7.難民キャンプの志願兵たち


 一方その頃、ジョゼフやトリーシャと共に別の場所を探っていたフィーナは、
枯れ木が立ち並ぶ区域へ差し掛かったとき、その地面へとある物を発見した。
 “物”と言うのは語弊があるかも知れない。とは言え、“かつて人間だったそれ”をどう言い表すべきなのかは難しいところだ。
 薄汚れた衣服を身に纏い、痩せこけたその遺体からフィーナは目を逸らせなかった。

「大方、餓死と言ったところじゃろう。事前の情報からするに、ここは満足な食糧も得られぬ所じゃ。
弱った者は当然こうなるのじゃろうて」

 ジョゼフの言葉も今のフィーナの耳には入ってこない。
 改めて直面した現実に打ちのめされたフィーナは、目の前に横たわる遺体へ手を合わせることしか出来なかった。
トリーシャとムルグもそれに倣う。見ず知らずの相手ではあるが、その痛ましい様を目の当たりにしては、
冥福を祈らずにはいられなかったのだ。

「……お墓はどうしようか。ここに埋めるのも可哀想な気もするけど……」
「コカッ! コココケケコココッ! コッケケココッ!」
「そうだね、うん――ムルグの言いたいことはよく分かるよ。……トリーシャ、やっぱりここにお墓を作るしかないよ。
亡くなった人を置き去りにするのは絶対ダメだってムルグも言ってる」
「それなら、せめて一番良さそうなところにしてあげましょ。重油塗れの上に枯れ木の下だなんて、あんまりにも寂しいわ」

 このまま遺体を放置することも出来なかった。差し出がましいかと躊躇する気持ちもあるにはあったが、
結局は人間としての情がそれを上回った。
 しかし、遺体を収める穴を掘ろうにも今はスコップすら持っていない。
せめてダイジロウやテッドが居てくれたなら、苦もなく地面を抉れただろうが、
如何せん彼らは此処とは反対の方角を探りに出掛けている。
 意を決したフィーナとトリーシャは、道具に頼らず素手で土を掘り返し始めた。ムルグも爪と嘴でこれを手伝う。
ふたりと一羽は一心不乱に地面を掘り続けた。
 その様子をジョゼフは遠巻きに見守っている。傍目には重労働を忌避しているように見えなくもないが、そうではなく。
死者の為に手を尽くそうとするフィーナたちの思いを尊重し、邪魔することを憚っているのだ。
彼女たちの間近まで近寄れば、おそらくその手を止めるようなことを言ってしまうだろう。
 年若く純粋な乙女と比して――いや、比較するまでもなく新聞王は世事に慣れ切っている。
良くも悪くも感情より勘定を優先してしまう。それ故、良心の命ずるままに行動するフィーナたちを「青臭い」と見なしてしまう。
意識するまでもなく幼稚だと思ってしまうのだ。
 愛弟子であるトリーシャの誠意(まごころ)まで踏み躙ってしまう――その思いがジョゼフの手足を押し止めていた。
 傍らに控えたラトクは、主人とは正反対の心持ちである。自分と関わりのないようなことで疲れるのは御免と言うわけだ。

(身元も確かめずに死体を埋めちまってどうするんだい。ありゃ後で遺族とモメるぜ。
賠償沙汰にでもなったら、まァたルナゲイト頼りってか? ご立派な道徳心だコトで)

 彼女たちの行動を心中では容赦なく――しかし、現実的な問題を的確に捉えてはいる――皮肉でもって甚振っていた。

「――これくらいのことしかしてあげられないけど、どうか安らかに眠ってください……」

 やがて出来た僅かな窪みに件の遺体を運び、除けておいた土をその上に被せていく。
墓と呼べるような物ではなかったが、それでも今のフィーナにはこれが精一杯だった。

 埋葬を終えてシェインたちのもとへと戻ったフィーナは、その暗澹たる表情を心配するハーヴェスト、
それから他の六人へ今し方の出来事を語って聞かせた。

「私、アルに悪いこと言っちゃったかな……難民の人たちを助けたいって思って、ここに来たんだけど……」

 最後にはそのような葛藤まで言い添える。話を続ける内、ますますフィーナの表情は重たいものになっていった。
 相当に思い詰めている様子のフィーナをフォローするべく、
ジョゼフは「ここの惨状は予想以上。そう思うのも仕方あるまいて」と声を掛けてみたが、それもさしたる効果はなく、
何とかパートナーを励まそうとするムルグにさえ、「私の考えが甘かったんだよ」と後ろ向きな返答を返すのが精一杯。
 見兼ねたハーヴェストから「自分の信念に責任を持ちなさいッ! それもフィーの使命なのよ!」と叱咤される始末であった。

「うーん……そんなにヤバい状況なのか。全然食べる物がないのかな、ここは」
「ううん、物が足りないとかそういう事じゃなくて。なんて言えばいいんだろう、もっと根本的な問題がありそうな……」

 彼女が言わんとしていることは、何となくシェインにも理解出来た。
 ワーズワースに住み着いた難民たちが困窮しているのは事実だが、ただ単に食料を始めとした援助物資を送るだけでは、
この場所にある問題というものが解決出来ないように思える。それほどまでに深刻なのではないかということだ。
 百聞は一見にしかず、とはこう言うことなのだろうかと言うのはさて置き、
自らの考えの軽薄さを責めているフィーナは、傍目から見ても痛々しいくらいに落ち込んでいた。
 「それはそうかもしれないけれど」という前置きをしながら、シェインは肩を落としていた彼女を元気付けるように、

「まだ結論を出すのは早いんじゃないの? ここに来て半日も経ってないんだし、分からないことは多いと思うけどな。
それってさ、悪いことに縛られるんじゃなくて、力になれる部分を探すってことじゃないかな!」

 ――と、状況を改善し得る可能性こそ信じようと拳を突き上げた。
 更に彼の励ましに加勢するようにトリーシャが――

「何が出来るのかを考えたいなら、もっとワーズワースの情勢を知るのが大事なのよ。
例えばそう――絡まった糸を解く感じ? 無理矢理引っ張っても余計にほどきづらくなるだけじゃない。
今のアタシたちはさ、糸がどんな風に絡み合っているのかを調べる段階でしょ。
シェインの言うように、まだまだ始まったばっかり! 問題解決に向けて、腰を据えてワーズワースを見極めようじゃない!」

 ――例え話を用いつつ、フィーナの肩に手を置いた。
 ふたりの言葉を聞いている内に、沈みがちだったフィーナの心にも徐々に活力が戻ってきたようだ。
一旦、大きく息を吸い込んでから、自分へ喝を入れる為に両手で頬を二度三度叩く。

「――そうだね! このくらいで落ち込んでいたら、出来ることだって出来なくなっちゃうかもしれない。
何をするべきかを決めるのは、もっと後だって大丈夫。そうと分かればここでグズグズしていられないよ。
ワーズワースで何が起きているのか、もっともっと調べなきゃ!」

 周囲に向かって、そして、自分自身を奮い立たせる為に力強く決意を語った。
根本的な解決策は手付かずのままであったが、それでも彼女の双眸は輝きに満ちていた。
先程までの絶望から一変したと言っても差し支えはあるまい。
 そんなフィーナにつられたようで、「まずは聞き込みだな。ヒューの兄キも大事だって言ってたよな」と、
ジェイソンもやる気を出している。前向きに当たっていこうとシェインと腕組みし、今にも駆け出して行きそうだった。

「……ったく、単純だな、おい。そんなんで上手くいきゃ世話はねえっての」
「良いではないか。ああやって一つの目標にわき目も振らずに走れるのも。若者の特権と思えば微笑ましいことじゃよ」

 俄かに活気付いた少年少女を見ては目を細めるジョゼフと、苦虫を噛み潰したような表情のフツノミタマ。
対照的なふたつの顔がそこにはあった。

 気合いの声に共鳴したのか、別行動を取っていたレイチェルも一行のもとへと戻ってきた。
明るさを取り戻したフィーナとは対照的に、彼女の面には何やら困惑の色が滲んでいる。それもハッキリと、だ。
 果たして何を見聞したのだろうか――少しでもこの地の手掛かりを得ようと逸るフィーナは、
すぐさまに駆け寄り、何があったのかをレイチェルに尋ねる。
 すると、レイチェルは何と説明すれば良いのかも惑うと言った調子で――

「橋向こうの池の畔におかしな建物があったのよ。いろんな人が時間を置いてやってくるから、
集会所みたいなものだと思ったけれど、何分と経たない内にすぐ出てくるし……。
不思議になって人が途切れてる間にちょっと窺ったんだけどさ、建物の中には変な彫像がひとつ置いてあるだけ。
……一体、何なのかしら?」

 ――自身が見てきた光景を、何度も何度も首を傾げながら話した。
 レイチェルはホゥリーやハーヴェストへ特に意見を求めた。冒険者として世界各地を経巡ってきたふたりであれば、
どこかで類似したモニュメントを見かけたのではないかと期待したわけだ。

「うーん……彫像にどんな意味があるのかにもよるわね。台座はあった? その下に隠し階段が隠されてるコトもあるのよ。
ウソみたいな話だけどね。像の一部に衝撃を与えると秘宝が飛び出してくるとか」
「あたしの調べた限りじゃ、その手の仕掛けはなかったわね。ヒューがいたら何か分かったかも知れないけれど……」
「酋長もセイヴァーギアもディフィカルトにシンキングし過ぎ。立ちイート蕎麦のフードコートとかじゃナッシング? 
五ミニッツでストマックにインしてターンってカンジぃ?」
「あんた、レイチェルの話、聴いてなかったでしょ。像が置いてあっただけって言ったじゃないの」
「フードコートがダウトだとするとキャッシュディスペンサー? きっとそのスタチューのどこかにボタンが付いてるハズだよ。
カード差し込んで暗証コードをプッシュしたら、ぢょこぴーんってマニーがカムするのサ」
「……あんたはもう黙ってなさいよ」
「セイってるコトはチミのとファイブ十歩ワン百歩サ。メルヘンのバラ撒きはセーブしたまえヨ。セイヴァーギアだけに。
でないと、シェインみたいにブレインがドリームなコが大量生産されちゃうからネ」
「――あァッ!? てめぇ、なに無関係なヤツ巻き込んでんだ、このにやけデブッ!?」
「オヤジがキレるトコじゃないだろ。ボクに怒鳴らせてよ」

