9.Dog eat dog


「正義があるとは思わぬことだ。これより我らは罪に穢れる。……如何なる理由があろうとも、この罪からは逃れられん」

 悲壮と言うより他に例えようのない覚悟を若き将士に語るのは、
面と向かった彼らより倍はこの世を生き、その分だけ苦杯を嘗めてきたザムシードである。
 テムグ・テングリ群狼領きっての猛将として名を馳せるこの男は、かつて一度だけエルンストに背いたことがある。
先代御屋形、バルトロメーウスが逝去した後に勃発した後継者争いでは、彼はエルンストではなくその弟に味方したのだ。
才気は兄にこそある。エルンストの大器はザムシードも最初から疑ってはいなかった。
その半面で、群狼領を統べる者は弟でなければならないとも信じていたのである。
 後継者争いに発展した事情は、実に複雑であった。
 先代御屋形自身は、テムグ・テングリの生まれではない。エルンストを伴って異邦より訪れたバルトロメーウスは、
その恐るべき力をもってして草原の民を斬り従え、世界最強の馬軍へと発展させたのである。
 先代御屋形が現れた当時のテムグ・テングリは、雄大な自然と共に生きる遊牧民でしかなかった。
あるいは、その例えも些か誤りであるかも知れない。本来、身を寄せ合って生きるべき氏族の間で領地及び権利の奪い合いが頻発し、
グドゥー地方同様、群雄割拠の状況と化していたのだ。
 その暗雲を吹き飛ばすきっかけは、テムグ・テングリを構成する一氏族、ドルジの民とバルトロメーウスとの絆にある。
バルトロメーウスの才覚に惚れ込んだ族長は、ドルジの民を他の氏族に負けない精兵へ鍛え上げて欲しいと彼に願った。
 これを快く引き受けたバルトロメーウスは、存分に豪腕を振るい、ドルジの民の鍛錬を開始してから僅か半年後、
なんとテムグ・テングリそのものを統一してしまったのである。
 やがて惣領の座に就いたバルトロメーウスは、テムグ・テングリを完全なる騎馬民族に再編成し、
今日(こんにち)に知られる版図拡大へ撃って出たと言う次第であった。
 時代が激動する最中、ドルジの族長の娘を妻に娶っていたバルトロメーウスは、彼女との間に一子を設けた。
それがエルンストの弟、バダルチン――つまり、ザムシードが次期御屋形に推した青年である。
 元来のテムグ・テングリとは、所謂、氏族連合だった。
 バルトロメーウスの指揮によって外来の者たちも幅広く受け入れるようになり、結果として世界に覇を唱える程の力を得たわけだが、
その根本には血の繋がりに基づく守旧の精神が潜在しており、群狼領内にて重要な地位を占めるようになった新興勢力に対し、
“草原の民”は強い危機感を抱いていたのだ。
 ドルジと近しい氏族、ツェウェグニャム出身のザムシードは、保守層の代表的立場にあった。
 氏族連合と言う名の血の結束をテムグ・テングリの核とするには、バルトロメーウスの後継者はバダルチンを置いて他にはいない。
ザムシードはこれこそ馬軍の未来と信じ、エルンストへ戦いを挑んだのである。
 その争乱の結末は、現在の馬軍を見れば一目瞭然である。後継者争いに敗れたバダルチンは兄の手で首を刎ねられ、
弔い合戦に臨んだ残党も敢えなく屈した。
 ザムシードにとってその敗北は、血の結束の消滅をも意味している。
バルトロメーウス以前の氏族連合は、新たな時代の前に潰えるとばかり彼は考えていた。
 だが、エルンストは最後まで自分に歯向かったザムシードを許し、それどころか、現在も腹心として重用している。
新興勢力に駆逐される運命と思われた旧来の氏族を、だ。
 テムグ・テングリ旧来の血の結束を重んじ、その上で自身の支持基盤であった新興勢力にも地位と権利を平等に確保する――
奇跡としか言いようのない調和の成立は、新聞王ジョゼフですら成し得なかった大偉業であった。
 改めてエルンストの大器に感服したザムシードは、その瞬間に偉大なる御屋形の為、
テムグ・テングリ群狼領の為に我が身を捧げる覚悟を決めたのだ。
 全ての大地を、空を、海さえもエルンスト・ドルジ・パラッシュの名のもとに統一してみせる。
その為ならば、喜んで泥を呑もう。汚辱を一身に浴びることも厭わない。それが現在のザムシードの全てだった。

 それはつまり、汚れ仕事は己ひとりで全て引き受けると言う覚悟でもあった。
 今、ザムシードは大いなる罪を犯そうとしている。テムグ・テングリ群狼領の将でありながらエルンストを軽んじ、
あまつさえ馬軍からの離反を画策しているゼラールを、自らの手で抹殺しようと言うのだ。
 抹殺と一口に言っても、直接的にその命を絶つのではない。テムグ・テングリ群狼領からの永久追放が処罰の着地点であった。
軍律違反は枚挙に暇がなく、エルンストへの不敬も考えれば、追放への異論などは上がるまい。
 ザムシードの本音では、粛清が妥当である。自らの手で抹殺を――命を絶ってやりたかった。
 だが、状況がそれを許さない。一敗地に塗れ、反ギルガメシュ連合軍の結束が揺らぎつつある今、
テムグ・テングリ群狼領の内紛を露呈することは、それこそ命取りとなり兼ねなかった。
連合軍の間には、ザムシードが重んじてきた血の結束のようなものは存在し得ない。
今はギルガメシュ打倒の一点で結びついているが、何がきっかけで崩壊するか分からない程に同盟は脆弱なのだ。
 軍律違反を理由にゼラールを処刑させることは容易い。だが、ここで無理無体に命を奪おうものなら、
「死の制裁も辞さない主将」との不信感が連合軍内部で渦巻くことだろう。
 そして、ゼラール軍団は間違いなく報復に出る。そうなれば、この大規模同盟も一巻の終わりだった。
 永久追放と言う処分は、これまでのゼラールの横暴からすれば相当に甘い処罰である。
納得は行かないが、妥協して受け入れる以外にザムシードには選択肢がなかった。

 ただし、「抹殺」と言う一点だけは、何としても果たさなければならない。
追放に先立ってゼラールの力を完全に削ぎ落とし、再起の可能性を絶つ。
萌芽のひとつまで摘み取らなくては、真に「抹殺」したとは言えないのだ。

「……何としてもトルーポ・バスターアローを討つ。あれを排除しない限り、反撃の影に怯えることになる。
……忌まわしいペガンティン・ラウトとも関係が深い。生かしておくわけにはいかんのだ」

 自分へ言い聞かせるようにして、ザムシードは取り除くべき内憂について論じていく。
 ゼラールの股肱の臣にして、軍団の要たるトルーポの排除――それが「抹殺」の全貌であった。
 テムグ・テングリ群狼領と言う大勢力の中にあって傍若無人に振舞うゼラールだが、どう言うわけか、彼には付き従う者が多い。
彼が初めてハンガイ・オルスに訪れたときのことは、群狼領内では語り草となっていた。
元士官候補生など大勢の取り巻きを引き連れ、行列を成して入城してきたのである。
 そうした派手好きは静まるどころか、日を追うごとに過激さを増しており、今では革鎧の将士まで行列に混ざる有様だ。
その数たるや侮り難く、確実にゼラール軍団の一角を占めつつあった。
 ザムシードを始め上級幹部たちには理解し難いことながら、
ゼラール・カザンと言う男には他者を惹き付けて離さない何かが備わっている様子だ。世の人はその才覚をカリスマ性とも呼ぶ。
 それ故に始末が悪い。先述の通り、馬軍の一部にまでゼラールの信奉者が現れ始めた今、
憎き相手と雖も迂闊に手出しが出来なかった。
 それ故に始末の付け方もある。カリスマ性を以ってして人を惹き付けるのがゼラールの役割であるならば、
これを実際に差配する任務はトルーポが担っている。
恐るべき体躯や重武装の数々など規格外の戦士と言う一面ばかりが取り沙汰されるが、
実は調整役としての存在感こそが彼をゼラール軍団の柱たらしめる要因である。
 ゼラールの元に集った朋輩の間に立ち、微に入り細に入り、心を砕くのはトルーポの仕事なのだ。
重要な対外交渉を任されるのも決まってトルーポであり、名実ともに軍団の次席として機能していた。
これは、エルンストにとってのデュガリに相当する大任と言えよう。
 そこがゼラール軍団最大の弱点だった。実質的に舵取りを担うトルーポが失われたゼラール軍団は、
たちまち機能不全に陥り、空中分解することだろう。カリスマ性だけでは組織を動かしていくことなど出来はしないのだ。
ましてや、ゼラールは調整役をトルーポひとりに集中させてしまっている。
即ち、次席の代理が務まるような人材が軍団には不在と言うことだ。
 更に付け加えると、ペガンティン・ラウトとゼラール軍団との間に感じられるキナ臭い繋がりも
トルーポ排除によって大きく様変わりする筈なのだ。海の一族を率いる女頭目は、トルーポの妻である。
得てして政略結婚によって結ばれた連合とは、片方が死没しただけで崩れ去る脆いものであった。
 ゼラール軍団を破滅へ導くには、断固としてトルーポを除かねばならなかった。
さもなくば、追放した後にもテムグ・テングリ群狼領はゼラール軍団に翻弄され続けるだろう。
卓越したトルーポの差配や、彼と婚姻関係で結ばれたペガンティン・ラウトは、馬軍にとって明確な脅威であった。

 テムグ・テングリ群狼領の行く末を左右する大一番だが、そこに栄光はない。
エルンストの許しを得ずに内部粛清を断行するからには、軍律違反に問われる可能性も高いのだ。
そして、このような汚れ仕事こそ己の本分とザムシードは心得ていた。
 一度は反逆と言う大罪を犯し、生命を投げ捨てた身である。老いて朽ちるか、戦場に散るか、待ち受ける末期は知れないが、
いずれ迎えるその瞬間まで思う存分に汚辱に塗れるつもりである。
 罪に穢れるのは、自分ひとりで十分だ。その覚悟を以ってトルーポ粛清に乗り出したザムシードは、
連合軍全体の指針を採択する軍議を欠席してまで地下の枢密の間へ閉じ篭り、実行計画を練り上げていた。
事情を共有するデュガリやブンカンにも断りを入れず、単独で粛清(こと)を完遂しようと言うのだ。
 ただひとりの例外は、ピナフォアの存在だ。彼女にだけは協力を求めていた。
事情はどうあれ、ゼラール軍団の一員としてトラウムを使用した以上、それは重大な軍律違反である。
この罪を雪ぐには、トルーポ粛清に携わることでゼラールとの訣別を内外に示す必要があった。
全てが終わった後、本隊へ復帰するピナフォアのことを裏切り者と白眼視する者が出るかも知れない。
そうした誹謗中傷から彼女を守る為の措置でもあった。
 粛清が果たされた暁には、トルーポの抹殺をお膳立てした最大の功労者としてピナフォアの復権を図るつもりである。
 そのピナフォアには、既にある秘策を言い付け、トルーポのもとへ放ってある。
彼女から連絡が入り次第、粛清の計画を実行に移す手筈となっていた。
 抹殺の決行を間近に控えたザムシードは、白御影の石壁に囲まれた室内を落ち着きなく歩き回り、
やがて深い溜め息を引き摺りながら項垂れた。

「……だが、そう――しかし、な。御屋形様の兵を誰に断るでもなく斬って捨てるのは、決して許されない罪なのだよ。
表沙汰になるか否か別として、そこに足を踏み入れてしまったなら、未来永劫に苦しみ抜くことになる。
心に刺さったトゲは、何があっても抜け落ちたりはしないんだ」

 石壁に跳ね返されて反響を起こしたその声は、仮に文字として書き起こしたなら、おそらく上下左右に震えていることだろう。
鈍く律動するその言葉は、しかし、誰に聞かせるでもない独り言などとは違っていた。
説得を試みようとする強い念が働いているのだ。
 ザムシードがそう語りかける相手は、直立不動のまま、枢密の間の中央にて瞑目するひとりの青年将校であった。
騎馬部隊の百人隊長を任された若き精鋭、ビアルタ・ムンフバト・オイラトである。
 ゼラール軍団が野に放たれるより前にトルーポを粛清しなくてはならない――ピナフォアが具申した場にも居合わせたビアルタは、
自分もその実行メンバーの一員に加えて欲しいと挙手し、実際にザムシードが行動を開始してからと言うもの、
常に彼の後ろを随いて回っていた。
 ゼラールに強い不快感を抱いていたビアルタは、忌々しい敵に大打撃を与えられる好機を喜んでいるわけだ。
 だからこそ、ザムシードはビアルタの参加を認めようとしなかった。
彼がこの件に関わることだけは、どうあっても避けたいと言うのがザムシードの本音であった。
 エルンストの実妹を妻に持つビアルタが汚れ仕事の片棒を担ぐなど以ての外。それは御屋形の顔に泥を塗るのにも等しかった。
ザムシード自身、ビアルタの気風を好ましく思っており、前途有望な若者の人生に汚点を残したくはないのだ。
 元々、ビアルタはテムグ・テングリ群狼領と敵対する一勢力の御曹司であり、
ザムシードたち保守派とは相容れない新興勢力の側の人間だった。
しかし、隔たりのようなものは全く感じなかった。ビアルタは尊崇するエルンストへひたすら尽くし、
その忠誠心は血の結束で繋がる氏族連合に勝るとも劣らない。
 ときに空回りや視野狭窄に陥ることもあるが、ビアルタこそ次代のテムグ・テングリ群狼領を担う器とザムシードは見込んでいた。
そのような逸材を巻き込むのが忍びないのである。

「それは言いっこなしと、自分は何回繰り返したらいいんでしょうか、ザムシード殿。
御屋形様――いえ、義兄上(あにうえ)の一門のオレがやらなければならないことなのです。
自ら血を浴びない者には誰も随いては来ないでしょう? ……義兄上の代わりなら、私はいくら穢れても構いません」

 今もまたビアルタは持ち前の闘志を盛んに燃やし、ザムシードの説得には耳を貸そうとしない。
一本気な性格も実に青年らしいが、しかし、融通が利かないようでは困り者である。
 ビアルタの言い分も確かにわかる。己の身を犠牲にする覚悟を示した者にこそ、人は心を打たれ、呼応するものだ。
奇しくもふたりが付け狙うゼラールは常に激闘の最前線に飛び出し、この勇気を以って数多の人々を惹き付けていた。
 あるいは、ビアルタにとってこの大勝負とは、ゼラール・カザンと言う影に打ち克つ為の試練なのかも知れない。
真に光を放つのはエルンストのみ。これを全軍に知らしめようと言う覚悟は、ザムシードとて共有するところであった。

「……きっと御屋形様は悲しむぞ。逆鱗に触れるかも知れん。軽蔑だけで済めば良いほうだ」
「仮にも義弟の首を斬れば、義兄上も二度と獅子身中の虫を飼うことはなくなるでしょう。私にはそのほうが遥かに意義がある」
「……呆れた。呆れ果てたぞ、ビアルタ殿。その頭の中で御屋形様を困らせることばかり考えているらしいな」
「かつて御屋形様を煩わせたザムシード殿にそこまで言って頂けるとは、晴れて私も一人前ですね」
「一人前なら、それに見合った命の使い方をして欲しいものだがね。……もう後には退けなくなるのだぞ?」
「御屋形様の為、テムグ・テングリ群狼領の為、修羅の道は既に歩んでおります」

 今一度、念を押すように尋ねるものの、やはりビアルタの意思は変わらなかった。
 とうとうザムシードも根負けし、ビアルタに右手を差し出しながら、「我らは何があっても一蓮托生」と、改めて同志の誓いを立てた。
これを断る理由などビアルタにある筈もない。ザムシードの右手を握り締め、更に空いたもう片方の手をこれに添え、
「これ以上に光栄なことはありません。穢れるのも、死する日も、願わくは共に」と何度も何度も頷いた。
 枢密の間の扉が開かれたのは、両将が義兄弟の契りの如き握手を済ませた直後のことである。
何やら焦燥の調子で開かれたドアから飛び込んできたのは、群狼領の隠密部隊を統括するドモヴォーイだ。
この毛むくじゃらの男もトルーポ粛清に加担しており、任務の合間を縫ってはザムシードを手伝っている。
 どう言うわけか、ひょうきんなドモヴォーイにしては様子がおかしい。いつもは顔を合わせる度に冗談ばかり飛ばしているのだが、
枢密の間に飛び込んできた彼は、並々ならない逼迫を帯びていた。
 その様子から計画の露見を早合点し、「おのれ、ゼラール・カザンめ、小癪な!」と火を吹くビアルタだったが、
これを否定するようにドモヴォーイは首を横に振った。
豊かな髭を箒でも掛けるかのように左右へ何度も振り回したあたり、多少のゆとりは残している様子だ。
 何かにつけて冗談を挟み込むドモヴォーイの性分はともかく、
彼が報せに来たのは、とても笑っていられるような類の事態(こと)ではなかった。
実際、ドモヴォーイは毛先から朝露の如く汗を滴らせている。

「――賊だ、賊が押し入った! 警備の兵が何人もやられている!」

 開け放たれたドアの向こうでは、確かに兵士たちの怒鳴り声が飛び交っている。
つまり、ドモヴォーイの報せは冗談でも諧謔でもなく、差し迫った危機に他ならない。それも、相当に深刻な事態である。
 この場の最優先事項を確認し合ったザムシードとビアルタは、直ちに白御影の床を蹴った。


 ドモヴォーイからの報せによれば、賊は男女合わせて五名。スカッド・フリーダムと似て非なる風体であると言う。
 これにはザムシードも首を傾げた。全世界を股にかけて活動しているスカッド・フリーダムには、
両帝会戦の以前から同盟への参加を呼びかけていたのだ。その特使が来訪したと言うことであれば、
賓客の待遇をもって迎えられる筈である。侵入などと言う荒っぽい手段を使わずに堂々と入城すればよかろう。
 彼らの性質からしてギルガメシュに願えると言うことは考えられない。
ならば、敵対関係にあるテムグ・テングリ群狼領と決着をつけるべく、刺客を送り込んできたと言うのか――
これもまた見当違いであろう。混迷を極める世界情勢の中、ハンガイ・オルスへ討ち入る程、彼らは愚かではなかった。
 頭の中の疑問符と格闘しつつも回廊を駆け、途上、侵入者にやられたと思しき負傷兵をいたわり、
じわじわと怒りを昂ぶらせていたザムシードは、ビアルタ、ドモヴォーイと共に馳せ参じた軍議の間でついに侵入者を捉えた。
 成る程、目撃者が違和感を覚えるわけだ。確かにその一団はスカッド・フリーダムの隊服を着用してはいる。
ただし、オープンフィンガーグローブなど一部の武装が正規部隊のそれと大きく異なるのだ。
中には隊服を全く身に着けていない少女まで混ざっている。「似て非なる者」とは正鵠を射た例え方であった。
 何よりも言動が義の戦士からかけ離れている。

「――悪を滅ぼすのは正義の務めだ。そして、お前が首を差し出せば、ギルガメシュは世界の悪に成り果てる。
エルンスト・ドルジ・パラッシュ、……正義の為に死ね」

 このような暴言をスカッド・フリーダムの隊士が吐くわけがない。ならば、スカッド・フリーダムの名を騙る偽者であろうか。
しかし、その一団が迸らせる気魂は、禍々しいと言う一点さえ除けば、筆舌に尽くし難い程に強烈であった。
義の戦士の一派であることに間違いはなさそうだった。

 偶然か、それとも必然であろうか。アルフレッドもビアルタたちと同じようなことを考えていた。
目の前に立ったこのゴーグル姿の男は、以前に顔を合わせたシュガーレイとは別人ではないかと半疑すらしている。
義を重んじる男が力ずくで押し込むわけがなかろう。実は性格の違う弟なり兄がいて、
本人の代わりとしてハンガイ・オルスにやって来たに違いない――彼にしては珍しく荒唐無稽な想像まで浮かべる始末だ。
 サミットでは嵌めていなかった筈の黒色のマウスピースなど、別人であることを宣言しているように見えなくもない。
 それとなくセフィを窺うアルフレッドであったが、赤色のエクステの奥にて意を察した親友は、期待には添えないと頭を振ってしまった。
 当のセフィは、今しがた同じようなことをジョゼフにも尋ねられたばかりだった。
目の下が落ち窪んでしまったシュガーレイと、これに従うパトリオット猟班は、その行動からして常軌を逸している。
彼らもジューダス・ローブの標的――即ち、エンディニオンの未来に影を落とす者ではないかと疑われたわけだ。
 果たして、アルフレッドとジョゼフの疑念は杞憂に終わった。
ラプラスの幻叡がセフィに示した攻撃対象には、シュガーレイどころか、スカッド・フリーダム本隊すら含まれていなかった。
新聞王たちが推察した通りあったならば、サミット襲撃のドサクサに紛れて始末を付けていただろう。
シュガーレイが五体満足で屹立する姿こそが、ジューダス・ローブとの無関係を如実に表している。
 尤も、五体満足がいつまで継続するか分からない情勢ではある。
アルフレッドもジューダス・ローブのことを穿り返す前に、現在進行形でパトリオット猟班が置かれた状況を考慮すべきだ。
 デュガリ、カジャム、ブンカンを向こうに回し、同胞の様子から事態を察したザムシード、ビアルタ、ドモヴォーイに背後を遮られ、
完全に袋の中の鼠と化している。群狼領が誇る猛将に取り囲まれると言うこの状況は、さながら絶望的構図であろう。
 逃れようと思えば、両脇に退路を開けなくもないが、「ひとりにつき最低ひとりはブチ殺せんな〜」などと
愉快そうに拳を鳴らすジェイソンを窺う限り、無様な撤収とは正反対の展開が予想された。
 ジェイソンのように命知らずな放言は慎んでいるものの、他の者たちもこの絶望的構図に動じてはいない様子だ。
そもそも、これを絶望的構図と見なしているのは周囲の人間ばかりである。
 仲間たちに絶対的な信頼を置いているのか、挟撃の状態に追い込まれようともシュガーレイは眉ひとつ動かさずに
エルンストを睥睨し続けている。
 舐められたものだと、ブンカンは心中にて悪態を吐いた。軍師である前に彼もれっきとした群狼領の武将なのだ。
ビアルタと同じく元々は新興勢力の側の人間だが、御屋形を支えて修羅場を潜り抜けてきた自負もある。
シュガーレイの態度はこれを愚弄しているようなものであり、不愉快の一言であった。
 このまま事態が縺れたなら、間違いなく戦いになる。スカッド・フリーダム本隊で戦闘隊長を務めてきたシュガーレイを始め、
パトリオット猟班はいずれも優れた手練であり、気魂のみで周囲の者たちを戦慄させている。
 しかし、それがどうしたと言うのだ。彼らに劣り、敗れるとは思っていない。
馬軍を見下している者たちへ本当の恐怖がどう言うものか、思い知らせる準備もある。
 さりとて、軍師としての立場を省みると、この場での流血は避けねばならなかった。
大罪人たるゼラールを追放に処した理由と同じだ。連合軍の結束へ悪しき影響を及ぼし兼ねない事態を防ぐのが、
遵守すべき役目であり、立場であった。
 ビアルタなどは早くも目を血走らせている。今にもジェイソンへ猛襲を仕掛けそうな勢いだ。
軍師の脳は、この緊張状態を打開する策を求めて動き出した。

「……スカッド・フリーダムには再三に渡って同盟への参加を募ってきましたが、
あなたたちがその使者と言うことですか? 何やら珍しいお召し物のようですけれど?」

 腹の底はともかくとして、ブンカンは努めて平静にシュガーレイへ語りかけた。
 これは、再確認である。先程のことだが、ハーヴェストと交わした会話の中でジャーメインとジェイソンは
スカッド・フリーダムからの離脱を仄めかしていた。本隊と意見が合致せず、有志のみで単独行動を取り始めたと言うのだ。
 従って、スカッド・フリーダムが派遣した使者と言う可能性は絶無。それでも敢えて問い質したのは、
彼らの真意を測る為の小細工である。反応次第では本隊との関係も推し量れる。

「わッかんねぇおっさんだなァ〜。オイラたちゃ、あの古臭ェ連中と違ってニューエイジなわけよ。
……いや、シュガーの兄キもミルさんも年食ってっからエイジってのはおかしいか。ニューウェーブな、ニューウェーブ」

 エルンスト以外とは話す口を持たないとでも言うかのように押し黙るシュガーレイに代わり、ジェイソンがブンカンの質問に答えた。
 カンガルーのジャンプの如くふわりと跳ね、リーダーの頭をも飛び越えたジェイソンは、そのままエルンストの背面まで回り込み、
何を血迷ったのか、後ろから手を伸ばして彼の頬を弄び始めた。
テムグ・テングリ群狼領の御屋形にして、反ギルガメシュ連合軍主将の頬を、だ。
 「おっさん、皮ばっかりだな。肉食えよ、肉」などとケラケラ笑うジェイソンだが、これは何があっても許されない事態である。

「このッ……痴れ者がァッ!」

 さして気にも留めず、されるがままにしているエルンストだったが、身辺を固める馬軍はこの愚弄に黙っていない。
ビアルタよりもカジャムよりも――誰よりも先んじて床を蹴ったグンガルは、
曲刀を腰だめに構えてジェイソンへと突進していく。全身でぶつかるようにして剣先を突き立てるつもりだ。
 グンガルの得物は、二本の獣角を取っ手の両端へ互い違いに取り付けた変形の突撃槍(ランス)である。
『ファキーズ・ホルン』と呼称される得物は、有事であれば片時も離さずに担っているのだが、
ここは合戦場ではなく、また軍議の場にも似つかわしいとは言い難い。
常識的な判断から然るべき場所で保管しているのだが、今日ばかりはこれが裏目に出たようだ。
 ファキーズ・ホルンより放つ刺突の要領を踏まえ、曲刀にて応用を利かせたものの、どうしても動きにキレがない。
言わば、付け焼刃である。“元”とは言えスカッド・フリーダムの隊士にそのような鈍らの技が通じる筈もなかった。

「こんなおばかでも仲間は仲間だもん。助けないわけにはいかないんだよねぇ」

 エルンストと睨み合うシュガーレイを迂回し、父の背後に立つジェイソンへと向かっていくグンガルの前にジャーメインが立ちはだかった。
電撃的な反射神経と速度である。彼女は一団の最後尾にて旧知のハーヴェストと話をしていた筈だ。
 実は自分以外の時間を静止させ、その間隙を縫ってここまでやって来た――
そのようにジャーメインより言い渡されていたら、グンガルは疑うことなく信じていただろう。
 両手を合わせ、困り顔で謝るジャーメインを捉えた次の瞬間、何の前触れもなくグンガルの視界は数多の残像で満たされた。
「数多」どころか、目に付く全ての人、物、あるいは部屋に灯された明りまでもが一本の光線と化し、
天へ逆巻くようにして閃いたのである。
 何が起きたかも把握出来ない間にグンガルの身体は重力に逆らい、刹那の浮揚感の後には天井へ叩き付けられていた。
 床に落下してからもグンガルの混乱は続いた。自分の身に起きたことを脳のほうが分析出来なくなっているのだ。
足元から突風が吹き付けたかと思うや否や、全く自由を奪われてしまったのである。
 呆けたように天井を仰ぎ見ると、そこには曲刀が深々とめり込んでいた。ジェイソンに突き立てようと試みた腰の一振りが、だ。
無論、その周辺にはグンガルを受け止めた大きな窪みがある。
 強く握り締めていた筈の一振りを有り得ない場所に見つけ、窪みから散り降る石膏の破片を頭に被ったとき、
グンガルは初めて自分の右腕が動かなくなっていることに気付いた。
 その理由もまた一瞬にて悟った。肘から先が全く言うことを聞かないのは、前腕が中程から折れてしまったからだ。
加えて、右腕全体も異様かつ不自然に伸びている。前腕の骨折に続き、肩の脱臼もグンガルは確認した。
 脱臼箇所を強引に嵌め込み、肩の機能を回復させることは不可能ではないが、前腕が折れている以上、事態は何ら好転しない筈である。
骨折こそ免れたものの、左の手首もかなり傷めてしまったようだ。

「一応、手加減はしたつもりなんだけど――ちょーっとやり過ぎちゃった? ……ご、ごめんねぇ〜!」

 そう謝罪するジャーメインは、左の膝を腰の高さにまで上げていた。一本足にて屹立するその姿勢からも察せられる通り、
彼女は仲間を守るべくグンガルに飛び膝蹴りを見舞ったのである。連打ではない。たった一発の膝蹴りだった。
 右腕全体を覆う痺れに堪えつつジャーメインを睨み返すグンガルであったが、毅然とした態度とは裏腹に、その身は戦慄に震えている。
彼女の弁を信じるならば、今しがたの膝蹴りは相当に力を抑えたものであると言う。
グンガルとて膂力には多少の自負があるものの、手加減した一撃でもって標的を吹き飛ばすことは出来ない。
 世に名高いスカッド・フリーダム――彼らは離脱した身だが――の隊士が備えた力を思い知ったグンガルは、
「本当にお前たちは人間か……」との驚嘆を漏らすばかりである。

 万に一つも勝ち目はないが、エルンストの御曹司と言う誇りを賭して反撃を探るグンガルの背後では、
「御曹司、大事ございませんか!?」と、その安否を問う声が上がり続けている。
 中でも一番喧しいのは、やはりビアルタである。加勢に駆けつけようと曲刀を構えて吼え声を上げているのだが、
モーントに行く手を遮られ、途上での立ち往生を余儀なくされていた。
 負傷したグンガルを救うべくカジャムが、エルンストに対する不敬を戒めるべくデュガリが、
それぞれの標的に向かっていく様を望遠出来たのは、彼にとってせめてもの慰めであろう。
今度は一刻も早く両将に合流しようと焦り始める始末であった。
 尤も、意気盛んにデュガリたちのもとまで辿り着いたところで、結果は見えたようなものである。
ビアルタもまた本来の得物を備えてはいない。そもそも彼の得意は騎馬での戦いであった。
馬上ボウガンと名付けた軍馬専用の大型兵器を駆使して敵陣へと攻め入るわけだが、
腰に帯びた曲刀は、乱戦時を除いては常に鞘の内へと納まっていた。即ち、刀剣が得手とは言い難いのだ。
全く知らないわけではないが、しかし、使えなくもない程度の腕前である。
 ジャーメインに一蹴されたグンガルと同じように、ビアルタもまた未熟な武器を手にパトリオット猟班へ挑もうとしている。
無謀と言うよりも二の轍を踏む愚か者の振る舞いとも言えよう。
 分の悪さを物ともせずに攻め手を模索してくるビアルタに対してモーントが披露したのは、
ジャーメインのそれとは質を異にする身のこなしであった。
開いた両手を胸元に引き付けて構え、少しばかりの前傾姿勢を保ったまま前後左右へ緩やかに飛び跳ねるのだ。
 その動きは、さながら舞踊のステップである。幻惑を誘っていると見て取ったビアルタは、
彼を己の呼吸へ引き擦り込み、飲み込んでしまおうと一気呵成に間合いを詰めていく。
 その動きを先読みしていたモーントは、ビアルタが曲刀を水平に構えた瞬間、
右足を腰の高さまで引き上げ、鉈の如くこれを振り下ろした。
 頭上まで踵を持ち上げるより威力は低かろうが、動作が小さい分だけ足捌きが迅速だ。
瞬きをも上回る速度でビアルタの右足に脅威が迫っていった。
 所謂、ローキックの一種である。これが並みの相手であれば、ビアルタも当たるに任せて強引に押し切るところだが、
ジャーメインの蹴りを目撃した今は、慎重にならざるを得ない。自身と比べて貧弱に見える程の細身ではあるものの、
モーントとてシュガーレイの配下なのだ。身体能力は底が知れなかった。
 咄嗟に後方へと跳ね飛び、鉈の如きローキックを回避するビアルタだったが、これこそモーントの狙いである。
 自分の足が接地した瞬間、モーントは更に上体を前方へと傾け、その体勢からビアルタ目掛けて猛然と組み付いていった。
 タックルで向かってくることもある程度は予想していたビアルタは、中空にて曲刀を逆手に持ち替え、
着地と同時に横薙ぎの一閃を見舞った。腰の捻りをも駆使したその動きは、僅差ながらモーントの速度を上回っている。
今まさにこめかみへ触れようとしている刃先は、彼の頭を輪切りにしてしまうだろう。
 このとき、ビアルタは勝利を確信していた。さりとて、そこに油断を差し挟むことはない。
完全に仕留め終えるまでは全神経を曲刀に注いでいるのだ。
 しかし、曲刀に宿ったビアルタの自信は、絶体絶命のモーントが打った次なる一手によって粉々に砕かれてしまった。
即座に曲刀の横薙ぎを見極めたモーントは、この軌道に合わせるように上体を振り回し、頭部に致命傷を被る危機を脱したのである。
これはビアルタの驚嘆を引き出すには十分過ぎる威力を備えていた。なまじ自信があっただけに、そのショックは大きかろう。
 振り子の要領で上体を逆方向へと振り回したモーントは、それと同時に右腕をビアルタの胴に引っ掛け、
続けざまに空いた左手をも滑り込ませていった。すかさず左右の手を組み、彼の懐を脅かしたのは言うまでもない。
腰の捻りを巧みに使い分ける攻防一体の挙動であった。

「素人。……ぼくみたいなド素人に言われちゃ、テゴネ・トンカツとやらの名が廃るよ」
「もしや、今、テムグ・テングリと言おうとしたのか? 言い間違えではないだろうッ!? 我らが騎馬軍団を貶す気かッ!?」
「気に障ったのなら、許しておくれよ。こっちに来て日が浅いんだ」

 革鎧の上からでも骨身を圧迫される程の膂力で胴を締め上げられたビアルタは、身を捩ってこれを振り解こうと試みる。
 対するモーントは床に螺旋でも描くようなステップでビアルタの反抗を乱し、その流れに乗って彼の体勢を崩してしまった。
 足を払ってビアルタの身を浮かせたモーントは、内側へと巻き込むようにして彼に負い、その体勢のまま自身も飛び跳ねた。
自然、ビアルタは側頭部から硬い地面へ叩き付けられる恰好となる。

「――ンなくそぉッ!」

 火事場の馬鹿力を発揮したビアルタは、ギリギリのところで強引に身体を捻り、側頭部への直撃だけは避けた。
代わりに脇腹を強打してしまったが、このダメージは革鎧が吸収している。
そうでなくとも、頭をやられるのに比べれば遥かに安全と言うものだ。
 「頭をやられるのに比べれば」と言う例えは、あるいは不正確かも知れない。
モーントは側頭部へのダメージなど最初から狙ってはいなかった。
地面に激突させた拍子に梃子の原理でビアルタの頚椎をへし折ろうとしていたのである。
側頭部から落としたのは、そこが力の支点となるからだ。
 間一髪で投げ技の術理に気付き、即死を免れたビアルタは、背筋を走る冷たい戦慄に思わず舌打ちした。
イシュタルに許された特権たるトラウムを禁忌として封印し、自らの肉体を鍛え上げてきたテムグ・テングリ群狼領は、
余人に翻弄されるようなことがあってはならない。最強馬軍のプライドがそれを許さない。
 身を翻して立ち上がろうとするビアルタの股へ右足で割って入ったモーントは、臍の下にある丹田へ追撃の膝を落とそうとする。
丹田とは人体急所のひとつだ。この部位も革鎧によって防護はされているが、
スカッド・フリーダムの膝蹴りが直撃しようものなら、紙の如く貫通してしまうだろう。
 逸早くモーントの狙いを察知したビアルタは床板を踏みしめ、両足の力のみで鋭敏に後転。
追いすがってくるモーントへと改めて曲刀を繰り出した。既に逆手から順手に持ち替えている。
彼の選んだ反撃は、上体のバネを駆使しての刺突であった。
 後転を経て片膝立ちの姿勢を取った為、ある程度の踏ん張りは利く。無論、立った状態での技と比べて威力は格段に落ちるが、
万全を求めていられるような状況でもない。剣先でモーントを捉える。それが最優先だ。
剣先を当てることが出来たなら、後は力任せに貫けば良い。
 果たして、ビアルタの刺突がモーントの土手っ腹を捉えた。臍から背骨まで一気に突き抜けると、彼は確信すら得ていた。
ところが、現実は小説よりも奇なり。直撃した剣先がモーントに弾かれてしまったのだ。
いや、そのように生易しいものではない。鋭い音が響くや否や、曲刀の剣先が破断したのである。
鋭利な破片はモーントの腹部から跳ね返り、鍔元に在るビアルタの手の甲を掠めた。
 それはつまり、鍛え上げられた鉄の刃の強度がモーントの土手っ腹に敗れ去ったことを意味している。生身の肉体に、だ。
「筋肉の鎧」なる表現は、確かに比喩としては多用されるが、この青年の肉体は、本当に甲冑に等しい硬度を備えていると言うことか。

「バカな、貴様はどう言う……」

 さしものビアルタもこれには動転し、剣先の欠けた曲刀を呆然と見つめるばかりだった。
「並外れた筋肉」の一言で片付けられるものではなく、常人の身体構造とは考えられなかった。

「……メイに危害を加えることはまかりならない。理に背くことになっても、必ず守り抜く」

 「メイ」とは、ジャーメインのニックネームであろう。彼女と浅からぬ関係にあることを仄めかすようなモーントの宣言に、
同胞のミルドレッドは「モーントは不破の盾。鈍らな刀如きで徹せるとは思わないことだ」と付け加えた。
 やはり人間味の薄い重低な声でもってビアルタに通達するミルドレッドは、
乱戦を演じるモーントたちを挟んで馬軍の将を牽制していた。睨み据えるその対象とは、ザムシードとドモヴォーイの両将である。
 四肢を大きく広げ、尚且つ掌を接地させるその構えは、水を張った田畑へ飛び込もうとする蛙のようでもあった。
しかし、そこに愛らしさは絶無である。喉の奥より漏れ出す唸り声は狂犬さながらに獰猛であり、
ギョロリとした大粒の双眸などは標的を捕捉したまま瞬きひとつしようとしなかった。
 本能的な恐怖を煽るミルドレッドを睥睨するザムシードは、先程から拳の開閉を繰り返している。
彼の得意は徒手空拳である。得物を持たず、付け焼刃で挑んで返り討ちになったグンガルやビアルタとは異なり、
今、この場に於いても最大限に戦闘力を発揮出来る筈なのだ。
 そのザムシードでさえ、ミルドレッドを攻められずにいる。自身の戦闘技術に近いと言うこともあり、
武芸の研究が盛んなタイガーバズーカには並々ならない関心を寄せていた。若かりし頃は視察にも赴いた程である。
 当然、彼女の使うジウジツなる格闘術のことも耳にしていた。実際にこれを鍛錬する道場も見学し、
高い次元で完成された技術の数々に目を見張った――そのときの光景がザムシードの脳裏に蘇りつつあった。
 ありとあらゆる打撃を捌き、捻り、姿勢を崩させ、あっという間に得意の寝技へ持ち込んでしまうのだ。
相手の側が寝技を試みた場合の防御も完璧である。風車の如く回転して相手をひっくり返し、強制的に攻守を入れ替えて組み伏せる。
風車が止まる頃には、ジウジツに挑んだ相手は関節を壊されているだろう。あるいは、絞首の責め苦を味わうかも知れない。
 蛙を彷彿とさせる構えはザムシードが知るジウジツの技法にはなく、ミルドレッドが独自に開発したものと思われる。
そこから如何なる技を試みるのかは知れないが、タックルないしは投げなど自ら攻め込んでも恐ろしく強い。
死角を消去し得る計算の上に成り立つもの。それがジウジツであると、ザムシードは捉えていた。
 それ故にザムシードも迂闊に手が出せず、ビアルタやグンガルを助けることもままならない。

「……お前さんでもキツいか、このデカブツの相手は」
「分が悪い――とだけ言っておこう」

 隠密活動が本分だけにドモヴォーイは他の幹部に比べて直接的な戦闘力では一歩遅れている。
禁句(タブー)を口にした愚か者を血祭りに上げる場合には、それこそ悪魔のような所業もやってのけるのだが、
制裁と実戦は全くの別物である。
 ザムシードが手詰まりになると、ドモヴォーイはこれに従うしかなかった。彼の双眸は同胞たちの窮地をはっきりと捉えている。
ビアルタは異常な身体構造の持ち主に翻弄され、御曹司に至っては手酷い負傷だ。
手練のデュガリやカジャムでさえ攻めあぐねるとは、最強馬軍の名折れとも言うべき事態であった。
 この情景を見回したジェイソンは、「なんだよ、このザマ。おっさん自慢の軍団ってのも大したことねぇな」などと胸を反り返らせて大笑い。
内容云々はともかく声の質だけは少年らしく無邪気なもので、それだけにビアルタの憤激を一層刺激していった。

 かく言う彼は、デュガリを相手にルチャ・リブレの妙技を披露している最中である。
 老将の繰り出すシャムシールは重みと鋭さを兼ね備えており、変幻自在の太刀筋には些かも年齢を感じさせない。
周囲に連合軍の諸将が列席している為、大振りの横薙ぎなどは封印せざるを得ないものの、
デュガリに備わった経験や技術はこれを補って余りある。肩に担いだシャムシールの峰を鎖骨の上で滑らせ、
且つ手首のスナップを利かせて半月の形に振り落とすほか、急激に身を沈ませつつ縦一文字を閃かせるなど
白刃の軌道を最小限に留め、小回りの利く工夫を凝らしていった。
 縦一文字が避けられると見るや、すぐさま刃を手元に引き付けたデュガリは、水平に構えたシャムシールの峰を右上腕に押し当て、
そのままの前傾姿勢を取った。このとき、剣先は後ろを向いている。遠目にはデュガリが得物を担いだようにも見えるだろうが、
実際にはシャムシールの刀身は肩よりずっと下の位置に留まっている。
 これもまた閉所での戦い方のひとつだ。踏み込みに合わせて腰を思い切り捻り、勢いに乗せて白刃をぶつけていった。
その間にもシャムシールの峰は彼の右上腕近くに引き付けられている。
全身を振り回し、且つ上体のバネを使い切ることによって通常の横薙ぎに匹敵する遠心力を生み出そうとする試みだ。
実際、刃先の鋭さは腕の屈伸を用いた薙ぎ払いと遜色がなかった。
 身体ごとぶつける変則的な斬撃を軽やかなバク転でかわしたジェイソンに対して、
デュガリは更に一歩踏み込みつつ、剣先でもって床を舐めるかのような斬り上げを見舞った。
 追い掛けてきたシャムシールの刀身を口笛吹きつつ右の人差し指と親指のみで掴んだジェイソンは、
血に餓えた猛獣の如き執念の太刀を「フツーのヤツなら今のでオシマイだったぜ」とからかった。
 それは即ち、着地を待たずに身を翻して中空にてシャムシールを受け止めたと言うことだ。

「――だがよ、オイラぁ、フツーじゃね〜んだわ」
「普通であろうとなかろうと、大した問題ではない。御屋形様への侮辱を許すわけにはいかん。それだけだ」

 シャムシールを掴んだジェイソンは、右の指先を軸に逆立ちするような格好となった。
いくら小柄とは雖も、全体重を片手のみで支えるのは至難の業だ。その上、軸足に相当するは、たった二本の指である。
 それにも関わらず、ジェイソンの身体が左右に振り回されることはない。刀身を掴んだまま一本の木の如く微動だにしなかった。
腕と指の筋力のみで体重と平衡感覚を完全に維持していると言うわけだ。
 デュガリの表情(かお)が忌々しげに歪むのを見て取ると、今度は刀身から指を離し、続けざま中空にて全身を旋回させた。
轟然たる横回転から繰り出されるのは、ローリングソバットと呼ばれる蹴り技だ。
大きく広げるかのように両腕を振り回しつつ横薙ぎ気味に足裏を喰らわせるこの蹴りは、
言わばジェイソンの代名詞であるらしく、たったの一撃でシャムシールごとデュガリを弾き飛ばしてしまった。
 この少年隊士の得意は空中殺法である。ローリングソバットを披露する前にも数々の飛び技、軽業で応戦していたのだ。
ときにはデュガリの双肩を踏み台代わりにして飛び跳ね、天井に触れるか否かと言う頂点から体当たりを仕掛けることもあった。
 いずれの技も小さな身体からは想像のつかないパワーを秘めている。
事実、シャムシールにローリングソバットを直撃されたデュガリは、刀身をも貫通して襲い掛かってくる衝撃に耐え切れなかった。
全身を揺さ振られた挙句、不覚にも片膝をつくところだったのだ。
 ダメ押しで刺突を試みるデュガリではあったが、手拍子しつつ待ち受けていたジェイソンは上体を反り返らせてこれを避けた。
無論、彼の軽業はただの回避行動では終わらない。剣先が引き戻されるや否や、頭のてっぺんを床に付け、
ここを支点にして下半身を一気に跳ね上げた。
 この縦回転を経ることによって両者は再び正面から相見えたのだが、快哉と笑うジェイソンとは正反対にデュガリの表情は優れない。
ジェイソンの言行はひとつひとつがパフォーマンスとしての趣を含んでおり、これが老将を苛立たせているのだ。
もうひとつ付け加えるならば、これがエルンストに向けられていたのと同じ侮辱と言う点である。
身を以って味わった以上、尚更、ジェイソンを許してはおけない。

「――その身で償え、小童」

 老将の闘争心を肌身に感じたジェイソンは、しかし、怯むどころか嬉々としてこれを受け止めている。
 接地と同時に膝のバネを発揮し、デュガリに向かって一気に踏み込んでいくジェイソンは、
間合いを詰めるその途上にて急激に飛び上がった。やや身を縮めながらの不思議な跳躍である。
続けざまに中空にて身を翻し、水平に近い体勢を作ると、そこから強烈な蹴りを見舞った。
 両足を揃えた飛び蹴り――ドロップキックである。足裏を鎚の如く突き込む荒業だが、跳躍を伴う攻撃としては位置が極端に低い。
低空より攻めかかったジェイソンの狙いは、デュガリの右膝であった。
 露骨に足元を狙った低空ドロップキックが百戦錬磨の将に通用する筈もなく、
シャムシールの腹を盾に見立てたデュガリの機転によって易々と防がれてしまった。
片手でもって刀身を翻し、空いた左手はこの裏に添えられている。両足でもって床を踏み締めており、今度は力負けもしていない。
 しかし、ここからが空中殺法の本領発揮だった。低空ドロップキックが受け止められると見るや、
ジェイソンは両足の甲で以ってシャムシールの刀身を挟み込み、次いで全身を急速に旋回させた。
錐揉みを加えつつ全体重を一気に傾け、愛刀もろともデュガリを放り投げようと言うのだ。
そして、一連の動きは、ジェイソンの身が滞空している間に完成していた。
 デュガリも負けてはいない。シャムシールに添えていた左手を伸ばし、彼の右足首を掴み上げ、
その小さな身体を硬い床へ容赦なく叩き付けた。
 激突の寸前、両手を地面にぶつけて衝撃を相殺し、全身が強打されることは避けたものの、
依然としてジェイソンの右足はデュガリの左手が捉えている。

「デュガリ殿! 悪い癖が出ておりますよ!」

 徐にシャムシールを振り翳したデュガリへブンカンから諫言が飛んできた。
 軍師たる彼にとっての最優先事項は、連合軍の士気に関わるような無益ない諍いを撲滅することにある。
デュガリの刃を止めるのは当然と言えば、当然であろう。老将もまたブンカンの立場は理解していた。
 だが、聞き入れられることと、そうでないことが世の中には存在する。
連合軍の総大将たるエルンストに対し、あろうことか、この少年隊士は度し難い無礼を働いたのだ。
そう言った手合いの誅滅は、群狼領の誇りを守ることにも等しいとデュガリは考えていた。
 軍議での振舞い全軍の士気を左右する――そのことは重々承知していた。
だが、遜って媚を売ることと配慮は全く別物であろう。媚びる為なら誇りさえ引き換えにしてしまえる恥知らずに、
果たして、誰が随いてくると言うのか。
 デュガリは、テムグ・テングリ最古参のひとりである。最強騎馬軍を黎明期より見守ってきた老将にとっては、
武威こそが真実であった。

「なんか言ってるぜ、ホレ。年寄りの冷や水はやめとけっつってんじゃね〜の? マジやめられても困るけどよ」
「大人気ないと窘められただけだ。……だが、忘八者への折檻もまた年寄りの仕事であってな――」

 言うや、デュガリはシャムシールをジェイソンの右足目掛けて振り落とした。思慮も遠慮もなく、これを切断する腹づもりである。
 さしものジェイソンも足を断ち切られてはかなわない。自由な左足でもってシャムシールの柄頭を蹴り上げ、
報復とばかりに右の腋下にも痛烈な一撃を見舞った。どうしても両者の間には体格差がある為、
ジェイソンは左手を床につき、これを支えにして全身を持ち上げていた。
 シャムシールと共に右腕を跳ね上げられた為、デュガリに死角が生じた。無論、これを見逃すジェイソンではない。
左手一本で全身の体重を支えると言う無茶な体勢のまま、脇腹、首筋、こめかみへ順繰りに横蹴りを打ち込んでいった。
 今もまだデュガリの左手は左足首を掴んで離さず、屈伸にも難儀する程に可動域が限定されている。
ジェイソンはその瞬間ごとに最も適した関節の動きを選択し、あるいは力任せに左膝を折りたたみ、
最大の攻撃力を右の蹴りへ付与しているのだ。類まれなる柔軟性なくしては実現不可能な神業であった。
 連続攻撃はまだ終わらない。甲でもってこめかみを打ち据えていた足を翻し、今度は右肩へと踵を叩き込んだ。
言わば、右足を切断しようとしたことへの意趣返しである。だが、これは直接的な打撃と言うよりも、次なる攻め手への布石に近い。
 己の踵をデュガリの肩――より正確には右の肩当てに引っ掛けたジェイソンは、
ここを軸にして猛然と上体を引き起こし、その際に生じた勢いを乗せて両腕を垂直に振り回した。

「フライング・ジェイソン・チョップ――なんつってなぁッ!」

 思い切り広げられたジェイソンの両手は、所謂、チョップの構えを取っている。
あたかもナイフを象ったかのような左右の手をデュガリの左肩に打ち下ろした。右肩ではなく左肩が標的である。
 また、上体を引き起こした際に生じた勢いは、ジェイソンの右足にも強烈な推力を与えていた。
無謀にも右膝を突き出し、チョップと同時にデュガリの左肩を抉ったのである。
一歩間違えば、膝の靭帯や骨をも壊し兼ねない荒業だ。
 膝蹴りもチョップも、硬い肩当ての上からの加撃ではあるが、おそらく甚大なダメージをもたらしているだろう。
 今のジェイソンは全身を凶器に換えているようなものであった。
左肩を揺さぶるや否や、すぐさまにチョップの構えを解き、今度は左右の掌でもってデュガリの頭を挟み込んだ。
皺くちゃの眉間に加えられたトドメは、原始的ながら効果の覿面な頭突きである。
軍議の間に響き渡る鈍い音が、脳をも震わせる一撃の重みを表していた。

 連続して急所を強打されては、さしものデュガリも堪えられまい――
勝利を確信して口の端を吊り上げたジェイソンは言うに及ばず、不測の乱闘を見守っていた誰もが老将の卒倒を疑わなかった。
 ところが、だ。当のデュガリはたじろぎもせずにジェイソンを睨み据え、右足首を掴む手に更なる力を加えた。
 頭突きに対する反撃は、天を仰ぐような高所より打ち下ろされる柄頭の一撃であった。
シャムシールの柄を握り締めるのは、無論、ジェイソン自らが高々と跳ね上げた右手である。
意趣返しどころか、打撃の応酬に当たって反撃時の利点を与えてしまうとは、何とも皮肉な話だ。
 勢いの乗った柄頭はジェイソンを再び床に叩き付けた。左足を肩に引っ掛けると言う体勢から落された為、
受け身こそ取ったものの、今度はダメージを緩衝し切れず、背や首に息が詰まるような痛手を被ってしまった。

「最早、逃がさんぞッ!」
「冗談ッ! 面白くなってきたっつーのに、こんなとこで終われるかよ! 逃げ道くらい手前ェで作るぜェ!」

 またしても左足を断ちにかかるデュガリに対し、ジェイソンは負けん気に溢れた減らず口を叩く。
果たして、それは有言実行となった。
 今まさにシャムシールを振り落とすべく前傾姿勢となったところで彼の内股に自身の左足を滑り込ませ、
その瞬間、ジェイソンは「こう言うケンカはバカみてーに仕込まれてんだ。遅れなんか取らねぇよ」と再び口の端を吊り上げた。
 やがてジェイソンの足裏がデュガリの左太股、それも付け根に近い部分を蹴り付け、これによって老将の体勢を崩してしまった。
横から突き押された場合、加撃された側の足は強制的に浮き上がる。この現象を応用した反撃の一手であった。
しかも、蹴りを食らった際のデュガリは前傾姿勢。それだけに不安定なバランスとなっており、
少しの衝撃で容易く身が傾ぐと言うわけだ。
 再び縦一文字を封殺したジェイソンは、瞬時にして左足を引くとこれを支点にして踏ん張りを利かせ、
次いで上半身を右方向へと思い切り捻った。彼の身体が青竹のしなりの如く逆方向に跳ね返るのは、
骨身が軋む音さえ聞こえてきそうなくらいに溜めを作った後のことである。
 竜巻でも起こさんばかりの勢いで上体を旋回させたジェイソンは、右の掌でもってデュガリの左脇腹を突き押した。
拳頭で抉ったわけでも、チョップを見舞ったわけでもない。ただ単純に掌を押し当てたに近い。
だが、ジェイソンの上体に宿ったバネの力は凄まじいものがあり、掌底にて突かれたデュガリは、ついに遠間まで吹き飛ばされてしまった。
最早、どのように踏ん張ろうとも堪えようがなく、何があっても離すまいとしていたジェイソンの右足さえ離れていった。

 デュガリにとっては、一生の不覚とも言うべき痛恨事である。
幸いにして吹き飛んだ先にはアルフレッドが在り、彼が身を以って受け止めた為、床の上を転げ回ると言う醜態は晒さずに済んだ。
 しかし、安堵は出来ない。いや、安堵などしてはならない。どうあってもジェイソンを仕留め切れないと言う焦りも確かにあるが、
それ以上にアルフレッドの心中がデュガリには気がかりだった。
今しがたも「大丈夫か?」と安否を確認されたのだが、その声には穏やかならざる感情(もの)が満ちていた。
 無理からぬ話であろう。ギルガメシュへの逆転を期した献策はパトリオット猟班の乱入で座礁し、
あまつさえ必然性もなく始まった乱闘によって軍議そのものが破綻しかけているのだ。

 アルフレッドの視界には、漆黒のマウスピースを剥き出しにして哄笑するジェイソンの他、カジャムとジャーメインも映り込んでいる。
今でこそ小康状態となり、睨み合いに終始しているが、ふたりの女戦士も先程まで大立ち回りを演じていた。
 ジャーメインの最大の武器が蹴りであると見て取ったカジャムは、先ず戦輪(チャクラム)を放ち、
これを追い掛けるようにして跳躍した。右手には他の将と同じように曲刀を握り締めている。
 戦輪(チャクラム)とは、月の輪を模したような形状の投擲武器である。
内側に人差し指を引っ掛けて回転させ、これによって生じた遠心力を応用して投げ付けると言う一風代わった代物だ。
円月の縁は全面が鋭利な刃物であり、標的の斬殺を目的としていた。
 徒手空拳を得意とするジャーメインではあるが、さりとて武器、兵器について全くの無知ではない。
カジャムの狙いを縦横より襲い掛かる同時斬撃であると読んだ。縦の一閃とは、即ち戦輪(チャクラム)である。
殺傷力に富んだ飛び道具がジャーメインを捉える頃には、縦の一閃が中空より振り落とされるのだろう。
見れば、カジャムの身は天井スレスレに在る。仮にジャーメインが戦輪(チャクラム)を避けたとしても天井を踏み台にして急降下し、
逃れた先まで追尾していくに違いない。
 ふたつの刃はそれぞれが一撃必殺の可能性を秘めている。
この勝負、カジャムからすれば、どちらか片方でも直撃させるだけでこと足りると言うわけだ。
いずれか片方が囮と言う可能性も十分に有り得る。戦輪(チャクラム)が到達するより先に突撃してジャーメインを押し止め、
やがて飛来する円月の刃でもって首なり頭なりを輪切りにすると言う戦法とて無きにしも非ずだ。
天井を踏み台代わりに利用すれば、急降下の速度など容易く調節出来る――それがテムグ・テングリ群狼領の戦士であった。
 複数のパターンが存在し、尚且つ、いずれも可能性がある為に事前の対策を立てられない。
ジャーメインにとっては非常に厄介な攻撃である。

「――やめやめ! むずかしーことはシュガーさんにお任せだよぅ」

 考えても答えは出ないとばかりにギリギリまで縦横の刃を引き付けることにしたジャーメインは、
避けきれなくなる寸前まで堪えたとき、ようやくカジャムの真の狙いを読み取った。
どちらか片方が囮と言うことはない。ただただ必殺のみを狙うカジャムには両方が本命なのだ。
 縦横の刃、即ち、戦輪(チャクラム)と曲刀を全く同時に撃ち込もうとするカジャムには、
さすがのジャーメインも“破顔”せざるを得なかった。それぞれ独立した刃のタイミングを完璧に合わせられなければ、
この戦法は成功しない。それどころか、自ら敵の懐中へ飛び込む分、カジャムの不利と言うものだ。
万が一にも呼吸を読まれ、縦横の刃を避けられたときには、待ち受けるのはジャーメインによる虐殺である。
 首を搦め取り、膝や肘でもって徹底的に“破壊”する――
敵の切り札を承知した上で、敢えて背水の陣を布いたカジャムの胆力を、ジャーメインは心の底から歓迎した。
 横の一閃たる戦輪(チャクラム)は、踏み付けようと思えば出来なくもない。
しかし、そうして飛び道具を止めたところで、次の瞬間には縦の一閃たる曲刀によって脳天を割られるだろう。
 背筋が凍るようなこの戦法へ打ち勝つには、どこかでカジャムの拍子を崩さなければならない。
一秒にも満たない瞬きの時間でも構わないのだ。両者が勝負を競うこの次元に於いては、たったそれだけのことが命取りとなる。
 ついにカジャムの足が天井を踏み付けた。ジャーメインにとっては、それ自体が死の宣告にも等しい。
戦輪(チャクラム)とて今にも喉笛へと到達しそうだが、彼女はそこに起死回生を見出した。
 猛然と迫ってくる戦輪(チャクラム)に敢えて一歩踏み込み、直撃を被るか否かの刹那、目にも留まらぬ速さにて右足を振り上げた。
しかも、その際に爪先を輪の内側へと滑り込ませ、次いで甲の部分にてこれを引っ掛けると、
思い切り胸を反らせながら戦輪(チャクラム)を撃ち返したのだ。残像さえ留め置かない神速の領域である。
 とは言え、無理を押したことに変わりはなく、さすがのジャーメインも体勢を崩してしまった。
尻餅をついたのは恥ずべき失敗ではあるものの、カジャムの拍子を崩せたと言う確信があった――

「……たまんないわね。お姉さん、本職は大道芸人じゃないの?」

 ――が、それは淡い期待でしかなく、成果としては結実しなかった。
 中空のカジャムは跳ね返された戦輪(チャクラム)に些かも動揺せず、曲刀を輪の中心へと差し込み、
人差し指の代わりに刀身にてこれを回転させ始めた。
ジャーメインが捻り出した戦輪(チャクラム)破りの秘策を反対にやり返そうと言うのだ。
 全身の肌が粟立つのをジャーメインは感じていた。さりとて、死の恐怖に凍り付いたわけではない。
なおも底の知れないカジャムに対して、戦士の血が沸騰しているのだった。
 戦輪(チャクラム)が自分の首を狙って急降下してきた瞬間も、床を転がってこれを避けた瞬間も、
中空にて高速旋回したカジャムが横薙ぎでもって追撃を繰り出した瞬間も――全ての瞬間がジャーメインの血肉を沸き立たせていた。
 急角度からの横薙ぎを後転によって避けたジャーメインは、着地したカジャムと自分との間に戦輪(チャクラム)を見つけた。
深々と床に突き刺さり、あたかも水平線に浮かぶ月のような風情を醸し出している。
 その瞬間、ジャーメインは次なる戦輪(チャクラム)の役割を閃いた。カジャムがどのようにして地を食らう月を引き抜き、
自分に向けてくるのか、その予想図(ビジョン)が不思議にもはっきりと脳裏に浮かんだのだ。
 だから、ジャーメインは戦輪(チャクラム)へと駆け寄っていく。
当然ながらカジャムも自分と同じ目標を見据え、一足飛びに近付いて来る。
 ジャーメインもカジャムも、我知らず裂帛の気合を迸らせていた。
 地を食らう月を前にして両者が取った行動は、最初の疾走までは同様に思えたが、それ以降は全く異なっている。
正面から突進してくるジャーメインに対し、カジャムは右手の曲刀を縦一文字に振り落とし、
彼女が飛びずさったところで戦輪(チャクラム)を左手にて引き抜いた。
 ダメ押し気味の縦一文字を後方に跳ねて避けたジャーメインは、着地するなり再び間合いを詰めに掛かる。
これに対してカジャムより繰り出された迎撃は、白刃の乱舞などではなかった。
左手に握り締めた戦輪(チャクラム)をナックルダスターの如く用いたのである。
 奇想天外としか言いようがなかった。円月のフチは全て刃物となっており、強く握り込めば、たちまち肉を裂いてしまうのだ。
革の手袋を嵌めてはいるものの、切れ味鋭い戦輪(チャクラム)に対しては、必ずしも有効な防具として機能しない。
そう言った理屈は抜きにしても、刃物をそのまま握ったら危険と言うことは、小さな子供でも理解が及ぶ筈であった。
 直接、戦輪(チャクラム)を突き込んだのは、偏にジャーメインの裏を掻く為だった。
小さな子供でも解りそうな常識的判断を敢えて外し、この申し分ない強敵の虚を衝こうと謀ったのである。
自身の負傷も免れない無理な使い方ではあるものの、腕力でもって腹部なり胸部なりに戦輪(チャクラム)を押し込めば、
それだけで曲刀に勝るとも劣らない殺傷力を発揮するのだ。
 カジャムがこのように無謀な手段に出ること、またその覚悟を以って立ち向かってきたことを悟ったジャーメインは、
突き出される戦輪(チャクラム)へ自らの右拳をぶつけた。真っ向から勝負することが、彼女にとって最上級の礼節であった。
 瞬間、両者の手から鮮血が噴き出し、赤い飛沫が互いの頬に斑模様を作った。
お互いの覚悟を認め合うかのように相好を崩した両者は、それ以降、長々と睨み合いを続けていた。

 息遣いまでも感じられるような間近で別次元の攻防を目の当たりにしていたグンガルは、
確執にも近い関係にあるカジャムに助けられた事実さえ認識出来ないまま、呆けたように座り込んでいる。
口を開け広げて微動だにしないあたり、「腰を抜かした」と言い表すのが正解のようだ。
 グンガル程ではないにしろ、大きなダメージを負っているデュガリを支え、立たせてやったアルフレッドは、
改めてパトリオット猟班を、何より大事な軍議を有耶無耶にしてくれた無頼の集団を順繰りに睨み付け、
今なおエルンストと相対したまま動かないシュガーレイに向かって、「一体、何様のつもりなんだ」と憎々しげに言い捨てた。

「貴様らがスカッド・フリーダムを離れてやって来たのはわかった。だが、それでどうした? 
大切な軍議へ無遠慮にあがり込んで来たかと思えば、いきなりエルンストに死ねと強いる。
それで、次は何だ? 辺り構わず侮辱的な言葉を吐き散らし、乱闘まで起こす始末。
……貴様らはどこぞの誰かが差し向けた刺客か? ハンガイ・オルスをメチャクチャにしようとしているのではないか?」

 仮にもサミットにて共闘した仲間から冷然とした罵声を浴びせられているのだが、それでもシュガーレイは反応を示さない。
数々の罵り言葉を鼓膜が拾っているのかすら不明瞭と言う有様だ。
 彼らが軍議の間に乱入してきた当初はアルフレッドもシュガーレイの豹変振りに驚き、その身を案じていた。
清廉潔白に義を尊ぶシュガーレイの姿を間近で見ていただけに、一時など偽者ではないかと滑稽極まりない疑念さえ胸中にはあったのだ。
 だが、ここまで好き勝手に暴れられては、情も何も消え失せると言うもの。
変調の理由は今もって気懸かりではあるが、これ以上、議事進行を妨害するようであれば退場を求めねばならなかった。
それどころか、ハンガイ・オルスからの追放を宣言するようエルンストに具申する意思も秘めている。

「貴様らの目的は、何だ? 答えろ、シュガーレイ。……それとも、何か? 共に戦った仲間に顔向けも出来ないようなことをしているのか」

 今一度、シュガーレイの背中へ難詰をぶつけるアルフレッドだったが、悪言ひとつ帰っては来ない。
これを以ってアルフレッドはパトリオット猟班を「利用価値、存在価値ともになし」と胸中にて計算した。
 尤も、アルフレッドとてシュガーレイがまともな返答をするとは最初から期待していない。黙殺されることも織り込み済みだった。
絆の復活を求めるつもりもなく、彼が欲したのはパトリオット猟班をハンガイ・オルスから追い払う大義名分であった。
 イーライもアルフレッドの意図を察したらしい。参集した皆に伝わるようわざとらしくも大きな声でもって、
パトリオット猟班がこれまで手を染めてきた数々の所業を明らかにしていく。

「目的だとか、仲間だろかよォ、マトモな神経を求めんなよ、こいつらに。何のことはねぇ、イカれた殺戮集団なんだぜ? 
スカッド・フリーダム本隊を飛び出してまだ一ヶ月ちょいしか経っちゃいねぇが、俺が知る限り、三〇〇人はブチ殺してらぁ。
……ものの一ヶ月でンなウワサが立つってコトがよ、コイツらの正体を暴いてるようなもんじゃねぇか」

 イーライの説明に「左様」などとしきりに相槌を打ちつつ思わず挙手し、次いで足早にアルフレッドへ歩み寄った守孝は、
自身の持ち得る限りの情報――つまり、源八郎経由で教わった撫子の調査内容を皆へ詳らかにした。

「某は現物を見ておりませぬ故、委細は分かり申さぬが、聞くところによると惨殺の様子は度々写真に撮られておるようにござる。
顔面を粉砕された者、首があってはならぬ方向を向いてしまった者、憤死させられた者が数多おると聞いてござるぞ。
インターネットでも公開されておるようでござるが……」
「――ああ、『待ったなし! スカッド・フリーダム大暴走』って見出しのニュース記事だろ? それなら俺も知ってるぜ。
こいつらの殺しは幾つかのニュースサイトでも取り上げられてっけど、
一番、デカデカと扱ってんのは『ベテルギウス・ドットコム』ってぇサイトだ。
……興味があるなら、おめぇらもアクセスしてみな。百聞は一見に如かずってヤツだ」

 撫子がインターネットと言う情報の海より探し出したニュースサイトのことはイーライも知っていた。
彼ばかりではなく、列席した諸将の中にもスカッド・フリーダムの――
いや、パトリオット猟班の醜聞を件のサイトで閲覧した者が僅かばかりいたらしい。
聞き覚えのあるサイト名をイーライから反復された彼らは、苦悶にも似たどよめきの声が上がり始めた。
 サイト内のニュースは閲覧こそしていたものの、合成か何かの悪戯であろうと今日まで疑い半分だったようだ。
仮にも義の戦士と同じ隊服を身に纏う者たちが、乱暴狼藉の限りを尽くすなど、どうして信じられようか。
 だが、アルフレッドの気持ちがシュガーレイから離れたのと同様に、現実として悪逆非道を見せ付けられたなら、
インターネット上に掲載されている記事も写真さえも、真実として認めざるを得なくなってしまう。
写真の中で虐殺を実行してきた者たちが、今、目の前に立っている。
それだけならまだしも、記事として書き立てられたのと殆ど変わらない非道をご丁寧にも“実演”までしてくれたのだ。
 ハーヴェストも自身のモバイルを取り出し、検索エンジンにベテルギウス・ドットコムと入力しようとしたが、
しかし、どうしても当該サイトをクリックする勇気が出せず、眩暈を伴う程に懊悩した後、全ての操作を打ち切ってしまった。
 苦しげな面持ちでモバイルを仕舞うハーヴェストの背中をレイチェルは優しく撫で、
「それも正しい選択よ。心配しなくたっていいから」と耳元で囁いた。事実はどうあれ好き好んで友人の残虐行為を確かめる必要もなかろう。

「この状況にとっては些か厄介、世界にとっては正しい流れと言うべきかの。
ベテルギウス・ドットコム、か――フリーのブン屋と勝手に想像しておるが、いやはや、見る目のある管理人じゃよ。
着眼点も裏付け調査も悪くない。いずれ、ルナゲイトで雇いたいくらいじゃ。
……不甲斐ないワシら、ルナゲイトの意志を受け継ぐ者と勝手ながら応援しておるわい」

 レイチェルの励ましへ力なく頷いているハーヴェストを気に掛けつつも、ジョゼフは件のサイトが信用に足ることを明言した。
今でこそセントラルタワーを占拠されてはいるものの、かつてBのエンディニオンのマスメディアを支配してきた男のお墨付きと言うわけだ。
新聞王ですら認める信憑性は、限りなく真実に近いものとして諸将に受け止められた。
 セフィ自身は、ベテルギウス・ドットコムなるサイトは名前すら訊いたことがなかった。
それもその筈で、件のサイトがオープンしたのはルナゲイト征圧以降なのだ。
意識を失っている間に新設されたニュースサイトまでチェックする能力は、残念ながらラプラスの幻叡にも備わってはいない。
 だが、この場に於いて彼ほど新聞王やルナゲイト家に深く関わっている人間もいない。
先程の発言からベテルギウス・ドットコムの運営者がルナゲイト傘下の人間であると見抜いたセフィは、
この抜け目のない老人へ恐れ入ったとばかりに頭を垂れた。
 セフィの会釈に他意は感じられなかったが、しかし、素直な賞賛とて今は心苦しくなるばかりだ。
ベテルギウス・ドットコムの信用性に太鼓判を押すと言うことは、
そこにアップロードされた記事の全てが真実だとルナゲイトの名において保証したようなもの。
それはつまり、パトリオット猟班を本物の殺戮集団と見なしたことにも通じるのだ。
 案の定、ハーヴェストは一等辛そうに表情(かお)を歪め、次いで同郷の仲間たちを見回し始めた。
流石に居た堪れないのであろう。激烈な気魂を発してカジャムに対抗していたジャーメインは、
困ったように眉毛を垂れ下げながらそっぽを向いている。
 ジャーメインを心配そうに見つめるモーントも彼女に倣って臨戦態勢を解いたが、
闘争本能に支配されたジェイソンは、ことの成り行きを見守ろうとするデュガリに対して挑発行為を繰り返している。
この少年には周囲の事情など煩わしいだけなのだろう。隊長のシュガーレイは、改めて詳らかにする必要のない状況にある。
 他方、ザムシードやドモヴォーイと対峙していた巨漢のジウジツ使いことミルドレッドは、
ニュースサイトにて取り上げられた自分たちの醜聞について、「有名税のような物だ」と、さして関心もなさそうな声で切り捨てた。
反論するだけ時間の無駄とでも言うような、ある種、横柄にすら思える態度である。

「ルナゲイトの爺様も適当を言わないで貰いたい。パトリオット猟班とお前たち、目的は共にギルガメシュの打倒だ。
同志と言ったところだな」
「同志……?」

 どうして守孝がパトリオット猟班について知っていたのか訝り、撫子の機転まで含めて委細の説明を受けていたアルフレッドは、
ミルドレッドが同志を称した瞬間、双眸に宿る光の質を一変させた。
 無愛想はいつものことながら守孝相手には感情を昂ぶらせることもなく落ち着いて接していたが、
献策、軍議さえも座礁させた不埒者に対しては、それこそ背筋が凍りつくような眼光を向けるのだ。
そのような相手から同志などと言われても虫唾が走るばかりだった。

「そうだ、同志だ。もう一度、ネットニュースとやらを確かめてみるがいい。アタシらが手をかけてきたのは、ギルガメシュだけだよ。
……ああ、ヤツらに媚び売ろうとする腐れ外道は、何匹か始末しているがね。広い意味じゃギルガメシュ狩りと変わらんよ」
「成る程ね、一種の予防と言うことですか」

 ミルドレッドの話にジューダス・ローブとの共通項を見出したセフィは、
不意打ちで訪れた己の過去との対峙に愕然とし、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 鼻先から上をルビーレッドのエクステで覆い隠している為、感情の揺らぎが剥き出しとなる状況は皆無に等しく、
また、普段の喋り方も軽佻浮薄の傾向がある。飄々としていて、どこか掴みどころのない青年なのだが、
このときばかりは仮面の下の“生身”を曝け出していた。
 声色からして極めて硬い。ミルドレッドはセフィの掠れ声に対して「シロアリと同じだ。土台を壊される前に害虫を駆除する」と相槌を打ち、
彼の心をまたも揺さぶった。喉の調子まで感情に左右されるセフィは、ある意味に於いては悲しいくらい人間臭いと言えるのだが、
一方のミルドレッドの声はどこまでも抑揚がなく、人間味と言うものを著しく欠いている。
それが為、攻撃性の高い発言には粘着質の心理的圧迫が伴うのだ。
 言わずもがな、ミルドレッドはジューダス・ローブの正体を掴んではいない。
共にサミットの場で戦ったシュガーレイですら、そのことは知らない筈だ。彼は会場全体の警備を指揮しており、
ジューダス・ローブとの決戦には不参加であった。
 正体を知らずしてセフィを動揺せしめるのだから、顔面タトゥーより発せられる威圧の強さは計り知れなかった。

 それにしても、ミルドレッドの言葉は本人が望む望まないに関わらず方々に刺激を与えてしまうようだ。
すっかり傍聴の人となっていたアルカークも、彼女が「害虫の駆除」と口走った際には僅かばかり身を乗り出した。

「フン――予防とは言い得て妙だな。エンディニオンの百害は繁殖する前に始末せねばならん。
ギルガメシュは害虫どもを育む日陰の巣と言うわけか。見せしめにする為にも白日の下に首を並べるのが最善よ」

 鉤爪の尖端でもって顎の下を掻きつつ、やや不穏当な発言を口走ったアルカークに対し、
ミルドレッドは同意するかのように深く頷いて見せた。
 ハーヴェストをいたわりつつ両者のやり取りに耳を傾けていたレイチェルは、そこに顕れた善からぬ気配に眉を顰めている。
今日の主役はアルフレッドだ。彼の顔を立てる為にも、なるべく表に出ないように発言も慎んでいる。
ましてや、クインシーと大喧嘩をやらかした直後でもある。反省の態度と誠意を示さなければならなかった。
 異論を唱えることも出来ずに口惜しそうにしているレイチェルだったが、
アルカークもアルカークなりにパトリオット猟班には思うところがあるらしく、「同志」などと呼ばれても心を開くつもりはなさそうだ。

「さっきも言われたが――エルンスト・ドルジ・パラッシュからは何度となく出馬催促が来た。特使まで出張ってきた。
アタイやシュガーレイは、その都度、上層部(うえ)に直訴したんだ。今こそ義の戦をするべきだと。
……だが、反応は毎回変わらない。ゴタクを並べるだけで腰を上げようとしないのさ」
「それはお手前の思い過ごしではござらんか? スカッド・フリーダムの本隊も別な戦を試みてござろう。義の戦を。
某は部外者故、聞きかじったことでしか話は出来申さぬが、座して動かずと言うわけではござるまい」

 ミルドレッドのこの発言には、守孝も首を傾げた。
 彼女の口振りでは、スカッド・フリーダム本隊は有事に際して知らぬ存ぜぬを貫いているようにも聞こえてしまうが、
源八郎からの報告によれば、現状に即した行動を取っている筈だ。
シュガーレイに代わって戦闘隊長の座に就いたエヴァンゲリスタの提案に偽りはないと、守孝も信じている。
面と向かって新たな戦闘隊長と会ったことがないので報告から得た直感に過ぎないのだが、
危険を冒してまで佐志に赴いたその誠意を、どうして疑うことが出来るだろうか。

「おお、エヴァンゲリスタ君なら朕のところにも参ったぞ。難民救済のネットワークとは面白いことを考える。
我がグドゥーもフレンドに名を連ねておるぞよ」

 直々に謁見し、彼らの試みに賛同したと言うファラ王の話を聞く限り、エヴァンゲリスタとスカッド・フリーダムは、
文字通りに東奔西走して件の事業への参加を呼びかけているらしい。
 佐志やグドゥーと同じようにネットワークへの参加を表明した土地は他にもたくさんある。
列席した将の半数近くがスカッド・フリーダムの展開する事業を歓迎していた。
 保護の範疇に入るクインシーや、ファラ王の背後に控えたプロフェッサーまでもがこの話へ満足そうに頷く中、
アルカークだけはどんどん機嫌を悪化させている。Aのエンディニオンの人間を害虫と公言して憚らないヴィクドの提督は、
余程、「難民救済」の四文字が気に食わない様子であった。
 思わぬ反撃を被る形となったミルドレッドは、しかし、エヴァンゲリスタの名を聞かされても、
スカッド・フリーダム本隊の活動に対する評価を目の当たりにしても、決して前言を覆そうとはしなかった。
それだけならまだしも、本隊の慈善的な活動すら「義に非ず」と嘲った。
 この態度にもアルフレッドは冷然とした眼差しを向けている。

「我々が最優先すべきはギルガメシュの根絶やしだ。偽善には少しの値打ちもない。
……戦うべきときにそこから遠くへ逃れるなど卑怯者のすることではないか。そのような輩のどこに義がある」
「腰抜けどもを見限って、有志だけで連合軍に参加したい。そう言いたいのか、お前たちは」
「パトリオット猟班は、その名の如く真に戦う志を持つ人間だけで結成した。一騎当千と自称するのは自分でもどうかと思うが、
ご覧の通り、合戦場でもそれなりに通用すると思うがね」
「……何を見れば良い? 世にもバカげた乱闘騒ぎか、それとも、例のスクープ写真か」
「どちらでも結構。いや、どちらも見ていただこうか。砂漠には向かえなんだが、パトリオット猟班もギルガメシュとは戦い慣れている。
メアズ・レイグの言葉を借りるなら、百聞は一見に如かず――と言うわけだ」

 結果的に先だっての乱闘騒ぎは、シュガーレイを除く四者四様の戦闘能力を諸将に示す形となったわけだが、
この状況を取り上げたミルドレッドは、抜かりなくパトリオット猟班の値打ちを売り込み始めた。
自分たちの実力を見せ付ける為にわざと諍いを起こした――そのようなことはなかろうが、あまりにも露骨な“商売”である。
 連合軍の諸将は言うに及ばず、彼らの中核を担うテムグ・テングリ群狼領の将士は、
パトリオット猟班の恐ろしさが身に沁みて解ったことだろう。
 どうやらミルドレッドは、この武威を以ってギルガメシュ撃破の戦線へ加わると宣言するつもりのようだ。

「それで同志と言うわけか――」

 シュガーレイや他の仲間に成り代わって「同志」と称したミルドレッドは、
満面を隠すかのようなタトゥーに加えて表情も乏しく、今の今まで腹の底がなかなか読めずにいた。
声の抑揚さえも皆無に等しい為、ある意味に於いて究極的なポーカーフェイスと言えよう。
 それ故にアルフレッドは彼女が口走った内容や言葉遣いに全神経を注ぎ、パトリオット猟班が乱入してきた当初のことをも反芻し、
筋肉の微動や癖にまで目を光らせ、ミルドレッドと言う人格の奥底に根ざす真意を汲み取るべく必死になって分析し続けた。
 無表情と言う点では、同僚のモーントも愛想を欠いている。ジャーメインの前ではそれなりに喜怒哀楽を表すのかも知れないが、
臨戦態勢を解いた後、何をするでもなくぼんやりと立ち尽くしているあたり、間の抜けた性情が透けて見えるようだった。
 難しいことを考えているようとは思えないモーントに対して、ときに同類項とされてしまうミルドレッドはどうだろうか。
 自身が所属する一団内外の情報も熱心に吸収しているようだ。
パトリオット猟班の戦いをスカッド・フリーダムの醜聞として攻撃するニュースサイトにまで足を運ぶ程である。
言行の端々に散見される深い思料は勤勉の賜物と言っても過言ではなかろう。
 ミルドレッドの発する言葉のひとつひとつが遠謀の破片であることに確信を抱いたのは、
自分たちの起こした乱闘騒ぎを厚顔にも売り込みへ転化させた瞬間である。
 偶発的な事件であろうと、計算に基づいた作為であろうと、皆の意識を都合の良いように誘導した時点で紛れもない謀略である。
 単に強さをひけらかしただけではないと、アルフレッドは睨んでいた。
パトリオット猟班がBのエンディニオンでも最上級の戦士であると諸将に印象付け、
自分たちの意向が作戦行動へ反映されるだけの発言力を確保しようと図ったに違いない。
 最強馬軍の将士ですらパトリオット猟班には敵わなかったのだ。その事実は、連合軍へ参加した後にも絶大な意味を持つことだろう。
主導権の掌握は難しかろうが、数え切れない程の信頼を将兵より勝ち取ることは不可能ではなかった。
 推理としては幾分強引なこじ付けだが、言い掛かりとの非難へ理詰めで答弁出来るだけの論拠もある。

「スカッド・フリーダムの隊士もギルガメシュの餌食となっている。……弔い戦もせずに何が義の戦士だ」

 ミルドレッドのこの発言こそが、アルフレッドの提示し得る論拠であった。
 スカッド・フリーダムを離反してまで反ギルガメシュ連合軍に参画する理由を報復と説明したその瞬間(とき)に限って、
彼女の声が僅かに上擦ったのだ。死に絶えていたと思われた感情(こころ)が、微かに、しかし、確実に蠢いた証である。
 この場にニコラスが居合わせたなら、おそらく「お前に似てるな」とアルフレッドに耳打ちをしただろう。
 明らかに感情を昂ぶらせたミルドレッドにとっても、エルンストと根競べでもしているかのようなシュガーレイにとっても、
他の隊士にとっても――これは、失われた命に報いる為の復讐戦争なのだ。
 仮面の兵士たちを惨たらしく殺傷しても、これを虐殺と罵られようとも、
絶対不破の正義が心の中で燃え続ける限り、彼らは胸を張って屍の山を越えるだろう。
それが、復讐と言う想念の本質であり、恐ろしさでもあった。
 妄執に憑依された輩が全軍の指針を左右するような立場を得たとすれば、
復讐を果たす為の道具として連合軍が私物化される危険性もある。たかが五人に何が出来るものかと侮ることは出来ない。
 かつて佐志は、たったひとりの復讐鬼の手で破綻寸前まで翻弄されたのである。

(今になって後悔してもどうしようもないが、……俺はどうしようもない過ちを犯していたようだな――)

 奇しくもセフィと同様に――パトリオット猟班へかつての自分を重ね合わせたアルフレッドは、
ほんの一瞬だけ躊躇った後、怖気を伴う程に抜け目のない女巨人へ「正義の在り方を見失ったら、ハーヴに訊ねてみろ」と言い放った。

「尤も、お前たちはここまでだがな――」

 返答の真意を測り兼ねて双眸を瞬かせるミルドレッドだったが、そのときには既にアルフレッドの姿はどこにもなかった。
少なくとも彼女の視界には影も形も残っていない。彼が屹立していた場所へと視線を巡らせれば、
そこには蒼白い火花が舞い散っていた。夏の夜に余韻を残してかき消えていく蛍火のような儚い輝きである。
 その電光が物語る意味を、タイガーバズーカ出身のミルドレッドが見失う筈もない。

「――ホウライ……」

 ミルドレッドが怪訝そうに両の目を細めたときには、アルフレッドの右足は彼女の延髄にまで迫っていた。




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