3.All Along The Watchtower


 一夜明けた翌日のアウトバーン行は、周りのキャンプがあらかた引き払われた
午前十時過ぎから始まった。
 比較的、遅い時間から旅路を再開したのには、アルフレッドなりの考えがあってのことだ。
 昨日までに計測した一日の移動距離とそれに所要する時間をロードマップと照らし合わせ、
ちょうど日没頃にサービスエリアへ入れるよう彼は計算を立てたのである。

 早くに出発し過ぎても、午前十時を回ってからサービスエリアを立っても、
今日の夕暮れは路上で向かえる羽目となり、つまり、クリッターの奇襲を警戒しながら
身心の休まらない夜を過ごさざるを得なくなる。
 士官学校にて夜中行軍の訓練を受けたアルフレッドはともかく旅慣れないフィーナやシェインにとって
それは大きな負担であり、キャットランズ・アウトバーンを無事に通過する為にも
路上でのビバークは何としても回避したかった。
 遅い時間の出発となる為、一日の内に移動できる距離は確かに短くなってしまうが、
安全性を考慮すれば、これ以上にベストの計画はあり得ない。
 自分たちが旅慣れないパーティであることを自覚し、安全を第一に進路を取るべきだ―――
それがアルフレッドの弁であった。

 フィガス・テクナーへの帰還や最悪の場合のダイナソーの回収を考慮すれば急ぐ旅には間違いないが、
だからと言って焦ってはことを仕損じる。
 今日までの経験から焦りの危険性を学んでいたニコラスがアルフレッド支持を表明したのを受け、
彼の立てた計画を踏襲する決定がなされた。
 元より合理的かつ能率的に旅を進められる計画に反対を唱える理由も無い。

 フィーナたちが賛同の手を挙げてくれる中に在って、ホゥリーただ一人だけが、
上手く行くものか。計画と言うものは崩れる為にあるだの、調整は道中でいくらでもつくのに、
決まりきった時間に出発するなんて杓子定規にも程があると最後の最後まで
難癖を付けていたのだが―――

「だーかーら、アドバイスしてやったじゃんヨ。今んポイント、どんだけタイムをロスってるか、
チミの優秀なブレインは把握してるんかい? 一アワーだヨ、一アワー。
こりゃやっぱトゥデイは路上でビバークかなァ? ―――あ、なるなる! なるほど!
世の中、そうそう上手く行かないってことをトーシロちゃんにレクチャーしてあげようって
プロジェクトだったリエゾンね! はいはいはいはい、ラジャったよ♪
ハングリーなスピリットのトレーニングにもなるし、一ストーン二バードをスナイプたぁ、
さっすがボキらの軍師サマだネ♪」
「………皮肉はそれくらいにしろ。俺の責任として後でいくらでも聴くから、
せめて今だけは舌を別な用途に使え」
「アイロニー? とんでもナッシング! ボキはチミの深慮遠謀をリスペクトしてるんだよ?
アドベンチャーにサプライズは付き物だもん。ボディーをもってレクチャーしてやろうって
チミのスパルタ教育には脱ハットするっきゃだヨ♪」
「………………………」

 ―――口惜しくも“歩く脂肪分”と蔑んで憚らないホゥリーの言う通りの状況となってしまっていた。

『ごめん、アル、ちょ〜っとだけ寄り道しても良いかな? 後からすぐに追い付くからさ。
ね? ね? ね? 実入りの少ないリサイクル屋を助けると思ってさ』

 発端はネイサンのこの一言だ。

 グリーニャで起こった思い出すのも忌まわしい類例と同様、キャットランズ・アウトバーンの各所にも
何者かが不法に投棄したと思しき廃棄物が散見された。
 “呪われた長城”などと恐れられ、近年まで人の手から離れていたこの場所は、
なるほど『スマウグ総業』のような悪徳業者にとって格好のゴミ捨て場であろう。
 キャットランズ・アウトバーン踏破を目指す普通の旅人にとってゴミの山などは、
障害物でこそあれ、立ち止まって調査を行ないたいとは到底思えない無価値なオブジェクトだ。
そうした毒にも薬にもならないオブジェクトが路上に放置されたままであることはアルフレッドも
周知しており、当初はご多分に漏れず無視の一手を決め込むつもりでいた。
 まして『スマウグ総業』とのイザコザを想起させるような物体に、誰が好き好んで近付くものか、と。

 しかし、アルフレッドは経路の状況へ気を配るあまり、すっかり足元を見落としていた。
 今回の同行者の中にはネイサンも含まれており、彼が“メシの種”としているゴミもとい有価物を
見過ごすハズが無かったのである。
 たまたま通りかかったゴミの中に、喉から手が出る程に欲していた回路パーツを見つけたらしく、
それが目に止まるや、居ても立ってもいられなくなったネイサンはアルフレッドの返事も待たずに踵を返し、
シェインやホゥリーの呆れた溜め息を背に受けつつ、あっという間に宝の山へと戻っていってしまった。
 メシの種とは実に当を得た言い回しだ。

 ゴミの山へ文字通りダイビングしていくネイサンの姿は、ドッグフードを前にした腹ぺこ犬そのものである。
 金属か何かが腐ったような悪臭の垂れ込めるゴミの山に嬉々として乗り込み、
あまつさえ泥だらけ・オイル塗れになりながら、あちこちに引っ掛かった回路パーツを取り出そうと
躍起になるネイサンのハングリー精神(あるいは商売魂)を、アルフレッドはとても真似できそうにない。
 と言うよりも、真似をしたいとも思わなく、どうせオイルの匂いにやられるのであれば、
自宅に構えたガレージで思う存分メカニックの仕事へ打ち込んで打ち込んで打ち込んで…、
そうやって染み付いた手の平の匂いで駄目になりたいところだろう。

 余談はともかく、せっかく通過した道程を逆戻りされることほど、計画の立案者たるアルフレッドには
腹の立つことは無いのだが、親友を標榜しているとは言え、ネイサンはあくまでも善意の協力者。
本来の仕事を一時業務縮小してまで危険な旅に付き合ってくれているのだ。
 ならば可能な限り、本業に持ち帰って得するものをネイサンに与えてやりたいと思うのが、仁義ではなかろうか。
 彼のプラスになることを積極的に選びたい―――そう思って渋々ながら別行動を許可したアルフレッドであったが、
それは「頼めば自由時間を世話してくれる」と言う悪しき前例を作る羽目ともなってしまい、

『ちょっと遠乗りしてきていいか?』

 次いでニコラスがそんなことを言い出したから、さあ、大変。
 ニコラスの地元であるフィガス・テクナーの道路は大都市ゆえに細かく入り組んでおり、
あまりスピードを出すには適さない環境で、バイクが趣味の彼には物足りなかった。
 郊外に出たら出たで、彼が自ら語った通り、整備されていないオフロードを走行するには、
パンクや故障を避けるよう気を配る必要が不可欠であり、とてもバイクを満喫しているとは言い難い。
 一度で良いからどこまでも続くアスファルトの道路を、パンクや故障の心配もしなくても良い環境の道路を
思いっきり走ってみたいと願っていたニコラスにとって、キャットランズ・アウトバーンは
まさしく夢のプレイスである。

 ガンドラグーンに本当の道路(みち)ってのを教えてやりたいんだ―――気兼ねの無さが
芽生えたのを良いことに、ニコラスはアルフレッドへそう願い出たのだ。
 ニコラスが走り回りたいと言うのはロイリャ地方へと抜ける一本道で、
ほくほく顔のネイサンがへばりついている宝の山とは正反対の方角であった。

 時間へ間に合うよう合流できるか否かで一抹の不安を抱いたアルフレッドだが、
最悪の場合は引っ叩いて連れて来れば良いだけの話である。
 それに、だ。「首輪使おう、首輪! その場合はアルがリードね、絶対ッ!」と興奮収まらない様子で
ヒートアップするフィーナと、何でもかんでもケチを付けたがる捻くれ物のホゥリー以外は、
皆、聞き分けが良く、また、自己管理もしっかりと出来ている。
 ニコラスもネイサンも、いざとなったらちゃんと戻ってきてくれるとアルフレッドは信じていた―――

(どうしてあのときに許可を出してしまったんだ。………サービスエリアで情報は集めておいたハズだぞ。
危険性は予測できたはずなのに………クソッ―――なのに………ッ!)

 ―――が、一抹の不安をその場限りのものとせず、どうして熟慮熟考しなかったのかと自らの軽率を呪い、
こうなる危険性を想定し、回避の手立てを探れなかった自らの迂闊を大いに悔やむことになるのは、
「信じる」と決めてから僅か五分後のこと―――つまり矢継ぎ早にホゥリーからの厭味が飛来する
今現在のことである。

 今現在、アルフレッドたちはクリッターの群れに襲われていた…が、それ自体はさして珍しいことではない。
 いくら人の手が入り始めたとは言え、キャットランズ・アウトバーンは元々風雨にさらされていた無人の廃墟である。
しかも、貧して鈍した愚者どもがこの地に有害な廃棄物を不法投棄している有様であった。
 総じて廃棄物の周辺に集まり易いとの習性を持つクリッターが、ここまで整った生活環境を逃す手はあるまい。
たちまちキャットランズ・アウトバーンはクリッターの巣窟と化し、種族やグループによっては、
サービスエリアなどの広いブロックをナワバリとして占拠してしまうケースも発生していた。
 そうした背景のあるキャットランズ・アウトバーンであるから、肉食そそる芳香に胃袋を刺激された
かの化け物どもが旅人たちの前に姿を現すのは日常茶飯事であり、アルフレッドが自身の迂闊を悔やむ理由には
到底足らなかった。

 問題なのは、ネイサンとニコラスがそれぞれ別の場所でクリッターに包囲されている点だ。
 ニコラスは遠乗りしている最中に戦車タイプのクリッターに、ネイサンはラフレシアを象る大型クリッターに
それぞれ襲撃されて身動きが取れなくなってしまっている。
 ガンドラグーンをバズーカ形態にシフトさせれば最前線に踊り出すことのできるニコラスならまだしも、
第三者をしてポンコツばかりだと後ろ指差される貧乏リサイクルポンコツもとい“発明品”を
護身用の武器とするネイサンでは、クリッターの群れの撃退など望むべくもない。

 悪いことは重なるもので、ニコラスが向こうに回した戦車タイプのクリッターは、集団で標的を取り囲み、
連携を組んで次々と強襲してくる習性を持っていた。
 この習性、個別破壊をコンセプトに設計されたレーザーバズーカとの相性は最悪だ。
 強烈な照射でもって一体二体を破壊せしめても、その間に急速接近してきた
第三陣・第四陣のクリッターどもに押し流され、獰悪なる機械の牙の餌食とされてしまうだろう。
 仮にトントン拍子で撃破していったとしても、一定時間ごとにやって来るエンジンのクールダウンや
エネルギーチャージのタイムラグによって照射が途切れた瞬間に喉笛を食い千切られる。
 直面した危機を覆すには、やはり一度に複数の敵を葬る広範囲攻撃が有効なのだが、
現在までにレーザーを拡散させる機能はガンドラグーンには搭載されておらず、
いよいよ包囲網突破に暗雲が垂れ込めてきた。

 ネイサンもネイサンで苦闘の連続だ。
 こちらはお手製爆弾をバラ撒くことで広い範囲を一時に爆破することができるのだが、
一発一発の威力はいささか低く、大輪の花の如き大型クリッターにとっては蚊に刺された程度の
ダメージしか与えられずにいる。
 致命傷を与えるには堅牢な防御力を貫通せしめるような破壊力で叩き伏せるしかなく、
しかし、ガンドラグーン並みの破壊力を発揮する術をネイサンは持ち合わせていない。
 お手製爆弾を一箇所に集中して放り投げ、誘爆による大ダメージも試みはしたものの、
文字通り、歯が立たない状況である。
 ダメージソースの欠損も深刻だが、それ以上に危ういのはネイサンの体力だ。
 もともと戦いに慣れていないネイサンにとって、大型クリッターとの遭遇は身心を磨り減らすような経験である。
まして状況が状況だけに消耗のスピードは上がる一方。
 肩で息をし、額には脂汗まで滲んでおり、このままではあと数分とて保ちそうになかった。

 ニコラスとネイサンが逆の位置にいれば状況は変わったかも知れない―――誰もがそう考えてしまうが、
起きてしまったことに対して無い物ねだりをしても虚しいだけである。
 重要なのは、眼前に広がる危機的状況を見極め、最前の打開策を練り上げることなのだが、
悠長に考えを巡らせていられるほどの余裕はアルフレッドにも許されてはいなかった。
アルフレッドたちもまたクリッターのグループと交戦中なのだ。
 先ほど述べた通り、悪いことは重なるもの。厄介なことにこの辺りのナワバリのボスである
大ムカデのクリッターまでも姿を現し、救援へ向かえずに焦れる一行の前に
大きな壁のように立ちはだかっていた。

 ナワバリのボスを張るだけあってこの大ムカデは非常に強力で、
硬い外殻はアルフレッドの体術どころかフィーナの銃撃をもってしても殆ど通用せず、
有効打と言えばシェインがけしかけた『ビルバンガーT』の鉄拳くらいなものである。
 人の手に余る巨体と対するには、やはり人外の剛力をもってするのが善の善なのだろう。
数百キロもの重量をたっぷり乗せた鉄拳の前にはさしもの大ムカデも大きく跳ね飛ばされた。

「行けッ! パンチだ、ビルバンガーッ!」

 シェインの号令に応じて山鳴りのようなマシンボイスを上げるビルバンガーTは
大ムカデ相手に取っ組み合いの善戦を見せているものの、一時、形勢を逆転したからと言って
アルフレッドにはこの状況を有利と楽観視する気にはとてもなれなかった。
 ビルバンガーTは活動限界まで三分とタイムリミットが決まっている。
 その間に決着をつけられなければ、一瞬の内に形勢はひっくり返され、被った手痛い反撃が
壊滅の危機を呼び込むのだ。楽観視するどころか、焦って然るべき状況なのである。
 それがわかっているかのように大ムカデは驚異的な粘りを見せ、トドメとばかりに繰り出される
ビルバンガーTの鉄拳を間一髪で避け、決着の刻限を先延ばしにしている。

「くッそ………! そこはやられとけよッ! テレビゲームのボスキャラならなぁ、
今頃、お約束よろしくぶっ飛んでるんだぞっ!?」

 タイムリミットが来れば折角の優勢が台無しになることは、誰に言われるまでも無くシェイン本人が
最も痛感しており、その焦りは、辛うじて客観の立場を保てていられるアルフレッドなど
比べ物にならないほど深く、大きく、甚大なものである。
 護身用に持たされたCUBEを握り締めながらも、それを使うことさえ思考の枠から抜け落ちてしまうほどに焦り、
歯噛みするシェインは、見れば全身から汗が噴き出していた。

「コカカッ! カカカカッカカカァァァーッ!!」

 遊撃の役目をフィーナから指示――最初はアルフレッドに指示されたものの、これは無視した――された
ムルグもネイサンとニコラスの双方の戦域を飛び交って仲間の窮地を救うべく奮闘しているのだが、
あちらを立てればこちらが立たないと言う諺そのままに次第に動きが鈍くなっている。
 ………混乱だ。混乱が、ムルグを惑わせ、正確な判断力を殺ぎ落としてしまっているのだ。
 ラッシュアワーさながらに慌しく飛翔する中で、どの状況で仲間を助けるべきか、
どこまでのピンチを見過ごして良いかの判断で混乱が見え始めていた。

(俺のせいだ―――が、さりとてここで悔恨していても始まらない―――戦わなければ………!
戦いに勝つ手立てを見極めなければ………ッ!)

 西と東に分断された仲間たちの健闘を見守りつつ、誰がどちらの加勢へ入るかを熟考するアルフレッドだが、
彼自身が大ムカデとの戦いに気を張っている影響か、浮かんでくるものと言えば迷走と逡巡のみで、
劣勢を挽回し得る具体的な手立ては悩んでも悩んでもひねり出せずにいる。
 各々の戦い振りを洞察し、わずかな情報とて漏らさぬよう聞き耳を立て、
士官学校にて学んだ知略と符合させようと努めれば努めるほど、この不利が覆し難いものなのだと
現実味を帯びて迫ってくる。
 綿密な計画を練り上げておきながらニコラスとネイサンの勝手を許した自分の判断が
結果として全てを破綻させてしまったのだ。自分の判断ミスで最悪の状況を作り出したということが、
アルフレッドにはいっとう堪えた。

 戦略上の常識に照らし合わせて考えれば、圧倒的に窮地なのはニコラスだ。
 会心の一撃は難しいものの、ネイサンが立ち向かっているのは大型クリッターただ一体であり、
逃れようと思えば逃れられないこともない。もしも、彼が逃亡の素振りを見せたなら、
アルフレッドは我が身を盾にしてでも助けに入るつもりでいた。
 しかし、ニコラスは違う。
 機動力に長けたクリッターの群れに鼠一匹とて逃げられないだろう完全なる包囲網に捕まってしまい、
あまつさえ広範囲への攻撃手段を持ち得ないニコラスには、援護を差し向けることさえ困難だ。
 押っ取り刀よろしく迂闊に駆けつけようものなら、援護者まで包囲網に巻き込まれ、
やがて獰猛な機怪獣の爪牙にかかって、はいおしまい。
 嵐の如き包囲網を打破する方策を練り上げてからでなければ、いたずらに犠牲を重ねるばかりである。

 嵐の渦中に巻き込まれた仲間の苦境を目の当たりにしたフィーナは、
アルフレッドの懊悩になど付き合っていられないとばかりに、直ちに援護すべくニコラスのもとへと
走り出した―――のだったが、アルフレッドは慌てて彼女の二の腕を引っ掴んで歩みを止めさせた。

「どっ、どうして止めるのっ!? ニコラスさんのピンチなんだよっ!? 背中押してくれるとこでしょ、今はっ!」
「押せるものか、無謀の幇助など。………お前の気持ちはわかるが、ここは堪えろ。
ニコラスはまだ保つ。その間に良い策(て)を考える。だから―――………待てッ!」
「待たないっ!」
「戦いの素人に何が出来る…! トリガーを引くことさえ躊躇うお前にニコラスを救えるか!
戦場はそんなに甘っちょろいものじゃない!」
「素人とか、プロとか、関係ないよっ! ………銃を使うのは、まだ恐いけど………!
だけど、だからって立ち止まってはいられないんだッ!」
「聞き分けろ、フィーナ!」
「聞き分けがないのはアルのほうだっ!」

 仲間の危機に手助けするなと言われたフィーナに不満があるのは分かるのだが、
今回はアルフレッドの判断が正しかろう。
 彼女が見せたような無鉄砲な行動が、戦場において無意味な犠牲を増やす原因となるのだ。

『―――他の何を犠牲にしてでもフィーナを守る』

 ニコラスを助けに行きたいと、「離して、アル!」ともがくフィーナを見つめる内、
旅立ち前夜の夜に父と交わした約束がふと脳裏をかすめ、その瞬間、アルフレッドは口に出すのも
おぞましい計略を思いついてしまった。

(………援護をネイサンにのみ集中すれば、状況は変わるかもしれない)

 ………実に単純な算段だ。
 ニコラスとネイサンの双方を生かそうとして計略に無理が生じるのだから、
助成の対象をどちらか一方に絞れば、少ない手数を効率的に回すことが可能となり、
無勢でも多勢に勝利し得る埒が開けるかも知れない。
 どちらか一方には―――助けるだけのメリットを見つけられなかった方には、
屍を晒して貰うことになりそうだが、大多数を生き残らせる為には不可欠な犠牲だったと割り切るしかない。

 必要だと思われる方を生かす取捨選択は、非情の宿る戦場では極めて常識的な判断である。
 一般社会で人権を唱える人々は、目を覆いたくなる非人道的措置だと非難するだろうが、
クソの役にも立たないような弱卒と、百戦錬磨の豪傑が同時に危機に陥ったとしたら、
救助に向かう相手は逡巡するまでもなく後者―――そう判断するのが戦場であり、軍属の兵士であり、
その世界での“常識”を徹底的に叩き込まれたアルフレッドが、取捨選択を意識するのは
至極当然の流れではなかろうか。

 ニコラスを手助けする為に始まったアウトバーン行ではあるが、別段、ライセンスを結んでいるわけではないし、
薄汚れたツナギ姿に配達用の鞄くらいしか持ち合わせていない彼の身なりからは、
労苦に見合うだけの報酬などとても望めそうにない。
 渡世の上で義理人情は大切にしなければなるまいが、命の危険が迫っている以上、
約束を反故にしたとして誰が責められようか。
 つけられる理由ならいくらでもある。縁と運が無かったものと割り切れば、
辛い後味に一時苦しめられたとていずれは忘却の水底へ沈められるだろう。

『―――他の何を犠牲にしてでもフィーナを守る』

 フィーナを、大事なモノを守る為なら、“他の何か”を犠牲にしようとも、蛇蠍のように忌まれようとも―――

(………俺は何を考えた? 今、何を考えたんだ………ッ!?)

 ―――そこまで思考が巡ったところで、アルフレッドはたまらなく嫌な表情(かお)で呻いた。
 どうやらホゥリーもアルフレッドの心中に宿ったドス黒い情念を察したらしく、
下卑た嘲りと共に「さすが軍師サマ。シンキングるのが底ナッシングにブラックだねぇ。
巻き込まれないうちにエスケープしちゃおうかしらン♪」と吐き捨てた。

(自分の失態で起きてしまった状況を、俺はどうやって補おうとした………ッ!?)

 必要な犠牲を選択し、死地を割いていけば、確かにフィーナへ危害が及ぶ可能性は格段に低くなる。
だが、何かを犠牲にしてフィーナを守り切ったとしても、それが自分や彼女にとって最良の解決と言えるのか。
 エンディニオンの平和を心から願い、誰かが傷付く度に我がことのように苦しむフィーナに、
犠牲が出るのは戦いの必然だと押し付けるのが彼女の守護たる自分のすべきことなのか。

(………フィーナ、みんなを守るために犠牲が要るのなら、身を差し出すのは俺であるべきじゃないか………ッ)

―――否。断じて否だ。

(そこまで腐るわけにはいかない。―――大切な者を守る為にこそ、俺は胸を張っていたい…ッ!)

 無意識のうちに働いたものとは言え、絆を結んだ仲間の命を、独り善がりの感情の為だけに
取捨の目で見てしまった自分をアルフレッドは心の底から恥じた。
 血が滲むほどに唇を噛みつけ、それでも足らずきつく瞼を閉じ、顔中の筋肉が痙攣するほどに面を顰めて
アルフレッドは後悔の念を滲ませた。

「………フィー、お前はここで俺の援護を頼む。シェイン、ビルバンガーTの活動限界が来たら、
いいか、次はCUBEで戦うんだ。隠れていろと言いたいところだが、
全員で力を合わす以外にこの急場を乗り切る術はない」
「アル………っ!」
「合点承知の助ってんだぃ! ハナからトンズラする気なんかないもんね!
リーダーのお墨付きってんで、心置きなく暴れられるぜっ!」
「そこの脂肪分―――俺が突っ込んだら、何でもいいからそこへ攻撃魔法を目一杯放て。
俺に構わず、とにかく撃ち続けてくれ。お前の魔法で霍乱させて、ニコラスを救い出す」
「マジックをロードするのは別にザッツライトなんだけどネェ、ザッツまじ?
日頃のアグリーもあっから、ボキはハンド加減しナッシングよ。フルパワーでエクスプロードしてやんよ?
チミ、デッドエンドするかもだよ?」
「先に言っておいた筈だ。聴こえていなかったのか? 耳にチップスのカスが詰まっているのか?」
「これでまたワンポイント、アグリーがライドされたよン。まじキルすつもりでゴーすっから、
デッドエンドしちっても恨むなヨ♪」
「嬉しそうな顔して言いやがって―――」

 にわかに滲んだドス黒い情念と、そこから這い出した悪夢のような悔恨を拭い去ったのは、
パンドラの箱に秘された希望(モノ)を思わせる鮮烈な輝き―――絶望を打ち砕き、
覆し難いと思われる劣勢にも挑まんと湧き起こった灼爛の闘志だ。

「―――だが、死なんよ、俺は。やるべきことがある内は死なない」
「出ましたよ、根拠ナッシングなスピリット論。チミ、後輩にクラブで兎跳びとかやらしてたタイプでしょ。
ヒューメンねぇ、デッドするときはデッドすんの。オーケー? スピリット論なんかこのワールドから
一切排除されるべきパストのブームだヨ。ザットにしがみついて早デッドしたいってんなら、
ボキはストップしないからネ。てかボキがトドメ刺してやるんだから、ちゃんとデッドエンドするよ〜に♪」
「ホゥリーもさぁ、もうちょっと空気読めよなぁ〜。アル兄ィがカッコよくキメてんだからさぁ、
それなりに答えてやんなよ。これじゃシリアスになった分、アル兄ィがバカみたいじゃん」
「気遣い、すまないな、シェイン。だが、それは杞憂と言うものだ。
俺もハナからこいつのセンスにそこまでのものは要求していない。こんな男に望むだけ無駄だ」
「チミが答えるのか、今の!? チミ宛のメッセージと違うじゃナッシング!」
「―――あ、そっか。アル兄ィの言う通りだわ。ホゥリーにそーゆーの望むほうがバカだったっけ。
アル兄ィ、カッコじゃなくて気をつけなよ。この脂肪分、殺る気まんまんだよ」
「モチのロン!」
「だから良い笑顔で不穏当なことを言い合うな」

 フィーナが言うところの“聞き分けの良さ”から一度は逆境を跳ね返す努力を諦めかけ、
浅はかにも仲間の命を秤にかけて安易な逆転に走ろうとした。
 それも、“フィーナを守るため”と言う自分以外には誰一人として――おそらくフィーナとて――
満足しないだろう独り善がりの達成を目的として、だ。

 全ては誤りであった。
 自分にとって大切なものを守るためなら他者を犠牲にするのも止む無しと言う判断も、
その非情を“戦場のプロ”には当然だと割り切ってしまえる思考も、全てが人道に背く誤り。
 何よりもまず戦況を悪化させる根本的な原因を作ったのは自身の判断ミスだ。
それを棚上げし、人の道に背いた判断を行なおうなど、外道も甚だしい。

 過って改めざる。これこそが過ちである―――その言葉を思い出した瞬間(とき)、
自責の念に塗り潰された瞬間(とき)、アルフレッドは魂の底から灼爛の闘志が熾る兆しを感じたのだ。
 やがて闘志は全身を包み込み、最後まで諦めず、逆境を跳ね返すことに命を燃やす決意が彼の瞳に宿った。

「諦めるなッ! 数の上で劣っているとしても、俺たちが負ける要因は一つもないッ!
俺が言うんだッ! “プロ”の俺がッ! だからッ! 何の心配もいらないッ!!」

 思考に耽るアルフレッドを“抵抗止めた餌”と見なして飛びかかって来た人狼型のクリッター、
ワーウルフを決意の拳で粉砕せしめた彼は、なおも苦闘を強いられるニコラスとネイサンへ届けとばかりに
大音声を張り上げた。
 激励と受け取ったニコラスとネイサンが腕を振り上げて応じるのを見、アルフレッドの闘志は更に膨れ上がる。
何としてもこの危急を乗り切ってみせる―――その決意と共にアルフレッドはニコラスのもとへと駆け出した、
そのとき――――――

「これって………―――アルっ! もしかしてっ!」
「ああ、………本当に気まぐれな猫だ。もっと早くに目を覚ませば良いものを………ッ!」
「アルの本気に応えてくれたんだよ、絶対っ!」

 ―――そのとき、リィィィィィィン………と、金属の擦れ合うような鳴り響いた。

「ジャ、ジャスタモーメント! ザッツじゃボキのファイトはどーなっちゃうリエゾンっ?
せっかくエブリデイのアグリーをハードヒットさせちゃろうってシンキングしてた
ボキのエクスタシーのドロップどころはホワッツっ!?」
「ホント、空気読まないよな、あんた。素直に喜べよ、これで勝てるんだぜ?
………そんなにイヤなら、魔法でもなんでも自分にかけりゃいいじゃん。それでラクになっちゃえよ」
「―――ンまっ! プリティーなフェイスして、このコったらなんてブラックな発言をっ!
冒険者ってのはタテマエなドリームで、リアルのドリームはクリミナルだったりなんかしてっ?
塀のビヨンドの懲りないナントカになりたいんでショ? でショショ?」
「ホントの夢とかウソの夢とかじゃなくて、単純にホゥリーさんがウザいだけじゃないかなぁ」
「コカ!」
「ほら見ろ、フィー姉ェもムルグも同じ意見だってさ」
「グリーニャはブラックの名産地かヨっ!」

 音のする方角を振り返れば、アルフレッドが首から下げているペンダントの飾りが、灰色の銀貨が、
彼の闘志へ共鳴するかのようにして小刻みに振動し、それによって不思議な音色を奏でているではないか。
 その不思議な音色を耳にするや、フィーナの面が必勝の歓喜に染め上げられた。
 不確定の掟に縛られながらも、一度目覚めれば万物を滅し得る最凶のトラウム、
グラウエンヘルツの覚醒の鳴き声だ。

 トラウムが具現化する際に散らばる光の帯と輝きの粒子が我が身を包み込むまで、
己の姿が“漆黒の猫”へと塗り変わるまで―――その僅かな時間も惜しいとばかりに
アルフレッドは走り続ける。

「アルフレッド………なのか?」
「お前には初めて披露するな。これが俺のトラウム、グラウエンヘルツだ………ッ!」

 やがて眩いばかりの粒子が灰色の銀貨を中心として一点に収束し、
居合わせた全ての人々の視界から彩(いろ)を奪うほどの光爆を起こした。

 その光爆の裡より輝きの粒子と残像を引き摺りながら飛び出した漆黒の魔人に
ニコラスは目を見張り、思わず息を呑む。
 なるほどグラウエンヘルツの威容は、無慈悲な極刑執行者を彷彿とさせ、
初めて目の当たりにする人間には、心臓を鷲掴みにされるようなプレッシャーを与えるはずだ。
 尤も、ニコラスは極刑執行者の装いに畏怖すると言うよりは、アルフレッドが全く異なる異形へと
変身してしまったことに驚愕した様子である。

「―――天が呼ぶ! 地が呼ぶ! 人が呼ぶ! 邪を破れと私を呼ぶッ!!」

 ………ちなみに、たった今吐かれたこの気炎は、アルフレッドが爆ぜたものではない。
 期せずしてグラウエンヘルツが覚醒し、最善の形で逆転できると確信したとは言え、
彼はテンションが上がるままに気勢を上げるようなキャラクターではないし、
変身と言う異能を備えてはいるが、だからとてテレビヒーローが見せるような決めポーズを
真似る趣味は持ち合わせていない。

「悪が栄えた試しナシ―――正義の裁きをその身に刻むがいいッ!! 
時代のッ!人類のッ! 世界のッ! エンディニオンの天敵どもめッ!!」

 聴いている方が恥ずかしくなってしまうような暑苦しい口上は、
今まさに“常闇の雲”、シュレディンガーでもってニコラスを取り囲むクリッターの群れを
屠らんとした直前(とき)にどこからともなく飛び込んできたものである。

(なっ、なんだ………ッ!?)

 整備が行き届かない為に今はもう殆どのものが残骸と化しているのものの、
アウトバーンの道路には等間隔で電灯が設えられている。
 かつては夜間の道路を昼さながらに明るく照らしていたのだろう電灯群のうちの一本から、
爆熱たる口上は聴こえてきた。
 自然、アルフレッドの視線は声のした方角へと向かっていったのだが、
電灯の上に太陽を背にして屹立するシルエットを捉えた瞬間、戦闘中だと言うことも忘れて、
決死の覚悟でニコラスの救援へ向かう最中だったことも忘れて、呆けたように棒立ちとなってしまった。

(なんだ………あのバカはッ!?)

 いつの間に電灯を駆け登ったのかは知らないが、ニコラスが立ち尽くす窮地の真上で屹立するシルエットは、
得物と思しきスタッフ(杖)を右手で天高く掲げ、左手を腰に当てて仰々しくポーズを取っていた。
 メタリックなパワードスーツや赤いマフラーと言ったお決まりの変身グッズを
身につけていないという点さえ除けば、子供向けの特撮番組からそのまま飛び出してきたかのようだ。

「もしかしてあれって―――“セイヴァーギア・ハーヴェスト”っ!?」

 カーマインの長い髪を十字架を模した飾りで結い上げたツインテールのシルエットに
シェインは何か閃くものがあったらしく、上擦った声でその名を呼んだ。
 何を興奮しているのかはアルフレッドには全く理解できないが、どうやらシェインは、
世にもバカげた酔狂をやってのけるツインテールのシルエットをよく見知っている様子である。
 鼻息荒く「うっそ、まじ!? こんなトコで出くわすなんて、ボク、心の準備出来てないって!」と繰り返すあたり、
よほどの有名人なのかも知れない。

「………誰なんだ、一体?」
「なんだよ、アル兄ィ、知らないの!?」
「あんなバカを知り合いに持った覚えはないんだが―――な、なんだ、その目は?
“うっわー、時代遅れがいるよ”みたいな目はっ!」

 シェインにはそう言われてしまったものの、いつまでも飽かずに電灯の上で決めのポーズを作っている
ツインテールのシルエットにアルフレッドは少しも見覚えがない。
 テレビか何かで見たことがあるのか…と、記憶の底を懸命に辿ってはみたものの、
該当する人物にはついぞ行き着かなかった。
 先ほど、張り上げられた口上は女声であったし、よくよく目を凝らしてシルエットを観察すれば、
体付きも女性のそれであることが確認できた。

 しかし、観察の目を凝らせば凝らすほど、彼女が街角で見かけるような“普通の女性”とは
異なるタイプであることも分かってくる。
 フィーナのそれより幾らか豊満な胸部はブレストプレート(※胸当て)で厚くガードされており、
腰に添えられた左手も厳めしいガントレットで包まれている。
 ブレストプレートにもガントレットにも使い込まれた趣があるし、
大仰なポーズを取っているクセして屹立する彼女の身動きには全く隙が見られない。

 伊達と酔狂を混ぜ合わせたバカ丸出しのポーズとは裏腹に、相当の使い手であることを
アルフレッドも認めざるを得なかった。
 そして、その確信は、次の瞬間には我が目を疑うほどの驚嘆へと変わっていた。

「あいつ………っ!」

 威勢の良い掛け声と共に電灯を蹴って上空高く飛び上がり、ムーンサルトしながら地上へ着地した
“セイヴァーギア・ハーヴェスト”は、呆気に取られるニコラスの眼前で大量のクリッターを相手に
大立ち回りを演じ始めたのだ。
 それも並みの戦い振りではない。絶え間なく繰り出される攻撃を俊敏な身のこなしで避け、
体操競技へ用いるバトンか何かのような鮮やかな技巧でスタッフを操り、
次から次へとクリッターどもを沈めていった。

「―――チェンジ、ムーラン・ルージュ! モード『デザートラッシュJJ』ッ!」

 ムーラン・ルージュと銘打たれたスタッフ自体もアルフレッドを驚かせるものであった。
 “セイヴァーギア・ハーヴェスト”がそう呼ぶや、彼女のトラウムは光の粒子に包まれ、
それが爆ぜたときには全く異なるフォルムへとトランスフォーム(変形)していた―――が、
これがまた夢を見ているのではと疑ってしまうような劇的なものなのだ。
 ついさきほどまでスタッフ型であったハズのトラウムが、次の瞬間には中口径のミサイルランチャーに
早変わりしていたのだから、周囲の人々へ振り撒くインパクトは絶大である。
 何をどうトランスフォームさせれば、杖が携行式ミサイルランチャーになってしまうのか。
自分の備える変身能力も珍しい部類に入るだろうが、トラウム自体が異なるモデルへ
激変する事例などアルフレッドは聴いたこともなかった。

(尤も、それを言い出したら、ニコラスの得物も同じようなものだな。
………田舎暮らしで気付かなかったが、最近はトラウムも進化しているのかも知れないな)

 『デザートラッシュJJ』と呼ばわった携行式ランチャーから多弾頭ミサイルを発射し、
ニコラスを取り囲んでいたクリッターの群れを一挙に殲滅せしめた“セイヴァーギア・ハーヴェスト”は、
再びムーラン・ルージュにトランスフォームを命じた。
 『スマートグレネード』―――ユーザーからのオーダーに応じたムーラン・ルージュは、
今度は『デザートラッシュJJ』よりも幾分小ぶりなミサイルランチャーへとその形状をトランスフォームさせた。
 「また重火器かッ!」とのアルフレッドの呟き(と言うよりもツッコミ)を掻き消してしまうほどに
大きな轟音を上げて砲門より射出されたグレネード弾は、ネイサンの前に立ちはだかるラフレシアへ
放物線を描いて飛来し、そのままかのクリッターの背面で爆裂した。
 ネイサンお手製の爆弾など比べ物にならないレベルの爆裂は、
たったの一撃でラフレシアへ致命傷を与えるのに足り、
醜悪なる華は自分の身に何が起こったのか理解する前に生命活動を終えた。

「………………………」
「“セイヴァーギア・ハーヴェスト”。ボキの同業者だヨ」

 色々な意味で唖然呆然と固まっているアルフレッドのもとへ歩み寄りながら、
ホゥリーは“セイヴァーギア・ハーヴェスト”の情報を披露して見せた。

「アウトローの取り締まりやクリッターハントをメインに請け負うヤツでね。
ボキらのソサエティじゃちょっと有名なんだヨ」
「ヒーローごっこが趣味とあっちゃ、有名にもなるだろうな………」
「ザッツがねぇ、あのレディの場合、ごっこ遊びじゃナッシングなリエゾンよ」
「良い大人が………冗談だろう? どう見たって二十代後半か、あるいはもっと上の………」
「そーゆー意味じゃナッシングで。あのレディ、正義の味方を自負してるのサ。
ストロングを挫き、ウィークネスを助ける、コミックやアニメに出て来るよ〜なジャスティスをネ。
ギャランティーを受け取らないケースもザラみたいでサ。ジャスティスをガードできたことの方が
マネーよりも何倍も価値があるとかど〜とか………」
「………………………」
「ネ? ヘッドが可哀相なレディでショ? でショショ? チミのイマジンとはアナザーの意味で」
「………なんと言うか、よく商売が成り立っているものだな。
一度でもそんなことをしてしまうと、後から後から理不尽な依頼が押し寄せて来るんじゃないか?
無料で凶悪犯を逮捕してくれとか、そう言った類のものが」
「モチのロン。バットしかし、そ〜ゆ〜ピープルのボイスに応えるのを、
あのレディーは自分の使命だと思い込んでるってリエゾンね。
ある意味、自分のジョブをこの上ナッシングにエンジョイしちゃってるのヨ」
「………理解できないな………」

 おそらく彼の目指す理想の冒険者像が“セイヴァーギア・ハーヴェスト”に合致するのだろう。
 目を爛々と輝かして「がんばれ! セイヴァーギア!」と声援を送るシェインと対照的に、
生業としての冒険者稼業を成立させる気の希薄な“セイヴァーギア・ハーヴェスト”に驚きを
禁じえないアルフレッドの表情(かお)は疑念に曇っていた。

 多額の報酬を積まれてようやく契約が成立するような難事件をタダで引き受けてしまうなど、
いかに使命感に燃えているからとは言え、酔狂を通り越して愚かとしか思えないのだ。
 何も強欲であれとは言わないが、受け取るべきものは受け取っておくべきではないか。
杓子定規な言い方だが、それが“依頼”と言うものである。
 そうしたプロセスを経ればこそ、次なる依頼にも身心共に万全の状態で望めるのではないか。
ことを為すにも種銭が無くては始まるまい。

(………やはり感覚がどうかしているのは確かなようだ)

 金銭的な報酬よりも正義の成立に血道を上げて喜ぶなど、やはり理解を超えた人物だと
断じざるを得なかった。

「正義の味方だか何だか知らないが、いちいち妙な前フリをせずさっさと助けてくれればいいじゃないか」
「アレがあのレディーにとって報酬みたいなモンだもん。リビング甲斐を奪われたら、
チミだってなんもかんもやる気、ナエナエにになっちゃうっしょ」
「しかしだな、あんなことをしている間にニコラスがやられてしまったら、どうするつもりだったんだ。
それこそ本末転倒じゃないか」
「またアルは夢ないことばっか言って〜。カッコいいじゃん、あの人。ちょっと憧れちゃうかも………」
「なッ!?」

 信じられない衝撃の一言がフィーナの口から漏れ、アルフレッドは息を呑んだ。
 窮地を脱したニコラスも“セイヴァーギア・ハーヴェスト”の勇往を目で追っているのだが、
その視線は、生温かいと言うか、何かこう可哀相なものを見つめる憐れみに満ちている。
 そんな相手に、冷静に見るとものすごく痛ましい印象の“セイヴァーギア・ハーヴェスト”に、
あろうことかフィーナは憧れるとまで言い出した。

 ………これは極めて由々しき事態だ。
 頭が堅いとは良く言われるが、アルフレッドとて全く理解の無い人間ではない。
恋人が望むことであれば、多少の無茶や無謀があっても力になってやりたいし、
可能であれば叶えてやりたいと考えている。
 だが、こればかりは承服できない。断じて承知できない。
 何が哀しくて、恋人が奇人の類へ身を墜とす手助けをしなくてはならないのだ。

 例えフィーナが本気でなく軽い気持ちで憧れると呟いていたのだとしても、
アルフレッドは全力でこれを否定し、思い留まらせねばならなかった。
 フィーナにドン引きされたとしても構わない。何を本気になっているのかと
仲間たちに笑われたとしても、それが何だ。
 形振り構っていられないほど、フィーナの呟きは重大なものだった。

「自分の心をしっかり保つんだ、フィー。お前は大きな誤解をしている。
一見、漫画のようで恰好良く見えるかも知れないが、アレは単なる社会不適合者だ。
例え言い繕っても、良いとこ、落伍者だ。強欲者の餌食になっているようなバカを
正義の味方とは言わない。そう言った手合いをな、人はピエロと呼ぶんだぞ」
「………それはあの人に失礼過ぎるんじゃないかなぁ。
お話しもしたことのない人をそーゆー風に悪く言っちゃうのは、ものすごくヒドいよ」
「色々なモノが足りていないのはヤツのアタマだ。お前はああなってはならない。
母さんも父さんも泣く。俺も、ムルグもだ」
「コカッ! コカカッ!」
「見ろ、ムルグだって頷いている。だから、いいな。バカな考えは捨てるんだぞ」
「あのねぇ………」

 ―――と、初対面の上に会話すら交わしていないうちからダメ大人の烙印を押されてしまっている
“セイヴァーギア・ハーヴェスト”の姿を追ってみれば、ご丁寧にもアルフレッドたちが
梃子摺っていた大ムカデまで爆砕してくれているではないか。
 結局、乱入後は“セイヴァーギア・ハーヴェスト”の一人舞台となり、
彼女のみでこの戦域に現れたクリッターを平らげてしまっていた。

 まさしく天網恢恢鼠にして漏らさず。
 獲物にありつけると踏んで舌なめずりし、一瞬見た甘い夢の直後に文字通りの地獄へ
叩き落されたクリッターどもが、その哀れな残骸を晒すばかりである。

「一時はどうなるもんかと思ったよ。迷子になるようなオレだが、まだまだ悪運は強ぇみたいだぜ」
「………ニコラス………」

 幾重にも折り重なるクリッターの残骸を踏み越えて戻り、「オレのせいで迷惑をかけたな」と
頭を下げたニコラスから、アルフレッドは思わず顔を背けた。
 半ば反射的な行動だったのだろう。漆黒のマスクを付けている為に表情(かお)までは窺えないが、
「気にするな」と返した答えには、淀みにも似た戸惑いを滲ませている。

「どうか………したのか?」
「なんでもない。………俺のことは奇にしないでくれ、ニコラス」
「しかし………」
「いいんだ。なんでもないんだよ、本当に………」
「………………………」

 滲んでいるのは戸惑いばかりではない。
 結果的には“セイヴァーギア・ハーヴェスト”のお陰で危機を乗り切れたし、忌むべき意思を翻しはしたものの、
一瞬でもニコラスの命を非情の天秤にかけてしまった自分自身が許せず、
アルフレッドは彼に対する罪悪感を拭えないでいるのだ。
 後ろめたさがあるからこそ、ニコラスからの謝罪を正面から受け取れず、返す声色も堅くなってしまう。

 ようやく打ち解けたとは言え、まだまだ付き合いの浅いニコラスだ。
 アルフレッドの抱いた複雑な心境を察知するには、まだまだ縁が深くない彼の目には、
謝罪を正面から受け取らない…もとい、受け取れないその態度は、今回の窮地を作り出す遠因となった
ニコラスの身勝手に対して苛立っているようにしか見えない。

 旅が少しでも上手く行くようにとアルフレッドが頭を捻り、入念に立ててくれた計画を乱したのは
他ならぬ自分自身だ。助けを求めた身分でありながら、多大な迷惑をかけてしまった。
本来なら怒鳴り散らされてもおかしくない。この場で約束を反故にされても文句は言えないのだ―――
アルフレッドの冷淡な態度に、身勝手な依頼主に対する怒りを誤解してしまったニコラスも、
自然、彼から顔を背ける恰好となり、いよいよ二人の間に会話が途絶えてしまった。

「本当に………すまなかった………」
「………俺は別に………」

 ニコラスの心中にまでアルフレッドや仲間たちへ罪悪感が芽生えてしまい、
お互いに後ろめたさで雁字搦めになると言う辛辣な悪循環へ陥ってしまった。

「あれ? ………どったの?」

 クリッターの残骸から使えそうな有価物を拾い上げながら遠方より戻ってきたネイサンは、
最初、悪びれた様子もなくほくほく顔を浮かべていたが、さすがに張り詰めた空気の中でまで
アホ面をさらしてはいられない。
 アルフレッドとニコラスの間に流れる微妙な空気を感じ取るや、気遣わしげな面持ちで二人の様子を窺った。

「いえ、………なんだかアルフレッドの様子がおかしくて………」
「あ、平気平気♪ コスプレみたいな身なりしてるけど、中身、ちゃんとアルだから。
僕も初めて見たときはビックリだったからね。君のその反応は正しいよ」
「そう言うことじゃなくて。なんて言えばいいのかな―――いや、オレが悪いんだから、仕方無いんだけど………」
「フェッフェッフェ―――心配ナッシングよ、イージーライダーくん♪ 
軍師サマのテンションがブラインドなのはぁ、チミのせいっていうか、彼セルフのプロブレムなんだもんネ。
ねェ、アルちゃん? ん? んん? んんんんんん?」
「アルフレッド自身の………?」
「アルが何したってのさ。ニコラス君や僕を助けようとしてくれてたじゃん」
「そうだよネ。アウチなピンチのチミらを速攻ヘルプしてくれよ〜としてたもんね♪
なにしろアルちゃんはコンバットのプロフェッショナルでヤンスから♪」
「………余計なことを言うな、ホゥリー………っ!」
「フェッフェッフェ―――ボキはトゥルースを語るマウスしか持ち合わせてナッシングでェっす♪」
「………………………………………………」

 ホゥリーが言わんとしている意味のわからないニコラスとネイサンは、顔を見合わせて互いに首を傾げた。
 二人の様子がたまらなく愉快に映ったのか、ホゥリーはケタケタと腹を抱えて大笑いし、
彼が楽しそうにしている動機の理解できない二人は、脳裏に浮ぶ疑問符の数を更に増やしていく。
 それを見るにつけホゥリーの笑い声は一層高く、下劣なものになっていくのだ。
 これもまた悪循環――それもとてつもなく醜悪な――である。

 今すぐにでもホゥリーの頚椎をへし折ってやりたいアルフレッドだったが、
こんな男の為に自分の人生を台無しにするのはあまりに口惜しいと念じに念じ、
掴みかかりそうになる衝動を少しずつ少しずつ鎮めていった。

 ようやく戦闘が終結したのだ。
 ここで新たな諍いを起こそうものなら、またしても仲間たちに迷惑をかけてしまう。

(………シバくのはいつでも出来る。先に延ばせば、皆の目が届かない場所を選ぶことも出来るしな………)

 それを思えば、グッと激烈な衝動を押さえ込めるアルフレッドであった。

「―――ッ!! まだ残っていたのねッ!!」
「………何がだ?」
「依頼の対象にはなっていないけれど、凶悪クリッターを野放しにはしておけないわッ!!
そこのデミヒューマン型ッ!! ほんの少しでも知性を持ち合わせているのなら、さあ、懺悔なさいッ!!
心で十字を切って、自分の罪深さを悔いることねッ!!」
「はぁ………?」

 ところが、クリッターどもを殲滅せしめた“セイヴァーギア・ハーヴェスト”本人は、
まだ戦闘終結を宣言してはいなかった。
 いや、一旦は戦闘終結と見たようだが、急に表情を強張らせ、ムーラン・ルージュを構え直した。
 鋭さを増していく彼女の視線の先には、せっかくのグラウエンヘルツへの変身が
無駄になってしまったアルフレッドの姿がある。

 つまるところ、これは………―――

「ちょ、ちょっと待て! 狙われてるのは、俺なのかッ!?」
「ンなッ!! ………人語を解するなんて、今までになく危険なクリッターだわッ!
言葉巧みに子供たちを取り込まれでもしたら―――エンディニオンの未来に陰りが生まれてしまうッ!」
「待てと言っているのが聴こえないのか? あんたの方こそ人語を解していないんじゃないのか?
と言うか、俺、今の今まで仲間たちと喋っていただろうが!」
「問答無用よッ! ―――悪・即・滅ッ!! 邪の星の下に生まれた宿命(さだめ)を呪いなさいッ!!」
「無用も何も、問答などしていないだろうがッ!」

 毅然たる正義の炎を宿した瞳でもって狙い定めたグレネードランチャーの砲門が、
見ようによってはクリッターに見えなくもないアルフレッドを標的として再び火を吹き、そして―――




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