12.完敗 「――ちくしょうッ!」 憤激の吼え声を引き摺りながら、ジャーメインはヴィンセントたちが走ってきた経路を逆に辿るべく地を蹴った。 咄嗟にその進路上へと飛び出し、逆走を止めようとするアルフレッドだったが、 ジャーメインはこれを薙ぎ払わんと猛烈な飛び後ろ回し蹴りを繰り出した。 渾身の力を込めた一撃である。両腕で防御を固め、衝撃を受け止めていなければ、 いつぞやのように骨まで破断していたかも知れない。 四肢の力を総動員して踏ん張りを利かせ、何とか吹き飛ばされる事態を免れたアルフレッドは、 徐に構え(ファイティングポーズ)を取りつつ、ジャーメインを正面から見据える。 その面は狂わんばかりの憤怒に歪んでいる。復讐の鬼と化していたときのアルフレッドに酷似する表情であった。 ただそれだけでアルフレッドには彼女の目的が察せられた。 嘗ての自分であれば、おそらく同じ行動に出ただろうとの確信もある。 「どこへ行くつもりだ」 「ギルガメシュを倒す! 難民同士のことはどうしようもないけど、あいつらだけは食い止めるわッ!」 敢えて質してみたが、回答はアルフレッドの想像と寸分も違ってはいなかった。 パトリオット猟班の宿願とは、同胞を殺戮したギルガメシュへの復讐にある。 これを本懐と定めてスカッド・フリーダム本隊を離れ、孤独な戦いに身を投じたのだ。 そのような志を抱くジャーメインであるからこそ駐屯軍の非道を看過するわけには行かなかった。 あれこそが倒すべき大敵の正体なのである。 ジャーメインの気持ちが解らないようなアルフレッドではない。彼もまたギルガメシュを狙う復讐者のひとりだ。 ひとつだけ異なる点があるとすれば、それは彼が復讐よりも大切なものに気付いたことだろう。 己ひとりの心の傷を癒す為に暴れ回ったところで、最後には虚しさしか残らない。その虚しさが心を更に軋ませ、苦しめる。 共に生きる人々と手を携え、勝利を目指していくことにこそ戦う意味が顕れると言うものだ。 生きると言うことへ真摯に向き合う――それこそが犠牲者の無念を晴らすことにも繋がる筈である。 これ以上、無駄な血を流させるわけには行かなかった。このままジャーメインをギルガメシュのもとに送り出せば、 彼女は間違いなく惨死と言う末路を辿ることだろう。 「ちょ、ちょう待てや、メイ! さっき撤退や決めたばかりやんけ! 特攻したかて結果はたかが知れとるで! 一旦引いて体勢の建て直しや! ここの連中倒すにしてもアルがごっつええ作戦立ててくれるさかい!」 「ギルガメシュにはいずれ必ず正義の裁きが下されるわ! それまで堪えなさい! ……堪えや、メイッ!」 「ンな頭ごなしにメイをいじめてやんなって。あーゆーのをブッ潰すのがオイラたちの役目なんだからよ。 ……っつーわけだ。オイラもちょいと“仕掛け”てくるぜ」 「――ちょ、ちょっと! 何を言い出すのですか、ジェイソンさん! さっきと言ってることが逆さまじゃないですか! 私の話なんて、最初から聞く気がなかったと言うことですか!?」 「全然違うだろ。確かにボクらはハブールの人たちには口出し出来ないよ。でも、戦う相手は難民じゃない。 今度はギルガメシュなんだ。メイも言っただろ? あいつらだけは食い止めるってッ!」 「なんでシェインさんがそんな堂々と……まさか――」 「……あいつらは人間じゃねぇ――ブッた斬ってやるッ!」 「よし来た! シェイン、オイラの背中はおめーに預けるぜェ!」 「全くもうあなたたちは! ……そんなこと言われたら、私だって付き合うしかないじゃないですか……」 ローガンとハーヴェストが自制を訴える中、ジェイソンだけは諸手を挙げてジャーメインに賛同した。 他の隊員よりも個人的な欲求――格闘技者としての本能に正直と言うべきかも知れない――が強いものの、 彼とてパトリオット猟班なのだ。このようなときにこそ拳を振るう者である。 シェインもシェインでジェイソンに同調している。今から駆けつければ幾人かの命を守れるかも知れないのだ。 グリーニャの再現となってしまった今、せめて犠牲者を減らすことに剣を抜きたかった。 彼らのようにギルガメシュへ挑まんと望む者も少なくはなかろう。 Aのエンディニオンからの難民と言う境遇からハブールの民へ同情的だったダイジロウとテッドも、 労働者階級の人々と縁を結んだルディアも、自責の念に駆られるダイナソーさえも、 何かきっかけがあれば戦闘態勢へ入るに違いない。 義を重んじるシルヴィオが自分も混ぜるようジャーメインに直訴しないのが不思議なくらいだ。 「……先に行け」 中立――と言う括り方も珍妙であるが――を保つマリスたちに向けて、 アルフレッドは一足早くワーズワースから離れるよう号令を発した。 しかし、誰も動かない。皆、固唾を呑んでアルフレッドとジャーメインの対峙を見守っている。 ホゥリーだけは飄々と逃げ出そうとしたが、これはフツノミタマの右腕によって押さえ付けられた。 「そうは参り申さん。ギルガメシュと戦うか、戦わざるか、それを賭した腕比べにござろう。我らが見届けずして何と致し申す!」 先程の指示には皆を代表して守孝が答える。これもまたアルフレッドの意を酌んで選ばれた言葉であった。 守孝の言葉を以ってして、アルフレッドとジャーメインによる対峙の結果が敵中突撃の是非を占う形となったのである。 つまるところ、守孝なりのお膳立てと言うわけだ。 アルフレッドがジャーメインを制することが出来れば、いきり立つジェイソンやシェインも今度こそ撤退を承服するだろう。 いよいよアルフレッドには敗北が許されなくなった。 殆ど巻き添えに近いヴィンセントは「ボヤボヤするなって言ったばっかじゃねぇか!」と頭を掻き毟っているが、 だからと言って、ひとりだけ小器用に逃げることはなかった。佐志とロンギヌス社にて連携を誓ったからには、 どのような結末になろうとも一蓮托生と覚悟を決めているのだろう。 「邪魔をするなら手加減しないわよ、アル!」 「お前がギルガメシュに突っ込めば、俺たちの存在まで奴らに露見してしまう。連合軍の作戦まで台無しになると言うことだ」 「裏舞台でコソコソやり難くなるって? 知らんがなッ! そんな苦境、拳ひとつでブチ破りなさいよ!」 「言った筈だ。作戦を乱す者は誰であろうと容赦なく討つと。……断固として通すわけには行かない」 背後を脅かす火勢は相変わらず猛烈であり、川向こうの銃声や壮絶なる悲鳴は秒を刻む毎に大きくなっている。 戦闘車両が労働者の区域にまで襲来する可能性も決して低くはない。短期決戦を仕掛けるしかなかった。 アルフレッドが上着――ヴィンセントより借りた物である――のファスナーを開く。それが開戦の合図である。 「――押し通るッ!」 短期決戦と言う思案だけはジャーメインも共有していたようで、一足飛びで間合いを詰めるなり、 彼女は稲妻の如き左ローキックを振り抜いた。狙いは右の内膝だ。 アルフレッドはこれを自身の右足で軽く撥ね飛ばす。ジャーメインが蹴り技を繰り出そうとする度、 先程の状況を反復でもするかのように脛や足先を撥ね飛ばし、出端と呼べる動作を悉く挫いていく。 ジャーメインが拳や肘による打撃を試みたときには、一歩踏み込みつつ目突きのフェイントやこめかみへの裏拳で 揺さぶりを仕掛けていった。 裏拳と言っても回転を伴うものではない。動きは最短最速。手首の振りを利かせて速射するのだ。 大振りに比べて一撃毎のダメージは小さいものの、精確に当て続けることが肝要である。 ダメージは着実に蓄積され、戦いが進めば進むほど、じわじわと響いてくる。 この場に於いては、ジャーメインの焦燥感を煽ることに意味があった。 「こンの――時間ないって言ってるでしょうがッ!」 「ならば、どうする? 俺も体力には自信があるほうだぞ。我慢比べで負ける気はしない」 「試合を楽しんでる場合じゃないってのッ!」 相手側からの急速な踏み込みによって、効果的な体さばきが取れる間合いを潰されたジャーメインは、 打撃の速度も大幅に減退されてしまい、せいぜい中途半端な肘打ちを放つことしか出来ない。 これもまたアルフレッドの頬を掠める程度のもので、致命傷には程遠かった。 短期決戦を指向していながら小技で焦らすような試合運びとなっているが、全てが計算に基づく布石である。 アルフレッドがジャーメインと立ち合うのはこれで二度目だ。 たった二回の戦いだけで彼女が操るムエ・カッチューアの神髄まで見抜いたとは思っていないが、 それでも“傾向と対策”はおぼろげながら見えてくる。 前回の――ハンガイ・オルスでの戦いと同じく、またしてもジャーメインは冷静さを欠いていた。 今度は短期決戦と言う条件まで課されているので、初戦とは比べ物にならないほど逼迫している筈だ。 アルフレッドと相対しつつ、焦燥感とも格闘中と言う状況である。 心理的に急き立てられる中、戦いが膠着状態に陥ったと見て取れば、必ずや形振り構わぬ大技勝負に出るだろう。 事実、ジャーメインは飛び膝蹴りなどの大掛かりな技を数多く体得している。 アルフレッドにとっては、それが狙い目であった。執拗にジャーメインを焦らし続け、 その圧迫感が最高潮に達した瞬間にきっかけを与えて大技を引き出す―― 不用意に飛び込んできたところを迎え撃つと言う作戦だった。 「我慢比べで負ける気はしない」と言う先程の挑発は、まさしくこの作戦の為の“仕掛け”であった。 「その分厚い壁、今度こそ突破してみせるッ!」 案の定、ジャーメインはアルフレッドの“誘い”に乗った。 左ローキックが弾かれるなり後方に跳ね、着地と同時に反動をバネとして生かし、再びアルフレッドへと飛び込んでいった。 一直線の膝か、回転を伴う足甲か、はたまた紫電一閃の脛か―― 急速接近してくるジャーメインを見据えつつ、アルフレッドはありとあらゆる攻め手に備えようとしていた。 前回は太股でもって頭を挟み込まれ、連続して肘を振り落とされたのだ。 それに対して、今度の飛び込みは高度がやや低い。下方より膝を突き上げるのに適した状態に見える。 ここに至ってアルフレッドの焦点は膝に絞られた。 (この勝負、貰った――) (――『この勝負、貰った』とか勝ち誇ってそうよね) しかしながら、ジャーメインも格闘士としては一流である。自分を陥れた策には気付かなかったものの、 彼がカウンターのタイミングを計っていることは瞬時にして見抜いた。 そこでジャーメインは奇策を講じた。飛び込みから膝蹴りへ転じるとあからさまに見せつけておいて、 最後の一瞬で彼の裏を?こうと言うのだ。 果たして、ジャーメインのフェイントは功を奏した。膝蹴りを警戒するアルフレッドの懐まで一気に間合いを詰めると、 両手でもって詰襟を掴み、それと同時に彼の眉間目掛けて頭突きを見舞ったのである。 「――が……ッ!?」 「アルの考えそうなことくらいお見通しなのよッ!」 アルフレッドにして見れば、策に溺れた恰好だ。予想だにしない頭部への痛撃でよろめいている間に、 とうとう『首相撲』の形に持ち込まれてしまった。相手の首へ両腕を回して組み付くこの体勢は、 ムエ・カッチューアにとって必勝の型とも言うべきものである。 首相撲の状態となったムエ・カッチューアの戦士は、相手の五体を破壊し尽くすまで加撃を緩めないと恐れられている。 他の類例に漏れず、ジャーメインもアルフレッドの首を固めたまま超速で膝を突き上げた。 先程までは策を持って翻弄しようと謀っていたアルフレッドだが、肉薄した先は戦士としての勘や瞬発力の勝負であり、 この領域の駆け引きではタイガーバズーカにて鍛錬を積んできたジャーメインにも引けは取らない。 火山の噴火の如き勢いで繰り出された膝蹴りを右掌でもって受け止めてしまった。 前回は戦いの最中に両腕が使い物にならなくなり――片腕は直前まで立ち合っていたミルドレッドによって折られていた――、 拳や掌についてはジャーメインを相手には殆ど用いることが出来なかった。 だが、今度は違う。シルヴィオと渡り合ったジークンドーも、アカデミーで叩き込まれたサバットも存分に使っていけるのだ。 右掌で膝をブロックしたアルフレッドは、対の左拳をジャーメインの脇腹へと差し向けた。 密着した状態とは、何もジャーメインにのみ有利と言うわけではない。 アルフレッドからすれば、必殺の『ワンインチクラック』を繰り出せる間合いであった。 瞬時にして全身の力を振り絞り、拳に乗せて相手に突き込むと言うワンインチクラックは、 その名の通り、一インチが必殺の間合いである。相手と拳に僅かな隙間さえあれば、 如何なる体勢であっても放てるようアルフレッドは修練を積んできた。 「んんッ!」 果たして、ワンインチクラックはジャーメインの脇腹を深く抉った――が、それでも彼女は倒れない。 歯を食いしばって踏ん張りを利かせ、もう一度、同じ足にて膝蹴りを放った。 「ド根性ーッ!」と言う吼え声には、激痛を凌ぎ切った気迫が表れているようだった。 よもや、ジャーメインがワンインチクラックの直撃に耐えられると思っていなかったアルフレッドは、 再び襲ってきた膝に直撃を許してしまった。今度も掌で受け止めてはいたのだが、勢いを減殺することまでは叶わず、 右手もろとも顎を撥ね上げられたのである。 直接的な損傷こそ最小限で済んだものの、ジャーメインに追撃の好機を与えてしまったのは相当な痛手だ。 彼女は尚も首相撲を維持し、アルフレッドの頭を下げさせておいて、三度(みたび)、膝を突き上げた。 今度ばかりはアルフレッドにも防ぎ切れず、眉間に直撃を被ってしまった。 頭突きに続いて頭部へのダメージは二度目となる。脳を揺さぶった衝撃は抜け切っておらず、 堪り兼ねてアルフレッドはよろめいた。割れた額からは鮮血が迸っている。 この状況を看過するジャーメインではない。すぐさまにアルフレッドの身を固い地面へと投げ付け、 倒れたところに右肘を振り落とした。急降下の勢いをたっぷり乗せた肘は、それ自体が必殺の威力を有するものである。 首投げから追撃を図る連携技は前の戦いでも見せられている。ハンガイ・オルスのときは両の膝を落とされそうになった。 今度は肘である。打撃に用いる部位こそ違えど、技に移る呼吸や体さばきは大きく外れてはいない。 それ故、アルフレッドにも容易く見切ることが出来たのだ。焦って一撃必殺を狙うあまり、 攻めの組み立てが単調になってしまうのがジャーメインの悪癖だった。 「同じパターンが二度も通じると思うなァッ!」 「アルに言われたかないわよッ!」 身を捩じらせて右の肘落としを避けたアルフレッドであるが、ジャーメインは決して追撃を止めることはない。 地面に背を着けたままで左足を振り回し、隣に寝転んでいる筈のアルフレッド目掛けて鋭角に叩き落した。 最小最短の動きで相手の動きを封じようとする試み自体は悪くないのだが、 如何せんこのときアルフレッドは既に両腕の屈伸のみで跳ね起きており、 鉈の如く鋭いジャーメインの蹴りも虚しく空を切るのみであった。 そんなジャーメインに降り注いだのは、オーバーヘッドキックの要領で放たれたアルフレッドの蹴り技だ。 低空から無理な姿勢で撃ち込まれたものではあるが、右脛は彼女の延髄を強打しており、見た目以上にダメージは大きい。 しかも、だ。右脛が当たると見るや、アルフレッドは中空にて身を捻り、対の左足甲でもって更に彼女の後頭部を脅かした。 変形の前回し蹴りである。さしものジャーメインも延髄への二連撃は堪えたようで、 地面へ片膝を突きつつ苦悶に喘いでいる。 「どんだけ延髄狙うの好きなわけッ!?」 確かに前回の立ち合いに於いてもジャーメインはアルフレッドから延髄に蹴りを見舞われている。 人体急所を狙うのは“実戦”の定石であろうが、背面と言うこともあって延髄を攻められる機会はあまり多くない。 それにも関わらず、毎回のように同じ箇所を強打されるとは、ある意味では珍奇な体験である。 この場合、蹴りを繰り出すのが「いつも同じ人間」と言うこともポイントだろう。 忌々しげに舌打ちしたジャーメインは、次の瞬間にはカンガルーと化していた。 無論、言葉の通りの意味ではない。後ろ足でアルフレッドを撥ね飛ばす様が件の動物を想起させたのだ。 地に付けた両手でもって身体を持ち上げつつ、両足を槍の如く垂直に突き出したのである。 変則の延髄蹴りを終え、上体を引き起こそうとしていたアルフレッドには、胸部狙いの奇襲を避けることが出来なかった。 「……本当に人真似が好きだな、お前」 「先にパクッたのはアルでしょうが!」 中空で身を捻る変形の前回し蹴りも、自身をカンガルーに見立てた奇襲も―― 前回の戦いに於いて、アルフレッドとジャーメインは互いに似たような技を繰り出していた。 口先では相手を批難し合うものの、実際には互いの技に着想を得ている。 罵り合戦の次は、再び打撃の応酬である。双方ともに体勢を立て直し、間合いを詰めていった。 機先を制するべくジャーメインが左右の拳を順に突き入れ、これをガードされると見るや、 更に一歩踏み込んで右膝を振り上げた。 今まさに突き上げられようとしているジャーメインの右膝を、アルフレッドは自身の左足裏で踏み付けた。 先程の攻防のように掌で受け止めるのでなく、蹴りへ移ろうとする挙動自体を押し止めたのである。 続けざま、同じ左足を扇でも開くかのような軌道で振り回す。足甲でもってジャーメインの横っ面を弾き飛ばそうと言うのだ。 胸を反り返らせて蹴りを避けたジャーメインは、その姿勢をもバネの如く活用して鋭く踏み込んでいく。 肩の高さまで持ち上げた右腕にて肘打ちを繰り出すつもりであった。 これを正面に見据えたアルフレッドも、敢えて間合いを詰めていった。同じ右肘でジャーメインを迎え撃とうとしている。 「ぐゥ……ッ!」 「んあァッ!」 鈍い打撲音が轟き、両者の右肘は殆ど同時に相手の身体を抉った。 本来、『バタフライストローク』と言う連打から派生させる肘打ちを、『ライトニングシフト』を直接繰り出したアルフレッドは、 ジャーメインの左脇腹に浅からぬダメージを加えていた。 先程のワンインチクラックと合わせて左右の脇腹に浅からぬ痛手を被った恰好である。 相打ちとなったアルフレッドも無傷ではない。ジャーメインの右肘も彼の左のこめかみに突き刺さっていた。 そこから新たな鮮血が噴き出し、傍観者たるマリスに悲鳴を上げさせた。 「――取るッ!」 「させるかッ!」 互いに殆ど密着した状態である。そこから首相撲を仕掛けようとするジャーメインであったが、 アルフレッドはそれを許さない。向かってくる左右の腕をすり抜けるようにして彼女の懐深くまで滑り込み、 右肩から猛烈な体当たりを食らわせた。 ワンインチクラックと同種の術理にて全身の力を振り絞る『サイレントイラプション』だ。 まともに喰らえばジャーメインの身体など突風に煽られた紙切れのように吹き飛んでしまうところだ。 実際、前回の戦いではこの体当たりで激甚なダメージを被っていた。 「同じパターンが二度も通じると思うな」とはアルフレッドの弁だが、それはジャーメインとしても同じこと。 技が完成する寸前に自ら後方へと跳ねて直撃を免れた。 『再戦』と言うものが如何に難渋であるか、アルフレッドとジャーメインは身を以って知った。 互いの癖や技の傾向が分かってしまうだけに、あと一歩のところでどうしても仕留め切れないのだ。 状況の打開を期して、前回の戦いで使わなかった技もジャーメインは幾つか試してみた。 高く上げた右足――その裏でもって相手の顔面を踏み付け、全体重を掛けて叩き伏せると言う荒業は、 一旦は成功したかに見えた。アルフレッドの顎へ直撃させることにも成功したのだ。 しかし、アルフレッドは落下の最中に片手を付き、難なく転倒を防いでしまった。 それどころか、片腕一本を軸にして身を翻すや、反撃の後ろ回し蹴りまで仕掛けたのである。 相当に無理な体勢ではあるものの、得意の『パルチザン』に違いなかった。 これを片腕のみで防ぎ切ったジャーメインは、対の手を繰り出して首相撲に持ち込もうとした――が、 アルフレッドは地に付けていた掌で『ホウライ』を炸裂させ、反動に乗って後方へと飛び退った。 次に彼女が首相撲を狙うことも読み切っていたわけである。 「……ホウライ使うのはさすがに卑怯じゃない?」 「タイガーバズーカの出身者が何を言っているんだ」 「これでも自重してんのよ。ギルガメシュ相手には好きなだけ使わせてもらうわ」 どのような技を試みようとも、結局は押し切れない。決め手を欠いたまま持久戦の様相を呈し始めていた。 今すぐにでも渡河して駐屯軍を全滅させたいジャーメインは言うに及ばず、 アルフレッドとしても戦いの長期化は望むところではない。 さりとて、一気に突き崩すだけの策があるわけでもない。焦る気持ちとは裏腹に、相手の出方を窺うしかなかった。 大火災を背にするアルフレッドには、容赦なく熱風が吹き付けている。 「もうおやめください! ……アルちゃん! お願いですから、もう……っ!」 川向こうから銃声あるいは砲声が轟く度に肩を震わせるマリスは、ふたりの戦いを愚行(おろか)としか思えなかった。 ネルソンとロレインの悲劇を目の当たりにしたばかりではないか。その上、惨たらしい屍は一秒毎に増え続けている。 このような状況下にも関わらず、仲間同士の殴り合いで血を流すなど犠牲者への冒涜にも等しい筈だ。 ネルソンより受け取ったアメジストの指環は、今もアルフレッドのポケットに収められている。 (血で穢してはならないのです……! 神聖な誓いだったではありませんか……!) アルフレッドとジャーメインの戦いを見るのはマリスも初めてだが、両者ともに本気で相手を潰しに掛かっている。 首投げでアルフレッドを倒した後、ジャーメインは即座に肘を振り落とした。 結局、彼は身を捩って直撃を避けていたが、肘の落下地点を見れば、固い地面に深々と穴が穿たれているではないか。 仮に胸部にでも喰らっていたら、陥没は免れなかっただろう。 パトリオット猟班の宿願はギルガメシュの討滅にある。この道を阻む者は誰であっても容赦しないと言うわけだ。 しかし、手加減をしないのはアルフレッドも同じである。史上最大の作戦に支障を来たすような振る舞いは断固として許さず、 即時粛清するとまで宣言していた。ジャーメインは間違いなくその対象に当てはまる。 女性に対して平然と打撃を見舞うアルフレッドは、マリスとしても見ていて気持ちの良いものではない。 ジャーメインは格闘士としてこの場に立っており、アルフレッドも彼女の意志に応じている―― 両者の覚悟は察せられるのだが、それでも、感情の部分で割り切ることが難しかった。 (……フィーナさん……フィーナさんはどうなさるおつもりなの――) フィーナの様子を窺うと、彼女は依然として座り込んだままであり、アルフレッドとジャーメインの攻防を一瞥すらしていない。 但し、その手にはSA2アンヘルチャントを強く握り締めている。 (……こ、こんなとき、真っ先に飛び出しそうですのに……) 尋常ならざるフィーナの様子に戸惑いつつアルフレッドへと視線を戻したマリスは、 そこに捉えた情景へ息を呑み、今まで以上に表情(かお)を強張らせた。 勝負が動こうとしていた。アルフレッドは左掌に、ジャーメインは右脚に、それぞれ蒼白いスパークを纏わせている。 両者ともにホウライの力を以ってして戦局を打開せんとする気組みであった。 「……勝負は一発で構わないな?」 「ホウライ外しも何もナシ。競り負けたほうが道を譲るってことね」 アルフレッドは『ペレグリン・エンブレム』と銘打たれた掌打で、ジャーメインは飛び膝蹴りで真っ向勝負を仕掛けようとしている。 互いに一発だけ銃弾を装填し、早撃ちで決闘するようなものだ。確かに短期決戦と言う“場”には 引き戻されたかも知れないが、そこには大いなる危険を伴っていた。 やがて、彼方の爆発音に此方の吼え声が混じり、勝負が動いた―― 「――ガシンタレどもがぁッ! ええ加減にさらせェッ!!」 ――が、吼え声を上げたのも、勝負を動かしたのも、当事者ふたりではなかった。 今まで黙りこくっていたシルヴィオである。大地を蹴って飛び上がるや否や、 轟音と共にアルフレッドとジャーメインの間に着地し、次いで「この勝負はわしが預かる!」と宣言するかのように 自身の両手を大きく広げた。開いた掌を以って、その場に踏み止まることを両者へ命じているわけだ。 完全に意表を突かれたふたりは、攻撃に移ろうとする体勢のままで暫く硬直し、呆けたようにシルヴィオを見つめるばかり。 集中が解けた為、ホウライの蒼白い輝きも自然と消滅してしまった。 ふたりの動きが完全に停止したことを認めたシルヴィオは、次いで自身のもとまで近付いてくるよう手招きする。 驚愕によって思考が停滞しているふたりは、幻術にでも惑わされたかのように何の躊躇いもなく歩み寄っていった。 アルフレッドとジャーメイン、双方の顔を順繰りに見つめたシルヴィオは、 ふたりの胸倉を掴みつつ「歯ァ食い縛らんかッ!」と叱声を飛ばし、勢いよく互いの眉間を激突させた。 「貴様、トレイシーケンポー……」 「な、何すんのよ!?」 頭の内側へ波のように広がっていく鈍痛にて意識が覚醒したアルフレッドとジャーメインは、 すぐさまシルヴィオに食って掛かった。手招きに応じたと言うのに、待っていたのは酷い仕打ちなのだから、 不満が噴出するのも無理からぬ話であろう。 怒りの声を浴びせられた側も、すこぶる機嫌が悪い。只でさえ大きな双眸を更に見開き、ふたりを交互に睨み付けている。 忙しなく首を振る様が顔立ちの幼さを余計に強調するものの、全身から立ち上らせる憤怒の気魄は、 とても子どもには醸し出せないものだ。そこには業(ごう)とでも呼ぶべき想念まで入り混じっていた。 「何もクソもあるかい! 救いようのあらへんアホンダラに仕置きをしたまでじゃ!」 「ちょ、ちょっと! 何よ、その言い草!? アホ呼ばわりは聞き捨てならないわね!」 「アホにアホ言うて何が悪いんじゃ!?」 「あんた、川向こうを見て何とも思わないの!? ギルガメシュが何をしているのか……ッ! 上層部(うえ)が無視を決め込むからって、あいつらのやることは全部見て見ぬフリッ!? スカッド・フリーダムの義も地に堕ちたもんねッ!」 「義の前から尻尾巻いて逃げたカスが何偉そうに語っとんねんッ!?」 「ギルガメシュにビビッたのは、あんたたちのほうだッ!」 スカッド・フリーダムの義を卑しめるジャーメインに対して、シルヴィオは一等激しく怒り狂った。 アルフレッドが間に割って入って食い止めたが、今にもジャーメインと取っ組み合いを始めそうな猛り方である。 シルヴィオが殴りかかってきたときには、ジャーメインも喜んで応じることだろう。 やはり、スカッド・フリーダムの義とパトリオット猟班の志は根本的に相容れないのだ。 「あんたが義の戦士を名乗るなら! これからもその隊服を身に纏うつもりなら! それに相応しい戦いをしなさいよッ! ……あんたの掲げる義ってモンは、目の前の虐殺を見逃すもんなの!? そんなこと、許されると思ってんのッ!?」 「許す許さんの問題とちゃうわ、ボケかましがッ! ……わしらは負けたんじゃッ! 完敗じゃッ!」 完敗――シルヴィオの発した言葉の意味を、アルフレッドは静かに受け止めている。 一体、何の勝負に敗れたのかと質す必要もないと思っている。 自分たちの置かれた状況を言い表すには、シルヴィオの吐き捨てた「完敗」の二文字が最も似つかわしいだろう。 それこそがアルフレッドの偽らざる気持ちであった。 「義の心があれば、なんでも救えるっちゅーんかい!? ワレが言うように仇を討ったってなぁ、満足するんは手前ェだけやッ! 殺された連中の無念なんぞ晴らしたことにはならへんのじゃッ!」 「なるッ! 奪われた未来の為に戦うのは、決して無駄じゃないわッ!」 「ほんで、その後はどないすんねん? スカッド・フリーダムもロンギヌスも、ギルガメシュに目ェつけられてドンパチ開戦や! ワレぁそれでもええやろ、ヤツらと殺し合いがしとうてたまらんらしいからの! そやけど、わしらはそうは行かん! ホンマの義を貫き通せなくなってまう!」 「やる前から何言ってんのよ! スカッド・フリーダムの総力を結集したらギルガメシュにだって勝てるじゃないッ!」 「どこまでアホなんじゃ、ワレぁ! ……スカッド・フリーダムの義は弱きモンを助けることじゃッ! 難民はどないして救うんじゃ!? 困っとる人らはワーズワース以外にもぎょーさんおんねんぞッ!? ドンパチ始めてもうたら、それもこれも丸ごとフッ飛んでまうわッ!」 シルヴィオの声は際限なく大きくなっていく。それと同時に“質”自体も単純な怒号から少しずつ変わり始めていた。 ジャーメインの短慮を頭ごなしに叱り飛ばすと言うよりは、己自信へ言い聞かせているようにも見えるのだ。 それがジャーメインにも伝わったのだろう。今や、反論の声はすっかり止まってしまっている。 「なんも言えんやろ? なんも言えんっちゅーことは、なんも出来(でけ)へんこととおんなじやッ! わしらがワーズワースにしてやれることはなんもないッ! それが――わしらがボロクソに負けたっちゅーこっちゃッ! この……ガシンタレがぁッ!」 大音声を張り上げたシルヴィオは、双眸に熱い雫を溜めている。それでも落涙だけはするまいと必死に堪えていたのだが、 小刻みに震える頬がそれを許さず、一筋二筋と頬を滑り落ちていった。 その様に感じるものがあったアルフレッドは、思わずヴィンセントへと首を向ける。 問い掛けるような眼差しに気が付くと、彼は痛ましげな面持ちで頷いて見せた。 ジャーメインから義の在り方を問われるまでもなく、シルヴィオも本当はギルガメシュを討ちたかったのだ。 普段着を脱ぎ捨てて義の戦士の装束を纏ったのは、不当な暴力との戦いを決意したからに他ならない。 駐屯軍が『掃除』を始めると知ったときも、一度は敵中に火炎旋風を起こそうとしたのである。 しかし、ヴィンセントとマクシスムには、これを短慮と叱責されてしまった。救える者も救えなくなると諌められてしまった。 ジャーメインに語った通りである――ここで自己満足の拳を振るおうものなら、 スカッド・フリーダムとギルガメシュの全面戦争を招くのは必定。 義の戦士たちがそれを望まなくとも、四剣を象る軍旗は必ずやタイガーバズーカを包囲することだろう。 そのような事態になれば、さしものスカッド・フリーダムも合戦の道を選ばざるを得なくなる。 そして、出撃の決断が下されてしまうと、難民の救済と言う最優先事項も果たせなくなる―― 即ち、第二、第三のワーズワースを生み出すことになるのだ。 無念も悔恨も、シルヴィオは全てを飲み込んでいた。だからこそ、ジャーメインと肩を並べることが出来なかった。 この『完敗』を誰よりも悔しく思っているのは、「ガシンタレ」と呟き続けるシルヴィオ自身であった。 背に担ったライフル銃は、何よりも重く彼に圧し掛かっていることだろう。 「……何もかも手遅れなんだ」 「……アル……」 茫然自失と言った表情(かお)で立ち尽くすジャーメインの肩へと手を置き、 正面から見据えたアルフレッドは、自分たちが「負けた」ことを改めて諭した。 シルヴィオから彼女の説得を引き継いだ形である。 「お前が死ねば、お前の家族はどうすると思う? 命を捨ててでも復讐に走る筈だ。 そうなったら、もう負の連鎖は止められない。……ギルガメシュを本当に倒したいのなら、 まず自分が生きることを考えろ。お前の死に場所はここじゃない」 アルフレッドの説得へ耳を傾けていたネイサンは、 嘗て『ワヤワヤ』で出会ったスカッド・フリーダムの隊員を脳裏に蘇らせていた。 ビクトー・バルデスピノ・バロッサと言う男は、ジャーメインの義兄と名乗っていた。彼女の姉のもとに婿入りしたそうだ。 つまり、バロッサ家の人々はタイガーバズーカで健在と言うことである。 もうひとつ付け加えるならば、ジャーメインの実父は相当な子煩悩でもあるそうだ。 アルフレッドが語った「負の連鎖」も全く有り得ない事態ではなかった。 「……そんなこと……言われたら……」 アルフレッドから生きるよう諭され、ジャーメインの面から憤怒の色が消え失せた。 肩へと添えられた体温に自身の手を重ね合わせて俯き、ほんの一瞬だけ泣きそうな表情(かお)を見せた後、 アルフレッドの胸の中へと飛び込んでいった。 このときばかりはマリスも悲鳴を上げそうになった――が、すぐさまジャーメインの行動も止むを得ないと思い直した。 志を果たすことの出来ない無念と、家族を引き合いに出されての説得、更には古巣の掲げた義に揺さぶられ、 今の彼女は心が千々に乱れている筈だ。誰かに縋らなければ、おそらくは壊れてしまうだろう。 それに、だ。アルフレッドはジャーメインへ嘗ての自分を重ね合わせているようにも思える。 復讐の鬼と化し、破滅しかけた経験があるからこそ、同じ悲劇を繰り返させないよう腐心しているわけだ。 (……ア、アルちゃんのカリスマは、昨日今日に始まったものではありませんもの……) 自分ではない別の女性を抱きとめる様には複雑な思いを禁じ得ないものの、 “恋人”として毅然と見守らなくてはならなかった。 気遣わしげに声を掛けてくるタスクにも「アルちゃんは分け隔てなく慈悲の心を示せるのよ」と鷹揚に頷いて見せた。 そのように振る舞わなければ、すぐにでも気持ちが折れてしまうのだ。 「ワレはどうじゃ、ジェイソン。負けを認められん言うなら、次はジークンドーやのうて、わしが相手になったるで」 「……いや、シルヴィーの言う通りだよ。オイラにゃ、もうどうしようもねぇや。 ……くそったれ、これが負けの味かよ。どうしようもなく苦ェじゃねーか……」 「シルヴィー言うなや……」 渡河の是非をシルヴィオから問われたジェイソンたちも首を横に振る。 今や、『完敗』と言う現実を誰もが受け入れていた。 「とっとと仕舞え、クソガキ。ンなことする為に剣を教えたワケじゃねぇんだぞ、オレは」 「……分かってるよ、バカオヤジ」 グリーニャのときと同じように何も出来なかった――苦しげな呻き声を漏らしつつ、 シェインがブロードソードを鞘に納めたとき、どこからともなく拳銃の撃鉄を引き起こす音が聞こえてきた。 「……違うよ、メイさん。どうしても許せないなら自分で立ち上がらなきゃダメだよ――」 フィーナである。撃鉄を引き起こした状態のSA2アンヘルチャントを携えつつ、不自然なほど緩慢に立ち上がった。 左掌で銃把の底をしっかりと押さえつつ、右の人差し指を銃爪へと引っ掛けている―― それはつまり、リボルバー拳銃を撃発する条件が全て整ったことを意味している。 エメラルドグリーンの瞳は川向こうにて暴虐の限りを尽くす駐屯軍へと向けられており、 そこには灼熱の如き怒りを灯していた。先程までのジャーメインに匹敵するか、それを上回るほどの火勢である。 誰に対しても一杯の優しさを示し、安らぎを与える愛らしい面さえ憤激に歪み切っているではないか。 「何の罪の無い人たちまで……許せない……許せない――絶対に許せないッ!」 非道という言葉以外に形容しようのないギルガメシュの所業と直面したとき、 フィーナは生まれて初めて心の底から激昂していた。人非人の兵士たちを全滅させるつもりで銃を取ったのだ。 このトラウムを初めて具現化させたときには泣き暮らし、スマウグ総業の社員を殺めてしまったときには、 自らの命を以って償おうとまで思い詰めた少女が、怒りに任せて銃爪を引こうとしている。 それは合戦場での銃火とは意味が違う。フィーナがしようとしているのは戦いとはかけ離れたことだ。 ただ、憎むべき相手の命を奪うのみである。 フィーナが取り憑かれた怒りとは、まさしく狂気そのものであった。 再戦の前にアルフレッドとジャーメインが確認した取り決めをも躊躇いなく踏み破っている。 普段の良識的な姿からは想像もつかない暴挙ではないか。 「こ、このおバカっ! こんな所でひとりふたり撃ち殺して何になるのよ!? フィーが犬死にするだけじゃない!」 「あの日、誓った正義はどこに行ったの!? あんたに手を穢せって誰が強いたのよ!? ……あのふたりが報復を望むとッ!?」 「コカッ! コカーッ!」 寸でのところでトリーシャが腕と肩を掴み、ハーヴェストが正面に回り込んで押さえ付けた。 ムルグもまた落ち着くよう懸命に説得し続ける。ジャーメインを抱き留めてさえいなければ、 アルフレッドのその場に駆けつけたことだろう。 最初の間はトリーシャたちを振り解こうともがき続けていたものの、 やがて己の行動の全てが無意味であると悟り、その場に力なく崩れ落ちた。 両手より滑り落ちていったSA2アンヘルチャントには悲しみの雫が降り注いでいる。 それはフィーナの双眸より枯れることなく零れ続け、間もなくヴィトゲンシュタイン粒子の燐光と融け合わさった。 「……皆を助けるためにここに来たはずなのに……なのに……こんな……こんなことになってしまうなんて――」 憎悪の支配より解き放たれたフィーナは、嗚咽を漏らすことしか出来ない。 彼女が繰り返し漏らす慟哭は、まさしくダイジロウとテッドの思いでもあった。 物資の支援を断ったクレオパトラに対し、せめてワーズワースの行く末だけでも見届けたいと哀訴したのだが、 それがまさかこのような結末を迎えると、どうして予想出来ただろうか。 彼らも篤くイシュタルを信仰している――が、今日ばかりは神々の定めた残酷な運命を呪わずにはいられなかった。 「――嗚呼、イシュタルよ! 今日ほど幸運に感謝したことはありません! ワタクシには素晴らしき友がおりました!」 重苦しい空気に包まれるアルフレッドたちのもとへ腹立たしいにも程がある声が飛び込んできた。 比喩でなく、文字通りの意味で尻に火の点いたK・kである。この男も一行と同じ経路から脱出を図ったらしい。 ヒューから手錠を外された後、本当に置き去りにされたK・kは、 あちこち逃げ惑っている間にヴィンセントたちの姿を見つけ、死に物狂いで追い掛けたのだと言う。 一行が自分の到着を待っていてくれたと勘違いしたようで、先程より感動に咽び泣いている。 ホゥリーとは別の意味で、ありとあらゆる行動が他者を苛立たせる男であった。 「正直、もうダメかと思いましたよ、エエ……。あの連中、向こうのエリアを征圧したらこっちにまで攻め込むって言うし……。 バカですよね、本当! こっち側の難民に生き残りがいるように見えます!? 丸焼けですよ、もう! ストーンブリッジから見たら、このあたりは地表と炎の区別もつきませんからねぇ!」 K・kの大泣きなど黙殺すべきだが、彼はひとつだけ聞き捨てならないことを言った。 予想した通り、駐屯軍は労働者階級に生存者がいるか否かを確かめるつもりのようだ。 最早、一秒たりとも立ち止まってはいられなかった。 戦闘車両に先行し、歩兵部隊が間近まで迫っているのかも知れないのだ。 「急ぎましょう、アル君。いつこちらに銃口を向けられるか分かりません」 セフィより促されたアルフレッドは、皆に改めてワーズワースからの撤退を指示した。 恥らうように彼の胸から離れたジャーメインも、他の仲間たちに混じって離脱を急ぐ。 シェインも、シルヴィオも、ダイナソーも――誰もが皆、遣る瀬ない思いでこの地を去っていった。 問題はフィーナである。どうやら一歩も動けないほどに消耗してしまっているらしい。 ムルグたちに急かされても微動だにしない彼女の身をアルフレッドは強引に抱きかかえ、そのまま退路へと足を向けた。 視線の先ではマリスとヴィンセントが待っている。まずはそこまで駆け抜けるのだ。 「……アル……」 「……何も言わなくていい。分かっている……」 敗れた者には何かを語る資格などない――ハブール難民の為に出来ることは、最早、何ひとつないのだ。 ヴィンセントや他の仲間たちを相手に、得意気になってワーズワース救済案を謳った己を恥じ入るばかりである。 (……すまない――) 『完敗』と言う現実を心に刻み込みながら、アルフレッドはワーズワースに背を向けた。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |