17.嵐こそ好機


 やはり、杞憂に過ぎなかったのではないか――容赦なく横殴りに叩き付ける暴風雨を窓越しに感じながら、
バルムンク――ボルシュグラーブは、彼にしては珍しく欠伸を噛み殺していた。
 こんなことならゼラールの宴席を蹴らなければ良かったとも心の内にて繰り返している。
 元来の生真面目さが内なる声となって職務怠慢に警告を発し、
慌てて気を引き締め直したが、手持ち無沙汰ではどうしようもない。
 一度、緊張の糸が切れてしまうと、後から修繕するのは実に手が掛かる。
思考に耽っていても、自然と緊張感のない方向へと進んでしまうのだ。
 このままではいけないと己を戒める間にも口の中に枡酒の味が蘇り、次いで芳醇な梅の香りが鼻を通り抜け、
いつしか酒宴のことしか考えられなくなってきた。途中で抜け出さざるを得なかったのが実に惜しい。

(このままでは部下に示しが付かん……付かないんだが……)

 数少ない休日の返上を強いられた挙句、厄介な警備へ就かされているのだ。身が入らないのも無理からぬ話であった。
 何事もなければ、酒宴を心行くまで満喫し、酔いと余韻が醒めたら、久しぶりに茶の葉でも作りおきしておこうと
ボルシュグラーブは計画していたのだ。
 代休や休日手当てなどと言うものがギルガメシュ内で申告出来るわけもなく、
彼にして見れば、休み返上の任務など丸損も良いところであった。
 ことの発端はコールタンだった。
 「敵性勢力がバブ・エルズポイントの征圧に動いた」との報せが彼女のもとに入り、
急遽、ボルシュグラーブがこの地の警護へ当たることになったのである。
 両帝会戦で総大将を務め上げた実績を評価し、最重要拠点の防衛を任じたのだと、
アゾットは派遣の理由を説明したが、そもそも今回の休暇は、件の合戦に対する褒賞ではなかっただろうか。
 ボルシュグラーブには、臨時休暇と共に指揮刀として『鬼神丸国重』なる銘刀も授けられている。
鉄拵えの鞘に納められたその一振りが剣帯(ベルト)に重みを与えているからには、
休暇の許諾も記憶違いでは無さそうだ。当然、妄想の産物でもない。
 任務は任務と割り切り、援兵を率いてバブ・エルズポイントへと赴任してみれば、
敵性勢力など見る影もなく、至って平穏なのである。
 赴任から一〇日以上が経過しても、一度として戦闘は発生していない。
おそらくは今宵も怠惰な時間だけが過ぎ去っていくことだろう。
 今回はエトランジェも伴っている。両帝会戦までの不当な扱いが改められ、
人間らしい生活を保障されたので体調は万全である。底を突きかけていた生命力もすっかり本復していた。

「……今夜も何も起こりそうにありませんね。いえ、何も起こらないのが一番なのですが」

 エトランジェのリーダー格――本来の隊長は両帝会戦で戦死しているのだ――であるキセノンブック・セスは、
窓の外を確かめると、神経質そうな顔を幾分柔らかくした。
 嵐の夜である。四方を海に囲まれ、更に断崖絶壁を背にしたバブ・エルズポイントへ攻め寄せるには、
先ず大時化と戦う必要があった。
 普段なら海岸沿いにも哨戒の兵を配置しているのだが、今日は早々に引き上げさせ、休息を取らせている。
横殴りの突風と雨滴が吹き荒ぶ場所に留まり続けては体調に障るだろう。
 そもそも、だ。一メートル先さえ確認出来ないような場所で何を見張れると言うのか。
 ギルガメシュの保有していた軍艦ならばいざ知らず、Bのエンディニオンの船艇では、
嵐に飲み込まれて忽ち転覆してしまう筈である。
 自分であれば、このような日に船を出すなどことはない――キセノンブックの前言通り、
ボルシュグラーブも敵の襲来がないと確信していた。
嘗て学んだアカデミーに於いても、無謀と勇気は別物だと叩き込まれていたのである。
 だからこそ、窓の外に広がる水平線に明滅を見つけたとき、ボルシュグラーブは我が目を先ず疑い、
次いで乗員の安否を気遣い、最後に絶句したのだ。
 それは、間違いなく船の灯火であった。
 数こそ僅かではあるが、夜の高波の中にバブ・エルズポイントへ迫り来る船影がはっきりと確認された。
 レーダーを管理していた士官も敵性と思しき一隊の急接近を告げている。
 「どうして、今まで気が付かなかったのか」と叱声を飛ばしそうになるボルシュグラーブであったが、
すぐさま己の短慮を悟り、恥じ入りながら口を真一文字に結んだ。
 発射した電波によって物体の反応を確認すると言う性質上、レーダーは自然現象の影響を受け易く、
このような悪天候では性能が完全には発揮されないのだ。
 部下を怒鳴りつけたところでレーダーの機能が回復するわけでもない。
零れそうになる憤激の慌てて飲み下したボルシュグラーブは、今一度、皆に冷静な対処を呼び掛けた。

「……敵でなければ、勇者と褒め称えたいのだがな……!」

 杞憂に終わるとばかり思われたコールタンの懸念が的中した恰好である。

「褒め称えても良いンじゃないかい? 骨のある敵さンは大歓迎さ! 腕が鳴るねぇ!」
「そこでお前が熱くなってどうるすんだ、ディアナ。私たちはただの応援なのだぞ?」
「力いっぱいやるから応援になるンだろう? 枯れてンじゃないよ! セスからも何か言ってやンな!」
「私も社長さんに賛成なんですが……」
「ほンとに男連中はだらしないねぇ! 気合い入れなッ! ここはもう戦場なンだッ!」

 当然ながらエトランジェにはディアナとボスの姿もある。
 アゾットの副官となったトキハだけはブクブ・カキシュに留まっているものの、
それ以外の隊員は全てバブ・エルズポイントに詰めていた。

「確かに虚を突かれたが、何も案ずることはない! この嵐を突き抜けてやって来た連中だぞ? 
疲弊の極みであることは明白ッ! 落ち着いて戦えば、容易く返り討ちに出来るッ!
手負いの兵など恐れるに足らんのだ! 各人、持ち場にて訓練通りに応戦せよッ! 
嵐に劣らぬ気勢を上げ、大義の敵を吹き飛ばすのだッ!! 『聖女』の加護は我らと共に有るッ!」

 ボルシュグラーブは『聖女』と呼ばれる人物に加護を求め、これを以って全軍の士気を高めようと試みた。
 ことの重要さに遅れて気が付いたギルガメシュの兵士たちは、混乱と動揺とを引き摺りながらではあるものの、
ボルシュグラーブの一喝に背中を押されて各々の持ち場へと駆け戻っていく。
 完全に裏を掻かれたボルシュグラーブではあるが、苦境からの挽回を図った機転は考えられる最良の選択であった。
両帝会戦にて総大将を務め上げただけのことはある。
 動転して敵の分析を誤ることもなかった。
 勇猛にも嵐の中を突き抜けてくる敵性艦隊は総勢十隻。
部下の報告によると、それぞれが『プール』の軍旗を掲揚していると言う。
 敵対国、『緬(めん)』との戦争に勝利する為、Bのエンディニオンを荒らし回っていることは
ボルシュグラーブも聞いていたが、どうやらその矛先をギルガメシュにまで向けるつもりであるらしい。
 最新兵器の宝庫とも言うべきギルガメシュの軍事拠点は、彼らの目には狩り場≠フように映るのだろう。
 プールはヤズールなる優れた将軍を抱えている。
大胆不敵としか言いようのない奇襲作戦は、その男が献策したものに違いない――が、
迎撃の態勢さえ整ってしまえば、不意打ちは最大の効力を失うのだ。

(火事場泥棒め! イシュタル様に代わって、我らが裁きの鉄槌を食らわせてやる!)

 手の内が暴かれた奇襲作戦など無意味にも等しい――と、ボルシュグラーブは冷静な判断力も維持出来ていた。
 しかし、目の前にある戦況をそのまま見極めるだけでは、一流の指揮官とは言えない。
上手な嘘を吐く人が九つの真実へひとつだけ偽りを混ぜ込むように、何の変哲もない凡庸な戦況の裏にこそ、
巧妙な罠が仕掛けられているのである。

「旦那! 敵さん、正面に兵士を集めていまさぁ! こりゃあ、テムグ・テングリ≠ノしか目が行ってねぇな!」
「……来たか!」

 星勢号の甲板にて腕を組み、釣果を待つように瞑想していたアルフレッドは、
源八郎の呼び声によって敵が術中に嵌ったことを確信した。
 何の変哲もない凡庸な戦況――その裏にアルフレッドはバブ・エルズポイント攻略の奇策を張り巡らせていたのだ。
 アルフレッドが案じたのは、嵐を利用した奇襲戦法である。
 さりながら、嵐を隠れ蓑にして接近を図るのは、この戦略に於いては序の口に過ぎなかった。
 バブ・エルズポイントの正面に大軍を繰り出すことで敵の注意を引き付け、
防御が手薄になったところを別働隊が一気に攻める――最大の狙いは不意打ちではなく陽動なのだ。
その為にグンガルへ協力を要請したのである。
 そのグンガルたちは、現在、プールの将兵に成り済ましている。
 テムグ・テングリの領内にて盗賊紛いの悪事を働いていたプール兵を討伐した折、
彼らの軍装を手に入れる機会があったのだが、これを元にして模造品を用意し、
ギルガメシュに対する撹乱へ利用したわけである。
 テムグ・テングリ群狼領をも侵略するような恐れ知らずのプールが盛大に攻め寄せて来れば、
そちら側に意識が集中してしまうのは必然だった。
 しかも、嵐を突き抜けて忽然と姿を現した船団である。ただそれだけで警戒心が最高潮に達するのだ。
 源八郎の報告にもあった通り、間もなく上陸するであろうプールの尖兵を迎撃すべく、
ボルシュグラーブは海岸沿いに軍勢を展開させていた。横一文字に陣を布き、敵の進軍を遮断する構えである。
 他方から攻撃の手が加えられるとは想定していない配置であり、
こちらの仕掛けた罠にギルガメシュが踊らされていると見て取ったアルフレッドは、口元を微かに吊り上げた。

(ブンカンは本当に広く世界を見ている。隅々まで見渡している。流石は馬軍の軍師だよ――俺も見習わなくては)

 ふたつの隊を巧みに使い分ける陽動作戦自体はアルフレッドの立案だが、
プール兵に成り済まして敵の意識を完全に掌握するのは、実はブンカンが案じた策謀である。
 プール兵の軍装――正確には、その模造品だ――をグンガルが受け取ったのは、
ハンガイ・オルスを出発する直前のこと。必ず役立つだろうとブンカンから渡されたのだ。
 「我らが軍師は、何事にも粗忽な私を良く助けてくれます。……その恩恵に寄りかかってはいらせません。
ブンカンの智謀に応えられるよう私も戦わねば」と、誇らしげに語るグンガルが想い出された。
 プール兵への扮装には隠蔽の効果も含まれている。テムグ・テングリ群狼領がギルガメシュと戦うには、
このような偽装が欠かせないのだ。勿論、ブンカンはそこまで見越して手配りを済ませていたのである。

(ブンカンの顔に泥を塗るわけには行かない――この作戦、必ず成功させる……!)

 人間の意識が印象的な物に引っ張られるとの習性を利用したのが、バブ・エルズポイント攻略の第一段階。
 続く第二段階は、まさしくボルシュグラーブらギルガメシュ軍の裏を掻くものである。
 バブ・エルズポイントは断崖絶壁を背にして建造されており、有事の際にはこれを防衛の要としている。
 しかし、その頂へ知らぬ間に敵兵が陣取っていたとすれば、事態はどうなるだろうか。
分厚い装甲板で堅牢に固められた防壁の内側は丸見えとなり、銃砲も撃ち掛け放題となるのだ。
 普段なら哨戒の兵が配置されている為、敵軍に背後を奪われるような失態は犯さないものの、
夜襲の可能性はないと言うボルシュグラーブの判断のもと、最低限の人数を残して休息に入っていた。
 しかも、だ。プール兵――正確にはテムグ・テングリ群狼領だが――を迎え撃つべく殆どの兵力を前衛に回した為、
屋内の警備も大幅に減っている。
 そのような状態のときに一〇〇近い軍勢が絶壁を滑り降りて来れば、
片手で数えられる程度の歩哨では一溜まりもあるまい。抗戦する間もなく全員が撃破され、
バブ・エルズポイントは背後を押さえられてしまった。
 全方位に電波を発射するレーダーさえ正常に機能していれば、このような不覚を取ることもなかったのだろう。
吹き荒ぶ嵐が全てを狂わせていた。如何に最新鋭の機材であっても、自然現象の前には適わないと言うことだった。
 本隊に先んじて上陸し、息を潜めていた別働隊が、敵の注意が正面に集中した瞬間を見計らって
背後から奇襲を仕掛け、続けて両隊による挟撃へと転じる――ここまでがバブ・エルズポイント攻略の第二段階だ。
 ここまで達成出来たならば、戦闘自体の勝利は確定されたようなものである。
 一連のゲリラ戦法をアルフレッドから提案されたグンガルは、大いに武者震いしたものだ。
 当の御曹司は本隊の指揮を執っており、バブ・エルズポイントを正面に見据えた最前線にて、
ボルシュブラーブ率いる前衛部隊と激闘を繰り広げていた。
 いずれ、ビアルタの率いる別働隊が背後から駆け付けることだろう。
 未だに海上に在るシェインやジェイソンは、丘の戦いへと目を凝らしては歯痒そうに地団駄を踏んでいる。
 「我々の戦いはこれからが本番なのですよ。体力を温存しておくのが上策です」と戒めるジャスティンであるが、
彼もまた新たな友の戦いが気が気でない様子だ。

「そう浮き足立つな、ジャスティン。グンガルは負けたりはしない。オイラトも戦場では頼りになるそうだからな」
「ライアンさん、……別に私は心配なんて――」
「見栄と言うものは、額に冷や汗掻きながらするものじゃないぞ?」
「こ、これは雨です、雨! こんな土砂降りの中で汗と雨を見分けることなんて、出来る筈がないでしょう?」
「こう言うときの御託は自白と同じ――そうは思わないか?」
「……そうやって揚げ足ばかり取っていると、友達を失くしますよ……」

 暴風雨に妨げられてその力闘ぶりを視認することは難しいものの、離れ島からは確実に喊声が聞こえている。
干戈を振るう激音からも、グンガルやビアルタの勇往が察せられよう。
 一敗地に塗れたテムグ・テングリ群狼領にとって、これは雪辱戦なのである。
 そして、ギルガメシュ側は自分たちが戦っている相手の正体に気付いてはいない。

「――皆、風邪を引くなよ。もう一度、気を引き締め直せ。テムグ・テングリ群狼領の奮戦を無駄にするな」

 同胞の優勢に浮かれている場合ではない。アルフレッドは一同に突入準備の号令を発した。
先程のジャスティンの言葉ではないが、決死隊にとってはここからが本番なのだ。
 敵の手に落ちては、今後の戦況に善からぬ影響を及ぼすに違いない――そう判断したギルガメシュ側が
ニルヴァーナ・スクリプトを破壊してしまったら、全ての計画が水泡に帰すのだ。
敵が自棄を起こす前に転送装置まで辿り着かなくてはならなかった。
 然るべき好機が到来次第、離れ島の側面へと船を横付けし、バブ・エルズポイントに乗り込む算段である。

「暫くはあっちの世界とこっちの世界で離れ離れになるさかい、ワイによう顔を見せたってや。
……まったく良い表情(かお)するようになりよってからに。アル、お前のその顔をな、ワイは一生の誇りにしたるで」
「今生の別れみたいな言い方するなよ。そんなのは真っ平御免だぞ、俺は。
……生きての再会以外、俺は断じて認めない」
「ほしたら、もちっと肩の力抜いとかんとアカンな。ボディランゲージとか出来るんやろうな? 
言葉通じんかったら、最後は身体で表すしかないで、身体で」
「ラスと普通に会話が出来ているだろ。心配ないさ。言語や文化も似通っているみたいだしな」
「そこで模倣的な答えを返してくるあたり、肩の力ぁ抜けとらん証拠やで。
……ホンマによう休んだんやろな? 佐志を発つ前夜も浜辺ほっつき歩いとったっちゅー話を聴いたで?」
「お前は、時々、そうなるよな。キャラに合わない心配性にさ」
「そんなん当たり前やろ。師匠が弟子のこと気にせんでどないすんねん。
可愛い弟子にはついつい気をかけてまうもんなんや」
「戦いの影響にならない程度には休息した。心配しなくても頭も身体も冴えているさ」

 上陸の好機を今や遅しと待ち侘びるアルフレッドの傍らに立ったローガンは、
「短気は損気やで」と、愛弟子の緊張をほぐしにかかった。

「んん? んんん? んッんん〜? ジャスト、ボキのウワサをトーキングしてたでショ? でショでショ? 
オーケイオーケイ、スペシャルにボキの活躍を褒め称えるチャンスをプレゼントしよう。
スーパースターはディスだから困るのさ。ただザッツに立ってるだけでサクセスなストーリーが
セルフウォーキングをスタートしちゃうんだもん♪ ンま、ザッツもディスも、
ボクのナチュラルボーンなカリスマ性の為せるテクニックなんだけどサ♪
サクセスなストーリーがページをプラスする毎にイエローなエールもレベルチェンジぃ〜ン」

 二人の会話を聞きつけたホゥリーが得意満面と言った様子でふんぞり返る。
 「自分のお陰で快適な船旅が出来るのだ」と恩着せがましく付け加えるのを忘れない辺り、
彼の持って生まれた卑しさが滲み出ている。
 操船に長けているとは雖も、第五海音丸も星勢号も漁船であり、
テムグ・テングリ群狼領が漕ぎ出した軍船とは比べ物にならないほど小さい。
ともすれば、嵐に翻弄されて転覆してもおかしくはなかった。
 しかし、アルフレッドたち佐志勢には、テムグ・テングリ群狼領が待ち得ないような恩恵が備わっている
レイチェルとホゥリーが防護のプロキシを駆使し、風雨や高波による影響を最小限まで緩衝したのだ。
 源八郎は「海の男が大嵐をどう切り抜けるか、そいつを披露したかったんですがねぇ〜」と軽口を叩いて見せたが、
格段に舵取りをし易くなったのは確かである。
 そのことをホゥリーは自慢しているわけだが、日頃の素行不良もあって、
誰からも感謝やねぎらいの言葉を掛けられることはなかった。
 一方のレイチェルには賞賛が後を絶たず、同族でありながらホゥリーだけ爪弾きにされた恰好であった。

「他の者がどうかは知らぬが、ワシはお主に驚いておるぞ、ホゥリー。
お主の辞書の中にも感謝と言う単語があったのじゃな。いやはや、目から鱗が出る思いであったわ」

 自業自得ながら、些か哀愁漂うホゥリーの拗ね方を見兼ねたジョゼフが、お情け程度に声を掛けてやったのだが、
それは賞賛でも感謝でもねぎらいでもなく、彼の傷心を手酷く抉る痛烈な皮肉だった。

「……ボキをアウト・オブ・眼中しとくとフューチャーで後悔するよ〜、アル。
チミのライフが数イヤー後にはノーフューチャーになってるかも知れない。
ザッツがバッドなら、トゥデイの内にボキにソーリーしちゃったほうがグッドじゃナッシング?」
「――全員、戦闘準備にかかれ。接岸次第、バブ・エルズポイントに斬り込む」
「ヘイ、あくまでもアウト・オブ・眼中ですかい。
ジョークじゃナッシングのストームをイージーにプリーズしたボキをディスな扱いとは〜!」

 しつこく縋り付いてくるホゥリーを黙殺したアルフレッドは、仲間たちを見回すと上陸開始を号令した。

「――っつーわけだ。アルたちの門出なんだしよ、俺っちらで派手におっぱじめてやろうじゃね〜の!」

 上陸開始の号令が発せられるのを見届けたヒューは、ポケットから自身のモバイルを取り出し、
何やらボタンを操作し始めた。何者かに連絡を取るつもりのようだ。
 その相手が電話に出るなり、ヒューは「最凶の呼び名を奴らにも思い知られてやれ!」と念を押し、
その直後、バブ・エルズポイントに更なる急転が舞い降りた。
 爆裂だ。灼熱の如き爆裂がバブ・エルズポイントの外壁を激しく揺るがした。

「――そのつもりですよ。私も現役℃梠繧思い出して、少しばかりテンションが上がってしまいましたのでね。
仮にやり過ぎていたら、すみません」

 モバイルの向こう側から返って来たのはセフィの声である。
 ビアルタ率いるテムグ・テングリ群狼領の別働隊と共に先んじて離れ島へ潜入していたセフィが、
施設の至る場所へ仕掛けておいた爆発物を一斉に爆発させたのだ。
 兵たちの詰め所や武器庫は特に念入りに爆発物を仕掛けてある。
爆裂後に致死性の毒ガスを噴霧させると言う徹底の仕方は、流石は『ジューダス・ローブ』と言ったところか。
 断続的に起こる爆裂や毒ガスによって施設内部の恐慌は極限に達した筈である。
奇襲に偽装した陽動作戦も功を奏している――まさしく機が熟したと言えよう。
 爆熱に共鳴でもしたのか、ルディアを肩車していた撫子が「スッテェェェキィィィッ!!」と奇声を発する。
 進撃の銅鑼と代えるには穏やかならざるものであったが――

「……攻撃を開始しろッ!」

 ――アルフレッドは、これを合図にバブ・エルズポイント突入を指示した。
 号令を受けて離れ島の側面へと接岸した二隻の武装漁船は、そこから決死隊を送り出す。
 異世界を目指す怒涛の進撃が始まったのである。





「もうすぐ第三陣が――プールの精鋭、五〇〇〇の加勢が支援に駆けつけてくれる。
そうなれば、こんな小さな拠点など一呑みに出来る。皆、それまでは是が非でも踏ん張るんだ」

 バブ・エルズポイント内部へ踏み込んだアルフレッドが真っ先に試みたのは、
偽の情報を流して敵の混乱を煽ることであった。
 吹聴する数字にも真実味を持たせている。これが数万数十万であったなら、
偽の情報であると気付く者が現れるかも知れないが、五〇〇〇の加勢は現実として有り得る数である。
 それだけに確かな威圧となってギルガメシュ兵を追い詰めるのだ。
 実際、アルフレッドの吹聴に反応して、瞬く間に動揺が広がっていった。
ただでさえ動揺していたギルガメシュ兵にとっては、これが決定打になったらしく、
「怯むな、退くな」と言う小隊長の叱声を無視して兵卒らは我先にと逃げ惑い始めた。
 軍刀を抜いて気炎を上げ、士気高揚を図ろうとする小隊長は、
源八郎の精密狙撃や守孝の繰り出した槍の餌食となった。
 指揮官を失った烏合の衆など、最早取るに足らない存在である。
 金属の壁で囲まれた内部には、至るところに正体不明な機械や施設を貫くパイプなどが設置され、
遥かな未来を思わせる様相であったが、それを使う人間には殆ど進歩が見られない。
不測の事態に対処し切れず、簡単に狼狽してしまうあたり、むしろ心は弱くなったようにも思える。
 そして、その弱さをアルフレッドは突いたのである。
 逃げる者は追わず、攻め掛かってきた者のみを蹴散らし、一行はニルヴァーナ・スクリプトを求めて突き進む。

「お待たせしました、皆さん! ニルヴァーナ・スクリプトへご案内します!」
「セフィ! よし、助か――……」

 程なくしてセフィとも合流できたアルフレッドだったが、その背後に立つふたつの影に目を見開き、
口を開け広げたまま、暫く呆然としてしまった。
 敵地であることを忘れたように呆けているアルフレッドの様子に、
セフィの同行者は、これまた戦いの最中であることを忘れて盛大に噴き出し、腹を抱えて大笑いした。

「なんつーツラを晒してやがんだよ。ひょっとしてウケ狙いでやってんのか?」
「普段のクールな印象とのギャップが面白いけど、そこまで身体張ったウケはキミには要らないんじゃないかなー」
「イ、イーライ、レオナ……」

 セフィと共にバブ・エルズポイントの戦いに一助を添えたのはイーライとレオナ――『メアズ・レイグ』である。
 グンガルの説明によれば、メアズ・レイグは極秘の調査に当たっていた筈なのだが、
その中にバブ・エルズポイントも含まれていたと言うことなのだろうか。
 この場所の持つ意味を考慮すれば、彼らが危険視するのも頷ける。
 バブ・エルズポイント、そして、ニルヴァーナ・スクリプトを抑えられるか否かで
今後の戦況にも大きな影響が出ることは、皆が一致して想像するところである。
 メアズ・レイグの考えを推し量るようにセフィへ目をやれば、彼もふたりと一緒になって大笑いしているではないか。
 この反応から察するに、メアズ・レイグが自分と同じようにバブ・エルズポイントへ潜入していたことは、
予(あらかじ)め知っていたようだ。
 何時、メアズ・レイグと落ち合ったかはわからないものの、
少なくとも佐志の軍勢が内部へ突入する前には協力体制を整えていた筈である。
 それを黙っておいて人の反応を楽しむとは、セフィもなかなかの性悪だ。

「こんな場所で巡り合うとは奇縁と言うのはあるものだな。
お前たちもバブ・エルズポイントが重要な拠点だと探り当てたのか?」
「いや、オレたちの場合はギルガメシュの密告者から情報を調達したんだ。
『蛇の道は蛇』っつーかよ、そこいらの取引に関しちゃ俺たちもツテがあるんでね」
「密告者? ……おい、待て、待ってくれ。イーライ、その密告者と言うのは、まさか――」
「聞いて驚くんじゃねーぞ? アネクメーネの若枝――つまり、ギルガメシュ最高幹部からの密告なんだぜ。
こりゃ信じねーわけには行かねぇってよ」
「その密告者なんだが……見た目が幼稚園児だったりするか?」
「おう、やるじゃねーか。そうだ、オレたちゃ、そのコールタンを相手に手ぇ結んだんだ。
……あいつ、相当な食わせ者だぜ。幹部に名を連ねちゃいるが、腹の底ではギルガメシュ潰しを計画していやがったよ」
「……そうだな、とんだ食わせ者だ……」

 バブ・エルズポイントで鉢合わせた理由を改めてイーライに尋ねるアルフレッドだったが、
彼の話へ耳を傾ける内、少しずつ表情が強張っていった。
 強張ると言うよりも、眉間に苛立ちの皺が寄り始めている。

「あの女、偉ぶって大言を吐きながらしっかりと保険をかけていたか。捨石を二組も用意するとは大した神経だ!」

 苛立ちが最高潮に達した瞬間、誰を叱責するでもなく怒声を荒げた。
 イーライの話によると――メアズ・レイグもコールタンからトリスアギオンの存在を聞かされ、
エンディニオンを救う為にも異世界へ赴き、秘密の工廠を叩くよう請われたと言う。
 おそらくはアルフレッドたちが失敗した場合の保険≠ニしてメアズ・レイグをも動かしたのであろう。
あるいは、その逆かも知れない。
 コールタンの胸算用はともかく、それを了承した彼らがバブ・エルズポイントを目指しても何ら不思議はなかった。
 突入決行の日取りが二組とも重なったので、保険≠フ価値は損なわれたわけだが、
コールタンからして見れば、どちらか片方だけでも転送装置まで到達出来れば良いのかも知れない。
 いずれにしても、アルフレッドは唾棄したい気分であった。

「いいじゃん、別に。私はまたレオナさんと一緒に戦えて嬉しいかも」
「こいつらの実力はボクらが骨身に沁みてわかってるしね。ここはひとつ、強力な味方が出来たと思おうぜ、アル兄ィ」

 憤懣やるかたないと言った調子で鉄板の床を蹴り付けるアルフレッドを、
フィーナとシェインが揃って宥めすかし、メアズ・レイグと共同戦線を張ってはどうかと促した。
 アルフレッドが見せた只ならぬ様子からコールタンの策謀を察したイーライではあるものの、
今更、バブ・エルズポイントから去る必要もなく、ましてや共闘の申し出を断る理由もない。
 レオナにも目配せで確認を取ったところ、返ってきた答えは「了承」。残すはアルフレッドの判断ひとつであった。

「共通の大敵を前にいがみ合う理由はない。そもそも俺たちの間にあった遺恨は既に手打ちになっているだろう? 
互いに支え合って戦う機だ」

 ――そう言いかけた瞬間、アルフレッドのモバイルが緊急連絡を知らせる着信音を鳴らした。
 液晶画面には『グンガル』と表示されている。前衛で戦闘している筈の彼が連絡を寄越すと言うことは、
テムグ・テングリ群狼領に何か善からぬことが起きたと言うことだろうか。
 気を落ち着かせてから着信を受けたアルフレッドは、
メアズ・レイグの様子へ視線を巡らせながらグンガルの報せに耳を傾け、その内容に声を詰まらせた。
 グンガルの逼迫した声がモバイルの向こう側から届けられ、アルフレッドにも戦慄を伝播させる。
 奮戦していたテムグ・テングリ群狼領ではあったが、ギルガメシュ側に思いも寄らぬ増援が到着し、
大苦戦を強いられていると言うのだ。
 増援とはクリッターの群れである。両帝会戦の折と同様にクリッターがギルガメシュの戦列に加わり、
テムグ・テングリ群狼領本隊の横っ腹を突いてきたとグンガルは訴えた。
 しかも、だ。バブ・エルズポイントの守りを固めていた警護の責任者――つまりボルシュグラーブだ――を
取り逃がしたと言う。
 乱戦を切り抜けてバブ・エルズポイントに引っ込みはしたものの、これは敗退ではない。
部下から施設内部でも戦闘が始まったことを知らされたのを受け、侵入者を先に撃滅しようと言うわけだった。
 前衛に残した副官もボルシュグラーブに劣らぬ統率力を見せている。
恐慌状態を脱したギルガメシュ兵は、最早、烏合の衆とは呼べなくなっていた。
 内部に於いても兵士の混乱を鎮められたら、戦力でも兵数でも劣る佐志の軍勢は一呑みに壊滅させられるであろう。
 グンガルからの緊急連絡は、異世界突入の刻限(タイムリミット)が狭まったことを意味していた。

「ここはワイらに任せて、お前らは先に行けや! なんとしても食い止めたるさかいなァッ!」

 迎撃態勢を整えるべきだと判断したローガンは、急造ながら決死隊とは別の一隊を編制し、
全速力でこちらに向かっているだろう追っ手を食い止める任務を引き受けた。
 ヒュー、ローガン、レイチェル、守孝、源八郎、撫子の六名から成る迎撃隊は、
内部の間取りを調べているセフィに誘導を任せ、アルフレッドたち決死隊に先へと進むよう言い付けた。
 その背中を守るのが、居残る人間の使命だ――と。

「俺たちがニルヴァーナ・スクリプトを使った段階でここを征圧出来ないようなら、すぐに全軍を退かせろ! 
拠点を落とすのが今回の目的じゃない! 無駄な損害を出してはならない!」
「そないな心配はせんでもええっちゅうねん! 後のことはワイらに任せて、
お前らはお前らのやるべきことへ集中するんやッ!! ええなッ!?」
「ローガン!」
「師匠の言いつけに返事もせんとはええ度胸や! それとも破門覚悟か、アル?」
「……分かったよ。後のことはお前たちに全て任せる。頼んだぞッ!」
「ええ返事や! そ〜ゆ〜威勢を貰えりゃ、ワイらも安心して送り出せるっちゅーもんやでッ!」

 ローガンたちの配慮を受け止めたアルフレッドは、その思いへ応えるかのように一度たりとも後ろは振り返らず、
今後の対処法のみを口早に命じると、そのまま転送装置に向かって駆け出した。
 途中、ローガンたちを振り返りそうになったシェインやルディアを一喝で押し止め、
自身はただひたすらに前へ、前へと意識を研ぎ澄ませていく。
 前進することを止めるわけには行かない。立ち止まらないことがローガンたちの覚悟へ報いる唯一の方法なのだ。

「良い仲間を持ったじゃねーか。後輩相手に大人気ねーけど、ちと羨ましくなっちまったぜ」
「ああ、俺の自慢の仲間だ。……心配性な師匠を持つとかえって気苦労も多いけどな」

 隣に在って同じ道を共にするイーライもアルフレッドの意思を汲んでくれている。
 力強く頷いてくれる彼の心配りが、勝利へ踏み出さんとする意志を一層昂揚させた。





「――彼らはどうかな、クリッター軍団は。今頃はもう合流してるかな?」

 神経を逆撫でする事態と言うものは、常に最悪の状況で訪れる。
現在のボルシュグラーグが、まさにその典型であった。
一刻も早くバブ・エルズポイントへ戻らなくてはならないと言うときにモバイルが着信を告げたのだ。
 取るに足らない相手からの電話であれば黙殺しても構わなかったのだが、如何せん着信の相手はアゾットだ。
作戦上の急報と言う可能性もある為、無視するわけには行かない。
 部下だけを先行させ、已むなく立ち止まったボルシュグラーブは、受話口から流れてきた愉快げな声に対して、
思わず「それはどう言う意味ですか! 何のつもりなんだッ!?」と声を荒げてしまった。
 本来、年長者相手に不遜な態度を取るような性格ではないのだが、それだけ切羽詰っていると言うことだ。

「意味も何も援軍だよ。バルムンク君が苦戦するだろうと思って、
先にバルムンク君のボディーガードをお願いしといたんだけど」
「……先≠ノ?」
「例の『協力者』にね。キミがブクブ・カキシュを発ってすぐ後くらいかなぁ――
何が起きるか分からないから、とりあえず離れ島の地下で待機しといて貰ったんだ。
クリッターの皆さんは人間と違って、本当に地下に潜伏していられるんだから羨ましいね。
人間と違ってトンネルもシェルターも要らないし」
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなこと、自分は何も聞いていませんが! 
……しかも、『協力者』!? それって、例の――」
「『敵を欺くには先ず味方から』と言うじゃないか。キミたちにも真剣に抗戦して貰わないと、
敵さんを騙し切れないからね。コールタンさんが言う危ない連中は必ず奇襲で来ると思ったし、
相手に自分たちの優勢だって勘違いして貰わないと。……で? 奇襲を奇襲でやり返された相手は、
今、どうなっているんだい?」
「……アゾットさん……」

 アゾットの話にボルシュグラーブは唖然としてしまった。
 増援として出現したクリッター軍団は、てっきりアサイミーあたりが操作しているものと考えていた。
彼女はバブ・エルズポイントの警備に意欲を見せており、
ボルシュグラーブが推薦される前には自ら立候補までしていたのだ。
 ところが、だ。クリッターの群れを差し向けたのは、アサイミーではなくアゾットの独断であると言う。
しかも、口振りからしてボルシュグラーブが負けることを見越していたとしか思えない。
彼の手には負えない相手だと看做した上で、伏兵を置いていたようなものである。
 それはつまり、ボルシュグラーブ程度の力量ではバブ・エルズポイントを守り切れないと嘲ったことに等しかった。
 作戦遂行に不可欠な情報を伏せられていた為に起こった混乱と、
何よりも屈辱に打ちのめされたボルシュグラーブは、辟易したような面持ちで通話を打ち切った。
 クリッターの協力≠ノよって戦況が好転したのは事実だが、素直に喜ぶことが出来ない。
周到にも程があるアゾットの手配りへ感謝することさえ出来ない。
 いつもの悪癖が疼いたのだろうと、ボルシュグラーブは苦々しい溜め息を吐いた。
「勝利とは、五分を以って上とし、七分を以って中とし、十分を以って下とする」とは、
アゾットが最も好む軍略の教えだが、彼の場合は合戦自体を遊戯のように弄ぶ傾向がある。
 将兵の弛緩を防ぎたいと言う理念は解るのだが、その為には犠牲の数を増やしても構わないと言う思考だけは、
どうしてもボルシュグラーブには容認出来なかった。
 正規兵ではない為、後方に控える筈だったエトランジェの隊員たちも、今では激戦の渦中へ飛び込んでいるのだ。

(兵士の命を駒のように見立てることなんか出来るわけないだろう!? 彼らの人生は玩具なんかではないんだ……!)

 最初の奇襲によって犠牲となった将兵へ改めて黙祷を捧げたボルシュグラーブは、
やり切れない思いを胸に抱えたまま、己の任務へと戻っていった。
 如何なる事情が背後に秘められていようとも、蟠りが心を軋ませようとも、
ギルガメシュ最高幹部――アネクメーネの若枝である彼は、バブ・エルズポイントを守らなくてはならなかった。


 一方、グンガルが率いるテムグ・テングリ群狼領本隊は、
突如として出現したクリッターの群れに翻弄されてしまっていた。
 それは一瞬の出来事であった。ビアルタの隊と挟撃に攻めたことで敵陣は崩れたものと見えていたのだ。
一気呵成に攻め抜き、押し切れると確信した直後、合戦場に程近い場所で泥濘が盛り上がり、
そこから無数のクリッターが飛び出して来たのである。
 クリッターの出現場所は、本隊の横っ腹に近い。グンガルが怪異へ気付いたときには、
亜人(デミ・ヒューマン)型のクリッターが肉薄して来ていた。
 『ボーグル』と『コボルト』の二種である。それぞれ二、三〇は固まっている。
 狂犬の如き頭部を持つコボルトは、両脚がキャタピラと化している為に極めて俊敏で、
斬り込み部隊となってテムグ・テングリ群狼領の本隊へと雪崩れ込んでいく。
 コボルトに比して力で勝るボーグルは陣形が崩れた頃合を見計らって攻め寄せ、
手にした棒切れや岩を振り下ろすのだ。
 原始的な武器であるからこそグンガルたちにも防ぎようがあったが、
ボーグルの手にギルガメシュの使う光線銃が在ったなら、おそらくは最初の攻撃で馬軍は壊滅していただろう。
 横っ腹を突かれた後は完全な乱戦と化した。本隊も別働隊も、クリッターもギルガメシュ兵もなく、
合戦場に在る誰もが泥と血に塗れて生命を奪い合う。
 この場はクリッターにとって圧倒的に有利であった。暴風雨による視界の悪さになど影響されず、
精密に砲弾を撃ち込んでくるのだ。
 クリッター軍団の砲撃手≠ヘ、全身の大部分が砲台と化している『オーカス』である。
四肢を突いて大地に踏ん張りを利かせ、鼻腔に当たる部位へ設けられた二門の砲身より鉄鋼の弾を発射するのだった。
 その砲門の内部へ収まるのは、『フライシュッツ』なる変り種だ。
 鋼鉄の輪に四肢が付いたかのような小型クリッターなのだが、
地中から吸い上げた砂鉄を凝固し、自らを一個の砲弾に変身させると言う性質を持っていた。
言わば、弾頭型のクリッターなのである。
 オーカスの砲門から敵陣に飛来した瞬間、フライシュッツの生命も砕け散るのだが、
天敵を屠る為ならば、己を犠牲にすることへ些かも躊躇わないようだ。
 フライシュッツによってクリッター側の砲弾は、事実上、無限となっている。
一発ごとの威力も桁外れであり、ときにギルガメシュ兵まで巻き込んでグンガルたちを脅かしていった。
 『セントエルモ』と呼ばれる浮遊型のクリッターも厄介だ。
水晶型の核、浮遊装置、これらを覆う三つの外殻――複数の有機体で一組と言う奇妙な種であり、
夜天を自由自在に飛翔し、地上の天敵へと凄まじい火炎を吐き掛けるのである。
 核より発せられる命令に応じて外殻の様相が変化するのだが、
この可動は攻撃や警戒迎撃など様々な状況に応じたもの。飛行時には外殻が鮫の頭部のように組み合わさるのだった。
 俗に『シャーク』形態とも呼ばれる飛行突撃状態では、後方から真っ赤な炎を噴出させていた。
 グンガルたちにとっては、その炎こそが苦戦の種である。
強烈な光を放つ赤い帯はテムグ・テングリ群狼領の目を眩ませ、同時にボーグルやコボルトの前途を導いている。
言わば、亜人型の灯火なのだ。
 しかも、セントエルモの炎は雨滴に晒されても決して消えることがない。

(何なんだ、こいつらは……ッ!?)

 グンガルは心底より湧き上がってくる戦慄を抑え切れなかった――と言っても、己の劣勢に恐怖したのではない。
余りにも統率が取れているクリッターの群れに驚愕を禁じ得なかったのだ。
 両帝会戦の折にもギルガメシュはクリッターを投入したが、グンガルが知る限りでは各々勝手に動いていた筈である。
そもそも、クリッターに指揮系統など理解出来るとも思っていなかった。

(……その甘えに、油断に、足元を掬われたと言うことか……ッ!)

 しかし、現実はどうか。泥濘より現れたクリッターの群れは、明らかに戦略に基づいて行動している。
何者かによる統率以外には考えられない事態であった。
 つまり、罠に陥れられたのはテムグ・テングリ群狼領の側であったのだ。
ここまで連携が取れるような部隊≠ナあれば、陽動作戦を謀ることは造作もなかろう。

(……しかし、あの輪のような塗装は何だ? どいつもこいつも、同じ紋様を付けていたが……)

 戦いの最中、グンガルはクリッター軍団にひとつの共通点を見つけた。
彼ら覇身体の表面に不可思議な紋様を描いている。風雨に曝されても消えない塗料で、だ。
 しかし、そのことを細かく分析していられる余裕など絶無である。

「は、話が違う! どうしてこんな、クリッターなんて……失策じゃないかッ!」

 将兵の誰かがアルフレッドへの批難を口にする。伏兵を読み切れなかった彼に恨み言をぶつけ、
心の均衡を保ちたかったのだろう。何かを捌け口にして恐怖や混乱から脱すると言うことはままある――が、
そのような振る舞いは誇り高き馬軍にとって恥ずべきものであり、グンガルとしても聞き捨てならない。
 これを戒めたのは、意外にもビアルタであった。御曹司を救うべく本隊へと合流していた彼は、
今し方の声の主に向かって「策に頼り切りで情けなくはないか! 合戦場では己の心技体しか頼みはない! 
軍略とは地図を描く行為に過ぎん! それを元に道を拓くのが我らの務め! 容易く拓ける道などあるものか!」と、
大喝を張り上げた。
 アルフレッドの擁護ではなく、あくまでも馬軍の将としての心得を説くのみであったが、
この場に於いては何よりも効果的であろう。急速に低下しつつある将兵の士気を高めることが急務なのだ。
 現にビアルタは他の誰よりも奮起し、ギルガメシュ兵とクリッターの群れを同時に相手している。
馬上ボウガンでもってコボルトどもを次々と狙い撃ちにし、
矢が尽きると曲刀を抜き放ってギルガメシュ兵に向かっていった。
 誰よりも素早く合戦場を駆け巡り、最も激しく猛攻している。馬軍の将として皆に規範を示す覚悟なのだ。

「御曹司! ここは自分にお任せあれッ! このような雑魚ども、ひとりでも蹴散らしてくれましょうぞッ! 
御曹司はお下がりくださいっ!」
「バカを言うな、ビアルタ! 友人たちも命を賭して刃を振るっているんだ! 
ひとりだけ情けない真似など見せられるものか!」

 尊敬するアルフレッドの為、新たに絆を結んだ友の為、力の限りファキーズ・ホルンを振るうグンガルだったが、
彼の得物は非常に大型であり、扱いをしくじると味方まで傷付け兼ねないのだ。
 猛々しい獣角を取っ手の両端へ一本ずつ取り付けたこの刺突武器は、
陣形が乱れ切った状態では振り回すことさえ困難になる。
 新たに押し寄せてきたギルガメシュ兵を串刺しに仕留めるべく渾身の力を振り絞るグンガルだが、
彼の目の前に突如としてビアルタが飛び出してきた。
 この猛将は戦うことへ夢中になる余り、周囲の状況すら判らなくなっているようだ。
御曹司の動きに一度でも気付いていれば、彼の攻撃を妨げるような真似はしない筈である。
 咄嗟の判断で腕を引き、ビアルタを串刺しにすることだけは避けられたものの、
大きな重量と、これによって生じる反動がグンガルへと圧し掛かり、一瞬ながら無防備になってしまった。
 刹那、グンガルは光線銃でもって左太股を撃たれ、思わず膝を突いてしまった。
体勢を崩し、且つ片足だけではファキーズ・ホルンの重みに耐え切れなかったのだ。
 ビアルタが懸命になって庇うことから一廉の将――無論、プールの将として――と看做されたのだろう。
何匹ものボーグルがグンガルに向かって殺到していった。
 当のビアルタは過剰に突出した挙げ句、ギルガメシュ兵に囲まれて身動きが取れなくなってしまい、
御曹司が置かれた絶望的な状況をただ眺めていることしか出来ない。
 最早、これまで――と覚悟を決めるグンガルであったが、
次の瞬間、彼に迫っていたボーグルどもは何処かへと吹き飛ばされていた。

「たかがクリッター風情、稽古の相手にもならん――」

 グンガルの眼前にひとつの『影』が立ったのは、戦死の覚悟を決めた直後のことである。
 その『影』はグンガルが顔を上げる前に再び動き、仲間の支援に駆けつけたコボルト、
次いで上空のセントエルモをも瞬く間に平らげていく。
 しなやかな腕から突き込まれる拳が、鞭の如く撓る蹴りが、ただの一撃だけでクリッターどもを粉砕していった。
全身から迸る蒼白い火花は夜の闇にも映え、暴風雨の中で稲妻のように煌いている。
 カーキ色の軍服に身を包んだ兵士たちが包囲網を尽くし始めると、
その『影』に宿った殺気は残忍な色を帯びて膨らんでいく。
 正面にいた男の腕を捻り上げるや否や、微塵の容赦もなく圧し折った。
 それだけでは攻め手は終わらない。苦悶するその兵士の首を脇に挟むや否や、
何の躊躇いもなく捻じ切る――いずれも『コマンドサンボ』と呼ばれる格闘術の妙技である。
 『影』の正体に気付いたギルガメシュ兵たちは一斉に仰け反った。
 合戦場へと飛び込み、グンガルの窮地を救った『影』は、
ギルガメシュ内部でも極めて警戒を要する人物として知れ渡っているのだ。

「あ、貴方は……!」
「――義によって助太刀致す……とでも言えば満足か?」

 白虎を模した上着にだんだら模様の腰巻、更にはオープンフィンガーグローブや相貌全体を覆うゴーグル――
嵐の中の合戦へと舞い降りたのは、パトリオット猟班を率いるシュガーレイ隊長その人であった。




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