8.配給承認証


 フィーナたちに遅れること半日余り――守孝の第五海音丸へ乗り込んだアルフレッドたちのグループも
大急ぎでワーズワースを目指していた。
 船旅はエルンストの公開裁判の時間と重なり、アルフレッドはそちらに全神経を注いでいる。
昨今はモバイルも便利になったもので、生中継の映像すら小さな液晶画面で視聴出来るのだ。
 ギルガメシュ主導の為に質疑応答なども一方的ではあるものの、
今のところは自分の計画した通りに物事が進んでいると確認したアルフレッドは、安堵に胸を撫で下ろしたものである。
細かな差異もなくはないが、それは想定の範囲内であった。
 これで思い残すことなくワーズワースの調査に専念出来ると言うものだ。

「天運を掴む大戦(おおいくさ)は始まったばかりではありますが、さすがはエルンスト様ですわね。
誰も味方がいない状況であろうとも、少しも動じた様子ではありませんわ。これこそ地上を制する覇者の偉容です。
……私としたことが、愚かなことを考えたものですわ。アルちゃんの慧眼に誤りなど有り得ませんね」
「俺に媚を売っててどうする」
「お世辞ではなくて――もう、アルちゃんったら……!」

 真隣に陣取って――あたかもジャーメインへ見せ付けるように――モバイルを覗き込むマリスに対し、
「こちらが案ずるようではエルンストも天運を掴める器ではない」などと諭そうとしたとき、
突如として画面が切り替わり、電話の着信を通知する表示が現れた。
 着信の相手は、つい先日新たに登録したばかりのコールタンであった。
 ジョゼフを通じて互いのアドレスなどは交換していたが、よもや直接電話を掛けてくるとは思わず、
アルフレッドは目を見開いて驚いた。一瞬、何かの冗談と考えた程だ。
 ジョゼフの場合、秘密回線を経由する特別仕様のモバイルを使用しているので傍受の危険性はない。
これに対して、アルフレッドは市販の物を用いており、セキュリティ面では相当に脆弱なのだ。
 それとも、コールタンのほうで傍受不可能な通信回線を操作しているのだろうか。いずれにせよ、高いリスクが付きまとう。
 思案の間にも着信音は鳴り続けている。
 言わずもがな、ジョゼフとは別行動。パイプ役となっている新聞王の不在の中で、
直接的にやり取りを交わして良いものかと迷うアルフレッドだったが、さりとて依頼主からの連絡を黙殺するわけにもいくまい。

「アルちゃん? どうなさったのです? コールタンさんからの電話なのでしょう?」
「分かっている。分かってはいるんだが……」
「でしたら、すぐに出なくてはっ。コールタンさんはジョゼフ様ではなくアルちゃんを見込まれたと言うこと。
大変な名誉ではありませんか。そのお心を無駄にしてはいけません」
「……名誉も何も……」

 通話を促すマリスは見るからに興奮している。キーパーソンから連絡を受けると言うことを大いなる誉れと感じているらしい。
別段、誇らしいことなど何もない筈だが、彼女の中では既にアルフレッドは新聞王と肩を並べているのかも知れない。
 アルフレッド当人にとっては迷惑極まりない妄想(こと)だ――が、その言葉に背中を押されたのもまた事実。
ようやく踏ん切りがついて着信開始のボタンを押した。

「いちゅまで待たしぇるにょっ! 亀か何かでしゅか、あんたしゃんは!? いんにゃ、亀のほうがまだしゅばやいっ! 
こんなに待たしゃれたら、カップ麺だって完成する勢いだにょっ!」

 会話を開始した途端に飛び込んできた叱声には、アルフレッドは苦笑するしかなかった。
ギルガメシュの幹部から直々に説教を受けるとは、成る程、これに勝る名誉はあるまい。
 それにしても針小棒大だ。今し方の着信は、ほんの数秒のことではないか。
インスタントヌードルを湯で戻す場合、平均して三分程度を要するものである。

「――これは一般回線か? それともギルガメシュの秘密回線か? リスクを冒して連絡を寄越すからには緊急事態なんだろうな」
「しょんなに大したことじゃにゃいにゃ。ちょっとばかり進歩状況が気になったにょよさ。にゃにか掴めたかにゃ?」
「……気が早いな。俺たちはまだ現地にも入っていない。フィーたちは――別働隊は調査を始めているがな」
「にゃるほど、にゃるほど。ブクブ・カキシュにも不審者が捕まったようにゃ報告は入ってにゃいにょ。
首尾は上々と見て良いにょ。あんたしゃんたちもとっとと合流して欲しいもんだにょ」
「無茶を言ってくれる。こちらにも事情と言うものがあるんだ」

 なんとなくコールタンからせっつかれたような気がしたアルフレッドは、堪え性のないルディアを思い出して苦笑を漏らした。
 勿論、進捗の遅れも忘れてはいない。先に到着したフィーナたちは全力を挙げて調査しているのだが、
銃器流入の実情も含めて思うような成果は挙げられていなかった。
 仮に電話を受けたのがフツノミタマだったら「せっかち過ぎるんだよ」などと声を荒げたのかもしれないが、
アルフレッドはアルフレッドである、そんな事は無い。
あくまで冷静に対応し、フィーナから入ってきたメールの内容を中間報告としてコールタンに説明した。
 それについてコールタンは若干期待外れのようだったが、それでも彼女は文句を言うことも無く、
引き続きアルフレッドに一層の信頼を置くような言葉をかけた。
 そんな気遣いは不要だと彼は言いかけ、そこでふと、この依頼をコールタンから受けた時に抱いていた疑問が再燃したので、
ついでだからと彼女に尋ねてみた。
 やたらと難民救済に熱を上げるフィーナの姿が脳裏を横切(よぎ)っていたのだ。

