3.道化の仮面を外すとき


 フィーナたちと合流するべくバティストゥータに入港したアルフレッドは、そこに広がる異様な光景に目を見張った。
 埠頭には数隻の大型船が停泊しており、そこから桟橋へと数十数百もの人間が吐き出されていく。
引っ切り無しに岸壁を渡る群衆は、やがて集合場所と思しき倉庫の前に至り、そこに半円状の壁を築いた。
 壁の中心では引率者と思しき者が点呼を取っている。夥しい程の大人数だけに極めて根気の要る作業だ。
読み飛ばしがないようバインダーに挟んだ名簿を、一名ごと時間を掛けて確認していた。
 何十分と費やして総員が揃っていることを確かめても小休止は得られない。
次に向かうべき場所を大声で通達し、群衆を率いて市街へと移らなければならなかった。
 港内へ入る直前、沖合いに碇を下ろした同種の大型船三隻ほど視認したが、彼らは埠頭が空くまで待機をしているわけだ。
上陸と点呼、これに続く市街への散開は、日がな一日、繰り返されているのだろう。
 このような光景はバティストゥータの至るところで見受けられた。

「……ラス、あれは――」
「お前の思ってる通りだぜ。あの人たちが持ってるのは全部MANAだよ」

 アルフレッドがニコラスに確認を求めたのは、彼らの携行している機械がMANAか否かと言うことだ。
一部はビークルモードのままであり、船の係員が持ち主のもとまで運んでいた。
 Bのエンディニオンに所在するバティストゥータへMANAを持つ人間が大挙している。
この光景が示す事実はただひとつ――下船してきた群衆はAのエンディニオンの難民であった。
 初めて足を踏み入れる土地に顔を強張らせているが、
同じ難民でもギルガメシュのエトランジェ(外人部隊)とは比べ物にならないくらい身なりは小奇麗である。
 一時期、ニコラスもエトランジェに身を置いていたが、清潔な着替えはおろか、
その日の食事にさえ事欠くほど逼迫した状況だったのだ。在りし日の飢餓は今も生々しく憶えている。
 目の前を横切っていく群衆は餓えとは無関係に見える。心細げな表情はともかく血色自体は悪くない。
ドラムバッグを肩から提げた青年など、まるで旅行にでも訪れたような風体である。

「あれに見えるは、皆、疎開者でござろうか……」
「いや、移住者と言うほうが正しいだろうな」

 「移住者」と断言するアルフレッドの見立てに違和感を覚え、怪訝な表情で群衆を見つめていた守孝は、
第五海音丸の停泊手続きを行う最中、ことの真偽を町民に尋ねてみた。
 果たして、アルフレッドの洞察は正解であった。彼らはロンギヌス社の手引きを受けて移住してきた難民であると言う。
これから指定された居住区に移るそうだ。

「――町を丸ごと買い取るなんざケタ外れだよ。ギルガメシュは異世界の人たちを難民だって言ってたけど、とんでもない! 
私たちよりずっと羽振りが良い。いやぁ、バティストゥータにとっちゃ救世主だよ! 
お仲間を強引に押し込めたり、私たちから何か権利を取り上げることもない。ロンギヌス様サマさぁ!」

 手続きを担当した者はロンギヌス社の介入をあっけらかんと話していたが、
第三者の目から見れば、彼らの置かれた状況は楽観出来る限度など既に超えている。
 この港町もロンギヌス社によって買収されているとフィーナから報(しら)されたアルフレッドは、
佐志を出発するまでに関連資料をかき集め、船上にてバティストゥータの現状を調べ上げていた。
 バッグ一杯に納めた資料の数々は、ここバティストゥータの窮状をアルフレッドに語った。
元々、海洋貿易とこれに付帯する倉庫業で興った港町なのだが、近年は寂れる一方であり、
ギルガメシュの襲来によって船の行き来が滞ってからは解体寸前まで追い詰められていた。
 テムグ・テングリ群狼領に属していない点も痛手であった。
誰からの庇護も受けられないまま、半ば孤立していたのである。
 その斜陽に手を差し伸べたのがロンギヌス社と言うわけだ。
 良かれ悪しかれ、商売が巧い。それがロンギヌス社に対するアルフレッドの印象であった。
弱り目に付け込んで土地を買い叩くなど、一歩間違えれば外道の所業などとバッシングを浴びるだろう。
 ニコラスの説明によると、アルバトロス・カンパニーのライバル企業もロンギヌス社の傘下に入ったと言う。
 『サンダーアーム運輸』と言うその会社は、Aのエンディニオンに於いては運送業界のトップランナーであり、
業績も常に安定していた。規模で言えば、アルバトロス・カンパニーなど足元にも及ばなかったのだ。
 しかし、この発展が仇となる。皮肉にも企業としての上昇がロンギヌス社に狙われるきっかけとなり、
気付いたときには子会社化されていたと言うのだ。軍需産業が主体とは思えないほど鮮やかな手腕である。
 ロンギヌス社はそうした子会社を中心に難民ビジネスを展開させていた。
難民たちを一所に集める大規模な移住もその一環に違いない。
 サンダーアーム運輸に勤める友人へ連絡を試みたニコラスは、
Bのエンディニオンに転送されてきた子会社や関連企業を会長自ら動かしていることも掴んだ。

「サーディェル・R・ペイルライダーって言ったら、オレたちの世界じゃかなりの有名人だよ。
よくテレビで経営哲学を語ってたっけ。……ま、学のねぇオレには何を喋ってるのかサッパリだったけどさ」
「……サーディェル?」
「ちょっと発音しにくいだろ――って、まさか、知り合いなんてことはねぇよな?」
「いや、……違う――と思うんだが……」

 ロンギヌス社会長の名を聴かされたとき、アルフレッドの全身を奇妙な懐かしさが包み込んでいた。
色彩(いろ)に例えるならばセピアであり、感傷を伴う心の揺らぎは、どこか郷愁にも近い。
 サーディェルと言う名をどこで耳にしたのかは明確には思い出せない。その名を持つ男の顔すら判然とはしない。
さりながら、加速し続ける心臓の早鐘は、記憶の潜在を確かに訴えているのだ。
 もしかすると、アカデミーで聞いた名前ではなかろうかとアルフレッドは仮説を立てた。
授業中か雑談かはさて置き、士官学校なのだから軍需企業の話題が出ていたとしても何ら不自然はない。
 だが、それもほんの一瞬だけの幻想に過ぎなかった。Bのエンディニオンに所属するアカデミーにて
Aのエンディニオンの人間の名など聴くわけがない――当たり前の帰結に行き当たり、
そこでセピア色の郷愁も過ぎ去ったのである。
 迂闊な記憶違いか、単純な人違いか――明確な答えが得られない以上は、そのように割り切るしかあるまい。
何よりも現在の優先事項は郷愁に浸ることではなかった。

(……知り合いでなくて良かったと思おうか――町の人間はロンギヌス社のことを少しも疑っていない。
上手い具合に仕込んだものだ。……こんな手口を使う輩と、どうして親しく出来るものか)

 郷愁と入れ替わるように襲ってきたのは、じっとりとまとわりつくような焦燥だった。
 ロンギヌス社が買い上げた居住区へ向かう難民と、
その事実を何の疑いもなく受け入れるバティストゥータの人々を交互に眺めつつ、
アルフレッドはフィーナたちの宿所へと足を向けた。そこで落ち合う手筈になっているのだ。


 ホテルのラウンジで一行を出迎えたフィーナたちは、挨拶もそこそこにワヤワヤの顛末を語り始めた。
久々に顔を合わせたと言うこともあり、彼女が口火を切ってからは一同の話は全く途切れることがなかった。
 双方が離れて行動していた間にもモバイルを利用しての情報のやり取りは行なわれていたのだが、
 電波の送受信を行っている中継局はギルガメシュに占領されているか、ないしはセフィによって破壊されたままで、
メールを送受信するのにも電話をするのにも一手間以上の労力を必要とした。
 ルナゲイト家所有の秘密回線を利用するという方法もあるが、頻繁にそれを介してのやり取りを行うと、
回線の存在自体を敵に知られかねない。なるべくその使用を控えねばならないような状況下では、
綿密な情報交換が難しかったのだ。
 そうした背景もあり、正午に始まった互いの近況報告は、日が暮れるまでぶっ続けで行なわれた。
「も〜うんざりなの! ルディア、おなかぺこぺこなのっ! ごーはーん! ごーはーん!」とルディアが騒ぎ出さなかったら、
翌朝を過ぎても続いていそうな勢いだった。
 一昼夜、ラウンジに居座られてはホテル側も大迷惑だ。その日はバティストゥータへ一泊することに決め、
改めて部屋を取り、食事を終えてから仕切り直すことにした。
 頬を膨らませるルディアを宥めて最寄りのレストランに入った一行は、瀟洒なオープンテラスへと通された。
 屋外での食事と言う珍しい体験にルディアは大喜びだ。微かに薫る潮の匂いも最高の調味料になることだろう。
ブイヤベースやカルパッチョなど佐志とはまた違う魚介料理が次々とテーブルに並べられ、
口にする前から彼女は目を輝かせていた。
 確かにアルフレッドも空腹を覚えてはいる。目の前のスモークサーモンサンドウィッチも大変に魅惑的だ。
しかし、ルディアのように食事を楽しむ気にはなれなかった。
 それは他の面々も同様だ。憂さ晴らしのようにビールを呷るイーライも、
チーズオムレツをスプーンで突き続けるネイサンも、誰もが浮かない顔を晒している。
 どうしても界隈を席巻する難民たちに目が行ってしまうのだ。
自己防衛のつもりなのか、現地の人たちを威嚇しようと言うのか、彼らはウェポンモードのMANAを肌身離さず携行していた。

「……あそこまで警戒する必要もねぇだろうに。オレたちは同じ人間なんだぜ」

 海老のトマトクリームパスタを口に運ぶニコラスだったが、その苦々しい呻きからも察せられるように、
レストラン自慢の味付けなど微かにも感じていないだろう。
 ワヤワヤの顛末から派生した話し合いの焦点は、当然ながらロンギヌス社主導による土地の買い占めである。
 テムグ・テングリの領内を中心に各地を調べていたフィーナたちの報告によると、
バティストゥータやワヤワヤ以外の町村でもこのような状況を確認したと言う。
 Aのエンディニオンの人々が暮らしていく為の土台をロンギヌス社は着々と築いているのだ。
 もうひとつの気がかりは、居住区の整備などを行う作業員のことである。
佐志を出発する前にラトクよりもたらされた情報によれば、工事の要員はピーチ・コングロマリットが
全面的に斡旋していると言う。
 これにはフィーナたちも驚かされた。難民支援を目的とした工事の現場は幾度か見かけたが、
地元の人間が協力しているものとばかり思っていたのだ。

「一種の見せしめだな。自分たちより不幸な人間が間近にいるとフラストレーションも中和される。
こんなガス抜きだけで人間ってシンプルで面白いだろ?」

 これはアルフレッドの言葉ではない。情報提供に当たってラトクが口にした皮肉(こと)である。
 斜陽の町村にカネをばら撒いて取り込みを図るとしても、全ての住民が納得する筈もない。
自分たちの生活が直接的に圧迫されるのだから、不安や不満が噴出するのは自明の理と言うものだ。
 そのようなときに自分たちの置かれた状況よりも遥かに悲惨な目に遭っている者が視界に入ったなら、
果たして人間の心理はどのように動くのか――その人を低く見ることで自身の不遇を慰め、
暴力的な衝動をひとまず鎮めてしまうのだ。
 愉快な話ではないものの、こうした効果は群集心理が強く影響する状況下に於いて速やかに波及していく。
武威を伴わずに不満分子を押さえ込む策としては古典中の古典であった。
 しかも、だ。ピーチ・コングロマリットが用立てた作業員とは、借金のカタに連行され、強制労働を強いられる人々なのだ。
 彼らは寝食までピーチ・コングロマリットに管理されており、自由など一分たりとも許されない。
日々の食事こそ準備されるものの、定期的な給金すら与えられなかった。
 人材の斡旋に際して、ロンギヌス社からはそれ相応のカネが動いている筈なのだが、
殆ど全額がピーチ・コングロマリットの懐に直接転がり込むような構造(カラクリ)であった。
 作業完了時、働きに応じて一定額の報奨が出されるものの、
ここにはねぎらいの心など一ミリとて含まれてはおらず、労働意欲を煽る為の“餌”に過ぎない。
 殆ど奴隷に近い扱いであった。
 しかし、ピーチ・コングロマリットはこのことを社外秘とは定めていない。非人道的な人材の酷使は公然の秘密であった。
これもひとつの計略である。人々の間に奴隷化の事実が知れ渡れば、「底辺の人間よりは上等」と言う錯覚が蔓延する。
歪んだ優越感によって不満を塗り潰してしまおうと言うのだ。
 社会の風潮すら捻じ曲げるピーチ・コングロマリットのやり口には誰もが強い憤りを覚えていた。
周到な謀略に思わず感心しそうになるアルフレッドだったが、さすがに自分の手で同じ策を講じようとは思えない。
 模倣などと考えようものなら、横で怒り狂うハーヴェストに何をされるか分かったものではなかった。

「ホントよ! こんなもんがまかり通るようじゃエンディニオンに正義なんかないわッ! 正義ってなにさッ!?」

 ハーヴェストに同調しつつ、暴発寸前の憤慨を紛らわそうとビールジョッキを呷るのはトリーシャである。
身体に悪いとネイサンから咎められても聞き入れず、それどころか、
反対に「シケた顔してちょろくさいコト抜かすな、青瓢箪!」と食って掛かる始末である。
 『ジューダス・ローブの真実』と銘打ったネットニュース配信以来、ギルガメシュの追跡を掻い潜りつつ、
世界各地の窮状を取材していたトリーシャは、ロンギヌス社による買収行為を「許し難い金満主義」と題して発表するべく
準備を進めていたのだが、今一歩のところで同業者に先を越されてしまった。
 これこそが不機嫌の一番の理由である。
 後手に回ったことを不貞腐れているわけではない。報道とは生き馬の目を抜くような世界だとトリーシャ自身も弁えている。
土地の買い上げなどを「難民救済の具体例」と好意的に報じているのが気に食わないのだ。
「民間にまで遅れを取る頼りない軍事政権」などとギルガメシュを批判している点は良いのだが、
このままでは買収工作を助長し兼ねない。
 トリーシャに先立ってロンギヌス社をピックアップしたのは、ネットニュースサイトの『ベテルギウス・ドットコム』だった。
管理人の正体は不明ながら徹底的した取材に基づく記事はいずれも高水準であり、極めて信憑性が高い。
つい先日などカレドヴールフに独占インタビューまで取り付けたほどである。
 それにも関わらず、今回の記事ではギルガメシュをこき下ろしている。
権力者の手先に成り下がることなく報道の良心たる公平性を維持し続けている様子だ。
 そうした報道の姿勢を評価する一方、アルフレッドはベテルギウス・ドットコムの存在自体を憂慮していた。
公平性に富むと言うことは、翻せばギルガメシュに正義があると認めれば、
彼らを英雄の如く書き立てる可能性もあるわけだ。今回の記事がそれを示している。
 情報工作でギルガメシュを貶めなければならないときに正反対の記事を作られるのは不都合が多い。
早急に味方へ引き入れるか、強硬にでも釘を刺す必要があった。

(……御老公には相談しにくいな……)

 ジョゼフであれば抑えられるかも知れないが、
彼はベテルギウス・ドットコムをルナゲイトの同志のように評価しているフシがある。
ましてや、無差別な情報統制を是認するとも思えなかった。彼はメディアを統べる新聞王なのだ。


 食事を終えて宿所に戻り、話し合いが再開してからも、アルフレッドは対処に困る相手との戦いを
優先的に思案し続けていた。これが今日明日に迫る危難のように思えてならなかった。

「ロンギヌス社のやり方が正しいかどうかは、今は分からないよ。スカッド・フリーダムだって……。
でも――でもね、……難民と言っても、この町の人たちみたいに誰もが恵まれてるわけじゃないんだ」

 アルフレッドがその思案を打ち切ったのは、難民にちなんだ問題を提起するフィーナの声が
あまりにも熱を帯びていたからだ。
 拳を握りつつ身を乗り出したフィーナは、ひどく昂ぶっているように見えた。

「突然どうした? ……何か気になる事があるのならそちらを先に片づけてしまおうか」

 癇癪を宥めるよう昂揚の理由を尋ねていくアルフレッドであったが、
フィーナが持ち出した問題とは、即座には解決出来ないほどに難しいものであった。

「テムグ・テングリの領地とか、あちこち回ってみたけど、そこにも難民の人たちがたくさん迷い込んできていたの。
みんな生活に困っていたようだったし、……それはアルの方にもメールしたよね?」
「確かに確認しているが……」

そう言ってアルフレッドは腕を組んだ。フィーナたちが各地で難民の集団と度々出会っていたことは聞いていたし、
自分たちの方も難民を数多く見てきた。それはそうなのだったが――

「一体、何がどうした? 難民支援にそこまで熱心だったか?」

 そう言うとアルフレッドはフィーナの方へ顔を向けた。
 単なる話題逸らしの為だとか、無理矢理な方向転換を思い立ったと言ったようなものでは断じてなかったというのは、
彼女から発せられている雰囲気を見てとれば明らかだった。

「本当はロンギヌス社の話が終わってからにしようと思っていたんだけど、でもその話が全然進まなかったから。
それなら今からでも話した方がいいかと思って――」

 フィーナがぽつりぽつりと語り出したのは、調査の途中に『ゼフィランサス』なる村で出会った難民たちのことであった。
 Bのエンディニオンの片隅に所在するその村は決して裕福ではなかった。
産業と言えば酪農くらいしか持たず、これで細々と食い繋いでいたのだ。
 あるとき、そのゼフィランサスにAのエンディニオンの難民がやってきた。それも一挙大量に、だ。
 ゼフィランサスには彼らを養うだけの備蓄はない。自分たちが食べていくだけでも精一杯なのである。
それでも村人たちは難民を温かく迎え入れた。困窮する人たちを助けるときに我が身を省みる必要などなかった。
 難民に居住を提供したかったが、さすがに家屋には限界がある。そこでささやかな農地を潰してキャンプ場を新設し、
村中から余分な布をかき集めて簡易式のテントまで準備した。
有志の中には自分で身に着ける為の衣類まで提供した者も在ったと言う。
 危ういところで命を救われた難民たちは、体調が回復すると率先してゼフィランサスの酪農を手伝い、
Aのエンディニオンで培われた技術も惜しみなく提供していった。
 難民たちがもたらした技術や知識によって乳製品の質は著しく向上し、
朽ちるのを待つばかりかに思われたゼフィランサスは息を吹き返したのである。
 まさしく、「情けは人の為ならず」と言うことであろう。
 この話を聴いた瞬間、フィーナは溢れる涙を止められなくなった。
 AとB、ふたつのエンディニオンが互いに助け合い、共に生きる――
これこそ難民との正しい向き合い方であり、輝かしい未来ではなかろうか。
 普段から憎まれ口ばかり叩いているイーライでさえ、
「こんな風によろしくやっていけたら一番だわな」とフィーナに同意していた。

 ゼフィランサスに至るまでの間、ワヤワヤやバティストゥータのような状況を幾度となく見せ付けられていたのだ。
土地を売り飛ばすだの、テムグ・テングリはもう信用できないだの――
対話を試みる度に冷たく撥ね付けられ、この殺伐とした世界に神経をすり減らしていた。
 いつかエンディニオンから優しさと言うものが永遠に消え失せてしまうのではないかと、
フィーナは本気で心配していたのだ。そして、その凶兆は既に始まっている、と。

「――ゼフィランサスのように恵まれた環境は殆どなかったの。
現地の人たちといがみ合うグループも居たくらいだし……。中には難民の人たちを追い出したって村もあった。
……そんなの、悲しすぎるよ。誰とだって手を取り合っていけるのに……! 私たちはそれを知ってるのに!」 

 心が荒み始めていた折にゼフィランサスの人々と出会い、新たな希望を見出した次第であった。
 難民と如何に向き合うべきか。彼らを救うには何が必要か。
惑星規模で深刻化する難民の問題を乗り越えない限り、エンディニオンは本当に救われることがないと、
フィーナはアルフレッドたちに訴えた。

「このままじゃ本当の意味でエンディニオンが壊れちゃう――そうなる前に何とかしなきゃいけないんだよ。
多分、それが出来るのは私たちだけなんじゃないかって、そう思うんだ! 
世界の壁を飛び越えて絆を育んだ私たちしか……ッ!」

 フィーナは難民に対する根源的な救済を求めているのだ。それはあまりにも途方のない問題提起であり、
アルフレッドには答えようがなかった。
 大言壮語を好むゼラールならいざ知らず、よもやフィーナからこのような大望を説かれるとは思わなかった。
それが偽らざる本音であった。

「ねえアル、私たちが難民のみんなにしてあげられることって何だと思う?」
「何だと言われても……」

 突然そんな事を言われても――と言った様子でアルフレッドは困惑した面持ちになっていた。
 難民の数が増加しているのは今さら言うべきことではなく、可及的速やかに検案されるべきことであった。
旧友のゼラールなどは難民救済こそ最大の命題と唱えている。
 ボスたちエトランジェと再会を誓った佐志にとっても避けては通れない問題なのだ――が、
だからと言ってそこに専心するだけの余裕はどこにも存在してはいなかった。
 少なくとも、アルフレッドが果たすべき主務は別にある。当面の彼には、史上最大の作戦を完遂するのが最重要事項。
難民を救う手立てを考えるにしても、より大局的な視点から実行せねばならなかった。
 誤解を招く言い方になりそうだが、難民ひとりひとりにまで心を砕いている余裕はない。
 対するフィーナは、自分たちの出来る範囲からでも支援を始めていくべきだと熱弁している。
難民ひとりひとりに寄り添っていこうとしている。
 両者が難民に対して抱いている思いや考えには大きな隔たりがあった。

「難民のみんながどれだけ大変な生活をしているのか、アルだって知っているでしょ?
食べる者も住む所も無くて、毎日毎日が生きているのに精一杯って感じで――どうにかしたいって思うのが当然だよ」


 フィーナのこの主張は帰路の船上でも、佐志へ到着してからも延々と続けられた。
 ただし、感情論が先行している為、彼女の並々ならない気迫だけは伝わるものの、
具体的な方向性や救済案と言うものは一向に見えてこない。
 半ば理想論の押し付けに近く、このままでは危ういと判断したアルフレッドは、
佐志の主要メンバーを集めた会議にて、ついに反論を唱えた。

「博愛精神は結構だが、俺たちだけでどう助けるって言うつもりだ? 難民たちが八方塞なのは俺だって分かる。
だが、一人や二人を救済するのとはわけが違うんだ。難民全体では、この佐志の総人口を軽く越えるくらいの数、
どれだけいるのか把握すらできていないというのに」
「それは言い訳だよ、アル」
「言い訳じゃない、現実だ。この先、何万世帯もの難民が増えるとゼラールは予想をしていたよ。
おそらく、その数は当たっているだろう。それだけの人数、佐志だけで面倒を見切れると思うか?」

 フィーナの思いとは裏腹に、アルフレッドの言葉は彼女からしてみたら意外にも冷淡だった。
 アルフレッドがそう言いたくなるのも周囲にいた一同には理解できる。
数多くの難民が明日をも知れぬ日々を送っているのは確かだ。
 だからと言ってその全ての人々に救いの手を差し伸べるなどというのは到底出来たものでは無い。
 だがしかし――

「全員は無理だとしても、一人でも二人でも何か手助けできるのなら、そうした方が良いんじゃないかな? 
困っている人がたくさんいるっていうのに、何もしないだなんて……」

 ――そうフィーナは少々力を込めきれずに言った。
 彼女を悩ませるほどに、難民たちが苦境に立たされているという事実だって、話を聞いている皆にはとっくに知れている。
そういう人間を見るにつけ、可能な限り救いたいと思うのは人の道理ともいえることだろう。
 ホゥリーのような性格に多少の、いや、かなりの難がある者であるのならいざ知らずだ。

「そりゃあアル兄ィが言うように大変って言うか無理って言うかのレベルの話だってのは分かるけれど、
でもボクもフィー姉ェに賛成だな。出来ることなのにやらないっていうのはどうにも我慢できないよ」

 フィーナの言葉を受けて、当初から同じような気持ちでいたシェインが難民救済を口にすれば、

「そう、その通り。苦難にあえぐ人々がいて、それを看過しようなんてマネは、
正義を行う者からしてみたらあってはならないこと。『義を見てせざるは勇無きなり』、つまりはそういう事よ」

 ――などとハーヴェストがすっくと立ち上がって熱気の篭もった言葉を発した。
 「こういう時に使える言葉だったか?」という突っ込みがどこからともなく入ったが、
そんな言葉に構っていられる暇は無いといった感じで、彼女は相変わらずどこかベクトルが間違ったまま熱弁していた。
 興奮のあまり、「難民に危害を加える者があるのならば、即刻相手になってやる」と、
どこへともなく駆け出していきそうな勢いだったが、さすがにそれを見かねたローガンが
「そないに力んだかて、どないもならへんやろ」と彼女を羽交い絞めにして落ち着かせようとしたのだが、
とにかくそのくらいエキサイトしていたわけだ。
 このように難民を救おうとする声が上がってきていたが、それに心を動かされるわけでもなくアルフレッドは淡々と返す。

