19.カナリア鳴く空‐V


 ボルシュグラーブと佐志の軍勢がヌバタマの介入を受けた前後、
アルフレッドたちはニルヴァーナ・スクリプトと呼称される転送装置の設置された区画にまで到達していた。
 バブ・エルズポイント突入から数十分と経たない内に目的のニルヴァーナ・スクリプトまで辿り着けたのは、
セフィやメアズ・レイグによる事前調査の賜物だ。
 そのセフィは、案内が済むなり「守孝さんたちに加勢する」と言って来た道を逆戻りしている。
 部屋に残り、異世界への突入を控えているのはアルフレッドを始めとする決死隊と、
そこに加わる恰好となったメアズ・レイグのみ。
 一団を丸ごと収納しても十分に足りるほど転送装置の区画は広く、また天井も高い。
 転送の対象を収容するカプセル状の機械と、ニルヴァーナ・スクリプトを管理する制御盤(コンソール)以外には、
作業員用のロッカーくらいしか目立った物は見当たらない。
 好意的に解釈するならば無駄を徹底的に省いた空間であり、
捻くれた言い方をするならば、無味乾燥で殺風景な内装である。
 調度品など何ひとつない。天井からぶら下がった太いケーブルや、
制御盤から張り出した細いコードが殺風景な室内に彩を添えていると言えなくもないが、
味気ない空間へ無遠慮にどぎつい原色が飛び込んでくるのだ。見る側の目に優しいとは言い難い。
 ケーブル、コードのカバーは赤や黄と言った具合に色分けされており、
カラーリングの違いから用途を識別しているようである。
 ここからが正念場だ。
 ニルヴァーナ・システムを確保したからと言って、即座にAのエンディニオンへ飛べるわけではない。
 まずはシステムそのものを起動させ、転送先の座標軸の調整など、様々な設定を制御盤にて行う必要があった。

「――あらほっささーのほっさっさーっと」

 しかし、その準備も意外と早く完了しそうだ。
 「こう言うメカニックには慣れてるからボキにお任せ!」と自ら名乗り出たホゥリーの手によって、
ニルヴァーナ・スクリプトは起動開始に向けた準備が整いつつあった。
 「慣れている」と言う自己申告の通り、ホゥリーはニルヴァーナ・スクリプトのシステムを
瞬く間に掌握していく。あと数分で転送が可能になるとのことである。
 「どんなダメ人間にもひとつくらいは取り得があるものね」とはハーヴェストの感嘆だが、
常日頃から信用を欠くようなことばかりしているホゥリーにとっては、まさに汚名返上の場となったわけだ。

「なあ、アル――前々から不思議だったんだけどよ、ホゥリーって何者なんだ? お前、付き合い長ェんだろ?」
「何者と訊かれてもな。お前こそレイチェルから何も聴いていないのか?」
「シェインの友達の――ラドクリフって言ったっけ? 彼の師匠(せんせい)ってことは聴いた気がするけど、
それ以外は特には。人ん家のことだし、突っ込んで聴けねぇだろ? 大体、基本的には興味ねぇし。
……あんな風に機械を弄繰り回すのを見て、何なんだろうって思っただけさ」
「ニコラス様は良いところに気が付かれたと思います。……今以って腹の底が見えないのは不気味ですね」

 凄まじい速さで制御盤を操作しているホゥリーを眺めていたニコラスが、ふとそんなことをアルフレッドに尋ねた。
 平素よりホゥリーを警戒しているタスクも同じ疑念を持っていたらしく、ニコラスを経由する形で会話に加わった。
 今はまだ直接的にアルフレッドと話す気にはならないようだ。

「『レイライナー』って言ったっけ? よくある魔法使いみたいなモンだと思うんだけど、
考え方とか全然それっぽくねぇよな」
「俺もマコシカの人たちに出会ってから古代民族のイメージを改めたクチだが、
別にあいつだけが特別おかしいってわけじゃないだろう? 
確かに人格とか体脂肪率とか、人間的な部分では常軌を逸脱しているが、俗っぽさじゃレイチェルだって良い勝負だ。
ヒューの悪影響と言うこともあるんだろうが、それにしても神秘性の欠片もない」
「お前、仮にもミストのご両親なんだからあんまり悪く言ってやるなよ……」

 プロキシを操る古代民族――その響きからは、ある種の神秘性が醸し出されているのだが、
実際にそこへ属する人々を目の当たりにしてしまうと、幻想は見事に打ち砕かれる。
 質素を旨としているにも関わらず、平気でスナック菓子を貪るホゥリーほどではないにせよ、
ヒューを相手に苛烈な恐妻振りを発揮する酋長も世俗の匂いが強く、
親友のミストを溺愛するあまり、ニコラスを目の敵にするミルクシスルからも、
「古代民族」と言う響きから連想される神秘性は感じられない。
 集落を離れてゼラールに随伴しているラドクリフが、実は最も古代民族の神秘性を保っているように思える。

「オレが言いたいのは、発想って言うか、物の考え方のことだよ。
不思議な言葉遣いするからちゃんと聞き入ってねぇとわからねーけど、
建設的っつーか理論立ってるっつーか、どちらかっつーか学者に近いと思うんだよ」
「学者……」
「ニコラス様には、そのように見えたのですか……」

 ニコラスの見立ては、タスクとアルフレッドには衝撃的であったようだ。
ふたりとも呆けたように口を開け広げ、そのままの状態で固まっている。

「トキハとかさ、……身内に学者肌のが何人かいるからかな。妙に気になっちまったんだ。
そう言えば、アルにもどこか似てる気がするよ」
「それはわたくしにも分かりました。気が付くと、厭らしい目でマリス様のことを凝視されているのですから……。
本当、人として恥ずべき振る舞いです。いいえ、恥じ入って欲しいものです」
「衝動的に舌を噛み切って死にたくなるから、そのテの冗談はやめてくれ……」
「タスクの話はともかく、オレは別に冗談じゃねぇんだけど……つか、お前はホントに気付いてねぇのか? 
お前に似てるかはとりあえず置いとくとして、ホゥリーがいちいち理屈っぽいトコとか」
「なかなか面白い着眼点じゃな――」

 ホゥリーが古代民族らしからぬ思考を持っていると語るニコラスに対し、
アルフレッドとタスクは訝るような目を向ける。
 古くからの仲間ですら興味のないホゥリーの為人を、どうしてニコラスが気に掛けるのか、
そこからしてふたりには理解に苦しむものである。
 横から混ざってきたジョゼフにもアルフレッドは「面白い、ですか……?」と首を傾げた。

「あやつを褒めちぎるつもりもないし、むしろ逆の評しか持ち得なんだが、
しかし、人と違う何かを持っておるのは確かじゃ。ニコラスが気付いた思考(こと)は勿論、
ホレ、見よ、あの指使い。慣れた手つきでコンソールを操作しておるではないか」

 ジョゼフに促され、アルフレッドとタスクも渋々ながらホゥリーの様子を窺う。
 彼は本当に楽しそうに制御盤を操作しており、プロキシを使うときよりも、
いや、他の何をしているときよりも溌剌としているように見えた。

「生まれ育ちが集落であろうと、持って生まれた才能を如何に発揮するかはその者次第。
レイチェルが酋長になってからは、集落への出入りはあまり制限されなくなったとも聞く。
ホゥリーの経歴など知ろうとも思わんが、……あるいは、狭い集落には収まりきらぬ男なのかも知れんな」
「学者の端くれだったと言う可能性も否定出来ないわけか。考えてみれば、あいつは集落を出た身なんだな。
休業中のようなものだが、今だって冒険者に変わりはない。……外界(そと)に仕事を持っていても不思議ではないな」
「十分に有り得ると思うぜ、オレは。冒険者の前にどんな仕事に就いていたかは、アルだって知らねぇだろ?」
「……不思議で仕方ないのですが、皆さんはホゥリー様のことを考えていて、気分が悪くならないのですか? 
わたくしは必要がなければ関わりたいとも思いませんが……。あの方のことに頭を使うのも苦痛です」
「タスクって、アルとホゥリーにはすげぇ厳しいよな。普通、考えるだけで苦痛なんて言われねぇよ」
「そこで俺の名前を出すな……」
「……無論、ワシとて吐き気を覚えるわい。さりとて、目の前にある事実にまで蓋をする必要もあるまい」

 少しも惑うことなく制御盤を操作しているあたり、こうした機械にはかなり手馴れているように見受けられる。
あるいは、機械工学に通じる経歴の持ち主なのかも知れない。
 尤も、タスクは彼の来歴をいちいち洗い出そうとは思わない。そこまで踏み込みたくないと言うのが本音である。
彼女にとって重要なのは、己やマリスのことをホゥリーが折に触れて盗み見していることだ。
 下品な顔と下劣な物言いが目立つ男である。頭の中で如何なる妄想を捏ね繰り回しているのか、
考えただけでもタスクは身の毛が弥立つのだった。
 それだけにニコラスの分析には驚愕させられたのだ。
「嫌悪」と言う侮蔑すら生温く感じるほど疎ましいホゥリーの言行を記憶に留めていられるのは、
タスクからして見れば、奇跡と言うか奇特であった。
 精神的な苦痛を伴うので自分で調べることは躊躇われるものの、
この際、ニコラスやジョゼフからホゥリーの為人をじっくり聞いておくことにしよう。
 彼の経歴まで分かれば御の字である。不実や不正の事実を見つけたときには、
これを理由に佐志から追い出すと言う手もある。
 万にひとつでもホゥリーと縁を切る可能性が眠っているとすれば、苦痛にも耐えられると言うものだ。

「ひとりひとりが全開フルパワーでがんばってるってときに茶々入れるなんて、タスクちゃんは悪い子なのっ! 
そんな悪い子にはぁ〜、お仕置きなのねっ!」

 如何にホゥリーを追放するかと夢想し、口の端を吊り上げていたタスクの尻を、
ルディアがいきなり揉みしだいた。
 セクハラ紛いのやり口でタスクを戒めた――とは本人の談――ルディアは、
「みんなの力をひとつに合わせてぶっちぎるのっ!」と、これまでにない熱意を満面へと浮かべている。
 艶めいた悲鳴を上げるタスクはともかく――異常なまでのルディアの昂揚にアルフレッドは首を傾げた。

「やけに発奮しているじゃないか、ルディア」
「そうなの! そうなのっ! そうなのッ! もしかしたらだけど、向こう≠ノ渡ったら、
『ハカセ』の手がかりを何かつかめるかも知れないの!」
「……何?」
「ルディアの記憶が確かなら、ココ、『ハカセ』秘蔵のフォトデータで見たことがあるかもなのっ! 
ココから『ハカセ』が向こうの世界に飛んだって証拠にはならないけど、手掛かりなのは間違いナシなの!」
「見たことがある……だとっ?」

 これにはアルフレッドも驚かされた。
 ルディアの捜し求める『ハカセ』なる人物が有する技術は、アカデミーで研究されていたテクノロジーと極めて近い。
そのことはリーヴル・ノワール調査の折にも彼女の口から語られており、周知のことであったのだが、
思いも寄らぬところで『ハカセ』の足跡に巡り合えたようである。

(やはり、ニルヴァーナ・スクリプトもアカデミーが開発したモノなのか。……だとすると、ギルガメシュは――)

 嘗てアカデミーに在籍していた人間としては、そこで研究されていたテクノロジーを
使いこなしている『ハカセ』には強い興味を引かれるのだ。
 それだけにルディアの発言は聞き捨てならなかった。
アルフレッドに限らず、この場に集まった誰にも有益なものと言えよう。
 何気なく言ってのけたあたり、ルディア本人も養父の手掛かり程度の認識しか持っていないようだが、
聴きようによっては、『ハカセ』がギルガメシュに与する一員と言う可能性も出てくるのだ。
 仮に『ハカセ』がアカデミーへ属していた科学者あるいは技術者であったとするならば、
全ての辻褄が合い、長らく抱いていた疑念をひとつの仮説にまで導けるのだ。
 アカデミーの過激な一派か、あるいは組織全体が、ギルガメシュの母体となっているのではないか――と。

(ルディアの見た写真とやらは、今後の戦いに大きなヒントになるかも知れない……)

 『ハカセ』に一歩近づけるかも知れないと張り切るルディアから
詳しい話を聞き出そうと身を乗り出すアルフレッドだったが、口を開こうとしたその瞬間、
見計らったかのようにホゥリーが転送準備の完了を宣言した。
 こうなってしまうと、最早、質問どころではなくなる。
 ルディアを含む一同がホゥリーの快挙に沸き立ち、Aのエンディニオンへ旅立つ決意を確認し始めた。
『ハカセ』のことを訊ねるべく割って入ろうものなら、無粋とばかりに袋叩きにされてしまいそうな熱気だ。
 ニルヴァーナ・スクリプトへ臨まんとする決死隊は、今まさに灼熱の如き闘志で燃え滾っている。
 ひとりだけ乗り切れずにいるところをフィーナやハーヴェストあたりに見られたなら、
「正義の炎が燃え盛っているこの時に無粋な邪魔をするな!」と叱責されそうである。

「あんま能天気なこと言ってると怒られそうだけど、僕はワクワクしちゃうね〜。
こっちの世界じゃ見たこともないような新しい有価物と出逢えるかも知れないじゃん。
……そうやってさ、楽しく考えたほうが人生エンジョイできると思うんだよ。
覚悟も決意もバッチシだけど、それだけじゃあ肩が凝っちゃうもんね」
「なにクールを気取ってやがんだよ、てめぇ。それともまさかブルッちまったのか? 
それじゃあ無口になっちまっても仕方ねぇよなぁ」

 アルフレッドもアルフレッドで、ネイサンやイーライからに次々と叱咤され、
ルディアに『ハカセ』のことを訊ねていられる状態ではなくなってしまった。
 次に『ハカセ』のことをルディアと話せるのは、Aのエンディニオンへ渡ってからになるだろう。
逸る気持ちに暫しの猶予を与えねばならないようだ。
 気持ちに踏ん切りをつけると、ネイサンを「お前にとっては宝の山かも知れないが、
本懐だけは忘れないでくれよ」と諌め、イーライには「面白い冗談だ。乗り越える壁が大きいほど腕が鳴る」と
力瘤を作って見せた。
 ルディアの言う通り、ここで自分が水を差すわけにもいかない。
覚悟を固め、決意を燃やし、勇気と闘志を前進への力に換えて突き進むべき機(とき)なのだ。
勝利への一歩を踏み出す瞬間なのだ。
 アルフレッドが為すべきことはただひとつ――極限まで気勢を上げ、死地を共にせんとする仲間たちと
高く高く拳を突き上げることなのである。

「この先、何が起こるかは誰にも予測できない。……マリス、何があっても俺から離れるなよ」
「アルちゃん……」

 仲間たちの喊声に気合が満ち満ちていることを噛み締めたアルフレッドは、
次いでマリスの手を握り締め、「お前のことは何があっても守ってやる」と約束した。
 思いがけずアルフレッドから優しい言葉を貰ったマリスは、満面に眩いばかりの笑顔を咲かせたものの、
その直後にこれが埋め合わせであることを悟り、すぐにまた表情を暗くしてしまった。
 俯き加減で首を左右に振り、「出来ない約束はしないほうがよろしいですわ」と言い放ったマリスに
思わずアルフレッドは声を詰まらせた。
 実際、ここ数日間の冷淡な態度への埋め合わせのつもりで手を差し伸べただけあって、
マリスのこの反応には返す言葉が見つからない。
 嘘でも良いから甘い言葉を囁きかけていれば、マリスの機嫌は戻ったかも知れないが、
妙なところで律儀なアルフレッドは、彼女にこれ以上の偽りを重ねることはどうしても出来なかった。
その場しのぎの口八丁さえ、生真面目な性格に阻まれている。
 アルフレッドの躊躇から本心を感じ取ったマリスは、伏し目の端に水滴を溜めながら、
「出来ない約束はしないほうがよくってよ、アルちゃん」と繰り返した。
 守り切れる保障のない約束であるなら、最初から慈悲≠ネど要らなかった――
目も合わせずに拒絶を示したマリスの態度に悲しみの深さを認めたアルフレッドは、
それが為に立ち尽くすしかない。
 朴念仁のアルフレッドには、最早、お手上げだった。
 突き刺すような眼光と露骨な咳払いをタスクから浴びせられながらも、マリスの傍を離れはしなかったのだが、
さりとて肩を抱くことも出来ず、痛ましいとしか言いようのない平行線に行き着いてしまっていた。
 そこへ颯爽と現れたのがルディアである。
 小さな両腕を彼女の左腕に絡ませたルディアは、アルフレッドから遠ざけるようにして自分のもとへと引っ張り、
「マリちゃんはルディアが守るの!」と胸を張って宣言した。

「アルちゃんみたいな甲斐性ナシにマリちゃんは任せられないの。
これから先はルディアがマリちゃんを守っていくから、アルちゃんは手をお引きなさいなのね!」
「ル、ルディアちゃん……」
「これはまた強烈な横恋慕もあったものだな。ルディア、それは流石に俺も承知できないぞ。
マリスは仮にも俺の『恋人』だ。いくらお前でも……」
「おだまりなの。カノジョをいぢめるようなトンチキ野郎は、馬に蹴られて地獄に落ちるがいいの。
マリちゃんはルディアが幸せにするからシッシッなの」
「それが妙案ですわ、ルディア様。マリス様の傍にはわたくしやルディア様がおりますので、
アルフレッド様にはご退場願うとしましょう。長い間のお勤め、ご苦労様でございました。
マリス様に色目を使うのは金輪際お止めくださいまし」
「タスクちゃんもそう言ってるの。それにアルちゃん、これ見よがしに恋人パワーをアッピ〜ルしくさったけど、
それって計算なんじゃないの? ポイント稼ぐにしてもあからさま過ぎて白けるったりゃありゃしないの」
「ば、ばかな……」

 これにはアルフレッドも参ってしまった。
 常に打算に基づいて行動しているわけではないのだが、確かに自分の恋人であることを強調したのは、
マリスの機嫌を直そうと言う試みだった。
 当人としては、それとなく話に織り込んだつもりであったのだが、
善からぬ打算と言うものは、どんな例外もなく見透かされるのかも知れなかった。

「アルの負けだね。ルディアちゃんのこと、年下の女の子だからって甘く見てたんじゃない? 
女の子にはね、男の子の考えそうなことぐらいなんでもお見通しなんだから」
「そうなのっ! アルちゃん如きのアタマん中なんて超能力者じゃなくても丸わかりなのね。ザコなの、ザコっ!」

 あろうことかフィーナまでがルディアの加勢に入り、アルフレッドの立場はいよいよ危うくなってきた。

「――それじゃ、マリスさんの右手は私がもらおっかな」
「おっけーなの。フィーちゃんとふたりでそこのクソ野郎からマリちゃんをお守りしちゃうの〜」

 目を見開いて驚いているマリスの右手を、「お嬢様、お手をどうぞ」と茶目っ気たっぷりに恭しく取ったフィーナは、
さも自慢げにアルフレッドへ見せ付けた。
 フィーナの体温が触れた瞬間、表情を硬くしていたマリスの脳裏にタスクの哀訴が――
フィーナを親友と思い、大切にして欲しいと言う願いが蘇り、右腕に絡まるものを外しに掛かっていた指を引きとめた。
 タスクの言葉に幻惑されてしまったのだろうか――本来ならば吐き気を催すようなものにも関らず、
今はフィーナの体温が心地良く、引き剥がすことが惜しく思えてならなかった。

「コカーッ! コーッコッコカッ! カーッカッカッコォココー!」

 最初、フィーナの肩を宿木にし、次いで新たな居場所とばかりにマリスの頭上へと飛び移ったムルグは、
アルフレッドに対して見下したような嘲笑を浴びせた。
 「ここまでボロカスじゃ生きてる価値もねぇよな。とっとと手前ェで始末つけろや」とはフィーナの翻訳である。
 徹底的に蔑ろにされて閉口するアルフレッドではあったが、
マリスの周りにたくさんの友人が集まっていることには、親心のような微笑を浮かべてしまう。
 長い療養の中で級友からも存在を忘れ去られ、訪ねてくるのは僅かな人間のみと言うアカデミー時代の孤独からは
想像もできない情景であった。

「ハイハイ、ラブコメで修羅場ってんのはオキドキしたから、クイックでカプセル内にインしてプリーズ。
もうリトルでテレポーテーションがスタートする頃合だぁ」

 制御盤の操作を終えて転送用のカプセルの中へと乗り込んだホゥリーが仲間たちを急かす。
 「どの口が言うのか!」とはフツノミタマの漏らした文句だが、まさしくその通りであろう。
彼は仲間の準備など確かめもせず、ひとりだけカプセルの中に乗り込んでいたのである。

「タイマーでセットしたんじゃノットだけどねぇ、ワープに必要なエネルギーがチャージ出来たら、
カプセルへインされてるオブジェクトをオートマティックにアナザーなディメンジョンへ
ワープさせるシステムになってるからねぇ。チミたち、スロウリィにプレイしてると置いてぼりをイートするよン」

 事前に説明を凝らさず、急に刻限を告げるのだから、身勝手としか言いようもあるまい。
 誰よりもカプセルの空間を占有している彼の巨体を腹癒せとばかりに隅へと押し込んだフツノミタマは、
自分の傍らに誘い入れたシェインやジェイソンにも同じことをやらせた。
 最初は躊躇っていたジャスティンもジェイソンの手招きを受け、僅かな逡巡を経て三人に倣った。
 四人分の体重を浴びせられたホゥリーの贅肉は壁に当たって歪(いびつ)に拉げる。
さしものホゥリーも降参を宣言したが、圧し掛かってくる力は緩む気配もない。
 止めるどころか、ニコラスやネイサンをも自分たちの仲間に引き込み、ホゥリーへ更なる体重を加えるつもりだ。

「おいおい、てめーらだけで面白そうなコトやってんじゃねーよ。俺も混ぜやがれ!」
「イーライ、そこは注意するところよ。ひとりを寄ってたかっていじめるのは良くないって」
「おめーは来るんじゃねーぞ、レオナ。ドサクサに紛れて乳揉まれるかもしれねぇ。……あのゴミ屋とかにな!」
「なんで僕だけ名指しなの!? ヒドくない!?」
「……そんな心配する前に、」

 結局、自分以外の殆どのメンバーの体重をぶつけられたホゥリーは、
転送開始の前に自分の魂がイシュタルの御許へ旅立つのではないかと戦慄し、続けて聞き苦しい悲鳴を上げた。
切羽詰った叫びではあったが、日頃の行いが災いし、彼のことを案じる人間は皆無だった。

(……いよいよか……)

 ニルヴァーナ・スクリプトを起動させる準備が整ったことを報せるアラームが鳴り響き、
続いて光の障壁がカプセルの外廓を包み込んだ。物理的な準備はこれにて完了のようだ。

「すごい、すごい! シェインさん、ジェイソンさん、見てますか!? 本当にこんな物があるなんてっ!」
「何言ってんだよ。本当にこんな物があるから、オイラたちゃ危険を承知で飛び込んだんじゃねーか」
「そんなことを言ってるんじゃありませんっ! 本当に情緒の分からない人ですねっ!」
「分かったから、ちょっと落ち着こうぜ。ボクだってすっげぇ楽しみだけど、ジャスティンは鼻息荒過ぎだよ」
「これが興奮せずにいられますかっ! 脳細胞が最高に活性化していきます!」

 知的好奇心をくすぐられたジャスティンは、新しい玩具を前にしたキンダーガートゥンのように瞳を輝かせた。
 普段の大人びた姿とはかけ離れた様子に、シェインとジェイソンは顔を見合わせて微笑んでいる。
 間もなく視界が歪み始め、強烈な力で吸い付けられるかのような感覚が、脳天を基点として全身に行き届いていく。
 不可思議な感覚は次第に痺れと痛みを伴うようになり、肌ではなく骨肉にまで激痛が浸透し出した頃、
アルフレッドは自身の肉体が薄ぼんやりと透過し始めていることに気付いた。

(――みんなは何にも感じないのか……ッ?)

 他の面々はまだ透過もしていないし、それほどの違和感も覚えていない様子であったが、
マリスにも自分と同じ兆候が見られたこともあり、これも転送に必要な過程なのだろうと納得していった。
 考えてみれば、これはAのエンディニオンまで肉体を転送させる装置なのだ。
肉体を粒子レベルにまで一度分解し、異なる世界にて再構築すると言うプロセスを辿る以上、
身体への負担は避けられないのだろう。
 身体の弱いマリスには相当に堪えるのか、タスクに上体を支えられて、ようやく立っていられる様子だ。

(すぐに楽になる筈だ。耐えろ、マリス――)

 透過が完了する頃には誰もが亜空間の旅人となっている筈である。
 今では視界も歪み切っており、感覚神経まで急速に消え失せようとしている。
手足の感覚すら殆どなく、幽霊にでもなってしまったような心地だ。

「――追っ手なのッ!?」

 やけに響く声でハーヴェストが叫んだものだから、
驚いたアルフレッドは彼女の顔を確かめようと反射的に身を乗り出してしまった。
 ハーヴェスト当人は透過が始まるどころか、視界の湾曲にすら到達していないらしい。
 今にも消えかかっている意識を懸命に引き留め、仲間たちの様子を見回したアルフレッドだったが、
自分と同じような状況に置かれているのはマリスくらいなものである。
 眩暈や激痛に苛まれている様子など、ふたりを除いて他の誰にも見られない。

(……クソ、どうなっているんだ、俺の身体は……疲労の類とも思えないが……!?)

 今にも消え入りそうな意識を懸命に奮い立たせ、ハーヴェストが鋭い声を向けたほうへと視線を巡らせれば、
カプセルの外に見たこともない男が立っているではないか。
 擦り切れ、汚れ切った貫頭衣が目を引くものの、カーキ色の軍服は着用しておらず、
どうやらギルガメシュの一員ではなさそうだ。
 さりとて味方と言うこともあるまい。ネイサンの肩を借りながら起き上がったアルフレッドは、
貫頭衣姿の男を注意深く凝視していく。
 布切れでもって隠した双眸の直ぐ下まで口が裂けており、そこから気色の悪い哄笑を零している。
爬虫類の如く長い舌を小刻みに震わせる様にも、アルフレッドは嫌悪感を覚えた。

「イッシシシシシシ――見つけた見つけた! 見つけちゃったのよ〜んっ!」

 独特な笑い声が鼓膜の奥まで届いた瞬間、フツノミタマとシェインはそれぞれの得物に素早く手を掛けた。
 ――『贄喰(にえじき)』のヌバタマである。
 フツノミタマを付け狙うヌバタマがニルヴァーナ・スクリプトにまで到達してしまったのである。

「こいつが例の野郎≠ネのかッ!?」
「――と見て間違いなさそうですね。こんなときにやって来るとは……!」

 戦慄と恐怖が入り混じったようなシェインの面持ちからジェイソンとジャスティンも男の正体を悟り、
すかさず迎撃態勢を取る。ジェイソンに至っては早くもホウライを発動しようとしていた。

「――キモッ!? なんなの、こいつ!? 台所のアレが進化したのッ!? こいつは絶対焼き殺して良いアレ≠ネのっ!」

 気色悪い笑みを浮かべながら、ゆらりゆらりと両腕を振るヌバタマの風貌が癇に障ったのか、
ルディアは一番星を模ったマスコット人形を彼に向かって翳した。
『メガブッダレーザー』でもって焼き払ってしまおうと言うのだ。
 タスクやハーヴェストも各々のトラウムでもって狙いを定めている。

「ヘイ、ミラクルなガールズ! ウェイト! リトル待った! 
テレポートがディスなステップまでゴーしちゃったら、もうハンドをイン出来ないゾ! 
まかりミステイクってシステムにランブルでもアタックしようものなら、
一体、どんなアクシンデントがカムするか、分かったもんじゃ――」

 ニルヴァーナ・スクリプトが起動し、転送が開始された段階で何らかの外的要因が加わった場合、
どのような誤作動を起こすか、分かったものではない。
 緊急停止ならばまだ良い。送信の段階で障害の生じたファクシミリ内容が、
受信側で滅茶苦茶な物となってしまうように、粒子レベル――もっと言えば一個の『情報』にまで分解された物質へ
不測のノイズが加わり、再構築時に元の形とは全く異なるモノへと変質してしまう恐れもあった。
 カプセルの内側からニルヴァーナ・スクリプトに物理的な衝撃を与えるなど持っての他である。

「ツレないなぁ、秋水クン。どこかへお出かけするなら吾輩にも声をかけてくれなきゃ〜。
吾輩、もう拗ねちゃうぞ、ぷんぷんっ!」

 だからこそ、ホゥリーは迎撃の準備を見咎めたのだが、ヌバタマにそのような事情を理解出来る筈もなく、
「もう離れないからね、秋水クンっ!」と、おぞましい笑顔を浮かべながらカプセルに飛び掛ってきた。
 仮に事情を知っていたとしても、ヌバタマがカプセルにへばり付くのを自重したとも思えない。
 カプセルは高圧の電流と瞬間数百度に達する高熱を帯びており、
生身で触れようものなら、一瞬にしてショック死するような状態なのだ。
 それにも関らず、ヌバタマは何の迷いもなくカプセルへとへばり付いた。
肌が、肉が焼けて爛れるのも構わず、愛しそうに頬擦りする姿には、狂気以外の何も感じられない。
 常人並みの思考など遠くへ置き去りにしてきたヌバタマは、
危険な状況すら「障碍は多いほうが燃えるぞな。吾輩、たまらんよ」などと喜んでいる。

「イカレてやがる……!」

 呻き声を上げるシェインの首筋を狙って、ヌバタマが右腕を伸ばした。
高熱と電流で焼け爛れ、更に障壁を突き抜けた衝撃で骨肉まで拉げた腕を、だ。

「――シェインに触るんじゃねェッ!」

 無論、シェインの窮地を看過するフツノミタマではない。
ジェイソンよりもジャスティンよりも速く動き、相棒の腕を居合いの一閃でもって刎ね飛ばした――が、
続くヌバタマの降下までは防ぎ切れなかった。

「イシシ――つっかまえた〜!」

 フツノミタマに抱きついたヌバタマが――いや、既にヌバタマとしての原形が殆ど残っていない異形が
そう囁きかけた瞬間、カプセル内に異変が起こった。
 天地などないくらいカプセルは烈震し、内部に乗り込んでいたアルフレッドたちは、
床も天井も壁もなく強か身体を叩き付けられた。
 災難だったのはホゥリーだ。フツノミタマに斬り落とされたヌバタマの右腕が
運悪くタライのように大きな彼の口の中に飛び込んでしまい、二重の衝撃に見舞われる羽目になった。
 続いて襲い掛かったのは、凄まじい眩暈である。
 いや、それは眩暈などと言う次元を遥かに超えていた。
 視界の全てが白黒の砂嵐で覆い尽くされ、続いて五感の機能が完全に失われた。
 死を意識するには十分な現象である。あるいは、ホゥリーの危惧した事態(アクシデント)が
起ころうとしているのかも知れない。
 全ての感覚が喪失され、意識までもが急速に自分のもとから離れようとしている。
 これまで味わったことのない絶望感で満たされようとしていたそのとき、更なる怪現象がアルフレッドを飲み込んだ。
 膨らんだ風船を破裂させたかのような音で脳が揺さぶられたと思うや否や、
アルフレッドは転送用のカプセルから振り落とされていた。
 一体、何がどうなってカプセルの外に放り出されたのかは分からない。
 ヌバタマのこじ開けた穴から放り出されたのかも知れないが、
アルフレッドの身体は、その大穴とは全く異なる方向へと弾き飛ばされていた。

「な……に……が……ッ……」

 アルフレッドの傍らにはマリスが在る。彼女もまたカプセルから弾き飛ばされたひとりであった。
 うつ伏せに倒れこんだまま微動だにせず、単に気絶しているのか、最悪の結果となってしまったのかも分からない。
 安否を確かめようにも全身を苛む激痛がそれを許さず、
アルフレッドも彼女と同じように鋼鉄のタイルに横たわるしかなかった。
 五感の機能は既に戻っている。意識も辛うじて保ててはいる。
それだけにアルフレッドは自身の負ったダメージの甚大さが理解出来た。
 打撲や裂傷は全身に及んでいるだろう。骨折だけは免れたようだが、
痛みの鋭さから察するに何箇所か亀裂が入っているようにも思える。
 満足に動ける状態ではなかった。

「――アルッ! マリスさんッ!」

 フィーナの悲鳴が鼓膜を打つが、彼女に無事を示すことも出来なかった。
 想像の中の彼女は自分とマリスに向かって手を差し伸べていた。
おそらく実際のフィーナも同じようなことをしているに違いない。
 フィーナの無事を確認し、吐血交じりに安堵の溜め息を漏らしたアルフレッドの鼓膜をまた新たな音が震わせる。
 軍靴が床を打つ音である。バブ・エルズポイントに於いてこの音を鳴らすとしたら、
ギルガメシュの将兵以外にはあるまい。
 何のことはない。カプセルの誤作動からほんの数分ばかり生き長らえただけで、命運は尽きていたのである。
 首さえ満足に動かせない状態では確認もままならないが、
駆け付けたギルガメシュの兵士は、ニルヴァーナ・スクリプトのカプセルを調べているようだ。
 それで満足だった。アルフレッドは本懐を遂げた晴れやかさを噛み締めていた。

(後は託したぞ、フィー……)

 Aのエンディニオンへ旅立つことが出来たであろうフィーナや仲間たちへ希望を託し、
アルフレッドはそっと瞼を閉じた。
 意識の混濁が著しく、瞼を閉じていることさえ困難であった。

「――アルッ!? お前、本当にアルなのかッ!?」

 直にクラップとも逢える――そう思って閉ざした瞼を、アルフレッドは再び開くことになる。
 誰かは知らないが、間違いなく自分の愛称を呼ぶ者がいた。
しかも、だ。暫く会う機会のなかった人間が偶然の再会に驚いているかのような声色である。
 加勢に駆け付けたヒューやローガンでもないようだ。

「お前……まさか……」

 安否を気遣うようにして自分の顔を覗き込んでくる青年にアルフレッドは見覚えがあった。
 「見覚えがある」程度の浅い関係ではない。その青年とは、嘗て同じ学び舎で机を並べ、
親友として友情を誓い合っていたのだから――。

「ボル……シュ……?」

 カーキ色の軍服に身を包んだその青年――ボルシュグラーブの姿を認めたアルフレッドの脳裏に、
コールタンから掛けられた言葉が蘇った。

(……そうか……そう言うことか……)

 今はまだ知らないほうがいい――ギルガメシュ幹部の情報を提供する際、コールタンは幾つかを秘匿にしていた。
 ようやく彼女の意図を悟ったアルフレッドであるが、それ以上、思量を進めることは出来なかった。
 嘗て親友として肩を並べた青年の呼び声を、まどろみの中でもたらされる小鳥の囀りのように聞きながら、
アルフレッドはとうとう意識を手放した――。





 喩えば、自分の一番醜い表情を完璧に映し出す鏡があったとしよう。
 誰の目にも触れさせたくないし、自分自身でも見たいものじゃない姿を映し出す鏡の前に
どうしても立たなければならなくなったら、君ならどうする?
 僕の場合はこうだ。
 自分が救いようのない人間であることを認め、鏡に映し出されたものを受け入れる。
 認めるって言うのはちょっと違うかな。認めるとか認めないとか、
そう言う次元のものはとっくの昔に泥濘の海へと投げ捨てているしな。
 諦めると言うべきだったかも知れない。そう、諦めるんだ、「自分はこのザマなんだ」ってさ。
 それから親友が諳んじていた言葉を思い出すんだ。それで僕はどうにか思い直せるんだよ。
 前車覆るは、後車の戒めとなる――古い古い故事からの引用なんだけど、実に適切だと思う。
 見下げ果てた自分の醜聞を見せつけられることは、何より一番犯してしまった過ちを自覚させ、
また反省させてくれるものなんだってね。
 「そんなの当たり前だろ」って言うツッコミは二四時間待っているけど、
自分で自分を慰めるみっともないヤツだなんて追及は、出来れば遠慮してくれよ。
 そんなことは僕が一番理解しているんだし、そのことで問い詰められると軽く舌を噛み切りたくなるんだ。

 言うまでもないことだけど、好き好んで僕の自己啓発を真似する必要なんかない。
 真似なんかしちゃあダメだ。これは駄目人間のみっともなさを自分で慰める虚しい行動なんだ。
 そもそも正常な心の働きを持っている人間なら、醜い部分をさらけ出すことなんて有り得ない。
そう言う嫌な感情は人間らしい理性でもってちゃんと抑え込めるのだからね。
 でも、エンディニオンへ無数に散らばる人生の中に必ずしも幸せなものが含まれないのと同じように、
極稀にだけど理性でも抑えが利かず、本能の赴くままに醜い部分を曝け出してしまう人間もいるんだ。
 それが僕――正確には、『僕』と言う汚辱の魂の裡に潜む、極めて衝動的な人格のひとつ、かな。
 僕と言う人格は、その衝動的な『僕』を映し出す為だけに存在していると言っても差し支えない。
 『僕』の本性を暴き立てる鏡の役割を担っているのが僕と言うわけだ。

 だからかな。僕は、『僕』が浮かべたどんな表情も、心の働きだって絶対に見逃さない。
 僕自身が『僕』の醜さを誰よりも一番良く知っているからね。
 今だってそうだ。
 不測の事態に振り回される仲間たちを見渡したお前は、かけがえのない親友がカプセルから振り落とされた瞬間、
自分がどんな顔でいたか分かっていないだろう? 自覚なんかないんだろう?
 糸のように細い目にどんな光を宿していたかなんて、分からないだろう?
 お前は自分の親友が命を落とすかも知れないときに――

「今度はどんな死に顔を見せてくれるんだろう」

 ――そんなことを思い浮かべていたよな。親友の死に顔を想像していた筈だ。
 そして、次の瞬間、……己の醜さに身悶えたな。
 歪んだ口元を必死に隠して、搾り出すように呟いたよな――

「何と言うことを言ってしまったのだろう……」

 ――って、今にも泣きそうな声でさ。
 僕と言う人格が発生したことで何かが変わるのかも知れないと期待したのだけど、
……どうやら独り上手にも意味があったってわけだ。

 これまでの輪廻とは明らかに違っていた。
 これまでの輪廻とは少しも変わっちゃいない――地上に降り立った瞬間は、『僕』はそう信じて疑わなかった。
 そりゃそうだろうな。あのスイッチを押すとき、何も変わらないように調整していたんだからな。
 輪廻を巡る度に訪れる――と言うよりも、改変されていくシナリオに自分自身で酔い痴れて、
次はどんな輪廻でエンディニオンを捏ね繰り返してやろうかって、そんなことしか考えちゃいなかったんだ。
 粘土細工で遊ぶキンダーガートゥンと丸っきり同じ感覚で、お前は無垢なる残酷を繰り返す。
理由も思想も何もない。悦に入れるかどうかを判断基準にして粘土遊びに耽るんだ。
 地上に散らばる無数の人生も、人間のことなんかも、少しだって考えちゃいない。
 どうすれば自分が愉しめるか。愉しい世界を創り出せるのか――お前にあるのは、ただそれだけだ。

 ……その筈だったんだ。
 ニルヴァーナ・スクリプトが起こるタイミング――
「もう一つのエンディニオン」へ渡るタイミングも前の輪廻と比べてだいぶ違っていたな。
 前の輪廻のときは、確か、親友ひとりだけをニルヴァーナ・スクリプトに巻き込んで
「もう一つのエンディニオン」に飛ばしたんだったっけ。
 シナリオのプロローグとして、『僕』はニルヴァーナ・スクリプトを全ての始まりの地点に配置していた筈だ。
 お前はそのときも親友面してあいつの近くに侍っていやがった。
 口八丁手八丁であいつの信頼を得て、最後の最後であいつに人生最悪の後悔を与えるんだ。
 あいつの気持ちを踏み躙るってパターンが気に入ってたんだろうな。
前の輪廻もその前も、そのまた前の輪廻のときも、
お前は同じパターンであいつを「もう一つのエンディニオン」に引きずり込み、同じパターンが裏切っていた。
 新しい輪廻でやり方を変えたってことは、成る程、何度も同じパターンをやったから飽きたんだな。
 それで新しいシナリオをせっせと書いたってわけだ。
 言葉の限りを尽くしても言い表せないよ。
 『僕』の醜さ、救いようのないくらい歪み切って濁り切った邪悪な魂ってヤツはな。

 だけど、そのシナリオが狂い始めている。『魂』がおかしくなり始めてる。
 どうしてこんなことになってしまったのか、自分でも分からないだろう? 
だから、人間らしいこと≠思い耽る自分にうろたえているんだろうよ。
 僕に言わせれば、なんにも不思議なことはないけどな。それは当たり前のことなんだ。
 僕がここに在る――それが全ての変貌の根源(はじまり)なのだから。

「アル君の言葉じゃないけど、この先どうなるかわからないのよね。
危ない目に遭うのは慣れっこだけど、あなたと離れ離れになるのだけは勘弁して欲しいわ」
「お前は……どうしてそうクセェ台詞をさも普通そうに吐けるんだよ。
ぶっちゃけ、俺にはその神経が信じられねぇぜ」
「そうかな? 夫婦だから許されるんじゃない?」
「関係ねぇだろ。単純にお前が恥ずかしいヤツなんだ」
「別にいいよ、恥ずかしいヤツだって。イーライが忘れ物≠オなくなるなら、
いくらでも恥ずかしいことを言い続けるよ」
「だから、てめぇは……――」

 ――忘れちゃいないさ。
 『僕』が在るから、僕はこの世界に要る=B
 自分で言うのもおこがましいけど、この世界に要る≠だ。
 『僕』の創り出した輪廻から全ての魂を解き放つ。『僕』自身をも救い出してみせる。
 その為に僕は『僕』の裡を離れたのだから。それが、僕の存在する唯一の理由であり、意味なんだ。

「……自分のダンナをボケ呼ばわりするなんて趣味の悪ぃヤツだな。
それはアレか、もう若くないっつー悲しい宣言か? 縁側でうたたねするのが日課の歳でもねぇだろうに」
「も〜、またそうやってカワイクないこと言う〜」
「カワイクなくて結構だ。そんなもん、誰が俺に求めるかっつーの」

 やがて、眩いばかりの光が僕らを包み込む。
 真っ白なキャンバス上で点と線を結ぶようにして描画が始まり、
そこに浮かび上がった落書きに、今度は色とりどりの絵の具が何万色とぶちまけられた。
 全ての色が溶け合い、混ざり合い、見るに絶えない灰色の渦を生み出していたのだけれど、
いつの間にか昇っていた太陽の光を浴びた途端、それぞれの色へと再び分かれ、
まるで虹のように折り重なって一本の筆となり、真っ白なキャンバスを一撫でしていく。
 そうする内に無色無臭だった落書きが彩りを得、美麗な大地となって輝きだしたじゃないか。
 世界が――エンディニオンの大地が目の前に広がっていた。

 ……あいつも前の輪廻のときにはこれと同じ現象に出くわしたんだろうな。
 この世のものとも思えない光景だから、自分は死んだんだって取り乱したのかも。
 そう思ったら、なんだか妙に可笑しくなって来た。
 失敗の許されない戦いへ臨もうとしてるってのに、我ながら図太くなったもんだよ、うん。

「そろそろだな。同じ場所に墜ちることをせいぜい祈っとくとしようや」
「ん? そんなとこ、心配なんかしてないよ? イーライとはどこまでも一緒だって信じてるもの」
「おま……だ、だからこっ恥ずかしいことをサラリと言うなっつーの。聞いてるこっちが赤くなっちまうぜ」
「うんうん、そうそう。イーライのそう言うとこ、可愛いと思うな」
「う、うっせぇ! ほっとけッ!!」

 ……あぁ、そうだ。図太くなったんだよ、僕は。
 『僕』の醜さに塗り潰されないくらい強くなれたんだ。
 だから、負けない。今度こそ僕は『僕』に負けたりなんかしない。

(……二度と君を裏切ったりしないから――次に会えた時には笑顔で迎えてくれよな……)

 エンディニオンに生きる全ての命の為に――そして、かけがえのない親友の為に。

「……超えてみせるぜ、クソったれた『僕』ちゃんをよッ!」





 ――或る者の瞳が旧友を見つけ、また或る者の瞳が遥かなる『夢』を視ている頃、
バブ・エルズポイントが所在する離れ島では、更に別なる眼光が爛々と輝いていた。
 それは第三の視線(ひとみ)とも言うべきものである。
つい数十分前まで激しい乱戦が繰り広げられていた場にて立ち尽くし、
風雨に曝されながらクリッターの残骸を見つめている。
 佇む影はふたつ――合戦の残り火は嵐に吹き消され、足元を照らす灯りすらままならない状況でありながら、
彼らの眼光は闇の中の残骸を確かに捉えていた。
 そこに何を思ったのかは判然としない。そもそも、表情と言うものが存在していない。
 片方は鳥の如き輪郭を、もう片方は雄牛の如き輪郭を、宵闇に浮かび上がらせている。
それでいて四肢はヒトに近しく、二足にて屹立しているのだ。
 だが、ヒトと全く同種(おなじ)とは言い難い。表皮は鋼鉄の装甲であり、関節部分は完全なる機械。
鳥の如き輪郭の持ち主に至っては、右腕――に該当する部位と言うべきかも知れない――の表面に
水銀のような輝きと波紋が見られる。およそヒトが持ち得る皮膚ではない。
 彼らの背後には、先程の合戦の生き残りと思しきクリッターの群れが控えている。
ふたつの影もまた同類と見て間違いあるまい――が、世に棲む他のクリッターとは明確な隔たりがあった。

「――最後に飛び出してきたあの雄(おとこ)、えらく面白い動きをしてたな。
今まで戦ったニンゲンにはないモンだった。……手合わせしてみたかったぜ」
「我の記憶が誤りでなくば、あれは『コマンドサンボ』であろう。
軍隊と呼ばれるニンゲンの集団の中で考案されたもの――だったと思う」
「さっすが、勉強熱心なことで。ニンゲン大好きだもんな〜、メガラニカは」
「お前こそ相変わらず興味の幅が狭い。それではニンゲンを真に理解することは出来ぬぞ、ムー」
「……説教までニンゲンに似てきやがったぜ、オイ」

 『ムー』と呼ばれた鳥の輪郭を持つクリッターも、『メガラニカ』と呼ばれた雄牛の輪郭を持つクリッターも、
いずれもヒトの操る言語にて会話を交わしていた。
 人類の天敵とされている筈のクリッターが、ニンゲン≠フ言葉を紡いでいた。

「ともあれ、これでティソーンへの友情にも報いることが出来ただろう。何より実戦に於ける訓練も叶った。
これは大いなる一歩と言ってもよかろう」
「そのティソーンはまだ生きてやがるのかね。アゾットの話じゃえらく危ねぇ目に遭ったみてぇだけどよ?」
「あれほどの御仁(じんぶつ)、『母なる星』が死を望まぬよ――」

 ムーに答えながら後方へと振り返ったメガラニカは、クリッターの群れを見回した後、
両手――ニンゲンで例えるならば左右の腕に当たる部位だ――を大きく広げながら、
「――我が最愛の『バンド』よ」と語り始めた。

「苦しみを耐えてよくぞ戦った。我は皆を心から誇りに思う。皆の勇気こそが『母なる星』と親しき友を助けたのだ。
これこそ、大いなる生命の循環の礎である。今日の成果を想い出に刻み、
『母なる星』へ安寧をもたらす日を目指そうぞ――」

 ニンゲンの言語にて紡がれた演説へと傅くクリッターの群れは、その身に輪を模った塗装を施している。
彼らを見つめる側に在るメガラニカとムーも同様だ。
 輪を模った塗装に秘められた意図も、メガラニカなる雄牛が語った「大いなる生命の循環」の意味も、
この世界≠ノ棲まうニンゲンには知る由もなかった――。




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