3.Birds of a feather flock together


「はーい、ふたりとも注目〜。コレな〜んだ?」

 ――だが、その緊張は呆気なく断たれた。戦いの終わりを告げたのは、
火炎旋風による訃音ではなくネイサンからの呼びかけであった。
 両手でもって古めかしい蓄音機を掲げている。正しくは「蓄音機めいた何か」である。
随所に改造を施した形跡が見られ、レコード盤を設置する土台の側面からは、
何故かスプレー缶の底やガラスの筒が突き出している。ガラスの筒は真空管のように思える。
 スピーカーに相当する円筒はふたつ設けてあるが、その内のひとつはどう見ても後から強引に取り付けられたものだ。
その上、正規のパーツとは明らかにサイズが違う。そちらを朝顔と例えるならば、
後付の物はラフレシアと言っても過言ではない。
 常に背負っているリュックサック――桔梗模様を染め抜いた幟旗が一本突き出している――から引っ張り出した、
ネイサン自慢のリサイクル品であった。アルフレッドの記憶が正しければ、
爆発的としか例えようのない大音量のノイズを発生させる物であった筈だ。
 商品名――あくまでもネイサンにとっては売り物――は、『ガミガミくんダッシュターボ』である。
 ネイサンはタオルに代わりにノイズを投げ込んで、両者の死合を食い止めようとしていた。

「アルなら分かるよね? 今、僕がこいつのハンドルを回したどうなるか。
難民のみなさんはびっくりして走ってくるだろうし、多分、ギルガメシュの連中も黙っちゃいないだろーね。
そうなったら、何もかもおしまいだよ」
「部外者は黙っとれや! なんやそのけったいなモン!?」
「これかい? ワーズワース全てに響くナイスな歌声とでも言っておこうかな」
「商品説明を偽るな。雑音垂れ流すだけだろ。試運転のときも酷かったじゃないか」
「何か言ったかい、アル?」
「い、いえ、なにも……」

 その言葉でようやく『ジークンドー使い』から『ワーズワースへ派遣された使者』に戻ったアルフレッドは、
次いでネイサンの面に言い知れぬ恐怖を感じた。

「あ、あの、ネイト……さん? 怒っておられますか?」
「怒ってるかどうか訊いちゃうとか、反省してませんって言ってるようなもんだよ、アル」

 眼は平素と同じく糸のように細長い。それ故に笑みを浮かべているような印象を与えるものの、
口元は間違いなく怒気に歪んでいる。よくよく観察すると、眉間にはくっきりと青筋が立っていた。
 ネイサンとはグリーニャを出発した頃からの付き合いであり、今では親友のように思っている。
間違いなく心の支えのひとりであった。
 そのアルフレッドでさえ、ここまで立腹したネイサンは初めて見る。
基本的にとぼけた人柄でもあるので、あまり激しい感情を表に出すことがないのだ。
唾まで飛ばして怒号を発するとすれば、せいぜい、リサイクル業を「ゴミ拾い」などと貶されたときであろう。
 そこまでのことをネイサンにしてしまったのだと、今更ながらアルフレッドは青くなった。
 弁解の余地はあるまい。ワーズワースの調査を急がなければならないときに私闘を優先させてしまったのである。
しかも、だ。ネイサンには「仮想敵」たるトレイシーケンポーとの因縁について全く説明していない。
わけも分からず置き去りにされた彼の気持ちを考えると――否、考えるまでもなく私闘に興じた者が一〇〇パーセント悪い。

「そっちのキミにも都合が悪いんじゃないかな? それともゴングの代わりになるのかな?
さっき仇討ちとか何とか言ってたでしょう? ギルガメシュを呼ぶ手間を省こうか。思う存分、遊ばせてあげるよ」
「そ、そらアカンねん! わしにも立場っちゅーか、ホンマの目的ちゅーもんがあってやなぁ!」
「別に目的のある人が私闘(ケンカ)を優先? やれやれ、アルがふたりいるみたいだよ。
やっぱり一緒にお仕置きを受けてもらおうかな。少しは懲りなさい、ふたりとも」
「ちょ、ちょう待て! おい、偽カレドヴールフ! ワレのツレやろ、なんとかせぇ!」
「落ち着け、ネイト。いいか、落ち着くんだ。お前がそれを鳴らして一番迷惑を受けるのは誰だ? 
俺たちじゃない、この地で暮らす難民だ。コールタ――……依頼人の顔を潰すことにもなる」
「あらら、それは大変だね」
「そうだろう? ここにギルガメシュが殺到してみろ。俺たちはすぐに指名手配だ。
面が割れれば、ギルガメシュとの戦いもやり辛くなる。そのことを良く考えてからハンドルに手を掛けるべきだ」
「オッケー、わかったよ。全部、僕が悪いんだね。じゃあ、もっと悪いことをしちゃおうか。毒を喰らわば皿までって言うし」
「ワレぁ、何をやっとんじゃっ!?」
「り、理詰めで諭そうとしたんだが……」

 いよいよ進退窮まったアルフレッドとシルヴィオは、「仮想敵」同士と言うことも忘れて互いの顔を見合わせている。
双方ともに強い困惑の表情を浮かべていた。
 ネイサンが本気で腹を立てているのは間違いない。あと少しでも刺激を与えれば本当に蓄音機を起動させるだろう。

 森の向こうから新たな足音が聞こえてきたのは、大弱りとなって頭を抱えた直後のことである。
 野生動物のそれではなく、確かに人間の足音――それも、ひとりふたりではない。何人もの人間が草を掻き分けて走っている。
そして、その足音は三人の居るこの場へと急速に近付きつつあった。
 木々のざわめきが入り混じる為に詳細までは判然としないが、何か焦ったような声も聴こえてくる。
 よもや、ハンドルを回す前に勘付かれたのかと、アルフレッドは背筋が凍りつく思いだった。
当のネイサンも只事ではないと感じ取り、蓄音機を下げて身を強張らせている。

「――ったく! なんでわしがワレのケツを持たなあかんねん! ……けったくそ悪いで、しかしッ!」

 憎まれ口を叩くシルヴィオではあったものの、当事者として責任を感じているのか、
はたまたギルガメシュへの意趣返しに意気込んでいるのか、すぐさまに呼吸を整えてトレイシーケンポーの構えを取った。
 振り返れば、この威勢の吼え声が何度も何度も森の中に木霊していたのだ。
肉を撲(う)ち、骨が軋み、木々を揺らす音が轟いた回数など分かったものではない。
無論、アルフレッドも奏者のひとりとして加担している。
 静まり返った場所での荒事が外に漏れない筈がない。ここは労働者階級の居住区とも隣り合わせなのだ。
驚いた難民が様子を見にやって来たと言うことならば、まだ対処の仕方がある。
ギルガメシュに通報された場合こそが、想定される最悪の事態であった。

「……これは俺の責任でもあるのでな」
「な、なんやねん!? ガシンタレはすっこんでろやッ!」
「……胸糞悪いことこの上ないが、どうやら俺はカレドヴールフにそっくりらしい。
ギルガメシュの雑兵も俺のことを首魁と勘違いするんじゃないか?」
「おっ! ワル知恵だけやのうてマトモなほうにもアタマ働くんやな! よっしゃ、そんならワレに見せ場譲ったるわ。
わしかてここで暴れたら同行者に迷惑かかるしのォ」
「皮肉だ、阿呆が」

 シルヴィオと肩を並べて臨戦態勢を取るアルフレッドだったが、彼方に疾駆する者の姿を垣間見た瞬間、
その表情は緊張から困惑へと切り替わった。困惑と言うよりは、呆然と表すのが正確に近いだろう。

「――アル!?」
「ネイトもいるじゃん――って、なになに? なんでアルは血だるまになってんの? 特ダネのニオイがするんだけど」

 草叢を掻き分けて走ってきたのはフィーナとトリーシャである。
彼女たちの側もアルフレッドに気付き、呼び声を上げつつ手を振っている。
 シェインやジェイソン、フツノミタマとハーヴェストも後続しているが、彼らはしきりに後方の様子を窺っていた。

「ふたりとも声のトーン落とせって! 見つかったらどうすんだ! つーか、フィー姉ェはもっと責任を感じてよ!」

 まるで何者かの追跡を受けているかのような言い方である。常にフィーナへ付き添っている筈のムルグの姿が見えないが、
もしかすると、彼女は森林上空にて警戒を張り巡らせているのかも知れない。
 ジョゼフやルディアと言った一部のメンバーが見当たらない点は気掛かりだが、
まずはギルガメシュの討手でなかったことに胸を撫で下ろし、アルフレッドとネイサンは深々と溜め息を吐いた。

「心配ないよ、あれは僕らの仲間さ。ちなみにカメラ持ってる娘は僕のカノジョだから変な気起こさないように」
「……もっと他に言うことがあるだろう」
「なんや、なんや。焦って損したわ。ワレぁ仲間もまだやかまし――」

 またしても悪態を吐こうとするシルヴィオであったが、フィーナと共にやって来た者たちへと目を転じた瞬間、
驚愕に目を見開き、息を呑んで黙りこくってしまった。
 それは、シルヴィオから凝視させる側とて同じであった。「なぜここに居る?」とでも言いたげな面持ちで眼を丸くしている。

「ジェイソン? それにハーヴやて!? なんで、ワーズワースに……」
「そりゃオイラが言う台詞だぜ。シルヴィーの兄キこそ何やってんだよ。しかも、私服で」
「スカッド・フリーダムをクビになって、チンピラにでも成り下がった? 
ストリートファイトに興じるなんて、『七導虎(しちどうこ)』も堕ちたものね」
「だ、誰がプー太郎やッ! それから、シルヴィーって呼ぶな言うてるやろ、クソガキがッ!」

 独りで勝手に突っ走ろうとするシルヴィオを追ってヴィンセントたちが駆け付けたのは、
思いがけず顔を揃えたタイガーバズーカ出身の三人がそれぞれの息災を確かめ合う最中のことであった。





 ゴミの埋め立て地付近から更に西へと進み、森の奥まった場所まで移ったアルフレッドは、
そこに数名分のテントと焚き木の形跡を発見した。テントの布地にはロンギヌス社のロゴマークがプリントしてあり、
これを以って所有者の立場と言うものを隠すことなく明示している。
 ヴィンセントの一行は、先刻の騒動の舞台にも似た立地の場所をキャンプ地として選び、
ここを拠点として様々な活動を行っていたのである。

「ロンギヌス社で兵器コーディネーターを務めているヴィンセント・パーシー・ニューマン・コクランと申します。
……と言っても、ここ最近は法務の仕事ばかり押し付けられていますがね。何分にも人手不足なので」

 目的を同じくしながらも別々の経路からワーズワースを目指したアルフレッドたちに対して、
ヴィンセントは自己紹介を交えつつ名刺を差し出した。
 印字されている内容を読み取りつつ、アルフレッドはヴィンセントの立ち姿を盗み見る。
彼の着衣は裁判官の法服を彷彿とさせる趣があり、何よりも左胸のポケットには天秤を象ったバッジが煌いている。
それは、弁護士資格を証明する物――アルフレッドが夢にまで視た徽章であった。
 ふたつのエンディニオンの間には幾つもの違いが見られる。
その顕著な例としては、トラウムとMANA、マコシカと教皇庁などが挙げられることだろう。
 しかし、弁護士バッジに関しては全く同じデザインとなっており、
それ故にアルフレッドの心は、強風に晒された枝葉の如くざわめいてしまうのだ。
 幼い頃から弁護士を志し、未だその夢に辿り着けないどころか、理想とは正反対の道を歩む自分と、
法律と言う名の盾によって人々を守れると言うのに、数多の生命を脅かす『兵器コーディネーター』の職務に就いた男――
期せずして作り上げられたこの対比が、アルフレッドの葛藤を煽り立てるのだった。
 無論、ヴィンセントの仕事を否定するつもりはない。誤りなどとは考えもしない。彼は彼の信じる道を全うしているのである。
 敢えてアルフレッドが謗るとすれば、それは己の心であろう。
 捨て去ることも出来ずに抱え続ける夢の果てしなさと、夢を叶えられる人間の器量と言うものを見せ付けられたように思えて、
我が身の矮小(ちいささ)がどうにも虚しかったのだ。

「……現役の弁護士なんだな」
「現役と言えるかどうか。弁護士事務所に所属していたのは最初の数年間だけでしたし、今はもう法廷にも立っていませんよ」
「だが、今も法律を武器に戦っていることに変わりはない。だったら、十分に弁護士だ」
「いえ、そんな……私はただの愚か者ですよ。苦労して叶えた夢の仕事だと言うのに、取り扱った案件(ヤマ)に触発されて、
事務所まで飛び出したのですから。よく家内も随いてきてくれたものです。しかも、転職先は悪名高いロンギヌス」
「……それでもやりたいことがあったのだろう?」
「――自分の為すべきことを見つけましたからね。年収は目減りするって、そこだけは小言を言われましたが……」
「……大した行動力だよ」

 ヴィンセントの経歴もアルフレッドには衝撃的である。弁護士の仕事を捨ててまでロンギヌス社の門を叩いたと言うのだ。
彼は「自分の為すべきことを見出したから」と事もなげに語って見せたが、容易い決断ではなかった筈だ。
 それでも、ヴィンセントは夢に向かって突き進んだ。対するアルフレッドは、
自分が夢から遠ざかっているようにしか思えなかった。
ましてや、彼と同じ決断を迫られたときに己の夢を犠牲する覚悟など決められまい。
 そこにヴィンセントとの器量の差を感じてしまい、アルフレッドの気持ちはますます塞いでいく。

(……所詮、俺には血に塗れた軍略の道が似合いかもな……)

 私闘の折に血と泥にまみれてしまったアルフレッドだが、汚れ切った身なりのままフォテーリ家のロッジに戻るわけにも行かず、
またシルヴィオのようにすぐに着替えられる状況でもなく、現在はヴィンセントの着衣を拝借していた。
今まさに彼自身が身に着けている上下一揃いを、だ。
 言うまでもなく、アルフレッドの着衣に弁護士バッジは付いていない。それはヴィンセントの詰襟にて光を放っている。
見果てぬ夢の前に立ち尽くすアルフレッドの目にとっては、その輝きさえも毒であった。

 一方、アルフレッドと談話するヴィンセントの様子をフィーナたちは遠巻きに眺めていた。
その面には不信の念がありありと浮かんでいる。
 先程までフィーナの鼻からは赤い雫が迸っていたが、今はティッシュによる詰め物で堰き止められている。
それに伴って、「借り物でペアルックとか、私を失血死させたいとしか思えない」と言う妄言も途絶していた。

「コカカコッ? コォーコォー……コッケケコ?」
「今日は随分と行儀が良いんですね――ってムルグも言ってますよ。確かにワヤワヤのときとは別人みたい」
「あー、僕もそれは思った。話す相手によってキャラ変えてるのかもね、この人」
「……キミたち、知ってるかい? 悪口ってのは本人たちが思っている以上に遠くまで響くもんだよー。
ばっちり聞こえてるからねー。その辺でやめといたほうがいいと思うよ〜」
「あ、やっぱり変わってないよ、ネイトさん。あの人、法に訴えてやり返すつもりだよ」
「そう言う意味じゃアルと似てるんだよねぇ……」
「コカッ!」

 フィーナやムルグ、ネイサンにとっては思いがけない再会である。
ワヤワヤにて対峙したときには土地の買収を巡って緊張状態となった相手なのだ。
 Bのエンディニオンの蚕食を図っていると思しきロンギヌス社の動向には最大限の警戒を払わねばならない――
その筈だったのだが、運命の悪戯とでも言うべきか、ここワーズワースでは共に難民を救わんとする同志であった。
 正直なところ、フィーナはヴィンセントに対して複雑な思いを抱いている。
 悪人でないことは分かっている。同胞(なんみん)を救う為に心血を注いでいることも理解はしている。
宗主たるテムグ・テングリ群狼領の意向を無視したのは問題だが、
住民が同意した上で土地を取引したのだから無頼の輩と言うわけでもない。
 無頼と言うならば、むしろ、同席していた『ピーチ・コングリマリット』の犬養賢介のほうだった。
 ヴィンセントはあくまでも法――万国公法と言うものである――に基づいて、逼塞した時代の打開を目指していた。
 だが、法律に対する姿勢はアルフレッドと真逆と言える。
弱い人々を守る為の盾として法を愛するアルフレッドに対し、ヴィンセントは法を剣の如く振るっている。
彼が望む時代にとっての“害悪”を万国公法の名のもとに駆逐しようと言うのだ。
 そのふたりが同じ服を纏い、相対する様には、例えようのない情念が湧き起こって仕方ない。

「……トリーシャ、ごめん、ティッシュちょうだい……」
「ちょっ――垂れてる! 垂れてる! って言うか、それ、垂れてるって言って良いレベルじゃないわよ!?」

 邪な妄想(かんがえ)はさて置き――本当に複雑な状況となったものである。
 或る死闘が発端ではあったものの、お互いにワーズワースの援助が目的であることを確認し合うと、
ヴィンセントは一先ず話し合いの場を設けようと呼びかけた。
 これに応じてアルフレッドも佐志から調査に入っていたメンバーを緊急招集。
深い森の中にも関わらず、ロンギヌス社のキャンプ地は大いに賑々しくなった。
 モバイルが電波を受信できないような場所にいるのか、ヒューとセフィからは応答がない。
アルフレッドにとってはそれが唯一の誤算であった。腹の探り合いになったときこそ両者の頭脳は頼もしいのだ。
ヴィンセントの要請に応じる形で召集を掛けたのも、いざとなったときには数の力で相手側を押し切ってしまおうとの魂胆である。
 尤も、ルディアに関しては別だ。体調を崩している中で無理に呼びつけても意味がない。
労働者階級のテントで休養を取っていることだけが気掛かりではあるものの、
ジョゼフと撫子、レイチェルの三人がかりで看病に当たっている為、何か善からぬ事態が発生しても即応出来ることだろう。
無論、ラトクとて盟主たる新聞王の身辺から離れることはあるまい。
 ダイジロウとテッドのふたりもロレインのテントに残留していた。
 彼らもまた静養が必要な身である。ハブール難民への支援取り止めによって極度のショックを受けており、
今や一行と合流するだけの気力すら消え失せてしまっているようだ。
 ことのあらましをジョゼフからメールで報(しら)されたアルフレッドも、クレオパトラの所業に怒りを禁じ得なかった。
 それ以上にダイジロウとテッドが不憫でならない。必ずしもふたりの力が必要な状況ではない為、
今は無理をさせず回復を優先させたほうがよかろう。

「残念ですわ。あらかじめ集まりが分かっておりましたら、自慢のティーセットをお持ちしましたのに。
草と花が燃える麗しき桃源郷。さながら木漏れ日は妖精の乱舞かしら――
ティーカップの底に光を映し込めば、湧き上がるのは琥珀の輝き、喜びの接吻(くちづけ)……」

 暢気な放言をするのは、未だに観光名所としてのワーズワースを惜しむマリスであった。
言うまでもなく、彼女の傍らにはタスクが控えており、
場違いなことを口走った主人を「ここは難民キャンプですよ。その意味をお考えくださいませ」と静かに嗜めている。
 今や後発隊の殆どがアルフレッドたちと合流していた。

 あらかたのメンバーが集まったところで話し合いへ移行しようとするアルフレッドであったが、
それには集結直後に起きた“ある騒動”が完全に沈静化するのを待たねばならなかった。
 片手間潰しの世間話をヴィンセントと交わしながらも、アルフレッドの目はタスクの機嫌を伺い続けている。
 騒動の発端もまた自分とシルヴィオの私闘にあった。
 指定された場所まで足早にやって来たマリスは、アルフレッドの負傷を見て取るや、
躊躇うことなくリインカネーションを発動。彼の傷を瞬時にして快癒させた。
 こうなると、私闘の相手たるシルヴィオにも必然的にリインカネーションを使わなければならなくなる。
 ギルガメシュやピーチ・コングロマリットのように完全な敵対者ならばいざ知らず、
スカッド・フリーダムとは微妙な関係にあった。佐志とも緩やかな同盟を結んでいる相手なのだ。
 ましてや、今回は政治的な思惑などから一切外れた“私闘”。そこに敵対の是非を問うことなど出来なかった。

「すまないが、この男にもリインカネーションを施してやってくれ。応急処置では間に合わないだろうから」
「シルヴィオ・ルブリンや! 名前で呼べ、名前で」
「今、初めて聞いたな。……マリス、頼む」
「で、でも、アルちゃん……」
「何を躊躇う理由がある。戦いのときには他の仲間にもしているだろう?」
「……それとこれとは事情が違いますのに、もう――」

 直接的にアルフレッドから頼まれてしまうと、いよいよマリスも断れない。
見たことも聴いたこともない癒しのトラウムに瞠目するシルヴィオの手を取り、
その甲へと口付けを落として全身の負傷を快癒させた。
 最愛の恋人から強く乞われて別の男性の手に口付けをするなど、マリスにとっては苦痛であったに違いない。
一部始終を目の当たりにしていたタスクは、当然ながらアルフレッドに雷を落としたのである。
 フィーナやジャーメインと言った女性陣は「さもありなん」と、冷ややかにアルフレッドを睥睨している。

「……アルフレッド様はマリス様のことを便利な薬箱と勘違いされているのではありませんか? 
マリス様さえおられるなら、どんなに重傷を負っても大丈夫だと。そのようにお考えであるなら、私は許しませんよ」

 マリスのトラウム、リインカネーションは強力な治癒の力である。彼女から口付けを受けると、即死さえしていない限り、
たちどころに損傷が復元されるのだ。ギルガメシュのライフルで胸を撃たれたセフィでさえ、この力によって生還していた。
 ただし、リインカネーションの発動は、術者たるマリスに多大な負担となって跳ね返ってくる。
負傷が大きければ大きいほど、彼女自身が著しく体力を消耗してしまうのだ。
 全身打撲のシルヴィオを治療し終えたときには、マリスは軽い息切れを起こしていた。
 これと酷似する状況がハンガイ・オルスにて発生したのは記憶に新しい。
連戦に次ぐ連戦によって満身創痍となったアルフレッドや、パトリオット猟班の面々にまでリインカネーションを施したマリスは、
それこそ独力で立ち上がることさえ難しくなるくらい衰弱してしまった。
 身体の弱い主人を気遣うタスクにとっては、チームメイトによるリインカネーションへの依存は憂慮すべき問題なのである。
 タスクの指摘はいちいち正論であり、口が達者なアルフレッドでさえ返す言葉が見つからなかった。
 一方のシルヴィオも治療が終わった途端にハーヴェストから手厳しい説教を受けている。
 タイガーバズーカを去った身ではあるものの、正義の人だけに同郷の後輩の素行不良を見過ごせなかったのだろう。
いきなり襲い掛かったと言う経緯を聞き出してからは、それこそ顔を真っ赤にして怒っていた。
 シルヴィオもシルヴィオで目上には敬意を払っており、低頭した上で神妙に聞き入っている。
このような礼儀正しさには、スカッド・フリーダムの“性格”と言うものが透けて見えるようだった。
 遅れてやって来たローガンが二箇所で同時的に進行していた説教を仲裁し、一先ず場は収まった。
 それから十数分を経て、そろそろ次の段階へと移行しても問題がなさそうだと見て取ったアルフレッドは、
首肯を以ってヴィンセントにその旨を伝えた。
 ヴィンセントも首肯で応じ、次いで折り畳み型テーブルの上にワーズワース難民キャンプの全景図を広げた。


 話し合いは佐志とロンギヌス社双方が如何にしてワーズワース難民キャンプへ関わるようになったのか、
その経緯を確認するところから始まった。
 発端からひとつひとつ検証することになったのである。
 ハブールと縁が深い依頼人――勿論、この場ではコールタンの素性は伏せている――の要請を受け、
難民キャンプの実情調査や銃器流入問題の解決に乗り出したと言う佐志の説明を聴き、
ロンギヌス社と概ね同じ経緯であることにヴィンセントが気付いたのだ。
 下請けのような形でサンダーアーム運輸に援助が委託されたこと、
兵器コーディネーターとして銃器流入問題を看過出来ず、ヴィンセントが調査の一員に志願したこと、
スカッド・フリーダムのシルヴィオが送り込まれたことなど細かな部分は異なっている。
 だが、現地(ここ)には居ない“誰かの意思”を受けて動いている点では、佐志もヴィンセントたちも同一と言えよう。
ヴィンセントが言うには、ハブール難民の援助はロンギヌス社の会長が直接指示を下した案件であるそうだ。

 またしても、難民ビジネスか――と、一瞬だけ表情(かお)を暗くするフィーナだったが、
今までの流れを反芻する内にひとつの重大な事実に行き着き、思わずアルフレッドへと視線を巡らせた。
 フィーナの驚愕を察したアルフレッドは、それを認めるように首を縦に振る。
 “誰かの意思”によって、一同は難民の援助や銃器流入問題の調査に駆り出された。
しかし、大量の武器弾薬が難民キャンプに入り込んだと言う疑惑は、あちらこちらに出回る類のものではない。
 例えば、ベテルギウス・ドットコムなどが取り上げるレベルの流言であったなら、
駐屯地はすぐさま兵を差し向けて鎮圧を図るだろう。難民に武装などされては、MANAを取り上げた意味がなくなってしまうのだ。
 ところが、ベイカーを初めとして駐屯軍は誰ひとりとしてこの疑惑に気付いていない。
 ヴィンセントからその話を聴かされたとき、労働者階級の居住区を見てきたフィーナたちは目を見開いて驚いたものだ。
 盗み聞きと言う形ではあったが、ロレインが「キャンプ内に銃器が運び込まれたかも知れない」と言明するのを
フィーナたちは目撃している。
 ロレイン自身も風聞程度でしか知らない様子だったが、ポールら志願兵とも関わりのない彼女の耳にまで入っていると言うことは、
少なくとも労働者階級の居住区では広範囲に噂が広まっていると見て間違いあるまい。
 自然と耳に入ってきそうな風聞にすら鈍感とは、一体、彼らは何を以ってワーズワースを管理していると言うのだろうか。
 しかし、ここで重要なのは駐屯軍の杜撰ではない。陸の孤島のような場所である以上、
件の疑惑が外部に洩れる可能性は極めて低い。難民たちはモバイルのような情報伝達手段すら持ち得ないのだ。
 コールタンはともかく、ロンギヌス社の会長はどうやってこの情報を入手したのだろうか。

