6.Some 96,000 People 「……訴えるわけにはいかねぇし、まして保安官に突き出すわけにもいかねぇ――こりゃいよいよドン詰まりか……」 心底より弱り切った声を絞り出すのは、ロンギヌス社にて兵器コーディネーターと言う要職を務める青年、 ヴィンセント・パーシー・ニューマン・コクランである。 何やら仰々しい肩書きの持ち主だが、ここ最近は本来の業務を離れ、法務部の仕事を手伝わされている。 難民の身柄を保障するには、弁護士として高いスキルを持つ彼の力が欠かせないのだ。 当然、これはヴィンセントとしても望むところではなく、非の打ち所がない業務の遂行の裏で大いにストレスを溜めている。 自身のオフィスで仕事の行き詰まりを悲嘆するのであれば、今し方の独り言には何の問題もない。 つまり、これを呟く場所と状況が現在(いま)は最悪に近いと言うことだ。 書斎のように設えたオフィスでなければ、先日まで出向していたワヤワヤでもなく、 彼はアルバトロス・カンパニーの本社営業所にその身を置いていた。 当然、屋内にはアルバトロス・カンパニーの社員も在る――と言っても、主立ったメンバーは散り散りになっているので、 一時的に帰社したダイナソーとアイル、手伝いのジャスティンなど限られた者のみだ。 現在はボスの妻やその妹のキャロラインも所用で出払っている。 荷受などを行うフロントに腰掛けつつ、困り顔で腕組みしているマクシムスは、 そもそもアルバトロス・カンパニーの社員ではなく、ライバル企業、サンダーアーム運輸の人間であった。 マクシムスはヴィンセントに降りかかった災いの責任が自分にあると考え、それが為に苦み走った表情で瞑目しているのだ。 今、ヴィンセントとマクシムスは、ドア一枚によって厳然と隔絶されていた。 ドアの正面には『ボス室』と刻印されたプレートが貼り付けられている。 ことの発端は数日前まで遡るのだが――リーヴル・ノワールの調査を終えてフィガス・テクナーに戻ってきたマクシムスへ サンダーアーム運輸の事務所から緊急の召集が掛かった。“本社”、即ち、ロンギヌス社から緊急のお達しがあると言うのだ。 偶然なのか、それとも何らかの意思が働いているのか、ロンギヌス社の要請とはワーズワース難民キャンプの援助であった。 内容もアルフレッドたちが受けたものと全く同じであり、武器流入問題も最大の注意事項として言及している。 ただ一点だけ異なるのは、ロンギヌス社はこの件を難民ビジネスとして見なしていることだろう。 ワーズワースの援助で実績を作り、新たな“稼ぎ場”の開拓を図ろうとしているのかも知れない。 本社の要請とは雖も、受諾の可否についてサンダーアーム運輸は慎重にならざるを得なかった。 同じAのエンディニオンの難民を支援することは吝かではないが、劣悪な環境にあると言うワーズワースでは、 疫病などが蔓延している可能性も捨て切れない。ましてや、銃を以って襲われるなど最悪の事態である。 銃器流入問題を抜きにしても、Aのエンディニオンの人間にとってワーズワースは未知の領域なのだ。 現地を下調べした上で引き受けるか否かを判断したい――それがサンダーアーム運輸の結論であった。 するとロンギヌス社は、調査の責任者としてヴィンセントを送り込んできた。 マクシムスたちは知る由もないことだが――彼は万国公法を武器とする戦いに明け暮れており、 他の仕事まで引き受ける余裕など絶無の筈だ。彼が抱える案件とはワヤワヤの土地買い上げだけではない。 それにも関わらず、ヴィンセントはワーズワースの調査に自ら志願したのである。 兵器コーディネーターとして武器流入問題を看過することが出来なかったのだ。 かくしてヴィンセントはフィガス・テクナーを訪れた次第だが、その傍らにはスカッド・フリーダムの隊員を伴っていた。 本社にてヴィンセントを迎えたマクシムスは、その組み合わせに目を丸くして驚いたものである。 カキョウ・クレサキとロクサーヌ・ホフブロイがリーヴル・ノワールにて接触を持って以来、 ロンギヌス社とスカッド・フリーダムは緊密な連携を取っている。それは周知の事実であった。 それにしても、よもやチームを組んで現れるとは、マクシムスも予想だにしなかったのだ。 尤も、ヴィンセントからして見れば、何ら驚くことではない。 ロンギヌス社にとってスカッド・フリーダムは重要なビジネスパートナーなのだ。 ワヤワヤでも他の隊員と行動を共にしており、身辺警護と心理的な作用の両面で非常に頼もしく思っている。 この場合の「心理的な作用」とは、言うまでもなくBのエンディニオンの人々を対象としていた。 (……まあ、向こうとしてもロンギヌスが道義を外れないよう見張っているようなものだろうがね) 隊員の同行はスカッド・フリーダムのほうから申し入れてきたことである。 難民を支援していくに当たって現状をより正確に把握しておきたいと言うのが理由であったが、 それは建前に過ぎず、本当の目的は難民ビジネスに対する監視である。 更に付け加えるならば、同盟を続けていく意味があるか否か、ロンギヌス社そのものを値踏みするようなものである。 (義の戦士と言っても、お人好しの集まりではないってことだ。それで良いさ。それがマトモな仕組みってもんだ) 勿論、胸中に根差す微かな不信は、随伴している隊員には口が裂けても言えない。 上層部(うえ)の思惑はともかく、シルヴィオ・ルブリンと名乗ったその青年には何の罪もないのだ。 緋色の巻き髪は重力に逆らって反り上がっており、天を焦がさんとする炎の渦のように見えなくもない。 襟足のところで左右に分けて結わえた後ろ髪も癖が強く、まるで両翼を広げた火の鳥である。 今年、二十歳になったばかりだと言うが、そこかしこに幼さを強く残しており、同世代に比してだいぶ小柄。 ジュニアハイスクールと偽っても、大抵の人間は疑念すら挟まずに信じ込むに違いない。 面から零れ落ちそうなくらい双眸が大きく、これを飾る睫も長い。シャンパンゴールドの瞳は一点の曇りもなく澄み切っていた。 あまりにも可憐な顔立ちであり、声の質以外では殆ど性別が判らないくらいだ。 骨格はさすがに男性のものだが、少しでも厚着をすればいよいよ正体不明となるだろう。 しかし、義の戦士としての実力は折り紙付きだ。フィガス・テクナーへ向かう道中、 シルヴィオのトレーニングを見学したヴィンセントは、竜巻を起こすかの如き体術の冴えに刮目した程である。 体さばきに合わせて緋色の巻き髪が舞い踊る様は、まさしく火炎旋風であった。 生え抜きの社員に義の戦士と言うお膳立てを以ってワーズワースの現地調査を承認したロンギヌス社に対し、 サンダーアーム運輸――いや、マクシムスはもうひとつだけ要望を伝えた。 志を持って行動し、また難民救済の在り方について真剣に考えているダイナソーやアイルを同行させたいと願い出たのだ。 これはサンダーアーム運輸にとって面白からぬことではある。ライバル企業の宣伝にもなり兼ねないのだ。 それでなくともマクシムスはアルバトロス・カンパニーに肩入れし過ぎている。社員が難色を示すのも当然であった。 「あいつらは会社の為に働いてるんじゃない。どうにかして、ふたつのエンディニオンの争いをなくしたいだけなんだ。 利益も何も求めちゃいねぇ。あいつらは俺たちにも出来ないことをやろうとしてる。だったら、力になるのが人の道ってもんだぜ」 最終的にはマクシムスが社員たちを説得し、ダイナソーとアイルはワーズワースへの同行を許可された。 マクシムスもまたワーズワースへの調査を志願している。 サンダーアーム運輸を代表して危険地帯へ赴く者の要望と言うこともあり、周りも強くは反対出来なかったのだ。 ヴィンセントとしても断る理由はない。アルバトロス・カンパニーの本社事務所まで出向いて面談し、 ふたりの熱心な態度に好感すら抱いた程である。 最初にヴィンセントが訪ねたとき、ダイナソーとアイルは事務所を留守にしていた。 僻地に転送された親類を助けたいと言うフィガス・テクナーの住民の頼みを聞き入れ、現地へと急行していたのだ。 到着してみれば、そこはマコシカの集落の近く。少なからず土地勘のあるダイナソーの手引きによって、 迷える人はすぐさま救助することが出来た。 それ故、ふたりは件の緊急放送すら知らなかったのだが、脇目も振らず同胞の支援へひた走る姿にも、 ヴィンセントは心を打たれたのだった。 対するダイナソーとアイルはヴィンセントと打ち解けるまで短からぬ時間を要した。 