「ねぇ、お母さん」
最後の夜、ここにはもう戻って来られない。
愛用の柔らかい枕をぎうと抱きしめ、薄いピンク色のパジャマを着たフィーナは母親の部屋の前に立つ。
「なぁに?」
そんな娘を優しく出迎える母親、いつもいつもにこやかなその笑顔はフィーナの自慢であり憧れであった。
「一緒に眠ってもいい?」

口元を上げ、少しでも、その憧れの笑顔に近づけるように努力した。





第二回 「おかしな迷子」


1.愛との別離。


灯りを消した暗闇の中、冷たかったベッドは二人の体温を受け入れて徐々に温かくなっている、ふわふわの久しぶりの母親の匂いにフィーナは笑った。
最近母親と寝る事がなかったのは妹、ベルへ姉としてしっかりした所を見せたいと言う子供心の所為だった、だが今夜だけはその妹のベルを差し置いて母親を独占する事が出来、自分が甘えている事を実感する、どこかくすぐったく懐かしい感覚だ。
「お母さんと眠るの久しぶり」
「そうね、昔は当たり前だったのにね」
寝そべり、向かい合いながら話し始める、やがて目が暗闇に慣れると自然と相手の顔が、ぼんやりとだが良く見えた。楽しそうに笑っている。
ルノアリーナはそうっとフィーナの頭を撫でて懐かしそうに微笑む。
「小さい頃は『お化けが怖い』ってしがみ付いてきたわねぇ」
「そっ…!そんな事言ってた?」
「あとはー…『暗いのが怖い』とか『アル君が怖い』とか…『自動販売機が怖い』とも言ってたわね、なぜかしら?」
「ええー…もう、全部平気だもん」
幼い記憶はあやふやだが――とくに何故自動販売機に恐怖を覚えたのかさっぱり記憶に無い――、今の事ならば自信を持って「怖くない」と言える、が、その語尾は徐々にフェードアウトしていく。
「…私はねぇ、この日常がなくなってしまうのが怖いわ」
「え――…?」
唐突に母親の目が、一瞬だけ潤んだ気がしてフィーナは戸惑う、幼い頃から母親に守られ、共に生きてきたフィーナにとって彼女のその存在は絶対だ、彼女が笑う姿は日常で見かけない日などなかったが、泣く姿などフィーナはこれまで一度も見た事が無かった。
それほど、フィーナにとって母親は絶対の存在だった。
「後押ししたのは私達だけれど、でも実際そうなってしまうと――…」
言葉を詰らせたルノアリーナの様子に動揺しながら何とかしようと咄嗟に起き上がる、その瞬間、すぐに夜の空気が冷やりとフィーナの身体を包んだが、一度震えれば順応する事ができた。こんな寒さなどどうってことないと思えば何も気にならない。
「わっ…私だって――ッ…!」
やはり言葉を詰らせ、代わりに出てきたのは一筋の涙。
フィーナにも不安はもちろんある、お金は?食べる物は?着る物、荷物は?それに、それに――
日々の生活に恐らく危険も付きまとう、それからどうやって逃れればいい?自分はこんなにも非力で、普通の女の子なのに。
村と言う居場所、拠り所を失い、これから先、何を頼ればよいのか全くわからない。

(でも、罪を償えるのなら――…)

よみがえるのはあの時の光景。
殺してしまった彼に対してできることなら何でもしよう、父親と母親の後押し、そしてアルフレッドのわかりにくい愛情にその決心はより強固になっていた。
「フィーナ、いいこと?償いだけにこだわってはダメよ?誰にでも誇れる人生を歩んでちょうだい」
目が伏せられ、震えるフィーナへ、まるで見透かしたかのように言葉が発せられる、フィーナは一瞬戸惑うがルノアリーナはその反応を見ながら穏やかに笑った、その笑顔は暗闇に紛れおぼろげだったが、フィーナの脳裏にはっきりと、刻み込まれた。
「私はそんなフィーナでいてほしいわ」
それが私の誇れる人生よ、そう付け加え愛娘の頬を優しく撫ぜる、涙の跡はとうに乾いていたがその上を更に新たな涙が伝う、それは父や村の人間たちの前では決して見せないでいたものだ。
「おか…さ…」
優しく、憧れの母親を呼ぶ言葉は最後まで言葉にならず、いつの間にか、母親と共に声を上げて泣いていた。
声を上げて泣くのも母親と一緒に眠るのと同じく久しぶりだと頭の片隅で思いながら――…