「ま、まさか、私たちのほうの依頼人とロンギヌス社の会長さんが同一人物ってことはない……よね?」
「それはない。俺たちの依頼人は女だ」
「そして、我らが会長殿は男性ですよ。私の知る限り、ソッチ系の趣味もないはずです」
「むう……、我ながら名推理と思ったんだけどなぁー」
「ワヤワヤのときも思ったんだが、キミは随分と思い込みが激しいようだね。豊かな感受性(センス)と言うものは、
付き合い方を誤ると、いつか痛い目を見るよ」
「いつかも何も、既に痛い目を見ている。……正確には俺たちのほうが痛い目に遭わされているんだが」
「そ、そこはフォローしてくれるんじゃないの、アルっ!?」

 すかさず否定するアルフレッドだが、心の中ではフィーナの突飛な想像にも一理あると考えている。
 性別を偽ることは難しかろうが、身分や素性はいくらでも捏造することが出来る。
ましてや、コールタンは幹部の立場にありながらギルガメシュの崩壊を企んでいるのだ。
肝の据わり方からして、情報工作くらいは平然とやってのけることだろう。
 この情報工作については、アルフレッドの脳裏にひとつの仮説が浮かんでいた。

「コクラン、ロンギヌスの会長はこちらのエンディニオンに既に入っているのか?」
「機密事項だから教えられない――と言うのは建前で、ご明察ってところだな。たまたま工場視察へ出向いていたときに、
例の怪現象に巻き込まれたんだ。……さすがに今どこにいらっしゃるのかは答えかねるので悪しからず」

 自身が神隠しめいた怪現象に巻き込まれたときのことを振り返り、大袈裟に身震いするヴィンセントの脇では、
アルフレッドが「つまり、こちらに居る誰かが接触することも不可能ではないってわけだ」と更に推論を進めていた。
 軽い冗談のつもりでおどけて見せたにも関わらず、全く黙殺されたヴィンセントは口の先を窄めてささやかに抗議しているが、
物事を深く思料する最中のアルフレッドには、それすらも視界に入っていない。

「……情報提供と言う形で、あんたのところの会長と関わっているかも知れないな。こちらの依頼人は」
「だとしたら、相当な大物だな。ロンギヌス社の会長を手玉に取ったようなものだ――」

 ギルガメシュの幹部だからな――と、アルフレッドは心中にてヴィンセントの言葉を継いだ。
 情報提供と言う形でコンタクトを図りつつも言葉巧みに取り入り、ロンギヌス社の会長をコントロールした可能性もある。
そのようにアルフレッドは予想を立てていた。
 モバイルを介して言葉を交わした印象ではあるが、コールタンにはそのような腹芸すらやりかねないと言う凄味があった。
新聞王と対等に渡り合うことからして並大抵の“格”ではないのだ。

「――尤も、サーディェル会長も底が知れないからな。間違っても、誰かが作り上げた道をそのまま歩くって人じゃない。
気付いたときには、罠に嵌めようとした張本人まで自分の拓いた道へ導いているような人なんだよ」

 ヴィンセントもまた己の会長の大器を説いている。どうやらサーディェル・R・ペイルライダーと言うその男は、
ジョゼフやコールタンに勝るとも劣らない怪物のようである。
 自分をコントロールしようとする者に敢えて騙された振りをして、
最後には逆に主導権を掌握してしまうだけの器量を持っているそうだ。
 仮にコールタンがサーディェルのコントロールを図ったとしても、ロンギヌス社からは何ら損失は出ない。
ワーズワースの援助も銃器流入の解決も、Aのエンディニオンの同胞を救う事業に変わりがないのである。
 上辺だけ従順に従っておいて、その間にロンギヌス社にとって有益なものを片端から奪う権謀かも知れない――
ヴィンセントはサーディェルの人となりをそのように締め括った。
 今度こそフィーナは「やっぱり難民ビジネスじゃないですか……」と顔を顰めたが、
図太さや化かし合い、したたかな駆け引きはどちらのエンディニオンも同じと言うわけだ。
 ラトクがこの場にいれば、皮肉っぽい笑みを浮かべつつ、横目でジョゼフを盗み見たかも知れない。

「自分たちが管轄するべき場所の現状すら把握せず、自己陶酔に浸っているような鼠輩にワーズワースを任せてはおけません。
事情はどうあれ、偶然であれ、私たちはハブールの人たちを助ける為に出会い、今、こうして集っています。
速やかに協力体制を整えましょう。こうしている間にもハブールは脅威に晒されているのですから」

 これはジャスティンの発言である。母、ディアナに辿り着く為の手掛かりを求めてワーズワースを訪れたものの、
ギルガメシュの非道を目の当たりにした今は、ハブール難民の救済のみを考えている。
 目的を切り替えてしまう程に駐屯軍は腐り切っているのだ。
 まさしく同じ志でワーズワースに入っていたフィーナは、「異議なし!」と胸を張って挙手し、ジャスティンに同意を示した。
すぐさまに守孝も手を挙げ、皆がそれに続いていった。
 意思の統一を確認したアルフレッドとヴィンセントは、滞ることのない進行を喜ぶかのように頷き合っている。
 シェインとジェイソンのふたりは、自分と同じ年くらいのジャスティンが大人顔負けの理論を並べ、
更には皆を昂揚までさせたことに目を丸くして驚いていた。
 「しっかり者」と言う点では、ラドクリフもふたりと比べ物にならないような自立心を備えているが、
着流し姿のこの少年の場合は、それとはまた別の性質(タイプ)のように見える。
シェインもジェイソンも、「私」と言う一人称を用いる少年を生まれて初めて見たのだ。

「ジャスティン君の言う通りです。私としては彼らをワーズワースから脱出させてあげたいくらいですよ」

 ワーズワースをギルガメシュに任せてはおけない――この論に関しては、ヴィンセントも全く同意している。
それ故に即席ながらソーシャルワーカーの真似事をし始めたとも彼は付け加えた。
 現状の問題点をハブール難民から聴取し、これらを解消するプランを組み立てようと言うのがヴィンセントの案であった。
 ソーシャルワーカーの真似事に関しては会長の承認を得ていない。完全な独断である。
 あるいは社の意向に背いたとして懲罰の対象になるかも知れない。
だが、ワーズワースの危機は非常に差し迫ったものであり、支援は迅速に完遂しなくてはならなかった。
社の決裁など待ってはいられないのだ。
 ヴィンセントは自身の社会的なステータスを賭してまでワーズワースの救済に臨んでいる。
 前言の通り、ロンギヌス社の買い上げた安全な土地まで彼らを移動させたいとも考えていた。
難民たちが希望するなら、すぐにでも手配出来るよう準備は整えてある。
 見知らぬ土地への移住に不安は尽きないだろうが、
ワーズワースで屈辱的な“支配”を受けることに比べれば遥かに安楽であろう。
 テムグ・テングリ群狼領寄りのアルフレッドにとって、ヴィンセントの提案は決して愉快なものではなかったが、
この地の窮状に照らし合わせると、それが最も妥当のように思える。
 それは、フィーナがワヤワヤにて諭された「理想の押し付けでなく現実的な救済」と言う理念の一端であった。
 その「現実的な救済」の為に労働者階級へヒアリングを試みたヴィンセントたちであったが、
昨晩の悲劇もあって神経が昂ぶっている難民たちは、これを愚弄と受け取ったようで、
激しく追い立てられた上に何ひとつ成果を挙げられなかったと言う。
 頬を?きつつ説明するヴィンセントとシルヴィオを交互に凝視したジェイソンは、
「なんだよ、そんじゃオイラたちが襲われたのはシルヴィーたちの所為かよ」と肩を竦めて見せた。
 これに対して、シェインは「違うだろ、フィー姉ェの所為だろ」と指摘(ツッコミ)を飛ばし、
当事者として挙げられたフィーナを轟沈させた。
 ジェイソンが口にしたのはロレインに匿われる前の襲撃事件で、シェインが皮肉っぽく語ったのは、今し方、遭遇したものである。
 ヴィンセントたちがそのような騒動を起こしていたとも知らずに労働者階級の人々と接触を図った為、
フィーナたちは難民の逆鱗に触れてしまったのだが、こればかりは責任の所在を求めるものではあるまい。
 ただし、シェインが語った二度目の襲撃事件は別だ。責任を負うべき者も明らかのようである。

「なんとか逃げ切れたから良いけどよォ、向こう見ずが過ぎんだろが! 
こっちはガキも多いんだ。ちったぁアタマ働かせろや、ボケかましが!」
「ご、ごめんなさい……でも、何かやらなくちゃいけないと思うと、居ても立ってもいられなくて……」
「そう言うところがフィーの良いところ――と言えば、良いところなのだけど、フツの言うように他の人たちのことまで考えないとね。
あたしたちならともかく、ルディアたちが見つかったら大変よ。ロレインにも迷惑が掛かるでしょう?」
「……本当、お姉様の仰る通りです。迂闊でした……」

 フツノミタマとハーヴェストから同時に注意されたフィーナは、すっかり萎縮してしまった。
パートナーのムルグは彼女の頭上に乗って励まそうとしたが、なかなか効果は現れない。
 フィーナの短慮が危機を呼び込んでしまったのは揺るがし難い事実であり、今は反省すべきときであった。
 ロレインのテントを出たフィーナは、皆を鼓舞するべく何度も気合いの声を張り上げたのだが、
それを先程襲撃してきた難民たちに発見され、再び追い捲られる羽目に陥ったのだった。
前振りが帰結(オチ)にて爆発すると言うコメディのような展開と言えよう。
 懸命に走り続けて森へと逃げ込み、難民たちを振り切ったところで
ジークンドーとトレイシーケンポーの私闘に遭遇した次第であった。
 一番の心配は暴徒化した難民にロレインのテントが突き止められることだが、
労働者階級の居住区からミサイルの爆発音が聞こえてこない限りは安心していられる筈だ。

「正体がバレたかも知れないとメールしてきたのはフィーだろう? そのお前が一番目立つことをしてどうする」

 アルフレッドにまで追い討ちを掛けられたフィーナは、「……反省します」と擦れ声で答えた。
 彼女の代わりに報復を試みたムルグはともかく――難民の一部に「ギルガメシュの敵」として顔が知られているのは、
アルフレッドにとって憂慮すべき事態であった。
 しかも、ギルガメシュの一部の兵卒にまで面が割れた可能性もあると言う。
 ごく一部にしか知られておらず、そこで情報が止まっていることを祈るしかなかった。
ギルガメシュ全軍に知れ渡るようであれば、さすがにコールタンから忠告なり叱責なり飛んでくるだろうが、
今のところはそうした事態には陥っていない。
 そもそも、警戒の対象として認定されるような者たちにワーズワースの調査を要請する筈もなかった。
「ギルガメシュに顔が知られていない」と言う点も、コールタンが挙げた依頼の前提条件なのだ。
 他の幹部の耳へと入る前に揉み消している可能性も否定は出来ないが、
いずれにしても身動きが取り難くなるのは避けられまい。
 アルフレッドたちの反抗がカレドヴールフに知られようものなら一大事だ。
ベルを人質に取られているライアン家にとって、それは最悪の事態を意味している。

(俺としたことが……折角のチャンスを逃してしまったか……ッ!)

 ここに至って、アルフレッドは己の浅慮にようやく気が付いた。ギルガメシュ討滅に意識を囚われる余り、
ベルの解放を交換条件にすることさえ思いつかなかったのだ。これこそ痛恨のミスと言うものである。

「――差し当たって必要なのは食糧とか物資の援助よね。いきなり移住なんてどう考えたって無理だし、
しばらくはここで暮らさなきゃならないでしょ? それに、モメた相手に心を開いてもらうにはそれなりのやり方ってのがあるし。
物で釣るみたいで良い気分はしないけどね」

 別のところに意識が飛んでいたアルフレッドをワーズワースへと引き戻したのは、ジャーメインのこの一言だった。
フィーナの希望を代弁した恰好である。驚いて顔を上げたフィーナにウィンクを飛ばすあたり、
落ち込んでしまった彼女を励ましたかったのかも知れない。
 難民の支援に向けて建設的な意見を示したジャーメインに対し、シルヴィオは不思議なものでも見るような目を向けている。
アルフレッドもアルフレッドで意外そうな表情を見せているが、シルヴィオの場合は戸惑いの色も濃い。
それが証拠に双眸を忙しく瞬かせていた。

「ほぉ〜、ワレがそないおもろいコト言うとは思わんかったで……」
「な、なにさ! あんた、いつの間にそんなアタマ良くなったのよ!? 皮肉なんて高等なテクニック使っちゃってさっ!」
「ちゃうちゃう、ホンマにビックリしただけや」

 言葉だけでは痛烈な当てこすりのようにも聞こえるのだが、シルヴィオは心に浮かんだことを口にしただけであり、
そこに他意はない。“素”の反応と言うものであった。
 ジャーメインには心外かも知れないが、このシルヴィオの反応はスカッド・フリーダムに所属する人間としては
極めて自然なものと言えよう。パトリオット猟班は同志の仇を討つべく本隊より離脱していったのだ。
機(とき)こそ来たれりとばかりに駐屯地襲撃を訴えると考えていたのである。

「シルヴィーの兄キがそれを言うかね、アルの兄キに襲い掛かったシルヴィーの兄キが。
最初なんか難民の仇討ちだーっつって飛び蹴り食らわしたんだべ? しかも人違いで。オイラだってそんなアホなことしねーよ」
「う、うるさいわい! あとシルヴィー言うんやないッ!」

 ギルガメシュに殺された仲間の仇討ちの為にタイガーバズーカを出奔したパトリオット猟班と、
義の戦士の本分を守り切ろうとするスカッド・フリーダム。本来ならば両者は緊張状態にある筈なのだが、
隊員個々ではそこまで険悪にはなっていないようだ。
 ジェイソンはシルヴィオのことを終始からかい続けている。

(――そーいや、アホなこともしなくなったなぁ……)

 シルヴィオを茶化しながらも、ジェイソンは今更ながらに自分の行動が可笑しく思えてきた。
 何事も直感任せが多いジェイソンは、身体が動いた理由を後から考えることも少なくない。
昨夜の惨劇についても、義憤に衝き動かされるまま検問所を突破し、駐屯地まで攻め入っていても不思議ではなかった。
 しかし、そうはならなかった。暴れるだけでは難民を助けることにはならないとの思いが彼の拳を引き止めた。
 これは親友であるシェインに引っ張られた部分が大きいのだろう。
 ポールが射殺されるまでの一部始終を目の当たりにしたシェインは、戦いたい気持ちを必死に堪え、
「こんな理不尽なことは絶対に許せない」と決意したのである。

「ここの人たちゃ、ギルガメシュから酷い目に遭わされてるだろ? それを助けるのもヤツらとの戦いじゃねーかな」
「おっ、ジェイソンってば分かってるじゃんか! ボクらの戦いはそうでなくちゃね! 
ギルガメシュと同じコトをするなんて真っ平さ!」
「あッたぼ〜よぉ! ゲス野郎どもの度肝を抜いてやろうぜぇ〜ッ!」

 戦いの意義と言うものを確かめるようにして肩を組むシェインとジェイソン。
意気衝天するふたりの様子をジャスティンは密かに盗み見ていた。

「ジェイソンもたまには良いこと言うじゃない。あたしたちだって、ギルガメシュをブッ潰すことばっかり考えてるわけじゃないわよ。
今、自分が何をやるべきか。それを見極めていなきゃ戦いようもないじゃない」

 ジャーメインの言葉はアルフレッドの胸に深々と突き刺さった。
 何としてもワーズワースの救済を完遂し、改めてコールタンにベルの解放を持ちかけよう。
そうでなければフィーナにも両親にも顔向け出来ない――そこまでアルフレッドは思い詰めていた。
 ライアン家の事情を交換条件に盛り込むのは公私混同にも等しいが、
この仲間たちであれば必ず理解してくれると思っている。


 ギルガメシュへの直接打撃でなく難民の救済を重視すると言う方針が固まったと確かめたマクシムスは、
より具体的に支援の体制を整えていこうと促した。

「――さて、そろそろどんな支援(コト)をしていけるのか、お互い確認するとしよう」

 マクシムスの問いかけを受けて、佐志側の皆の表情が俄かに曇った。
 佐志側――正確にはジョゼフの計らいだ――が物資の提供を依頼していたジプシアン・フードからは最悪の連絡が入っている。
 早い話が佐志側は食糧の確保に失敗したのである。大きな理想を掲げておきながら何も提供することが出来ないとは
情けない限りであり、あるいはヴィンセントたちを失望させるかも知れなかった。
 しかし、現実は現実。言い繕ったところで覆せるものではない。
 どう切り出せば良いのかアルフレッドが窮していると見て取った守孝は、意を決してヴィンセントの前に進み出ると、
村の代表として現状を包み隠さず告げた。
 せめて誠意を以って事情を説明することが同志への礼儀であると守孝は考えたのである。

「我が佐志は海運の要衝なれど、自らの土地にて得られる物はごく少なく、物資には甚だ窮してござる。
加えて申さば、各地より疎開者、戦災者を受け入れておりましてな。これはスカッド・フリーダムの御仁の耳にも届いてござろう。
故に志を同じくするグドゥーのファラ王殿より支援物資を募ったのでござるが、かの地は今も修羅の巷。
些か手配りに難儀しておるものと思われ申す。……恥を忍んでも打ち明け申そう。佐志には出せる物資が殆どござらぬ。
それがしは身の程を弁えぬ不届き者にござる。それでもこの地の危難を見過ごせず、義によって馳せ参じた次第。
見苦しき仕儀と相成り、申し訳ござらぬ」

 クレオパトラの裏切りに遭ったとは言えず、グドゥーの立場にも配慮した説明となった。
 信頼を損ね、連携の崩壊にも繋がりかねない返答であったが、ヴィンセントは意外なほど冷静に受け止め、
逆に守孝の手を取りながら支援物資はロンギヌス社が責任を持つと約束した。
 思いがけない申し出に守孝は猛烈に感動して肩を震わせている。

「しかし、我々の拠点からワーズワースへ向かうには海路では余りにも時間が掛かります。クルーの消耗も激しい。
そこで、村長さん――我々、ロンギヌス社にも中継地点としてそちらの港を使わせて頂きたいのですが、如何でしょうか? 
いずれ、難民たちを移すときにも重大な拠点になると確信しておりますよ」
「それは喜んで。準備出来るものも些少ではござるが、どうぞ我らが港を補給にもお役立てくだされ」
「お気遣い、痛み入ります」

 ヴィンセントからの要請を守孝は二つ返事で諒承した。したたかなロンギヌス社に港を開くのは危険かも知れないが、
今はそれ以外の返礼も見つからず、アルフレッドにも止めようがなかった。
 ましてや、佐志の村長は守孝である。意思決定権を持つ彼に異論を唱えるのは筋違いと言うものであろう。
 ロンギヌス社の腹の底を探るように沈黙するアルフレッドと反対に、
物資の搬送と聞いて意気盛んとなったのはダイナソーとアイルである。

「そこで俺サマの出番ってワケよ! スーパースペシャルな『エッジワース・カイパーベルト』でちょちょいとカッ飛ぶぜ! 
何往復したってへっちゃらなタフガイなんだからよ! お任せあれってなもんさ!」
「お前のMANAはビークルモードとしては使い物にならんだろうが。小生の『ガイガー・ミュラー』は空から物資を運ぶことが出来る。
医療器具なども提供して貰えるのであれば、最速かつ安全に難民たちに届けられるだろう」
「――で、まんまとロンギヌスの手先になってたわけだ。勢い勇んで出て行ったクセに長い物に巻かれたってワケか」

 MANAを活用して物資の運び入れを主導すると宣言したダイナソーとアイルにはニコラスから痛烈な皮肉が飛んだ。
 彼もまたアルフレッドの呼びかけに応じたひとりであるが、集合場所にダイナソーたちの姿を発見して以降、
一言も口を聞かずにむっつりと黙りこくっていた。
 今し方の皮肉からも察せられる通り、出奔以来、まともに連絡も寄越さなかったふたりに立腹しているようだ。
 ジャスティンだけには「こんな危ねぇ場所に来るヤツがあるかよ……」と声を掛け、ディアナの近況(こと)も気遣ったが、
ダイナソーとアイルは敢えて視界へ入れないようにしていた。
 気まずいのはふたりも一緒である。「勢い勇んで出て行ったクセに」と鼻で笑われても何ら弁解できない。
 最初の内はダイナソーも「な〜にイジけてんだよ。俺サマがいなくて寂しかったんか? ったく、ニコちゃんは世話が焼けるぜ」と
努めて陽気に話しかけていたのだが、当のニコラスはこれを避けてアルフレッドの傍らへと去ってしまった。
「オレは佐志の一員で、お前たちとは別のグループだ」と、暗に境界線を引いているような態度である。
 絶交宣言にも等しい仕打ちを受けて固まってしまったダイナソーに対して、
ジャスティンは「日頃の行いが祟りましたね」と冷ややかだった。

「そうカリカリすんなって、ラス。馬力はもちろん、道中の危険も考えたらMANAは一台でも多いほうが良いだろ? 
もともとはウチが受けた仕事だし、サンダーアーム運輸からもスタッフを出すつもりだぜ。それで手打ちにしようじゃねぇか。な?」
「――そうだ。アル、ルナゲイトの御老公には協力を頼めねぇのか? あの人のトラウムなら相当量の荷物を積み込めるだろ。
見た目がアレなのが玉にキズだが、あれだけギンギラギンだと逆にクリッターも寄ってこねぇかもな」
「それは俺からも頼もうと思っていたが……その、……良いのか?」
「は? 何が? ……何か聞こえたか?」
「何がって……」
「……こう言うパターンのシカトが一番キクんだけどよぉ……」

 マクシムスが仲裁を図ろうとしても徹底して無視。ニコラスは目を合わせようともしなかった。
 取り付く島もないと言った態度にはマクシムスも肩を竦ませるばかりである。
 ヒューたちと共にロンギヌス社の動向を探ろうとした際、ニコラスはマクシムスに連絡を取っていた。
改めて詳らかにするまでもないことだが、このとき、ダイナソーとアイルはフィガス・テクナーへ一時的に戻っており、
マクシムスとリーヴル・ノワールの調査にも出掛けていた。
 ふたりの近況についてマクシムスはニコラスに伏せていたのである。
 マクシムス当人としてはニコラスたちの間で妙な揉め事が起こらないよう配慮したつもりだった。
大見得を切ってアルバトロス・カンパニーを離れたからには、ダイナソーとアイルもある程度の成果を挙げてからでなければ、
ニコラスたちに顔も合わせ辛い筈だ。
 ところが、この配慮が裏目に出てしまった。まさか、ワーズワースにてニコラスと遭遇するなどとは夢にも思わず、
結果的に最悪の形での再会となった次第である。
 ダイナソーたちの近況を知りながら、電話を掛けたときにはそれについて一言も触れなかったのだ。
ニコラスがマクシムスに腹を立てるのも無理からぬ話と言えよう。

「あれだな、サム。何だかんだ言って、お前、ラスに愛されてるよな」
「現在進行形でガン無視されてっけどー!?」

 マクシムスとしてもニコラスの気持ちが分からないでもない。
口では悪し様に言っていても、ニコラスにとってダイナソーは掛け替えのない親友なのだ。
乱世さながらの荒野へと飛び出していった親友の身を案じていないわけがない。
 それにも関わらず、この有様。ダイナソーとアイルの思惑やサンダーアーム運輸の立場はともかくとして、
ニコラスの目には「長い物に巻かれた」としか映らないのだ。
 当たり前ながら、ニコラスにとっては少しも面白くない。
 しかし、そのような個人的な感情も事情もヴィンセントには何の関係もなかった。
取るに足らない瑣末なことでしかなかったのである。

「――ほう? キミたちは知り合いなのか。それなら話は早いね。物資の搬送は共同してお願いしますよ。
ノイエウィンスレットさんが仰るように医療器具もロンギヌスで用意しておりますので」

 ニコラスとダイナソーたちが旧知であると見るや否や、ヴィンセントは物資搬入の頭数へ彼を勝手に入れてしまったのである。
 たまらず抗議しようとするニコラスだったが、難民支援が前提である以上、
自分だけ強硬意見を唱えるわけにも、搬入の手伝いを断るわけにも行かない。
 苦虫を噛み潰したような表情(かお)で再び押し黙ったニコラスは、
「ンま、俺サマとニコちゃんは切っても切れない運命ってワケだ。観念してコンビ結成と行こうじゃねーの」と
擦り寄って来るダイナソーに腹立ち紛れのゲンコツを振り落とす。それが唯一許された抵抗のようなものだった。

 「トキハさんもいれば黄金のトライアングルだったのに口惜しや」と涎を垂らしながら臍を噛むフィーナは捨て置くとして――
支援物資の搬入要員が内定したところで、ヴィンセントはアルフレッドに意味ありげな眼差しを向けた。
 「佐志はどう支援活動をする?」と、ヴィンセントは暗に問い掛けている。
 佐志の港をロンギヌス社に開くのは物資提供の見返りに過ぎない。佐志独力で何が出来るのかと量っているわけだ。

(……海千山千と言うことか。相手にとって不足はないな……)

 ヴィンセントはロンギヌス社が提供出来ることを包み隠さず明かしていった。
これはつまり自らの手札を晒して相手の出方を窺うようなものである。
 支援物資の提供と言う大きな負担をロンギヌス社が引き受ける以上、佐志もそれに匹敵する労を払わねばならない。
そうでなければ、対等な同志とは言い難い――このようにプレッシャーを掛けることもヴィンセントの狙いであろう。
 気前良く振る舞っているように見えて、その実、限界まで佐志の力を引っ張り出そうと言う計略だった。
 アルフレッドは守孝へと目配せを送った。これは佐志の将来にも直接関係することである。
己の一存で何もかも決めるわけにはいかないのだ。
 アルフレッドの意を汲み取った守孝は、静かに、けれども深く強く頷き返した。
武辺の身なりと不釣合いなほど優しげな双眸は、「アルフレッド殿の指図に従い申す」と物語っている。

「――佐志はロンギヌス社の手が回らない部分を担当することにしよう。互いの不足を補い合えば良い」

 深呼吸の後、アルフレッドは自らの存念――即ち、佐志がワーズワース難民キャンプにて為すべき命題を語り始めた。




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