2.失われた者たちへの鎮魂歌


「我らが立つのは大義を体現せし『鉄巨人』の掌! 義を解さぬ外道めらの生きる場所などないッ! 
大義を侵されたこの屈辱、貴様らの素っ首刎ね飛ばしてもまだ鎮まらぬわッ!!」

 荒い息と共に怒号を吐き出したカレドヴールフは、
人間の自制心と言うものが斯くも簡単に外れてしまうものかと、己自身に驚愕していた。
 大きく見開かれた双眸には、憤怒とは別に深い当惑が宿っている。
 およそ理性からかけ離れた衝動に心も身も委ねなければ、正気が保てなくなる――
そのような体験はカレドヴールフにとっても初めてのことであった。
 どれほど唾棄しても彼女の口内には何とも言えない苦味が残り続けている。
 この場に居合わせた同志たちは、おそらく首魁(じぶん)のことを悪魔の如く蔑んでいるだろう。
組織の長としての器まで疑われるかも知れない。それは考えられる最悪の事態と言える。
 短慮の結末が予測できないほどカレドヴールフは愚かではない。
それにも関わらず、彼女は腰に帯びた軍刀の柄(つか)へと手を掛け、瞬時にして鞘を払ったのである。
 事実、ブクブ・カキシュのシチュエーションルームへと参集した上級幹部たちは、
凄絶としか言いようのない首魁の所業を目の当たりにし、完全に声を失っている。
 カレドヴールフの足元には、物言わぬ遺骸が幾十も転がっていた。
 いずれも首を断たれており、無残なる遺骸より垂れ流されるドス黒い塗料によって、
深紅の絨毯は穢されてしまっている。
 塗料を噴き出す度、遺骸が小刻みに痙攣し、その惨たらしい様は見る者の心を容赦なく打ちのめした。

 『難民救済』という大義を全うするため、ギルガメシュは我が身を血で汚すことも厭わず、
何千何万もの敵兵を屠ってきた。人の血肉が焼け焦げる廃墟に四剣の軍旗を打ち立てたことは一度や二度ではない。
 鬼畜外道の誹りを受けようとも、全ては大義のための犠牲。それ故にカレドヴールフはありとあらゆるテロ行為を命じ、
民間人への被害にも目を瞑って大量殺戮を繰り返してきたのである。
 そのカレドヴールフ自身が大義に反する惨殺を行なったのだから、側近たちが言葉を失うのも無理からぬ話であろう。
 首なしの遺骸はいずれもカーキ色の軍服を身に纏っている。
着衣にはギルガメシュの将兵という身分を証明する四剣のエンブレムが縫い付けられている。
 即ち、カレドヴールフがその手にかけたのは、己の手足となって動くギルガメシュの尖兵たちであった。
 首魁自らが粛清の刃を振るったのである。カレドヴールフがその右手に握る軍刀には、
深紅の絨毯を変色させ、また彼女の半身をも塗り潰したものと全く同じ塗料が付着している。
 今まで内部粛清がなかったわけではない。しかし、一方的に極刑を執行するのではなく、
ギルガメシュなりに軍法会議を開き、公平な審判のもとで断罪は全うされてきた。
非人道的な蛮行がまかり通っているような観念の付きまとうテロ組織にも、
彼らなりに遵守すべき掟があるということだ。
 ところが、今回に限っては違っていた。何もかもが尋常ならざる状況の中で狂っていった。

 ことの発端は、ゼラール軍団が取りまとめたワーズワース暴動の事後調査である。
 深紅の瞳でもって報告書の記述を追っていたカレドヴールフは、全て読み終える前に血相を変え、
ワーズワースの統括を任されていた駐屯軍一同をシチュエーションルームへ召喚した。
 駐屯軍の責任者はベイカーである。暴動の始末について褒賞でも与えられると考えたベイカーは、
シチュエーションルームに向かう足取りも軽やかであった。
 ワーズワースで起きた暴動とは、難民たちの叛乱であったのだ。少なくともベイカーにとっては、だ。
事実、彼は難民の掃討を「叛乱の鎮圧」と報告し、逮捕したハブールの代表者――トゥウェインである――を
大罪人として斬首した。
 その首を見せしめとして晒したのもベイカーである。
 ワーズワースにキャンプ地を設営していたハブール難民たちは、何処からか銃器を買い付け、
あまつさえ、これを以って暴動を起こしたのだ。
 難民保護を唱えたギルガメシュに対する叛乱以外の何物でもあるまい。
そのような者たちは、最早、保護の対象などではなく、大義の敵として始末すべきなのであった。
 逆徒をひとり余さず抹殺できたことにベイカーは誇りすら感じている。
一兵の犠牲も出さずに叛乱の鎮圧を成し遂げたからには、相応の褒美にありつけるとも自負していた。
 トゥウェインの斬首とてカレドヴールフの裁断を得ている。
「難民の叛乱」という報告にも首魁は疑いを挟まなかった筈だ。
 それ故にベイカーの足取りは軽かった。今更になってワーズワースの件を咎められるなどとは、
夢にも思ってもいなかったのである。
 そして、その下卑た期待は最悪の形で覆されることになる。
ゼラール軍団によって明らかとなった真実≠ヘ、ベイカーが歪めた事実≠叩き壊し、
ハブール難民の悲劇をカレドヴールフに知らしめたのだ。
 ゼラール軍団の報告書は、ハブール難民の生き残りによる証言が根拠となっている。
スコット・コーマンという名の生存者は、ベイカーたち駐屯軍が難民キャンプへ如何なる仕打ちを繰り返してきたのか、
悪魔の如き所業を克明に語っていた。
 無論、スコットの証言はベイカーが提出した報告書の内容とは大きく異なっていた――と言うよりも、
殆ど正反対に近い。ワーズワース難民キャンプはギルガメシュの大義に則って保護したと、
厚顔にもベイカーは強調していた。叛乱者は自分たちの篤志を踏みにじったとまで記したのである。

「ワーズワースの駐屯軍は、ハブール難民が人間らしく生きるための権利を悉く踏みにじった」

 それがハブール唯一の生存者たるスコットの証言の要約だった。
ベイカーの提出した報告書とは正反対だが、生き証人が明かした真実の威力は、
捻じ曲げられた事実などとは比べ物にならない。
 新参者に手を貸す義理もないと早々にワーズワースを退去してしまったのだが、
暴動についての事後調査が行なわれること自体はベイカーも了承していた。
 その時点でも彼に焦りはなかった。ゼラール軍団がどこを調べようとも、
駐屯軍にとって不利になるような証拠は出てこないと確信していたのだ。
 ハブール難民の事跡を詳らかにする物は、何もかも灰燼に帰している――その筈であった。
 即ち、スコットという不測の生存者はベイカーにとって致命的な誤算だった。
 暴動に当たって掃射の指揮を執ったのも彼だ。暴動に加担した者も、巻き添えになった者も、
ひとり残らず根絶やしにしたと自らの双眸で確かめていたのである。
火炎放射によって焼き払われた難民キャンプには、最早、生命の一欠けらも残っていないように思えた。
 それでもしぶとく生き延びた者は全て逮捕し、反逆者としてすぐさまに始末をつけている。

「絶対君臨者(ギルガメシュ)に逆らうようなウジ虫には似つかわしい結末だ!」

 自らの高笑いがベイカーの鼓膜にこびり付いていた。
 自分に逆らう者など何処にもいない――果たして、その驕慢な見落としが命取りになった次第である。
 若しくは、必然の宿命(さだめ)であったのかも知れない。
許されざる悪を為した者は、例え人の目が届かないような地底に潜んだとしても、必ずや天の裁きが下されるのだ。

「か、飼い犬が歯向かったら始末≠つけるのが当然では――」

 ベイカーという男は断末魔の叫びすら下劣であった。大義を唱える資格すら持たざる者と言えよう。
それすらも見抜けなかった己の不覚をカレドヴールフは心底より恥じ入り、
犠牲となったハブールの民に報いるべく粛清の刃を抜き放ったのだった。
 兇刃の錆となったのはベイカーひとりではない。シチュエーションルームに召喚した駐屯軍の総員を、
カレドヴールフはひとり残らず撫で斬りにしてしまったのだ。
 視界に入った者の首は自ら軍刀でもって刎ね飛ばし、
それ以外の者は、ヴィトゲンシュタイン粒子の燐光を伴いながら床より迫り出した七本の黒く大きな刃でもって
惨たらしく斬り裂かれていった。
 理性を失って逃走を図ろうとした者には、作戦指揮にも用いているロングスピアを投擲し、
首を真後ろから貫いた。
 粛清の刃を閃かせる間、ワーズワースに於ける暴挙について詰問することはなかった。
許しを乞う声にも耳を貸さず、「処断は軍法会議を開いてからでも遅くはありません」と
アゾットたちが呼びかけてもカレドヴールフは黙殺し続ける。
 総司令の判断とは雖も、弁明すら聞き入れずに粛清の刃が振るわれたのは、
ギルガメシュ結成以来、今回が初めてであった。
 そもそも、だ。短慮と詰られても反論できないような状況で人を殺めたのは、カレドヴールフ自身も初めてである。
彼女の行動指針は常に大義に基づいており、これに反する行いを禁忌とするよう自他に強いてきたのだ。
 侵略行為はテロリストらしく苛烈にして執拗だが、大義を支える明鏡止水の気構えは、
これまでに一度たりとも乱したことがない。
 審判を経ない一方的な死罰など、この瞬間までは考えたことすらなかったであろう。
 結果的にただ一つの汚点≠残してしまったものの、
グリーニャの焼き討ちとて難民救済を達成する上での一過程であり、大義の遵守からは外れていない。

(……莫連なことを……あのときと、どれ程の違いがあるものか……)

 討ち漏らした者を七本の黒い刃で八つ裂きにしていたカレドヴールフは、
己の大義を慰める心中での自己弁護がグリーニャの追想に至った瞬間、表情を歪めながら弱々しく頭(かぶり)を振った。
 行動の差異こそあれども、抑圧し難い衝動へ心身を委ねたことに変わりはないのだ。
あのとき≠ニ些かも外れてはいない。
 またしても一時(いっとき)の感情で心を乱し、大義の体現者としてあるまじき振る舞いをしてしまったのだ。
自己弁護自体が失われた命への冒涜――カレドヴールフは己の浅はかさを呪い、血が滲むほどに唇を噛んだ。
 主≠フ心の乱れに呼応したのか、七本の黒い刃も明滅する粒子と化して掻き消えた。

「この場で殺らんでも、遅かれ早かれ同じオチがついてただろうぜ。
てっぺんが手ェ汚す必要はねぇって言う連中もいるだろうがよ、ここはあんたがキレんのが正解だぜ。
クソどもに手前ェらの立場っつーもんをわからせねぇとだしな」

 足元に現れた血の海へと視線を落としていたフラガラッハは、呆れの混じった溜め息を吐き捨てると、
次いでカレドヴールフに慰めの言葉を掛けた。
 破壊の快楽に酔い痴れる男には似つかわしくない言行であり、両者の様子を傍観していたバルムンクは、
驚きのあまり、「えっ!?」と素っ頓狂な声を発してしまった程である。
 バルムンクの驚愕はともかく――フラガラッハの言う通り、この件に対する非は間違いなくベイカーたちの側にあった。
確かに前代未聞の事態ではあるものの、カレドヴールフが激情に駆られても不思議ではないと言うのだ。

「……立場≠言うならば、それを思い知ったのは私のほうだ……」
「――ケッ、真面目腐って手前ェを追い詰めてやがるぜ。手に負えねぇんだよ、ボケカスが」

 暫しフラガラッハを見つめた後、カレドヴールフは首を横に振った。
 ワーズワースに限らず、ギルガメシュは管轄する難民キャンプに於いて食糧の供給や安全確保の警備など
様々な支援活動を行ってきた。ギルガメシュの本分を全うする大切な任務である。
 しかし、その任務に当たっている将兵の一部が、保護すべき難民に対して狼藉を働いていると言うのだ。
そうした事案は、ワーズワース暴動が起こる以前よりカレドヴールフの耳に入っていた。
 無論、彼女も手を打たなかったわけではない。『四剣八旗』なる俗称を冠した部隊長たちに綱紀粛正を命じ、
過ちを正してきたのだ――が、正規軍人としての訓練を受けていないテロリストたちへ
規律の遵守を徹底させることは極めて難しく、エルンストの降伏と無血開城以降は、
隊内を引き締めるどころか、多くの兵に慢心まで見られるようになってしまった。
 勝利とは、五分をもって上とし、七分をもって中とし、十分をもって下とする――
これはアゾットが好んで諳んじている先人の教えであるが、その訓戒より想定される最悪の事態が、
ギルガメシュ隊内にて現実のものとなってしまった次第である。
 大義の体現者であらねばならないと気を張り、誰よりも規律の乱れを憂慮していたのはカレドヴールフその人だ。
何としても回避したかった最悪の事態に直面し、ことここに至っても下劣なベイカーたちを目の当たりにした瞬間、
鬱積していた憂いと憤りが爆発したのは想像に難くない。
 フラガラッハの慰めが激情を鎮める端緒となったのか、深く、けれど重苦しい調子で呼気を整えたカレドヴールフは、
物言わぬ首なしの遺骸を睥睨しながら軍刀を鞘へと納めた。

「私の思慮が足りなかったせいでおぞましき事態を招いてしまった。
……全てはこのカレドヴールフの責任。私を恨み、憎め」

 謝罪の念を捧げた相手は、言うまでもなくベイカーたちではない。
 無法なる悪逆の犠牲になってしまったワーズワースの民が、
せめて母なるイシュタルの御許では安らかに眠れるよう瞑目にて祈った。
 無念の面持ちで瞑目したカレドヴールフに倣い、アネクメーネの若枝たちも揃って黙祷を捧げる。
 惨たらしい死に様を晒す羽目になったベイカーたちを不憫に思う者は誰ひとりとしていなかったが、
これもまた悪逆の報いと言うものであろう。

「我らは栄華を貪る為に暴力を強いたのではない。戦争の火種を撒いたわけでもない。
勝者の責任として一刻も早く混乱を収束させる術を確立しなくてはならないのだ……ッ!」

 ギルガメシュの現状を悲嘆するカレドヴールフは、
血を吐くような叫びと共に難民支援という大義への想いを迸らせた。
 事後調査の報告書を提出するべくシチュエーションルームへと馳せ参じたトルーポは、
最高幹部たちに対して恭しく平伏こそしているものの、腹の底ではカレドヴールフの言行を白々しいと嘲っていた。
 期せずして粛清に至るまで一部始終を目撃することになったトルーポであるが、
狂ったように刃を振るったのも、難民保護の大義を改めて語ったのも、
ワーズワース暴動という最悪の失態を取り繕うためのパフォーマンスとしか思えなかった。
 暴動の事後調査を請け負ったのはゼラール軍団である。
焼け野原と化した現地の惨状を見聞し、スコットからベイカーの非道を聴取したのもトルーポたちである。
おぞましい実態へ直接触れているだけに、ブクブ・カキシュという高所(たかみ)より
計画の進捗を眺めるのみのカレドヴールフには悲劇の全容など解るまいと考えてしまうのだ。
 ゼラール軍団の諜報を引き受けるバスカヴィル・キッドの調査によれば、
肝心要である難民支援の指針すら、一部の人質が提唱した『ディアスポラ・プログラム』なる計画書へ
頼り切っていると言う。
 いくらカレドヴールフが熱弁を振るっても、トルーポにとっては口先だけの美辞麗句であり、
全くと言って良いほど心に響かない。行動を伴う大志だと主張するのであれば、
どうしてワーズワース暴動を防げなかったのか。
 これはつまり、管理対象である難民キャンプの実情を上層部が誰も把握していないとの証左であり、
組織内の連携の破綻をも意味しているのだ。

(いずれ閣下の踏み台≠ノしてやるんだから、グズグズでいてくれたほうがラクなんだが、しかしなァ……)

 上層部の浅慮に呆れ返ったトルーポは、反射的に頭を掻きそうになり、
次いで行儀が悪いと慌てて右手を引っ込めた。
 もしも、ゼラールがこの場に居合わせたなら、どのような罵詈雑言を轟かせただろうか。
難民救済へ並々ならない決意を抱いている『閣下』だけに、ギルガメシュの存在意義すら全否定したかも知れない。
 あるいは、ディアスポラ・プログラムの提唱者であると言う『ドク』と同様に、
ギルガメシュの不備を指摘し、改善へと導く可能性も捨てきれない。
 その閣下は、ハブール難民の弔いのために精魂尽き果て、立っていることも覚束ない状態になってしまったため、
急遽、トルーポを自身の名代として遣わしていた。
 ゼラールではカレドヴールフたちを変に焚き付けてしまう――その確率まで慮ると、
トルーポが代理を務めたのは一番の正解であろう。直情径行の強いピナフォアでは、さすがに役者不足である。
 先の遠征に於いてグドゥー攻略に失敗したアサイミーは、自身のポジションが脅かされると焦っているのか、
ここぞとばかりにゼラールの欠席を不敬と詰る。聞くに堪えないヒステリックな非難が飛び交うものの、
それすらもトルーポにとっては、ギルガメシュの脆弱性を確かめる材料にしかならなかった。

「あんたしゃんにも困ったもにょだにょ。ゼラール君はきちんと代理を立てているにょ。
しょれのにゃにが問題なんだにょ?」
「召喚に応じられないのはゼラール・カザンの怠慢だと申しているのです。
他ならぬ総司令の命令ですよ? 例え肉親が死んだとしても、命令を優先させるべきではありませんか? 
それを体調不良を理由に欠席するなど……! 私は忠誠心を疑ってしまいますね!」
「ゼラール君はギルガメシュの尻拭いをしてきゅれたようなものだにょ。
彼はワーズワースと、……ハブールの人たちを火で弔ってくれた――しょうだったにょ? トルーポ君?」
「先ほどご報告申し上げた通りです。ゼラール・カザンの異能は己が血潮を炎に換えるもの。
ましてやワーズワース全土を葬るには相応の血液が必要となります。
……何卒、ご寛恕を賜りたく、伏してお願い申し上げます」
「これでも怠慢だと言うにょかにゃ?」
「む……っ」

 他ならぬコールタンにここまで言われては、さしものアサイミーも批判を続けられなくなってしまう。

「自分もコールタンさんに賛成です。確かにゼラールはいけ好かないところもありますが、
ワーズワースの一件については本当に良くやってくれたと思います。
本来であれば、自分たちが現地に赴いて弔い――いや、償いをしなくてはならないのですから……」
「バ、バルムンク様ッ!?」
「ここは自分に免じて、ゼラール・カザンを許してやってくれないだろうか?」
「か、畏まり……ました……」

 バルムンクまでもが仲裁に加わってきた以上、最早、アサイミーは口を閉ざすしかなかった。
 アゾットの副官として同席していたトキハは、気の毒そうに「お察しいたします」と声を掛けたが、
軍師の補佐という重要な役割を彼に奪われるかも知れないと警戒するアサイミーには、そんな気遣いも不愉快だった。
 最近は何もかもが上手く運ばない。ゼラールやトキハといった新参者の所為でギルガメシュ全体が狂い始めていると、
アサイミーは被害妄想を膨らませていた。
 テムグ・テングリ群狼領からギルガメシュへの鞍替えを望むゼラール軍団を仲介し、
更に事後調査と言う任務を与えたのはコールタンである。
 そうした経緯を踏まえれば、コールタンが口を挟んできたことには得心が行くのだが、
どうしてバルムンクまで加勢に入るのか。ギルガメシュの事跡軍師を自任するアサイミーも、
こればかりは理解に苦しんでいる。
 バルムンクの加勢に戸惑ったのは、トルーポ本人とて同様である。
よもや、彼のほうから接触を図ってくるとは予想していなかったのだ。
 トルーポの困惑を知ってか知らずしてか、当のバルムンクは旧友≠ニの再会を喜ぶかのように頬を緩め、
視線を交えたまま静かに頷いている。

(ボルシュグラーブ・ナイガード――こうやって顔を突き合わせてみると、やっぱり心臓に悪ィねェ……)

 旧友≠フフルネームを心中にて唱えたトルーポは、今し方の返礼とばかりに深々と会釈する。
些か他人行儀な振る舞いかも知れないが、このような場に在っては致し方あるまい。

(……全部が全部、グズグズのズルズルってワケじゃあねぇか。それなりに人材≠ヘ揃えてるみてェだしな)

 バルムンクの親しみに満ちた眼差しを受け止めつつも、
トルーポは私情とは切り離した思考(ところ)で状況を冷静に分析している。
 この分析に当たっては、彼がシチュエーションルームへ足を踏み入れる直前まで遡ることになるのだが――
ブクブ・カキシュ内に設けられた居住区では、朝早くからひとつの騒動が起きていた。
 叛乱の首謀者として斬罪に処されたトゥウェインの首は、
兵営のすぐ近くに立てられた獄門台にて晒し者になっていたが、
将兵が寝静まった深夜に何者かが持ち去ってしまったというのだ。
 トゥウェインの親族は、息子の嫁≠煌ワめて皆殺しにされており、首の引き取り手など在る筈もない。
おそらくは心ある人間が密かに葬ったのだろう。それが将兵たちの想像であり、居住区に流れる風聞であった。
 仮にも反逆者の首を無断で持ち去るなど重大な軍規違反に当たる――が、
この件について、カレドヴールフは一度たりとも犯人の捜索を命じてはいない。
ましてや、現在(いま)はベイカーの悪逆非道が明らかにもなっているのだ。
審議にかけるまでもなく、一切を不問に処すことだろう。
 ギルガメシュが完全な根腐れを起こしていなかったことに対して、トルーポは安堵と落胆の両方を味わっている。
 ワーズワース暴動に於ける痛烈な失態をギルガメシュは取り返すかも知れない。
そのような可能性を秘めていることは極めて残念だが、ゼラールが更なる高みを目指すための踏み台と雖も、
土台の部分が朽ちていては超越することに何の意味もなくなってしまう。それは軍団としても困るのだ。

 トルーポの慧眼(ひとみ)には、グラムは乗り越えるに値する逸材として映っていた。
両帝会戦の折には総大将のバルムンクを見事補佐していたとも聴いている。
 あらゆる事態へ冷静沈着に対応しており、現在も心揺らぐカレドヴールフに向かって、
「こう言う場合、中央に政治機関を据えるのが一番じゃありやせんかね」と適切な助言を与えている。

「リーダー不在だから、みんなが不安になるわけだ。ギルガメシュが頼りがいのあるリーダーってところを見せつけりゃ、
どっちのエンディニオンからも文句は出なくなるでしょうな」
「――グラムが、私の心を汲んでくれたぞ。……そうだ、我らは民の規範たる資格を示さなくてはならない! 
明日をも知れぬ難民たちを救い、エンディニオンに恒久的な平和をもたらすのは我らギルガメシュであるッ! 
我らは圧政者ではない! ましてや独裁者であってもならんのだッ!!」

 グラムの助言へ力強く首肯したカレドヴールフは、身辺の世話を任せているドゥリンダナへ血塗れた軍刀を手渡すと、
悠然と赤いマントを翻し、居並ぶ幹部たちの面構えを検めていった。
 最高幹部の中にあってひとりだけ仮面を取らずにいるフラガラッハだけは判然としないものの、
アネクメーネの若枝は誰もが憂色を湛えている。
 アゾットは愛弟子≠振り返り、その顔色をつぶさに確かめている。
 その愛弟子――トキハは、嘗てエトランジェの一員としてハブール難民にも劣らぬ飢餓地獄を味わっており、
ワーズワースの悲劇にも同情的であった。悪夢の如き暴動には、師匠以上に心を痛めているのだ。
 アゾット当人は、難民キャンプを将兵の怠慢を戒める部品(パーツ)≠ニ捉え、
ギルガメシュの組織運営に組み入れようとしていたのだが、それは名軍師らしからぬ失策であった。

「……凡そ衆を治むること寡を治むるが如くなるは分数是れなり。
衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは形名是れなり――秩序ある形でエンディニオンを動かしていくには、
人々が従ってくれる規範を確立するのが上策かと」

 ワーズワース暴動の原因は己の粗略にあると猛省し、トキハにまつわる私情も含めて深い葛藤を抱えている様子だ。
いにしえの兵法を例に引きつつ、カレドヴールフとグラムの考えを全面的に支持した。
 アゾットからコールタンへと目を転じれば、彼女もまた複雑な面持ちで首なしの遺骸を見下ろしている。
普段は何を考えているのか掴み切れないコールタンが、この場に於いては感情の揺らぎが分かり易い。
その心中では怒りと悲しみが入り混じっていることだろう。
 肩まで震わせているのは、意外どころか不可思議でもあったが、ここで声を掛けるほどカレドヴールフも無粋ではない。

 先ほどのこともあってしおらしくしているアサイミーは、
ともすればハブール難民の悲劇を悼んでいるように見えるものの、
実は犠牲者になど微塵の関心もなく、何としてもアゾットの後に続きたいと知恵を働かせている最中である。
 気の利いた進言でもってカレドヴールフを満足させ、取り入るつもりなのだろう。
初対面ながらもアサイミーの器を見抜いたトルーポは、
「あそこまで行くと、毒にも薬にもならねぇな」と心中にて毒づいた。
 アサイミーを観察していても時間の無駄と判断したトルーポは、次いでグラムへと視線を巡らせる。
中央政権の必要性を説いた彼は、自身の発言の効果でも確かめるようにカレドヴールフの面を窺っていた。
 アネクメーネの若枝のリーダー格にあたるグラムは、ギルガメシュ本隊に於いては実質上の次席≠担っており、
その発言力は別行動を取っている副指令をも上回っていた。
 次席≠務めるということは、自然とカレドヴールフの補佐も役割へ含まれるようになる。
それ故に首魁のコンディションにも気を配っているのだ。

(キッドの調べた通りだな。グラム――ギルガメシュの要と呼ばれるだけのことはあるか)

 トルーポが心中にて唱えた「キッド」とは、言うまでもなくバスカヴィル・キッドを指している。
 彼の調査によれば――篤実な人柄からグラムは多くの将兵に慕われており、求心力では首魁すら凌いでいると言う。
全身の大部分をサイボーグ化し、内蔵された戦略兵器を解き放とうものなら単身で都市征圧を完遂してしまうと、
バスカヴィル・キッドは語っていた。
 純粋な戦闘力は間違いなくギルガメシュ最強――そのような男を相手にエルンストは一騎打ちを演じたのである。
トルーポは改めて馬軍の覇者の恐ろしさを実感していた。

(あちこちに気を配らなきゃならねぇってコトは、どこにも偏ってねぇってこった。……切り崩すならコイツかねぇ)

 ギルガメシュという組織を如何にしてゼラール軍団の糧にするべきか。
その方策(てだて)を胸算用するトルーポの視線は、
今や別の人物――コールタンに近侍するふたりの副官だ――へと移っていた。
グラムひとりを凝視し続けていると、あらぬ嫌疑を被るかも知れないのだ。

 一方のグラムは、依然としてカレドヴールフを見つめ続けている。
 心身を案じるかのような眼差しに勘付いた首魁は、気遣いなど無用とばかりに鷹揚に頷き返し、
次いで皆の意識を引きつけるよう右手を前に突き出した。

「エルンスト・ドルジ・パラッシュは無理無体にも剣一振りでもってエンディニオンを斬り従えたのだ。
同じことが我らに出来ぬ理由はない。……先住民諸君を蒙昧とは言わないが、
連合軍の有様を見る限り、長い物に巻かれようという気質を持っているのは間違いなさそうだ。
ならば、尚更、覇権を布けぬ道理はあるまいよ。グラムの言にあった通り、我らの統治にこそ正義と示せば、
自ずとふたつのエンディニオンは統一されよう――」

 ギルガメシュの正義を説く熱弁へ耳を傾けながら、ドゥリンダナは研磨用の布でカレドヴールフの軍刀を清めている。
おぞましい血で穢れた刃を、だ。
 その様を目端に捉えたカレドヴールフは、従順なる側近から阿吽の呼吸で軍刀を受け取ると、
剣尖を天を衝かんばかりに高く翳した。

「――大義あるところに未来は開かれるのだッ! 我が身を以ってその証左とせんッ!!」

 イシュタルへ誓いを立てるかの如き宣言にはグラムたちも一様に平伏し、
これを睥睨したカレドヴールフは剣尖へと視線を巡らせ、天を仰いで母なる女神の加護と祝福を求めた。
 我らが王道をご照覧あれ――と。

「その前に正すべきは隊内の規律。混世を導くにはまず己の足元を省みなくてはならない。
……ワーズワースの暴動に関わった全ての兵卒を洗い上げろ。駐屯軍は他にもいた筈だ。
参加の有無を確認次第、その場で極刑に処せ――遺骸は獣骨の十字架に縛り付け、引き据えるのだッ!」

 獣骨で組んだ十字架へ磔にし、市中に引き回す――
これは、イシュタルの預言者が裏切りの使徒を断罪するのに用いた儀式であり、
女神信仰においては晒し首よりも重い処刑であるとされる。
 イシュタルの御名に従わざるは邪悪の罪科であり、正道を偽る者は獣骨へ四肢を括り付けられたまま、
浄化の炎にて永劫に焼かれ続けるのである。
 カレドヴールフは伝説的な断罪の儀式を復古させることによって、
弛緩傾向にあったギルガメシュの規律を正そうと考えたのだ。
 今こそ取り入る好機と見なしたのか、それとも別の思惑があるのか、
アサイミーはカレドヴールフの発案に諸手を挙げて賛同した。

「さすがはカレドヴールフ様! 見事な秘策でございます! イシュタルのご加護は必ずや我らギルガメシュにッ!」

 Aのエンディニオンの儀式に疎いトルーポは、アサイミーの言行をまたしても恥知らずと捉え、
心中にて「金魚の糞ってのは、あーゆーのを言うんだな」などと罵っている。
 他の面々も概ね伝説の儀式の復古には賛成の様子だが、ただひとり――
コールタンが従える副官、ブルートガングの反応だけは異なっていた。
 道化の如き仮面を外して晒されたその双眸は、此処ではない遥か彼方を見つめているように思えた。
どうやら、シチュエーションルームで起こった喧騒から今すぐにでも逃れたいらしい。
 それはつまり、彼がカレドヴールフの発案を承服し兼ねている証左でもある。
 伝説の儀式の復古を耳にした途端、急に人間らしい感情を宿さなくなったブルートガングの双眸が、
アルフレッドやゼラールと同じ深紅の瞳が、トルーポには妙に気に掛かっていた。
 彼はテロリストの副官にしてはあまりにも幼い。
仮面を被っていたこともあって今までは気付かなかったが、おそらくはラドクリフと同い年くらいであろう。
 やがてブルートガングもトルーポの眼差しに勘付き、深紅の瞳のみで不躾な凝視に応じた。

「――さて、トルーポ・バスターアロー。お前たちの功に報いねばならんな……」

 トルーポがカレドヴールフから直々に呼びかけられたのは、ブルートガングと視線が交わった直後のことであった。





 ルナゲイトをその影でもって覆い隠すほど巨大な人型要塞ブクブ・カキシュの内部には、
軍事兵器やシチュエーションルーム以外にも将兵とその家族が生活する居住エリアが設けられており、
戦場へ駆り出された兵士たちが帰還すべき母艦≠フ役割も果たしていた。
 要塞の内部に設けられていると言うことで規模こそ大きくないものの、
マンションタイプの宿舎が立ち並ぶほか、コンビニエンスやスーパーマーケット、
公園に文化ホール、学校をも完備しており、人間らしい生活に必要なニーズの全てに応えている。
 妖艶なネオンで酔客を誘う歓楽街も、そこで行なわれる乱痴気騒ぎも、
規律を乱さない範囲のものであれば将兵にとって大事な骨休め。カレドヴールフも咎めはしなかった。
 そこあるのは、まさしくありふれた町並みであり、心休まる日常であり――
これがあるからこそ、招聘は過酷な戦場へと赴けるのである。
 ビークル(自走機械)の使用を禁止していることや、景観を彩る植物が明らかな人工物である点を除けば、
ブクブ・カキシュの居住区は、一個の都市と言っても過言ではない造りとなっているのだ。
 ブクブ・カキシュ内部で一個の都市を構築することは、設計段階から大前提とされていた。
有事の際には居住区そのものを巨大なシェルターと化し、将兵とその家族を守らなければならないため、
人間の生活に必要な環境は完璧に整えられている必要があった。
 人工菜園なども完備されており、万が一、備蓄食糧が尽きるような事態に陥ったとしても、
最低限の自給自足は確保されている。
 ギルガメシュが保有する技術の粋を結集して開発された循環装置があったればこそ、
水も空気も安全性が保障され、半永久的にライフラインが維持出来るのだった。
 ドーム状のスペースの中にさながら箱庭のように設けられ、
人工的な太陽に照らされる居住区の名を『テノチティトラン』と言い、
ギルガメシュの家族たちは、その中で何不自由なく暮らしていた。
 Bのエンディニオンの覇権を掌握した今ならば、閉鎖されたスペースから地上に移り、
居を構えることも可能であろうが、無血開城という完全勝利を成し遂げてからも、
ブクブ・カキシュを――否、テノチティトランを出ようとする人間は見当たらなかった。
 連合軍の敗残兵から報復を受けることを警戒してもいるのだろうが、
ブクブ・カキシュに居れば最良の暮らしを享受できるのだから、わざわざ他所に出て行く理由はあるまい。
 テノチティトランに住む皆が口を揃えて言う。ここでは何もかもが揃う。夢の理想郷だ――と。

 そういった意味ではゼラール軍団は極めて風変わりであり、周囲の者からは奇異の目を向けられていた。
ルナゲイトの片隅に打ち棄てられていた廃洋館を買い上げ、そこを当面の宿所に据えたのである。
 廃墟と言っても建物自体は相当に大きく、大所帯の軍団員をひとり残らず収容することができた。
 広い中庭があったことがゼラールにとっては一番の決め手≠ナあった。
朽ちた壁の修繕や家具を取り揃えるよりも先に中庭の整備を命じ、現在はその進捗状況を愉快そうに眺めている。
 カレドヴールフの召喚に応じられず、トルーポを代理に立てただけあって血色は優れないものの、
満面に湛えた喜色は気力の充足を如実に表していた。
 一兵卒には分不相応とも言える豪奢な椅子に腰掛け、鮮血の如き葡萄酒を呷るゼラールは、
やや粘っこい土が堆く盛られる度に口の端を吊り上げた。
 それは相撲を取るための土俵場である。

「如何ですか、カザンさん。ご要望に応えることはできましたかな?」
「うむ、完璧ぞ。余の思い描いた通り――いや、それ以上の出来映えじゃ」

 ゼラールの傍らには、浴衣姿の太刀颪(たちおろし)が控えている。
この作業を監督するため、遠路はるばるルナゲイトを訪れたのだ。
土俵場を作り上げるスタッフについても、その道のエキスパートを太刀颪自身が手配していた。
 仮にも現役の力士が土俵場作りに立ち会うなど前代未聞である。ましてや太刀颪は力士の最高位、横綱だ。
余人からの呼びかけであれば、太刀颪ではなく彼の所属する団体が撥ね付けたであろう。
他ならぬゼラールの依頼だからこそ承諾されたようなものだった。
 ハンガイ・オルスにて催された特別興行――テムグ・テングリ大相撲である――を通じて、
ゼラールは太刀颪と親交を深めていた。
 ゼラールは長らく太刀颪を贔屓にしており、また、太刀颪自身も彼の豪快な人柄に男惚れしている。
そのような相手からの依頼を断る理由はなく、所属団体の許可も待たずに二つ返事で快諾していたのである。
 ギルガメシュに寝返った形のゼラールについて難色を示す者がいなかったわけではない。
しかし、最後には太刀颪自らが「相撲の前に国境は無し」と説き伏せ、納得させていった。

「横綱直々に足労を掛けたな。何しろ、此処は気詰まりが多くての。
偶(たま)には朋輩と膝を突き合わせて語らいたいのじゃ。そうでなくてはやっておれん」
「なんのなんの。水臭いことを言わんでください。それにカザン家は相撲協会にとってもかけがえのないお方。
くれぐれも手抜かりのないようにと親方からも言い付かっております」
「……横綱こそ水臭いことを。此度はゼラール・カザン個人として横綱を召したのじゃ。
朋輩の間に協会も何もあるまい?」
「無粋でしたな。いや、失礼!」

 カザン家と相撲協会――太刀颪がそう口にした瞬間、ゼラールは例えようのない表情を浮かべたが、
すぐさまに気を取り直し、「近々、この土俵にてルナゲイト大相撲でも催そうぞ」と痛快に高笑いした。

「……どんな人物≠ゥと楽しみにしていたんだが、とんだ期待外れだったな。
周りを見てみろってんだよ。どうせカネを落とすんなら、別のトコに落としやがれ」
「カーカス、それは言いがかりってもんだろう。第一、記者失格だ。
外では大層立派な仕事をしてるんだ。プライベートで何をやっていても構わないじゃないか。
私らが取材させてもらうのは事業の内容。趣味にまで口出しする権利はないんだぜ?」
「ですが……」
「立派な仕事と人格は必ずしも一致しないし、する必要もねぇのさ。
オトナになれよ、カーカス。真実を伝えるのが報道の役目だが、取材対象の名誉は守らないと。
何でもかんでも表に出すのがフェアとは限らないんだぜ」
「……オットーさんだってしっかりキレてんじゃないですか」
「おいおい、人聞きの悪い言い方はよしてくれ。キミよりオトナ≠フつもりだよ、私は」

 この高笑いに対して批判の声を上げたのは、ゼラールを挟んで太刀颪の反対側に控えるふたりの男性だ。
彼らも相撲協会が誇る横綱と同じ来客であった。
 両名の着込んだスタッフジャンパーは、背中にモグラのイラストがプリントしてあり、
そこには『ベテルギウス・ドットコム』なるロゴも添えられている。
 身なりからも察せられる通り、両名ともに巷を騒がせるネットニュースサイト、ベテルギウス・ドットコムの運営者だ。
不貞腐れた面持ちでハンディカムをゼラールに向けているのがカーカス・マイヨ・ネイラー、
白いカーディガンを肩に引っ掛け――こだわりなのか、ジャンパーの上から更に、だ――、
相棒に指示を出していくのがオットー・グラントである。
 電波塔を経由せずに指定したアンテナへ直接映像を送り込むビデオカメラのトラウム、
『ヘッドルーム・レポート』を備えているオットーだが、通常の撮影はカーカスに任せており、
自身は専ら演出を担当していた。
 ゼラールへの取材に当たっても、その布陣で撮影に臨んでいる。
ベテルギウス・ドットコムは、次にワーズワース暴動を取り上げるべく東奔西走しているのだ。
 暴動の事後調査に関わっただけでなく、ワーズワース全土をトラウムによる大火炎で包み込み、
数限りない遺骸と共に浄化したというゼラールから悲劇の真相に迫ろうと考えた次第である。
 ワーズワース暴動はギルガメシュにとって痛恨の失態であり、決して触れられたくない痕でもある。
大々的にこの一件を取り上げようとする者には、死よりも恐ろしい制裁を加えるかも知れない。
例えカレドヴールフが報道を許可したとしても、末端の兵卒は血眼になってオットーとカーカスを追い回すだろう。
 ベテルギウス・ドットコムは危険を承知で真実に切り込もうとしていた。
その気迫をゼラールが気に入らない筈もなく、ピナフォアたちの反対を押し切って独占取材に応じたのだ――が、
どうやらオットーとカーカスは、着々と進行する土俵場作りが気に食わない様子である。
 失われた者への鎮魂という偉業≠成し遂げておきながら、
任務を離れた途端、趣味に入れ込む道楽者と化してしまう――
オットーの例えを借りるならば、仕事と人格は必ずしも一致しないとのことであるが、
その矛盾に対して両名は失望してしまったのだ。

「カザンさんは私財を投じて相撲の振興に務めておられるのだ。
不当に搾り取った悪銭(カネ)で遊んでいるわけじゃない。
彼には非難されることなど何もない。それは自分が請け負おう。勿論、これは相撲協会も認めていることだ」

 贅沢三昧と決め付けるようなベテルギウス・ドットコムの前に、太刀颪が敢然と立ちはだかった。
我が身を盾としてゼラールを庇い、今し方の糾弾を正面切って跳ね返そうと言うのだ。
 一介のテレビマン――尤も、テレビの仕事は長らく休止しているが――とは比べ物にならない社会的地位を持ち、
土俵場作りの監督をも務める太刀颪から正論で返されては、如何に口の悪いカーカスと雖も答えに窮してしまう。

「さすがのお前も横綱相手じゃ分が悪いだろ? もうちっとオトナ≠ノなろうや、カーカス」
「……別にガキのままでもいいんスけど……」

 オットーにまで肩を叩かれたカーカスは、最早、黙して引き下がる以外になかった。
 一連のやり取りを少し離れた場所で眺めていたピナフォアは、折角の出番を掠め取っていった太刀颪に
「横綱だかなんだか知らないけど、空気読まない時点で終わってるわね」と毒づいた。
カーカスと相対するのは、閣下の側近たる己しかいないと考えているのだ。
資格を持たざる者が役割を奪うなど言語道断である。
 カンピランとバスカヴィル・キッドは歯軋りして悔しがるピナフォアに苦笑し、
ラドクリフは冷ややかな眼差しを向けつつ「全然余裕がありませんね。ひたすら気持ち悪いです」と皮肉った。
 最高幹部との謁見を終えたトルーポが洋館へと戻ってきたのは、
ラドクリフとピナフォアが取っ組み合いを始めたのと同じ頃である。

「よォ、ご苦労さん。大層な土産≠抱えてるってことは、成果があったってことかい?」
「……ま、上々とだけ言っておこう」

 真っ先にトルーポを出迎えたのは、玄関でシガレットを喫っていたスコット・コーマン――
即ち、ハブール難民最後の生き残りである。
 事後調査の最中にワーズワースで保護した彼も、今はゼラール軍団の一員となっていた。
 スコットの身柄を軍団で引き取ることは、カレドヴールフにも報告した。
彼自身がゼラールのもとで働きたいと申し出ているのだ。命を救って貰った恩返しをしたいという。
 カレドヴールフはギルガメシュ本隊で預かろうと考えていたようだが、
最終的には本人の意思を尊重するとして、スコットの処遇(こと)をゼラール軍団に一任したのである。
 皆と合流したトルーポが、スコットを預かる許しが出たことを報せると、
カンピランは巨大なカットラス――銘をタイガーフィッシュという――を肩に担いで鼻を鳴らした。

「さて、何の役に立ってくれるのかねぇ……」

 目と鼻の先に本人が在るにも関わらず、あからさまな皮肉まで口にしている。
不調法としか言いようのない愛妻をトルーポは苦笑混じりで諌めた。
 注意を飛ばす一方、カンピランの言にも一理あるとトルーポは考えている。
 ゼラール軍団は多士済々の集団であった。
 頂点に君臨する『閣下』は言うに及ばず、片腕たるトルーポはあらゆる武器、兵器のエキスパートであり、
ラドクリフはプロキシに、ピナフォアは破壊のトラウムと馬術にそれぞれ長じている。
 Bのエンディニオン最強の海賊団を率いるカンピランはゼラール軍団の海戦力と資金を支えており、
バスカヴィル・キッドのゾリャー魁盗団は諜報活動を一手に担っていた。
ゾリャー魁盗団は世界中にその名を轟かせる義賊団であったが、
現在(いま)はゼラールのカリスマ性に惹かれて軍団へと参加している。
 トルーポに次ぐ古参の老ガンスミス(銃職人)、クレオーは、本来の職域を飛び越えて数々の兵器を新開発し、
ゼラール軍団の武力に貢献している。
 アカデミーにて軍事を修めた士官候補生や、テムグ・テングリ群狼領から離反した将兵だけでなく、
アウトロー崩れまでもが軍団を構成しているのだから、ゼラールの懐は限りなく深いと言えるだろう。
 極めつけは亀型の巨大クリッター、アクアヴィテの存在である。
直径六〇メートルはあろうかという堅牢な甲羅を誇り、その表面には二十一本もの生体ミサイルが張り出している。
太古の首長竜も斯くやと思わせる鎌首にて敵船を粉砕する巨大クリッターすらゼラールは傅かせているのだ。

 それらに比して、スコット・コーマンは無力に等しい。
 人並みに処世術は心得ているようだが、だからと言ってゾリャー魁盗団のような諜報能力はなく、
ペガンティン・ラウトのように敵地へ飛び込むほどの胆力など持ち合わせてはいない。
 スコット本人も己の技量が軍団全体の水準に達していないことを自覚していた。
ハブールという閉じた世界で漂うように生きてきた自分の裡に、ゼラール軍団のような猛々しい魂など在る筈もない――
彼はそこまで分析していたのだ。
 だからと言って、他者との差を埋めようとは思わない。
努力や期待というものは、重ねた分だけ痛みとなって跳ね返ってくるとスコットは知っている。
少なくとも、彼の中には「報われる努力」というものは存在していなかった。
 後で必ず吠え面をかくと解っていながら無理をするなど、どう考えても割に合わない。
 無論、スコット個人の考えがゼラール軍団に通用するわけがない。他者の目には怠慢を極めているとしか見えなかった。
 憐憫を感じて保護した立場ではあるものの、他者からの施しを是認しているようなスコットの態度に対して、
ピナフォアは嫌悪感すら覚えている。決して口には出さないものの、心中では「穀潰し」と扱き下ろしていた。
 血族を裏切ってまで己の信念を貫いたピナフォアだけに、のらりくらりとした言行が余計に癇に障るのであろう。
 保護された直後は疲弊の極致にあったスコットも、手厚い介抱を受けた現在は本調子に戻っている。
滋養に富んだ食事を摂ったこともあり、難民キャンプで暮らしていた頃よりも遥かに血色が良い。
 その恩に報いたいとして軍団入りを望んだスコットであるが、ピナフォアやカンピランからすれば、
彼が口にする「恩義」とは口先だけのものであり、本心は判らない。
ともすれば、軍団のお零れに預かるための建前のようにしか聞こえなかった。
 件の証言に対する当然の代価とでも言うように大飯を食らい、シガレット代にと小遣いまで無心する有様である。
 それでいて自身に向けられる悪感情には敏感なのだ。居心地の悪さを覚え始めたスコットは、
「役に立たないと思ったら、いつでも捨ててくれや。あんたらも食い扶持が減ってラクになるだろ?」と、
自嘲気味に鼻を鳴らす機会が多くなっていた。
 本当に追い出されることがないと確信しているからこその言動である。
懐の深いゼラールのこと、誠意を欠くような穀潰しであろうとも、自身のもとに集った人間は決して無碍にはしないのだ。
ましてや、現在(いま)はカレドヴールフから軍団に預けられた恰好である。放逐など絶対に有り得なかった。
 無気力な性情も無為な現状も改善しようとしないスコットを眺めながら、ピナフォアは撫子のことを思い出していた。
 両帝会戦の僅かな時間にしか顔を見たことがなく、人となりに至ってはフィーナからの伝聞ではあるものの、
撫子もスコットと同じく何事にも無気力であったようだ。聴くところによれば、定職にも就いていないらしい。
 だが、撫子の場合、戦闘ともなると人が変わったように猛々しくなる。
ミサイルのトラウムを駆使して敵影を吹き飛ばそうとするのである。
即ち、己に課せられた責務を果たしているわけだ。その点が全く働く気のないスコットとの違いであった。
 トラウムこそ持たざるスコットだが、しかし、戦う手段がないわけではない。
MANAである。トルーポの説明によると、駐屯軍によって奪われたハブール難民のMANAが、
間もなくスコットの手元に返却されるというのだ。

(……余計なことしてくれるぜ……今更、MANAなんてよ……)

 MANA返却の話を聞かされたスコットは、思わず頭を掻いたものである。
 彼が所有するMANA、『スコーチャー・スケアクロウ』は、市場に出回っている物としては最新型であった。
立乗型自動二輪車と拡散プラズマ砲――ふたつのモードは共に強力無比であり、
実戦経験が皆無なスコットであっても、これさえ持てばゼラール軍団の戦力に成り得るだろう。
 スコーチャー・スケアクロウさえ手元にあったなら、ベイカーたちに弄ばれることも、
得体の知れない銃器へ頼る必要もなかったかも知れない――が、過ぎ去った悲劇を思って悔しがることはない。
勿論、ゼラール軍団のためにMANAを使おうとも思っていない。
 どちらもスコットに言わせれば「無駄なこと」。MANAを奪われたがために起きたワーズワースの悲劇でさえ、
「それが運命。ハブールがイシュタルに見放されただけ」と割り切っているのだ。

「MANAが返ってくるなら、アンタもいよいよ本領発揮じゃない? 
今までは働きたくてもどうしようもなかったものねぇ? 稽古くらいなら付き合ってあげるわよ」
「お、積極的じゃねーの。ピナフォアちゃんとお付き合いできたら、そりゃ幸せだろうねェ」
「そーゆー意味じゃないわよ。……話を摩り替えたわね、アンタ」
「それこそ、こっちのセリフってヤツ。そんな意味で言ったんじゃねぇよ。やるときゃやるよ、おれ。
でもよ、MANAが返ってこないうちはどうしようもねぇだろ? 
いざってときにすっからかんじゃ締まらねぇから、こうしてパワーを溜めてんのさ」
「胡散臭いったらありゃしないわ」
「ホントだって。おれ、ほら、虚弱体質だからさァ」

 ピナフォアが皮肉混じりでMANA返却の件に触れても、スコットは適当に受け流すばかり。
自発的に行動しようという意欲は絶無であった。

「おお、ポンと忘れてたぜ。ぼちぼち、お前さんの体力づくりもしなきゃならねぇな。バテてもらっても困るしよ。
いっそ訓練メニューでも作ってみるか。なぁ、ラド?」
「名案ですね。ぼくも新しい稽古を始めたところですし、ご一緒にどうです?」
「あんたらの基準でプログラムを組まれたんじゃ、こんな病み上がり、半日でくたばっちまうぜ。
超人オリンピック状態じゃねーか、この軍団は」
「誰もがトルーポさんみたいなワケじゃありませんよ。ぼくなんか、スコットさんより体力ないんじゃないかな」
「おれに言わせりゃラドクリフが一番人間離れしてるけどなぁ。プロなんとかっつー妙な術を使うしよ。
あれってトラウムってのとは違うんだろ? 突然変異ってヤツかねぇ」
「傷つくなぁ、その言い方……」
「そうそう、化け物よ、化け物。人の皮を被ったゲテモノなんだから!」
「……ピナフォアさんとは、ちょっと別件で話がありますから、後でよろしく。首を洗って待っていてください」
「棺桶引き摺って行ってやるわよ。あんたをブチ込むサイズはとっくに測ってあるからね!」
「こんな会話がポンポン飛び出すんだぜ? おれみたいな一般人には随いてけねぇさ」

 ピナフォアに続いてトルーポまで口を挟み始めたときには、さしものスコットも困惑してしまった。
非協力的な態度に痺れを切らせたかと身を竦ませたものの、彼の場合は純粋にMANAへの関心が強いだけである。
 ゼラール軍団からすると、スコーチャー・スケアクロウとは初めて入手するMANAであった。
 ニコラスのガンドラグーンなど、MANAを用いての戦闘はこれまで幾度も間近で見てきた。
トラウムにも比肩する高いスペックを知っていればこそ、トルーポはスコーチャー・スケアクロウの確保へ
過剰な期待を寄せてしまうのだ。
 言わば、待望の新戦力なのである。現在は席を外しているものの、
クレオーがスコーチャー・スケアクロウの話を聴いたなら、おそらく飛び上がって喜ぶに違いない。
 妙な期待を掛けられていることにもスコットは辟易していた。
そもそも、だ。ビークルモードのならまだしも、拡散プラズマ砲など変形させたこともない。
 譲れるものならトルーポに押し付けたいところだが、MANAの所有には複雑なユーザー登録とライセンスが必要であり、
起動時に認証システムも実行されるため、本人以外が使うことは不可能だった。
 友人の勧めで最新型のMANAを購入したものの、今となってはそれすらも呪わしい。
柄にもなく欲を出してしまったがために、こうしてトルーポから煩わしい視線を浴びる羽目になったのだ。

(ギルガメシュってのは、どうしてこうバカなんだ。分捕ったら、そのまま手前ェのモンにしとけよ)

 スコットは周囲から期待されることも、自分から他者へ期待することも好んではいない。
何事にも無関心であり、同時に不寛容であった。流されながら生き、誰かへ擦り寄っているように見えて、
その実、自身のテリトリー≠ノは決して侵入を許さなかった。
 著しく歪んだ性情は、暴動によって被った心のダメージの影響ではなく、生まれ持ったものに他ならない。
 ワーズワースの浄化すらも「他者からの侵入」と捉えて心が撥ね付けている。
ハブールの同胞を弔ったというのに、そのことへの感謝は微塵も湧かないのだ。
 スコットの感じたゼラールへの「恩義」は、自分ひとりに対する施しが全てであった。

「ま、体力づくりは気長にやってこうや。本人がその気にならなきゃ、どうしようもねぇもんな」

 これ以上、スコットと話していても何ら得るものがないと見なしたトルーポは、
仲間たちの輪を離れ、その足でゼラールのもとへと向かっていった。
 トルーポが洋館へと戻ってきたとき、ゼラールはベテルギウス・ドットコムから取材を受けていた。
太刀颪との悶着を打ち切ったカーカスが仏頂面でカメラを回し、オットーが気さくな調子でインタビューを行なう形だ。
 ベテルギウス・ドットコムが取材を申し入れてきたことはトルーポも把握している。
ワーズワース暴動の事後調査と、続けて執り行われた大規模な火葬≠ノついて調べたいと言うのだ。
 彼らの運営するニュースサイトも事前にチェックしている。ギルガメシュへの独占取材が多いことから、
同業者から「テロリストの飼い犬」などとバッシングされていたが、報道そのものは公平を保っており、
ともすれば、異世界の人々について偏向的な表現を使う傾向があるBのエンディニオンのメディアの中でも、
その信頼度は随一と言えるだろう。
 だからこそ、トルーポも取材の許可を出したのである。ゼラールの名誉を貶めるのが目的の下卑た輩であったなら、
仮に閣下当人が容認したとしても、マイクやカメラの前に立ちはだかって堰き止めた筈だ。

「――さぁさ、取材は一休み。茶でも淹れさせるから、……そうだな、一〇分くらい休んでくれ。
時間はたっぷりあるんだ、気長にやろうぜ」

 両手を打ち鳴らしながらベテルギウス・ドットコムに歩み寄っていったトルーポは、一方的に休憩を申し渡した。
 悶着を経てようやく再開したばかりだというのに、またしても中断されては堪らないと
カーカスが不満の声を上げるが、オットーはこれをやんわりと窘めた。
トルーポの言い回しから他者に聞かれてはならない密談が始まると察したのだ。
 いくらゼラール軍団が友好的とは雖も、ここはテロリストの本拠地。外部に漏らせない情報も多いのである。

「……こんなこと、許していちゃあ速報性もへったくれもねぇと思うんスけど」
「速報性に囚われてハンパなネタを出すよりずっとマシだろう? ウチは純度と信頼性で勝負しようじゃねーか」

 その場を離れる最中にもカーカスの文句は止まらなかった。業務に関して職人気質の持ち主である彼は、
集中を寸断されるのが気に食わないのだ。
 太刀颪は自ら気を利かせて土俵場の近くへと歩いていった。
スタッフに飛ばした「そこの盛り方、少し歪じゃないか」という指示は、トルーポへの合図≠煬唐ヒていたに違いない。
密談が耳に入らない位置まで離れた――と。
 太刀颪と入れ替わるようにして、ラドクリフたちが閣下のもとへと参集する。
遠慮がちではあるものの、スコットもそれに追従していた。

「――して、お歴々の様子はどうであった? ……そちの目には如何に映った?」

 側近一同が跪いたのを見計らい、ゼラールはシチュエーションルームに於ける顛末をトルーポに尋ねた。
事後報告に対する報酬には微塵も興味がないらしい。
 スコットの証言がもたらした効果も、ベイカーたちがどのようにして罰せられるのかも、
全てが容易く予測できるため、この場で改めて確認することもなかった。
 スコット自身、ハブールの仇討ちには関心が薄い。
真っ先に出迎えながらトルーポにベイカーたちの処分を尋ねなかったのが何よりの証左であろう。
 彼は持ち去られたトゥウェインの首の行方すらもトルーポに確かめなかった。
 スコット本人が気にしていないことまで触れる必要はない。
元よりゼラールの興味はギルガメシュ最高幹部の内情に絞られているのだ。
 カレドヴールフより預かってきた土産≠ゼラールに差し出しつつ、
トルーポは「使えそう≠ネ人間は思ったより少ないですね」と応えた。

「カレドヴールフとコールタン氏は省きますが――ずっと仮面を被ってるフラガラッハ、アレはダメです。
話が通じるかどうかも分かりません。軍師のアゾットもどうでしょう。普段の献策は知りませんが、
今日に限って言えば、副官のことばかり気にしていて、まともに知恵も絞っちゃいませんでしたよ」

 その副官が両帝会戦で垣間見たエトランジェの一員であることも言い添えた。
 但し、ゼラール軍団は直接的にエトランジェと交戦していないため、トルーポには彼の名前までは分からない。
無論、件の副官とはトキハ・ウキザネその人のことである。

「如何な事情かは知らんが、情に流されて役務を疎かにするようでは使い物にならぬ。いずれ智慧も腐ろうぞ」
「そういう意味ではアルとも違うようですね。あいつ、感情がおかしくなっても、やるべきことはやっていましたから」
「ボルシュグラーブ・ナイガードは如何であった? そちも顔を合わせたのであろう、旧友≠ニ?」
「ええ、有り難いことにこっちのコトをしっかり覚えていたみたいですよ。
陰険なオバさんに絡まれたときなんか、思いっきりフォローして貰いました。相変わらずのお人好しって感じでしたね」
「そちとボルシュグラーブ・ナイガードはよく戦技を競っておったな。在りし日の姿が目に浮かぶわ。
そちたちふたりの相撲は見物≠ナあったのぉ」
「私情を挟むのは良くないと言ったばかりですが、……できれば、あいつとは戦いたくないですね。
まあ、思い込みが激しいヤツなんで、説得して折れるとは思いませんが……」
「試しにここへ招いてみようではないか、直に土俵も完成するでな。
久方ぶりに裸の付き合いでもしてみるがよい。さすれば、頑なな心もゆるりとほぐれて参ろうぞ」
「どうですかねぇー……」

 トルーポの報告に耳を傾けながらも、ゼラールはすっかり土産≠フ品へ執心している。
 カレドヴールフがゼラールに授けたのは自らの軍刀であった。
無論、ベイカーの血で穢れたものではなく、別に用意していた一振りだ。
 相当な逸品――業物と呼ばれるものだ――であるらしく、鞘より僅かに刀身を引き抜き、
刃紋(もよう)を検めたゼラールは、白銀の連峰が如き秀麗な表情≠ノ口の端を吊り上げている。
 銘を『川喜多百貫藪乃曙(かわきたひゃっかん・やぶのあけぼの)』というそうだ。
Aのエンディニオンでは相当に名の知れた刀匠の作であり、
銘を聞いた途端、スコットは「大盤振る舞いだな。安物のMANAなら五〇台は買えるぜ」と口笛を吹いて見せた。
 但し蝋色塗りの鞘だけは気に食わなかったようだ。陽光の紋様が加装された物をクレオーに造らせようと笑い、
次いで白人を鞘へと戻した。
 手持ち無沙汰な様子のスコットへ軍刀を投げ渡すと、ゼラールは肘掛に身体を預け、頬杖を突いた。
これは一種の合図であった。さらに報告を続けるようトルーポへ促したのである。

「グラム氏は話が通じるかも知れませんが、……如何せん、根っからのギルガメシュです。
カレドヴールフのコンディションを常に気遣っていましたよ。おそらく造反を持ちかけても全く応じないでしょう。
それでいて、造反の計画を他の人間には密告しないでいてくれる人物――つまり、そういうタイプです。
穏健派ですが、ここ一番で融通が利かず、組織に殉じることでしょう」
「先の合戦にてボルシュグラーブ・ナイガードを補佐し、またエルンストと一騎打ちに及んだとも聞いておる。
……故に口惜しいのよ。面白き男であろう」

 両者のやり取りに耳を傾けていたスコットは、そこで初めて閣下の真意に気が付いた。
正確には、ゼラールからトルーポへ下されていた命令の趣旨を察知したのみであるが、
それ自体が計画の全体像を示すものであり、勘働きは十分だったといえるだろう。
 「スケールがでけぇや、閣下は……」と、スコットは呆れ混じりの薄笑いを浮かべた。

「とんでもねぇことを企むんですねぇ。ギルガメシュを乗っ取ってやろうって言うんですか……!」

 軍刀を抱えながら喉の奥で笑うスコットに応じて、ゼラールも大きく胸を反らせた。
高笑いと共に飛び出すのは、「元よりギルガメシュなど踏み台に過ぎん」という大胆不敵な宣言である。

(ホラ吹きもここまで来りゃいっそ気持ちが良いぜ)

 愛想笑いというほどに下卑たものではないが、ゼラールに調子を合わせつつも、
スコットはギルガメシュの転覆など不可能だと考えている。
 「情に流される軍師は役に立たない」とアゾットを評しておきながら、
次の瞬間には自分たちのほうが私情に飲まれている――そのように甘い者たちが、
冷酷無比なギルガメシュを倒せる筈もないのだ。
 ゼラールが発する壮語は多くの軍団員を鼓舞していくが、しかし、スコットの耳には哀れな妄言にしか聞こえない。
彼の口から漏れ出す笑い声も恐ろしく乾いていた。

「――当面は内側から切り崩しを仕掛けなけりゃならねぇがな。それもすぐにやり易くなるだろうよ」

 ゼラールへの報告を進めようというのか、はたまたスコットの心中を読み抜いたのか。
トルーポは仕切り直しを企図した咳払いを交えつつ、今後の指針を示した。

「ハブールの犠牲者とワーズワースを閣下の炎で弔った件、総司令はいたく感激されたようです。
今後は副官待遇でブリーフィングに参加するように――とのことでした。
近く正式に通達が出されるそうですが、内示だけは頂戴して参りましたよ。
今後はコールタン氏のお付きという立場になるのでしょう」
「ほう? 存外、話が分かるではないか。尤も、昇進を副官待遇≠ノ留めたがは余を恐れてのことであろうがの」

 「それでも閣下の名声が高まったことに変わりはありませんっ」とピナフォアは頬を上気させて喜んだ。

「閣下の御器量を畏れるばかりだった頭のカタい草賊とは違いますわ! 資格ある御方こそが人の上に立たなくてはッ!」
「ピナフォアさんがそれを言うのもどうかと思いますが……いえ、そんなことより――おめでとうございます、閣下」
「ちょっ、なに抜け駆けしてんのよ、チビガキ! おめでとうございます、閣下っ! 心より御祝い申し上げますっ!」
「うむ、苦しゅうない。これより先、今まで以上に忠勤に励むが良いぞ。
余の手足となって存分に働き、覇道の礎となれ。そちたちには余のために骸となる権利をくれてやろう」
「ああ、閣下……勿体ない……勿体ないお言葉……」
「そのようなお言葉を頂いたら……アタシ、アタシぃ……子宝に恵まれてしまいますぅ〜!」

 ゼラールの昇進にピナフォアとラドクリフは大歓声を上げたが
その一方でカンピランは「話が出来過ぎじゃないかい」と首を傾げている。
 バスカヴィル・キッドもカンピランと同じ疑念を抱いたようで、頬を掻きつつ満面を顰めて見せた。
 クロケットハットが彼のトレードマークであり、帽子の背面からは野獣の尾を模した飾りが飛び出している。
身じろぎする度に飾りは左右へ揺れ動くのだ。まるで胸中に抱いた猜疑の念を表しているようである。

「いくらコールタンさんの口添えがあったとは言え、入隊して間もない人間をここまで厚遇するのは解せないな。
トルーポ、総司令は他に何か言っていたのか?」
「ギルガメシュ兵一〇〇名を預けるって副賞&tきだぜ。テムグ・テングリで言うところの百人隊長ってところだ」
「副官待遇に一〇〇人もの兵……どう考えても妙だ」
「ちょ、ちょっと! あんた、閣下の御偉功にケチをつけようってのっ!?」
「不敬などと言わないでくれよ、ピナフォア君。組織というものはしがらみだらけって話をしているんだ。
急速な出世は周りの妬みを買う。やがて、妬みは不満となって組織全体を蝕んでいく――だろう?」
「知ったような口を叩くじゃないのさ」
「そういう胸糞悪い感情や人間関係を商売道具≠ノしているんでね」

 歓喜に水を差すような物言いのバスカヴィル・キッドへ食って掛かるピナフォアだが、
彼とカンピランはあくまでも冷静である。

「テムグ・テングリでのことを思い出してみな、ピナフォア。器の小せぇバカどもが閣下にいちゃもん付けてきただろ? 
あれと同じだ。陰険なクズはどこにだって湧くもんさ」
「カンピランまで……」

 なおもピナフォアは不満そうにしているが、他方のラドクリフは仲間たちの話を聴く内に疑問点へと行き着き、
すぐさまに表情を引き締めた。

「……今のギルガメシュにとって一〇〇人もの兵は貴重ですよね。今だって数千しかいないのに。
それを新参者のぼくらに付けるなんて、ちょっと考えられませんね」
「そ、それだけ閣下がギルガメシュから認められたってコトじゃないの……」
「問題はこんなに早く認められた≠チてコトだろう? 
昨日まで余所者だったヤツを抱き込まなきゃならねぇくらい人材が足りてねぇって、
手前ェで暴露(ゲロ)っちまったようなもんじゃねーか」

 横から口を挟んだスコットにラドクリフは深々と頷く。
納得こそできないものの、ピナフォアも仲間たちの案じる問題は把握したらしく、
「……グラついてる今こそチャンスなんでしょ。それくらい分かるわよ」と不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 仲間たちが闊達に意見を取り交わし、意思統一に至ったことを認めたトルーポは
改めてギルガメシュ内部の切り崩しについて思考を巡らせていく。
 ワーズワース暴動の一件で明白となったが、敵対勢力を押し退けたと言ってもギルガメシュは決して磐石ではない。
懐へと飛び込み、最高幹部たちの様子をつぶさに見取って確信したが、内部は酷く脆弱である。
 土台が腐っていると判った以上、床の底が抜ける前に優れた人材を引き抜き、
破綻する宿命の組織から脱け出さなくてはならないのだ。
 悠長に構えていては崩壊に巻き込まれ、ギルガメシュと心中する羽目になる。
仮に瓦礫を跳ね除けて這い出したとしても、待っているのは嘲りと謗りの声だけであろう。
暗愚な組織へ寝返った上、惨めにも死に損なった空前絶後の駑馬(おおまぬけ)――と。
 何としても閣下の経歴に汚点を残すわけには行かなかった。

(ギルガメシュの力を効果的に削ぎ落とせる標的、か――)

 仮に切り崩しを仕掛けると、コールタンに副官として仕えるブルートガングだろうか。
 不可思議な武器を携えた赤眼(せきがん)の少年は、カレドヴールフが伝説の儀式の復古を命じた折、
理解に苦しむ反応を示していた。ハブール難民の無念を晴らせると周囲が沸き立つ中、
ただひとりだけ、白けた表情で遠くを見つめていた。
 眼前の情景を受け入れたくないともがいているようトルーポには思えたのである。
真意は杳として知れないが、もしかするとギルガメシュの在り方へ疑問を持っているのかも知れない。

(――いや、待て待て。目先のモンなら何でも飛びつくなんざ、本当のおマヌケになっちまうぜ)

 だからと言って、おいそれと手を出すわけにもいかないと、トルーポはすぐさまに己の思考を改めた。
 ブルートガングはコールタンの副官である。造反を疑われようものならベイカーと同じ末路を辿ることになるだろう。
 現時点の戦力でギルガメシュ本隊に抗戦できるとは思えなかった。例え、乾坤一擲の覚悟で臨んでも、だ。
ゼラール軍団は全滅し、閣下の覇道は半ばにて閉ざされることになる。
 アルフレッドの立てた史上最大の作戦をも台無しにしてしまうだろう。
 己が主のため、そして、友のため――敗北だけは絶対に許されなかった。
それ故にコールタンとも友好的な関係を維持しなくてはならないのだ。
言わば、彼女はゼラール軍団にとって唯一の後ろ盾なのである。

「先程、曖昧なことしか言わなんだの。カレドヴールフが如何したと言うのじゃ? 言葉を濁したであろう?」
「――は? ……ああ、いえ……」

 難問に突き当たって懊悩するトルーポをからかうように、ゼラールは全く別のことを質した。

「カレドヴールフと相対したとき、何かあったのか? 死神と名高いそちを斯様に怯えさせるとは、
総司令殿、天晴れお見事としか言いようがあるまいて」
「……閣下もお人が悪い……」

 さらに畳み掛けられたトルーポは、何とも答え難そうに頬を掻いた。

「……正直、総司令と差し向かいになったときゃゾクッと来ちまいましたよ」

 暫時の躊躇いの後、トルーポは恩賞の一振りを預かった折の追想(こと)を紐解き始めた。
 名を呼ばれて進み出たとき、そこに立っていたのはアルフレッドにそっくりな人間だったのである。
 無論、仮面を外した瞬間から両者が似ていることは承知していた――その筈なのだが、
正面切って相対すると、事前の気構えは何処かへと吹き飛び、
旧友が目の前に現れたような錯覚に囚われてしまったのである。
 年齢や性別が全く異なっているにも関わらず、だ。これほど気味の悪いことはあるまい。
「そんなに似てたの? いや、アタシだって顔は見たけどさ……」というピナフォアの問いに無言で頷いたトルーポは、
今また身震いが起こるのを抑え切れなかった。

「さすがに瓜二つってワケじゃねぇんだが、佇まいとか雰囲気と言ったら良いんだろうか――
そういうモンまでひっくるめて、あのふたりは似てるんだよ。
ほれ、血縁ってのは顔の作りが別物でも似てるように見えるときがあるじゃねぇか。そんな感じなんだ。
アルと総司令は顔まで似てるから、余計にややこしい」
「……やっぱり血の繋がりがあったの?」
「はっきりとは断定できねぇよ。本人に確かめたわけじゃねぇし。……普通に考えりゃ親子ってところなんだろうが」

 カレドヴールフが自らグリーニャを攻め滅ぼしたことは判っている。
そのグリーニャは他ならぬアルフレッドの故郷だ。因果関係を疑わないわけにはいかなかった。

「余の記憶が正しければ、アルフレッド・S・ライアンは両親が離婚しておったな」
「親権は父親が取ったと聞いていますよ。……カレドヴールフの身辺に関しては、
慎重に調べを進めるべきと思いますね。アルとの関係も気に掛かりますし、
何と言ってもトラウムまで使っていましたからね。仮にアルの母親だとしたら、ちとおかしなコトに――」
「――トラウムだって? あいつらは別のエンディニオンの人間じゃないのかい? それが何でトラウムを!?」
「……今度はお前か、カンピラン。どいつもこいつも横から口挟むなって。仮にも報告の最中なんだぜ?」

 カンピランが目を丸くしているが、愛妻からの質問であってもトルーポには答えようがない。
それは彼自身が疑問に思っていることなのだ。
 カレドヴールフはAのエンディニオンの難民救済を掲げて唯一世界宣誓ギルガメシュを率いている。
しかし、当人は本当にAのエンディニオンの出身なのだろうか。
 駐屯軍を粛清する際に用いた七本の黒い刃は間違いなくトラウムであった。
シチュエーションルームに満ちたヴィトゲンシュタイン粒子の明滅や、具現化に至る過程で全て一致していたのである。
 少なくとも、カレドヴールフが用いた異能をBのエンディニオンでは『トラウム』と呼称している。

「表向きはギルガメシュの首魁ですが、それが底≠ニは思えなくなってきましたね」
「ほほう? 別の顔があると申すか、トルーポよ」
「あるいはギルガメシュに別の顔があるのか。……ボルシュが連中に加わっているのも不思議じゃないですか? 
あいつはアカデミーで出会ったボルシュグラーブ・ナイガードに間違いありません」
「フェハハハ――段々と愉快になってきたわ。退屈凌ぎには最適ぞ」

 疑わしい点は他にも山ほどある。ゼラールたちがアカデミーで習得した軍略や兵器をギルガメシュは運用しているのだ。
これらはアカデミーの独占的な技術ではないが、偶然の一言で片付けてしまうには、余りにも不自然だった。

「総司令とは対面(トイメン)でしたし、ボルシュは昔馴染みだったから気になりませんでしたが、
アゾット氏にはジロジロと見つめられましたね。オレの自意識過剰で済ませて良いものか……」
「軍師殿もアカデミーと関わり深き者と読むか。彼奴らがアカデミー仕込みの軍略を用いるは明々白々よな。
ふむ、辻褄が合ってきたではないか」
「それならそれで良いけどねぇ。アゾットとかいうオッサンがあんたを狙ってるんじゃないかって、
あたしゃ、それが心配だよ。野郎と浮気ってパターンだけは堪忍しとくれ」
「……旦那を捕まえて、どういう言い草だよ」
「あんたの場合、前科があるじゃないか、愛しのアルと」
「まさか、そんな……トルーポさん、ぼく、ちょっと軽蔑しちゃいますよ……」
「……ラド、お前、どこでそんな言葉を覚えたんだよ。しかも、その汚物を見るような目は……」
「ああ〜、このチビガキね、近頃、盛りがついてっから。愛しい愛しいシェインくんに会えなくて、
毎夜毎晩、枕を涙で濡らしてるしィ? 禁断症状でおかしくなってんじゃない?」
「……ピナフォアさんは本ッ当にデリカシーがありませんね。生まれ変わっても性根が直ると思わないんで、
ぼくが魂ごと焼き尽くして差し上げますよ」
「なんじゃ、然様な相手ができたのか。ならば、余に紹介するのが筋ではないか? 
ラドクリフよ、次の休暇にでも我がもとへ連れて参れ。品定めしてくれようぞ」
「閣下もご存知のシェイン・テッド・ダウィットジアクですよ。佐志――いや、グリーニャの少年剣士です。
砂漠の戦いではトラウム使ってエトランジェを食い止めたんですが、憶えておられませんか?」
「トルーポさん、あの、あんまり余計なことは……」
「――おぉ、あの童(わっぱ)か。青臭いヒヨッコじゃが、なかなかに見所があるわ。
良き友に恵まれたようじゃな。それを生涯の誉れとせよ、ラドクリフ」
「か、かかか、閣下……ッ!」

 カンピランの冗談でその場は笑いに包まれたが、お世辞にも事態が進展したとは言い難い。
トルーポの報告によってギルガメシュに対する疑惑は一層複雑化したと見るべきであろう。
アカデミーとの関わりまで洗い出さなければならないのだ。神経をすり減らすような調査になるのは間違いない。
 仲間たちの笑顔を眩しげに見守りながら、バスカヴィル・キッドは密かに気を引き締め直していた。

 笑い声の上がる輪から僅かに離れたスコットは、今し方の会話を反芻していた。
ゼラールたちは繰り返し「アル」と愛称らしき言葉を口にしている。
ピナフォアやトルーポは「シェイン」という名も挙げていた。
 スコットはふたつとも聞き覚えがあったのだ。

(こいつらの前に来ていた、あの連中≠フことか?)

 カレドヴールフの尊顔を見たことがないため、彼らの言う「アル」が、己の知る「アル」と同一人物なのか、
スコットには確信が持てない。「アル」の正体が判然としない以上、「シェイン」のことを推理しても仕方がない。

(こいつらの科白じゃねぇが――ま、偶然だよな。そうでなくちゃ出来過ぎだぜ。ンなことが何度も続いて堪るかよ)

 あいつら≠ニこいつらに接点などあってたまるか――閣下に報告しようとはせず、誰かに相談するでもなく、
運命的な結び付きなど有り得ないと自分で勝手に判断し、スコットは口を噤んでしまった。
 「運命」という二文字を想起させるような厄介に巻き込まれるのは、ワーズワース暴動だけで十分だった。
スコットにとって「運命」とは、常に不幸の影が付きまとうのだ。




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