9.異邦人たちの夜(前編) 時計の針は午前零時を回っていた。 テント内に設置した折り畳み式デスクへ噛り付いていたヴィンセントは、 カフェインの効力が薄まってきたことから現在の時間帯を悟り、頭休めでもしようと夜空へ身を晒していった。 コンクリート・ジャングルなどと揶揄される都市部では、決して目にすることの出来ない見事な星明りである。 「満天の星」と言う表現自体は知っていたが、その風情を実体験として味わうのは初めてだった。 頭脳労働の反動もあって、ストリートバスケやマラソンなど休日にはそれなりにスポーツも楽しんでいるのだが、 これまでトレッキングには縁がなく、それどころか、キャンプ旅行の経験とて一度もない。 生まれも育ちも都市部と言うヴィンセントにとって、高所にて仰ぐ星空は格別のものであった。 調査の経過報告をサーディェル会長へメールしようと、長時間に亘ってノートパソコンと睨み合いをしていたで、 眼精疲労も相当に溜まっている。そんな双眸には夜空の柔らかな光がとても心地良い。 空気まで澄んでいれば完璧だったのだが、ここがワーズワースである以上、それは望むべくもない。 夜間には駐屯地の焼却炉も停止しているが、排煙以外にも異臭の原因が山ほど転がっているのだ。 「市民に仕える執事」を自称するAのエンディニオンきっての商売人は、 環境再生を促進する技術――神露アムリタと呼称されるそうだ――を開発し、これによって財を成していたが、 彼の手でも借りないことにはワーズワースが往時の姿を取り戻すことは不可能であろう。 サーディェルへ送ったメールの中でも幾度か繰り返したが、汚染に基づく健康被害の現状を見る限り、 ハブールの難民たちは可及的速やかに余所へ移す必要があった。 「向こうのロッジに泊まらなかったのは、“ソレ”も理由のひとつかい?」 「……は?」 「ノーパソだよ。……っつーか、この場合は“通信手段”って言い方のほうが合ってるかも知れねぇがな。 ハブールの連中、MANAだけじゃなくモバイルまで取り上げられちまったから外の世界のことに餓えてるハズだ。 ノーパソなんか持っていったら、絶対に群がってくるだろうな」 「外とやり取り出来る道具を見せてしまったら、昼間に話し合った情報の撹乱が台無しになる――と? ……私はそこまで気配り上手じゃありませんよ。それにライアン君はモバイルだって普通に使っているじゃありませんか。 件の策に差し障るようなら、とっくに連絡をシャットアウトしていますよ。要は難民に触らせなければ良いだけのことです」 「――ほら見ろ。語るに落ちたぜ」 「こじ付けで得意気になられてもね」 焚き木の番をしていたマクシムスから淹れたてのコーヒーを渡されたヴィンセントは、 その場へ腰を下ろすと、暫時、彼と談笑に興じた。これこそ最良の息抜きと言うものだ 火に掛けられた薬缶がカタカタと小気味の良い音色を奏でている。 石を積み上げて拵えた竈はマクシムスの労作である。仕事柄、遠出した先で野営することも多く、 自然とサバイバルに必要な技術や知識が身に着いたと言う。食用の野草なども一通り見分けが付くらしく、 スカッド・フリーダムの隊員とは別の意味で頼もしかった。 ある意味に於いては、マクシムスは義の戦士よりも遥かに逞しいのかも知れない。 夕食時に遡るのだが、彼は「おかずの一品」として昆虫料理を振る舞うと言い出したのだ。 さしものシルヴィオもこのときばかりは顔を真っ青にし、ヴィンセントとふたりがかりで“暴挙”を食い止めていた。 ヘルシーな食材だと主張して憚らないマクシムスを説得する為、 「昆虫にも有害物質の影響が出ていたら危ない」と言う建前を使ったものの、 シルヴィオもヴィンセントも昆虫食の趣向を持ち合わせていない。 マクシムスが森から確保してきたと言う“ヘルシーな食材”を目の当たりにしたシルヴィオは、 結局、食欲を喪失して水しか口に出来なくなってしまった。この段階で健康的も何もあったものではあるまい。 そのシルヴィオは夜の見回りから帰ってきたばかりであった。 大食漢の彼にとって食欲の減退は生き地獄に等しいようで、マクシムスからコーヒーを受け取る手は小刻みに震えていた。 ブリキのカップを受け取った後もすぐには口を付けようとしない。中に怪しい物が混ざっていないか入念に調べるあたり、 夕食前の体験は確実にトラウマとなっているようだ。 「冷めない内に飲めよ。そこには虫など入れねぇって。どうしてもっつーなら、非常食用だけど油漬けしたムカデの――」 「聞きとうない! 聞きとうないっ! 聞きとうないッ!」 耳を塞いで蹲ったシルヴィオは、「ワレが寝るまでどっかで時間潰しとったらよかったわ!」と悲鳴まで上げている。 労働者階級の居住区を一回りした後、道草も食わずに直帰したのは失敗だったのかも知れない。 シルヴィオはワーズワースに群生する木々の間を飛び交うことで、地上に気付かれないまま巡邏をこなしてきた。 仮に目撃者がいたとしても、おそらくは夜の闇を飛ぶ鴉にしか見えまい。 そのままフォテーリ家のロッジまで足を延ばし、次の見回りの時間まで待機させて貰ったほうが良かったと 心の底から後悔していた。空腹が満たされることはなくても気だけは休まったに違いない。 シルヴィオは一時間ごとに労働者階級の居住区を巡邏しているのだ。 「てっぺん越えてお前も疲れてるだろ? 一時間経ったら起こしてやるから、それまで仮眠でも取りな」 疲れた表情のシルヴィオに向かって、マクシムスは少しでも休んでおくよう勧めた。 「昨日の晩からずっと気ィ張り詰めてきただろ、お前。昼間なんてハデに大喧嘩までやらかしてるしよ。 くたびれてんじゃねぇのか? それとも、ケガと一緒に疲れもフッ飛んじまったか?」 「トラウムっちゅーのは万能やあらへん。イシュタル様かて何から何までケツ持っちゃくれん言うことじゃ。 確かにあの姉ちゃんのトラウムにはぶったまげたけど、ありゃケガを塞ぐのが限界みたいやで」 「っつーことは、やっぱりくたびれてんだな。ほい、自供完了。とっとと寝てこい。一時間でも休んどくと違うだろ?」 「……誘導尋問かいな。ヴィンセントみたいなゲスい真似するなや。性格悪(わる)うなるで」 「さりげなく私をいじめるのはやめてくれないかな」 誰に指摘されるまでもなく、シルヴィオ自身が己の疲れを意識し始めている。 一日や二日なら眠らずとも平然と動けるだけの体力を備えている筈なのだが、ここに来て身のこなしが僅かに鈍りつつある。 拳ひとつで勝負する義の戦士にとって、これは由々しき事態と言えるだろう。 マクシムスの言う通り、「仮想敵」との私闘で相当に消耗してしまったのだ。 最早、目の前に現れることはないだろうと諦めていただけに、“幻の拳(けん)”との対峙は心身を烈火の如く昂ぶらせ、 それこそ魂を燃やし尽くすほどの勢いでトレイシーケンポーの武技を繰り出していったのである。 早い話、身体を蝕む疲弊は私闘の代償である。身も心も燃え上がる時間であったが為に、 普段では考えられないくらい余剰に体力を削ることになったわけだ。 現状を認めたシルヴィオは、マクシムスの勧告へ素直に従った。休めるときに休み、万全の状態を整えることは、 義の戦士にとって守るべき責務のひとつでもある。悪が蔓延るその瞬間に満足に戦えなければ、 それは怠慢にも等しいのだった。 身体を休めるよう促すマクシムス本人が神経を痛めつけた張本人と言う気がしないでもないが、 シルヴィオは小さなことや過ぎたことを大袈裟に愚痴る性情ではない。 頭を?きつつテントへ入り、腕を枕にして横になった。ロンギヌス社からは寝袋も提供されているが、 彼は自前の毛布以外は使わない。一時的とは言え、身体機能を拘束する寝袋は忌避の対象であった。 「ライアン君との間にどんな遺恨があるのかは訊かないが、尾を引くようなことだけは慎んでくれよ。 彼らは貴重な同志なんだ。いがみ合っても何も生まれない」 薄い幕の向こうから追いかけてきたヴィンセントの注意に、 シルヴィオは「これは宿命なんや。エド・パーカーが拓いた道を往くわしらの……」とだけ答え、 次の瞬間にはまどろみの中へと落ちていた。 「えっと――確か、ライアン君はジークンドーとか言う武術の使い手でしたよね。 昼間、そんな話が出たような出なかったような……」 「んで、こっちはトレイシーケンポー……だっけ? 俺はどっちも聞いたことがねぇんだけど、 先祖代々のライバルってヤツなのかねぇ。マンガとかでもありがちじゃねーか、そう言うパターンって」 「そんな時代錯誤な……」 互いの顔を見合わせつつ、怪訝そうに首を捻るヴィンセントとマクシムスであったが、 ジークンドーとトレイシーケンポーの宿縁について名答を示す者は、この場の何処にもいなかった。 唯一、答えを秘めているだろう青年は、テントの内側にて盛大なるイビキを轟かせている。 * 午前零時を少し過ぎた頃――貴族階級の居住区に設けられた小規模の遊園地では、 シェインやジェイソンたちが夜間のトレーニングに励んでいた。 ロッジから出掛ける間際、ホゥリーからは「ワークをプレイだワークワクってかい? サバスのミーンをディクショナリーでチェックしたら?」と皮肉を飛ばされたが、相手にする者は誰もいない。 幸いにして遊園地にはガス燈が設置されており、視界が完全に闇で塗り潰されると言うことはない。 照明自体はギルガメシュから貴族へと提供された物であり、その一点だけが引っ掛かるものの、 ワーズワースに居を構えているわけでもない佐志の人間が口出しするのはお門違いであろう。 文明の利器を悉く取り上げられた難民たちにとっては、急ごしらえのガス燈も貴重な財産なのだ。 (……何から何まで恵まれてるよな、貴族ってのは、さ……) 口を突いて出そうになった悪態を飲み込み、シェインは課題のひとつである筋肉の鍛錬に取り掛かった。 何本か屹立するガス燈は遊園地中央に集中している為、さすがに端のほうまでは光が届かない。 中心部から離れるにつれて視界は極端に悪化していくのだが、 敢えて闇の中に身を置くことで五感を鍛錬するのだとフツノミタマは言い張って譲らなかった。 トレーニングにはジェイソンの他にもジャスティンとテッドも随伴している。 ジャスティンなど最初の内は「非科学的な精神論、根性論の世界ではありませんかね」と フツノミタマの考え方に否定的であったが、実際、暗闇に立って鉄扇の訓練を始めた途端、自身の浅学を思い知った。 一寸先が何も見えないような闇の向こうへと緋色の紐を繰る内、己の五感が研ぎ澄まされていくのを明瞭に確かめたのだ。 闇の世界の何処に何が在るのかを、五感の全てを振り絞り、ときには第六感にも頼って捉えなければならない。 全神経を集中させたその瞬間、五感の働きは著しく活発化するのであった。 紐の先端に有るニードルの投擲ひとつを取っても苦労するこの闇こそが、 五感の鋭さを養う修行場であるとフツノミタマは語りたかったわけだ。 戦闘訓練も書物に基づく独学が中心だったジャスティンには目の覚めるような体験である。 その上で彼はニードルに組み込んであるCUBEを用いて光源を作り出し、 「私ならもっと効率的に戦いますよ。闇夜に現れた光は敵の目を打ちのめすでしょう。動きを封じてからトドメを刺します」と、 即興の工夫を披露した。 ニードルへCUBEを内蔵し、プロキシの力をも引き出せる『百識古老』ならではの技巧と言えよう。 まるで、フツノミタマに対抗するような言行であったが、彼はその生意気な態度を咎めることはなく、 むしろ、知恵を絞って編み出した応用――彼は闇夜と言う状況をも利用しようと図っている――として好意的に評価している。 ジャスティンには「敵があちこちに分散してたら自分の位置を教えることになる。よくよく考えて使いな」と助言を送り、 愛弟子のシェインには、その背を叩きつつ、「てめぇも見習いやがれ!」と発破を掛けた。 「言われなくても見習ってるよ。ジャスティンの武器もジェイソンのルチャ・リブレも、ボクには最高の先生さ」 「な、なんだよ、てめェ。ダチには素直じゃねェかよ。……オレんときは口答えばっかりしやがるのに」 「教え方が下手なんだよ、オヤジは。質問するとキレるし。口答えするように仕向けてんのはそっちじゃないか」 「あーあー! 日に日に可愛げがなくなっていきやがるな、コノヤロウ! どうせアレだろ? 冒険王のほうが良いとか、腹ン中じゃ思ってんだろ? クソだな、てめェッ!」 「勝手に拗ねられて、勝手にキレられちゃ、こっちは堪んないよ。しかも、マイクのことなんて一回も言ってないし」 「もういい! やめだ、やめ! てめェの面倒なんざ金輪際見てやらねェッ!」 「いい加減にしないとボクだって怒るぞッ! 教えて欲しくもない相手に随いてくほどボクだってヒマじゃないッ!」 「ほれ見ろ、本音が出やがったッ! てめェみたいなクソガキ、こっちから願い下げだッ! バーカ! バーカッ!」 「そーゆー意味で言ったんじゃないだろ!? ホントにこの……オヤジの分からず屋ッ!」 最早、お決まりのようなフツノミタマとの口論はともかく――シェインはテッドから柔道の技を教わっていた。 これもまたフツノミタマの示した訓練である。てっきり剣術の模擬戦でもするものとばかり考えていたシェインは、 柔道を習うよう指示された瞬間は面食らったものだ。無論、フツノミタマから指導を頼まれたテッドも同様である。 しかし、その疑念も間もなく解消される。稽古を進める内、シェインにもテッドにもフツノミタマの意図が 理解出来るようになっていったのだ。 密着した状態で競り合いとなったときの有効な攻め手をシェインに会得させたいわけである。 「シェイン君が練習してるのは剣術の類だから、自分で使うときにはアレンジが必要だろうけど、 昔の剣道には足を使って投げたり転ばす技もあったんだよ。今じゃ試合でそんなことしたら反則負けだけどね」 自身が研究した武術の知識の中からシェインにも使えそうなものを選び、教授していくテッド。 彼が語る“昔の剣道”とは、ルーインドサピエンスよりも更に古い時代の技術体系を指すそうだ。 「へぇ〜、そっちのエンディニオンも剣道があるんだ! ……って、こっちにも柔道があるんだから当たり前か」 「くだらねーことに感心してねェで技のひとつでも教わりやがれッ!」 「あらら。随分とスパルタな先生なんだねぇ」 「こんなの、スパルタじゃないって。ボクを使ってストレス発散してるだけなんだよ」 「ンだと、クソガキッ! てめぇ、人がせっかくお膳立てしてやったっつーのにッ!」 「いちいちうるさいなぁ。変なトコで口出ししないで黙って見てろよ!」 「あァんッ!? オレを怒らせたくねぇなら黙って稽古しやがれってんだッ! 横槍で止まるってのは集中が足りねェ証拠だ、オラッ!」 「まぁまぁ、ふたりとも。ここで口喧嘩してると本当に先に進まなくなっちゃうよ」 何かにつけて言い争いを始める師弟にテッドは苦笑するばかりである。 何やら温かな視線を向けられていることに気が付いたフツノミタマは、 頬を薄赤く染めつつ、芝居がかった咳払いでもって場の仕切り直しを図った。 「てめェの柔(やわら)は船の上で見せてもらったが、競技化されたモノより技の冴えが遥かに実戦向きだった。 甲板に叩きつけるような背負い投げ、ありゃ一本勝ち狙いじゃなくてダメージを与える為のもんだ。 それによ、さらりと禁じ手も混ぜてやがったな?」 「河津掛けですね。ぼくも公式試合では使いませんよ。“それなりの場”以外ではね」 含みのある言い方をするテッドに対して、フツノミタマは肉食獣の如く頬の端を吊り上げた。 柔和な笑みの裏側には猛々しい武術家としての面が眠っていることだろう。 「てめェの言う通り、ルーインドサピエンスよりもっと昔の剣道には体術も含まれてたよ。 剣術じゃなく剣道のほうにな。普通はそんなもん知らねぇよ」 「あれ? そうなの? オヤジだって剣以外も使うじゃん」 「こないだ、話したのを忘れやがったな、このバカタレッ! 古流の剣術っつーのは戦場で戦う為のモンだ! 刀振り回すだけじゃなく、柔(やわら)も弓も手裏剣だって覚えるもんなんだよ! 武芸百般っつーヤツだって前に……ッ!」 「フツノミタマさんはね、色々な剣術をひとつにまとめて競技化した剣道には、そう言う古流の技は失われたって言いたいんだよ。 でも、いきなり競技として整理されたわけじゃない。黎明期には古流ならではの体術だって残っていたんだ。荒っぽい技がね。 これは柔道の歴史も変わらないけどさ」 「そこまで勉強してりゃ上等だ。……さてはてめェ、古武術も嗜んでいやがるな?」 「古流を使うなんて言ったらおこがましいのですが、自分なりに柔術は研究しておりました。 古い時代の剣道で使われていたと言う投げも物の本に載っていたので、はい」 「そのあたりをこのクソガキに叩き込んでやってくれ。まだまだ基本もままならねぇヒヨッコだが、またとねぇ機会なんでな」 「好き勝手言ってくれるよ」とフツノミタマに文句を垂れるシェインではあるが、テッドの手ほどきを受けることは大歓迎である。 剣の柄で相手を引っ掛けて放り投げる技や、距離を取ると見せかけ、追い討ちを仕掛けてきた相手を 極端に動作が小さい足払いで転ばせる返し技などをテッドは噛んで含めるように教えていく。 ときには固い地面へ叩きつけられる瞬間もあったが、シェインは痛みに悶えるどころか、 笑みすら浮かべて稽古に臨んでいった。 「敵の得物にもよるけど――鍔迫り合いのような状況になったら、相手との密着を維持したまま後ろに下がるんだ。 そうすると、相手は自分が競り勝ったと思ってどんどん押し込んでくる。それでもまだまだ引き付けて、 調子に乗った相手が重心を崩した瞬間に踏み止まる。そうすると、敵はどうなるかな?」 「自分の体重を支え切れなくなって姿勢が乱れる。そこを返り討ちにするってことかな」 「大正解。自分の重心を維持し続けるのがコツだよ。体勢崩れた相手を斬り捨てるのがキミたちの場合はベターだろうけど、 柔道の技を応用するなら、逆に押し倒すのも良いかな。前に押し戻しつつ足を引っ掛ければ一発だからね」 「柔道家が襟を掴んで相手を押さえるのと、鍔迫り合いはコツさえ掴めば、力の掛け方も応用が利く――ってコト?」 「飲み込みが早いね、シェイン君。そこまで辿り着くには体重移動や体捌きを達人みたいに鍛えなきゃいけないだろうけど、 キミならきっと使いこなせるようになるよ」 「……あんまりおだてんなよ。このバカこそ一番のお調子者なんだからよ」 「ヘン、好きに言ってなよ。その内、オヤジだって軽くブン投げてやるぜ!」 テッドから授かった教えを反芻し、またフツノミタマ譲りの剣技へ如何にして反映させるべきかとシェインは工夫を凝らしていく。 文字通り、テッドの胸を借りるようにして飛び込んでいくその動きは、秒を刻むごとに無駄が省かれていった。 鉄扇より垂らした紐を巧みに捌き、ニードルを投擲すると言うジャスティンのトレーニングを 興味深そうに観察していたジェイソンは、視界に映り込んだシェインの奮起に相好を崩し、 「良いカンジじゃね〜か! 思い切りぶつかったれ!」と声援を送った。 「シェインの野郎、テッドから面白ェ技を教わってやがるなぁ。こりゃオイラもウカウカしてらんね〜ぜ。 独りだけ置いてきぼりにされたら、ラドにも笑われちまうし!」 「……ラド?」 「――ああ、そっか。おめ〜にはまだ話してもいなかったよな。ラドクリフって言って、オイラとシェインの親友さ。 めっちゃイイ奴だし、とんでもなく強いんだぜ。またどこかで出くわすかもだから、そんときゃおめ〜にも紹介するよ」 「どこかって、そんなアバウトな……」 ジェイソンの説明によれば、ラドクリフ・M・クルッシェンと言う少年――つまりシェインとの共通の親友は、 ホゥリーやレイチェルと同じマコシカの民であると言う。 そもそも、マコシカの民と言うものは、神人(カミンチュ)と交信することによって大いなる力を授かり、 これを以ってプロキシを使いこなすそうだが、Aのエンディニオンに生まれ育ったジャスティンには 全くと言って良いほどイメージが湧かなかった。神人(カミンチュ)と接触を果たすなど人智を超えた奇跡としか言いようがない。 「プロキシと言うのはCUBEにプログラムされている“あのプロキシ”と言うことなのですか? それを神人(カミンチュ)の力で操れる、と? ……これが作り話でしたら、ジェイソンさんとは絶交ですよ」 「なんでそこでオイラを疑うかなぁ。なんなら、あとでシェインの仲間に見せてもらえばいいぜ。 ホゥリーってヤツはちとアレだが、マコシカの酋長は気前良く見物させてくれるんじゃね〜かな」 「そんなおおっぴらにしても良いのですか。秘術と言うものは、人目に触れることを禁忌としている筈では……」 「マコシカの民はそんなケチじゃね〜ってことさ。ラドは光の弓矢を作り出して戦ってたっけなぁ」 「おそらくそれは『イングラム』ですね。……そうか、CUBEと共有するプロキシも少なくはなさそうですね」 その途方もない奇跡を自由自在に起こせる秘術の使い手と、ジャスティンはマコシカを仮定することにした。 真偽を見定める為にもレイチェルへ教えを請うつもりだ。 神人(カミンチュ)ではなくCUBEがエネルギーの発生源ではあるものの、ジャスティンもプロキシの扱いには自信がある。 同種の技巧を得意としているであろうマコシカの民、そして、ラドクリフへの興味は尽きない。 実際に顔を合わせるのが楽しみになってきたジャスティンは、まだ見ぬ少年へと思いを馳せ、 「ラドクリフさん……」と心中にて唱えた。 そんなジャスティンの意識が現実に引き戻されたのは、ある強烈なショックに依るところが大きい。 組んず解れつと言った調子で技を掛け合うシェインとテッド――これを猛烈な邪念を噴き出しつつ凝視するフィーナの姿が 意図せず目に入り、心臓が凍りつくかのような恐怖で打ちのめされてしまったのである。 慣れない人間にとってフィーナの奇行は猛毒以外の何物でもあるまい。ましてや、この暗がりの中だ。 ジャスティンの目には妖魔の類に見えたに違いない。 迸る邪念はさて置き――シェインたちがトレーニングに励む夜の遊園地にはフィーナの姿も在った。 前後の奇行からあらぬ誤解を招きかねないが、彼女は血湧き肉躍る男たちを覗き見する為に ここまで足を運んだわけではない。マリスと共にジャーメインから誘われて散歩に出掛けたのである。 彼女が夜の散歩へとふたりを誘ったのには、ある明確な理由があった。 声を掛けられた瞬間、マリスは“アルフレッド争奪戦”へジャーメインが名乗りを上げるものと考え、 密かに戦慄を覚えたものだが、これは全くの見当違い。 アルフレッドとシルヴィオが演じた『私闘』について、フィーナから詳しい話を聴きたかったのである。 “妹”であれば、因縁の発端も知っているのではないかと期待したわけだ。 アルフレッドに関係することは“恋人”のマリスも知りたい筈――そう思ってジャーメインは気を回したのであった。 フィーナと親友関係であると言うトリーシャにも声を掛けるつもりだったのだが、 生憎と彼女はネイサンと夜の自然公園を散歩に出掛けている。 主としてトリーシャが取り扱うのは社会情勢であり、格闘術は専門外なのだが、 ルーインドサピエンスよりも古い時代の話題を語らっていたと知れば、純粋な知識欲から悔しがりそうだ。 「……メイさんは、どうしてそのことを知りたがるのかな?」 「これでも格闘家の端くれだもの。知り合い同士が因縁の戦いなんてのをやらかしたら、そりゃあ気になるわよ」 「ジャーメインさんは彼(か)の御方とは御同郷なのですよね。何もご存知ではないのですか? わたくし、フィーナさんよりジャーメインさんのほうが事情に詳しいと思っておりましたのに……」 「あたしが知ってるのはシルヴィオのことくらいよ。……と言っても、トレイシーケンポーに因縁の相手がいるなんて 今まで知らなかったけどね。トーニャ――あ、これ、あたしの親友なんだけど、そのコからもそんな話は聴かなかったし」 そのトーニャと言う少女は、シルヴィオの許婚ともジャーメインは付け加えた。 「トレイシーケンポー……。アカデミーのカリキュラムでも聞いたことがない名前ですわ」 「て言うか、あたしはアルの使う格闘術も不思議で仕様がないわ。 喰らった蹴り技はサバットあたりだと思うけど、それ以外にもなんか混ざってるのよね」 マリスとジャーメインは、それぞれの疑問を頭の中でこねくり回し、小首を傾げている。 実際にアルフレッドと立ち合ったジャーメインも、彼が使う格闘術の正体までは掴み兼ねているようだ。 「――たぶん、表に出す必要もないって考えていたんじゃないかな。 アルもシルヴィオさんも、今日までお互いの武術なんか実在しないと思っていたハズだよ」 ふたりの様子を無言で見つめるフィーナは、弱りきったように表情を曇らせている。 その複雑な面持ちからは、彼女が私闘の理由を熟知していることが察せられた。 アルフレッドのことなら何でも把握し、ここに居並ぶ仮想の恋敵と張り合う材料にしておきたいマリスは、 身を乗り出してフィーナに詳細を尋ねた。 マリスほど大袈裟ではないにせよ、ジャーメインも興味津々と言った様子でフィーナを見つめている。 ふたつの視線を浴びて意を決したフィーナは、遊園地に備え付けられていたベンチへと腰掛けつつ、 「私もアルやお祖父さんからの又聞きだけどね――」と前置きから語り始めた。 「スーさん――アルのお祖父さんは、ロイリャ地方でも指折りの武術家でね。 『ジークンドー』って言う武術をアルと、……他のお弟子さんに教えていたの」 ジークンドーと言う武術の名称(な)が語られた瞬間、ジャーメインは飛び上がって驚いた。 「はぁー、世の中ってホント広いわね。そんな人がいたなんて、生まれてこのかた、一回も聴いたことがなかったわ。 ジークンドーって言ったら、タイガーバズーカでも教える道場がないような伝説の武術だもの。 ……アルがワンインチパンチ使ったときは驚いたけど、まさかホントにジークンドーとはねぇ〜」 「そ、そんなに仰天するほど珍しいものなのですか? わたくし、よく飲み込めていないのですけれど……」 「ワンインチパンチって言う技そのものは他の拳法にもあるんだけど、やっぱり一番有名なのはジークンドーね。 創始者の得意技だったのよ」 「アルも同じことを言っていました。伝説の師父の拳は地上最強だと」 「……そうか、ジークンドーか。それ聴いたら、ふたりの因縁ってのもちょっと繋がったかな」 納得したようにジャーメインは幾度も首肯し続ける。今度は彼女が武技の歴史を紐解く番であった。 「アルのジークンドーとシルヴィオのトレイシーケンポー、どちらもルーインドサピエンスよりもっと古い時代の武術なのよ。 その時代の武術家にエド・パーカーと言う人がいるんだけど、この人が両方の開祖を導いたって言っても過言じゃないわけ。 パーカーは生きていた頃から伝説とも神話とも呼ばれるような人でね。その時代で一番大成した武術家なんじゃないかな」 「師匠筋に当たると言うことでしょうか? いえ、わたくしなりの想像なのですけど……」 「半分正解で、半分違うってトコかな。両方に道を拓いたって言うのは確かなんだけどね。 ジークンドーの創始者の才能を見出し、成功するきっかけを作ったのがエド・パーカーなのよ」 「そのエド・パーカーさんに誰より一番認められていたのがジークンドーの創始者なんだと、スーさんもよく自慢していました。 世界最強の男なんだって」 「一方、トレイシーケンポーの創始者はエド・パーカーの愛弟子ね。パーカーが開いた『ケンポーカラテ』と言う武術は、 今もタイガーバズーカにも残っているんだけど、そこから分派して新たに興ったのがトレイシーケンポーってワケ。 ケンポーカラテのシステムを更に洗練させていったのがトレイシーケンポーだと聴いてるわ」 「トレイシーケンポーの事情は私も知らないんですけど、やっぱりパーカーさんと仲違いしちゃって、それで……?」 「気が遠くなるような大昔のことだから文献が残っているわけじゃないし、真実は誰にも分からないけど、 ひとつだけ確かなのは、エド・パーカーはトレイシーケンポーの創始者を誰よりも愛してたってコト。 白髪のおじいちゃんになってからも家族ぐるみで付き合いがあったなんて、ステキじゃない?」 「……おじいちゃんになってからも一番の愛弟子……」 「フィーナさん、あの、……涎が溢れておりますわよ」 ジャーメインが言うには、トレイシーケンポーは『トレイシー』のファミリーネームを持つ兄弟によって創始され、 その長兄はアルと言う名であったそうだ。「仮想敵」として立ち合った相手の愛称と同じとは、何とも因縁の深い話である。 「長い歴史のどの段階でジークンドーとトレイシーケンポーがライバル関係になったのかはあたしも知らないし、 たぶん、アルやシルヴィオにだって分らないと思う。……でも、いずれは戦う運命だったのよ。 エド・パーカーと言う伝説の名のもとに、ね」 「いずれトレイシーケンポーとは決着をつけなければならないって、スーさんはよく話していたけど、 まさか、こんなところで戦うことになるなんて、アルだって予想してなかっただろうな……」 伝説の武術家が惚れ込んだ稀有の才能と、伝説の武術家に最も愛された最高の弟子―― エド・パーカーと言う偉大な男によって拓かれた道よりふたつの武術が分かれ、 悠久の刻を重ねる中で互いを好敵手と認めるようになり、今日(こんにち)へと繋がる宿縁にまで昇華された。 そして、永きに亘る旅路の果てに道は交わり、双(ふた)つの拳を以って私闘の門を開いた。 ジャーメインが語った通り、それは運命としか言いようがなかった。エド・パーカーと言う名の運命としか。 「……ま、シルヴィオの本当の怖さは、トレイシーケンポーとは別のところにあるんだけどね。 元々、あいつは暗殺拳の――」 「――このタコッ! 言って良いことと悪いことの区別もつかねーのかッ!?」 今またジャーメインは新たな門を開こうとしていた――が、 これは横から割り込んできたジェイソンの叱声によって押し止められてしまった。 “遊園地”と言っても、大きな声を出せば端から端まで届くほどに規模は小さい。 ジェイソンがジャーメインの“失言”を聞き咎めたのは、自明の理と言うものであった。 ジャーメインが気まずげに口を噤むのを見て取ったフィーナとマリスは、それ以上のことを敢えて質そうとしなかった。 と言うよりも、彼女の“失言”が持つ威力の大きさに動揺し、委細を尋ねることさえ憚られたのだ。 『暗殺拳』と、ジャーメインは確かに口にしていた。 白兵戦の技術はアカデミーにて基礎を学んだ程度と言うマリスは勿論、 ハーヴェストの指導で訓練を積んだフィーナとて格闘技に明るいわけではない。 そのようなふたりにも『暗殺拳』なる言葉の意味は分かる。 そして、ジェイソンの過剰な反応から察するに、『暗殺拳』はシルヴィオにとって触れられたくない過去なのであろう。 言ってはならないことを口にしてしまったジャーメインは、 自責の念に苛まれ、病的なまでに蒼白くなった面を小刻みに震わせている。 己の迂闊を呪うジャーメインをフィーナとマリスが優しく慰めた。 「……ご立派でございます、マリス様。その一歩があなた様を支えるのです」 公園の入り口にてマリスの様子を見守っていたタスクは、 主人の行動へ深く感動し、これを噛み締めるように幾度も幾度も首肯している。 そのとき、丁度、公園の前を通り掛ったホゥリーは、猛烈に感動するタスクのことを、 「ルック上げた忠ドッグだネ。お駄賃いくらでワークしてんの? ユーズ捨てツールの鑑だヨ」と鼻先で嘲った。 主人に対する親愛とて、この男の目には茶番のように映るようだ。 ホゥリーが恥知らずな性格の持ち主であり、悪辣な言動で場の空気を乱し、これを愉しんでいることも タスクは熟知している。平素であれば、「また始まった」とばかりに聞き流すところだ。 しかし、今夜に限っては様子が違っていた。去っていこうとする彼のもとへ素早く歩み寄り、 進路を塞ぐように正面切って立ちはだかったのだ。 その双眸はどこまでも冷たく、ゴールドの瞳にホゥリーの巨躯を納めていた。 「今、この場には私とホゥリー様しかおりません。余人の耳がないと言うことでございます。 ……私はこのような機(とき)を待っておりました」 「はァん? ラブの告白でもしようってのかい? ソーリーソーリー、ボキはもう間に合ってるヨ。 バカ弟子ひとりの面倒ルックするだけでハンド一杯で――」 「――おふざけでない!」 聴く人の心を不愉快の三文字で満たしてしまうホゥリーの笑い声を、タスクは一喝でもって遮った。 鋭さを増した眼光には敵意すら帯びている。その様子から色気のある話でないことは察せられると言うものだ。 「時折、マリス様と私を凝視なさっておられますよね。それも覗き見のように。……どう言うおつもりですか?」 主人への忠誠心を謗ったことに激怒しているのかと思いきや、タスクは思いがけないことを口走った。 仮にこの場へラドクリフが居合わせていたなら、「不潔です、お師匠さま!」とホゥリー目掛けて光の矢を連射したことだろう。 往々にしてホゥリーから怪しい視線を感じる――それがタスクの心中にて逆巻く怒りの根源であったのだ。 「もしも、マリス様に破廉恥な考えを抱いているようでしたら私が許しません。このこと、アルフレッド様にも報せねばなりません。 皆様の責めを受けることになろうともマリス様をお守りする覚悟でございます」 「……こりゃ〜参った。チミってば、ザットにセルフ意識過剰だったのかネ。 ボーイズのアイがセルフに集中してイヤイヤンってフィーリング? ガイ日照りがコンティニュアスするのはリアルにテリブルだねェ。ザットな風にクラッシュしちゃうんだもん」 タスクから向けられた鋭い怒りに対し、ホゥリーは言い逃れをするどころか、腹を抱えて笑い出した。 公園内に居た者たちにも届くような大笑いである。ともすれば、周囲に自分の存在を気付かせるのがホゥリーの狙いに違いない。 案の定、タスクと一緒にいるのを見て取ったマリスが、不安げな面持ちでホゥリーのもとへと駆け寄ってくる。 下劣なこの男に良からぬ悪戯でもされたのではないかと心配になった様子である。 こうなるとタスクが企図した一対一の状況は崩れ、件の難詰を進めることも難しくなる。 極めてデリケートな問題を孕んでいる為、マリスの耳に入れたくはなかろう。 悔しさを滲ませながら睨みつけてくるタスクに向けて、ホゥリーは厭味な笑みを返した。 「……私の思い違いである、と?」 「ノンノン、思い上がりだヨ」 「信じてよろしいのですか。次に何かあったときには私は――」 「しつこいレディーだネェ。ボキだって迷惑なんだヨ? 痴漢冤罪みたいなアイに遭わされちゃってサ。 アルに頼んで損害賠償の訴えでもしちゃおっかナ〜」 それでも、タスクの表情は些かも変わらない。猜疑に満ちた目をホゥリーへと浴びせ続けている。 最早、付き合っていられないと鼻を鳴らしたホゥリーは、マリスが駆け付ける寸前でその場を立ち去った。 彼女たちに背を向け、テントやプレハブなどが設置された貴族たちの居住区へと大股で歩いていく。 その間にも冷たい視線を感じていたが、ホゥリーは決して振り返ろうとはしなかった。 それ故、タスクにもホゥリーの顔つきを確認することが出来なかった。 双眸にどす黒い情念を宿していることも、普段はだらしなく開け広げている口元が真一文字に引き締められたことも―― 己の変調と言うものをホゥリーは何ひとつ他者に晒さなかった。深い宵闇が垂れ絹となってその面を覆い隠すのだ。 「……何も知らナッシングってコトはこんなにもヒトをフールにするものかネ。 尤も、ザットのレディーたちはヒトってコールしてもグッドかどうか――」 ホゥリーの心が表れているだろうその呟きも闇に飲み込まれ、余人の耳へ届く前に掻き消えていった。 * シェインたちがトレーニングに興じる頃、フォテーリ家のロッジは嘗ての『両帝会戦』の話題で大盛り上がりしていた。 武辺の話ながらも皆が白熱し、気が付けば午前一時を過ぎている。 そもそものきっかけを作ったのはダイナソーとアイルのふたりであった。 「何が何でも前途ある子どもたちを救わなくちゃ! 階級の違いも、……いいえ、世界の違いだって関係ない! 未来を守るのは、あたしたち、大人の責任なのよッ!」 いつになく気を張り詰めるレイチェルを危ういと見て取ったヒューが、 ガス抜き目的で雑談の題材(ネタ)を探し始めたところ、ダイナソーとアイルが両帝会戦の経緯を知りたいと希望。 佐志の仲間と一緒になってこれに応えたのである。 このふたりは両帝会戦には全く参加しておらず、戦況の成り行きすら新聞記事で拾える程度しか分かっていない。 自分たちが離脱した後のアルバトロス・カンパニーの戦いを知りたいと願うのは、自然の流れと言うものであろう。 両帝会戦当時は意識を取り戻していなかったセフィも、熱砂に於ける両軍の激突には興味津々と言った面持ちである。 やがて、トゥウェインも興味を引かれ始めたらしく、控えめに輪の中へと加わった。 この地の難民にとってギルガメシュは絶対的な支配者である。 ある意味に於いては高次の存在とも言うべき武装組織へ敢然と立ち向かい、 エンディニオンの覇権を争うような軍勢があったこと自体、トゥウェインには信じ難かったのだ。 小さな武装漁船のみでギルガメシュの軍艦を沈めたと言う武勇伝を聞かされたときなど、 トゥウェインはひっくり返って驚いていた。比喩でなく本当にひっくり返ってしまったのである。 「たまげるやろ? これが軍師アルフレッドの実力っちゅーやっちゃ。 どないチンケな船を使(つこ)うても、アルの手に掛かればごっつい艦隊に早変わりっての。さすがワシの一番弟子やで!」 「いやはや、ローガン殿。我が佐志の誇る武装漁船団をチンケとは……些か心外にござるぞ。 せめて、小回りが利く船と申してくだされや。そこがアルフレッド殿の立てし作戦の要にて」 「こらスマン、言葉のアヤや! とにかくワイらは一丸となって敵艦をブッ飛ばし、決戦の舞台へ堂々と躍り出たってことやねん。 燃えるやろ? ギルガメシュの背後を突いてみせたんや! ……くうぅ〜、やるのぉ、アルは!」 「一丸となったってブッこくけどよぉ、お前が腕白に暴れ回ったのはグドゥーに上陸してからじゃねーか。 俺っちだって船の上じゃ殆ど何もしてねーよ。頑張ったのは、どっちかっつーとウチのカミさんだ」 「そない水差さんでもええやろ、ヒュ〜!」 得意満面で弟子を自慢するローガンであるが、その後にアルフレッドが仕出かした忌むべき拷問は伏せておいた。 前哨戦で驚き震えるようなトゥウェインには刺激が強過ぎるだろう。 渦中の人とでも言うべきアルフレッドは外出しているが、仮にこの場に居合わせたなら、果たして何と言うだろうか。 ローガンが拷問の一件まで口を滑らせると警戒し、話題を途中で打ち切っていたかも知れない。 アイルとダイナソーが最も強く関心を寄せたのは、やはり、佐志軍とエトランジェによる宿命の対決である。 このエトランジェにはアルバトロス・カンパニーの面々が属しており、それぞれの思いを秘めて合戦場へと赴いていた。 自分と同じ難民が直接戦闘に加わったと言うこともあって、ダイジロウも真剣な面持ちで耳を傾けている。 両帝会戦の折、彼は別の場所で戦っていた為、エトランジェの顛末について殆ど知らないのだ。 「あ、ワリ。オレ、ちょっとパス。いや、パスって言うか、なんつーか……」 「はァ? ……おい、マジでバックれんのかよ、ニコちゃん?」 「うるせぇな。話、聴きたいのはお前だろ。オレは他のことで忙しいんだよ」 いざ宿命の対決を語る段になったとき、急にニコラスが席を立った。トゥウェインからトイレの場所を聞くと、 そそくさとロッジから出て行ってしまったのである。 おそらくトイレと言うのはこの場から逃げ出す為の口実であろう。 両帝会戦の話題になったあたりからニコラスは居た堪れないと言った様子で身を縮めていたが、 それこそが何よりの証拠と言うものだった。 呆けたようにニコラスの背中を見送るばかりのダイナソーとアイルであったが、 合戦の次第へと耳を傾ける内に、彼が取った行動の真意を悟った。 復讐の狂気に冒されて暴走を繰り返すアルフレッドのことを、ニコラスは一騎討ちを通じて救っていた。 親友の心を取り戻す為に己の命を賭したのである。 その話題を出されることがニコラスには照れ臭く、先手を打って輪を離れた次第であった。 「ニコラス殿も比類なき勇者でござった――が、敢えてもう一方(ひとかた)、付け加えてもよろしゅうござるか? それがしはシェイン殿の勇気にも大いに励まされてござる」 次に守孝が披露した話にもダイナソーとアイルの胸を熱くした。 佐志軍とエトランジェ、憎しみ合っているわけではなく争う理由すら存在しないにも関わらず、 生まれ育った世界の違いと言うだけで戦うことを余儀なくされた両者に対し、シェインが怒りの吼え声を上げた。 揺るぎない友情を結んだ筈のアルバトロス・カンパニーですら佐志軍と斬り結んでいる。 中でもレイチェルとディアナの戦いは壮絶の一言であった。親友同然の関係であったふたりが、だ。 シェインはその状況に我慢がならず、佐志軍とエトランジェの双方を大喝した。 大人の事情など少しも考慮もしない幼稚な説教である。ただひたすら絆の重さ、大切さを訴えるのみであった。 感情ひとつでは割り切れないような複雑な事情を抱えながら戦う人間にとって、 一笑に付すような内容(もの)であった――が、それは未来を担う子どもからの声だ。 大人たちにとっては未来への約束とも言うべき心の叫びである。 シェインの叫びが引き金となって両者は正気を取り戻し、戦うことの愚かしさを悟った。 生まれた世界の違いを理由に結んだ絆を否定することは現実からの逃避に他ならない。 そのことに気付いた佐志とエトランジェは、互いに歩み寄り、未来の可能性を選び取った。 立場の違いから今は離れるしかないが、いずれ必ず再会し、共に同じ道を歩こうと、 エンディニオンの未来を誓い合ったのである。 ダイナソーとアイルが信じた理想の未来がそこには在った。これを実現するべくふたりは仲間のもとを離れたのだ。 「あのシェインがそんなことをねぇ――やるじゃねぇか、チクショウ」 「うむ……シェイン君が育んだ芽を例外にしてはならない。小生たちの手で何としても花を咲かせてみせる!」 その場に立ち会えなかったのは残念だが、自分たちの選択は決して間違ってはいなかったのだと ダイナソーとアイルは確信し、その面は熱く昂揚している。これ以上に勇気が湧き立つことはあるまい。 「おぉっと〜! ルディアを忘れてもらっちゃ困るの! ルディアだって激ファイトしたの!」 安らかな寝息を立てるムルグの様子を診ていたルディアが、両手を真っ直ぐに挙げた。 自分の存在感を示すかのように身体を左右に振っている。 自ら誇っては安っぽくなってしまいそうだが、ルディアもまたシェインと共に不毛な戦いを終わらせる為に尽力したのだ。 彼女のトラウム、『クレイドル・オブ・フィルス』は、他のトラウムの性能を強化させると言う特性を備えている。 ケーブル状のトラウムからヴィトゲンシュタイン粒子を注入され、 大幅にブーストアップしたシェインの『精霊超熱ビルバンガーT』は、ただの一撃を以って熱砂をも烈震させた。 その衝撃が佐志とエトランジェの双方を足止めし、シェインが説得に飛び込めるだけの“間隙”を生み出したのである。 ルディアのクレイドル・オブ・フィルスがなかったなら、戦局は最悪の事態にまで拗れていたかも知れない。 「ケッ――ただの仲良しクラブじゃねーか、くだらねぇ。戦争ってのは殺し合い以外の何物でもねーだろが。 くせぇ馴れ合いよりも血を見せろっての。肉の焦げるニオイは最高にキちまうぜ」 合戦の話題で盛り上がる面々へ撫子は憎まれ口を叩く。彼女も佐志軍の一員として両帝会戦へ加わり、 ミサイルのトラウム『藪号the-X』で縦横無尽に暴れ回っていた。 そもそも、佐志とエトランジェが撫子の失言に依るところが大きい。ホゥリーとは別の意味で悪態ばかりを吐く彼女は、 エトランジェ、つまりAのエンディニオンの人間を「寄生虫」と謗ってしまったのだ。 タスクはこの失言――いや、暴言を平手打ちで叱責した。それによって撫子の心中に反省の念が生まれたのかは分からない。 ただ、彼女は先程から皆に背を向けてモバイル遊びに興じている。 皆と顔を合わせるのが気まずい――そのように見えなくもなかった。 「んっふふふ〜、そんなこと言っちゃって。ホントはナデちゃんが超優しいコだって、ルディアには分かってるの〜」 「なっ、てめ、おい、やめ……――」 自分は落伍者とでも言うように不貞腐れ、悪ぶってばかりの撫子もルディアの前には形無しだ。 少女らしからぬ指使いで身体中を弄(まさぐ)られ、身も世もない悲鳴を上げている。 それはともかく、ルディアの言葉にも一理あるだろう。口では他人を遠ざけるようなことばかりを言う撫子だが、 ルディアが体調を崩したときにはその傍から離れようとはしなかった。今もムルグの近くに座しているのだ。 何事か怪異が起きた際には、我が身を盾として戦えるよう待機しているとも言える。 撫子のことを幼い頃から知っている守孝は、ルディアとの戯れ――むしろ、一方的なものだが――を優しげに見守っていた。 守孝の真隣ではヒューが撤退戦の経緯をセフィに説いている。 佐志とエトランジェの交戦に前後して起こった連合軍の総崩れについて、だ。 「エルンスト氏は敵の本陣まで斬り込んだのですか。それも単騎駆けとは……大胆不敵としか言いようもありませんね」 「結局、ギルガメシュの大将は討ち漏らしたみて〜だけどな。あのオッサンも手際が悪いっつーか、抜けてるっつーか……」 「本陣を直接攻められているわけですから、敵も前後不覚だったでしょうに。別働隊を連れていかなかったのは失敗ですね。 混乱に乗じて本陣詰めの要人でも根絶やしにすれば良かったのです」 「カレドヴールフの手足を潰すようなもんだもんな。……惜しかったなぁ。それが出来てりゃ、今頃、もっとラクに戦えたハズだぜ」 「お、恐ろしい話を平気でなされるのですね……」 一般人が耳にするには少々刺激が強い暗殺と言う単語を何の躊躇いもなく口にするセフィとヒューに、 トゥウェインは愕然としている。彼も類例に漏れず“一般人”と言うわけだ。 シェインやルディアのような小さな子どもたちが合戦へ加わっていたことにも衝撃を受けている様子だ。 暫し呆然とした後、トゥウェインは力なく項垂れてしまった。 その姿は、ロレインとの将来を思い悩み、欄干にへたり込んでしまったネルソンとそっくりである。 「みなさんは大変な勇気の持ち主なのですな。……自分は見ての通りの臆病者です。とてもそんな勇気は……」 武装漁船にて軍艦を沈没せしめると言う途方もない武勇伝を聴いた瞬間(とき)、 トゥウェインの脳裏には少し前にワーズワースを騒然とさせたある風聞が蘇っていた。 言わずもがな、ポールやアバーラインの心を揺り動かした“あの風聞”のことである。 トゥウェインの耳には断片的な情報しか入ってこなかった為、今の今まで判らなかったのだが、 彼らこそがギルガメシュに煮え湯を飲ませた勇者なのだ。 だが、そのことが判ったところで、トゥウェインにはギルガメシュへ通報する気など起きなかった。 それよりも何よりも、巨大なる敵にも勇敢に立ち向かっていった佐志の面々と己の矮小を比べ、打ちひしがれ、 「……勇気と言う言葉の意味さえ忘れてしまいました……」と項垂れるばかりである。 難民保護の呼びかけと矛盾する不当な扱いに抗おうともせず、 ギルガメシュの暴力へ屈服してしまったことに忸怩たる思いがあるのだろう。 生き残るには貴族と言う階級に縋りつくしかなかった。それはどうにも揺るがし難い事実だ。 しかし、それが本当に正しい選択であったのか、今のトゥウェインには分からなくなっている。 階級を武器にすることは、人間の尊厳を傷付けるのに等しい。己の尊厳を投げ捨てるのと同じことだ―― 息子のネルソンから突き付けられたのは、つまりそう言うことなのだ。 「勇気ってのはよ、誰の心にも眠ってるもんだぜ、とっつぁん。戦わなきゃならないときには自然と出てくるもんだ。 俺サマを見てみ? 勇気が凛々と迸ってるだろ? 俺サマの弟子になって感化されちゃってもいいんだぜ?」 「口だけ達者で逃げ道ばかり探しているようなお前が何を言う。世界中のどこを探してもお前のようなヘタレはおらん」 真面目腐って胸を張るダイナソーの額をアイルが小突いた。堂々と「勇気」を語るには、彼は日頃の行いが悪過ぎる。 そんなおちゃらけたやり取りさえも今のトゥウェインには堪えた。 アイルが口にした「口だけ達者で逃げ道ばかり探している」との言葉すら、己のことのように感じてしまうのだ。 ただただ自責の念が圧し掛かり、その心を軋ませていた。 「彼の言うことは正しいわ。勇気は誰の心にも宿っているものです。勿論、あなたにも……!」 「家族や仲間守る為に頭下げてきた――それかて立派な勇気やろ。 あんたはな、あんたは自分が思(おも)うとるほど臆病なんかやないで」 ダイナソーとアイルの言い争い――ヒューからは夫婦喧嘩との冷やかしが飛んだ――を尻目に、 ハーヴェストはローガンと一緒にトゥウェインを励ました。何か声を掛けてやらなければ、 この場で心が折れてしまうように見えたのである。 ふたりの励ましがトゥウェイン本人にどのような影響をもたらしたのかは分からない。 良かったのか、悪かったのか、それすらも判然としない。 戦わなければならないとき――ハブール難民の代表者は、ただそればかりをうわ言のように繰り返している。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |