4.それは月より冷たく


次なる目的地『マコシカ』のある『アクパシャ保護区』へここから真っ直ぐ船で向かう事が出来ない、
そもそも『アクパシャ保護区』に港がないので陸路での進入となる。
まず大陸で繋がっている『ミキストリ地方』まで船で向かい、そこから『マコシカ』が唯一交易を行っている『ベルフェル』へ向かってようやく辿り着く、
その長い道のりを聞かされた一行は肩を落とす、気持ちは既に海上であるが肝心のその海上へ出るまで朝日を待たなければならない。
アルフレッド達四人と一匹は一時的とは言え新たな仲間であるニコラスとデーヴィスを連れて『グラウンド・ゼロ』唯一の村『フュエンテ』で取った宿の一室に集まっていた。
やはり観光地なのであろう宿のデザインは凝っており、この最上階にある八人部屋は入ってすぐのところに割りと広い一室があり
そこから奥へ四部屋のベッドルームへいく鍵のついたドアが四つ並んでいる。
各々男性陣は二人ずつ組んで三部屋に分かれて寝ることになり女性であるフィーナはムルグと一緒に残りの一部屋を陣取っていたが、
ホゥリーの気の長くなる『マコシカ』までの道のりを聞かせられ、各々げんなりとした様子で部屋へと戻っていった。
全員疲れが出ていたのだろう、物音が少ししたかと思うとあっという間に静かになった、寝静まった静寂さだ。
しかし、一人、着替える事もせず中央の部屋でソファに座っているアルフレッドの表情は険しい。
時計が十二時を告げた頃、恐らく帰ってくるであろうネイサンと同室であったホゥリーが欠伸をしながらのんびりと部屋から出てきた。
「おや、まだウェイクアップしてられたの」
明らかにアルフレッドを馬鹿にした物言いだが、他の面子と比べての発言であるなら確かに感心すべき事である。
「殺気が酷くなってきてるからな、迂闊に眠るなんて事は出来ない」
「まーそうだろうとシンクして、ボキは今までゆっくりスリープさせてもらったけどね〜いや、ヤングっていいね!ちょっと無茶してもウェイクアップしていられてねぇ」
ふふんと笑いながらどっかとアルフレッドの向かい側のソファに深くその丸い体型を沈みこませるように座る。
彼もまた外からの殺気に気づいていたが、アルフレッドが深夜になるにつれ睡魔とも闘うだろうと予期してか今まで仮眠を取り、
いざと言うとき動けるように万全の体制を整えていたのだ。
その彼の読みがアルフレッドをより意固地にさせた。
「まぁ二人でウェイトしようじゃないか」
親しそうに手にはいつの間にかスナック菓子、どうしてどこからどうやって出てくるのだろうか聞きたくとも聞けなかった。
そのスナック菓子がジャクジャクと音を立て次々とホゥリーの口の中へ消えていく様子をしばらく眺めていたが、
すぐに気持ち悪くなり視線をそらす、はっきり言ってこの状態で一夜を明かすのは精神衛生上非常によろしくない。

顔にこそ出さないものの内心この間を取り繕ってくれる誰かを呼んでいたアルフレッドだが、それに呼応してかタイミングよくドアが二箇所から開いた
片方はベッドルームの一つへ続く一枚、もう片方はこの部屋自体の入口である一枚であった。
ベッドルームから出てきたのは赤髪のニコラス、リラックスしたいのかツナギの上部分をプログレッシブ・ダイナソーと同様脱いで
インナーである白いシャツが露わになっていた。
その反対側、廊下からドアを開けたのは今までどこに行っていたのか行方のわからなかったネイサン、一緒にいなくなったトリーシャの姿はなく、
何が起こったのか聞くのも遠慮してしまうほど衣服や髪型が乱れていた、よほど盛大に取っ組み合いでもしたのだろうと単純に結論を出す。
このタイミングで全員が「あ」と呟いたのは言うまでもなく、ネイサンが「ただいま」といい咳払いをして襟元を正しながらドアを閉め手ごろな椅子に座った。
「いつの間にか増えてるけどこの人は?…」
「こんばんは、ニコラス・ヴィントミューレと言います、運送業者なんですが事情があって…えとしばらくこちらに同行させてもらうことになりました、よろしくお願いします」
「事情?」
自分がいない間にいつの間にか一変している状況に不快感を表さずあくまで好奇心のみで質問してくる、
敵意のないネイサンの態度にいくらか警戒心を解いたニコラスはベットルームへのドアを閉めて一番近くにあったソファに座った。
「えと…実は盛大に迷子になって住んでいた町に帰る事ができないんです、最後の荷物の届け先ならこちらのホゥリーさんが知ってるというので案内してもらう事になったんです」
「そういう事で明日には『マコシカ』に向けて出発する、ついてくるか?」
ニコラスたちによって決まった次なる目的地をアルフレッドが示すとネイサンはぱあと笑顔を作った。
「もちろんだよ!だってあんな閉鎖的で滅多によそ者が入る事の出来ない『マコシカ』に行けるんだろう?うわーどんな有価物が眠ってるんだろうー!行きたい行きたい!」
夜中だというのに周りの事も考えずはしゃいだ声を上げる、ネイサンの基準は常に「そこに有価物があるかないか」であるらしい、
ある意味解りやすいが単純すぎる、しかしネイサンもまだついてくる事が決まりアルフレッドは少なからず安心した、
フツノミタマがいつやってくるかも解らない今、戦力は少しでもあったほうが正直助かる。
ここ最近、彼と一緒に行動することによりネイサンの人となりが良く解った、
有価物関連の人格はこの際棚に上げておいても彼はいい人間だとアルフレッドは彼を信頼し始めていた。
「じゃ僕も一緒って事で、僕はネイサン・ファーブル、よろしくね」
「はい、こちらこそ、あともう一人幼馴染がいますけど…あとで紹介します」
ちら、と自分が出てきた部屋のドアに視線を投げる、どうやらこの時間に見合うようぐっすりと就寝しているらしい、
恐縮しながらもニコラスはネイサンと互いに握手を交わす。
それを見届けてからさてどうするかとアルフレッドが発言しようとした矢先であった。

「カムヒアしたネ」

それまで彼らに関与せずにいたホゥリーが雰囲気をぶち壊すように呟く、そのタイミングの悪さに腹を立てる暇などなく
階下から夜中とはとても思えない騒々しい物音を三人は聞きつけた。
複数の足音は無遠慮に深夜に木霊する、昼と夜は同じ条件の世界であるというのに太陽が出ていないというだけで夜の方がより喧しく響くのは
空気さえも眠りについているからであろうか。
不思議な錯覚を覚えながらアルフレッドは複数の足音を聞き戸惑いながらホゥリーを見る、
フツノミタマなら恐らく単独だろうし何よりこれほどまでに音を立てるはずがない、この騒々しい物音の正体たちの目的が図れないのだ、
和気藹々と握手を交わしたニコラスとネイサンは状況が理解できていないのか身構えるアルフレッドやホゥリーを見習って
同じく警戒心を露わにドアの外へと視線を移す。
荒々しい複数の足音はそれだけで全員が男だと知れ、それはだんだんとこちらにも近づいてきた、
誰かを探しているらしく他の客の部屋を乱暴に開けてよく聞き取れない大声で何か言っているのがかすかに聞こえ、
それに加わるようにたまに客の悲鳴らしき声を聞こえてきた。
「そろそろ来るかなぁー?」
来訪者がドアを開けているのなら、ホゥリーの言うとおりもうそろそろこの部屋にも彼らはやってくる、
おそらく関係は無いのだろうが客の悲鳴を聞く限りただではすまない雰囲気に自然と身構える体勢を維持してしまう。
「ここかぁゴルァ!」
これで彼らにとって何部屋目になるのだろうか、安っぽい木のドアを蹴破り複数の男達が廊下から侵入して来た、
揃いの服装はどれをとってもくたびれておりここしばらく着の身着のままであった事が容易にわかる、
汗による異臭こそ少ないがずっと見ていたいものではない。
アルフレッドはドアを蹴破ってきた男やその後ろに控えている他のメンバーに見覚えがある事にきづく、
それは酷く曖昧で自信はないが、どこで見たかを必死になって記憶を探って思い出そうとする。
「――…!」
懐かしき故郷、グリーニャ、思い出したくもないあの日、夜闇、それとセットになって彼らの顔を徐々に思い出す。

――スマウグ総業に乗り込んだときに見た顔ぶれだ――

あの夜に視界の端に流れていってしまった顔がいくつもある、よくすれ違っただけで思い出せたものだとアルフレッドは自分の記憶力に感心した。
それと同時に彼らがスマウグの残党ならば目的は当然自分たちである、フツノミタマ以外にも懸念すべき存在があった事に気づけなかったアルフレッドは内心歯噛みする、そして彼らの顔に見覚えがあるだけならばまだしも彼らが放つ狂気にも似た殺気にも身に覚えがあった。
やがてその殺気にも心当たりを突き止めたアルフレッドは大きく溜息をついて僅か前方でのらりくらりと構えているのか良く解らないホゥリーに思わず呟く。
「俺は浅はかだ、裏で有名なフツノミタマが船での様なあんな解りやすい殺気を込めているはずがない」
「へっへっ…だからチミはグリーンボーイなんだよ」
自らの過剰な自信が真実を曇らせたのだ、そしてその事をホゥリーはとうに気付いていた、
思い返せば彼は船の上でもアルフレッドの発言に肯定はしていない。
外見も内面も人としてどうかと思う人物であるが確かに戦う事となれば村から雇われたなだけに非常に頼りがいがある。
「無職になった恨みィーっ!」
「思い知れぇぃっ!!」
口々に自分の恨みつらみを纏まりなく言うので全てを聞き取る事は皆無だ
しかし断片的には誰かが八つ当たりのようにそう言っているのがかろうじて聞き取れた。
「え…それってまず職業案内所に行くべきじゃないのか?」
会社が倒産し、原因である人間を襲うのとは逆に、社会人としてまっとうに仕事をこなしているニコラスから暗に働けよと言った正論が飛ぶ、
大して大きな声ではなかったが残党たちの心には酷く響いたようである、神経を逆なでしたとも言うが。
「う…うるせぇ!」
「見覚えは無いがカクゴしろ!!」
スマウグ総業倒産に関わっていないが、火に油を注いだニコラスも哀れ彼ら残党の標的となってしまった。
ドアから入ってきているのはほんの六人ほどであるが廊下から聞こえてくる野次からすると全員で二十人ほどはいるだろう、
会社がつぶれた、なら原因に怒りをぶつけようなどと言う短絡的な思考でこれほど短気な連中ならば次の就職先も危ういものだ。
ドアでもみくちゃになりながらも割合広い室内にぞろぞろと残党達が侵入してくる、元々公式な試合でもなんでもないただの殴り込みであるので
開始のホイッスルは鳴らないまま先頭の数名はアルフレッド達に真正面から突進を仕掛けてきた。策も何もないにも程がある。
アルフレッド達も襲撃された以上策などなかったが一人ひとりの能力値が彼らとは桁違いである。
得意の体術を駆使したアルフレッドが急所に的確に拳を打ち込んでは相手を再起不能に陥らせる傍ら、
ホゥリーも太鼓腹をリズミカルに叩いて揺らしてはスナック菓子を片手にまるで赤子の手をひねるかのように残党を焼き殺し、あるいは氷で刺し貫いている。

「このぉ!」
「くらえっ!必殺『芝焼きブラスター』!!」
向かってくる残党にネイサンが嬉々としてスプレーを発射する、見た目はただの女性用整髪料のスプレー缶であるが
噴出してきたのは霧状の液体ではなく見るも見事な真っ赤な炎であった、否、正確に言えばスプレー自体はそのまま霧を霧散している、
すぐ手前にすえつけられたライターの僅かな炎がスプレーの霧を受けて盛大な炎へと変化したのである。
「やーこれやってみるの夢だったんだよね」
相手の顔面を判別不可能になるまで焼き尽くした所で元々ごみであったライターのオイルが底を尽き、
もう二度と使用することはライターを入れ替えない限り無理であったがネイサンの表情は満足そうな笑顔であった。

最初こそ二十人と読んでいたが少し読み違えたらしくまだまだぞろぞろと壊れたドアから残党がやってくる、
これだけ無能な社員を抱えた会社だ、アルフレッド達が関与せずともいつかはつぶれただろうとしか思えない。
そんな残党どもに囲まれていたアルフレッドであったが、ふと失念していた事を思い出す、他でもないニコラスのことだ。
彼とは半日ほど前に会ったばかりでこういった状況になるかもしれないとは説明していなかった、
つまり逆に「危険な目にあった」と罵られはしないかという事とこういった乱闘には無縁で部屋の片隅でノックアウトされているかもしれないという事、
二つの可能性が予想される。
「すみません!お待たせしました!」
「なっ…!」
不安に駆られたアルフレッドが見たのは予想を裏切る手際のよさで残党と応戦するニコラスの姿であった、
彼はいつの間にか外に出ていたらしく、廊下から光線とともに壁を破壊してまるで仕事の時さながらな口調で謝罪しながら再び舞い戻ってきていた。
その表情はすがすがしい営業スマイルだ。
自分にも向かってくる敵を蹴り倒しながらも安堵の息を漏らしたアルフレッドであったが、すぐにニコラスが手にしている武器に目を奪われる。
それはとても大きいバズーカでニコラスはこれを取りに姿を消していたのであろう。
全体は白く光を帯び、室内であるのでやや威力を制限した光が広い口径から放出されている、かと言って建物が壊れないわけではなく、
ホゥリーの魔法同様にいくらか使い古したその宿屋に立派な風穴を開けるのに貢献している。
その青とも橙ともつかない、それらの色すら飲み込むほど眩い光を食らえば焼け爛れたような傷を負うようで
辺りには見るもエグイ火傷を負った残党がちらほらと見える。
バズーカの本体をよく見ればそのパーツ一つ一つに見覚えがあった、
ややあってそれが道すがら彼が転がしていたバイクにでも見た事のあるパーツである事を思い出す。
トラウムは既存する物が武器化したような形状を持つ事が多いが、このバズーカは恐らくバイクからの変形した形なのだろう、
トラウムに変形する能力は確認されていないのでニコラスの駆使しているバズーカはトラウムとは思えない。
そんな頼もしくもあるが不思議な大型武器が振るわれた所為か、あっという間に四十人ほどいた残党が地べたに這い蹲りうめき声を上げる、
その姿は見て愉快な光景ではなく全員男と言う点で酷く不快である。
「ひぃふぅ…えー四十六人?!ねぇ、これってどうしたんだよ?なにがあったんだよ?」
彼らを見下しながら全員荒れた息を整える、この人数を僅か四人で返り討ちにしたのだ、息が上がらないほうがおかしい、
途中から流石に騒ぎを聞きつけて起きたシェインも戦闘に参加していたが、宿の一室と言う場所柄、
仮に彼のトラウム『ビルバンガーT』を発動したとしよう、全長数十メートルの機体は残党どころか宿さえも風穴を開けるどころか粉々にしかねない、
仕方無しにシェインは強力なトラウム発動を控え、訳も解らぬまま悪戯のように相手を転ばす事が精々の地味な攻撃に徹しており、
それがひと段落すると首をかしげながら無駄に倒れた男達の数を数え、その場にいる年長者たちに事情を窺う。
「ふー…ついさっきね、スマウグ総業の残党が襲ってきたんだ」
「スマウグの―…!」
ネイサンの説明にシェインは驚きながら既に動かなくなった残党が寝転がる床を見下ろした、
そこにはフィーナが何を悩んでいるのかというくらい多くの人間が血を流し、無造作に転がっては息絶えている。
これは全てアルフレッド達がやった事なのだ。そして自分も少なからず加担した。
初めて間近に見る物言わぬ物体にシェインは表情を強張らせ後退し一番近くにいるネイサンへ近づく。
「さっきまであんな元気だったのに」
「だっ…だって…」
悲惨な現実を急に突きつけられたシェインの身体は微かに震えていた、それまでまるでゲームのように味方を応援し、
自分が戦えない事にヤキモキしていた様子からの豹変にネイサンはふぅと溜息をつく。
シェインとて、まさか自分が足を踏み入れている世界がこれほどまで気持ちの悪いものだとは思ってもいなかったのだ、
不潔だと、あってはならないと、村へ逃げ戻れと本能が揺さぶり起こす。
「大丈夫、その内なんともなくなるよ」
「――え…?」
「だってそれがこの世界だから」
法が力を持たない、強さこそが全ての世界、複雑そうな表情でネイサンは微笑い、シェインは戸惑う。
辺りを見回せば「勝者」であるアルフレッドやニコラス、そしてホゥリーが血まみれになりながら各々残党を見下ろしながら立っていた。
これが自らの望んだ結果なのだ、仲間が無事でいてくれて嬉しい、だが――
「シェイン!」
ネイサンの横で蹲るシェインに気付いたアルフレッドが駆け寄る、シェインはいくらか咳き込んだ後、
胃の中にあるものを逆流させ濁った生成りの液体がどろりと床に沁みこんでいく。
アルフレッドは心配そうに背中をさすりシェインの様子を窺うが嘔吐により顔から血の気が引き真っ青になっている彼を見て苦々しく顔を歪ませる。
「シェイン君、キミはフィーちゃんみたく悩んでる暇は無いよ、頑張って?」
まだ見ぬ世界への好奇心半分で付いてきたシェインにはあまりにも過酷な世界、だがそれを「見たい」と選んだシェインに拒否権は無い、
楽しいばかりが旅では無い現実が、少し遅れてシェインにもやってきた。
ネイサンもシェインとアルフレッドの傍に屈みこみ、いつの間にかニコラスも近づいていた、
ネイサンがフィーナを話題に出しアルフレッドはハッとして部屋を見渡すとそれぞれの寝室へ繋がる扉は一枚を残して全て開ききっている、
アルフレッド、ニコラス、ホゥリー、ネイサン、シェインはこの場にいる、やはりフィーナとムルグ、それとデーヴィスの姿だけが見当たらなかった。
「フィー?」
不自然に残された一枚の扉、フィーナはその扉の奥の部屋で眠っているはずだ、だがこれほどまでの騒ぎで起きないほど彼女の眠りは深くは無い、
フィーナならばあの性格上隠れるなどという事はせず、シェインのように気付いて真っ先に部屋から出てくるはずだろう、
たとえ足手まといと解っていようとも逃げる事はしないはずだ。
「――!フィー!!」
ある可能性に気付いたアルフレッドが顔を一瞬のうちに青ざめさせてフィーナの部屋に飛び込む、
残るメンバーはアルフレッドの鬼気迫る奇行に驚きながらも後に続いた。
「あ!」
その光景を目の当たりにし、一番に声を上げたのはシェインだった。
ネイサンやニコラスもはっと息を呑む。
彼らの視線の先はドアを蹴破り中に入ったアルフレッドの後姿、
それよりも前に広がる狭い室内には元々寝ることだけが目的の部屋なので物は少なく、乱暴に肌蹴たベッド、
すぐ上にある窓は外側から割られたのか枕元にはガラスの破片が夜闇を反射している。
そのガラスの破片を遮るように窓の前にいるのは黒髪をオールバックに整えた男、顔面には大きな傷跡がナナメに走っている。
左腕は怪我をしているかのように三角巾で釣っており、右腕には手足を拘束され自由を奪われたフィーナがくたりと男に身を預けていた、
暗がりで安否は良く解らない。
「フツノミタマ…!」
アルフレッドが懇親の怒りを込めてその名を呼ぶ、フツノミタマはニィと笑って白い歯をちらりと見せた。
「遅かったじゃねぇか」
雰囲気こそ恐ろしく鋭いが、口を開けば軽そうなチンピラのノリでどちらが彼の本性なのか判断しにくい。
フツノミタマはぐいとフィーナを引っ張り上げ軽々と自らの肩に担ぎ上げた、それを見てアルフレッドは更に一歩前へと進む。
「フィーは…フィーを離せ!」
「付いてきたら返してやんよ!」
激昂するアルフレッドをフツノミタマは一蹴し、ふいと後ろを向いて窓から飛び出す、
この部屋は最上階にあるのでこの窓からそのまま斜になっている屋根へ出られる設計になっている、
フツノミタマはその屋根へと出て行ったのだ、アルフレッドも迷わず窓から屋根へ降り立ち上を見上げた。
そこにはやや傾いた月明かりが逆光となりフツノミタマを照らす、彼の肩に担がれたフィーナも同様だ。
遠目からであるのでフィーナがただ気絶しているだけなのかアルフレッドには判断がつけられないでいた。
「安心しな、気絶してるだけだ」
アルフレッドの気持ちを読んだかのようにタイミングよくフツノミタマはフィーナの無事を知らせる、
挑発するかのように欠伸を交えながらフツノミタマはアルフレッドを見下す。
フツノミタマはアルフレッドが出てきたことによりフィーナを屋根の上へ下ろすとちょいちょいと掌を上に、指を立てて手招きをするジェスチュアをした。
「いつぞやの続きだ」
「望む所だ…!」
一足飛びにアルフレッドはフツノミタマへ殴りかかる、一気に縮まった間合いでアルフレッドはようやく繋がった一連の事情をフツノミタマに話した。
「お前があの残党を炊きつけて俺たちに差し向けたんだな?」
アルフレッドの拳を避け、数歩下がって体勢を低くしたフツノミタマは長い足で足払いをかける、
不安定な屋根の上においてバランスを崩される事は致命的だ。
右足のバランスが崩れそのまま屋根を転がる所を、右手を支えにばく転する形で体勢を立て直す。
「やつらで俺達を引きつけてる隙にフィーナを狙った」
立て直した体勢からフツノミタマの間合いに入り拳を繰り出すが全て受け流される、伊達にその道で有名な人物、
一度手合わせしているものの先程までの残党とは大いに違った。
「違うのか?」
「いやぁ全く大正解だ」
花丸代わりにフツノミタマの武器であるドスの刃が飛んできたがアルフレッドはそれを後退することによって避ける、
おかげで当たりはしなかったが間合いが開いてしまった。
「あいつらにな、言ってやったんだよ『社長の敵を討て』ってな」
「なんだそれは?」
会社が潰れた八つ当たりであるならアルフレッドも心当たりがある、そう言いかけてフツノミタマが残党たちをそそのかした内容を理解した。

「お前、まさか――!」

「ああ、あいつ等は新聞で騒がれてる社長殺害の犯人はお前等だと思っている、真犯人に見事言いくるめられてな」
新聞では殺害犯は不明とされている、どうやって言いくるめたのかにやりと不敵な笑みでついでとばかりにスマウグ社長殺害を実行した事を告げる。
その表情はどこまでもアルフレッドとは相容れなさそうな裏で生きた者の笑いであった。
月明かりの中、おしゃべりはここまでだとばかりにフツノミタマは愛用のドスを右手に持ち、再び間合いを詰めアルフレッドを攻撃してくる。
急な角度である屋根は足場としては向いておらず、バランスをとりながらの戦いはどうしても集中が出来ない、
実際こうした足場の悪い場所で戦う事ははじめてであった、
しかしそれ以上に怒りがある、フィーナをまんまと連れ浚われた事、そして残党でどうしようもない連中とは言え
隙を作るために嘘を吹き込み非情にも捨て駒として使った事、それが許せなかったのだ、百歩譲ってこちらに隙を作るのならば
なにも残党四十六人を捨て駒にせずともいくらでも手段はあったはずである。
「おおおおお…!!」
気合で徐々に激化していく戦闘はもはや誰にも止められない、まるであの日のようである。
アルフレッドに切り傷が増えるのと同時にフツノミタマにも痣が増えていく、どちらがどれほど攻撃を当てたかは最早問題では無い、
欲しいのは相手を倒したという事実唯一つである。
時折きらりと光る銀貨にフツノミタマは目を奪われながら、息は上がりながらも余裕の笑みを浮かべアルフレッドを挑発する。
「なぁこの前のスゲーヤツ、なんてったっけ?あれにはなんねぇのか?」
「…何度も言っただろう?無駄だってな!」
拳に血を纏わせながらアルフレッドは『グラウエンヘルツ』への変身を否定する、
するとフツノミタマはがっかりしたように一旦しぶりを切って大げさに溜息をついた。
「なぁんだ、そりゃ残念だ、アレに勝ってこそオレの勝ちだと思ってるんだがな」
最強の切り札、それを出さず仕舞いの、実力の全てを注ぎきっていない状態のアルフレッドに勝っても
それはフツノミタマにとっての真の勝利では無いらしい、確かに逆の立場であればアルフレッドもヤキモキし、心残りが生まれる事になるだろう。
「残念だな、猫は気まぐれな生き物だ」
「手懐けろよな?飼い主サンよぉ」
ヒートアップしていく戦闘になじり合いも加わってきた。アルフレッドはドスに切られて出血した頬傷を拭い再び姿勢を落とす。
「オラァ!とっとと化けやがれ!化け物が!」
『グラウエンヘルツ』を発動しないままでいるアルフレッドに業を煮やしたのかフツノミタマの言動に余裕がなくなってくる、
その分攻撃の早さも重さも増し、アルフレッドを傷つけていった。
「言ってるだろう?あれは俺の意思で発動するものじゃない」
「うるせぇよ、ならなんであの時あのタイミングで化けたんだ?お前の意思が関係しているからじゃないのか?ああン?」
フツノミタマの右手にあるドスからの攻撃はアルフレッドの左半身に集中していた、今もまた刃先が左腕の袖口をかすめる。
「偶然だ」
「信じられっかよ!」
あくまで冷静に、フツノミタマに説明しようとするアルフレッドであったが、適切な語彙を考えるあまり戦闘が疎かになる
、根本的にフツノミタマはアルフレッドの説明を聞き入れようとはしてくれないのだから説得は最初から無理なのである。
三角巾で固定している所為かどうしても動きが鈍く、反応の遅いフツノミタマの左腕を蹴り上げアルフレッドは説得を諦め攻撃に集中する。
アルフレッドの気迫が変わった事を感じ取ったのかフツノミタマも右手だけではなく蹴り技も繰り出してくる、
真っ直ぐに伸びてくる太刀筋を冷静に見極めながらそれを払い、攻撃へと転じる。
しかしフツノミタマも馬鹿ではなく、転じた攻撃を軽々と避けてまた攻撃を繰り返す、怒りと怒りのぶつかり合いは平行線を辿り、
ただお互い怪我の箇所を増やすだけであった。
「テメェ…!俺を馬鹿にしているな?!」
アルフレッドがアルフレッドのまま、フツノミタマと手合わせしてどれほど時間が経ったのか、
フツノミタマはいい加減に『グラウエンヘルツ』へと変化をしないアルフレッドが自分を見下しているのではないかと疑心暗鬼に陥る、
こうなると人は人の話がその耳に、脳に、届かなくなる。
結果、何をするか予測がつけにくくもなるのだ。
「そうかよ…」
「?」
突然、ぴたりと攻撃どころか自身が動く事すら止め、立ち止まる、そんなフツノミタマの様子の可笑しさに気付いたアルフレッドも
用心してその場から警戒するように彼を見つめた。
いつでも飛びかかれるようにと重心を低く安定した体勢で構えているアルフレッドに対してフツノミタマはどこか余裕を持ち、
肩に力はなく棒立ちに突っ立っている、ドスも右手から今にも零れ落ちそうなほどゆるりと握られている。
フツノミタマはゆるりと緩慢な動作で宿屋の屋根の上に今だ気絶したまま横たわっているフィーナを見上げた。

「さすが、お姫様のピンチにゃ現れんだろ?」

「待て!」
気休めにしかならないがアルフレッドはフツノミタマに静止の言葉を投げかける、それは予期したとおり無残に捨てられフツノミタマは
気絶しているフィーナへ踊りかかる、その足に躊躇は見られない、幼い少女一人を手がける事にすら彼はなんとも思わないのだ。
「フィー!!」
アルフレッドが叫びながらフツノミタマの後を追う、しかしフツノミタマは既に弧の後半を描いている、あとはフィーナまで落ちれば良いだけである。
「悔しかったら化けモンになってみやがれ!」
落下に合わせてフツノミタマがドスを振りかざす、月を背後に刀身が鈍く光を放った。
「フィー!」
いくら叫んでも、フィーナの危機であってもフツノミタマの勝手な予測どおりアルフレッドは『グラウエンヘルツ』への変化を遂げない、遂げられないのだ。
歯痒さを強いられながらもアルフレッドは出来うる限りフィーナとフツノミタマの間をめがけ走る。
「いっけぇぇ!!」
アルフレッドの背後から少年の高い声が響く、振り返る隙もなくアルフレッドを追い越すように伸びたのは大きな機械の腕であった。
「『ビルバンガーT』ィーっ!!」
自身のトラウムの名を叫びながらシェインは先程から発動できなかったトラウムを発動する。
大きな機体である『ビルバンガーT』はアルフレッド達のいる宿より背が高く、勝負は一瞬のうちにケリがついた。

「のわぁぁぁぁぁ」

アルフレッドを追い越した『ビルバンガーT』の腕がそのまままっすぐ伸び、フィーナに飛び掛っていたフツノミタマをそのスピードで吹っ飛ばしたのだ。
まるで漫画のように弧を描いてフツノミタマは無残にも夜闇の彼方へ飛んでいってしまった。
「やった…やったよアル兄ぃー!フィー姉ちゃんは無事?!」
ようやく振り返って見下ろしたアルフレッドの視線の先には窓からいつの間にか出ていたシェインがまだ顔を僅かに青ざめさせながらも
弱弱しくいつもの笑みを作る、そこには新たな決意が凛と存在した。
ネイサンもニコラスも窓から身を乗り出した状態でシェインと一緒にはしゃいでいるのが見えた。
「見事飛んで行ったね」
「すごいね、その機械、どこの会社の?」
ニコラスはシェインのトラウムをトラウムと知らないのか「機械」と言って褒めている。

「…フィー!」
和気藹々の勝利ムードから無理矢理離れるようにアルフレッドは我に帰って未だに気絶しているフィーナへと駆け寄る。
「うう…っ」
アルフレッドが近づくとフィーナは身動きが取れないまま小さく唸る、その声を聞きながらアルフレッドは内心安堵し、彼女を助け起こした。
「フィー?無事か?」
手際よく手足を縛っていた縄を解く、それはよほど強く縛られていたらしくフィーナの手足はうっ血して痛々しいまでに赤黒く変色していた、
フツノミタマの加減の無さに怒りを覚えながらもアルフレッドはその箇所を優しく撫でる。
「アル…」
苦悶の表情を浮かべながらフィーナは目に映ったアルフレッドの名を呼ぶ、彼が撫でるだけでも縛られていた箇所は痛みを伴うらしく、
アルフレッドはそうっとフィーナの手を離す。
「すまない…すまない…」
自然と口をついた謝罪の言葉はフィーナを護ると言っておきながら早速反故にした情け無い自分への苛立ちを隠すためであった。
フィーナはアルフレッドの気持ちなど露知らず、眼球だけをきょろきょろと動かしそこが外で、屋根の上で更に言えば自分を捕らえた人物がいない事を知る。
「…あの人は?」
フィーナの言う「あの人」つまりフツノミタマを吹っ飛ばしたのも結局はアルフレッドではなくシェインのトラウムだ。
自分で撃退する事のできなかった、まだ弱いという事実が圧し掛かる。
「シェインが、『ビルバンガーT』で殴り飛ばした」
「そ…か」
アルフレッドの言葉を聞くなりフィーナは再び目を瞑る。
「フィー?」
アルフレッドが声をかけるとフィーナは寝息で返事をする、どうやら危機を逃れた安心感からか眠ってしまったらしい。
フィーナが無事である事を再度認識したアルフレッドは安心し彼女を抱き上げ屋根を降りる、
シェインをはじめネイサンとニコラスは既に部屋に戻っておりアルフレッドは彼らの背中越しに室内を見渡した。
戦いの終わりをつける光景は悲惨で痛々しかった、生きているものは倒れながらも必死に手足をばたつかせて生きようともがき、
死に絶えているものは涙を流しながら明後日の方向を見ていた。
彼らの侵入により荒れた室内はネイサンが発射した『柴焼きブラスター』の炎による焦げ跡はもちろん、
残党が振り回した刃物で切り刻まれたソファに壁紙、アルフレッドの格闘術でヒビの入った壁やテーブルが散乱し、
ニコラスの不思議な武器から出る光線やホゥリーの魔法により開けられたいくつもの風穴がヒュウヒュウと音を立てている、
加減していたであろうとは言え、部屋の破壊はまぬがれなかったようだ。
唯一痕跡の残っていないのは魔法を使っていたホゥリーで、彼は部屋の最も無事な場所を占領し疲れたのかイビキをかきながら眠っている、
類稀に見る醜男であるが部屋を傷つけないその魔法の加減は絶妙で彼が戦い慣れている事を知らせる。
この惨状をフィーナが見れば余計に傷つくのだろうと思うとアルフレッドは自らの腕で眠りについているフィーナを見て安堵の息をついた、
なるべくなら、殺人を犯しそれを悔いている彼女には見せたくない光景である、見せ続けた挙句それが当たり前になって慣れてしまってはならない。
「フィー姉ちゃんのケガ、痛そう…どうにかなんない?」
転がっている残党は痛そうにみえないのか、シェインがフィーナの様子を見て思わずつぶやく。
抱き上げていたアルフレッドはそう言えばとフィーナをゆっくりとベッドにおろして自らの服から手のひら大の立方体を取りだす――CUBEだ――
「たしか生命のCUBEなら治癒効果が上がるはず…」
そう言ってアルフレッドは横たわるフィーナの両手でそれを包み込む、CUBEはゆっくりと淡い光を発し細い手の中に収まった。
「…なんでそれさっきのバトル中にユーズしなかったんだい」
ホゥリーがまだまだ余裕がないねぇとばかりにつぶやいた。
その少し離れたところではニコラスがネイサンにCUBEの事を聞いている。
「CUBEを知らないのかい?」というネイサンの上ずった声がアルフレッドの耳にも届く。
「それよりお前も…だな」
ホゥリーやネイサンは上手く立ちまわったので怪我が少ない、
ニコラスも自らに危害が及びにくい遠距離から攻撃できる武器で立ちまわっていたのでほぼ皆無。
アルフレッドもそれまで忘れていたとはいえCUBEを身に着けていたので傷は多いものの人間とは思えない早さで治りつつある。
だが、トラウムを発動できなかったため、ほぼ丸腰で立ちまわっていたシェインは元来の無鉄砲さも相まって未だ出血している傷も多い、
痛みは誰より辛いだろう、一旦フィーナからCUBEを引き離してシェインへ言葉を唱える。
『リジェレネーション』
鋭いというより柔らかな光線が一筋、シェインの体へ当たると徐々に生々しかった切り傷が瘡蓋となりはがれてそこから新しい皮膚がのぞいて行った。
「うん、ありがとう、実は結構痛かったんだー刃物って石や木の枝より痛いね」
怪我の治癒どころか疲労までも無かったことにしてくれるその魔法が途絶えるころにはシェインはいつも通りの元気を取り戻していた。
「あーまぁ夜明けまでまだ少しあるし…とりあえず適当に見繕って休もうか」
酷い惨状ながらもどうにかなりそうだと判断したネイサンが提案する、
「そうだな、フィーはここに寝かせておくが構わないか?」
一番まともに残っているフィーナの部屋にはそのままフィーナを寝かせようとするアルフレッドの案に全員が頷いたので
アルフレッドはフィーナへも『リジェネレーション』と唱えると手にもう一度CUBEを乗せその体に毛布をかけた、
窓には応急処置にとネイサンが器用にカーテンを貼り付け、部屋を出る。
そこにはより酷い状況がそのままで残っており、流石に死体と一緒に眠れるほど図太い神経をしていないので
フィーナの部屋の次に比較的まともに残っていたネイサンとホゥリーの部屋で雑魚寝して眠りにつく。
「ねぇちょっとー狭い!ここのフット!スモールなフット邪魔!」
「アル兄〜もうちょっと詰めて」
「無理だ」
「…あの、この人よだれが…」
「ホゥリー!」
狭い室内に響く文句も数分後には静かになる。
頭上にシェインの寝息を聞きながら時折ニコラスのつま先にわき腹を蹴飛ばされながらアルフレッドはフツノミタマとの戦闘を思い出す、
あの時本当に『グラウエンヘルツ』がアルフレッドの意思どおり発動すればフィーナの命が危険にさらされる状況にはならず戦闘は続いていた、
アルフレッド本人の方がフツノミタマ以上に発動できない事に腹を立てていたのだ。
あのまま戦闘が続き、決着がつけばどちらかの命と引き換えにそれで恐らく終わっていた、だがフツノミタマが望んでいた終わりが来なかった以上、
彼は終わらせるためにまたいつかやってくる。
その時こそ『グラウエンヘルツ』で対抗し、彼の望みを叶えてやろうと心に決めながらアルフレッドは眠りについた。

◇◆◇

「…嘘だろ…?」

ダイナソーは呆然とその場に立ち尽くす、彼の目の前に広がるのは四十六人の男の死体と半壊した室内、そして宿屋の人間。

焦ってはいけないと自らに言い聞かせて記憶を掘り起こす、昨夜騒がしい音で目が覚め寝室からドアを開けると
タイミングよく吹き飛ばされてきた男が血濡れのままダイナソーにぶつかって事切れた。
驚いてその先を見るとニコラスとこれから行動を共にする人間たちが大勢を相手に大立ち回りを演じていた、
彼らの叫び声から推測するにどうやら大勢の方の会社を潰したアルフレッド達に八つ当たりの如く奇襲を仕掛けてきたようだ。
ならばなぜ彼らとは無関係であるはずのニコラスが巻き込まれていると言うのだろう。
「…アイツ、割とこういうの首突っ込むからなぁ…」
大方彼らが襲われているのを見るに見かねて一緒に戦うハメになったのだろう、ニコラスはお人よしであるが自分は違う、
デーヴィスは自らに言い聞かせてベッドの下にもぐりこむ。
危ない橋は渡らずいかに楽して越えるかが彼のモットーである、自分にとって無益な争いに手を貸す彼ではない。
狭い室内のこれまた狭いベッドの下は案外居心地がよい、狭い所が落ち着くと言うのも暗い考えであるが実際落ち着いてしまうのだから仕方がない。
そしてその内騒音をものともせず眠りこけてしまったのだ。

「あの〜なんでございましょう…か?」
周囲の険悪な雰囲気を読み、刺激しないように下手に出ながらダイナソーは様子を窺う、辺りの険悪な雰囲気を見渡しながら
ダイナソーは昨夜まで派手に暴れていた当の仲間達が一人残らず姿を消しているのに気付いた。
自分一人置いてかれ、全員さっさと出発してしまったのだと気付いたのは更に怒りを露わにした宿の主人が間合いを詰め
一片の紙を彼の目前に突きつけてきた時だった。
それは縦長の白い紙に手書きで慌てて書いたかのようにやや乱れた筆跡が上からずらりと列を成していた。
「これは…」
「ん!」
どうやら怒りで声も出ないらしい、ダイナソーがこの紙に書かれてある事を質問したが
とにかく紙に書いてある事を読めとばかりに更に紙を突きつけられたので渋々それを上から読んでいく。
「…せい…き、ゅうーしょ…」
紙の一番上に書かれていた文字を音読したが事情が上手く飲み込めない。
「朝早くにお前の連れ達が説明してくれた、何でも昨日の夜のあの集団はお前たちを追ってきたそうじゃないか」
「ええ?!」
アルフレッド達がスマウグ総業関係者に恨まれていたと言う事情をダイナソーは知らない。
ただ単純に驚くと遠くから「ケッ、白々しい」などと嘲る声が聞こえてくる。
「向こうは『迷惑かけて申し訳ない』って平謝りして建物半壊の請求はお前にしてくれって言って朝一の船で出発したよ」
「ええー!!」
更に声を張り上げて驚く、置いてかれてしまったのは気付いていたが請求が自分ひとりに圧し掛かっているとは勝手にも程がある。
恐らくニコラスの指示なのだろう、彼は心を許せばここまで遠慮のかけらもない事を平然としてくる傾向がある。
「さぁ!払ってもらおうか?」
宿の関係者がダイナソーの退路を塞ぎ四方八方からじりじりと間合いを詰めて取り囲む、
彼らの目に同情してくれそうな寛容な眼差しはどこにも残っていない。
仕事中でさえクレームやにらまれる事はあれどこれほどまで酷くはなかった、逃げ場の無い悪意に彼は膝を振るわせる。
ちらりと請求書の一番下の、ダイナソーが請求される金額を見れば到底払える金額ではない事も彼を困惑させる一因になる、
この恐ろしいまでの膨大な額を本当に一人で返済するよう押し付けられたのだろうか。どっきりにもほどがある。
「さぁ!」
「あの…ね?話せばわかりますよって…」
「宿、建て直してもらわないと生活できないんだよ」
「いや、直します、直しますから…って…」
「他の宿に客取られて商売立ち行かなくなったら…」
「あの…だから…ね…」


「…ねぇ、良かったのかな…?」
波風に髪を揺らしながらフィーナはそれまで自分たちが踏みしめていた大地をじっと見る。
『グラウンド・ゼロ』は先程からぐんぐんと遠ざかり、次第に小さくなっていく。
朝日が昇ってもまだ眠りこけているダイナソーを一人置いていくことに最後まで反発していただけあって心配そうだ
、彼女のそんな心穏やかな所を理解しながらもニコラスは隣で平然としている。
「構わないよ、人の嫌がる呼び名を忘れるあの馬鹿には丁度良い位だから」
「そう…かな?」
そういうニコラスはどうも昨夜「ニコちゃん」と揶揄された事を根に持っているようだ、
あの大騒ぎがあったにも拘らずちゃっかり忘れていないのだからその根の深さがうかがえる。
むしろ制裁の七割強はそれが原因なのかもしれない、何でもないような表情ではあるがそれはあくまで表面だけで内面は酷く怒っているのが見て取れた。
「フィー、お前が危険な目に遭って、俺達はもちろん、年端もないシェインまでもが奮闘していたんだ、それを知っていながら隠れあまつさえ寝こける輩だぞ?」
フィーナの後ろにいるアルフレッドの言葉はダイナソーに対して辛らつだ、それほどまで彼はダイナソーに対して怒り、元から曖昧であった信頼が更になくなっているのだ、対してダイナソーの相方であるニコラスには昨夜自ら進んで戦闘に加わってくれたどころか「危険な目に遭った」と責められることも無く、器の大きい人間だとより信頼できる人間に昇格していた。
「そうだよフィー姉ちゃん、戦わなかったんだから弁償位良いじゃないか」
戦わない代わりに尻拭いを、それは立派な等価交換であり、幼い意見は白と黒とで純粋だ。
ただシェインはダイナソーの選択があくまで彼の意見として選んだわけではないという事に気づいていない。
何かをしない代わりに別の何かで補う事はそれを行う本人が自由に選べる事が前提だ、それができなければただの他者による押し付けである。

無理矢理選ばされた結果を彼は今頃どう思っているのか、フィーナは眉根を寄せてじぃと島を見続ける、
たった数時間しか顔を合わせていない彼ではあるが、一度知り合ったからには行く末はどうしても気になってしまう。
「ところでフィーちゃん、手首と足首の具合はどうなの?あんまり無理するといけないからもう中に戻った方がいいんじゃないかな?」
「そうだな、戻るぞフィー」
ネイサンが話をはぐらかすようにフィーナの身体を労わる言葉を投げかける、実際まだ生命のCUBEを身につけて治癒効果を上げていたが
うっ血した跡は未だに残っており、血液の循環が上手く行かず手足の先はじりじりと痺れているままだった。
アルフレッドは上手い具合に話題をそらしたネイサンに便乗してフィーナをデッキの手すりから引きずり離す、
痺れているのか力の無い手はするりと手すりから離れた。
「う…うん」
躊躇うようにフィーナは何度も島を見ながらアルフレッドに連れられ船内へ足を向ける。
「…ありがとう、『星詠みの石』」
彼女の心を癒した石、『星詠みの石』、彼に別れを告げフィーナは船内へと引きこもる。

「ぐぉーめぇーんんーな、すわぁぁぁぁぁぁぁーい!!」

ドアを閉めるその一瞬、ダイナソーの悲鳴のような助けを請うような謝罪の言葉が風に乗って伝ったが、彼らは気にせずドアを閉めた。




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