「難民を救いたいという気持ちは伝わってはくるが、じゃあ何をしようっていうわけだ? 
『何かしたい』と息巻いているだけでは事は進まない。具体的に何をするのか言ってみろ」

 熱を帯びつつあったフィーナたちが少しでも冷静になれるようにと、一呼吸おいてからアルフレッドは言葉を発した。
 その問いにフィーナは首をひねって考えると、少し置いて、

「例えばみんなが苦労しないくらいには食べ物を援助するとか、そのくらいなら出来なくない?」

 ――とアルフレッドに向けて言ったが、彼はその考えに賛成しなかった。

「そのくらい、と簡単に言うが、どれだけ大変なことなのか分かっているのか? 
何百、いや何千とも何万とも分からない難民の胃を恒常的に満たすのに、一体どれだけの食料が必要になってくると思う? 
まさか『毎日私が一食抜けば何とかなる』なんて言い出さないだろうな? その程度じゃ焼け石に水もいいところだ」
「そんな事……言うわけないじゃない……」

 アルフレッドの冷静な反論に、思わずフィーナは言葉に詰まった。
 「大食いのフィー姉ェじゃ、一食だって抜けないよ」とシェインから余計な茶々が入ったがともかく、
アルフレッドの質問にはどうにも良い回答ができなかった。

「それに今、佐志にある食料だって余っていると言えるほどないだろう。
グリーニャたちだけじゃない、マコシカやシェルクザールの人間だってここにいるんだ。
それだけの人数をまかなうにも、それなりの量を必要としているのは理解できるはずだな? 
なんなら守孝に佐志の食糧消費量を聞いてみようか?」
「だったら――そうだ、マユちゃんやジョゼフさんに頼んで食べ物を買ってもらうとか」

 ちらりとジョゼフを窺うフィーナであったが、肝心の新聞王は腕組みしたまま、うつらうつらと船を漕いでいる。
側近のラトクも明後日のほうを向いて欠伸をしており、援護射撃は期待できそうにない。
 これを見て取ったアルフレッドは、「どうだろうな。果たして御老公がうんと言うだろうか」と更に反論を強める。
それは、夢の中にいる――その割には、耳を澄ませても寝息も聞こえないが――だろうジョゼフの“代弁”でもあった。

「ルナゲイト家の潤沢な資産があれば、難民達にも充分に行き渡るだけの食料を購入できるかもしれないが、
あの人たちだって慈善事業をやっているわけじゃない。俺たちの思いつきにそうそうカネを出してくれるとは思えない。
それに……――まあいい、とにかくその方面での協力は望めないだろう」

 途中アルフレッドが言いかけた言葉がフィーナは気になって、「それで?」と聞いてみたが、彼はそれには答えなかった。
 ルナゲイト家が有している豊富な資金は、アルフレッドの提案で“ばらまき”とも言えるくらいの買収工作に使用されている。
来たるべきギルガメシュとの戦いに備える為に、金銭の提供で協力が取り付けられそうな勢力には、
さすがルナゲイト家といわれるほどの惜しみない、金に糸目をつけないやり方で仲間に引き込もうとしているのだ。
 すでに多額の資金を遣わせてしまっているのに(資本力から考えれば余裕はあるだろうが)、
さらに食料購入にまで無理を聞かせてもらえるのかどうなのか。
 それにもし、ジョゼフでもマユでも難民を救済しようとするのならば――
援助にかこつけて彼らを自分たちの都合がいいように利用しようとするのはほぼ間違いない、とアルフレッドは推量している。

(ルナゲイト家の立場を考えれば、それも当然だが、しかし――)

 その辺りをフィーナに説明したら、おそらく彼女は良い思いはしないだろう。
 そのような点も考慮に入れてアルフレッドは、細かいところまでは説明をすることもなく、
フィーナの案を顔色を変えることなく退けた。

「量が足らんっちゅうても、それでもなんも送らんよりはマシとちゃう? 少しっくらいは助かるんがおるやろ」

 アルフレッドとフィーナの双方の意見に耳を傾けながら、うんうんとうなっていたローガンが一言発したが、

「そう単純なものとも思えねえな。そりゃ俺っちだって助けられるんなら助けてやりてえがなあ。
今の状況だと難民には何もよこさない方がまだマシだと思うぞ」

 そのようにヒューが、アルフレッドが何か言うよりも早くローガンの考えに反対した。
どういう理由だろうかとフィーナもローガンも考えていたところに、ヒューが淡々と、

「奴さんたちにモラルってものがねえって言うつもりはさらさらだがよ、
人間ってのはどん詰まってくると何をしでかすか分からねえからな。『貧すれば鈍する』って言葉にもあるとおりさ。
飢えた人間たちの前に、とても全員には行き渡らないだろう量の食い物を出したとするわな。
多分、どいつもこいつも我先にと飛びかかってパニックになるだろうさ。つか、それだけで済んだら御の字ってやつかもな。
下手したら、数少ない食い物をめぐって争いが起こり、暴力沙汰に発展する可能性が大だ。死人が出ないとも言い切れねえ」

 追い込まれた人間が持つ危うさとでもいうべきか、自分たちの好意がよからぬ方へ進んでしまう危険性を説いた。

「せやなあ、小さな親切、大きなお世話っちゅうことになりかねんわけかいな。参ったわ」

 ヒューの意見を聞いて、一理あることだとローガンはボヤいたし、
 フィーナはフィーナで、だからといって助けないというのも堪えられないが、
しかし、ヒューが言った通りになっては本末転倒だと苦悩している様子が傍目からでも良く分かった。
 話し合いが続く中で、徐々に難民への援助は行なわない方が良いという意見が優勢になってきたが、
さらにアルフレッドは追い打ちをかけるように付け加える。

「そもそも、難民連中にはギルガメシュがいるだろう? ディアスポラ・プログラムとやらもあるそうだ。
あいつらがどこまで本気か分からないし、知る気もないが、難民保護を唱えているんだからそっちに任せてしまえばいい。
余所から施しを受けられるような連中を俺たちが助けるなんて理由はどこを探しても見当たらない」

 「余所からの施し」との一言には、ギルガメシュだけでなくロンギヌス社やスカッド・フリーダムも含まれている。
その言い方に引っかかったのか、ローガンが渋い顔を見せた。

「ちいっと待ってえな。ほんならあれか? 難民はギルガメシュの仲間やから助けへんってか?」
「そうと言えばそうだが、違うと言えば違う。さっき言ったように、俺たちが援助する義理も義務も無いと言うことだ。
……ギルガメシュの施しを受けるようなら尚更だ」

 アルフレッドが発した言葉に、フィーナやシェインの表情がぐっとこわばった。
 彼が難民を助けようとしないのは、冷酷ともいえる合理性が導き出した結果だとばかり思っていたが、
そうというばかりではなかったのだと知ると、やはり何かしらの言葉の一つもかけたくなるというものだろうか。

「敵とか味方とか、そういう考えってどうかと思うけどな。
困っている人たちがいるのなら、助けてあげたいって思うのが当然じゃないの? それなのに、アルは……」
「フィー姉ェの言う通りだよ。困った時にはお互い様って言葉があるじゃないか。
それにアル兄ィだって言っただろ、ギルガメシュが本当に難民を助けるかどうかなんて分かったものじゃないって。
ロンギヌスって連中も、何をするか分からないじゃないか」

 難民を助けるべきだという意見の二人は大いにアルフレッドの言葉に反発してみせた。
こう言われても、アルフレッドは送らないものは送らないとの一点張り。
 二、三度やり取りが続いた時、この流れをバカにしたようにホゥリーが笑いながら言った。

「坊主がヘイトなら袈裟までヘイト? 嫌だねえ、リベンジにとらわれたヒューマンってのは」
「お前に何がわかる? ギルガメシュが憎むべき相手なのは間違いが無いはずだ。
それをしたり顔でいけしゃあしゃあと。余計な口を挟むくらいなら、黙って寝ていろ」
「オーケイ、ボキもそっちの方がイージーだからね、後はジーニアスな軍師サマに下駄をテイクするよ」

 フィーナたちの言葉には耳を貸さなかったアルフレッドが、
それでもホゥリーが口にした嫌味な言葉には過剰ともいえるくらいに反応した。
 言い方そのものは確かに癇に障るものだったが、それだけが理由ではなかった。
ホゥリーの言ったことが見事に図星であったからこそ、アルフレッドはホゥリーに対して厳しい視線と言葉をぶつけたのだ。

