10.Voi che sapete


「サムの分際で生意気だ!」

 ガンドラグーンのキーを回し、オノコロ原に繰り出したニコラスは、
此処にはいない相棒に向かって悪態を吐き散らしていた。
 呟く度にスロットルを回し、バイクの速度を吊り上げていく。
仕事柄、オフロードに慣れたニコラスは、時速八〇キロを超えても車体を完璧に操作しており、
急に突き出した岩肌や、脈打つように盛り上がった大木の幹を難なくかわしていく。
 しかし、快走とは裏腹に目的地も定めないまま野原を彷徨い続けており、
さしたる理由もなくエンジンを蒸かしているようにしか見えなかった。
 事実、ニコラスは目指すべきゴールなど最初から決めてはいなかった。
ただただ全身に風を――鬱々とした気持ちを吹き飛ばしてくれるような風を浴びたくて、
ガンドラグーンに打ち跨っていた。
 余程、鬱憤が溜まっていたのだろうか、荒っぽい蛇行をも織り交ぜている。
 快適なシートになっているとは雖も、長時間座ったままでは、さすがに腰や尻が悲鳴を上げると言うもの。
突き上げるような鈍痛が身体の芯まで響き始めた頃、オノコロ原を囲む山並みに夕陽が溶け込んでいった。
 暫くは薄暮の余韻も残るだろうが、それが過ぎれば佐志は一気に宵闇に包まれる。
 これ以上、ガンドラグーンを乗り回すことが難しいと判断したニコラスは、
村落へと続く小道にまでやって来ると、ようやくエンジンを止めた。
 汗だくの肌に赤髪が張り付く。一気に噴き出した汗が目に入り、沁みるような傷みがニコラスを襲う。
 さすがに疲労が激しい。余熱が残るガンドラグーンに凭れ掛かって一息つくニコラスだったが、
滝の如き汗を拭うこともせず、ただただ薄暗い暮れの空を睨み付けていた。
 薄暮の余韻が薄まり始めている暮れの空には、煌々と一番星が瞬いていた。

「珍しく乱暴な乗り方をしていましたね」

 夜の帳が下り始めた空を睨み続けていたニコラスへ不意に女の子から声が掛けられた。
 驚くほどにその声は近い。何事かと思って振り返れば、
いつの間にやらミストがすぐ近くにまでやって来ているではないか。
 “いつの間にやら”とは、彼女に対して失礼かも知れない。
心此処に在らざると言った調子で一番星を睨(ね)ねつけていたニコラスが、気配を察知出来なかっただけなのだ。
 目を丸くして驚くニコラスがおかしくて堪らなかったのか、ミストは忍び笑いを漏らしている。
 その胸元に小さなヘルメットを掻き抱いていた。子どもが自転車を漕ぐときに使うような、
側面に緑色のラインが入った安全用のヘルメットだ。
 蛍光塗料で引かれたそのラインは、照明を受けると光を反射する為、夜間でも安心である。
 安全ヘルメットとミストの顔を交互に見ながら、ニコラスは「少し遅かったな」と苦笑いを浮かべた。
 ミストの傍らにはバイクなどない。そもそも、BのエンディニオンにはMANAのような自走機械は
存在していないのである。トラウムとしてデコトラを持つジョゼフは例外中の例外であった。
 ならば、彼女は何の為にヘルメットを抱えてきたのか――実はニコラスとミストは、
ここ最近、タンデムを楽しむようになっていたのである。
 質素を心がけるマコシカの民でもある為、騒々しいことを好まないミストではあるが、
タンデムだけは例外のようだ。
 ガンドラグーンの後ろに腰掛け、ニコラスと共に風を受けることをミストは一等の楽しみにしている。
彼の腰に手を回し、広く逞しい背中に身を預け、互いの体温を溶け合わせるのが、
タンデムを好む最大の理由なのだが、これはまだ誰にも打ち明けていない秘密だ。
 親友たちやレイチェルにはあっさり見抜かれてしまったが、
自分自身が認めない限り、秘密は秘密であり続けるのだ。少なくとも、ミスト本人はそう信じている。

「嫁入り前の娘にあぶなっかしい真似さすんじゃねぇよ、この馬の骨――つってもなぁ、
お前んとこに嫁入りさせるって言ってるわけじゃねぇんだからな! 
妙な勘違いしやがったらタダじゃおかねぇぞ。この馬の骨めがッ!」

 このようにヒューは渋い顔だ。くれぐれも怪我などさせないよう念を押されているニコラスとしては、
ミストを後部に乗せるのは気が引けるのだが、「ラス君と一緒の時間を少しでも多く作りたいから……」などと
控えめな我侭を言われてしまっては折れるしかない。男として断ることは出来まい。
 しかし、今日はタイミングが悪い。
 夕間暮れにオフロードを走るのは、とてつもなく危険な行為であった。
ニコラスひとりであったなら、多少の無理も押せるのだが、タンデムとなるとそうはいかない。
 ガンドラグーンを片付けようとしていたところだとタンデムを断るニコラスだったが、
その脳裏に閃くものがあり、残念そうにしているミストを手招きすると彼女の頬を両手で包み込んだ。
 鋼鉄のグローブで包まれていない左手でしか感じ取れなかったが、
ニコラスが予想した通り、ミストの頬は冷え切っていた。

「ラス君の手、あったかいですね」
「ばか、お前が冷えてるんだよ……いつから見てたんだ?」
「えと――ついさっきですよ」

 そう答えるミストであったが、言葉と裏腹に彼女は鼻先まで赤くしており、華奢な肩は小刻みに震えてさえいる。
これは身体の芯まで冷え切っているかも知れない。
 暦の上では春を迎えたものの、朝夕の冷え込みはまだまだ厳しいのだ。
 到着時間も嘘に決まっている。本当はもっと早い時間にはオノコロ原に着いていたのだが、
様子がおかしいニコラスを気遣い、声を掛けずにオフロード走行を見守っていたに違いなかった。

「……ばか……」

 堪えきれなくなったニコラスは、ミストを胸の中に収めて彼女を温めていく。
 ほんの一瞬だけ驚くミストだったが、すぐに緊張を解いて彼に身を預け、その腕の中で「あったかい」と安らいだ。

「……サムさんとアイルさんのこと、悩んでいるんですね……」
「いや、その――別に悩んでるわけじゃねぇさ……」

 敢えて、口にしないつもりでいた気鬱をあっさりと言い当てられたニコラスは、気恥ずかしそうに苦笑を漏らした。
最早、ミストには隠し事ひとつ出来ないらしい。

「……生意気なんだよ、あいつ。サムのくせしやがってさ」

 そう繰り返したニコラスは、今日一日の間に佐志で起きた出来事を思い返し、深い溜め息を吐いた。


 目まぐるしい一日だったことは間違いない。
 ワーズワースで合流して以来、佐志に逗留していたテッドとダイジロウ、更にはシルヴィオが帰路に就き、
彼らと入れ替わるようにしてロンギヌス社から新たなエージェントが到着した。
 三人ともハブール難民の悲劇を決して忘れず、それぞれの持ち場で力を尽くすと約束して去ったのだが、
残された人々は余韻に浸っている暇もなかった。
 佐志の港の一部をロンギヌス社に貸し出す為の準備が本格的に始まったのである。
 ナガレ・シラカワと名乗ったエージェントは、カキョウと同じくヴィンセントの実務を補佐することになっている。
彼は港の貸与に必要な資料や契約書類を持参しており、
これを以って佐志とロンギヌス社の間に正式な同盟が締結されたわけである。
 余談ながら――ナガレが携えた『陰光(カゲミツ)』なるMANAは、
戦闘時には可変型のブラスターにシフトし、エネルギーの奔流を迸らせて敵陣を焼き払うことが出来る。
ロンギヌス社の最新モデルと言うこともあり、同タイプのガンドラグーンに比べてスペックも格段に優れていた。
 しかしながら、ビークルモードはゴーカートである。どれ程、高性能なMANAであるとしても、
カキョウの『ファブニ・ラピッド』のように海を渡ることは難しいわけだ。
 ヴィンセントから頼まれ、守孝が武装漁船のトラウム、『第五海音丸』を繰り出して
最寄りの港まで迎えに行ったのだが、彼の話によると、ナガレと言う男はとにかく無愛想だったらしい。

「必要な話はされるのでござる。礼儀も正しく、挨拶も行き届いてござった。
されど、世間話には一度たりとも応じてはくれず、返事もしては貰えなんだ」
「それで『必要な話』ってワケかい。最低限の話しかしないたァ、アルの旦那みたいな感じかねぇ。
似た者同士ってのは一回拗れると揉めまくるから大変だ」
「親父様、それは旦那さんに失礼と言うものです。旦那さんだって機嫌が良いときは雑談にも付き合ってくれます。
軍略の相談には乗って下さいますし」
「アルフレッド殿とシラカワ殿の共通の話題を見つけるが先決でござる。
悪くすると、ご両人の間で会話が成り立たぬ可能性もござろう」
「……お前らが俺のことをどう言う目で見ているのか、よく分かったよ……」

 どさくさに紛れて佐志の面々から耳の痛いことを言われてしまったアルフレッドだが、それはともかく――
ナガレ・シラカワと言う男はコミュニケーション能力が欠乏しているわけではなく、無駄口を一切叩かないだけなのだ。
 物腰そのものは穏やかであり、表情も柔らかい。
いつも難しい顔をしているアルフレッドと比べても愛想は良いほうだ。
 但し、人との接し方は極端に事務的――否、機械的であった。
 ロンギヌス社の船舶を迎えるに当たって、港の一部に補強が必要となる。
その工事をウィリアムスン・オーダーが手伝うことになり、社長のアシュレイも打ち合わせに参加したのだが、
必要最低限の発言以外を頑なに拒むようなナガレの姿勢(スタンス)には、
「社会人として、合格なのか不合格なのか、判断し難い」と閉口したものだ。
 この話し合いにはマコシカの代表――即ち、疎開者の代表としてレイチェルも立ち会っていた。
ミストも母の補佐として随行したのだが、そんな彼女の目にもナガレの姿は珍奇に映っている。
 余人はともかく、アルフレッドとしてはナガレは接し易い相手だった。
「同族嫌悪とならずに良かった」とあからさまに安堵する守孝と源八郎は癪に障ったが、
過剰にスキンシップを求めてくる手合いのほうが苦手なのだ。
 ナガレは必要な話≠ノついては多弁であり、このこともアルフレッドは好ましく思えた。
任された仕事に全力で取り組もうとする熱意は、それ自体が信頼関係の起点と言っても良い。
 ヴィンセントやカキョウと同じく、ナガレも対外折衝が本職ではない。
人手が足りない為に別の業務へと駆り出された身である。
 不慣れな仕事に違いない――が、それでも佐志には迷惑を掛けまいと気を張っているように見えた。
己に厳しいプロフェッショナルと言うのが、ナガレに対するアルフレッドの印象であった。

「正直なところ、最初は良い印象もなかったんだが、ロンギヌス社のスタッフは本物≠セ。
統率も取れているし、士気も意識も高い。研修が行き届いているようだな」
「良くも悪くもそれがオレたちのエンディニオンの企業ってヤツさ。
……いや、社員教育の一言で済ませちまったら、シラカワさんに申し訳ねぇかな」
「違いない」

 感嘆の溜め息を交えながら、ナガレへの印象を語るアルフレッドには、ニコラスも素直に頷いた。
仕事に傾ける熱意は自分自身も大いに共感しているのだ。
 ニコラスもアルフレッドに付いて打ち合わせに参加したのだが、ナガレはとにかく手を抜かなかった。
港内に於いてロンギヌス社側に許される権利などを入念に確かめ、補強工事への費用負担も書類を以って定めていく。
 半ば特例的に港を借り受ける為、それに見合った使用料をロンギヌス社から支払う取り決めとなったのだが、
この契約を取り仕切ったのもナガレである。同志に対する信義に於いて、無償で港を解放すると言う守孝を制し、
適正な金額を提示して承諾を促したのだ。

「ロンギヌスを同志と認めて下さるのなら、是非ともお納め頂きたい。
佐志の力が増すことは我々にとっても有益なのです。逆を言えば、過度な費用負担で佐志が弱まると皆が困る。
先立つものがなくては、義を守ることも難しい筈です」

 どこまでもビジネスライクではあるものの、言葉そのものは道理に適っているので守孝としても納得せざるを得ない。
 要領よく折衝をこなしながらも、知識の及ばない分野については、ナガレは憚ることなく専門家に意見を求めている。
万国公法上の確認を必要とする場合にはヴィンセントに、工事の詳細に関しては守孝やアシュレイに、
サンダーアーム運輸との連携方法はマクシムスに、佐志全体の防衛に抵触し兼ねない事案はアルフレッドに、
それぞれ細かく訊ねていった。
 昼食は軽食喫茶の『六連銭(むつれんせん)』で摂る手筈となっていたのだが、
ナガレは休むことも忘れて働き続け、気付いたときには時計の針が一五時を回ってしまっていた。
他の者たちも熱心な青年にすっかりと引っ張られ、空腹を訴えることさえ出来なかったわけだ。
 ナガレが休憩を宣言したことで、ようやくニコラスたちも遅い昼食にありつけた次第であるが、
一番の問題は六連銭にこそ待ち構えていた。
 店内にはダイナソーとアイルの姿があった。何やら話し込むふたりを見つけたニコラスは、
「また夫婦喧嘩か? お前らもよく飽きねぇよな」と茶化すつもりで声を掛けたのだが、
返って来た答えは全く想定外のものだった。
 明日の朝一番で佐志を出発するつもりだと言うのだ。此処を発ってからの旅の経路について話し合っていたとも
アイルは言い添えた。

「なんつーかさ――お前らがしゃかりき働いてるトコ見てたら、居ても立っても居られなくなっちまってよ。
アルも、お孝さんも、……認めたくねーけど、ロンギヌスの連中だって、
自分がやるべきことへ一直線に突き進んでるじゃねぇの。俺サマも負けちゃいらんね〜だろ? 燃えてくるだろ? 
気まぐれな里帰りから今日まで、ちょいと足踏みが長過ぎたってコトもあるしな。
とっとと挽回しねぇと、ボスたちにも顔向け出来なくなっちまうぜ」

 寝耳に水のことで何がなんだか理解出来ず、呆けたように立ち尽くすニコラスへダイナソーは興奮気味に語った。
 ふたつのエンディニオンが戦争をせずとも手を取り合える道を探し出す――それが彼らの一番の目的だ。
その為にアルバトロス・カンパニーを離れ、大変な旅を続けてきたのである。
 ワーズワースを経て佐志(ここ)まで同行してきたのは、嘗ての仲間、即ちニコラスのもとに戻ったからではない。
ロンギヌス社の推進する難民ビジネスが信用出来ず、私利私欲の為の事業か否か、
ヴィンセントを監視≠オていたに過ぎないのだ。
 懸命に働くロンギヌス社のエージェントを通して、最早、疑う必要はないと見極めたわけである。
そうなると、ヴィンセントに同行する理由もなくなり、本来の目的に立ち返るのが当然であった。
 今後の活動の手掛かりを得る為、当面は『ゼフィランサス』の村を目指すとアイルは明かした。
そこは、フィーナがふたつのエンディニオンの共存を見出した土地である。
 先日、インターネットの界隈を賑わせたひとつのニュースが、ふたりの魂を沸騰させていた。
本道≠ノ戻る決意を促したのが、件のネットニュースと言うわけだ。
 無論、『ベテルギウス・ドットコム』が配信したワーズワース浄化の報である。
我が身の危険も顧みずに犠牲者を弔ったゼラールのことを、ダイナソーとアイルは心の同志≠ニまで感じていた。

『――エンディニオンは乱世じゃ。皆、現在(いま)を生きることで懸命であろう。力なき民は己が命を守るが良い。
起つべきは余じゃ。地上の誰よりも強き余が起ってくれよう。余がやらねば誰がやる。
乱世を平らげるほどの強者でなくば、嘆きの魂を救うことは出来ぬわ。その覚悟で余は焼け野原に起ったのであるぞ』

 配信されたインタビュー映像の中でゼラールはそのように語っていたが、
「自分がやらずして誰がやる」と言う灼熱の決意には、ダイナソーもアイルも大いに触発されたそうだ。
 尤も、アルフレッドは渋い表情(かお)である。
 旧友の活躍を認め、ハブール難民を弔ってくれたことには感謝すら抱いているが、
その反面、ギルガメシュに対する支持の回復は由々しき事態に他ならないのだ。
 『パンタナール・データバンク』と言うリサーチ会社が行なった支持率調査には彼も目を通している。
ベテルギウス・ドットコムのニュースがもたらした影響は、
先を越されたトリーシャでなくとも地団駄を踏みたくなるものだった。
 水を差すような発言は堪えているものの、本心では「印象操作に惑わされるな」と、
ふたりを窘めておきたいところであった。
 ニコラスにもダイナソーとアイルの発奮は分かっていた。だが、再び別行動を取るとは予想していなかった。
このまま佐志に留まるか、フィガス・テクナーに戻るかはともかくとして、
マクシムスと手を携えて難民支援に注力するとばかり考えていたのである。
 アルバトロス・カンパニーを離脱した後、満足な成果を挙げられなかったとも聞いている。
それならば、何処かに身を寄せて活動したほうが合理的であろう。

「――ま、ニコちゃんもしっかりな。アルを支えるんだろ? ……どっちにも恩があるから想像したくねぇけど、
このまま行けばフェイの兄ちゃんとガチで潰し合いになるハズだ。
お前が一緒にいてやらねぇと、アルのヤツ、きっとブッ壊れちまうぜ。
フィーちゃんも頑張るだろうけど、ほれ、男には男にしか話せねぇこともあるし……な」
「ミスト殿も忙しかろうが、どうか、フィーナ殿を頼みたい。これから先は辛い戦いになると思う」
「それは必ず。私も皆さんと同じ仲間だと思っています。戦う力はないけれど、それでも出来ることがある筈ですから」
「へぇ〜? ミストちゃんも逞しくなったなぁ〜。ニコちゃんが傍にいるから強くなれる、みたいなカンジ?」
「い、いえ、そんなことありま――いえ、あるかも知れませんが……」
「ありゃりゃ、フツーにおノロケかまされちまったぜ」
「いちいち茶化すな、サム――小生たちも共に戦っていると、ライアン殿やフィーナ殿に伝えて欲しい。
これより別々の道を歩むが、思いはひとつだ。いつでも皆と共に在る。我らの絆は遥かな距離さえ越えよう」
「オウ、たまにはおめーも良いコト言うじゃねーか。なんたって俺サマたちは世界を超えた仲間だもんな! 
どれだけ離れていたって、ひとッ飛びだぜ! ……でも、マジで何かあったら連絡してこいよ、ラス。
ワープなんか出来ねぇから、ホントにひとッ飛びとは行かねぇが、全速力で駆けつけてやるからさ」
「旅の中でカスケイド殿の行方が分かったら、すぐに知らせよう。離れるからこそ出来ることもあるのだ。
連携は今までと同じように――いや、今までよりも深く……だな」
「あ、ああ……」

 だからこそ、ニコラスはしどろもどろになってしまった。
ダイナソーとアイルが何の躊躇いもなく別離を語ることに困惑さえしてしまったのだ。


 「我ながらどうかしている」とニコラスは心中にて漏らした。
 ふたりが志を持って離別したのは最初から知っていた筈だ。
何しろ、彼らがアルバトロス・カンパニーを離れる瞬間にも立ち会っている。
今更、戸惑う理由がどこにあると言うのか。
 いや、理由なら既に解っている。自覚もある。
 断じて認め難い感情(きもち)であるが、志に燃えるダイナソーとアイルがニコラスにはとても眩しかったのだ。
 何よりも寂しさが心を軋ませた。最早、別々の道を歩んでいるのだと、改めて確認させられたようなものである。
ワーズワースにて交わった道も一時的なものに過ぎず、岐路に差し掛かれば、それぞれの場所≠ヨと別れていくのだ。
 解っていたことだった。解り切っていたことなのに、ニコラスには寂しくて堪らなかった。
 自分がいなければ何も出来なかった筈の相棒が、いつの間にか遠くに行ってしまったように思えてならない。
そもそも、だ。既に「もと相棒」と言う肩書きのほうが似つかわしいのかも知れなかった。
ダイナソーの傍らに立つのは、今やアイルなのである。
 そんな感傷≠ダイナソー相手に抱いてしまう自分が悔しくもあり、
澱む心を持て余したニコラスは、夕焼け空の中へガンドラグーンで繰り出したのである。
 遊んでいる場合でないことは分かっている。自分がバイクを乗り回している間にも、
アルフレッドは働き続けているのだ。これでは「アルを支える」と約束したダイナソーにも顔向けが出来ない。
 それでも、ニコラスはガンドラグーンの律動へ身を委ねることしか出来なかったのである。

「サムの分際で生意気だ!」

 遣る瀬無い感傷をダイナソーへの悪態に換えてはみたものの、口にする度、自己嫌悪が重なるばかりであった。
ミストを抱き締め、その体温に癒されていなかったなら、鬱積がはち切れていたかも知れない。

(よく言うぜ……生意気なのは俺のほうじゃねぇか……)

 己をオフロードへと駆り立てた感傷の正体をニコラスは見極めていた。
裏を返せば、見極められるほどに聡かったから、余計に苛立ちが増してしまったとも言える。
 ダイナソーは自分の意思で苦難多き世界へと身を投じ、前向きに進んでいる。
驚くほどの速度で変化し、成長を遂げている。
 それに比べて己はどうか。一体、何をやっているのだろうか。
 一度は裏切ってしまったアルフレッドに手前勝手な決着を求めて挑戦し、
戦いが終われば親友面(づら)をして彼らの輪に居座り、捕虜とは名ばかりの厚遇を受けている。
ヒューとの折り合いに難儀しているものの、ピンカートン一家にも温かく迎えられている。
 これでは水をあけられてしまうわけだ。
 ダイナソーに置いてきぼりにされたことが寂しく、同時に悔しくもあった。
そして、仲間の成長を素直に喜べない自分が情けなくて仕方がなかった。

「……正直な、サムはオレがいなきゃなんにもできねぇって思ってたんだ。
別にあいつがマジなヘタレって言ってるわけじゃねぇぞ? 口八丁でマコシカを引っかき回すような頭もあるし、
普段はダメな野郎だけどいざってときにはクソ度胸もあるしな」

 誰にも話せなかった気持ちを吐露するニコラスに、ミストは彼の腕の中で相槌を打った。

「でもさ、なんだかんだ言ってふたりでずっとつるんできたしよ、……トキハを入れりゃ三人か。
とにかくオレやトキハが傍にいてやらなきゃ、大それたことなんか出来ねぇって考えてたんだ」

 アイルも近くでサポートしているが、ダイナソーの意思に牽引されている部分が強そうだ。
 頑固で融通が利かず、その上、犬猿の仲であったアイルを引っ張っていけると言うことは、
ダイナソーの求心力は本物に違いない。

「……逆恨みもいいところだぜ。手前ェがダメっぷりを誰かにぶつけて憂さ晴らしなんてよ。
本当のヘタレが誰かだなんて、自分が一番わかってるくせしてさ……」

 ダイナソーとの落差にニコラスは相当なショックを受けており、自嘲気味な笑みには少しも力が入っていない。

「でも、サムさんが頑張ろうとしているとき、自分のことみたいに嬉しそうでしたよ、ラス君」
「……まぁ、そりゃ、な」

 曖昧な答えを返しながら、ニコラスはガンドラグーンの側面へと視線を巡らせた。
普段ならサイドカーにシフトさせたダイナソーのMANAが接続されている箇所に、だ。
 当たり前のことだが、そこに在って然るべき物は見つからない。居るべき人の姿も今は虚像に頼るしかない。
 次にガンドラグーンへサイドカーが接続されるのは何時になることやら。
機会が巡ってきたときには、サイドカーとしての用途を忘れてしまっているかも知れない。
 エッジワース・カイバーベルトも、暫くはバリアジェネレーター以外の機能を必要としないだろう。

(……大した根性だよ、畜生)

 寂しさと悔しさは大きいが、しかし、ダイナソーの成長を喜ばしく思わないわけではない。
 自分で歩くのが億劫とばかりにサイドカーへ乗り込み、減らず口ばかり叩いていた喧嘩友達が、
何時までも自分が傍にいてやらなければ何も出来ないと思い込んでいた親友が、
アイルの補佐こそあるものの、誰にも頼らずに独力で志を貫いているのである。
 サイドカーを割れたばかりの卵の殻に見立てるならば、ダイナソーはそこから舞い上がり、
力強く巣立っていったようなものだ。
 こんなに嬉しく、誇らしく思えることはなく、ニコラスの頬は自然と緩んでいくのだった。
 自覚こそなかったものの、ダイナソーたちと話している最中も同じような微笑を浮かべていたのだろう。
振り返ってみると、アルフレッドやレイチェルから冷やかすような視線を向けられていた。
その場では意味が分からず訝ったものだが、何とも気恥ずかしい面(つら)を晒していたようだ。
 無意識の内に浮かべた微笑はミストにも目撃されていたらしい。
アルフレッドたちの冷やかしはともかく、ミストにまで見られていたことがどうにも恥ずかしく、
彼女の髪に頬を擦りつけたニコラスは、「あんまりからかうと後でコワいからな?」と囁きかけた。
 その囁きに思うところがあったミストは頬を薄紅に染める。

「自分にできることを一歩ずつでも見つければ、道は開けると思いますよ」

 彼の温もりを肌に感じ、安らぎながらもミストは優しく語り掛けた。
 どこか子どもを諭すような言い回しなのだが、これは近頃の活動によって染み付いた癖である。
そのことを解っているニコラスは、「オレまで子ども扱いしたら、お前は誰に甘えるんだ?」と苦笑を漏らした。
 ミストは自作の童話を子どもたちに読み聞かせることを習慣にしていた。
ようやく読み聞かせが出来るところまで漕ぎ着けたのだ。
 正義の勇者が邪悪な化け物を退治して世界を救い、離れ離れになっていた眉目秀麗な弟と幸せに暮らすと言う
勧善懲悪の王道である。
 乱れた世情を不安がる子どもたちに少しでも元気を出して欲しいとミストなりに頑張っているところであった。
 子どもの素直さ、無垢な心はどこまでも逞しい。面白いものがあれば好奇心の赴くままにすぐに飛び付き、
一笑いでもすれば、数秒前まで抱いていた不安はどこかへ吹き飛んでしまう。
 マコシカもグリーニャもシェルクザールもなく――佐志で暮らす全ての子どもたちがミストの読み聞かせに集い、
元気付けられ、今では村の名物となりつつあった。

 戦雲渦巻く世相と童話の内容に想いの重なるところもあり、いつしか大人たちも子どもに混じって
ミストの読み聞かせに足を運ぶようになっている。
 ニコラスも一度覗いたのだが、子ども向けとは思えない完成度の高さに思わず唸ったものである。
童話を読んで聞かせるミスト自身が皆へ元気を出して欲しいと真剣に願い、
心を込めて登場人物を演じ、ストーリーを語っているのだ。引き込まれない筈がなかった。
 ただ一点、銀の槍を振りかざす兄と、その兄を求めて旅していた弟とが再会し、仲睦まじく暮らすと言う結末には、
「そこは普通、お姫様とかじゃねーのか?」と首を傾げたのだが、同じく読み聞かせに通っていたフィーナから
「そこが一番の見せ場だよ! 最高のフィナーレだよ! ミストちゃんは通の好みがわかってるッ!」と、
わけも分からない内に論破されてしまった。
 偶然、その場に居合わせたアルフレッドから「突っ込むと余計にややこしくなるから適当に受け流せ」と
手振りで合図され、反論は控えたのだが、今もってフィーナの弁は理解出来ずにいる。
 いつしか『童話のおばさん』と呼ばれるようになったミストは、
子どもたちから贈られた残酷な愛称に「お姉さんでいいんです。お姉さんでいいと思うんです」と些か凹んでいたが、
まさしく自分に出来ることを見つけ、それを全うすべく努めているのだ。
 子どもたちはミストの読み聞かせに元気と勇気を与えられ、物語に一喜一憂している。
その純真な姿は、前途ある彼らに昏(くら)い未来を見せないよう戦う大人たちをも発奮させた。
 今やミストは佐志の皆を勇気付けているのだった。

「私にも出来るんです。ラス君に出来ないはずありません。私もお手伝いします。……ラス君を支えたいんです」
「もう十分に支えて貰ってるよ」

 ミストの思いやりに表しようのない想いが込み上げてきたニコラスは、
彼女を抱きしめる力をより強いものにした。
 少しでもミストに応えたくて、溢れんばかりの感謝を伝えたくて、強く強く抱きしめた。

(――オレに出来ること、か……)

 己に質し、得られた答えに納得したニコラスは、その実現に向けて意気を燃え滾らせていく。
 誰よりも頑張っているミストのことを守り、支えてやりたい。
 捕虜の身ではあるけれど、アルフレッドと共に戦いたい。
 遠く離れることになるが、ダイナソーやアイルの志を少しでも助けてやりたい。
 誰かの決意に寄り添い、支えることが出来るのなら、その為に自分は持てる限りの力を尽くそう――
ニコラスの決意はここに定まり、心の揺らぎも鎮まった。

「……お前は何時だってオレを強くしてくれるんだな……」

 言いながら、ニコラスはミストの首筋へ頬を擦り付ける。
そうして、彼女の首筋へ唇を落とそうとしたその瞬間、彼の胸ポケットでモバイルが鳴った。
 しかも、着信の相手は義父――と呼ぶと問答無用で殴り飛ばされるが――ことヒューである。

「マジかよ――」

 ミストへの振る舞いを咎めるようなタイミングであり、どこかから監視されていたのではないかと
ニコラスは寿命が縮まるような気持ちであった。
 頬を林檎のように染め上げるミストから腕を引き離し、着信に応じたニコラスだったが、
ヒューからもたらされた衝撃は、甘やかな余韻を打ち砕くものだった。

「ど、どうしたんですか? 何か悪い報せですか?」

 悄然とした表情を作ったまま、全く動かなくなったニコラスへミストが気遣わしげに声を掛ける。
 彼女の呼びかけに振り向いたニコラスの頬からは先ほどまでの熱気は消え失せており、
その顔色は殆ど蒼白に近かった。

「ギルガメシュの船が……港に乗り込んで来やがった……!」





 ヒューからニコラスに急報がもたらされた時間より少しばかり遡ると――
撫子の家にはフィーナを始めとする女性陣が押し寄せていた。
 撫子の家は普段からフィーナたちの溜まり場と化しており、大人数が犇き合うことも珍しくはなくなっていたが、
今日は特別に賑やかである。
 普段と異なって主賓がいるのだ。ロンギヌス社からヴィンセントの補佐に訪れたカキョウを招いての親睦会であった。
年齢が近いこともあって親近感を覚えたフィーナが彼女を夕食に誘い、
これをきっかけとして集まり自体が大きく広がったのだ。
 佐志とロンギヌス社は正式に同盟を締結した。これから先は難民支援に向けて協力し合うパートナーなのである。
互いを理解し合う為にも膝を交えて語らうことは有意義にして重要であった。
 発起人たるフィーナの他には、ムルグ、ルディア、トリーシャ、マリス、タスク、ハーヴェスト、ジャーメインが
出席者として名を連ねている。会場を提供する羽目になった撫子は逃げたくても逃げようがない情況だ。
 出発を翌日に控えているアイルは、甚だ残念そうに欠席する旨を伝えてきた。
ミストも誘いたかったのだが、ここはフィーナのほうから気を利かせた=B
 ふたりには後でメールでも送ろうと思っている。例え欠席であろうとも、誰かが橋渡しとして場の空気を伝えれば、
それだけでも一体感が生まれるものだ。「次こそは一緒に楽しみたい」と言う期待も膨らむことだろう。
 気配り上手のフィーナだけあって、万事に於いて手抜かりがなかった。
正午を過ぎた頃には、協力を申し出たジャーメインと共に親睦会の支度に取り掛かったのだ。
 ジャーメインもジャーメインで初めて撫子の家を訪れたのだが、生来の気さくな人柄も手伝ってすぐに慣れていった。
 尤も、「慣れた」と感じたのはジャーメインの側であり、迎えた側の撫子は苦虫を噛み潰したように顔を顰め、
「いい加減にしねーと、家賃取るぞ、てめぇら……」と愚痴ばかりを零している。
それでいて強硬に追い出そうとしない辺り、このような喧騒にはすっかり慣らされた≠謔、だ。
 調理にはタスクも加わり、刻限に訪れたカキョウをして「まるで誕生パーティーみたいだよ」と言わしめるほど、
親睦会の食事は豪華なものとなった。料理に疎いトリーシャやハーヴェストが居た堪れなくなる品々とも言えよう。
 車海老の香草焼き、黒鯛のすり身団子が入ったスープ、鰆とじゃが芋の煮付け、皿貝のバター風味の酒蒸し、
ニシンの蒲焼、メバチマグロのステーキ、桜海老と玉葱の掻き揚げ――佐志で獲れた海の幸が中心であるが、
いずれも食材の味が最大限に引き出されている為、生唾を飲みつつ目移りしてしまう。
 アオリイカは天麩羅にしてあり、噛み締める度に凝縮された甘味が口の中に広がっていくのだ。
 一年で最初に水揚げされた鰹は刺身として盛り付けられているが、その表面は軽く火で炙ってある。
『タタキ』と言う調理法だ。おろし生姜と醤油でさっぱりと食べるのが佐志の流儀であると言う。
 これらは佐志で新たに習った料理だったが、カキョウの故郷とも食文化が似通っているらしく、
アサリのスープカレーを口にした瞬間、「比喩でなくて頬っぺたが落ちるわ!」と感動に打ち震えたものである。
 「同じ釜の飯を食べた仲間」と言う諺が示す通り、食事を共にすると言うことは、心の深い部分で繋がる触れ合いだ。
最初は遠慮がちであったカキョウも程なく打ち解け、和気藹々とした時間が過ぎていった。

 「せっかくだから、ゲームでもして遊びたいの!」とルディアが言い出したのは、
食事が終わり、片付けも一段落した頃であった。

「――それなら麻雀で勝負よっ!」

 続けざまに発せられたジャーメインの一声によって親睦会の後半は麻雀大会に決まり、
年中設置されたままの炬燵が遊戯の舞台となった。
 肝心の道具は撫子が物置から引っ張り出してきた。何年も仕舞ったままであった為に埃こそ被っていたが、
卓上に敷く遊戯盤――雀卓と言う――を始め、何ひとつ欠けることなく全て揃っている。
 元々は亡くなった父親の所有物であったそうだ。遊戯に用いる四角い駒――雀牌は象牙製であり、
撫子の父が粋人であったことを偲ばせた。
 百数十もの雀牌はトランプゲームのカードに相当する役割を果たしている。
表面に描かれた絵柄や文字、数字を組み合わせて逸早く役≠作り、勝敗を競うのが麻雀の基本原則であった。

「ただジャラジャラやったって面白くないわよね! アレよ、負けたら一枚ずつ服を脱ぐってヤツにしよう! 
乙女のプライドを賭けて勝負するってコトね!」

 酒が入って普段より陽気になっているトリーシャが不埒なことを口走った辺りから様子がおかしくなってきた。
 正義の人であるハーヴェストには聞き捨てならない発言であり、すかさず叱声(カミナリ)を落としたのだが、
その直後にジャーメインがトリーシャの発案に賛成し、あまつさえカキョウまでもがこれに加わった。
 親睦会の主賓に「お金賭けるわけじゃないんだし、ちょっとくらいスリルがなきゃ、ね?」と言われては、
ハーヴェストとしても折れざるを得ない。済し崩し的に首肯させられてしまった。
 こうして、金銭の代わりにお互いの衣服を賭けて勝負する運びとなったのだ。
 多分に悪ふざけではあるものの、幸いなことに此処には女性陣しかいない。
何らかの過ちが起こる可能性は絶無であり、スリルを求めてペナルティを設けるにしても、
金銭をやり取りするより遥かに健全であった。
 それでも倫理の死守だけはハーヴェストもタスクも譲らず、ルディアはメンバーから外された。
ゲームを提案した張本人でありながらも弾かれた恰好だが、
彼女は彼女で「絶景なの、絶景なの」と麻雀大会を満喫している様子だ。
 欠席したアイルとミストは正解だったとタスクは心底から思っている。
麻雀を打てないムルグも幸せだと羨ましくも思っている。それは撫子とて同様だ。
ふたりして顔を合わせ、例えようのない溜め息を吐いたものである。
 毛布で覆い隠し、辛うじてはしたない姿を晒さずに済んでいるが、ふたりとも既に身包み剥がされていた。
 現在、雀卓に着いているのは、フィーナ、マリス、ジャーメイン、カキョウの四人だった。
 雀卓は四人で囲むのが基本であり――二人乃至は三人で遊ぶルールも存在はしている――、
それぞれ東西南北の席として定められている。
 東にマリス、西にフィーナ、南にジャーメイン、北にカキョウ――この配置で遊戯は進められていた。
 本来ならば点数を競う遊戯なのだが、今回は大幅な簡略化が施され、一回負ける度に服を一枚ずつ脱ぐことになった。
麻雀の勝利にはふたつのパターンがある。自分の順番で引いた牌で役が揃う場合と、
相手が場に捨てた牌を以って役の完成を宣言する場合だ。前者は「ツモ」と、後者は「ロン」と宣言する。
 ツモによって勝利した場合は自分以外の全員が、ロンは牌を捨てた相手のみがダメージを被ることになる。
この場合のダメージ≠ェ何を指しているのかは、改めて詳らかにするまでもなかろう。
 麻雀の遊戯に於いては、難しい役ほどそれに見合った点数が加算される。
点数制が採用されない今回は、高い役に応じて相手に与えるダメージが大きくなると言う特別ルールが定められた。
 つまり、高い役で負かされた場合、一度に肌寒くなってしまうわけだ。
 完全敗北した者から脱落し、別の人間が新たに雀卓に着くことになっている。
そして、勝ったからと言って服を着直すことは許されない。生き残るか否かのサバイバルマッチであった。
 誰がどう見ても、それこそ実際に遊戯している人間にも不毛としか思えない勝負なのだが、
金銭を稼ぐのが目的でない以上、これは祭り騒ぎに似たようなものだ。早い話が「楽しんだ者勝ち」と言うことである。
 あられもない姿にされた筈のトリーシャは、「負けた負けた! ここまで負けたら、いっそ清々しいわ!」などと
早くも笑い話にしてしまっている。こうした心のゆとりが遊戯を楽しむ為の秘訣であった。
 さりながら、雀卓に着いた四人の中で祭り騒ぎを純粋に楽しめているのはカキョウただひとりだ。
他の三人の面からは余裕と言うものが殆ど消え失せていた。
 尤も、交代したばかりのカキョウは余裕があって当然だろう。対する三人は相応に負けが込んでいる。
 麻雀をモチーフにした子ども向けの遊戯しか経験したことのないフィーナは、
カキョウの少し前に雀卓に着いたものの、本来のルールに翻弄され続け、早くもキャミソール姿にされてしまっている。
炬燵に足を突っ込んで隠しているが、腰から下はもっと寒々しいのだ。
 心許ない記憶と勘を頼りにして何とか踏ん張ってきたが、それ自体が奇跡のようなものだった。
 対面に座ったマリスはネグリジェまで追い込まれている。
 タスクとしても気が気ではあるまい。何かにつけてマリスや自分のことを盗み見しているホゥリーが
窓から覗いてはいないかと、四方八方に警戒を張り巡らせていた。
 しかし、フィーナもマリスも、ジャーメインに比べれば、まだまだ余力≠残していると言って良い。
彼女は桜色のカーディガンこそ羽織っているものの、その裏は素肌同然であった。
 器用なことに脱いだ衣服を内側から引き抜くと言う作戦に出たのだが、
それが幸いしたのか仇となったのか、結果として意味不明な風体と化してしまっていた。
 ジャーメインの力闘は褒め称えられるべきであった。
真っ先に雀卓に着いて以来、トリーシャ、タスク、撫子を相次いで撃破してきたのだ。
今の今まで踏み止まり、後から入ってきたフィーナとマリスにもそれなりのダメージを与えている。
 真っ先にこの遊戯を選ぶだけあってジャーメインは麻雀が大の得意だった。
幼少の頃に父親から教わって以来、殆ど負けなしと言う腕前でもあったのだ。
 今回も得意の速攻勝負で押し切るつもりでいたが、満を持して参戦したカキョウの前に思わぬ苦戦を強いられ、
当初の勢いを殺(そ)がれてしまっていた。
 どうにかして返り討ちにしようと意気込んだものの、連戦に継ぐ連戦で流石に集中力が衰えており、
絶好の牌を見逃してしまうなど、あってはならない失敗が目立ち始めた。
 それでは勝機を逸すると言うもので、あっと言う間に追い詰められていった。
 一矢報いてカキョウから上着だけは奪ったが、つい先程の勝負では高い役をぶつけられて撃沈したばかりである。
これによって被ったダメージは致命傷に近く、夕暮れの冷気が身体の芯まで沁みる状態に陥っていた。
 今や腰から下の衣類は全て√Y麗に折り畳んである。一度でもダメージを被れば即脱落と言う瀬戸際なのだ。

 現在はフィーナに順番が回ったところで遊戯の流れが止まっている。次に打つ手を考え倦ねているわけだ。
ジャーメインに限らず、彼女の集中力も限界に達している。
元より乏しい麻雀の知識を必死になって振り絞ってきたのだから、脳の疲れも激しい筈だ。
 隣では健気にもムルグが励ましているが、それで気力は回復しても思考力までは取り戻せまい。
 長考は許可されている。戦略を組み立てる時間は幾ら使っても良いと最初に取り決めていた。
 マリスとジャーメインにしてみれば、少しでもフィーナに長引かせて貰ったほうが都合が良かった。
現在の時刻は一八時を過ぎたところである。麻雀大会は一八時半までと時間制限を設けてある為、
あと三〇分だけ耐え凌げば、このサバイバルマッチと、何よりも羞恥から解放されるのだ。

「ハーヴちゃんの出番もまだ残ってるし、もしかしたら、ミストちゃんも来てくれるかも知れないの。
ゲームはみんなで楽しんでこそなのね。よって、ルディアは延長戦を提案しますなのっ!」
「アホ抜かせ、クソガキっ! ンなことして喜ぶのはてめーだけだろ〜がっ!」

 善からぬ期待をしているルディアが恐るべきことを口走ったものの、これは撫子が押し止めた。
 次に誰かが完敗した場合、交代で雀卓へ入ることになるハーヴェストは、
それこそ戦々恐々とした面持ちで勝負の成り行きを凝視し続けている。
 正義一直線の彼女は、賭博にも利用される類の遊戯には触れたこともない。麻雀など持っての外と言う人間なのだ。
予備知識も持たずに雀牌など握ろうものなら、一瞬にして何もかも剥ぎ取られてしまうだろう。

「……う〜ん、ちゃんとした麻雀もアルに教わったんだけどなぁ……全然、想い出せないや……」
「ま、まさか、兄妹で脱衣麻雀をッ!?」
「メイちゃん、うちはそんな変態一家じゃないよ……ほら、家族でよくボードゲームをやるでしょう? 
うちの場合、それが麻雀だったんだ。お父さんは雀牌見てると目が悪くなるからって嫌がってたし、
私も麻雀オリジナルじゃなくて、それっぽい絵合わせのほうが専門だったけど、お母さんがね、すごく強いんだ」
「私もアルちゃんから麻雀を教わりましたわ。ゼラールさんやトルーポさんも一緒だったと記憶していますが、
アカデミーではよくクラスの方々と麻雀に興じておられました。
……確か、その折にもお召し物を賭けの的にしていた憶えがありますわ」
「マリスさん、その話、も〜ちょっと詳しく聞かせて貰えないかな。誰がどう脱がされてたとか――」
「フィー、鼻血、鼻血。他所ン家の雀卓汚したらダメよ」

 麻雀に因んだアルフレッドとの想い出をフィーナが口にすると、マリスも負けじとアカデミー時代の話を披露する。
 こうして仲間内で遊ぶ分には問題ない麻雀だが、ときとして賭博の道具にされることもある。
そうしたものから遠ざけられていそうに思える令嬢が、少しも惑うことなく麻雀を打ち続けているのは、
嘗てアルフレッドから指南を受けたからである。

「はぁ〜、趣味なんかありませ〜んって顔しといて、案外、遊んでるのね、あいつ。今度、手合わせしてみよっかな」

 ジャーメインもまた興味深げにふたりの話へ耳を傾け、相槌を打っている。
 三者の様子を無言で眺めていたカキョウは、殊更愉快そうに眉を上下させた。

「――結局、ライアン君って三人の誰と付き合ってんの?」

 カキョウの言葉へ真っ先に反応したのはタスクである。口に含んでいた紅茶を盛大に噴出させてしまった。
 それは部外の人間ならではの質問と言えるだろう。アルフレッド、フィーナ、マリス――
三者の歪な関係を把握している者には、恐ろしくて触れることすら出来ない話題である。
 アルフレッドとフィーナは幼馴染みであり、義理の兄妹であり、将来を誓い合った恋人同士である。
一方、彼はアカデミー時代にマリスとも恋愛関係を結んでいる。
 極めてデリケートなことであるが、アルフレッドにとってはフィーナこそが生涯の伴侶として選んだ相手であり、
現在はマリスとの関係を解消する機会を窺っている状況であった。
 そこまでの事情を承知しているのは、この場に於いてはフィーナとタスクのみである。
当事者のマリスでさえ水面下でそのような動きがあることを確かめたわけではなかった。

「いやいやいやいやっ! な、なんであたしがアルなんか取り合わなきゃなんないのよっ! 
相手はアルだよ? 一〇〇パーセント有り得ないって!」

 凍て付いた空気を揺り動かしたのは、揶揄された内のひとりでもあるジャーメインだった。
自分が含まれる意味が判らないと対面のカキョウに訴えかけた。
 ジャーメインは件の三角関係すら知らされていないのだ。
アルフレッドにとって、フィーナは妹、マリスこそが恋人だと認識しているのである。
「アルフレッドが誰と付き合っているのか?」などと言う問答が起こることさえ理解出来なかった。
 しかしながら、彼女の頬は微かに紅潮している。明らかに今し方の言葉を意識し、動揺している。
 ジャーメイン当人には何ら罪はないのだが、その反応が更に外野を緊張させた。

(……あの男は……どうして余計な面倒ばかり増やすのですかねぇ……っ!)

 主人(マリス)に不要な心配は掛けまいと平静を取り繕っているものの、
正直なところ、タスクは今すぐにでも頭を抱えたい気持ちだった。
 このような事態に陥ったことにも、思い当たる節はある。直接的な発端はワーズワース暴動の終盤であろう。
ギルガメシュに立ち向かおうとするジャーメインを身体を張って食い止めたアルフレッドは、
その果てに誤解を招き兼ねない言行を取っている。
 ジャーメインもひとりの少女である。正面切って情熱的な言葉を掛けられたなら、心が傾いても仕方がない。
 そして、タスクの疑念は確信に変わろうとしていた。
ワーズワースの折にも、彼女はアルフレッドの胸の中に飛び込んでいったのである。

「カキョウさんは勘違いしてますよ。私とアルは兄妹なんですよ? 
家族の中で付き合うなんて、それこそ変態一家になっちゃいますよ」

 タスクの視線の先では、カキョウからの詮索を躱そうとフィーナが大変に苦慮している。
ムルグも「コケコ! ケコカカッコ!」と全身で頷き、パートナーの潔白≠証明しようとしていた。
 涙ぐましいとさえ思えるフィーナたちの姿をアルフレッドに見せてやりたいと本気で思った程だ。
少しは自分の罪深さを思い知るべきだと、タスクは腹の底で憤激を煮え滾らせていた。

「その辺の事情はよくわかんないけど、ライアン君とフィーちゃんって血は繋がってないんでしょ?」
「す、鋭い――じゃなくて、どうして判ったんですか!? 私、どこかで話しましたっけ!?」
「どうしても何も、顔から何から似ても似つかないし。話し方も兄妹ってより仲良しな幼馴染みって感じでしょ」
「ま、またまた鋭い……」
「血の繋がらない兄妹がくっつくのも別に変じゃないよ。むしろ、全然アリ! 王道パターンって言うやつだね」
「何はどうあれ家族なんだから、そう言う血の繋がりは関係ないんじゃないかなぁ……」
「おっ、乗り気になってきた? お兄ちゃんは私のモノ宣言?」
「そう言う意味で言ったんじゃありませんっ!」

 カキョウは相当に鋭い。何としても避けたいと思う部分を精確に衝いてくるのだ。
彼女にも将来を誓い合った伴侶(パートナー)が居るそうだが、揺るぎない相手を見つけた人間と言うものは、
心の機微に対する勘働きも研ぎ澄まされるのだろうか。
 自分とアルフレッドのことを顧みたフィーナは、思わず肩を落としそうになった。
 同じ伴侶でも自分の相手は鈍感と言う表現では推し量れないような朴念仁である。
彼と一緒にいると、むしろ、心の機微に疎くなるのではないかと怖くなってしまうほどだ。

「そ、それに! アルとお付き合いしてるのはマリスさんなんですからっ! そうでしょ、マリスさんっ!?」

 対面に座ったマリスへとフィーナが話を振った。
 内心、悔しくもあるが、カキョウの詮索を断ち切れるとすれば、
アルフレッドの『恋人』である彼女を置いて他にはいないだろう。

「え、ええ……少なくとも私は、そのつもりでおりましたが、はい……」
「――って、そこは自信持ってよっ!」

 平素のマリスであったならば、胸を張って応じた筈だが、様々な動揺もあって何ともぎこちない返事。
頼りなく頷くのが精一杯と言う有様である。
 肩透かしを喰わされた恰好のフィーナは、思わず雀卓へ突っ伏しそうになった。

「あ、あれー……」

 両者のやり取りにカキョウは双眸を瞬かせた。
 それまでは好奇心旺盛に山なりの眉を上下させていたのだが、
今度は全く異なる眼差しでフィーナとマリスを交互に見つめている。
 カキョウとしては軽い恋話(コイバナ)≠フつもりで口にしたことであったが、
フィーナがマリスに話を振ったあたりから明らかに空気が変わった。張り詰めたと言っても過言ではない。
 地雷を踏んだ――つまり、踏み込んではいけない部分に触れてしまったとカキョウは焦り始めた。
 一方、フィーナとマリスも完全に動転してしまっている。
カキョウから見つめられる度に目を逸らすのは、心の奥底に根差した迷いを読まれているようで気まずいのだ。
 フィーナ、マリス、ジャーメイン、更にはカキョウ――雀卓を囲む四者の精神状態は、
最早、麻雀どころではなくなっており、打ち筋≠烽キっかり乱れ切っている。
 結局、その周回の間に役を整えられた者はおらず、間もなく仕切り直しとなった。

「ほ、ほらほら、メイちゃんの番だよ? そろそろリーチ掛けたほうが良いんじゃないかな? 
て言うか、メイちゃん自身がリーチ掛かってるけど……」
「わ、解ってるわよ……」

 妙な形に拗れた空気を、麻雀勝負を通して元に戻そうとするジャーメインは、
必死になって戦略を練り上げようとしている。
 雀卓には相手が捨てた牌も表向きで置かれている。これもまた駆け引きに於ける大事な材料である。
相手が如何なる役を狙っているのか、また次に自分の手元にやって来るだろう雀牌を読み解く為にも、
卓上の情報は全て掴んでいなくてはならなかった。

(よ、よーし、落ち着け、落ち着け……ツキはまだ来てるわ……っ!)

 彼女の手元には『萬』の付く雀牌が二から四まで二枚ずつ揃っている。
この八枚が左端から並び、右端には『西』の一字を記した雀牌が二枚一組で置かれていた。
 これら二種の雀牌の間には、カラフルな筒の絵が描かれた物が挟まれている。
筒の数は四本と五本。これらも二枚ずつ並んでおり、役の完成が近付きつつあることを感じさせた。
 『萬』の付く物と四本の筒が描かれた物の間には、一枚だけ異なる雀牌が混ざっている。
種類は筒であるが、その本数が右隣とは違うのだ。今し方、手元に回ってきた三本筒の雀牌である。
 これと同じ絵柄の雀牌が再び卓上に現れたとき、ジャーメインの狙う役が完成されるのだ。
そして、そのような状況に至った者は、リーチを宣言することが出来る。

「行くわよ、リーチっ!」

 勝機を呼び込もうと勇んで吼え、ジャーメインは先ほどまで手元に置いていた六本筒の雀牌を卓上に放った。

「私がアルちゃんと愛を育んでいるのです。他の方≠ェ入り込む隙間などございませんわ」

 ジャーメインの打ち筋≠見定めながら、マリスは自分こそがアルフレッドの恋人だと改めて主張した。
しかも、遠回しながらフィーナやジャーメインを牽制するかのような言い方である。
 タスクは言うに及ばず、トリーシャとハーヴェストも背筋が凍る思いでマリスの言行を注視している。
アルフレッドとフィーナの関係が露見すれば、和気藹々とした親睦会は瞬時にして惨劇と化すだろう。

「――おっ、そうなの、そうなの? ちなみにマリスさんはライアン君の何処が好きなの?」
「ど、どこと訊かれましても……全てとしかお答え出来ませんわっ」
「えー、具体的に聞きたいなぁ〜。どこそこが好きだって言って貰えたら男の子も喜ぶよ?」

 アルフレッドの『恋人』であるマリスを盛り上げようと、カキョウも意気込んでいる。
これこそ彼女がしたかったような恋話(コイバナ)≠ネのだ。

(……あんな根暗のどこが良いのか、マジで理解に苦しむぜ……)

 普段のやり取りからあらましを察している撫子は、心中でこそ毒舌を披露してみせたが、
言葉として紡ぐことは控えておいた。
 仲間たちへの配慮があったのか否かは、直接質しても決して答えないだろうが、
そうでなくとも自宅で刃傷沙汰が起きることだけは避けたい筈だ。
痴情の縺れによる流血など笑い話にもなりはしない。

「あー、いざ『良いところ』って訊かれたら困るわね。どこか一部分だけを切り取って評価するなんて出来ないし。
ムカつくとこだって山ほどあるわけじゃない? そうところも全部ひっくるめてアルって言えば良いのかなぁ」

 牌の動きを注意深く見守りながら、ジャーメインはそれとなくカキョウの加勢に入った。
俄かに張り詰めた場の空気を柔らかくしようと図ったわけである。
 ジャーメインとしても穏やかならざる状況を軌道修正したかったのだろうが、
今や彼女自身が第三勢力≠フように見られている為、そうした働きかけが必ずしも周囲を安心させるわけではない。
依然として頬の紅潮は鎮まっていないのだ。
 そして、彼女の面に熱≠見つける度、マリスは何とも言えない愛想笑いを作るのだった。
 無論、タスクにはそれが痛ましくて仕方がない。幾度、心の中でアルフレッドを断罪したか、分からなかった。

「メ、メイさんはアルちゃんのどこが魅力的だと思われるのですかっ?」
「んーっと、陰険なトコ?」
「――は?」
「余裕なさ過ぎよ、マリス。フィーじゃないけど、……アルの恋人なんだから、もっとどっしり構えてなきゃ」
「は、はぁ、な、成る程……」

 ジャーメインとマリスの会話を見守るタスクは、殆ど生きた心地がしなかった。
 トリーシャもハーヴェストも、息も絶え絶えといった状態のタスクと雀卓の様子とを交互に見守っており、
全く気の休まる瞬間がない。

「いっそアルちゃんと別れたらいいの――」

 複雑な事情と言うものを全く知らないルディアが、空気も読まずに凄まじい爆弾発言を投下し、
室内から音に類されるものを一切消し飛ばした。

「――そんで、ルディアのモノになったらいいのっ! みんなまとめて面倒見てあげるのねっ!」

 すぐに冗談として帰結したが、フィーナ、マリス、ジャーメインの間に戦慄が走ったのは言うまでもない。
カキョウとて満面を引き攣らせている。

「ル、ルディアちゃん、心臓に悪い冗談はお止しになってくださいね……っ」
「そ、そーだよ。いたずらにしても、言って良いことと悪いことがあるんだからね?」
「よ、よ〜し、あとであたしがお尻ペンペンしてあげるわ。やっちゃいけないこと、身体で憶えなさいっ」

 互いの反応を確かめるように忙しなく視線を巡らせつつ、
気もそぞろと言った調子で口早にルディアを窘める三者の様子を、カキョウはおろおろと見つめている。
自分の不用意な発言が思わぬ事態を引き起こしてしまい、今や目端に涙まで溜めて困り果てていた。
 三者の間の空気も、それを傍観する仲間たちの空気も――いずれも今までとは様相が異なっていた。

「……ルディアの言い分にも一理あるわね。アルは少し痛い目を見るべきなのよ。
今、ジャーメインも言ったでしょう、『やっちゃいけないこと、身体で憶えなさい』って。
性根を叩き直してやらなきゃ、将来、ロクな人間にならないわ」

 意外なことにハーヴェストがルディアの爆弾発言を引き継いだ。
 色恋沙汰には無縁であり、こうした話題を苦手として避ける傾向にある彼女にしては珍しいが、
その主旨はアルフレッドの処遇に他ならず、正義の怒りが働いているように思える。

「手遅れかも知れないけどね。ローガンのヤツに更生させられるかどうか……」
「ハ、ハーヴさん? ど、どうなされたのですか、急に……」
「想い出し怒り≠チてヤツよ。こうね、……沸々と燃え上がって来ちゃったのよ」

 思いも寄らない人物の憤激にマリスは大いに当惑しているが、ハーヴェストの言葉が呼び水となったのか、
トリーシャまでもが「アル以外にもイイ男はたくさん居るわよ」と言い始めた。

「マリスさえ良ければ、合コンくらいは幾らでもセッティングするわ! 好みのタイプを教えて! 
今はちょっとそんな余裕ないかもだけど、済し崩しであいつと一緒になっちゃ絶対にダメよッ! 
マリスの根性まで腐っちゃうからね! 経験上、あいつは周りを汚染するタイプだわ!」
「こ、好みも何もないかと思いますけど、あの……ト、トリーシャさん?」
「良く言ったわ、トリーシャ! 周りを振り回したって『勝つ為には必要なことだ』の一言で済ませる男なのよ! 
そのことを注意したって『煩い、黙れ』よ。軍師だか何だか知らないけれど、
訳知り顔さえ決めていたら何でも許されると思ってるの!? とんでもない傲慢よッ!」
「今の声真似? ねぇ、声真似? めちゃくちゃ似てるんですけどっ! 
あー、アタシまで想い出し怒りがこみ上げてきたわ。うちの阿呆ネイトもそろそろ目ェ覚まさせないとダメね。
アルの言いなりで大量破壊兵器なんか作らされた日には、あいつまで人生棒に振ることになるもん。
自分の人生、大事にして欲しいわ。……マリスもよ? 人生、もっと楽しまなきゃね?」
「アルに寄生されてる内は楽しめないわ。あの口八丁はヒモの素質も十分に有るし」
「どうせなら、アタシらで駆除しちゃおっか。世直しよ、世直し」
「お、おふたりともどうしてしまったのですかっ?」

 心情的にフィーナ寄りのトリーシャとハーヴェストは、触れてはならない禁句こそ避けているものの、
彼女を悲しませるアルフレッドの為人を好き放題に謗り続けた。
 これまで相当に憤懣を溜め込んでいたのだろう。アルフレッドに対する糾弾は止め処なく溢れ出してくる。
 マリスの手前、ふたりを諌めなくてはならないタスクであったが、
何(いず)れの批評も彼女自身が常日頃から思っていることであり、どうしても心が同調に傾いてしまう。
 それ故にふたりを注意する声は小さく、気付いたときには頷きそうになっているのだ。
タスクの労苦を顧みれば、よくぞここまで爆発もせずに我慢してきたものである。

「アルちゃんは根っからの助平小僧だってルディアは見てるの。クールなのは見せかけなのね。
ルディアが起きたときもこのバデーをジロジロと眺めやがっていたし。
マリちゃんのことだって、きっとバデーが目的だと思うの。だから! あんなゴミは蹴っ飛ばして、
ルディアのところに来るべきなのっ! アルちゃんよりも〜っと満足させてあげるのっ!」
「根性ねじくれてる上にロリコンのケもあるとか、クソ以外の何者でもねーな。
オブラートに包んでも犯罪予備軍としか言いようがねぇ」

 ルディアと撫子もアルフレッドに対しては全く手加減がなかった。

「――って、フィーちゃん、大丈夫? 顔、すごく青いよ?」
「……兄をここまで叩かれて、胃が痛くならない妹っていないと思うんですけど……」

 カキョウに答えた通り、フィーナの胃は先程からきりきりと悲鳴を上げている。
 義理の兄であり、生涯の伴侶(あいて)でもあるアルフレッドが徹底的に貶されている状況だが、
ハーヴたちの言い分も分かってしまうだけに彼を庇うことはどうしても出来なかった。
おそらく周囲からはこのように見られているのだろうと言う予想が的中していた程である。
 ムルグとてこればかりは助けてはくれまい。彼女にとってはアルフレッドこそが一番の天敵なのだ。
擁護するどころか、糾弾の輪へ入りたそうにトリーシャやハーヴェストを見つめている。
 対面のマリスをちらりと窺えば、彼女もまた引き攣ったような表情を浮かべていた。
 しかし、その口が強い反論を打ち出すことはない。最愛のアルフレッドを他者から悪し様に言われるのは心苦しいが、
擁護しようのない部分があることはマリスも認めているようだ。

「ちょっと、ちょっと! さっきから聴いていれば、さすがに言い過ぎよ。マリスもフィーも困ってるじゃないっ」

 悪言の嵐に耐え兼ねたのか、ようやくジャーメインが注意を飛ばした。
 「あんたたちも何か言いなさいよっ!」と目配せで合図を送るが、
フィーナは言うに及ばず、マリスでさえ苦悩を満面に貼り付けたまま俯くばかりである。

「……アルちゃんとは一生のお付き合いになるのですから、正直、治して頂きたいところもなくはないのでして……」

 蚊の鳴くような声で本音を吐露するマリスに対し、ジャーメインは「だから、弱音厳禁っ!」と諌めの言葉を投げる。
目端で捉えたフィーナまでもがアルフレッドへの不満を面に滲ませ、口を噤んでいるではないか。
 その瞬間のことである。ジャーメインの表情が微かに変わった。
 彼女たちとアルフレッドとの絆が絶対でないことに驚き、そこに微かな可能性≠感じてしまい――

(あたしなら、どんなアルだって気にしないけど――)

 ――しかし、俄かな気の迷いを自覚したジャーメインは、すぐさまにそれ≠心の外へと追い出した。
無意識かに否かに関わらず、それ≠ヘ、一瞬たりとも考えてはならないことなのだ。
 表情を引き締め、「アルの根性を叩き直すのも、アルを庇うのもマリスの仕事でしょ!」と取り繕ったものの、
対面のカキョウに見られていない筈もない。それとなく彼女の様子を窺うと、気まずそうに顔を背けられてしまった。

「メ、メイちゃんの番だよ」
「な、何が……?」
「リーチ掛けてる本人がゲームを忘れちゃダメだって」
「あっ……」

 何とか場を取り繕おうとカキョウが麻雀の進行を促す。
 彼女から指摘を受けて、ようやくジャーメインは自分の番で遊戯が止まっていることを想い出した。

(調子が狂いっぱなしだよぅ……)

 メイちゃんの番だよ――何の変哲もない一言であるが、その裏には別の意味が含まれているように思えてならず、
それ故に心の奥まで響いてしまうのだ。
 カキョウの表情を見れば、それは自分の思い過ごしだと解るのだが、どうしても心を落ち着かせることが出来ない。
 このような状態でまともな打ち筋≠維持しろと言うのが無理な話である。
更に順番が回り、カキョウが不要な雀牌を捨てた直後、
ジャーメインは熟考もせず咄嗟に「ロ、ロン!」と宣言してしまった。
 『ロン』とは、対戦相手が捨てた雀牌を以ってして自らの役を完成させる行為だ。

「メ、メイさん、それはチョンボでは……」
「へ? ……げっ――」

 マリスから『チョンボ』と言われるまで、ジャーメインは自身の失敗に気付いていなかった。
 カキョウは三本筒の雀牌を卓上に転がしている。この雀牌を用いれば、ジャーメインの役は完成する筈だった。
だからこそリーチを唱えたわけだが、実はその時点で彼女は大きな見落としをしていた。
 リーチを唱えたとき、ジャーメインは六本筒の雀牌を不要として卓上に放っていた――が、
実は六本筒と三本筒を一枚ずつ組み合わせても役が完成したのだ。
つまり、彼女は「ツモ」と宣言出来る筈のチャンスをも自ら切り捨ててしまったのである。
 麻雀のルール上、こうした状況で「ロン」と宣言することは極めて難しくなる。
勝利を放棄したものとして、狙った役を完成させる為の雀牌が全て無効になってしまうのだ。
現在(いま)の場合は、三本筒と六本筒、二種類の雀牌が使えなくなっている。
 より厳密に言うと、ロンの宣言が規制されるのである。
一度、捨てた雀牌で勝てるのはツモに限られ、誤ってロンを行なってしまった場合、
『フリテン』と言ってペナルティの対象となるのだった。
 今回、設けられた特別ルールでは、ペナルティを宣告された時点で強制的に着衣を一枚脱ぐことになっている。
 有り得ない失敗である。長年、麻雀に親しんできたジャーメインだが、このような見落としは生まれて初めてだった。
 集中が乱れていたのは間違いない。意識が雀卓とは別のところに注がれていたことも否めない。
そして、その原因は己自身の迷いに在った。

(そ、そんなのってないよぉ……)

 ジャーメインはがっくりと肩を落とした。その拍子にカーディガンが肌蹴て右肩が露になる。
このペナルティを以って退場が決した瞬間だった。
 今までの経緯(いきさつ)もあって、対面のカキョウは申し訳なさそうに左右の掌を合わせている。

「さ〜て、メインエベントなのっ! メイちゃん艶姿(あですがた)、最終形態なのっ!」

 待ってましたと言わんばかりにルディアがジャーメインを煽り立てる。
拍手や口笛は勿論のこと、取り出したモバイルから何やらいかがわしい音楽まで流し始めた。
 要求は酷いものだが、ルディアの声によって場の空気が和らいだのは確かだ。
「ルディアちゃん、女の子がはしたないですよっ」と窘めたタスクの声にも笑気が蘇っている。
 どん底まで落ちそうになっていた場の空気を明るく変えられるのであれば、最早、手段を選んではいられないだろう。

「ええい、仕方ない! 負けたからには潔く脱いでやるわよっ!」

 意を決して立ち上がり、最後の砦たる桜色のカーディガンを宙に回せたとき――

「――さっきから何をしているんだ、お前たちは。電話もメールも無視して、一体……」

 ――思いがけない闖入者が無遠慮にも室内まで上がり込んで来た。
 つい先刻まで糾弾の対象となっていたアルフレッド・S・ライアンその人である。




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