 しかし、両名とも該当する記憶(もの)はない。と言うよりも、レイチェルの説明だけでは具体的なイメージが湧かないのだ。
それはフィーナもシェインも誰もが同じであった。奇妙な建物の正体を掴み切れず、皆して首を捻るばかり。
 改めて結論を示すまでもなく、分からないものは分からないのである。

「ここでずっと考えているよりは実物を見るのが一番――と言うわけで、レイチェルさん、道案内お願いしますっ!」

 そう言ってレイチェルの手首を掴んだフィーナは一目散に走り出した。
調査を進めると決意した以上は一秒たりとも立ち止まってはいられないのだろう。

「……フィー、場所は分かってるの?」
「はへっ?」
「思いっきり逆。せめて、あたしがどっちの方角から歩いてきたのかくらいは憶えてて欲しかったわね」

 急ぐ余り、全く違う方向へ向かいそうになったのだが、その辺りは愛嬌としておくのが吉かも知れない。





 レイチェルが語ったように、木立に囲まれた池の畔には一軒の建物――
と言うよりは薄い板を組んだだけの大きな箱というべき物だが――が人目を忍ぶようにひっそりと建っていた。
そして、同じく彼女の言う通り、中には彫像が一つ。
 難民が訪れる以前のワーズワースにこのような物はなかったとジョゼフは首を捻った。
この自然公園のことはフィーナもパンフレットを読んでいたが、
今し方、渡ってきた橋のように名所として紹介はされていなかった筈だ。
 この地に暮らす難民か、統治を行うギルガメシュのどちらかが持ち込んだものであろう。
愛する我が子を迎えるかのようにして両手を広げる女性を模った石像(もの)である。
現物を目にしてからもフィーナたちには何の意味を持っているのか見当がつかなかった。

「むおおおぉぉぉっ! なかなかルディア好みの双丘なのっ! 大き過ぎず小さ過ぎずっ! 
掌で捏ね繰り回したいフニフニしたい……生身じゃないのが口惜しいのォぅっ!」
「……どうしてお前は例えがいちいちオヤジくせぇんだ。『ハカセ』ってのはヒヒジジイかナニかぁ?」

 暢気なのはルディアくらいなものである。撫子に肩車して貰いながら、掌でもって胸部の膨らみを満喫していた。

「はぁー、ゲージツってヤツかねぇ。オイラにゃ全然わかんねぇや」
「ボクだってそうさ。フィー姉ェは何だと思う? 記念碑みたいな物かな?」
「うーん……でも、そうだったら、この像についての説明文みたいなものが隣にあっても良いんじゃないかな? 
ただ置いてあるだけじゃ、何の為にあるのか分からないから。お姉様はどう考えます?」
「そうねぇ……これって言う確信は得られなかったけど、難民にとって重要なシンボルってことに間違いはなさそうよね。
具体的にどんな意味があるのかは、やっぱりさっぱりだけど……」
「ウム、相手にとっての価値に着眼したのは良いことじゃ。何しろワシらとは違う世界の住人じゃ、
価値観が全く違ってもおかしくはあるまい」
「価値観とはちょっと違うけど、ラスさんはカレーにソースを掛けるのが普通だって言ってたなぁ。
私たちだと、ほら、醤油じゃない? ……作るほうとしては、あんまり味を変えて欲しくないんだけど」
「そこで食べ物を例えに持ってくるのがフィーらしいって言うか、なんて言うか……」
「な、なにかな、トリーシャ、その呆れ顔は……」

 様々に意見を交わしたが、「簡素な建物の中に石像がひとつ」と言うだけでは答えの出しようもない。
結局、この像がどういう目的で存在しているのだろうかと言う解答に至った者は誰もいなかった。
フツノミタマに至っては既に考えるのをやめており、先程、イブン・マスードから受け取った忠告を心中にて反芻している。
 先刻、こうした彫像には何らかの仕掛けがあるものだとハーヴェストはレイチェルに教えていた。
その話を思い出したフィーナとシェインは、物は試しとばかりに台座や四肢を調べ始めた。
 ルディアに倣って身体の各所を撫で回したり、掌で軽く叩いてみたり、ノックして響いてくる音へ耳を傾けたり――
考えられる限りの手段を講じてみたが、それでも手掛かりひとつ掴めない。

「レイチェルの姉キでもホゥリーの兄キでも良いけど、不思議な構造(つくり)を調べるプロキシなんてモンはねぇのかい?」
「あるわよ。勿論、さっきも試してみたわ。でも、あたしたちの術は、例えば名探偵の“腕”を代用出来る類のものじゃないの。
プロキシの力を流して、特殊な防護が掛かったモノに反応させたり、それを突破するような術なのよ」
「相手のプロキシを破るのがメインかぁ」
「『ソノブイ』はテストしたのかい? シークレットの入り口くらいならサーチ出来るでショ」

 ホゥリーの言う『ソノブイ』とは、微弱な振動波を周囲に拡散させ、
これに対する反応から物陰に潜む伏兵や建物の構造などを探ることの出来る便利なプロキシである。
 レイチェルも最初にこの像を発見したときに『ソノブイ』を試みており、残念ながら目ぼしい成果は挙げられなかったそうだ。

「本当に巧妙な仕掛けには効果が薄いのよね。ルーインドサピエンス時代の遺跡なんかスゴいわよ? 
考え付いた人間のアタマを疑いたくなるようなトラップとかザラなんだから。パズルみたいなもんよね」
「そーゆートリックがなきにしもあらずってわけかぁ。いっそ、オイラのパンチで中身バラしてみっか」
「ジェ、ジェイソンくん、あんまり乱暴なことはダメだよっ!」
「この像、ハブールの物だろ。勝手に壊しちゃうとか有り得ないから」
「フィーの姉キもシェインもちっさいコト言うなよ。一歩先まで踏み込んでいくと、そこに勝ち目ってのは見えてくるんだぜ?
勝負を分けるモンは、格闘も冒険も変わらねぇさ!」
「そう言う問題じゃないっての。叱られても知らないぞ。ボクは一緒に謝ってなんかやらないぜ?」

 力ずくで突破口を開こうかとジェイソンが口走った直後のことである――

「こら、お前ら。何をバチあたりなことをやってるんだ。ベタベタ触るなんて失礼だろが」

 ――物騒な振る舞いを咎める声が遥か後方より飛び込んできたのだ。
 これには一同揃って肩を震わせた。彫像へ集中する余り、背後からにじり寄る気配を全く察知出来なかったのである。
 あるいは、その声が殺気めいたものを帯びていれば、フツノミタマやハーヴェストあたりが勘付いたかも知れない。
だが、声の主は誰かと争うだけの気力を持ち合わせていないようである。
 ぎょっとして振り返り、反射的に「ご、ごめんなさい!」と平謝りするフィーナは、そこに薄汚れた身なりの男性を見つけた。
 言わずもがな、ワーズワースに暮らすハブール難民のひとりである。
苔色の髪が亡きクラップを思い出させたものの、瞼が半分落ちた瞳には光がなく、代わりに昏(くら)い諦念が宿っている――
満面から生気の抜け落ちた様は、先程、垣間見た他の難民と共通しているのだが、
ただひとつ、その男性には異なる部分があった。
 嘲笑である。世の中の全てを諦めながら、口元にはそれすら嘲るような不気味な笑みが宿っているのだ。
おそらく彼は自身の置かれた状況も、「難民」と言う立場さえ嘲っているに違いない。
 今し方の叱声は、禁忌を犯した者への戒めではなく、単に脅かしてからかっただけのようだ。
生前のクラップは、ときに空回りするくらい何事も楽しむ男であり、観察を積み重ねるほどに正反対のタイプだと判ってきた。

「フィー、これってばチャンスじゃない?」
「あ――うんっ!」

 トリーシャから促され、フィーナも頷く。この彫像が難民の物であるのなら、その難民に話を聞けば委細もすぐに分かるだろう。
これ幸いとばかりにフィーナは彫像の委細を男に尋ねた。強い関心を抱いていたシェインとレイチェルもこれに続く。
 ところが、この男は矢継ぎ早に重ねられる質問には一切答えず、
そればかりか、「そのナリ……あんたら、ここの人間じゃねぇな? 一体、何をしに来た?」と逆に難詰を飛ばしてきた。
 一行の装いから“外部”の人間だと判断し、その来訪を不審がっている様子だ。

「質問されてる方が質問を返すんじゃねえ。テストだったら零点だぞ、ボケ」

 思わず悪態を吐くフツノミタマだったが、フィーナは「この人のことは気にしないでください」とでも言わんばかりに悪言を遮り、
「難民に援助をする為にやって来た」と自分たちの目的を明かそうとした。
 しかし、その言葉をも割って入ってきたジョゼフに遮られてしまった。

「――ワシらはギルガメシュより勅命を受けて、密かにワーズワース一帯の調査に来たのじゃよ。
とは言っても、おヌシらを監視するわけではない。あくまで形式的なものじゃ。
だから、そう身構えんで気楽に話をして貰えると有り難いのう」

 ジョゼフの説明を引き継ぐようにして、ラトクは男へ一枚の名刺を差し出した。
 そこにはルナゲイト傘下の通信社の名称が代表者名と共に印字されている。
ジョゼフでもラトクでもなく、通信社の代表者名が、だ。
 僅かな逡巡すら見せないラトクから察するに、このような状況に陥った場合の常套手段であるらしい。
 全く正しいというわけではないが、さりとて嘘でもない。
 これはギルガメシュと言うよりはコールタン個人の依頼である。公に自分たちの存在を知られるのは避けたいわけだ。
ジョゼフやラトクの言行からフィーナも自分たちの立場を理解し、「そうです、そう」と強く首肯した。

「ふうん、ギルガメシュのねえ……」
「平たく言うと業務委託だな」

 フィーナたち一行の顔と名刺とを交互に見比べる男は、ラトクの説明にも適当に相槌を打っている。
 通信社の特派員と言う名乗りを信じていないと言う雰囲気ではなさそうだったが、
しかし、その双眸は明らかに負の想念が濃くなっている。
 もしかしたら、『ギルガメシュ』と言う組織名に良からぬ思いでも抱いているのかも知れない。
これを見て取った撫子は、やおらルディアを肩から下ろし、我が身を盾として彼女を庇った。
 男が見せた微かな変調にはフィーナも勘付いている。互いの心の内が解らない中で暗部にまで踏み込めば、
確実に話が拗れるだろう。そのように判断し、改めて彫像について尋ねることにした。
 これは正しい判断だったと言えるだろう。彫像の正体を問われたその男は、
負の想念を打ち消すほどに驚き、「なにワケの分からないこと、言ってんだ」と怪訝な表情を見せた。

「何の石像かって……イシュタル様に決まっているだろう。寝ぼけているのか?」
「イ、イシュタル様って、あのイシュタル様ですか? 神様の中で一番偉い、あの女神様?」
「他にイシュタル様がいるって言うのか? そんなことも知らないだなんて、お前ら、一体どこの生まれ育ちだ?」

 男の話を聞いて、皆打ち揃って驚いた。いや、驚いたなんてものではない。
イシュタルの“像”などと言う物がこの世にあろうとは、俄かに信じられないことであった。
 首を傾げるフィーナたちを見て、男も男で首を捻っている。お互いにイシュタルを信仰しているのにも関わらず、
その方法については相当な隔たりがあるようだ。両者ともに例えようのない不思議な感覚を味わっていた。

「ギルガメシュの協力者と言っても、ワシらはこちらの世界の住人。
なれば、お互いの文化が異なっているのを知らなくともおかしくはあるまいて」

 両者を諭すようにジョゼフは言ったが、彼の言葉も効果は薄い。珍妙な沈黙がこの場を席捲していた。
 どうにも理解するのが難しかった。
 マコシカの酋長であり、イシュタルとの交信にさえ成功した名だたる宗教家のレイチェルも、彼の話に耳を疑ったほどだ。
 Bのエンディニオンに於いては、神々を象った像を作り、これを拝むと言う考えは原則的に存在しない。
 「原則的に」と言うからには、例外がないことはない。極めて得意な文化を有する少数民族の中には、
神性を表したと言われる図画なり像なりを崇拝の対象と定める場合もあるのだ。
 そうした例外はレイチェルも承知している。マコシカでも『レリクス』と呼称される遺物を聖なる秘宝として扱ってはいるのだ。
 だが、偶像崇拝を信仰の中心に据える行為は、彼女の知る限り、その殆どが異端かカルト宗教扱いされている。
それどころか、女神信仰の一形態と認識されないことも多い。
 ハブール難民の男によって解き明かされた彫像の正体は、
Bのエンディニオンで一般的に普及している宗教的文化とは一線を画していた。
 さしものレイチェルも神の像などを見るのは初めてで――

「本来、神への信仰と言うのは、人と神との間には何物をも置いてはならないと決まっていた筈。
神とは目で見る存在ではなくて、我々人間と共にありて世界を形作るモノだから、
万物を敬う気持ち、つまり自然への信仰心が反射として神に通じるという教えじゃないの?
偶像に頭を下げるのは、神との交わりを拒絶する行為ではないのかと教わらなかったのかしら?」

 ――と、マコシカの伝承とは正反対に考え方に疑問を呈している。
 ニコラスたちやクインシーから詳しい話を聞く機会はなかったのだが、
Aのエンディニオンでは偶像崇拝が一般的なのだろうか――なるべく平静であるように努めてはいたが、
難民たちの信仰形態は彼女には信じ難いことであり、少しでも気を抜くと「それは女神への冒涜だ」と口に出し兼ねなかった。

「……おかしな事を言うんだな、原住民ってのは」

 「原住民」と言う呼び方に、微かな、けれども確かな嘲りの色が感じられた。

「神像を拝むのが神々との係わり合いを蹴る行為に繋がる理由がわからねぇよ。
抽象そのままの神と言う概念……っつーか、存在に心を向けるのではなく、
形作られた神、この場合は石像だな、それを奉って祈りを捧げるのが、あるべき信仰の姿だろう? 
さっき、あんたは自然への信仰心なんて言っていたけれど、
みんながバラバラに敬う方向を決めていたら祈りの力は神まで届かねぇ。
みんなで一心不乱に同じ対象へ祈りを捧げるからこそ、神と俺たちが近づけるワケだろう。
つまり、この像は人間の信仰心を収束させる為に必要ってことさ。このくらいは誰だって知ってるぜ」

 小馬鹿にでもするような調子で語った男は、手本を見せてやろうとでも言わんばかりに像の前に跪き、
手を胸の前にて組んでイシュタルへ奉げる祈りの言葉を唱えた。

「おプレーのスタイルはディメンションがディファレンスって程でもナッシングだネ。
スタチューを拝みダウンしてるのがユニークだけどサ」

 ホゥリーは、ぽかんとした顔でそれを眺めている。
 彼も、ましてやレイチェルも、男の説明した宗教観は初めて耳にすることばかりだった。
受け入れられないと言うよりは、むしろ理解出来ないと表現した方が正しいだろう。
 神々を敬う気持ち自体は双方ともに変わりはない筈なのに、その方法がまるで違うのだ。
 詳しく話を聞いても、どうして偶像を用いるのか、どうしてそれを拝むのか、
思考より感覚に近い部分で彼らの考えを拒んでしまうのである。

「……なあ、シェイン。おめー、この人らが何喋ってるのか、意味分かるか?」
「なんとなく、だけどね。こうやって何かモノに向かってお祈りする文化をマイクの本で読んだことがあるんだ。
でも、まさか、イシュタル様の像とは思わなかったなぁ……」
「はぁ〜、あのおっさんも変わったことばっかするもんだぜ」
「――だろ!? あいつ、見た目から何からイカれてるもんなァッ!」
「マイクが不思議なことをやり始めたわけじゃなくて、そう言う土地を冒険してるんだよ。
ジェイソンの言い方じゃ変な誤解を招くぜ? ……あとオヤジはウザいからすっ込んでろ」

 冒険王への憧れが高じて各地の文化などを多少なりとも調べていたシェインはともかく、
ジェイソンはレイチェルたちの話に全く随いていけなかった。
 「成程のう……」と、ジョゼフは長い髭を撫で付けてながら理解を示している様子だが、
レイチェルとホゥリーは気持ちの整理と言うか折り合いを付けられず――

「どうしてこんな考え方に至るのかしら」
「強いてアンサーするとォ、ボキらは神人(カミンチュ)とポゼッション出来るから――かねェ。
酋長なんてイシュタル様にまでコールしちゃったじゃナッシングぅ? ディスのメンにザットがリプレイ出来ると思うゥ? 
クインシーってババァが言うには、そーゆーのソーサーはテイクしてナッシングっぽいしネ」
「なんだい、この肉付きのいいニイさん。なにワケわかんねーこと言ってるんだ?」
「……気にしないで。付き合い長いけど、あたしも何を喋ってるか半分も分からないから」

 ――と、男と言葉を交わしつつも首を捻り続けている。
 フィーナはフィーナで、互いの文化の隔たりに衝撃を受けていた。
嘗てアルバトロス・カンパニーの面々と過ごしたときにも、双方の習慣や考え方にどことなく差異を感じてはいた。
先程、話題に挙がった「カレーに用いる調味料の違い」が好例だ。
 ここに至って、『信仰』と言う人間の心に最も近い部分で両者の違いが顕著に知れた。
AとB、ふたつのエンディニオンが近いようで遠い存在なのだと、改めて痛感したのである。
 それは、相互理解の難しさにも通じる問題であった。

 岩場とも池とも異なる地域を探っていたダイジロウとテッドが一行を見つけて合流したのは、その直後のことであった。
どうやら長時間探し回ったらしく、落ち合うなりテッドは「移動するときは、誰か連絡係を寄越して欲しかったですよ」と、
困り顔で頭を?いたものである。
 平謝りした後、フィーナはAのエンディニオンの偶像崇拝についてふたりに尋ねてみた。
異口同音にて返ってきた答えは、やはり「その通りだよ」。

「――っつっても、礼拝堂や教会まで足を運ぶことも少ねぇけどな。おいのりなんて趣味じゃねぇし」
「ダイちゃんが話した場所(ところ)に神像が置いてあるんですよ。それから神官様もおられます。
週に一度はそこで集会が催されるのですが……」
「なにしろ俺もテッドもカガク畑の人間なもんでね。神がかった現象(モン)を理論で解き明かそうってワケだ」
「もちろん、イシュタル様や神人(カミンチュ)は信じていますよ。でも、それ以上にぼくたちは自分の学問を大事にしたいのです」

 ダイジロウとテッドの説明を以ってして、レイチェルも問答を切り上げた。
 集落へ滞在していた折、ニコラスたちはマコシカの文化について強い興味を示していた。
トキハなどは特に熱心に伝承や伝説の類を老師から教わった程である。
 しかし、自分たちがどのような信仰形態を取っているかは特に口にしなかったと記憶している。
少なくとも、レイチェルが知る限りでは、そのような話にはならなかった筈だ。
ディアナと酒を酌み交わしたときにも、主な話題は子育てや家族の在り方である。
 どうもAのエンディニオンの若者にとっては、女神信仰はそこまで厳密なものではなさそうだ。
心中にて神々の姿を思い描き、そこに祈りを捧げることはあっても、わざわざ神像の御前まで出向く機会は少ないのであろう。
 加えて言うなら、Aのエンディニオンに於いて女神信仰を束ねる『教皇庁』に対して、
彼らは悪感情すら抱いている様子であった。そのような組織へ倣うと言うことを意識的に避けているのかも知れない。

(……それだけハブールの人たちは信仰に篤いと言うことかしら、ね……)

 これ以上、互いの教義について話し合っていても仕方がない。
そもそも、信仰論争をする為にワーズワースに来たわけではないのだ。
 難民キャンプの実情を探る為に来訪したのであり、為すべきことは他にも山ほどあった。
 成り行きではあるものの、この場に居合わせた難民の男――名はスコット・コーマンだと言う――に
ジョゼフは暫し道案内を依頼した。

「案内くらいお安い御用だが、その前に何か食い物を恵んじゃくれねぇかい?」

 そこまで言ってから、スコットは自分自身の要求を鼻先で嘲り、「寝言と思って忘れてくれや」と前言を打ち消した。
物珍しい難民キャンプを“見物”はしても、その窮状を支援する気など持ち合わせていないものと見なしているのだろう。
それもまたひとつの諦念であった。
 人生の何もかもを諦め、自嘲するかのような態度がフィーナたちには気懸かりであったが、
一先ずは難民の居住区まで案内すると言うスコットへ従うことにした。

 そうして彼と共に歩みを進めようとした直後、一行の出鼻を挫くかのように背後から新たな音が聞こえてきた。
 スコットが語ったようにイシュタルの神像は人々が祈りを捧げる為に訪れる場所。即ち、千客万来である。
後からやって来た者も神像が安置された建物の中に入っていくのだろうと誰もが思っていた。
 しかし、その声はいつまで経っても青空の下に在る。

「……ああ、こりゃ厄介なモンに出くわしちまった。ちょいと茂みで時間潰してくれや」

 スコットに急き立てられてフィーナたちは木立の中へと潜み、離れた場所から様子を窺う形になった。
 一行の視界に入ったのは、一組の男女である。周囲に人気がないことを確かめるなり、ふたりは固く抱擁を交わした。

「若者の逢瀬を邪魔しては悪いのう」

 人目に触れない場所にて抱き締め合うとは、まさしく『男女の関係』と言うもの――
居心地悪そうにおどけたジョゼフは、次いで密かにこの場を去ろうと皆を促したのだが、
しかし、フィーナだけは足に根が生えたかのように動かず、ふたりの様子をじっくりと覗き見していた。
 その双眸にはよこしまな光が輝いている。これから何がどうなってしまうのか、気になって仕方がない様子だ。
悪趣味と言ってしまえばそれまでだが、さりとて他に適切な言葉はあるまい。

「フィーねェ……そう言うのはどうかと思うわよ。アタシ、スキャンダルは専門外なのよ。パパラッチと思われるのも心外」

 さしものトリーシャも庇い切れないとばかりに呆れ果てていた。これにはシェインとムルグも頷いている。

「邪魔しちゃいけないけど、黙って見ているのはもっとよくないだろ」
「コカッ!」
「ほら〜、ムルグも見てよー。女神様へお祈りを捧げる場所で恋人同士が語り合うなんてロマンチックじゃない」

 親しい友人の注意すら耳に入らないほどに暴走するフィーナを見兼ねて、
ハーヴェストまでもが「正義の道から外れることは許さないわよっ」と叱声(かみなり)を落とした。

「な、難民の人たちはこういう時に何を話すのか知るのも重要だと思って! そ、そう、情報収集ですっ!」
「調子の良い事言って、ただ覗き見したいだけでしょう? 
あのふたりは恋人同士。それだけ分かったら、あたしたちが取るべき道はただひとつの筈よ」
「だけどやめられない止められないのが乙女心なのっ! 恋バナこそレディーの嗜みなのね? 
ハーヴちゃんも一緒にレッツ女の子トークっ!」

 “若者の逢瀬”で火が点いたのはフィーナだけではなかったらしい。鼻息荒くルディアまで加わってしまった。
 呆れの溜め息を引き摺りつつ撫子を振り返ったハーヴェストは、
「ルディア係でしょう!? 責任もって捕まえておきなさいよ!」と歯軋りをして見せた。
 撫子にとっては言い掛かり以外の何物でもない。お守りを引き受けたつもりはなく、彼女の行動を監視している理由もないのだ。
肩を竦ませつつ、「あいつは犬ッコロじぇねーよ!」と言い返すのが関の山であった。

「ほっほーう、長いながーいハグなの。きっと心臓の鼓動を伝え合ってるのね。
いやはや、女の子がまた良い表情(カオ)してるの〜」
「ルディアちゃん、目の付け所が違うねぇ。あれこそ恋する乙女の顔だよ! うむうむ、たまりませんのぅ〜」

 無駄に盛り上がっているフィーナとルディアに呆れつつも、ふたりを置き去りにするわけにもいかない。
シェインたちも仕方なくその場に留まり、抱擁する男女の様子を窺うことにした。
「ギルガメシュの調査には“番い”の管理も入っているんだな」と言うスコットの皮肉には誰も反論出来なかった。
 両者の間には多少の距離が開いている為、茂みの中には男女の声までは届いてこない。
それ故に遠くから眺めるだけであろうとシェインは思っていたのだが、
残念ながらフィーナとルディアの興味はそれだけでは満たされなかったようだ。
 音を立てないよう細心の注意を払いながら、ふたりは匍匐前進の要領で池の畔へと近付いていく。
その様は奇人変人としか例えようがない。

(似た者同士と言えばそうだけど、しかし何と言うか、酷いなこれは……)

 嘗てアルフレッドが、フィーナとハーヴェストの会話を盗み聞きしたことをシェインは思い出している。
 恋人同士で出歯亀せずにはいられない性格なのだと考えると、笑えるような気もしなくはないが、
それ以上に情けない気持ちに陥っていた。
 シェインの嘆息など知る由もなく、フィーナとルディアは、ついにふたりの声が鮮明に聞こえる距離にまで接近し、
建物の陰からひっそりと、しかし、しっかりとふたりのやり取りを窺っていた。

「ネルソン、私たちこれからどうなるの? こんな、生きていくだけだって大変な毎日で。もうダメかもしれない……」
「大丈夫だよ、きっと。今は辛く苦しくても、これを耐え切ればきっと未来はあるはずさ。
神は耐えられない試練を与えることはないんだ」
「あなたはまだ食べる物があるからそう言えるのよ。……周りの人たちを見てみれば分かるでしょ? 
ここに来てから、もうどれくらい人が死んだのかも分からないわ。
そして、これからだってそうよ。ずっと同じように悲劇が繰り返されるだけ」
「ギルガメシュがきっと僕たちを助けてくれるよ。同じ世界の人間なんだから、その内に――」
「そんなの信用出来ないわ。知っているでしょ、ギルガメシュが私たちのことなんて何も考えていないって。
みんなギリギリのところで我慢しているの。……あなたは知らないでしょうけれど、
こちらの階級の中には、力ずくで何とかしようと息巻いてる人もいるわ」
「ロレイン……」
「このままじゃ、何か恐ろしいことが起きるんじゃないかって、私、私……」
「そんな……すまなかった、ロレイン。やっぱり僕は周りのことなんて何も分かっていなかった」
「いいの、ネルソン。私はただ、あなたに知って貰いたかっただけだから……」

 『ネルソン』、『ロレイン』と互いを呼び合う男女の会話を、フィーナとルディアは一言も聞き漏らさぬように耳を傾けていた。

(力ずくで何とかしようって、……つまり、“そう言うこと”なのかな――)

 予期していなかったことだが、難民の一部がギルガメシュのやり方に不満を抱いているとロレインの口から聞くことが出来た。
しかも、だ。その口振りにはワーズワースへ銃器が流入している可能性すら含んでいる。
コールタンの危惧していた状況が現実として起こりつつあるわけだ。
 この場に居合わせたのがアルフレッドであったなら、今後の方針を定める手掛かりとして、
そちらの話題に意識を向けただろうが、生憎、フィーナとルディアは甘酸っぱい内容以外は二の次。
専ら恋人同士の語らいに主眼を置いており、会話を聞いては興奮し、身悶えるばかりである。
 フィーナたちを引き戻すつもりで匍匐前進してきたシェインが、
ギルガメシュによる難民対策を聞き取ったのは僥倖と言うべきであろう。

 そろそろ行かなくては――どちらからともなく逢瀬の終わりを告げたが、
しかし、ふたりとも別れるのが名残惜しく、固く手を握り合ったまま、建物の向こうに在るイシュタル像に向けて
「私たちの未来を守りたまえ」と祈りを捧げていた。

「良い雰囲気じゃないの。オバさ――お姉さん、なんだか若い頃を思い出しちゃうわぁ〜」

 フィーナのように近付きはしなかったが、茂みの中からネルソンとロレインの様子を眺めていたレイチェルは、
目を細めながら艶っぽい溜め息を吐いた。もしかすると、“宿六”との馴れ初めでも想い出しているのかも知れない。
 困難な状況の中にありながらも互いを想い合う姿とは、見る者の心に希望を芽吹かせるのだ。
懸命に生きる人々の為、自分たちに出来る限りのことをしていこう――と。
 しかし、レイチェルの隣で同じ光景を眺めていたスコットは――

「どうだろうね。男の方はネルソン、女はロレインってんだ。身分違いの恋って言っちまえば簡単だけどよ、
ココじゃそれが重要だ。こんな場所で幸せもクソもねぇが、それでも幸せになれるかどうかは階級の差が左右する」

 ――ふたりの逢瀬まで「無駄なことさ」と鼻先で笑った。
 彼が言うには――ネルソンは『貴族階級』の生まれで、対するロレインは『労働者階級』に属する貧しい身分だと言うことだ。
難民となってワーズワースに流れ着いてからも、古くからハブールに根付いていた階級の差異はリセットされず、
以前と同じように残っているらしい。
 そのように説明されても、レイチェルはいまひとつ彼の言っていることが理解出来なかった。
そもそも、だ。『階級』や『身分』と言うものが何を指しているのかが分からない。
 どういうことかと不思議そうな表情(かお)を浮かべるレイチェルに自身の説明不足を悟ったスコットは、
「さて、原住民の皆様には、どっから話したら良いものやら……」と頬を?いた。
 その瞬間(とき)である。
 突然、遠くの方からバラバラと言う爆音が轟いた。
 鬱蒼とした木立を見上げて目を凝らせば、一機のヘリコプターが低空飛行で近付いてくるのが判った。

「ホワッツ!? ア、ア、アイアンの塊がフライしてるぅッ!?」
「アイルのMANAがあんな感じだったけど――えぇい、デジカメから画像が出てこないっ! 
撮ってなかったかなぁ、リーヴル・ノワールでぇー!」
「新手のクリッターなんじゃねぇのか? 今なら俺のトラウムでも撃ち落せるぜ」
「何が『今なら』だッ! あんなもんが火の玉になって降ってきてみろ!? オレたちゃ森ごと丸焼けだッ! 
ンなことも判らねぇクセにミサイルなんかブッ放してんじゃねぇぞ、コラァッ!?」
「じゃあ、どうすんだよ、てめーッ! そのチンケな刀で斬り付けんのか!? やってみろよッ!」
「どっちもあぶねーじゃん。オイラがちょちょいと行って片付けてくるから、ま、ここで見ていなって」
「ちなみにどうするつもりなんだい? 私も会長を守らねばならんのでね。火の玉だけは勘弁して欲しいんだが」
「ジャンプして飛びついて風穴をブチ開ける! これよッ! 一撃必殺ッ!!」
「ラトク、速やかにジェイソン君を止めよ。根本的な解決になっとらん」

 その場に居合わせた“原住民”の誰もが驚きに目を見張っている。
彼らの動揺を煽るようにして、爆音の音源であるヘリコプターはどんどんと近付いてきていた。

「心配しないでください、みなさん! あれはMANAでもクリッターでもなく安全な乗り物ですっ!」
「滅多なことじゃ墜落しねぇって! ヘリの事故なんて二ヶ月に一回くらいなもんだ!」
「ダイちゃんっ! それは、今、言うべきことじゃないなっ!」

 ダイジロウとテッドが懸命になって宥めようとするが――ダイジロウは明らかに言葉の選択を誤っているが――、
焦燥に基づく混乱と言うものは、そう容易くは収まらない。
 周章狼狽する一行に対して、スコットは少しも表情を変えていなかった。
ヘリコプターの接近と言う明らかな異常事態にも慣れている様子だ。

「タイミングが良い。口で言うよりも見たほうが早いだろう。随いてきな、ワーズワースの現状が良く分かる」

 スコットはヘリコプターが飛んでいった方角へと一行を誘導するつもりである。
 もしもこの時、フィーナに周囲を警戒する余裕があったなら、ヘリコプターの音を聞いた途端にネルソンを引き剥がし、
逸早くこの場から去っていくロレインの姿を確認出来たであろう。





 フィーナたち一行がスコットに連れられてきたのは、ワーズワースの中でも特に開けた場所であった。
 「開けている」と言っても、足場は極端に悪い。クリッターが出没する区域と岩場との中間に位置している為、
環境汚染の影響が色濃く、剥き出しの荒地には有害な油が黒々とした染みを作っていた。
 そこには既に黒山の人だかりが出来ており、誰もが皆、一様にくたびれた表情である――が、
しかし、瞳だけは爛々と輝いており、一種殺気に近いものすら孕んでいた。
 異様としか例えようのない雰囲気に圧倒され、思わず息を呑んでしまったフィーナをスコットがせせら笑う。

「まあ、見ていな。ここからが見世物(ショー)の本番さ」

 今までになく冷淡な口ぶりである。
 スコットは見世物(ショー)などと言っているが、一体、何が始まるのだろうか――
フィーナたちが周囲の状況を注視していると、勢いよくヘリコプターのドアが開き、
そこからギルガメシュの兵士が木製の箱のような何かを投げ捨てた。
 空から放り出された木箱は、耳を劈くような音を立てて地面に叩きつけられる。
すると、人々は我先にその落下地点へと駆け出し、木製の箱を壊しては中にあった物を奪い合い始めた。
 泥と油に塗れながら転げ回り、ときには他者を力任せに押し退けていく群像は、
一瞬ながら“声”と言う概念そのものをフィーナたちから消し去るほどに衝撃的であった。

「――な? 面白ェ見世物だろ。ギルガメシュの連中が投下した箱の中には食料が入っている。
皆でそれを取り合っているってワケだ。ここから眺めてる分にゃ泥んこレスリングみたいだわな」

 怒号と悲鳴が響く人山を呆然と見つめていたフィーナたちに、スコットはおどけた調子でそう説明した。
 ワーズワースで暮らすハブール難民は慢性的な食糧不足に悩まされている。
そのことはフィーナたちも承知していたことなのだが、よもや、食料を得る手段がこのようなものであったとは。

(……なんなの、これ……)

 驚きと言う二文字では片付けられないほど衝撃的な光景がフィーナの眼前で繰り広げられている。
投下された援助物資に群がる人々が作り出す光景は、傍目から見ていれば暴動のようなものにすら感じられた。

「どうしてこんな危なっかしいやり方なのさ? 空から落とすなんてマネはしないで、地上で配ればいいじゃないか。
それなら、こんな騒ぎにはならないだろ?」
「下にいる人に当たったら大惨事なの! ぺしゃんこになっちゃうの!」

 呆気に取られていたシェインだったが、スコットの説明を聞く内に単純な疑問がふつふつと湧いてくる。

「ナイスなクエスチョンだねえ。難民をヘルプしたいのなら、こんなやり方はパーフェクトにアウト。
バット、ボックスをフォールダウンしているギルガメシュのソルジャーのフェイスをよくルックしたまえ。
そうすれば実に分かりやすいだろう? ドゥーユーアンダースタンド、あーはぁん?」
「へえぇ? お兄さん、見た目に反して鋭いじゃん」
「ヒューマンの心理ってのをリードすればパツイチさ。気分がグッドなもんじゃナッシングだけどネ」

 ホゥリーの観察眼をスコットは口笛を吹いて賞賛した。
 シェインもルディアも、他の面々も、ホゥリーに促されるままヘリコプターから顔を覗かせているギルガメシュ兵へと目を凝らす。

「な、なんなの、あの人たち。ヘラヘラ笑ってるの――ん? 今度は指差して笑い始めたの。ど、どう言うことなの?」
「簡単なことさ、お嬢ちゃん。あいつらギルガメシュは泥んこレスリングを楽しんでいるのさ。
あいつらの目には食料に群がる連中はゴミ同然。手前ェより下等なモンを眺めるのは、さぞ気分が良いだろうぜ」

 同じハブール難民が卑しめられているにも関わらず、スコットはまるで他人事のように言い放った。
 スコットの内心はともかく――どう見てもギルガメシュ兵の態度は彼の言った通りにしか見えない。
食糧を得ようと必死になっている難民たちの姿を嘲笑しているとしか説明のしようがないのだ。
 食うに困った人たちが、限られた食料を求めて次々に群がる。それは人として、生き物として当然の行為であるが、
わざとそう言うような状況を作り出すギルガメシュ兵に怒りを覚える者は少なくないだろう。
 だが、逼迫した状況の只中にあっては、本来怒りの対象になるべき筈のギルガメシュ兵にすら縋り付かなければならない。
慈悲を懇願しなければ、生きることすらままならないのである。
 集まった群衆からは、上空に向けて「もっと食糧を恵んで欲しい」と哀訴する声が次々に上がる。
それを聞いてか聞かずか、更に箱を投下しては、ギルガメシュ兵は満面を醜く歪めていく。
さながら池の中にいる魚が、水面に投げられたエサに食いついてくるような、そのような印象であった。

「……でも、ギルガメシュって難民を保護するって喧伝してたじゃない。それが何よ、何なのよ……。
これじゃ難民を弄んでるようにしか見えないわ」

 群衆とヘリコプターの双方をデジカメに収めつつも、トリーシャは呻き声を堪え切れなかった。

「保護していないわけじゃないが、まァ、ウソの範疇に入るだろうね。
一応説明すると、これはあくまでも非正規の食糧配給なんだよ。それにこれだけの人が群がってくるってことは、
正規の配給がどれだけ滞っているのかを証明出来るもんじゃないかねぇ」

 言いながら、スコットは「あんたらに調査を言いつけたヒトは、よっぽどのお偉いさんみてーだな」と鼻を鳴らした。
上層部の意向と末端の現状の乖離を皮肉っているわけだ。
 目の前にある光景が、どこか現実感に乏しいもののようにフィーナには思えた。
 ギルガメシュに襲撃されたグリーニャのように悲惨な状況は数多く目撃してきたのだが、
それとはまた方向性が別の、人間が出す生々しさと言うか、そう言った悲壮な雰囲気があった。
 ショックを受けて立ち尽くすフィーナに向けて、スコットは「ここからがショーの本番だぜ」と難民たちを指差した。
 食糧の争奪に変わりはないものの、その様相が数分前までとは明らかに異なっている。
いつの間にか難民同士での掴み合いや殴り合いに発展していたのだ。
 食糧を抱えてこの場から逃げるように走り出す者、殺気を孕んだ目で食料を奪おうとする者、
必死に抵抗するも力及ばずに全てを奪われる者などなど、広場に響き渡る悲鳴や怒号は更にその音量を増していた。
 呆然とするフィーナたちをを他所に、スコットもその輪の中へと身を投じると、
這い蹲って食糧を死守しようとしていた老人の脇腹を強かに蹴り上げた。
 そして、痛みに悶えるその人の食糧を掠め取り、一目散に一行のもとへと戻ってきた。
 一瞬、フィーナは何が起こったのかが認識出来ず呆気に取られていたが、
「当座しのぎにもなりゃしねぇ」と不満げに呟くスコットを見る内にみるみる表情を変え――

「酷い! どうして、どうしてそんなことをするの?」

 ――と、大声で彼を批難した。同じようにハーヴェストも罵声を張り上げたが、それでもスコットは顔色ひとつを変えない。

「悪人扱いされる謂れはねぇな。ここじゃこれがルールみたいなもんだ。奪う側と奪われる側、その二種類の人間しかいねぇ。
俺なんか優しい方さ、全部は取っていかねぇんだからな。……他の連中をよく見てみろ。
もっとえげつないマネをしているヤツはごまんといるんだぜ?」
「だからって、悪行が許される道理にはならないわ! 非正規だろうが不定期だろうが、配給があると分かっているなら、
どうしてそれを分け合おうとしないのよ? それが人間として正しい道ってものじゃないのッ!」
「認識が甘いねぇ。この程度の前知識もなくて調査員なんて務まるのか? 
分け合うことが出来ないからこうなっているんだろうに。雀の涙みてぇな食糧を分け合って皆で餓死するよりは、
限られた人数でも確実に生き残れるようにするのが正しいやり方だと思わねぇか? 
……特によ、こんな腐(クサ)れた状況下ではな」

 悪びれた素振りすら見せず、それどころか、暴力を振るうことさえ当然だと言い切ったスコットを押し退け、
フィーナとハーヴェストは群衆の真っ只中へと走り出した。
 いくらこれが難民キャンプに於けるルール――暗黙の了解だとは言え、
強い者が弱い者から奪うなどと言う行為を見過ごすことは、ふたりの性格から考えれば出来る筈もなかった。
 少しでも多くの人に食糧が行き渡るよう奪い合いを繰り広げる者たちの間に割って入ったり、
後ろから押さえ込もうとしたり、弱い者を守ろうとしたりと、必死にこの騒ぎを収める為に尽力した。

「オイラたちも行こうぜ! いくらなんでもこいつは酷過ぎるッ!」
「オッケーなのっ! シェインちゃんはあっち、ジェイソンちゃんはそっちをシキッて欲しいのっ!」
「あっちとかそっちとかで指示出すな! つか、ルディアはここで待ってろよ! ボクとジェイソンで行ってくるから! 
お前じゃ押し流されてケガするだけだよ!」
「男女差別はんたーいなのっ! シェインちゃんってば時代遅れなのっ!」
「ボクが言ってんのはそこじゃねーよ! お前、チビっこいから踏ん張り利かないだろ? それを心配してるんだって!」
「んっふふふ、やだ、もうこの流れで告白なの? でも、メンゴなの。何回告白(コク)られてもルディアは落ちないの〜」
「堂々と浮気宣言かよ、シェイン。オイラ、ちょっと見損なっちまったぜ」
「バッ、バカ言ってんじゃないよ、ジェイソンッ! なんでそうこんがらがるようなことを――」
「――バカはてめーら全員だ、このクソガキどもッ! いいからここで黙っとけやッ! ……何したって無駄なんだよッ!」

 シェインとジェイソン、更にはルディアまでもがフィーナたちの加勢に入ろうとしたが、フツノミタマはこれを一喝で以って制した。
 果たして、その見立ては正しかった。フィーナとハーヴェストの叫び声は数多の怒号の前に掻き消され、
誰の耳にも入ることはなかったし、大渦がうねるような群衆の動きの中で数名ばかりが奮闘したところで、
到底抑えきれるわけがない。幾度となく突き飛ばされ、弾き飛ばされ、結局、ふたりにはどうすることも出来なかった。
 無論、その様子をスコットは薄ら笑いを浮かべながら見物している。

「浅ましいと言ってしまえばそれまでですが、……思っていた以上に深刻な状況のようですな、此処の問題は」
「全くじゃのう。貧困を根本から絶たねば、いくら食料を送ろうとも解決できぬわい」

 ラトクもジョゼフも、目の前の惨状をただ見つめるだけだった。フツノミタマの言葉を借りるならば、「何をしたって無駄」。
今、ここでどのような仲裁を試みても、フィーナたちの二の舞になるのは明白だった。
 貧困をなくせば良いとは分かりきっているのだが、現在、何ら生産手段を持たない難民たちにとって、
それはとてつもなく難しい問題である。ワーズワースに暮らす以上、独力では何ひとつ成し遂げることが出来ないのだ。
 だからと言って、ワーズワースを出奔することなど出来るのだろうか。
彼らが確固たる生産基盤を持って暮らしていける土地が、Bのエンディニオンにどれだけあると言うのか。
 これは難民全体に共通する問題でもあった。
 ロンギヌス社は土地を買い上げるなどして問題解決に乗り出したが、それも長続きするとは限らない。
今は割り当てる土地が足りているとしても、次々に難民が押し寄せている状況下では、いずれ許容の限界を超えてしまうだろう。
 豊かな土地を求めて移動するAのエンディニオンの難民たちと、自らの土地を守らんとするBのエンディニオンの間で
血みどろの争いが起こらないとも言えない。
 そうはさせまいとロンギヌス社やスカッド・フリーダムは奔走している様子だが、
果たして、いつまで保つのか知れたものではない――それが新聞王の見立てである。

「ギルガメシュを倒したとて、問題が片付くわけでもなし。何とも難しいものじゃ」
「そうそう都合よく未開の地なんてものはありませんしねぇ。住まいくらい自分たちの手で開拓しろと言いたいところですが、
どうせ道具が足りないだの風土病が怖いだのと泣きついてくるでしょう」
「……厳しいことを言うようじゃが、立派な居住地を用立ててやれるほどの余裕もワシらにはないからのぉ……」
「受け入れる側も八方塞と言う現実(こと)を、難民の皆さんにも理解して貰いたいものですなぁ」

 ジョゼフとラトクの話に聞き耳を立てていたレイチェルは、彼らの明け透けなやり取りへ密かに溜め息を吐いた。

(分かりやすい悪役がいて、それを倒せば全部解決……なら楽なんだけどねえ)

 やがて騒ぎは終息し、難民たちは思い思いの場所へと散っていった。
 強い者が弱い者から奪うという惨状の果てに、何も得られなかった人々は、
元より感じられなかった生気が更に抜け、幽鬼のような足取りで何処かへと歩いていった。
 結局、何も出来なかったフィーナとハーヴェストは、力なくその場に佇んでいる。

「ここがどういう場所だか分かってもらえたか? どうせならもう少し、本当のキャンプというものを見たらどうだ?」

 打ちひしがれていたふたりに、スコットはどことなく事務的な調子で言った。
「本当のキャンプ」と言う話を聞かされても、フィーナには暫く返事が出来そうにない。

「……見せてもらおうじゃねぇか、ワーズワースの真実(ほんとう)ってのを。俺たちはその為にここまで来たんだ」

 そんな彼女に成り代わって、ダイジロウが強く首肯して見せた。
 クレオパトラによって派遣されてきた彼やテッドにとってワーズワースの現地調査は最大の目的である。
ハブール難民を食糧危機から救う為にも、スコットの提案に乗らない手はない。他の面々とて異論はなかった。


 スコットに案内されて着いた先には無残としか言いようがない光景が広がっており、
これを目の当たりにしたムルグは、堪り兼ねてと呻き声を漏らしてしまった。
 彼女が上空より偵察した場所には、テントに類されるような、“一応”は住まいと判断できる物があった。
 しかし、この区域には枯れ木や干草を使って拵えた、雨露を凌げるかどうかも怪しい物が立ち並んでいるだけ。
そこで屯する人々の中に生命力を感じさせる者はひとりとして存在しておらず、
大概は地べたに座りっぱなしだったり、草の上で伏していると言う有様だった。
 体力を極力消耗しないようにしているのか、それとも動き回れるほどの体力もないのか――
所々で焚き火の炎が揺らめいている点を除けば、まるで一枚絵のように周囲には動きがなかった。
 げっそりと痩せこけた群像の中には、既に息絶えた者も在るのかも知れない。
だが、それを気に留めているような人間はどこにもいなかった。

「ここが階級の最下層――最も貧しい人間が住んでいる地区だ。
今でも悲惨なもんだが、弱っていく人間や死んでいく人間の数は日に日に増えている。その内、全員がくたばるかもしれねぇな」
「……みんなで助け合って生活すること出来ないのかな? これじゃあんまりだよ……」

 そう口にしたテッドにも己の愚問は分かっている。分かってはいても、どうしても吐き出さずにはいられなかった。
彼もまたAのエンディニオンの難民だからである。

「出来ねぇからこうなっているとしか言えないな。さっきも言ったとおり、物資(モノ)の絶対量が足りてねぇ。
みんなで仲良くやりましょうなんてのは、土台無理な話だ。弱肉強食がここのルールみたいなもの。
弱い者から死んでいくしかない」
「だからって何もしないんじゃ、もっと酷くなるだけじゃねーの? 農作業でもしたらどうなんだよ?」

 ジェイソンの疑念には、スコットではなくフツノミタマが答えた。
 口を開くなり、「バカか、テメェは!」と叱声(かみなり)を落としたことからも察せられる通り、
ジェイソンは失言に近いことを仕出かしていたのだ。

「動く体力もねえのにそんな重労働が出来るわけねぇ! 食いもんができるまでにくたばっちまうだろうがッ!」
「そ、そうか……悪ィ、オイラ、とんだバカを言っちまったみてーだ……」
「仮に作物が育ったとしても、ここは農地じゃないし、汚染も酷いから、ろくな出来にはならないでしょうね。
そもそも種も苗もないんじゃやりようがないわ」
「いつ来るか分からない援助を待つしかない――と言うわけじゃのう」

 レイチェルとジョセフもフツノミタマの話に頷いている。
 如何ともし難い現実だけがワーズワースにはあった。
 少しでも食糧を持参するべきではなかったのかと繰り返し考えていたフィーナだったが、
ここまでの光景を見てしまうと、その思いもどこかへ吹き飛んでしまう。
 どうすれば此処にいる難民を――死を待つだけのような人々を救えるのか。答えが出るまでには長い時間がかかりそうだ。

(……私は……どうすればいいんだろう……)

 弱りきった難民の姿を目に焼き付けながら、フィーナは己の甘さと現実の過酷さを痛感していた。
強い信念さえあれば、ゼフィランサスのような奇跡を起こせると考えたのは、
身の程を弁えない思い上がりであったのだろうか、と――。


 さながら『貧民窟』とでも表現するべき区域の一角では、二十名ばかりの難民たちが集会を開いており、
スコットはその集まりにもフィーナたちを案内した。
 スコット本人としては連れていくべき場所でもないと思っていたのだが、
彼が他の難民から掛けられた言葉をジョゼフが耳聡く聞きつけ、その真相を質したのである。
スコットもまた集会の構成員に数えられていた。
 難民たちが話し合いを行うと知って、フィーナたち一行が見学を願い出ないわけがない。
強硬に押し切られたスコットは、邪魔をしないと言う約束のもとで集会に同行させたのだが、
早くも自身の選択が誤りであったと思い始めていた。
 失敗だと悟ったからこそ、その口元は自嘲に歪んでいるのだ。
 その場に集まった――否、ワーズワースで暮らす人々に比べると、フィーナたちは身なりも血色も遥かに良く、
群像の中で明らかに浮いてしまう。一種の据わりの悪さと言うものがハブール難民の神経を逆撫でしたようだ。
 一目で余所者と分かる一行に対して、彼らは憎悪を孕んだ眼光を無遠慮に向けてきた。

「スコット、部外者を連れてきてどうしようっていうんだ? 関係の無い人間がこの場にいても仕方ないだろう」
「全く関係無いってわけでもない。この人たちはギルガメシュから依頼されて、この地に視察に来たという事だ。
そうだったら兵隊志願者の集会を見てもらえば、
おたくらと言うか、ここに住む人間がどれだけギルガメシュの為に尽くそうっていうのがアピールできるんじゃないのか?」

 難民の中には、フィーナたちが集会へ居合わせることに難色を示す者もいたが、
スコットが“ギルガメシュの関係者”だと伝えると態度を急に軟化させ、むしろ好都合とばかりに迎え入れた。
 彼らはギルガメシュの志願兵であった。正確には、これから志願しようとする者たちである。
委細も待遇も異なるだろうが、ボスやディアナが属するエトランジェと同様の軍務へ就くことになるだろう。
 両帝会戦に於いてエトランジェと合戦したフィーナたちは、志願兵と言う三文字に複雑な感情を禁じ得なかったものの、
だからと言って他所の事情にまで口出しするわけにもいかず、込み上げてきた制止の言葉をぐっと飲み込んだ。
 集会と言ってもささやかなもので、屋内で行われていたわけではない。車座に座って議論を交わすのみである。
そもそも、だ。出席者全員を収容し得る大きくて頑丈(まとも)な建物など「貧民窟」には存在せず、
それが難民の置かれている状況を端的に表しているようでもあった。
 あるいは野外であったればこそ、この地を脅かすもうひとつの“状況”を双眸にて確かめられたとも言えよう。
 突如として陽が翳った。にわか雨かと思ってフィーナたちは天を仰いだが、しかし、そこには白い雲と青い空。
間違いなく晴天ではあるものの、空と地上との間に漆黒の靄が膜の如く垂れ込め、
これによって闇が生み出されているのだった。

「山を少しばかり登ったところにギルガメシュの施設があるんだよ。そこの焼却炉から一日に何度か煙が流れ込んできてな。
日照が遮られちまうってワケ。これも農作業がダメな理由のひとつだな」

 スコットの説明の通りである。闇が訪れるや否や、尋常ならざる悪臭が一行に襲い掛かった。
元よりワーズワースは異臭に包まれていたが、黒い靄が引き連れてきたモノはその比ではない。
有害物質を加熱した際に生じるガスや腐乱臭などが複雑怪奇に入り混じり、
吸引してしまった人間の鼻腔や喉、更には肺まで容赦なく侵食していくのだ。
 勿論、「侵食」と言うのは一種の比喩であり、吸引者の錯覚であるが、靄そのものが有害であることに変わりはなく、
長期間に渡って浴び続ければ、肺や皮膚を病む可能性も十分に高い。
 未だ嘗て嗅いだこともない悪臭に悲鳴を上げそうになるルディアだったが、
ここで暮らす難民たちの気持ちを考えて懸命に我慢した。

 漆黒の靄が地上を闇に染めた頃、誰ともなく「謹聴、謹聴」と声を上げた。
スコットが言うには集会へ参加する全員が集まった合図であるそうだ。
 やがて、リーダー格と思しき人物――アバーラインと言う名前である――が立ち上がると、全員を見回しながら口を開いた。

「よく、これだけの人数が集まってくれたと思う。知っての通り、我々が置かれている状況は極めて厳しいものである。
食うや食わずや、明日をも知れぬほどの過酷な現実だ。この現状を打破する為に立ち上がってくれた諸君らは、
我々の未来を憂う勇士であると言えるだろう。突然にして寄るべき土地を失った我々が生き延びていくには、
ギルガメシュの庇護下に入るという以外の選択肢はないと痛感している筈だ」

 アバーラインは身振り手振りを交えながら、そこにいた志願者全員の感情を昂ぶらせるように大声を張った。
それに応じるかの如く彼に賛同する掛け声が上がり始め、また別の者は一言一言を噛み締めるように深く頷いている。

「我々は明朝にでもギルガメシュの駐屯地へと赴き、覚悟の程を表明する予定である。
この決意を以ってすれば、ギルガメシュも必ずや我々を受け入れるだろう。
そこでようやく我々は、この世界に於いて安定した地位が保証され、安寧が得られるのだ!」

 熱弁しているアバーラインの思いは、“此処”の人間ではないフィーナにも伝わってきた。
 だが、それと同時に胸の中には一抹の疑問も湧き上がっている。
ひとつの問いかけを隣に座するスコットへ向けようとしたその矢先――

「ここにはギルガメシュより派遣されてきた方々も居られる。
兵隊志願者の集会に足を運んでいただいたのは真に幸いだ。我々の意志の強さを示して理解していただき、
それによってご列席の方々がギルガメシュへの口添えを行なっていただければ、事は成就に向けてさらに前進するだろう」

 ――アバーラインがフィーナたちを指し示した。
 確かにスコットは一行の身分を「ギルガメシュから依頼されてワーズワースを調べている」と紹介していた。
ラトクより渡された名刺をも差し出していた。それによってアバーラインもフィーナたちの集会出席を認めたわけだが、
しかし、このような形で衆目を集めることになろうとは。
 数々の視線に晒されたものだから、フィーナはスコットに話しかけるタイミングを逃してしまった。
しかも、だ、弱ったことに難民たちの表情(かお)には強い期待が込められているのだ。
 今更、身分を偽っているなどと打ち明けられる状況でもない。
 更に付け加えるならば、一行はあくまでもコールタンからの個人的な依頼で動いており、
ギルガメシュに口添えなど出来る権限など持ち合わせてはいない。
 あらゆる意味で“敵兵”の前に姿を見せるわけにはいかない存在なのだ。
 それにも関わらず、事情を知らない者たちに「是非、ギルガメシュ士官に推挙を」だとか、
「我々の熱意は伝わったでしょうか?」などと迫られるものだから、ほとほと対応に苦慮してしまった。
 ジョゼフなどは、「ワシに任せておけ」とでも言わんばかりに落ち着き払って微笑んでいるが、
こうした状況に慣れていないフィーナやシェインは、口元を引き攣らせつつ、曖昧な言葉でお茶を濁すことしか出来なかった。
 彼女たちの困惑など知る由もなく、志願兵たちは我先にと厚遇を求め、際限なく過熱していく。
その内のひとりが疑惑の目で一行を睨めつけていたが、当のフィーナたちは視線にさえ気付くことが出来なかった。

「我々の未来の為に、将来の為に、ここにいる諸君らで誓いの杯を――」

 アバーラインが声をかけると、志願兵たちはガラス製や木製などの様々な器―-同じ品物で揃えるのすら難しいのだろう――を
手に取り、中身を一気に飲み干した。スコットもまた周囲に倣っている。
 それは酒でもなければ茶やコーヒーでもなく、ただの水、それも湯冷ましだった。
 彼らの事情を後にスコットが語ったところでは、配給される水も足りず、また川は間違いなく汚染されている為、
危険を承知で雨水を沸かし、飲料水に代えていると言うのだ。


 決意の乾杯の後、志願兵たちは一旦散会する運びとなった。
 ようやくフィーナも自由に口を利ける状態となったわけである。
そこで彼女は、集会の間、疑問に思い続けていたことをアバーラインにぶつけてみた。

「……ずっと不思議だったんですけど、どうしてギルガメシュ兵に志願しようと思ったんですか?」

 この言葉を聞いたアバーラインは、「今まで何を見聞きしていたんだ」とでも言いたげな表情を浮かべたが、
彼女の面持ちから単に物分りが悪いのではないと察知し、黙して相槌を打つことにした。

「ワーズワースの臨時的な配給、……つまり、ヘリコプターから食べ物などが投げ落とされるのを見てきました。
その時、ギルガメシュの兵隊は難民の皆さんのことをバカにしたように笑っていたじゃないですか。
そんな人たちの為に働こうなんて、どうしてそんなことを――」

 質問の間、フィーナの脳裏には難民たちを嘲笑うギルガメシュ兵の歪んだ顔が浮かんでいた。
 スコットが話したように、不定期にやってきては食料なり水なりをワーズワースに投下するギルガメシュ兵は、
暇潰しとでも言った様子で、難民たちを相手に度が過ぎた戯れを繰り返していたのだ。
 他人を冒涜する彼らの態度は、第三者であるフィーナが見ても非常に憤慨せざるを得ない。
それにも関わらず、ギルガメシュへ兵士として仕えることを願い出ようとは。
自分が当事者であったのならば、頭を下げるのすら拒否するだろうと彼女は思っていた。
 フィーナの質問を最後まで訊けば、始めの質問の意味も分かる。
しかし、それでもアバーラインは決して表情を変えることなく――

「何を言うかと思えば、そんな甘いことを……ギルガメシュの調査員と言うのは、この程度のことでもやっていけるのですか?」

 ――「やれやれ」とでも文頭に付けたそうに、何とも例えようのない溜め息を吐いた。
近くにいたスコットなどは、フィーナに向かって「オレんときと同じことを言われたなァ」と、蔑むような笑みを浮かべている。
 反射的に「ごめんなさい」と謝るフィーナだったが、面に滲む疑問の念は秒を刻む毎に濃くなっていく。
 根負けしたような気持ちになったのだろうか、その内にアバーラインも「仕方のない方だ……」と苦笑いを漏らし始めた。

「ワーズワース難民キャンプの現状はご存知ですか? 上流階級のそれではなく、労働者階級のそれですよ。
それもその中で底辺とでも言うべき者たちの居住区をご覧になりました?」
「……はい。スコットさんに案内して頂きました。あれだけ苦しんでいる人がたくさんいるなん――
何て言ったら良いのか……胸が張り裂けるような思いです」
「そこを見たのなら分かりそうなものですが……今やここで暮らす人間は、人として最低限の保障すら与えられるにいるのですよ。
人間らしく生きていた頃の記憶さえ消え失せてしまうような毎日を強いられているんです。
そこから少しでも……安心が出来る程度の生活まで這い上がっていくには、私たちはどんな事だってやります。
ギルガメシュに兵士として志願するのも、そう言う事です」

 フィーナの脳裏では、最下層の人々の暮らしと、食糧を求めて争いを繰り広げる群像が鮮明に思い起こされていた。
ここまで逼迫した状況下であれば、生きていくには恥や外聞、手段など選んではいられないのだろう。

「ギルガメシュがろくに配給を与えず、食糧に群がる我々を面白半分に扱っているのは承知しています。
それについてあなたが腹立たしく思うのも当然でしょう。……あなたが仰りたい事は理解しているつもりです。
がしかし、今の我々にはギルガメシュに入隊するしか――縋るしか選択肢は残されていないのです。
そうでもしなければ、いずれは野垂れ死に。生きていく為にはいくらでもプライドを捨てましょう」

 集会にて打った演説と同じように滔々と語られ、フィーナは頷くことしか出来なかった。
 どう言葉を返して良いものか、判断し兼ねる彼女へ追い討ちを仕掛けるようにして――

「先ほどは未来や将来などと口にはしましたが、それだって差し当たって生き延びられると言った意味合いが強いのです。
実際のところ、我々は今日をどう生きるのかで精一杯とでも言いましょうか……。
ここでの生活を続けていく限り、私たちには希望も何もあったものではありません」

 ――アバーラインは思い詰めた表情で語った。

 何とも悲惨な話であると、フィーナは、否、誰もが胸を締め付けられる思いだった。
 彼の「希望もない」という言葉が頭の中で何度もリフレインしていた。
 フィーナやシェイン、ムルグは故郷を焼き討ちにされた、ジェイソンは親しい同胞を幾人も銃殺された。
普段は表に出さないものの、己の牙城たるルナゲイトを奪われたジョゼフも内心では怨嗟を煮え滾らせているに違いない。
イシュタルから突き放されたレイチェルはどうか。リーヴル・ノワールにて『友達』を救えなかったルディアはどうなのか。
 そうした局面にて各人が抱いた感情よりも更に深い絶望がワーズワースを蝕んでいるのだろう。
どれほど苦しい目に遭わされてもフィーナたちは再び立ち上がった。誰ひとりとして生きることを手放そうとはしなかったのだ。
 同じ「生きること」を指向していても、フィーナたちと難民たちの思いは全く異なっている。正と負の関係の如く正反対である。
 それ故にフィーナは言葉を詰まらせた。志願者たちの悲壮な決意と行動に、どうして口を挟むことなど出来るだろうか、と。

 ワーズワースの空を黒い靄が通り過ぎようとしていた。闇の裂け目から青空が覗き、そこから陽の光が降り注ぐ。
光と闇とが交互に入れ替わり、地上を本来の彩(いろ)で染め直すまでの間、
フィーナの面に差す陰影も天空(そら)の模様に同調してその貌(かたち)を複雑に変えていた。
 だが、蘇ったワーズワースの彩は必ずしも秀麗ではない。そこに横たわっているのは有らん限りの絶望であった。
燦々とした陽の光を以ってしても、この地を覆い尽くす悪夢までは溶かし切れないのだ。
 悲劇としか例えようがなかった。陽の光が“現実”と言う名の影を浮き彫りにしていくのである。
 立ち上がりもせずその場に座り込むフィーナは、アバーラインが吐露した悲痛な思いを胸中にて繰り返し反芻していた。
 難民キャンプが抱える具体的な問題も見えてきた。コールタンより解決を請われた武器流入問題にも
今まで以上に力を注がなくてはなるまい――が、気が急くばかりで、
これらを解決する手立ては全くと言って良いほど思い浮かばないのだ。
 繰り返される自問自答は、今や行き止まりに突き当たるだけである。
言い表しようのない閉塞感にフィーナは悩まされ続けていた。

「そんなに悩んでいても答えが出てこないなら、少しくらいは休んだら? 
若いコが眉間に皺を寄せていると、年を取ってから大変なことになるわよ」
「フィーの良いところは行動力でしょう。頭脳労働はアルの本分なんだから、フィーはフィーの持ち味で戦えばいいの。
まだワーズワースに来て初日なのよ? 今日よりも明日、明日よりもその先に希望の道を見つけましょう」

 集会時の車座よりも小さく狭まった輪の中でレイチェルとハーヴェストがフィーナを気遣う。

「それはそうかも知れないんですけど、……今、名案が出ないのに明日とか明後日とかに何か閃くとも思えなくて……。
それに、こうやって何か考え事をしている方が逆に気が晴れるっていうか……落ち込んでいられなくて済むっていうか」
「……こりゃフィーの姉キ、重症だな」
「難しい表情(かお)ばっか作ってっとアル兄ィみたいな人相になっちゃうぜ? もっと肩の力を抜いたらどうさ。
独りで何でも背負い込もうって気負わないでさ、みんなで話し合えば何か浮かんでくるかもじゃん? 
アル兄ィたちだって追いかけてくるんだし。結論はそれからでも遅くないって」

 後発隊と合流しただけで具体的な展望が開けるとも思えないが、ここで鬱々としているよりは遥かに良かろう。
 シェインの言葉に背中を押され、根を詰めても駄目なときは駄目なのだと踏ん切りを付けた瞬間、
フィーナは少しだけ視界が開けたような気がした。

「ま、そっちのボウズが言うことももっともだ。一朝一夕でここの問題が解決出来るわけはねぇ。
そんなに簡単なら、ハブールの誰かがとっくに思い付いているだろうさ」

 アバーラインを含めた志願者たちが全て去った後も、スコットだけは居残っていた。
 時折、ダイジロウやテッドから難民キャンプの実情について詳しい説明を求められ、それについて答えると言った具合だった。
尤も、熱心なダイジロウたちと比して回答する側はとにかく適当である。

「だからこうしてぼくらが来たんじゃないですか。……ギルガメシュから派遣された立場と言っても、
解決策を見つけ出せるなら、いくらでも協力するつもりですよ」
「俺たちだけカッカしたってしょーがねぇだろ? コーマンさんよ、だからもうちょっとでもやる気出してくれねぇかな?」
「あんたらは真面目だねぇ〜。縁もゆかりもねぇ他所のことでマジになる意味がわかんねぇな」
「真面目って言うか……難民がどれくらい暮らしているのか尋ねて目分量とか返されたら、
普通の人はびっくりすると思います。大体、目分量ってなんなんですか」
「あれ? 伝わらねェ? あんた、自炊は? 料理の本にも載ってる言葉なんだが……」
「答えになってねぇよ」

 暗に協力を申し出ているテッドとダイジロウにまで批難めいたことを言われても、スコットは全く取り合うつもりはない。
 この場に於いて唯一の当事者である彼は、ワーズワースの展望が開けることはないと確信に近い形で感じていた。
だからこそ世の中の全てを諦め、行動を起こそうとする人々を鼻先で嘲っているのだ。
 スコットの説明には厭世の念が滲んでおり、それが為にフィーナは難しい現実を思って躓いてしまうのだった。

「一朝一夕ではどうにもならぬ、か――おヌシがそう考えるのも無理なからぬことじゃが、翻って、こうとも考えられぬか? 
当事者であるからこそ嵌まってしまっている固定観念がある……とな。
何も事情を知らぬような第三者の方が、むしろ柔軟な発想へ行き着く可能性もあるじゃろう?」
「そりゃあ、名案が浮かんでくるのに越したことはないがね。なら、“第三者”のじいさん、何か解決の糸口になりそうなものは?」
「ワシはあくまで可能性の話をしたまでじゃよ。ワシが何かを思い付いたわけではない。
近頃、とんと物忘れが激しくなってきてのう、こんなアタマでは良策が閃くような働きは期待できぬぞ」
「油切れってヤツかい? ……ま、それも仕方ねぇよ。こんなクソみたいな場所を見ちまうと、
大抵の人間はアタマが動かなくなるもんさ。外に戻れば、また動き出すと思うぜェ?」
「油ならばこの先の荒地にたくさん染みておる。それを掬い取って差すとするかの。案外、外の油よりも効くかも知れぬぞ?」
「……物好きってか、趣味が悪ィな、じいさん」

 スコットへ言い諭しながらジョゼフは好々爺然として笑い声を上げた。
 「物忘れが激しいなど」とは嘘八百であり、これは遠回しながらもフィーナに対する激励であった。

「いずれにせよ、ワシらはもっとお互いのことを知るのが重要じゃろうて。
異なるエンディニオンの人間同士と言うても、ほれ、このように言葉は通じるのじゃ。
全く理解への手がかりすら掴めぬというわけでもない。クリッターと対話するよりも、よほど簡単だとは思わぬか?」

 「いくらなんでも比較対象があんまりだ」とスコットは苦笑いしたが、
それでもフィーナにはジョゼフが言わんとしていることは分かったつもりだ。
 ハブールの人々の悲惨な現実は早急に是正すべき問題であろう。
しかし、難民と言う大きな括りの中でこの問題を捉えた場合、ワーズワースだけに限定して思量するわけにはいかなくなる。
 即ち、Aのエンディニオンの難民に対して根本的な解決を導き出すと言うことである。
それはまさしく一朝一夕で答えが出るものではなく、長い時間を掛けてじっくりと取り組まなければならない。
 結論を急ぐべき時期ではない。先ずは解決に向けて必要な材料を集めていこう――その判断へと至ったわけである。

「そう、そうだよ――私たちとハブールのみんな、もっとお互いに話し合えれば、きっと解決の道が見つかるハズっ!」
「何しろお互いの宗教観すら違うんだからね。それが分かっただけでも今日は大きな収穫だって、
前向きに捉えるくらいで丁度良いのよ。一歩一歩着実に前進していきましょ」

 前途が明るいとは言い難いが、それでも前を見据えて進んでいくのが大切だと、フィーナは改めて決意を口にした。
 レイチェルが言ったように、相互理解を深めるのに必要な情報や手がかりはまだまだ不十分。
ワーズワースに於いても、足元を固めるところから始めようと言うのだ。

「……真面目と暑苦しさってのは伝染するからタチが悪いぜ」

 “当事者”たるスコットだけは何時まで経っても火が点かない様子であり、
さしものホゥリーもこれには「スピリットがぽっきりブレイクしてるメンに何をトーキングしてもアウチじゃネ?」と呆れていた。




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