「お前たちだって見ただろう、忘れてはいないだろう、ギルガメシュが何をしたかというのは。
奴らのせいでグニーリャは……」

 そうとだけ言ってアルフレッドは拳を硬く握り締めると、目を吊り上げて怒りの表情を満面に浮かべた。
 時間の経過とともに、そして種々の経験を経る事で、彼のギルガメシュへの憎しみは段々と沈静化はしていたが、
そうであってもいまだに拭い去りがたい感情があったわけだ。

「……。アルの気持ちは分かるし、わたしだってギルガメシュが憎くないのかと言われれば違うって言うけど、
だからって難民の人たちとは無関係でしょ? それが分からないアルじゃないはずだと信じているけど」

 グリーニャの惨状をフィーナやシェインだって忘れたわけじゃない。それどころか思い出したくも無いものであったのだ。
 そうであっても、彼女は難民への思いを曲げはしない。それとこれとは話が別だと、なおも自分の考えを強く主張した。
 最早、どちらの意見も感情論と言って差し支えは無かったが、
それ故に彼らの話し合いはいつまで経っても交わらない平行線を描いていたというわけである。

「……。別に俺だって難民を見殺しにしたいわけじゃない。だが、既にギルガメシュの世話になっている者にまで
責任を感じる理由はないと言っているんだ。バティストゥータに移ったような者も同じこと。二重の施しが必要か? 
それとも、ゼフィランサスを真似しろと? どの町でも同じ体制を作れるよう斡旋しろとでも言う気か。
俺たちは斡旋業者ではないし、人も物もカネも――時間的な余裕だって持っていない」
「だから、アルが言っていることは問題のすり替えだってば。そういう話をしているわけじゃないのに」

 フィーナとアルフレッドがそのように言い合っている内に、
徐々にこの場の空気が悪い意味で盛り上がってきたというわけだろうか。各人も一言一言に熱を帯びてくる。

「せやなあ、それはそれ、これはこれっちゅうやつと違うんか?」
「目先の感情にとらわれて、物事を大局的に見ないのはどうかと思うわ。
正義を全うするためには、己を殺すことも厭わない。
そうでなければこの混迷の世の中に光をもたらすのは難しい、いえ、不可能よ」
「少々お待ち下さい。もう少しアルちゃんのお気持ちを考えてみては如何でしょうか? 
難民の皆様がご苦労なさっているのは確かではありますが、
アルちゃんを始めとしてわたくしたちが手を差し伸べるのかどうかには、より一層の熟慮が必要になられるかと思われます」
「んー、んん〜? そんなに難しいことなの? これはみんなで仲良くしようっておはなしなのね。
ルディアもフィーちゃんが言うように気持ちの問題だと思うの。ハートなの、ハート。
お邪魔虫がいるならルディアがふっ倒してあげるの! ワヤワヤにいたニヤニヤ野郎とか!」
「うるせえんだよテメエらは、ゴチャゴチャとよぉ。
やるのかやらねえのかってだけの事を決めるっくらいのことでこんなにモメやがるんだ。
さっさとどうするかまとめやがれ。見ているだけでイラついてくるだろうがッ!」

 各々がこのように言いたいことを、それぞれ会話の筋道もなしに言うものだから、これではまとまるものもまとまらない。
シュガーレイに至っては、「敵の一味と見なすならそれも構わん。手懐けて囮にでもすれば役に立つ」と
無粋な放言をしてパトリオット猟班の皆からきつく睨まれている。
 シュガーレイの過激な発案に頷くのは、胡坐を?きつつ事態を傍観していた撫子くらいのものだ。

「要はギルガメシュと……あと、なんだ、ロンギヌスってヤツか? そっちのほうに人を取られなきゃいいんだろ。
脅しでもかけちまえよ。ハンバーグにするっつったら一発だろうが。なんなら、何人か、ミンチにして――」
「は〜い、撫子ちゃん、それアウトなの。ケンカする相手を間違ったらダメなのね。
撫子ちゃんがおイタする前に、その悪い気をルディアがふっ飛ばしてあげるのね〜」
「ちょ、てめ、だからそうところを……ッ!」

 尤も、撫子も撫子で、不用意な発言をした途端にルディアから“お仕置き”を受け、沈黙を余儀なくされた。
膝の上に乗せていたのが仇となり、防ぐ間もなく幻惑めいた指使いの餌食となった。
 他の者に比してこの様子を客観的に眺めていたヒューは大きくため息を一回つくと、呆れたように肩を竦めた。

「やれやれ、ひでえもんだな。好き勝手に言うだけじゃどうにもならねえだろうに…… なあ、収拾つけたらどうだ?」
「強引に振ってきますねえ。私にこれをまとめろとおっしゃいますか? ヒューさんも人が悪い」
「俺っちの隣の誰かさんを始めとして悪い人間ばっかりと関わってきたんだ。まともな性根なんざとっくに無くなっちまったよ」
「そういう言い方だとまるで元々はあったように聞こえますねえ」
「ったく、本当に悪い奴だな、お前さんは」

 どうにかしろと言わんばかりに、隣に座っていたセフィのわき腹の辺りをヒューは肘で小突いた。
いかにセフィといえどもこうもこじれた会話(の体を既に成してはいなかったのだが)を落ち着かせるのは労苦を要する。

「アルの考えは尤もだと思うぜ。もちろん、フィーの気遣いもな。もしも、オレの仲間を助けてくれるんなら、
まずは佐志の足元を固めて欲しい。無理して一助けをしたって、きっと相手は喜ばねぇよ。
マリスの話じゃねぇが、熟考ってのが大事だ。本当に困っているところにだけ必要な分の支援物資を送るとかね」
「ラス……」
「オレ自身の考えで言わせてもらえるんなら――難民救済の為にこんな風に仲違いして欲しくねぇよ」

 議論の対象は難民である。その難民と同じ立場にあるニコラスにまで落ち着くよう窘められては、
アルフレッドたちも黙るしかあるまい。

「ギルガメシュを倒す志の持ち主が一致団結しなきゃならない――そう言ったのは、他ならぬアルでしょう? 
そのアルが輪を乱してどうするの。難民の中にもギルガメシュを許せない人だっているハズよ?」
「……痛いところを突いてくれるな、レイチェル」
「これもひとつの『人の和』、でしょ? 本当の意味で心を通わせようとしなきゃ、誰にも信じてもらえなくなるわ」
「……ああ、その通りだ……」

 レイチェルもニコラスの発言を支持した。彼女はディアナと固く友情を誓い合っている。
そのレイチェルが『人の和』を説くと、余人にはない重みが加わるのだった。

「……すまない、ラス。お前や、難民たちを軽んじるつもりはなかったんだが……」
「気にしてねぇって。お前の使命はギルガメシュとの戦いじゃねぇか。そこに集中してればいいんだって。
雑用くらい喜んで引き受けるからよ!」

 感情が昂ぶるあまり、アルフレッドは傍らのニコラスの存在をも失念し、
「敵の施しを受ける人間など自分とは無関係」などと軽率なことを口走ってしまった。
 そのことは幾ら悔やんでも悔やみきれるものではなく、ただただ己の軽率を恥じ入るばかりだった。
 フィーナもフィーナで頬を紅潮させている。史上最大の作戦を取り仕切ると言うアルフレッドの立場を顧みず、
自分の希望ばかりを押し付けてしまったのである。
 身勝手な発言で振り回してしまった仲間たちにも直ちに頭を下げた。

「さっすが俺っちのカミさん。いや、年の功ってヤツか? こう言う仕切りは最高に上手ェよな」
「人任せの宿六と一緒にしないで欲しいわね。ムチャ振りされるセフィの身にもなってあげなさいよ」
「お気遣い痛み入りますよ、奥さん」
「……いや、おい、こら。なんかその言い方、エロくね? てめ〜、人のカミさんに色目使ってんじゃねーよ!」
「そう言う考えに行き着くヒューさんの頭がどうかしているんだと思いますがね」

 何ら進展こそしていないものの、無意味な言い争いだけは避けられた。
それでは、これからどのように話をまとめるべきか、各人の思索は次の段階に移った――その時である。

「皆の衆、大変でござるよ。ギルガメシュが緊急放送を行うというお達しがあり申した!」

 村の仕事があるという事で席を外していた守孝が、場の喧騒を打ち消すような大声を張り上げて入ってきた。
 ギルガメシュが突如として全世界への放送を行なうというなど一体何があったのか――
室内は先ほどとは別の意味で騒然となった。


 役場の一階には休憩室と集会室が一緒くたになったような部屋があり、
そこには大型のテレビモニターが置かれている。不具合があって長らく放置されていたのだが、
その話を聞きつけたカッツェがメカニックとしての腕を振るい、晴れて本来の役割を再開出来るようになったのだ。
 アルフレッドたちがその部屋に入ったときには、佐志の住民たちがテレビモニターの前に殺到していた。
どうやら「緊急放送」と言う報に怯えているらしい。群衆の中にはカッツェやルノアリーナ、カミュやアシュレイも混ざっている。
 モニターの向こうでは、既にギルガメシュの報道官と思しき人物が、おそらく原稿であろう物を手に何事かを伝えていた。
無機質ながらも妙に力のこもった声は、嘗てルナゲイトを襲った後に世界の各地へと発信された宣誓の時と同じく、
カルト宗教にでも洗脳されているかのような雰囲気だった。
 ひとつ違う点を挙げるとするのなら、以前は青一色だった背景の代わりに、
捕囚の身となっているエルンストの映像が差し込まれていたことだ。
 どこにあったのかは知らないが、猛獣を輸送する際に用いられるような無数の鉄柵で囲まれた檻は、
本当に彼がギルガメシュへ降ったのだと視聴者に伝えるには、充分過ぎるほどのインパクトだろう。

「狼を放り込むには獣の檻か。ひでえジョークだ。……しかし、こりゃ色んな意味で笑えねえな」

 そう言いながら、ヒューは苦笑いともしかめっ面ともとれる表情を浮かべた。
 ギルガメシュがこのような手段に出ることを予想していたアルフレッドたちですら、
突きつけられた映像には大きな衝撃を受けたのだ。事情を知らないようなエンディニオンの者には、
とてつもないショックを与えたことだろう。
 テムグ・テングリ群狼領の惣領であるエルンストが収監されているのだ。悄然と言う他には言葉は見当たらなかった。
 一同が呆気にとられたように映像に食い入っていると、中継が入れ替わったようで、
カメラは檻の前方に居並んでいるギルガメシュの高官たちを映し出した。

「うーん、こうやって映像で見せられるとやっぱりインパクトは大きいなあ」
「おそらくは反抗の芽を事前に潰してしまおうという魂胆なのだろうが……それだけだろうか?」
「どういうこと? 他にも何かやるってこと?」

 テレビモニターに映し出されている檻の中のエルンストと、彼の前に並ぶギルガメシュ高官を見つめながら、
アルフレッドやシェイン、フィーナは視線を交わすことなく言葉のやり取りをする。
 果たして、他の狙いがあるのかどうか、何かやるのならどう言った感じで行なわれるのか――
興味とも好奇心とも取れる気持ちを胸に抱きながら、群衆はギルガメシュが一方的に流す放送にじっと集中していた。
 僅かばかりの時間の沈黙があって、そこからカメラは幹部たちの中央に立っていたカレドヴールフを
ズームアップして映し出した。
 その瞬間、アルフレッドの体にぐっと力が入ったのを、フィーナは見て取った。
グリーニャを焼き払った軍勢の総指令、そして、クラップを殺害した張本人とあればそうなるのも無理もないだろう。
 アルフレッドはテレビの向こうの実母に目をやったまま一言も発することなく、視線を逸らすこともない。
殺気がこもったような視線をじっとテレビ画面へと向けていた。
 カメラが向けられてから一呼吸置いて、合図があったのだろうか、カレドヴールフは己が意を知らしめる為、徐に口を開いた。
 集音マイクと彼女の口との間には冷たく無機質な仮面があるのだが、
まるでそのような障壁が存在しないかのように、その声はよく通った。

「ギルガメシュがこの世界に闘争を宣言してから、どれだけの時間が経過しただろうか。数えるほどでしかない。
しかし、我々に仇なす者たちの中で、最大の障碍を排除する次第となった。
テムグ・テングリ群狼領の長(おさ)、エルンスト・ドルジ・パラッシュは我々の軍門に下った。これがその証拠である。
こやつらは暴力と圧制を用いてこの世界の混乱をもたらしてきた。
だが、それも今日で終結する。最強の軍が堕ちた今、我々の行く手を阻む者など存在はしない。
確かに、まだ我らの意に従わぬ匹夫の群れはあるだろう。
だが、そのような勢力がどれだけ残っていたとしても、それはギルガメシュにとっては何ら覇道への妨げになるものでは無い。
言うなれば路傍に転がる小石の如き存在。
そのような者がどれほど束になったとしても、それは無為なもの。抵抗はもはや無駄な行為でしかない。
大河の流れを小石で堰き止めようとするような、無意味で無価値なことでしかない。
だが、それでもなお、我々ギルガメシュの前に立ちふさがらんとする蛮勇を有しているのならば、
我々は容赦無くそのような思い上がりを粉砕してやろう。
だが、ゆめゆめ忘れてはならない、我らはいたずらに戦いを求めているわけではないのだと。
ただひとつの崇高な目的、難民をこの世で人間たらしめるだけの努力を続けてゆく為にあるのだと。
故に我らはギルガメシュに大人しく服従を誓う者には刃を向けはしない。
根絶やしなどという野蛮な行為をせず、悠久の安寧を約束しよう。
従う者は我らの一員となりて、共に世界の平和の為にのみ、その力を振るうのだ。
テムグ・テングリ群狼領もそうだ。こやつらは我々に降伏することによって、その身の保証を得て、命を安堵されたのだ。
それは、エルンスト・ドルジ・パラッシュとて同様である。
後々に我らの裁きを待つ身であれど、今後はギルガメシュによる速やかなる世界の統治に力を尽くすと頭を下げたのだ。
見るが良い衆生よ、我らの善行を、温情を。我らに下れば将来は確約される。
だが、ここまで言われてもまだ逆らう者には無慈悲な裁きを与える。
いにしえの破壊神に勝るとも劣らぬ破滅だけがあるだろう。我々のこの宣言を聞くものは全て、肝に銘じておくが良い。
どちらがお前たちのこの世界の未来の為に、有益なのかという事を――」

 舞台に上がり、たった独りでとうとうとセリフを続けている演者のように、カレドヴールフは雄弁を謳い上げた。
 時折、カレドヴールフは檻の中にいるエルンストを指し示しながら、
カメラを通じて、その向こうにいるBのエンディニオン全ての人々向けて、延々と語り続けた。

「何を言うかと思えば、茶番もいいところだ。結局はギルガメシュの正当性をアピールするだけの行為か」

 画面に映る実の母親を睨めつけながら、アルフレッドは吐き捨てるように言い放った。
 とにかく彼にはカレドヴールフが発する言葉が空虚な物にしか感じられなかった。
エルンストの命を保障したのも恩情ではあるまい。彼の首を打つことによって生じるリスクを避けたと言う以外の理由など
見当たらなかったし、この放送を信じて――信じる者がいるとは思えないが――ギルガメシュに降る組織があれば、
良くて解散、最悪皆殺しだろう。
 重要だと告げる難民保護も、エンディニオンを完全に支配下に治めるまでは、
いや、仮に治めたとしてもどうなるか分かったものではない。
 アルフレッドだけが虚しさを抱いたわけではない、ヒューもセフィも「よくもまあこれだけ意味の無い言葉を並べたもんだ」とか、
「パフォーマンスの域を出ない。いえ、これではパフォーマンスにもなりませんね」などと言っては
ギルガメシュのこの放送に呆れ果てているようだった。
 冷ややかな目で放送を眺めていたシュガーレイも「これだけか。奴らも暇なのだな」と鼻先で嘲っている。
 このように、視聴した人間には何ら有益なものがない放送だったのだが、
相互通信でない以上、そんなクレームはカレドヴールフにもギルガメシュにも届かない。
 テレビの向こうでは、またもや報道官が力強い様子であれこれ喋っている。
圧倒的多数にとってはひたすら無意味な時間だけが流れていた。

「電源を落とせ。これ以上聞いたところで何にもなりはしない」
「どうせここまで来たんやし、せっかくやから最後まで茶番に付き合ってみるのもええやろ」

 痺れを切らしたアルフレッドをローガンが押し止めた――その瞬間(とき)だった。
 今の今までカレドヴールフのアップを映し続けていたカメラがすっとズームアウトし、
押し黙ったまま居並ぶギルガメシュの高官たちを再度映し出した。

「次に我らが行うべきことは侵略ではなく平和なる統治。
そこでひとつ、今回は我々の第一の目的が達成されたあかつきに、良いものを見せよう。とくと拝むが良い」

 如何にも芝居がかった所作でカレドヴールフが真紅のマントを翻した。

「良いもの、ねえ。まあ、どうせろくな催し物じゃないだろ。
いっそ全員でラインダンスでもやってくれりゃあ見ている価値があるってもんだ」

 届く筈のない画面上の対象に、ヒューの冗談が飛んだ。
 全くその通りだと頷くのも何となくバカバカしかったので、アルフレッドは黙って中継を見ていた。
するとカレドヴールフが――いや、彼女だけではない、そこに居並んでいたギルガメシュの高官全員が、
何があっても着用し続けていた仮面に手を掛け、やおら脱ぎ捨てたのだった。
 これ見よがしな演出だと言えたが、それでもアルフレッドたちはこの光景には息を呑んだ。
 実際に素顔を見たのは二度目だったが、それでも決して趣味が良いとは言えない仮面の下から、
実母の顔が出現したのは何とも言い難い戦慄があった。
 グリーニャの住民も伝聞形ながらギルガメシュの首魁がフランチェスカだとは知っていた。
心の奥底ではまさかと思っていたのだが、こうしてまじまじと画面の中の彼女を見るに、
「まさか、本当に……」、「間違いない、フランチェスカだ……」と言葉にならない衝撃を受けている。
 その双眸を以って改めて現実を確認してしまったライアン夫妻は、蒼白な顔で全身を震わせていた。

「――目に焼きつけよ、新たなる統治者の姿を。そして敬い、畏れ、崇めよ、お前たちの主君を」

 充分に自分たちの顔を印象付けるためだろう、カレドヴールフの演説が終わった後も、
カメラは黙々と居並ぶ素顔の面々を引きで映したり、個別にアップで映したりを繰り返している。
静寂の中でその行程は延々と行なわれた。
 一通り幹部たちの素顔が並んだ映像を流し終えると、再びカレドヴールフは口を開き、

「今日という日はエンディニオンの歴史に新たな一ページを書き加えたのだ」

 ――と、全世界に向けての勝利宣言のようなものを言い放ち、そして中継を終えた。
 画面は切り替わって、既に砂嵐のようなものが均一な音を鳴らしているだけになったが、
この場にいた誰もが何も言い出すことは無かった。

(ボルシュ? どうしてあいつがギルガメシュに? どうしてこんな事になっている……
時間か空間でもねじれたっていうのか? いや、そんな荒唐無稽な話があるだろうか……)

 たったひとり、アルフレッドだけは他の人とは違う驚きを感じていた。
 ギルガメシュの幹部の中から、かつてアカデミーに在籍していた時の友人、ボルシュグラーブ・ナイガードの姿を見つけたのだ。
 どうしてアカデミーにいた筈の彼が、ギルガメシュという異世界の組織に所属しているのか。
グリーニャでフランチェスカと見(まみ)えた時も、かつてマリスと再会した時もそうだったのだが、
今までの一連の出来事が自分の記憶と現実のズレを感じさせた。

(考えたくはないが、ギルガメシュはふたつのエンディニオンを行き来している? 
……いや、そんなことはどうでもいい。ボルシュがギルガメシュとどうやって接触したか、だ……)

 暫くアルフレッドは無言のまま考えていたが、これといった答えは全く浮かんでこなかった。

(……まあいい、誰がいようとギルガメシュは敵だ。それ以外の何物でもないはずだ)

 フィーナに何か言葉をかけられたが、それが耳に入ってこないくらいにアルフレッドはそう強く思っていた。
自分に言い聞かせるように、何度もその思いを繰り返していた。





「しかし、素顔を晒すっていうのはインパクトがあったと思うんですけど、それに意味はあったんですかね?」
「意味ですか? あると言えばある、無いと言えば無い、といったところでしょうか。
今回の放送には何の意味があったのか、その辺りは視聴者の皆さんに任せましょう」

 中継を終えて廊下を歩くアゾットにバルムンク――ボルシュグラーブのギルガメシュでのコードネームだ――は、
ふと湧いた疑問を尋ねてみた。
 相変わらずと言うべきか、アゾットは曖昧な表現をするだけに留まり、
それはやはりバルムンクの頭上に疑問符を浮かび上がらせる結果となった。
 カレドヴールフを筆頭に最高幹部が打ち揃って仮面を外すと言うセレモニーを発案したのは、当然ながら軍師その人である。

 ことの発端は、先日のブリーフィングだった。
 タバートをテムグ・テングリ群狼領の新たな惣領に指名すると言う議論が決着した後、
アゾットは「次に見せ付ける政治力」とやらを論じ始めたのだ。

「エルンストの身柄を押さえた我々が為すべきことといえば、その事実を世界に広く布告する事。
そして、それによってこのギルガメシュが名実共にエンディニオンを統べる存在であるというのをアピールすることです」

 ギルガメシュがエンディニオンの頂点に立ったという事を広く知らしめるのは、
彼らの実力がどのくらいのものであるかを伝えるのには分かりやすい方法だ。
 エルンストの身柄を手中にしているという事実が、
この世界にまだ多少は残っている反ギルガメシュ勢力の勢いを削ぐ結果へと繋がるだろう。
 そのくらいならアゾットの問いかけに四苦八苦していたバルムンクにも理解できた。
 だが、そこまでは分かるが、という感じで見つめていると――

「それで、具体的には何をするのでしょうか? 今現在拘束しているエルンストの映像を流すとか? 
見た目にもそれならインパクトはありますし、ギルガメシュの時代がきたのだというのにも説得力を持たせられますが」

 ――と、彼がふと思っていたことと同じような内容を、「僭越ながら」と一言断りを入れてからトキハが尋ねた。
 その質問にアゾットは、その類の質問が上がってくるだろうと思っていた、とでも言いたげに少しだけ笑みを見せると、

「皆さんもそういう手段は思いついたかもしれませんが、トキハ君も中々良い所を突いてきますね。
しかし、それだけでも確かにインパクトはありますが、せっかくですからもっと大袈裟に……うーん、ちょっと違いますかね、
より分かりやすい構図を用いて、とでも言い表しましょうか。どうせやるのならとことんやった方が面白いというものです」

 フラガラッハの言う「回りくどい言い方」をまたしても披露した。
 当然、これだけでは説明と言えるほどに明確なものではなく、要領を得ない。
案の定、フラガラッハは「また勿体付けやがって、うぜえな」と悪態を吐いたが、
この場にいたメンバー全員も似たような気持ちでいただろう。そもそもの質問者であるトキハも首を傾げている。
 だが、これもまた一種の悪癖だと皆が諦めており、アゾット独特の表現を咎めるような気はなかった。

「ただエルンストの画だけを垂れ流しにするわけでなく、ここにいるメンバー総出演ってわけか。
……だがなあ、表舞台で何か喋れってのは、ちぃと心配だなァ。
口下手なバルムンクに、フラガラッハだろ? こいつなんか台本用意したって読みやしねぇだろ」
「るせぇな、ポンコツ! 俺のことはほっとけよ!」
「ほれ見ろ、このザマだぜ。」

 冗談めかして笑うグラムに、アゾットもまた笑みを返しながら、

「皆さんは黙っていてもらっても大丈夫ですよ。まあ、細かい所はエルンストの送致が終わってからにしましょう」

 とだけ言って、会議中、ずっと振り回していた細長い棒を仕舞いこんだ。

「な、何が何だか……」
「君も大変だな。アゾットさんの助手は気苦労が絶えないだろう」
「いえ、皆様のご心労に比べたら私などは……」
「そうなんだ、……人前に出るの、苦手なんだよなァ……」

 怪訝な顔をしていたトキハや、いきなり慣れない舞台に立たされる羽目となったバルムンクの悩みはさて置き――
アゾットの献策は速やかにカレドヴールフから承認され、件のセレモニーが執り行われたわけだ。


 さも不愉快だと言わんばかりに肩を怒らせながら前を歩くフラガラッハに向かって、
アゾットは「暇を持て余すなどという事もなくなりましたね」とアゾットは朗らかに笑って見せた。

「あなたのお望みの通りですよ。思う存分、楽しんでくださいね」
「だから、一々言い方が回りくどいって言ってんだろうがッ! 何かやるなら要点を言いやがれッ!」
「そういきり立たずとも良いではありませんか。慌てる何とかは貰いが少ないといいますよ」

 フラガラッハにはアゾットの含み笑いがいちいち癪に障った。

「顔を印象付けて『こんな面構えだから、暗殺したいなら覚えておけ』ってな挑発をしたってところだな。
無理に意味をもたせるとするならば、だがよ」

 両者の間へ割って入るようにして、グラムがアゾットの意図を反芻した。

「それにしても大仕掛けな茶番というか、演出と言うかなあ。本当にお前さんはこういう意味のなさげなコトが大好きだな」
「誉め言葉として受け取っておきましょう。折角、敵軍が降伏したのですから、
これくらいのことは大真面目っぽくやった方が盛り上がるというものですよ、グラムさん」

 芝居じみたやり口をグラムが皮肉ったが、そんなものは気にしないと言った調子で、アゾットは右から左に軽く受け流した。
 意味のないことを命令しては、他人が右往左往する姿を見て楽しむと言う彼の悪癖が露骨に表された中継だったが、
それでも、グラムもバルムンクも他の面々も、乗り気ではないものの付き合ったわけである。

「――で、案の定、お前さんは仮面を取らなかったわけだ」
「当たり前だ。やってられるかっつっただろーがよ。一緒に並んでやっただけ偉ェよ、俺は」

 ただひとり、茶番のような出し物に付き合わなかったのがフラガラッハである。
 アゾットが考え出した演出に「やってられるか」と文句を言ってはそっぽを向き、
皆が仮面を取り去る際にも、自分は無関係だとばかり、ただ突っ立っているだけだった。
 ある意味ではセレモニーをぶち壊したとも言える反発ではあったが、しかし、アゾットは含み笑いをしながら、

「予想通りと言えばそうですが、まあ、あれは一種の怪我の功名とでも言いましょうか。
彼だけが仮面を付けたままだったことで、視聴していた人たちは何か得体の知れないものを感じ取ったかもしれません。
『ギルガメシュはまだ隠し玉を用意している』とでも深読みさせたらこちらの勝ちですね」

 と、嬉しそうに笑っている。深謀遠慮を働かせているのか、それともただ単純に行き当たりばったりなのか。
恐らくは後者なのだろうが、それを愉悦にすら感じているように思われるアゾットには、
さすがのバルムンクも「勝ち負けの問題じゃないんじゃ……」と呆れ顔で頭を抱えていた。
 「全く同感だ」とでも言いたげに、グラムは彼の肩を二度、三度叩くと、アゾットには何も言わずに歩様を早めた。

(……まずは第一段階と言ったところでしゅね……“次の手”もしゅぐに打たにゃければ……)

 彼らやり取りをコールタンはどことなく陰のある様子で眺めていた。
 その脇をドゥリンダナが怪訝な面持ちですり抜けていく。
カレドヴールフから与えられた特別任務をこなすべく足早に回廊を進んでいく。

 仮面を外した後も彼女の顔は半分以上が隠れており、本当の意味での「素顔」は明らかになってはいない。
鼻の上から首元まで包帯で覆っているのだ。これによって表情と言うものを満面より消し去っている。
 それにも関わらず、今の彼女は感情(きもち)が露になってしまっていた。剥き出しの双眸に濃い憂慮を湛えているのだ。

(妙なことになったものだ……)

 何度も何度もその一言を繰り返しながら、ドゥリンダナは士官専用のトレーニングルームへと歩みを進める。
 本来、ギルガメシュの“影”となってカレドヴールフを警護するのがドゥリンダナの主務であるのだが、
今はその役目も免除され、別の仕事を命じられたわけである。その仕事とは――

「……あっ、コーチ!」
「……その呼び方はやめろと言った筈だ」

 ――気鬱な溜め息と共にトレーニングルームのドアを開ける。そこにはベルの姿があった。
その手にはフェンシングに用いるレイピア(細剣)を携えているではないか。
 ドゥリンダナの姿を見るなり、ベルは「お願いします」と勢いよく頭を下げた。
 子どもながらに難民の有り様を憂えたのか何なのか、突如としてギルガメシュへ入隊したいと言い出したベルは、
ドゥリンダナが剣術に長けていると知るなり、その技を学びたいとまで希望。
 子どもならではの行動力と言うべきか、いつの間にやら、カレドヴールフにまで話を通し、
その結果、ドゥリンダナはベルに剣術の手ほどきをする羽目に陥った次第である。
 言わば、ベルはドゥリンダナに弟子入りした形なのだ。
 客人と言うよりは捕虜に誓いベルに対して、よもや自信の得手を伝授することになるとは奇々怪々としか言いようがなく、
未だにドゥリンダナは得心が行っていない。
 どうもカレドヴールフはベルに甘い。ここまで厚遇する理由がドゥリンダナには理解し難かった。
 とは言え、人形遊びやママゴトといった子守を命じられるよりは、剣術の稽古のほうが遥かに気も楽である。
そのように自分に言い聞かせ、ドゥリンダナは努めて職分を全うしようと思っている。
 ベルの身の丈や腕力の程度からテクニックとスピードによって攻守を組み立てるフェンシングを選んだあたり、
ドゥリンダナも真剣に稽古を付けるつもりではあるらしい。ベルに最も適したスタイルを見出したわけである。
 ベルもベルでドゥリンダナへ一生懸命に応じた。
 熱心と言うべきか、レイピアの他にもベルはギルガメシュ兵が用いるカーキ色の軍服と仮面まで用意している。
小さな子ども用の軍服が良くあったものだと一瞬だけ驚いたが、よくよく観察すればコールタンの物であることが分かった。
おそらく、カレドヴールフがコールタンより借り受けたのであろう。
 軍服を正しく着こなすのは感心だが、全世界への放送で素顔を晒してしまった以上、今となっては仮面は必要ない。
トレーニングルームに立て掛けてある練習用のレイピア――ベルもここから持ってきたのだ――を握り締めたドゥリンダナは、
「我らと大義を共にしたくば、すぐに仮面を外せ。その誓いはもう旧い」と“弟子”に指示した。

 室内にはベルのかけ声が響き渡っている。仮面を外した為、その息遣いは明瞭であった。
 フェンシングに付き物の剣を合わせる音は殆ど聞こえてこない。
何度、突きかかってもベルの剣先はドゥリンダナにすい、とかわされ、
逆に反撃一突きを胸に受けて後ろに倒れこむと言う動きが半ばパターン化していたからである。
 それだけベルとドゥリンダナの力量差があると言うわけだ。当然と言えば当然であろう。

「闇雲に突くだけではダメだ。それではチンピラのケンカと変わらない。――チェスか将棋の経験はあるか?」
「お父さんとお兄ちゃんがやっているのを見たことがあります」
「……まあいい、どちらもフェンシングは似ているところがある。さっきの私の突きを右に払ったが、それが敗着だ。
あの場合は右に体を寄せ、下から左上へ私の剣を弾く。
ここから一歩、いや、この身長差なら二歩か、進むと同時に右脇を狙って突く。
左ではかわされた場合に肩口を突かれる可能性が高くなってしまうからだ。
相手の動きや考えを何手先も読みながら剣を振るうべきだ」
「はい! わかりましたっ!」

 何度も剣を交わしながらベルへの指導は続く。

「突き方にも色々ある。これは練習用の剣だから出来ることだが――」

 そう言って、ドゥリンダナはベルに動かないように命じる。
 彼女の隣の何もない空間めがけて剣を突く――と同時に肘と手首を巧みに捻ると、
剣がくいっ、としなって、剣先がベルの背中に軽く当たった。

「あくまで一例だが、こういう攻め方もある。もっと考えて、多角的な視点で攻めが出来るようにならなければならない」

 ドゥリンダナの解説を交えながら、練習はなおも続いた。
 スパルタ式の厳しい稽古であるが、意外にもドゥリンダナは教え方が丁寧だった。
場も状況も違うが、シェインに剣術を教えるフツノミタマとは大違いである。
 ベルのほうも必死に喰らい付いていく。何度、突き倒されようとも諦めず、弱音を吐くことなく激しい動きを繰り返す。
幼いながらと言うべきか、幼いからと言うべきか、なかなか呑み込みが早い。
それに釣られてか、教えるドゥリンダナの方も指導に熱がこもりがちである。

 しかし、ここまで熱心に練習するベルの心中をドゥリンダナは読み抜いてはいない。
何を思ってフェンシングを習うのか――否、如何なる思いを秘めてギルガメシュへの入隊を希(こいねが)ったのか、
“師匠”にも分かってはいなかった。
 ベルはアルフレッドと血を分けた妹なのだ。その魂は必ずしも兄とかけ離れたものではない。

(……突くべし――討つべし……っ!)

 レイピアを突く彼女の視線の先には、ドゥリンダナではなく、村を滅ぼした憎きカレドヴールフの幻が在った。




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