18.宣戦布告


 パトリオット猟班のシュガーレイ隊長がトリスアギオンの存在を初めて聞かされたのは、
これを阻止する決死隊の編制が完了した直後のことである。
 当時、寒村の警護に当たっていた彼のモバイルにジェイソンから着信があったのだ。
 史上最大の作戦にも関わるような重要な報告がアルフレッド以外の人間からもたらされるのも奇妙だが、
何よりもシュガーレイを驚かせたのは、ジェイソンが決死隊へ加わりたいと懇願してきたことだった。
 ギルガメシュ打倒を目指してスカッド・フリーダムから分離したパトリオット猟班であるが、
現在は連合軍へ参画した諸勢力の加勢に飛び回っている。
 これもまたアルフレッドが立てた史上最大の作戦の側面支援(サポート)である。
作戦遂行に向けた多数派工作に際して、戦力に不安があるような小さな町村を、
パトリオット猟班による補佐を条件に抱き込んでいたのだ。
 隊員の内、ミルドレッドとモーント、そして、シュガーレイ隊長は、既に警護を始めている。
彼らを追いかける恰好でジャーメインも自身の任地に赴いていた。
 ジェイソンは赴任を延期して佐志に留まり続け、今度は課せられた任務を放棄して異世界に渡ると言い出したのだ。
 パトリオット猟班の第一義はギルガメシュの根絶であり、
トリスアギオンの阻止はそこから大きく外れるものではない――が、ジェイソンにも隊員としての責任がある。
隊長としては任務を放り出そうとする者を許すわけにはいかなかった。
 それなのに、シュガーレイの心には怒りも憤りも湧いて来なかった。叱声を飛ばそうとも思えない。
 モバイル越しに聞こえてくるジェイソンの声が、今までになく真剣であったからだ。
いつも調子で「Aのエンディニオンに行きたい」などと言い出したのであれば、
シュガーレイは取り合おうともしなかった筈である。
 パトリオット猟班の一員ではあるものの、実はジェイソンはギルガメシュに対する恨みは強くない。
己を鍛えることにしか関心のない彼は、さながら腕試しのような感覚でシュガーレイに随伴してきたのだ。
 スカッド・フリーダムの隊員をも容易く屠ってしまうギルガメシュと正面切って戦えば、
今よりずっと強くなれるだろう――それがジェイソン・ビスケットランチと言う少年の望みであった。
 そのジェイソンが、今、自分以外の為に拳を振るおうとしていた。
詳しく事情を尋ねると、彼はシェインを助けてやりたいのだと言う。

「シュガーの兄キも知ってると思うけど――あいつ、故郷を焼かれた上に幼馴染みまで攫われてるんだよ。
その子を助ける為に剣を習ったんだって言ってた。初めて会ったときよりも強くなってきたけど、
まだまだギルガメシュには歯が立たねぇ。下手すりゃ、幼馴染みを助け出す前にやられちまうかも知れないんだ。
でも、あいつは絶対に止まりっこない。故郷の仇を討って、幼馴染みを助け出すまでは――
その為には誰かが随いててやらなきゃならないんだ。……オイラが助けてやりたいんだよ」

 重い宿命を背負った友の力になりたいと、ジェイソンは真摯に語った。
その最中、ただの一度も、「技を磨く為に戦いたい」と口にすることはなかったのである。
 暫しの逡巡の後、シュガーレイはひとつだけジェイソンに尋ねた。

「己の生命をその少年の為に使いたいと言うんだな? それがお前自身の『義』だと――」

 その問い掛けに対して、ジェイソンは一瞬たりとも迷うことなく「応ッ!」と答えた。
 鼓膜より入って心の奥底まで響くような凛然とした声であった。

「勝手過ぎるって怒られるのは分かってる。どうしても許さねぇって言うんなら、
パトリオット猟班から追い出してくれたって、縁を切ってくれたって構わねぇ――
それでも、オイラはあいつの傍にいてやりたいんだ。……オイラの、大事な親友なんだよ」

 ジェイソンが生まれて初めて口にした、揺るぎない決意の言葉である。
 スカッド・フリーダムを離れるとき、彼は「こんなカビ臭いところに居たんじゃオイラまでダメになっちまう。
世界のてっぺんなんか目指せるもんかよ」と、笑いながら大言を吐いたものだ。
 しかし、今回はどうだ。親友を支えたいと語るジェイソンは、義の心を研ぎ澄ませていたではないか。
義の戦士を名乗るに相応しい魂を宿したのである。
 それ故にシュガーレイはジェイソンの決意を酌み、決死隊への参加を容認した。
あまつさえ、その船出≠見届けるかのように嵐の海を渡り、乱戦の場に舞い降りたのだ。
 我ながら莫迦なことをしている――との自覚もある。ミルドレッドとモーントにも事情を説明し、
本来、ジェイソンが請け負うべきだった任地を彼らに振り分けていた。
 ジェイソンの決意を聞かされたミルドレッドは、「あいつにもやっと戦う理由が出来たってワケかい」と大喜びだ。
 感情の振幅が小さいモーントは、彼女のように大きな反応こそ見せなかったものの、
親友を支えたいと言う気持ちだけは理解出来た様子である。
 そのモーントは、現在、シュガーレイの任地たる寒村をも守っている。
隊長が留守にしている間だけ、己の任地と掛け持ちしようと言うわけだ。
 これはモーントからの提案である。両者の任地が近かったこともあり、

「隊長とジェイソンが羨ましいのかも知れない。空っぽなぼくには、そういうの≠ェよく分からないから。
だから、ぼくの分までジェイソンを見送ってきて欲しい。ぼくもそれを望んでいるに違いないんだ」

 打ち合わせの為に合流したモーントは、そう言ってシュガーレイを送り出していた。
 相変わらず抑揚の薄い声であったが、自分の分までジェイソンを見送って欲しいとの言葉だけは、
シュガーレイの心に深く刻み込まれ、海を泳いでいる最中にも繰り返し想い出されたのだ。
 モーントが何を以ってそういうの≠ニ語ったのかは分からないが、
もしかすると、人間らしい感情や、誰かの為に命を賭けられる熱い心を羨ましがったのかも知れない。
 当のシュガーレイは自嘲を含めた薄ら笑いを浮かべるしかなかった。
 今の彼が命を賭けられるのは、ギルガメシュを根絶やしにすると言う戦い――ただそれだけなのだ。
 「見送り」とは雖も、最初からジェイソンに加勢するつもりはなく、
バブ・エルズポイントに血の匂いを嗅ぎ付けたに過ぎないのだ。少なくとも彼自身はそう考えている。
 そもそも、だ。復讐の狂気に身を堕として義を捨てた自分には、人間らしい感情など残されている筈がない。
復讐を遂げる為だけにスカッド・フリーダムを抜け、最愛の妻にも離別を言い渡したのである。

「――応援、感謝します。お陰で命拾いしました」

 窮地を救われたグンガルが礼を述べても、シュガーレイは――人間らしい感情を捨て去った復讐の鬼は、
一瞥すらしなかった。彼の興味は、次に討つべき標的にしか注がれないのだ。

「別にお前たちを助けるつもりはなかった。俺は俺のやりたいように戦うだけだからな。
……同じ敵を倒すのは構わんが、邪魔だけはするなよ」

 素っ気なく言い捨てたシュガーレイは、「御曹司に向かって無礼な!」と喚くブンカンを黙殺して
クリッターの群れの只中へと飛び込んでいく。
 攻め寄せてきたボーグルとコボルトを冷たい眼光で射抜くと、磨き上げた武技でもって悉く返り討ちにした。
 打撃を以って動きを止め、そこから瞬時に間合いを詰めて頭を掴み、一気に頚椎を圧し折る。
両眼を抉って引き摺り倒した上、容赦なく頭部を踏み潰す――繰り出される技は、いずれも苛烈である。
 恐れを為して後退したボーグルどもには目もくれず、オーカスに向かって飛び跳ねたシュガーレイは、
ホウライの稲光を纏った脚でもってこれを踏み付け、一撃で脳天を砕いてしまった。
 別のオーカスにも蒼白いスパークで強化された拳を、脚を打ち込み、次々と粉砕していく。
 その隙を狙おうとギルガメシュ兵の一部が光線銃を撃発したが彼らは自身の短慮を冥府にて悔やむことになった。
素手で首を捻じ切られるなど、最も惨たらしい死に様である。
 雨滴と返り血で濡れそぼったゴーグルを指先で拭う頃には、
クリッターどももギルガメシュ兵も、シュガーレイのことを遠巻きに眺めるのみとなっていた。
 彼の足元には幾十もの遺骸――クリッターと人間を問わずに、だ――が転がっている。
周囲の敵を竦ませるには、ただそれだけでも十分であろう。

「今こそ反撃の好機だ! 戦え、テム――プールの勇者たちよッ! 
このような有象無象ども、力任せに蹴散らしてしまえッ! 行けッ!」

 シュガーレイが奮戦している間にグンガルは陣形を建て直し、一隊を残存するクリッターへと差し向けた。
ギルガメシュに反撃を見舞うにしても、危険なクリッターを側面には残しておけないのだ。
 喊声を上げて突撃していくテムグ・テングリ群狼領――もとい、プールの将兵の只中に佇むシュガーレイは、
宵闇の向こうに奇怪な人影を見つけていた。
 幼い頃から感覚神経を鍛えて育つタイガーバズーカの戦士は夜目も利くのである。

(……なんだ、あれは……)

 シュガーレイの双眸が捉えた痩せぎすの人影は、どう言うわけか、細長い両腕を振り子の如く揺らしていた――。





 前衛の指揮を副官に任せ、バブ・エルズポイント内部へと引き戻したボルシュグラーブが
侵入者によって占領されたと言う区画へ駆け付けたのは、ローガンたちが陣幕を張り終えたのとほぼ同時であった。
 セフィの爆薬で壁に穿たれた穴を覆い隠す陣幕は、
まさしくこの場所こそがバブ・エルズポイント攻略の本陣≠ナあることを主張していた。
 彼と共に追っ手の迎撃に当たる筈であった者たちは、何処かに出払っているのだろうか。
本陣≠ノは守孝以外の誰の姿もなかった。
 陣幕には貝殻と白波をあしらった佐志の紋様が染め抜かれている。
 その紋様を背にし、床机と呼ばれる簡易式の椅子に腰掛けた守孝は、ボルシュグラーブが駆けつけたと見るや――

「我こそは佐志が長、少弐守孝なり。お手前がたギルガメシュへ申し上げたき儀これあり。
我ら作法を知らぬ武辺の者にて槍刀を以ってしてこれを示さんと望むものなり」」

 ――と大音声で名乗りを上げた。
 一度だけ鉄火を交えたものの、これまでの佐志はギルガメシュに歯向かう勢力とは看做されていなかった。
それ故にコールタンはトリスアギオン阻止の尖兵として、佐志に目を付けたのである。
 しかし、これからは違う。佐志の大将として守孝が名乗りを上げたからには、最早、平穏無事ではいられまい。
 名槍、『蜻蛉(トンボ)切り』を水平に構え、その穂先をボルシュグラーブへと向けた守孝は、
この一戦を以ってギルガメシュに対する佐志の総意を――総力を結集して戦い抜くと言う決意を示すつもりなのだ。
 これこそ佐志の宣戦布告であった。

「――佐志の村長か。なかなかの武人と見受ける。……では、貴殿に尋ねたい。
我々の目的が難民の救済にあることはご存知でしょうね」
「無論。某とて全くの無学ではござらぬ」
「我々の大義を知りながら、どうして邪魔をするのです。あなたは道徳と言うものを心得ているように思えるのですが、
難民を排しても構わないのですか? 人命の救済に異を唱えるおつもりなのか?」
「ならば、某からもお伺いしたい。我らが父祖伝来の土地を血で汚したのはどちらでござろう。
静かなる我が海、我が山を蹂躙せしめたのはどちらでござったか。
……他者の道理を己が道理で塗り替えんとする不逞の輩に与することなど、どうして出来ようか。
我らの義がそれを許さぬのでござるッ!」
「成る程――それは抗戦に値する理由だ」

 ボルシュグラーブも長柄のグレートアックスを水平に構え、
自身に向けられた槍の穂先へ合わせるように守孝へと突き出した。
 守孝の持つ蜻蛉切りに勝るとも劣らぬ見事なグレートアックスだ。
 あちこちから張り出したケーブルや近代的なリベット、溶接後などが目立つ為か、
機械的な印象が強いものの、肉厚な刃は持ち主の手入れが行き届いた物である。
 刃を防護するようにして被せられた銀製のカバーが素晴らしい。
 猛虎を模った銀細工が施されており、獰猛な牙のようにも見える肉厚な刃と相まって、
見るものに強烈な威圧感を与えた。
 蜻蛉切りの相手として、まさに不足のない相手である。
 金属同士の擦れ合う音が両者の鼓膜を打つ――それが開戦の合図となった。

「謝罪はしない。自分にも自分の信念がある。だから――せめて全身全霊をもって
あなたの怒りに応じようッ!」
「在り難しッ! ならば我が身をもってお示し申すッ!! ……少弐守孝、いざ参るッ!!」
「応ッ!!」

 刹那、守孝の蜻蛉切りとボルシュグラーブのグレートアックスが火花を散らした。
 半歩下がるや、初手より放たれた強烈な突きを鋼鉄製の柄で弾いたボルシュグラーブは、
両手で振り回すようにして大戦斧を繰り、轟々と風を切る刃で縦一文字に攻め返した。
 グレートアックスの肉厚な刃に比べて細い穂先と木製の柄でこの重撃を受け止めた場合、
武器破壊の危険があると判断したのだろう。守孝は素早く身を翻し、振り落とされた縦一文字を避けた。
 フツノミタマのような速度に長けているわけではない為、
グレートアックスの刃先が僅かに鎧の胸部を掠め、新たな火花を散らした。
 躱し様、己の足元に向けて伸びるグレートアックスの柄を蜻蛉切りの柄で叩きつけた守孝は、
その程度でボルシュグラーブの体勢を崩せぬと見切るや、今度はやや角度を下げて穂先を振り抜いた。
 鋭利な穂先でもって脛を切り裂くように見せかけ、柄で足元を絡め取ってしまおうと言うのだ。
 妙技とも言える搦め手ではあったが、ボルシュグラーブとて武技には人並み以上の心得がある。
守孝の目論見を完全に読み通し、迫り来る柄を後方への一足飛びで見事に避けた。
 避けながら、逆襲とばかりにグレートアックスを横一文字に振り抜いたのだが、
刃が届かなかったこともあり、これも守孝の星兜を掠るに留まった。
 一瞬の油断が命取りになる――極度の緊張が張り詰める中、
守孝とボルシュグラーブは激しく得物をぶつけ合い、その都度、赤熱の火花が爆ぜて散った。
 戦いの最中、ボルシュグラーブは援護射撃をしようとライフルを構えた部下に手出し無用と言い放った。
一対一の戦いを汚す真似を控えるよう制したのだ。
 己が上官の侠気に心震わし、感嘆の溜め息を吐くギルガメシュの兵卒たちだったが、
彼らにとっては、それが今生で吐く最期の一息となった。
 銃口を下げた直後、陣幕の裏から飛び出してきた奇襲者たちの手にかかり、
ひとり残らず絶息させられてしまったのだ。
 一対一で挑んできた武人へ尽くした誠意を、このような形で踏み躙られるとはボルシュグラーブも想像しておらず、
自分を取り囲むようにして散開した佐志の手勢に「卑怯なッ!」と罵声を荒げた。

「卑怯ゥ!? バッカじゃねーの、お前ぇッ!! 殺し合いにルールもクソもあるかぁッ!! 
健全なスポーツで遊びたいんならぁ、体育館でも行けってんだよぉぅッ!!」

 仁義も何もあったものではない撫子の悪言にボルシュグラーブは歯軋りする。
 守孝を気骨の通った武人と認めた自分が浅はかであったと悔やみ、憎悪に満ちた眼差しで彼を睨み据える。
そこに見つけたのは、苦みばしった表情だった。
 卑怯者と言う罵声に最も痛みを受けているのは、他ならぬ守孝であった。
 生粋の武人たる守孝もこの奇襲戦法には不同意だった様子だ――が、
卑怯者≠フ進言を受け入れ、これを実行に移している以上は、彼の本心など酌量には値しない。
 武人を名乗るのもおこがましい、見下げ果てた卑劣漢なのだ。

「あくまでも非道を貫くつもりなら、こちらも相応の用意で対するのみ。
……本来なら民間人相手に使う代物ではないが、貴様らは確かな敵性勢力と見なす。
卑劣と罵るなら好きにしろ。オレは甘んじてその汚名を受けよう――」

 言うや、ボルシュグラーブはグレートアックスを大上段に振りかざした。

「――我がMANA、『ディスメンバー』の真(まこと)の姿、篤と味わえッ!!」

 ボルシュグラーブの発した吼え声が合図であったかのように、
グレートアックスの先端に凝らされていた猛虎の銀細工が加熱された鉄のように溶け出し、
次いで粘土の如く蠢き、それまでとは全く別の形状へと変化した。
 波打つ液体金属が固まり、ディティールがまとまる頃には、銀製のカバーが被さっていた部分――
つまり、刃とは反対側に大型ハンマーが精製されていた。
 彼はこの新たな武器を『光爆反応装甲型ハンマー』と丁寧にも一同へ紹介した。
 常識では考えられない、驚くべき変容を見せる銀細工であったが、
ヒューたちはこれと同様のものを既に見知っており、驚愕して騒ぎ立てることもなかった。
 ボルシュグラーブが自己申告した通り、彼の得物であるグレートアックスディスメンバーはMANA。
ニコラスのガンドラグーンが別のモードへシフトする際に見せる変形と
ディスメンバーのそれはそっくり同じであった。
 この段階では、「どのMANAも変形の方法は同じなのか」と言うような感想しか抱かず、
さして驚くようなこともなかったのだが、瞠目させられたのはこの直後である。
 一種のアタッチメントのようにグレートアックスへ新たな武器を付属させたボルシュグラーブは、
油断なく間合いを詰めてくる敵勢へこのハンマーを渾身の力で振り落とした。
 大戦斧と一対になる格好で精製された『光爆反応装甲型ハンマー』は、
その名が表す通り、槌の表面が何かに接触した瞬間、凄まじい爆裂を起こす仕組みが施されていた。
 ガンドラグーンやエッジワース・カイパーベルトと同様に内部にCUBEが組み込まれているのだろう。
爆裂に用いられたのは、火薬ではなくCUBEから供給されるエネルギーのようだ。
 『光爆反応装甲型ハンマー』の直撃を両の腕でガードしたローガンの周囲では、
火花のように散った光の粒子が明滅を繰り返している。
 数秒で途絶えた明滅は、さながら蛍火のように儚く美しいものであったが、今は戦闘の最中。
侘びた風情に浸っている場合ではなかった。
 『光爆反応装甲型ハンマー』と言う名称に危険なものを感じ取り、
篭手の上にホウライを纏わせ、防御を固めていたから良かったものの、
無策で受け止めたなら、本当に両腕が吹っ飛んでいたかも知れない。
 ホウライの炸裂によって爆裂を減殺させられたことも致命傷を免れた要因である。

「――まだ終わらんッ!」

 黒煙と言う爆裂の余韻を引き裂くようにして振り抜かれた第二撃こそが
ボルシュグラーブの大本命だったのだろう。
 ローガンが弟子を持てる程の達人でなかったなら、黒煙によって視界を妨げられた瞬間、
胴と首とが分離していた筈だ。
 微かに聞こえた軍靴を滑らす音と、黒煙の向こう側より伝わってくる殺気から追撃があると悟ったローガンは、
反射的に身を屈めて横薙ぎに備えた。
 案の定、グレートアックスの刃が身を屈めた彼の上を轟然と通り過ぎていく。

「久しぶりに冷や汗掻いてもうたわや! 間一髪やんけ!」

 ボルシュグラーブのグレートアックスは、ローガンの予想を遥かに上回る速度で振り抜かれていた。
 しかし、避けてしまえばこちらの物である。
 グレートアックスのように長大で重量のある武器は、一度、渾身の力で振り抜いてしまうと、
次の行動へ移るまでに相当な時間を要する。
 その間隙を縫い、ローガンはボルシュグラーブへ痛烈なアッパーカットを見舞った。
 地面を擦るようにして振り上げられた拳は鉈のように鋭く、
直撃を被ったボルシュグラーブの身体が宙へ浮き上がる程であった。
 常人であればこの一撃で意識が粉砕されるところだ。鍛え上げられた格闘技者であったとしても、
身体が浮き上がるような強撃を喰らおうものなら、確実に脳まで振るわされ、相当なダメージも残るだろう。
 ところが、ボルシュグラーブはローガンのアッパーカットなど物ともせず、
意識を失うどころか、闘争心に燃える瞳で彼を睨め付けた。

「甘く見られたものだな、アネクメーネの若枝も――」
「なんやてッ!?」

 右手一本でグレートアックスを繰り出していたボルシュグラーブは、
柄に掛けた指を僅かに滑らせ、石突のあたりで再び握り直すと、今度は内側に向かって長い柄を振り戻した。
 振り戻した柄を右手と左手でしっかりと握り締め、これを引き付け、打ち据えることによって、
懐に囲い込んだローガンの頚椎を圧し折ってしまうつもりだ。
 ボルシュグラーブの狙いを見抜いたローガンは、身を屈めるなり彼の爪先目掛けて強烈な蹴りを打ち込み、
その反動を使って後方へと逃れようとする。
 低い姿勢から後方へ跳ねようとするローガンの援護の為、
ボルシュグラーブの背後からレイチェルのジャマダハルが襲い掛かった。
 ヒューも右に『RJ764マジックアワー』、左に手錠を携えてこれに続いている。
 源八郎も源八郎で間合いの外からスナイパーライフルの照準を合わせていた。

「――見縊(くび)ってくれるなッ!」

 傍目には絶体絶命の状況だが、ボルシュグラーブは焦りひとつ見せはしない。
 先ず身を屈めたローガンの顔面を逆に蹴り返し、瞬時に身を翻すと、
背後に迫っていたレイチェル、ヒューに向き直り、遠心力をたっぷり加えた横薙ぎを見舞った。
 回避が難しいと悟ったレイチェルは刀身に宿らせていたプロキシの力で突風を起こし、
これによってグレートアックスの勢いを減殺、更に横へ跳ね飛ぶことで、
刃を受け止めた際に襲ってくる衝撃の緩和を試みた。
 木の葉が風の流れに逆らわぬように、打ち込まれてくるグレートアックスの軌道に逆らわないと言う機転は功を奏し、
ジャマダハルにて刃を受け止めた際には手首を折ることもなく、腕に少しばかり切り傷を作る程度で済んだ。

「……その術は――」
「あら、興味津々? でも、残念。お姉さんの秘密≠ヘそんなに安くないわよ?」
「なァにがお姉さんだ、トシ考えろ! ……てめぇもてめぇで、人のカミさんに色目使ってんじゃねーよッ!」

 レイチェルの無事を確認したヒューはすぐさま反撃に移り、ボルシュグラーブの左手首へと手錠を投げ付ける。
 通常の物に比べて鎖の部分が長く、犬のリードのように繰って捕縛した敵の自由を封じ込められる特注の一品だ。
 残念ながら、ボルシュグラーブの手首は捉えられなかったものの、
鎖でもってグレートアックスの柄に絡ませることは成功した。
 敵の動きを封殺させることを考えれば、まずまずの結果だ――ほくそ笑むヒューだったが、
次の瞬間には自分の考えの甘さに落胆することになる。
 ヒューの狙い通りにはさせまいとするボルシュグラーブは、グレートアックスを空中へ放り投げ、
自らの得物に向かって「ポールアックスからフランキスカへの変形を承認する」と命じた。
 刹那、グレートアックスは鉄の塊へと姿を変え、瞬く間にハンドアックスへと変形したではないか。
 自然、柄も小振りな物に変わる。ヒューの絡ませていた鎖は短くなった柄から滑り落ちた。

「おいおい、何でもアリかよ。馬の骨のMANAだって、ここまでデタラメじゃなかったぜ!」
「さすがはギルガメシュのテクノロジーってところかしら! やりにくいったらありゃしないわね!」

 飛来してくるハンドアックスを抜かりなく掴まえたボルシュグラーブは、
源八郎が撃発した銃弾を一閃でもって両断し、狙撃に合わせて攻め入ってきたローガンと守孝を、
それぞれ回し蹴りで跳ね飛ばした。
 背後に新たな殺気を感じ取ると、ハンドアックスからグレートアックスへとすぐさま変形させ、
脇から背後へと先端を突き出し、ジャマダハルと蜻蛉切りの動きを牽制した。
 レイチェルと守孝がたじろぐ様を振り返りもせずに感じ取ったボルシュグラーブは、
急速に身を旋回させると、グレートアックスを水平の構えに戻し、己を取り囲む者たちへ警戒の目を光らせる。

「お孝さん、怪我はねぇかい?」
「今のところは五体満足でござ候。……源さんの骨折りに応えられず、すまなんだ」
「なァに言ってぇ。こんな化け物相手じゃどうしようもねぇって。俺ぁ、もう背中にびっしょり汗掻いてら」

 ――ギルガメシュ最高幹部、アネクメーネの若枝。
 その位階に在る者と直接対決するのはこれが初めてであるが、やはりと言うべきか、
武装集団の頂点に座しているだけあって、これまで佐志勢が屠って来た雑兵とは強さの次元が違う。
 数の不利など物ともしない圧倒的な戦闘力――即ち、『バルムンク』の称号を持つ者として
恥ずかしくないだけの実力を備えていた。
 五人を相手に凄まじい激闘を演じておきながら、ボルシュグラーブは息も切らしていない。
 いかなるも悪ふざけが多いヒューの頬にも、今は冷たい汗が流れていた。

「なんだそれ? あぁ、なんだそれぁ!? 粋がってんじゃねぇよ、ドサンピンがよぉぅッ! 
てめぇみてーな末成りはよぉ、黙ってミンチになってりゃいいんだよぉぅッ!! 
ミディアムに調理してやっからなぁッ!!」

 複数の敵を同時に相手にしても少しも焦ることがない涼しげな顔に苛立ったのか、
口の中一杯に精製した小型ミサイルの束を一気に吐き出す撫子だったが、
ボルシュグラーブ当人はグレートアックスを巧みに操って信管のみを切り裂き、
ミサイルから最大の攻撃力を奪ってしまった。
 信管と切り離されては、如何に大量のミサイルを発射しようとも意味がない。
 鉄塊と化したミサイルの残骸を腹癒せのように踏みつけた撫子は、何時までも舌打ちが止まらなかった。

「ウェルダンがお好みだっつーんなら先に言っとけやコラァッ! 
あんま調子こいてっと、てめぇ、ふりかけタイプにしちまうからなぁッ!? クソがよぉぅッ!!」

 これで攻め手を封殺された人数がひとり増えてしまった。
 計六人と同時に攻防を演じたボルシュグラーブは、ミサイルの雨霰を切り抜けた直後だと言うのに、
依然として涼しげなままである。一歩間違えば、撫子の言う通りに肉の塊と化していた――それにも関わらず、だ。
 さりとて、攻撃の手を止めるわけにはいかない。
 焦れた守孝は蜻蛉切りを構え直し、再びボルシュグラーブへ攻めかかっていった。
『方天戟』と名付けた三段突きを繰り出すつもりだ。
 水平に構えた穂先から全く同じ軌道の突きを三連続で打ち込むのが通常の方天戟なのだが、
 今、守孝が打ち込んだのはその弐式=\―初撃で水平に突きを繰り出した後、
続く二撃、三撃目の軌道を大きく変えるものであった。
 弐式≠フ場合、初撃をフェイントに使い、二撃三撃と斜めに突き込む場合が多い。
 大抵の相手は壱式≠フ方天戟、つまり通常の三段突きへ慣れた頃に弐式≠混ぜ込まれ、
斜め突きへの反応が間に合わずに仕留められていた。
 この方天戟は、力押しで攻めているときにこそ最大の効力を発揮するのである。
 相手が退いても、どこまでも追い掛けてく連続突きは、守勢に回った人間にとって恐るべき威圧であった。

「……ならば、死中に活を見出すのみッ!」
「――ぬおァッ!?」

 方天戟と正面から切り結ぶことになったボルシュグラーブは、敢えて退くようなことをせず、
槍の穂先が身体を掠めるのも厭わずに守孝の懐へと飛び込み、全体重を乗せた体当たりでもって彼を転倒させた。
 長柄の槍を得物とする性質上、押し続けている間は相手の動きを牽制出来るのだが、
一旦、懐まで入り込まれてしまうと、小回りが利かない分、一気に不利になってしまうのだ。
 おまけに転倒した弾みで守孝は蜻蛉切りを取り落としてしまい、攻めも守りもままならない状態となっている。
 この勝機をボルシュグラーブが逃すわけもなく、ハンドアックスへシフトさせたディスメンバーを
守孝の肩口を狙って振り落とした。

「アカン、お孝さんッ!!」

 守孝を救うべくローガンが遮二無二タックルを仕掛け、直撃を被ったボルシュグラーブは後方へと跳ね飛ばされた。
 ボルシュグラーブは全身を壁に強か打ち付け、それを見て取ったヒューは、
思わず「やったかッ!?」と歓喜の声を上げてしまった――が、攻撃を繰り出した側である筈のローガンと守孝が
脇腹を押さえて苦悶の表情を浮かべている。
 目を凝らして見れば、二人の脇腹からはドス黒い液体――鮮血が滲んでいるではないか。
 まさか――そう思ってボルシュグラーブの様子を見やれば、ローガンと守孝を見下ろす彼の両手には、
いつの間にか二挺一対のハンドアックスが握り締められていた。
 その刃先には、それぞれ返り血が付着している。
この状況からして、ハンドアックスに血を吸わせたのは守孝とローガンの両名であろう。
 これもまたMANA、ディスナンバーに秘められた特性のひとつであった。

「マジでたまげちまったぜ。どんだけ自由に変形できんだよ、ソレ! 
しかも分裂たぁ便利すぎるじゃねーかッ! 他の連中のMANAなんか比べ物になりゃしねぇ!」

 ヒューが驚愕したように、変形はともかく分裂など通常のMANAには備わっていない機能である。
MANAどころか、トラウムの中でも極めて珍しい部類と言えよう。
 よくよく眼を凝らして観察しなければ、全くと言って判らないのだが、
ボルシュグラーブの得物は、通常のハンドアックスから更に小さな斧へと変化している。

「愚問だな。ディスメンバーは対異世界用に開発されたニューモデルだ。
我らの技術力を結集すれば、ミスリル銀の分裂など造作もないこと。破損箇所も瞬時に自己修復してくれる。
……貴様らには絶望的な話かも知れないが、俺の相棒≠ノ死角は存在しないぞ」

 ヒューの悲鳴に対する丁寧な返答から察するに、ボルシュグラーブの使うアックス型のMANAは、
ギルガメシュが持てる技術の粋を結集して完成させたばかりの最新兵器なのだろう。
 変形に加えて分裂まで可能にするとは、ギルガメシュの武器開発能力は脅威と言うよりほかなかった。

「相手にとって不足ナシよ。クリッター相手じゃ披露出来ないとっておきを試してやろーじゃない!」

 ヒューとローガンが次なる攻撃へ移るべく散開するのを見計らって、
ボルシュグラーブとの間合いを一足飛びで詰めたレイチェルは、
跳躍時の勢いをたっぷりと乗せたジャマダハルを彼の首筋目掛けて打ち込んだ。
 溶鉱炉から出てきたばかりの鋼のように赤く燃え盛るその刃を、
ボルシュグラーブはハンドアックスで難なく受け止めた――が、
刀身が異常な熱を発していることに気が付くのは些か遅かった。

「所謂、魔法剣≠ニ言うヤツか――」

 危険を察知した次の瞬間には、ジャマダハルに宿っていた火炎のプロキシが凄まじい爆発を起こした。
 『カロリックソウル』と銘打たれた神霊剣の一種である。
 本来は斬り付けると同時に相手の体内へ火炎のプロキシを送り込み、
傷口深くで爆発させ、二重に深手を与えると言う殺傷力に富んだ技だ。
 カロリックソウルの爆裂を一種の隠れ蓑に利用したレイチェルは、
ボルシュグラーブが怯んだ隙に彼の膝と肩を階段の如く蹴って中空高く駆け上がり、
続けざまに大地の力を帯びたジャマダハルを振り落とした。
 カロリックソウルと同じ過ちをするまいと、ハンドアックスでは受け止めずに
身を捻って避けるボルシュグラーブであったが、これが裏目に出た。
 レイチェルが放ったのは、重力を反転させる神霊剣、トラクターレイズであり、
斬撃の成否に関らず、地面にプロキシが達した時点で技が完成されるのである。
 反転した重力によって中空へと跳ね上げられたボルシュグラーブを十数人ものヒューが追いかけた。
 レイチェルが神霊剣の二段重ねで猛攻している間にヒューも自身のトラウム、
『ダンス・ウィズ・コヨーテ』を発動させていたのだ。

「逃げ場なんか与えねぇ! いい加減、観念しやがれッ!」

 分身と共にボルシュグラーブを取り囲んだヒューは総員同時にサブマシンガン、RJ764マジックアワーの
銃爪(トリガー)を引こうとした――

「逃げる必要がどこにある? 我が身の安全は既に投げ捨てたッ! 
何も恐れはしない……攻めて攻めて攻め抜くまでだッ!!」

 ――その瞬間、中空で身を翻し、体勢を整えたボルシュグラーブは、
電光さながらの動きでもって二挺のハンドアックスを振るい、
これによって巻き起こしたカマイタチでRJ764マジックアワーを弾き飛ばし、
続け様、体勢を崩したヒューの分身たちを各個撃破していった。
 首を刎ねられ、胴を薙ぎ払われ、活動限界を迎えたヒューの分身たちは次々と光の粒子に還っていく。
 いくら分身とは雖も、姿形はヒューそのまま。さしものレイチェルも首と胴とが切り離される様を
突き付けられては、顔を顰めて言葉を失った。
 ヒュー本人もまさか全ての分身が瞬時に蹴散らされるとは想像していなかったらしく、
呆気に取られていた隙に強烈な回し蹴りを浴びせられ、為す術もなく壁に叩き付けられてしまった。
 ヒューが分身と共に全方向からRJ764マジックアワーを撃ち掛け、
その間隙を縫って巨大なエネルギーの塊を投擲すると言う波状攻撃を考えていたローガンは、
ダンス・ウィズ・コヨーテが退けられたと見るや、即座に戦法を切り替えた。
掌に溜めていたホウライを複数の小さな弾丸に分けて連射したのである。
 蒼白い弾丸の全てを回避し切れないと判断したボルシュグラーブは、
致命傷を受けそうなものだけを見極めて躱し、それ以外は防御を固めて耐え凌いだ。
 ダメージを最小限に留める為とは雖も、相当な荒業であろう。
一瞬でも見切りを仕損じれば、ホウライの餌食にされてしまうのだ。

「――こんのぉ……ッ!」
「その技、隙が多過ぎるな! 連発は命取りだ――」

 満足にダメージを与えられなかったローガンは、巨大なホウライの塊を叩き込む大技、
『烈!爆力排球拳』にて勝負を懸けようとしたが、その動きはボルシュグラーブによって封じられてしまった。
 エネルギーの球体を放たんとした寸前、ディスメンバーをグレートアックスに変形させたボルシュグラーブが
長い柄を振り回してローガンの脇腹を打ち据え、上体が傾いだところへ石突で更に追撃を加え、
トドメとばかりに足元を払った。
 足払いの後に繰り出された縦一文字の斬撃だけは回避出来たものの、この攻防で受けたダメージは甚大であった。
 いや、ローガンに限ったことではない。ボルシュグラーブに肉迫した誰もが、
肉体的にも精神的にも、激甚とも言える痛手を被っていた。
 対するボルシュグラーブは、レイチェルの神霊剣やローガンの繰り出したホウライの弾幕で
多少のダメージを受けてはいるものの、戦闘に支障を来たすような程ではない。
 背筋が寒くなる話だが、ここまで激しい接戦を繰り広げたにも関らず、彼の呼吸は未だに乱れてはいなかった。
 化け物かよ――口をついて出たヒューの呟きは、この場にいる誰もが共有するものであろう。
 あの撫子でさえ攻め倦ねて臍を噛んでいるのだ。
 詰め手が封殺されたと言う焦燥感が皆の心を満たしていた。

「あたしも世間知らずだと思うんだけど、まさか、世の中にこんな強いヤツがいるとは思わなかったわ。
ぶっちゃけた話、勝ち目が見えないわね」
「頼むぜ、おい。ダンナの口から言うのも、ちと情けねぇんだがよ、
この面子ん中じゃお前の攻撃力が頼みの綱なんだからよ」
「何かナメた口叩きやがったな、そこのパイナップル。俺のミサイルちゃんをシカトすんじゃねーよ! 
めぇのパイナップルでジュース作んぞ? ドロドロでグチャグチャで真っ赤なヤツをなぁ!」

 ミサイルのトラウム、『藪號(やぶごう)The‐X』が通用しない苛立ちを、
ヒューへの罵声で解消しようとする撫子だったが、どうにも上手く行かない。
 声を荒げる度、埋め難い戦力差が撫子自身の神経を逆撫でし、逆恨みじみた憎悪を増幅させていた。

「――そうや! なんやさっきからごっつ気になっとったんや。やっとモヤモヤしとるもんが晴れた気分やで!」
「ローガンの旦那、独りでウンウンと納得してねぇでくださいよ」
「左様。勝機を見出せたとあらば某たちにもご披露願いたい」
「勝機っちゅーか、こいつの身のこなしに思い当たるフシがあってな。
……ガチでやり合うてわかったわ。こいつ、アルと動きがそっくりなんや!」
「アルの旦那にですかいっ?」

 共に心身を磨き、ホウライの真髄を伝授したローガンには、
ボルシュグラーブの身のこなしと愛弟子との共通項が見極められたようだ。
 相手の動きを制しながら攻めに転じる基本戦法は勿論、
戦略の組み立て方や、多少のダメージを覚悟してでも大打撃を狙う気魄など、
ローガンの目にはボルシュグラーブの武技がアルフレッドのそれと重なって見えていた。
 個々人々の癖もあり、徒手空拳とグレートアックスでは大きく違う。
全てが同一と断定することは難しかろうが、基本的な身のこなしがそっくりなのだ。
 あるいは、アルフレッドの同門なのかも知れない。
彼は祖父からジークンドーを、アカデミーでサバットを、それぞれ学んでいたのである。
 師匠としては甚だ口惜しいのだが、身のこなしは似通っているものの、
ボルシュグラーブの技のほうがアルフレッドよりも数段鋭い。
 ホウライを使用することで、ある程度は身体能力を強化出来るのだが、
ローガンをもってしても戦力差を埋められなかった点まで考慮すると、
如何にアルフレッドと雖も、勝ち目は薄そうだ。

「――アル? ……まさか、アルフレッド・S・ライアンか!?」

 仕切り直しの手立てを模索していたローガンたちに対し、ボルシュグラーブは予想外の反応を示した。
 彼はアルフレッドの愛称へ過剰な関心を見せ、戦いの最中であることまで忘れたように、
「アルの知り合いなのか? あいつ、今、どこにいるんだ!?」とローガンたちに尋ね掛けた。

「おいおい、どーなってんだよ、ギルガメシュってのは。お袋さんが出てきたと思ったら、今度はダチぃ〜? 
アルの野郎、実はマジでギルガメシュと繋がってんじゃね〜の?」
「ヒュー殿、冗談にしても言い過ぎでござろう。アルフレッド殿は故郷を失ってござ候」
「ま、待ってくれ! 一体、あなたたちはアルとどう言う関係なんだ!?」
「どう言う関係って訊かれても――ねぇ、撫子?」
「俺に振るんじゃねーよ、あんたが答えろよ。……あー、お仲間ってコトになるんじゃね〜の? 知らね〜よ……」
「もひとつ加えると、ワイの愛弟子やで」
「弟子ィ!? も、もしかして、あなたは弁護士なの……か?」
「こんな弁護士、いるわけね〜だろ。その点、俺っちは知性ってモンが全身から迸ってるけどよ」
「もう長いこと一緒にいるけど、あんたからは知性のカケラも感じたことがないわよ、あたし」
「てゆーか、アルの旦那の夢まで知ってるんですかい」

 ローガンは嘗ての同門と予想したが、やはり、アルフレッドとは相当に深い間柄のようだ。
 アルフレッドの近況を問う顔には敵意と言うものがない。戦意そのものが消え失せてしまったあたり、
親しい友人のようにも思われた。
 どうやらこの男は、アルフレッドの近況を全く知らない様子だ。

(こらまたワケわからんことになってもうた……)

 アルフレッドがバブ・エルズポイントを脅かした張本人であると知ったら、
果たしてこの男はどのような反応を見せるだろうか。
 アルフレッドとギルガメシュは完全な敵対関係であると耳打ちして
動揺を引き出すと言う狡賢い小細工も脳裏を過ぎったが、却って逆上を招いたら最悪だ。
 この状況で逆上されようものなら、ローガンたちは数秒も保たずに首なしの遺骸と成り果てるだろう。

「――イッシシシシシシ……イッシシシシシシシシシ……」

 戦慄とは別の意味で場の空気が張り詰め始めた矢先、本陣≠ノ不気味な笑い声が木霊し、
アルフレッドを巡る会話を断ち切ってしまった。
 何事かと思って周囲を警戒する一同だが、自分たち以外には誰の姿もない。
 一体、誰が――笑い声の主を探す内、床に不自然な影が落ちているのを見つけたレイチェルは、
反射的に天井を仰ぎ、次いで短い悲鳴を上げた。
 彼女の視線が向かう先を他の者たちも追いかける。そこにはおよそ信じ難い情景が在った。

「キメェ……」

 撫子の呻き声が状況(こと)の異様さを如実に表している。
 手足がスラリと細長い黒ずくめの男が、営巣する蜘蛛の如く天井の隅にへばり付いているではないか。
無理としか言いようのない体勢のまま、「イシシ……」と笑い声を上げている。
 笑い声の主は、この男で間違いなさそうだ。

「イッシシシ――追いついたよ、秋水クン。待ちくたびれて、迎えに来ちゃったじゃあないか」

 おぞましい笑い声を引き摺りながら本陣≠ヨ降り立った人物には、
ローガンたちは勿論、ボルシュグラーブにも全く見覚えがなかった。
 蝙蝠が羽を休めるかのように天井にへばり付いていたときから薄気味悪かったが、
地面へ降りてからは、そのおぞましさに一層の拍車が掛かった。
 天井に続き、床にまでへばり付くようにして四肢を広げた姿は、
己の巣に入り込んできた獲物へとにじり寄る蜘蛛のようでもある。
 汚れや損傷が酷く、本来の色が判別出来なくなっている貫頭衣を身に着け、
更には双眸を布でもって覆い隠した風貌と、独特な姿勢とが合わさったとき、
見る者には心の底から嫌悪感が湧き出してきた。

「ん? んんん? ……なんだぁ、よく見たら別のチームじゃあないのよ。
そりゃ秋水クンって呼びかけても誰も何も言ってくれないわけだ。
折角、秋水クンの為にステキに無敵なプランを練ってあげたってゆ〜のにぃ。生殺しとはツレないねぇ〜」

 床を這う男に向かって、「ここは俺たちギルガメシュのテリトリーだ」と、
ボルシュグラーブはグレートアックスの先端を突き付けた。

「秋水=H お前、一体何を言っているんだ? 人探しの邪魔はしたくないが、
これ以上、場を弁えぬ振る舞いを続けるつもりなら、そのときはこの斧の露となって貰うしかない」
「まあ、それもまたロマンチズムさ。本当に会いたい人とはすれ違うってオヤジもジイさんも言ってたしねぇ。
会いたいのに会えないじれったさもムードを盛り上げるスパイスなのさぁ〜」
「……全無視(シカト)か……」

 その男は独り言ばかりを唱え続けているのだが、外部からの声には興味も反応も示さない。
脳天の直ぐ近くにグレートアックスの刃が在ると言うのに、意にも介さないのだ。
 並びが良いとは言い難い前歯から空気が漏れ出したかのような笑い声を上げては、
秋水、秋水と意味不明な単語を繰り返している。
 どうも「秋水」なる人物を探している様子だが、この場に居合わせた誰もその名前には心当たりがない。
佐志に住まう人々と同じ響きであり、其処の出身者である三人へローガンとレイチェルは揃って顔を向けた。
 これに対して、撫子、守孝、源八郎は揃って首を傾げて見せた。
村長にも該当者が分からないと言うことは、「秋水」は佐志の人間ではなさそうである。
 ボルシュグラーブは「トルピリ・ベイドや陽之元の民にも名前が似ている……」と呟いているが、
そこに「秋水」なる人物の手掛かりはなさそうだ。
 一方のヒューは、「秋水」なる名前には反応せず、
目の前で蜘蛛か何かのように動き回る男の正体を見極めようとしている。

「こいつ――……やっぱりそうだ。この野郎、『棺桶屋(かんおけや)』じゃねぇかッ!」

 やがて、Bのエンディニオンが誇る名探偵は、不気味な男の正体に辿り着いた。
 探偵として様々な情報に精通する彼は、ある程度は裏社会の事情も掴んでいる。
「秋水」の名前を持つ人間は分からなかったものの、特徴だらけのこの男のことはヒューの手帳にも記されていた。
 その瞬間、ヒューの頭にひとつの閃きが走った。フツノミタマを狙っている『贄喰(にえじき)のヌバタマ』と、
目の前に現れた『棺桶屋』が同一人物ではないかと言う推理が、だ。
 ヌバタマなる男の身体的特徴などは分からないが、ここに至るまでの経緯や『棺桶屋』の言動を照らし合わせると、
両者が同一人物だと考えるほうが自然なのだ。
 それでは、秋水とはフツノミタマのことだろうか――。

「――皆、気ィ付けろ、多分、こいつが『贄喰(にえじき)』のヌバタマだぜッ!」
「なんやそれッ!? ヌバタマ言うたらフツを狙っとるっちゅー仕事人やろ!?」
「ヒューの旦那の勘違いじゃねぇんですかい? 裏稼業なんてェピンキリでしょうし、そっくりさんじゃあ……」
「やめてくれや、源さん。こんなのが他にもガサガサ居るなんて想像したら、俺ぁ、ゲロ吐いちまうぜ!」

 ヒューの言葉を受けて、佐志勢は大いに混乱した。
 星勢号に乗船していた面々も岩礁地帯で待機している間にヌバタマの件を説明されていた。
フツノミタマからは「迷惑掛けて、すまねぇ……」と頭まで下げられたのだ。
 しかし、そのときに挙がったのは『贄喰(にえじき)』と言う通り名であって、
ヒューの口にした『棺桶屋』ではなかった筈だ。

「俺っちの持ってるデータじゃ、こいつは『棺桶屋』って呼ばれてたんだよ!」
「呼び名が全然違うじゃない! 一体、なんでそんな――」
「ギルドの掟を破った仕事人の処刑が専門だから棺桶屋=Bギルドの子飼いだったんだよ、最後≠フほうはな!」

 ヒューの耳に入ってきた『棺桶屋』の通り名は、フツノミタマとのコンビを解消した後に付けられたものだろう。
 源八郎の言葉ではないが、裏社会に仕事人は数多く潜んでおり、
また稼業自体を普段は隠している為、突出して目立つことはないのだ。
世界一腕が立つとされるイブン・マスードや、千人斬りとも恐れられるフツノミタマが特例なのだ。
 ヌバタマの場合は、ギルドの処刑人に転身してから注目され始めたと言うわけである。
 掟に背いた仕事人――即ち、同業者を狩る者だ。その上、ギルドに飼われた処刑人ともなると、
否応なく裏社会の関心を引く。『贄喰(にえじき)』の頃は凡百の仕事人に過ぎなかったヌバタマは、
『棺桶屋』に転じた後、名探偵の手帳に書き加えられたのだった。

「知ってたんなら、フツに言ってあげたら良かったじゃないの! 今は『棺桶屋』を名乗ってるってさ!」
「さっきからうるせぇよ、ババア! 俺っちだって特徴のひとつも聴かなきゃ答えようがねーっつの! 
言ってるだろ、今になって初めて『棺桶屋』と『贄喰(にえじき)』がイコールだって分かったんだよッ!」
「溢れ出る知性が聴いて呆れるわね! フツの話でピンと来てやりなさいよ! えェ、名探偵!?」
「名前だけじゃ手掛かりにならねぇっつのッ! 探偵業をナメんなよっ!」
「レイチェルも落ち着きや。フツかて特徴を話してへんかったやん。そら、ヒューにも分からんて!」

 実際、フツノミタマは嘗ての相棒について多くを語らなかった。
事情が事情だけに周りの者も根掘り葉掘りと尋ねることが躊躇われたのだ。
 確かに暗殺者のことは心配だ――が、フツノミタマは決死隊の要因として選ばれており、
Aのエンディニオンへ渡ってしまえば、如何にヌバタマとは雖も、暫くは接触が不可能となる。
 本当の戦いは決死隊の帰還後であり、それまでにはフツノミタマも気持ちが整理出来ている筈。
戻ってからヌバタマのことを詳しく訊ねれば良いと、ローガンたちも考えていたわけだが、
こうした気遣いが裏目に出た様子である。

「吾輩を葬儀屋のように呼ぶんでないよ、キミ。棺桶屋なんてセンスの欠片もない名前、自分から名乗ると思うかね? 
これでも感性はビンビンなのだよ。ファッションリーダーにもなれる才能だったりして!? 
そんな吾輩は、百年経っても永遠に不滅の『贄喰(にえじき)』。永遠に秋水クンのベストパートナーなのさ〜」

 『棺桶屋』呼ばわりされるのが心外だったらしく、ヌバタマは舌を震わせながら文句を垂れた。
 どうやら『棺桶屋』は他称であり、彼自身は『贄喰(にえじき)』で通してきたらしい。

「……話が読めないんだが、この昆虫みたいな男とも親しいの……か?」
「葬儀屋の次は虫呼ばわりとな! うう〜む、ココの連中はナンセンスが多いようだ」
「仲良しから命なんか狙われるか! 心当たりがあるってだけだ! ……おめーらに通じるかは分からねぇが、
こいつは誰それを殺して幾らっつー裏の稼業の人間だ。俺っちらの世界じゃ『仕事人』って呼んでらぁ。」
「成る程、ヒットマンと言うことか……」

 ボルシュグラーブに仕事人≠フ概要を説きながらも、ヒューは首を傾げ続けている。
 確かにこの男――『棺桶屋』あるいは『贄喰(にえじき)』のヌバタマは、ギルドに所属する仕事人であった。
正確には“もと仕事人”と言うべきかも知れない。
 ほんの数年前まではギルドの処刑人として裏社会を震撼させていた男だが、現在は諸般の事情から一線を退いていた。
少なくとも、ヒューの持つ情報網は、そのように伝えている。
 引退を撤回して復帰することは珍しくもないが、彼の場合、体力や気力の衰えとは全く異なる理由で
一線を退かされていたのだ=B本人が復帰を望んでも、周りの人間がそれを許すまい。
 何故ならヌバタマは――

「今もって事情は飲み込めないが、俺を始末する為に差し向けてきた――と言うわけではなさそうだな。
どうも狙いはそちらに向いているらしいが、……そんなに恨みを買っているのか?」
「誰にも恨まれてへんて、胸を張って言い返せたらええんやけど、そうも行かんわな〜」
「評判落としてんのはてめぇのクソ弟子だろうが。躾も出来ねぇザコ師匠がよ」
「ローガン殿も撫子ちゃんも真に受けて何と致す! こやつの狙いはフツノミタマ殿と判明してござる!」
「やっぱし、どこぞの誰かがフツの旦那を消してくれって金積んだのかねぇ……」
「そりゃ絶対にありえねぇ話なんだよ。こいつ……この野郎はな、ジャンキーになって裏稼業から遠ざけられたんだ。
アタマがキマッてるような危なっかしい野郎に誰が仕事≠出来るかってんだよ」
「余計にワケわからんないわ! クスリでおかしくなったことと昔の仲間を狙うことがどう繋がるのよ!? 
メチャクチャじゃ――……ああ、だから、メチャクチャ≠ネのか」

 ――そう、ヌバタマは麻薬の過剰摂取に起因する異常行動を理由に、
ギルドから仕事人としての稼業を差し止められていたのである。
 殺しで生計を立てると言う血腥(なまぐさ)い世界ではあるものの、
仕事人として過ちを犯さない為には、正常な思考と判断の能力が何より求められるのだ。
 麻薬に侵されたヌバタマは、仕事人として欠かせない条件すら満たせなくなっていた。
ギルドの処刑人にとって、それは致命的と言えよう。
 ギルドを介さずに個人で仕事を請け負えば、現役に復帰する道もあるのだが、
先ほどヒューが述べたように末期的な麻薬中毒へ殺しを依頼する酔狂な人間など皆無。
事実上、ヌバタマは仕事人生命を絶たれたのだ。
 何者かによる依頼でなければ、ヌバタマの行動は「執念」の一言になるだろう。
フツノミタマを求める余り、戦場さながらのバブ・エルズポイントにまでやって来るとは、
相当に根が深いようである。

「それはそうと、人をヤク漬けみたいに言うのは失礼じゃあないかね、パイナップルくん。
吾輩にもクライアントはいるのだぞ。殺しが上手く行くか、下手を打つかで
トトカルチョをする酔狂な御仁も世の中には多くてね。……このテの仕事ってもんは、ブランクを置くとダメなのだ。
少しでも遠ざかると変に怖気づいちまってね。血の匂い、肉の焼ける匂いで酔えるくらいが丁度良いのさ」
「なるほど、わかったよ――あんたは紛う事なきジャンキーだぜ。
アタマやっちまったのがクスリかどうかなんて、この際、問題じゃねぇみてーだな」
「イッシシ――吾輩、褒められちった」

 自分はジャンキーではないとヒューに反論したあたり、
ひとりの世界に入り込んでいるようで抜け目なく周囲の状況も把握しているらしい。
流石はフツノミタマの相棒と言うべきか。食えない男である。

「とは言えだな、ふ〜む……秋水クンと会う前からなんだか疲れてしまったよ、吾輩。
元々人見知りだしね。イシシ――吾輩ってば守ってあげたくなるタイプかも? きゃっるる〜ん!」
「何が『きゃっるる〜ん』だ! 金払うからそのナリでキャピキャピすんのやめろッ!」
「これ以上、人見知りで疲れちったらぁ、パーティー本番で吾輩が困っちゃうしィ――
そろそろ、お邪魔虫の皆様がたにはご退場願うとしましょうかねぇ」

 言うや、ヌバタマは細く長い両腕を振り子のように左右へ振り回し始めた。
 ベルトにでもねじ込んであるのだろうか――貫頭衣の裾から穂先が覗く銛には手を掛けてはいない。
 何時、銛を手に取り、誰を初撃の標的として狙うのか。皆がヌバタマの腕の動きを注視している。

「イッシシシ……イッシシシシシシ――これにておさらばおさらばおさらば……――」

 ところが、だ。その哄笑を最後にヌバタマは跡形もなく消滅してしまった。
 まるで、空間へ溶け込むかのようにして掻き消え、どれほど目を凝らしても残像すら見つけられなかった。

 ボルシュグラーブの意識が現実と合致したときには、ヌバタマが両腕を振り回していた場所――
つまり、向かって正面にはディアナとボスの姿があった。
 最前線でプールの軍勢――それに扮したテムグ・テングリ群狼領だが――と戦っていたエトランジェが、
どうしてこんなところにいるのか。そもそも、ヌバタマは何処へ消えてしまったと言うのか。

「こ、ここに変なおじさんがいなかったか!? 蜘蛛だか何だか分からないような!」
「ヘンなのはあンただよ。しっかりしないかい!」

 寝惚けたようなことばかり口走るボルシュグラーブに呆れたのか、ディアナは左手でもって彼の頬を抓り上げ、
よくよく目を覚まして自分の置かれた状況を確かめろと言いつけた。
 促されるままに周りを確認すれば、ヌバタマどころか、守孝らもいつの間にか消え失せてしまっている。
 本陣≠ニしての役目を終えた後も取り外されずに残された陣幕は、風を受けて緩やかに棚引き、
その軽妙な音がやけに寂寥感を煽った。
 いつの間にか=\―そこでようやく意識が完全に覚醒したボルシュグラーブは、
モバイルを取り出して現在時刻を確認した。
 現在、液晶画面には午後八時半と表示されている。
 本陣≠ヨ駆け込む間際に部下から報告を受けたのが午後八時前。
あくまで体感でしかないのだが、守孝らと戦っていたのは、多く見積もっても一五分程度の筈だ。
 最後にやって来たヌバタマとの邂逅からディアナたちの到着まで一五分もの開きがあった。
 そして、この一五分の間、ボルシュグラーブには全く意識がなかった。

「……我々が駆け込んだときには、バルムンク様は妙な独り芝居をやっていましたよ」

 電磁加速砲(リニアレールキャノン)を肩に担いだボスが、気まずげに呻く。

「なんと言うか、こう……有り得ないスピードで腰振ったり、
見事なブリッジをしながら魚のように飛び跳ねたり……」
「冗談を言っている場合か。俺がそんなことをやるような人間に見えるか?」
「勿論、私にも見えませんが……」
「残念だったね、ボウヤ。ばっちり物的証拠を撮ってあるンだよ」

 自身のモバイルを取り出したディアナは、数度の操作を経て、ボルシュグラーブの前に液晶画面を翳した。
 彼が膝から崩れ落ちたのは、液晶画面を凝視した直後である。

「え、えぇー……俺、本当にこんなことやってたのか……と言うか、
暢気に写真なんか撮っていないで、止めてくれたって良いだろう!?」
「動画にしようか迷ったンだけどさ、あたしのモバイル、息子の写真で一杯だから容量ギリギリでね。
『俺の意気地なしッ!』なンて言いながら頭抱えた姿、あれは音声(こえ)付きじゃないのが惜しいね」
「プリペイドのモバイルでなければ、私も撮影出来たんだが……」
「そう言う話をしてるんじゃないだろうが!」

 ボスとディアナの説明によれば、空白の時間に何やら奇行をやってしまったようだが、
その記憶さえ頭からすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。

「……ところで、お前たちはどうしてここにいる? 表はどうなっているんだ?」
「それが、あたしたちにもよく分からないンだよ――」

 ボルシュグラーブの問い掛けにディアナが困り顔を見せたとき、三人のもとにキセノンブックが駆け寄ってきた。
 彼はエトランジェの隊長代行である。ギルガメシュの正規兵と共に最前線で戦い、その趨勢を見届けて来たと言う。
 キセノンブックの報告では、プール軍はいつの間にか撤退していたと言う。ディアナとボスもこれに頷いて見せた。

「手品でも見せられたような気分ですよ。敵も味方も分からないような大混戦だったのに、
気付いたときには敵はどこにもいなくなってるんですから。クリッターどもの残骸が野晒しになってるだけです」

 ボルシュグラーブがバブ・エルズポイントに退いて間もなく、戦闘は終結してしまったとキセノンブックは続けた。
その直前まで敵味方入り乱れて合戦を展開していた筈なのだが、ほんの一瞬だけ意識が朦朧となり、
気付いたときにはプール軍の姿はどこにもなかったと言うのだ。
 これもまた奇妙な事態だが、意識の変調は全軍が共有しており、プール兵の消滅まで記憶に空白が生じていると言う。

「俺のときと同じじゃないか――い、一体、何が起きたんだ……!?」

 キセノンブックの報告はボルシュグラーブを酷く動揺させた。
この場から消え去った者たちの追跡をも失念し、口を開け広げたままで呆然と立ち尽くしている。

「ほンとよく分からないンだけど、……どうやらすれ違いになったみたいだね」
「ああ――同じ場所にいるのだから、挨拶くらいはしたかったな」

 ボルシュグラーブが呆けている間、ボスとディアナは室内に残された陣幕を眺めていた。
貝殻と白波をあしらった紋様が染め抜かれた陣幕を、だ。
 その紋様には、ふたりとも特別な親しみを抱いているのだ。





 ボルシュグラーブが茫然自失と言った風情で立ち尽くしている頃、
バブ・エルズポイントを去っていく船の甲板にも怪現象が起こっていた。
 被害と言う点ではこちらのほうが甚大だ。第五海音丸の甲板で悲鳴を上げた者―――
本陣≠ナボルシュグラーブと死闘を演じていたローガンたちにとって、この怪現象は致命的とさえ言えた。
 決死隊を無事に異世界へ送り届ける為に奮戦していた筈なのだが、
その最中、何か得体の知れないものに意識を支配され、気が付いたときには武装漁船の甲板に立っていたのだ。
 テムグ・テングリ群狼領の将兵も、加勢に駆けつけたシュガーレイも同様である。
気が付いたときには、全軍で海に脱していたのだ。
 ボルシュグラーブの奇行がそうであったように、
同じ怪現象を味わったヒューたちも撤退に至るまでの記憶を一切持ち合わせておらず、
我に返って青くなったものだ。
 決死隊を残して戦地を離れてしまったことにローガンたちは狼狽したが、
それ以上に混乱させられたのはセフィである。
 アルフレッドたちを目的の転送装置まで案内すると、すぐさま踵を返して加勢に走ったのだが、
本陣≠ワで戻ってきてみれば、ローガンたちは既に引き上げた後。
おまけにギルガメシュの幹部と思しき男は、床に這い蹲って爬虫類の形態模写(ものまね)をしている。
 本来ならば敵の戦力を削ぐ為にも討ち果たしておくべきなのだが、
鬼気迫る表情で爬虫類を真似し続ける青年に触れてはいけないように気配を感じ、
生暖かい眼差しを送りつつも黙殺を決め込んだのだ。
 全速力でバブ・エルズポイントの外に飛び出してみれば、両軍ともに合戦を打ち切っており、
仲間たちを見つけて状況を質すと、異口同音して「戦地を離れる」の一点張りである。
 決死隊は未だにAのエンディニオンには到着していない。それまで我々で踏ん張らなければならないと、
声を張り上げるセフィであったが、それすら誰にも聞き入れられず、
結局、皆と共に船まで引き上げざるを得なくなってしまった。
 それから間もなくグンガルとビアルタも小船で第五海音丸に漕ぎ寄せ、甲板へと飛び乗った。
ふたりにはシュガーレイも追従している。
 無論、三人にも事態(こと)の成り行きが把握出来ていない。

「これが『棺桶屋』の――いや、『贄喰(にえじき)』の一番の武器さ。
あの野郎の十八番は銛なんかじゃあねぇ。あいつは凄腕の催眠術使いなんだ」

 両軍が遭遇した怪現象の正体を、ヒューは催眠術による幻惑と分析した。
つまるところ、バブ・エルズポイントにて戦っていた皆がヌバタマに化かされたと言うわけである。
 幻惑だけで済んで御の字かも知れない――人的な損害が抑えられたことに安堵するグンガルに対して、
「いや、殺されなかったのは別に何の不思議もねーよ」とヒューはしかめっ面のままで語った。
 そもそもヌバタマには大量殺戮をする理由がない。
 テムグ・テングリ群狼領はともかく、ローガンたちはフツノミタマやシェインを狙う際の妨げと成り得るだろうが、
さりとて、ギルドの裏切り者でもなければ仕事人でもない赤の他人を『棺桶屋』が処刑するのはおかしな話なのだ。
 狂っているのは間違いないものの、無益な殺生を好んでいるわけではないようだ。
あるいは、邪魔者を標的≠ゥら遠ざけたことで満足してしまったのかも知れない。

「催眠術で相手の意識をコントロールし、ヨタッたとこを後ろからブスリと行くのがあいつの手口なんだよ。
……くそったれ、情けねぇったらありゃしねーぜ。相手の手の内も解ってたのに、
まんまと乗せられちまうなんてよ。とんだマヌケだぜ」
「そんなにご自分を責めないでください。私も『棺桶屋』の催眠術は存じていましたが、
それも噂で伝え聴いただけのこと。どのように仕掛けてくるかなんて、誰にも分かりませんよ」
「せやせや。探偵の範囲とちゃうで、こんなん。情報があっただけでも助かったわ。おおきにな、ヒュー」

 セフィやローガンから向けられた慰めに気のない空返事で応じたヒューは、
少しずつ離れていくバブ・エルズポイントを苦々しげな眼差しで見つめていた。
 血気に逸るビアルタは奇術に掛けられていたと知って激昂し、今から引き返して雌雄を決すると言い出した。
 彼の気持ちも分からないでもないが、それには時間が経過し過ぎていた。
最早、ギルガメシュは陣形を立て直していることだろう。
再上陸した瞬間に猛反撃を喰らい、追い散らされるのみである。

「そう心配せぇへんでも大丈夫やって。ワイの弟子と妹分があっちに混ざっとんねん。
ヌバタマが相手か、ギルガメシュが先かは知らんけど、あいつらやったら絶対に負けへんよ」

 事態(こと)ここに至った以上、決死隊が無事に目的を果たせることをイシュタルに祈るしかなかった。

「なんならヌバタマとか言う男だけでも仕留めてくるか? タイガーバズーカの格闘士は同じ技を二度と食わん。
今なら一泳ぎして丁度良いが――」

 急にシガレットが欲しくなったシュガーレイは、ポケットへと乱暴に指を突っ込んだが、
箱そのものが暴風雨によって濡れそぼっていることに気付き、忌々しげに舌打ちした。
 肝心のシガレットも全滅していることだろう。巻紙と中身が分解してしまっているかも知れない。

「ジェイソンの見送りに来たんやろ? 安心せえ。あいつには心強いダチがふたりも付いとるんや!」
「……フン――」

 鼻を鳴らしつつローガンから顔を背けるシュガーレイであったが、その満面には焦燥が色濃く滲んでいた。




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