彼はロンギヌス社の一員として憎むべき難民ビジネスを主導しているのだ。不信感を拭い切るのは並大抵のことではない。 それでもヴィンセントと話していく内にその理念は少しずつ理解出来るようになった。 万国公法に基づいて正大な取引を行い、理想論ではなく現実として難民を救うことは、道理を外れているようには思えない。 些か手段が強行的であり、またAのエンディニオンにとって著しく有利な法理である点は引っ掛かるが、 少なくともヴィンセント本人から悪意は感じられなかった。 「どうだろう、サム。小生はコクラン殿を信用しても良いと思うのだが?」 「――ンま、マックスの顔を潰すわけにもいかねぇしな。オーケー、喜んで手ェ組ませてもらうぜ。 あんたらの言う難民ビジネスってのも拝ませてもらうとするかね。勿論、問題アリだと思ったらその場でダメ出しさせてもらうぜ? 別に俺サマたちはロンギヌスの手先じゃねぇ。最悪、ケンカ別れしたって全く構わねぇんだ。 言いたいことを言い合うってコトで行こうじゃねーか?」 「たわけが。物別れになったらマクシムス殿の面目を潰すのと同じであろうに。足りないなりにもっと言葉を選べ」 「てめーってヤツは細けぇことをいちいち……ッ!」 「――いや、デーヴィス君の言うことは尤もだ。批判や意見なくして進歩は有り得ない。 ロンギヌスの窓口を名乗れるほど偉くはないが、僕も社の一員だよ。思うことがあったら、包み隠さず何でも言ってくれ」 このようにヴィンセントの人柄は悪意とはかけ離れたものである。 難民を救うことについて真摯に臨んでいると認めたダイナソーとアイルは、 僅かな蟠りを飲み込み、共にワーズワースへ向かうべく彼と決意の握手を交わした。 それまでは面談も滞りなく進んでいた。問題はそれ以降のことである。 一部始終を傍観していたジャスティンもワーズワースへ同行したいと言い出したのだ。 「ハブールのことは以前より知っておりました。実に興味深い一族ではありませんか。 後学の為にも是非ともご一緒させてください」 ヴィンセントはこの希望を即座に却下した。何が起こるかわからないような危険な場所へ子どもを連れて行くことなど 承知出来よう筈もない。社を代表して派遣された立場としては常識的な判断である。 ただし、反対されたジャスティンはヴィンセントの何倍も頑固であった。 「身の安全は自分で守れる」、「難民ビジネスの実態を余所の人間に知られると都合が悪いのか」などと主張を繰り返し、 ついには激しい言い争いにまで発展していった。 ほんの数日前に自分たちも同じようなことをしたものだ――と、ダイナソーたちは暢気に構えていたが、 業を煮やしたジャスティンはここで思い掛けない行動に出る。あろうことかヴィンセントを人質に取り、 ボスの部屋に立て篭もったのである。 要求はただひとつ、ワーズワースへ同行する認可であった。 「……許可を出す人間を人質にしたら、あんまり意味がねぇような気もするんだがなぁ。それじゃ、ただの強迫だろ」 ――と言うマクシムスの冷静な指摘(ツッコミ)はともかく、事態は思わぬ急転を迎えた。 ヴィンセントの警護も担っていたシルヴィオは、ジャスティン相手に不覚を取った形である。 さりとて、子どもに向かって実力行使と言うわけにも行かない。説得によって彼を諦めさせるしかなかった。 「無駄な抵抗は止めて出て来いよ、ジャスティン。俺サマ、知らね〜ぞ〜。 こんなバカな真似してるって知ったら、お前の愛しのキャロラインが泣くぞ〜」 「浅知恵ですね。何があってもキャロラインさんは私のことを信じてくれます。そう言うものです。 こんなことも分からないからサムさんはモテないんですよ」 「モ、モテるかどうかは関係ねーだろッ! てめー、憶えてろよッ!」 「うむ、ジャスティン君の言うことにも一理ある。この男の無神経には小生もほとほと嫌気が差していたところだ。 鼾を注意して逆ギレされたときなどは首を絞めてやろうかと思った」 「今、とてもスキャンダラスな発言を聞いた気がするんですけど、……サムさん、ちゃんと責任を取るんでしょうね?」 「カネをケチッて部屋をひとつしか取らなかっただけだっつーの! しかも、俺サマだけ床で就寝ッ! 敷き毛布もナシッ! ……ワケわかんねー方向でややこしくなるからおめーは黙ってろ、アイルッ!」 いくらダイナソーたちが呼びかけてもジャスティンは聞く耳を持たなかった。 どうやら説得は難しそうだ。なるべく事態(こと)を荒立てたくはないので強行突破も無理。 いよいよ手の出しようがなくなり、ダイナソーたちはほとほと困り果ててしまった。 一方、ヴィンセントを護り切れなかったシルヴィオも責任を感じて酷く落胆している――わけではなく、 このような状況にも関わらず、独り弁当を広げ始めていた。 一見すると度し難いほど空気が読めないような人間に思えるが、実はそうではない。 彼も説得に加わろうとしたのだが、その間際になって、どうにも腹鳴が止まなくなってしまったのである。 並みの大きさではない。間近までハリケーンが迫って来たのかと錯覚するような轟音であった。 このままでは説得にまで支障を来たす為、まずは空腹を満たすようマクシムスから促された次第であった。 それにしても――と周りが唖然とするような大食漢である。 最寄りのコンビニから各種弁当を三十個ばかり仕入れてきたシルヴィオは、ものの四、五分で全て平らげてしまった。 果たして、小さな身体のどこにそれだけの量の食べ物を詰め込んでいるだろうか。 恐ろしいことに、それだけ食べてもまだ腹八分目であると言う。 「リーヴル・ノワールで会ったホフブロイ殿もどこか浮世離れしていたが、この御仁も別の意味で次元が違うな……」 「お前たちは他にもスカッド・フリーダムの知り合いがいるんだろ? こう言う感じじゃなかったのか?」 アイルの言う「次元の違い」についてマクシムスから尋ねられるダイナソーだったが、 正直なところ、彼にも答えようがなかった。 「知り合いって言われても、サミットのときにちょっと顔合わせたくらいだぜ。満足に挨拶もしてねぇし。 アルたち――他の仲間たちはスゲースゲーって持ち上げてたけど、 そりゃ別に何かがブッ壊れてるとか、そーゆーコトじゃねぇと思うんだよなぁ」 シルヴィオはスカッド・フリーダムに於いてそれなりの地位に在るらしいのだが、ダイナソーたちは半信半疑である。 自己紹介のときに口にしていた『トレイシーケンポー』なる武術にも聞き覚えがない。 「それにしても、ほんま可愛げのカケラも持ってへんクソジャリや。親の躾がなっとらんで。 どつかれたこともあらへんのとちゃうかぁ? ジャリ言うもんはシバいてナンボじゃ。 痛みっちゅーのを知らんとガシンタレになってまうで」 なにやら、故郷言葉(おくにことば)にも粗野な響きがある。 ローガンの言葉遣いと似ているように聞こえるが、彼よりずっと荒っぽく思えるのは錯覚であろうか。 ただし、いくら暴力的な言葉を発しても童顔によって緩衝される為、威圧感は皆無に等しかった。 「ジャスティン君のことを知らぬくせに、根も葉もない言いがかりは控えて頂こう。彼は本当にしっかりした子なのだ。 御母堂は仕事で忙しく、共に過ごせる時間も僅かだ。ジャスティン君はその御母堂を自らの立場から支えている。 自分を育てる為に働いてくれる御母堂に心配をかけまいと、愚痴ひとつ漏らさん。 それでもそこもとはジャスティン君を愚弄するおつもりか?」 しかしながら、ジャスティンの身の上を知る者にとって聞き捨てならない発言をしたこともまた事実。 「親の躾」を貶めようとするシルヴィオに対して、アイルはすかさず言い返した。 勿論、ダイナソーも黙ってはいない。アイルと一緒になってシルヴィオに食って掛かっていった。 「好き勝手言いやがってよぉ! ジャスティンの母ちゃんだって、すげー立派なんだぞ! 女手ひとつで苦労してよぉ……ッ! さんざん迷子になって、そんでよーやくフィガス・テクナーに戻ってきたとき、一番最初に何をしたと思う? ジャスティンんとこにすっ飛んでったよッ! てめぇ、それでも姐さんにケチつけようってのか!? 親子の愛情がねぇなんて言うつもりじゃねーだろうなッ!?」 「小生は異なるエンディニオンの者ゆえ、スカッド・フリーダムの成り立ちまでは存ぜぬ。 されど、この世界の朋輩より義の戦士とは聴いていた。ならば、敢えて問おう。その誉れは偽りか!?」 この論陣に対し、シルヴィオはいきなり自身の額を殴りつけ、更に「わしゃ、なんちゅうことを言うてしもうたんじゃッ!」と 滂沱の涙を流し始めた。人並み外れて感情の起伏が激しいのだろうか、爆発するような泣き方である。 激烈な男泣きに中(あ)てられ、周りはすっかり呆気に取られているものの、 心の底から自身の浅慮を悔やんでいることは間違いなさそうだ。 「堪忍したってやッ! ……いや! いやっ! いやッ! 許さんでもええッ! 気が晴れるまでわしをどついたらええッ! わしゃ……わしゃ、そないな過ちを犯してしもたんじゃァァァーッ! 」 後から後から溢れ出す涙によって粗暴な人間でないことは証明されたが、それにしてもドアに縋り付いて許しを乞うのは 過剰にも程があるのではなかろうか。これはこれで扱いに困ると言うものである。 突如として泣き崩れたシルヴィオには、ボスの部屋に立て篭もるジャスティンも戸惑っていた。 理論家の彼には、余りにも極端な感情の振幅は分析し難いのだろう。 “号泣”と言う状態へ至るまでに見られる落涙、嗚咽などの道程を一気に飛び越えたシルヴィオの爆発は、 確かに理論家が好むような条理(すじみち)からは全く外れていた。 ヴィンセントはジャスティンに走った動揺を見逃さなかった。 ジャスティンの得物である鉄扇、『百識古老(ひゃくしきころう)』の骨組みより垂れ下がる長い紐にて両手首を拘束されているので、 身体の自由こそ利かないものの、首から上は意のままだ。それだけでヴィンセントには十分であった。 「――今度こそちゃんと訊きたいんだが、どうしてそこまでワーズワースにこだわるんだい? そこで暮らす難民たちは君とは縁もゆかりもないだろう? ……好奇心だけ目的とはどうしても思えないんだよ」 今こそジャスティンを心変わりさせる好機と捉えたヴィンセントは、更なる動揺を与えるべく突っ込んだ質問を重ねていった。 「ハブールに興味があると言っていたが、彼らは故郷にいられなくなった難民だ。 そんなところを好奇心から見学に行くなんて、彼らを侮辱するようなものだろう? ……君はそこまで愚かには見えない。子どもだてらにしっかり者だし、何よりも利発だ」 利発だからこそ、脅しに使える武器は抜け目なく確保しているのだとヴィンセントは付け加えた。 百識古老より垂れ下がる緋色の紐はとてつもなく長く、中ほどで手首を縛ると前後は大きく余ることになる。 ジャスティンは右手でもって先端部分を手繰り寄せ、そこに付属されたニードルを構えていた。 ヴィンセントが怪しい動きを見せようものなら、左手を振り回して屈服させ、右掌中のニードルを振り落とすことも可能である。 緋色の紐を繰って首を捉え、頚動脈を絞めるような芸当などジャスティンには造作もないことであった。 全ての行動が合理的であり、その中にこそヴィンセントはジャスティンの“頭脳”を見出しているのだ。 「甘いですね。それとも、私のことを甘く見ておられたのですか?」 ところが、ヴィンセントの目論見は脆くも崩れ去ることになる。ジャスティンにとっては逆効果だったとも言えよう。 ヴィンセントが発したのは明晰な条理(すじみち)に基づく理論である。そして、理論とはこの少年の主戦場でもあるのだ。 かえって頭が冷えて落ち着きを取り戻したジャスティンは、厭味っぽく口の端を吊り上げた。 「今なら付け入ることが出来ると期待されたようですね。残念ですが、その手には乗りませんよ」 「……厳しいな、君は」 「厳しくなければ、やっていけない世の中ですので」 そして、鋭い――ヴィンセントは感心とも諦念とも取れる溜め息を吐いた。 こちらの企図を一瞬にして読み切ってしまうとは、末恐ろしい少年である。 八方塞となって項垂れたヴィンセントを冷ややかに睨めつけるジャスティンだったが、 その一方で、彼の問いかけに返答を差し控える理由がないことも解っている。 ワーズワース行を願う本当の目的を打ち明けることは、調査の責任を負う男への礼儀かも知れない。 事実、ヴィンセントは題目として唱えた「好奇心」が単なる建前であると見抜いているのだ。 暫時、双眸を瞑って思案に耽ったジャスティンは、やがて観念したかのように低く唸り、 胸中に留めておくつもりだった真意を語り始めた。 「……母がギルガメシュに身を置いているのです」 「……思ったよりヘビーな回答だな。じゃあ、ここの勤め人と言うのは表の顔ってことかい? 裏ではテロリストを……」 「いえ、今も母はアルバトロス・カンパニーの社員です。ギルガメシュそのものに賛同したのではなく、 保護下に入ることが難民の立場にとって最善と判断したのでしょう。 ……ただ――誤解して欲しくないのは、母は決して自分の保身を図ったのではないことです」 「君の為、か。いや、人の親としては当たり前だろうな。実態がどうあれヤツらは難民保護を謳い文句にしている。 身の保障を期待するのは何の不思議もない」 だから、本当の理由を言い出せなかったのだとヴィンセントは悟った。 それもまた無理からぬ話であろう。同じ世界の同胞でありながらロンギヌス社はギルガメシュと敵対関係にあるのだ。 そこから出向してきた人間に対して、実母がカレドヴールフらに与しているなどと、どうして話せるだろうか。 「君のお母さんはエトランジェにいるのかも知れないな。集まってきた難民の中からMANAの扱いに長けた者を選りすぐって、 外人部隊を設けたと言う話を聴いたことがあるよ」 「はい――もしかしたらと思って、私なりに情報をかき集めてみました。 と言っても、インターネットで調べるくらいしか出来ませんが……」 「ネットの世界じゃ個人が特ダネを持ってくる。あながち、君の調べ方は間違っちゃいないよ」 「母がいる部隊かは特定出来ませんでしたが、……いえ、問題はそこではありません。 ネットで調べる限り、エトランジェと呼ばれる人たちはかなり悲惨な目に遭わされています」 インターネット上の日記とも言うべきブログに掲載されていた目撃情報などを例に引き、 ジャスティンはエトランジェの置かれた状況について話し始めた。 保護されるべき対象にも関わらず、食料も満足に支給されないこと。戦場では捨て駒同然の扱いを受けていること。 住居すら確保して貰えず、公園に寝泊りさせられていること。死者の葬儀すら見放されたこと―― 平静を保とうと努めるジャスティンだが、その瞳には隠し切ることの出来ない怒りが灯っていた。 何よりも緋色の紐を握る手に過分な力が込められている。ただでさえ色白だと言うのに今や血色が完全に失せてしまっていた。 ギルガメシュが語る難民保護とは、奴隷を集める為の方便なのか――ジャスティンは忌々しげに己の唇を噛んだ。 エトランジェの処遇はヴィンセントの耳にも入っていた。ロンギヌス社はBのエンディニオンに何人かのエージェントを放っており、 その情報網はインターネットの世界に転がる個人投稿のニュースより遥かに正確である。 ジャスティンが掴んでいる情報以上に悲惨な話もヴィンセントは知っていた。 しかし、それを有りの侭告げれば、この少年の心を無慈悲に抉ることになるだろう。 それは交渉手段として動揺を誘うものとは大きくかけ離れている。れっきとした暴力なのだ。 そもそも、既に揺さぶりをかける必要もなくなっている。 「エトランジェと同じことがワーズワースで起きているのなら、私にはそれを見届ける責任がある――そう思ったんです」 「……その結論に達した理由を訊いておこうか」 「ハブールの――いえ、難民と呼ばれる人たちがどのように生きて、そして、もとの場所に帰るのか。 ……それをこの目で確かめたいのです。もしも、ハブールの人に非常識だと石を投げられても私は全て受け止めます」 母がどのように生きて、自分のもとに帰ってくるのかを確かめたい―― ジャスティンより語られた真意を、ヴィンセントはそのように“翻訳”した。 理論的なことを述べて取り繕っているが、この少年は母に辿り着く為の手掛かりをワーズワースに求めているのだ。 その思いこそヴィンセントが知りたかったものである。そして、肉親への慕情を否定することなど誰にも許されない。 (これからの世の中、こう言う心を大切にしなければならねぇって言うのに。 ……俺としたことがつまらねぇことにこだわっちまったな) 僅かな思料の後、ヴィンセントは「同行を許可しよう」とゆっくり頷いた。 「君も一緒にワーズワースへ行って貰おう。……ただし、何が起きても自己責任だ。 例え命を落とすようなことになっても、疫病に罹るようなことがあっても、ロンギヌスでは責任を負いかねる。 責任を口にするとは、そう言うことだ。構わないだろうね?」 「覚悟の上です」 命の危険を問われても、ジャスティンはたじろぐ素振りすら見せなかった。 最終の判断を尋ねるつもりであったが、図らずも芯の強さを再確認することになったようだ。 ドアの向こうで誰かが騒いでいたが、親ひとり子ひとりと言う境遇の中で、母を支えられるくらい立派に育ったのだろう―― そう思わせる程にジャスティンは凛然としている。 無論、同行を許可したからには彼の身の安全も全て引き受けるつもりである。 今後、シルヴィオはヴィンセントではなくジャスティンを最優先で護ることになる筈だ。 「話もまとまったところで、そろそろ僕を解放してくれないかな。 家内にこんなところを見られたら、変な趣味に目覚めたと勘違いされて――」 場の空気をほぐそうとおどけて見せるヴィンセントだったが、彼の冗談は中途半端な部分で途絶されることになった。 強引にドアを蹴破り、何者かが突入してきたのである。 アルバトロス・カンパニーの制服に身を包んでいるが、ヴィンセントには見覚えのない顔であった。 改めて詳らかにするまでもないが、隣室に居たダイナソーでもアイルでもない。 出先から戻ってきた他の社員と言ったところであろう。 全身から凄まじい殺気を立ち上らせたその突入者は、しかし、初対面である筈のヴィンセントを睨み据えている。 さすがにジャスティンは面識があるらしく、突入者に対して「キャロラインさん」と呼びかけた。 慣れたものなのか何なのか、ドアを蹴破ると言う荒々しい乱入もさして気にはしていない様子だ。 「怒らないで聴いてくださいね。またキャロラインさんを置いて留守にしますが、実は――」 「――ジャスティン君をかっさらったのはキサマかァァァぁぁぁッ!?」 ジャスティンが言い終わらない内に突入者――キャロラインは床を蹴って跳ねていた。 その手には痴漢撃退用の特殊警防が握り締められている。 「ジャスティンを人質にして立て篭もった」と誤解されたヴィンセントの脳天が縦一文字にカチ割られるのは、 それから丁度一秒後のことであった。 * 『緬』との戦闘の後はフィーナたちの航海に障害はなく、ほぼ予定通りにワーズワースへと到着した。 クルーザーが停留できる場所は遠く離れた南東の海岸線がある場所だけであり、 まずはそこへ向かい、更に陸路から現地まで入ったのだが―― 「うわっ、なにこれ汚っ!」 「えぇ? ここって自然公園なんでしょ? それなのにどうしてこんなに?」 「コーカー……」 現地の委細が分からない海岸からでは、ワーズワースは緑に満ち満ちており、さすがは自然公園と言う遠景だった。 だが近づいてみると、そこには大量の廃棄物。あたかもグリーニャの山奥に戻ってきたかのような、 そんな錯覚がフィーナやシェインに襲い掛かったほどだった。低く呻いているあたり、ムルグも同じ気持ちでいるのだろう。 歩みを進めれば進めるほど、一行の言葉は少なくなっていく。 壊れた機械からは排油なのか何なのか、異臭を放つ液体が日光を反射してテラテラと汚らしい光を放っていて、 それが雨水の如く地面の窪みに溜まっている。水面――と言う表現も不適切だろうが――には、 毒々しいまでの赤や緑の混じった膜を張っていた。 ジョゼフが掴んでいた情報によると、昨今、『ルーインドサピエンス(旧人類)』由来と思しき廃棄物が この地へ大量に運び込まれてしまったとのこと。それが自然を汚し、自然公園としての価値が全くなくなってしまったと言うのだ。 まさか風光明媚で名高いワーズワースがこんな有り様になっているとは。 観光に来たわけではないにせよ、すっかり悪い方向に様変わりした光景にフィーナたちは思わず慄然としてしまった。 さだめし、ここに住んでいるという難民たちも大変な思いをしているのだろう。 辺りに充満する悪臭は、比喩でなく本当に鼻が曲がってしまいそうなくらい猛烈である。 なにはともあれさっそく調査だと勢いよく駆け出すシェインやジェイソンだったが、彼らの歩みはすぐさま止まってしまう。 山積みになっていた廃棄物の物陰から、ワニかトカゲのような姿の大型のクリッターがのっそりと現れた。 『バジリスク』と呼ばれる種であった。 まさか、嘗ての自然公園にクリッターまで生息しているとは――驚愕に身の震える思いだ。 先頭にいた二人をぎろりと睨むそのクリッターの眼は、巨漢のホゥリーですら一飲みできそうなほどの大きさである。 「ああん? 何だってこんなところにクリッターがいるんだッ!?」 「そんなことツッコんでいる場合じゃないだろ、オヤジ。こうなったらやるしかないって。フィー姉ェ、援護お願い!」 即座に反応したシェインはブロードソードを抜き放ち、若干腰を落とした構えを取ってバジリスクをじっと見据える。 その隣ではジェイソンも油断なくファイティング・ポーズを取っている。 しかし、援護を求められたフィーナはトラウムを発動させることをせず、シェインに「銃は撃てないよ!」と告げる。 「なんでなのさ、フィー姉ェ!」 「だって、大きな音を立てたらここに住んでいる難民の人たちを怯えさせちゃう!」 「左様、ワシらはここに調査に来ているのじゃよ。下手に難民を刺激しては今後に差し障りが出てくるわい」 その言葉にぐっと堪えて、シェインとジェイソンは一歩下がった。 確かにフィーナやジョゼフが言ったように、ここで大きな音を出しては難民に警戒され兼ねないし、 不安を覚えた彼らがパニックを起こすと言う更に悪い事態まで発展し兼ねない。 一発や二発で何とかなれば良いが、ここまで大型のクリッターでは致命傷にはならないだろう。 そうなると、フィーナが備えたような銃器は勿論のこと、撫子のミサイルなどは到底使用できない。 「だったら切り刻んじまえばいいだろうが」と考えているのかいないのか、フツノミタマがドスを抜いて斬りかかる。 見た目に反して俊敏な動きを見せるバジリスクであるものの、フツノミタマからすれば緩慢である。 大きな口で噛みついたり、トゲのように尖った鱗が生えた尾を振り回したりするが、 そのどれもがフツノミタマの鼻先をかすめるばかりで有効打は一つもない。 フツノミタマは瞬時に間合いへ飛び込むと、脇腹へドスを深々と突き刺す。 だが、バジリスクの巨体と戦うには、彼の獲物はあまりに刀身が短い。 斬りつけることは容易いが、どれもこれもが致命傷となるには足りなかった。 シェインもブロードソードを抜いて加勢するが、しかし彼の剣も決定的なダメージを与えることはできなかった。 「火器は使えない。刃物じゃ致命傷にならない。どうしよう、困ったよダイちゃん」 「テッドがメタル化して殴る――のも無理か。結局、デケェ音が出ちまうな」 自分たちでは役に立てなさそうで、歯がゆい表情で戦いを見つめるふたり。 ホゥリーやレイチェルのプロキシもクリッターの分厚い皮膚状の装甲では効果が薄そうである。 フツノミタマやシェインが付けた傷口から内部へ炎なり雷撃なり打ち込めれば効果はありそうだとホゥリーは考えたが―― 「それで、どうやってあんたやあたしがそこまで近づくのさ。発動させる前に飲まれるのが関の山よ」 ――と、淡々とレイチェルがその作戦を却下した。 有効な攻撃方法が思いつかず、どうにも攻めあぐねる一同に苛立ったのか、 ルディアのそばにいた撫子が「面倒くせえな、ブッ潰しちまえよ」と殆ど野次を飛ばすように言い放った。 「んなことできるかっての!」とフツノミタマは怒鳴り散らしたが、しかし撫子のこの発言に、フィーナが何かを閃いた。 「そうだっ、テッドさんが上からジャンプして潰すって作戦ができるかも」 「なるほど、誰かに高いトコまで運んでもらえば、『メタル化』した時の重量と落下スピードで出来るかも。 あ……でも、簡単には行かないか。こいつ、めちゃくちゃすばしっこいから避けられちゃうんじゃ……」 「要は動きを封じられたらいいんだろ? で、その為のアイデアが浮かんでいるってところか?」 「そう――おふたりなら何か出来るんじゃないですか?」 ダイジロウに頷き返したフィーナは、次いでレイチェルとホゥリーの方を向いて問いかける。 「さてさて、じゃあどういう感じでやってみる?」 「ウォーターをまいてフリーズさせてアイスバーンをメイクするのがボキ的には一番イージーかな」 「そうね。じゃああんたは『ガイザー』で地下水を操ってちょうだい。こっちは凍らせる役目ね」 彼女のアイデアを耳にしていたふたりは、すでに作戦の筋道が立てられていたようで、 フィーナが言い終わるよりも先に「大丈夫」と言葉を返した。 一旦作戦が立てられると、連携は手慣れたもので、フツノミタマやシェイン、ムルグがバジリスクを翻弄している間に 地表の一部が分厚い氷に覆われていた。 それを確認し、ふたりと一羽はつかず離れず、バジリスクを氷がある方へと誘導していく。 傍らではジェイソンがテッドの両手を掴み、その身を思い切り振り回している。 完全な横回転でなく、やや傾きをつけているあたり、ハンマー投げの要領で彼を上空まで運ぶ算段のようだ。 小柄ながらも超人的な身体能力を持つジェイソンならではの発想と言えよう。 「――あ、待って。今気付いたけど、必ずあのトカゲの真上に行くとは限らないよね、これ!?」 「そのくらい気合いだッ! 気合いがあればタイミングだって」 「て言うか、このままぼくをあいつに放り投げたほうがよくない? 今更だけど空まで上がる必要が――」 「ヨユーだな、あんた! 舌噛んでも知らないぜッ!」 「少しは会話と言うものをしてくれよ、キミ!」 この作戦の不条理な面に気付いてしまったテッドが俄かに慌て始めたが、それはさて置き。 「よし、今だ!」 バジリスクが氷の上に乗った瞬間、シェインたちがそれぞれ別々の方向に散開する。 そして、誰に狙いを定めようかとバジリスクの動きが止まった。 それと同時にジェイソンはテッドを中空へと放り投げた。遠心力をたっぷりと乗せていた為、 相当な高度まで垂直に素っ飛んでいく。飛距離を競う大会であったなら、世界新記録を塗り替えたかも知れない。 「――なせば成るッ!」 空中で全身の『メタル化』を果たしたテッドは、まさしく気合いで狙いを定め、急降下と共にクリッターの頭部を踏みつける。 メタル化したテッドは、クマの人形を彷彿とさせる貌(すがた)と化していた。 熊そのものではなく、あくまでも「クマの人形」だ。 全体的にずんぐりむっくりとしたシルエットである。両の掌は常人に比して十倍以上の大きさを誇っているのだが、 これはガントレットの一種なのだろうか。左右の肩部にも手の形を模したパーツが見られ、そのサイズは一等巨大であった。 背面にはスライド機構を備えた機械式のバックパックが接続されている。 でっぷり肥えたかのように丸い腹部の中央からは一本の筒が突き出しており、 戦闘時にはここからヴァニシングフラッシャーと同質のレーザーを照射するのだ。 甲冑と言うよりはビルバンガーTのようなロボットに近い外見である。 物々しい出で立ちの中、頭部だけは子ども向けの人形のようにデフォルメされていた。 果たしてそれは、ジョゼフとラトクが両帝会戦の折に目撃したものと全く同じ貌(すがた)だ。 全身をロボットの如く変身させた貌(すがた)からも、また今までのダイジロウとの会話からも察せられる通り、 テッドのメタル化とは己を超重量と化す物である。 その重量に急降下の勢いが加わり、更にホゥリー、レイチェルのふたりが作った分厚い氷に挟まれては、 如何にバジリスクの装甲が強固でろうとも一たまりもない。半機械半生体の爬虫類の頭部は、 今までの苦戦が嘘のようにあっさりと砕け散った。 それでもなおバジリスクは緩慢な動きでもがいていたが、ハーヴェストが“魔法の杖”でクリッターの核を殴り壊し、 ようやく生命活動を完全に停止した。 「やるじゃねぇか。とっさに良い手段を思いついたもんだな」 ダイジロウがフィーナの立案の素早さを拍手でもって称賛する。 メタル化を解いて生身に戻ったテッドも「見事なもんだね」と相棒に倣ったが、 作戦にも物理法則にも振り回されていただけに、その心中は必ずしも言葉通りではなかろう。 思わぬ誉め言葉に対して、フィーナは若干照れくさそうにしながら―― 「そう言われると、なんだか照れちゃうな。そんなに褒められることでもないから。 ……って言うか、閃いたのは撫子さんが『ブッ潰せ!』って言ってくれたからだから、むしろ褒めるのは彼女ですよ」 ――と言って撫子を指し示し、今回の勝利は自分ではなく撫子こそ大手柄なのだと主張した。 それを聞いた撫子は、褒められ慣れていないのか何なのか、気恥ずかしそうに顔を背けている。 「へっ、おだてたってなにも出ねえよ」 「そんな風に悪ぶったってダメなの。撫子ちゃんが嬉しいってみんなにはもう分かっているの〜」 「バッ、バカ言うんじゃねえ!」 鼻で笑い飛ばす撫子だったが、その態度をルディアから突っ込まれ、更に羞恥が加速してしまった。 「くだらねえこと言ってねえで先急ぐぞ」と、顔を見せないようにしながら先頭を歩いていく。 その様を皆が微笑ましげ――ホゥリーだけは生暖かい眼で――に見つめるのだった。 「イイ写真いっぱい撮らせてもらってから言うのもなんだけどさ、ムルグが爪で掴むなりして彼を空まで運んであげれば、 もっと簡単に仕留められたんじゃないの?」 そんな和やかな空気をトリーシャの冷静な指摘(ツッコミ)が叩き壊したのは愛嬌。 「それにしても――わざわざこんなところでキャンプするなんて……」 「あ、フィー姉ェも思った? 実はボクもだよ。あんなでっかいクリッターが住んでいる近くにさ」 「そ〜そ〜、オイラだったらこんな危険で汚いところなんてすぐに出て行っちゃうけどね」 すぐ近場に大型クリッターが生息し、なおかつ汚染も深刻なワーズワースなぞにどうしてキャンプ地を作ったのか。 もっと他に適した場所はなかったのかとフィーナは呟き、シェインやジェイソンもそれに同調した。 「こう言うデンジャラスなプレイスにしか住めないってことなんだろうさ、メイビー。 もっとグッドなプレイスはビフォーにカムしたピープルが住んでいたからとか、 セーフティな土地にゴーできるようなパワーがもうナッシングだとか、何かリーズンがあるんだろうね」 「うむ、おヌシにしてはまっとうな意見じゃのう。何せ別のエンディニオンからやって来た難民たちじゃ、 右も左も分からないままあちこちを彷徨うよりは、危険であっても定住できる土地を選んだ、ということなのかも知れぬのう」 彼女たちに向けてホゥリーとジョゼフが推察を述べる。 ハブールの難民たちはここにしか住む場所がないという考えに、フィーナは成る程尤もだと気付いた。 自分たちとは全く異なった状況下に強制的に置かれてしまった難民たちのことだ、 危険なのは重々承知しながらもそうするしかないのだという可能性は大いにある。 (うーん、こんな事じゃダメだなあ……) 難民たちを救いたいと言う強い気持ちでここワーズワースにやって来たというのに、 人々がどういう状況の中にいるのか分からないまま批判めいたことを言ってしまったのだ。 トリーシャは「悪気があったわけじゃないんだから。ひとつずつ勉強していけばいいのよ」と慰めてくれるが、 今のフィーナには猛省しかない。 そして、難民たちの為に出来ることをしようと、改めて気合いを入れ直した。 とにもかくにも、ワーズワースの状況を確認することが肝心である。 このメンバーの中で誰よりも安全に全景を確かめられる者としてムルグに白羽の矢が立った。 それはそうだろう。この中で、唯一、高空より地上を観察出来るのである。これほど目立たない偵察もあるまい。 「さっそく潜入調査だ」と息巻いていたシェインやジェイソンは少々がっかりしたものの、 先ほどのクリッターの襲撃のような予期せぬハプニングがまたないとは言い切れない。 あらかじめムルグに大まかな調査をしてもらった方が今後もより安全に行動できるのだと、 ジョゼフやレイチェルに理屈で説明されては引き下がらざるを得なかった。 一方のムルグはフィーナの頼みとあって、「コカカッ!」と力強く叫ぶと瞬く間に上空へ飛翔。 あちらこちらを飛び回りながら情報を収集していった。 ルーインドサピエンスの廃棄物と思しき物によって汚染されているとされるワーズワースではあるが、 その規模と程度はまちまちである。 海上から見た時のように豊かな自然が残存している地区もあれば、草木が枯れて荒れ果てているような場所もある。 上空から見ると緑の濃さがグラデーションを成しているようでもあった。 名物の一つにもなっている、清らかな水が流れる川も汚染の少ない方であった――ように思えたのだが、 川の流れを追ってゆくとそうでもなかったと気付く。川の水は上流から下流に流れていくに従ってどんどんと汚れていく。 