◇◆◇

家族五人で暮らしているとは言え、田舎の造りが雑な木造建築ではどんな壁を隔てていても声は聞こえる。

ダイニングでは男二人向かい合い、それまで言葉少なに酒を酌み交わしていたが、ルノアリーナとフィーナの泣き声が夜に紛れ微かに耳に届くとお互いぴたりとその手を止めた。
カッツェは億劫そうな手つきでまだ中身が中途半端に残っている二つのグラスに並々と容赦なく酒を注ぎ自分の分を持つ、彼の手元のツマミにはサキイカでもなくキムチでもなく焼き鳥でもなく、ブルーベリーだ。こんな所でも彼はブルーベリーを愛用している、もはや信仰と言ってもいいかもしれない。

「――もう、泣かせたりはしない」
「……」
表面張力で踏ん張る水面をじぃと見つめながら呟く息子の言葉にカッツェは黙って耳を傾ける。
それはまるで目の前の表面張力と同じくらい張りつめた言葉だった。ともすれば彼自身も震え、零れてしまいそうな。
「フィーナの心も身体も、守り抜く」
彼女の泣き声はこれが最後だとばかりに呟くアルフレッドの言葉がこれほどまでに深く、重いのは比例してフィーナを大切に思っているからに他ならない。

アルフレッドとフィーナの兄妹以外の絆の、その名前をカッツェもルノアリーナも知っていた。

彼の答えはもう決まっているのであろう、しかし改めて確認する気持ちでカッツェは自らのグラスを掲げる。
夫婦から見ればまだまだ幼く、若い二人が一生懸命それを隠そうとする様は微笑ましかった、だが、そんな微笑ましさは今日限りである、明日以降今までの庇護から離れる彼らには恋人と言う名の絆は必要不可欠。
「フィーナも俺の娘だ」
「…それは…」
もちろんアルフレッドも知っている、数年前、今の母親であるルノアリーナと再婚してからの事実である、今更何を言い出すかと怪訝そうな表情のアルフレッドの言葉を、その厳つい表情を持って遮ってカッツェは話を続けた。
「あの娘の父である俺に誓え」

その気持ちが真のものであるかを、そして決して違えぬ事を。

「何があっても、フィーナは守り抜く」
アルフレッドも同様にグラスを掲げ、父親に誓いを立てる。




――たとえ他の何かを犠牲にしようとも――





心の中で自分自身にも、それを誓った。



◇◆◇


鳥が啼く。

朝が巡り、夜は静かに身を潜めた。
春とは言え夜明けはまだ肌寒く、春特有の柔らかな光とにおいが辺りに充満するまでにはまだ少々の時間がかかってしまう。
闇により冷やされた大地を暖かく包み込むかのように太陽は東よりキラキラと輝き、その眩しさに目を細めながらフィーナは外へ出た、手には旅行用の頑丈で少し大きめの鞄、寄り添うようにムルグが飛び交っている、昨夜は一緒に眠る事を許されなかったので――フィーナに「お願い」されてしまえば逆らえない――その分甘えたいのか起床した時からその調子でフィーナにべったりである。
そのムルグがキッと睨みつけた先にはアルフレッドが、フィーナより少し遅れて同じく旅支度の姿で外へ出た、荷物はフィーナよりも少なめである。一歩踏み出した所で先を行くフィーナが立ち止まっているため強制的に足止めされる、何事かと問いかけるまでもなく、その答えは彼の目前にもはっきりと映った。

フィーナの目前で村の人間がいっせいにこちらを向いているのだ。
ライアン家の玄関前で半円状に集まった村人は全て見覚えのある顔ばかりである、その中心にはシェインとネイサン、そしてホゥリーがいた三人とも動きやすい服装にアルフレッドと同じくらいの大きさのカバンなり荷物を持っている。
「どうし…」
「フィー姉ちゃん、ボクも行くよ!」
まさかの出迎えに戸惑うフィーナの言葉を遮ってシェインは旅の同行を求める、その要求にアルフレッドは一瞬だけ苦渋の表情を見せるが普段が普段なのか誰にもその変化は気付かれない。

同行する人数が増えれば増えるほど見守る範囲は自然と広くなる、やがて手に負えなくなるのは必死、更にシェインはまだ十一歳で、はっきり言えばあの強力なトラウムを除いての、彼個人ではいくら並の十一歳より発達した運動能力を身につけていたとしても戦力外である、巻き込んで最悪の結果を生み出すくらいであるならばなんとしてでも村にとどめたほうが良いに決まっているのだ。
「元はボクが原因なんだ、ボクもフィー姉ちゃんと同じように広い世界に触れて、この騒動の発端である罪を償うんだ!」
本来の真っ直ぐな気質であるシェインであればこれほど通った理屈など思いつくわけがなく、ただ「ついて行きたい」の一編通しのはずだ、アルフレッドが目線だけで辺りを見回すとその視線に気付いたホゥリーとネイサンが僅かに口元を上げる、彼らの入れ知恵かと溜息をつきフィーナの反応を窺った、彼女はと言えばシェインの心意気に胸を打たれているようで素直に頷いている。シェインも素直だがこの目の前にいるフィーナも素直なのだ。
「私が行く道はどうなってるかわからないよ?罪を償うんだもん、きっと険しくないはずがないよ…?」
自ら言うとよりその険しさを自覚してしまった、目を伏せたくなったがシェインの透き通るような青い瞳から目を逸らせなかった。
すう、と息を吸って、強い意志でフィーナもシェインを見つめ返す。
「それでもいいかな?」
「大丈夫だよ、そんな道でも楽しまなきゃ辛いだけだ、ボクが楽しませてやるって!」
フィーナ以上の強い瞳で彼は頷く、シェインもシェインなりに決心を固めていたようだ、やや好奇心からくる影響も見受けられるがそこは彼の長所として受け取っておこうと、同行を求める四つの目に見上げられアルフレッドは小さく頷く。
「シェインちゃんも行っちゃうの…?」
いつの間に出てきたのだろうか、寝ぼけ眼で母親のルノアリーナに抱きかかえられたまま同じく見送るため外に出てきたのであろうベルがまだ寝間着のまま淋しそうに呟く、どうやらタイミング悪くそこの会話だけを聞かれていたようだ。
「ならわたしも行くぅー…」
三本の触覚は寝起きなのかまだしなびており、まだ思考が覚醒していない所為か言っている事がまるで近所に遊びに行くかのような感覚で無謀である、振り返ったアルフレッドとフィーナの間をすり抜け、シェインはイヤイヤと母親の腕で身をもがくベルに近づく。
「今日の冒険はダメだ、おまえは留守番!」
「やぁだよぉ〜…」
「ダメなのはダメなんだ!」
「…ベル、いつか俺達に追いつけるように、しっかりと勉強しておけ」
そのままベルとシェインが低レベルな言い争いになる前にアルフレッドは助け舟を出す、今にも泣き出しそうだったベルは兄の言葉を聞いてぴたりとぐずるのを止め、それからシェインを見下ろした、母親に抱きかかえられてるせいで目線がシェインよりも僅かに上なのだ。
「そう!そうだ!勉強して今よりもーっと頭が良くなったらボクたちの居場所がすぐに解って、飛んでこれるだろ?」
自分の役目を兄貴分に取られた気分が心をむしゃくしゃとさせるがそれも自分の未熟さだ、仕方がないと諦めアルフレッドの話しに合わせる。
「うん…」
渋々ながらも頷いたベルを見てよしと安心する、その和やかな雰囲気に割って入るようにホゥリーとネイサンも近づいてきた。
「さあさあ、感動のお別れなんてとっととフィニッシュしてこんな田舎、アーリィにゴーアウトがグッドだね」
「…お前たちもか?」
ホゥリーの粘着質な声色や言い回しにやや嫌悪感を覚えながらアルフレッドは問いかける。ホゥリーはにやりと笑うとこれもまたイヤミそうに服の間から両手で持てるほどの布の袋の端をちらつかせた、じゃらりと音を立てるその中は間違いなく金が入っている。
「ヴィレッジのピープルから更にマネーを貰ってネェ、まぁ全然足りないけれどチミらをガードする事になったよ。足りなくなったらそのタイムそのタイムでチミたちがギブする決まりだからヨロシク」
「…よろしく頼む」
ライアン家の入口に立つ村人を盗み見ると安心しきったような表情の者が幾人か見受けられた、ホゥリーは言い回しや性格に難ありではあるが実力は先の抗争から見ても桁違いだ。ついで言えば村から出た事のないアルフレッドたちに外界の知識は無きに等しい。しかしホゥリーはその知識を持っている。村人の表情から見ても仲間でいて損は無い、差し出した右手を掴むとホゥリーの右手は既にべたついていた、朝からどんな脂ぎったものを食べたのだろうか。
「で?ネイサンもか?」
すぐに手を離し、さりげなく右手をぬぐい、それをさらに気取られぬよう話題を変えネイサンへと視線を向けた。案の定、ホゥリーを始めフィーナもシェインもアルフレッドの目の動きに釣られ彼の右手に気付かない。
ネイサンもまたホゥリーと同じく村人たちから護衛にと雇われたのかと思うが、ホゥリーと違い彼にそれほどの力があるとは思ってもなかった、せいぜい旅先の知識や器用さ位なものであろう、ネイサンはその意味に気づいたのかふるふると首を横に振る。
「いやぁ〜僕は単に有価物を探すだけだよ、アルたちに付いて行けばいい物が見つかるかもと思って、ね」
「これもお仕事、お仕事」と言いながらにこやかな笑顔でごり押しし、アルフレッドに文句を言わせる隙を見せない。
アルフレッド達の今後の指針はまだ決まってはいなかったが、ネイサンの読みどおり普通の観光とは違った場所を巡る事になるのだろう、とすればネイサンすらも知らない土地へ赴く時が来るのかもしれない、彼はそれを狙っているのだ。彼の目的は知った所に行くよりも知らない所へ行く事だ。
「大丈夫、今まで危険な所とかもいろいろ巡ってきたからね、自分の身くらいなら守れるしアルたちにとっていい案内になると思うよ、それにホゥリーさんと違って任意で付いてくんだから無料だし」
ここまで言われてしまうと断る理由は無い、アルフレッドは先程ホゥリーと握手を交わしたのと同じ右手を差し出す、ネイサンはそれを見ると一瞬だけ黒い笑みを湛えアルフレッドの左手を取り、そちらで握手を交わす。ぬぐったと言うのに彼も気付かなかったようだ。
「どのくらい一緒にいられるかわからないけど、よろしく」
「…よろしく」
救われなかった右手を中途半端にしながら同意した。

「んじゃ〜結局全部でファイブだね。ショボくれて勝手にテンションをダウンしてるおプリンセス様のためにゴーしようじゃないか」
正確には五人と一匹、ホゥリーはフィーナにくっついて離れないムルグを含めていないのであるが、そんな事は気にせずにのしのしと歩き始める、肥満体特有の左右に良くぶれるなんとも格好のつかない歩き方だ。
「じゃあ…いってきます」
「行ってきます」
睡魔に負けたのか、二度寝してしまったベルの頭をフィーナはそっと撫で微笑みかけてから名残惜しそうに離れる、そしてベルを抱きかかえているルノアリーナと彼女を支えるかのように隣にいるカッツェへ手を振る、ライアン家を出て、公道で見送る村人たちにも盛大に見送られ、別れを惜しむ間に村の出入り口までいつの間にか来てしまっていた。
「気をつけろよ?生水には要注意だ」
「なんだそれは、お前こそその良く解らない性格改善に力を注げ」
「あ、なんだと?オレはいいの、これで笑いが取れれば!」
「あーはいはい」
テンポのよい昔なじみとの会話もこれが最後かもしれない、しかしそうとは思わせないいつも通りのやり取りにアルフレッドは、おそらくクラップも安堵する。
そう、いくら変化が訪れようとも変わらない事象も存在する、それを人は友情と呼ぶのだ。
「じゃ、フィーも、気をつけろよ?」
「うん」
「…アルフレッドにっ」
「えっ」
「クラップ、お前あとで覚えていろよ?」
フィーナを元気づけるための軽快なボケはどうやらアルフレッドには通用しなかったらしい、それほど図星であったという事か。
最後まで変わらない様子にフィーナはどうリアクションをとるか困ったものの、苦笑しながら「大丈夫だよ」とどちらとも取れない返事をクラップへ返す。

閑散とした出入り口にはここから先が「グリーニャ」である事の小さく寂れた看板と村全体のこれまた同じように寂れた地図、かつてこの村の入り口でこれほどまでの人間は集まったことなどなかった、最初で最後であろう村の入り口での賑わいの中、クラップはアルフレッドに「そうだ」と前置きをしながらそれまで左手に手にしていた物体を無造作にアルフレッドに手渡す、それまでその物体を目にしていながらなぜクラップがそんな物を持っているかわからなかったアルフレッドはいよいよもって首をかしげる。
「…CUBE?」
アルフレッドの手にしたそれはCUBEと呼ばれ聖霊の力を借りず魔法が発動できる物質として普及している物であった。
複数存在し、一つのCUBEには一つの属性が備わりその属性の魔法が使えるというのだ、その名の通り透明の立方体は全てのCUBEに共通した形でその表面には薄く文字が刻み込まれている、それらはCUBEが使える魔法の、発動の要となる術式であるが全て解読不能の文字で書かれており読み上げる事は出来ない、ただし唯一読める文字が立方体の中にある球体に刻まれていた。
『MS-LIF』
人は主にその中央にある文字によりCUBEの属性を見分けているのである。
「生命のCUBEか、どうしたんだ?」
「いやーちょっと前に拾ったんだけどな、これと言って使い道もねぇし、お前等なら必要だろ?やるよ」
「…これがあればもう少しスムーズに事が運んだというのに…」
確かに本人の言うとおりこれから何が起こるかわからない旅先であれば便利な代物であろう、しかしアルフレッドが言うのは暴動の事だ、「これがあれば…」と終わった作戦を更に脳内で発展させながらもとじとりと恨みがましい目でクラップを睨む、流石に悪かったと反省しているのかクラップは首を横に振って必死に弁解しはじめた。
「いや、これについては本当にすまん!実は昨日の夜まで忘れてて…」
「…お前らしいよ」
「あれ?いま舌打ちしなかった?聞こえたよ?なぁ?」
「気のせいだ」
CUBEと言う餞別を手にしている間にホゥリーとネイサンはさっさと村の出入り口を踏み越えており、それに気付いたアルフレッドやシェインもやや慌てて二人に続く。
ふとアルフレッドは目の前にフィーナがいない事に気付きくるりと村の入口へと振り返る、見るとフィーナはまだ名残惜しそうに見送る人達と話しこんでいた。
「フィー、惜しんでいても仕方がない」
アルフレッドの言葉に諦めが付いたのかフィーナをこれ以上足止めしてはいけないと村人たちは一人、また一人とフィーナから去る、フィーナも先に進まなければならないと一歩、村の外へ踏み出す、それはいつも歩く感覚と同じでなにも変わったことなどなかった、あれほど決心していたと言うのに最初の一歩がこれほど普通であった事に驚き思わず笑う、案外こういう事がただ持続して未来へ紡がれているだけなのかもしれない。
だが油断をするつもりは無い、黒い影はいつも隣で息を潜めている。
それから一歩、また一歩と道を踏みしめ、風をその身に一心に受ける。
「フィー姉ちゃん、あれ…!」
村を一望できるほど離れた場所で振り返ったシェインが何か気付いたかのようにフィーナを小突く、言われるがままフィーナと、そしてつられるようにアルフレッドやネイサンとホゥリーもそれを見た。

黒い点になってもまだ村の入口にいる村人たちの姿。

とうに誰が誰と言う判別は不可能である、しかしその光景はフィーナの網膜に焼きつくように映った。
「…行くぞ」
アルフレッドの声を先導にホゥリーとネイサンが、続いてシェインが背を向けて歩き始める。
一人、ムルグが飛び交う中佇むフィーナの頬にはいつの間にか涙が一筋、道を創っていた。




‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*‐*

空気が張り詰めているのがわかる。
闇がじわじわと足元を侵食し、そして隙あらば喰らいつこうと狙っている。
もう逃げ場はなかった。

恐怖が冷たくにじり寄り身体を支配する、身動きは取れない、もがこうと言う意思すら億劫に思えるほどその恐怖は強大であった。

目の前にいる男は、自分が近づいてはいけない男であったのだ、下手に利用してはいけない、危険な存在。
今、ようやくそのことに気がついた。
「オイ、なんで黙ってた?」
「ひぃっ!」
男の一挙一動がたまらなく恐ろしい、このままいっそ殺してくれればどんなに楽になれるか、しかし男はそれを許さなかった。
「答えろよ」
男には嘘をついた。
「かっ…金ならいくらでも…」
掠れた声で自らの命を請う、もしかしたら額によっては助かるのかもしれないと淡い期待を抱く。誰しも大金には目がくらむはずだ。
「なぜ、嘘ついた?」
男にはあの施設は法に従って誂えたもので決して違法のものではないと、嘘をついた。
たったそんな嘘で殺されるなんてばかげている、金さえ積めば見逃してもらえるだろう。
己の正当性を確乎たるものにするための、些細な虚偽は男の前に曝された。
「あんなもの、たったちっぽけな嘘だろう?それを許さないなどと…」
嘘を認めたと知られたのか、男は刀身の短い刀を構える。背筋に電流の如く戦慄が走った。
それは自分の命がもう少しで終えるという警告のようでもあった。
「いや!悪かった!この通りだ!いくら欲しい?なんでも好きなものを用意するぞ!?」
闇が、足を喰らう、呼吸さえも、ままならない。
「ンなもんいらねぇーなぁー…」

ヒュ…

それは、闇を切り払うかのような澄んだ刃音。
次の瞬間には品もなく血を腹部から噴出す男が、どしゃりと自らの血の海に沈んだ。

燃え盛るは栄華を極めたであろう豪奢な屋敷、目の前の男がここまでの財力を得るのに至るのにどれほどの時がかかったのか、苦労があったのか、フツノミタマは知らない。
その長い時が一瞬で脆く、炎に包まれ、逝く。
時折ガラガラと家屋が崩れる音を耳にしながらあの対峙を思う。

あれほどまで血が滾ったのはどれほど久々な事か。

決着がつかぬままここにいることがなんとも口惜しい。
フツノミタマはにやりと口元を上げて笑う。



「いつか、決着をつけようじゃないか――」





燃え盛る炎の背後に男が見るは異形の魔人――…




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