼が記憶する限りではスカッド・フリーダムにて戦闘隊長を務めていたのは、このシュガーレイなのである。
義の戦士たちの兵権を執る役職が急に他者へ移ったとき、考えられる可能性はただひとつであった。
 実際、今日の今日までローガンはシュガーレイと連絡がつかなかったのだ。
彼の親友を自負するローガンが消息不明と落胆し、守孝が戦闘隊長として別の者の名を挙げれば、
物故と見なすのが自然の流れと言うものであろう。
 縁者の目によって生存が確認されたシュガーレイではあったが、その身に纏う気魂は以前とは別人のように変わってしまっている。
サミット防衛の際に協力体制を整え、死線を共にした旧知の相手にも関わらず、
あまりの豹変にアルフレッドは掛ける言葉さえ見つけられなかった。

「――こいつぁ、驚いた。どこのチンピラ集団かと思ったら、シュガーレイと愉快なお友達どもじゃねーの。
巷を騒がせてるらしーが、今度は引っ掻き回そうってのかぁ? えェ?」

 アルフレッド、あるいはハーヴェストに成り代わってシュガーレイの背中に声をかけたのは、
その挑発的な物言いからも察せられるようにイーライである。
 訳知り顔のイーライ曰く――シュガーレイへ影のように従う少年隊士は、ジェイソン・ビスケットランチ。
『ルチャ・リブレ』と呼ばれる空中殺法主体の総合格闘術の使い手であり、小柄な身に宿った才能はまさしく天稟であると言う。
シェインとそれほど変わらない年齢にも関わらず、スカッド・フリーダムではキラ星の如く扱われていた。
 両目の下に刻まれた稲妻模様のタトゥーは、彼の戦い方をそっくりそのまま表しているそうだ。
興行(ショー)の如き派手な立ち回りで相手を弄び、その上で完膚なきまでに仕留めるのがジェイソン流である。
 ハーヴェストへ親しげに話しかけた少女隊士は、名をジャーメイン・バロッサと言う。
揃いの隊服を着用する一団の中にあって、ひとりだけカジュアルな身なりと言うこともあり、誰よりも悪目立ちしていた。
 但し、その愛らしい外見に騙されてはいけない。ルーインドサピエンス(旧人類)の時代に発祥したとされる古代拳法、
『ムエ・カッチューア』を体得した恐るべき女戦士なのだ。柔らかいローファーからは想像もつかないが、
脚の一振りだけで大型クリッターの胴をも真っ二つに断ち切ってしまうのだ。
キックの威力はアルフレッドに匹敵するか、あるいは彼をも上回るかも知れない。
 しかし、単純なキックなどは序の口も良いところ。ジャーメインと『ムエ・カッチューア』の恐ろしさは、首相撲と呼ばれる体勢にある。
相手の首に腕を回して組み付くと、全身がバラバラになるまでは決して加撃を止めないのだ。
 “ある特殊な方法”で強度を鋼鉄並みに高めたバンテージを拳に巻き、
戦いへと臨むジャーメインのことを、人は「全身凶器」などと畏怖していた。
 三メートルに手が届くのではないかと思える程の巨体を揺らしてシュガーレイに随行するのは、
チーム最年長のミルドレッド・ダンプ・アウグスティーナである。
遠目にはマスクを被っているようにも見える顔面タトゥーによって闘争本能の昂ぶりを常に維持し続けている狂戦士であった。
 全身を覆う筋肉とは裏腹に彼女が得意とする『ジウジツ』は、柔と剛を高い次元で融合させた技巧の結晶だ。
ありとあらゆる体勢、状態から相手を転がし、俗に寝技とも呼ばれる関節攻撃へと持ち込むのが『ジウジツ』の真髄であり、
熊をも絞め殺す豪腕に組み伏せられたなら、常人には脱出不可能なのだ。
 最後のひとりは、モーントと名乗る青年だ。
 経緯は不明ながら、ここ最近、シュガーレイの後ろに随いて回るようになったとイーライは聞いていた。
 入隊当初は実戦経験すらなかったものの、投げ技を主軸とした『グリマ』なる格闘術を習得して以来、
隊内で一目置かれる程の急成長を見せているらしい。
 彼の使う『グリマ』とは、舞踊を思わせる身のこなしで相手を幻惑し、猛烈な投げを打つ不思議な格闘術である。
その歴史は古く、モーントは原始的な殺人術としての『グリマ』を会得していた。
投げ倒した相手をそのまま組み敷き、直接打撃や関節技へ派生させる技術をも彼は使いこなすのだ。
 無論、投げそのものも一撃必殺の威力。本気を出せば、容易く骨身を砕くと言う。
 どうやらホウライの才能には乏しいようだが、それを補って余りある“モノ”を備えているともっぱらの噂であった。

「この四人にシュガーレイ隊長殿を加えたのが、栄えある『パトリオット猟班』ってワケだ。またの名をルール無用の殺し屋集団とも言うがな。
……聞いてるぜ。てめーらが通った後は、ひッでぇ有様の死体が山積みになるそうじゃねーか」

 格闘大会の解説者さながらの語り口調でもってパトリオット猟班なる者たちの特徴を詳らかにしていったイーライは、
最後に「義の戦士とは訊いて呆れらぁ」と手厳しい皮肉を飛ばした。
 白虎の如き上着にだんだら模様の腰巻と言う隊服を着用する者にとって、それは聞き捨てならない侮辱の筈だが、
ジャーメインは口に右手を当てつつ忍び笑いを漏らし、空いた左手をひらひらと振っては、
「やだなぁ、こんなに可愛い殺し屋なんているわけないじゃないですか〜」などとおどけている。
 他の者からも怒気や殺気は全く感じられなかった。スカッド・フリーダムの第一義を貶されたにも関わらず、
感情を転変させないことが却って不気味に思え、場を支配する空気は更に張り詰めていった。

「その珍妙なナリ――お前たちがメアズ・レイグ、か。おイタの過ぎる小悪党と聞いている。
今更、義を掲げるような資格はないが、ウロチョロと小うるさい鼠を見過ごすのも面白くはないか」
「ケッ、そこまで言うなら試してみるかよ? 近付く前に殺ってやるぜ!」
「いちいち言うコトが面白いコだ。アウトロー紛いの冒険者チームと聞いていたが、お前たちこそ殺し屋――いや、チンピラか。
メアズ・レイグの悪名もそこら中で聞かせて貰っているぞ」
「てめぇらほど殺しちゃいね〜よ。それに俺らは依頼ありきなんだよ。生きるか死ぬかは、その結果だ。
……だから、てめぇらと一緒にされたかねーんだよ。胸糞悪ィ!」
「ああ、だったら確かに違うな。結局、お前たちはただの小うるさい鼠だ」

 イーライと皮肉の応酬を演じたミルドレッドの声は、地の裂け目に響く木霊のように重低であったが、
やはり侮辱に立腹した様子ではない。それどころか、人間らしい感情自体が欠片も乗っていないように思えた。
 彼女は上顎の歯列に黒色のマウスピースを被せており、その独特の光沢がイーライに生理的な嫌悪感を抱かせた。
ジェイソンと目が合ったのは、どこまでも無感情なミルドレッドに吐き気を催した直後のことである。
 ミルドレッドの腰の辺りに頭頂部がやって来るジェイソンは、やはりマウスピースを被せた歯を剥き出しにして破顔し、
おぞましい笑気を浮かべながらメアズ・レイグに視線を這わせ、次いで口笛でもってふたりを囃し立てた。
 両端が裂けてしまうのではないかと心配になる程、彼の口元は綻んでおり、その様には病的な心理さえ感じられる。
 頭頂部よりやや後退したところで団子状に黒髪を結わえ、そこに三本ばかり鴉の羽根を差し込んであるのだが、
ケラケラとジェイソンが肩を揺らす度にこれらも妖しく揺れ動き、メアズ・レイグへの凶兆と見えなくもない。
 喧嘩を挑まれたと受け取り、直ちに指先を錐状へと変身させるイーライだったが、
トラウムの発動と制御に要する精神の集中は、レオナから抓り上げられた頬の痛みによって霧散してしまった。
 ディプロミスタスの変身が解除されるのを見て取ったレオナは、すかさず彼の耳元へと口を寄せ、
そこに諫言を滑り込ませた。諫言と言うよりも、その性質は警告に近い。

「ここは退いたほうが得策よ。この人たち、やっぱり危険過ぎるわ。イーライでも、……ううん、私が加勢してもキツいかも」
「レオナ、お前――俺が、……いや、ディプロミスタスが負けるっつーのかよ」
「正確には二連敗ね。アルフレッド君に負けて思い知ったでしょう? どんなに硬くなっても強度を突破されたら壊れるって。
それに、変身し終わる前に首を絞められたら、一瞬で落とされると思うよ?」
「……やってみなきゃわからねぇのが勝負ってもんだろ」
「やってみなくても理解出来るのが、私のパートナーだって信じているよ。
……この人たちの情報(こと)は、イヤになるくらいあちこちで聞いたでしょ?」

 レオナもまた鴉の羽根の揺らめきには凶兆を禁じ得なかった。尤も、ジェイソンが本当に危険な人物だと悟ったのは、
これより前のこと――頭のてっぺんから爪先まで全身を執拗に睨め付けられたとき、
常人とは異なる禍々しい気配をレオナは肌身に感じ取っていたのだ。
 タンクトップに山吹色のマフラー、ボトムはローライズなズボンのみと、レオナの着衣は荒野を渡る冒険者にしては露出箇所が多い。
否、多過ぎる。腹部などは生身が完全に剥き出しとなっており、
その為、恥知らずな輩より煩悩まみれの視線を這わされることも少なくなかった。
 しかし、ジェイソンから浴びせられた眼光は、破廉恥な物とは根本的に違っている。
満面に浮かべた笑みは、新しい玩具を与えられた子どものそれと全く同じであった。
それはつまり、メアズ・レイグを“遊ぶ為の道具”と見なしたことに他ならない。
彼らの歩んできた道を振り返れば、“遊ぶ為の道具”が如何なる末路を辿るかは瞭然だろう。
 ギルガメシュ襲来以降、エルンストの依頼で各地を飛び回っていたメアズ・レイグは、
シュガーレイ率いるパトリオット猟班が今日までどのような道を歩んできたのかを、この場の誰よりも良く知っている。
それだけに、レオナはパトリオット猟班を刺激しないようイーライに促したのだ。

 軍議の間に募った者たちは、単にパトリオット猟班が発する殺気に圧され、言葉を呑んでいるだけのこと。
真の恐ろしさをまだ知らないのだ。シュガーレイたちの来歴が明らかとなった場合、臆して脱走を図る者も現れるだろう。
 さりながら、全ての者が臆病風に吹かれるとは限らない。パトリオット猟班についてメアズ・レイグと同等の情報を掴み、
それでもなおこの場に留まり続けるたったひとつの例外が在った。
 守孝だ。源八郎経由でパトリオット猟班と呼ばれる一党の話を聞かされていた彼は、
撫子がニュースサイトから抜き出した暴挙や構成員の特徴がシュガーレイたちに合致しているとすぐさまに気付き、
次いでその報告をアルフレッドへ伝え損ねたことに頭を抱えた。
 件の報告は、ウィリアムスン・オーダーやスカッド・フリーダム本隊との協力体制のことが中心であり、
エヴァンゲリスタが「義の戦士の面汚しだ」と苦々しく吐き捨てた“別働隊”については、優先順位の選考にも入れていなかった。
得体の知れないパトリオット猟隊とは交わることがないと、源八郎も守孝も判断したのである。
 パトリオット猟隊以外の報告は漏れなく済ませていただけに、これは守孝にとって何よりの痛恨事であった。
時間の余裕があるときに伝えれば良いと判断したことが、まさかこのような形で現れるとは、誰が予測出来たであろうか。

「そうじゃ、源さんは猟班と申しておった。スカッド・フリーダムの別働隊と……」

 守孝の呻き声を真隣で聴いていたハーヴェストは、その耳慣れない単語に思わず首を傾げてしまった。
イーライも口にしていたが、シュガーレイとその一団は、どうやらパトリオット猟班なる隊名を称しているらしい。
 新入りであるらしいモーントを除き、ジャーメインもミルドレッドも、ジェイソンさえもハーヴェストにとって馴染みの深い同郷の友だが、
構成メンバーの顔触れはともかくとして、パトリオット猟班なる隊名には全く聞き覚えがなかった。
少なくとも、ハーヴェストが憶えている範囲では、スカッド・フリーダムに猟班を名乗る部隊は存在しない筈である。
 あるいは、最近になって新設された部隊名なのだろうか――
とうとう腕組みして悩み始めたハーヴェストに明答を示したのは、やはり旧知の友であった。

「パトリオット猟班って言うのは、私たちが勝手に名乗っているだけだよ。本隊は無関係。第一、私ら、反対を押し切って離脱しちゃってるし」
「臆病者の古ダヌキどもにゃ、何言ったって無駄だぜ。シュガーの兄キだってよ、あんなとこで戦闘隊長をずっと続けてたら、
いつかアタマが腐っちまったろ〜ぜ。辞めて正解ってもんだ」

 ところが、だ。旧知の友から手渡された明答は、ハーヴェストの混乱を鎮静するどころか、その正反対に作用するものだった。
口調こそ軽妙であったが、ジャーメインとジェイソンの語った内容は、
スカッド・フリーダムと深い因縁を持つハーヴェストにとって驚天動地としか例えようがなかった。
 彼らはスカッド・フリーダムの別働隊などではない。本来は隊服を纏うことさえ許されない脱走者の集まりなのである。
パトリオット猟班などと言う仰々しい隊名は、殆ど自己満足に等しい虚飾でしかないと言うわけだ。
 しかも、シュガーレイはスカッド・フリーダムの戦闘隊長を退いたと言う。
 存命中にこの役職を辞した者をハーヴェストは今までに聞いたことがなかった。
シュガーレイの前任者も、前々任者さえも戦いの中で討ち死に遂げており、まさしく生と死を賭した大任であった。
つまり、おいそれと辞任することが許されない、重い重い――本当に重い役目と言うことだ。
 それ程の重職を投げ捨ててまで下野するからには、シュガーレイも相当の覚悟があった筈なのだが、
ジャーメインとジェイソンは、核心へと触れる直前で口を噤んでしまった。
 じっと押し黙って朋輩の動静を見守っていたモーントから「人前で言って良いことと悪いことがあると思うよ」と
鋭い注意が飛んできたのだ。ミルドレッドも猟班の内部事情を外へ漏らすのを好ましく思っていない様子だった。
 離脱に至った事情と経緯など肝心の部分が割愛されてしまった為、ハーヴェストはますます混乱に拍車が掛かっていく。
とうとう頭まで掻き毟り始めた彼女を不憫に思い、何とか補足説明を試みようとする守孝だったが、
撫子が発見したと言うニュースサイトに目を通していなかった彼もジャーメインたちが語った以上のことは何も分からない。

「む、無念でござる……」

 勝手に責任を感じ、勝手に打ちひしがれて項垂れる守孝の背中を、セフィとジョゼフは不思議そうに見つめるばかりだった。

 一方のシュガーレイは、幼馴染みの懊悩など省みることもなく、エルンストと対峙している。
ものの数十分前までイニシアチブを握っていた筈のアルフレッドとアルカークは、今やすっかり脇へと押し出されてしまっていた。
 エルンストの間近に座したデュガリとブンカンは、突如として闖入してきたパトリオット猟班の面々を睨み据え、
カジャムなどは曲刀の鞘に吊るしてある戦輪(チャクラム)にまで手を掛けていた。幾度となく彼女と死地を潜り抜けた得物である。
 さすが百戦錬磨と言うべきか、馬軍の三将はパトリオット猟班が放つ禍々しい気魂にも圧されてはいない。
闖入者の内、誰かひとりでも狼藉を働いたときには、その場でこれを賊徒と見なし、一斉に攻めかかるであろう。
デュガリは腰に帯びたシャムシール(偃月刀)の柄を握り締め、ブンカンは着物の袖に仕込んだ暗器(※隠し武器)、
『袖箭(ちゅうせん)』の安全装置を解除した。
 袖箭とはバネ仕掛けを施した筒から毒矢を射出する暗器である。ブンカンはこの筒を両手のリストバンドへ各九発分設置しており、
いざと言うときには、これをもってエルンストを賊徒から守ることになっている。
 仮にジェイソンあたりが奇声を発すれば、その喉笛を狙って毒矢が射られることだろう。
続けざまにデュガリのシャムシールとカジャムの戦輪が閃き、軍議の場はたちまち修羅の巷と化すわけである。
 本来の得物を携行していなかったグンガルは、やや遅れて曲刀の柄に手を掛けたものの、
おそらくこの場に於いては何の戦力にもなるまい。

「それ以上は動かないことね。あたしもこの場を血で穢したくないのよ」
「カジャムさんの忠告は聞いておいたほうが良いですよ。この人、御屋形様のこととなると何をやらかすか、わかりませんからね。
それともうひとつ、デュガリ殿も怒らせないこと。この世でデュガリ殿以上に恐ろしい人を私は知りません」
「自分のことを棚に上げて、抜け抜けと言うな。それはワシの言葉だ」

 三将から明白な殺気を浴びせられながらも、その対象であるシュガーレイは表情ひとつ変えなかった。
愛想笑いすら作ろうともせず、正面に捉えたエルンストを見つめ続けている。
どうやら彼の狙いは、馬軍の覇者――いや、反ギルガメシュ連合軍の総大将のみに絞り込まれているようだ。
 エルンストもまたシュガーレイと視線を交えたまま、微動だにしない。
シュガーレイの真意を測るつもりか、それとも心中を見透かした上で、彼が行動を起こすのを待ち侘びているのか――
瞬きひとつしないエルンストの瞳は、アルフレッドやイーライを見つめるときと同じように透き通っていた。
 心に疚しいことを抱えた者がエルンストと相対すれば、おそらく数分と持たずに顔を背けることだろう。
何もかも包み込む覇者の双眸は、これと向き合う者の心を映し出す明鏡(かがみ)でもあるようだ。

「――悪を滅ぼすのは正義の務めだ。そして、お前が首を差し出せば、ギルガメシュは世界の悪に成り果てる。
エルンスト・ドルジ・パラッシュ、……正義の為に死ね」

 覇者の双眸と相対し、そこに映り込む己が気魂にも揺るがないシュガーレイは、
ギルガメシュを滅ぼす為に命を捧げるようエルンストへ繰り返した。僅かとて言い淀むことなく、万人の為の犠牲を強いたのだ。




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