その様が上空からだとよく確認出来た。川辺に住んでいる人たちが次々に廃水を垂れ流した結果であろうか。 それ以上に注目するべきは難民たちの住居の様子である。 比較的きれいな場所から汚染の激しい場所へいくにつれて、人々の住み家もどんどんとみすぼらしくなっていくのだ。 簡素な造りながらもしっかりと人間が生活していけそうな建物から、 廃材か何かを利用してできたと思しき物置のような小さな家、更にはより質素な作りになっているソッド・ハウス、 挙げ句にはつぎはぎだらけのボロきれ――自分たちの着ていた衣服をつなぎ合わせたのであろうか――を吊るしただけの、 雨露をしのげるかどうかも怪しい粗末なテント。 焼却炉と思われる施設から噴き出してくる煙が、風の流れのせいか勢いよく下流域の方向へ流れていく為に、 全てを把握するには至らなかったが、おおむね建物の変化はそのようである。 まるで居住区域の違いが住まいの違いと言えるほどであった。 一部の区画を分断している川には、これまたワーズワース名物の橋が架かっている。 そのすぐ近くには物々しい建物が併設されており、ライフルを携帯しているギルガメシュ兵の姿がちらほらと見えた。 そこに繋がっている道には不自然なへこみが連なっている。 ギルガメシュが有する戦車のクロウラーによって刻み付けられた跡であろう。 やはりここはギルガメシュが占領し、支配している場所なのだということが改めて感じさせられる光景であった。 (ケコケッ、コケコケケココー!) あらかた調べたところで、一旦フィーナのもとへ戻ろうとしたムルグは、眼下から響いてくる鐘の音を聞いた。 咄嗟に近くの木立にとまって様子を窺う。すると、住まいの中にいた難民たちが次々に外へと現れ、 皆が皆、一様にワーズワース内で一番大きい池の方へ向かって跪き、何やら祈りを捧げ始めた。 何事か、祈りの言葉も唱えているようであったが、遠方のムルグには分からない。 それでも、この光景からはなんとも形容し難い不思議さを充分に受け取れた。 ややあって、儀式か礼拝かが終わると、人々はどこかへ足を運んだり、家の中へ戻っていく。 全てを見届けたムルグは、これまで得た情報を逐一報告するべく、一目散にフィーナのもとへと飛んで行った。 ムルグの報告をもとに実際に現地へと足を向けるフィーナたちだったが、 そこに待ち構えていたのは、我が目を疑う光景だった。 上を見れば済んだ空と青々と茂った植物が美しいコントラストを描いていたが、 視線を下に向けると辺り一面には難民の人だかり。 誰も彼もが汚れた服装である。遠目からでは確認し辛いが、その面からは感情も生気も抜け落ちていた。 いかに難民たちが困難な状況へ追い込まれているのかが分かるものだった。 生きると言うことを既に諦めているような――そんな群像であった。 「うむう、聞きしに勝る有り様じゃのう。これでは食糧援助も満足にできそうもないわい」 ジョゼフは冷静に現状を見て言ったが、対してフィーナはこの痛ましい光景に暫し言葉を忘れてしまっていた。 そんな時、フィーナたち全員の耳に、少し離れた場所からの子どもの叫び声が届いた。 何か事件が起きたのかとフィーナは一目散に駆け出して声のする方へと向かったが、 そこで目にした光景は何とも長閑なものだった。 僅かに生き残った木立の中で、難民の子どもたちが数人で追いかけっこをしていたのだ。 響いていた叫び声は子どもたちが興奮して出していたわけである。 多くの難民同様に子どもたちも汚れた身なりをしていたが、それでも無邪気な子どもたちの目には明るい光が宿っていた。 この情景を見てフィーナはほっと胸をなでおろし、子どもたちに温かい眼差しを送っていた。 隣にいたルディアはそれだけでは満足出来なかったようだ。 騒ぎ回る同年代の子どもたちを見ていると居ても立ってもいられなくなったようで、 自分もその輪に加わろうと駆け出そうとした。 フツノミタマが右手を伸ばして捕まえていなければ、あっと言う間に難民の子どもたちのもとまで駆け去っていたことだろう。 「このバカ野郎が! 様子を掴むまでは目立たないように行動しろって言われたばかりじゃねえかッ!」 「あんましナメくさったマネしてっと知らねぇぞ! 目に届く範囲にいねぇと何してっかわからねぇだろうがよ!」 「そ、そんなにいぢめなくたっていいのに……」 フツノミタマと撫子にふたりがかりで叱られたルディアは、頬を膨らませて不満の意を表しつつも、 その双眸には大粒の涙を溜め込んでいる。 「よいよい、子どもがひとりふたり増えたくらいじゃ気付かれぬわい。 子どもらが遊んでいるうちに、多少はこちらを信頼してもらえるようになるじゃろう」 「バカか、ジジィ! ガキに任せるなんて危なっかしいったらねえ!」 見るに見兼ねたジョゼフがルディアのフォローを試みたものの、いつも以上にフツノミタマは頑固で、 「遊んでいるだけなら特に困った事には発展するまい。暫し見守っておれ」と理詰めで説明されようとも 決して引き下がろうとしない。「ガキに危険な真似はさせるな」の一点張りである。 「……珍しいこともあるもんじゃな。のォ、ラトク?」 「シェイン君に骨抜きにされたのではありませんかね。」 「案外、当たってるかも知れませんよ。シェインを弟子にする前と後の写真がデジカメに残ってますけど、 もはや別人みたいな人相ですよ。ちょっと前なんか完全に殺人鬼ですから」 「ほほう、でかしたぞ、トリーシャ。さすがは我が弟子、抜かりがないの。さてさて、見比べてみるのも一興じゃな」 「一興じゃねーよッ! てめぇ、トリ公ォッ! なんてことしやがんだッ!?」 自分でも熱くなっていると分かったのだろう。フツノミタマの面はいつしか熟れた林檎のような風情となっていた。 「いつも一緒にいるから顔付きは分からないけど――確かに今日のオヤジはちょっと変だぜ。 なんだか保育士みたいだよ。あっちの仕事から足洗って再就職してみたら?」 「だッ、誰が保育士だッ! ……クソどもがッ! 寄って集ってバカにしくさりがってッ!」 シェインからの指摘(ツッコミ)が決定打となったのだろう。とうとう居た堪れなくなったフツノミタマは、 「ションベン行ってくらァッ!」と破れかぶれに言い放ち、汚染によって地面が醜く露出する岩場へと去ってしまった。 わざわざクリッターの棲息場所に近いほうを選んだのは、「絶対に追ってくるな」と言う意思表示に他ならない。 (――放任主義と無責任は違ェってんだ、バカ野郎めぇ……ッ!) 悪態を吐きながらもちらりと振り返るあたり、フツノミタマと言う男はどうにも憎めない。 ジョゼフはフィーナやトリーシャたちを伴って別の場所を調査しに出掛けてしまったが、 撫子とハーヴェストはその場に居残り、ルディアが無茶な真似を繰り返さないか目を光らせている。 ホゥリーも一緒ではあるが、当然、彼にやる気はなかった。 「なんだ、鬼ごっこがしたいのか? 後でいくらでも付き合ってやるからおとなしくしてな」 「そうそう。あの子たちはワーズワースの地面に慣れてるけど、キミはそうじゃないだろう? 足を取られて大怪我でもしたら大変だよ。ダイちゃんじゃないけど、ぼくも一緒に遊んであげるから今は――ね?」 「あらあら、いいお兄ちゃんたちに恵まれたじゃない。後で楽しみがあると、待ち時間までウキウキしちゃうわね」 「ルディア、別に鬼ごっこがしたいわけじゃないのっ! ……んもうっ! オトナはコドモの気持ちを分かってくれないのっ!」 ジョゼフたちとは別の場所を調べると言うダイジロウとテッド、レイチェルにまでダメ押しのように釘を刺され、 ルディアはがっくりと肩を落としてしまった。 そんなルディアを不憫に思ったのだろう。彼女やジェイソンを手招きして呼び寄せたシェインは、 ふたりと共に遠くに眺める子どもたちの真似をし始めた。あの輪に加われないのなら、 せめて同じことを体験しようと言うわけだ。それならば大人たちも許してくれるだろう。 後に思わぬ人物から詳細を説明されることになるのだが―― 難民の子どもたちの間で微妙に流行している『エキサイティング・ピーポー』なる遊びは、 傍目から見ている分には大声を上げて誰かを追い回しているだけのように見えた。 実際には、特に決まったルールもなく、ただただ騒いでいるだけのことである。 遊んでいる分には訳の分からない高揚感を楽しめるのかも知れないが、 遠くで様子を窺っているだけの人間にとっては心底退屈と言うか、意味不明な光景だった。 それでも、彼はエキサイティング・ピーポーの真似ごとから目を離さなかった。 (こうやってガキんちょどもを眺めているとなあ……何だか色々と思い出してきやがる) 少しばかり懐かしさを覚え、柄にもなくシェインを穏やかな表情で見つめていた。 このままフツノミタマにとっても安らぐ時間が訪れるかに思えた――が、彼が感じたのは安らぎではなかった。 いつの間にか自分の背中に何か硬い物が押し付けられている感触を覚えた。 おそらくは刃物か。如何に子どもたちの様子に心を奪われていたからと言って、 名にしおうフツノミタマがこうも容易く、それも気配を感じずに背後を取られるとは。 エンディニオン広しといえども、こんな芸当をやってのける人間はそうそういない。 先程までの安らかな表情は失せ、フツノミタマは極めて厳しい顔つきになっていた。 そこへ、ぐっと強張ったフツノミタマとは対照的に、友人に話しかけるような穏やかな声が――。 「あんたもそういう顔をするなんて思ってもみなかったよ。娑婆に慣れて柔らかくなったのか?」 「――って、てめえ、イブン・マスードッ!?」 「ンな他人行儀な呼び方するなよ。いつもみたいにイブちゃんでいいんだぜ?」 「呼んだことねぇだろうがッ! アホのウースッ!」 「うむうむ、そのニックネームが一番しっくり来るぜェ〜」 背後を取られて、尚且つ少しでも動いたらどうなるか分からない状態では顔を確かめることは出来ないが、 耳たぶを噛むようにして掛けられた声には確かに聞き覚えがある。 『世界一腕の立つ仕事人』とも『冥星朱砂(みょうじょうすさ)』とも呼ばれる古馴染み――イブン・マスードであった。 ハンガイ・オルスで別れて以来の再会と言うことになるだろうが、それにしても物騒が過ぎる。 どうしてこんな真似をするのかと振り返って問い詰めたかったが、しかし、背中に押し付けられている刃物が厄介だ。 イブン・マスードの手並みはフツノミタマが誰よりも一番良く知っている。 如何にフツノミタマが歴戦のつわものであったとしても、お互いの体勢を考えれば相手を取り押さえるのは不可能だった。 そんな抜き差しならない状況下にあったからか、彼は逆に冷静さを取り戻し、どうしてこうなったのかと推論を巡らせる。 そうして出てきた答えはひとつしかなかった。 「こんなマネをするっていうのだから、やる事は分かってる。……オレを始末しに来たわけか?」 裏稼業に携わる者が同業者――尤も、フツノミタマは休業中であるが――へこのような挨拶をすると言うのだからと、 フツノミタマは尋ねる。 その予想通りであるならば、今やフツノミタマの命は風前の灯と言ったわけであったが―― 「過小評価するなんてヒデーじゃねーか、フレンド。俺がその気だったらお前さんはとっくに死んでいるだろうさ。 なぜかって? それは俺が世界一腕の立つ仕事人だからさッ! いエ〜い!」 「自分で言うか、それ……」 ――イブン・マスードは至ってご陽気な声色でフツノミタマの質問を否定した。 「この商売をやっている人間で、お前さんの名前を知らなきゃモグリだって言われるほどのフツノミタマだろう? ンま、こういう業界だからぁ? 名前が売れるのは悪しかれ良かれなんだろうけどねェ」 誉めて貰っているのは確かなのだが、今はそれを喜んでいる場合ではない。 フツノミタマはイブン・マスードの言葉を「古い話を持ち出してくるんじゃねえよ、バカ!」と強引に受け流した。 ムキになって怒るフツノミタマの態度が面白かったのか、イブン・マスードは小さく笑い声を上げている。 しかし、それきりイブン・マスードは話を続けようとしない。鼓膜を打つのは遠くから聞こえてくる子どもたちの声だけだった。 エキサイティング・ピーポーに興じる奇声が、やけに静かに響いている。 どう言うわけだろうか。何も話さない理由は何なのか――考えてはみるものの、フツノミタマには皆目検討がつかない。 そんなことよりも、ずっと同じ体勢を強いられているのが気に食わなかった。 気に食わないものには、瞬間沸騰の如く癇癪を起こすのがフツノミタマと言う人間であった。 「だったらテメェは何でこんな所にいる? それもこんなマネまでしやがって! 何を企んでいるんだ、オイッ!?」 「いわゆるひとつの冗談ってやつさ。せっかくまた会えたんだしィ? ちょっとばかりサプライズ要素のある旧交の温め方がしたいと思ってね。楽しい?」 「楽しいわけがねえッ! そもそも、テメェ、こないだ会ったばっかりだろうが!? 何が旧交だ、ボケかましがッ!」 「なんだい、ツレねぇなぁ。アブねぇ橋だって何度も一緒に渡ったじゃないの」 「フカシこくな! 組んで仕事をしたことなんざ一回もねぇだろが!」 「いやぁ〜、いつもながらフツは素直でいいコだなぁ。お前さんにキレられると、こうビッと気合いが入るっつーの?」 「テメェ、ホント、ブチのめすぞ……」 まるで気の短い弟をからかうようにケラケラと笑うイブン・マスードだったが、 「それじゃあ本題に入ろうかね」と口にした瞬間から少しだけ声の調子が引き締まった。 「――どう言うわけだか知らねぇが、『ヌバタマ』があんたとその周辺を付け回っている。せいぜい用心することだね」 「はあァッ? 『ヌバタマ』が!? テメェ、一体どういう事だ、あァんッ?」 夢にも思わなかった事態に飛び上がるほど驚いたフツノミタマは、イブン・マスードの襟首を掴んで問い質したかった。 状況と言うか体勢がそれを許さなかったが、彼から伝えられた話はそれくらいに衝撃的だったわけであり、 まるで理解出来ないことなのだ。 フツノミタマやイブン・マスードは『ギルド』と呼ばれる裏社会の組織に身を置く仕事人である。 主な“依頼”の内容は察しの通りであるが、これらの仕事は依頼人と実行役が直接契約を取り交わすのではない。 一旦、ギルドが依頼を受け持ち、自らの組織の加入者を対象に仕事の斡旋を取り計らうと言うわけである。 ギルドには属さず、個人で依頼を引き受ける仕事人とて少なくない。そうした者は『デラシネ』と呼ばれていた。 デラシネならばいざ知らず、ギルドへ属する者にとっては、“仲介役”を無視して直接依頼人と交渉するのは重大な規則違反。 掟を破った者には容赦のない制裁が科せられる。 仕事を受け持つ者は大きく三つに分けられる。 主に暗殺を請け負う者。何らかの事情で仕事を公にされないように処理を行なう者。 そして、タブーを犯した内部の者を始末する為に働く者である。 フツノミタマやイブン・マスードは暗殺稼業が専門であるが、先程名前が挙がった『ヌバタマ』はこの三つ全てを担当していた。 即ち、ヌバタマなる仕事人がフツノミタマを狙う以上、彼にはギルドの掟を破ったという事実がある筈なのだ。 ところが、フツノミタマには何かタブーを犯したような記憶がない。 それ故に自分が狙われていると告げてきたイブン・マスードへ突っかかったと言う次第である。 (ギルドに始末されるような覚えはねえが…… いや、最後のあれが該当するのか? だが、あれは依頼人が約束を破ったからでオレは禁を犯してはいねえんだが……。 すると、どこかで情報が間違って伝わったのか? そんなバカな事があるはずもねえ……) 記憶の引き出しを一段ずつ開いていっても、思い当たるのはスマウグ総業の一件くらいなものだ。 嘗てフツノミタマは依頼人であったスマウグ総業の社長の命を奪った。 依頼人を手にかけるのはギルドに於いて第一級のタブーであり、それが理由ならば彼が狙われるのも当然―― だが、社長が殺される原因となったのは、依頼人たる彼が虚偽の依頼内容を告げていたからなのだ。 その事実を知った瞬間の怒りを、フツノミタマは今もはっきりと覚えている。 社長が虚偽を白状したのもしっかりと覚えているのだ。 依頼人がルール違反をした場合、それは死を以って報いなければならない。 虚偽報告という裏切り行為は、まさしく断罪に値することであった。 さもなくば請負人のほうがギルドから始末され兼ねないのである。 スマウグ総業のこともギルドの“掟”に照らせば、フツノミタマは無罪以外の何物でもなかった。 それなのに、どうして己が狙われる羽目になるのかと、彼は心底理解できない面持ちでいた。 「あのなあ、確かに俺は依頼人を殺したが、あれはあっちが悪いに決まってんだろ。 そのくらいは報告が行ってるだろが。なのに始末屋が差し向けられるなんざ、ギルドの道理に合わねえだろ。 どういう事なのか説明しろってんだ」 「あの一件? ――ああ、スマウグ総業のヤツ? 勘違いしているようだけど、全然関係ないから、ソレ。 てか、スマウグの一件が問題になるんだったら、こないだ会ったときに俺がお前さんを喰っちゃってるって。 ……あ、喰っちゃうって言い方、ちょっとエロかったかな? 大人向け?」 「気色悪いコトをほざくなやッ! 舌ァ斬り落としたるぞッ!?」 「釣れねぇなあ、フツっち〜」 「釣れてたまるか、変態ッ!」 岩場にて轟いた怒号は、エキサイティング・ピーポーへ興じる難民の子どもたちの耳にも届いたらしく、 幾人かがフツノミタマとイブン・マスードに気が付いた。 マグマの爆発の如き怒声に怯え、近付く者こそいなかったものの、暫くはふたりの様子を遠巻きに眺めていた。 その内、フツノミタマとイブン・マスードの“体勢”に対して「邪魔しちゃだめよ! あの人たち、お楽しみ中みたい!」などと 誰かが喚き始め、これを合図に子どもたちはエキサイティング・ピーポーへと戻っていった。 「お楽しみ中」と勘違いされたフツノミタマは血が滲むほどの勢いで歯軋りしたが、 それはともかく急場を切り抜けられたことに変わりはあるまい。彼にとっては子どもたちが近寄ってくることが最悪なのだ。 「そんなに騒ぐなってば。せっかく内緒話をしているんだ。もっとコソコソやろうぜ? それが、お前、情緒ってもんだよ」 「フザけている場合じゃねえだろ。掟破りでもなんでもねぇなら、どうして俺が狙われる必要があるんだ? ますます分からねぇ」 スマウグ総業の社長殺害が原因でないとしたのなら、より一層狙われる理由がなくなってしまう。 何も禁忌は犯していないのに追手を差し向けられるなど、ギルドの歴史に前例のないことだ。 いつぞやの話だが――ギルドにとって邪魔な存在と見なされた構成員がいたが、 その人物とて明確な裏切り行為があるまでは粛清されなかったくらいである。 こんな理不尽な指令に納得出来るフツノミタマではなかった。 「大体だな、てめぇ、こっちが『はい、分かりました』と頷くとでも思ってんのか? もったいぶった言い方しくさりやがって……何を隠していやがるんだ? もっと詳しく話せってんだよ」 「そう言われても、俺だって詳しい話は聞かされてないんだ。ただお前さんに注意を促すように命令されただけでさ。 ホラ、俺とお前さんって、ギルドじゃ評判の仲良しだし」 「一回一回、煙に巻こうとすんじゃねぇよ。余計にウソ臭くなるだろうが」 「ひでぇなぁ、友達疑うなんてよくねぇぜ? それならそれでも良いけれどさ、『他人の仕事を詮索することなかれ』って言う掟、 忘れたわけじゃねぇだろう? これ以上しつこくすると明確な掟破りになっちまうぜ?」 「てめぇ、それを持ち出すのかよ……」 「自己防衛かつ友達防衛さ。掟破りなんてしちまったら、もう言い訳はきかなくなるもんな」 憤怒を漲らせるフツノミタマとは対照的に、イブン・マスードはおどけた調子ながら心は至極落ち着いていた。 伝えるべきことを伝えつつ、口八丁でもって彼の質問からすいすいと逃れていく。 それが癇に障ったし、歯痒くて仕方がなかったのだが、それ以上、フツノミタマが難詰を重ねることはなかった。 掟がどうこうではない。これ以上、イブン・マスードに迫ったところで無駄だと悟ったわけだった。 舌打ち混じりに観念したフツノミタマを面白がって、イブン・マスードの口調は更に軽佻なものとなっていく。 「でもまあ、友達サービスとして、もうちょっとヒントを教えてあげようか」 「何がサービスだ。……手前ェから仕事内容をバラすのだって掟破りじゃねえかよ」 「あ、いッやー、ちょっと冗談が過ぎたかな? 本当は細かいところを伝えるのも仕事の内なんだよね〜」 「ふざけるのも大概にしねぇとマジでブッ殺すぞッ!?」 さすがにフツノミタマも我慢の限界に達した。 またしても難民の子どもたちが大声に反応し、先程と同じ子から「ハードゲイ!?」なる悲鳴が上がったが、 最早、誰に何を言われようともフツノミタマはお構いなしである。 「怖い事言うなぁ。そんなにカリカリすることもねぇだろうに。ちゃんと小魚食ってるかい? なんならカルシウムを効率的に摂れるレシピでも作ろうか?」 「カリカリさせてる本人が言うことか、オラァッ!?」 「そんじゃまあ、大事な所を伝えますかね――実は、ヌバタマの行動ってのは、誰かに依頼されてのことじゃない。 勿論、ギルドがそんな命令を出す筈もない。仕事人休業後にやってるコトも別に問題ねぇし。 ……個人的な理由であんたを狙っているわけだ、ヌバタマは」 「――はあ? マジで意味わかんねぇぞ! どうしてアイツがオレをッ!?」 イブン・マスードが口にする言葉は、全て自分を惑わす物であるとさえフツノミタマは思い始めている。 ギルドより発せられた抹殺指令でないと確かめた途端に次なる問題が降りかかってきたのである。 ヌバタマが個人的な理由で命を狙っている――それこそフツノミタマには意味が分からなかった。 自身を付け狙うその相手とは長らく接触を絶っている。最早、最後に会った日すら忘れかけていた。 そのような相手が、どうして命を狙ってくると言うのか。理由どころか端緒すら見当たらない。 「そいつは本人にでも聞いてくれよ。ヌバタマとはコンビを組んで仕事をしていた仲じゃねーの。 もしかしたら、教えてくれるんじゃね」 「……昔の話だ……」 「――ま、なんにせよ、身辺には十分に用心しなってコト。ギルドの方でも行方を追いかけちゃいるんだが、 なかなか尻尾を掴ませてくれなくてよ。敵に回すと迷惑極まりねぇよな、ヤツの“能力”ってよ」 この件についてギルドが味方をしてくれるのは思わぬ幸運であった。 ギルド所属の仕事人同士で諍いが起きた場合、下手を打てば両成敗となり兼ねないのだ。 これはつまり、双方の死を意味している。 一先ず最悪の結末を免れたと判ったことで、フツノミタマは僅かながら気が紛れた。 「友達思いなウース君に感謝しろよ〜?」 「だから、そう言うことは手前ェで言うんじゃねーよ……」 要領を得ていたか否かの判断が難しいところだが、言いたいことを言い尽くしたらしいイブン・マスードは、 「俺はいつだってフツの味方だぜェ」と耳元で囁いた後、彼の背中に突き付けていた刃物を離した。 好機とばかりにフツノミタマが振り返る。ここまで虚仮にされた以上、何の反撃もせずに去られるわけにもいかない。 厭らしい笑みを浮かべているだろう顔面に拳の一発でも入れてやろうと思ったのだ――が、 並外れた瞬発力を誇る彼の素早さを以ってしても、イブン・マスードの姿を視界内に捉えられなかった。 さすがは『世界一腕の立つ殺し屋』と言ったところか。本当に今まで後ろにいたのかも怪しくなるくらい何の気配も残さず、 イブン・マスードは岩場から姿を消してしまっていた。 悪い夢でも見ていたような現実感のなさを覚えたが、しかし、これは実際にあったことなのだ。 足元には、「これでも飲んで落ち着きな、フレンド」との張り紙を付けた茶筒が一本置かれていた。 「次に会ったら絶対ぇブチ殺すッ!!」 良いように弄ばれたのが腹立たしく、ワーズワースの果てまで届けと言わんばかりに茶筒を蹴り飛ばしてはみたが、 フツノミタマの心の中にはまんじりとしないものだけが残った。 「何やってたんだよ、オヤジ。ひとりで大声出して……全部、こっちまで聞こえてたぜ?」 岩場から引き返したフツノミタマを、シェインたちは奇異の目を以って出迎えた。 丁度、死角へ入っていた為にイブン・マスードの姿を目撃されることはなかったものの、 さすがに天地を震わすような大喝は彼らの在る場所まで届いていたようだ。 何事かあったのかとハーヴェストは尋ねてくるが、フツノミタマは「ションベンするのに蚊がウザかっただけだ」と答え、 軽く手を振って気遣わしげな眼差しを追い払った。 ヌバタマのことを――嘗ての相棒に命を狙われていることを告げて、皆の不安を煽るわけにもいかなかった。 第一、無関係の人間に打ち明けたところでどうにかなるような問題でもない。 (理由も無く狙われるってのも気分が悪いが、オレ独りならまだ構わねえ。だが、しかし……) 何とも言い難い感情を抑えつつ、フツノミタマはシェインの顔を見つめた。 余りにまじまじと見るものだからシェインは気味悪がったが、それはさて置き。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |