2.異文化 さて、アルバトロス・カンパニーの本社を、仲間たちを混乱の極地に陥れた原因たる ニコラスの安否が、現在、どのような状態かと言えば――― 「ごちそうさまでした―――美味かったッ! こんな美味いカレー、久しぶりに食ったよ。 ついつい二杯もおかわりしちまった」 ―――空になった皿を足元に置きながら、満腹満足の面持ちで両手を合わせて「ごちそうさま」。 身心に来たす疲弊で一晩のうちに数キロは痩せただろう同僚が見ようものなら、 顔面が変形するまで殴られ続けるくらいまったりとした夕飯の真っ最中であった。 安否の確認を要するどころか、自分たちを中心とした非常事態などどこ吹く風と言ったような調子である。 「俺もこれでごちそうさまだな」 「はい、おそまつさまでした♪」 「隠し味に何かを加えただろう? 調味料までは分からなかったが、少しコクが増していたな」 「あ、わかる? わかってくれた? 実はね、ちょっとだけどチョコレートを入れてみたんだ〜♪」 「チョコレートを? ………料理と言うのは奥が深いんだな。まるで合わないように聴こえるんだが………」 「そ〜だよ〜、料理は奥が深いんだよ〜」 「さすがは恋人、かな。ちょっとした味の変化に気付くなんて、よっぽど相手のことを気にかけてる証拠だな」 「か、からかうな、ニコラス」 ニコラスから空いた皿を受け取りながら、本日二人目の「ごちそうさま」をしたアルフレッドや、 料理の感想に頬を綻ばせるフィーナが加われば、まったり加減は更なる加速を見せる。 遮る雲が僅かも掻き消えた満天の星のもと、食後のコーヒーを楽しむニコラスは、 旅の途中のささやかな団欒を心の底から満喫していた。 ………もちろん、このような満ち足りた状況を本社の同僚に見られようものなら、 ささやかな団欒がそのまま惨劇の現場と化すのは間違いない。 それほどにアルバトロス・カンパニーの事務所内へ垂れ込める緊迫感と団欒のギャップは激しく、 両者の間には世界最深の海溝もかくやと思わせる落差があった。 「そ、それにしても、だ!」 「あ、無理矢理空気を変えるつもりでいるな」 「うッ、うるさい―――それにしても、カレーにソースをかける奴なんて初めて見たぞ。醤油ならいざ知らず」 「そうか? 俺には醤油のほうが何倍も信じられなかったけどな」 「いやいや、カレーに醤油は一般家庭でもよくある話じゃないか。俺の父もカレーの日には決まってふりかけていたぞ」 「ん〜、よくわからねぇけど、風味が変わる…のか? ソースはルーにもう一つパンチを加える感じだけど」 「そうだな、醤油は風味付けだな」 「ソースを加えるのも、案外、イケるもんだぜ。チョコレートとはまた違うコクが出せるんだ。 騙されたと思って、今度、試してみてくれ」 「俺の暮らしていた地域には馴染みのない習慣だが、そこまで勧められては試さないわけにも行かないな。 明日の朝まで残っているようだったら、ソースカレーとやらを試してみるか」 「病み付きになると思うぜ」 ささやかながらも心温まる夕餉の団欒と、アルバトロス・カンパニーの恐慌の対比は さて置くとして―――地図の見方にさえ迷うほどの遠い遠い、全く足を踏み入れたことのない地域まで やって来てしまったニコラスは、昼間からアルフレッドたちと文化や習慣の違いや隔たりを 列挙していく遊びに没頭していた。 カレーライスにどんな調味料をかけて楽しむかもその一環だ。 『へー………、ここら辺の自販機じゃ、缶ジュースはプルトップを外すタイプなんだな』 『何を言っているんだ。普通、プルトップは取り外すものだろう』 『オレの住んでる辺りだとプルタブを飲み口の中に押し込むんだよ』 『こっちじゃ聞いたことがないな。だが、実に合理的ではあるな。取り外すタイプのものだと 無駄にかさばって困る。………どうして誰も考えつかなかったんだろうな。 特許を取れば、一財産築けるかも知れないぞ?』 『確かにかさばりそうだな。飲むときはどうしてるんだ? 指輪みたいにハメとくとか?』 『人によってまちまちだが、俺の場合は缶の底に沈めておくな。 誤って飲み込んでしまわないよう気をつけなきゃならないが』 『ラムネのビー玉みたいなもんか、感覚は』 きっかけは缶ジュースを購入した際の何気ないやり取りだったが、話を続ける内、 「食事には箸を用いるか、ナイフとフォークを用いるか」や「ティータイムには緑茶か、紅茶か」など ニコラスの地元であるフィガス・テクナー周辺とアルフレッドたちの暮らす地域では 習慣から文化に至るまで大きな違いがあることが見え始め、そこに独特の面白味を見出したシェインが あるナシクイズ風にカルチャーギャップを挙げて行こうと提案した次第である。 例えば、「髭剃りはカミソリか、電動シェイバーか」「テレビはアナログか、デジタルか」と言った具合に 生活に密着したものはもちろん、「団体行動ではリーダーシップを重視するか、目的を重視するか」、 「テレビゲームで遊ぶ時間は、最低一時間か、最大で一時間か」などなど、 例として挙げた以外にも地域による差異は深く、多く、照らし合わせ始めたら、もうキリが無さそうだ。 中でも就業については「生活の為の仕事か、仕事の為の生活か」で大きく分かれ、 後者に当たるニコラスは、自身の置かれる成果主義の競争社会を大いに嘆き、 収入よりも家族や地域との交流を重視し、休暇も格段に多いアルフレッドたちの地元が 羨ましいとこぼして止まなかった。 「オバタリアンはどこの地方へ行ってもガメつい」「子供は下ネタが大好物」…と妙なところで 合致するのも可笑し味を誘った。 近しいようで遠くにある習慣の違いを確かめていくのが、なんだか妙に愉快になってきて、 普段はこうした遊びには加わらず、怜悧冷淡を気取るアルフレッドも 積極的にカルチャーギャップを挙げるようになっていた。 「あっちの地方にあるカルチャーと、こっちの地方にあるカルチャーがこうもディバイドされてるのって、 ノーマルにシンキングして、リトルおかしいんじゃナッシング? ストレンジどころかファンタジーなエリアだと思うんだけどねぇ、このチグハグ感ってばサ」 ………と、珍しく真っ当かつ至極建設的な疑問を述べたホゥリーが、 遊びに水を差すものとして完全黙殺されたのは言うまでもない。 「おーっと、おふたりさん。チーズの存在を忘れて貰っちゃ困るね! アツアツのカレーに小さく千切ったチーズをまぶしたあの食感と来たら………たまらないね!」 「シェイン君はチーズ派か。同じ乳製品でも、ボクはマヨネーズかな〜。 なんて言うか、痛んだ部分を取り外したハーネスと外装以外に損傷の見当たらない電器を ドッキングさせたような不思議な出会いが口ん中で生まれるんだよ」 「うっわー、なんだよ、それ! メシ時に全然聴きたくない例えじゃんか。 上手くないっての! いや、マヨネーズとカレーの組み合わせは美味そーだけど!」 カレーにマッチする調味料を巡る議論は今もって続いていたが、ここに来て、 シェインとネイサンが第三、第四の勢力となって台頭し、まろみたっぷりの乳製品を主張し始めた。 「ケッ!」 最早、カルチャーギャップと言うよりも単なるカレー談義になっている気がしないでもないが、 ウスラバカの相手をしてやるほどヒマじゃない。愛しのフィーナが丹精こめて作ってくれたカレーを 堪能するので忙しいんだ―――カレーを啄ばんだ為に先端が黄色い嘴の吐き捨てた一声には、 そんな意思が込められていた。 侮蔑たっぷりの一声が表すように、男たちの白熱を睥睨するムルグの視線は実に冷ややかだった。 「………あのねぇ、そーゆー邪道な言い合いは、せめて私のいないところでやってくれるかなぁ。 私なりに味付けも工夫して作ってるのに、最後の最後でソースとかお醤油で味を調節されるのって、 結構、凹むものなんだよ?」 「あ、いや、それは………」 「あ、ああ、何もカレーの味にケチをつけようってんじゃなくてだな………」 「そーゆーことしちゃう人が隠し味とか語らないように。ルーが見えなくまるまで ソースをかけちゃう人も同罪です。マヨネーズなんか言語道断。あんまりひどいようならご飯抜きにするよ?」 「「「………すみません………」」」 「チ、チーズも邪道っすか?」 「チーズはトッピングだからOKだよ。むしろオススメのメニュー」 「………この辺のこと、よくわからないから何とも言えないんだが、判断基準もこーゆーもんなのか? 正直、チーズもかなり危ういと思うんだが………」 「こ、これも一つのカルチャーギャップってヤツ…かな?」 「おい、ネイト、フィーを甘やかすなよ。今のは明らかに個人の趣向と言うか食い意地の問題だ。 溶け込んでしまわない限りチーズは固形だからな、調味料と違って」 「ちょ、ちょっと! 量が食べれればOKみたいなさもしいヒト扱いしないでよね!」 「目が泳いでいる上に、既に七回目のおかわりをしている人間がそれを言っても、 まるで説得力が無いぞ、フィー」 「う、ううう〜………アルのいぢわるぅ〜………」 頬をふくらませて抗議に出るフィーナだったが、アルフレッドの指摘は当を得たものであり、 反論の余地は無い。 起死回生の助けを求めるようにパートナーを見つめるものの、やはり証拠品の皿が山のように 積み重なっている状態ではムルグとてフォローしようがなく、「諦めなさい」と言わんばかりの 面持ちでもって溜め息を吐いて見せるばかりだ。 ………尤も、ムルグの場合は「困り顔のフィーナもまたYES!」などと言う邪念があって あえて傍観を決め込んだ可能性も無きにしもあらずだが、唯一の翻訳者であるフィーナがこの有様では、 真意を確かめる方法を他に求めるのは難しい。 ムルグにまで匙を投げられたフィーナにパートナーの真意を翻訳するだけの余裕があるべくもなく、 こうなっては肩を落として敗北宣言するしかなかった。 「て言うか、ケチャップかけろよ。ザッツはゴッデスのくれたマーベラスなプレゼントだよ。 どんなものにもベリーマッチング♪」 「味オンチの方は口を挟まないでください。ご飯抜きにしますよ」 「………地がフォワードしてきたんだか知らんけど、トークるようになったねェ、チミも………」 他愛のない会話でも居場所から蹴り出されたホゥリーは「プリティ気ナッシングなチルドレンのお守も いい加減に飽きたわー」と脂肪たっぷりの巨体をその場に投げ出した。 ひんやりとしたアスファルトの路面が、夕食を摂ってほんのり火照った身体に気持ち良く、 けれど、上空から降り注ぐどぎついネオンライトが目に痛く、差し引きで判断すると、 今日のキャンプ場所は寝心地が非常に悪いと言う結論を出さざるを得なくなる。 月も星も無い宵闇の空から照り付けるのは『ヨコカワ・サービスエリア』と文字抜きされたネオンライトだが、 いかにもたくさんのテナントがすし詰めに入っていそうな横に長い施設からも大量の光が漏れ出しており、 昼と見紛う明るさの只中で眠るのは確かに苦しそうだ。 サービスエリアとは、言わずもがなアウトバーンの一定区間内に設けられる休憩所のことだ。 長旅の疲れを癒す仮眠所や土産屋、レストランと言った機能を備えており、 アウトバーンを行き交う旅人にとって無くてはならないオアシスである。 自然と旅人たちの足もサービスエリアを旅の拠点と定めて向かい、ここにテントを張って休む者も 決して少なくない。 実際、身を投げ出したまま辺りをギョロリと見渡したホゥリーの目にも数組のパーティが キャンプよろしくテントを張って寛いでいる様子が映った。 施設内で休むパーティも多い為、テントの数のみでサービスエリアにて夜明かしする人数を 統計することは出来ないが、ざっと見渡しただけでも二、三十人の旅人が憩いの場、癒しの時間を 共有しているようである。 かく言うアルフレッドたちも、一日、歩き通して辿り着いたこのオアシスにテントを張り、 こうして休息を取っているのだが。 「カルチャーギャップって言えば、こんなバカデカい道路があるってこともオレには信じられねぇよ。 アウトバーンって言ったっけ? 廃墟みたいな扱いにするには勿体無いぜ」 「お前が使うようなトラウムのユーザーはこの辺りにはいないしな。 知り合いに一人いないこともないが―――普段から乗り回しているわけでもないから、 やはりユーザーは皆無だな」 「トラウム云々は知らないが、やっぱり勿体無ぇよ。ああ、勿体無ぇ。 オレの地元は工業団地みたいなもんだからさ、特に道路が入り組んでてな。 スピードを出すには郊外に出るしか無ぇんだが、出たら出たで舗装も行き届かないオフロードだ。 パンクしないか気にしながら走ってりゃ、もう気分が萎えて萎えて………」 「そんなに環境が悪いのか? ガンドラグーンだったかな、お前のバイク。 ああ言うモノが主流だったら、それに応じて環境も整備されて然るものと思うんだが」 「この間のプルタブの例えじゃないけど、アルフレッドの言う通り、 どうして誰も考えつかないのか、オレには不思議でしょうがねぇ」 「こんなだだっ広い道路で思いっきりバイクを乗り回したいぜ」とアクセルを利かせる ゼスチャーをして見せたニコラスは、日がな一日歩き通した長大なアスファルトの路を いたく気に入った様子である。 一つの大陸を縦断するほどに長大な高速道路―――キャットランズ・アウトバーンを。 グラウンド・ゼロと星詠みの石に別れを告げて本土へ戻ってきたアルフレッドたちは、 現在、ニコラスの抱える荷物の届け先であるマコシカの集落を目指している。 古代民族マコシカの一員であるホゥリーの手引きで集落への案内は確約されたものの、 現在地である“ロイリャ地方”からマコシカの民が根を張る“アクパシャ保護区”へ到達するには 恐ろしく遠い道程を経なければならない。 なにしろアクパシャ保護区は大陸の最南端。対するロイリャ地方は最北端の地域である。 ロイリャ地方からアクパシャ保護区へは二つの地域の間に挟まれたミキストリ地方の経由が不可欠であり、 通常のルートで踏破するには相当な長旅を覚悟する必要があった。 単に距離の遠近で計れば良いと言うものでもない。 各所に見られる峻険な獣道やクリッターの襲撃を加味すれば、歩みは鈍重にならざるを得なくなる。 エンディニオンにおける長旅は、かくも過酷なものであった―――が、そこは知恵持つ霊長類。 楽をする為…もとい、過酷な環境や状況を克服する工夫を求めた結果、 通常なら何週間もかかる道程を大幅に短縮する術を発見したのだ。 それが、このキャットランズ・アウトバーンなのである。 少し昔に遡って話をするならば―――今でこそ旅人たちで賑わうキャットランズ・アウトバーン、 数年前までは打ち捨てられるがままに風雨にさらされていた。 誰がどのような目的で建造したのかがどの文献でも確認されないことから、 大陸を貫くこのアウトバーンは“呪われた長城”、“異質なる夢魔の虹”などと恐れられ、 長らく誰も寄り付かない状態が続いていたのだ。 しかし、それも伝説の冒険者と名高い“ワイルド・ワイアット”が最北端から最南端までを踏破するまでの話である。 彼がこの“長城”を踏破し、安全性を確認して以来、最北端から最南端までを最短で繋ぐルートとして 旅人たちに重宝されるようになっていき、現在に至るのである。 ここを根城とするクリッターがそこかしこに徘徊している為、100%の安全ではないが、 幾重にも入り組んだ迷路の如き獣道を這いずり回るよりも一本道を進んだほうが、 時間・物資の両面で消耗を軽減できると言うものだ。 今やキャットランズ・アウトバーンは、ロイリャ地方からアクパシャ保護区を繋ぐ大切なライフラインとして、 人々の生活の中で重きを為していた。 大陸を横断できるアウトバーンを利用する旅人は数知れず、実際、アルフレッドたちも 今日だけで何組ものパーティ、隊商とすれ違っていた。 無人の廃屋と化していたサービスエリアを再利用し、キャットランズ・アウトバーンを行き交う 旅人を対象した新しいビジネスを開拓したのも、商魂逞しい人々の知恵である。 アルフレッドも正確には記憶していないが、テナントを呼び込んでサービスエリアを活性化させたのは、 ここより遥か遠くの大陸に位置する『グドゥー地方』の食品メーカーではなかっただろうか。 かくの如く商魂は海を越え、山を越えて行き届くのか…とサービスエリアの繁盛振りには 彼もしきりに感心していた。 つまるところ、今回の『マコシカ』集落行きについて、キャットランズ・アウトバーンは、 これ以上無い程に打ってつけのルートなのである。 長い道程にはなるものの、迷うことのない一本道であるし、視野不明瞭な場面でクリッターに 奇襲される可能性は皆無に等しく、なおかつ一定区間ごとに安全に休息できる場所も点在している――― 長旅が初めてのフィーナやシェインにとって、キャットランズ・アウトバーンは 足を慣らすに絶好の場所でもあるのだ。 ………などと雄弁を振るったアルフレッド自身、旅には不慣れで、そこを厭味ったらしさ全開で ホゥリーに突っ込まれたときは、さすがに反論の言葉が出て来なかったが、これはまた別の話。 当然ながら、制裁の一環としてグラウンド・ゼロに置き去りとされたダイナソーは、 キャットランズ・アウトバーン行の一隊には含まれていない。 港を離れ、キャットランズ・アウトバーンへ入ってしまった今、彼が何をしているのかを 知る術は無くなってしまったが、ニコラスに言わせれば、「口八丁手八丁はアイツの得意技だからな。 どうにかして切り抜けて、なんとかして追いついて来るだろ」とのことだ。 制裁の内容を聞かされたフィーナは、最初、あまりの冷酷さにドン引きしていたが、 ビビり入ったダイナソーがニコラスを見捨てて逃げ出してしまうのも、 それにキレたニコラスがどことも知れない場所にダイナソーを放り出して立ち去る制裁も、 そう珍しいことでは無いらしい。 毎回毎回、懲りもせずに制裁を下されるダイナソーだが、その都度、台所に現れるアレ並のしぶとさで 帰って来る。煩わしいほどのバイタリティで難を逃れて生き延びるのだ。 そう言い聞かされて、ようやくフィーナも納得したが、やはり釈然としないものが残っているらしく、 ことあるごとに「やっぱり連絡したほうがいいんじゃないですか? せめてヒントをあげるとか」と ニコラスに尋ねている。 「安心してくれって。野垂れ死んだら、そのときは供養くらいしてやるしさ。 これならあのトサカ頭も心置きなくくたばれるってもんだよ」 「あの…今の説明のどこにどう安心すれば良いのか、全くわからなかったんですけど………」 もちろん、ニコラスはその全てを殊更健やかな笑顔で丁重かつキッパリと断っていた。 「サムの話はこれくらいにしとこうぜ。せっかくのメシの余韻が台無しになっちまう。 それにほら、オレ、皿洗いの番だしんさ。………あいつの爛れきった脳味噌も 洗剤で洗い落とせりゃいいんだがな。いや、マジで」 「そ、そこまで言っちゃいますか………」 「まだ言い足りねぇ」 「………………………」 シェインがスプーンを置いたのを最後に夕食が一段落したことを確認したニコラスは、 空いた食器を集め始めた。 テントを張ってのキャンプは今夜が初めてではなく、キャットランズ・アウトバーンへ入るまでに 既に何度か経験しているのだが、その際、食事の準備やテントの設営と言った作業は ローテーションを組んで役割分担を回していた。 今夜の分担を例えとするなら、フィーナが食事を、ニコラスが後片付けの一切を担当するという具合である。 「アルは良い嫁さんを貰った」 フィーナが食事を担当する日は、誰ともなしにそんな声を挙げる。 市販のルーに独自の分量でスパイスを加えた味付けはそのまま三ツ星レストランに出しても 遜色ないレベルであるし、具の大きさも絶妙だ。 豚肉は丁寧にフランベしてあり、口に入れた途端に香ばしさが、噛んだ瞬間に閉じ込められていた旨味が 染み渡る工夫が凝らされていた。 辛味に配慮してコールスローサラダを添えている辺りもポイントが高い。 古今東西、男性が夢見る“理想のお嫁さん”のトップランカーは料理上手を絶対条件の一つとしており、 その点、三ツ星シェフすら脱帽する腕前のフィーナは花マル合格点であろう。 しかも、だ。彼女は料理の腕前だけでなく、日常のちょっとした動作や気配りにも 良妻賢母の将来を予想させる片鱗が見られ、ネイサンに「トリーシャに爪の垢を煎じて飲ませたい」と 涙ながらに言わしめた程である。 「良い嫁を貰った」と異口同音するのは、アルフレッドへの冷やかしも多分にあろうが、 半分以上はフィーナに対する素直な称賛であった。 ところが当のアルフレッドは仲間たちの冷やかしに対して極めて素っ気無い。 冷やかされたなら冷やかされたなりに照れて見せれば可愛げがあるものを、 「それにしてもエンゲル係数が高過ぎる。収入を上回る食費を出すようで、どうして良妻賢母と言えるものか」と 彼は眉をぴくりとも動かさずにそう切り捨てた。 事実、フィーナを経由した途端、山積みにして集めているカレー皿の量が一気に増えたのだから、 冷気帯びるアルフレッドの弁は実に正確だと言える。 フィーナの平らげたカレー皿の山・山・山をご愛嬌と微笑むべきか、それとも、嵩む食費を省みろと窘めるべきか。 後者優勢の判断を「こんなバカバカしい話に付き合うのは、時間の浪費だ」とばかりに保留したアルフレッドは、 洗い場として旅人に提供されている水道へ食器を運んでいくニコラスの背を目で追いながら、 ふとこんなことを考えていた。 (ニコラスも随分と馴染んだもんだな―――) 星詠みの石でのファースト・コンタクト以来、フランクなダイナソーと対照的に かしこまった態度をなかなか崩さずにいたニコラスだが、最近では、随分と地を出してくれるようになった。 最初の内は、他所のグループへ厄介になる人間の対価や“義務”のように黙々とこなしていた作業にも パーティの一員として積極的に取り組むようになり、客商売ならではの丁寧な態度、 ともすれば他人行儀に思えてしまう立ち居振舞いもダイナソーに使うような砕けたものへと変わりつつある。 これまで“ライアンさん”と言った具合にファミリーネームを用いていた呼び方も、 今では“アルフレッド”とファーストネームに変わっていた。 奇妙な縁から始まったニコラスとの関係や距離が、少しずつ近付いて来ている――― そう思うと、アルフレッドは胸の奥がほんのりと温かくなるのだ。 「………アル―――あの、あのね………」 「ん?」 「あの―――えっとね………ほんのちょっとだけ寂しいんだけどね―――」 「なんだよ、一体」 「―――………ニコラスさんとなら………いいよ?」 ニコラスの背を見送りながらほのかに微笑を浮かべるアルフレッドの横顔へ、 頬をものすごく上気させたフィーナが、唐突に意味不明なことを口走った。 「………は? 何が?」 「だから、アルとニコラスさんが、なんて言うか、お似合いだなって。 ………すごくお似合いだから、私、ちょっとだけなら我慢して目を瞑れるよって………」 「………………………」 「アルの誘い受けとか良いんじゃないかな」 「………………………………………………」 自分の恋人に対して、何を血迷ったのかフィーナは暗にニコラスとの浮気を促したのだ。 しかも鼻血をティッシュで抑えながら、だ。 これを意味不明と言わずして、何を意味不明と定義すべきか。 「………お前の言っていることには、時々、本当に随いていけなくなるんだがな。 一体、どう言う意味があるんだ?」 「ん? ………深い意味」 「………いや、俺は具体的に何を差しているのかをだな」 「だーかーら深い意味だってば。なんて言うか、こう、心の機微の究極的な繋がり? みたいな?」 「………通訳を呼んできてくれ。お前と俺との間にある認識の壁を取り払える人間を。 旅行者の中に一人くらい混ざっているだろう」 本人にも言い放った通り、フィーナの言動には、時折、このように理解不能なものが入り混じる。 グリーニャにいた頃からそうだった。 アルフレッドと心を通わせているにも関わらず、彼をクラップと二人きりにしたがり、 その都度、「親友が親友を超える瞬間って、きっとあるんだよ」と理解不能なことを口走っていた。 テレビや漫画で美少年同士が見詰め合うシーンが出て来ようものなら、 愛らしい顔立ちを台無しにするのも構わず鼻血を垂らして興奮する始末である。 鼻血をティッシュで抑えながら妄言を放ったあたり、今回もアルフレッドには理解の出来ない何かに対して 沸騰寸前に興奮している様子だ。 「―――ッ! そっか! ニコラスさんの鬼畜攻めって手もあるよねッ! 閉ざしてた心が開いていくうちに素直な自分が目覚めちゃったりとかッ!? 右も左もわからない土地での混乱を癒してくれたアルなのに、恩を仇で返す的なッ!? ………一種のストックホルム症候群ッ!? 吊り橋並にピンチなシチュエーションが 二人を大胆かつ解放的にさせるんだねッ!!」 ………あるいは、もう沸点を突破しているのかも知れない。 「ごめんね、アル。やっぱりアルは俺様受けが良かったよねッ!」 「煩い。………ホント、黙ってくれ!」 理解しようにもどこに取っ掛かりを求めれば良いのかも不明確な悪癖には、 さしものアルフレッドも手を焼かされていた。 グリーニャにいた頃は、目に余る娘の暴走に呆れたルノアリーナが彼女を押し入れや物置に 閉じ込めて頭を冷やさせたものだが、故郷から遠く離れた旅先では母の援護は期待できない。 ライアン家の母は怒声でなく行動にて反省させるタイプであり、 モバイルを介してルノアリーナに叱責して貰う手段は、あまり意味を為さないだろう。 お日様のようないつもの笑顔でフィーナを暗所へブチ込む母親パワーをもってしなければ、 ルノアリーナのお仕置き足りえないのだ。 母に頼らず自力での解決を模索しようにも、やはり誰かの援護は必要だ―――が、 フィーナの性癖を理解して助けになってくれそうなシェインは、先ほど着信のあった電話に 出ていてこの場を離れており、境遇を同じくするムルグは見て見ぬフリ。 ネイサンは雑誌を立ち読みにしサービスエリアへ行ってしまっているし、 ホゥリーに至っては既に高いびきで爆睡中である。 (元々期待はしていなかったが、肝心なときに本当に役に立たないヤツだな) 腹立ち紛れにホゥリーの脇腹を一発蹴り上げたアルフレッドは、 次いで、妄想に憑依されたまま別な世界に旅立ったフィーナの頬を溜め息混じりで抓りあげた。 「少しは元気が戻ったみたいだな」 「………アル………」 「今みたいな暴走は困りものだが、やっぱりお前は煩いくらいが似合ってるよ」 最初こそ戒めに力を込めていたアルフレッドだったが、少しずつその力を弱め、 やがてフィーナの頬の感触を指先で楽しむような優しい抓り方へとシフトしていった。 興奮一色であったフィーナの紅潮も、アルフレッドが指先へ込める力が移ろうに従って その意味合いを変えていく。 フィーナの瞳が安らぎに変わる頃には、アルフレッドは両手の平で彼女の頬を柔らかく包み込んでいた。 男性らしくゴツゴツとした彼の手の平の感触を、彼の体温をたまらなく好むフィーナは、 思わずまどろんでしまいそうになる安らぎを噛み締めながら、そっと瞳を閉じた。 そうして、心から安らいだ微笑を浮かべ、自分の両手の平をアルフレッドの両手の甲へと重ねる。 アルフレッドの体温と自分の体温とが指先から心へ伝って溶け合うようで、 例えようのない幸福感で満たされたフィーナの瞳に、安らぎに閉ざされた両目の縁に、 温かい雫が玉を結んでいた。 その想いを、表すには言葉に足りない幸福感をアルフレッドも共にしてくれているらしく、 触れ合いを通じて二人の体温は更に高まっていった。 「うん………グラウンド・ゼロでたくさん元気を貰ったからね」 「気分転換になったなら良かった―――が、グラウンド・ゼロと言えば、 お前、船の中で誰かに挨拶していたな。………あれは、何だったんだ?」 「ん? また会おうねって挨拶、かな。元気をくれたお礼も込めてね」 「ちょ、ちょっと待て。今のは聞き捨てならないぞっ? いっ、一体、誰のことを………」 「ヒ・ミ・ツだよ〜。カノジョを信用しないで、そーゆー想像しちゃうアルなんかには 絶対に教えてあげないんだから♪」 「な………っ」 「行ってよかったな〜、グラウンド・ゼロ。ステキな出逢いもあったしぃ〜」 「で、出逢いって………お、おいっ、フィーっ!」 普段、素っ気無いフリしておいて、実はフィーナ以上に想う心の強いアルフレッドだ。 こう言う風なからかい方をすれば、怜悧を気取った能面をかなぐり捨てるリアクションを返してくれるのも フィーナにはよく分かっていた。 案の定のリアクションで慌てる恋人の様子へ愉快そうに喉を鳴らしたフィーナは、 アルフレッドの混乱しきった顔を覗き込むかのようにして爪先で立った。 自然、二人の唇は距離を縮めていき、ゆっくりと重なり合わさる。 唇を覆った温かさと、自分だけが知る柔らかな感触によって平静を取り戻したアルフレッドは、 ようやくからかわれていたと気付き、仕返しとばかりにフィーナの頬を抓りあげた。 もちろん、戒めの力など入れず、彼女の頬の柔らかさを楽しむようにして。 「………フツー、こーゆー場合(とき)ってさ、もうちょっとロマンチックなものだよね。 見詰め合う恋人って言ったらさ、オシャレなBGMとかあってさ」 「会う人会う人に朴念仁と言われる俺だ。味気ない場所のほうが逆に似合いだと思うがね。 ………まあ、朴念仁の俺にも、この状況がムードもへったくれもあったもんじゃないことはわかる」 「すごい血ぃ滴ってるもんね。ありえないくらい真っ赤だもんね、顔中………」 「正確にはドス黒いと言う表現が合っているな」 名残惜しそうに唇を離したアルフレッドは、しかし、のんびりと余韻を味わってもいられなかった。 なにしろ頭のてっぺんからドス黒い鮮血が滴り落ちて来ているのだから、尋常ならざる状況である。 ………尤も、「またか」と溜め息を漏らすアルフレッドには自分の身に起こった突然の怪異の正体が 分かっているようだが。 「コッカッカッカッカッカッ!!!!!! カカカカカカカカカカカカカカカカカカッ!!!!!!」 嫉妬に狂ったような――いや、実際、嫉妬に狂っての凶行なのだが――叫び声を アルフレッドの頭頂部で上げるのは、もちろん自他共に認めるフィーナのパートナー、ムルグである。 百獣の王とて裸足で逃げ出すほどに強烈な負の感情を迸らせる嘴は、 獲物を狙う啄木鳥のように何度も何度も何度も何度もアルフレッドの頭頂部へ打ち付けられていた。 「この泥棒猫がッ!! 百万回死のうが絶対ェ勘弁してやらねェッ!!」 ムルグの絶叫はパートナーたるフィーナにしか人語に訳せないものの、 嘴が血に染まるのも構わず執拗にアルフレッドの後頭部を抉り続ける姿から察するに、 彼女の身を焦がす感情は概ねそんなところであろう。 「今日はまたエグッてんな〜、ムルグのヤツ。アル兄ィが使い物にならなくなったらどーすんだろ。 ってか、周りの人たち、ドン引きだっての。あーあー、隣のテントに返り血飛んじゃってるよ」 『ははは―――顔面流血のアルが目に浮ぶぜ』 ―――と、恋人同士の甘いやり取りからサスペンスな状況へ一変したアルフレッドたちの様子を こっそり覗き見していたシェインは、電話の向こうの相手と同時に噴き出した。 声しか捉えられないモバイルでは想像に任せるしかないのだが、きっと通話の相手も 自分と同じように腹を抱えて笑っているハズである。 『相変わらず元気にやってるみたいじゃねーか。………安心したぜ。 ほら、アルの野郎、メールだって返さねーし、そっちの状況が掴みにくいんだよ。 フィーにメールすんのもさぁ、やっぱ気が引けるしさぁ〜。お前だけが情報源だぜ』 「だって、アル兄ィだよ? フィー姉ェとムルグが一緒で騒がしくならないほうがヘンだって。 ………フィー姉ェもさ、星詠みの石から戻って以来、元気になったみたいだしさ」 『そっか。………ああ、また一個安心したよ』 「意外と心配性なんだな、クラ兄ィは」 「故郷(くに)に残った人間っつーのは、そ〜ゆ〜もんなんだよ」 シェインのモバイルへ電話をかけてきたのは、今もグリーニャに残って 幼馴染みたちの無事を願っているクラップだった。 今夜のようにシェインがクラップからの着信に呼び出されることはそう珍しい光景ではなく、 故郷に残ったもう一人の兄貴分は、二日と置かずメールなり電話なりを寄越して 皆の安否を確認していた。 一人だけ故郷へ残った為、幼馴染みたちがどんな場所を旅しているのか、 どんな状況に直面しているのかもわからないクラップには、一行の無事がよほど心配でならないのだろう。 どこにいるとも知れない暗鬼へ疑心を抱くかのようにアレやコレやと考えあぐね、 その結果、シェインをして「ボクらの旅の対策本部」と言わしめるほどに 頻繁にコンタクトを取るようになっていったのである。 それでも心配性を気取られるのが照れ臭いのか、いちいち「カッツェのオヤジさんが フィーを心配しまくっててさぁ」だの「メールが無理なら、電話だってイイだろ。 お袋さんに元気な声、聴かしてやれよ」だのと前置きを付けて来るところが シェインには可笑しくてしょうがなかった。 ルノアリーナやカッツェが子供たちの旅路を案じているのは確かだし、 何かの折に触れてそれとなく近況を確認するようクラップに頼んだかも知れない。 だが、一つだけハッキリと言えるのは、危険を承知した上で子供たちの決意を認め、 果てない旅へと送り出した両親が、過保護にも一日一度の安否確認を クラップにせがむなど考えられないと言うことだ。 子の成長を望む親として、過ぎたる甘やかしはあまりに情けなく、 かつ、ライアン夫婦は子供たちの健やかな成長を阻害する横槍を入れるような、 堕落の温床と庇護とを穿き違える蒙昧の人間とは全く相容れなかった。 千尋の谷へ突き落とすとまでは行かないまでも、ある程度の厳しさをもって カッツェとルノアリーナが子供たちの教育を行ってきたと分かっているシェインには、 ………かく言う自分自身もそのようにして面倒を見て貰い、今日まで育てて貰ったシェインには、 話の取っ掛かりとして添えられる前置きがクラップの苦心の末の口八丁だと見抜けてしまうため、 毎回毎回、「村の誰某が心配して〜」などと見る度に聞く度に笑えて仕方が無い。 シェインの口元に浮ぶ笑みだが、クラップの空回りに対する嘲笑なんかではなく、 心配性な兄貴分に対するこそばゆさや感謝の微笑であることを明言しておこう。 『今はどこだっけ? 例の“長城”には入ったんだっけか?』 「そ。今夜はヨコカワのサービスエリアでキャンプだよ。さっき、晩メシ済んだとこ」 『まだまだ先は長ぇな。………新入りはどうなんだ? 上手く行ってるか?』 「新入りって言うか、依頼主って言う方が合ってるかもね。 ラスのナビゲートがボクらの初仕事なんだもん」 『お前やフィーは人懐っこいから大丈夫とは思うんだがな、アルの野郎が心配でなぁ。 あいつ、初対面には構えるトコがあるし、クセがあっからよ。 折り合いが悪くなっちまったら、やりづれぇだろ』 「そんなに気になるんなら自分で訊けばいージャン。メールとか電話とかさぁ。 なんなら代わろっか? 通話中だって言えば、さすがにアル兄ィだって拒否らないっしょ」 『あいつにそんな可愛げがあったら、今頃、オレのメールボックスは“アル”の名前で埋まってるよ。 試しにあいつんとこ、持ってってみ? 煩わしいの一言で見向きもしやがらねーだろーから』 「さすが親友。アル兄ィの性格をよく分かってんね〜」 『ちっとも嬉しくねーっての。………ったく、困ったダチを持つと気苦労絶えねーよ』 クラップが連絡を取るのは、専らシェインだった。 会話にも現れた通り、自他共に認める親友であるハズのアルフレッドだが、 彼はモバイルへ入るクラップからのコンタクトを基本的に全て無視していた。 元々、アルフレッドは「犬笛」と吐き捨てて憚らないほどのモバイル嫌いなのだ。 時間と場所を弁えずに鳴り響く着信音やバイブレーターには、 例えそれが自分のものでなくても露骨に眉を顰めて不機嫌になるし、 必要に駆られて自分から相手へコンタクトを取ることすらアルフレッドは好まなかった。 猥雑な環境を「煩い、黙れ」と嫌って止まない彼らしい一面ではあるのものの、 連絡を取りたがっている人間にとっては良い迷惑だ。コミュニケーションの一環である世間話はもちろんのこと、 安否確認などの必要なやり取りをも黙殺されてはたまったものじゃない。 クラップが友達甲斐の無いヤツだと悪態を吐きたくなるのも無理からぬ話と言える。 もう一人の幼馴染み―――フィーナもクラップにとっては可愛い妹分なのだが、 親友と恋愛関係を結んでいる事実を考えるとさすがに一歩引いてしまい、 そうなると気兼ねなく連絡を取れる相手がシェインに絞られるのは必然の流れであった。 グリーニャを出立して早一ヶ月が経過したが、その間にシェインはアルフレッドと村を繋ぐ 殆ど唯一のパイプ役となっていた。 「そーいやさ、クラ兄ィん家は時計屋だよね」 『おう、由緒正しい時計職人だぜ』 「部品の一つにまで気を張ってさ、手作業で全部仕上げるのって大変じゃない?」 『根気のいる作業ではあるけどな。その分、やり甲斐はあるぜぇ。 組み上がったときの輝きって言ったら―――って、急にどしたん? 冒険者辞めてオレに弟子入りするってか?』 「そーじゃないけどさ、ちょっと不思議な話を聴いてさ」 『時計屋の?』 「ていうか、職人仕事のハナシね。ラスが言うにはね、あいつの住んでるところじゃ、 時計とかとか、全部、工場で大量生産してるんだって。 なんたらコンベアって言うベルトが横に流れる機械を使ってさ、 そこに乗っけられた部品を社員の人たちが組み立ててく感じ」 昼間のニコラスとのやり取りの中で出てきたカルチャーギャップの一つを、 シェインはクラップにも投げてみた。 時計職人を営むクラップにとっても、オートメーション化された作業は身近なこととして 感じられる話題であろう。 『いまいちピンと来ねぇけど………一人の人間が最初から最後まで面倒見てやるんじゃなくて、 誰がどの部分を作るとか指示があって、それに沿って皆で組み立ててくってんか?』 「そうそう、そんな感じ。担当する部分ごとにセクションが決まってて、 一箇所組み立てる度に次の工程へ回してくんだってさ」 『そーゆー流れ作業っぽいのはあんま好きじゃねぇなぁ。 作業としちゃあ合理的だし、大量生産は出来るかもだけどよ、モノには魂を吹き込まねぇと。 オレたち、職人は、部品の一個一個まで魂を吹き込むつもりで組み立てていくんだ。 パッパッパとやられたんじゃあ、時計が可哀相だぜ。モノ作りに必要なのは愛情だもん、愛情。 流れ作業で作ってたら部品同士の相性とかも見えねーだろ。そんなもん、すぐに壊れちまうんじゃねーの?』 「そこら辺は聴かなかったけど、とにかく大量生産してかないとノルマに追いつかないんだって。 職人なクラ兄ィなら、この話聴いてどう思うのかなーってさ」 『この村に生まれて良かったよ、オレは。能率悪くたって、オレは時計と向き合っていたいね。 そいつが職人魂ってもんよォ』 どうやら時間の流れが穏やかなグリーニャで育った時計職人にとって、 ニコラスの暮らす都市で常識化しているオートメーション化された工場や 大量生産・大量消費の体制は理解し難いモノであったようだ。 命と魂を吹き込みながら、丹精込めて組み立ててゆく“量より質の”職人と “質より量”の大量生産体制の間にはやはり大きな大きなカルチャーギャップがあった。 職人仕事と大量生産は理念からして相容れるものではなく、両者の間に生じた溝は おそらく永遠に埋まるまい。 『ますますアルが心配になっちまうな。そんな風に感覚の違うのとあの不器用人間が 上手く付き合えんのか? ホントは無理して合わせてんじゃねーのか?』 「そーゆー素振りは今んとこ無さそうだよ。」 『いや、ほら、あいつってばポーカーフェイスなところがあんだろ? お前らの知らない間に内側に溜め込んじまったりとかさ』 「仮にそうだとしてもフィー姉ェが気付くって、絶対。それが無いってことは大丈夫の証拠じゃないかな」 『いや、あいつを信用し切るのは危ねぇ。新入りってのはオレ並みの優男なんだろ? ………また頭ん中にお花畑咲かせてんじゃねーのか、きっと。 熱に浮かされたバカに注意力を求めるのは危ねぇ賭けだぜ』 「被害者の言葉だけに否定はできないけど―――」 明らかに甘やかし過ぎなクラップの募らす杞憂と裏腹に、要注意と目されるニコラスは、 皿洗いから戻ってくるなりムルグの猛襲からアルフレッドを庇ってやり、 しかし、血だらけになるまでの過程も見ていたらしく、「これじゃサマにならねぇぞ、彼氏ィ」と 血だらけの顔を指差して冷かしている。 無礼とも言えるニコラスの破顔に憮然と眉を顰めるアルフレッドではあったが、 その口元には薄い笑みが浮んでいた。 軽口を叩き合えるくらいに距離が縮まったことを喜ぶ笑みだ。 なおもモバイルの向こう側でグチグチと気を揉むクラップに苦笑するシェインは、 気遣わしげな声に「アホウなやり取りで笑い合えるんだから、 心配するほうが失礼ってもんだよ」と返しながら通話の終了ボタンを押した。 ←BACK NEXT→ 本編トップへ戻る |