「……どうしてそんなにワーズワースへやってきた難民にこだわるんだ?  
同じ世界の人間だというのは理由だろうが、それなら他にも目をかけるべき難民はいると俺は思うが」
「――あれ、言っていなかったかにゃ? どうも年をとると物忘れが激しくなってきて困るんだにょ」

 キンダーガートゥン並みに幼い声で「年をとると物忘れが激しくなる」と語られても戸惑ってしまうのだが、
薮蛇になっても困るので、胸中に浮かんだ指摘(ツッコミ)は、敢えて飲み込んでおく。

「隠す必要もにゃいから教えるにょ。ワーズワースに入ったハブールの難民は、もともとは宗教都市に住んでいた人たちなにょさ。
ここの人たちにはいろいろと馴染みがある、にゃんて程度じゃなくて、返しきれないほどの恩義があるんだにょ」

 てっきりギルガメシュにとって重大な鍵でも握っているのかと思いきや、
コールタンは私的な事情からハブールの民を気にかけていたようだ。
 肩透かしを食らったも同然のアルフレッドは、思わずモバイルを落としかけた。

「だから、にゃんとしても実態を掴んでおかなければならにゃい。
問題があるようにゃら真っ先に解決してあげたいにょ。しょれがわたきゅしなりの御礼の仕方にゃにょよさ」
「だが、ギルガメシュの高官という立場から自由には動けない。
組織の中に収まっている以上、表立って特定の地域の難民だけに温情を与えるマネはできない、と?」
「しょにょ通り。聡くて助かるにょ。あくまで各地を平等に扱うのが前提のギルガメシュにょ幹部が、
恩義があったからってワブールだけを特別視しゅるのは問題にゃんだにゃ」
「……おおよその事は分かった。要は本音と建前というやつか。どこも大して変わりは無いな」

 「恩義」というもの捉え方については、ふたつのエンディニオンの間でそう変わりは無いようだ。
コールタンと同じAのエンディニオンの人間であるニコラスらアルバトロス・カンパニーの面々も、
基本的なところでは自分たちと同じであったわけで、となると彼らだけが“特別”だというわけでも無いようだ。
 不倶戴天のギルガメシュに所属する者ではあるものの、
コールタンとて自分たちとかけ離れた人間と言うわけではないのだと思えた。決して理解し合えないことはない。
 決して理解し合えない人間と言うのは、アルカークのような人間を指すものだ。

「まあ、今更ながら俺に依頼した経緯がどうこうというものではないが、
しかし、存外にギルガメシュにも恩義だとか仁義だとかを重視している人間もいるんだな。
もっと容赦も感情も無い集団だと俺は思っていたし、他の連中もそう思うだろう」

 この言葉に特別深い意味を持たせていたわけではない。
 あえていうならば今までのギルガメシュのやり口から考えると、そういう組織だとは思えもしなかったというところだろうか。
ギルガメシュに対して抱いてきたイメージとどことなく乖離したような印象がコールタンから与えられた――とでも表現するべきか。

「当たり前だにょ。ギルガメシュも突き詰めれば人間が構成している組織だにゃ。
だから多種多様な人間がいたっておかしくないわけだにゃ。情に厚い人間だっているんだにょ」
「自分で言うのも滑稽というやつだ。まあ、冗談はさておき、義理を重んじるのならきちんと報酬を忘れないで欲しい」
「しょれはあんたしゃんの働きぶり次第だにょ。良い報告を期待しているにょ」

 アルフレッドが発した軽口を、コールタンは軽くいなして通話を終えた。
情の厚薄を説いておきながら挨拶もそこそこに話を打ち切るのもどうだろうかと思ったが、そのあたりはとにかく。
 お互いの思惑はどうあれ、調査に着手したのだから依頼主が納得できる結果を用意しようと、
アルフレッドは自分に言い聞かせて一度大きく息を吸った。

「アルフレッド殿、間もなく上陸でござる。あれに見えるは紛うことなきジョゼフ殿の船」

 守孝が指で示す通り、接岸地点に定められた浜辺は目視可能な距離にまで近付きつつあった。
平素は人の寄り付かない穴場であり、そこにはルナゲイト家御用達のクルーザーが停泊してある。

「……ワーズワース難民キャンプ……」

 これより赴く目的地を反芻したアルフレッドは、気を引き締めるよう皆に言い聞かせた。





 アルフレッドたちのグループは、フィーナたちが選んだものとは異なる経路からワーズワースに入ろうとしていた。
 上陸の旨をフィーナへメールした際、合流するべきかどうかと返信にて尋ねられたが、
アルフレッドは暫時別行動を続けるよう返答した。大所帯で動くのも人目につきやすくなると言うのがその理由である。
落ち合うのはワーズワースの状況を十分に把握してからで良かった。
 先行グループはルーインドサピエンス(旧人類)時代の廃棄物が放置された区域を経て難民キャンプに入ったと言う。
そこは大型クリッターの巣窟と化しており、ワーズワースへ入るや否や、フィーナたちは激闘を余儀なくされていた。
 クリッターの出没以上にアルフレッドが気にかかったのは、ルーインドサピエンスの廃棄物である。
これらより染み出す有害物質が土壌を侵食し、Bのエンディニオンの自然環境を破壊しているのだが、
まさか、自然公園を謳い文句にするワーズワースでも同じ現象が確認されるとは思いも寄らなかったのだ。
 ワーズワースも他の類例に漏れず、廃棄物に汚染された地域とその周辺は天然自然が死滅し、荒野の如き有様と化している。
メールに添付されてきた写真でもその惨状は確認済みであった。
 先日来、元気のなかったネイサンもこの写真にはさすがに憤慨し、
「人間としての神経を疑うよ! こう言うバカが多いから、いつまで経ってもリサイクル業者は認められないんだ……!」と
悔しげに地団駄を踏んでいた。

(……しかし、数年前まで廃棄物の話は聴いたこともなかった。どこぞの悪徳業者が投げ捨てていった――と言うわけか?)

 ここに至って、アルフレッドはワーズワースから客足が遠のいた理由を悟った。
言わずもがな、この汚染こそが最大の原因であろう。環境が破壊された自然公園など何の価値もあるまい。

 アルフレッドたちは汚染地帯を避けるように大きく迂回し、生い茂る青草を踏みしめつつ仄暗い森の中を突っ切っていた。
 大型クリッターと聴いたジャーメインは、腕試しとばかりに拳を鳴らしたが、
アルフレッドに言わせれば、無駄に体力を消耗するなど無意味の極み。ローガンとふたりで短慮を窘めた。
 先発隊と異なる経路を選んだのは、何も体力の温存だけが目的ではない。
それぞれの隊が別々の場所を同時進行的に探っていくほうが情報収集と言う点でも合理的であった。

「……この森はいつまで続くのでしょうか、アルちゃん……」
「どうした、もう音を上げるのか?」
「いえ、……このままでは服もボロボロになってしまいそうで……」
「マリス様、そのような身勝手を申してはなりませんよ。今は衣服の汚れを気に掛けているときではございません。
ドレスのほつれはこのタスクがいくらでも直しますので」
「わかっているわ、タスク――けれど、ワーズワースと言えば乙女の憧憬なのよ。
パンフレットにも恋人の逢瀬にぴったりだと書いてあったのだし。
……こんなことになると分かっていれば、もんぺで来るべきでしたわ」

 マリスはうんざりと言った調子で愚痴を零すが、これこそがワーズワース本来の姿である。
秋ともなれば灼熱の如き景を作り出す美しい山の麓を切り開き、そこに公園施設が設けられているのだが、
観光客の遊歩や滞在を目的とした区域以外は深い森で覆われている。
 まさしく天然自然の宝庫と呼ばれる所以であり、ルーインドサピエンスの廃棄物より遠く離れた地域は今も原型を留めていた。
 現在、アルフレッドたちはその天然自然を相手に格闘中である。即ち、散策の要路を外れていると言うことだ。
 人の手が加えられていない場所は、必然的に獣道。竹の長いスカートを穿くマリスとの相性は最悪であった。
ローパンプスも草叢を歩くのには適していない。夜の帳を思わせる着衣には、
棘のある花の実や草を擦ったときに付着する汁液が星座の如き模様を作り出しているだろう。
 自然公園と言う響きに惑わされ、蝶を象るプラチナのチョーカーなどで粧(めか)し込んできたのが裏目に出た形である。
 ふと、ジャーメインに目を転じたが、彼女の足取りはさすがに軽やかで、悪路を楽しんでいるようにも見えた。
 事実、スカッド・フリーダムのトレーニングメニューには悪路での走り込みも含まれている。
これによって体力や敏捷性、平衡感覚などを養おうと言うのだ。
 陽気な鼻歌から察するに、ジャーメインは飛び出してきた故郷を懐かしんでいるのかも知れない。
 衣服も機能性を重視していた。足場の悪い場所でも柔軟に対応出来るようパンプスからブラウンのスニーカーに履き替え、
桜色のジャージのトップスを着込んでいる。これならば、幾ら泥が跳ねても平気だ。
 それを見たアルフレッドが「お前にしては考えたな。一番まともな恰好かも知れない」と評価したのをマリスは見逃さなかった。
 自分はそのように誉めて貰えないと悔しがるものの、彼女はまず全身が映る鏡の前にでも立つべきだろう。
腹を立てるのは、その後でも良い筈だ。

「マリス殿、最早我慢出来ると思うたときには何時でも申し付けてくだされ。快癒までの間、それがしが背負って参ろう。
なに、女性(にょしょう)のひとりやふたり、苦にもなるまいて」
「い、いえ、それはちょっと……」
「これはしたり。背負うには甲冑が邪魔でござったな」
「そう言う問題ではなくてですね――」

 守孝の気遣いは確かに在り難いのだが、マリスとしては背に負われることだけはどうして避けたい。
「恥らいは一時のこと。具合を悪くしてはもっと良くありませんよ」とタスクにまで促されたものの、
これは外聞の問題ではないのだ。ジャーメインの手前、アルフレッドに弱った姿を見せるわけにはいかなかった。
 今のマリスに出来ることと言えば、一刻も早く整備された道へ辿り着くよう祈るだけである。


 余程、熱心な祈念であったのだろう。間もなく一行は鬱蒼とした森を抜け切って開けた場所に出た。
 一本の道である。脇には大きな川が流れており、これを上流へと遡っていけば、いずれは居住区に行き着く筈だ。
人は水の在る場所に生活の拠点を求めるものである。その立地を踏まえると、正しくは森に沿った脇道と言うべきかも知れない。
 遮る木立(もの)がなくなったので、山地の様子も手に取るように判る。
 山中では何やら赤い布が風に靡いているが、これはおそらくギルガメシュの軍旗であろう。
 すかさずヒューは探偵稼業に使っている小型双眼鏡を取り出し、赤い布の正体を探っていく。
名探偵は高所にギルガメシュの駐屯地があることをも確認していった。
 どうやらギルガメシュはこの地に建てられた宿泊用のバンガローを基地として利用しているようだ。
敷地内には突貫工事で作られたと思しき物見の塔が屹立し、そこから見下ろせる空間には戦闘車両も停められている。
 川に面した場所へ隣接しているのは焼却炉かも知れない。一際大きい建物の天井からは立派な煙突が張り出していた。

「……はあ? なんだ、ありゃあ?」

 バンガローの内部を窺っていたヒューは、そこに特徴的な髪型の男を見つけて素っ頓狂な声を上げた。
 頭髪が勢いよく前方に迫り出しており、その様は一本の角のように見えなくもない。
ここまで自己主張の激しいリーゼント頭の人間をヒューは世界中でたったひとりしか知らなかった。

「おい、馬の骨。おめーのマブダチ、もしかしてワーズワースに来てるなんてことはねーよな? あのトサカのアンちゃんだよ」
「……サムのことですか? 別にあんなヤツ、親友じゃないですけど――それはともかく、オレには何の連絡も来てませんよ。
今更、あいつがギルガメシュに入るってことも有り得ません」
「だよ……なぁ……」
「もしかして、そっくりさんでも見つけました? サムはやたらと鼻が利くし、根っからのビビリなんで、
こんなに危ない場所には寄り付かない筈ですよ。今はアイルも一緒だし、余計に無謀な真似はしないんじゃないかな」
「そうか、……そりゃそうだ。アイルちゃんも居なきゃおかしいわな。やっぱり他人の空似か……」

 念の為にニコラスへ真偽を尋ねてみたが、彼にもダイナソーの消息は掴めておらず、
件の人影も窓から離れてしまったので確証を得ることは叶わなかった。

「今まで意識してなかったけど、これも立派な職業病かねぇ。なんでもかんでも疑り深くなっちまって困るぜ」
「単に性格の問題ではありませんか? ヒューさんは性根から何から面白いくらい歪んでいますからね。
レイチェルさんに後ろめたいこともたくさんあるようですし、それで周りにビクビクしているんでしょう」
「おめーに性格の捻れをホザく資格なんかねーだろ、セフィッ!」

 独特な髪型が妙に引っかかるものの、とりあえず目の錯覚として結論付けたヒューは、
自分の役目も終わりとばかりに小型双眼鏡を片付けた。

「何やねん、ごっつい駐屯地があるんかいな。ほんなら、ワイらが出しゃばらんでも良かったんとちゃう?」

 ローガンが首を捻るのは尤もだが、正式に依頼を引き受けた以上はコールタンが望むように役目を完遂するしかあるまい。
例え、物見の塔の警戒を掻い潜っても、だ。

「コールタンはギルガメシュの現状を憂えているそうだ。あいつからして見れば、仲間が一番信用出来ないんだろう。
……幹部ひとりに好き放題させているんだ。ギルガメシュも底が知れると言うものだ」

 ひとしきりギルガメシュを嘲った後、アルフレッドは川に沿って上流を目指そうと改めて提案した。
森の中を彷徨うばかりでは目ぼしい情報も掴めはしないと判断したのである。
 なるべくなら自分たちの存在を難民たちに知られたくないものの、それだけでは出来ることに限りがあった。
迅速にコールタンの期待へ応えるためにも、危険を承知で積極的に難民から話を訊こうというわけだ。
 川の向こう岸も森で覆われているが、木立の間隙からは確かに白い煙が立ち上っていた。
誰かが火を熾している何よりの証拠であり、更には難民のキャンプ地が近いことも意味している。
 フィーナたちがそこに滞在しているのかは不明だが、一先ずの目的地は決まった。
この川の流れこそがアルフレッドたちを目指すべき場所へ導くことだろう。

 それにしても辺りに垂れ込める異臭は何だろう――今にも嗅覚がおかしくなりそうだと、
ジャーメインはハンカチでもって自身の口と鼻を覆っている。
 見れば、ギルガメシュの駐屯地に所在する長い煙突から黒煙が吐き出されているではないか。
何を焼却しているのかは判らないが、中空にてとぐろを巻く程の凄まじい量である。
 一行のもとにまで臭いが届く頃にはだいぶ拡散されて色も薄まっているが、
焼却施設から離れていないような地域は日照すら遮られるのではないだろうか。
 そして、そこまでの排煙が人体に害を及ぼさない筈もない。

「……肺や喉をやられちゃうわよ、あんなの……」

 ジャーメインは本気で心配になってきたようだ。我知らずハンカチを握る手に力が込められていた。
 吐き出されるのが単なる煙であれば、アルフレッドは様子を見るだけに留めておきたかったものの、
ネイサンの行動がそれを許してはくれなかった。
 リサイクル業者の社長は、排煙を見た途端に血相を変え、有価物の納めてあるバッグから試験管や薬品を取り出すと、
これらを駆使して川の水質調査を始めたのである。
 その様を目の当たりにしたアルフレッドは、ワーズワースに起こりつつあるもうひとつの異変に気付き始めていた。
それはグリーニャを故郷に持つ者にとって看過し得ない事柄である。
 川から汲み上げた水と薬品とを試験管の中で混ぜ、そこに生じる変化を注視していたネイサンは、
やがて無念そうに項垂れ、次いでアルフレッドに向かって首を横に振った。

「……やっぱりそうだよ。川まで汚されてる……」
「……念の為に確認するが、グリーニャのときとは――」
「いや、これはスマウグ総業よりタチが悪いよ。毒を吐き出してるのはルーインドサピエンスの廃棄物だけじゃない。
……多分、上流から廃油とか垂れ流してるよ」
「自然の宝庫だろうが、何だろうが、お構いなしと言うことか……」

 ふたりが初めて出会ったときにも、ネイサンは水質汚染を調べていた。
 当時のグリーニャは、悪徳な廃棄物処理業者、スマウグ総業の手によって自然環境が著しく冒されていた。
アルフレッドの親友であるクラップは、この事態を憂慮してネイサンに実態の調査を依頼したのである。
 リサイクル業――本人は有価物ソムリエを自称しているが――を営む彼は、水質汚染などの検査も一通りこなせるのだ。
 グリーニャのときと同じ検査を行ったネイサンは、「異世界ならいくら汚しても平気ってことかよ」と忌々しげに言い捨てた。
 ワーズワースの環境汚染は河川にまで及んでいる。しかし、それは郊外に投棄されたルーインドサピエンスの廃棄物だけが
原因ではない。有害物質の発生源は他にも有る。
 ネイサンの説明によると、グリーニャに於ける検査とは薬品の反応が明らかに異なっているそうだ。
そして、グリーニャの土壌汚染は、スマウグ総業が持ち込んだルーインドサピエンスの廃棄物が主たる原因である。
 ワーズワースの自然を急速に蝕む犯人は他ならぬ現代人――上流付近に駐屯所を構えるギルガメシュであった。
廃油の垂れ流しだけでなく、焼却炉からも良からぬ物質が染み出しているのだろうとネイサンは付け加えた。
 在りし日の故郷を想い出し、アルフレッドの表情は一気に険しくなった。

「アルちゃん……」
「お、おい、大丈夫かよ? 急に黙っちまって、どうした?」

 沈黙するアルフレッドをマリスとニコラスが心配するが、彼の耳にふたりの声は届いていないだろう。

(滑稽なことだ。ギルガメシュもスマウグ総業も……。腐り切った連中は、どこの世界も一緒かよ)

 これから先も協力関係を持続していくだろうコールタンや、モニターに移りこんでいた旧友――
ボルシュグラーブの気質まで否定したくはないが、ギルガメシュ全体には、やはりモラルの腐敗と言うものが付き纏うのだ。
 それは武力に物を言わせる強行的な手段に限った話ではない。
 Bのエンディニオンに対する宣戦布告、あるいは仮面を脱いだ勝利宣言の折、
カレドヴールフは組織の理想を朗々と並べ立てていた。聴きようによっては高潔な理想を、だ。
 しかし、その意志は末端の兵士にまで行き届いているのだろうか――
アルフレッドにはギルガメシュの全ての兵士が理想の為に戦っているとは思えなくなっていた。
 高潔な理想を携えた者が、人間として最低限のモラルから逸脱するわけがない。
モラルの崩壊は、自らの理想を貶めることに等しいのだ。

「水質が汚されていることは分かったけど、臭いはちょっと違うかなぁ。これ、廃棄物以外の悪臭も混ざってるような気がするよ」

 肺一杯に空気を吸い込んだネイサンは、何か吟味でもするかのよう首を捻り、唸り続けている。

「嗅ぎ分けられるのか?」
「ダテにリサイクル業者はやってないさ。重油やヘドロの臭いだって僕は一発で分かるよ。
こう言うのは身体に良くないって、トリーシャに叱られるけど……」
「重油とヘドロの臭いは全然違うと思うが……」
「ただね、この辺りの臭いはケミカルなものだけじゃない。それとは違う、もっとこう、生ゴミに近いような――」
「――死臭かも知れませんね」

 ネイサンの言葉を継いだのはセフィである。依然として赤色のエクステが双眸を覆い隠しており、
表情の全てを読み取ることは難しいのだが、その口元は間違いなく歪んでいた。そこに苦悶が表れていた。
 特異な“前歴”の持ち主であるセフィも、ネイサンと同じく臭いの種類を嗅ぎ分けられるようだ。
そして、彼の“鼻”は死臭にこそ強く反応したらしい。
 ヒューもふたりに倣って臭いの分析を図り、やがて眉間に皺を寄せ、アルフレッドへと深く首肯して見せた。
優れた嗅覚の持ち主たちが揃って怪異を訴えたからには、死臭が垂れ込めていると見て間違いあるまい。
 有害物質による汚染も大きな問題だが、死臭を確認したとなると話は変わってくる。
それは銃器流入問題と直接結びつくものでもあるからだ。

(まさかと思うが、もう殺し合いが始まっているのか? ……いや、性急か? ギルガメシュが駐屯地を構えているんだ。
そんな暴挙はすぐにコールタンの耳に入る筈。ならば――)

 背筋を走った悪寒に衝き動かされるように、アルフレッドはヒューとセフィに異臭の発生源を詳しく調べるよう頼んだ。

「畏まりました」
「こっちにフツがいたらもっとラクなんだけどよ。ま、ここはテロリスト崩れで手ぇ打ってやるかね」
「戻る頃には死臭の発生源が一体増えているかも知れませんが、そこのところは了承してくださいね、アル君」
「殺人予告かよッ!」
「今、その冗談はキツ過ぎるから、出来れば自重してくれ、セフィ……」

 死臭を漂わせるものが予想通りであった場合、それは考えられる中でも最悪の事態である。
ヒューとセフィを送り出しつつも、己の不安が杞憂に終わることを祈らずにはいられなかった。


 ふたりと別れたアルフレッド一行は、再び川沿いを遡り始めた。
 暫く歩いたところで広い街道に突き当たり、川を跨いで石の橋が架けられている。
整備もされずに放置されている為、各部に破損も見られるが、その程度では絶対に崩落しない立派な造りである。
 観光ガイドで得た程度の知識しか持ち合わせていないが、
これこそがワーズワース随一の名所、『ストーンブリッジ』であるとマリスは記憶していた。
 街道に立ち、ストーンブリッジと反対の方角に目を凝らすと、
そこにはフィーナからメールにて送られてきた写真と同じ光景が広がっている。
土壌の汚染によって自然環境が徹底的に冒され、荒地と化した区域だ。
 このような破壊の主原因がルーインドサピエンスの廃棄物であった。
 奥まった場所には悲惨としか例え方の見つからないテントが散見される。
そこに暮らす人々こそがフィーナたちの接触した難民なのでろう。

(労働者階級のエリアとフィーは言っていたが、……どう言う意味だ?)

 興味を引かれないと言えば嘘になるが、今はそちらに気を取られているときではなかった。
ワーズワース西部に所在しているだろう別のキャンプ地点を探るのが後発隊の役割であると心得ている。

 アルフレッドたち後発隊が初めて難民を発見したのは、ストーンブリッジを渡り切り、
ギルガメシュの検問所に差し掛かったときである。
 「余所者を警戒しておろう。我らに寄り付いてこないのでは……」と守孝は心配していたが、
逆に難民のほうが一行を目敏く発見し、足早に群がってきた程だ。
 事前の情報通り、相当に餓えているのだろう。彼らは口々に食料や物資の提供を求めている。

(――迂闊ッ! こんなところで騒がれでもしたら……ッ!)

 咄嗟に検問所を窺うアルフレッドだったが、詰め所の兵士は高いびきで熟睡している。
これでは見張りの役目を放棄しているようなものだ。
 しかも、だ。どれだけ難民たちが騒いでも、兵士には起きようとする素振りすら見られない。
赤みの差した顔を見る限り、アルコールが入っている可能性も捨て切れなかった。
 アルフレッドとしては助かったが、しかし、敵ながら余りに無用心と思わなくもない。
軍事上、極めて重要な検問所で居眠りをするなど、厳罰は免れない大失態である。
 その様は軍律の乱れを象徴するものであった。
 二重のフェンスによって難民の居住区と駐屯地を隔絶しているが、
検問所を護る兵士がこの有様では正面突破も容易に違いない。

「……なんか妙じゃねーか?」
「お前も気付いたか……」

 そうアルフレッドに耳打ちしてきたのはニコラスである。
 彼の言わんとしていることはアルフレッドにも分かっていた。
自分たちを取り囲む難民の身なりにふたりは違和感を覚えているのだ。
 フィーナから送られてきたメールによると、難民たちは着衣にも事欠く状況とのことであった――が、
自分たちに群がる者たちはどうか。多少の汚れこそ見られるものの、人間らしい暮らしを送っていることは十分に想像出来る。
 出で立ち以上に不思議なのは栄養状態だ。餓えや渇きから食料を求める気持ちは分かるが、
さりとて痩せこけたような者はどこにも見られない。この点もフィーナから送られてきた報告とは異なっていた。
 フィーナが目の当たりにした難民とは、今日明日の食料にも困窮する人々であった筈だ。

「――ラス、労働者階級がどう言う意味か、分かるか? フィーのメールにもあったことだが……」
「オレたちみたいに働いてる人間と貴族連中を分けて呼んでるんだろうけど、……オレもそこがわからねぇんだ。
貴族なんて身分はとっくの昔に崩壊してるんだぜ? 今じゃ働かざるもの食うべからずって世界だ」
「成る程、特権階級のようなものか。この階級の人間は労働者に圧政でも布いているのか?」
「こんなことをするのは教皇庁くらいなもんだよ。それも一部のアタマが固い連中がな。
今じゃ教皇庁の中でも時代遅れって見なされてるんだぜ? 大体、人間同士で序列を作るなんざおかしな話なんだよ」
「それにも関わらず、ハブールの人たちは過去の序列を守っている? ……バカな、自分で自分の首を絞めるようなものだ」

 難民が作った輪から静かに離れ、アルフレッドとニコラスは小声で話し合う。
拭い難い違和感にふたりは首を傾げるばかりであった。
 一方の守孝は大弱りである。生来の人の好さから難民たちを押し退けることも出来ないでいるのだ。
困窮する人々を助けたいと人情も疼き始めている。

「はてさて、如何したら良いでござろう?」
「どないする言うても無いモンは無いんやし、ここはゴタゴタにならん内に逃げるべきやないか?」

 現状の調査へ着手するにしても、先ずは食料を手渡すなりして難民たちを落ち着かせてからでないと無理そうだ。
 ところが、彼らはほとんど手ぶらでやって来ている。即ち、「無い袖は振れない」と言うことである。
 自分たちが食料を持っていないと知られたら難民の怒りを買うかも知れない。
そうなってしまえば協力などしてもらえない――と守孝は考え込み、
ローガンはローガンで厄介な状態になるのを危惧してこの場を去ろうとしていた。
 ここれアルフレッドが一計を案じた。仲間たちに向かって「悪いが我慢してくれ」と言うと、
自分たちの食料として用意しておいた缶詰や干し肉を難民たちに差し出したのである。

「ええんか? ワイらの食いモンやろ?」

 少しばかり戸惑うローガンを制して、アルフレッドはいかにも難民の味方だと振舞った。

「少なくてすまないが、これは俺たちからの援助物資だ。大事に食べてくれ」

 比較的少人数だったことも幸いし、わずかながらの食糧でも一人頭ではそこそこの量になった。
 この機転によって気を良くしたワーズワースの難民は、アルフレッドたち一行を快く迎え入れた。
 中には食料を恵んでくれたアルフレッドに対して拝む者までいる。

「思いのほか簡単に人の心を掴むとは。……されど弱みに付け込んだような気もするでござるな」
「俺としてもこういうやり方は本意ではないがな」

 効果は覿面だが、あまり良い手段とはいえないとアルフレッドも守孝も思っている。
 だが、こうでもしなければ疲弊している難民たちの心を捉えることができなかったであろうこともまた事実。
難民たちが置かれている現実を思うと、アルフレッドは少々気が重たかった。
 そんな心持ちではあったが、この行ないで事態はさらに好転し続け、
幸運な事に難民たちのリーダー格であるトゥウェイン・フォテーリという人物に面会をすることを許された。
 コールタンからの依頼を果たすためにも、彼からワーズワースについて詳しく知る必要があった一行は、
色々な思いを抱えながら、面談に赴くこととした。


 リーダーのトゥウェイン――と言うか、ワーズワース西部に居住する難民たちの暮らしは、
労働階級の人々とは余りにも掛け離れていた。
 彼らが使うテントは非常に頑強なもので、ボロ布の継ぎ接ぎでしかない労働階級の物とは天と地程の差がある。
 どうやら妻帯者にはプレハブ小屋が住居として宛がわれているらしい。
 これらは全てギルガメシュからの支給品であろうが、おそらく労働階級には何ひとつ渡ってはいない筈である。
そのような連携があったならば、フィーナが報告してきたような窮状には陥らなかったに違いない。
 物資の有無ではなく、相互に助け合わんとする心の問題であった。
 西部の居住区へ向かう道すがら、ニコラスはアルフレッドに貴族制度のあらましを説明していった。
曰く、古来の特権を振り翳して労働者からカネやモノを搾取する小悪党ども――
些か私憤混じりであったが、それもあながち間違いではなさそうだとアルフレッドは考えている。

(身の保障がない今、特権を武器にするのか。……他に縋り付く物がないとしても愚かなことだ)

 トゥウェイン・フォテーリ――ハブールに於ける特権階級の象徴は、公園の管理棟であったと思しきロッジに入居していた。
言わずもがな、このワーズワース難民キャンプでギルガメシュの次に良好な環境を住まいとしている。
 側近と名乗る男に案内されてロッジに入った一行は、先ずトゥウェインの注視をひとりずつ浴びることとなった。
リーダー格だけに注意深く、外部より訪れた人間に対しても慎重であるようだ。
 本当に信頼出来るか否かを見定めるまでの間、トゥウェインは一言として声を発しなかった。
 頭の頂点から足の先まで舐(ねぶ)るように視線を這わせていったのはマリスである。
時折、タスクにも目を転じていたが、こちらの“観察”にはそれほど長い時間を掛けなかった。
 生理的な嫌悪感を覚えたジャーメインは、「セクハラじゃないっすか」とマリスとタスクを庇ったが、
トゥウェイン当人は豊満な肉体に下劣な欲を出したわけではない。
 彼が注目していたのは、マリスの身に着ける高価なドレスや装飾品であった。

(……この男、まさか……!)

 トゥウェインの意図に気付いたアルフレッドは、ジャーメインとは別の意味で嫌悪感に見舞われた。
 この男は豪奢な身なりのマリスに自分たちと同じ特権階級の存在を見出したのだ。
おそらくは「話の通じる人間を見つけた」と安堵したに違いない。
 成る程、タスクはマリスの従者である。そのように誤解する条件も整ってはいる。
あるいは、アルフレッドたちまでマリスの召使と認識されているのかも知れない。
甲冑姿の守孝は、さしずめ身辺警護の雇い兵と言うわけだ。
 確かにマリスは名家の令嬢である。だが、Bのエンディニオンには階級制度など存在していない。
それにも関わらず、身勝手な妄想を押し付けるなどマリスに対する一番の侮辱であろう。

「ご承知の通り、我々は異なるエンディニオンの人間同士です。それでも、このように言葉を交わし、縁を深めることも出来ます。
……ただ、お互いの世界で“常識”だったことが必ずしも通じるわけではなく、
もしかすると失礼なことを申し上げるかも知れませんが、ご理解とご容赦をお願い致します」

 思い違いに釘を刺す意味も込めて、アルフレッドはそのように前置きを述べた。
 “常識”の部分を強調したのは遠まわしの戒めのつもりだったが、当のトゥウェインは少しも気にしていない様子だ。
「さあどうぞ、ゆっくりと寛いで下さい」と気さくな調子で一同にソファへの着座を勧めていく。
 一度でも心を開くと、とことん友好的になる性格らしいが、対するアルフレッドはその真逆だ。
裏表の激しいトゥウェインへ不快感を一層強めていった。

「――差し支えなければ、ワーズワースの現状を話してはくれませんか? 
俺たちはそれを知るためにやって来た。まだ分からないところも多いのです。
あなたのような難民たちのまとめ役に出会えたのは幸運だ。分かる範囲でいいので教えてください」

 アルフレッドはジョゼフのように身分を偽るのではなく、あくまで個人的な正義感からワーズワースを訪ねたのだと称した。

「現状、ですか……見ての通りの酷い有様ですよ。人々は今日の食にも事欠き、日に日に弱っていっております。
そのような状態では病への抵抗力を失った者も多く、次々に命を落としていっています」

 「今日の食にも事欠き」と哀訴する本人は、周りと比べて随分と恰幅が良いようにも見えるのだが、
そのことについては敢えて誰も指摘をしなかった。

「食料が無いというのは話で聞いて、実際に調べてみて分かったつもりではあります。話に聞いている配給では足りないと?」
「そうと言えばそうなのですが……」

 心底より湧き起こる嫌悪感も手伝い、強硬的に詰め寄っていくアルフレッドに対して、トゥウェインは伏し目がちに言葉を濁した。
 多くを語ろうとはしなかったが、それでもアルフレッドの熱心な語りかけに影響されて話そうという気になったのか、
彼は少し間をおいてから重い口を開いた。
 ワーズワースは他の難民キャンプと同様に――とはいっても確認しようとするなら時間と労力が必要になるのだが――、
月に数回、都合の悪いことに決まった曜日や日にちではなく、
不定期にギルガメシュによる配給が行なわれているとこのことである。
 しかし、そこで得られる食糧は微々たる物であり、よほど量を切り詰めて食べていかなければ
次回の配給まで食いつないでいけるものでは無い。
 有り体に言うのならば餓死しない程度なのだとか。それでは満足な栄養補給などは、どう考えても望むべくも無い話である。
 さらには、そんな少ない配給でさえ受け取るには条件が必要との事。
ギルガメシュが与える「配給承認証」を所有していない者は、その少ない物資すら受け取る権利は無いのである。
 原則的に家庭を持つ者だけに与えられるという配給承認証は、扶養義務の無い独身者の手に渡ることは無い。
 独り身の人間は、自らを守ることが責務であり、
生きていきたいなら各々が独力で以って耕作なり狩猟なりで食いつないでいくべし――というギルガメシュからのお達しらしい。

「困難な状況でも生きていくためのハングリー精神を養うための政策、とギルガメシュは発表しておりますが……」
「そちらのように配給許可を得ている者ですらこの有様なのだから、その話も上辺だけ、だと?」
「まったくその通りでございますよ」

 アルフレッドが想像していた以上に実状は酷いものであった。
 身寄りの無い老人であろうとも、両親をなくしてしまったような幼い子どもであっても、
配給を行なうギルガメシュの係に有無を言わさず独身のカテゴリーで括られてしまう。
上記のような者のような、自力救済が困難な弱者であろうとも、なのだ。
 厳正に審査を行なっている、というのがギルガメシュ側の弁なのだそうだが、
その言葉をまともに受け取ったとしても、そのやり方はあまりにも杜撰である。
 それに、この地は狩猟も耕作もほとんどできない。土壌も水も汚染されているのだから当然と言えば当然だ。
 にも関わらず、ハングリー精神を養う政策など、現地の難民からしたら怒りを通り越して呆れてしまう主張だ。
 おそらくは他の難民キャンプで行なわれている配給も同じようなものだろう。
その場所その場所の事情も考慮しないおざなりな政策なのだろうか。

「ムチャクチャな話やないか!」
「やはりそう思われるでしょう? ギルガメシュは口先だけでは立派な事を言いながらも、
同胞である我々の危機にもろくに対処していないのです。きっと我々を面倒に思って見殺しにするつもりなのでしょう」

 ギルガメシュへの不信感を口にしてから、トゥウェインは頭を抱えて黙りこくった。
 現状に打ちひしがれているのだろう彼の沈黙と共に、室内には重苦しい空気が立ち込める。
ギルガメシュのやり方に呆れすら覚えるアルフレッドと、嘆き続けるトゥウェイン。
 その空気を打ち破るように――

「お話はお聞きしました。大変な状況だとは理解しているつもりです。
ですが、あなたたちはそれでも配給を受けているのでしょう? 
それならば悲しむ前に自分たちの食料を分けるべきではないでしょうか? 
同胞とおっしゃるのならば、我関せずというのはいかがなものかと思われます。
あなたは代表者なのでしょう? 本当に同胞のことを思うのなら、分かち合いこそ訴えるべきではありませんか?」

 ――と、マリスは黙っていられない、という様子でトゥウェインに詰め寄る。
 ギルガメシュのもとでは貴族階級の中にも待遇に格差があることは分かった。
しかし、それでも労働階級より遥かに恵まれている筈なのだ。
 「得られる食糧は微々たる物」とは言うが、その話すら真実かどうか分かったものではない。
本当に微々たる量しか支給されないとしたら、豊かな体型をどうやって維持していると言うのだろうか。
 リーダーの特権を利用することで他の人間より多くの食料を確保しているのではないか――
マリスもマリスでトゥウェインのことを信用出来なくなっている。
 初めて序列、即ち、人間的扱いの格差に晒されたとき、愚かな悪習を改めて労働階級に手を差し伸べたことも出来た筈だ。
 この問いかけに対して、トゥウェインは至って冷淡であった。

「そちらの言い分も尤もですが、しかし、他者を助けるための余力などは私どもにはあるはずもございません。
誰かを救おうとしようものなら、こちらの身が保ちませんから」

 ――と、自分たちのほうにも余裕などが全く無い事を彼女たちにアピールし続けるばかりであった。
 貴族階級が何ひとつ乗り越えられなかったことを、この態度こそが如実に物語っている。

(苦しいことを逆手にとって、助け合いの精神を持たず、ただ不満を口にするだけなど――)

 トゥウェインにそのような思いを抱きながらも、
決してそれが責めきれるほどの行為であるとは言えないことも理解しているつもりのマリスは、
口から出かかる言葉を呑み込んだが、やりきれない思いは胸の奥底に痞えたままであった。
 複雑な表情を浮かべている彼女の気持ちを推し量って、

「マリス様のお考えはごもっともです。しかし自分の身を守れない者が他人を守ることができるでしょうか。
やさしさが常に正しいというわけではないのが、現実の辛いところなのです」

 ――と、タスクがそっと耳打ちをした。
 その言葉に完全に得心がいったわけではなったが、マリスはこれ以上トゥウェインに何か言うわけでもなく、
静かに、否、冷ややかに彼を見つめていた。




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