1.胎動と兆しと エンディニオンの西方に根を張るシリコンバレーの一画にフィガス・テクナーと言う名の都市がある。 近隣の採掘所から潤沢な資源が確保できるため、電子部品の開発と研究へ専従する企業や研究室が こぞって密集し、小さな集落からやがて大都市にまで発展したと言う特異な経緯で成立した町であり、 人類の進化を牽引すると目される科学技術のベースポイントだ。 都市の大部分が研究施設であるために居住区に対する人口密集が恐ろしいほどに過度で、 狭苦しい箱庭へ無理矢理生活者たちを押し込めたような格好である。 息の詰まる錯覚さえ覚える過密な大都市は、そうした形容に相応しい喧騒に包まれており、 客の呼び込みやクラクションのアンサンブル――と言うよりも不愉快な狂騒――が止むことは 深夜を回ってもありえない。 フィガス・テクナー―――人類進化の担い手と言う厳めしい名称とは裏腹の、 不夜の城とまで謳われる騒がしく、そして、姦しい都市(まち)。 その片隅にひっそりと軒を構えたとある運送業者の事務所は、 都市(まち)の奏でるアンサンブルの渦中に在ってソロパートを任されるような、 一際大きな喧騒を昨日の晩からずっと演奏し続けていた。 事務所内でひっきりなしに飛び交っているのは、誰かが誰かを呼ぶ大音声や、電話のコールである。 それらが一つに混ざり合ったとき、通りかかった人の足を思わず止めてしまうほどの 大きなうねりとなってフィガス・テクナーの狂騒へ煩雑な振動を添えているのだ。 アルバトロス・カンパニー本社営業所と言うロゴがペイントされたガラス窓を覗き込めば、 同様のロゴを腕部や背中にプリントしてあるツナギを着たスタッフたちが、 入れ替わり立ち代わりやって来る客やひっきりなしにかかってくる電話の応対に追われる姿が見える。 いつもなら運送業者の日常としてありふれた光景なのだが、今日ばかりは違和感を覚えてならない。 “いつもなら”、「本日は臨時休業とさせていただきます」などというプレートを、 まして運送業者が軒先に掲げることなどまずあり得まい。 更に付け加えるなら、入れ替わり立ち代わりやって来るのは荷物の発送や受け取りの客でなく、 警察としての機能を有するシェリフ(保安官)たちばかりなのだ。 違和感―――と言うより焦りにも似た感情を抱くなと言うほうが無理な話である。 ましてや事務所内で慌しく動き回るアルバトロス・カンパニーのスタッフたちも、シェリフたちも、 皆、一様に只ならぬ表情を浮かべており、蒼白な面に、額に、脂汗を滲ませている。 何らかの緊急事態がアルバトロス・カンパニーで発生しているのは明白であった。 それも、会社始まって以来の大事が。 「まだ連絡は取れないのかッ!? 友達のところに転がり込んでるんじゃないのか、あの二人は!?」 「心当たりはみンな電話したよ。結局、電話代の無駄ンなっちまったけどね」 「実家! そうだ、実家は!? ご家族との連絡は―――」 「デーヴィスの家族には昨夜の段階で連絡を取ったし、先ほども向こうから電話を頂戴した。 いずれも望まぬ答えが返って来るばかりだ。進展も後退もあったものではない。 ………それにニコラス殿のご家族は―――………」 「ぐ、ぐぬぬぬぬぬぬ………八方塞とは………なんてっこったィ………ッ!」 「お義兄さん、落ち着いてください。興奮し過ぎるとまたお医者さんに怒られます」 「これが落ち着いていられるものかッ! 社員が行方不明になってんだぞッ!? 今、ここで高血圧でぶっ倒れたって、うちのカミさん―――お前のお姉ちゃんも きっととやかく言いはしないッ! 異常事態なんだ! 異常事態なんだぞ、キャロラインッ!」 緊急事態と言うのは他でもない。アルバトロス・カンパニーの抱える二人の社員――― ニコラスとダイナソーが昨日から消息を絶ったことに対する捜索であった。 「………ウチの仕事がイヤになっちまったのかなあ、二人して………」 「弱気っつーか寝言吐いてンじゃないよ、大黒柱がッ! こう言うときこそボスがどっしり構えていないで、 どうしてアタシらが随いてくってんだいッ! しっかりおしよッ!」 「ディアナ殿の仰る通りだ。ボスにしっかりして貰わなくては小生らが困る。 気をしっかり持って、ニコラス殿を信じてあげて欲しい。根性ナシのデーヴィスならともかくニコラス殿は 決してボスを裏切るような真似はすまい」 「しかし、しかしだなぁ………」 「小生は我が社の仕事に満足している。不満を募らせて出て行くなどと考える余地すら無かった。 それはニコラス殿も同じことだ。仮にデーヴィスに鬱憤があったとしても、 それに乗るようなニコラス殿ではあるまい。ディアナ殿とて同じ気持ちであろう?」 「賃金アップの交渉をしたいと言えばウソになるンだが、そこら辺は今日のところは勘弁したげるよ。 アイルも言ってンだろ? こンな愉しい会社、他にはちょっとお目にかかれないってね」 「本当にイヤだったら、とっくにお姉ちゃんに言いつけてます。とっとと首を挿げ替えてます。 お姉ちゃんのほうがお義兄さんより経営能力ありますし、統率力だってバツグンですっ!」 「うむ、奥方様の器量は確かに刮目するものがあるな。先見の妙にも長けていらっしゃる。 新規事業所を立ち上げたときの手腕と言ったら、武者震いしたくらいだ」 「アレとはもう古い付き合いさ。そのアタシが保証すンだ、アレは本物のリーダーだよ。 ノウハウも何も無いまま脱サラしてとりあえず始めてみたような素人とは違うさね」 「………あの………持ち上げて落とすのだけはやめてくれ………そーゆーのが一番堪えるんだわ………」 捜索を主導するシェリフの事情聴取に答えているのは、アルバトロス・カンパニーを 統括する社長――社員一同からは親しみを込めて“ボス”と呼ばれている―――だが、 二人の人格や生活態度などを振り返ってみても失踪する理由が見当たらず、 為に混乱し切っている様子だ。 運送業者であるアルバトロス・カンパニーでは、配達を終えて事務所に戻ってきた社員が 一日の業務内容をボスへ報告するのが決まりなのだが、 客先の都合などによって著しく定時に遅れるケースも少なくない。 そうした場合は社に連絡を入れ、直帰なり何なりの指示を仰ぐことになっている。 一報によって状況を確認できれば、キャパシティを超える配達に右往左往している場合などは 別な社員をヘルプとして現地に派遣すると言った善後策が練れるのである。 それだけではない。定時連絡は単に配達の状況を確認するだけでなく、 社員のコンディションと言った安否の確認も兼ねており、アルバトロス・カンパニーの社員にとって 一種のセーフティネットの役割を果たしているのだ。 必ず遵守すべきものとして社則にも定められており、ニコラスも、口八丁でちゃらんぽらんなダイナソーでさえも、 この規則を破ったことは今までに一度も無かった。 規則に定められているから仕方無しに従っているのではない。 どんなに遅くなってもボスが待っていてくれるとわかっているから。ボスや同僚に心配をかけたくないから。 だから、二人は、どこにいてもどんな状況に陥ったとしても必ず一報を入れていた。 なのに、どうしたことか。どうして二人は怠ったことのない連絡を欠いたまま、消息を絶ってしまったのか………。 本来の業務を休止し、社員総出で方々に連絡を取ってみても行方は知れず、 二人の行動に失踪の動機として思いあたる節も無い。 行方をくらました背景や蒸発先を身辺から探る捜索は、現在、八方塞となっていた。 失踪する理由が見つからないのであれば、何らかの事件か事故に巻き込まれた可能性が 高くなると結論付けたシェリフの胸倉を引っ掴んだボスは、半ば泣き出しそうな気配で面を染め抜いている。 「いくらシェリフだからって言って良いことと悪いことの区別ってのがあるんじゃないかッ!? そう言う不吉なことを言って、あいつらの運をすり減らすような真似はしないでくれッ!」 「ったく、シェリフにゃ何の罪も無いだろうに………いいかい、耳の穴かっぽじってよくお聞き。 ムチャクチャなこと言って、シェリフの皆さンを困らせンじゃないよ。 そンでもってあンたは、ひとまず深呼吸なりなんなりして落ち着―――」 「―――落ち着いてられるかと言ってるッ!!!!」 「………………………」 「理不尽は百も承知だし、自分に落ち着きが無いことも自覚している。 だが、………だが、ゲンを担いで何がおかしいッ!? 大事な社員を心配することが罪と言うなら、 俺はバカでも何でも構わんッ!! 後ろ指さされようと知ったことかッ!!」 心の底からニコラスとダイナソーを心配しているボスにとって、シェリフが仮説した最悪のシナリオは 何があっても受け入れられるものではなかった。 勿論、ボスとて良識ある大人だ。駄々をこねても状況が好転しないことや、 最悪のシナリオを想定して捜索にあたらねばいけないと言うことも受け止めてはいる。 だが―――だが、それでも口に出して欲しくは無いのだ。 口に出して認めたが最後、本当にニコラスとダイナソーの身に最悪の災厄が 降りかかってしまうのではないか…と言うある種の強迫観念がボスの焦燥を煽り、 容認を強いる者の拒絶に駆り立てて止まないのである。 縋り付いてきたのが愛らしい女性であったなら、シェリフも悪い気はしなかっただろうが、 このアルバトロス・カンパニーのボス、スキンヘッドな上にいかつい面構えをしており、 にじり寄られるとちょっと尋常じゃないくらい恐い。 おまけに2メートルを超える巨体と来れば、掴みかかられたほうは生きた心地がしないと言うものだ。 トレードマークにしているサングラスの向こう側にやたら輝かしいつぶらな瞳が潜んでいることも 見る人を余計に震え上がらせた。 地上げ屋さながらの尖がった雰囲気とあまりに不釣合いな優しい瞳が生み出す、 ギャップゆえの悪寒にアテられたシェリフは、ボスとは別の意味でもう泣きそうだった。 なんとかして引き剥がそうと試みるシェリフだったが、野太い腕が物語るようボスの握力は 非常に強力なもので、身を捩った程度では離れてくれそうにない。 さりとて強引に突き飛ばすこともできず…と言うよりも、力任せに押したところで ツナギの上からもはっきりとわかる逞しい筋骨でもって跳ね返されるのがオチだと理解し、 半ば諦めの入ったシェリフへ思わぬ助け舟が出されたのはそのときだった。 すったもんだの騒動を傍観していた誰かが、凛と通る声でもってボスへ声を掛けたのだ。 こちらの責任者の方はいらっしゃいませんか…と。 ボスでもなくシェリフでもない第三の声が放たれた先へと視線を巡らせれば、 事務所の入り口付近に見たことのない男性と、彼の同行者であろう女性が佇んでいるではないか。 長身の影に隠れている女性の容貌は定かではないが、 男性のほうはとにかく人の目を引く。 明晰な頭脳が滲み出すかのような涼しげな面にダブルのスーツはとてもよく似合い、 一見、どこぞの企業の若社長風に見えるが、そのスーツの上から神官が用いる法衣を纏い、 更に何百もの玉(ぎょく)を束ねた連珠を襷がけの要領で胸元へと垂らす出で立ちは、 およそビジネスマンとは思えない。 業種や職種によってはこうした奇抜な出で立ちを着用しないこともないのだが、 少なくとも真っ当な仕事へ就いているようは見えなかった。 「お取り込み中、急にお邪魔して申し訳ありません。 我々の追っている事件と、あなたがたが巻き込まれた事件が極めて酷似していたもので、 無礼を承知で立ち入らせて頂きました」 「な、なんだって? ………事件っ?」 男に反応して先ほどから開け放たれた状態を維持している自動ドアから 排気ガス混じりの風が吹き付け、法衣の裾を棚引かせている。 開きっ放しのドアからは、野次馬根性を出して興味津々に事務所の内部を覗き込もうとする 不届きな通行人たちの視線が数多飛び込み、また、悪目立ち全開の法衣の男性に対する 好奇の目も集中していた。 基本的に眼差しの多くは法衣の青年に集まっており、彼の端整な顔立ちに黄色い歓声を上げる 中年女性たちは、彼の肩越しに事件のあらましを推察している様子である。 きっと今頃は事件の趨勢を勝手に妄想しているのではないだろうか。 人が悪くなってくると、あの店はもう資金繰りも出来ないなどと悪評を立てる可能性さえ高い。 捜査と言うにはあまりに無責任な推理で、タチの悪い産物だと法衣の青年もボスも理解しているが、 全く意にも介しておらず、むしろそうした不届きな向きは視界から完璧に抹消していた。 動く度にジャラジャラと音がするほど大量の連珠を垂れ下げている辺り、 随分と不思議な人物がいるものだ―――ちょっとした座興か何かと思って話半分で聞き流していたボスは、 やおら差し出された名刺に思わず面食らってしまった。 まさかこんなものを提出されるとは思っておらず、自分の名刺を取り落とすところだった。 「―――“教会”の人?」 「ええ、今は出向の身分ですが、本来は“教皇庁”の所属です」 「道理で胡散臭そうなナリをしてると思ったンだ。そのジャラジャラしたモンも、宗教家ってんなら納得するさ」 「イシュタルへの信仰にかかる庶務は“教会”の仕事は部下に一任しています。 今の私は“未確認失踪者捜索委員会”の所属ですから」 「未確認………なんだって?」 「“未確認失踪者捜索委員会”。あなたがたのお仲間と同じように突然失踪してしまった人の 捜索を専門に行なうセクションの一つです」 「な―――………」 受け取った名刺といかにも優等生的な表情、それから町行く人々を交互に見比べながら、 ボスは名刺に記された名前を怪訝な面持ちのままなぞった。 モルガン・シュペルシュタイン―――大した意味も無く、心を落ち着けるまでの片手間とばかりに 呼ばれた名前にまで溌剌とした返事を送る彼は、自己紹介の最後にこう付け加えて 周囲の意識をかっさらっていった。 「あなたの会社で起こっているような失踪事件は、実はエンディニオンの各所で同時多発しているのです」 * 「ま、待ってくれ! それでは何か? うちの社員も同じ災難に遭ったって言うことなのか?」 「あくまで仮説の域を出ませんが、その可能性は極めて高いものと考えられます」 「………なんてことだ………」 「あの………顔色がだいぶ優れないようですが、お加減でも悪いのですか?」 「大事な社員が大変な目に遭ってんですよ。そんな状況でお気楽やってる社長がいるなら、 私はそいつを折檻しに行きます! ………大事な社員が………だから、私は―――」 「………失敬」 未確認失踪者捜索委員会を指揮していると言うモルガンの話へ神妙に聴き入っていたボスは、 説明が一段落すると重苦しい溜め息を何度となく吐き、憔悴し切った頬を両手で覆った。 万能にして絶対なる至高の女神イシュタルと、その仔ら神人(カミンチュ)への信仰を取り仕切り、 礼拝施設などの運営も行なう“教会”が慈善事業の一つとして始めた、 行方のわからなくなってしまった人々を専門に捜索するセクション『未確認失踪者捜索委員会』。 そのリーダーであるモルガンが説明するところに寄れば、ここ一、二ヶ月の間、 神隠しとしか考えられない失踪事件が急激に頻発していると言うのだ。 前年比の二十倍の増加率と言うモルガンの説明を鵜呑みとするなら、これは由々しき事態である。 しかも、突然に姿を消してしまうのは人間だけに留まらず、最近では建物やオブジェが いつの間にか消失されると言ったケースも見られるらしく、 ときには都市そのものがそっくり失われることまである…とモルガンは苦々しく明らかにした。 一夜にして一つの町が丸ごと消滅したと言うニュースはボスも報道番組で確認していたが、 種を明かせば単なるトリックか、はたまた投棄された大きな人形が竜の如く見えたと言う類の、 恐竜が生息する湖の噂のような荒唐無稽な作り話だとばかり斜に見ていたボスは、 まるっきりそのニュースを信用していなかった。少なくとも今日の朝まではでっち上げの捏造と見なしていた。 我が身に降りかかった今、ようやくその話を信じられるようにはなったが、 人間がひとり消滅することでさえあり得ない話なのに、極大質量を誇る大都市がまるまる消えてしまったなどと どうして本当の出来事だと考えられるものか。 あくまで仮説の域は出ないものの、法則性・関連性を持った同時多発的な消失であるとする モルガンの説明によって、このフィクションさながらの現象をボスは初めて納得できた。 もちろん、半信半疑ではある。 説明に対して納得は出来たものの、一夜にして都市が一個丸々消滅したなどと言う途方も無い話は 今もって信じきれる訳ではない。 だが、半疑を抱いていようとも、半信をもってせねば話し合いを先へは進められないだろう。 「そんなことあるわけない」と叫ぶ己が理知の軋みよりもボスはニコラスやダイナソーを、 最愛の部下たちの捜索を優先させたのだった。 ここ最近、頻発する失踪事件――あるいは消失事件と表記すべきかも知れない――のあらましを 懇切丁寧に説明したモルガンは、「見返りと言うわけではありませんが…」と前置きした上で ニコラスたちと連絡が取れなくなるまでの状況や、彼らの足取りを出来る限り詳しく教えて欲しいと ボスや同席した社員に請った。 二人を捜索する為の手がかりであるのはもちろん、その他大勢の失踪者を見つけ出すヒントに なるかも知れない…とエカはモルガンの要請に付け加えた。 エンディニオン中で同時多発する失踪事件に法則性があることまでは突き止めた『未確認失踪者捜索委員会』だが、 それに巻き込まれた人たちの捜索はおろか、こうした現象に巻き込まるのを 未然に防ぐ為の対策を講じられる水準には、彼らも情報を確保できていないのが現状だった。 これまでにも失踪者の縁者から当時の状況を聴取し、失踪に至るまでの―――いや、神隠しが 発生する条件を解析しようと試みられては来たのだ。 しかし、如何せん手がかりがあまりに少ない。 神隠しが起こり得る状況をパターン化して整理しようとする向きもあったものの、 失踪した状況の全てがことごとくバラバラで、誰の目にも発生条件に法則が無いことは明らか。 すぐさま研究は手詰まりとなってしまった。 判明した法則性と言えば、失踪の対象が人間であれば、「何の前触れも無く消息がわからなくなる」。 消失の対象が建造物などの物体であれば、「跡形も無く根こそぎ消滅してしまう」。 この二点のみと言う有様である。 根こそぎの消滅に関しては都市にも当てはまった。そこに住む人も、自然も、町並みも…何もかもが 跡形も無く失われてしまうのだ。 とにかく『未確認失踪者捜索委員会』は情報を求めていた。 中途半端だと、無能の集まりだと詰られても仕方のない結果しか提示できない無念を晴らし、 イシュタルの子孫たる人類の危機を何としてでも回避したい。 それを為すには、ほんの些細なことでも情報が欲しいのだとモルガンは語った。 そして、その為には一日の内に何軒もの家々を回って情報収集できるような機動力が不可欠だとも。 随分と回りくどく要求を出して来たものだが、これこそが『未確認失踪者捜索委員会』の真の狙いなのだろう。 運送業と言う業態上、アルバトロス・カンパニーは一般家庭や企業を問わず、 一日の内にありとあらゆる人々のもとへ顔を出す。 配達のついでで良いから聞き込み調査をして欲しいとモルガンは平身低頭で頼み込み、 ボスもこれを即座に了承した。 了承の旨を伝えた声は掠れ切っており、例え頼まれなくても自主的に聞き込みをしていたであろうことが その思い詰めた声色からも窺えた。 これでもかと言うほど心情に訴えかけておいて、話が終わる頃を見計らって本当の要求を提示するとは、 モルガンと言う男、善人そのものの面構えをしておきながら、なかなかに喰えない。 一度、疑惑のフィルターがかかってしまうと厄介なもので、連珠を合わせてボスを拝み、 涙を溜めながら感謝を述べる様子など全てが要求を呑ませる為の演技であったように見えてしまう。 果たしてその悪辣とも言える強かさは、憶測でなく事実であろう。 「そちらの社員さんお二方が我々の追いかけている異常現象に巻き込まれたと確定した訳ではありません。 これは、あくまでも仮説です。もしかしたら、何らかの事故か事件に遭ってしまい、 電波の届かないところでビバークしているのかも知れません。………いや、あまり考えたくはありませんが、 悪くすれば、“例のテロリスト”どもに捕まってしまったか、あるいは――――――………………」 「………モルガン、憶測で失礼なことを言わないで。社長さんに失礼でしょう?」 「あっ、い、いや………軽率でした。私としたことが大変なことを言ってしまって………」 不穏当なことを発言したモルガンの脇腹を、彼に随行しているオレンジ色の髪をした女性―――エカが小突き、 これ以上、ボスを追い詰めるなと自重を促す。 ハッとしてボスの様子を窺えば、彼は蒼白な顔面を両手で覆ったまま、微動だにしなくなってしまっていた。 「………なんてことだ………なんてことが………ッ!」 モルガンから受けた説明を反芻する度に大きな溜め息をこぼしていたボスは、 些細な失言の為に先ほど貰った了承が反故されないかを心配するモルガンの肩をいきなり両手で引っ掴むと、 「寄付金なら幾らでも払う。指示には何でも従う。だから二人を助けてやってくれ」と 何度も何度も…見ている側が申し訳なく思ってしまうくらい何度となく頭を下げた。 鼻水まみれの顔ですがり付かれたモルガンは大いに困惑し、御し方を求めてエカと視線を合わせたが、 彼女は「自分で考えろ」とばかりにすげなくそっぽを向いてしまった。 身も世も無い風情に憐憫が働いたのか、あるいは、せっかく得られた釣果を逃すまいと言う深慮が働いたのか、 居住まいを正してボスに向き直ったモルガンは、必ずニコラスたちに会わせてみせると力強く約束した。 「貴方が善良を心掛けて今日まで生きてきたのでしたら、イシュタル様は必ずその清廉にお応えくださいます。 見たところ、貴方は部下を家族さながらに遇し、慈しんでおられるようですね」 「もちろんです! 社員は私にとって掛け替えの無いファミリーだ!」 「その生き方をこそ全知にして全能なるイシュタル様は見ておられるのです。 そして、大いなる慈悲をお授けになるでしょう。もちろん、神々の加護は誰にも等しくもたらされますが、 光ある者が祝福の恩恵に選ばれることもまた天の運が必定。………私たちはその一助となりたいのです。 それこそ神の使徒たる我らの天命と心得ております」 「………モルガン、いつも注意してるでしょうが。あんたの話は回りくど過ぎんのよ。 もっと簡潔に。いい? もっと簡潔に」 「………そう言う貴女は聖職者として軽過ぎます。説法にもまるで深みがありません。 人と輪を成す上で親しみ易さは大切ですが、叡智たる教えが軽んじられるのは背徳に等しき行為です」 「………………………」 「ほら、呆れられてるじゃない」 「―――あ………いや………これは重ねて失敬。つい横道に反れてしまいましたが、 つまるところ、私たちは貴方のご家族を探すことに全力を尽くしたいと考えているのですよ」 「本当ですか? ………私のファミリーを助けてくれると?」 「貴方のご家族を探し当てることが、より多くの人々を救うことに繋がると信じているのです。 私たちは共にイシュタル様の子ではないですか。手を取り合い、使命の全うに尽くしましょう」 約束をして貰えたのがよほど嬉しかったのだろうか、ボスは更に何度もモルガンに頭を下げ続け、 それから彼と言う男に巡り会わせてくださったイシュタルへ感謝の祈りを捧げた。 「喜んで………喜んで………!」 これでニコラスたちを助けられるかも知れない………ボスの顔面は喜びによってクシャクシャに綻びていた。 「ボス! 大変ですっ! 今度はディアナ姐さん、アイルさんと連絡がつかなくなっちゃった!」 「なん………―――え? な、なんだとぉッ!?」 「それと、トキハさんともお昼から連絡が途絶えたままですっ」 「は? ………はあああぁぁぁッ!?」 ―――のも束の間、キャロラインから報されたとんでもないトラブルによって、 歓喜の色は一瞬にして驚嘆へと塗り替えられた。 「………トキハさんとやらは知らないけど、私の記憶が間違いでなきゃ、ディアナさんとアイルさんって、 ついさっきまでボスさんと一緒に私らの説明を聴いてた人ですよね?」 「説明の途中で『こうしちゃいられない』と飛び出していかれた方でしたね」 「………………………」 「あの………失礼は重々承知しておりますが、貴方のファミリーは少し短慮が過ぎるのではありませんか? 迂闊に動くことは件の怪現象に巻き込まれるようなもの…とも説明したハズでしたが」 「失礼って言うか事実なんだから仕方ないんじゃない? 仲間が心配で無茶しちゃうってのはわかるけどさ」 「………………………………………………」 モルガンの呆れ声も、エカの同情も、最早、ボスの耳には届いていなかった。 ………と言うよりも、正常な意識すら今のボスは保てていないのだから、 外部からの声が脳まで到達しなかったのも無理からぬ話であろう。 「………………………………………………………………………」 ニコラスとダイナソーのことだけでも頭が一杯だったと言うのに、 よりにもよってアルバトロス・カンパニーから新たな失踪者が三名も出たことにより、 とうとう心労がピークに達したボスは、目を回してひっくり返ってしまったのだ。 「………どいつもこいつも…帰ってきたら………お尻ペンペンの刑だ………。 ―――そうだ………必ず………必ず…見つけ出してやるからな………!」 それでも部下を―――いや、ファミリーの安否を気遣い、無事を祈る真摯な姿をこそ、 イシュタルは見届けていてくださるに違いない。満願も成就されるに違いない。 「はいはい、起きてください。デカい図体で寝ていられると邪魔です」と キャロラインに頬を引っ叩かれ続ける心優しき大男を見下ろしながら、 エカは、ボスやアルバトロス・カンパニーに幸多からんことをそっと祈るのだった。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |