1.混沌のエチュード


 ――それは奇妙としか表しようのない光景であった。
 コンテナを積んでいる以外には何の変哲もない中型トラックが氷の大地を疾駆しているのだ。
 辺り一面、果てしない白銀の大地が広がるのみで、道標は勿論のこと、整備された道路などは何処にも存在しない。
氷の柱が至る所から迫り出し、現世にあらざる化け物の如き奇景を作り出している。
その化け物≠ヘ風に運ばれた雪を纏っており、ただ眺望しているだけでも身の芯まで凍えそうになる。
 晴れ渡った空には太陽が燦然と輝いている。その光は何かに遮られることもなく地上へと直接降り注ぎ、
化け物≠ノ跳ね返って無遠慮に輻射していた。
 氷雪が降り積もって丘のように錯覚し得る場所はあるが、土や岩によって形作られた山は何処にも見当たらない。
凍てついた地平が、どこまでもどこまでも、ただただ真っ直ぐに続いている。
 中型トラックが白銀の霧を巻き上げながら走るのは、そのような世界なのである。
 しかも、だ。極地に対応した装備を整えているように見えない。
寒冷地用の鎖(チェーン)をタイヤに嵌めている程度であろう。
 車内の設備とて貧相だ。無線用のマイクや現在位置を示す液晶モニター、周囲を探るレーダーこそ積み込んでいるが、
運転手は厚手のコートを一枚羽織った程度。ファーフードこそ被ってはいるものの、
燃料が切れて暖房を使えなくなれば、すぐさま凍死してしまいそうだ。
 助手席には人の姿はなく、運転手の私物と思しき鞄が放り出してある。
身体を温める為に呷るつもりなのか、鞄の中には大量の酒瓶が詰め込まれていた。
 座椅子へと立てかけられた長い円筒状のケースには、果たして何が収納されているのだろうか。
黒革の外観からは判然としないが、少なくとも暖房器具とは思えなかった。
 誰に聞かせるでもなく流行り歌を口ずさみながら、運転手はハンドルを切っている。
陽気な調子で唄うのは、『エスエム・ターキー』なるバンドのナンバーだった。

 一方、コンテナのほうはそれなりに賑々しい。
孤独な運転席とは異なり、こちらには数名の男たちが乗り込んでいるのだ。
 コンテナの天井には丸い電灯が吊り下げられ、薄暗いながらも各人の表情(かお)まで確かめられた。
 異様なのは男たちの出で立ちだ。全身に漆黒のプロテクターを纏っている。
肩に腕、脛や腿に至るまで装甲で固めているのだ。両手を黒い手袋で包み、肌の露出を極端に抑えている。
 胴を守るボディアーマーは胸部の装甲が二枚重ねとなっており、心臓の真上に小さな銀の円盤が埋め込まれていた。
その表面には精密な彫刻が施され、どことなく硬貨を彷彿とさせる。
 銀の円盤に刻まれた紋様は人によって意匠が異なっていた。
揃いのプロテクターを身に着ける一団に於いて、個人を識別する印ともなるのだろう。
 総員、黒色の鉢巻を締めている。額に当たる部分には太陽を模した鉄の装飾が縫い付けられ、
布地の端には銀糸でもって所属と名前が刺繍されていた。
 刃物で削ぎ落とされることがないよう耳輪を鉢巻に挟み込んでいる。
 胡座を掻く老け面(づら)の男――但し、皺の深さと数から推察するに老齢には至っていない――は、
「ワシにはこれが一番堪えるわ」と、大仰に腰を叩いている。
 円盤には馬蹄を模った紋様が刻まれ、鉢巻の端には『副長 ラーフラ』と記されていた。
 鼻の下から顎先、両頬までを覆う髭には、所々に白い物が混じっている。
 緩やかに波打つ黒髪も二種の色合いを共有しており、前髪など半分以上が白く染まっていた。
脳天よりやや下がった辺りで結い上げた後ろ髪の毛先も同様である。
 過去の負傷によって光を失ってしまったのか、左目を二枚重ねの包帯でもって覆い隠していた。
濃緑と柿色の布を重ね合わせるのは、彼なりのこだわりなのであろう。

「円座クッションを持ってくるべきだったわい。これでは戦いの前に足腰がガタガタになってしまうぞ」
「ラーフラ君は少し鍛え方が足りないようだね。それでは副長≠フ肩書きが泣くよ?」
「何を言われる、ワシは頭脳労働が専門じゃ。肉体労働はルドラさんたちにお任せしましょう」
「僕も所属は頭脳労働なのだけどねぇ。それにラーフラ君のほうが僕よりも若いのだから、
年寄りに重労働をさせるもんじゃないよ」
「さほど離れてもおらんじゃろうが」

 腰痛を訴える副長=\―ラーフラへ朗らかに笑いかけたのは、彼の真向かいに座した男性である。
 褐色の地肌が透き通るほどに短く切り揃えた銀髪は、もみあげだけが異様に長く、首筋辺りまで垂れ下がっていた。
 『総長 ルドラ』と鉢巻に刺繍された男――銀板には稲穂を模した彫刻が施されている――は、
双眸が糸のように細く、目元や口元に刻まれた皺はラーフラよりも更に深い。
 幾何学模様が刺繍された幅広の布を左肩から襷掛けにしているのだが、それもプロテクターの色が透過する程に薄い。
 ルドラなる男は、油を染み込ませた布でもって両刃の直剣を手入れしている。
トラックは常に振動し続けているのだが、人並み以上に手先が器用なのか、彼は一度たりとも指を切ることがなかった。
 手持ち無沙汰もあってルドラの様子を眺めるラーフラだが、振動によって突き上げられる度、
「コレじゃ! コレが尻にまで響くのじゃ!」と悲痛な叫びを漏らした。
 それも無理からぬ話であろう。タイヤの下は究極的な悪路なのだ。
その上、床には柔らかいマット材もなく、固い木板が敷かれているのみだった。
 どうにかして腰痛をやり過ごそうと身体を横たえ、次に襲ってきた振動によって無駄な努力と悟り、
悲鳴を上げるラーフラは例外として――トラックが氷塊を踏み潰す度に全身が浮き上がるような状況であっても、
コンテナの男たちは順応し切っている様子だ。

「マッサージでもしとくかい? 鍼を打っても良いけどさ」
「こんな揺れの中で鍼など頼めるか! 貫通するわい!」

 大きな弁当箱を広げつつラーフラに笑ったのは、タオルで額を覆い、その上から鉢巻を締めた小柄な少年である――
いや、本当に少年なのだろうか。身の丈はエレメンタリー程度だが、目元の皺はラーフラと同じ深さだ。
 どうやら、コンテナに乗り込んだ男たちは、皆、同い年くらいのようである。
端然と胡座を掻き、己の肩に鍔を当てて愛刀を支える無骨そうな男も、携帯ゲーム機で遊ぶ垂れ目の男も、だ。

「肉体(からだ)を貫かれるのは戦いのときだけで十分じゃ。お主に鍼を打たれるくらいなら自分で何とかするわい」
「ひっでぇ言い草だなぁ〜。そんなんだからラーフラさんは友達が少ないんスよ。もっと心を開かなきゃ!」
「余計なお世話じゃ!」

 ラーフラを笑う小柄な男の鉢巻には『隊医 ゲット』との刺繍が見られる。
 その肩書きからしてマッサージの誘いも全くの冗談ではなさそうだ。
傍らには医療器具や薬品などを収納した肩掛け鞄も置いてあった。
 円盤の彫刻は、自らの尾を銜える蛇であり、これも医事に因んだ物である。

「セ、センパイからも何とか言ってくださいよ……」

 副長≠ニ隊医≠フ言い争い――と言うよりも、ラーフラが眉を吊り上げているだけだが――を見兼ねたのか、
他の者よりやや年下らしい青年が、コンテナの一番奥に座した者へ仲裁を呼び掛けた。
 わざわざ「センパイ」に助けを求めたあたり、自分から目上の人間に注意を促すことを躊躇っているようだ。
 如何にも気の優しそうな青年だ。人好きのする顔立ちであり、大きな瞳には穏やかな性情が滲んでいる。
普段はにこやかな笑みで周囲を和ませているのだろうが、今は頼りなげに眉尻を下げていた。
 手には濃紺の布や鉄製の骨組みを持っており、ルドラと同じく装備の手入れをしていたようだ。
矢羽根の紋様を刻んだ円盤や、『一番戦頭(いくさがしら)』と言う勇ましい肩書きにも表れているが、
頼りなさそうに見えるこの青年も、居並ぶ者たちに比肩する戦士なのである。
 鉢巻には『ハハヤ』と言う名が記されていた。
 彼の「センパイ」は――戦士たちを見渡す場所に座した男は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いている。
 眠れる獅子と言った佇まいであった。確かに豊かな頭髪は鬣(たてがみ)の如き輪郭を作り出しており、
所々、重力へ逆らうように反り返っている。
 長く伸ばした後ろ髪を首の付け根のところで縛っているのだが、
そのやり方も無造作と言うか、道端に落ちているような小汚い紐で適当に括っただけなのだ。
 顎の先に蓄えた髭には僅かばかり白い物も見えるが、口元や目元の皺はルドラほど深くはない。
 老いや衰えは感じさせないが、代わりに双眸の生気は極めて弱々しい。
寝ぼけ眼のように瞼が半ば落ち掛け、どこを見ているかも分からない有様であった。
 当人は正面の悪ふざけを眺めているつもりだろうが、視線は遠く、此処ではない別の何かを見つめているようだった。
 最も印象的なのは、左頬へ斜めに走った一筋の傷痕だ。顎の裏を抉り、鼻先へ到達する寸前で止まっている。
 古い物のようだが、異常なほどに血の色が濃く、おそらくは生涯残り続けることだろう。
 プロテクターの上から纏う白い外套が、血の色を一等際立たせているようにも思える。
 使い古された外套だ。あちこちに飛散したどす黒い斑模様が返り血であることは疑いようあるまい。
裾はボロボロに擦り切れ、胴を覆う部分には等間隔で大小の穴が散見される。
無論、銃弾によって穿たれた物だ。焼け焦げた痕跡が白い布地に映えて生々しかった。
 この男の歩んできた凄まじき道が、全て顕れているようにも思える。
 外套の襟には円形の留め具が縫い付けてある。ここに革紐を通して結んでいるわけだ。
鉄製の止め具の表面には架け橋を模った紋様が彫刻されており、同じ意匠はプロテクターの円盤にも施してあった。
 尤も、左胸にて煌く円盤は中ほどまで亀裂が走り、完全な形を保っているとは言い難い。
 外套の背面――左右の肩甲骨の中間に当たる部分には、銀糸で『捨』の一字が刺繍されていた。
 「既に生命を捨てた身」と言う意思の表れなのだろうか。
外套の色合いや状態、更にはこれを纏う当人の面持ちと合わさると、さながら亡霊の如き様相と化すのだった。

「からかうのもそのへんにしとけよ、ゲット。このジジィ、ゴネると後が面倒臭ェからよ。
宥めなきゃならねぇ俺の身にもなってくれ」

 一番戦頭≠アとハハヤの要請を容れ、ラーフラとゲットを窘めた眠れる獅子≠ヘ、
黒い鉢巻に『局長 ナタク』なる刺繍が見受けられる。
 漆黒のプロテクターに身を包む戦士たちを束ね、率いる者――局長≠ニ言う意味である。

「ジ、ジジィ呼ばわりとは心外じゃな! 年齢(トシ)はお主と変わらんじゃろうが!」
「バカ言え、お前は出会った頃からずっとジジィだったよ。見た目も中身もよォ」
「若い内から老成しておったと言わぬか、バカタレが!」
「世間じゃ、そう言うのをジジィっつーんだよ。お前、近所で何て呼ばれてたか知らねぇな? 
ご老人が中学校に通ってるって専らの評判だったんだぜ?」
「誰がそんなことを言っておったんじゃ。ワシの耳には終ぞ聞こえては来なんだぞ!」
「……まあ、それはちょっと話盛ったかも知れねぇけど」
「適当なことばかり抜かすでないわッ!」

 一団の最高位に在る筈の局長≠セが、副長≠フラーフラは気後れすることもなく噛み付いていく。
隊医≠ニの仲裁を求めたハハヤが、今度は局長≠ニ副長≠フ仲違いを心配し始め、
その狼狽で周囲の者たちの笑いを誘った。
 ハハヤ以外の者たちは仲違いなど少しも心配していないようだ。
 遠慮なく軽口の応酬を繰り広げる姿からは、ふたりの付き合いの長さが伝わってくるようである。

「――カラオケの持ち歌がモロになつメロ≠フナタクが何を言ってんだか」

 携帯ゲーム機で遊んでいた垂れ目の男も他の類例に漏れず、盛大に笑気を噴き出している。
 彼もまた局長とは付き合いが古そうだ。個人的な趣味まで深く熟知しているらしい。
 鉢巻の端には『勘定方』、円盤には古銭を模った彫刻――ニッコウと言うこの男は、
掌中に在った携帯ゲーム機の電源を切ると、弾けるような笑顔を浮かべながらナタクの正面に腰を下ろし、
「さっきまた難しい顔になってたぜ〜」と、左右の手にて局長≠フ頬を捏ね繰り回す。
 ニッコウが腕を上下させる度、腰のベルトから紐で吊るしている算盤が軽妙な音を立てた。

「……目付きの悪さなんか直りゃしねぇよ」
「ウソこけ。お目々パッチリ開けろってばよ。……ガキの頃から親友やってる人間を誤魔化せるか? んん?」
「ンなことを言われっと、もっと目付き悪くなるって知ってんだろ……」

 わざとらしく眉間に皺を寄せたナタクのことが愉快でならず、腹を抱えて笑い出したニッコウは、
一団の中でも群を抜いて特徴的な髪型をしている。
 両耳の真裏に毛髪を集め、緩やかな弧を描くようにして捻り上げている。
毛先が天を仰ぐと、上下がひっくり返った蟹を彷彿とさせる輪郭の出来上がりだ。

「これから討ち入りと言うときに、局長にそんな顔をされてはゲンが悪い。
……かと言って、ニッコウやゲットのように能天気でも困り者だが」
「シンくん、ナタクのついでにおれを茶化すはナシにしてくれよ〜」
「ニッコウの言う通りだよ。な〜んか妙なとばっちりを喰っちゃったぜ」

 愛刀を肩に引っ掛けたまま胡坐を掻き、静かに瞑想していた男がナタクに助け舟を出す。
 次いで、彼は鞘を握って愛刀を持ち上げると、柄の部分に唾(つばき)を吹き付けた。

「そろそろ時間≠フようだ。何時でも斬り込めるよう支度を済ませたほうがよかろう」

 『二番戦頭 シンカイ』と刺繍された鉢巻を締めるこの男が、先程、試みたこと――
柄と刀身を留めておく部品に水気を染み込ませたのだ。
 『目釘』と呼ばれるこの部品は、木で作られている為、水気を含むと刀身にしっかりと噛み込むのである。
シンカイが携える『刀』は、柄と刃が一体化した物ではなく、この『目釘』を差し込んで固定する仕組みになっていた。
 一定の間隔で切り込みの入った黒鞘を用いているが、そこに納まった白刃をルドラのように抜き放ち、
状態を検めることはない。得物の手入れは事前に済ませてあるのだ。
 さる刀匠の銘が打たれた業物だ。腰に帯びる種類の刀――打刀と呼ばれる物だ――としては非常に長く、
しかも、肉厚で重量(おもみ)もある。生半可な武芸者では刀身に振り回されてしまうだろう。
 四角形の鍔は厚みこそあるものの、装飾らしい装飾が施されてはおらず、持ち主の武骨さが如実に表れていた。
プロテクターの円盤には百足を模った紋様が刻まれているが、これが唯一の装飾である。
 飾り気と言うものを好まない性情は、頭髪を後ろに撫で上げるだけと言うさっぱりとした髪型からも感じられた。

「今日も『ガムシン』は絶好調のようだね」
「剣術はオレの唯ひとつの取り得ですから。こればかりはルドラさんにも遅れは取りません」
「僕は、ほら、何人殺せるかどうかって流派だから。君の剣と比べるのはおこがましいくらいだよ」
「……リアクションに困るんですが……」

 真ん中が一繋ぎになっている太眉を気難しそうに吊り上げ、腰に巻いた白い帯へと愛刀を差し込んでいく。
帯には予備の小刀も差したが、これもまた相当に長い一振りであった。
不測の事態によって大刀が使えなくなったとき、問題なく戦闘を継続する為の工夫であろう。
 シンカイは鞘から垂れ下がる鎖分銅を帯に巻き付けて大小二振りを固定していた。
 腰の白帯には大小の刀の他にも小さな守袋が差し込まれていた。
山景が刺繍された美麗な物である。おそらくは護符が納められていることだろう。
 武辺者のシンカイには似つかわしくない小物だが、同じ守袋をナタク、ニッコウ、ゲットの三者も所持している。
 ニッコウはズボンのベルトに、ゲットは鞄のファスナーの開閉部品にそれぞれ括り付け、
ナタクは袋の紐を鉢巻に通し、更に後頭部のところで内側へ挟んでいた。
 揃いの守袋を携行していることからも四人の間柄が察せられるだろう。

「……シンカイさんの仰る通り、間もなく出撃となりそうですね……」

 ニッコウの手を借りながら亀の甲羅のような骨組みをプロテクターの背面に取り付け、
そこに濃紺の布を被せたハハヤは、出撃が近いことを感じていた。
 彼が指摘した通り、エンジンの発する唸り声が一際大きくなり、
これに比例してトラックの速度も上がったように思える。

「ンなことより打ち上げの店をどーするか、おれにはそいつが悩ましいね。
勘定方としては豪遊は感心しね〜んだが、コレが済んだら、ちょっとくらい羽目を外しても良いと思うわけよ」
「ニッコウさん、今はそう言うのはちょっと……今回は特に重要な任務ですし……」
「ば〜か、そーゆーことでも考えてねぇと息が詰まるぜ? どうしたってお仕事からは逃げられねぇんだし? 
終わった後に楽しみくらい待ってねぇとやってらんね〜って!」

 余計な力を抜くようハハヤの頭を軽く叩いたニッコウも、油断なく棒状の武具を掴んだ。
 『鳴杖』と呼ばれる物だ。木製の杖の先端に輪形の金具を取り付け、そこに小振りな鉄の輪を六つばかり通してある。
 振るう度に輪が擦れ合い、えも言われぬ音を奏でることから風流な名が授けられたわけだ。
その音色には破邪の効力が宿るとされている。

「――ぼちぼち見えてきたよ。メルカヴァの基地を再利用するなんて、ギルガメシュもやることがセコいよねぇ。
セコいっつーか、恥知らずって言ったほうが良いかな」

 その音声(こえ)は、コンテナの隅に設置された小型スピーカーから流れてきた物である。
運転席に備え付けられたマイクから喋り掛けてきているようだ。
 同様のマイクはスピーカーにも内蔵されており、運転手と言葉を交わすことも可能であった。

「派手にブチかましてやれ、ジャガンナート。遠慮なんかいらねぇぜ」

 ハンドルを握る仲間に答えを返したナタクは、いつしか口の端を好戦的に吊り上げている。
 ふたりの会話へ耳を傾けながら、ラーフラも己の武器を取り上げる。
 彼が得物とするのは古めかしい槍だ。先端に被せられていた毛皮の穂鞘(さや)を外すと、見事な十文字槍が現れる。
穂先と柄の間に三日月状の刃が上向きに設けられており、その様が『十』の一字に見えると言うわけだ。
 槍の柄は組み立て式であり、状況によって長さを調節することが出来る。
現在(いま)は閉所での戦闘を想定し、やや短めにしていた。
 一方、ジャガンナートと呼び掛けられた声の主は、この上なく嬉しそうに「ド派手にやっちゃうよ〜ん」と、
スピーカーの向こうで軽薄そうな笑い声を上げていた。

「作戦はどうする? 無策で突っ込むわけにも行かんだろう」

 通信の相手に具体的な建策を求めるシンカイであったが、
ジャガンナート当人は「たかが副指令相手に作戦もクソもないっしょ」と、彼の要請を一蹴してしまった。
 それも、「シンちゃんの馬鹿力だけでどうにかなるよ。元気よく猪≠ノなっちゃって〜」と、
あからさまな挑発を付け加えて、だ。
 生真面目なシンカイは軍師≠フ返答を承服し兼ねたらしく、すぐさまに眉根を寄せた。

「軍師の務めはどこに行った。職務放棄は許されんぞ!」
「さぁて、どこに行っちゃったのかねぇ? お散歩に出掛けたきり、帰ってこないんだよね〜。
自分探しの旅にでも出ちゃったかな。シンちゃん、見かけたら取り押さえといてくれない?」
「ジャガンナートッ!」

 からかうような音声(こえ)にシンカイは怒号を張り上げた。
 狂わんばかりの吼え声をスピーカー越しに堪能したジャガンナートは、
トラックを運転している最中にも関わらず、両手を打ち鳴らして大笑いだ。
 シンカイに対してどのような言葉を掛ければ、如何なる反応を引き出せるか、彼は全てを見通しているようだ。
 ニッコウの取り成しを受けてシンカイは引き下がったが、仲裁に入る者がいなかったとしたら、
走行中であろうともコンテナから運転席まで飛び移ったかも知れない。

「軍師がああ言ってるんだ。……ここまで来たら、策もクソもねぇよ。後は討ち入ってから考えようぜ。
飛び込んでみないと分からねぇコトも多いしな――兎にも角にも副指令のティソーンをブッ倒す。
それだけアタマに叩き込んで、思い切り暴れてやろうじゃねぇか」

 このようなときに最も重く響くのが、局長≠スるナタクの声である。
 ジャガンナートを相手にいきり立っていたシンカイだけでなく、
重要な任務を目前に控えて落ち着かない様子であったハハヤも局長の言葉には深く頷き、
気を鎮めるべく深呼吸を試みた。
 「監察方(かんさつがた)≠フ調べで標的(まと)の潜伏も確定したもんな」とゲットも応じる。

「こう言うときのナタク君は頼もしいね。普段は意外と打たれ弱いクセして、土壇場ではちゃんと肝が据わってくれる」
「当然じゃ。それくらいの胆力がなくては担ぎ甲斐もあるまい」

 手入れを終えた両刃の直剣を抜き身のままで己の左側に置き、総長≠ェ思案顔で腕を組む。
 向かい側に座した副長≠ヘ十文字槍の底――所謂、石突だ――で床を突き、長い柄を垂直に立てている。
 コンテナに凄まじい衝撃が襲い掛かったのは、トラックが一等加速した直後である。
 正面から何かへ衝突したようだ。鉄の塊が拉げるような激音が轟き、車体を大きく揺さぶった。

「ワシの腰に恨みでもあるのかッ!?」

 エンジン音に負けないくらい大きな悲鳴を上げるラーフラだが、彼は胡坐を掻いた場所から一ミリたりとも動かない。
 居並ぶ誰もが同じである。天地をひっくり返すような震動にも関わらず、根を張ったように身体をその場に留めていた。
重心を固定し、あらゆる方向から降り掛かる衝撃を巧みに受け流しているわけだ。
 震動が完全に収まると、目的地への到着を報せるジャガンナートの音声(こえ)がスピーカーから流れてきた。
 「局長――」とラーフラがナタクに目配せをする。
 果たして局長≠ヘ立ち上がり、己の動きに倣う仲間たちを頼もしそうに見回した。

「――いざッ!」

 局長≠フ号令へ呼応したかのようにコンテナの扉が開いていく。ジャガンナートが運転席から操作しているようだ。
 ラーフラたちはそこから飛び出していった。それほど大きな扉ではない為、
ハハヤは背に担った防具――母衣(ほろ)が引っ掛からない注意を払いながら、だ。
 あちこちに修繕の痕跡が見られる母衣の布には、古(いにしえ)の軍略の極意が銀字で記されていた。
其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆――と。
 最後に白外套を翻しながら局長≠ェ舞い降りた。
その手には合戦にて総大将が用いる軍配団扇が握られている。


 トラックが突っ込んだのは、所謂、軍事基地である。
金網の囲いを強引に突き破り、その内側に所在する建物のシャッターを餓えた狼の如く喰い千切っていた。
 敷地内には幾つかの建物が並んでいるのだが、種々様々なアンテナが屋上に設置されたこの場所は、
基地の中枢に相当するのであろう。
 数枚のシャッターを一気に突破したと言うのに、トラックは運転席も含めて原型を留めていた。
窓に少しばかり亀裂が入った程度だ。軽微な損傷からも車体そのものが特別製と言うことは明白だった。
 シャッターの先には広い空間が待っていた。奥行きがあり、天井も高い。
武器弾薬が置かれていることから倉庫と見て間違いなさそうだ。
 異変を報せる警報が鳴り響き、別の部屋に通じる回廊から武装した兵士たちも駆け付けた。
皆、カーキ色の軍服に身を包んでおり、光線銃を構えながらトラックを包囲していく。
 それは非常に訓練された動きであったが、運転席やコンテナから飛び出してきた男たちを確かめた途端、
誰もが腰砕けになった。瞠目し、絶句し、中には気圧されて後退りする者も見られる。

「『覇天組(はてんぐみ)』……――」

 兵士のひとりが尻餅を突きながらその隊名(な)を叫んだ。

「生憎、今日は旗持≠烽「ね〜から、ちと地味な突撃だけどな」

 満面を引き攣らせる兵士に向かって、ニッコウは如何にも軽薄な調子で肯(うなず)いて見せた。
 ニッコウが笑う度に鳴杖の鉄の輪が音を立て、これに反応して幾人かの兵士が肩を震わせる。
シンカイが刀を抜き放つと、その戦慄は包囲網を作る総員へと伝播した。
 彼の抜刀はやや癖がある。左手でもって鞘を少しだけ抜き出し、白刃を煌かせるのと同時に帯へと引き戻すのだ。
カーキ色の軍服に身を包んだ兵士たちは、シンカイが刀の柄に手を掛ける前から恐慌を来たしていた。
 今や破綻しつつある包囲網に対し、覇天組と呼ばれた一団は局長のナタクを中心に据えて横一列に隊列を組んでいる。
その右端にはトラックを運転していたジャガンナートも並んだ。
 総長のルドラと同じく褐色の肌と銀の髪――否、銀の髪をわざわざ黄金(きがね)に染め直している。
染料が抜け始めたと思しき頭頂部や毛先だけが元の銀色であり、それが奇妙な趣を生み出していた。
 二色の光が合わさった髪は肩に掛かるくらい長い。前髪など所々を水玉模様のヘアピンで留めている。
無骨な男たちに並ぶと端正な容貌(かおかたち)が一層際立ち、遠目には女性と間違えそうだ。
 彼もまた山景を刺繍した守袋を所持しており、ナタクと同じように紐を黒い鉢巻に通していた。
その鉢巻を頭には締めず、スカーフのように首へ引っ掛けている。
布地の端には名前と共に『軍師』と言う肩書きが銀糸で記されていた。
 言わずもがな、軍師とは作戦立案に携わる役職だ。全体の流れを作り出す自負を表しているのか、
プロテクターの円盤に刻まれた彫刻は四部音符である。
 尤も、シンカイから作戦を求められた際にジャガンナートはその役目を放棄し、局長のナタクもこれを認めていた。
彼らにとっては、軍師による段取りが絶対的な基準と言うわけではなさそうだ。

「面白そうな的≠ェ揃ってるね。それでこそ殺(や)り甲斐があるってもんだよ」

 不敵に笑うジャガンナートは古風な大弓を左脇に抱えている――が、不思議なことに矢を全く携行していない。
これでは武器として用いることが出来ない筈だ。
 それにも関わらず、彼は余裕の表情(かお)を崩さなかった。
 ジャガンナートは、そして、他の戦士たちも正面の回廊のみを見据えている。

「陽之元所属、覇天組――教皇庁の命(めい)により、ギルガメシュ副指令の身柄を預かる。
……抵抗は無意味だッ!」

 覇天組局長の発した大喝にカーキ色の軍服――ギルガメシュの将兵は戦慄の極致に達した。
 彼ら覇天組とは、『陽之元(ひのもと)』と言う島国に属する武装警察である。
 その島国では長期に亘って内戦が続いており、外の世界の情勢とは関わりを持てずにいたのだ。
血で血を洗う戦いが終結し、国際社会に承認される政府が機能し始めたのは、ごく最近のことであった。
 覇天組はその内戦を終結に導いた功労者であり、陽之元有史以来、『最凶』として畏怖される存在である。
数限りない死闘を勝ち抜いただけあって隊士たちの錬度は桁外れに高い。
最も驚くべき事実は、彼らが僅か数十名の集団に過ぎないと言う点だ。
局長以下、総勢八名で極北の基地へと討ち入ったわけであるが、この規模の編制すら覇天組では多勢≠ノ入る。
 しかし、その戦闘力は筆舌に尽くし難い。「一騎当千」と言う諺の通り、
五〇にも満たない小勢の手によってギルガメシュは幾つもの基地や部隊を全滅させられたのだ。
 人智を超越しているとしか言いようのない覇天組に注目した教皇庁――Aのエンディニオンを隠然と支配する者は、
ギルガメシュの取り締まりに彼らを投入するよう陽之元の首脳陣へ要請した次第である。
 内戦に追われていた陽之元にとって、覇天組は国際社会へ復帰する先駆けとなったわけだ。
そして、その存在は副指令の率いるギルガメシュ別働隊を震え上がらせることになる。
 覇天組は冥府よりの使者にも等しいのだ。亡霊の如き白外套を纏ったナタクの姿は、
ギルガメシュ兵の目には死と言う概念を象徴するモノとして映っているのだろう。
 抵抗は無意味――ナタクの宣言の意味を悟った兵士たちは、今や半狂乱の状態に陥っている。
 陽之元の内戦を終結へ導くに当たり、覇天組は最大の政敵を族滅せしめたと伝え聞いている。
即ち、敵対する者には人としての情けを全く持ち得ないと言うことである。
 ナタクの白外套に記された『捨』の一字は、あるいは人としての心を捨てた戦鬼の覚悟を示しているのかも知れない。

「く、来るな! 寄るなァーッ!」

 錯乱した兵士のひとりが誤って光線銃の銃爪を引いてしまい、一筋の閃きがナタクに向かって降り注ぐ。
覇天組局長は瞠目することもなく軍配を振るい、撃発された光線を弾き飛ばした。
 柄(え)の左右に扇形の金属の板を両翼の如く嵌め込み、表面を黒く塗装した物をナタクは用いている。
この金属の板には表裏がある。表の面には「微欲」、「貫誠」、「克己」、「大志」の四語が銀字で刻印され、
裏の面には九つの星を模る紋様が浮彫り細工にて表現されていた。
 二枚の板を跨ぐ形で中央に大きな星を置き、その周囲を八つの小さな星々が取り巻いているのだ。
これらの星は円を以って描かれている。
 両翼≠フフチは更に金属の枠を嵌めてあった。この部分は鋭利に研ぎ澄まされており、
作戦指揮の道具としてだけでなく手斧の如く振るうことも出来るだろう。
 柄の底には百と八から成る香木の連珠が結ばれており、ナタクはこれを腕に巻き付けていた。
 軍配団扇を水平に構え直したナタクは、そのまま高く翳し、次いで勢いよく振り下ろす。
改めて詳らかにするまでもなく攻撃開始の号令だ。

「――応ッ!」

 気合いに満ちた吼え声でもって局長に応じた隊士たちは、勇猛果敢に敵兵へと臨んでいく。
 この場に於いては、建物の奥へ続く回廊を押さえることが急務となるであろう。
真っ先に駆けたのはハハヤであった。母衣に風を受けながら、我が身を一本の槍と化した。
 回廊への侵入を防ごうと多くの兵士が密集していたが、ハハヤは一瞬たりとも怯むことがない。
目上の諍いへ狼狽していたのが嘘のような勇ましさである。
 彼が飛び出した後には黄金の火花が舞い散っている。その閃光は拳にまで及び、やがてギルガメシュ兵を貫いた。
 ハハヤの拳は恐るべき速度と威力を秘めていた。一度、拳を突き出すと標的の肉体は必ず三箇所は抉られ、
何が起きたのかも理解出来ない内に絶命してしまうのだ。
 眉間、鳩尾、丹田――内側までダメージを浸透させられる箇所を綺麗に打ち分けている。
 銃口を向けてくる相手に対しては、撃発の瞬間を見計らって間合いを詰め、光線を避けつつ鋭角な蹴りを見舞った。
 轟然たる蹴り技にも必殺の威力が宿っており、且つ、急所を精密に狙い撃つ。
まともに喰らった者は、糸が切れた人形のようにその場へ崩れ落ちていった。
 掌でもって捉えた相手の頭部を壁に叩き付け、頭蓋骨と頚椎を破壊するや否や、
この際に生じた反動でもって弾みを付け、次なる標的へと向かうのだ。速度の桁が他者より数段上である。

「出遅れてしまったかな。『魁(さきがけ)先生』に敵わんのも仕方がないけれどね」

 一番戦頭≠ノ続いて敵陣に飛び込んだのは、両刃の直剣を構えたルドラである。
舞い踊るかのように刃を振るい、次々とギルガメシュ兵の首を刎ね飛ばしていった。
 驚くべきことに、ルドラは双眸を瞑ったまま剣を振るっているのだ。
これによって極限的な精神統一を図り、瞑想の境地にて心に浮かぶ技を繰り出す――それが彼の修めた流派であった。
 感情と言うものが宿らない為に太刀筋が読めず、相手にとっては防御も回避も困難なのだ。
 その反面、純粋な武術とも言い難い。正々堂々と斬り結ぶと言うよりは、
魔性の技を以ってして、より多くの敵を殺戮することに比重(おもき)を置いているのだった。
隊列の崩れた敵兵の側面へと回り込み、刺突によって三名の頭を串刺しにするなど常人の発想ではない。

「おやおや、団子みたいになってしまったねぇ――」

 刃を引き抜きながら口元を歪めたルドラの姿には、一種の狂気さえ感じさせた。
 ルドラと共にハハヤを追ったシンカイの剣は、まさしく対照的であった。
差し向かいで敵と対峙し、一刀の元に斬り伏せると言う正統派の剣術である。
 数名から囲まれたときには身を翻しつつ刃を閃かせ、瞬時にして窮地を切り抜ける。
例え、背面に回り込まれても気配のみで敵の動きを察知し、振り向きもせずに後方へと剣先を突き込むのである。
 ときには柄頭を相手の喉に突き込み、顎に引っ掛けて前方に投げ飛ばすなど力技も披露している。
転倒させた相手には瞬時にして追撃の刺突を繰り出すのだが、この際に刃は敢えて上向きにしていた。
正面に立つ敵へ斬り上げでもって攻め掛かる為の工夫だ。最小の動きで次なる標的に臨もうと言うわけである。
 あらゆる挙動から一切の無駄が省かれている。一刀両断と言う剛の剣のみならず、
技巧に於いてもシンカイは他の追随を許さなかった。
 誰よりも猛々しく敵陣を突破する彼のことを、人はガムシャラなシンカイ=\―
略して、『ガムシン』と呼んでいた。

「敵ながら同情してしまうのぉ。あの三人に攻められたなら、幾ら頭数を集めてもどうしようもあるまい。
ワシでも裸足で逃げ出すところじゃ」
「副長ともあろう人が、なに寝ボケたことを言ってんですか。おれにはラーフラさんのほうがずっとおっかねぇや」

 ラーフラやニッコウは前衛から少し離れた場所にて得物を振るっていた。
彼らの受け持ちは、先程まで包囲網を作っていた将兵だ。
 ニッコウは敵の突撃を鳴杖で受け流しつつ、変幻自在の蹴り技で返り討ちにしている。
速度と柔軟性を生かした蹴りの数々は、周りの敵を数名同時に薙ぎ払うほど鋭い。
 彼の体術は多様性に富んでおり、技の途中で軌道が変化するのは勿論のこと、
次から次へと途切れることなく技を派生させていくのである。
 しかも、だ。いずれの技も予想だにしない死角から襲い掛かってくる。
高い位置から跳び蹴りを見舞ったかと思えば、残像も消えない内に対の足を下方へ突き出し、
次の瞬間には地に伏せて足払いを放つ――これは、ほんの一例に過ぎない。
 ルドラの剣と同じ魔性の技と言えよう。蹴りにばかり気を取られていると、
その意識の外から鳴杖が不意打ちを喰らわせるのだ。鉄の輪の嘶きは、それ自体が訃音であった。
 このような妙技を以ってしても仕留め切れないと判断した相手には、
目配せでもってラーフラに連携を合図し、ふたり掛かりで攻め立てる。
 素早く両脇へと回り込み、中空にて交差させるように互いの柄(え)を振り下ろすのである。
左右から同時に打擲(ちょうちゃく)された者は、口から大量の血を吐き出しながら崩れ落ちていく。
頚椎を粉砕されては、最早、助かる見込みもあるまい。
 標的が巨漢であった場合、ラーフラは腹部へと槍穂を突き刺し、更には三日月の刃でもって引っ掛け、
そのまま敵勢へと叩き付けた。刺し貫いた相手を、さながら鉄槌のように利用したわけだ。
 「腰に悪いことばかりしておるのぉ」と冗談めかすラーフラだったが、
まさしく人としての情けを捨てた戦鬼に相応しい技である。
 覇天組の暴威に曝されて平常心を失い、這うようにして逃げ惑う者は、
ジャガンナートが大弓でもってひとり余さず仕留めていく。

「さぁさぁ〜、『魔弾の射手』の餌食になりたい人は、じゃんじゃんボクの前で踊ってくれよ。
なるべく必死に逃げ回って貰ったほうが良いな。止まった的を射るのは面白くないからね」

 弓弦(ゆづる)につがえたものは、摩訶不思議としか例えようがない。
彼が指先に念を込めると、そこに一筋の光が立ち上り、やがて矢を模っていくのだ。
 ジャガンナートの指先に現れたものは、光と言うよりも炎に近いものかも知れない。
無論、炎と言う例えも正確ではなさそうだ。それ≠ヘ水が氷結するかのように固まっていき、
遂には紛れもない矢に変化したのである。しかも、水晶の如く透き通っている。
 未知なる力――酷く抽象的であり、何ら現象を説明したことにはならないのだが、
この表し方が最も適切であるように思えた。
 そもそも、だ。如何にジャガンナートが優れた腕の持ち主であったとしても、
矢羽根まで結晶化した物が弦に弾かれた程度で空を翔る筈がない。
 摩訶不思議な矢を生成≠キる際には眩いばかりに輝く粒子を撒き散らしており、
Bのエンディニオンに於けるトラウム、あるいはプロキシのように見えなくもない。
 生み出される過程の美しさとは裏腹に、その威力は極めて惨たらしかった。
矢が突き刺さった者は猛毒に冒されたかのようにのた打ち回り、
頭と言わず胸を言わず、全身の彼方此方を掻き毟りながら息絶えるのだ。
 ジャガンナートの射った矢は、相手に突き刺さると再び炎の如く揺らめき、やがては光の粒子と化して散っていく。
必ず相手の絶息に合わせて消失する為、生命力を吸い尽くしているかのようにも見えた。
 回転に合わせて無数の刃が飛び出すと言う機巧(からくり)が仕込まれたヨーヨーを両の掌にて操り、
敵兵を解剖≠オていたゲットは、錯乱の声を瞬く間に静めたジャガンナートに親指を立てて笑い掛けた。
 これに応じてジャガンナートも右の親指を立て、
「的に矢を当てるだけのゲームじゃ何の自慢にもならないさ」と、薄ら笑いを浮かべる。
 確かに彼らは恐怖に取り憑かれた者を平らげたが、さりとて全てのギルガメシュ兵が我を忘れたわけではない。
冷静な思考と判断を保っていた将士は回廊の奥まで後退し、壁に設置されている制御盤(コンソール)を操作し始めた。
 回廊上部の隙間より分厚い隔壁が降り始めたのは、その直後のことである。
覇天組の進撃をここで遮断しようと言う目論見だ。

「通路をひとつ潰したところで、別の道を探せば何の意味もない――それにも関わらず、
強引に遮断するって言うことは、やはりあの通路だけは特別。他の区画と切り離された場所に通じているようだね」

 目の前で起きた事態に対して、ジャガンナートが努めて冷静に分析を進める。
 残留した兵士たちは我が身を壁に変えてハハヤたちの行く手を阻む。
カーキ色の壁石≠ェひとつ残らず破砕される頃には、分厚い隔壁は完全に通路を塞いでしまっていた。
 わざわざ捨て駒≠残して時間稼ぎを図ったことから、
遮断された通路が最大の標的≠ノ繋がっているのは間違いないと、ジャガンナートは自らの推理を完結させた。

「罠って可能性はないの? こっちを誘き寄せるつもりってのは?」
「ゲットの心配は尤もだよ。でもさ、奇襲された側が罠を張って反撃するってのは、ちょっと突飛じゃないかな。
そこまで知恵が働くんなら、そもそも奇襲なんかされないよう策を練ってると思うね」
「な〜るほどね。んじゃ、ここはガンちゃんの読みを信じるとすっか!」

 ゲットの問い掛けに対して、ジャガンナートは根拠と共に説明を付け足した。

「――シン! 頼むぜ!」

 ジャガンナートの説明に納得したナタクがシンカイの名を呼ぶ。
 その一声で局長の指示を悟った覇天組最強の剣士は、「心得た」と短く答え、
次いで閉ざされたばかりの隔壁の前にて屹立した。
 愛刀を大上段に構えると、裂帛の気合いを発しながら縦一文字に振り落とす。
轟然たる一閃は目の前の隔壁を紙のように裂き、程なくして真っ二つに割ってしまった。
 シンカイが帯びる刀は、鍔元から剣先に至るまでの刃長が八〇センチを超えている。
即ち、同等の厚みを誇る隔壁を一刀のもとに両断した次第である。
 鋼鉄の装甲をも一太刀で斬り裂くこの技を、シンカイは『弐壱天作ノ伍(にいちてんさくのご)』と呼んでいた。
 秘剣が閃いている間にシンカイの隣まで歩を進めたナタクは、
見事なまでに真っ二つに割れた隔壁を一瞥すると、「俺らも安く見られたもんだぜ」と鼻で笑い、
次いで右の足裏を叩き付けた。
 軸に据えた左の足には黄金の稲光を纏わせている。その煌きが如何なる作用を生み出したのかは余人には分からないが、
さして力を込めたようにも思えない一蹴りでもって隔壁は吹き飛んだ。
 真っ二つに断ち切られた鋼鉄の板が、天井に設置された昇降用の機械と共に爆ぜたと言っても良い。
 此処へ突入する直前、ナタクは「局長たる者、軽々な振る舞いは慎み、後方で采配を取るべし」と
副長からきつく言い付けられており、これまでに戦闘には全く参加していなかった。
正確には参加をさせて貰えなかったと言うべきかも知れない。
 局長が自ら武技を振るう前にラーフラとニッコウ、ゲットが敵兵を悉く退けていたのである。
 しかし、他者の戦いを眺めているだけと言う状態がナタクの性には合わず、
気晴らし≠ナもしなければ鎮まらない程に鬱憤を溜め込んでいたようだ。
ただでさえ眠たそうな双眸は、更に瞼が下がったようにも見える。

「センパイひとりで何とかなったんじゃないですか?」
「バーカ、切れ込みが入ってねぇと、色々面倒臭ェだろ。鉄ってのは変な風に曲がると厄介なんだよ」

 ラーフラより向けられる諌めの眼光を黙殺したナタクは、
隔壁が横倒しになったことで舞い上がった埃を軍配団扇の一振りにて吹き飛ばし、改めて進路を確かめた。
 回廊の向こうには続々とギルガメシュ兵が集まりつつある。狭い通路の中に何重ものカーキ色の壁を築き、
是が非でも覇天組の進撃を食い止める覚悟のようであった。

「抵抗は無意味じゃ――」

 ナタクと肩を並べたラーフラは、攻撃開始に先立って局長から発せられた言葉を反復した。

「――その意味をあやつらの身に刻んでくれようかの」

 言うや、ラーフラは腰を低く落とし、十文字槍を右手一本で水平に構える。
 一方のギルガメシュ側は、最前列の兵士たちが迎撃の構えを見せていた。
一列目の者は片膝立ちとなってライフルを構え、その頭上に二列目の銃身が影を落としている。
 三列目に配された兵たちも既に射撃の体勢に入っていた。二列目にてライフルを構えた兵士の右肩に銃身を置き、
狙いを外さないよう安定を図っている。前列の者を台座の代わりにしたと言うわけだ。
 銃身が横っ面へ密着する為に極めて危険であり、下手をすれば頬が焼け、鼓膜は破裂する。
本来、あってはならないような体勢なのだが、覇天組が相手では形振り構ってはいられないのである。
 四、五列目の兵士はサーベルやコンバットナイフ、あるいは短剣の取り付けられた光線銃を構えて突撃に備えていた。
一斉射撃を以ってしても覇天組を討ち果たせなかったとき、彼らは決死の覚悟で白兵戦を挑むのだ。
 武装組織の正規兵だけに、恐怖に打ち克った者たちは、流石に訓練された動き≠見せる――が、
肝心の指揮官が狼狽し切っており、発射の命令が大きく遅れた。
 結局、その遅延が命取りとなった。ようやく号令を下すかと思われた寸前、カーキ色の壁が突如として弾け飛んだ。
最前列から最後列まで一直線に衝撃波が走り、これに触れた者の肉体を容赦なく打ち砕いたのだ。
 これは比喩ではない。隊列の中央に在った者は胴体が完全に消滅し、腰から下と頭部だけしか残らなかった。
四肢を消し飛ばされた者も多い。いずれの兵にも共通するのは、無残な亡骸を血の海に晒したと言う結末(こと)だ。
 衝撃波が駆け抜けた後には、まるで余韻のように黄金の火花が散っている。
床と天井、更には左右の壁さえも遥かな先まで抉れており、
仮に突き当たりがあるとすれば、そこに大穴を穿っている筈だ。
 このとき、ラーフラは十文字槍の穂先を突き出すような姿勢から上体を引き起こし、
「打ち上げの前に整体を受けねばならん」と腰を叩いている。
 ただの一撃で壁≠破壊したのは、誰あろう覇天組副長なのである。
『外道貫通砲(げどうかんつうほう)』なる仰々しい名を持った大技は、彼にとって切り札のひとつであった。

「副長から景気付けの一発を貰ったんだ。締まって行こうぜっ!」

 ニッコウの鼓舞(こえ)に頷き合った隊士たちは、耳障りな水音を立てながら血溜まりを進む。
 生き延びたギルガメシュ兵から光線銃を撃ち掛けられても、漆黒のプロテクターにて弾くのみ。
一歩たりとも退くことはない。
 全身に返り血で浴び、平然と紅の海を渡る姿は、まさしく死神の行進である。
彼らが歩いた後には、生命は一欠片も残らないだろう。遮二無二突撃してくる者はルドラとシンカイが斬り伏せた。
 起死回生を賭けて局長に挑まんとする者にはハハヤが立ちはだかり、
閃光より速く、流星より剛(つよ)き拳でもって頭蓋骨を粉々に砕いた。
 決死の覚悟で突っ込んでくる者、心が折れて逃げ惑う者――戦意の有無を問わず、
覇天組はギルガメシュを駆逐していく。
 後方からは別の建物に詰めていた兵士たちも追い掛けてきたが、これはジャガンナートが一手に引き受けた。
それはつまり、基地内の殆どの将兵を相手に戦うことをも意味しているのだが、
覇天組の軍師は多勢に無勢と言って怯むどころか、如何にも愉しげに右の人差し指で弓弦を弾いた。
 ナタクたちの背後からは無数の悲鳴が聞こえてくるが、その中にジャガンナートのものが混ざることはない。
それ故、七人は何の憂いもなく前進を続けられるのだ。
 次から次へと現れる敵兵を蹴散らしながら進んでいくと、やがて七人は狭い十字路に差し掛かった。
 迎撃側からすれば防御にも適した要所なのであろう。息を潜めて待ち伏せをしていたギルガメシュ兵は、
射程圏内に入るや否や、壁の陰から狙撃を仕掛けたのである。
 尤も、広い範囲で人の気配を探ることが可能であり、また光の弾丸よりも速く動けるハハヤには、
物陰に潜む程度の待ち伏せなど全く通用しない。
 思案を求められたのは、伏兵を仕留めた後だ。ジャガンナートの推理によれば、
この通路こそが最大の標的たるギルガメシュ副指令に繋がっている筈であった。
 しかし、道は一本ではない。この十字路から幾つかの区画に枝分かれしている。
 おそらく――と前置きした上で、ラーフラは自身の推論を述べ始めた。

「中枢にまで通じている道は一本だけじゃ。残りは別の場所まで遠ざける為の仕掛けじゃろう。
所謂、ダミーじゃな。さりとて、ワシらには此処の見取り図もない。七人で手分けをするしかあるまい」
「局長も知っていると思うけど――敵に征圧された場合、甚だ不利になるような建物は、
敢えて迷路のような構造にしている場合も多い。時間は掛かるかも知れないが、
片端から全速力で潰していくのが上策だよ」

 副長の推論へ総長も首肯を以って賛同する。

「――三手に分かれよう。ニッコウとシンは西の通路を、ルドラさんはゲットと一緒に東の通路を探ってくれ。
ハハヤとラーフラは俺が貰うぜ。但し、救援が必要な場合はどちらかを直ぐに回す」

 ナタクの采配に異論を唱える者はなく、各人、受け持ちとなった通路へと散開していった。
 取り決めの通り、局長は副長と一番戦頭を伴って直進を続ける。
今もってラーフラはナタクが直接戦闘に加わることを懸念しており、
我が身を盾とするように己とハハヤで前方を固め、彼をその後ろに置いている。

「ラーフラさんって日に日に過保護になって行きますよね。センパイなら独りでも大丈夫じゃないかなぁ……」
「――だろ? こんな風に庇われると気持ち悪ィんだよ。身体だって鈍(ナマ)っちまうぜ」
「……暢気で良いのぉ、アホの先輩後輩コンビは」
「だって、ナタクセンパイですよ? 二十年、弟子やってますし、色んな人と仕合(しあい)もさせて頂きましたけど、
センパイよりおっかない人なんか見たことありませんって。人間じゃないですよ、絶対」
「てめぇ、ハハヤ……師匠(センパイ)の前で悪口とは良い度胸じゃねーか……」
「べ、別に悪口ってわけじゃっ!」

 幼い頃から武術の手解きを受けてきたハハヤは、師匠(ナタク)の実力に全幅の信頼を置いており、
過剰なまでに身辺を護ろうとするラーフラが不思議でならなかった。
 無論、これはナタクにとっても望ましい状態ではなかった。仲間だけを戦わせているようで気が引けるのだ。
大病を患っているわけでも、重傷を負っているわけでもない。庇われる理由さえ見つからないのである。

「俺は戦いてぇんだよ、ラーフラ。働き者から仕事を取り上げるなんてバカな話、他で聞いたことがねぇぜ」

 不服を隠そうともしないナタクの面を――半ば瞼の閉じかかった双眸を、
背中越しに一瞥したラーフラは、呆れ返ったように鼻を鳴らした。

「局長が死んだらどうなる。覇天組は終(しま)いじゃぞ。……万が一と言うこともある。
その『万が一』の可能性を全て潰すのが副長の仕事なんじゃ」
「別に何時くたばったって構わねぇよ。次の局長はハハヤだって決めてるしよ」
「ちょ、ちょっと、センパイ!? どうしてそんな話になってるんですか!? ぼくには荷が重過ぎますから!」
「ハハヤだけではない。……親がこのような話をしておると聞いたら養子(せがれ)が泣くぞ。
いや、その前に本気になって怒るじゃろう」
「……そうですよ、センパイ。無責任はセンパイに一番似合いません」

 ラーフラの言葉にはハハヤも強く頷く。今や彼も副長が過保護になってしまう理由を悟っており、
「センパイ」に対する諌めの念を込めずにはいられなかった。

「それこそお前らの勘違いだぜ。あいつは生みの親と育ちが良いんだ。
養父(おやじ)がくたばったところで、何が変わるもんでもねぇ」
「ですから、センパイ、そう言うことが……」
「俺があいつに教えてやれることはもう何もねぇ。あいつはひとりでも生きていけるってことだよ」
「……センパイ……」

 己の死をも軽々しく口にするナタクへ溜め息を吐いたラーフラは、
鬱屈をぶつけるかのように足元の鉄屑を蹴り飛ばした。
 彼らが辿り着いたこの場所こそが回廊の最奥であり、
辺りに散乱する鉄屑は、先程の『外道貫通砲』によって破壊された扉の残骸だった。


 残骸を踏み越えて立ち入った先は、何の変哲もない食堂である。基地内で生活する将兵は此処で食事を摂るようだ。
 最初に討ち入った倉庫に比べて随分と天井こそ低いものの、奥行きだけは同等だろうか。
広い空間に机と椅子が整然と並べられ、厨房は入り口の真向かいに設けてあった。
 窓ガラスの向こうには氷雪がこびり付いており、そこに反射した太陽の光が室内に在る者の瞳を突き刺す。
局長、副長よりも先に踏み込んでいったハハヤは、立ち眩みすら覚えた程である。
 この騒ぎに震え上がって逃げ出したのか、それとも食事の支度をする時間帯でもなかったのか、
食堂は全くの無人であった。厨房にも人の気配は感じられない。

「外れ籤(くじ)のようじゃな」
「こう言うときは、決まってニッコウさんが当たりを引くんですよね。誰よりも運が良いですし」
「だとすると、もうカタがついてるかも知れねぇな。覇天組の二本柱を誰が止められるかよ」

 副長と一番戦頭を引き連れて探索に乗り出してみたが、どうも手柄は他の組へ譲ることになりそうだった。
 念の為に室内を隈なく調べるものの、標的へ近付く為の手掛かりは見つかりそうにない。
緊急脱出に用いるような隠し通路とて設けてはいないだろう。

「ギルガメシュの連中、なかなか良いモン、食ってやがる――」

 何の気なしに開けた冷蔵庫に鴨のムネ肉を見つけたナタクは、皿を取り上げて匂いを確かめていく。
惣菜の余りだろうか。程よく焼き目が付いており、胡椒の香りが鼻腔をくすぐった。
 毒が仕込まれていないこと、何より腐っていないことを見極めたナタクは、
生唾を飲み込みながら手袋を外し、軍配団扇も脇へと挟み、塊で残っている鴨肉へ美味そうに噛り付いた。
 長時間、冷蔵されていた為に本来の味わいとは少しばかり違うのだろうが、
調理も肉質も極上であり、「偶にはハズレも悪くねぇ」とナタクは相好を崩した。

「軽率じゃぞ、局長。毒でも仕込まれておったらどうするんじゃ……」
「俺が鼻が利くのは知ってるだろ? 毒か薬か、美味いモンかは一発で嗅ぎ分けられるぜ」

 すかさずラーフラから注意を飛ばされたが、ナタクの掌中には口煩い相棒を黙らせる秘策が有った。
冷蔵庫から一本の酒瓶を取り出し、彼の前に翳して見せたのである。
 蒸留酒の瓶であった。米から作り出されるこの酒にラーフラは目がなく、
そのことを知っているナタクは、黙許の取引材料として件の酒瓶を差し出したわけだ。

「お主は……」
「一休みしようじゃねぇか。……お前がそんなに気ィ張ったら、俺はもっと息が詰まっちまうよ」
「ぬ……」

 好物の誘惑に屈したのか、それともナタクの言葉に考えさせられるものがあったのかは定かではないが、
局長から瓶を引っ手繰ったラーフラは、自棄でも起こしたかのように蒸留酒を呷った。
コップなどは一切使わず、直接、口を付けて、だ。
 これにはハハヤも苦笑するしかなかった。血の雨に曝されてきた直後だと言うのに、
局長と副長は平然と飲食を始めたのである。普通≠フ神経の持ち主であれば、今は肉など見たくもない筈だ。
 あるいは、このような地獄の様相にも順応し、神経そのものを鍛え上げたと言い換えられるのかも知れない。
 冷蔵庫を物色しようとナタクから手招きをされるハハヤであったが、
流石に胃が食べ物も受け付けず、首を横に振るしかなかった。

「こうしている間にも他の皆さんは探索を急いでいるのですから、一息ついたら、すぐに引き返しま――」

 ハハヤが探索の再開を促した瞬間(とき)、食堂が丸ごと吹き飛ばされた。
 より正確に状況を詳らかにすると――何らかの物体が屋根を突き破って食堂内に飛来し、
爆発を起こしたと言うことになる。その破壊力は凄まじく、一瞬にして食堂が崩落してしまったのだ。
 このまま氷の世界を溶かしてしまうのではないかと錯覚させるような勢いで逆巻く炎と、
一面の白銀に痛ましいほどの対照を表した黒煙を眺めつつ、ひとりの男が静かに笑った。
 冷たい風の吹き付ける屋外にて屹立し、瓦礫の山に向かって笑い続けていた。
 男≠ニ言っても、僅かに覗ける骨格や声の太さから推察したに過ぎない。
道化師のような仮面を付け、爪先まで覆い隠すほどに長い外套を纏っているのだ。
 外套の布地はカーキ色であり、仮面と共に彼がギルガメシュの所属であることを明かしていた。

「――食事の最中に騒ぐのは御法度じゃろう。ギルガメシュでは最低限のマナーも教えておらんのか」

 背後より投げ掛けられた声が自身の望む結末を裏切っていても、仮面の男は愉しげに笑い続けた。
 瓦礫の下に埋もれた筈の三人――ナタクとラーフラ、ハハヤが、何時の間にか彼の背後に回り込んでいたのである。
いずれも負傷は見られない。ナタクに至っては未だに鴨肉を貪っている。

「どうやって――と、お伺いしておきましょうか?」

 徐(おもむろ)に振り返った男には、動揺の気配は感じられない。
 無論、驚いてはいるのだろうが、それ以上に彼の声は喜色が強かった。
どう考えても助かる見込みのない状況から無傷で脱した方法を純粋に知りたいようだ。

「阿呆が。食堂には何があるのじゃ? 窓を突き破れば造作もないわ。覇天組を舐めるでないぞ」
「ぼくは母衣が引っ掛かりそうになりましたけどね……」

 好奇心が満たされたのか、二度ばかり首を頷かせた仮面の男は、次いで恭しげに頭を下げた。

「お初にお目に掛かります。当施設を預かるボフォースと申します。
覇天組の皆様をお迎えすることが出来て光栄の極みでございますよ」
「名前なんざどうでもいいんだよ。てめぇの所為で鴨に埃が掛かっちまったじゃねぇか」
「……センパイ、流石にそれは言いがかりってもんですよ……」

 三人の前に立ちはだかったのは、この基地を統括する責任者であった。
 覇天組の襲撃を受けた当初、彼は別の建物で作業をしていた為に無事であった。
緊急連絡を受けて――正確には基地に突撃してくる一台のトラックを視認して――現場へと急行したのである。
 しかし、他の兵卒のように侵入者の足跡を追いかけることはしなかった。
覇天組が侵入した建物の外にて待機し、好機を見計らって狙い撃ちにしようと考えたのだ。
 果たして、彼の勘は的中した。食堂で休憩するナタクたちを窓越しに発見し、
不意打ちを仕掛けた次第であった。
 如何に覇天組の隊士とは雖も、回避の遑もなく爆破を受けては助かる見込みもあるまい――
そのように確信して笑い声を上げたのだが、ナタクたちの身体能力は予想を遥かに凌駕していたわけだ。
 尤も、己の予想が外れたことさえもボフォースには愉しくて仕方がないらしい。

「メシ代を払ってやらなきゃならねぇな――」
「これはこれは、ご丁寧に。私としましても願ってもございません」

 ようやく鴨肉を平らげたナタクは、指先に付いた油を舐め取ると黒い手袋を嵌め直し、ボフォースに向き合った。
その意図を察知し、「待て、こやつはワシらで始末する」と追いすがったラーフラは、
目配せひとつで押し止めている。
 ボフォースもまたナタクの意図を察している。それ故に一際高く笑い、カーキ色の外套を剥ぎ取ったのだ。
 外套の下には、所謂、ビキニパンツ以外は何も身に着けてはいなかった。
氷雪が吹き付けるような寒冷地での活動に適した風采とは言えず、僅かな時間で凍死し兼ねない――が、
そのように常識的な思量は、現れた怪異の前に全て吹き飛んでしまう。
 ボフォースと名乗った男は生身にCUBEを埋め込んでいた。それも、全身の至る部位に、だ。
数秒おきに筋肉が異常な脈動を見せるのは、CUBEから流れ込むエネルギーに反応している所為であろうか。
 四肢の各所には光沢を放つバンドが締め込まれており、時折、その表面が幾何学模様に明滅している。

「実験の材料にはピッタリでございますよォ――」

 ボフォースが指を鳴らした直後、ナタクの右腕が肘関節とは逆方向に捻れた。
 すぐさま身に力を入れて耐え凌いだものの、一瞬でも反応が遅れていれば、あるいは肘の骨が折れていただろう。
 そして、この怪現象を引き起こした張本人は、ボフォース以外には考えられなかった。

「念動力ってヤツか? まさか、こんな辺境でサイキッカーに出くわすとは思ってもみなかったぜ」
「旅先のホテルで演芸が催されていることもございますでしょう? それと同じようなものですよ――」

 念動力とは、己の思念を物体に送り込むことで自在に操る異能――否、超能力に類されるものであった。
 一般的には「物体を浮揚させる超能力」と認識されているのだが、
どうやらボフォースなる男は、念動力そのものを有効な戦術の域にまで高めているようだ。
 次にナタクは左足に違和感を覚えた。何かに吸い上げられるような作用を膝に感じている。
即ち、ボフォースは関節を逆方向に反り返らせ、骨身を圧し折ろうと試みたのである。
 ナタクは大地を思い切り踏みしめることで不可視の作用そのものを押さえ込んだ。
 失敗を悟ったボフォースは、右腕のときと同じように直ぐに左足への念力を切り上げたが、
さりとて攻撃の手を休めることもない。今度は頚椎を脅かしに掛かったのだ。
 腕や足と異なり、首は明確な人体急所である。
下手に捻られようものなら、それだけでも致命傷となり兼ねなかった――

「演芸(だしもの)なら、もっと観客を楽しませてくれねぇとな。あんまりヌルいと居眠りしちまうぜ?」

 ――が、これもナタクには通用しない。首の力だけで不可視の作用を凌いで見せた。
反対に捻じ伏せたと言っても差し支えはあるまい。それが証拠に局長は口の端を微かに吊り上げている。
 持って生まれた資質をギルガメシュに買われたのか、それともCUBEのインプラント(移植)によって
後天的に得た異能であるかは定かではないし、当人に質すつもりもないが、
現実にこの男は念動力を自在に操っている。目に見えない力の作用を攻撃の手段として活用している。
 その事実がナタクの心を躍らせていた。依然として瞼は半ばまでしか開いていないが、
面には闘志が熾(おこ)り始めている。失せかけた生気の残り火が、少しずつ勢いを強めている。
 ラーフラたちに退けられ、紅の海に沈んだギルガメシュ兵を睥睨していたときには、
決して宿らなかった光が瞳の奥にて仄かに揺らめいている。

「――それでは、こんなのは如何です?」

 ボフォースが指を鳴らすと、トラックによってシャッターを破られていた倉庫より大量の爆弾が飛び出し、
ナタクたち三人へと急降下していった。
 爆発や延焼を伴うような異能でなかった為、ラーフラも首を傾げていたのだが、
どうやらこのようにして食堂を崩落させたらしい。

「不意打ちならまだしも、こんな見え透いた手でどうするつもりですか……」

 大きく開いた右掌を高空に向かって翳すハハヤであったが、件の爆弾は彼の目の前で爆発四散した。
中空にて木っ端微塵に吹き飛んだのである。
 間もなく衝撃波が降り注ぎ、周囲に垂れ込めていた黒煙を浚った。
 四方に散った黒煙の先にはジャガンナートの姿が在った。
 先程の爆発音と震動は、当然ながら彼の持ち場にまで達している。
すぐさま外に飛び出し、次いでナタクとボフォースの戦いを発見したわけだ。
言うまでもないことであるが、今し方の爆弾を中空にて射抜いたのもジャガンナートであった。
 大弓を構え直したジャガンナートは、背後からボフォースに狙いを定めていたのだが、
ナタクには「手ェ出すんじゃねぇぞ」と鋭く制止されてしまった。
 局長はあくまでも一対一の戦いにこだわるつもりのようだ。
一斉に攻め掛かれば瞬時にして仕留められるにも関わらず、他の者に獲物≠譲ろうとはしない。

「てめぇの全てを見せてみろ。つまらねぇ演芸(だしもの)なんざ要らねぇからよ」
「たけなわってもよろしゅうございますか!? これはまた素敵なお申し出! 
喜ばせるべき私のほうが喜びで震えておりますよ!」
「なんじゃ、その『たけなわっても』とは。近頃の若いモンはわけの分からぬ言葉ばかり作りおって……」
「今、そんなツッコミが要るんですか、ラーフラさん……」

 不敵な挑発にも喜びの声を上げたボフォースは、
左右の五指を組み合わせると、今までになく強い念力をナタクへと叩き付けた。
 全身の血管が浮かび上がり、これに共鳴(あわ)してCUBEまでもが一斉に輝き始める。
「クラマックス」などと嘯いたからには、これがボフォースにとって切り札に当たるのだろう
 ボフォースが四方八方に光を撒き散らした直後、ナタクの動きが止まった。
 ただ単純に止まった≠ニ言うことではなく、不可視の作用を受けて動けなくなってしまったと表すべきであろう。
ナタクは全身を硬直させたまま、何かを耐え忍んでいた。
 全身のあまねく関節が、本来の可動とは逆方向に捻じ曲げられようとしているのだ。
しかも、念力によって動かされた白外套の裾が彼の首を猛烈に締め上げている。
関節の破壊と窒息による致死を同時に狙おうと言うわけだ。
 このときばかりはラーフラもハハヤも面に緊張を走らせたが、
当のナタクは面を苦悶に歪めることもなく、平然とボフォースを睨み据え、一歩、また一歩と前進していく。
今なお彼の身には念力が送り続けられている。つまり、四肢の自由が奪われている筈なのだ。
 それにも関わらず、ナタクは歩を進めていく。ボフォースの念力を己の筋力で捻じ伏せ、互いの間合いを詰めていく。
 さしものボフォースも不思議そうに小首を傾げたが、やはり恐怖のような感情(もの)はなく、
好奇心に取り憑かれているようにも見えた。

「がっかりさせやがるぜ……」

 ナタクは平然としている――この例えは、必ずしも正確ではないのかも知れない。
その面には失望の念が滲んでいるのだ。再び熾るかに思われた生気も闘志も萎(しぼ)み、
双眸からは光も消え去ってしまっていた。
 ボフォースに寄せていた興味あるいは期待は、今や見る影もない。
 酷くつまらなそうな溜め息を引き摺りながら、ナタクはボフォースの視界から姿を消した――が、
それも一瞬のことで、白外套を翻した背中が目の前に現れるや否や、
彼は猛獣に食い破られたかのような激痛を顎の下に覚えた。
 痛みの原因すら察知できない内にボフォースの視界は天地が逆さまになり、
やがて脳天へ筆舌に尽くし難い衝撃を受けた。
 硬い地面の上に脳天から逆様に落とされた――そこまでは何となく推察出来るものの、
更に先はボフォースの理解を超えてしまっていた。
 脳天から全身へと痺れが波及していく最中、胸部に鈍い衝撃が走り、その直後には痛覚さえも抜け落ちたのだ。
 ボフォースの脳天を脅かしたのは、言わずもがなナタクである。
 軍配団扇を右手に握る彼は、その内の人差し指と中指でもってボフォースの顎の肉を突き破り、
更には骨に引っ掛けて変則的な首投(くびなげ)を繰り出したのである。
 己も身を沈ませながらボフォースを投げ落とし、急降下の勢いに載せて彼の脳天を地面に叩き付けた。
 倒れ込んだ後も攻め手は続く。対の左拳を心臓の上に振り落としたナタクは、
そのままの状態でボフォースを押さえ付け、身を沈ませる際に後方へ引いていた右足で追撃の蹴りを見舞った。
割れた脳天目掛けて、だ。
 上体を引き起こす際に生じる力をも乗せた蹴りには、躊躇と言うものが含まれておらず、
ボフォースを瓦礫の山まで撥ね飛ばす。
 カチ割られた部位へ強撃を重ねられたのだ。ただそれだけで即死してもおかしくはない。
 奇跡的に立ち上がることの出来たボフォースだが、仮面の上からでも判るほどに出血は酷く、
戦闘の継続は不可能のように思えた――と言うよりも、出血そのものは大した問題ではない。
追撃の蹴りによって何を貫いたのか。それが先程の技の本質であり、真の恐ろしさである。
 師匠(センパイ)の放った技を見極めたハハヤは、『電掣波(でんせいは)』と噛み締めるように呟いた。

「よく立てたな。脳漿(アタマ)に響いただろ」
「無理してます……とも……エエ……でも、ほら、ご覧の通り……全身……キメておりますので」
「ンなもんに頼らなきゃ動けねぇクチか。……もうちょい力入れて蹴っ飛ばしてやりゃあ良かったな」

 無理矢理に身体を引き起こしたところで、満足に動けなくてはどうしようもあるまい。
今のボフォースは平衡感覚すら殆ど損なわれているのだ。
 そのような相手を前にして、ナタクの瞳に光が蘇ることはない。
代わりに彼の足元にて眩いばかりの稲光が煌いている。

「……今度こそ砕けろ――」

 軍配団扇の柄を口に銜え、煌きが光の爆発に変わった刹那、またしてもナタクの姿が消えた。

「――『飛龍撃(ひりゅうげき)』……!」

 ハハヤが呟いたのは、ナタクが繰り出した技の名であろう。
 黄金(きがね)色の爆発を推力に換えて突進したナタクは、同じ輝きを纏う拳にてボフォースの鳩尾を抉った。
 ナタクは我が身を光の牙へと変えていた。
 垂直に立てられた右拳はCUBEもろとも胸骨を粉砕し、内臓にまで深刻な痛手を与えた――が、
龍の光牙(きば)は獲物を咬み砕くまで決して勢いが衰えない。
 ボフォースの身は再び瓦礫の山へと撥ね飛ばされ、次いで屋内を一直線に貫通し、
対角線上のフェンスまで突き破った。白銀の凍土へ投げ出される頃には見るも無残な姿と化し、
遂に起き上がることはなかった。
 龍の光牙(きば)が翔け抜けた軌跡(あと)には、黄金の稲光が走っている。
 同じ色の明滅を繰り返す火花はナタクの全身に纏わり付いていたが、
彼は疎ましそうに軍配団扇を一振りし、余韻の全てを弾き飛ばした。

「お主の飛龍撃も久方振りじゃな。相変わらず当身≠フ本分を忘れそうになる威力じゃわい」
「どの口が言うんだよ。お前が俺に戦わせねぇからだろ」

 自ら引き受けると宣言しておきながら、ボフォースを斃したナタクは、酷くつまらなそうであった。
難敵を退けた昂揚感のようなものはなく、ただただ遠い目で空を見上げている。
 その様子に眉を潜めたラーフラが何事か言いかけた瞬間(とき)、基地の至る場所で爆発が起こった。
 例えば、探索を続けていた隊士が破壊工作に移ったと言うような――そのように偶発的なものではない。
予め仕掛けられていた爆発物が何らかの信号を受けて起動し始めた模様である。

「ああ、こりゃ――責任者が死んだら、自動的に基地を爆破するように仕組まれていたのかも知れないねぇ。
証拠湮滅の常套手段ってもんだ」

 覇天組の軍師は事態の経緯を分析していくが、やがて彼の解説も爆発音に噛み砕かれ、
全く聞き取れなくなった。


 覇天組の隊士たちが再び揃ったのは、ギルガメシュの基地から少し離れた地点であった。
 敷地内の全てを吹き飛ばすような大爆発へ巻き込まれたにも関わらず、誰ひとりとして欠けてはいない。
それどころか、殆ど無傷に近かった。
 基地から脱して逃げ惑うギルガメシュ兵は二〇〇にも上り、覇天組の戦闘力(ちから)を以ってしても
掃討には一〇分ほどを費やした。ナタクが斃したボフォースにはシンカイが駆け寄り、入念に止(とど)めを刺している。
如何に人間離れした男であろうとも、頭と胴体が切り離されては息を吹き返すこともあるまい。
 惨たらしい末路を辿ったのはボフォースだけではなかった。
討ち取られた死屍は炎に焼き尽くされるか、あるいは氷雪の中に埋もれてしまっている。
 氷の大地を吹き抜ける風は死臭をも凍て付かせており、それが覇天組には幸いした。
現在、彼らは極寒の只中にて仲間のヘリコプターを待っているのだ。
 突入時にジャガンナートが運転していたトラックも爆発に巻き込まれた為、
迎えが来ない限りは徒歩で極寒の地を踏破しなくてはならない。
 刃に付着した血と脂を布切れで拭いつつ、雪中行軍も止む無しと語ったシンカイには、
すかさずジャガンナートから「みんな、シンくんみたいなヒマ人じゃないんだよね」と言う揶揄が飛ばされた。
 しかし、そのような冗談も一瞬のこと。誰も彼もが浮かない表情(かお)をしている。

「骨折り損のくたびれ儲けってワケじゃねぇが、ティソーンさえ捕まえてたら、
もうちょっと晴れがましい気持ちで迎えを待てたのによォ……」

 鳴杖を肩に担いだニッコウの嘆息が示す通り、覇天組は最大の目的を果たせずに終わったのだ。
 探索の途中に捕らえたギルガメシュ兵からルドラが聞き出して――その手段を問う者はいない――判明したのだが、
覇天組が突撃した直後には、ギルガメシュの副指令は屋外へと離脱していたと言う。
基地内に設えられた転送装置を使用して遠方まで逃げ去ったわけだ。
 基地を預かる立場のボフォースが単独で攻撃を仕掛けられたのは、
守護すべき最重要人物が去った後であったことも理由のひとつに挙げられるだろう。
 この装置は転送先からも遠隔操作することが出来るらしく、
発見したニッコウが制御盤(コンソール)を操作して再起動を試みても、最早、何の反応も示さなかったそうである。
全ての機能を停止されては手の打ちようがあるまい。

「流石のガンちゃんもここまでは見抜けなかったみたいだねぇ〜?」
「耳の痛いことを言ってくれるよ。敢えて反論させて貰えるんなら、逃げる知恵だけはボクらより上手ってところかな」
「お、ウマいねぇ〜。弱っちいヤツほど、そ〜ゆ〜コトには頭が働くもんな」

 標的を取り逃がした程度で憂色に染まるほど、彼らも惰弱(ヤワ)ではない。
今回のようなことは幾度も経験してきたのだ。
 ゲットとジャガンナートに至っては、今度の一件を早くも笑い話にしてしまっている。
普段なら大声を張り上げて咎めそうなシンカイも、このときばかりは苦笑を浮かべるばかりであった。
 覇天組の頭を悩ませる問題は全く別のところにあった。今回の探索に於いて大きな成果とも言えるものだったが、
そこで明らかとなった事実が彼らに苦悩を与えたのである。
 探索の最中、研究施設と思しき区画へ踏み込んだルドラとゲットは、そこで一枚の設計図を発見した。
副指令か、その部下が逃走の際に置き忘れた物であろう――が、図面の内容に誰もが言葉を失ったのだ。
 真っ先に戦慄したのはルドラだった。『特異科学(マクガフィン・アルケミー)』なる学問にも精通する彼は、
設計図にて示されているものが大量破壊兵器だと気付いたのである。
 人間の精神に働きかけて殺戮する兵器――と。

「イメージが湧かないんだけど、心≠殺すってこと? なんかガンちゃんの技に似てるねぇ」
「パクられたって訴えたら勝てるかも? ギルガメシュの奴ら、『プラーナ』だって研究済みだろうし、
丸パクリの可能性だって否定出来ないよ」

 集結後に受けたルドラの説明に対し、ゲットとジャガンナートは身近な類例≠ゥら理解を深めようと試みたが、
ルドラ当人は「そんなに生易しいものではないさ」と頭を振った。

「僕の記憶が正しければ――いや、忘れようもないな。これは『アカデミー』で実験されていたものだよ。
破棄されたと聞いたんだが、……ギルガメシュめ、トチ狂ってこんな物まで引っ張り出してくるとはね」
「……またアカデミーかよ。本当、ヤツらはどこまでも――」

 ルドラの話にニッコウは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、次いでナタクの様子を盗み見た。
 ニッコウだけではない。『アカデミー』と言う名がルドラから語られた瞬間、皆が局長を窺ったのだ。
 腕組みしながら屹立する彼は全くの無言である――が、全身に黄金の稲光を纏わせていた。
 相変わらず瞼は半ばまで落ちかけているが、その瞳には生気の代わりに殺伐の気配を宿していた。

「あのイカレ野郎を見たときに気付くべきだったな。基地の責任者とか抜かしてやがったが、
あいつ、ギルガメシュの一味なんかじゃねぇよ。……きっとアカデミーの実験台だぜ」

 笑気が混じったナタクの声に、覇天組の皆が口を噤んだ。
 「似た者同士で潰し合いをさせられたってオチだ。兄弟喧嘩≠ゥも知れねぇ」と局長は鼻を鳴らして見せた。

「……上等じゃねぇか、アカデミー……ケリは俺の手でつけてやるぜ……」

 眠れる獅子が覚醒するとき――それは身の裡の怒りが堪え切れずに爆発する瞬間であるとも言われている。
局長の周囲にて爆ぜる火花が如何なる意味を持つのか、ラーフラたちには解っていた。
 それ故に、彼らはナタクに声を掛けることが出来なかったのである。

 Aのエンディニオン、その最果ての地で繰り広げられたこの戦いは、程なくしてカレドヴールフの耳にも届く。
 あるいはこの戦いこそが、全ての引き金になったのかも知れない――。




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