1.ファラ王はまだか?


 ワーズワースの一角は厳かな雰囲気に包まれていた。
 労働者階級の者たちが住んでいる区画では、スコットやロレインと言った面々が次々に集まってくる。
数時間前――ギルガメシュ兵の手によって無残に殺されたポールの葬儀が、
この状況下ではあるからささやかではあるものの、捕り行なわれていたのであった。
 列席した者たちは、当然、喪服など着用しておらず、着の身着のままの薄汚れた装いだ。
 葬儀を取り仕切っている神官風の男も、祭礼用であろうローブは身に着けているものの、
袖や裾はすっかり擦り切れていて、所々には土や草木の液の色が染みついている。
その様からわかるように、今となっては普段着として使われている物なのである。
 燭台に灯すロウソクもなく、形だけでも整えようと言うことなのか、居住区のあちこちで手に入る廃油を更に注ぎ、
それに火を点けて代用している。そのせいか周囲には鼻を突くような異臭が漂っていた。
 ありあわせの布で包まれたポールの遺骸――その前では老齢の神官が火を掲げながら、
「全能なるイシュタルに捧ぐ。あなたの忠実なしもべにして敬虔な信徒であるポールの魂に安らぎを与えたまえ」と、
信仰の対象たる創造女神に言葉を捧げた後、死者を弔う聖なる句を唱え、
無念にも異郷で散ってしまったポールの冥福を祈った。
 尤も、ポールの遺体そのものはここにはない。ギルガメシュ兵の駐屯地の近くに放置されたままなのだ。
 遺体を引き取ろうにも彼が殺された場所には立ち入り出来ない。もしも入ろうものならポールと同じ運命をたどってしまうだろう。
 更に悪いことに、ギルガメシュ兵は難民たちがいくら頼んでもポールの遺体を引き渡そうともしない――と言うよりは、
最初から彼らの話など聞いてもいないようであった。
 それゆえに、彼が生前仕事で愛用していた裁ちバサミや針や糸を布で包み、遺骸に見立てていたのであった。

「こんな所に来なければあいつは今でも腕のいい職人だったろうに」
「酷い仕打ちをしてきたギルガメシュを頼ろうとするなんて、あいつも限界だったのか」

 ポールの不幸を嘆く声があちこちで上がった。
 それとは別に、「ギルガメシュはオレたちを虫ケラ以下にしか思っていなかった」だとか、
「所詮我々はその程度の存在でしかないのか」などという声が、
ポールと同じようにギルガメシュ兵へ志願しようとしていた若者たちから上がっていた。
 微かな期待を打ち砕かれ、絶望に叩き落された彼らは怒りも露わ。
望みが絶たれた分、今まで積もりに積もってきたギルガメシュへの不満が一気に噴き出してきたのだ。

「控えろ、みんな。今はポールが安らかに眠れるよう祈るんだ」

 リーダー格であるアバーラインが諌めようとも、怨嗟の声が収まる気配はない。
 神官の厳かな詠唱と労働者たちの嘆き、悲しみ、憎悪、憤怒――様々なものが入り混じりながら行なわれたポールの葬儀を
スコットは遠巻きに眺めていた。
 最初こそ憤怒を滲ませていたものの、「オレたちは虫ケラ以下の存在だ」と言う誰かの声を耳にした瞬間、
面から一切の感情が失せ、やがていつもの諦念が振り戻され、「……バカバカしい」と、自嘲に鼻を鳴らした。

(……よくやるよ……)

 神官やアバーラインを見回しつつ心中にて皮肉っぽく呟くと、スコットは葬儀の場から姿を消した。





 難民キャンプを襲った悲劇より時間(とき)を少し巻き戻すことになるのだが――
グドゥーの“王宮”などとファラ王が称するジプシアン・フードの本社、その社長室にてファラ王当人が電話を受けていた。
 電話の相手はジョゼフである。精巧な銀細工があしらわれた、無駄に贅を尽くした電話機をアポピスが運んでくる。
何やらよからぬことの前触れでは、と察しの良いアポピスは不安げな様子であるが、ファラ王は気にもしないようである。

「朕と双璧をなすエンディニオンの偉大なリーダーのルナゲイト翁が何用ぞ?」
「とぼける必要はあるまい。先ほどメールした食糧援助の話じゃよ」
「食糧とな? ――たしかにそのようなことを申された気がするが」
「引っかかる言い方じゃのう。嫌なら嫌と言えばよかろう。断った結果がどうなるかは分かったものではないが。
ともかく、ワシは別に強制をする気はない。単なる取引の話じゃ」
「おっほっほ、剣呑、剣呑。この朕を脅すと申すか。そうまで言われては取引に応じずにはいられぬが」
「いちいち勿体ぶった言い方じゃの。言いたいことがあるのなら言えばよかろう」
「さてさて、『魚心あれば水心』という諺を知っておろう?」
「食糧援助の代わりに何か交換条件があると言うわけじゃな。
ついでに言うと、その言葉を敢えて選ぶからには水に関係しておる何かを所望しているわけであろう」
「さすがご老体、察しがよくて朕が説明出来ずに悲しいことよ。このグドゥー、何が足りないかといえば水であるよ」
「飲み水を確保する為の溜め池か、人口湖が必要と言いたいわけか。
やって出来ぬことはないが、偉大な指導者を自称するくせに自分の支配地の問題点も解消しておらんのは困りものじゃな」
「そう言われると、少々耳が痛いことであるが、何せ朕は政(まつりごと)に親しむ性分ではないわけぞ。
主君たる者、人々との交わりが肝心であるからして、面倒なことは家内に任せておるからの」
「“王”を僭称する者が聞いて呆れたものじゃわい。……ふん、まあよいわ、手配してやろう。
普段、政務をこなさないおヌシが民のために一肌脱いで水を確保したとなれば、ますます王の威厳も上がるじゃろう」
「ほほう、朕の威厳が上がるとな?」
「左様。『我々のために働いてくれる。なんて出来た王だ』という具合に民の覚えもめでたくなろう」
「――ふッふ〜ん、そう考えると悪い話ではないのう。ならば取引は成立ぞ。食糧ならそちらが申した分だけ与えよう」
「うむ、なればさっそく準備にかかることじゃ」

 お互いに距離をとった会話ではあったが、とにかくジョゼフはファラ王から食糧援助を確約させた。
 交換条件を与えたとは言え、ジョゼフに上手い具合に乗せられた感のあるファラ王であるが、
実際はわざと話に乗った可能性もあるし、本当におだてられて調子に乗った可能性もある。
 なにしろ彼の腹の中は、トラウムであるアポピスですら理解出来ないほどしっちゃかめっちゃかであるのだから。

「我が主よ、このような重要なことを一存で決められてよろしいのか?」
「なになに、この世の物は全て回り回って朕の物であるぞ。なれば朕がいかようにしようとも何も問題あるまい」
「なんとダメな人だ……」

 これが厄介事に発展してしまうのでは――と心配そうなアポピスに対し、どこまでも能天気なファラ王。
もしも自分がトラウムでなければ、今すぐにでも出奔しているかも知れないと思いつめるほど、アポピスの苦悩は激しかった。


 お気楽なファラ王が、彼曰く「ご老体と戯れていた」ときに、実はグドゥー地方はギルガメシュの侵攻にさらされていた。
 連合軍を降伏させた後も、ギルガメシュは各地に軍隊を展開して勢力拡大を目論んでいるのだ。
グドゥーも数多ある標的のひとつである。
 先の大戦にて連合軍として戦ったグドゥーを制圧することで、今後の反乱の芽を摘むとともに、
「ギルガメシュに反抗したものは叩かれるのだ」と言うことを世間に示す――それが大方の理由である。
 クリッター軍団を率いて攻め込むのは、ギルガメシュ有数のクリッターテイマーであるアサイミーだ。
大軍で以て侵攻すれば統一されて間もないグドゥーなどは簡単に落ちる、という算段だったのだが――

「くっ、どうしてこのような辺境にこれほどの軍が!?」
「も、申し上げます、敵軍はさらに追加の戦力を投入した模様!」
「バカな、こんなことがあるはずがない!?」

 ――しかし、数での戦いであれば、ファラ王に代わってグドゥーを統率するクレオパトラも引けを取らない。
彼女のトラウム、『メニィメシャ・スゥントゥンフ』を最大限まで発動させれば、
数えるのも嫌になるほどの死兵――地中に埋まる残骸や泥濘などを組み上げた兵士である――が出現するのだ。
 一体一体の戦闘力ではギルガメシュのクリッター側に分があると仮定しても、
死兵はトラウムであるからしてクレオパトラの意志のもとで一糸乱れぬ動きが発揮出来る。
 アサイミーとて名うてのクリッター使いではあるが、さすがにトラウムと同様に動かせるまでには至らない。
 劣勢を突きつけられたアサイミーは「おのれ、おのれ、おのれ」と苛立ちを隠せない。
大声を張り上げて指揮するものの、彼女のクリッターたちは死兵部隊にてこずり、すっかり足止めされてしまう。

「うっとりしてしまうくらい素晴らしい力だ。今後のためにもぜひ研究材料にしたいところだな」

 プロフェッサーとバイオグリーンもクレオパトラと共に出陣している。
 戦闘中でありながら、余計なことを考えるプロフェッサーであるが、しかし、戦闘力は目を見張るものがある。
「こんなこともあろうことかと」とでも言いたげに、兼ねてよりクリッターと戦うことを想定して開発中だった新武器を投入。
対クリッター機能に特化した特殊振動ブレードで群がる化け物どもを次から次へと切り刻む。
 クリッターを構成する物質の固有の分子振動を適切に把握し、
それを切るに適当な振動のパターンをコンピュータ制御で刃へ伝えることによって、
頑丈なクリッターの装甲であっても彼曰く「ステーキ肉を切るくらいの力」で切断出来ると言うのだ。
 年齢を感じさせないパワフルな動きでプロフェッサーがクリッターを切り裂いてゆく。
徐々に数を減らしてゆくクリッターたちは死兵によって一か所に押し込まれる。
 高所から見下ろし、陣頭指揮を執るクレオパトラが敵陣の様相を確認し、近侍していたバイオグリーンに掃討を指示する。
 「お任せあれ」と応じたバイオグリーンは、両腕を大きな動作でぐるぐると、あたかもヒーローが変身するときの動きのように動かし、
体全体から緑色のエネルギーを放出する。
 一見、ホウライの亜種のようなこのエネルギーであるが、性質は大いに異なる。

「……感じるぞ、超生命の波動を――バイオフレアーッ!」

 バイオグリーンの両手に蓄えられたエネルギーが、大きなかけ声と共に一塊になっていたクリッター軍団へと襲い掛かる。
緑の光を浴びたクリッターたちは、燃焼したり、爆発したりすることなく、勢いよく腐食していった。
 今の今までうなり声をあげていたクリッターの群れは、どれもこれもがボロボロと崩れ落ちていき、
あっという間にガラクタの山になり、その一部はすでに風化しつつある。
 これがバイオグリーンの言う「超生命の波動」なのであろう。

「おのれ! これで終わったと思わないことだ! 覚えておけッ!」

 ――と、どこかで聞いたような捨て台詞を残し、アサイミーは残っていた手勢を率いて退却していった。

「グリーン、君がバイオフラッシュを浴びせんでも、あの指揮官は最初(はな)から腐りきっていたようだな」
「どうでしょうね。恥も外聞もなく逃げの一手を打てるのは、ある意味、見事な根性だと思いますよ」

 プロフェッサーとバイオグリーンは圧勝に気を良くした様子だ。表には出さないものの、
上々の首尾にクレオパトラも満足げである。


 しかし、戦闘を終えて帰ってきた彼女たちを待ち構えていたものは、やけに上機嫌のファラ王であった。
それだけで良からぬ事態が起きたことをクレオパトラは悟り、
同道していたプロフェッサーとバイオグリーンは、「ああ、これは荒れる……」と心身を萎縮させた。

「……何があった?」
「お、奥方様…… いや、これには深い事情が――」

 恐る恐る事の顛末を主人に代わって告げるアポピス。これを聞くなり彼女はすっと目を細めてファラ王を見つめた。
 そして――

「なんでわたしまでこんな目に遭わなければならないんだ……」
「それはあれぞ。主人が道をあやまらぬようにストッパー役をなすもそちの務めぞ。
それができなかったから連帯責任という体で罰を与えられているわけよの」
「自分で言っていて空しくならないのか……」

 ――溜め池の予定地に人柱として縛りつけられたまま、首から上を残して埋められたファラ王と、とばっちりのアポピス。
 グドゥーの強烈な日光に何時間も充てられた結果、哀れ主従はすっかり干からびてしまった。

(生きるのが辛い……)

 トラウムであるゆえに主人と一蓮托生と言う理不尽さをアポピスは味わっていた。


 それが昨日の顛末――即ち、ダイジロウとテッドがクレオパトラの命を受けてグドゥーを出立する直前のことである。
 そのふたりは、現在、フィーナたち一行とワーズワースの郊外で人待ちをしていた。
丁度、労働階級の居住区とクリッターが出没する危険地帯との中間である。
 彼女たちが待ち侘びるのは、ファラ王――正確には彼が経営するジプシアン・フードより提供の確約された食糧である。
 グドゥー太守による自発的な難民援助という名目ではあるが、何と言うことはない、ジョゼフが上手く丸め込んだのだ。
 ファラ王のもとで身を寄せている筈のダイジロウとテッドがフィーナたちに同行するのは、
支援活動の開始に先立ってワーズワースの現状を調査する為である。
 ダイジロウはワーズワースの調査結果をメールで報告しており、
ファラ王――さすがにもう解放されているだろう――の決裁を待つばかりとなっていた。
中間報告の時点でも確かめたのだが、ジプシアン・フードは早くも行動を開始しており、
食糧を満載した船が海路でこちらに向かっているそうだ。
 決裁が降り次第、すぐさまに搬入を開始する手筈となっていた。
 つまり、フィーナたちが陣取っているのは、ジプシアン・フードのスタッフとの合流地点なのだ。
 念の為に目印としてジョゼフのトラウムを――デコトラの『オールド・ブラック・ジョー』を具現化してある。
この一帯は視界を遮るような木々も枯れて朽ちており、ただでさえ悪目立ちのするデコトラならば一瞬で発見出来るだろう。
 ファラ王へ報告のメールを送る際、ダイジロウは大型クリッターを避けるようにとも添えていた。
 もしも、クリッターが搬入を妨げてきたときには、一秒でも早くハブールの難民を救う為に
ダイジロウもテッドも手加減をしないつもりであった。多少、ワーズワースの地形が変わっても構わないとさえ思っている。
 だから、一行は待った。待って待って待ち続けた。ワーズワースが抱える問題を抜本的に解決したことにはなるまいが、
それでも、ここに暮らす難民たちの体力だけは必ずや回復させられるだろう。

「それでさあ、食糧を運んでくるといったって、一体全体、どうするんだい? 
ここって海からも結構離れてるじゃん。そこからはリアカーでも使うのかな。荷物だって少なくないだろ」
「ギルガメシュみてーに空からポンと放り投げるんじゃねーだろうな。そんなことしやがったら、
オイラぁ、あのおっさんに一発ブチかますぜ」

 寸暇こそ鍛錬を進める好機とばかりにトレーニングを済ませてきたシェインとジェイソンは、
脳裏に浮かんだ疑問をテッドに尋ねてみた。
 彼もまた少年ふたりやフツノミタマと共にトレーニングへ励んでいた。船上にてジェイソンと交わした約束を守ったのである。
お陰でジェイソンはテッドが得意とする柔道の妙技を身体で覚え、
「フライング・巴スルー・大車輪とか閃いちゃったもんね〜」と小躍りしていた。
 それはともかく、食糧を搬入する経路は甚だ不思議である。
シェインが想像した通り、リアカーなどに荷物を積載してワーズワースまで運び入れるのだとしたら、
それは凄まじく過酷な重労働であった。道中、クリッターの襲来と言う危険性も孕んでいる。
 ダイジロウから投げ渡されたスポーツタオルで汗を拭いつつ、
テッドは「答えはアポピスさ」と茶目っぽくシェインたちにウィンクして見せた。

「知ってるか分からないけど、アポピスはファラ王さんのトラウムなんだ。
飲み込んだ物や人を、一旦、異次元空間みたいなところに納めておいて目的地に着いたら吐き出す――
そんな特技も持ってるんだよ。さすがに大きな物を丸飲みするときには本来のキングコブラに戻るみたいだね。
普段はニシキヘビみたいだけど、あれは世を忍ぶ仮の姿ってコトらしいよ」
「異世界の俺たちがお前さんたちにトラウム語んのもおかしな話だけどよ。
荷物を腹ン中に全部飲み込んでおいて、せっせとここまで這ってくるって寸法さ。
……なんつーか、アポピスには頭が下がるぜ」

 テッドの説明を継いだダイジロウは、「プロフェッサーじゃねぇが、本腰入れてトラウムを調べるのも面白そうだ」と
腕組みしながら笑っている。
 彼らはプロフェッサーのもとで『特異科学(マクガフィン・アルケミー)』を研究する助手でもあるのだ。
ヴィトゲンシュタイン粒子より物質を具現化させるトラウムにも興味津々であった。
 テッドとダイジロウから思わぬ種明かしを聞かされたジョゼフは、さも面白くなさそうに舌打ちしている。

「なんじゃ、なんじゃ。そんなカラクリが仕掛けられておったのか。
……ファラ王め、ワシが訊いたときは『企業秘密』と抜かしおったぞ」
「あの方のやりそうなことではありませんか。人をおちょくるのが生き甲斐なんでしょう」

 「トラウムのほうが優秀と言うのも、あの方らしい」と言って主人を宥めようとするラトクだったが、
当の新聞王はファラ王に一杯食わされたことが悔しくて仕方がないらしい。

「ま、手段はともかくとして、貰えるものなら貰っておくべきじゃないかしら。
あんな変人の手を借りるっていうのも何となく癪っていうか嫌っていう感じだけど、そんなことは言っていられないものねえ」

 ハンガイ・オルスで接したときのことを思い出し、思わず「真性のバカ殿って感じだもの」と口走ったレイチェルは、
慌ててダイジロウとテッドの様子を窺った。彼らにとってファラ王は恩人に違いない。
迂闊な一言で機嫌を損ねるのは望むところではなかった。
 しかし、ダイジロウもテッドも考えることは一緒である。恩人を虚仮にした筈のレイチェルにも、ただ苦笑を返すばかりであった。

「左様。使えるものは使うべきじゃ。おだてればただで物を融通してもらえるのじゃから、楽なものじゃよ。
もっとも、同盟を組む際に随分と投資してやったものじゃ。少しは先方にも負担(おかえし)をして貰わねばの」
「そりゃ助かるけど、……でも全然足りないんだろうなあ……」

 ジプシアン・フードからどの程度の食糧援助を受けられるかは定かではないが、
ワーズワースの困窮具合では大多数の腹を満たすのは難しいかもしれない。単純計算で考えても膨大な量が必要になってくる。
そのことにシェインは不安を募らせているのだ。
 援助物資が当座凌ぎにしかならなくても、レイチェルの言い分通りに貰えるものは貰っておくべきなのかもしれない。
特に労働階級の居住区では、それによって救われる命も有る筈だ。
 フィーナたちが目の当たりにした、食糧を奪い合う難民たちの姿は余りにも衝撃的だったのである。

「しかし、俺たちがわざわざ現地調査しにくる必要があったのか?」
「うーん、実際に投入するかどうかはさておいて、ジョゼフさんは既に食糧を配給出来るだけの準備はしていたわけでしょ?
だったら、連絡を受けてからアポピスを派遣すればいいわけだし」
「そうなるとやっぱりあれか、別の目的があったわけだろ」
「……それってもしかして、ジョゼフさんたちの行動を監視しておけってことかな、ダイちゃん?」
「そういうコトになるんだろうな。つーか、クレオパトラさんも人が悪い。始めっから言ってくれりゃあいいものを」
「きっと、ぼくたちが不自然な態度にならないようにってことなんじゃないかなぁ」
「あー、あの人らしい配慮っていうか何ていうか。……っつーか俺たちがそれに気づいたら変に意識しちまって、
感づかれるかもしれない可能性もあるわけだからなあ」
「それにさ……もしかしたらぼくたちのためなのかもしれないよ。ダイちゃんの妹さんとか、ぼくのおばあちゃんも、
難民としてこっちの世界にいるかもしれないし、もしかしたら調査も監視も名目で、本当は家族探しのために派遣されたのかも」
「……かも、な――」

 メールと食糧の双方を待ちながら、ダイジロウとテッドが語り合う。
 「もしも、監視の為だったら心苦しい面があるな」と、テッドが若干申し訳なさそうにフィーナたちの様子をうかがう。
 ルディアの体調はますます悪化しているようだ。「ついはしゃいじゃって疲れたの」と、
周りに心配させないように振る舞うものの、おどけたときにさえ弱々しさを感じさせる。
 彼女が体調不良を訴えるようになった前後の状況を分析したフツノミタマは、
ギルガメシュの駐屯地より排出される焼却炉の煙が原因ではなかろうかと、ひとつの仮説を立てた。
 事実、ルディアほどではないにせよ、件の排煙を浴びた後から他の者たちも少し具合が悪くなっていたのだ。

「……あいつら、なに考えてるのかしら……」

 遥か遠くの煙突をズーム機能でもって撮影していくトリーシャの顔は苦みばしっている。
 そうして待機する内に、更に一時間が経過した。
 待ち時間が長くなることはさして問題ではない。夜営のテントを片付けた後はずっと連絡待ちが続いている為、
西部の調査に精を出しているアルフレッドたちには申し訳ない気持ちになるものの、
ルディアの体調が芳しくないこともあり、彼女の回復を最優先にしたいのだ。
 それ故に最初は気長に構えていたのだが、待てど暮らせどジプシアン・フードのスタッフは影すら見せない。
ダイジロウのモバイルが返信通知の電子音を鳴らすこともなかった。
 ファラ王に調査結果を報告してから優に二時間以上が経過しているのだ。
早朝に連絡を送ったとは言え、いくらなんでも遅過ぎるではないか。

「シラネ君、一応、尋ねておくが、送信エラーと言うことはあるまいの?」
「いえ、ちゃんと送信されています。念は念を入れて、三十分前にも再送信しましたし……」
「同じ内容を、かの?」
「ええ、ワーズワースの現状も包み隠さず伝えましたよ。速やかに支援しなければならないとも付け加えて」
「……ダイちゃん、援助物資は船で送るって、確かに言ってたよね?」
「テ、テッドまで心配そうな声出すなって! 俺だってそう聞いてるよ」

 ダイジロウもテッドもワーズワースの現状を強く憂えている。同じ難民と言う立場でも自分たちは本当に運が良かったのだ。
ならば、その境遇から少しでも恵まれない人たちの力になりたい――そう意気込んでもいるのだ。
 それだけにふたりの表情は優れず、焦りばかりが滲み出していた。

「すごく訊き辛いのだけど、……ジプシアン・フードはワーズワースへの食糧提供を本当に認めたのよね?」

 ハーヴェストの言葉にダイジロウは力強く頷いた。そうすることで自分自身の迷いを断ち切ろうとしているのだ。
 難民の支援は確かに承認された筈だ。自分たちが派遣されたことこそが何よりの証明なのである。
 だが、しかし――それならば、どうしてこのタイミングで連絡が途絶えてしまうのだろうか。
よしんば支援物資の到着が遅れるとしても、連絡くらいはすぐに返せるだろう。そうでなくてはおかしいのだ。
 私信のメールであればいざ知らず、これはジプシアン・フードが直接動く案件であり、ともすればクレオパトラが必ず関わる筈だ。
迅速且つ果断にしてグドゥーを指揮する彼女のこと、返信を失念することなど有り得ない。
それこそ居館の一室に対策本部を設置していてもおかしくはなかった。
 だから、ダイジロウは「ファラ王さんじゃなくて奥様が動いてるんです。間違いありません」と言明した。
そうすることで、己やテッドの動揺を鎮めたかったのだ。

「ダイちゃん、そりゃファラ王さんに失礼ってものだよ」

 仮にも恩人に対して言い過ぎであると窘めるテッドだが、グドゥー随一の切れ者が放つ存在感を改めて意識出来たからか、
先ほどに比べて、幾分、声に落ち着きが戻っていた。
 代わりに表情を曇らせたのはジョゼフである。数多の修羅場を潜り抜けてきた新聞王だけに
多少のことでは動じなくなっているのだが、しかし、クレオパトラの名前にだけは胸騒ぎを覚えてならなかった。

(……あの女狐が主導権を握れば、あるいは“転ぶ”やも知れぬ……)

 グドゥーもジプシアン・フードも、実質的にはクレオパトラが取り仕切っている。
ならば、今度の一件にも関与するのが自然の流れと言うものだ。
 否、必ず彼女の声に左右されると確信したからこそ、ジョゼフはファラ王と直に話を付けたのだ。
お飾りであれ何であれ、太守たる男の確約さえ勝ち取ってしまえば、あとのことはどうにでもなる――
それがジョゼフの狙いであった。ダイジロウたちを保護したグドゥーだけに、難民の援助にはクレオパトラも異論は挟むまい。
 そう考えてはいたのだが、ここに至ってダイジロウへの返信もないようでは、約束の反故さえも疑わざるを得まい。
 グドゥーに設置されたであろう対策本部では、ワーズワースの難民まで面倒を見るべきか否か、
その最終判断を巡って紛糾し続けているのかも知れない。

「……ダイちゃん……」
「大丈夫、……大丈夫だ……」

 自分たちを救ってくれたグドゥーであれば、ワーズワースにもきっと手を差し伸べてくれる。
そう信じるダイジロウだが、時間の刻みと言うものは残酷であり、希望をも容赦なく蝕んでいく。
一秒を告げる針の音は、それ自体が心を切り裂く刃にも等しかった。

 そこへ何者かが駆け寄る足音が聞こえてきた。それも無数に、だ。
 ようやく待ちに待った者がやって来たと、テッドと顔を見合わせるダイジロウだったが、
視線を巡らせた先に在ったのは、期待とは正反対の人々――労働階級の難民たちであった。

(もしかして、私たちをギルガメシュに突き出そうと言うんじゃ……)

 思わず身を強張らせるフィーナであったが、群がってきた人々はスコットやポールとは関わりがなかったようで、
一行がギルガメシュと敵対していることをまだ知らない様子だ。
 だからと言って、衆目を集めるのも望ましくはない。難民の空腹を満たし得る支援物資は今まだ届いていないのだ。
 思わずフツノミタマが鋭く舌打ちするが、今となっては後の祭りと言うものだ。
ジプシアン・フードへの目印としてオールド・ブラック・ジョーを出しっぱなしにしていたのが災いしたのである。
居住区から離れた場所に停車していたとはいえ、やはりデコトラは目立ち過ぎる。

「会長……」
「……うむ――やむを得なかったとは言え、ワシも迂闊じゃった……」

 当然と言えば当然のように発見されて、辺りからは大勢の人たちがそのトラックを囲むようにして現れてきた。

「――食べ物は、食べ物はあるの?」

 やはりこの状況に於いて、人々は食糧を求めていた。
 難民たちはワーズワースへやって来たこのトラックが食糧を満載していると信じ切っている。
いつの間にやらトラックの周りは食糧を欲する人たちに囲まれ、黒山の人だかりが形成されてしまった。
 今更、ここを立ち去るのは不可能に近い。
 一先ずレイチェルは助手席で休んでいたルディアを降ろし、人だかりから離れた位置まで誘導していく。
このような状況に晒していては、回復どころか余計に体調が悪化してしまうだろう。
 トリーシャも人々の輪を離れたが、こちらは写真の撮影に勤しんでいる。
極力難民を刺激しないよう細心の注意を払ってシャッターを切っている為、写真一枚につき相当神経をすり減らしている筈だ。
それでも彼女はやらねばならなかった。これこそがジャーナリストとしての使命なのである。

「申し訳ないが、ここにはおヌシたちが望んでいるような物はありゃしないぞ」

 飢餓に苦しむ人々の期待に応えられず、慙愧に耐えないフィーナに成り代わり、ジョゼフが重い口調で事実を告げた。
ラトクに守られながらではあるものの、支援物資など持ってはいないと、現実を突き付けたのである。
 それを受けてオールド・ブラック・ジョーの周囲からは、

「また今日も何も食べられないのか……」

 ――と言う嘆きと共に、力の無いため息があちらこちらから涌いてきた。
 もう少し待っていれば食糧が届くとフィーナは口に出しかけたが、事態は彼女の思惑を大きく外れる。
 全くの逆恨みなのだが、期待が大きかった分、何も無いのだと知った難民たちは失望が大きく、
その落差が引き金となって彼女たちにあからさまな害意を向けていた。

「何だよ、ぬか喜びさせやがって……」
「こんなところに手ぶらでやってきて何様のつもりだ? ふざけてんのかよ、おい」
「さっきの連中と同じだ。難民だからっておれたちをコケにしてやがる!」
「どいつもこいつも舐めるんじゃねぇ!」

 挙げ句の果てには口々にフィーナたちを罵倒する始末である。
 どうもフィーナたちより先に彼らと接触した者が居るようだ。その一団もまた難民に提供出来るだけの食糧を
持ってはいなかったらしい。短時間の内に同じような出来事が重なった為、難民たちの憤激は一等高まり、
ここに至ってついに爆発したと言う次第であった。
 フィーナたちにとっては甚だ迷惑な話である。
 アルフレッドだろうか――と、先に訪れたと言う一団を反射的に推理するフィーナであったが、
自分たちを取り囲んだ彼らに答え合わせを求めるなど不可能に近い。

「だから、もう少し待っていれば、その内に――」
「遊び半分でこんなところまでやってくるような人間の言うことなんか信じていられるか!」

 フィーナの言葉は確かに一縷の希望を示していたが、いきり立つ難民たちの前では何ら効果をもたらすことは無かった。
 彼女の精一杯の思いとは裏腹に、難民たちは一行を悪し様に罵り続ける。
そして、いつの間にか手に棒切れを取りながら、フィーナたち一行をワーズワースから追い出そうと息巻いていた。

「人の言う事くらいちゃんと聞けよ! フィー姉ェの気持ちが分からないのか?」
「バカヤロ、こうなった人間に説得なんか通じるかっての。食って掛かってたら殴り殺されんぞ?」
「けっ! ただでやられてたまっか! オイラがいくらでも相手してやるよ!」
「落ち着きなさい、ジェイソン! あんただって腐っても義の戦士! 力なき人を殴る拳を持っていると言うのッ!?」
「だ、だってよぉ、ハーヴの姐キぃ……」
「アルだったら、ディスなピンチにはこう言うんじゃナッシング? 『三十六計エスケープがヴィクトリー』ってネ」
「……と言うことじゃ。さっさと退散するに限るわい。ほれ、行くぞ」
「でも、でも……」

 ワーズワースの難民たちに理解を得てもらおうと思っていたフィーナであったが、状況はそれを許すほど甘くはない。
熱狂の渦に巻き込まれてゆく難民たちが作り出す雰囲気の中、一行はこの場から逃れるしかなかった。
 それでもなお説得を続けようとしていたフィーナは、トリーシャとハーヴェストが強引に引っ張った。
フィーナの意志は高潔であり、間違いなく正しいのだが、さりとてここで落命しては何の意味も成さない。
 ルディアの身は撫子が抱えている。見てくれの通りに撫子は鈍重であったが、
ムルグがふたりの周囲を飛び交って霍乱を図った為、難民たちに追いつかれることはなかった。

(クレオパトラ――小賢しい女狐め……いずれ目にもの見せてくれるわい……!)

 ジョゼフはこの騒動の原因をクレオパトラと定めている。計画を台無しにした張本人である、と。
報復を果たす為にもこの場は何としても切り抜けなければならなかった。

「次に会うときにはたらふく食わせてやるでな。それまで息災にせい――」

 オールド・ブラック・ジョーの具現化が解かれた折に大量のヴィトゲンシュタイン粒子が舞い散り、
これによって難民たちは一斉に怯んだ。ある種の不意打ちとして作用したのだ。
 彼らがたじろいだ隙に一行は労働階級のキャンプを突っ切って森の中へと逃げ込んだ。
奇しくも、前日にアルフレッドたちが巡った経路の逆回しである。

「それで、逃げるのはいいとしても、一体どこに行こうっていうんだよ?」
「身を隠せる場所に決まっているだろうが。頭使えば分かるだろうが」
「オヤジこそ頭使えよ。草むらくらいしかないのに隠れ場所だなんて都合のいい話が早々あるわけないだろ」

 暴徒から身を隠す最中でありながらも、シェインとフツノミタマの会話はついつい大声となってしまう。
ともすれば先ほどからフィーナたちを追っていた難民たちに場所を感知されかねないところであった。

「……すみません、俺たちのせいで……」
「気を持たせるようなことを言って皆さんを振り回してしまい、……なんとお詫びしたら良いか……」

 ジプシアン・フード、いや、グドゥーの対応が遅延したことについて、ダイジロウとテッドが頭を下げた。
 確かに彼らはグドゥーから派遣された身ではあるが、さりとて問われるべき罪など何処にもない。
無論、謝る必要もなかったのだが、根が真面目なふたりは強く責任を感じ、苦しんでいるのだ。
 “女狐”への私憤に駆られていたジョゼフもその言葉で冷静さを取り戻し、
「ヌシらが気に病むことではなかろう」とふたりを励ました。心の奥底で「クレオパトラの所為じゃよ」と付け加えることも忘れない。

「んも〜、ルディアがいないと、みんなダメダメなのね。スーパーヒーローはおちおち寝てもいられないのっ」

 憂色に沈む一行をルディアは努めて明るく鼓舞しようとしたが、その息は間違いなく荒い。
反射的に彼女の額へと掌を押し当てたレイチェルは、驚愕に目を見開き、
次いで「どうしてこんなになるまで我慢していたの……」と声を詰まらせた。
 ルディアの体温は先ほどよりもかなり高まっていた。それは、まさしく病的な熱である。
 無論、彼女の身を抱える撫子の両腕にもこの熱は伝わっている。

「ヤロ……ッ!」

 自分たちの逃げてきた道を振り返り、凄まじい形相を見せる撫子。口内からはヴィトゲンシュタイン粒子が漏れ出していた。
 彼女が何をしようとしているのか察知したムルグは、両翼でもってバツの字を作り、これを阻止した。
 ムルグのお陰で過ちを犯さずに済んだ撫子だが、胸中に垂れ込んだ靄が晴れることはなく、
腕の中のルディアに向かって、「ガキの分際で気ィ遣うんじゃねぇよ、クソが」と吐き捨てた。

「こうなったからには、何時までもこの場に留まっているべきではありませんね。
早々に撤収するのがベスト。もしも、調査を続けたいのなら、すぐにライアン君たちと合流するのがよろしいかと」

 木立の向こうに見え隠れする人影を注視しつつ、状況の打開を呼びかけたのはラトクである。
 仲間たちが巻き込まれた騒動も、ワーズワースの苦境さえも彼にとっては他人ごとなのか、
それとも、何時如何なるときでも平常心を崩さないよう訓練しているからか、面には微かな狼狽すら滲んでいない。
 至って冷静――いや、冷徹そのものであった。これでも表の顔はテレビタレントだ。
まかり間違って彼のファンが目にしたら、おそらくその場で泣き崩れてしまうだろう。

 そのときである――どこかで何かが動いた。草を掻き分ける音が一行の鼓膜を打った。

「――くそったれ! もう追いついてきたのかよッ!」

 反射的に臨戦態勢を取ってしまうジェイソンだったが、木の陰から姿を現したのはたったひとりの少女であった。
年の頃はフィーナとそう変わらないだろう。ボロ布同然の身なりから労働者階級に属することは一目で判った。
 しかし、その手には棍棒ひとつ握り締めてはいない。つまり、一行を追い立てた暴徒とは違うと言うことだ。
右手に携えた大きめの布袋以外には何も持っていないらしい。その袋さえ今は中身が空っぽのように見受けられる。
 この少女との出会いは、一行にとってまさしく幸運であった。
 偶然、近くを通りかかった彼女は、切羽詰った声々を聞きつけ、何事かと歩み寄ってきたと言うのだ。
全ての事情を飲み込めてはいないようだが、それでも何者かに追い詰められていることだけは察したらしく――

「皆さん、お困りのようでしたら私のところへどうぞ」

 ――と救いの手を差し伸べてくれた。
 一時は逃げ場すらないとまで思い詰めていたフィーナたちにとっては、願ってもない申し出である。

「ほら見ろ、都合のいい話があったじゃねえか」

 どことなく腑に落ちない様子のシェインに、フツノミタマが当てこするように鼻で笑いながら言った。


 少女に案内されて草叢を抜けると、そこは東部居住区の外れであり、彼女が寝起きするテントがあった。
布の切れ端を繋ぎ合わせて作った、労働者階級の苦境を象徴するような住まいである。
 テントと言っても、一個人が野外キャンプで使うような小型の物ではない。
枯れ木を骨組みの如く垂直に立て、その先端から布を覆い被せたものである。
内部には簡素ながらも家具が設置されており、一行を招き入れる程度のスペースは確保されていた。

「……助けに来たつもりが、助けられちゃったね」

 少女のもとに身を寄せたフィーナは、言葉の通りに複雑な感情(おもい)に包まれている。
 それでも当面の危機をやり過ごしたことには変わりはない。少女から借り受けた敷布団の上に寝かせられ、
身体を休めることの出来たルディアは、先ほどよりも大分顔色が良くなっている。
 ようやく人心地ついたフィーナたちは、思い出したように少女へと礼を述べようとした。

(あれ、この人って――)

 初めて少女の顔を正面から見据えることとなったフィーナは、その脳裏にひとつの記憶を呼び起こした。

「えっと、もしかして――ロレインさんですか?」
「え? ……はい、ロレイン・ベハイムですけど、どうして私の名前を?」

 ロレインの驚きはいかばかりだったろうか。初めて会ったはずの人に名前を言われたのだ。
 ましてや、身なりはどう見てもワーズワースに居住する難民のそれではなく、外部の人間。
 一方、ロレインが驚いて言葉が出なかったように、フィーナもまた言葉に詰まってしまった。
なにしろ彼女を見、そして名を聞いたのは恋人との逢瀬を覗き見していた時である。
さすがのフィーナと雖も、「男の人と一緒にいるところを見ていました」などとは口が裂けても言えまい。
 咄嗟にトリーシャが口を挟み、自分がジャーナリストであると明かした上で、
「偶然、あなたの名前を知っている人に取材したのよね」と誤魔化しに掛かった。
 無論、これは口から出任せであり、発すること全てが曖昧であった。
 ロレインの方もいまいち納得していなさそうな様子だったが、
そこは口の達者なトリーシャが上手いこと言いくるめ、何とか事なきを得た。

「あ、あの――! 改めまして、本当にありがとうございました。見ず知らずの私たちを助けてくれるなんて」

 些か気まずい空気を切り替えるべく、今度こそフィーナはロレインに頭を下げた。
 これに倣って他の面々も口々に礼を述べていく。驚くべきことに撫子さえも素直に頭を垂れていた。

「いえ、困っている人を見捨てておくわけにはいきませんから。……何にもありませんが、これで人心地付けてください」
 
 ロレインがフィーナたちをもてなすために淹れたのは、何の変哲もない白湯であった。
思ったよりも人数が多かった為、白湯を淹れた容器も人それぞれである。

(ただのお湯かあ、やっぱり本当に何も無いんだな……)

 差し出されたカップ――隣に座ったジェイソンの手にはスープ皿が渡った――を見つめながら、シェインは考えた。
 少し見てきた限りでもワーズワース内の逼迫具合はありありと感じ取れる。
ギルガメシュ兵に志願しようとしていた人たちも湯冷ましで乾杯していたのだ。
 そんな中では、客をもてなすにしたって出すべきものが無い。
ここに来てからの出来事を思い出しながら、シェインはロレインの精一杯の気持ちを汲み取ると、
フィーナと同様に彼女に礼を言って白湯に口をつけた。
 見ず知らずの人間に、たとえ白湯とはいえ何かを振舞おうとする気になれるだけ、
彼女はまたワーズワース内では恵まれている方なのかもしれない。
 ここに来た当初に出会ったスコットや、彼に見せられた最下級の人間などは
生き延びるためだったら他人の犠牲など少しもいとわない程に、切羽詰った状況下に置かれていたのだ。
 生活レベルは極端に低い。低いながらもここの難民の間には確かに階級差というものが存在している。
 根本的に難民の問題を解決しようというのなら、この階級の差というものをいかんともしなければならない――
ロレインのもてなしを受けたフィーナは、依然として存在する難民の階級に改めて思いを馳せた。

「おうふ、何かと思えばシンプルなホットウォーター? ホストがゲストにホットウォーター? 
ボキのようなノーブルな人間のマウスには、グッドスメルでグッドテイストなティーでないとねぇ」
「若いモンが贅沢ばかり言うものでもあるまい。一杯の湯であっても、それがホストのもてなしの心であるなら、
ありがたくいただくのが筋、というものじゃろうて。大体、おヌシが紅茶という柄かのう。
肝油か、さもなくばヒマシ油、いっそのこと工業廃油の方が口に合うのではないのか?」

 フィーナが自分なりに一生懸命難民の救済について考えているにも関わらず、
ワーズワースの困窮した現実を知っているにも関わらず、紅茶が欲しいなどと空気の読めない贅沢をのたまうホゥリーに、
ジョゼフは一言釘を刺す。ついでに嫌味も付け加えた。
 それがホゥリーの耳に届いたのかはいざ知れずだが。

「すいません。私の家は配給も満足に受けられない状態でして。そんな時に紅茶だなんてとても……」
「気にしないで、ロレインさん。こんな贅沢だか贅肉だかの塊の言うことなんて、一々聞いてちゃダメよ。
常識なんてものはとっくに枯れ果てているんだから、この男は」

 胸を痛めるロレインに、ハーヴェストはそうやってフォローを入れたのだが、
彼女はホゥリーの身勝手な物言いによって自分たちがどん底の中にいることを再確認してしまい、
すっかり打ちひしがれてしまっていた。

「一つ尋ねるが――先程おぬしは配給と言うたようじゃが、
それはつまりギルガメシュが時折投下する“あれ”とは異なるのじゃな?」
「そんなことまで知っていらしたのですか。……仰る通り、あの食糧の援助は私が言う配給とは違います。
あれは臨時のものとでも言うべきでして、正規の配給は月に何回かギルガメシュの兵士がトラックで運んでくるのです。
それを受け取るためには配給承認証というものがありまして――」

 スコットが見せてくれたあの惨状はあくまで非定期的に、彼が言うところの暇つぶしに行なわれる“施し”である。
 それと彼女の言う正規の配給がどう違うのか。ジョゼフの問いかけに、
ロレインはギルガメシュが定めている配給制度について簡単に説明した。
 無論、その内容はトゥウェインがアルフレッドに語って聞かせたものと同じである。

「――へえ、そんなことがあるのか。ボクたちもここに来て日が浅いから見ていなかったんだろうけど、
でも決められた配給があるだなんて、一言も聞いていなかったな」
「それは仕方の無いことだと思います。配給といってもほとんど形だけのものですから、
誰もが食糧とかの援助物資を受け取れているわけではないんです。と言うよりも、貰えない人の方が多いでしょう」
「その許可証とやらに、込み入った事情がありそうじゃのう。すまなんだが、もっと詳しい話を聞かせて欲しいのじゃが」

 シェインが言ったように――ロレインが説明してくれた配給についてはスコットや彼の知り合いからは何の説明も無く、
特に配給承認証などという聞きなれない単語を耳にして、そこは詳しく知っておくべきだとジョゼフはさらに尋ねた。
 ロレインはその申し出を素直に受けて、自分が知りうる範囲での配給に関してのことを説明した。

 ここから先はトゥウェインがアルフレッドには語らなかったことである。
 独身者には原則として配布されない承認証であるが、貴族のような裕福な者であれば、
ギルガメシュの審査官に賄賂なりを渡して、特例という名目上で融通してもらえるということである。
 賄賂の額面によっては配給の量も増やしてもらえるのだとか。
 その一方で彼女たちがもといたハブールには厳格な身分制度があり、
これに起因して、労働者の社会的地位などというものは吹けば飛ぶような弱いものであるのだとか。
 Aのエンディニオンの人間であるダイジロウもロレインが言う身分制度には思い当たるフシがあったらしく、
テッドと共に表情を曇らせた。
 彼らの苦み走った顔は、身分制度の恐ろしさをそのまま表しているようなものであった。
 そのような状況であるからして、ハブールに居た頃もその日の生活に精一杯という労働者たちでは蓄えを作ることなどもできず、
貴族階級のように審査官に袖の下を渡して便宜を図ってもらうという方法を取ることは不可能。
配給承認証の無い者は勿論、一部を除いた所持者であっても、飢餓は深刻になっていくのであった。

「身勝手な話だよな。自分たちばかり良い思いをしようだなんて、その性根が気に入らないな」
「高い地位にある者は、それに応じた義務を負うべきであろうに。どうにもあちら側の貴族は始末が悪いのう」
「上の人間は賄賂を渡す余裕があるのに、下の人間は飢えに苦しんでいる。
……ましてや最下級の人は奪い合いすら日常茶飯事。聞いていて気分のいい話じゃないわね」

 シェインとジョゼフの会話を継いだレイチェルは満面を憤りで染めている。
酋長としてマコシカの民を率いる彼女にとっては、特権階級の横暴は許し難いものであった。

「このままじゃ、私たち労働者は死んでいくしかないのです。
あっちでも、こっちでも、貧富の差というものはどうにも変わらない事実なんです。
結局、この世の中はお金が全てなんでしょうか……」

 異なるエンディニオンに辿り着いても変わることの無い絶望的な格差の前に、ロレインは悲観に暮れることしか出来なかった。
 重苦しい空気が場を支配し、周辺には沈黙が続いていた。
 ホゥリーが手をつけないままでいた白湯がすっかり冷めてしまった頃、
それまでロレインから労働者の過酷な現実を聞いていたフィーナが、決意に満ちた表情でやにわに立ち上がる。

「貴重な話を聞かせてくれてありがとう、ロレインさん。
何となくだけどワーズワースの問題解決への糸口が掴めたような気がする。
まずはこの不平等を改めるために、貴族階級の人たちに話をして分かってもらおう!」
「えー…… 話し合いで解決なんて無理っぽいけどなあ」

 その途方もない発言にシェインはあからさまに難色を示した。

「話で聞いたような金持ちたちじゃ、言って分かりそうもないと思うけど。一筋縄じゃいかないよ、これ」
「それはそれ、これはこれ。一つ一つ解決できそうなことからやっていこう。それがきっと近道につながるはず」
「熱意は伝わるけど、何て言うんだろう…… こう、もっと上手いやり方って言うか、うーん……」

 真っ当な意見を投げかけるシェインだったが、興奮気味のフィーナはそれに対してはっきりと答えることなく――

「こう言うことはアルにも意見を聞いてみないとね。善は急げ、今から出発!」

 ――と外ではまだ危険が待ち受けているにも関わらず、一刻も早くアルフレッドに合流しようと飛び出していった。
 ワーズワースの労働者を救済せんとする思いを強めるのは良いが、他の仲間たちはおろか、
静かに寝息を立てるルディアすら置き去りである。

「コカカ!? コッカコッコーッ!!」
「フィーっ!? こら、待ちなさいったら、フィーッ!」

 情熱に衝き動かされるフィーナを追い掛けられたのは、ムルグとハーヴェストだけであった。

「……いくらなんでもブッ飛び過ぎだろ。もうちょっと周り見て欲しいよなぁ…・・・」

 フィーナの突飛な行動に呆れ返るシェインではあったが、
幾度となく目にしてきたこの過酷な状況を何とかしたいと言う思いは共有している。
 ジェイソンとも「やるしかねぇよな」と頷き合っていた。
 今にもフィーナを追おうとするシェインに嘆息し、自らも腰を上げようとするフツノミタマだったが、
その挙動は中途半端なところで止まってしまった。

「何固まってんだよ、オヤジ? そんなにフィー姉ェのやることに反対なのかよ?」
「はあ? 他人の態度一つで勝手に判断するんじゃねえ。これだから分別の聞かないガキってのはよお。
ちょっと見りゃ分かるじゃねえか。考え事ぐらいさせろっつーの」
「考え事? 誰が? フツの兄キが? そりゃ身体に毒ってもんじゃねーっすか」
「分かってるな〜、ジェイソンは〜。聴いたかよ、オヤジ。慣れないことすると頭パンクしちゃうぜ!」
「ほっとけ、クソガキどもッ!」

 シェインとジェイソンにからかわれて憤激するフツノミタマだが、
その一方では、元から顰めっ面の顔を更に顰めて、ひとつの疑問を考え続けていた。
 このテントに入った後、フツノミタマに飛び込んできた疑問――いや、疑惑の念である。

(棚に置いてあったあの小瓶――あれは毒、か……。しかもえらく毒性の高い。……あんな娘が何に使うっていうんだ?)





 ダイジロウのモバイルが着信音を鳴らしたのは、最初のメールを入れてから三時間近く経過した後のことである。

「き、来た! 来たっ! 来たッ!」

 上擦った声からも察せられるように、液晶画面には待ちに待った名前が映し出されていた。
震える手でもってモバイルを掲げたダイジロウは、『ファラ王さん』と言う着信表示をテッドやジョゼフへ順繰りに見せていく。
 この二時間余り、グドゥーから見捨てられたかのような心細さを味わっていたに違いない。
心から安堵したような面持ちであり、頬から額から滴り落ちた大量の汗が顎のところで玉を結んでいた。
 「気を持たせてくれるよなぁ。とにかくこれで一安心だ……」と幾度も繰り返しながら通話ボタンを押すダイジロウの姿が、
ジョゼフには痛ましく思えてならなかった。
 ダイジロウ・シラネとは本当に人の好い青年なのだ。家主とも言うべきロレインに会釈し、テントから出て行こうとしたのは、
己の通話で他の人に迷惑を掛けたくないと言う配慮であろう。生来の気立てが無意識の内に発露した形である。
 慌ててテッドが引き止めなければ、彼は本当にテントの外まで退出したに違いない。
 ほんの少し前には労働者階級の難民に襲撃されているのだ。そのように緊迫した状況で目立つ振る舞いをすれば、
待ち構えている結末はただひとつである。

「……ダイちゃんって、こう言うところ、天然なんだよなぁ〜」

 テッドに腕を引っ張られて元居た場所まで戻ってきたダイジロウは、喜色満面と言った様子で状況を確認していったが、
それから間もなく表情が曇り、通話が進むにつれて急速に生気が抜け落ちていった。
面からでなく全身から活気と言うものが消え失せているのだ。
 モバイルの向こうの相手と話す内容にも穏やかならざるものが混ざり始め、
聞くともなく聞いていたロレインの顔も少しずつ翳っていった。
 ダイジロウの傍らに在るテッドに至っては唇が病的な紫に変色してしまっており、
今にも落涙しそうな目で頭を振り続けている。

「は、話が違うじゃありませんか……お、俺、みんなに何て説明したら良いのか――」

 ダイジロウが擦れた声で小さな悲鳴を上げた瞬間、ジョゼフは全てを悟った。
ファラ王のモバイルを使って連絡を寄越したのが誰なのか。そして、ダイジロウに何を告げたのかを、だ。

「まだまだ青いですな、彼らは。裏切られることに慣れていない。
ま、痛みが跳ね返ってくるくらい期待を抱いちまうのは、若者の特権とも言えますがね」
「誰も彼もお主のようにスレておるわけではあるまい。それにお主のファンは大半がそのような若者じゃろうが」
「ですから、釣り易いんですよ」
「この性悪めが」
「お褒めに預かり光栄です」

 ダイジロウが怯えたような目をジョゼフに向けたのは、薄笑いのラトクが皮肉を呟いた直後のことだった。
 苦渋に満ちた顔を背け、次いでテッドを見つめたダイジロウは、相棒と頷き合った後、
通話が続いている筈のモバイルをジョゼフに向かって差し出した。
 連絡を寄越した相手は、どうやら新聞王との通話を求めているらしい。

「……ラトク、お主と比較にならんような性悪がおるぞ。試しにお主が出てみるか?」
「比べ物にならないと仰ったのは会長ではございませんか。私のような小悪党とは格が違いますよ」
「ふん――確かに桁外れの“悪”じゃな」

 確かめるまでもなく通話の相手が判っていたジョゼフは、モバイルを頬へ宛がった瞬間に
「ろくな死に方をせぬぞ」と辛辣極まりない罵声を吐き捨てた。

「いきなりご挨拶ですのね。“親しき友人”の電話なのですから、ご機嫌伺いくらいあってもよろしいのでは?」
「今のはワシの言葉ではない。難民キャンプに暮らす者たちの気持ちを代弁しただけじゃ」

 果たして、受話口から鼓膜へと飛び込んできたのはジョゼフが予想した通りの声である。
 依然として液晶画面には『ファラ王』と表示されているが、声の主はその妻、クレオパトラ・オホル・ムセスであった。

「それでは今度はグドゥー、いえ、ジプシアン・フードの総意を申し上げましょう。
ワーズワースに当社のスタッフを派遣するわけには参りません。あなたは自殺志願者でも募れと言われるのですか?」

 ジプシアン・フードの最終決定――否、己の意図が見透かされていることも織り込み済みなのであろう。
クレオパトラはここに至るまでの詳しい経緯を説明することもなく、ジョゼフに物資援助打ち切りの原因を突きつけた。

「……はて、何故(なにゆえ)、お主がそのようなことを申すのか。ワシはファラ王殿と直接話をつけたのじゃ」
「誰に何の相談もせず、守れもしない口約束をしてしまうのはファラの悪癖ですわ。尻拭いはあたしの役目ですので」
「口約束とは言うてくれる……」
「口約束ですわ。当社としてはルナゲイトと契約書を取り交わしたわけでもありませんので」
「されど、その約束を信じ、ワーズワースを救わんと動いてきたワシらの立場はどうなる? 
苦しみに喘ぐ難民をたばかることになるのじゃが? ……それはジプシアン・フードにとっても益なきことであろう。
名誉を傷付けることになるのではないか?」
「こちらがペテンを働いたかのような物言いをされますが、約束を取り交わそうと言うときに深刻な問題を伏せるのも
立派なペテンではありませんこと? これこそルナゲイトの不名誉では?」
「……なんじゃと?」
「……あなたはファラに物資の支援を求めたとき、一度でもワーズワースの危険度を説明されましたか?」

 幾度かの応酬の後、クレオパトラは僅かに語気を強めた。

「……あなたはご自分の部下を危険地帯へ送り込むことが出来るのですか?」
「む……」

 クレオパトラからの詰問に対し、ジョゼフは呻いて口を噤んでしまった。
 ジョゼフの場合、このような事態を想定して忠実なエージェントを何人も従えている。
有事に当たって自分の命を擲てるような者たちを法外な報酬で“飼っている”のだ。
 しかし、クレオパトラを相手にエージェントのことを話すわけにはいかない。
ここで迂闊なことを言おうものなら、それこそルナゲイトの威信は地に墜ちることだろう。
例え公然の秘密であったとしても、口外するか否かで社会に与える影響力は全く違うのだ。
 部下の命も、人道も、どちらも重んじると言う姿勢を貫かなければならなかった。
そうでなければ、「難民支援」の訴えに何の説得力も伴わなくなってしまうからだ。
人命を弄ぶような外道が慈善的に振る舞おうとも、誰もそれを受け容れはしない。

「ダイジロウくんとテッドくんに現地を調べて貰って正解でした。いえ、ふたりの身の安全を考えれば、これもまた失敗ですわね。
……恐ろしい数の銃器が流れ込んだ危険地帯ですものね、ワーズワースは」

 どうやらクレオパトラは、物資の提供を見合わせる根拠を銃器流入問題に求めるつもりのようだ。
落としどころとしては最も相応しい――そう分析しながらもジョゼフは苛立ちを抑え切れず、心中にて「女狐め」と毒づいた。

「銃器が流れ込んだと言う疑いがあるだけじゃ。確定もしておらん以上、ワシも何も言えぬよ。
悪くすれば、ワーズワースで暮らす人々の名誉を傷付け兼ねん」
「そのワーズワースが置かれた現状をファラに伏せたのは、十分な侮辱のように思えますけれど。
難民たちが抱える問題には蓋をしなければならないと、あなたは心のどこかで考えているのでは?」
「……誤解があるようじゃから言うておこう。ワシらはワーズワースで一昼夜過ごしておる。
じゃが、その間(かん)、一度たりとも銃で襲われるようなことはなかった。
ここで暮らす者たちは誰しも善良じゃ。銃を取って荒事を起こそうと言う者など何処にもおらなんだわ」
「襲われなかったのは、あなたがたが強いからです」

 クレオパトラはきっぱりと言い切った。

「追い詰められた人間が武器を手にしたときにどのような事態が起こるのか、新聞王殿はご理解しておられないようですわね。
拳銃一挺さえあれば人は略奪者になれる。その銃口は何時だって武器を持たざる者に向けられてきたのです。
……あなたがたは銃を恐れますか?」

 「グドゥーではそんな殺し合いが毎日のように起きていたのです」。そう締め括ったクレオパトラに対して、
ジョゼフは全く反論が出来なくなってしまった。
 彼女の根拠地たるグドゥー地方は、長らく群雄割拠の時代が続いていた。
ファラ王が太守の座に就いたことでようやく乱世も終息したのだが、それはここ最近のことである。
ダイジロウたちがグドゥーに降り立っていなかったなら、熱砂の大地は今も夥しい量の血を吸い続けていた筈だ。
 其処彼処から死の影が忍び寄ってくるような時代を生き抜いたクレオパトラの言葉はあまりにも重い。
「武器を持たざる者にこそ銃口が向けられる」との発言は、ひとつの真理であろう。
 無論、ワーズワースの状況にも通じるものとクレオパトラは隠喩している。

「ジプシアン・フードにはあなたがたのように武勇に秀でた者は多くはありません。
ギルガメシュとの戦いで手一杯ですので、黄金衛士(わがぐん)をスタッフの警護に回すことさえ出来ません。
……難民の支援は我々としても積極的に協力したいと思ってはいます。しかし、状況がそれを許してはくれないのです。
ご聡明なる新聞王殿であれば、我々の苦渋もご理解頂けるものと存じます」

 一方的に言い放ったクレオパトラは、次いでモバイルを元の持ち主に戻すよう促した。
 ジョゼフからモバイルを受け取るダイジロウは、半死半生としか例えようがないほど疲弊し切っていた。
傍らにて彼を支えるテッドとて殆ど変わらない。両者とも体調を崩して横になっているルディアよりも遥かに衰弱しており、
本来、他人との馴れ合いを好まない撫子にまで「死相が出てんぞ、てめぇら」と驚かれる有様であった。
 最後の力を振り絞ってモバイルを頬に宛がったダイジロウは、
受話口から聴こえてくるクレオパトラの声に哀しげな溜め息を漏らし、それから力なく首を横に振った。

「……ワーズワースをこのままにはしておけません。ひとつ何かが違えば、俺もこの人たちと同じ境遇になっていました。
せめて、佐志が調査を終えるまでは俺たちも同行したいんです……このままじゃ、あんまりだ……!」

 その言葉からも察せられる通り、クレオパトラはダイジロウとテッドへ直ちに帰還するよう指示していた。
 しかし、ダイジロウも素直に従うわけにはいかなかった。土壇場になって支援を取り止めたクレオパトラへの反抗ではなく、
同じAのエンディニオンの人間として、ワーズワースの行く末を見届けねばならないと考えているのだ。

「……今の俺はここの人たちに何もしてあげられません。だからこそ、ワーズワースの苦しみを心に刻み付けたい。
何も知らないままでは、俺は、……俺は一生後悔します。同じ世界の命だから――だから俺は……!」

 ダイジロウの懇願――否、哀願が木霊した後、重苦しい沈黙がロレインのテントに垂れ込めた。
 永遠とも思えるような秒の刻みの後、ダイジロウは瞑目して安堵の溜め息を発した。
「……ありがとうございます……」と送話口へ答えたあたり、クレオパトラも彼の哀願を諒承したようだ。
 その様を見て取るや、ジョゼフは血相を変えてダイジロウからモバイルを引っ手繰った。

「この若者たちをどうするつもりじゃ!? 己の意に反したとして見捨てるつもりなら、ワシは容赦を――」
「――見くびらないで頂きたいわね」

 さしものクレオパトラもこの物言いは腹に据えかねたらしく、それまでとは声の質を一変させた。
重低なる声色には冷酷な殺気を帯びている。「為政者」の仮面の下に隠された本性、
あるいは苛烈なグドゥーを生き抜いた者にこそ宿る凄味と言うものであろう。
 ジョゼフにとってはそれで満足であった。今し方の豹変を見る限り、クレオパトラはダイジロウやテッドのことを
使い捨ての駒とは見なしていないようだ。これから先も彼らの身が保障されると確認出来れば、
更なる口出しなど必要なかった。

「……いずれまた。ファラ王殿によろしく伝えてくれい――」

 それだけ言い放って通話を打ち切ったジョゼフは、モバイルを本来の持ち主へと放った。

 ラトクのモバイル宛にアルフレッドからメールが届けられたのは、
クレオパトラを相手にジョゼフが丁々発止のやり取りを演じた前後のことである。
 ワーズワースに潜入していたロンギヌス社の人間と接触を図ったので、
佐志の総員を招集して会合を持ちたいと呼び掛けてきたのだ。
 そのことをラトクより報告されたジョゼフは、暫時の逡巡の後、「よかろうな?」とダイジロウに尋ねた。
たった今、起きたことを――ジプシアン・フードの最終決定をアルフレッドへ正直に打ち明けてよいかと質しているのだ。
 苦悶の表情を浮かべつつ、どう答えたら良いのかと懊悩するダイジロウに成り代わり、傍らのテッドが「お願いします」と答えた。
彼とて顔色は悪いのだが、今こそ相棒を支えるときだと自らを奮い立たせている。
 ふたりして打ちひしがれ、狼狽し切っていたら、事態は一層悪化したに違いない。
テッドが傍らに居てくれることは、ダイジロウにとって何にも勝る幸運であった。
 ダイジロウとテッド、両名に頷いて見せたジョゼフは、
ラトクからモバイルを受け取ると、自らの手でアルフレッドへの返信メールを入力し始めた。

(……許してはおかんぞ、女狐め……)

 前途ある若者たちに絶望を刻み込んだクレオパトラに対し、ジョゼフは私憤を禁じ得なかった。
 不安そうな目を向けてくるロレインには「食糧ならば別のクチで探すでな。安心せい」と優しく答えたものの、
その心中は爆発寸前の火山の如く燃え滾っている。




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