4.アルフレッドとヴィンセント


「苦労を分担する――と? 実に効率的とは思いますが、具体的に何をどう分かち合おうと言うのです?
確かに物資の搬入には人手が要りますが、バケツリレーと言うわけにも行きませんからMANAをお持ちでない方には、
少々苦しいかと思いますがね。それにサンダーアームさんもスタッフを出されるそうですし」
「だからこそ、俺たちはあんたたちに出来ないことをするんだよ。アホ面晒して人の仕事を眺めているつもりはない」

 アルフレッドの示した意向についてヴィンセントが更なる説明を求めた。
 ロンギヌス社はハブール難民への支援物資を負担する。それに対して、佐志はワーズワースに何をもたらせるのか――
改めて確認を取ると言うよりアルフレッドの思考そのものを楽しんでいるようにも見えた。

(お手並み拝見と行こうじゃねぇか、アルフレッド・S・ライアン?)

 アルフレッドが弁護士バッジを持つヴィンセントを意識するのと同じように、
ヴィンセントもまたアルフレッドに強い関心を持っている。
 シルヴィオとの私闘を聞かされたときには、短慮極まりない暴れ馬かと誤解しそうになったが、
実際に接してみると、その印象は見事にひっくり返った。時折、思料が深くなり過ぎて遠い世界に旅立ってしまうものの、
豊かな見識の持ち主であり、何より仲間たちを統率し、指揮する能力が抜群に高い。
 その上、状況把握能力にも長けているようだ。身近な者たちへの気配りは言うに及ばず、
小さな手掛かりから想像を膨らませねばならないような遠方の企みまで、いくつもの情報を頭脳ひとつで巧みに捌いている。
佐志にワーズワースの救援を依頼した張本人とロンギヌス社とを結び付ける考察には、
ヴィンセントも舌を巻く思いであったのだ。
 彼がシルヴィオとの私闘で汚れた衣服を着替えている間、旧知であると言うダイナソーとアイルに
「アルフレッド・S・ライアンとは何者なのか」と尋ねたのだが、その経歴を知って得心が行ったものである。
 さる士官学校の出身者であり、戦略シミュレートのエキスパートでもあると言うのだ。
二十人前後で巨大な廃墟を調査した折には的確な人員の割り振りを行い、国際的テロリストをも智謀でもって討ち取っていた。
敵は予知能力まで備えていたが、アルフレッドはこの異能すら封殺せしめたのである。
 奇跡としか言いようのない劇的な経歴であるが、それが作り話でないことはアルフレッドの言行を見ていれば瞭然であろう。
少なくともヴィンセントはそのように理解している。

 密かなる注視を知ってか知らずしてか、アルフレッドは地面から小石をひとつ摘み上げると、
これをヴィンセントの眼前に翳した後、全景図上のある一点――ストーンブリッジへと置いた。

「これはコクランやデーヴィスたちも同じことだろうが、俺たちは物資の支援や現地調査の為だけに
ワーズワースを訪ねたわけではない。この地に流れ込んだと言う銃器の実態を確かめることも大きな目的なんだ」

 銃器流入問題に触れながら、アルフレッドは皆の意識を引き付けるように
小石を少しずつ労働者階級の居住区へと滑らせていく。
言わずもがな、大量の銃器が流れ込んでいる可能性の最も高いポイントである。

「コクラン、あんたもそのつもりで此処までやって来たんだろう?」
「そうだ。どちらかと言うと私はそれが目的なんだよ。武器と言うものは正しく管理されていなければ、野放しの暴力と変わらない。
人を守れる筈の力が、悲劇の引き金になってはいけないんだ。……尤も、私は流入の真相まで辿り着けなかったクチだがね」
「それを俺たちに委ねて欲しいんだ。俺たちは物資の面で難民を支援したかったが、先立つものがない。
あんたは銃器流入の問題を解決したいが、状況的にそれは難しい。互いの不足を補うには理想の形だと思うが、どうだろう?」
「持ちつ持たれつ、か。互いの不足を補うと言う考えは、今のワーズワースに一番欠けていることだな――」

 アルフレッドの提案はヴィンセントにとって最も望ましいものであった。
 確かにヴィンセントが連れ立つメンバーだけでは銃器流入問題を解決するのは難しいだろう。
ダイナソー、アイル、マクシムスの三名には支援物資の搬入を優先して貰うつもりだ。
年少のジャスティンは、なるべく危険な場所から遠ざけたいので、この調査からは除外するつもりでいる。
 そうなるとシルヴィオとヴィンセント本人のふたりしかいなくなる。これでは人手不足を憂慮する以前の問題であろう。
人並外れて感情の起伏が激しいシルヴィオは、お世辞にも潜入調査に適しているとは言い難い。
 さりとて会長のサーディェルに応援を要請することも出来ない。本社がAのエンディニオンに留まり続けている為、
こちらの世界で活動できる人数はごく僅かなのだ。ワーズワースに回せるようなエージェントはひとりとしていない。
 その点、アルフレッドは多士済々の逸材を引き連れており、人数の問題は難なく解決している。
労働者階級のロレインと貴族階級のフォテーリ家――佐志は両階級に知己を設けたと言うのだ。
銃器流入問題を調べるには、まさしく適任であった。
 このような場面で最も力を発揮する探偵もメンバーに含まれており、しかも、一足先に調査を始めていると言う。
これほど頼もしいことはあるまい。

「――しかし、大丈夫なのかい? 下手を打てばキミたちに銃口が向けられることになるんだぞ」
「ワイらに心配なんかいらんて。これでもぎょーさん危ない橋渡ってきたさかい、拳銃なんて慣れっこやねん」
「歴戦の傭兵みたいな言い方ですね……」
「似たようなもんや。そやから、大船に乗った気でおったらええねん」

 愛弟子の弁を後押しするかのように、ローガンは袖を撒くって力瘤を作った。
その雄々しい様を見てヴィンセントは瞠目したのだが、アルフレッドの側に居並ぶ佐志の者は誰もが剛毅である。
銃の危険に晒されると威(おど)かされても身震いひとつしなかったのだ。
 ジャスティンと同い年くらいのシェインですら平然と構えており、
ジェイソンに至ってはローガンに倣って両腕に力を込め、筋肉の隆起を見せ付けていた。

「ヴィンセント……だっけ――あんたの言う通りだよ。悲劇の引き金がワーズワースのどこかにあるって言うなら、
ボクは絶対にそれを探し出してみせる。昨夜みたいなことは二度と起こしちゃダメなんだ!」
「おうよ。そんなときにビビり入っていられるかってんだ。弾丸くらいオイラが全部受け止めてやるぜ!」

 気炎を上げたジェイソンに半信半疑の顔を見せるヴィンセントだったが、スカッド・フリーダムに良く似たジェイソンの身なりと、
「こいつもタイガーバズーカの出身なんだよ。ボクらとは肉体(からだ)の造りが違うぜ」と言うシェインの説明に納得し、
感心したように溜め息を吐いた。
 ジャスティンもまたシェインとジェイソンを興味深げに観察していたが、そのことを気付かれるのが照れ臭いのか、
鉄扇を広げて双眸より下を覆っている。これによって好奇の微笑みは衆目より隠された。

(ダインやカキョウとどっちが強ェのかな。いやいや、比べるモンでもねぇけどさ。ところ変われば色んな連中が出てくるもんだ)

 確かにこの面々であれば、荒事に発展しても問題はあるまい。
甲冑を身に纏った武辺の守孝から年少のシェインに至るまで腕に覚えのある者ばかりが揃っているのだ。
 万が一、負傷者が出たとしてもマリスのトラウムさえあれば命を落とすようなことだけは避けられるだろう。
 フィーナは今にも駆け出そうと逸っている。軍手を嵌めつつ、燃え盛るような瞳でヴィンセントを見据えていた。

「コクランさんからダメだって言われても私は行きますよ。ロレインさん――労働階級の人とも私は深く交わってしまいました。
ワーズワースのことは、もう知らない誰かの問題じゃない。私自身の問題なんです。……これは私の戦いなんだ!」

 ワヤワヤで相対したときとは全くの別人である。その折には心の揺らぎが満面に表れており、
世界を作り変える強き法律――『万国公法』の前にまともな反論さえ出来なかったのだ。

(……いや、これが本来の姿なのかもしれねぇな……)

 ふと、ワヤワヤを去る間際のフィーナの姿がヴィンセントの脳裏に蘇った。
 村長の邸宅に在った為、窓越しに遠望したに過ぎないのだが、暴徒化した住民を退かせる為にリボルバーで空を撃ち、
発砲音を聞きつけたスカッド・フリーダムの隊員ふたりと対峙する羽目に陥ったのだ。
ヴィンセントに同行してワヤワヤを訪れていた、ビクトー・バルデスピノ・バロッサとホドリゴ・バーズタウンの二名である。
 ビクトーたちはフィーナが村民に危害を加えるものと見なして臨戦態勢を取っていた。
本気になった義の戦士を、それもふたり同時に相手にすると言うことは、即ち死を意味する。
 しかし、フィーナは一歩たりとも退かなかった。対峙を終えて村長の邸宅まで戻ってきたビクトーたちの話によれば、
彼女は去り際に正義の意味を質したと言う。幾筋もの涙を零しながらも、頭を垂れず前のみを見据えていたと言うのだ。
 そのときも芯が強いものだと密かに感心したのだが、
今、目の前に在るフィーナからは意志力と行動力が迸っているように見える。
 魂の底から燃え上がるような強さがあれば、武器流入と言う難儀な問題も必ずや解決出来ることだろう。
 佐志の人々の強さ、逞しさに圧倒されたヴィンセントは、これを確かめるようにアルフレッドと向き合い、
彼の首肯を以って最後の決断を下した。

「よく分かったよ。……銃器の問題(こと)は佐志の皆さんに全てお任せしましょう。必要なことがあれば何でも仰ってください。
佐志が港を開いてくださったように、ロンギヌスも全力でバックアップを致しますので」

 交渉成立とばかりにアルフレッドへ手を差し伸べようとするヴィンセントだったが――

「――ちょう待てやッ!」

 ――その動きはシルヴィオより発せられた制止の声で食い止められてしまった。
ピンと垂直に挙手しているあたり、この場で何事かを提案するつもりらしい。
 腰を折られて思わず前のめりになったヴィンセントは、差し出そうとしていた手でもって己の頬を?き、
苦笑混じりでシルヴィオに発言を促した。

「落とし前はどう付けるんじゃ。ギルガメシュのやったことは許されんことやろがッ! 
ここの連中だけでも懲らしめんと、犠牲になったもんも浮かばれへんでッ!?」

 ジャーメインは「あんたが一番パトリオット猟班っぽいわ!」と、すかさず指摘(ツッコミ)を張り上げた。
 私闘を経て誤解こそ打ち消されたものの、カレドヴールフと間違えてアルフレッドを襲ったときから
シルヴィオの心は変わっていない。駐屯軍の非道によって落命したポールの為に義憤を燃やし、
裁きの鉄槌を下さんと欲しているのである。
 成る程、駐屯軍の腐敗は目に余る。その驕慢こそが難民を苦しめる禍根と言っても差し支えあるまい。
廃棄物と同じようにワーズワースを冒していく“病理”の討滅は、
ハブールの人々の根本的な救済には欠かせないようにも思える。
災いの根を取り除かない限り、一時(いっとき)、膿を?き出したとしても何ら意味を為さないのだ。

「ヴァイスをスクラップしてジャスティスヅラするのは気持ちがエクスタシーだよネ〜。
バットしかし、ザットなウィッシュをどこのピープルがボキたちにしたんだい? 
ザットのとっちゃんボーイにインスパイアされてバーニングなんて、フール丸アウトを言うんじゃナッシングだろうネ?」
「だ、誰がとっちゃん坊やか言うて見ぃッ!?」
「チミだよ、チミチミ。ジャスティスが大事なファイターにはバッドだけど、ここでとちクレイジーなコトをやらかしたら、
誰がモスト痛いアイをルックするか、よ〜くシンキングしてみなヨ?」
「ワーズワースの難民やて言いたいんか、ワレ? アホ抜かすなや。
ベイカーたら言う駐屯軍のアタマさえ潰したら、難民かて自由を取り戻せるやろが! ロンギヌスも動きやすうなる!」
「スカッド・フリーダムって言うのは揃いも揃ってスウィーツばかりかネ。
そんなイージーにゴーするならストラテジストもいらナッシングだヨ」

 そう言って差し出口をしたのは、話し合いにも参加せずにドーナッツを貪っていたホゥリーである。
 彼が指摘した通り、駐屯軍への攻撃はコールタンの依頼には含まれていない。
底が知れないと言うロンギヌス社の会長とて、こればかりは先見していない筈だ。
 言わずもがな、駐屯地を攻め滅ぼして欲しいと言う請願などハブール難民の何処からも上がってはいなかった。

「部外者がビッグな世話をベイキングしてもレフュージには却ってアウチってことサ。
とっちゃんボーイ、チミのセルフ勝手なジャスティスでオールをクラッシュさせてもグッドかい? 
この先一生、レフュージを全キルしたって後ろフィンガーを指されるコトになるけどネ」
「……うちの肉塊は見ているだけでも吐き気を催すが、時々、こうしてまともなことも言うんだ。
俺も駐屯地を叩くのは吝かではないが、難民を追い詰める結果になっては本末転倒と言うものだ」
「ワレ、こらっ……ジークンドーッ!」

 ホゥリーの言葉はいちいち皮肉っぽいが、しかし、理はある。至極全うなことを説いている。
だからこそアルフレッドもシルヴィオに自重を促した。
 今の駐屯軍が滅ぼされても、所詮は“首”が挿げ替えられるのみ。
次にこの地を預かる者が更に邪悪である可能性も低くはないのだ。
 考えられる最悪の事態はハブール難民にあらぬ嫌疑が掛かることであった。
もしかすると、軍勢を手引きしたとしてギルガメシュ本隊から処断されるかも知れない。
そのときはいくらコールタンとて庇い切れないことだろう。
 独断で実行するには、ロンギヌス社にとっても佐志にとっても、手に余る程の深刻な決断となるのだ。
シルヴィオに同調して駐屯軍討滅へ乗り気になっていたハーヴェストもアルフレッドとホゥリーの言を容れて頭を冷やし、
顰めっ面でその場に座り込んだ。

「……どうせ叩くなら、奴らの根城を更地に変えるくらいの勢いでやるしかないな」

 ところが、だ。ハーヴェストやシルヴィオを自制させた筈のアルフレッドが突如として意見を翻したのである。
 アルフレッドの目付きが変わっていた。今や軍師の貌(かお)になっていた。
どうやらシルヴィオとホゥリーの会話へ耳を傾ける間に何やら妙策を閃いたようだ。
 ホゥリーは「ま〜たスタートした」と鼻を鳴らし、ヴィンセントとシルヴィオは豹変に目を丸くしている。

「誰か、マッチ棒を持っていないか? 一本だけでも構わないのだが、分けては貰えないだろうか」

 何に使うのかは知れないが、アルフレッドは一同を見回してマッチ棒の提供を求めた。
 焚き木を熾すのにマッチ棒を使っていたマクシムスは、自身のテントから業務用の大きな箱を持ってくると、
そっくりそのままアルフレッドに手渡した。今もってその用途を理解はしていない。
 受け取った箱から一本のマッチ棒を引き抜いたアルフレッドは、
数多の視線を引き付けるようにしてこれをワーズワースの全景図に置いた。
 マッチ棒にて示されたのは、ギルガメシュ駐屯地が記された箇所である。

「ギルガメシュの腐敗は、ギルガメシュ自身で始末を付けさせる」

 そう言ってアルフレッドはトリーシャへと目を転じる。これに釣られて、ヴィンセント以下、皆の目が彼女へと集中した。
 何の前触れもなく、突如として注目を浴びたトリーシャは、呆けた様子で己の鼻先を人差し指で突いている。
「なんで、あたしが?」とでも言いたげな表情である。

「この地を預かる駐屯軍がどこまで腐り切っているのか、コクランたちのお陰で詳細に分かった。
証拠写真のようなものはないが、それは大きな問題ではない。隠蔽し難い証拠がそこに転がっている。
……保護すべき難民を苦しめている事実を以ってして、奴らは制裁を受けるだろうよ」

 アルフレッドの言葉に閃くものがあったトリーシャは、口の端を不敵に吊り上げた。

「駐屯軍がやってきたコトを新聞の記事にするってワケね!」
「表沙汰にしないわけにはいかないだろう。ギルガメシュが管理する難民キャンプはワーズワース以外にもあるようだ。
同じことを別の場所でも起こさせてなるものか」
「それって匿名情報で……ってコトかい?」

 アルフレッドの様子を窺うかのように質問を投げたのはネイサンである。
緊張して喉が渇いているのか、その声は幾らか擦れていた。
 先だって強行した生中継以来、トリーシャの身の危険が直接的に左右される事態なのだ。
彼としては細かな部分まで確認をしておかなければ心配でならないのだろう。
 匿名情報と言う手段に言及したのは、トリーシャの安全まで考慮していて欲しいと言う期待であり、
同時に遠まわしな願いでもあった。もしも、アルフレッドが非情の手段を選ぼうとしているなら、
ネイサンとしては何としてもそれを覆したかった。

「いや、個人名まで出して貰う。トリーシャが自分の名義で出している新聞があっただろう? 
今回はそれを使ってギルガメシュに揺さぶりを掛けるんだ。第一、情報源が特定されない情報など誰も見向きもしない」

 ネイサンの期待も虚しく、アルフレッドはあくまでもトリーシャ名義によるニュース発信にこだわった。
そうでなければ意味がないとまで断言している。
 はっきりと個人名を打ち出せば、ギルガメシュの注意は必ずそちらに向く。少なくともハブール難民に向けられることはない。
彼らの身の安全を確保した上で駐屯軍を叩くには、これ以外の上策はないとまでアルフレッドは言い切った。
 しかし、それはギルガメシュの憎悪をトリーシャひとりに背負わせるようなものでもある。

「どうだろうなぁ、いくらなんでも危な過ぎるんじゃない?」
「やる前から及び腰なんてゲンが悪いわよ、ネイト。あたしの面はとっくにギルガメシュに割れてるんだもん。今更でしょ、今更」
「……あのね、トリーシャ。ネイトさんの気持ちも分かってあげて? 私だってトリーシャに危ないことばかりして欲しくないよ」
「フィーまで! 危ないコトって言うなら、それこそお互い様じゃない。フィーやネイトが合戦に出るのとおんなじよ。
あたしはあたしの武器で戦う! ペンを執ったときに命を落とす覚悟は済ませてるのよ!」
「それはそうだけど、……ネイトさんからも、もっと何か言ってくださいよ。ここで止めるのがネイトさんの役目でしょ!?」
「僕だってそうしたいけど、こうなったらトリーシャは僕の話なんかもう聴いちゃくれないんだよ」
「そんなことだからイーライさんに攫われそうになるんですよ。……あ〜あ、トリーシャが可哀想」
「……段々、僕の扱いがヒドくなってるよね、フィー……」

 ネイサンの眉間に寄せられる皺はますますその数を増やし、
フィーナもフィーナで仲間を危ない橋を渡らせようとするアルフレッドに懸念を抱いている。
そんなふたりを余所に、トリーシャは「ペンの強さを見せつけてやるわ!」と大いに発奮していた。

「……上手く行けば、この記事ひとつでベテルギウス・ドットコムの動きまで鈍らせることが出来るかも知れない。
独占インタビューまで取り付けるくらいだから、奴らはギルガメシュとも近しいだろう。
トリーシャがワーズワースのことを暴露すれば、自分たちのホームページに擁護記事を載せるかも知れない。
そうなったら、勿怪(もっけ)の幸い。奴らがギルガメシュの使い走りと証明出来る。一石二鳥と言うものだ」

 アルフレッドがトリーシャ名義のニュース発信にこだわったのは、ワーズワースに対する配慮ばかりが理由ではない。
敵軍のプロパガンダに利用されかねないニュースサイト――ベテルギウス・ドットコムへの牽制も
腹の中で企図していたのである。
 抜け目のないアルフレッドにはホゥリーから「ザットがトゥルーの目的じゃナッシングぅ〜?」と
ゲップ混じりの皮肉が飛ばされたが、彼は不快な音に眉を顰めるのみで全く取り合おうとしない。
 その沈黙こそ図星と捉えたホゥリーは、フツノミタマから後頭部を張り飛ばされるまでの暫時、
ゲップの狂想曲でもってアルフレッドを茶化し続けた。

「今度の暴露記事は難民保護を謳うギルガメシュにとって致命傷になり兼ねない。
上層部(うえ)は末端の暴走と言う形で落着させる以外になくなるだろう。
ベイカーのように愚劣な輩は排され、最低限の常識を弁えた人間が配属されると言う寸法だ。
……ギルガメシュに常識を求めるなど笑止だがな」

 全景図上に置いてあったマッチ棒をテーブルの天板で擦って火を灯す。それは駐屯軍の炎上を暗喩していた。

「次から次へと底意地の悪いことばっか思い付くわね。いつか友達なくすわよ?」

 駐屯地を本当に更地にしてしまいそうなアルフレッドの計略にジャーメインは感嘆の溜め息を吐いた。
 ギルガメシュと戦うからにはアルフレッドは一切手加減をするつもりはない。
コールタンとの繋がりこそ出来たものの、本来、ギルガメシュは不倶戴天の敵なのだ。
 万が一、コールタンから物言いを付けられたときには、アルフレッドはジョゼフに調停を頼もうとも考えている。
 自分と佐志をコールタンに推したのは他ならぬ新聞王。不測の事態が起こったときにその収拾を図るのも
推薦者の責任と言うものであろう――マッチ棒の火を一息で吹き消すアルフレッドは、
ジャーメインへ応じるように不敵な薄笑いを浮かべて見せた。

「ワーズワースの近況を明かすのは、ギリギリセーフだとは思う。
ただ、どんな理由があれマスメディアを封じ込めようと言うのは賛成しにくいな。
彼らは報道の自由を持っているのだろう? こちらの世界の法律は勉強中なんだが、
少なくともルナゲイトと言う大都市では報道の自由が認められていたんじゃないか? 
……私個人の意見だが、滅多なことは慎むべきだと思うがね」

 ここに来て、ヴィンセントが初めて難色を示した。法律家の見地からアルフレッドの立てた策に異論を唱えたのである。
報道の自由とは、言わばジャーナリストにとって最大の武器であり、彼らの信念を保障する根拠でもあった。
これを持つからこそ、トリーシャあるいはベテルギウス・ドットコムは情報を以ってして戦いの場に立てるのである。
 ペンを剣に、報道の自由を盾にするジャーナリストたちは、同時に民衆へ真実を知らしめる責任が課せられる。
アルフレッドが為そうとしているのは、この法理を都合良く捏ねくり返した策(もの)。
報道の自由の利点を巧みに操り、その半面ではベテルギウス・ドットコムに認められた権利を侵そうとしているのだ。
 フィーナの顔色が見る間に青くなっていった。
 弁護士を志しながらも“在野の軍師”として血塗られた道を歩むアルフレッドにとって、
法律に基づく批難は何よりも堪えるものであろう。ヴィンセントの左胸に輝く物を彼が複雑な面持ちで見つめていたことは、
フィーナもちゃんと分かっている。

(このふたりは馬が合うか合わないか、極端だと思っていたけど、……だけど――)

 コンプレックスを揺さぶられたアルフレッドが逆上するのではないかとフィーナは身を竦ませたものの、
意外なことに彼は少しも怒ってはいない。
 ほんの僅かな間、驚いたように双眸を瞬かせたが、刹那の後には「どのようにするのが一番だと思う?」と
ヴィンセントに尋ね返している。その面には好奇の色さえ滲ませていた。
 法律に背かないよう注意こそ促したものの、よもや計略への意見を求められると思っていなかったヴィンセントは、
少しばかり考えた後、「これもまた私個人の意見だが――」と口を開いた。
 ヴィンセントが瞑目して物思いに耽る間も、アルフレッドは彼から視線を離さない。
その様子をつぶさに注視していたフィーナは、先程来の険しい表情を保ったまま鼻から赤い雫を滴らせた。

「――ベテルギウス・ドットコムにも同じニュース記事を書かせたらどうかな。
私たちからワーズワースの情報を提供すれば、彼らは必ず記事にするだろう。キミの狙い通りになるかは別としてね」
「なんだ、あんたも知ってたのか、例のホームページを」
「社会情勢のチェックは社会人のたしなみだよ。ただでさえ私たちには情報が不足しているからね。
二十四時間、ニュースに噛り付きでも足りないくらいさ。ベテルギウス・ドットコムは良質なニュースソースのひとつってトコ。
何時だってホットな情報を提供してくれるだろう?」
「その点は否定しないがね」

 ベテルギウス・ドットコムを運営しているのはBのエンディニオンの人間と推察されるが、
ホームページには誰でも簡単にアクセス出来る。当たり前ながら、どちらの世界の人間かと問われることもない。
ヴィンセントは件のニュースサイトを一日に数回は必ずチェックするようにしていたのだ。
 そのベテルギウス・ドットコムにトリーシャと同じワーズワースのニュースを報道させてはどうかとヴィンセントは提案し、
これを受けてアルフレッドは短く唸り声を上げた。
 ヴィンセントの意見が気に入らなかったのではない。
むしろ、彼の言葉に新たな着想を得たらしく、双眸は楽しげに輝いている。

「トリーシャの身を守ることにも繋がると言うわけか。一種の情報撹乱だな」
「そうだ、ベテルギウス・ドットコムの管理者は情報源を決して外には明かさないだろう。守秘義務があるからな。
こちらのお嬢さんだけがピンポイントで狙われることもなくなるハズだ」
「ギルガメシュは情報源が別にあると勘違いするわけだ。一種の黒幕がトリーシャとベテルギウス・ドットコムに情報を流し、
ワーズワースの記事を書かせた――と。奴らとしても禍根を断たねばならないから黒幕探しに躍起になるのは必定だ。
いる筈もない謎の黒幕と言うものをな」
「俺たちが調べた限りではハブールの難民には外部に情報を伝達出来る手段がない。
手紙のやり取りすら駐屯軍に規制されてんだ。あの人たちに妙な疑いが掛かることは殆どないと思うぜ」
「難民保護の宣言と現実の矛盾に加えて、情報撹乱に間抜けを演じる。ギルガメシュにとっては二重の痛手になるか」
「その上で報道の自由も守れる。どうだ、こりゃベストじゃねぇか!?」

 アルフレッドと話し込む間にヴィンセントの側も昂ぶってきたようで、
普段のビジネスパーソン然とした佇まいから徐々に素の喋り方へと戻っていく。
 一方のアルフレッドも嘗てない昂奮に包まれていた。ヴィンセントは法律家らしい見識でもって計略に磨きを掛けてくれたのだ。
このような形でベテルギウス・ドットコムを利用するなど、当初は思いも寄らなかったのである。
 ベテルギウス・ドットコムへの情報提供は、ある種の試金石となるだろう。
添え状や電子メールにて「ギルガメシュを擁護するような記事にすべき」と誘導し、彼らの反応を見定めることも出来る筈だ。
件のニュースサイトが真に公平性を保っているのかを確かめる好機でもあった。
 アルフレッドの立てた計略をまさしく最善(ベスト)の形に整えたのは、他ならぬヴィンセントだった。

「コクラン、あんたのお陰だ」
「持ちつ持たれつって言ったじゃねぇか。付き合うからにはとことんだぜ」

 アルフレッドは改めてヴィンセントと差し向かいとなり、徐に右手を差し出した。
先程、シルヴィオの闖入によって有耶無耶になってしまった握手の仕切り直しである。
 ヴィンセントは両手でもってこれに応じた。
 そして、ふたりとも昂揚し切った顔で頷き合う。真紅と瑠璃――双方の瞳は色彩こそ対照的だったが、
そこに宿る熱情は、共に眩いばかりの輝きを放っていた。

「ちょっとちょっとちょっと〜! 持ち上げて落とすみたいなコトはやめてくれるっ!? 
勝手に話進めてるけど、これじゃ、あたしの独占ニュースにならないじゃないのさっ!」

 いつの間にやら商売敵のベテルギウス・ドットコムをも巻き込むことが決まってしまい、
トリーシャは頬を膨らませて抗議の念を表した――が、これは単におどけているだけのこと。
 ワーズワースの窮状を全世界に触れ回るのはギルガメシュへの大打撃が最大の目的であり、
これが達成されるのであれば、彼女とて自身の手柄にはこだわらないのである。
 トリーシャの傍らではネイサンが静かに胸を撫で下ろしている。
経緯はどうあれ彼女ひとりへ危難が集中する事態は回避されたのだ。そう言った意味でも最善(ベスト)の形であった。

「な、なんやねん、こいつら……」

 駐屯軍に対する制裁の口火を切ったシルヴィオだが、アルフレッドとヴィンセントのやり取りにはすっかり圧倒されていた。
武術家としての魂を昂ぶらせて『私闘』に応じたジークンドー使いことアルフレッドと、
ロンギヌス社の代表としての佇まいを決して崩さない冷静沈着なヴィンセント――
彼の中で両名の印象が今までとは大きく塗り替えられたのかも知れない。

「コクランさんのほうは良く知らねぇけど、アルのことならあれが本当の実力ってヤツだよ。
……一時はどうなるかと思ったけど、良い出会いになったみたいで良かったぜ」

 ヴィンセントと――Aのエンディニオンの人間と闊達に議論を重ね、互いの器量を認め合い、
握手を交わせるまでに至った親友のことをニコラスは誇らしげに見つめている。
 思えば、アルフレッドとニコラスも固い握手で親友の絆を確かめ合ったのだ。
 
「――なぁ、シェイン。お前の姉貴分、大丈夫なのかよ。よくわかんね〜けど、もうヨロヨロじゃね? 
あれ、あのまんま放っとくとブッ倒れるぜ?」
「気にしなくていいよ、ジェイソン。フィー姉ェ本人はあれでハッピーみたいだからさ」
「鼻血と涎で干乾びちまうのが!? ……幸せの形っつーのは人それぞれだけど、オイラにゃわかんねぇ世界だなぁ」

 邪な感情に惑わされた挙げ句、貧血状態に陥ってハーヴェストに支えられる姉貴分を目の当たりにし、
呆れの溜め息を零したシェインは、そのとき、着流し姿の少年――ジャスティンが皆の輪から離れ、
独り静かに森の中へ入っていくのを見つけた。





 シンパシーを覚えて希望に燃えるアルフレッドやヴィンセントとは正反対に、
話し合いが進めば進むほどジャスティンの心は徐々に塞ぎ込んでいった。
 駐屯軍を叩くと言うシルヴィオの義憤は分かる。それを情報戦によって達成しようとするアルフレッドの計略も
一概に悪いとは思わない。ヴィンセントが発案したようにニュースサイトをも戦術へ組み込んでいけば、
ベイカーを追い詰めることは難しくなかろう。
 しかし、直接的な関与さえ疑われなければハブール難民の被害を回避出来ると言う考えは、
些か甘い見通しのようにジャスティンには思えるのだ。
 暴露と言う名の包囲網に追い詰められ、ワーズワースに於けるベイカーの基盤が揺らいだその瞬間、
今こそ反撃の機会とばかりに難民たちが駐屯地を襲撃してしまったなら、それこそが最悪の事態であった。
 抑え付けられて来た人間の怨みは筆舌に尽くし難いものがある。
ましてや、ハブールの人々は受ける謂れのない不当で屈辱的な支配を強いられてきたのである。
 その怨みを晴らせる千載一遇の好機が到来したとき、手の届く範囲に強力な武器があったなら、
彼らは躊躇なくベイカーたちに銃口を向けることだろう。駐屯軍は原形を留めないまでに破壊されてしまうかも知れない。
比喩でなく、本当に細かな肉片にまで切り刻まれ、骨までもがクリッターの餌食として投棄されるに決まっている。
 徹底的に残虐な暴力によって我が身の苦痛を癒そうと言うわけだ。
こうした恐るべき復讐劇は歴史を紐解けば幾らでも転がっている。
 そして、その後に待ち構えているのはギルガメシュ本隊によるワーズワースの討伐である。
結局、ハブール難民は根絶やしにされてしまうのだ。

(……何よりもまず難民の心を変えなきゃ、どんなことをやったって意味がないんですよ……)

 川沿いへと抜ける間道までやって来たとき、ジャスティンは両手で顔を覆った。
彼の脳裏には、今朝方の調査で目の当たりにした情景が――自分たちを襲ってきた労働者階級の人々が蘇っている。
 難民支援の体制を整えたいと申し出た自分たちに向かって、彼らは足元に転がっていた石を投げ付けてきたのである。
 提供出来る食糧すら持たずに来訪したことで難民たちの神経を逆撫でしてしまったのだが、
そのときに浴びせられた言葉は、想い出すだけでも背筋が凍りつく。

「予防接種はしてきたのか!? そうでもなけりゃ、こんな場所には立ち入れないだろう!?」
「大都市(おまち)に帰ったら、すぐに病院で検査を受けるがいい! 病原菌を貰ってきていないかってな!」

 労働者階級の人々は、自らを汚らわしいモノのように卑しめていた。
病原体を持っているなどとは疑わず、それどころか、感染を恐れるような素振りすら見せなかったジャスティンたちに対して、だ。
 そのようなことを労働者階級の人々に言わせてしまうのがハブールの本質であった。
 これほど悲しいことなど他にはあるまい。古(いにしえ)の時代の身分制度に基づいて人間に序列を設け、
特権階級たる貴族と、そうでない者とを選り分けているのだ。ハブールに於いて両者の間には天と地ほどの格差が存在していた。
 労働者階級の人々は、今や格差による待遇の違いではなく自らの運命そのものを呪っているように思える。
心の奥底に沈殿した鬱屈は本人の意思に関わらず暴力性が研ぎ澄まされ、
格好の“獲物”を見つけたときに狂気と化して抜き放たれるのだった。
 銃器の有無に関わらず、この先、駐屯地に襲い掛かる者が在るとすれば、まず間違いなく労働者階級の者たちであろう。
余勢を駆ってハブールの同胞であるべき貴族階級まで虐殺することは想像に難くなかった。

 本当の意味でハブールを救済するには、世界の理のように身分差別を受け入れている人々の心を変えなければならないと
ジャスティンは考えていた。特権の上に胡坐を?く貴族階級も、抑圧の苦しみを暴力性で贖う労働者階級の人々も、
どちらも生まれ変わらなければならない――と。
 それはハブールにとって根源的な命題であった。それほどまでにふたつの階級の溝は深い。
 結局、その考えを上手く伝えることが出来ないまま話し合いが終わってしまった為、
居た堪れなくなって皆の輪を離れた次第である。
 必要なときに重要なことを言いそびれた自分があまりにも不甲斐なく、
遣る瀬無い気持ちを持て余して溜め息を止められなかった。

「――独りで勝手に離れたら危ないぞ。このあたりだって一〇〇パーセント安全ってワケじゃないんだから」
「――おひょィッ!?」

 思いがけず背後より声を掛けられ、ジャスティンは素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。
次なる溜め息の為に吸い込んでいた空気が、心臓を叩くような驚愕によって喉の奥より逆流した恰好である。
 自分以外には近く誰もいないと思い込んでいたのが失態の原因であろう。
 何事かと振り返ってみると、鞘に納まったブロードソードを担ぐシェインの姿があった。
 傍らにはシルヴィオと良く似た隊服の少年――ジェイソンも随行していた。
先程の奇天烈極まりない叫び声に勘所をくすぐられたのか、「穴の開いた風船か、おめ〜は」と両肩を笑気で震わせている。
 ジェイソンから無遠慮に向けられる、茶化すような眼差しがジャスティンには不愉快だったが、
不意討ちを許してしまったのは我が身の迂闊と自覚している為、文句を垂れることも出来ない。

「えっと……シェイン――さん?」

 気を取り直してシェインの名を呼ぶジャスティンであったが、呼びかけられた当人は驚きに目を丸くしている。

「あれ? ボク、自己紹介なんてしたっけ?」

 そこでジャスティンは自分が幾つか手順を踏み忘れていることに気が付いた。
佐志の面々が集結するや否や、アルフレッドとヴィンセントは挨拶もそこそこに話し合いを始めてしまった為、
互いに名乗り合う遑(いとま)すらなかった。長時間に亘って私闘を演じたシルヴィオでさえ、
未だに「仮想敵」のフルネームを知らないだろう。
 ジャスティン自身、佐志側の面々についてはニコラス以外は殆ど名前が分からない。
その中で唯一例外的に名前を知っていたのが「シェインさん」なのだ。
尤も、顔と名前が一致したのはつい先刻のことであり、呼び掛けた瞬間でさえ正解しているとの自信はなかった。

「いえ、その――サムさんとアイルさんからシェインさんの話を伺っていたんですよ。私と同じ年頃の子と親しくなった、と。
それで、なんとなく……」
「あの野郎、余計なコト、吹き込んだんじゃないだろうな〜」
「それにしたって、シェインさんたぁおカタい呼び方だな。同い年にも敬語使うのかよ、おめ〜?」
「――ああ、そうだ。なんか違和感あると思った。ジェイソンの言う通りだよ。シェインさんなんて呼ばれたらくすぐったいって」
「はあ……」

 耳慣れない呼び方に蕁麻疹が出たような仕草を見せるシェイン――
ダイナソーやアイルに言わせると、この少年とジャスティンは方向性の違いこそあれども似た者同士であるそうだ。
 学者肌のジャスティンに対してシェインは荒野を渡る冒険者である。
その上、前者は理論を重んじ、後者は直感を頼りにする部分が大きい。両者の性情は正反対と言っても過言ではなかった。
 では、興味の対象に向かって貪欲なまでに踏み込んでいく探究心はどうか。
この一点はシェインもジャスティンも共有するところであり、ダイナソーたちがふたりを似ていると認めた所以でもあった。
少年らしからぬ意志の強さも共通項として挙げられることだろう。

(ディベートは得意じゃないけれど、そうも言っていられませんね……)

 自分と良く似ていると言うシェインの話を聴けば、あるいは心の靄を晴らす糸口が見つかるかもしれない――
そう期待を込め、ジャスティンはワーズワースの有様について率直な意見を求めることにした。

「シェインさんにはハブールの人々はどう映りますか? 身分差別の実態をどうご覧になりますか」
「い、いきなりだなぁ。……ボクはまだお前の名前だって知らないんだぜ?」
「これは失敬――私はジャスティン・キンバレンと申します。おそらくご存知かと思いますが、
ラスさんたちと一緒に働かせて頂いているディアナ・キンバレンの息子です。以後お見知りおきを」
「また新しい情報をあっさりと! へぇ〜、ディアナ自慢の一人息子ってお前のことだったのか〜! 
なんか全然違うのを想像してたよ。お前の母ちゃん、めっちゃパワフルだし」
「……どんなイメージだったのかは、敢えて訊かないようにしますけど……」
「オイラはジェイソン! ジェイソン・ビスケットランチっつーんだ! ヨロシクな! シェインの相棒みてーなもんだぜ!」
「いえ、別にあなたには訊いてませんので」
「なんでだよっ! シェインのときと態度が違くねっ!?」

 「オイラにも聞けよ〜」と、やたら馴れ馴れしく擦り寄っていくジェイソンだったが、
対するジャスティンは最初から彼のことなど相手にはしていなかった。
 ジャスティンの興味は、あくまでもシェイン――自分と良く似た少年のみに絞られている。

「ひっでぇなァ、シェインには小難しい質問までしたのによぉ〜。オイラにも同じこと訊けばいいじゃんよぉ!」
「あなたの場合は見るからにアレなので。……本当、堪忍してください」
「アレってなんだよ!? アレってなんだよーッ!?」

 軽くあしらわれたジェイソンは「かッわいくねーなー、コイツ!」と歯軋りしながら頭を掻き毟っている。
このように大仰且つ粗野な言行もジャスティンの好むところではない。

「……ボクだってジェイソンと似たようなもんだぜ。アル兄ィみたいに頭良くないし、軍略なんてからっきしだよ」
「私がシェインさんに伺いたいのは、そう言うことではありません――」

 完全に不貞腐れてしまった相棒を苦笑混じりで宥めるシェインに対し、ジャスティンは己の存念を余さず打ち明けていった。
難民たちに渦巻く狂気的な鬱屈と、これに基づく暴動の可能性を、だ。
 シェインはその話へ神妙に聞き入っている。下唇を思い切り突き出すと言う珍妙な不貞腐れ方をしていたジェイソンも、
今は態度を改めて真剣な顔付きとなっていた。
 実際に労働者階級の難民から襲撃された彼らにとって、ジャスティンの話は極めて生々しいものであった。
難民キャンプに渦巻く悲壮なる狂気を肌で感じたからこそ、暴動と言う最悪の展開に明確な危機感を覚えるのだ。
 ハブール難民の心を変えていかなければ根源的な救済にはならないと言うジャスティンの持論にも、
シェインとジェイソンは強く頷いている。
 一通りのことを語り終えたジャスティンは、改めてシェインに「身分制度の実態をどう思いますか」と尋ねた。

「……お前ってすげぇな。そんな深いトコまでめちゃくちゃ考えてんだもんなぁ……」

 アルフレッドやヴィンセントに勝るとも劣らないように思えるジャスティンの頭脳に感心したシェインは、
深い溜め息を吐いた後、暫し瞑目のままで物思いに耽った。
 その隣ではジェイソンも腕組みしながら唸っている。彼に対してはジャスティンは何の答えも求めていない。
先程の問い掛けとて対象はシェインひとりであったのだ。それにも関わらず、ジェイソンは頭を捻っている。
自分ならどうするか、何をするべきかを懸命になって考えている。
 見た目も喋り方も粗暴ながら、ジェイソンとてワーズワースの現状を憂えていることに変わりはないと言うわけだ。
 彼の心根を誤解した上、邪険に扱いすぎてしまったとジャスティンは心中にて猛省した。
気が急く余り、了見が狭くなっていたことは否めない。

「そうだなぁ――ボクなら、とりあえず両方の話を聴いて回るかなぁ」
「両方とは……労働者と貴族の両方と言うことですか?」
「そりゃそうさ。どこを直したら良いのかも分からないんじゃ手の出しようもねぇよ。ボクらだけで張り切ったって仕方ないだろ?」
「何を悠長な……っ」

 シェインから返された答えが己の望むものとは余りにもかけ離れていた為、ジャスティンは愕然としてしまった。
労働者と貴族、双方から意見を募って問題点を洗い出そうとシェインは考えたのである。
 ジャスティンにも彼の言いたいことは分かる。一理あるとも思っている。だが、ことは急を要するのだ。
それも、足踏みしている時間すら惜しい程に。
 ジャスティンの目にはシェインは暢気者としか見えなかった。悪循環としか言いようもないが、気ばかり急いている人間は、
自分とは真逆の者が身近に居ることで焦燥感が一層加速してしまうのである。
 シェインが自分とは同じものを見ていなかったと言う落胆もある。
ダイナソーやアイルの話を聴いて膨らんでいた期待が、それこそ穴の開いた風船の如く急速に萎んでいるのだ。

「あなたはワーズワースで何を見てきたのですか? 私たちと同じように難民から追い立てられたんですよね? 
そう仰ったのは口から出任せですか?」
「ウソ吐いてボクにどんな得があるって言うんだよ。ひでぇ目に遭ったよな、ジェイソン?」
「おうとも。返り討ちにするわけにもいかねーし、ロレインっつー姉ちゃんの家から出てきたことも気付かれちゃならねーし、
逃げるのにも一苦労だったぜ。あの脂肪分の塊がまたトロ臭くて足引っ張りやがってよ〜」
「オヤジにケツを蹴飛ばされても本気にならなかったしな、あのバカ」
「あんまり遅ぇから担いでやろうかと思ったよ、オイラ。とっ捕まったらシャレになんなかったよなぁ〜」
「……そこまで大変な目に遭われたと言うのなら、お分かりでしょう?」

 ハブールの人々を相手に対話を図っていては、間に合うものも間に合わなくなる――ジャスティンは強弁でもって続けた。
 他者からの干渉を無軌道な暴力で跳ね返してしまうほど、ハブール難民は鬱屈を溜め込んでいる。
半ば狂気に染まりつつある人々へヒアリングを実施するには、
まず彼らの心を解きほぐし、隠しておきたいことすら話し合えるような信頼関係を築かなければならなかった。
 その為にどれだけの時間を費やさなければならないのか。おそらく気の遠くなるような努力が欠かせないだろう。
シェインのように悠長に構えていては、ヒアリングよりも先に最悪の事態が到来してしまうのだ。
 ワーズワースから闇を拭い去るには、荒療治も辞さない覚悟が必要だとジャスティンは考えていた。

「例え……例えですよ? ふたつの階級から話を聞けるようになったとしても、
そこには何の進展も生まれないように思えますよ。相手から権利を奪うことしか主張しない筈です。
労働者の皆さんは特に顕著でしょう。そうなると貴族は自分たちの特権を守ることに躍起になります。
……平行線を辿るのは目に見えていますよ」
「あちこち気ィ回すなぁ、おめーは。シェインのプランがアウトってんなら、どーすりゃいいんだよ?」
「策ならあります――ロンギヌス社と佐志は連合してワーズワースの支援を実施します。これは決定事項です。
そこで、物資などを支援する交換条件をこちらからハブールの人たちに示してはどうでしょうか」
「人助けに条件付けるって言うのか? それにはボクは反対だよ」

 思わず口から出掛かり、慌てて飲み込んだのだが、シェインにはジャスティンの唱えていることが
難民ビジネスそのもののように思えてならなかった。
 この際、金銭のやり取りは問題ではない。何らかの見返りを求めた時点で「支援」として成立しないのではなかろうか。

「……ですから、荒療治なのですよ。ふたつの階級に対して公平となるようなルールを設定し、
これをハブールの人たちに守ってもらうのです。そのルールに従って暮らしている間に新しい秩序が根付くと言う計算です」

 ジャスティンの語る『公平なルール』には、ふたつの階級を縛り付ける身分制度からの解放も含まれている。
と言うよりも、旧来の悪習――ジャスティンの目にはそうとしか見えない――の打破こそが本旨であるのだ。
 労働者階級に対して様々な特権を有し、駐屯軍からも優先的に便宜を受けてきた貴族階級からすれば、
これまで見下ろしてきた人々と同じ地平に立つことは耐え難い屈辱かも知れない。
だが、ギルガメシュ以上の厚遇を受けられる条件ならば従わざるを得ない筈なのだ。
 それは生きていく為に欠かせない選択である。困窮から脱するには、自分にとって不利な条件さえ飲み込んでしまえるのだ。
これこそが人間と言う生き物の最大の弱点であり、同時に強かな側面でもあった。
 ジャスティンは心理学と人間学の書物を例に引いている。

「……ボクにはお前がアル兄ィみたいに見えてきたよ……」

 巨木に凭れ掛かったシェインは、苦笑とも憤懣とも取れるような形に口元を歪めた。
敵の弱味を見逃すことなく突くと言うのは、如何にもアルフレッドが好みそうな策略である。

「お前の言うルールってのは、ハブールの新しい法律ってワケか? お前んとこのヴィンセントもそーゆーのが得意なんだよな。
フィー姉ェもワヤワヤで泣きを見たって言ってたし」
「私は法律の専門家ではありませんし、勿論、立法の権限なんて持ち合わせてはいません。
人間が平等に生きる為の心得のようなものをハブールに示すだけですよ。
……それとも、あなたがたは身分差別を残しておいても良いとお考えですか?」
「バカ言うなよ。そこを正さなきゃならないってのはボクにだって判るぜ」

 ジャスティンとしては会心の策のつもりだったのだが、話を聴いていたふたりの反応はすこぶる鈍い。
それどころか、ジェイソンには「それって、結局はギルガメシュとおんなじじゃねーのか」と咎められてしまった。

「こっちが勝手に決めたルールを強引に押し付けようってんだろ? オイラもシェインと一緒だぜ。大反対だね。
おめーがやりたいことってのはギルガメシュと何も変わってねぇよ」
「仰りたいことはよく分かります。ですが、今はとにかく時間がありません。ハブールの人たちの暴発だけは避けなければ」
「いや、理由とか理屈とか全然関係ねーんだよ。力ずくでゴリ押しすんのがダメなんだって」

 一頻り後頭部を?いた後、ジェイソンはジャスティンの鼻を摘み上げた。
 そのままの状態で彼の鼻を上下左右に弄び、次いで「結局、誰も何も助けらんねーよ」と軽く睨めつけた。

「オイラとシルヴィーって似たような服着てんだろ? いや、今はあいつだけ私服だけどさ」
「……ええ、スカッド・フリーダムと言うグループの隊服だと伺っています」
「オイラはそこを抜けた身なんだよ。ギルガメシュに殺された仲間のカタキを取りてぇって言う仲間と一緒にさ。
……ま、オイラは強ェヤツと戦いたかっただけで、他の連中みてーに志が高かったわけじゃねーんだけどよ」
「シルヴィオさんから聞いていた話とは少し違いますね。スカッド・フリーダムとギルガメシュの間で
幾度も交戦があったとは伺いましたが、あなたたちのグループは個人的な仕返しを禁じているのではなかったですか? 
これだってシルヴィオさんからの伝聞ですが……」
「そ。カタキ討ちなんて持っての外ってヤツ――だから、スカッド・フリーダムを辞めるしかなかったんだよ」

 議論に全く関係のない世間話を振られて眉を顰めるジャスティンだったが、
ジェイソンが語ろうとしている意図を汲み取ったとき、その不服は一瞬にして霧散した。

「――オイラにゃ立派なことは言えねぇよ。そんな資格があるなんて思ってもいねぇ。
……それでも、ギルガメシュと同じ真似はしたくねぇし、誰にも真似させたくねぇんだよ」
「あなたは――」
「どうせなら別の方法でギルガメシュに一泡吹かせようじゃねーか。
おめーはオイラとはアタマの造りも違うみてーだし、そーゆー作戦だってすぐに思い付くぜ」
「……それは買い被りが過ぎますよ……」

 会心の策を「ギルガメシュと何も変わらない」と切り捨てられた瞬間には憤りが湧き起こったものの、
喉から先へと飛び出す未然に反論の声は引っ込んだ。ジェイソンの言うことが全く正しいと悟ったのだ。
 荒療治でも講じない限り、ハブールの現状は変わらない。覚悟を以って刷新に臨むことも必要だ――が、
それは驕った考え方ではなかっただろうか。ハブールの事情を軽んじてはいなかっただろうか。
 新しいルールを定め、古い身分制度から解き放つ――所詮、それは部外者の身勝手な妄念に過ぎない。
 人の生き死にをも左右してしまう階級制度と、これに縛られる人々の心は、未来を往くには変わらなければならないだろう。
だが、それは部外者の妄念によって「変えて良いもの」ではないのだ。
 変えられるのはハブールの人々のみである。新たな秩序を強要しても何も変えられず、ただ歪めるのみだった。
 ジャスティンは色白の頬にありありと羞恥を滲ませていた。
 ワーズワースを蝕み、保護すべき難民を苦しめ、母を――エトランジェを捨て駒同然に扱ったであろう大敵と同じことを思案し、
これこそ改心の策などと誇示していたのである。ジャスティンにとっては悔やんでも悔やみきれない醜態であった。

(……ギルガメシュと同じ穴の狢と言うことですね、私は……)

 鼻を掴んでいたジェイソンがその手を離すと、ジャスティンは思わず後ろによろけてしまった。
慌てて飛び出したシェインが彼の背に手を回し、支えていなかったら、間違いなくジャスティンは横転していただろう。

「おいおい、どうした? 大丈夫かよ?」
「へ、平気です。私は別に……」

 他者に弱味を見せたくなくて精一杯強がるジャスティンであるが、誰がどう聴いてもその声には力がない。
面を覗き込んだジェイソンも首を横に振っている。

「おめー、アタマ良いクセにウソは下手クソだな。ペテン師にゃなれねーよ」
「ウソが下手なのに越したことはないだろ。……具合が悪いならそう言えよ。ボクらに気ィ遣うことないんだぜ?」
「おうとも。涼しい表情(かお)を“作られてる”ほうがオイラはイヤだね」
「ですが……」
「ったく、アル兄ィといいお前といい、どうして無茶したがるかね。頭の回転が速いんなら、普通は逆だろ――」

 ジャスティンが本復するまで時間が掛かるだろうと見て取ったシェインは、
彼の背を優しく擦りながら、どうして自分が両階級の話を聴取しようと聴こうと思ったのか、その思いを詳らかにしていった。
 この話をしている最中はジャスティンも無理して動こうとはしないだろう。

「ボクの尊敬する冒険者――いや、親友のことなんだけどな。そいつがぶったまげるくらいすげぇ人でさ。
どこかで紛争が起きるとするだろ? そしたら、ケンカしてるモン同士のところに駆けつけて両方の言い分を訊いてあげるんだよ」
「紛争調停……と言うことですか? 一個人の力でそんな大変なことが出来るはず……」
「本人はあっけらかんとしてるけど、ホントはめちゃくちゃしんどいと思うよ。
でも、そいつは絶対に諦めないし、最後には必ず仲直りさせちゃうんだ」

 シェインがマイクのことを話していると気付いたジェイソンは、これまでになく優しい微笑を浮かべた。
 その表情の意味するところが気になったジャスティンは、耳をシェインに傾けつつ、視線をジェイソンへと定めていった。

「怪物のような人なんですね……」
「すげぇヤツさ。でも、そいつはね、きっと、自分のことをすごいなんて思ってないんだよ。
自分がすごいことをしてるなんて、一度も考えたことがないんじゃないかな。
その人はね、結局、人間の可能性を疑わないだけなんだと思うんだ。話し合えば、絶対に分かり合えるんだって。
それは理想論とは違ってさ、……いろいろな、本当にいろいろな人と向き合って初めて分かるもんだと思うんだよ。
なんかこう、上手い言い回しが浮かばねぇんだけど――人間の根っこの部分って言えるのかも知れないな」

 ハンガイ・オルスに滞在していた折、シェインは失言で人を傷付けてしまったことがあった。
故郷と大事な人を奪われた哀しみから言ってはならないことを口にしてしまったのだ。
 十余年のシェインの人生でも最悪の情況であったと言えよう。そうしてどん底に落ちかけたとき、救ってくれたのがマイクだった。
輝かしい人間の可能性を示し、新たな希望の道を拓いたのである。
 そのときの感謝をシェインは決して忘れない。そして、道を誤りそうになっている人を見つけたときには、
誰より尊敬する親友と同じように手を差し伸べることだろう。
 ジェイソンとて同じだ。彼もまたマイク・ワイアットと言う男の偉大さを見届けたひとりである。

「ボクにはそいつの真似なんかムリだけど、そいつと同じように人間の可能性を信じることは出来るんだ。
だってさ、ボクらは同じ人間じゃん。根っこは変わらないよ」

 親友の話を終えたシェインは、次いでアルフレッドとニコラスのことにも触れた。
彼らがどのような形で先の大合戦――両帝会戦へ臨み、決着を見たのかを、だ。
 ギルガメシュによって故郷を焼き討ちされ、幼馴染みまで殺されたアルフレッドは、
両帝会戦の間、復讐に取り憑かれて常軌を逸する行動を繰り返していた。
 すれ違いと葛藤こそあったものの、ニコラスの思いはただひとつ――復讐鬼と化したアルフレッドを救うことにあった。
 やがて迎えた両帝会戦にて相見(まみ)えた両者は激烈な一騎打ちを演じ、
その果てにアルフレッドは理性を取り戻したのである。
 しかし、それは戦いの“結果”ではない。ニコラスの思いが通じた“成果”であった。
殺されてもおかしくないような状況すら顧みず、捨て身で親友にぶつかっていた彼の心が
アルフレッドを救ってくれたのだとシェインは思っている。

「ラスさんにそんなことがあったなんて――」
「サムとアイルはあの合戦には無関係だと思うしね。少なくともボクらが戦った場所にはいなかったよ」

 これもまたジャスティンには初耳であり、息を呑んで絶句してしまった。
 先程、挨拶を交わしたときにエトランジェと別れて佐志へ移った旨は聴かされたが、
そのように壮絶な経緯があったとは夢にも思わなかったのだ。
 ニコラスがアルフレッドの傍らに立ち続ける理由も、この説明を受けて初めて得心がいった。

「どんなに辛いことだって、……復讐の心だって癒してくれるんだ。すげーよな、人間の思いってさ」

 そこで話を落着させたシェインは、改めてジャスティンと向き合い、顔色の復調を確かめると、
次いで彼の両肩に左右の手を置いた。

「ボクらもこうやって話し合ってるじゃん。ボクらも、アル兄ィもヴィンセントも、みんなみんな言葉を交わして繋がってる。
やっぱり根っこは一緒なんだと思うぜ?」

 だから、一歩ずつ着実に歩み寄っていこう――そう締め括り、ウィンクを披露したシェインに対して、
ジャスティンは思わず頭を垂れた。俯き加減になりながらも、その口元には薄い笑みを浮かべている。
 滑り落ちていった溜め息にも、どこか安堵の念が宿っているように思えた。

「……敵いませんね、あなたには……」

 ダイナソーとアイルには、シェインと併せて似た者同士と呼ばれたものの、具体的にどこがどう似ているのかは、最早、判らない。
考え方などまるで違ったではないか。行動の原理も構造(つくりかた)そのものが異なっているだろう。
 今のジャスティンには、それが却って心地良かった。

「こんなこっぱずかしーことを全力で言い切るんだぜ、こいつ。こんな莫迦だから、オイラも信じていられんのさ」
「バカ呼ばわりはひでぇなぁ」
「莫迦にしか出来ね〜ことがあるんだろ。おめーもマイクも大莫迦野郎ってこった」

 おどけた調子のジェイソンの言葉にもジャスティンは素直に頷けた。
 労働者と貴族、双方から歩み寄ることがハブールの人々には欠かせないのだと、今では微塵も疑っていない。
ならば、為すべきことはただひとつ。彼らが自分たちの手で新しいルールを築くまでの間に
最悪の事態が起こらないよう対策を練り上げるのみである。

(……急いてはことを仕損じる、か。分かっていた筈なのに迂闊でしたね……)

 今一度、ジャスティンは大きな溜め息を吐いた。
 母の面影を求めてフィガス・テクナーを発って以来、今までずっと急いできたのかも知れない。
余りにも急ぎ過ぎて、視界が極度に狭くなっていたのだ――
己の浅慮を思い知ったジャスティンは、今や自嘲の笑みを浮かべるしかなかった。

「なにまた深刻に悩んでんだよ。アタマの良いヤツってのはコレだから弱っちまわぁ。
もっと肩の力抜いて行こうや。なあ、兄弟?」

 そんな彼の横に回り込んだジェイソンは、いつまで経って面を上げようとしないジャスティンの頭を乱暴に撫で回した。
撫で回すと言うよりは揉みくちゃにしたと表すほうが正しいかも知れない。
 さしものジャスティンも「ちょっ――馴れ馴れしくしないでくださいっ!」とジェイソンを振り払おうとしたが、
翳した右手を今度はシェインに掴まれてしまった。

「――んじゃ、そろそろみんなのとこに戻るとするか。ジャスティンのアイディアも発表しなきゃだしな!」

 こともなげに言い切ったものであるから、最初、シェインが喋っている意味をジャスティンの脳は認識出来ていなかった。
あまりのことに処理が追い付かなかったと言っても差し支えはあるまい。
 咀嚼と反芻を経て、その意味を理解した瞬間、ジャスティンは乱れた髪形を整えることさえ忘れて狼狽した。

「そ、そんなわけに行きますか! 私の意見なんか、今更、必要ありませんよっ!」
「必要のない話なんかこの世にあるもんか。アル兄ィだって喜んで聴いてくれると思うぜ!」

 「ハブールの人々の心が変わらなければ、根本的な解決にもならない」と言うジャスティンの意見を掲げれば、
おそらく話し合いは再び紛糾を見ることだろう。まとまりかけた議題を穿り返すことがジャスティンには忍びなかった。
 けれども、シェインの手を振り解くことは出来なかった。
自分でも不思議なくらい足取りは軽やかであり、どうしても踏み止まることを憚ってしまう――
前のみを見据えて進んで行くシェインに身を委ねてしまいたいと、心が求めているのだ。

「大人たちにダメ出しされたら、次の手を考えよう。言い方ひとつ変えるだけでも説得の確率は高くなるだろ? 
ボクも一緒に考えるからさ。そうやって少しずつやっていこうぜ」
「三人寄ればナントヤラってヤツだな! オイラとシェインがどれだけジャスティンの力になれるかわかんねーけどよ」

 ジェイソンもジェイソンで、ジャスティンの背中をぐいぐいと押している。こちらも無遠慮な力であった。
 それもまたジャスティンには心地良かった。こうして手を引いてくれる人、背中を押してくれる人は彼の周りにはいなかった。
アルバトロス・カンパニーの諸兄諸姉と言った年上ではなく、同い年くらいの友達の中には。

「……ちょっと痛いですよ――シェインさん、ジェイソンさん」

 初めて味わう心地良さに身も心も包まれたジャスティンは、面に柔らかな笑みを湛えていた。
 しかし、ジャスティンの笑顔も、彼らの賑やかな歩みも長くは続かなかった。
 世界に終末を告げる喇叭の音(ね)の如く、一発の銃声がワーズワースの空を貫いたのである。




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