3.光と灯と闇


荒廃した大地に突き刺さる巨大な水晶。



『星詠みの石』はトラウムが発現する現象に深く関わりと持っているとされ、発せられている光がトラウムを発動するときに見られる光と同じ事から光の粒子は具現化する力を持ち、やや濁った内部には人々の深層心理に感応し、具現化粒子を常に発散できるほど膨大な魔力を秘めていると言う事が調査でわかった数少ない事実だった。

「すっげー!」
大地にめり込むあまりクレーターがドームのようになるまで盛り上がっている所為でシェインの声が良く響いた、
ドーム状になっている所為か日中の限られた僅かな時間しか日光が射さないが、『星詠みの石』自らが光を放つ所為か今も日光の代わりとばかりにドームの隅々までうっすらと光がいきわたっている、その光はトラウム発動時に見られる光と同じ輝きを発していた。
シェインははしゃいだ様子で『星詠みの石』の周りをぐるぐると回り、見上げては感嘆の息を漏らす。
残念な事に石の周りには注連縄のような厳重なロープが張られており、触れる事ができなかったがそんな厳ついロープがまた『星詠みの石』自身が放つ光と相俟って荘厳さを演出している。
ロープに寄りかかりながら出来うる限り『星詠みの石』を間近で見ようとしているフィーナも先程から目を輝かせては口元を緩めている。
「きれーい…」
フィーナの目には水晶内部のガスのように濁った部分が光に反射しキラキラと光っているのが映っている。
その隣でアルフレッドも正直に『星詠みの石』に感動を覚えた、少し離れた所で「これだから田舎者は…」などとブツブツ呟きながら『星詠みの石』など目もくれずちゃっかり地域限定のスナック菓子を頬張っているのはホゥリーである、疲れているのか岩場にどっかりと腰を下ろし、動く様子を見せない。
「村を出なければ知らなかったことだ」
世界にはフィーナがまだ知らない事がたくさんある、その中にフィーナの求める答えが眠っているのかもしれないのだ、それがいつか例えばこの『星詠みの石』を見たその瞬間の感動のように見つける事ができるかもしれないのだ。
両親やアルフレッドに言われ続けていた意味が解らなかったわけでは無い、しかし今ようやくその現実を体感したフィーナはアルフレッドを見上げ、そして『星詠みの石』を見つめ、僅かに目を潤ませながら頷いた。
「…うん、そうだね」
フィーナの注連縄を握っている手に力が篭る。風が彼女の髪を薙ぎ、そよ泳いだ。
「世界にはもっとたくさんの遺跡がある」
この『星詠みの石』のように荘厳な光をいまだ放つものもあれば、風と土に削がれながらも威風堂々と構えるものもある。
人々は時を越えてもなおその堂々とした姿に感服し、もがき抗う様に胸打たれるのだ、
遺跡はそうした人間たちに護られ生き永らえて先人達の歩んだ道を指し示すのだ。
その道のどこかにフィーナの歩める道が残されているのかもしれない。
アルフレッドの言葉で彼の方へフィーナは振り向く、僅かに何かを考えた後、フィーナは嬉しそうに笑った。
「これからこんな素敵なものにたくさん出会えるんだね、楽しみ」
騒動以来、初めて見せる朗らかな彼女の笑顔には先程までのような曇りは一点も見当たらない、そんな彼女の笑顔にアルフレッドはようやく落ち着いたかと内心安堵する。

「あれ?ネイサンは?」
下船してから彼の姿が見えない事を不思議に思ったフィーナが口走る、すると三人から離れていたホゥリーが菓子を口の頬張ったまま答えてくる。
「あのゴミ屋はジャンク漁りにゴーしちゃったよ」
半ば液化しているスナック菓子が発声の邪魔をし不快音を発している。ネイサンがこの言葉を聞けば「有価物!」と即座にどこからか駆け付け訂正に入るだろうが、それが起こらないという事はよほど遠く離れた所まで行っているらしい。
「見て見て!クラップから返信!」
いつの間にかシェインは自らのモバイルで『星詠みの石』を撮影し、クラップ宛に送信していたらしい、シェインがアルフレッドに見せたメール画面には酷くうらやましがっている、おちゃらけた彼らしい文体ではあったがひとまず一行が無事で安心している様子が書かれてあった。
シェインがそれに対する返信を打ち始めたのを横目にフィーナは再び『星詠みの石』を見上げほぅと息をつく、何度見てもその輝きは「綺麗」としか表現できなかった。

「ねぇ、ちょっといーい?」
軽いノリの、聞きなれない声にフィーナは驚く、見れば先程から同じく『星詠みの石』付近をうろついている少女がそこに立っていた。
黄色い塗料を頭から被りそれで光を模したかのような明るい髪をし、右側の高い位置で一つに結わえている、結わえている部分には金物の円形で細かい装飾が施された髪飾りがついていた。
それは刀の鍔であるのだが、フィーナはそれを知らなかった。
括られてゆるくウェーブのかかったその髪は肩を少し過ぎた所で終わっている。
スカーフを巻いた首からはカメラとレコーダーをかけ、豊かな胸の前に垂らしている、
活動的なハーフ丈のジーンズは年季が入っており、肩を露出したトップスは長袖を肘まで捲くっている。
右手にはペン、左手には分厚く使い古されたメモ、外見はフィーナとさほど変わらないがそれは明らかに記者の風貌であった。
フィーナが彼女の風貌をまじまじと見つめている隙に少女はくすんだ黄緑の目を爛々と光らせながらフィーナに詰め寄る。
「アタシ、フリージャーナリストのトリーシャ・ハウルノートと申します、ここへはこの『星詠みの石』の取材で来たんですけれどォ…」
「はぁ…」
息をもつかせぬ間でトリーシャと名乗った少女は自らを説明する、その声でフィーナの様子に気づいたのかアルフレッドとシェインが近寄ってくるが、二人ともトリーシャのマシンガントークを止められないらしく、頼りない動作を繰り返しながらフィーナの後ろに控えた。
「ご存知の通り、もうここって結構有名所で、今更記事にしても珍しくないんだよねー、どうしよっかな?なーんて思ってたらさ、さっきっからやたらこの石見て感動してる女の子がいるじゃないの!」
びしっとトリーシャが右手のペンで差し示した先にはフィーナがきょとんと突っ立っている。
話も動きも全てが大げさで慣れないフィーナはもうこの時点でついていけないでいた。
「この女の子にインタヴューして、この子視点の記事書きゃおもしろいんじゃん?って我ながらナイスアイディアを考え付いたわけなんですよ〜」
今更語尾を丁寧にした所でトリーシャの性格は単純に読み取れてしまう。
「アナタ、もしかして『石』を見るの初めて?」
「え…はい…」
そのままの勢いでなされた質問に取り付く暇もなくフィーナは正直に答える。
そのリアクションを見たトリーシャは満足そうに喜んでうずうずと身体を躍らせた。
「やっぱりね!『石を初めて見る乙女視点』!ん〜一気に燃えてきた!」
「あ、あの…」
「じゃ、どんどん聞くよ?お名前は?」
「フィーナ…」
フィーナの了承得る事無く既にインタヴューは始まっているらしい、
元来素直な性格であり人に気を使う事があるフィーナはそれ以上断りきれずトリーシャのノリに引っ張られるように応えてしまった。
トリーシャは胸から下げているレコーダーを録音モードにし、左手の古めかしいメモを広げ早速勝手に取材の準備を始める、
この行動力の早さが彼女が記者たる所以なのだろう。
「オッケーフィーナちゃんね、この『石』を初めて見ての感想は?」
「ええと…キラキラしててとても綺麗です」
「…それだけ?」
怪訝そうに催促されフィーナは慌てて『星詠みの石』を見上げて他に感じた事を思い出す。
「え?あ…なっ中の雲みたいなのがいろんな色にパチパチって変化してて不思議だなって…」
「あ、あれはね魔力の源らしくて、まだ解明されてないんだけど石部分よりあの光を発してるガスの方がトラウム発動に関わってるんじゃないか?って言われてんの、その証拠にトラウム所有者が石に触るとガスがその手に集って変化の色を更に鮮やかにさせるんだって、だからああして触れないようにしてるんだってさ」
この世界の人間であればほとんどの者がトラウムを所有している、そんな者たちがこぞって『星詠みの石』に触れ、ガスを変化させていたら確かに学者たちはそのうち起こるかもしれない変化におののくであろう、ただでさえ突き刺さっただけで島が枯渇したのだ、そのエネルギーはまさに諸刃の剣である、触らぬ神に祟りなし、だ。

一応記者なだけあってトリーシャの説明はわかりやすい、三人がなるほどと頷いているとトリーシャは更に質問を重ねた。
「この『石』について一通り知ってると思うから聞くけど、このドームの外の惨状、どう思う?」
この、と言いながらトリーシャは『星詠みの石』とその周りを覆う土壁を指す、人為的に作られた入口と天井の僅かな隙間は赤や青、それを交えた紫など多彩に染まりもうすぐ日が暮れる事を示す。
それを見ながらここに入る時に見てきた港町『フュエンテ』からの道のりを脳内で反芻する、それはこの綺麗な石がやったとは思えないほどの荒れようで岩と砂ばかりが目立つ大地であった。
そういえばとフィーナは先程から吸気と共に入ってくるのは故郷グリーニャのような緑に溢れた瑞々しい清涼な空気ではなく乾いた土の匂いばかりでざらついてることに気付く。
「酷いです…岩ばかりで埃っぽくて」
「そっか…うんうん」
自分の感じたままに述べた素直なフィーナの表現にトリーシャは頷きながら左手に持っているメモに書き込む、当然ながらメモの速さは尋常ではない。
「この『星詠みの石』が本当にできたのかと思ってしまいます」
「あらら…『星読みの石』は出来たんじゃなくて降って来たのよ」
「えっ、あ、そっか…そうじゃなくて…こうしてドーム状になってキラキラキレイなのに、一歩外に出たら埃っぽくて…」
「ああ、ギャップってことね、確かに石に見慣れて帰えろ〜って外出たら荒廃した風景、なんてびっくりしちゃうわよね〜」
フィーナの天然的な発言に苦笑しながらもトリーシャは真面目にメモしていく、そんな彼女に誤解を与えないようにとフィーナは懸命に言葉を選んでトリーシャに伝えようとしているが、そんな姿すらトリーシャには微笑ましかった。ちゃんと伝えられたかと不安になりながらフィーナはふいに上を見上げる。
「何にもなくて閉じ込められて『星詠みの石』が可哀想…」
この『星詠みの石』には自由がない、このドームはまるで檻のようで手前のロープは鎖のようでそれを擬人化して例えるとフィーナには『星詠みの石』が可哀想で仕方がないのだ。
「は?…あ…あはは、面白い感性してるねアナタ」
乾いた笑いでその場を取り繕うと懸命になっているトリーシャにフィーナは事もあろうか「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀まで返し、トリーシャはいよいよ答えに迷った。微笑ましい、が時にそれは恐ろしい武器となる。

「あーそう!そういえば後ろの二人は?」
助け舟とばかりにトリーシャは先程から二人の会話に口を挟む事ができずただ突っ立っているアルフレッドとシェインへ話題の矛先を向ける、話の流れに呆れていたアルフレッドは明らかに難色を示したがトリーシャもフィーナもそれを気にしていない様子だ。
「あ、アルフレッドとシェインって言って、一緒に旅をしてます」
「フム、旅の仲間…」
喋りながらも器用にメモを取っていく、おそらくそのメモには三人の名前がもう既に書かれているのであろう、アルフレッドはふいと横目でホゥリーを見ると彼は何袋目かわからないスナック菓子をポイ捨て、新たに袋を開けようとしているところだった、あとでゴミを拾って持ち帰らせようと心に決める。
「そっちの背の高い方は彼氏さん?」
「ええええ!」
こざっぱりとした物言いにアルフレッドは質問の答えは当たっているので無視するとして、流石にプライバシーへ侵害しすぎだと抗議しようと口を開いたが、それを遮るようにフィーナが驚きの声を上げる。
「どっ…どうしてわかったんですかっ?」
その目は驚きと興奮に充ち煌いている、トリーシャとしては単なる今までの経験から来る予測に過ぎなかったのだが、ここまで純粋に驚かれると悪い気はしない。
「そりゃーフリージャーナリストとしての観察力と経験の賜物ってやつよー」
実はフィーナの天然的な話題から逸れるための出任せであったが、運よく当たって機嫌よく大口を開けて笑うトリーシャの姿にフィーナは更に感心を寄せる。
その素直さにアルフレッドは溜息をつき、シェインはと言うとようやくフィーナの「『星詠みの石』が可哀想」という言葉の意味を理解したようだ。
「そーなんだーラヴラヴだね」
「将来、アルのお嫁さんになって約束を叶えるのが夢なんです」
「フッ…ブプー!!」
フィーナの爆弾発言にトリーシャは更に大笑いを重ね、アルフレッドは何も言えずただ右手を額に天を仰ぐ。
「ひー笑いすぎちゃった、ごめんねーぜひともその夢叶えてね」
「はいっ!」
トリーシャに応援されフィーナは笑顔でうなづく、まだ自分のとぼけた発言に気付いていないようだ、いや、このまま気付かせないでいたほうがもしかしたら良いのかもしれない。
ひとしきり笑いきったトリーシャが涙目を拭いながら再びペンとメモを取り始める。
「シェイン、少し席を外そう」
「え…えーと…あいよ」
アルフレッドはと言うともう勝手にしてくれとばかりにマシンガントークに最早ついていけなくなっているシェインを引き連れてその場から離れてしまった。

「ところでどうしてここに来たの?『三人で旅行』じゃさっき言った『旅』って言うのはおかしいよね?」
「…見聞を広めようと、村を出ることになって…」
鋭いトリーシャの、いつか来ると思っていた質問に対し、流石に答えに窮したのか、僅かな間を置いてフィーナはやや口調をトーンダウンさせて答える。
「ふーん、自分探しの旅かぁ青春だね」
フィーナの答えを勝手に自分なりに解釈したトリーシャはそれをもメモする、筆が乗ってきたらしくトリーシャは質問を止めメモに集中してしまった。
一人取り残されたフィーナは眉をしかめて複雑な表情を浮かべる。
「――あの人を殺さなかったら…こんな遠い所まで来てなかった…」
「…え?今なんて?」
フィーナの小さな呟きすら聞き逃さなかったトリーシャがすかさずメモをやめて質問してくる、その言葉にフィーナはしまったと目を見開いてそらしたがそれは既に遅かった。
「あの人を殺さなかったら、って今、言ったね?それってアナタがやったの?」
遠くから雰囲気が変わったのを察したアルフレッドとシェインが再び駆けつける、そこでトリーシャはフィーナに対して明らかに先程の質問とは度の違う熱の篭った質問攻めをしていた。
「ねぇ、ねぇ」と甲高くせがむ声ののち響いたのは――



「アナタ、人を殺したのね?」



途中で駆けつけた所為か話が見えない二人であったがようやくトリーシャのその言葉を聞いて状況を理解した、フィーナが自分の村で起こった事をうっかりこのジャーナリストに話してしまったのだろう。
この世の中において殺人は確かにモラルを問う行為だ、しかしそれを罰する法は無力でフィーナは他者に裁かれる事は無い、だがそれはあくまで『法』の話だ、『世論』は――違う。
「そっかー殺人やったら村にはいられないね、追い出されたんだ」
「――っ!」
トリーシャの脳内で選ばれる事なく口を出た言葉が三人を戦慄させる、とりわけフィーナの落ち込みは『星詠みの石』を間近で見て以来、僅かながらも浮上しかかっていた分深かった。
「これ以上フィー姉ちゃんをいじめるなよ!」
俯き硬直したフィーナを護る様にシェインが二人の間に割って入る。
シェインのその言い方が気に入らなかったのかトリーシャは明らかにむっとした表情で反論を返してきた。
「いじめてないって、ただ、殺人はいまや法で裁かれることがない、それっておかしいでしょ?なんであれ人の命を同等である同じ人間が奪っていいものじゃない、その人の、その人に関係する人の大切なものを奪ったやつがのうのうとしてるなんてアタシは許せないね、だからアタシなりに裁くんだ、このペンでね」
彼女はペンを掲げながら人を殺める事は許せない事、とフィーナと同じ事を口にする、その主張が同じでありながらも、一線を越えてしまった側であるフィーナとその一線を越えず自分の主張そのままに生きているトリーシャ、フィーナはトリーシャの正当な糾弾に事実を更に突きつけられて押し黙る。
(この人は私と違って真っ当に生きている――…)
元々ジャーナリスト故に弁の立つトリーシャに口で勝つのは不可能である、彼女に確乎たる信念があるのなら尚更だ、シェインは反論できずたじろぐがそれでもその場から離れる事はなかった。
「ご遺族に謝罪は?アナタのご両親はなんて言った?ねぇ、どうして?どういった経緯で?誰を殺したの?」
幼く背の低いシェインの頭に肘を乗せトリーシャはフィーナに身を乗り出して追求を続ける、その行動は彼女にとっては正論に乗っ取っているつもりなのだろうがもはや道徳的では無い、それまでフィーナの足元で様子を伺っていたムルグがトリーシャの図々しい態度に烈火のごとき怒りを覚えばさりと飛翔する。
「まずい!」
アルフレッドが天高く駆け上がったムルグを見上げ叫ぶが当の三人は事の事態の恐ろしさに気づかない。
やがて地上から十分な高度をとったムルグはそのまま急降下を始める、あの単純にして恐ろしく破壊力のある攻撃はアルフレッドも何度その身に喰らったか解らない、あわや致命傷になり命を落としそうになった事もあるのだ、そのときの記憶からかアルフレッドの顔色からは血の気が引いた。
このままムルグがトリーシャに攻撃を仕掛けようと降下すれば確かに威力は凄い、だが運よくトリーシャがそれを避けたらどうなるだろうか、同じくもみくちゃになっているシェインかフィーナに当たる可能性だってあるのだ、ムルグも頭に血が上っているのかその最悪の結果を考慮できないようだ。
そんなアルフレッドの真横から黒い物体が躍り出る、それは直線の軌跡をまとってトリーシャの目の前で花火のように広がり彼女をそのまま捕縛する、それは良く見れば細かい網状になっており、トリーシャとシェインがその状況に気付くや否やそれは思い切り引っ張られトリーシャはアルフレッドの方につんのめるようにして倒れこむ、ターゲットが倒れこんでもムルグは急には止まれない、「コカーッ」と慌てた声を出し目前にいるフィーナに忠告を促すが当の本人は外界から来る全てのものを遮断していた。
「コカカカカカカカカカカカ!」
可能な限り止ろうと必死になるムルグを他所に一番傍にいたシェインがフィーナに体当たりをし二人で倒れこむ、その瞬間二人の足元にドオンと言う轟音と共に砂煙を上げムルグが足場である岩を砕いた。
網を取ろうと四苦八苦しているトリーシャを避けアルフレッドは二人の所に駆け寄る、ムルグの上げた砂煙が喉や鼻に入らないように袖越しに呼吸をする。
「フィー!シェイン!大丈夫か?」
フィーナの腕を引き、立ち上がらせる横で口に入った砂を吐き出しながらシェインも立ち上がる。
「あー吃驚した!」
「フィー?」
クレーターの中に新たに小さなクレーターを作ったムルグを恐ろしそうに見るシェインを横目にアルフレッドはフィーナの様子を窺う、振り出しに戻るとはこう言う事だろう、ようやく見せるようになった笑顔がまた消え去ってしまったのだ、アルフレッドは虚空を見つめるフィーナを見、トリーシャに怒りを覚えるが務めて冷静にと自らに言い聞かせ振り返る。
「ちょっと!ネイト!なんてことすんの!」
網越しにトリーシャはいつの間にかいたネイサンに食って掛かっている、トリーシャに向けて発射された網はどうやらネイサンが放った物であったらしい。さらにトリーシャの文句から二人が顔見知りである事が伺える。
「いや、あのままだとトリーシャが怪我して危ないと思ってね…」
「だーかーらー怪我なら今ので十分したっての!」
ほらと彼女が見せる腕には赤く腫れた怪我にもなっていない摩擦痕が一つ、どうやら彼女を包んでいる網は引きずっても中のものが傷つかないつくりになっているらしい。
「ネイサン、知り合いか?」
アルフレッドの言葉に二人は振り返る。
「ああ、ほらリサイクル業にフリージャーナリストだろ?お互い各地転々としてるからたまに会うんだ」
「そーなの」
ニコニコと説明するネイサンに対してそれまで上機嫌に熱く語っていたトリーシャは不服そうな表情だ。
広い世界を転々として出会うのだからよほど強力な縁がある二人なのだろう、確かにお互い呼吸は上手く合っている。
「僕の連れにそういうのやめてくれないかな?」
「は?この三人ってアンタの連れぇ?!ちょっといつの間にどうなってるのよ?」
「そ、向こうでお菓子食べてる人もね」
「えええ〜…」
アルフレッド達三人が知り合いであるネイサンの連れである事と、ネイサンに指差されるままに見た不快感をその身体に宿したような男、ホゥリーを見て幻滅の声を上げる。
「さ、僕がいない間に何が起こったか第三者視点できっちり話してもらうよ、内容によっては許さないから」
「ええ〜ちょ…ちょっとぉ〜…」
ずりずりと網に捕らわれたままトリーシャはネイサンに引き連れられドーム唯一の出入り口から出て行ってしまった、
そろそろ日が暮れる事もあってか他にもちらほらといた観光客は今ではどこにもいない、
残されたアルフレッドはシェインと共に呆然と二人を見送る、事が済んだのを見計らってかホゥリーが動きにくそうに近づいてきた。
「やぁ〜チミたちファニーなモンをウォッチさせてもらったよ、もうエンド?」
「……」
最後まで他人気取りのホゥリーをシェインはぎっと睨みつけるがホゥリーは気にならない様子だ、確かに今までの経験が豊富なホゥリーが今更田舎を出たばかりの幼い少年に思い切り睨みつけられてもなんとも思わないのだろう。
「フィー」
「……」
アルフレッドがフィーナの肩を叩いて顔を覗き込む、焦点の合わない目は次第に現実に引き戻され、その瞳にはアルフレッドが映りこむ、映り込んだ自分の姿がどこかうつろに見えた。
「アル…」
夢から醒めた様なぼんやりした声が次第に掠れる。
フィーナの目からはぽたぽたと涙が零れ落ちていた。
「アル…私は…私の…した事は…」
「フィー、落ち着くんだ」
「私…あの人…」
アルフレッドの言葉が届かないのか、フィーナは単語をつらつらと並べ、ぽたぽたと涙を落とす。
トリーシャの、シェインへ言った言葉は確かに全うな人間なら誰でも思う感性の一つだ、意味の持たない法にはアルフレッドも憤っている、だが、あのようにただ攻め立てて良いとは思っていない、それは攻め立てるべき立場の人間が身内だからという甘えた考えではない、彼らもそして彼らを裁く者もまた同じ人間であるのだからだ。
「フィー、あれは行き過ぎた追求だ、気にするな」
「でも、トリーシャって人が言った事、正しいと思う、誰だってそうすると思う…」
アルフレッドが考えていた事にフィーナも気づいていた、相手の思考がわかっているからこそ尚混乱し、落胆しているのだろう。
「私は殺人者で、それはこの先どう償ってもその事実は変わらないんだね?」
「フィー…」
流石にかけるべき言葉が見つからなくなったアルフレッドはせめてもと彼女の名前を呼ぶ。
シェインも言葉が上手く見つからないのか俯いて拳を震わせていた、その足元ではムルグが心配そうにフィーナを見上げている、先程の凶暴性はどこへやらだ。
「…どうしたってあんな風に…たくさん質問されるんだね…」
殺人と言う最も彼女が気にしている過去を抉られたばかりかあの質問の量と速さも彼女に過剰なストレスを与えたらしい。
徐々にやってくる夜の黒に引きつられるかのように重くなった空気に誰もが沈黙する。
やがて暗くなった事に口をそろえたわけでもなく各々宿へ向かうためのろのろと歩き始める。
「メソメソするくらいなら殺らなきゃよかったジャーン?」
いやみったらしいホゥリーの言葉は小さな独り言であった分、尚更フィーナの心を深く抉った。
言葉とは、大量にある語彙の中から使う者によって選ばれ発せられ、そして他者へと伝えられる、その経緯の中で「選ぶ」というプロセスが抜ければ他者への気遣いを一切描いた言動、つまり「何気ない一言」になってしまう、そうした「何気ない一言」の方が語彙から選んで浴びせた罵倒より相手の心を抉ってしまうのだ、ホゥリーは運の悪い事に無意識にそれに長けている。
「――っ…」
歩きながら泣き出すフィーナの肩をアルフレッドは壊れないように抱いた、ムルグも空気が読めないわけではない、このときばかりは流石にフィーナに近づく悪い虫を歯痒そうに許容した。

とぼとぼと後ろを気にしながらも宿に戻るため先頭を行くシェインが道脇のとりわけ大きな岩に座り項垂れている二人組を見つける。
それは山吹色のツナギを来た二人組だった、シェインの次に二人に気づいたアルフレッドはおやと首をかしげ、ファースィー大陸から乗った船に彼らもまた乗り合わせていたのを思い出す、乗り合わせた船が一緒なら、多少疑問だが下船が同じであってもおかしくは無い、彼らもまた『グラウンド・ゼロ』へとやってきていたのだ。恐らく迷子のまま。

見覚えのある二人のうち片方は相変わらずジャラジャラとアクセサリを無節操に身につけ恐らく制服であろうツナギを上半身だけ脱いで腰元に巻いている。
それだけならまだどこか、例えば様々な人間が混在する都会でなら見かけるであろう、しかしそれ以上に目を惹くのはきちんとしていれば自慢にもなるであろう見事なブロンドの髪を勿体無い事に整髪料で固めているのか前方に数十センチほど飛び出している。
アクセサリの統一感のなさや髪型、制服の着こなし具合、どれをとってもセンスは最悪で一言で評すれば奇抜な格好である。
そんな奇抜な方に目を取られ存在感を見事消しているもう片方は制服を逆にきちんと着こなし、先の彼と比べれば見習えといいたいほど至って普通の青年だ、ただ地毛なのかと一瞬疑ってしまうほどの見事なまでに赤い髪はまるでその場に夕日がまだ残っているかのように、彼の存在をさり気なく主張していた。
赤髪の青年が隣の派手な格好をなんとも思っていない様子を見る限り、彼らのそれは日常であるらしい。
乗船中は見かけなかったサイドカーつきのオートバイを傍らに、揃って岩に座り込み地図を二枚広げてはくるくる回して見比べている、
まるで間違い探しをしているかのようだ、そんな様子を窺いながらシェインが通り過ぎ、アルフレッドもフィーナを連れ立って通りすぎようとした所で偶然二人の会話が耳に入ってしまった。

「だからどうするんだよ」
「あ、まてまて、よく見ろこことここの地形は同じだぞ」
「あ、てことは『フィガス・テクナー』はこっちの方か…?」
赤髪の青年が頑丈そうな鉄製のグローブをつけた右手で指差しながら顔を上げるとタイミングよく二人を窺っていたアルフレッドと目が合う、髪の色と同じ赤い目がアルフレッドを赤く映した。
「あ…」
「あ、すみません」
偶発的にだがアルフレッドを指してしまった人差し指をパタパタと振り青年は謝罪する、その表情はまさに困り果てているといった方が正しく、目が合ったのも何かの縁かとアルフレッドはそのまま途切れそうだった会話を続けた。

思えばこの時「気にするな」とただ一言言って去っても良かったと言うのに、なぜ声をかける気になってしまったのか。

「いや、道に迷ったのか?」
「あ…」
「やー全くその通りなんだよ!」
赤髪の青年が薄く驚き、どうしようかと考えあぐねる隙に隣の奇抜な青年がアルフレッドに親しそうに声をかけてくる、その割合大きな声で先を行くシェインが異変に気付いて振り返り、来た道をこちらに向かって戻ってくる、ホゥリーはと言えば道の反対側にすでに座り込み荒い呼吸を正していた。

「毎日毎日同じ事の繰り返し、誰しもが実行している日常をさ、逆らわずに続けてくってつまらないと思わないかい?俺サマたちもそうさ!だからいつもとちょっと違う道を通ったらこの通り…迷っちまった」
大げさに身振り手振りで話すが要するにただアルフレッドの問いかけに対して「YES」と言うだけだ、彼の話の長さに閉口していると赤髪の青年がそれをさえぎって話を続けた。
「まずはオレ達の説明をしてわかってもらうべきだ、解ってるのにどうしてそんなややこしくするかな…」
後半は呆れたように俯くが、すぐに立ち直ったらしく真正面にいるアルフレッドをまた見つめる、物怖じしないその目にはどこか憂いも見受けられたが、彼の過去を気にしていいほど親しい間柄ではないのでアルフレッドは意識的にそちらの好奇心を押しつぶした。
「ええと――オレ達、運送会社に勤めていて、手紙を届ける途中慣れない道を使ったものだから本社どころか町へすらも帰れなくなってしまったんです」
「その本社のある町は?」
地名を聞けば何かの役に立つだろうとアルフレッドは安直にその質問を繰り出す、二人は顔を見合わせ迷っている仕草を見せたがやがて恐る恐るその名を口にする。
「…『フィガス・テクナー』」
形の良い唇が「ア」の口径のまま止まってアルフレッド達の様子を窺う、その目は既に猜疑に満ち、全ての物を目の前で遮断するかのような目であった。
「…なにそれ?」
最初に反応したのはシェインだった、素直な性格からか思った事はすぐ口に出る、
この場合もそうだったが、それはある意味こちら側の言葉を代弁したとも言える。
シェインの疑問どおりアルフレッドもフィーナもその地名に心当たりはなかった、三人とも、特に外部へ進学したアルフレッド以外の二人は村以外の世界を知らない田舎者ではあるが基礎的な学問は身につけている、その中にももちろん世界地理が含まれており、基本的な地名は三人とも押さえている、が、それでも彼らの言う『フィガス・テクナー』という場所は知らない。ちらりと三人で後ろを振り返るといつの間にかまたどこからか取り出したかわからないスナック菓子を頬張っているホゥリーも肩をすくめて「知らない」というジェスチュアをした。
「小さい町か?」
「まっさかぁーどこへ行っても『フィガス・テクナー』って言えば大抵の人は知ってる、電子部品の開発研究が盛んな所だからな、知らないやつなんていないさ」
アルフレッドの質問を奇抜な青年の方が軽く一蹴する、電子部品と言う重要なものを開発している地域となればつまりは最先端、それなりに知名度はあるだろう、だが、アルフレッド達は知らない。
「じゃさ、ルナゲイトとかなら発展してるし、あそこらへんのどこかなんじゃない?」
幼いながらも精一杯の知識をフル稼働し、シェインが最も発展した地域の名を上げる、しかし逆に首をかしげたのは向こうの方だった。
「ルナゲイト?」
「船に乗る時から聞いてるけど、なんだその名前は?」
首をかしげる二人を見てフィーナがアルフレッドの袖口をきゅいとつまみ不安そうに見上げる。
「…アル」
フィーナが何を言いたいのかアルフレッドにはわかっていた、ルナゲイトと言えば彼らの言う『フィガス・テクナー』と同じでそれこそ知らないものなどどこかに生まれてすぐ閉じ込められてでもいない限りしらないはずのないこの世界の中枢である、それを彼らは二人とも知らないというのだ。
「この世界で一番発展してる場所だよ、さっき乗ってきた船だってそこに行く船だったんだから!なんでこんな辺鄙な島で降りちゃったのさ?」
どうやらシェインも彼らを船で見かけていたらしい、もっともらしい質問を投げかけるとツナギ姿の二人は困ったように眉をひそめた。
「…いや、単にここが終点だと思ったんだ…」
赤髪の方が答えにくそうにつぶやく、運送業者として道や方向に強くなくてはならない。にもかかわらず焦って先走りこんなところで降りてしまったのだ、それは彼ら二人も十分に反省していることだった。
「いやーあれはオレたちもうっかりだったよな!なんせ降りたとたん寂れた町見せられて、どこだここ!って聞こうにも怪しまれるし…」
「で、話しは戻るけどオレたちはルナゲイトなんていう名前の場所を…知らない」
話が長くなりそうな相方の声を遮って赤髪は真面目な顔つきでアルフレッドたちを見つめる、確かに嘘をついてないその目を見た彼らは思わず目を見張る。

――何かがおかしい――

まるでお互いの間に断層が深く刻み込まれているかのような感覚だ、赤髪の青年の遮断する目つきがよりそれを増徴させる。
「あーっ!ったく!迷ってからずっとこうなんだ、知らない人なんていない『フィガス・テクナー』の名前を出しても全員首をかしげるんだぜ、おかしいったらありゃしねぇ、なんだ?みんな揃って記憶喪失なのか?それとも新手のドッキリか?そりゃーいただけねぇや、オレ達たった二人のただの一般市民を脅かすだけにいくらカネかけてんだよ!」
絶望感を攻撃的に醸し出し、奇抜な方はアルフレッドの思考を遮るように言葉を吐くとやれやれと溜息をつく。
「まーったく、こんな手紙一通の所為で飛んだ目に遭っちまった」
「その手紙は?」
奇抜な青年が天に掲げた手紙をシェインが指差す、恐らくその手紙が先程『届ける途中』といっていた件の手紙なのだろう、奇抜な青年はシェインに向かってお、と呟くと目の前にその手紙を突きつけた。
すぐに視点を合わせる事ができずもたついたが、すぐにその表に書かれるべき物が書かれていない事に気付く、真っ白なのだ。
「真っ白なのに届けるの?」
「ばっか、違げーよ、届けらんねぇからこっちに届ける予定だったんだ、そしたら差出人のいる所すら解らない上、途中で迷子、しょーがねぇから会社に連絡取ろうとしてもできないわ、挙句戻ろうとしたらこの有様…」
「ね、運送業なのに手紙なんて届けるの?それは郵便屋の仕事じゃない?」
「あーなんでか荷物扱いなんだよ、まぁ来たからには手紙だろうが荷物と同じ「届けなくちゃならない物」だからなー」
発言が派手かと思えば派手なりに理屈を持っている、それは一種の屁理屈かもしれないがシェインはそれで納得してしまったのでそれ以上深く追求する気にはならず、「こっち」と言いながらくるりと上手い具合に手紙を回転させる。
シェインは、不機嫌な表情になりながらも今だ「トキハめ、帰ったら覚えてろよ」などとブツブツ言っている青年が持っている手紙の裏面にある差出人をまじまじと見た、こちらは表とは違いきちんと住所と名前が書かれていた。
「…マコシカ…?」
可愛らしい明らかに少女を連想させる文字を読み上げる。
「あのさ、『フィガス・テクナー』は知らないけどマコシカなら知ってるよ…?」
「ホントか?!」
一筋の光明が見えたかのようにシェインに向かって二人が身を乗り出す、二人の、しかも自分よりも体躯の良い男に迫られ嬉しいと思う男がどこにいるというのだろう、シェインは数歩後ろに下がって説明を続けた。
「古代民族『マコシカ』が今も住んでる場所で鎖国同然で女神の戒律を護ってるお堅い人たちが集まってる所、って習った」
村を出た事のないシェインがマコシカに行ったこと等あるはずもなく、もちろん彼の口から流れる情報はみな本から吸収したものだ、今の説明も先日習った教科書の丸写しである。
自らではなく他から手に入れた伝聞の信憑性の脆さはシェインの説明を聞いた二人の表情が良く説明している事だろう、次第に表情を曇らせて赤髪のほうがシェインと目線を合わせるため若干身を影めて丁寧に聞いた。
「そこって…どうやっていけるか知ってますか?」
「ううん、知らない」
シェインのはっきりとした答えに二人は項垂れる、だが遠くからそれを救うかのような声が聞こえてきた。
「マコシカにゴーするって?なんならボキがガイドしてあげようかぁ?」
相変わらずスナック菓子をほおばっているホゥリーである、赤髪のほうも奇抜な方も彼の発する不快さに顔をしかめるが、天の助けだ、はた目から見ても明らかに覚悟を決めた赤髪の方が立ちあがってホゥリーへ近づく。
「すみません、どうしても手紙を届けなければならないんです、連れて行ってもらえますか?」
律儀にも深く頭を垂れてホゥリーに頼み込む姿は仕事をこなすという責任感に溢れている、それに心を打たれてかどうかは知らないがホゥリーはアルフレッド達三人をちらりと見やる。
「どーせこのアフター、ホウェアに行くか決まってないんでショ?」
「あ、ああ」
ホゥリーが言っているのはここ『グラウンド・ゼロ』の次の目的地である、確かに次の目的地は彼の言うとおり定まってはいない、ちら、とアルフレッドは隣と言うより少し後ろにいるフィーナを見下ろす。
フィーナはアルフレッドが自分の言葉を待っているのだと気付き「あ」と小さくつぶやく。
「ホゥリーさん、この人たちが困ってるなら…私、『マコシカ』に行きたい」
フィーナがはっきりと意思を示した、アルフレッドは僅かに安堵しながらフィーナと考えが同じだとうなづいた。
「俺達も当てのない旅だ、『マコシカ』へ行こう」
「ほいほい、チミらがセイするんなら、『マコシカ』までゴーしてやろうかね」
巨体が肉を揺らして首を縦に振るのを間近で見た赤髪の青年はぱっと表情を明るくして深くお辞儀をする。
「ありがとうございます!助かった!手紙が最後の荷物だったんだ、これが届けられたらノルマは終わりだし、心置きなく『フィガス・テクナー』までゆっくり帰る事ができるよー」
赤髪の青年が頼み込んでいる最中は無関心を装っていたというのに自分にとって好機だと知るや否や奇抜な青年は手のひらを返したかのように親しそうに両手を振って喜びを見せる。
「いやー家に帰れないのは淋しいが、幼馴染と一緒だもんな、見知らぬ土地に長時間いても安心でき――」
「こら、こうなった以上、一緒に行く仲間なんだ、オレ達の事を説明するのが先だろう?――失礼しました、僕はニコラス・ヴィントミューレ、運送会社アルバトロスカンパニー社員です」
前半はもちろん連れの奇抜な青年へ向けて、後半は目の前にいるアルフレッドとまだぼんやりしているフィーナや更に少し離れたところにいるホゥリーやシェインにも聞こえるようにはっきりとした声で赤髪の青年、ニコラスは丁寧に自己紹介した、この物言いや先程までの言動から彼が真面目で分別ある人間だと解る。
「ああ、そうだな、俺サマはプログレッシブ・ダイナソー、同じくアルバトロスカンパニーに勤めている」
「こら、嘘つくな、お前はサムだろう?すみません、本当はサム・デーヴィスと言います」
「そんな凡庸な名前は捨てたね」
「帰ったらおじさんとおばさんに言ってやるよ」
「へぇ、そんな事言うんだニ・コ・ちゃ・ん」
「てめぇ!!」
「ほらニコちゃん、人前人前」
「…っ!後で覚えていろ…!」
仕事と言う重圧から少しでも逃れられた所為かそれまで見せなかったやり取りを見せる、どうやら幼馴染らしいがその親しさは何でも遠慮なく言い合えるほど深いものらしい。
そんな二人のじゃれ合いにも見えるやり取りを見ながらフィーナはほぅと息をつく、何か愉快なのだろう、口元にはうっすら笑みがこぼれている。
「大丈夫か?」
様子を窺うアルフレッドにフィーナは慌てて首を横に振る。
「あ、ううん、ちょっとうらやましいだけだよ」
苦笑しながら呟くフィーナだが、村は小さく、同じ年頃の同性のいなかったフィーナにとって幼馴染とは一種の憧れなのだろう、アルフレッドにクラップがいる事を酷くうらやましがられた記憶もある。
そんな彼女が同性の友人に憧れるあまり知人の伝で知り合った遠方の少女と文通をしていた事をアルフレッドは思い出す。
「旅をしてるんだから、いつか会いにいけるぞ」
「……!」
今も続いている文通相手の少女に、期待を与えるとフィーナは驚いたように目を見開き輝かせる。
「っ…うん!」
この偶然の出会いが彼女をまた再び罪の深淵から救い出した。




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